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NHKBSで「詩のボクシング」大会を観た。これに参加しようとしている私としたら一応敵情視察。今、詩はどう進化したのか知りたかった。 ここで面白い言葉に出会った。「詩は言葉の限界に挑もうとするもの」とか言う言葉。それは言い換えれば言葉の可能性に挑戦するもの。面白いジャン。やってみよう。 現代の詩は、 先日「詩は苦手」って書いた頃と時代は進化していて、誰も詩の読み手聞き手に、「さぁ、俺様は詩だ!。さぁ、これを読んで今すぐに感動しろ!。」なんて強要しない。むしろ詩の方にパワーがあって、読み手聞き手に迫ってくる。 言葉が聞き手読み手の心の裏を刺激する。刺激された方は時には思い出したくないことを思い出し、もう済んでしまったことを思い出して悔やんだり、見たくない物をぶちまけられて困惑したり、一人一人の心にドラマが始まる。 でも考えてみたら、戦争を放棄した日本としたら、今一番やっかいな北朝鮮に始まって、言葉だけで対応していかざる負えない。(経済制裁だって最初は言葉で始まる。)そういう意味でも言葉の限界に挑もうとしている。つまりそこに詩がある。 まぁ、それはあの芥川だかなんだかの、「クラムボン、飛んだ。跳ねた。」調のワケわっかんない詩じゃいけない。勿論ノストラダムスのようなどうにでも解釈できる難解なものでもいけない。相手を刺激しないでこちらの要求を理解させる、そういう詩。 詩は必ずしもロマンチックである必要はないし、またシリアスである必要も無い。私たちが貧しい詩の学校教育で植えつけられた詩のイメージは、当の昔に崩壊して進化を遂げていた。詩集という美術館(箱)に収められた、もっと言うと檻に閉じ込められすっかり飼いならされた元猛獣から、生ものに進化を遂げた。 生ものだから鮮度が一番。今その瞬間にしか読めない、聞けないものへと進化を遂げた。詩集という箱からライブへと進化を遂げた。感動という至高経験から共感へと進化を遂げた。詩はかつて居たその高みより出でて、私たちの足元に降り立った。 今学校教育の現場でも「詩のボクシング」大会を催すところがあるらしい。戦争を放棄した私たちの学ぶべき物は、いかにして伝えるかではないか。伝えるべき物がないなんてことはない。それは単なるあなたの劣等感に過ぎない。 そう、日常に詩はあふれている。必ずしも美しい言葉である必要は無い。韻を踏む必要も無い。あなたに出来るあなたのメッセージをあなたのやり方で伝える。それが詩。詩は進化を遂げた。
2006年12月30日
「オニババ化するオンナたち」を読むと、結婚していない独身のオンナ達、結婚してて子供のないオンナ達、結婚してて伴侶となんかすれ違いを感じているオンナ達、はどこか身の置き所が無く感じるかもしれない。 いづれ自分はオニババ化するか、しなくてもオニババと世間に見られるかもしれないと。 作者の三砂ちづるの研究の良さは、(あくまで私の思う)オンナの人生にとって、誰も触れてこなかった性について、真正面から論じたことにあると思うんだ。そして性が歯磨きと同程度に、その日常に必要性があって、歯磨きと同程度にしっかりよくやっておくと、健康にもいいし、QoL(クォリティオブライフ:人生の質)を高めるし、無視してはいけない、大事なことだよ。という意味でね。 セックスっていうのは信頼と読み替えても良いと思うんだ。信頼出来る相手と信頼出来るセックスをする。結婚していようといまいと、これは大切なことだよね。セックスは大抵は密室で行われるから、行き釣りの相手に万が一殺されてしまうこととか、暴力を振るわれてしまうことだってありうるから。 そして好まないことより、自分が好むこと、勿論相手に対しても同じだけど、したりされたりするほうが信頼関係はずっと増すと思うんだ。そういう信頼に基づいたセックスが出来る相手がいる、そういうオンナの人生は確かに幸せそうだよね。 実はこの本が世間にあんまり知れて、特に男性に読まれるのはちと時期早々だと思っている。というのは34歳で結婚した友人のノンは先日こう話した。「riccaちゃんは二十代で結婚したからこういう経験ないだろうけど、私が結婚する前はひどかった。職場のオヤジが「オトコとずっとやってないだろ!。」とか、「やるオトコいるのか?。」なんて飲んだ席では毎回で、「やめてください。」ってマジに言おうもんなら、「お前みたいな行き遅れが何を言うか?。」なんてもううんざり。しかもコイツ上司なんだよ。」って。 こういうオトコは世間に一杯いる。独身オンナがこういうのに絡まれる一因を、本書は作ってしまいそうな気がする。「オトコとやってないとオニババになるぞ!。」ってね。まだまだ日本のオトコは幼い。バカが多い。っつーのも実はオンナにも一因はあるんだけどね。 本書は早婚若年出産も提案している。生んでも学校に戻れる、生んだ後でも勉強してキャリアを取り戻せる、そういう今のようなみんな一列主義とは別に、人生のオプションを増やそうという考え。とは言いつつ作者は早婚若年出産を薦めている。 まぁ、「みんな同じ」というのが今の平等性だから、そこを「みんな違う」と言う風に一歩進めると言う意味で、オプションが増えるのは賛成。でも早婚若年出産礼賛は賛成できない。こういうことは自由なことだと思うから。みんな事情がある。それこそみんな違っていいことだから。 オンナが結婚するかしないかはオンナの決めること。オンナが出産するかしないかはオンナが決めること。オンナが出産する年齢が早かろうが、遅かろうかそれはオンナが決めること。オンナが結婚しないで子供を持つかどうかは、オンナが決めること。だと思うんだ。 一見夫婦やパートナーと決めることのようでも、その実結婚も出産もオンナがそのほとんどを背負う。痛みも苦しみ喜びすらもほとんどすべてね。そして結婚の先、出産の先まで見通して考えられるのはオンナだけ。オトコはその時その場しか考えていない。だから決定権はオンナにあると考えているんだ。 だから誰かに早婚すべしとか、若年出産すべしとか、学術的統計を以ってカクガクシカジカとまことしやかに言われるのは、不愉快極まりない。それって医学的統計でこうなっているから、高齢出産は危ないと私を診ないで告げた医師と、たいした変わりが無いではないか。 私はオンナだからオンナが生きやすい社会を望む。でもなんでも一朝一夕に変わるもんじゃないから、まず自分の一番小さな社会から変わるべきだと思っている。まぁ、それは家庭のことでもっと言うと夫婦のことで、夫婦の関係が良ければ私のような専業主婦は、ほとんど満足出来ると思うんだよね。 随分前に「ロマンチックなオトコとオンナの関係」で書いたけど、オンナが生理の時に生理通をガッと鎮痛剤飲んでない振りしちゃうんじゃなくって、薬飲んでもいいからでも伴侶にカラダのツラサは伝えておく方がいいと思うのね。更年期障害があるなら絶対よ。妊娠してたらなおさら。絶対に薬飲んでいつでもOKみたいなことをしてほしくないんだ。飲んでもいいから相手のオトコにカラダのツラサを伝えて、一言でもいいから労りの言葉をもらってほしんだ。 オトコってカラダに関してはいつでもOKで、たまに熱でもだそうもんなら大騒ぎしてさ、自分がオンナに甘えるのは当たり前で自分がオンナを労わるなんて、辞書にないヤツが多いんだよ。オンナが毎月感じるような小さな不調とか、それにまつわる気持ちの動きなんて、口で事細かに言わなきゃ絶対わっかんないんだから。そういう動物なんだよ。だからこっちが100%OKみたいに態勢整えちゃうと、そういうもんだくらいに思っちゃうんだよ。 100組夫婦がいて、もし私が言うようなことを10年やってくれたら、100人のオトコがやっとこさ「オンナとオトコは違う」って理解出来ると思うんだ。この「オンナとオトコは違う」らしいっていうことだけわかればいいよ。今まで自分が思っていたオンナって実際のオンナと違うらしいって。それだけで大きな進歩だよ。 その100人のオトコが社会に出て、同僚や部下にそういう話をしたら、感性の良いオトコならすぐにキャッチ出来て、どんどんその輪は広まるよ。若いオトコの方が感性いいしね。ね、だから社会を変えるのは選挙とか○○運動だけじゃないんだよ。自分の小さな社会からなんだよ。 だからオンナは「オトコと同じです。」ってオトコと同じ土俵にあがっちゃあ、進歩が無いよ。それじゃあ、昭和。「オンナはオトコと違います。弱い生き物です。」、なんてことを売り物にしろと言いたいワケじゃない。いつでもオーケー、いつでも同じ、いつでも変わんない、(オトコって絶対会社やすまないだろ。)っつーのがオトコの売り。オトコの土俵。 じゃあ、いつやるかわっかんない。いつはじまるかわっかんない。いつあるかわっかんない。週末っかやってない。こういう土俵もあるよ。こういう変なラーメン屋が駅そばに実際あって繁盛してるんだ。 オンナがオトコの土俵で傷つくのはもう終わりにしたいし、オンナがオトコの土俵で論じられるのももう終わりにしたい。多次元な土俵で勝ち負けなしでいきたい。どっちが勝ちだの負けだのはもうお終い。ましてやオンナ同士で負け犬とかそういうのもお終い。誰も負けてないし勝ってもいない。ただ自分が幸せになればそれでいいと思うんだけど。
2006年12月29日
三砂ちづるにとっても論旨の展開でここがオンナの肝心要らしく、こういう相手を自分で見つけられない、そういうオンナ達の急増を危惧しているんだ。確かに今「オールドミス」って言葉は聞かなくなった。私の周りにも独身女性は多い。そしてその親たちは諦めと慰めを入り混じらせながら娘にこう言う。「別に仕事してたら結婚しなくてもいいよ。」って。 20世紀にフェミニズム運動が盛り上がって、(私は全く詳しくない。)日本では上野千鶴子さんが有名だけど、このフェミニズムのお陰で、オンナは今まで社会及び世間から、「オンナは結婚して子供を生むもの」っていう決め付けから開放された。 それはそれでよかった、と私は正直思うんだ。誰しも他人の決めた枠に入らないといけない、などと外堀を押さえられると、不愉快だし面白くはない。オンナにとって結婚も出産も本人の自由、っとここまではよかったんだけど、自由にしたらオンナは子供を生まなくなってしまったのが今。本書は少子化にも内容が及ぶ。 と一気に読んで、壱男と弐女ちゃんを妊娠中に助産院に通う電車内で、滅多に席を譲ってもらえなかった当時のことを思い出した。若い子達は腹がデカイことに想像及ばないから割り引くとして、やっぱオバハン世代の見てみぬ振りは目立った。これを当時のアタシはこんな風に考えていた。「アタシだって苦労したんだからアンタも苦労して当然」、っていう見方がこの世代にあるんじゃないかって。 オバハン世代はやさしい人もいるけど、オニババ化しているかもしれない。そしてこのオバハンの娘が上記の若い子世代だとしたら、当時腹のデカイ私に「席をゆずる」、なぁんてことが一切思考にのぼらないとしてもおかしくない。 余談なんだけど、母が亡くなった後父は再婚したんだけど、再婚の前に見合いをしたんだ。その時私も同席していて、当時40歳は過ぎていた父の見合い相手にあって、ものすごく違和感を覚えたことを記憶している。 それは当時大学生だった私が40過ぎた女性に期待する、やさしいおばさん、といった感じからかけ離れた、なんか歳は食っているけどアタシとなんか変わんない感じ、つまり若い娘に対する思いやりみたいなものを期待していた私が出会ったものは、全然娘気分が抜けきらず、上の世代としてとったほうが望ましい立ち位置と振る舞いからかけ離れた、非常に捉えどころのない変わった存在だった。 そして父が奥さん、当時47歳独身(ここでは単にそう読んでいる。)と再婚するんだけど、この奥さんこそ今思えばオニババ化していた。こえぇ~、こえぇ~、怖かった。私と弟のことは「アンタ達」呼ばわりだしね。でも口を開けば仏の道を説かれて鬱陶しかった。決して上の世代が下の世代を許すような、甘やかすようなそんなやさしさは当時ない人だった。かといって励ますという存在でもなかった。私も弟も奥さんに掛かったらケチョンケチョンだった。 もしかしたら、オンナっつーもんは、結婚して妊娠出産して子育てすることで、よその世代と接する時に、自分の生きる世代としての立ち位置がわかるのかもしれない。こういうことを経ないでもわかっちゃう人もいるかもしんないけど、私のであった感覚的ににぶいオンナ達は、わかってなかったなって思う。 ここらで話を戻して、オンナの人生にとってセックスの重要性っていうのが本書にはあって、セックスっていうのは身体性:カラダの声を聞くそのものだものね。そしてセックスして妊娠して子供を生む、っていう一連のオンナのカラダに備わった機構を、オンナの自由意志で使う。それは社会の枠組みだったり、押し付けとかじゃなくってね。そして現代のオンナが忘れてしまったもっともっと沢山ある、身体性を取り戻すことがオンナが幸せになることで、ひいてはオトコの幸せになるってことを言いたいらしいのね。 「オンナは子宮で考える」って言葉があって、オンナからするとなんかバカにされたような感じがするんだけど、本書を読むとあながちそう思えなくなる。なんかそうかもしんない、子宮かどうかはわっかんないけど、アタマで考えてもうまくいかないことが多すぎるってね。特に子供のことはね。 そして最後にここでずっと私はオトコとオンナは違う、って書いてきてやっぱりここで改めて同じ事をいいたいワケ。オトコとオンナは違う。それをね、今、オトコとオンナの能力に差はないとか、オトコとオンナをいっしょこたにしようとしているように感じるんだ。で、それこそ違うといいたいのね。 オトコとオンナは違うんだよ。そしてもっと言うと同じオトコはいないし、同じオンナはいない。つまり今まで憲法で男女平等、言い換えるとオトコとオンナを全部同じにしようっていう考えが、もう古いと思うんだよ。みんな違うという平等性を主張したいワケさ。皆さん違っていいですよって言う考え。 まぁ、暇が合ったら読んでみてください。後半の論旨の展開の苦しさは否めないけど、まぁ、よくもこんな極論を言う人がいて、それを研究させる大学があって、随分とイカレタもんだなあなんて感心してます。(誉めている。)そして願わくばオニババになりたくないと願っています。
2006年12月27日
三砂ちづるの「オニババ化する女たち」を読んだ。読むきっかけは何度も本書を目に耳にする機会もあったんだけど、一番は津田塾大の三砂ちづる研究室から、直接聞き取りインタビュー依頼があったから。 でオニババって言うと思い浮かぶのは、おっかないオンナかな。キレーにしてておっかないオンナかな。全然自分におかまいなしでやっぱりおっかないオンナかな。それと昔流行った口裂けオンナ。 三砂氏はオンナがオニババ化するのは、そのオンナがセックスしてないからって言うんだ。まぁ、直接性器を合わせる様なセックスに限らないんだけど、自分を受け止めてくれて、また自分が受け止める、そういう相手とのカラダの触合いを伴った生活がないと、オンナはオニババ化すると言うんだ。 で、なんで私が三砂研究室から聞き取りインタビューの依頼を受けたかと言うと、それが私が助産院で出産したからなんだ。私が通った助産院は出産直前になると院長がこういうことを言う。「ちゃんとご主人とセックスしてますか?。」って。ちゃんとってったってあんなにお腹がでっかくって、それでなくてもエライ状態なのに、あなたセックスなんてましてや…と当時は思った。実は臨月のオンナにとってオトコの精子は、出産を促す働きをする。だから院長は薦める。 まぁ、それだけじゃなくって、助産院では亭主と一緒に出産する人がほとんどだから、妊娠してすっかりカラダが離れてしまった夫婦が、いざ出産の時すぐにお互いのカラダに触れられるか、という辺りもあると思うんだ。 で、なんで助産院で出産すると、オニババ女を研究している研究室からインタビューを受けるかと言うと、助産院の出産ていうのは私の出産日記読むとわかると思うけど、全てを、それはハダカは勿論のこと、私だったら産後の世話を頼める両親がいないこと、それから自分の性器も丸出しだしね、もっというと肛門も脱肛しちゃうしね、会陰も裂けちゃうしね、そういうもんを散々さらけだして受け止めてもらって、亭主と私と赤ちゃんと助産師さんの共同作業で、出産するんだ。これは現代を生きるオンナが身体性を取り戻す最後の砦だって、三砂ちづるは考えているワケ。 ここで身体性って何かっていうと、大きく言うとカラダの感覚、私がよく使う言葉で言うと「カラダの声に耳を傾ける」っていうやつ。で、現代を生きるオンナの私はその身体性を助産院出産で取り戻せたかな、っていうとそこに正直疑問はあるな。っていうのは病院における医療処置としての出産を経験してないから。っていうのともう出産のことなんて忘れちゃったから。 弐女ちゃんを妊娠していた時に、助産院でゆる体操っていうのをやっていたんだけど、その時聞いた話が本書に載っていてこういう内容。昔のオンナっていうのは、月経血をコントロール出来ていたというんだね。昔は今ほど高性能の生理用品がなくって、みんな月経血の多い日は膣の辺りをぐっと締めて、尿が溜まって来たらトイレに行くような感覚で、トイレで溜まった月経血を出していたらしい。今はそういう感覚持つ人は少なくって、私を含めてみんなナプキンに垂れ流し状態。 それと割りに聞く話なんだけど、昔は結婚前のオトコとオンナのセックスは認められていて、夜這いなんていうものもあったりして、セックスそのものは大人ならではのお楽しみだったらしい。今でもそうだけどそこに「不倫はいやらしい」といった見方はなかったらしい。そこでオンナは自分の排卵がわかっていたらしいんだ。だから結婚しない相手とは自分が妊娠しそうな時期には、絶対セックスしなかったらしいんだ。 それから大河ドラマなんか見ていると、みんな自分の死期がわかるんだよ。これも身体性:自分のカラダの声が聞けているからなんだと思う。 三砂ちづるは日本で病院出産が始まった昭和30年あたりから、こういう昔のオンナ達が普通に持っていた身体性が失われた、って言っているんだ。それまでオンナ達が母と娘の間で受け継いできた、出産のこと、セックスのこと、生理のことといった身体性のこと、はてまて子供の病気のこと、それを迷信という形で断ち切って、病院で医学的統計で管理された出産(経験ないのでわかんないけど。)をすることで、自分のカラダの声を聞く機会を失い、伝承を失う。産後は核家族化が始まって近所に頼れる人のない母となったオンナ達は、一人で必死で子育てと家事に振り回される。丁度高度経済経済成長期と重なって、頼みの夫はいっつも仕事にとられて全く家庭を顧ない。 そういうことが母となったオンナにいつしか、亭主に対する不満を爆発させてもおかしくはない。助けてくれる人のない、伝統的な生活の知恵からも分断されて、小さい子供と家事を両立させることは大変で、この時代オンナは今と違って母以外の人生の選択肢はほとんどないから、人生に迷って孤独に陥ってもおかしくはない。 よく昭和のドラマでこういう夫のセリフがあった。「家庭のことは妻に任せている。」ってやつ。なんか妻は一任されて責任持たされているようだけど、実は単に放任されていて、子育ての喜びもわかちあってくれてないし、勿論苦労を一緒に背負ってくれてはいない。私たちなんで一緒に暮らしているんだろうって、原点に返りたくなっちゃうような、そういう夫婦。 こういうオンナが今の私(昭和39年生まれ)の母の世代に多いらしい。当然夫婦はセックスレスだし、セックスレスを歳だからといいじゃないと割り引いたとしても、定年を当に過ぎた亭主をお荷物で不愉快な存在、と思うオンナは私の目にも多そうだ。 そういうオンナがオニババ化するというのだ。おっかないオンナ。自分のことっか考えないオンナ。不平不満っかないオンナ。確かに結構いるよね。平日の病院の待合室なんかにゴロゴロしているよ。 そしてそのオニババ化しちゃったオンナの娘世代、つまり私以降のオンナがオニババ化予備軍らしいんだ。負け犬オンナは本書では以外にもまだましなオンナで、それ以外の仕事もフツー、恋人いない暦10何年、っつーごく普通の独身オンナが予備軍らしい。そういうオンナって結構いるよな。 なんで負け犬オンナがまだましなのかというと、(ここら辺で本書の論旨の展開がだんだんおかしくなる。)負け犬オンナは結婚して子供を生んでないだけで、仕事では認められて受け止められていて、セックスする恋人はいるから。やっぱりここでもセックスは重要なファクターなんだなぁ。 セックスって、私の場合イッテしまうとカラダの力が抜けて、ものすごく相手も自分も許せるというのかな、自分の中の張り詰めた緊張が解けて、子猫のように甘えられる感じがするんだけど、やはりこういう許しあえる相手が日常性生活にいるいない、というのはオンナの人生にとって私は大事かもしれないと思うんだ。単に一緒に住む相手じゃなくって、お互いの心とカラダに触れられる相手っていうのがね。
2006年12月27日
詩は苦手。だってなんだか全然わっかんない。っていうか一体コイツは何だ?、何を言いたいんだ!、そういう怒りに近いものをいつも感じて避けてきた。 その頂点を極めたのが高校の現代国語の授業。芥川龍之介だか何だか知らないけど「クラムボン」だかいう詩が教科書にあって、想像の物体クラムボンが跳ねただの、飛んだだのそういう内容だった。私にはそんなことどうでもよかった。ただただ、眠いだけ。 教師が生徒に感想を求めた。その生徒がここによく登場するグラで、グラはこう答えた。「興味ないです。」。シスターの教師(カトリック系女子高)の顔がみるみる青くなった。生徒もグラの発言にざわめく。「えーっ、そんな事言っちゃっていいの?!。」てやつ。 ちょっと間を置いて、教師は別の生徒をさす。ところが次の生徒も「わっかんないです。」と来た。またシスター教師は青ざめ生徒はざわめく。こういうのがこの後数人は続いた。 私の記憶では、子の後シスター教師は泣いて、授業にならなくなってしまう。生徒が後で先生に謝りに行った。 ここで敢えて説明すると、私の高校は進学校で生徒がグレてこういう発言をしたワケではない。単にこの想像の物体クラムボンなんて、私が冒頭に書いたように別にどうでもいいことで、これに感想とか感動を強要されたくなかったに過ぎないんだ。感想がないときだってあるじゃん。詩ときたらすぐに感動をもとめられるのもなんか鬱陶しい。いっつもいっつも感動してないもん。 これは小学校の読書感想文でも言えている。推奨本を読んでいっつも感動しないもん。でも必ず○○に感動しました、って書かせられる。読んだ読後感をどういうふうに、他人が読んでわかるような形にまとめるか、っていうところに学習の目的があるワケで、そういうことを教えないで、さぁ、読んで感動しろ!、読んだ後の心の動きを書け、なんて言われても困る。こういうところに国語の授業の貧しさを感じてきたんだなぁ。 詩の授業だってそうだった。実際詩なんか興味もへったくれもないような教師が、「詩は感動を表現するんだ」、「さぁ、詩を作れ。」とかいって、私なんかは大弱り。いっつも感動してねーもん。もう無理やり感動したりしてさぁ。詩なんて作文の短いヤツくらいにしかずっと思えなかったよ。 余談だけど、昔ノストラダムスの大予言っつーのがあってさ、この予言が詩なのよ。で古いフランス語で書かれていて、どういう風にも解釈できちゃう代物。ここで「スイマセンが、こんなんじゃぁ、予言といえないんじゃないないスかぁ。」とアタシは問いたい。だって細木和子だってズバリ言うじゃん。ズバリ言わなきゃ予言じゃないのよ。 上記のクラムボンの詩もそうなんだけど、 わっかんないのは読んでて退屈なのよ。眠いだけなのよ。ましてクラムボンはさぁ、作者の想像の代物なんだから、この作者に興味共感を寄せる人が初めて関心持てるもので、全く文学に興味関心ないグラとかアタシには別世界のどーでもいいこと。 それを踏まえてこのシスター教師がやるべきことはさぁ、「さぁ、感動しろ!。」じゃなくって、詩のスタイルとかさ、詩の構成とかさ、この詩は表現にどういう工夫がされているかとかさ、そういう客観的な分析が先にくるんじゃないかなぁ、って思うんだよね。こういう話だったらぜひ聞きたいよ。これが授業でしょ!。 まぁ、私の受けた国語の授業の貧しさを披瀝したに過ぎないけど、実は今もそうかわんないんじゃないかって思うんだ。 などと悪口雑言を書き連ねながら、実は私は詩をかいてみようと思っている。そして3月の詩のボクシング東京予選に出てみようか、などと思っている。 何事もやってみないとわっかんないからね。詩人と呼ばれる日が来たりして?!、笑っちゃう。
2006年12月26日
最近壱男が弐女ちゃんをいじめる。叩いたりは勿論のこと、突き飛ばしたり、上の乗っかっちゃったりと、一日のうち何回も弐女ちゃんは泣く。土曜日は目の下を引っかかれて血が出た。 どういうときに壱男がこういう行動に出るかというと、最近一人で立てるようになった弐女ちゃんが、上手に立てて私が喜んだ時とか、こういうのは嫉妬でわかりやすいんだけど、なんでもない時、表現しがたいけど普通の時に、やったりもする。 こういう状態を目の当たりすると私の感情は、「困った」と反応し、解決脳は「なんとかしなくっちゃ」と思考を始める。こういう感情と思考のパターンを今の私は持つ。 解決脳は「上の子に愛情が足りない時下の子をいじめる」、という七田理論を探し当てる。感情はこれを読んで納得する。弐女ちゃんが生まれて以来、壱男は赤ちゃん返りを繰り返し、イヤイヤ期も重なってとっても難しい人になった。それとオトコの子特有の行動の激しさにも、私は着いていけなかった。 壱男のことは亭主にお任せ、という状態が長く続いていた。なるべく壱男とは離れていたい、関わりあいたくないというのが私の本音だった。 感情は「愛情って何?。」と言う。そして「どうすれば愛情が足りるの?。」って言う。これに解決は「弐女ちゃんにいつもかわいいってするように、壱男にもかわいいってやってみれば」と言う。 私は壱男が弐女ちゃんをいじめた時、叱らない事にした。そのかわりに、いじめちゃいけないこと、いじめないでくれるとうれしいな、ということを伝えることにした。そして必ずだっこしてアタマと肩をなでることにした。 果たしてこれで効果が出るかどうかはわからない。こういうところに子育てしてて難しさを感じる。いったい全体どうしたらいいかわかんない、でもなんとかしなくっちゃ、そういう時が一番苦しい。 それと一緒に子育てしているはずの亭主と同じ温度でいられないことに、腹立たしさと孤独を感じる。結局私がなんとかしなけりゃ、なんないんじゃないの!?、私だって子育ては初めてでなんかわかってやってんじゃない!、みたいな感情。自分の域を超えたストレスを感じる。 これは私が解決脳を持つせいも多分にあると思う。解決脳を持たなければ、まずこの現状は「問題」にならないだろう。「時が着たら解決されること」と脳は捉えるかもしれない。また心配という感情も起きないかもしれない。こんなふうに現状をみれるのが、「のんびり」ということなんだろう。 きっと「のんびり」のほうが子育てに向くんだろうなぁ。解決脳は子育てに向かないなぁ。おしゃべりしながら何かする、そういうながらが出来ない脳も子育てに向かないなぁ。なんてこういうときはつくづく思う。そして自分のテンションがドンドン下がる。 ちょっと苦しいなぁ。
2006年12月25日
ヒトのカラダってアナログだなぁって感じる毎日。医師の所見では、妊娠6週目で胎児はどうもあの世に戻ることを決めてしまったらしい。それなのに6週目、11月の壱男の幼稚園お受験辺りからつわりが始まり、それ以来私の中で妊娠ホルモンがものすごい勢いで分泌されて、それは手術の当日までそれは続き、私の中の妊娠組織は人為的に取り出された今も、妊娠ホルモンは減少しながらも分泌されている。 今でもつわりがあるって言う現実。 カラダはホルモンによってその調子も、そして気分すらも支配されているなぁって思う。そしてそれはスイッチのオンとオフみたいなもんじゃなくって、昔風の音量調節つまみみたいに段々増えたり、段々減ったりって言う具合に調子が変わるもんだという感じがする。だからカラダの中では1+1=2みたいな変化は起きない。 そのホルモンを増やしたり減らしたりっていうのは、私の意志とは関係ない。私のDNAにそのプログラムがあって、ただそれに則って脳が働いてホルモンを調節する。私が知覚と自覚出来るワタシなどは、私のホンの一部なのだということが出来ると思う。言い換えるなら私がワタシの意思によって、動かしたり出来る部分などはワタシのホンの一部なんだということ。 私が知覚と自覚出来るワタシなどというのは、銀河に落としたナミダ一滴より小さいかもしれない。私に認知出来ない、そして私の意志の及ばないワタシは、月の満ち欠けに同調したり、人類という大いなる歴史とDNAによってつながっていたり、もっと大きなところと関係していたりする。 私の中には小さいワタシと、大きなワタシが同居しているのかもしれない。私の日常はほとんどこの小さなワタシを満足させる為にある、といっても過言ではない。とここまで書くと実に自分がつまらない存在に思えてくる。まぁ、がっかりすることもなかろう。きっとつまらないワタシとつまらなくない私が、私の中にいるんだろう。 今の私は緩やかに変化するホルモンの波に乗って、どこかの岸に到着するのを待っている。小さなワタシにはどのぐらい時間が掛かって、どんな旅なのかは予想はつかない。ただただ大きなワタシに任せるしかない。そう、神のみぞ知る、神頼みと同じ状況。 あぁ、大きなワタシこそ神かもしれないなぁ。
2006年12月21日
いろいろ暖かいお言葉ありがとう。もう少し落ち着いたら少しづつお返事させて頂きます。 11日にすべてを終えて、また振り出しに戻ることになった。抱えきれない荷物を今回もレメディに肩代わりしてもらった。このときにホメオパスからもらった言葉、「riccaさん、どんな時でも必ず前に進めます。一緒に行きましょう。」。 そう、私は前に進むことにした。
2006年12月14日
電話を切って、壱男と弐女ちゃんを出産した助産院にも連絡した。院長はこれまたやさしく私を慰めてくれた。そしてこう言った。「42歳なんて若い。40代なんて十分子供を産めるんだから、体力つけてもう一回いらっしゃい。絶対待っているから。」 心を打たれた。 40代の出産に関して私はここのところ凹んでいた。助産院には必ず提携医師がいて、妊婦は定期的にそこで診察を受ける必要がある。私も提携医師の診察を受けていた。そこでこう言われていたから。「経産婦だからといって安心は出来ない。妊娠中毒症のリスクは経産婦ほど高い。まして40代なのだから。助産院で産めるとは思って欲しくない。」と。 これを私は単なるリスク説明と受け取ろうとした。そういう統計から出た情報として。しかし医師のちょっとした表情、ちょっとしたしぐさが、私を冷静にさせなかった。のか、或いは勝手に冷静さを自ら欠いたのか、判断できなかった。 医師の言葉と態度から、私はこんなことを感じた。妊娠出産街道にたとえ経産婦だろうと、もう40歳も過ぎたオンナがそれも堂々と、道の真ん中歩こうだなんてアタマがおかしい。しかも筋腫持ちときた。こういうオンナは道の端っこを歩くか、裏道でも歩くのがふさわしいんだよぉ。って。「リスクはあるから一緒にリスク回避出来るように管理していきましょう」、という姿勢は感じられなかった。 この被害者意識に似た物が、私が勝手に作り出した妄想なのか、現実なのか判断つかなかった。現実に起きたことは単なるリスク説明があったこと。そこに私の年齢に対する劣等感、筋腫持ちあることの劣等感が、医師の表情やしぐさをこう読ませるのか、全く判断つかなかった。 そしてけいりゅう流産の時の医師の言葉、「40代の流産率は50%だから。」、これも慰めなのか、単なる統計を教えてくれただけなのか、判断付かなかった。 この思考停止の私を助産院の院長は救ってくれた。「そしてもうあの医者の所に行っちゃダメ。あんな所紹介してゴメンね。もっと良い先生見つけたからそこに行こうね。もう妊婦さんにこれ以上嫌な思いをさせるの嫌なの。」と。 「えっ?!。」と私。院長は続けた。「キャパが小さいのよ。40代とかちょっとリスクがありそうな妊婦を引き受けるのが嫌なのよ。何かあったら自分が叩かれるし、リスクのありそうな妊婦に来て欲しくないのよ。看板出しておきながら実は患者を選んでいるのよ。」と。 「うちではちゃんと管理しているから、47歳初産もやったし、45歳初産だって大丈夫だったし、ましてあなた経産婦なんだからなんにも問題ないのよ。安心してまた元気になって必ず戻って来るのよ。約束よ。」と。 ここまで聞いて私の感覚もまんざらじゃなかったと思った。やっぱり医師は私を疎んじていた。来て欲しくない妊婦だったのだ。リスク説明と表面は冷静さを装いながらも、悪意とは言わないまでも、招かれざる客にたいする待遇を感じ悪くあしらったこと、これは事実だったのだ。 私は医師の言葉に凹み、ブレを生じ、それは自分の劣等感から来る思考パターンと行動パターンの繰り返しに過ぎない、これを変えなければ40代の出産は乗り切れない、つまり私の問題、とすら考え始めていた。 しかしそれは違う。40代でも何歳でも出産は受け入れられてしかるべきだと思う。それは一人のオンナが産むと決めたことなのだから。妊娠して産むと決めたことを、統計がどうの、リスクがどうの、といって他人が介入することではない。一個人が決めたことなのだから。 オンナが出産を決めたことで影響を受けるのは夫(普通はね)であって、まして医師じゃない。医師がオンナの決め事が気に食わない、自分の意に沿わない、などと口出しするのは筋じゃないことがわかる。まして出産などというものは、人の人生のほんのスタートに過ぎない。出産を決めたオンナはその時からさらに20年先までの決意を固めているのだから。 今回はダメかもしれないけど、また健康になって体調を整えて再び妊娠しよう。また助産院で産もう。そういう勇気が少しだけど沸いて来た。そしてほんの少しだけど年齢に対する劣等感が薄らぐのも感じた。いいじゃない、歳とっていたって。いいじゃない、若くなくったって。私も道の真ん中歩いていいんだよねって。
2006年12月04日
今私は非常に苦しい。 12月1日に弐女ちゃんが肺炎と診断された。医師からは入院を勧められて私たち夫婦は迷った。理由は今私は妊娠中でつわりがある。決して良い状態とは言えない。この状態で弐女ちゃんの入院生活を支えるのは難しい。姑さんに助けを求めるという手もあるが、姑さんには仕事があるからそうそう無理も言えない。(私の両親は他界)それともうひとつは3年近く続けているホメオパシー治療が、入院=抗生物質の投与、という治療に対して素直に「うん」と言えない状況を作っている。 弐女ちゃんはもともと私に似て肺が弱くて、普段からゼロゼロしている。今それをホメオパシー治療の途中での肺炎感染となってしまったので、事の状況をホメオパスには報告した。当然ホメオパスは入院させて抗生物質による治療は避けたい旨を、電話で告げてきた。 ホメオパスとの電話でのやり取りの最中、私は言いようのない限界を感じた。ホメオパシーでは子供の病気ほど単純なものはない、というもののやはり弐女ちゃんのカラダで起きている事は、弐女ちゃんにしかわかりえない。外から私が見て判断して言語化して、それを電話でホメオパスに伝えるというやり方に、大きな乖離を感じたのだ。 こんな事をやっていてはダメだ。実際に弐女ちゃんを見て診断を下せるようなやり方でなければ、ホメオパシーだろうと医療だろうとダメだ。また何でもホメオパシーで完璧を期するいうのも、横車を押すような無理を感じ始めていた。葛藤を経て「今回は弐女ちゃんは入院させよう。」、と決めた途端亭主から電話があった。 「点滴が終わったから連れて帰る。」。「えっ、入院させないくていいの?。」と拍子抜けの私。「点滴終わった時点での医師の態度が、どーしても入院しなくっちゃっていうものから変わったから帰る。」。と言って本当に帰って来た。 水分の点滴を受けた弐女ちゃんは行く前と打って変わって、随分と元気になった。これならホメオパシーで時間が掛かっても治せるかもしれない、という確信を持った。けど非常にホメオパスに対する信頼は低下した。ホメオパスの立場を考慮すれば致し方ないけど、完璧主義に疲れを感じた。それと子供を直接会って診てもらえない、今のホメオパスのやり方にも疑問を持った。 これも何かの潮時でホメオパスは暫く仕事を離れるそうで、今日弐女ちゃんの相談をしながら、次のホメオパスを探して欲しい旨も電話で告げられていた。これが後に非常に落ち込む結果を生むとは、このときはまだ私も予想していなかった。 翌日私は検診だった。9週目辺りなのでそろそろ超音波で赤ちゃんの心音を、確認出来る時期に入っていた。しかし結果は出来なかった。「けいりゅう流産の可能性がある」と医師から告げられ、来週もう1回検査してから結論を出すことにして、家に戻ってきた。 こういう形の流産は最初の妊娠の時に経験しているので、これも子供のさだめなので、私の問題とは切り離して、そう落ち込みはしなかったけど、それより流産に係わる手術とその後の休養、子供をどーしたもんか!、弐女ちゃんは肺炎なのに人に頼めるんだろうか!、それと16日に控えた従兄弟の披露宴、どーしたもんか!、そのことばっかり考えてしまう。 亭主に話したけど「結果がでてから考えよう」、というばかりで温度差を感じてしょうがない。来週になってからでは遅いものあるはず!。今出来ることは準備しておきたい。亭主は普段からやさしい人だけど、今起きている現実に目先が立たない、つまりマヌケなオトコなのだ。 亭主が一緒に抱えてくれないと、私一人で抱えることになる。これが大きなストレスで、加えてけいりゅう流産しているかもしれないのにつわりもあって、心もカラダもバランスを急速に失い始めた。本当は私は流産の手術が怖い。出来ればやりたくない。前回の手術のトラウマを引きずっているいに違いない。 段々ストレスが昂じて来て、手術するのも私、それを決めるのも私、子供の世話の手配をするのも私、新しいホメオパスを探すのも私、なんでもかんでも背負いきれない。今こそホメオパスに相談してレメディに少し肩代わりさせたいのに、そのホメオパスからもこれ以上の相談は受けられない、と印籠を渡されていて、もう私は逃げ場がなくなってしまった。 しかし亭主はのんびりしたもので、こういう時程コイツと結婚したことを後悔する瞬間はない。もうこれ以上自分で抱えきれないと判断した時、なんとか手術しないで乗り切る方法はないか!、ホメオパシーでなんとかならないか!、と普通じゃない考えを起こして、助産師で認定ホメオパスの鴫原さんならきっと答えてくれるだろうと、面識もないのに、思い切って電話してみることを思いついた。 突然の電話に鴫原さんは快く相談を引き受けてくれた。このときほどあり難いと思った瞬間はない。結果的にはホメオパシーで胎児と胎盤を出すことは可能だけど、それはお産と同じように陣痛が来ること、それとその時期がいつやってくるかはわからなくて、予定がたたないことから、手術を受けることが賢明あることがわかった。 鴫原さんはとっても親切で心優しく私に話を聞いてくれた。弐女ちゃんの病気、披露宴が間近に迫っていること、手術のトラウマがあること、頼れるホメオパスがいないこと、全部を自分で抱えきれない状態であること、全て聞いてくれた。そして優しい言葉も掛けてくれた。 と同時に今の私に必要な情報をくれた。手術の前後に飲むとトラウマを新たに作らずに、そして回復が早くなるレメディと、近々日本橋付近で新たに開業するホメオパスがいることを。最後の情報が一番ありがたかった。
2006年12月04日
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