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くう・ねる・あそぶ。子供ってこれっかしてない。って気が付いて去年の暮れに家を、くう・ねる・あそぶ 仕様に変えることにした。くうは食事。今年の夏で弐女ちゃんは満1歳になるから、そしたら離乳食が始るから、くうに関してはその時まで据え置き。あそぶは日中ほとんど保育園に壱男は行っているし、弐女ちゃんはまだ遊ばないしで、これは現状維持。じゃあ何を変えたかっていうと、ねる、これを変えた。4人で寝ている西向きの6畳の和室を片付けた。ここに越して来て以来着けっぱなしだった窓の簾を外して、レースの遮熱カーテンと遮光カーテンを新設。結婚前から使っていた羽毛布団を新規購入。洋室に新たに突っ張りタイプの大型クローゼットを新設して、この和室に合ったパイプハンガーの衣類を移動。これで部屋がぐんと広くなって、家具は中型のチェストと姿見だけになった。そして『ねる』だけの為の部屋になった。ここにダブルとシングルの敷き布団を並べて敷く。もっと寝具の色や材質なんかも凝って、『ねる』っていうことの環境作りをしてみたいけど、今はこの辺りで十分。遮光カーテンと遮熱カーテンは実力十分で、特に休みの日の子供のお昼寝にその威力を発揮する。買って良かった逸品。ここまで来るのに年末は大変だった。亭主は30日まで仕事があるって言うし、私一人じゃ出来ないしで、結局亭主に文句言って24日は休んでもらって、(って世間様はお休みなのよ~)壱男は姑さん達と遊びに出掛けてもらって、二人で朝から初めて深夜まで掛かって片付けた。なんでそんな事になったかというと、突っ張りタイプの大型クローゼットを新設した洋室が、以前から納戸化していて、ここで新設作業スペースを確保しつつ、ここを片付けるという難事業の作業手順を過ってしまったから。こういう時の現場監督はワシなんだなあ。亭主じゃダメなの。最初を亭主に任したのが失敗の始り。で深夜4時過ぎてヘトヘトなのにまだ終らず状態で、結局翌日持ち越しになった。その翌日は言わずと知れたクリスマス当日で、そっちの準備もあってシッチャカメッチャカ。なんとかチキンもお料理も間に合ったけど。バラスと年末にこういう事ばっかりあったから、日記を止めよう!、もう続けられない!、って思った次第なのよ。こういう家具を動かす様な家の事って、私一人じゃ出来ないし、勿論亭主一人じゃもっと出来ないし、ほんっとうに二人でなきゃ出来ない。でこういう事を思い付いて、そして言い出して、ギャンギャン騒いで、相方の重い腰を上げさせるのは、オンナの仕事なんでしょうなあ。それで一言、いつまでも家が片付かないと言っているアナタ!、それはアナタが『片付ける』と腹を括っていないからですよ!。あなたが腹を括って決めれば、あなたの相方は必ず付いて来ます。全てはオンナのアナタ次第なのです。
2006年01月30日
亭主は今日は風邪でダウン。この人最近週末になる度に寝込む。ワシは一体いつ休んだらいいのじゃ。弐女ちゃんは病気の亭主に預けて、壱男と久し振りに社宅の中庭に出る。相変わらず『お砂~』って言うから、砂場に付合う。そしたら社宅の働く子持ちオンナさんが、中庭で子供を遊ばせているのを発見。これはすごいことだと思い、この母とぜひ無駄口を利きたいと、様子を伺うものの、壱男の『行っちゃダメ~。』にあい、お話出来なかった。でもこの母は一緒に子供を遊ばせに来ていた、家のお隣のワイワイさんとおしゃべりしていた。なんかいいかんじだぞ~って思った。所詮オンナ同志なんだから、建設業の亭主を持つオンナ同志なんだから、(土日祝日盆正月が休みとは限らないのよ。)小さい子供を育てているんだから、共通する思いや悩み、知りたい事、知っている事なんて話題はあるはずなんだ。絶対話せるはずなんだ。私は地域の事を積極的にやりたいワケじゃあないし、地域の交流を盛んにやりたいワケじゃあないのよ。できればそっとしておいて欲しいの。ただここに住んで暮すと言う事で生じる、やらなくっちゃいけないお仕事なんかは、きちんと納めたいだけなのよ。それもなるべくスムーズにね。その為には日常のコミュニケーションって大切だし、そういう人と人との風通しは良くしておきたいの。そして仲良く暮したいとかそういう風にも思ってないの。近所に友達を作ろうとも思ってないの。必要な時に必要な事が伝えられればそれでヨシと思っているの。だからママ友っていうのは全然求めてない。そう思っていてももいろんな人が私を覚えてくれて、声を掛けてくれる。有難い事なのかもしれないけど。これで今の私は十分ここに居場所を感じているの。私なりにここに根を降ろしているの。あっちにもこっち友達いて~、なんでも情報通っていうような根の降ろし方とは違うけど。ある種の働く子持ちオンナが仕事を理由にして、近所の付合いをしないで、地域のお仕事をしないで、なんでもやり過ごしてしまおう、っていう気持ちは実はすごく解るんだ。それは過去の私だし、今の私もそんなに変わってはいないから。本当は出来れば誰とも付合いたくないの。本当は関わりたくないの。本当は自分の事だけしていたいの。私は他人の持ち物には関心あるけど、根本的には他人に興味ないの。誰がいつ引っ越すとか、だれだれさんが妊娠中とか、そういう情報もいつも全然知らないの。そういう事に関心ないの。向こうが私の名前も子供の名前も知っていて、私は相手の顏しか知らないっていうのがほとんど。そんなアタシでも挨拶して暮れて、話し掛けてくれる人が沢山いるの。それには誠実に受け答えはしているけど、本当の私を見せる事もないし、相手の家にも行かないし、家に呼ぶ事もないの。それが今の私の精一杯のおつき合い。私なんてそんな程度なワケ。だからネットワーク作ろうだとか、サークル作ろうだとか、人と人を繋げようだとか言う人に出会うと、正直引いちゃう。そういう人は理解不能なんだけど、私の中では上位レベルに評価してる。そういう点では私は下位レベルな評価。この下位レベルな私を凌いだのが、先月お当番でいろいろ悩ませてくれたイチジャキさんだった。こんな私でも最低限の礼節ギリギリのおつき合いしてて、社宅のお仕事もやれる範囲で誠実にやろうっていうのに、それをこの人は金の力で自分の都合よくしたいだなんて、言ってのけたんだ。『お金を払ってお当番を永久放免されたい。』って。私はそれに怒ったんだ。最低な私よりもさらに最低な事をしようとしたから、この人は品性劣るって思ったんだよね。まあこの人も勢に乗って言っちゃっただけなんだろうけど。近所付合いも、近所のおつき合いも、誠実にはやっているけど、決してお盛んではなくて、むしろそうっとしておいて欲しい方なんだけど、それでも私は今ここに居場所を感じて、以前よりもずうっと居心地がいい。それだけは確かな事で、イチジャキさんみたいな人にぜひ分って欲しいと、今でも思っている。随分としつこいけど。
2006年01月29日
今日は高校の同級生のグラが遊びに来た。グラは大学生と高校生の母。昼間は保育所でパートをしている。今、食育っていう言葉があるんだけど、着育っていうのかなあ、きちんとした服装をする事、っていう教育の必要性について話してみた。私達は昭和39年生まれ、1964年生まれなんだけど、私達が小さい頃、小学生の頃までっていったら、オトコの子は冬を除いて半ズボン。オンナの子はまあスカートかズボン系ね。今じゃ懐かしい吊りの車ヒダのスカートなんて、もう定番中の定番。(私は着なかったけど。)素材は綿とかウールとかの非ストレッチ素材。そして上はオトコの子はカッターシャツかポロシャツ、オンナの子はブラウス、つまり襟が付いた物を着ていた。寒ければその上に母親が編んだような、セーターとかベストを着た。そして靴下は今みたいにルーズなのは格好悪くて、ソックタッチ着けてピッチリ上げていた。そんでもって旅行なんて言うと、家の親なんか帽子を被って一張羅来て出掛けたもんよ。子供もそれに倣わされるの。バスや電車に乗る時も御近所スタイルとは、一線を画していたもんね。美輪明宏さんが今のファッションをこう呼んでいる。『寝巻き文化』。みんなどこでも寝巻きみたいな格好、それもボタンの付いた上下の別れたやつじゃなくて、ジャージやスウェットの類いの事。私が中学生の頃だったかなあ、トレーナーっつーのが出現したんですよ。小さい頃はTシャツっつーものもなかったかなあ。それまでニット物っていうのは、体操着で普段はそんなもんは着たりしてなかった。あとは下着のシャツとパンツくらいなもんよ。それで前述のような要アイロンだったり、寝押しして置かないと格好のつかないようなもんだったり、うっかりこたつで寝てしまうと、肩が凝ってしまう様なそんなものが、日常着だったのよ。今は本当に『寝巻き文化』っつーか、まあ肩が凝らない楽チンなものが日常着で、下手すると『アンタ朝から着替えてないでしょ。』、みたいな格好で平気で電車に乗っている人もいる。そういいながらも実は『日本はまだまだフォーマル』なんだよね、ってロンドンから帰って来て思った。ロンドンなんかもっと砕けていて、スーツにネクタイなんて行く所行かないと見れない。意外?!。で着育なんだけど、今の子供にちゃんとした日常の格好、きちんとした日常の格好しなさい、って言ったらそれが想像出来るかなあ、って思うんだ。毎日子供自身もストレッチ素材で、ノーボタンの被り物で、メンテナンスフリーなもんを来ていて、親もそういう格好していて、ひどい時は学校の先生もそうなんだから。私の思うちゃんとした日常の格好っつーのは、折り目正しい事なんじゃないかと思うんだ。まず襟がある事だよん。アイロンの当たったカッターシャツとか、オンナの子ならブラウス。そして非ストレッチ素材のズボンとかスカート。まあスカートはヒダが合った方が、きちんと感はますと思うけどね。最期にサイズがきちんと合っている事。特に肩と袖とズボンとスカートの裾。まあバーバリー子供服、ラルフローレン子供服、ファミリア子供服あたりかな。そんでそれは上記の高い高級品である必要は全然なくて、ユニクロ程度で十分だと思うんだ。趣味が良いに越した事はないけど、それはセンス部分も多いからなんともいえない。そしてこういう格好は確かに動きにくいから、子供に毎日させる必要はないんだけど、きちんと見える格好が何かって解ることって、大事だと思うんだよ。時節や場所に合わせた格好って大事だし、好感を持ってもらえる格好っていうのも大事だよ。だってホリエモンなんか見ても服装で損しているもん。こう書くとさあ、相手に服で媚びてる、とか屁理屈とかしか思えない事を、いい大人でも言い出す人いるけど、場所や礼儀礼節に合った格好をするっていうのは、大事な事だと思うよ。それが折り目正しさだと思うんだけど。挨拶と一緒だよん。子供もそれを知って今のファッションはまた別に、楽しんでいいと思うんだ。服装もいろんな引き出しを持てるといいと思うんだよね。私も若い時はDCブランド全盛で、随分変な格好したよ。でも会社員になって普通のスーツの洗練さにも触れて、30代はイッセイミヤケとかデザイナー物にも触れて、そのアイディアにインスパイアされたよ。今はユニクロカジュアル一辺倒で、昔を知る人からすれば『どーして普通の格好してるの?』、って疑問だろうけど、それは私の引き出しの一つに過ぎないワケよ。今の私はなんでも有りだからいろんな格好するのさ。まあ毎日どこかの公園に出陣してて、子供のたちのブランドロゴの入った服なんか見てたり、自分の子供の服を買いに行ったりして、金が掛かっている事と、その親が買ってやった服が子供に与える影響っていうのかなあ、つまり子供に着育しているかっていうのは、どーも別もんだなあなんて思うんですよお。何をどう、いつ着るかってつーのも、ひとつの文化だあからねえ。
2006年01月28日
相変わらず壱男にはキレテマス。最近なんだか楽しくて、(理由は不明)毎日っていうことはないけど、朝の登園のお支度の時や、お風呂の時なんかにちょいキレ。最近よく登場する中学の同級生のマチュの言葉を借りれば、母が子供にキレルのは『必要悪』だそう。今日はこの必要悪について少々。ほんっとうに未だに世界中で紛争が絶えない。沢山の大人や子供が、全く無意味に殺されている。その一方で捨て身で人の命を救う人が居たりする。この現実をどう見るか。人殺しや犯罪は悪い物だから、撲滅しなければいけない。普通はこう考えるんだろう。でも私はこう思う。人殺しも犯罪もなくならないだろう。0にする事は出来ないだろう。0に出来ないのがこの地球であり、人間って言う生き物なんじゃないかって。大事な事は0にすることじゃなくて、単純に今より減らす事なんじゃないかな。なんか消極的なかんじだけど。私を含めて私達は負の部分って見たくない。例えば目の前の電気自動車はなんかクリーンなかんじだけど、この電気は重油を燃やし原子力を使って作られる。全体食とか自然食ブームで、野菜の皮でもなんでも食べるのは良いけど、その分の糞尿は増えているはず。目の前のキレイなクリーンな快適さは、危険な汚い恐い物で支えられている。これが本当の本当の現実。私達はこの危険な汚い恐い物を捨て去る事は出来ない。それが人間たる宿命であり、地球という星なんだと思う。人殺しや犯罪は決して捨て身で人の命を救うような人達を、裏で支えたりはしないのはわかっている。でもこの両者はどうしても、互いに存在しないとならない物なんじゃないかって思う。コインに裏と表があるように、人間の表を見せる人と裏を見せる人。危険な汚い恐い物や人間の裏を見せる人、これが必要悪なんだと思う。どうしてもそうは思いたくはないけど、表が成立する為には裏、つまり必要悪はなくてはいけない。だから0にする事は出来ない。非常に消極的だけど表と裏のバランスを変えて、裏を減らしていく事しか出来ないんじゃないかって。こういう表と裏は私の中にも十分見て取れる。冒頭でも書いた『母が子供にキレル』事、子供を愛しいと思う表が成立する為には、この必要悪はいるんじゃないのかって。こう考えるとキレル自分っていうのを、そう否定する事もないと思えるんだ。だからといってキレまくるのはどうかと思うけど。やっぱり大事な事は表と裏のバランスを変える事。子供と離れてみたり、間に人を挟んだして、裏を減らす。裏を愛するなんてとってもとっても出来やしない。それはそれでいいんじゃないかな。でも排除することは出来ない。表が成立する為には裏はどうしても必要だから。だから必要悪なんだ。地球で生きていくのはなかなか難しいなあ。
2006年01月27日
先週中学校の同級生のマチュが来てこう言った。『riccaちゃんがんばれる所だけがんばればいいのよ。』。何に付いてかっていうと、『子育』について。マチュは20代の始めから、自分の兄弟が実家に残していった4人の子供を、自分の母親とともに育てて来た。その費用の大半はマチュの収入からだった。みんなが恋やオサレに浮かれている時も、この人は子供服のバーゲンっつーと、走って行ったんだって。今では楽しい思い出だって。なんでマチュが私にこう言ったかというと、壱男が昼間は保育園に行っている、ってマチュに説明したから。私は壱男と一日中いたら、小さい小さいつまんないケっ、やれ、なんかこぼした、ああ、出掛けようとしたら『うんち~』とか、一日中しゃべり掛けられる事に、小さいケッを吐きつつも、疲れたり忙しかったりすると、どーしてもキレてしまう。一人で子供の世話から家事まで全部やろうとするから、まあやるしかない状況なんだけど、今の私の容量でははっきし言ってそれは無理なんだ。だから壱男には保育園に行ってもらっている。それに対してのマチュが、『がんばれる所だけがんばればいいのよ。』、って言ってくれた。これで私は大分救われた。壱男は私がいつも家で忙しくしているからか、『遊んで~』とは言わない。ひとりで私にしゃべり掛けながら遊んでいる。まあいつもの事だから私もまともに相手はしない。家で壱男の相手をしていると、なんか時間がもったいないような、もっと家事やって片付けちゃいたい気がして、私は壱男と家でおもちゃでは遊べない。気もそぞろになっちゃう。でも子供に絵本読むのは好き。時間があればいくらでも読みたい。読んでる最中に壱男にどんどんページめくられちゃうのは、勘弁かなあ。料理は好きだから御飯の用意は好きだし、全くOK。歌もまあ好きかな。即興で作詞作曲する時もあって、壱男にはうけてるかなあ。でも疲れている時は勘弁だなあ。お風呂は弐女ちゃんの事を気遣いながらだし、出てからの寝る時間も気になるから、あんまし楽しめないなあ。母っていつもいつも何かやりながら、アタマは次の準備だから、気疲れするし楽しめない所が多い。私は一旦家を出てしまえば、結構いろんな事の諦めがついちゃって、壱男とも遊べるし自分も楽しめる。最近は朝、グランドでおっかけっこするのが楽しい。子供が二人になったのと、自分自身の性格からとで、自分のアタマに思い描く様な、子供とのふれあいっていうか、子供と過し方っていうか、そういう理想は全く無理になっちゃった。そこをマチュの言葉が救ってくれた。随分と働きながら子育しているオンナを攻撃して来たけど、子供と時間も距離もとらなきゃあやってらんない人、っていうのもいるだろうし、お金や職場に固執しちゃっている人もいるだろうし、みんなそれぞれ自分の学びをすればいいんだよね。そして子育ては、みんな自分の出来る所を頑張ればいいんだよね。とかいいながら、24時間保育とか、病時保育に関してはまだまだ許せないなあ。
2006年01月26日
子供の写真を毎月とはいかないけど、しょっちょう親戚に送っている。ほとんど父の兄弟。もうみんな70近いかそれ以上のお年寄り。それぞれ大阪、九州、名古屋とか遠いから、多分存命中に実際に顔を合わすってことはないと思う。子供の写真見てみんなものすごく喜んでくれる。アルバムにしてくれている人もある。すぐに電話え御礼を言ってくれる人もいる。プレゼントしてくれる人もいる。私としたら別にたいしたことしてるつもりはないから、きっと父母が生きていたらやっていただろう事を、やっているだけ。それでこんなに喜んでももらえるだ、って思って正直にうれしい。このおじさん、おばさん達とも40年近い付き合いで、こんなに喜んでもらったことってない。みんな高齢だから10年も余命はないと思う。子供のいる人、子供のいない人、孫が育っちゃった人、一人になっちゃった人っていろいろ。こんなかには長い付き合いのヨス子さんもいる。写真を結構な枚数毎回焼き増しするから、お代も結構なもんなんだけど、あんなに素直に喜んでくれるとねえ、まあいいっか、って思っちゃう。去年の暮に急に思い付いて、亭主のひいおばあちゃんにも送ってみた。あの舅と姑さんだからひいおばあちゃんに、まめに写真なんか送ってないだろうなあって思いつつ、あっちの地方の常識『親の上をかかない。』、つまり親よりさしでた真似をしちゃあいかん、っつーのがアタマをよぎったけど、年寄り喜ばして何が悪い!、って思い直して送った。なんの便りもないけど。それから父の奥さんにも送ってみた。この人も他人さんから、私達の事を聞かれることもあるだろうし、そんな時『なんにも知らない』、なあんてこたえられやしないだろうから送っとこう、なんて気持ちからやってみた。枚数多いと文句言われそうだから2~3枚。やっぱりなんの便りもないけど。私は父母と早くに別れたから、年を取る事とか老人に馴染みがない。よく母の妹にあたるオバがこういっていた。『年を取ると楽しみがなくなるのよ。』って。写真くらいでこんなに喜んでくれるのは、やっぱりそういう事なのかなあ。なんかさびしいね。このオバには産後の世話を頼んで断られた経緯があって、私はその事が未だに許せていない。オバはきっとなんにも私に感情がないんだろうけどね。そこが尚許せないんだ。写真を送ったもんかたまにアタマをかすめる、オバさんには孫がいてものすごく御執心だから、家の写真なんか送ったら迷惑だろうな、って理由をつけて毎回送らない。そして2年半経った。本当は送ったらいいんだよね。ほんの数枚ね。でも出来ない私なんだ。
2006年01月25日
昨日の日記も働くオンナ(働く子持ちオンナの意)に厳しすぎました。どーも私は働くオンナをイジメたいみたいだなあ。困ったアタシ。今朝保育園に子供を登園中に考えました。専業主婦(子持ち専業主婦の意)は、しっかり自分の足元に根を降ろして、そこいら中を居場所にして我が物顔で闊歩しちゃう。例えば私なんかは社宅の中庭で子供と歌を歌ったり、人が大勢行き交う歩道でも歌を歌っても、それを家で歌っているのとかわんない気持ちで、やれちゃうっていうこと、これはこれでオンナの性質丸出しっていうか、自分の中のオンナのバランスをはかっているというか、きっとそこから何か学んでいるのでせう。そして一方働くオンナは、そういうオンナの性質はどっかに棚上げして、オトコと同じ時間とリズムとアタマで、職場っていうバーチャルな世界に居場所を作る。なんでバーチャルっていうかというと、会社と仕事がなくなったら、自分が居場所って思っているものって、なくなってしまうかりそめの物だから。人間関係くらいは残るかもしれないけど。これもこれで働くオンナ達は自分の中の、オトコのバランスをとっているのだろうし、勿論なにか学んでいるんでせう。まあ私がなんか言うことないんだよね。でもついつい言っちゃうのはなぜ?。なんかさあ、社宅の働くオンナ達って、揃いも揃って中庭に出て来ないっつー不思議さと、顏を会すと揃いも揃って、『私達こんなに幸せなんです!。』、みたいな過剰な物を感じるんスよ。専業主婦なんかはみんな休日でも亭主がいなかったり、亭主が長期海外出張だったりすれば、みんなそれなりに『声掛けてね。手伝うよ。』、みたいな気遣いはあるのよ。働くオンナ達も亭主のいない休日は、たまった家事も含めて子供の世話とかで、大変なのは想像に難くないワケ。でも『私達こんなに幸せなんです!。』、って言う笑顔がすごく婉曲的なお断り、『私達に立ち入らないで下さい。』、みたいな見えるんだ。もっと弱味を見せて頂いても一向に構いませぬのに。子供のいる生活って格好着けようがないじゃあないのさ。あなたのバッグやブーツやお洋服はとっても素敵で、子供のお洋服も可愛いくて、あなたにお金は一杯あって、格好の良いお仕事しているのはわかるんだけど、お金だけで解決出来ないものが、ここの社宅に一杯あるんだよ。なんかそう言いたくなるんだよね。負け犬の遠吠えみたいだけどさ。働くオンナ達はそういう事には目を向けたくないみたいなんだ。まあそれもそれだね。忙しいと見過ごす事って一杯あるもんね。(子持ち)専業主婦と働くオンナ(子持ち)って、2元をもっと多元化した方が、良いように思うんだ。ちょい働き専業主婦とか、金持ち専業主婦とかね。多元化した方が2元対立っつー、虚しい行為をやめるきっかけになるように思うんだ。つまりどういう事かっていうと、自分でお金を作れるようになればいいと思うんだ。今月は出費が多いからこんだけ稼ぐ。今月は子供の行事が最優先だから少なくてOKってね。そういうお金と仕事と家庭と子育、こういうもののバランスを自分の裁量で決められたら、いいと思うんだ。そして金持ち専業主婦になる人は、その才能と裁量でなったらいいんだよ。自分でお金を生み出せない、生み出す方法がわからない、お金を掴むっていったら仕事に出るか、宝くじを買うしかないって方向に偏りがちじゃないの。それじゃない第3の方法を探ろう。心を豊かにするだけじゃあ、布団を毎日干すだけじゃあ、あったかい味噌汁を毎食飲めてもさあ、やっぱりその段階の豊かさが、つまりそこん所の学びが終った人には、物足りないんだよ。それを『あいつ贅沢になっちまって~。』、というのは僻根性だと思う。私自身も去年そういう豊かさに気が付いて、今年はその上の段階に進みたがっている。地球は物質世界だから、物質の豊かさも大事なんだよね。物質系の豊かさと干した布団やあったかい味噌汁系の豊かさ、このバランスを取る時期に来たんだよ。だから恐れずに躊躇なく、贅沢を選択してみようじゃないの!。年末あんなに忙しくて、どーにもこーにもなんなかったのが、ここん所忙中閑有りって状況になってきていて、暇を捜して金もうけの勉強してる。私ってお金使うの好きで、お金つかわしたらうまいんだけど、金もうけはものすごくうとい。これじゃあ贅沢出来んじゃないのさ。贅沢するのはお金がいるんス。
2006年01月24日
昨日の日記は働くオンナにちと厳しかったかも。働くオンナは専業主婦達の作り出す、我が物顔でその土地に根をはったような強さっていうのかな、そういうものに壁を感じて、専業主婦達はなにかっていうと、『私仕事してますから。』って公のお仕事逃げちゃう、要領の良さと、バッグや子供の洋服なんかの金の掛方なんかに、壁つくっちゃうのかな。中学の同級生のマチュにこんな質問をしたことがある。『認可保育園、特に公立の認可保育園って、何の目的であるワケ?』って。博学のマチュは教えてくれた。『公務員の為。』。なあるほどねえ。公務員は残業ないから保育園のお迎えも早いんだよね。全て公務員の就業規則にのっとって出来ているってワケ。そりゃあ民間にお勤めの人には向きませんワ。でこの公務員の就業規則ってやつだって、基本はオトコの公務員向けだもんね。オトコは足元に自分の居場所なんて考えたりしないもんね。仕事場に居場所があればいいんだもんね。こういうオトコの仕事場に勤めていたら、オンナもこうなるよね。例え子供がいてもさ。それに日常が忙しすぎてさ、足元に居場所なんざ作る時間なんてないよね。っていうかそういう事は割切っちゃう方向だよね。またまたNHKの大河ドラマ『功名が辻』を観ているんだけど、そこでこんな台詞がある。『オナゴはその土地と共に生きるのじゃ。』って、主人公の千代の母親が死ぬ間際に千代に言う。そして生まれ育った土地を捨てて、美濃の人間として生きよと言う。なんか古いけど、オンナってそういう所あると思うよ。どこか土地っていうか、地面と繋がっているような感じ。だから専業主婦が子供を足元で育てて、その土地にどんどん馴染んで、何処行っても我が物顏しているのって、正解って気がする。まああんまし図々しいのもなんなんですけどさ。オンナって土地に根を張りやすい、っていうことかなあ。
2006年01月23日
昨日は大雪で今日は晴れ。亭主は仕事。午前中に1回社宅の中庭に、壱男に雪遊びをさせようと出陣。同じ社宅の小学生のお兄ちゃんとお姉ちゃんが、壱男をそりにのっけてくれた。午後はだあれもいなかったので、近所の公園に出陣。道路に溶けた雪が氷っていて、ベビーカーは無理そうなので、弐女ちゃんをだっこで行く。寒いし重いしで疲れたワイ。帰りに社宅の中庭で中学生のお兄ちゃんに遊んでもらった。ここの社宅は子供付合いがすんごく良くって、大助かりでいつもいつも有難い。母親達も建設業に勤める亭主を持つ身だから、世の中の皆さんがお休みでも、自分の亭主は休みじゃないって言う日常を、みんなが理解しているのも気が楽。特に土木のお勤めのお家は、夜間工事なんかあるとお昼間に、亭主が帰って来て寝るなんて変則ワザもありだから、ここのオンナ達はいろいろ心得ている。いつもいつも思うんだけど、母親が働いている家の子供って、絶対にこの中庭に遊びに来ないんだ。ここの家だって土日亭主がいるとは限らないワケで、そんな時は自分一人で子供を看なくちゃあなんないワケで、そしたらこの足元の中庭で遊ばせるのが、何かと都合が良いと思うんだ。でも実際絶対来ないワケ。それは一体なんなんだろうなあ?、って今日は考えた。確かにこの中庭はみすぼらしい。たいした遊具はないし、芝生は禿げちゃびんだしね。でも子供にとっては関係ない事。子供は日常は保育園に行っているから、社宅にはお友達がいないから、それも理由としてあるかもしれない。でも幼児の場合お友達と遊ぶなんて高等ワザは、まだまだ無理なワケで、そういうお友達不要な幼児も中庭に出て来ないのは、別な理由からだと思う。多分オンナ同志の付合いに関係あると思うんだ。働くオンナは昼間いないから、当然主婦のオンナ達と付き合いが薄い。中庭で子供を遊ばせる時、子供が小さい時は母親が付き添う場合が多い。そして大概の母親は固まっておしゃべりしてる。働くオンナはこの主婦の母親の中に入っていくのに、抵抗があるんだと思う。中庭にというより、母親達の中に自分の身の置きどころを捜しちゃうんだと思う。そして居場所が見当たらなさそう、居場所を捜すのが億劫ってなって、中庭には出て来ないのかもしれない。昼間いる主婦の立場から言うと、別に遠慮することないのに、って言う感じ。働くオンナの方が壁を作っている感じ。確かに固まっておしゃべりしているオンナはコワイ。そこにひょうひょうと入っていく、もしくはそこに加わらずに自分の子供の相手をする、そういう事に抵抗を感じるのは無理からぬ事だよね。まあ私は結構平気なんですがあ。余談だけど、よく『子供が◯ちゃんが好きっていうから~。』とか、『子供が□ちゃんと遊びたいって言う~。』っていうのは、案外母親が◯ちゃんや□ちゃんの母親との付き合いがうまくいっている、母親同志が仲が良い、って事なんじゃないかと思う。心理学者のフランソワーズ・ドルトに言わせると、子供は母親が好きな物が好きになるんだそうな。これは確かにある。母親の好嫌いが子供にすごく影響を与えるって事なんだよね。居場所も同じかもしれない。母親に居場所がないと思う時、子供もそこに居場所を見いだせないのかもしれない。もうひとつ話をそれる。まあ結局またバランスの話に戻るけど、好き嫌い、居心地良い悪い、とかって2原論っつーのは、そろそろ終わりにした方がいいんではないかと思う。両極揃えるのは当然で、その中間もなんでも在りで、その在り方のバランスは自分で経験して決めて行く、そういう方向なんではないかと思うんだ。自分を正当化するようだけど、ヴィトンもありだし、100均もありだし、無添加食品もありだし、カップラーメンもあり。自分の好きな事もやるし、嫌いな事もやるし、どっちでもない事もやる。好きじゃない人とも話すし、好きな人とも話すし、興味のない人とも話す。そして合理性とか論理性といった観点からみると、矛盾だらけじゃんよ~、って言う方が実は無理がなくて楽ちんなのかも。最期に話をやっと戻す。私の実感としてはここの社宅に住んで、仕事を辞めて、子供を産んで、主婦となった今が一番居心地いいっす。自分の居場所って感じがするけどなあ。働くオンナの皆さんどうなんでしょうねえ。足元に自分の居場所ってありますか。なんかちょっと気掛りなんだけど。
2006年01月22日
先日ヴィトンを買って『贅沢』したがっている、自分に出会った。そういう自分には、まあ前から薄々気が付いてはいたんだけど、『そんな事ではいかん』というのも有り、それから『ブログでは清貧美学めいた事を書いておきながら、自分だけこっそり金持ちになってやろう』だの、いろんな感情が私の中に渦巻いていた。でもここで正直にというと、何でも許されてしまいそうだけど、実はそれは甘えに過ぎないんだけど、むしろ得意の開き直りと言ってしまう方が適切なんだけど、『私は贅沢がしたい』、これが本音。ヴィトンの事を書いて以来、アタマと心がもやもやしてしまって、どうにもすっきりしない。なんで贅沢したいってわかったんだから、他の贅沢したい世の中のオンナと同じで、もうそれでいいじゃない!、って私的には自分にケリをつけたかった。『一体私は何をやっているんだろう』。この何っていうのが書くのも恥ずかしい事なんだ。どーも私は何かを悟りたがっているらしい。もっと有り体書くと何かを学びたがっているらしい。それが贅沢しちゃうとどーも学べないんじゃないかって、自分はあくまでも庶民の中間レベルで、物を見なくちゃいかんのではないかって、なんかアタマか心か知らんけどうるさいのよ。またもや自分の中に相反する矛盾を発見してしまって、どーもこいつらのバランスをとってやらないと、先に進めない、そんな状況になってきた。全くやっかいなアタシ。きっと他の皆さんはもっと簡単なんでしょうねえ。一体どーしたもんかって一日中考える。本当に疲れるアタシ。そして、贅沢してても学べるんじゃないか!、贅沢しててもさとれるんじゃないか!、って少しづつビジョンが開けて来た。私は初めて妊娠した時すぐに流産した。その時いろいろショックな事も重なって、深く考え込む性質っていうのもあって、かなり落込んで過去生回帰を受けた。そしてひとつの過去生を思い出した。ロシアの近くの東欧の貧しい国にオトコとして生まれた。家は農家。ここは土地が痩せていて頑張っても農作物はほとんど育たない。その上天候も年間を通じて悪い。毎日食べる物も十分にない暮らしで、自分の娘か妹が病気になる。(どっちか不明)でも治してやる事も出来ずにただただ死に近付くのを、見守る事しか自分には出来ない。作ろうにも金が作れない人生。どーにもこーにもならない人生。大きな暗い無力感と諦めだけが支配するような人生。今でもこういう人生送っている人いると思う。この過去生は今の私に大きく影響していると思う。お金に執着する自分。お金のない事を怖れる自分。社会の底辺には絶対なりたくないと思う自分。お金が作れない自分。自然環境や社会環境に振回されたくない自分。キリストは羊飼いの息子で、終生贅沢華美な生活はしなかった。ちなみにシャカは王様の息子だったけど、その地位を捨てた。キリストやシャカのような、精神の高みに自分が上り詰められるとは、甚だ思ってもいないのに、なんか気になる。本当に私なんか人物低いっすよ。私は何を学ぼうとしているのか?。その学びは贅沢しててもできる事なのか?。この私の問いには、飯田文彦『生きがいの創造2』があっさり応えてくれた。この本の中で光(ひかり)はこう語る。『人々に物質的観点とスピリチュアルな観点との両方を兼ね備えながら、バランスのとれた生き方をするように促しなさい。~中略~物欲、地位欲、名誉欲、名声欲なども様様な学びをもたらしてくれる大切な欲望なのだから『それらをすてる事によって学ぶ事』と『それらを追求する事によって学ぶ事』の、バランスを取る事も、学びのひとつなのだ。~中略~すべての答えは『バランス』という言葉の中にある。』。私は多分これをやるんだろう。最近自分でもバランスって言う言葉を意識して使っている。これも偶然というかシンクロなんだけど。バランスすること、それはつまり『なんでも有り』って言う事なんだと思う。白か黒という2原対立じゃなくて、白も黒もついでもその中間も灰色もみんな有りって言う事。その在り方を自分で決めろって言う事なんだと思う。横道に逸れるけど光はこんな事も言う。『人間としての自分の弱さを堂々と公開しなさい。』って、著者の飯田文彦氏に言っているんだけど、自分に言われた気がしている。私がこのブログに自分自身を曝け出しているのは、ひとつには嘘は着けない単細胞という私の性質もあるけど、一番大きな理由は自分に出会う為なんだよね。自分を言語化して掴むっていうのかなあ。でこれを読む人の事は実はあんまり考えていない。去年ブログを休もうと思った時幾つかメールを頂いて、自分的に発見があった。私のブログが人の役に立っているらしいということ。自分自身を言語化する事が難しい人もいるらしいということ。まあそういう事もあって、編集者さんの応援もあって、最近また書き出したという次第なんすよ。話は戻って、どーも贅沢しながら大事な事は学べるようなんですねえ。あの斎藤澪奈子さんも贅沢しながら学んだ人だしね。彼女は最期はみんな手放したけど。なんかそれも想像つくなあ。だから金持ちだから人間が薄っぺらいなんてことはないし、金持ちだからなんにもわかっちゃあいない、なんてこともないってことなんだよね。そういう事言うのは妬み僻み根性なんですワ。私の『ブランド持つ人はそれなりの生活してなきゃあ。』、っていうのも妬み僻み根性。そういっておきながら、エトロもエルメスもフェラガモも持っているんだよ~ん。あ~図々しい。それにしてもなんて面倒臭いアタシなんでせう。
2006年01月21日
今日も中学の同級生のマチュが遊びに来た。マチュは私が仕事や恋に悩んだり、あれこれ洋服だのお化粧品だのって、お金を自分に注ぎ込んでいた20代から30代に、自分の兄弟が実家に置いていった子供4人を、自分の母親と共に自分の給料で育てていた。そして40歳になって結婚した。私と同じく同級生のノンとの間では、『マチュはがんばったから、もうのんびり休んでいい。』、っていう感じなんだ。マチュの話は痛快で面白い。今日も『媚び』の話題が出た。マチュに言わせると媚びるオンナにとって、『背が低い』っていうのは、すんごい有利で使えることなんだそうな。『届かな~い。取って~。』って。167センチの私としたら、届かないなんて滅多にないことで、そんな事でオトコに媚びるなんて、全く必要もなかったし、考え及ばない事だった。この『届かな~い。』で、去年頼んだベビーシッターの事を思い出した。この人もかなり小さい人で、家に来てさんざんぱら『届かな~い。』をやってくれた。(詳しくは去年の春頃の日記参照してね。)それをマチュに言うと面白い事を言ってくれた。『媚びてるオンナも歳を取るとさあ、今度は相手構わず媚びたりするもんなんよ。』だって。私はこのベビーシッターは、単にお仕事意識が低いだけだと解釈してたけど、マチュに言わせると、このベビーシッターは私に、『届かな~い。』って媚びを売って、自分に有利な展開、つまり上にあるものを下に降ろしてもらう、って事をやろうとしたんだと言う。なんか笑っちゃう。だってオンナの私に、しかも媚びなんて理解出来ない私に媚びを売ろうだなんて。このベビーシッターは50歳は過ぎていたから、若いオンナの媚びとは違うけど、確かにこれは媚びかもしんない。見た目は媚びそうな感じじゃないんだけど。そしてマチュは『大抵のオンナは媚びを売って生きた方が、有利なのよ。』なんておっしゃる。私はこの『媚び』っていう言葉は、41歳にしてやっと知った言葉で、もう今マイブームになってしまいそうなくらい、新鮮で面白い。この言葉の出現で今まで理解出来なかった、いろんな事がすんなり理解出来たからなんだ。(きっとかなり遅い理解なんでしょうね。)私がゼネコン設計部にいた頃、周囲のオンナ達は『仕覚えたい』と言う気持ちも強かったけど、それと同じくらオトコに目がなかった。オンナ同志で昼休みに社食で食事してて、ちょっと突っ込んだ真剣な話をしている最中に、オトコが『ねえ、ねえ。』なんて割り込んで来る、ってことがよくあった。そんな時私はいつも不愉快キワマリナイ思いをした。だって一緒のオンナ達は、さっきまでの真剣な話なんかすっかり止めて、声音を変えて態度を変えてオトコに調子を合わせてる。これについていけない私はいつも一人取り残される。割り込んで来るオトコも失礼だけど、真剣に話ていた私にも失礼じゃないかなあ。職場のオンナ達と南の島に旅行に行った。街を歩いているとお土産物売りのオトコ達が声を掛ける。私はそんなの全然無視。だってたいした物なんてないし、そういうオトコ達に興味ないから。そしたらさあ、気が付いたら私一人で街を歩いているのよ。あれって思って振返るとオンナ達は、物売りのオトコとなんかうれしそうに話してんのよ。『何処から来たの~?』とか、『何時までいるの~?』みたいな話。相手は物売りのオトコだよ。たいしたオトコじゃないじゃん。話し掛けられてそんなにうれしいもんかねえ。そういうオトコ達は道端にワンサカいて、オンナと見たら声掛てんだよ。このオンナ達と来たらいちいち止まって相手すんの。この時は正直疲れたし、一緒に行った相手が悪かったと思ったね。こういうのって、オトコもオンナもお互い媚び売りまくっていたんだなあ。そしてある種のオトコやオンナ達にとって、媚びを売るっていうのは、歯磨に近いくらい日常茶飯な事なんだよね。それをこの頃の私は全く理解出来ていなかった。この頃は20代で『媚び』自体を知らなかったんで、こういうのは『自分を安売りする』人達って理解してた。誰彼構わず愛想振りまいて、気のあるような素振りして、私を誘って~って態度丸出しってのは、自分を安売りしてると思いませんかあ。美しくありませ~ん、ってね。である時このオンナ達に聞いたんだ。『何で自分を安売りするの?』って。そしたら『riccaちゃんはそういう事に厳しい。』、って一蹴。オンナ達は私なんかより格段にオトコからのお誘いは多かった。そりゃあそうだよ。誘って~って言う信号出しているから、オトコにしたら誘って断られて恥じかかなくて済むから。でもオンナ達はそうやってオトコに御馳走になりながら、シビアにオトコ達を値踏んでいたんだよねえ。オトコの預かり知らない所でさ。でも不思議な事にオンナ達は仲良かったんだよねえ。それってこの媚び売り合戦ってのは、オンナ達にとっては娯楽っていうか、余興に過ぎなかったのかもね。私が設計部に居た頃のあの居心地の悪さっていうのは、まさにこの媚びなワケ。媚びを知らない私はここでは『変人』ですワ。オンナ達は上司や同僚のオトコに媚びながら、それでいてオトコと同じように仕事で扱って貰えない、なんてよく愚痴を言っていた。そりゃあ、無理ってってもんじゃないすかあ。仕事ではオトコと同等、でもプライベートではオンナの子なんてねえ。欲張りじゃないすかあ。41歳の今としては、生きて行く為に必要なら媚びの一つも売ったら良いと思う。大事な事は生きていく事で、方法や手段の良し悪しはそんなに問題じゃないと思うから。ただ思う事は、媚びって性と結びついているでしょう!、つまりセックス絡みの事だから、深入りするととんでもない事に巻込まれそうだよねえ。私は単細胞だから嘘付いたり出来ないのと同様に、器用に媚び売ったり、それをゲームとして楽しむなんて出来なさそうだねえ。
2006年01月20日
年頭にヴィトンを買った。いろいろと面倒な自分に、ケリを付けてみようと思って。去年の12月の社宅のお当番の時、いろいろと悩ましてくれたイチジャキさんの、ヨレヨレ服でノーメーク姿にプラダの三角マークが、朝日にキラリと輝くのを私は見のがさなかった。こういう風なブランド好きな人に私はいつも、なんだかなあって思ってきたんだけど、そういう自分が一番なんだかなあ、って思えて来て嫌気がさした年末だった。そんな自分にケリをつける為に、買うなら絶対にメジャーブランドで、誰もがわかるんでなくちゃあ効果がない、っていうことで、ヴィトンのモノグラムシリーズで、斜めがけ可で普段使い出来そうな、ミュゼを購入。買って持った感想としては、『これでみんなと同じ。』、みたいな気持ちがあることを自分に発見。まったくなあー。そんで実際身に付けて、社宅の廊下を歩いたら今度は、『こんな高価な物を持って、なんか人に陰口言われないかしら。』、なんて弱きな気持ちも発見。なんだかなあ。まあ全体としては気分いいかな。ブランドってやっぱり人に見せる為、っていうのはある。自分を良く見せたい、っていうのは隠しようもない所。ヴィトンと同じ材料で同じ品質でデザイン、でもあのモノグラムの柄がないバッグがあって、値段がヴィトンの半分だったら、それって売れるかなあ?。きっと売れない。私ならそっちを買うけど。ずっと前にデパートで真珠を見ていたら、若いオンナ連れがやってきてこう言った。『真珠ってさあ、せっかくミキモトを買っても、それがミキモトのってわかんないんだよねえ。』って。当時のミキモトは確かにそうだった。今はちゃんとMのチャーム付きで一目でわかる。やっぱりブランドは人に見せる為の物かな。それが自分のニーズに叶うから、って言う所までは行っていない。一体何を人に見せているんだろう。こういう高価なものを買えるワタシとか、高価なものを普段から身に付けられるワタシとか。そういうことなんだろうか。まあそれとブランドのマーケティング力はすごい。顧客の大半を占めるであろう、私のような人に見せる事を意識している顧客に、つまり見栄張りね。その人達にオサレ度と、見栄を張るに最適でなおかつ買える購入価格設定、勿論機能性と品質、そういう多角的な視野で物が作られている。それと言わずと知れた金をたっぷり使った広告もすごい。でもさあ今じゃあ、もうヴィトンくらいじゃあ、だあれも驚かないし、見栄にもなんないんだよね。だって日本人御用達って感じで、誰もがもっているもん。数日前に世の中の汚いキツイ仕事を、引受けてくれる人の事を書いた後で、こんな事を書いて、自分の節操のなさに呆れるもするんだけど、そういう人って、結構すんごい金の喜平のネックレスなんか付けてやりする。タバコも外国タバコだったりしてる。箱だけかもしれないけどさ。そうこれもこの人達流の見栄。でもこれで、こういうブランドもんは、生活そのものがそのブランドに相応しい人が持つもの、なんていう小姑みたいな自分を黙らせる事が出来て、私的には満足。私も十分他の皆さんと一緒。私の生活なんて何不自由なくて、本当に恵まれているんだけど、それをアタマでわかっているんだけど、でも何だか実感が持てないんだよね。今の自分には贅沢が豊かさっていう感覚がある。そうそう、私は贅沢がしたいのよ。それが本当の本音なんだと思う。でも贅沢したい、なんて口に出すのってなんか恥ずかしいし、バカみたいな気がするし、そういう派手さから遠退いて、もっと落着いた所で、自分の豊かさを感じいるほうが、なんか賢そうじゃないの。でも本当はそうじゃなかたったの。私は派手な方が好みなワケ。あったかい味噌汁や、毎日干した布団や、ふかふかに乾いたタオルだけじゃあ、満足出来ないっていうこと。それで十分満足出来る人じゃないのよ。これが私の正体。出来る事ならもっと贅沢したい、と思っている。でもそこに反発する自分がいる。そんなのバカじゃないのとか、もっと違う所に本当の価値があるはずとか、いろんな声が自分の中に見て取れる。あ~どうして、あったかい味噌汁や、毎日干した布団や、ふかふかに乾いたタオルだけじゃあ、満足出来ないんだろうか。それだって豊かな事なのに。な~んて考えたって答えは出ない。それだけで満足出来ないのが今の自分なのだから。今の私には、派手な事に全く興味のない人が、うらやましいというか、そっちのほうが賢く見えてしまう。そして人間が格上に感じてしまう。贅沢荷憧れなながら、贅沢は敵って思っている自分がいる。それが今の自分なんだな。
2006年01月18日
亭主は建設業だから、土曜日も日曜日も仕事だったりする事が多い。朝も6時半には家を出るから、子供を保育園に連れて行ってもらうなんて、夢のまた夢。帰りも10時過ぎるのが普通。子供が居なかった時は別に気にならなかったけど、今はこれが堪える。ぜ~んぶ自分一人でやるっていうのが、正直しんどいんだよね。こういう時は結構悲劇のヒロイン的心理になる。『どこも週休二日なのに私だけ~。かわいそうな私。』って。私の住む社宅では、みんなが同じような環境だから、土日だろうと、御盆だろうと、年始年末だろうと、亭主がいない家なんてザラ。そういう所が気が置けないっていうのかなあ、だからか社宅にありがちな面倒な人間関係はない。中学校の同級生のノンがこう言った。『下の子が3歳になったら楽になるよ。』って。あ~、いつのことやら。私ったら2歳違いで3人目を産もうと、密かに企んでいるのだから。これをノンに言ったら、猛烈反対された。『2歳違いで3人目なんて、真中の子の性格が歪むよ。』って。実際どーなんでしょうかあ。なんか今年の秋に妊娠しよう、だなんて意気込んでいたから、こんな事言われて出鼻を挫かれちゃった。子供が小さい時って、本当に無我夢中っていうか、一日をとにかく終らせるのに精一杯なんだよね。『あなたの目標は?』なんて聞かれても、何にも思い当たらない。そのぐらい目の前しか見てないし、足元でしか生きていない。とにかく心に余裕が少ないから、子供がかわいいとか、なんかそういう事を思えない。だからちょっと前のビデオを観たりすると、なんだかわいいいじゃん、なんて思ったりする。今は壱男が元気よすぎちゃうのが、頼もしい限りというか、悩みの種。この人最近やったら丈夫で、鼻水ひとつたらさない。『どーか大人し目の子でありますように』、って祈るような気持ちで育てた弐女ちゃんも、最近は元気元気で末恐ろしい。絶対壱男みたいになっちゃう。だったら3人目なんかやめたらいいじゃないの、って思うんだけどなんか欲しい。一体これはなんじゃ。まだ生理ももどってないし、今悩む事でもないんだけどね。また書ける時に書きます。応援して下さってどうもありがとう。私の日記が皆さんの御役に少しでも立てれば幸いです。
2006年01月15日
ちょっと落込んでいる。社会の基礎を支える単純労働、外仕事だったり、汚い仕事だったり、危険な仕事だったり、っていうはどんなに機械化が進んでもなくならない。そしてそれを引受けてくれる人達は、決して東大出たエリートなんかじゃなくて、どっちかっていうと非エリート。そして決して金持ちなんかじゃない。私は小林静観さんや斎藤一人さんに聞いてみたい。みんながトイレ掃除を素手でして、1000回ありがとうを言って、金持ちになったら世の中どうなっちゃうんですか?って。まあ絶対そんな事にはならないんだけど。日本に悲惨な貧困はないけど、金持ちと非金持ちの格差は開きつつあるように思う。そして金があっても文化がないっていうのかなあ、礼節とかモラルが欠如したような、金だけがある人っていうのも増えているように思う。金のある人とない人、きれいな仕事と汚い仕事、儲かる仕事と儲からない仕事、私には2元論でしか捉えられないんだけど、特に後者の存在について、こういうものは絶対なくならないって気が付いて、なんか落込んでしまった。正直言えば、世の中の為に自分が屎尿処理の仕事をしようなんて、やっぱり出来ないっていう事実も含めて。非金持ち、非エリートは社会的弱者っていう、そういう自分の中の見方が、尚一層そういう人達に汚い危険なキツイ仕事を、この社会が押付けている、そんな気がして成らない。どう捉えていいものやら。金曜日の朝子供と登園の途中、何人もの道路を掃除する人、公園を掃除する人、工事にたずさわる人、そういう人に出会った時、『おはようございます。お仕事御苦労様です。』って、声を掛けずに居られない自分がいた。年末にわくわくあいさんに教えてもらって、(いつもいつもありがとう。)飯田史彦さんさんの生きがいシリーズを読んでいる。そしてこんな感想を持った。『みんなお役目がある。』って。きっとこれは著者の本意とは違うと思うけど。学校の役員ばっかりやるハメになっちゃう人は、そういうお役目。学校の役員を逃回ってうまくいったイヒヒと、毎回思っている人はそういうお役目。非金持ちで単純労働に携わっている人はそういうお役目。金持ちでなんの心配もいらないお気楽な人は、そういうお役目。どれもこれもこの社会に、欠くベからざる存在なんだと思うんだ。っていうかそういう両極を揃えないとダメなのが、今の社会であり地球という星の運命なのかもしれない。そういう意味で厳しい社会であり、厳しい星と言わざる負えない。そこがなんか悲しくて落込む。まあ一つの救いを書くと、前にも書いた小林静観著『お金と仕事の宇宙構造』の中で、こんな金持ちの話がある。東北の長者の話で、ある時この地方に悪天候が続いて、農作物が全く取れない年があった。そんな時この長者は自分の庭に築山をこしらえる、そういう事業をおこして、仕事のない農民にこの築山事業の仕事を与えて、日銭を支払った。そしてここの農民達はこの厳しい年を、この事業でのりきった、というお話。これは実話。金持ちの金はこういう風に使いたい。勿論金持ちがその金で贅沢したって構わない。でもいざという時人の役に立つ、そういう金の使い方、その為に金をキープしておく、そういう事を金持ちの知識と良識としてもってもらいたい。そこに私は豊かさをみる。そしてそこにこの星で金持ちと非金持ちが、共存してお互いのお役目を果たしていく、そういう道があるように思う。できる事なら自分がそういう金持ちになりたい。
2006年01月14日
壱男はパジャマのボタンが自分で出来るようになりました。弐女ちゃんは寝返りまだです。ソファーにおすわりさせると、自分から背もたれから起きて、なんとかお座りします。でもすぐに崩れてうつぶせになっちゃって、泣出すから厄介です。壱男は『いやだ』って言う時は、どう言うワケか顎を引いて、お腹を迫り出します。どういうボディランゲージなんでせうか。愛と憎、清と濁、大胆と繊細、こういう私達の身の回りにある沢山の両極、とかく清は良いけど濁はダメとか、愛は良いけど憎はねえ、といった偏極を私達はやりがちだけど、ここで私はこう考えている。両方の極がそろって始めて調和がはかれる、と。去年は散々こういう事を書いたけど、昨日のマチュとの会話でも改めて考えさせられる事があった。マチュは中学校の同級生。子供と公園に行く道すがら、マチュはこんな事を言った。『NHKでさあ、お仕事紹介番組があんのよ。それでこの間はグランドアテンダントを紹介してんの。アタシ馬鹿じゃなかろかと思ったよ。』とマチュ。『なんで。』と私。『だってグランドアテンダントなんて、みんなが成りたがってもなかなかなれないもんでしょ。そんなもん紹介するよりさあ、ああいう仕事を紹介すべきなんだよ。今国が求めているのはそれだよ。』。私達の目の前では年度末の道路工事をやっていた。マチュのいうのはこういうガテン系な単純労働を指す。日本は空前絶後の国民総中流社会になった。それは敗戦後皆が目指すところのものだったけど、今それが日本社会の底辺を支える、単純労働と言えば聞こえはいいけど、屎尿処理とか、ゴミ処理とか、港湾労働とか、建設労働といった汚い外仕事を引き受ける人を、なくしてしまった。『貧乏子沢山っていうのは社会に必要なのよ。親が高学歴でそこそこ収入がある家庭は、子供は精々一人か二人だよ。そしてその子供達も高学歴高収入の道をいくはず。そしたら誰が単純労働を引き受けるかって事になるのよ。』、とマチュは続ける。やっぱし貧乏で学歴のない人達が引き受けることになるんだろう。か外人だよね。金持ちがいて貧乏がある、っていうのかなあ、うまく表現出来ないけど、どちらも必要不可欠な存在なんだと思うんだ。どーもこう書くとなんか金持ちが金の力で、貧乏人に汚い仕事を押付けているような、金持ちが貧乏人から搾取しているような、そんなイメージが自分の中でなかなか払拭出来ないんだけど、どちらも揃わないといけないんだよ。必要悪みたいなもんかなあ。それで残念な事に、金持ちと貧乏人のバランスって、やっぱしピラミッド型なんだと思うんだ。まあ底辺は貧乏人なんだよ。だってこの人達が引受けてくれる単純労働は、社会を支える基礎なんだもん。基礎は大きくしっかりしてないとダメだから。ここで豊かさって言うものをもう一度考え直さないといけない、って思ったんだ。豊かさっつーのも幅があるんだよね。毎回の御飯の時にあつあつのできたての味噌汁が飲める、毎日お天道様の日で干された布団で眠れる、これもすごい豊かな事のひとつの端で、もう他端はそれこそブランドとかさあ、グルメとかさあ、贅沢っていうやつね。今私を含めてこの贅沢っつーのが、豊かさの尺度になっちゃっているんだと思うのね。でどちらも豊かなことなんですよー、って言ってもなんか説教臭くて誰も聞きたくないのよ。単純労働を引受けてくれる人達には、金持ちの贅沢ってなかなか手がでないもんじゃないすか、『でもあなたにもあなたの豊かさがあるんですよ』、なんて言っても説得力ないよね。金持ちと貧乏の社会での共存って何だろうって思うんだ。これを解く鍵が『豊かさ』のなかにあるように思う。私の中で未だ未解決の損得勘定とか、自分は損しているかもしれないっていう怖れとかも、『豊かさ』のなかにその答えがあるように思えるワケ。まあ私はマチュとの会話で、単純労働を引受けて下さる方々って、本当に有難いなあって初めて思ったのは確かなんだ。こういうのって難しいよ。
2006年01月12日
今日は痛快に笑っちゃった。へへへ!!!。中学校の同級生のマチュが遊びに来て、面白い事を言ったから。マチュは建築設計事務所に勤めていて同業者。何を言って私を笑わせたかと言うと、『もうriccaちゃんはお嬢さんなんだから~。』、って言葉。私は自分がお嬢さんだなんて微塵も思っていない。極普通の生まれのオンナで、お嬢さんに生まれたかったと正直思うけど。マチュのいうお嬢さんていうのは、まあ世間の垢にまみれるのが、遅かったと事とその疎い事と、物事に大きく動じない、媚びない、という私の性格を指して『お嬢さん』と呼んでいる。これらをしてお嬢さんていうべきものかは知らないけど、私はまずオトコや権威に媚びない。っていうか媚びるっていうこと一切、私の辞書にはないんだ。『媚びまい』としているのと違うの。そういう事を知らないで大人になっちゃったの。なんでかはわかんない。マチュ辺りに言わせると、そんなの5歳くらいで解れよ!、つー事らしいのよ。でもこれがわかんなかったのよ。それと皆さんが世間を知る時期になっても知ってなくて、大分遅くそれも30過ぎになってやっと知ったという、それに関しては自覚はある。だから30過ぎる辺りまで、かなりいろいろと勘違いして生きて来たんだよね。27歳の時にちょっと気にいったオトコの子がいて、その子が入院したの。それで仕事を抜け出してお見舞いに行ったら、病室にオンナがいてやんの。しかも30過ぎた派遣のオンナ。その頃の私の大勘違いは、『自分のやりたい事に向かって輝いている私は一番素晴しい。きっと男性からもそう見えるはず。』ってやつ。私はその派遣のオンナと話した事があって、ちょっとは知っていたの。15年前の30過ぎた独身オンナなんて、今と違って惨じめな存在で、しかも派遣の事務職と来たら、なんか惨じめの塊に見えたワケよ。私のアタマの中では、当然自分の方が輝いているはずで、そのお目当てのオトコの子に選ばれると思ったのよ。そしたらさあ、この派遣のオンナとオトコの子が結婚するっていうのよお。もう後頭部をガッツン殴られた感じよお。なんで~そっちを選ぶ!ってね。そこで自分の大勘違いに気が付くワケよ。オトコは自分に恥を欠かせないオンナが好きなのって。大抵のオトコなんて小心で自信なんかないから、自分より劣るオンナだと安心出来るって。27歳にしてこれに気付くんだから、万事かなり遅かったのは確か。それと物事に動じないっていうのは、マチュに言わせるとオンナの子っていうのは、ほんの些細な事にも『え~!』だの、『きゃ~!』だの大袈裟に騒ぐもんなんだと。そういう所が私は乏しいんだと。『あ、そう。』で終ってしまうんだと。それをして物事に動じないとマチュは言うワケ。お嬢さんいうのは物事に動じないもんなんだって。媚びない、世間知らず(大勘違い)、物事に動じない、この3種の神器を以てして、マチュは私をお嬢さんだと長年思っていたそうなんだ。で同じ事をやっぱり中学の同級生のノンも思っていたんだって。この人は2年前に家に子供二人連れてやってきて、当時八ヶ月だった壱男に盛んに離乳食すすめたワケ。私は助産院の指導もあって、一歳になるまでは母乳で育てたかったの。それをかなりしつこく、うるさく離乳食勧めて来て正直いぶかしい存在だったのよ。それって言うのはマチュ曰く。『ノンはriccaちゃんの事が本当に心配なんだよ。』。『なにが?』。『riccaちゃんみたいなお嬢さんに子供が育てられるか、心配で心配でしょうがないんだよ。』なんだってさあ。実は再来月当たりノンは再び家に来る。多分私がしっかりやれているか見に来るらしい。なんだかなあ。今日は随分マチュにくらっちゃったから、私も反撃に出てみた。『私って大分しっかりしていると思うけどなあ。』。『今はね。』。『riccaちゃんはてさあ、お姉ちゃん枠で生きていかれない人なのよ。』。マチュの言うお姉ちゃん枠っていうのは、決してオトコを脅かさないし、オトコに都合よくなんでもやってくれて、美人かどうかは別として可愛い存在っていうよなオンナの事。『ricaちゃんはオトコ前なのよ。』とまで言う。まあ確かにお姉ちゃん枠では生きていかれないし、そういう発想すらしないのは確かだよ。『riccaちゃんが無理してお姉ちゃんやったら疲れちゃうよ。あっちこっちに気を使って、おべっかつかって媚びてなんて出来ないでしょ。』とまで言う。う~ん出来ない。っていうか全然反撃になってない。『オンナ同志って私全然平気なんだ。』、っと角度を変えて切り返してみた。『そりゃあそうでしょ。オンナ同志の中ではriccaちゃんはオトコを奪い合う、そういうライバルには成り得てないから。』。キエ~、確かに私はオトコにはもてなかった。でもいつも恋人もいたし結婚もしたぞ。『私は自分で言うのもなんだけど、かなり誠実な人間だと思うよ。』と私。『そうだよ。オトコと見りゃあ声音を変えて、媚びてすり寄って行くオンナ達の中では、信用出来るオンナなんだから。』だって。全然切り返せてないし~。つまりもっともっと世間のオンナ達は、世間の垢にまみれて、オトコに権威に媚びてそこから美味しい所をもらって、生きているんだそうな。私には根っからない発想で生きているらしい。私ももっとオンナって言う所で楽に生きていいんだって。『今は専業主婦で楽に生きているよ。』と私。『それは世間的に子供育てている、オンナっていう枠に収まっているだけの事。もっとオンナを武器にやっていけるもんなんだよ。』。『それってオバサンになるって言う事。』。『それもあるね。』。だそうである。マチュはなかなか面白いオンナなんだな。
2006年01月11日
当分どーんとやすんじゃおう、ときめていたんですが、私の事を応援してくれている編集者の方からメールを頂いて、まあそれでいろいろ考え、今晩は書いてみます。プロの編集の方が、私のような全然無名で、アクセス数も低いこのブログを読んで下さって、しかも応援下さるなんて、本来有り得ない事なんですよね。有難い事なんです。もしかしたら書く事は、育児家事と同様に今私が頑張る事かも知れません。それからメールを下さった方々、御年賀状を下さった方々、やはりこのブロクを同様に応援して下さってどうもありがとう。今年も書ける限り、私にしか書けない事を書いていきたいです。去年このブログを休む前に書いていた、社宅のお当番制のことから、経済対立とか、いろんな事が自分の中に見えてしまって、なんかそれをどう自分の中で整理したもんか、考える暇もなくって、考えるアイディアもなくって、逃げて終った、というのが正直なところ。今もそれに光明を見いだせていないんだけど、最近この言葉を思い出した。『私は損をしているかもしれない。』要は『自分は貧乏くじを引いているじゃないか!?』、これは正確な記憶じゃないけど、確か林真理子の『不機嫌な果実』のしょっぱなに出て来る。このつかみが強烈で、この小説は売れてドラマ化された、と私は解釈している。(話はつまんないの!。だから小説ってキライなのよ。)私もこのつかみに心を鷲掴みにされたを覚えている。これって結構アリなんじゃないかと思う。自分じゃあ良いくじひいたつもりで、実はそれが貧乏くじだった、なんて日常ある事で、気が付いてしまったが為に不幸になってしまった、なあんてやつ。いつも自分のひいたくじがアタリかハズレか気になる、っていうのは正直あると思うんだ。出来ればいつもいつもアタリでいたいもんだしね。わくわくあいさんが書込みで教えてくれたように、これって損得勘定に他成らないんだよね。この損得にはどう言うワケか、相手が必要なんだよ。◯◯さんより得したとか、みんなより損したとかね。まあ場合によっては過去の自分より得した、損したとかね。今はなんでこういう事を自分が考えるのかな、って自分の心の中を探っている。そしてたとえどんな状況でも実は損なんかしていない、ってわかってしまったら、自分はどう変わるんだろうか、って密かに考えている。ここに光明が見いだせれば、私の経済感はもっとお気楽になれそうなんだよね。そう、お気楽で思い出したけど、なんで私がお気楽になれないか、ちょっとわかってきた。それは『苦労してなんぼ』って言う考えがあるから。苦労してなんぼ、実はそれは苦しい惨めな徒労だったりするんだけど、苦労しない事には何も得られないし、また価値もない、って強く信じているんだよね。だからお気楽やってちゃあ、苦労なしだから、当然何も得られないし、得たとしても何の価値もありやしない、っていう事になっちゃうワケ。最近苦労って嫌われる傾向にあると思うんだ。子供に苦労させたくないとか、苦労なんかすることはない、みたいに言うのを聞く事結構ある。ここで提案したいのは、この苦労の中には徒労が含まれている、で苦労と徒労は分けて使いたい。私なりに苦労と徒労を分けると、苦労っていうのは自分がやりたいと思って、そっちに集中する時にいろいろ障害を経験する事。徒労っていうのは自分もやりたくないし、まず絶対にやっても出来ない事、例えば私がオリンピックで金取るみたいな事、そういう事に集中しなくちゃあなんない状況で、当然のように降り注ぐ無理難題を経験する事。こう考えると、苦労はしたほうがいいっすよ。苦労の結果はどうあれ、そこで経験した事はプラスになるもん。人の気持ちがわかったり、自分の過ちがわかったりとか。徒労はしないほうがいいな。さすがの私も『徒労してなんぼ』とは言わないよ。だから今の自分は子供が二人になって、生活に猛烈追い回されて苦労しているから、子供がいない人、子供が一人な人には、『苦労してなんぼ』的見方はバンバンしてる。あんまりこれをしょっちゅうやっているもんだから、最近は自分に自分で笑ってしまう。いっぱい苦労していろんな事がわかったとしても、それが一体何だというのでしょうか?。エライとでもいうのでしょうか。人生のゼネラリストになって、どうしようというのでしょうか。こうやってお気楽そうな人にジェラシー燃やすなんて、相等にお気楽になりたがっているのに、『苦労してなんぼ』っていうやつを手放さないのは、かなり私もねじれていると思うよ。(笑)また書ける時に書きます。
2006年01月07日
皆様、新年明けましておめでとうゴザイマス。今年もよろしくお願い致します。去年の暮れは『充電』と称して、このブログを一時期休む事にしました。本当の理由は書く時間が無くなったからです。と同時に考える時間も無くなったからです。こんな状態がいつまで続くのでしょうか。生活の追われております。ホへ~。それから12月の社宅のお当番引継ぎにが22日にありました。例の私にいろいろとメッセージをくれた、イチジャキさんは引継ぎに出てくれました。『自分には掃除に出られないという、負があるからこういう場で何も話す資格はない。』、そうです。『いろんなお仕事にたずさわる人が居て、必ずしも土曜日が休みとは限らない。でも社宅の住人としてできる事はあるはず。それでいいから、新しいお当番制度の改革に協力してください。』、などと声掛しました。年末は久し振りに怒り出したい程の忙しさで、亭主に電話で怒りをぶちまけました。『こうも毎日仕事、仕事で休みもないと、家の事が片付かないじゃないの!!!。』と。一人で年賀状を準備し、一人で年始年末の準備をし、一人で年末の野暮用を片付け、もうキリキリ舞いで寝不足の連日。勿論亭主も疲れているんだけどさ。こうも夫婦がすれ違ってしまうと、簡単に夫婦が壊れるなあと今回は実感。で私の怒り爆発。『フィレちゃんにわかってもらっても、グラにわかってもらっても、しょーがないんだよー。アンタにわかってもらわなきゃダメなんだよー。』って。実はこれが私の愛なんです。愛って執着の一種かもね。新年はのんびり過しました。毎晩ワイン飲みました。ルイ・ヴィトン買いました。なぜここにきてヴィトン買ったかというと、お金が余っていたからじゃあなくて、去年がんばって子供を産んだからじゃあなくて、ちょっと実験で買ってみました。それにしちゃあ高い。でもそこがいいのよ。まあこの話はいずれ。それからここしばらく先のお話。当分、この忙しさからは逃れる事は出来ないでしょう。以前のように日記形式で書くのはムズカシイかなと。せいぜい書くとしたらほのぼの育児日記かな。結構このオモロイ日記はエネルギー注いで来たので、ここまで集中するのはちょっとしんどいっす。そうはいってもこのオモロイ日記は、私にしか書けない事を書いているので、私にとっても大事なものなのです。なんか尊大なことのようだけど、私の経験、私の感情、私の思い、なんていうのは私以外の何者も書く事は出来ないのです。ここが肝心で大事な所なんです。riccaの本音の日記は書けた時にメール配信でもいいかな、なんて模索中です。ではまたいずれ。良いお年をお迎え下さい。from ricca XXXXXXX
2006年01月03日
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