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最近友人のシングルファーザーのフィレちゃんは大弱り。その原因は言わずと知れた小2になる一人息子のチャカのこと。っていうか今回はチャカ自身のことじゃあなくて、チャカのガールフレンドのことなんだ。 ことの始まりは今年のバレンタインデイ、同じ組で保育園から一緒のハナちゃんが、チャカにチョコを渡して愛の告白、っつーのがあった。この時目が点になったのは勿論フィレちゃんの方で、当の本人のチャカはシレっとしたもの。困ったフィレちゃんは「ホワイトデイのお返しどーするかなあ」、なんて私に相談したりしてた。 その時はその程度で終わると誰もが思っていた。だってまだまだ子供じゃん!。しかし最近のオンナの子は、そうは簡単に問屋をおろしちゃあくれないらしい。先月ハナちゃんから駅向こうのチャカのおばあちゃんの家に、(チャカは学童から帰るとおばあちゃんの家でパパを待つ。)電話でおデートの申し込みがあった。「おばあちゃんが勝手に承諾しちゃって、オレの知らないところで話が進んでんだよ。」とフィレちゃん。ふううん。 そしておデートの日。ハナちゃんはフィレちゃんの家までやってきて、二人でDVD見て公園行って遊んだらしい。そこまでなら私達も想像出来る範囲、ここからがこのハナちゃんは違う。時間が来ても帰らないと言って、この日はフィレちゃんちにお泊り。そして夜は二人で一緒にお風呂も入ったとか。そして一緒のお布団でおねんね。 「よそのお嬢さんと一緒にお風呂入れて大丈夫なの?。」と私。「いやあオレもどーしよっかって思って、「一緒に入る」、って言ったら二人に断られたんだよ。」とフィレちゃん。「小2でよそんちにお泊りなんてすごいねえ。そういう時って別のお部屋にお布団ひくの?。」と私。「それが二人寝るって言って、ドンドン仕切られちゃうんだよ。」だってさ。 そして今日はお返しでチャカが午後から、ハナちゃんちにお呼ばれ。「アンタ、この二人が早く別れればいいと思ってんでしょ!。」と私。「うん、参っちゃうよ。でもそのうちチャカが飽きられるよ。だって明らかにハナちゃんのほうが進んでいるし、今日もチャカはデートだなんて思っちゃあいないから。」。 社宅でこんな話を聞いた。中学生の二人が付き合うことになって、両親の許しも出たんだけど、すぐにオトコの方からお断りすることになったんだって。そのワケはオンナの子がオトコの子にキスとかいろいろ求めてきて、オトコの子が怖くなっちゃったんだって。どーもチャカとハナちゃんもそんな感じらしい。まあ二人はキスはしてないと思うけど。 そういうワケで今日の午後は、パパのフィレちゃんは急に暇になってしまった。「会社いこうかなあ!。」とフィレちゃん。「アンタ疲れまくりなんだから、昼寝するとかマッサージ行くとかした方がいいんじゃん!。」、とお節介な私。「オレさあ、銀座にまたいいマッサージ見つけたんだよ!。」、と目を輝かせながら言うもののどこか寂しげ。パパとチャカは一身胴体なんだよね。
2006年04月30日
本屋で立ち読み。雑誌の表紙の女優樋口可南子をまじまじと見る。フェイスラインが美しい。特に口の両端の部分がたるんでいない。さすが女優。キレイでいてなんぼだもんね。 まあ素人の私のようなオンナは、50近い樋口可南子を目指したり、山咲千里を目指すのはちと現実味がないと思う。まずこの人たちは生まれつき美人っていうところに、大きな違いがあるからね。 前に大人のオンナ:年齢のいったオンナの美についていろいろ書いたけど、顔に関しては「大人顔」っていうのがキーワードなんでないかと思う。それって何よ?って言われると、まだ説明しきれないけど、リキッドアイライナーだとか、赤い口紅が大人顔必須アイテムっつーことではないことは確か。 女優の桃井かおりが言ってたんだけど、歳とってやっとシャツのボタンを多めにはずして、胸元を開けられるようになったって。この人も巨乳で有名。若い時は胸に張りがあって、シャツのボタンを多めに開けようもんなら、そのすんごいボインちゃんが自己主張しちゃって、エロさ爆発みたいになって出来なかったって。それが歳をとって胸の張りがなくなってエロが減って、そういう着こなしが出来るようになったというお話。 年齢がいって段々ムスメの頃の美の基準とかけ離れていくんだけど、また新たに別な美の基準がそこに出来ると思う。ムスメの美を追い掛ける人生だと、歳をとることは悲しく絶望的なことになる。でも桃井かおりのように歳をとって出来るおしゃれ、メイクアップアーチストの田中宥久子の言う歳をとって出来るメイク、なんていうのはまさにムスメの美とは別な土俵の話。きっとこれをして上手に歳を重ねるっていうんだと思う。 「大人顔」に話は戻る。大人顔に欠かせないのは肌。それは山咲千里のようなしみもしわもないムスメ肌ではない。しみもしわもあっていい。アメリカのモデル事務所なんかでは、しみやしわはむしろ歓迎されると聞く。なぜならそのほうがリアリティがあるから。そうしみやしわはその人をリアルに語る。 大人顔が目指すのはムスメ肌ではない。よく手入れされて慈しまれた肌。高価な化粧品を使うことだけが肌の手入れではない。年齢とともに失われる水分を補給し、重力にしたがってたるむ肌を手入れと筋トレで支える。そういう肌は健康で白い。ただ白いというのではなく透明感がある、そういう白肌を目指す。これを御宅肌と呼びたい。(御宅:古くてボロくても大切にされた家。オサレで格好いいインテリアの家のことではない。そういう家はすっきり片付いていて気持ちがいい。汚宅:家全体がゴミ箱で物置。ここではいつでも物が行方不明になる。こういう状態に誰も関心がない。亭主の実家のことを書いてから、この二つの造語が出来た。) これに対してもう歳だから、しみもしわも出来ちゃったから、どうせオバサンだから、という人の肌は汚宅肌と呼びたい。 肌は吸収器官ではなく排泄器官、その人の生活そのものが表れやすい。妊娠やストレス、病気などでしみしわが出来たとしても、それはそれで自分の肌で、でもそれを大切にしていこうというのが御宅肌。そういう肌は欠点があってもキレイが光る。そして思わず「肌キレイですね。」、と声を掛けてしまいたくなるものだ。 生まれつき美人という人はいる。それと私のように不美人というのもいる。今はこう思う。美人に生まれようと、不美人に生まれようと、小さな小さなキレイを積み重ねることで、自分の美が出来上がってくるように思う。そしてその美の基準は毎日毎瞬変化する。なぜなら毎日毎瞬キレイが積み重なって増えていくのだから。 今晩も肌の手入れをして布団に入ろう!。
2006年04月29日
昨日はこんなことがあった。こういうことが起きると本当にどーしていもんか、判断に困る。 普通にいつもの食卓の風景。私と壱男の二人のテーブル。弐女ちゃんはカーペットでゴロン。いつもは残さず食べる壱男が「もうご馳走さまする。」と言う。見るとおかずはほとんど残している。 まあ体調とか気分もあるんだろうと、ご馳走様をさせた。そしたら「今度はriccaちゃんのおひざ来る。」と言って、御飯食べ中の私のひざに乗る。あの~非常に食べにくいんですけど。 食べながら壱男にこう言う。「壱男ちゃんのおいすで弐女ちゃんが後で御飯するね。」。壱男はずっとテーブルにくっつけるポートチェアを使っている。最近弐女ちゃんの離乳食が始まって、普段は壱男が保育園に行っている間に済ませてしまうのだけど、今日はそれが出来ずに夜にずれ込んだ。それで壱男のおいすを借りようと承諾を求めたつもりだった。 「御飯食べる!。」と急に壱男。散々残しておいて急に再び食べると言う。アンタ、何!?、っていう感じ。こういう場面で私は迷う。あーそーですか、と再び食べさせたもんか、一度ご馳走様したのにまた食べるのはやめさせたもんか。 簡単なのは壱男の言葉に乗って再び食べさせること。全くささいなことではあるんだけど、壱男のこの行動の裏には、弐女ちゃんがが自分の物を使うことへの嫉妬を感じる。最近の壱男は弐女ちゃんの物は自分の物、自分の物は自分だけの物、っていうのが強くある。 余計それもあって御飯を再開したらいいのか、分別つかなくなってしまった。「無理して食べなくてもいいよ。」と私。「食べたいの~!。」と泣いて応戦する壱男。こんな詰まんないことで困る私。目の前の現実に次第に疲れて投げ出したくなる私。 結局御飯は再開して、弐女ちゃんは他の赤ちゃんいすで離乳食をすることにした。弐女ちゃんが食べるのが遅いのは致し方ないとして、食事を再開した壱男の食べるのの遅いこと、遅いこと。食べながらお箸の持ち方を聞いたり、あれやこれや話しかける。常に私の関心を引いておきたがる。これが2歳児一般なのか、この子特有のものなのか、私の育て方に難があってこうなのか、ここが肝心なのに全く判断できない。だから「子育てがわからない」といつもいつも感じてしまう。 二人の食事がやっと終わって8時、折りよく亭主が帰宅。子供達の入浴と就寝を頼んで私はちょっと夜の外出。気分転換したかった。リフレソロジーと整体を受けて帰宅すると、亭主はソファーでぼんやりしていた。テーブルにはまだ手付かずの食事が残っている。すでに時計は10時をまわっている。 「あれ、まだ食べてないの?。」と私。「やっと壱男が寝たんだよ。」と亭主。最近の壱男は夜なかなか寝ない。「さびしい」だのなんのかんの言って、すぐに布団から抜け出してくる。今日も亭主と一緒じゃないと寝ないと騒いで、亭主に御飯を食べさせなかったらしい。 「毎日こんな感じだよ。」と私。「あ~。」と亭主生返事。私はこういう毎日:寝ないと騒いで時には泣く壱男、弐女ちゃんに嫉妬してワケわかんない行動に出る壱男、にどう対処していいのかさっぱりわからない。 「どーしていいのかわかんないよ。」と私。「どーしよう。」亭主お得意のこちらの質問をそのまま、斟酌せずに投げ返す技が出た。それにいつものように私は怒る。「一緒に考えてくれないと困るんだよ。」とマジ切れな私。ここで亭主ハタと現実に戻る。ここから夫婦の会議が始まった。 私は亭主に子育てコーチングの本を見せて、読んで欲しいことを告げて、子育てコーチングを受講してみたいことも一緒に告げた。なにしろ有効な手段があれば試してみるしかない。「子育てなんてわからない。」、それは子育てに正解はない、という観点からみた結果論であって、渦中にいる場合、やはりぼやぼやとワカラナイでは済まされないのだ。何しろ毎日の日常が大変なことになっているのだから。 壱男の夜寝たくない攻撃に関しては、早起き作戦を実行することにした。それとワケわからん行動に関しては、まず亭主が本を読んでから再び作戦会議することになった。 コーチングが壱男に適切かどうかは、今の段階で判断つかない。またコーチングを私達夫婦が受けるべきか、コーチングセミナーを受講するのがいいのか、はたまたこれもひとつのチャンスとみて、コーチ資格取得まで目指してみるのか、ここがまた判断つかない所。 あ~全く疲れるよー。
2006年04月28日
今日は2度もここに書いて、2度ともアップロード出来ずに、日記を失くしてしまった。姉歯のことを書いたのに~!。きっと書いちゃあマズイことだったのね。 夜になって亭主が珍しく早帰りだったので、子供を預けて一人夜の外出。どこかでデッカイパフェでも食べてやろうと思ったけど、食べるばっかりじゃなあ・・・、って思ってリフレと整体を受けた。 そういえば今一番したいのはエステだなあ。しかも女性の手でやってほしいなあ。あ~それなのに、それなのに、行きつけの美容院も今日の整体もオトコ。オトコじゃ癒されないのよねえ。オンナの手がいいのよぉ!。
2006年04月27日
昨日のアタシ:日記を書いて壱男を保育園に迎えに行く途中、声を掛けられた。「お時間ありませんか?。」と年上の女性。「急いでいます。」と振り切りたい私。「じゃあ、パンフレット見てください。」、と渡されたのはヤクルトの販売員募集のパンフ。一月5000円で子供をヤクルト保育園に入園出来る。最低保障金額80,000円。 好きとか、やりたい事じゃないところで 、自分の仕事を模索しようなんて書いた直後の出来事で、いささか参った。天は私にヤクルト販売をやれと言っているのか!?、などとね。 ヤクルトじゃあ地味すぎるなあ、う~ん、ヤクルトはピンと来ない、好きとか嫌いとか考えるなんて傲慢なんじゃないか、 ヤクルト販売だって人の役に立つ、などと心が乱れてしまった。 まあ結局私はヤクルト系は自分は一切口にしないから、これは止めようということに落ち着いた。もう、参っちゃうなあ。 偶然にもコーチングの本を読んでいる。なぜ偶然かというと、本の題名が「今日から怒らないママになれる本!」川井道子著、この本を大地宅配のカタログで見つけ、題名だけ見て注文したもんだから。 著者の川井さんは3人の子供の母。お仕事は育児系のフリーライター。川井さんは2番目のお子さんペコちゃんに、毎日振り回され続けてもう身も心もヘトヘトな日々に、子育てコーチングと出会う。 そして子供の話に傾聴し、そしてアタマごなしに子供の声を否定し続けていた自分から、一旦子供の話を承認して受け留め、でもここは譲らないという壁になり、子供から新しい代替案を出させるというまでの結果を生む。 勿論途中かなりホヘっ!なこともあったし、自分が子供の話を全然聞いちゃあいなかった事にも気付くし、特に子供達のけんかを仲裁していながら、自分が実はそのけんかの火に油を注いでいたことにも気付く。そして最後は1番目のお兄ちゃんに、いっぱいいっぱい我慢させていたことにも気がついていく。 この過程に毎週必ずコーチとのセッションがあり、コーチと供に毎週の課題を川井さんは進めていく。この時コーチは川井さんが子供達にしたように、川井さんの話を傾聴し、承認し、そして川井さん自身から課題を出させる。どーもそういうスキルをコーチングというらしい。 ここまで読んでこう思う。働きながら子育ては出来る。それは子供が食べて寝て排泄してっていう、ただ生きて呼吸しているだけの子育てじゃなくて、子供を自立した大人に育てるという意味の子育て。 それは子供との時間の量だけじゃない、子供との心の会話、コミュニケーションが出来ていて、しっかり子供の癒しどころに母がなれれば。子育ての勘所を押さえられれば。コーチングスキルはそれを手助け出来ると思う。 そして専業主婦にとっても、この子育てにコーチングスキルを用いるというのは、なんか画期的で、ワケもわからずフィーリングで、子育てしている私としては、とっても有用なものに思える。 というワケでちょっとコーチングを最近調べだしている。私の道はやっぱりヤクルトじゃなくて、コーチングなんでしょうか!?。なんか外堀埋まっている???。
2006年04月26日
一体何歳くらいからこんなことを考えるようになったのだろうか。「自分の好きな事を仕事にして生きていく。」っていうやつ。私の母は薬剤師だった。多分それこそ好きな仕事をして生きて死んでいったと思う。父は普通のサラリーマン、希望の法学部には入れず、英文科を出て就職した。父がサラリーマンが好きな仕事だったかどうかは不明。 「自分の好きな事を仕事にして生きていく。」ってやつを、私はごく最近まで固持していた。なんか信仰にも近かったかもしれない。というのも私にはいつもいつも、やりたいこと、好きなこと、興味のあること、なんかがはっきりしていたから。自分の中に羅針盤があった。 友達はこれと全く反対でやりたいことなんか、てんで見つからない、なんていうのもいる。自分の中に羅針盤はなくても、そういうのが今でも会社に残って仕事してたりする、そういう事実も結構目にする。 子供を産んでしまってから、まあ正確には留学を終えて修士を修めてから、私には自分の方向が全く見えなくなってしまった。何にも興味ないし、やりたいことはないし、好きなこともない。羅針盤はこわれてしまったのか。 最初はこの自分自身の変化に自分がついていけないくて、焦りより戸惑いのほうが大きかった。そういうふうになってしまった自分に恐れを抱いた時期もあった。仕事の話を目を輝かせてする友人が、なんだか遠い存在に思えたのもこの頃から。 こういう自分になってしまって随分と時間だけが過ぎてしまった。そして相変わらず何も私の中に変化はない。これを嫌うとか好むとかそういう感じじゃなくて、壊れてしまった羅針盤をただやさしくなでているような、そういう感じ。 ニートのインタビューなんかを見ると、なんか私と似ている。やりたいことがわからない。好きなことが見つからない。この人たちも羅針盤が壊れているのか、もともとないのかもしれない。 長い事羅針盤を眺めてなでてていたら、やりたいこと、好きなことなんて、見つかる人もいれば、見つからない人もいるんじゃないのかな。そしてそれを仕事に出来ている人もいれば、いない人もいる。それだけのことなんじゃないかと思えてきた。 なんか仕事っていうもんで、自分っていうものを満足させることに、そんなに集中しなくってもいいんじゃないかって。そんな風に思えてきた。私にはもう羅針盤はいらないのかもしれない。 「自分の好きな事を仕事にして生きていく。」、なんてどこかワガママな自己満なことに見えてきた。それにしてもこのフレーズは今でもよく耳にするのは確か。特に若い人達とオンナ達から。こういう生き方と羅針盤はセットものなのかもしれない。 しかし、 私としたら羅針盤なしで、来るべき将来に備えて何か始めたい、そういう気持ちだけは芽生えてきたものの、一体何から始めればいいのか、皆目見当がつきやしない。どーしたもんか。
2006年04月25日
約10年前のこと。社宅に越してきた来た時はまだ一世代上の、40代のオンナ達が多数いた。オンナ達の数人は月1回の朝の10時からの社宅清掃の時にも、パープルのアイシャドーにローズもしくはピンク系の口紅、それは当時の私からして厳しいものが目立った。 ここ数年社宅の中庭でよく見かけた母、つまりここで子供を遊ばせていたオンナ達の何人かは、子供が育って中庭を卒業していった。その余裕の出来たオンナ達がし始めたメイク、ピンクのシャドーにピンクの口紅という出で立ち、想像するにそれはムスメ時代のままのメイクで、やはりそれも今の私からして厳しいものだった。 何が厳しいかというと、ピンクだパープルだという色は、20代の嫁入り前のムスメの色で、それを母となったオンナがするのはど^かと思うのだ。大変失礼ではあるが、これはメイクアップではなくメイクダウンなのだ。 春夏、秋冬と季節ごとに化粧品メーカーは、必ず新作を発表する。でもそれはたいていムスメ向けのもので、決して大人のオンナ向けのものではない。ここでいう大人のオンナとは、年齢のいったオンナという意味で、年齢のいったオンナの肌は、どーしてもツヤ、ハリに欠け、肌色もさえない。大人のオンナはムスメ用のものを気軽に使うと、却って自分の肌の欠点をさらすという結果を招きかねない。 こういう大人のオンナ向けの化粧品の少なさが、まだまだ日本社会に大人のオンナ文化が根付いてないなあ、などと私は思ってしまう。と同時に自分を振返り、40代の自分をどう演出すべきかと、常に自問自答している自分にも気がつく。私自身にもその答えは出ていない。 そんな折STORYなる雑誌でメイクの特集を見た。その中でやはり私が思っていた通り、ムスメ時代のメイクをそのまま大人のオンナがすることのおかしさが、載っていた。大人のオンナのメイクは、ピンクだなんだとかいう色を魅せるというものではなく、またピンクだから可愛いという単純な発想ではなく、その人自体を魅せるものじゃないかと思う。ピンクなしでその人の可愛さを表現したり、または同じピンクでもムスメとは違う使い方をするもんじゃないかと思う。 今日は「7年前の顔になる。田中宥久子の「肌整形」メイク」田中宥久子著、を読む。この田中宥久子さんはメイクアップアーティストで、クロワッサン11月10日号で顔筋マッサージを紹介していて、以前から興味を持っていた。この本の中でプロのメイクアップアーティストとしての、仕事の現場の話がとっても面白い。彼女が特に力を注いだのは、女優さんじゃなくて男優さんというのが一番興味深い。男優のしみ、しわを隠しつつ、なおも素顔に見せるという究極のナチュラルメイクを完成させた。これらの経験がSUQQUというオリジナルブランドを誕生させた。 田中宥久子はこういう。大人のオンナの肌は衰えて落ち込んだり、凸凹が出来たりして、顔に陰影が表れてくる。それを欠点と捉えることも出来るが、でもそこには深みとニュアンスが出て来たと捉えることが出来る。それをメリットとしてメイクすればいくらでも顔は変えられるという。そしてメイクしている事を感じさせないメイクが出来るのは、実は35歳からそれは若くない肌だから出来る最高の贅沢だと。 田中宥久子は自分ブランドSUQQUで、口紅のバリエーションをほとんどベージュにした。ベージュは素敵な色だけど、肌色が冴えないと上手に扱えない代物だ。SUQQUではこのベージュから暗みを除いて、年齢を重ねれば重ねるほど似合うベージュを作った。そしてたった1本だけ赤を加えた。きれいに歳を重ねた70代、80代に似合う色として。大人のオンナの最終目標として。 肌にしみ、しわはないに越したことはないけど、大人のオンナの肌にそれがあってもいい。例えあったとしても自分のキレイを諦めることはない。自分の顔をよく見て、自分の肌を触って、自分の日常をよく見定めて、自分のキレイを探す。それは決してムスメ時代のキレイではなくて、今の自分のキレイを探す。 これをやり始めると私はまたまた忙しくなる。
2006年04月24日
土曜に壱男を医者に連れて行って、水疱瘡の完治届けを書いてもらった。その足で保育園に寄って完治届けを置いてきた。案外早く治ってまあ一安心。でも正直言うと「元気な病気」は親として疲れる。元気を家に閉じ込めて置けないから。 やっと一段落した日曜。今度はなにやら私の体調がすぐれない。胃の調子が悪いしとにかくカラダがだるい。ここのところ静かにしている時、地震かなって思って辺りを見渡すと、それは地震じゃなくて、私が軽い眩暈を起こしていた事が何回もある。貧血かもしれない。 子供たちは亭主に頼んで、午後から布団に横になる。明日にはよくなってますように。母ちゃんは元気がなによりだから。
2006年04月23日
亭主は今日も仕事。亭主の勤めるゼネコンでは、就職当時から4週6休を目標に掲げ、20年近く経った今現在もそれは実現されていない。その間内勤者には完全週休2日が導入されたにもかかわらず。 社宅の母と話すと、どこの家でも亭主さん達は朝~夜しかも深夜まで仕事で、休日は日曜に休むのが精一杯というのが現状。これが土木にいたっては夜間作業がある現場だと、昼間家に帰って寝て夕方出勤なんてこともある。まあここの社宅には常にオトコはいないってことだな。 私もこういう勤務形態で働いていたから、内情もわかっているつもりだったけど、子供が生まれてからのこの2年は、本当に亭主がいないと心細いし、やっていかれないって強く思ってきた。特に子供が二人に増えてから。 それもやっと慣れてきたのか、私自身が強くなったのか、平日亭主がいないのはOKになった。むしろ亭主には仕事して欲しいと思うようになってきた。 この人もここまで仕事してきて、なにがしかの仕事に自分の将来を描いているんだろうし、それは今しか出来ないことかもしれないから、平日は仕事に専念してもらおうかって。 よく「夫婦で子育て」みたいなハッピーなお言葉を耳にするけど、現実はそうはいってないと思うんだ。大抵亭主さん達は帰りが遅いし、早いったって子供が寝る時間に帰ってくる程度のことでしょ。「夫婦で子育て」するなら、亭主さんは夕食時には帰ってこなくっちゃ!。となるとまあ無理だわ。 日本人はよく働くっていうことになっているけど、それは日本人が勤勉なだけじゃないと思うんだ。日本では日本人がよく働かないと、今の生活水準を保てるようなGDP:国内総生産が出来ないからなんだ。日本は汚くて危ない賃金の安い仕事、いわゆる社会の底辺の仕事でも、労賃の高い日本人がやっている。 ヨーロッパなんかは、アメリカもそうだと思うけど、こういう仕事は賃金の安い移民がやっている。安い賃金で底辺の仕事をやる人がいっぱいいて、その一方で高賃金で上流の仕事をするほんの少しの人、そういう人達で国内総生産が構成されている国もある。 こういう風な社会だと、企業は雑仕事はアウトソーシング、もしくは国内では賃金の安い人を選んで使い、そして海外の賃金の安い国で生産し、企業利益を上げて、正社員は週休2日、夏休み2週間、って感じで割りに見た目余裕のある働き方を提供できる。 それで社員の残業時間についても国で規制しながらも、その実移民が安い賃金で長時間労働してたりする。だからよくヨーロッパでは移民の暴動があったりする。私にはそういう社会の是非はわかんないけどね。 こういう社会のしくみを変えないで、完全週休2日だの、残業廃止なんて土台無理な話。今の日本で仕事するってことは、時間量だけに関しても猛烈仕事するってことなんだよね。だからみんなで猛烈仕事して、ちょっと仕事出来ない人も、出来る人もみんなでお手手つないでがんばりましょ!、っていう母系社会がまだまだ日本なんだよね。これの是非もわかんないけどね。 まあ亭主がんばっておくれよ。仕事に関しては、アンタが自分で切り開いてやっていくしか、道は開けない。私がおんぶにだっこっつーワケにはいかん。家庭のことは平日に関しては私が頑張るから。(でも日曜は休ませてくれ。)これがうちの功名が辻ってことかいな。
2006年04月22日
<今日の水疱瘡>掛り付けホメオパスと連絡を取りながら、壱男にレメディを与えている。昨日は症状を進行させるレメディを与えた。そのせいで胴体を中心に発疹が全身に無数に広がる。大分かさぶた付が増えてきた。 <今日の弐女ちゃん>後追い期に入り、私が布団でも干そうものなら泣き、トイレに行っても泣く。やっと楽になって来たと思ったらまだまだ続く。泣き声もフニャフニャしたものから、ビェ~ってな調子に変化。泣く時に「オパイ、オパイ」と言う様になった。確実に赤ちゃんが終わりつつある。さびしい~!。 冒頭に書いたように家では体調管理に、ホメオパシー をやっていて、家族が具合が悪い時はかかりつけのホメオパス(ホメオパシーの専門家)に時間を予約して相談してレメディを処方してもらう。今回のように突発的な体調変化の場合は、電話して相談しながら手当てをする。 毎回思うことは、特に高熱とかの場合、レメディの効果で熱が下がって体調が戻るのか、レメディをとらなくても体力ってやつで体調が戻るのか、どーも判断がつきにくい。そう感じるのは、それだけ回復に時間が掛るから。 といろいろホメオパシーに文句を付ければ切りはない。今年に入ってインフルエンザに自分が罹り、そして壱男も罹り、これもホメオパシーで治した。などと書くとホメオパシーはすごい!、って感じなんだけどそうは書きたくない。だって治るのにすご~く時間を要したし、その分体力をかなり消耗してその回復にも時間が掛ったから。 (最後は肝臓が痛くなったよ。) どーも水疱瘡もそうなんだけど、風邪だのインフルエンザなんかも、薬もホメオパシーも要らないと思うんだ。これは生活に時間的ゆとりのある人だけが出来ることなんだけど、熱が出たらリンパを冷やして、水分を補給してただただ寝る。これで十分治る。 ここがしっかり出来れば、普段の栄養状態も衛生状態も良いわけだから、エボラ吸血熱みたいなすんごいのが来ない限り、なんとか切り抜けられると思うんだ。(まずこういうのは来ないよ。) こういう風に病気を治すと、何かカラダに良い事がありそうな気がするけど、実際ホメオパシーではこれは○なんだけど、私自身はどーかな?って思う。別に理由はないけど、こういう事に大きな期待は持てないな。だって昔はみんなこれだったワケでしょ!。それでも人生50年しか生きなかったワケじゃない。 ホメオパシーやってちょっと自分の死生観に変化が出てきた。自分の体力で治らんもんに罹っちまった時は、お陀仏なんだなっと。これって端的に言って、薬も医者もなかった昔の人の状態と同じだよね。なんか昔回帰している。 別に昔に戻すのが良いと言いたいワケじゃないけど。何が昔と変わっちゃったのかなあって考えると、時間かなって思う。病気の時間は出来るだけ短く、そして人生は出来るだけ長く、これが現代かな。 それに対して昔は、病気も人生の長さも成り行きまかせ。治る時は治るし、治らん時はそれこそお陀仏。 やっぱりどっちがいいかはわっかんないな。まあ今は暇だから、病気も人生もスローにやってみっかという姿勢なんだけど。これも昔回帰だね。これで味噌や醤油まで作り出したら本格的に昔回帰だワァ。まあそんなことにはならんでしょう。 いろいろゴチャゴチャ書いたけど、今のアタシは急いで病気を治したところで、やりたいことがあるワケでなし、行きたい所があるワケでもなし、っていう感じなんだよね。つまり全く指向性のない人生を生きて、ただただ暇なんだよね。(まあ日常生活には追われとるけどね。特に洗濯。)だからホメオパシーをやってんだな、アタシは。
2006年04月21日
相変わらず壱男は水疱瘡。水疱瘡一般を私は知らないんだけど、壱男の場合熱もほとんど出ない。だから元気で困る。外には出せないから。エネルギー持て余し過ぎ。 壱男は朝から喋り捲って、私はもううんざり。数を数えている時に、横から「あれはどーした。」「これ何だ」と、しつこくされているような感じ。思考回路がゴチャゴチャになって、神経がズタズタになってくる。家の中もおもちゃがずっと散乱してて、足の踏み場がない。 子供たちが昼寝をしたら、夕飯を作ってちょっと外に出ようなんて思っていたけど、午前中ですでにげっそり疲れた。それで昼御飯食べて一緒に昼寝しちゃう。 気がつけばもう夕方。夕御飯作ってないし、あ~弐女ちゃんのおっぱいもしなくっちゃ。と急に慌しくなる。もう御飯はパッパっとやっつけようなんて思うと、そばから壱男が「壱男ちゃんもお料理する~。」と、あんまし有難くないご好意を受ける。 アンタが手伝うと時間ばかりが掛って、成果が出ないのよ~、などという思いをぐっとこらえて、一緒にハム切ったり、炒め物をしたりと結局時間は掛かってしまう。 それからやっと子供達を風呂に入れて、布団に入れて、私一人の時間が来た・・・、と思いきやそうは問屋が卸はしない。「眠れないの~。」と壱男が起きてくる。 そうだよ。外遊びしてないし、昼寝はたっぷりしているから、お子様はこういう時は夜は眠れない。そうなると私は母ちゃんを閉店出来ない。 最初の私の目論見では、壱男は発疹と供に発熱して、いつもの元気さが減少するはずだった。全く当てが外れてしまった。う~ん、これからの数日間、この元気さを家に封じ込めておけるのだろうか。これが明日からの私の難問。 でもさあ、水疱瘡なんて命に別状ないんだから、人にうつったっていいんじゃないの?。
2006年04月20日
今日の壱男:昼間はいつもと変わらず元気。水疱瘡の発疹も出てきたけど、痒がる風もないし熱もない。でもやっぱしご機嫌斜めで甘ったれ。久しぶりに弐女ちゃん共々同時に泣かれて、私も泣きたい気分になった。 うちの長男の壱男が通う保育園は無認可の園で、東京都認証保育園という形をとっている。厚生労働省の決める保育園の基準を満たしていないので、認可園にはなれないところを、東京都が新しい基準を作って、それは満たしているということ。詳しいことは知らないけど、具体的にどういうことかというと、園庭がない。多分施設も狭いんだと思う。それと正規職員の人数なんかも少ないんだと思う。 公的な補助金の額も少ないから、保育料は認可園よりも高い。それでも兄弟でここに預けている人が結構いる。兄弟割引も2割しかないのに。 理由はさまざまで、駅に近いとか、兄弟一緒の園に入れるとか、遅くまで預かってくれるとか、夕食も食べさせてくれるとか、いろいろあるんだと思う。 働きながら子供を育てる、特に自分の仕事のキャリアっていうものと向き合いながら、子供も育てるっていうのは、もう金が余計に掛ろうがなんだろうが、割り切って余分なものはドンドン諦めて、大切なことだけに全力注ぐようなもんじゃないだろうか。 この割り切るところにいろんな葛藤があったり、迷いが生じたりするんだろう。でもそれに時間を割くことが出来ない現実があって、自信が持てないままに先に進まざる負えない、そういう日常をなんじゃないかと想像する。 それこそ行き先はわかっているけど、行き方はわかっていない、でもとにかく急いで到着しなきゃあならないから、目の前の特急に乗った、特急券も指定席も車内で買おう、そんな感じかもしれない。 そういう行きかたと子育てに、私は是非を問うつもりはない。それはその人の選択であり、その人の人生であり、その人の家庭のことだから。 人生にも子育てにも正解はなさそうだ。誰しも平等にあるのは、今この瞬間というリアリティだけだろう。それは目の前の片付かない部屋だったり、どーにもならない子供だったり、あるいは整然と片付いた居心地良い部屋だったり、子供との楽しいひと時だったり、そういうリアリティ。 リアリティそのものには元々是非はない。あるのはリアリティの持ち主がどう捉えるかだけ。忙しい人はここでも迷ったり悩んだり、っていう葛藤する時間はない。ここでも割り切りと諦めが重要なファクター。 働きながら、しかも自分のキャリアの積み上げるような仕事をしながら、子育てするという人生は、現実を冷静に見つめ、そこには冷静な判断を邪魔する、期待や甘えといったものは一切封印して、今この瞬間のここ一番という重要なところだけに全力を注ぐ、そういう生き方を選択しているのかもしれない。 それは特別尊敬に値することでもなく、かといって影でせせら笑うようなものでもない。やはり単なる人生の選択の一つに過ぎないのだろう。まあこれが今の流行なんだけど。
2006年04月19日
昨日の壱男は少し変だった。大好きな納豆ご飯をおかわりしなかった。少し微熱があった。今朝はいつもと変わらぬ様子で、相変わらずはじけるような勢いで、保育園に飛んでいった。 午後になって保育園からの電話。「壱男ちゃんの担任のゆーです。壱男ちゃんどうも水疱瘡みたいなんで病院行ってください。」と。園で流行っているのは知っていたから、とうとう来たかって感じ。 水疱瘡に壱男が掛るのは別に大した問題じゃあなくて、これに関わるお手続きってやつが面倒。まず保育園に治癒証明書っていう書面を取りに行って、治ったらこれを医者に持って行って書いてもらっての、通園となるからだ。 この一連の行動を私一人でこなせればなんつーことないんだけど、必ず弐女ちゃんが一緒だったり、壱男も入れて3人で行動したりってなると、これがまた面倒極まりない。最近は壱男の要望で子供たちは掟破りのベビーカー二人乗りなんだ。警察に注意されたりしないんだろうかあ!。これが異常にハンドル操作が重い。(当たり前だ!。) 夕方病院に診察の予約をとって、弐女ちゃんも連れて3人で出掛ける。もう弐女ちゃんは絶対水疱瘡はうつってしまう!、という前提の下での行動。もう兄弟は道連れ同然ねえ。 それで医師の診断はもう紛れもない「水疱瘡」。痒いだの、汁が飛ぶだの、熱が出るだの、聞いただけでこの先が思いやられる。子供の病気って心配以上に、面倒くさいこと極まりないのよ。 まずご機嫌斜めになって、取り扱い要注意人物になっちゃうし、すぐに熱下げろだの、すぐに痛いの治せだのって、無理難題を吹っかけてくる。いっそ入院でもしてくれたほうが楽かもしれない。 病院では一般の待合室では感染の危険が大きいので、診察室前のものすごい狭い場所で待たされて、帰って来たときはかなりのお疲れ状態。っていうのは私だけで、当の壱男は全然平チャラで「おい、おい、」って感じ。 そんで今度はホメオパシーの先生にも連絡。一応対処法なんかも聞いておく。ってな事をしながら重要なことを思い出した。あ~亭主のヤツは水疱瘡やってなかったなあ。絶対これは亭主にもうつる。大人の水疱瘡は重いっていうしなあ。ヤツは絶対レメディなんかじゃあ治らんなあ。などと考え出すと、家族で唯一水疱瘡経験者の私が背負い込む負担を想像して、気が重くなった。 あ~今週の私はきっと家から一歩も出られないだろう!。またストレス溜まって怒り爆発しちゃうかも!。いや~ん、コワイ!。壱男早く治ってよ~!。
2006年04月18日
壱男語録:この日の味噌汁は絹さやと油揚げ。「絹さやってなあに?。」と壱男。「お野菜だよ。」と私。「お野菜ってなあに?。」と再び壱男。こういう根源的な質問はまったく返答に困る。「草だよ。」と一応答えてみる。「ここなの?。」と股間を指差す壱男。 大人の股間や脇や脛には毛が生えている。それを壱男は「くさ」と呼んでいる。壱男の言葉を借りれば「大人になるとくさが生える。」。 それで壱男は私の返答に素直に、股間に絹さやは出来ると思ったらしい。面白いからそのままにしておいた。 今日のアタシ:チークをよりによって眉間に差してしまった。大ボケ大臣だよなあ。土曜日も高校の同級生のグラと焼肉に行って、冷麺に自分じゃあ酢入れてるつもりが、焼肉の塩ダレをたっぷり入れてしまった。まあそんなにまずくはないけど、もう冷麺のあの味じゃあなかった。 保育園の帰りにいつもの公園に立ち寄る。壱男はお約束のお砂遊び。私は弐女ちゃんと供にお砂場の脇に陣取る。そこへベビーカーを押した母が寄ってきて声を掛けてきた。 前にシングルファーザーのフィレちゃんの息子のチャカと壱男を、公園で遊ばせて私は弐女ちゃんをスリング抱っこしてたら、やっぱしオンナが寄って来たことがある。「お一人で子育て大変ですね。」などと見知らぬ他人に労われて、なんだか怪しげとと思っていたら、宗教のパンフとぶどうジュース2本を置いて行ってしまった。 なんかアタマの片隅そういうのが残っていて、この母に警戒心を抱いたのはいうまでもない。母は私より10歳は若い。一見何不自由なくて幸せな日本の母。 「上の子は赤ちゃん返りとかしませんでしたか?。」と母。ここから私達の会話は始まった。この母は今年幼稚園の年少さんに入学したオトコの子と、3ヶ月になるオンナの子がいて、私が最近まで経験していた子育てストレスの渦中にいた。 「もう上の子が自分の子なのに、どーしていいかわっかんないです。」と母。あ~よっくわかる。壱男も弐女ちゃんが生まれてから、急に育てづらくなって手に負えなくなってしまったからだ。 私は正直に自分の心の闇を母に語ることにした。壱男がかわいく思えないこと、壱男に暴力を振るったこと、毎日苦しくて苦しくてしょうがなかったことなど。専業主婦なのに子供を保育園に入れていることで、周囲の目が気になること。母も全く私と同じ状態にあった。 子供が小さくて話して聞かせてもわからない時期は、母の子育てストレスは増す。ストレスはどんな人にでもあるもんで、ストレス自体がこの時期の母の問題ではなくて、ストレスの発散方法がないことが実は大問題なんだ。 子供が二人に増えると、 子供を置いて一人でどこかに出掛けるということも、下の子を母乳育児している場合はほとんど無理だし、友人でも呼んで馬鹿話にでも興じたいところんだけど、今度は上の子がそれを嫌がって大抵邪魔をする。どーにもこーにもストレス解消の術が見つからない、それが一番のストレスになってくる。それでもっとも手近に出来る「食べ」に走る。私もそうだったし、この母も恐ろしいくらい食べている。 テレビでこの日の夜少子化について、知識人、政治家のオンナ達が語っていた。まあいろんなご意見があるんでしょうけど、小さい子供を抱える専業主婦の、子育てストレスの発散方法のないという現状、これが積りに積もって「もう子供は2人で沢山!。」、というやるせない感情も少子化の一因ではないかと思う。 最近の私の心持は随分と楽になった。一番の理由は春が来たという単純なもので、次は産後9ヶ月経ってレメディに頼りながらも女性ホルモンが、落ち着いてきたこと、それと楽しいイベントを自分から作って、どんどんフィレちゃん達も誘って遊ぶようにしたこと、そんなことから随分と立ち直れて来た。これは母にも話した。 それと口には出せなかったけど、もっとも苦しかった時期、私は毎日精一杯がんばっている、それを結果はともあれ誇りに思おうと決めた、ということがなにか自分に変化をもたらしたように思える。母にも母の春が早くやって来ることを祈って止まない、そういう思いを残しながらこの日は公園でバイバイした。
2006年04月17日
「ねえ、ricca 今日は何月何日?。」、珍しく亭主が私に真面目に問いただした。「4月16日だよ。」と答えながら私の中で、亭主の言いたいことがわかってきた。 今日は私達の結婚記念日。それも12回目。私っていうオンナはオンナ一般にありがちな、記念日を重んじるっていうプログラムが欠落してて、この12年間ほとんどこの日を忘れて来た。亭主が思い出さなければ、気付きもしないというのが私というオンナなんだ。 その記念すべき日で日曜なのに今日は雨で残念。それで午前中は所要を足しに日本橋のデパートへ。そして午後はいつものように、シングルファーザーのフィレちゃんと息子のチャカ親子と遊ぶ。チャカは真新しい自転車をパパに買ってもらって、大得意の大喜び。6段ギア付だって。アンタ、この平坦な地域でそんなん乗ってどこ行くの?。 家の長男の壱男とチャカは公園の遊具で、一緒に遊ぶような別々に勝手に遊ぶような、いつもの感じで遊びだす。大人は子供達を見守りつつおしゃべり。子供たちに人気ナンバー1の亭主はいつも呼ばれて、お付き合いする。 私からはちょっと離れた遊具の所でチャカが止まった。手を抱え込んで顔しかめている。パパのフィレちゃんが飛んでいく。私は自分の荷物から絆創膏がないか探し始めた。 「どーしたの?。」 と私。チャカは既に大泣き。「とげが手に刺さっちゃんだけど、オレ老眼で見えないんだよ~。」とパパのフィレちゃん。「どれ見せてごらん。」と見ると確かに手のひらに、遊具の木のとげが刺さっている。「痛いよ~、痛いよ~。」とチャカは泣きながら怒り出した。この子のありがちなパターン。 「何か安全ピンみたいな針ないかなあ。」と私。みんななにやらポケットをゴソゴソ。フィレちゃんは自宅の鍵を取り出してきた。「こんなんじゃ、ダメよ。」と一喝却下。チャカはますます泣いて泣いて大騒ぎ。とげってそんなに痛かったっけ?!。 とにかく家に帰ることに決定。みんなで駐車場に移動する。私達は自分達の車に子供達を乗せる。少し離れているけどそれでもチャカの泣き声が聞こえる。それで心配して亭主が様子を見に行った。 「あの人たち何やってんの?。」と私。「チャカが泣いちゃってフィレちゃんに手を見せようともしないんだよ。」、と笑いながら亭主。そんじゃあと私も様子を見に行くと、パパは片手に安全ピンを持っていて、チャカはその針が怖いと大泣きの大騒ぎをしていて、「手を見せてごらん」というパパに思いっきり抵抗していた。チャカの袖は涙でグチョグチョ。フィレちゃんは笑いながらも困り顔。 こりゃあしようがないなあって思って、 「ピンかしてよ。チャカを羽交い絞めにしておいて。」というと、大暴れの手負いの猪(そんなん見たことないけど)みたいなチャカを、フィレちゃんが押さえ込んで、私がピンでとげを抜いた。1分も掛らない出来事。 このことでチャカの怒りは頂点に達して、「パパの馬鹿!。怖かったよ~。怖かったよ~。」、とフィレちゃんの胸にしがみつきながらも、両手で(手が痛いと言っておきながら)で、フィレちゃんを叩く。勿論顔は真っ赤っかで涙でぐしょぐしょ。当のフィレちゃんはそういう自分の息子を、両腕で受け留め胸に抱きながら、「ごめんよ。ごめんよ。」と繰り返す。でも顔は笑っている。そして私はそれを見て笑う。 とげが刺さったのも、手が痛いの、そのとげを無理矢理抜いたのも、みんなみんなパパが悪い。パパのせいだ!。チャカはそう言いたげだった。 チャカはパパが全て。パパは全部自分の思い通りじゃないと怒っちゃう。パパが好き。パパじゃないと嫌。そうチャカは訴えているようにも見えた。そしてそれを受け留めているフィレちゃんにも、パパはチャカが全て、そんな風に見えた。なんか恋愛みたい。 小学2年生にもなってこんなに泣くんかいなあ、なんて思ったけど泣く時は泣くんでしょう。 フィレちゃんとおばあちゃんは、確かにチャカを甘やかして育てはしたと思う。でもこの人たちの環境を考えると、こうやってしかチャカを育ててこれなかったんだろうと思う。そして今自分の思い通りにならないとすぐに泣く怒りん坊で、物を与えられ過ぎて自分の手で何かを得ようとしない、そういう息子をフィレちゃんはしっかりと受け止めている。その二人の絆は強くて熱い。 そんなことを子供が寝静まった後、亭主と二人で結婚12年目を、シャンパンとヴィタメールのチョコで祝いながら話した。おめでとう。これからもよろしく。
2006年04月16日
今日は保育園の全体保護者会に出席。小さい園とはいえ出席者は少なかった。きっとこの中で働いていないのは私だけ。別にそのことで気後れは無い。この保育園は私立の無認可東京都認証保育園で、チェーン化されており都内近郊にいくつか同じような園が存在する。 最初は園の運営母体の会社からの今年度の方針発表。そして園長からの園の方針発表。それから出席者とのディスカッション。 ここでは3歳以上児の母の発言が目立つ。みな仕事を持ちながら毎日ぎりぎりのところを遣り繰りし、割り切るものは割り切るという、待ったなしのとにかく前進あるのみ、といった毎日を送っているように見える。 この母というより、なにかそれを超えた存在感すら備えたオンナ達は、とにかく強い。そして明るい。きっと職場でもそうなんだろうと想像できる。発言を聞いていると、子供は園で夕食を食べることも多く、私のように早くお迎えは出来ない状況にあるらしい。 こういうオンナは好きじゃなかった。でも今日の私は違っていた。いいじゃないかと。オンナ達が仕事のキャリア保ちつつ、並行して子育てもする。自分の仕事の夢を持ちつつ、子供にも夢を持つ。簡単ではないけれど、そういう事が出来る世の中になったのだから。両方がんばってみたいと思っているのだから。 オンナ達はしたたかで豪腕で鼻息も荒い。毎日変わる現実をその両腕で取り仕切っているのだろう。きっとオヤジども蹴散らし、ワカモンを冷えあがらせているんだろう。そのぐらい熱い。でもその思考は冷静で論理的で的を得ている。これがお仕事するという社会性なのだろう。 オンナ達の子育ては世の中で言われている、正しい子育てはきっと違っているのだろう。熱が出れば速攻で解熱剤を飲ますんだろう。子供の就寝時間は起きて破りの深夜なんだろう。子供の食事はほとんど園で済ませているのだろう。オンナ達はこういう状況を「子供に済まない」などと思いつつ、割り切りそして振り切っていることだろう。なにしろこうしなければやっていけないのだから。 多分オンナ達が働かなくても家庭はなんとかやっていけるのだろう。でも人は必ずしも金の為だけに働くというワケではない。意識下にあるかどうか定かじゃないけど、皆仕事に夢があるのだろう。働くことの延長線上に自分の未来を描いていることだろう。だから仕事と子育てという面倒なことを、やり抜こうと思うのだろう。 そういうオンナ達のたくましさに久しぶりに触れた。サバイバルしてきたようなオンナ。専業主婦のオンナ達からは感じることのない、何か熱い濃いものを感じた。それが私にこういうオンナたちを許す気にさせたのかもしれない。あなた達も十分悩み葛藤し疲れ、そしてがんばっていると。 発言を抑えている人の中で、私もお得意の忌憚の無いところをご披露させていただいた。そして会を終えた後、このたくましいオンナ達が私に歩み寄ってきて、声を掛けてきた。 どーもお仲間に加えさせてくれたようだ。大変に光栄なことなのだけど、私はあなた達と違って仕事に夢が見出せないし、あなた達のように仕事の延長線上に未来を描けないのだけれども、そういう私でもいいのでしょうか?。
2006年04月15日
昨日さる通信:紙媒体 が送られてきてた。そこには子育て中のオンナが自分自身のことを外で、○ちゃんママなどと呼ぶことに一過言有り、というようなことが書いてあった。確かこの通信の作者は他人から自分を、○ちゃんママなどと呼ばれることにも、疑問を呈していた。この人のこういう発言の根底に何があるのかは、私は知らないし格別に興味も持っていない。 私自身は自分の事は子供や亭主の前では、 少々バラスと恥ずかしいけどriccaもしくはアタシと呼び、近所の子供たちからは「壱男ちゃんママ」と呼ばれている。これで私自身がママという役割に埋没しているわけでもなく、自分自身を喪失して自信をなくしている、などということはない。そうはいいつつひとつ気になるのは、医者や保健所の人が私を「お母さん」と呼ぶのが好みではない。これはきのこが嫌いとかそういった趣味嗜好の問題で、これで私の自立が妨げられ、社会から一人前扱いされていない証拠とかいった、そういうこととは全く関係がない。 自分の周囲:社宅の母を見渡しても、みんな私と似たり寄ったりの状態にあるけど、決して彼女達が自立していないワケじゃあないし、自分自身をママに埋没させているというワケでもない。むしろ皆立派に自分の日常を収め、周囲とバランスを保ち社会性を持って生活している。そして皆それぞれに個性的で明るく楽しいオンナ達だ。 だから毎月送られてくる通信のこういった、子育て中のオンナを応援喚起するような内容に、少しも心が動かない。むしろ「ウルセーよ、あんた!」という気もする。でもこの通信の製作者が試行錯誤してがんばっているのも、よーく知っているので毎月目は通している。 前にも書いたけど、私は専業主婦って大嫌いだったし、無能で上昇志向のない現状維持なオンナだと思っていた。それは大間違いで、何の変哲も無いありふれた日常を、手のかかる子供達を育てながら、自分の日常を立派に収めている、生き方上手な人達だと今はむしろ思っている。 専業主婦も含めて社会一般の目立たない、マスコミなんかが決して取上げないような、そういうオトコやオンナが最近気になる。そう、ただの普通のオトコとオンナ達。別に人目を惹くような成功をしたというワケでもなく、格好良い職業を持ったというワケでもない人達。 ちょっと前の私こういう人達に寸部の興味も無かった。だって私の興味を持つものをもっていないのだもの。普通に平凡にありふれた生き方に埋没している人になんかに、興味はもてなかった。もっと人と違う方法で、分野で、成功している人だけにしか興味を示せなかった。 そういう私が変わった。 それは私が平凡にそれこそ主婦という一般名称に自分が埋没すること、それは自分が一番恐れ、もがき、苦しんでいたことなんだけど、それを自分に許すことが出来たんだと解釈している。「アタシはあなたとは違うのよ。」、などと顔に書いて生きていたのが、「あなたも私も同じ主婦で子育てがんばっているんだよね。」、などという感じに変わってきたのだ。 「主婦=格好悪い」が、「生きていくこと=格好悪い」に変わってきて、何やって生きていってもいいじゃなかと思う時すらある。でも寝る暇も子育てする暇もないくらい働いているオンナに、今でも同情はしない。憧れもしない。 雑誌とテレビの中でしか知りえないけど、自己満な働きを超えて他己満どころか、社会の役に立ち、世界中の人の役に立つような、そんな働きをするオンナがなんと増えたことか。そして自分自身も子育て中であったりする。私はこういうオンナ達の仕事の成果を評価する。 やはりオンナは進化したのだろうか。自分自身をも含めて進化したと私は信じたい。
2006年04月14日
壱男の保育園での第1声、「壱男ちゃん今日泣かないで歩いてきたよー。」。今日は久ぶりに弐女ちゃんも一緒に、朝の公園に寄ってから登園してみた。 昨日、園にお迎えに行ったとき、副園長先生とお話した。「グズっている時は子供が甘えたいサインを出している時。」、と副園長先生。壱男は甘えたがっているのは私も重々承知している。それで抱っこで登園したり、本人の希望通りベビーカーに乗せたり、と私なりに努力はしてきた。 「私も子供が3人居て、やっぱり一番上の子には随分と頼っちゃいました。上の子に下の子の面倒看させてたりとか。」、と副園長先生。「ある時医者に全員で行ったとき、お医者さんがこう言ったんです。『お母さん一番上の子から診せてください。』って、私は一番下から診せようとしてたんです。」、確かに下の子が一番小さいからいつでも気になるもんなんだ。 そして続く。「なんでも一番上の子から一番先にしてあげなさいって、その時言われました。確かに思い出してみると一番上の子には、親はいつも慎重で厳しいくせに、下の子には慣れているせいもあってつい甘くなってしまいましたね。上の子をいつも先にしてあげて、注目されている、大事にされている、ってわかってくると上の子が自然に下の子の面倒みるようになります。そして怒るときはきちんと怒ります。」。 今までの中で一番有難いお言葉。私もそうやっていはいるつもりなんだけど、やっぱり赤ちゃんの弐女ちゃんの方が手が掛るから、壱男には自分のことは自分でやって欲しいって思っちゃう。まあこれが精一杯なんだよね。「壱男ちゃんの赤ちゃん帰りの原因がお母さんがわかっているから、そのことを壱男ちゃんがわかるといいのよね。」。そうそうこれが大事なのよ。なんたってお話してわかって頂ける方達じゃないもんでさ。 それで晩に風呂で聞いてみた。「壱男ちゃんriccaと何したいの?。」と私。「お料理したいの。」。えっ、あれれ。抱っことかそういうのじゃないの?。なんか腰砕け~。 抱っことかベビーカーとかじゃ、どーもこの子の心には届かないらしい。じゃあどーしたら?。 それで朝の公園を再び始めてみた。3月になって登園時間を30分早めてから、朝の公園に行かなくなっていた。それを今日は私も気合を入れて、つまりそれは壱男を「早く、早く」と追い立てることになるんだけど、時間にしてほんの10分、15分の為に頑張ってみた。 久しぶりの朝の公園。冬の時のしんとした空気の冷たさはなくなって、今日の公園は明るい暖かい空気に変わっていた。でも昨日の雨でお約束のお滑り台はドロドロで、それは中止にして、一緒にブランコに乗った。それからままごとをして、花壇でお花を見て、工事現場で働く車を一緒に見た。 たったそれだけのことで、楽しく明るく今日の壱男は登園できた。そしてそれを自分で先生に大声で報告出来たのだ。なんかホヘって感じだけど、この子にとっては一緒に公園で遊ぶっていうのが、抱っこに勝っちゃうんだなあって思った。なんか自分の子供ながら、人の気持ちはよーワカランって感じがするよ。まあいっか。
2006年04月13日
今日のアタシ:保育園から戻って来てふと覘いた鏡の中の自分。なんか変な感じ。チークまで入れといて眉を引き忘れた顔。こんな変な顔で平気で駅まで行って、保育園の先生と顔も合せちゃった。ああやっぱりアタマぶっ壊れとる。 昨日40代のオンナの美を書いた後、少しまた考えを進めてみた。どうやら私は黒田知永子さんのしみやしわ、富田リカさんの肌の悪さ、紙面に登場する読者の隠しようのない年齢の現れた笑顔、そういったものを許せたのかもしれない。勿論自分自身をも含めて。 確かにしみやしわは無い方が美しい。私より年上の山咲千里、甲田益也子の美しさには脱帽する。そういうオンナの美も気にはなるところだけど、そういう表面の造形の美以上のものを、今年60歳になるジェーン・バーキンとか、再び続氷の微笑でヌードになるシャロン・ストーン、及び昨日の片山さつきに感じる。 年齢の入ったオンナの美とは何なのか?。全く使い古された言葉を借りるなら、年齢の入ったオンナの美はその知性にある、などと言ったらいいのだろうか。陳腐ではあるけどまあ的確な表現なんだろう。 例えば肌なんかは確かに知性にによって作られる、と言っても過言じゃないと思う。肌はその人の生活が如実に現れる。食生活も睡眠も習慣すらも。当然浴びてきた紫外線量も含めて。こういったことが長い時間積み重なって、年齢の入ったオンナの肌はある。ここに生活をコントロールして来れたか、それとも成り行きまかせだったか、そういうところにオンナの知性が出てくると思う。 そうやって気をつけていても、妊娠や度重なる苦労でオンナの肌にしみやしわは現れる。これをそのオンナの歴史と経験などと言うには、少し無理がありすぎる。このしみやしわをうまく隠してお付き合いするのが化粧。これがオンナの文化だ。ただの歴史と経験に文化をプラスする。 最近フェイスニングのDVDを買った。顔の筋トレだ。リンカーンの言葉で「40過ぎたら自分の顔に責任を持つ。」、っていうのがるけどこれって本当だと思う。顔の筋肉も使わないとドンドン衰えてたるんでくる。自分がどういう生活をして、どういう心持をして、どういう表情をしてきたかが、年齢の入ったオンナの顔のたるみに確実に出てくる。当然カラダも一緒。 片山さつきさんも、ジェーン・バーキンもシャロン・ストーンも完璧ではない。みんな同様に肌の張りは衰えている。余分な肉もついているしみもしわもある。そういう造形を超えてなおも人をして魅せるというのは、どういうことだろうか。やはりここに至る年月:知性や経験や生きる姿勢が醸し出した美といったら、格好良過ぎだろうか。 ここにひとつの発見をした。それは彼女達年齢の入ったオンナ達に美を見る、私の中に実は美が宿っている、ということ。つまり私は私の中の美を彼女達を通して感じているということ。やはり私の中に私だけの美は存在している。あとはそれをどう表に出すか、という課題をクリアするだけなのだ。
2006年04月12日
ここ最近STORYという雑誌を買っている。黒田知永子さんが表紙の雑誌。JJ→CLASSY→VERY→STORYと続く、一連のコンサバ系の雑誌。黒田さんはこの元JJモデルで一時代を築いた人らしい。 らしいというのは、私は若い頃からアンチJJ派でアンアン及びエル・ジャポン派だったから。とにかく私は若い頃は普通の格好、つまりコンサバな格好をするのが嫌いで嫌いで、それとDCブランド全盛期が大学生だったっていうのもあって、今思うと変な格好をしていた。加えて背が高くて巨乳で腰位置高めだったから、当時の9号とか11号だとパンツや袖丈や胸囲が合わなくて、そういう理由からもコンサバ服は苦手だった。だから現役の黒田さんを知らないのだ。 で大体この頃はコンサバ系と私のようなDCブランド系は対立構図で、大抵お互いの悪口を言い合っていた。そしてオトコ受けという点ではコンサバ系に勝るところ敵なし状態。それがまたDCブランド系から見ると「媚」に見えて対立は激化。なあんてことがあった。 そんな私が最近好んでこのコンサバ系雑誌を読んでいるのは、年齢と供に自分がコンサバ化したというワケでもなく、相変わらずブランドカタログ化した紙面造りには鼻白みながらも、この雑誌の行間にそこはかとなく流れるナニカに共感しているから。それと読者投稿欄がなぜかしらものすごく真面目で真摯なんだ。まあ購読者の年齢層のせいもあるんだろうけど、40代という人生の重みみたいなものを感じさせてくれる、そういう投稿が多いんだ。 このナニカっていうのはまだよくわからないんだけど、ひとつは40代のオンナの美っていうものかな。オンナの美っていったらやっぱし若いオンナの肌には、誰しも勝てないもんで、みんな少しづつ毎日それが失われている。そう若さ=美っとまでは言わないまでも、それに近い所で皆さんアンチエイジングなさっていると思う。でもオンナの美ってなんかそれだけじゃないんじゃないの!、っていう気がこの雑誌を読みながら、少しづつ見え始めて来た。 前に中学時代の同級生のマチュが遊びに来たときにこういった。「歳を取ると段々目の下が長くなる。」。赤ちゃんの顔は顔の半分以下の位置に目がある。だから幼くそしてかわいい。それが成人してだんだんと目は顔の半分以上の位置に収まる。それが加齢とともにもっと上の位置にくると、マチュは言っている。 STORYのメイク特集でも40代にになると、目が小さく見えてくると出ている。確かにマチュの言うとおりかもしれない。そして誰しも平等に受ける重力のせいで、鼻はわしっぱなになり、鼻の下が長くなり、口角が下がる。当然目じりも下がる。 STORYの読者モデルの富田リカさんにもしわがある。黒田知永子さんにもしみもしわもある。ここに登場する読者の写真にも当然しみしわ白髪がある。そして当然私自身にもある。みんな隠しても隠し通せなくなっているのが40代なんだ。こういう加齢のもっと先にナニカ少しづつだけど、40代のオンナの美の方向を感じている。 しみをとってしわをなくして髪を染めて、年齢より若く見られる、それだけが加齢の始まったオンナの美ではないのではないか。今月号の政治家の片山さつきさんのグラビアを眺めながら思う。若いだけが美しいワケじゃない。もっとその先:beyond what she is。そこに美が存在する。片山さんを通して藤原美智子を始めとする、全員女性スタッフの意気込みを感じる。きっとこういうことはオトコにはわかんないだろう。 使い古された言い方をすれば、「オトコに媚びない」美がある。ここでオトコ受け最優先のコンサバ系雑誌で、なぜ?、ありなの?という素朴な疑問に出会う。このフレーズってアンアン、エル・ジャポン専門じゃなかったけ?。そうあの頃の対立なんてすっかり終わってしまって、みんな平等に歳を重ねたということなんだろう。 なんか自分の美を追求してみたくなった。それは決して若肌を目指すものでもなく、かといって開き直りでもなく、私だけの美。女性の人生も80年だから、50代でシニアのファッションモデルデビューというのも、これからなら十分ありえる。なんだか面白そう。
2006年04月11日
壱男は今日もベビーカーで登園。その間弐女ちゃんは布団でおねんね。この弐女ちゃんもとうとう寝返りをした。第1回目は6日。丁度風呂に入る直前でワサワサしていたときにクルンコした。それはあっちゅー間の出来事で、本人も「」なんかあった」みたいな表情。2回目は8日。この時は夕飯時で私はその瞬間をしかと目撃した。そして壱男と供に拍手。弐女ちゃんも「やったぁ」って表情。う~んかわいい 飯田史彦さんの新作「ツインソウル」を読んだ。ここで今の私にとって必要な情報を得ることが出来た。著者は脳出血で緊急入院そして手術を経て、幽体離脱を今回は経験した。その途中で究極の光や同志と呼ぶ光と会話をし、そして新たなエネルギーを補給して再び戻ってくるのだ。 この会話の件が「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)ちっくで興味深い。ウォルシュの神はちょっとブラックで辛らつで歯に衣着せない。そして飯田史彦さんの究極の光は余計な事は言わない。両方とも同じ神なんだけど、解釈する人が違うと個性が違ってくるのが面白い。神と宇宙はUnuverse(普遍)と言う意味において同義で、神は私達の中に内在し宇宙もまた同じなのだ。自分の外に神を探し、そして星空を眺めて宇宙を探しても見つかることはない。 肉体を離れて魂の存在となって飯田さんは、究極の光に再び出会い問われる。「充分に学んだか?。」「充分に愛したか?。「充分に使命を果たしか?。」 この3つの問いが人がその生を終えた時に、神から問われることなんだそうだ。そして魂となった人は自分の人生を省みて、どんな人もこの時は謙虚になるという。つまり充分には出来なかったという思いをみなここで抱くのだ。「学びに終わりはない。大切なことは努力したかということ。」と究極の光は言う。そして「その自分を誇りに思いなさい。」とも言う。 今の自分自身を考えてみると、私は愛について学びの真っ最中なんだと思う。普通なら我が子は皆掛値なしでかわいい。その我が子に私は疲れ、困惑し、悩んでいる。「自分の子供がかわいいと思えない。」と。 昔から愛ってピンときたことが無い。亭主に対しても「愛している」という感情は無い。あるのは「大好き。」という感情。映画やテレビの中で男女が交し合う、あの「愛している」という感情は私にはわからない。親子の間でも交わされる「愛している」も、私にはわからない。 愛ってきっと器の中の水みたいなもんじゃないかって、時々思う。恋愛中の男女という器の中に入った愛は、お互いを激しく求め合う愛の形を持つんだろうって。親子という器に入った愛は、親は子を敬い、子は親を敬いってなるんだろうか。とにかく中に入った愛はかわらないんだけど、器が変わるとその表現が変わる、そんなもののような気がしている。 私と壱男の親子の愛。かわいいばかりじゃない愛。この子が自分で生きていけるように育てていかなければいけない、そんな愛もあるのかもしれない。厳しさを伴った愛。今ばかりではなく遠い未来にも気を配る、そういう愛。この子が成人して自立するまでに、私はいろんな愛を学ぶんだろう。 私みたいないろんなことを考えないで、悩んだりしないで子供を育てていける人もあるだろう。そういう人を見るとどうも正直惨めな感情が湧いてしまう。これからはこういう自分に誇りを持とう。なぜなら私は愛そうと努力をし、学ぼうと努力をし、そして自分自身を余すところなく表現するという使命に努力しているのだから。決して逃げたりしていないのだから。これこそ誇り:プライド。 今は苦しいけど、きっと乗り越えられるだろう。乗り越えられるからこそ、学びの機会がやってきているのだ。いつの日か必ず熱い涙を自分自身のために流す日がやってくる。その日まで誇り高く生きてみよう。私は誇り高いのだから。
2006年04月10日
今日の午前中は急に思い立って、ハーブガーデンに車で出掛けた。もう私達夫婦のハーブ暦は結婚以来だから10年以上。といってもたいしたことはなく、いろいろなハーブに手を出したものの、結局セージ、ローズマリー、タイム、バジル、これに落ち着いた。 春になって大分暖かくはなってきたものの、今年は随分と風が強い。これだけ風が強いとさずがの壱男も怖がって、外でなかなか遊べない。それで車でどこかに出掛けようと思いついたのだった。 ハーブガーデンは隣の県で私達は地図さえも無い。亭主は根っからの方向音痴で、頼るは私の天性の方向感覚のみ。私はどういうワケかいつでも自分達の進む方向がわかる。外れることもあるけど。 そういういい加減なドライブに家族で出かけた。いつもの事ながら、私がこっちといっているのに、亭主はあっちにハンドルを切る。そういうことを繰り返しながら、住所的には近くに着いた。こうなると私は再び感が冴え渡る。絶対あっち!。でも根拠が無いから、一応亭主に道路沿いにある地図で確認してもらう。 そして目的地に到着。とっても小さなハーブガーデン。全然次期早々のハーブガーデン。ハーブのアロマが今一歩。でもいつもハーブガーデンに来ると、物凄くリッチな気持ちになるのはなぜだろうか。そして必ず買い物したくなる。 バジルとタイムとワイルドストロベリーの苗を買った。今年はしばらく休んでいたガーデニングを再開したいなあ。やっぱり花って大好きだし、花の香りって癒される。 ショップに足を運んだら、亭主と私はある品物に目が釘付けになった。それは「梅酒」。このハーブガーデンはもともとは梅園。隣地は今でも梅園。それでここで採れた梅で梅干や梅ジャム、そして梅酒が販売されている。うす黄緑色の透明な液体がほんのり梅の香りを連想させる。 お買い物好きな私達は、お互いの確認を待つ前に当然梅酒の購入は決めていた。こういう時のお互いの感はよくあたる。これはきっと美味しいにちがいないと。 晩にフィレちゃん親子を招いて梅酒を飲む。あまりの濃厚な梅の香りに私は胸がつまって、むせ返ったほどだった。そのぐらい濃い深い味わいの梅酒だった。梅酒って美味しいもんかもしれない。母がホワイトリカーで作っていた梅酒しか知らない私にとっては、未知の梅酒だったのだ。 今年は梅酒を造ってみよう!。これは楽しいかもしれない。美味しく出来たらみんなに振舞ったら、もっと楽しくなるかもしれない。ハーブガーデンに来て梅酒に出会うなんて意外なことだったけど、なかなかオモロイ出会いであった。
2006年04月09日
今日の午前中は社宅の掃除。亭主は午前中だけ休みで午後から仕事。だから珍しく一人で掃除に参加できた。 掃除のときに壱男と同じ歳くらいのお子さんのいる、社宅の母にいろいろ尋ねてみた。「トイレトレーニングってやってる?。」と私。「全然やってないなあ。」と母。「保育園でトレイが遅れてます、って言われちゃってるんだあ。」。「えっ、まだ2歳でしょ!?。○君なんか幼稚園の年さんの時オムツ外れてなかったよ。」。「えっ、幼稚園でオムツ外れて無くても可なの?。」と私びっくり。 2月の保育園の個人面談の時、担任のゆー先生から、*食事の時口に詰め込みすぎること、*トイレトレーニングが遅れていること、*お友達のちょっかい出しすぎること、なんかを厳しく言われた。そして家ではそれに対してどう対処しているか、を問いただされたのだった。 幼稚園でオムツ可っていうのは、新鮮な発見であり、と同時に壱男のトイレが一概に遅れている、などといって子供を追い立てる必要性のないことに気がつかされた。壱男のトイレが遅れているというのは、園の保育方針の中での枠組内での話であって、これが全てでないことがよーくわかった。こんなことは幼稚園、小学校、中学校といくらでもある。 そして恥も外聞も怖れずほかの母にも聞いてみた。「うちの子は1ヶ月くらいではずれたかなあ。」。「最初の子の時は、私もきーってなって無理矢理になってたけど、下の子はずっと面倒でやんなかった。でもや始めたらうちは3日で取れた。」。「外れる時期っていうのがあるみたい。でも最初のこの時はきーってなるよ。」。 壱男はもう3ヶ月近くトイレトレーニングをしていて、目だった成績はあげていない。それで私も段々面倒になってきているし、壱男もトイレが嫌だというようになってきている。私はこれには困ったなあと思っていたのだ。 ここまで話を聞いて私の腹は決まった。園は園の方針でいけばいい、それに文句を言うつもりはない。来月面談がまたあるんだけど、その時きっと同じことを言われるだろう。でも大丈夫。私は揺るがないでこの子を守ろう。この子の成長のタイミングを大切にしよう。 「いつもいつもお手数掛けて済みません。トイレも遅れていて済みません。お友達とのトラブルも済みません。お食事も下手で済みません。」。先生にいくらでもアタマを下げよう。 これは2月の面談の後、子育てに行き詰ってしまって、おばあちゃん代わりの昔なじみのヨス子さんに相談した時、こんなアドバイスをもらったからなんだ。その時私自身も保育園のやり方が少し厳しいのでは、って思っていて園に抗議したところだった。 「あんた、園に文句言ってもしょうがないよ。壱男ちゃんの立場がかわいそうになるよ。こういう時はひたすらアタマを下げるんだよ。これはね、アタマの下げ始めなんだよ。」。 「何それ?。」と私。「オトコの子はこれから近所のガラス割っただの、お友達に怪我させちゃっただのって、親はアタマ下げっぱなしなんだよ。」。とこういう話があったんだ。 そうアタマの下げ始め。私はプライド高いけど昔から自分が悪いと思えば、素直に謝れる性質だし、こんな安いアタマいくらでも下げられる。私のプライドを守るより、ここは子供のプライドを守ってやりたい。 壱男のオムツが今年外れなくても良い。みんなよりお食事が下手でも良い。だって左利きなのに右で食べさせている私達にも、その原因はあるんだから。壱男の速度で成長していってくれていい。私と亭主はいつも味方だよ。と仕事に出掛けていく亭主と急ぎ話し合った。
2006年04月08日
壱男語録:「弐女ちゃんになりたい。」。壱男に振り回されっぱなしな私。「どうやったら弐女ちゃんになれるの?。」と私。「トラックで遊んだり電車で遊ぶとなれるの。」と壱男。どうも意味不明。べでぃかー:ベビーカー。おがぐるま:乳母車。 昨日までのスリングに続いて今日は壱男が前からうるさく希望していた、ベビーカーに乗って登園。それもこの子のために買ったマクラーレンのストローラーじゃ嫌で、いつも弐女ちゃんが乗っている、AB兼用の10年選手のボロベビーカーがいいと言う。 「ベビーカー楽しい?。」と聞くと、「楽しい。」とうれしそうに答える。この子と同じクラスの子供はまだまだ、登園はだっこかベビーカーっていう子が多い。でも壱男は2歳になる前から子供の足で20分強の道のりを、自分の意思で歩いて登園してきた。 それが弐女ちゃんが生まれてから、急に抱っこだのベビーカーに乗りたいと言い出すようになった。そうは言われてもすでに弐女ちゃんが乗っているから、ベビーカーには乗せられないし、抱っこしてベビーカーを押す体力は産後の私には無かった。 ベビーカーのハンドルがうまく操作できない。壱男が成長して体重が増えて、前の車輪に重さが掛ってハンドルを取られる。弐女ちゃんを乗せているのとは全然違う感覚。 壱男をかわいいと思えない私は苦しい。でも壱男をかわいいと思うことと、壱男を愛するということは、別なことかもしれない。 今の壱男を手放しでをかわいいと思うような感情は薄いけど、壱男の将来を考えて、壱男の事を考えているのは確かなことだ。これも愛なんじゃないかと。 でも今の私は自分が一番かわいい。 これが一番正直なところ。
2006年04月07日
朝保育園に壱男を置いてくる時、必ず決まって先生達はこう言う。「お預かりします。」と。ここは子供を一緒に育てていく場所というのは、私の勝手な勘違いで、ここは子供を安全に預けるだけの場所かもしれない。今週から壱男は進級して「うさぎ組」さん。お教室も変わって先生も変わって、お友達も少しだけど変わった。そして壱男も変わった。「保育園行きたくない。」。そして涙。この前も保育園の玄関で、この言葉を連発して泣いた。そのとき担任のゆー先生がこういった。「あら、壱男ちゃん嘘泣き!?。」。このゆー先生は、前年度のぷりん組の時から一緒。確かに一緒に入ってきたお友達が、最初に「保育園行きたくない。」、と泣き出してから壱男はもらい泣きしだしたのは事実。そしてゆー先生の言うとおり、大して涙も出てはいない。私は先生のデリカシーの無さにいらだったのつかの間、お決まり文句「お預かりします。」、といってゆー先生と子供達は教室に消えていった。この環境の変化が壱男に変化をもたらしたのか、その相関関係はわからない。ただ壱男は「赤ちゃんになりたい。」とか、今まで保育園でほとんど泣かなかったのに、急にしくしく泣いたりと変化を見せている。弐女ちゃんが生まれて9ヶ月目になって、やっと少しだけ楽になったかなあ、と思った矢先に壱男に再び赤ちゃん返りの兆し。やんなっちゃうなあ。どうしたらいいのかな。保育園は育児相談所じゃないから、相談してもなんかかわされちゃうってのあるしなあ、やっぱり子育てって孤独だなあ。なんて思いが私のなかをよぎった。保育園にはお便り帳っていうのがあって、降園後の生活を家で書く欄があって、私はここに子育ての悩みなんかをぶつけてきた。確かに返事はあったけど、なんか頼りないかんじだったなあ。園長先生に直に相談したことも何度かあるけど、答えてくれる時もあれば、かわされちゃう時もある。そして最近はこう言われた。「おかあさん、園の中でお友達を作りない。」。私はここで自分のことを孤高だってかいているけど、実際の生活ではかなり気さく。誰とでも話すし、しかもなんでも話す。ただその人を友達とすぐには認めたりはしない、そういう慎重なところはあるけど。社宅でも子育ての悩みを随分とぶつけてみた。でもあまり芳しい結果は得られなかった。みんな自分の目の前の子供に忙しいんだ。じっくり話しなんか出来やしない。それと自分も含めてなんだけど、子育ての最中って時間が矢の様に過ぎてしまって、ちょっと前のことも思い出せなかったりする。それで「忘れちゃったなあ。」、なんて答えが多い。まあそんな折、新任の先生がこういう言葉をかけてくれた。「甘えたいときに十分甘えて、自分から離れていく。」、これと似たようなことを、心理学者の河合隼男さんの著作で読んだことがある。弐女ちゃんが生まれる前後、壱男は丁度2歳になって、2歳特有の反抗期と自我の目覚めから、「自分で~。(やりたい)」を連発するようになった。実際は自分で出来ることは少ないんだけど。それと並行して園でも、自分の事は自分でという方針の下、壱男はいろんな事が自分で出来るようになった。靴が自分で脱げる。そして履ける。靴下が自分で履ける。そして脱げる。オムツが自分で履ける。そして脱げる。お箸が使える。沢山のことが出来るようになった。そして私はこういう壱男に多くを期待した。というのは子供が二人になって、家事も増えたしやることは増えたしで、壱男が自分の事を自分でやってくれなくては、やっていけないし、乗り切ってもいけなかった。だからぐずっても泣いても、なだめすかして、怒鳴って追い立てて、壱男には自分のことは自分でやらせてきた。今これについて、私の中で反省が出てきた。「壱男に厳しすぎたかもしれない。」。私の中にはずっと怖れがあった。壱男を甘やかすときっとつけあがる。図に乗る。だから絶対甘やかさない。そう固く信じていた。朝私が寝ているうちの、「オパ頂戴」といって、私の布団に入って来て、心行くまでおっぱいを飲んでいつもこういう。「弐女ちゃんにおぱちゃんあげていいよ。」。これが十分甘えて自分から離れて行く、ということなのかもしれない。私の直観がささやく。昨日は雨が一日中降ったから、弐女ちゃんは連れて行けない。弐女ちゃんのお昼寝を利用して、壱男と二人で登園した。帰りは「赤ちゃんになりたい」、という希望を叶えるべく、久々にスリング用意して壱男を迎えに行った。そして12キロ以上ある壱男を抱いて、家に戻った。勿論私は肉体的にはヘトヘト。でも壱男は満足。壱男の「赤ちゃんになりたい」、大人から見ればクダラナイ事だけど、そんな壱男の気持ちに寄添うことも大切かもしれない。しばらく壱男を赤ちゃんにしよう。そう亭主と昨晩は話した。壱男をかわいい、と手放しで思えない私は苦しい。でもなんとか愛そうと努力はしている。そうどんな壱男であれ、愛そうと努力はしている。今の私にはそれしか出来ない。
2006年04月06日
壱男語録:「保育園行きたくないよ~。」。このところ朝これが多い。今までこういうことはなかった。どーしたらいいかなあ。どーもしなくてもいいのかもしれない。こういう壱男に付き合ってみよう。トホ!。私の座右の銘は、「孤高を保て」。なんと中学時代からずっとこれ。すでに30年近くこれ。なんでこんなに若いうちから、これ1本でこれたのか最近わかった。細木数子の六星占星術で私は土星人+。ここにも孤独の文字が出てくる。孤高と孤独は私の中では全然違う。孤高は孤独よりプライドが高い。唯我独尊っていうこと。まあお山の大将なんだなあ。自分でも気がついているけど、孤高っていうのは、根本的に協調性は0なんだよね。だけど親に周りと合わせることはしつけられているから、学校でクラスに迷惑を掛けたりはしなかったけどね。学校の選択授業とかで、自分は右に行きたいと思ったら、自分ひとりでも必ず右に行く。普通ならやめちゃうよね。こういう所も孤高だし協調性はない。私のホメオパシーの根本レメディ:ソーファも同じ事を語っている。そう、生まれついた星も、生れ落ちた肉体も、不思議なことに孤高のお印がついているんだよね。だから幼い頃から、「孤高を保て」なんていう言葉が、自分にピンときちゃうんだよね。私のようなオンナは、会社勤めが物凄く心の負担になる。学校のように自分で右左を選べない。歯車のひとつになりきれない。がんばってがんばって、みんなと同じように感じて、(つい違ったことを感じてしまう。)同じように考えるのが実はストレス。(ついつい奇抜な違ったことを考えてしまう。)これが出来る人は勤めが出来る。友人の会社経営者のフィレちゃんとの会話。「私はもう勤めをする気はないんだ。組織の求めるお姉ちゃんの枠からはみ出しちゃうし、仕事に責任持とうと頑張ると、今度はオトコからの風当たりが強くなって、仕事よりそっちの対策の方が大変になるから。」。「わかるよ。オンナの子って結局群れてるだけなんだよ。でもriccaみたいに自立しようとすると、今度は軋轢が出来る。」とフィレちゃん。そうかといって。スーパーのレジ打ちのような、本当に地味で末端の十把一絡げ扱いの仕事は、今度はプライドが許さない。これは私のわがまま。だから今勤めはしない。亭主は全部をわかってくれている。亭主のやさしさの下、今の専業主婦の暮らしは私に合っている。放って置いても孤高だし、誰にも合わせる必要がない。まあ子供には随分と合せさせて頂いているけど。結局は私のわがまま放題ってことなんだよね。六星占星術で仕事運を見ると、自分の個性を出して、つまりあまり協調性を必要とされないというか、みんなと一緒でないことに業績のある職種。そして美に関係あることが向いているという。建築を選んだ事は全くこの占い通りだったんだけど、現実じゃ何かが違う。何が違っていたかというと、組織で働いちゃあダメだったんだよね。みんなと同じ事を考えて、同じ事をしなきゃあいけなかったからね。一人もしくは自分が組織を引張る、そういう方向で建築しなきゃあいけなかった。でも若いうちからこういう働き方は出来ないよね。割とこの日記でもふれているように、私は美とか文化が好き。そういうのがないと生活自体が、砂をかむような感じがする。今は美と文化とは程遠いけど、自分の内面を言葉で表現していると思っている。格好よく言えば、私の文化を言語表現している。本当は言語表現は好きじゃない。でも今の置かれている私の環境を鑑みると、残念なことに言語表現は私に最適なんだ。出来るなら身体表現、もしくは絵画、造形表現をしたい。一番興味あるのは美。これを表現したい。でもそれは建築に進んで以来自分の中に封印している。理由はよくわからない。とにかく永いこと絵は描けていない。孤高、文化、美がこれからの私のキーワード。
2006年04月05日
壱男語録:「壱男ちゃん赤ちゃんになりたい。」。やっと言わなくなったと思ったら、再び登場してきたこの言葉。9ヶ月目の弐女ちゃんが成長して、ニコっと笑ったり、寝返りしそうでしなそうな感じが、とってもかわいい。私も亭主もそれが隠せない。でも壱男はそれが面白くない。それでか知らないけど、弐女ちゃんのお袖についていた、ヒヨコちゃんの小さなお人形をむしりとって、自分の物にしてしまった壱男。弐女ちゃんの物はなんでも自分の物にしてしまいたい壱男。困ったねぇ。長男壱男の通う保育園の近くに薬局がある。大体朝は9時前からすでに開店している。子供の綿棒とかちょっとした雑貨を買うときに、朝ここを利用していた。ここには看板娘がいて、といっても70歳近い看板女将がいる。風貌は正直言ってオカチメンコ。でもとっても愛嬌のあるおばあちゃん。この女将の肌がキレイとは言い難いんだけど、なんか健康的でハリがある。「お肌キレイですよね。」と私。「あなたより寝てないのよ。」と女将。どうも寝ないで働いているらしい。女将の肌に惹かれて、ここで化粧品の相談をすると、必ずといっていいほど、法外なお値段の化粧品を勧められる。デパートならまだしも、小さくて決してオサレとは言い難い店が、何万円もするクリームを勧めるのだ。なんか不釣合いな感じがする。化粧品に限らず、コットンなんかの化粧小物なんかも、女将は必ず一番上等の物を勧めてくる。何度か通っていろいろ話をする機会があって、にこの女将を信用してもいいのかも、などと段々に思い出してきた。美容家の佐伯チズの本を読んだとき、こういう良心的な美容部員が、デパートにいるとは、全然知る由もなかったと思った。佐伯チズは美容部員時代に、お客が正直に金銭的余裕はないけど、ここの商品をぜひ使いたいといえば、金額に見合った、なおかつここの一押し商品をセレクトしたと言う。私なんぞは、デパートの美容部員なんかに相談したら、まず高いものをセットで勧められて、とんでもないことになってしまうんじゃないかと、長いこと思っていた。女将の商品勧め方に最初はそういう勘ぐりをしていたが、ここ最近になって女将と佐伯チズが重なり合ってきた。子供を産んでから、40歳過ぎたせいもあってか、肌は確実に歳をとった。それ以前は添加物フリーの自然派化粧品以外使うまい、としていたが、もうそんな生易しいものでは、今の私の肌には効果は現れなくなってきた。それで雑誌で効果のありそうなもの、興味を惹いたものなんかを、買って使ってみたものの、ここにきて投資の割りに、結果がイマイチなことに気がついた。こりゃあ、やっぱし専門家のご意見を仰いだ方がいいかなあ、そのほうが実は安上がりかもしれないなあ。なんて妙に素直な気持ちになってしまった。というのも70歳近くてあの肌なら、人生楽しいだろうなあ、と思わせるものを女将に感じたからなんだけど。女将はいつも明るくて楽しそう。確かに素顔はオカチメンコなんだけど、化粧をしている時、パープルのアイシャドーなんか入れているんだけど、それがとってもかわいい。おばあちゃんでお化粧してキレイになる人なんて少ない。歳とってもオサレが決まって、お化粧してキレイになれるんだったら、それは絶対生き方上手で、人生を楽しむ引き出しを、ひとつもふたつも余計に持ったと言えるんだと思う。だから佐伯チズさんが世の中に受けるんだろうなあ。女将の勧める法外な値段の美容液なんかはとっても無理だから、私の買える範囲の物を相談しながら、買ってみた。そしたら「今プレゼント期間なのよ。」、と買った金額以上のものをプレゼントしてくれた。こういうところが、オサレやお化粧以上にこの人を、チャーミングにしているんだろうなって、ニヤニヤしながら家に帰った。
2006年04月04日
今日は心の闇の正体について書いてみたい。まず私の心の闇はどういう時に現れるかというと、相手は自分の子供つまり壱男。壱男が私の言う事を聞いてくれない時、何もかもうまくいかない時、弐女ちゃんは泣いてる、壱男はうるさい、今やんなきゃあなんないことが山積っていう時、疲れている時、何もかも自暴自棄になっている時、こういう時にアタマがカァーってなって、壱男をぶったりどなったりしてしまう。これが会社で相手が上司なら、絶対同じ事はしない。つまり私は相手が子供、それも私より小さくて弱い存在だから、手を出している。卑怯なオンナ。必ずしも壱男が悪いことをして、それを叱るというワケではない。きっかけはそういう事だったりするときもあるけど、心の闇が現れると、あくまで私自身の問題で怒りまくってしまう。この私自身の問題っていうのは、私自身が母親に同じように、感情的に叩かれたというトラウマだったり、私自身の忍耐力のなさだったり、と理由はいろいろある。壱男が悪くもないのに、私自身の問題で怖い思いをしたり、ぶたれて痛い思いをするのは、やっぱりよくないことだから、なんとか心の闇を封印したいと願いつつ、今に至っている。その理由のなかで一番頻繁に現れるのは、私自身の「わがまま」であることに、最近やっと気がついた。自分の思うように壱男をコントロールしたい、自分の思うように物事を進めたい、自分の思うような環境を作りたい、そういうあるがままを受け入れられない、自分の思うようにしたい、という私のわがまま。わがままが通らなくて、私は壱男に怒りをぶつけて、心の闇を爆発させていた。やっていることは、2歳の壱男とそう代わり映えしない。わがままなオンナ。そう、卑怯さとわがままが私の心の闇の正体。自己弁護をさせてもらえば、2歳児と0歳児の二人の子供がいて、どちらもとっても手が掛る。両方から一度に要求をだされても、対応しかねる。っていうか出来ない。それを泣いて抗議されても、私もどうにもならない、という紛れもない事実はある。これが疲れに繋がっていかないワケはないのだ。あとは自分を取り巻く環境。あれが美味しい、あそこは随分と楽しいらしい、あの人は子供がいてこんな事をやっている、あの人は子供がいてもとってもキレイ、とか情報が入り込みすぎる。「私には私の幸せがある」、と簡単に自分を納得させられなような、環境がある。これが自分をわがままに走らせると言ったら、恥ずかしいことだろうか。まあ悲しいかな、これもあれも全部自分自身の選択なのだ。亭主の実家に転がり込む事だって、出来るのだから。そして子供たちもこういう母親を選んで、ここに生まれてきている。お互い選択しあっている。やはりここが肝要なのかもしれない。これからも私は自分のわがままwatchから気が抜けない。
2006年04月03日
天気予報があたって今日は午後から雨。昨日のうちに花見に行って正解!。午前中はいつも行っている美容院に、カットとカラーをしてもらう。スタイルはここの美容師パリさんにおまかせ。最近の私はオサレなんかとってもとっても程遠い感じ。パリさんが面白いことを言っていた。彼は美容師だから休みは平日。どういうワケかこういう日に限って、宗教からお誘いが来る。それで最近新しくこういう勧誘を断る手を考案したそうな。そしてこれが大ヒットなんだって。「えっ、どうやって断るの?。」と私。「普通は家は○○教です、とか言うのを止めて、いきなりドアを開けちゃう。そして、どーぞ中にお入りください、って言うとみんな逃げちゃう。」だって。ここで二人で大笑い。「なんで逃げるの?。」と私。「怖いんじゃないのかな。」とパリさん。午後は家族4人でお昼寝。3時間も寝てしまった。そして夕方から、昨日に引き続いてフィレちゃん親子がやって来て、フィレちゃんの沖縄出張土産の泡盛で宴会。冷蔵庫の有り合わせのおかずと、昨日仕入れておいた湯葉と豆腐で、泡盛のお湯割りを飲む。私達は最近何かにつけてお酒を飲んでいる。去年はこういう事は滅多にやらなかったんだけど、お互いいろいろお疲れなんだ。亭主は全然面白いオトコじゃないし、子供はうるさいし、もう手がかかるしで、大して盛り上がらない宴会なんだけど、なんかいつもの家族だけの夕飯より、気分は楽しい。家庭に違う風を入れるのって、これもひとつの生き方上手なんだと思う。私の父母も行き方上手とはいえなかったなあ。生きていくっていうのは、自分の思い通りにならないことばかりだし、学びと言えば聞こえがいいけど、壁にぶち当たることばっかりだから、花見でもなんでも理由はどーでもいいから、なにか息を抜く術を持ったほうが、生きていきやすいと思う。宴会もいいし、スポーツもいいし、買い物もいいし、芸能人の離婚結婚で盛り上がるもいいし、真面目で正しいばっかじゃない。大体カラダに悪くて、くだらないことが一番楽しくて、息抜きになるもんなんだよね。明日から壱男は「うさぎ組」さんに進級。もうすぐチャカは2年生。今年もお互いよろしくね。
2006年04月02日
珍しく土休を取った亭主。ていうか私がごちゃごちゃ言って休んでもらった。だって天気予報じゃ明日は雨らしいから。そう私は今日お花見に行きたいんだよん。昨日から仕込みをして、私は今朝は朝からちらし寿司作りに励んだ。お雛様のときに飯台を買ったので、使わないともったいない。気合を入れて、気分を盛り上げて、母が使っていた三段重に、お寿司と煮物と焼き物をつめてみた。亭主の携帯がなって、シングルファーザーのフィレちゃん親子も支度が出来て、みんなで近所の親水公園になっている、川沿いの公園にお花見に出掛けた。今日はいつもより風がなくて安心。海が近いと内陸より結構風が強い。お箸でもコップでも何でも飛んでいってしまう。でも今日は平気。フィレちゃん達がデパートで仕込んできたお惣菜と、家のお重を広げると、もう食べきれないほどのご馳走。桜が満開で、沢山の人がシートを広げてて、みんな思い思いのお弁当を広げてて、もうそれだけで気分が楽しくなる。なかにはビールと袋菓子だけっていう、お手軽な人もいたけど。子供たちはもう気分に浮かれて、当然食べない。すぐに遊びたい、って言い出す。大人はここに来るまでにすでに、いろいろ準備があったから、すごくお腹が空いている。ころあいを見て亭主が子供たちをボートに載せに行った。シートには私と弐女ちゃんとフィレちゃんが残った。「前期は儲かりすぎちゃって、税金払いまくりだったよ。」とフィレちゃん。この人は会社経営者。元々はオーナー社長だったけど、大手企業から出資を受けて、今はその傘下の系列に入っている。「親会社から大阪に支店出せって言われるし、オレもうこれ以上働けないよ~。」と言う。この人は国内外を問わず出張は多い。その度に駅向こうのおばあちゃんのところに、息子のチャカはお泊りする。おばあちゃんはも70歳を過ぎている。いつまでもこういう生活が出来るとは限らない。シートにゴロンと横になったフィレちゃんに、私はなんか寂しさを感じた。こんな話って普通は女房に言う話だよ。仕事するって世知辛いことが多いから、愚痴のひとつもポロリとこぼしたい時に、相手がいないのは寂しいよね。母が亡くなった後、父はよく私に愚痴をこぼしていたっけ。真面目な私はそれを真に受けて、よく父のことを心配して、心配で胸が一杯になったもんだっけ。ちょっとしんみりしていたら、ボートに乗った子供たちが大声出して、手を振ってきた。私達も手を振り返す。女房いないのもこの人が決めたことなんだから、子供を自分で育てることを決めたのも、この人自身なんだから、私が心配しても始まらない。そしてボートは去って行った。「ねえ、会社で海外旅行やってんだからさあ、フィレちゃんの経験生かして、アジア揉み疲れツアーとかって銘打ってさ、マッサージ専門企画なんかやったら!。」、なんてジョークを飛ばしてみた。この人はマッサージチェアーを2台も壊す、鋼鉄のカラダを持った、コリコリオトコなんだ。出張しては毎晩マッサージを呼んで、マッサージにはかなりうるさい。「ビジネスホテルマッサージ紀行とかって、本出したらどうよ!。」と私。ここまで言ってフィレちゃんの気分も変わって、二人で笑った。くよくよしてたってどうにもなんないよ。友達だし、家も近いんだし、協力出来ることは亭主も私も協力するよ。とにかく一緒に前に進もうよ。ここで出会ったのも何かの縁だよ。
2006年04月01日
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