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【2021年9月30日(木)】 今日はもともとは「京の冬の旅」六道珍皇寺の予定でしたが、緊急事態宣言でキャンセルになっていたのでフリー日。終日会の諸事でPCとにらめっこでした。 「若冲と応挙」第52回。付録3 応挙年譜のその4(36歳から40歳)です。西暦(和暦)年齢 ◆:応挙の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向1768(明和5)36歳 ◆『平安人物志』の画家部で大西酔月に続き二番目に掲載される。四条麩屋町東入丁に住む。 三番目以降は、若冲、池大雅、与謝蕪村。「七難七福図巻」を描く。 近世臨済禅中興の祖とされ、多くの禅画を遺した白隠慧鶴没。 清田儋叟(せいた・たんそう)「孔雀楼筆記」のなかで、応挙についての画評・人物評が 載る。*食文化が発達し、てんぷら・刺身・蒲焼などの現在でもお馴染みの料理ができ、料理の本も 実用書から楽しめる読みものが出版された。1769(明和6)37歳 ◆円満院雪之間の襖絵を描く。「雪中山水図屏風」(相国寺)、「芭蕉童児図屏風」(個人)、 「雨中山水図屏風」を描く。1770(明和7)38歳 ◆「写生図巻」、「青鸚哥図」、「人物正写惣本」(天理大学附属天理図書館)を描く。☆鈴木春信没。大坂・木村蒹葭堂のサロンで書画会が開かれ、池大雅が「竹巌新霽図」を出品する。*各地の大干ばつで京の送り火も中止となった。1771(明和8)39歳 ◆「牡丹孔雀図」(相国寺)、「写生雑録帖」、「花鳥写生図巻」を描く。 6月、三井家にて蓮花を写生。この頃から三井家との関係が始まると思われる。☆池大雅と与謝蕪村が合作「十便十宜」を制作。その一作品に明和8年の款記がある。 特に三井家4代高美、5代高清、6代高祐と深い交流があった。*伊勢への「おかげまいり」が流行。1772(安永元)40歳 ◆三井惣領家(北家)で「夕涼み図」を描く。「大瀑布図」(相国寺)を描く。*田沼意次が老中に就任。"「夕涼み図」(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/30
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【2021年9月29日(水)】 今日は京都駅まで車を出した以外は、在宅で会の諸事でPCに向かっていました。 「若冲と応挙」第51回。付録3 応挙年譜のその3(31歳から35歳)です。西暦(和暦)年齢 ◆:応挙の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向1763(宝暦13)31歳 ◆銭舜挙の花鳥画を模写し、それを宝鏡寺の蓮池院尼公が好み、30歳前後に応挙は尼公に 仕えたという。仕えたのは宝暦中のことと考えられるが、明確な時期は不明。 「淀川両岸図巻下絵」を描く。☆平賀源内が博物学書「物類品隲(ぶつるいひんしつ)」を刊行。1764(明和元)32歳 ◆これ以前の署名は、20代中頃までが「一嘯」「主水」、20代中頃から30代初めまでが 「夏雲」「主水」「氐」を主に用いたとみられている。「萬誌」に「丸山左源太」の名が 登場。「岩上虎図」、「葡萄栗鼠図」を描く。☆伊藤若冲が金刀比羅宮奥書院に襖絵を描く。曾我蕭白が六曲一双の屏風絵「群仙図屏風」を 描く。"1765(明和2)33歳 ◆この頃、円満院門主祐常から、「七難七福図」(相国寺)の依頼を受け、親交深まる。 この頃、「仙嶺」「僊嶺」と署名する。すでに「付立て」も筆法を完成。 「破墨山水図」(三井記念美術館)、「淀川両岸図巻」(アルカンシェール美術財団)、 「山水図襖」を描く。☆9月、若冲「動植綵絵」を相国寺へ寄進。この頃江戸では、鈴本春信周辺で錦絵が出現。「淀川両岸図巻」1766(明和3)34歳 ◆この年、名を「応挙」と改め、これ以降「応擧之印」「仲選」の印を終生用いる。 9月13日、次男応瑞誕生。「芙蓉飛雀図」、「龍虎図屏風」、「巌下猛虎図」を描く。 6月23日、相国寺中の間に若冲の「釈迦三尊」ならびに「動植綵絵」24幅が掛けられる。1767(明和4)35歳 ◆「大石良雄図」(百耕資料館)、「岩頭飛雁図」(円満院旧蔵)、「四条河原納涼図」を 描く。(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/29
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【2021年9月28日(火)】 昨日は、Zoomでの会の集まり。またもやカメラを認識せず、声だけの参加になりました。Vistaの古いPCが問題なのでしょう。早く新しいPCを買わねばなりません。しかし、その品定めをする時間もありませn。 今日は鉄道博物館まで車を出し、一旦帰宅して会の諸事。夕刻に久しぶりの外食で「はま寿司」でした。私は初めて行きました。コスパよかったです。コロナでアルコール無しが残念でした。10月1日に緊急事態宣言が明けて、アルコールサービスOKとなると、大混雑するのでしょうね。 「若冲と応挙」第50回。付録3 応挙年譜のその2(21歳から30歳)です。西暦(和暦)年齢 ◆:応挙の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向1755(宝暦5)23歳 ◆この頃、「氐」「円一嘯」の署名を用いる。☆渡辺始興没(73歳)1756(宝暦6)24歳 ◆5月21日、父が死去する。1759(宝暦9)27歳 ◆この頃、尾張屋の店で、眼鏡絵を描き西洋画法を修得。 応挙が考案した眼鏡絵は多くの人に大きな影響を与えた。この頃の署名は「一嘯」「夏雲」。☆伊藤若冲か動植採絵のひとつである「向日葵雄鶏図」を描いた。このシリーズは1766年に完成する。覗き眼鏡と眼鏡絵 応挙筆「三十三間堂通し矢図」1760(宝暦10)28歳 *徳川家治が10代将軍に就任し、田沼意次が政治を動かす。(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/28
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【2021年9月26日(日)】 今日はもともと在宅日。ちょっとだけ時間の余裕ができたので、2回目のパエリア作り。魚貝類を一旦上げる前に、かき回すことを控えたので、前回より、魚介類が崩れずにできました。有頭エビは高いので、ブラックタイガーに替えましたが、やはり有頭エビから出るダシの分、お味は前のほうがよかったように思います。先入観からくるものかもしれませんが。そのかわり今日はタラが手に入ったので、お魚の調理がしやすかったです。調理時間は約1時間半でした。前回の教訓から、サラダは、最後にお米を入れて煮詰める時間に併行して作ったので、多少時間短縮できたのではないかと思います。 「若冲と応挙」の第49回。前回、若冲の年譜が終了したので、今回から応挙の年譜です。西暦(和暦)年齢 ◆:応挙の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向1733(享保18)1歳 ◆5月1日、丹波国桑田郡穴太村(現在の京都府亀岡市曽我部町穴太)の農業丸山藤左衛門の 次男として生まれる。母は篠山藩士上田氏の娘。幼名は岩二良、通称は主水とも。☆徳川吉宗が動・植・鉱物全般を解説した百科辞典的な「庶物類纂」の増捕完成を命じた (1738年に完成)。本書は、全国の諸藩の協力で編集されたことから各地で物産学・博物学 などが盛んになる。沈南蘋帰国する。1740(元文5)8歳 ◆この頃、金剛寺に小僧として奉公したと伝えられる。金剛寺(京都府亀岡市)1745(延享2)13歳 ◆後に働くことになる尾張屋勘兵衛の店が「びいどろ道具」の店として、『京羽二重大全』に 掲載される。尾張屋はガラスを使った品のほか、人形や玩具などを扱う店。1747(延享4)15歳 ◆この頃にはすでに京都に出ていたと思われるが、11、12歳頃からという説もある。 最初の奉公先は四条新町の岩城という呉服屋で、のち、四条富小路西入町の玩具商 尾張屋勘兵衛の店で働く。1748(寛延元)16歳 ◆5月20日、母が死去する。1749(寛延2)17歳 ◆この年の年紀のある「雪景山水図」があったといわれることから、 この頃から、石田幽汀の門下に入り本格的に絵の画技を学んだと考えられる(15歳という 説あり)。 「雪景山水図」の双幅には「寛延己巳夏円山岩二良」「洛陽山人円岩二良」の落款があったという。1750(寛延3)18歳 ☆池大画が紀州藩の文人画の祖とされる祗園南海を訪ねた。上方浮世絵の中興の祖、美人風俗画を得意とした西川祐信が80年の生涯を閉じた。*二条城天守閣か雷火で焼失。(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/26
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【2021年9月25日(土)】 22日は事務所出頭と会議、23日は在宅で会の諸事、24日は事務所出頭でした。 今日はもともとは修学旅行ガイドの予定ででしたが、コロナでキャンセル。午前中、月イチの近所の町医者通いで、高血圧と高尿酸の薬をピックアップ。それ以外は、ほぼ会の諸事でした。 「若冲と応挙」の第48回。付録の2つめ若冲の年譜の「その4(71際~没まで)」です。 伊藤若冲年譜(71歳~没)西暦(和暦)年齢 ◆:若冲の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向1786(天明6)71歳 *田沼意次失脚。1787(天明7)72歳 ◆4月26日、妙法院の真仁親王、若冲から届いた鶏の画12枚を一覧し、翌日、若冲に新殿居間 の襖絵を注文-真仁親王御直日記。5月5日、親王、若冲から届いた襖を立てる-同前。 6月18日、親王、若冲の弟子四人及び応挙関係者七人ばかりの、妙法院龍華蔵の虫干し 拝観の願いを許す-同前。この年刊行の『拾遺都名所図会』で石峰寺石像群を紹介。*徳川家斉、江戸幕府11代将軍に就任。"1788(天明8)73歳 ◆1月28日、皆川淇園が応挙、呉春らと石峯寺石像群を観覧-淇園文集。1月晦日~ 2月1日、京都大火(天明の大火)。市中大半が焼土と化す。 若冲の2軒の居宅とアトリエが焼亡。相国寺も法堂を残して焼亡する。 寄進画などは持ち出された。 10月21日・29日、大坂の木村蒹葭堂を訪ねる-蒹葭堂日記。*田沼意次没(70歳)1789(寛政1)74歳 ◆大坂豊中・西福寺の「仙人掌群鶏図」「蓮池図」「山水図」制作。京都伏見・海宝寺の 「群鶏図障壁画」(京都国立博物館蔵)を制作。「鶏頭蝋蜘図」、「石峯寺図」制作。1790(寛政2)75歳 ◆6月12日・13日、相国寺、大病中の若冲を見舞うことを計る-参暇寮日記。 この年、「菜蟲譜」、「垣豆群虫図」制作。☆蒹葭堂、醸造高超過の咎で欠所に処せられ伊勢に転居。 伴蒿蹊、『近世畸人伝』刊行。内裏造営にあたり狩野派・土佐派のほかに円山応挙らが 障壁画を描く。*寛政異学の禁。1791(寛政3)76歳 ◆10月8日、大火類焼後の困窮につき、町内及び相国寺との永代供養の契約を解約 -参暇寮日記。この頃、石峰寺に隠棲したらしい。☆出版統制で洒落本刊行をした山東京伝と版元の蔦屋重三郎を処罰。この頃、喜多川歌麿が 美人大首絵を創案。"1792(寛政4)77歳 ◆6月2日、次弟宗巌(白歳居士)没(74歳)-過去帳。この年、皆川淇園が若冲画 「墨菊図」「蒲桃栗鼠図」の題詩を作る-淇園先生詩文稿。この年、「菜虫図巻」 「葡萄双鶏図」「垣豆群虫図」を描く。☆皆川淇園、東山新書画展観を主催(~1798年まで春秋二回開催)。1793(寛政5)78歳 ◆平賀蕉斎、『焦斎筆記』に若冲に関する聞き書きを記す。遅くともこの年までに石峯寺に 隠棲。☆蒹葭堂、大坂に戻る。1794(寛政6)79歳 ◆9月、蒹葭堂、家蔵の若冲筆「売茶翁像」二幅のうち、一幅を津田氏に譲る-売茶翁像識語。 10月19日、浅野家の陪臣平賀蕉斎ら、石峰寺門前の若冲宅を訪問。米斗庵と落款して墨画 を売り、石像制作の資金に当て、夫に先立たれて子連れの尼となった妹と暮らしていたこと が知られる-蕉斎筆記。この年、「野晒図」「蔬菜図押絵貼屏風」作。 ☆東洲斎写楽、翌年にかけて役者似顔絵を多数発表。1795(寛政7)80歳 ◆「象と鯨図屏風」(MIHO MUSEUM)制作。 10月 「蒲庵浄英像」(萬福寺蔵)制作-蒲庵浄英賛。この年「釣瓶に鶏図」を描く。☆7月17日、円山応挙没(63歳)。1796(寛政8)81歳 ◆9月27日、東山新書画展観に絹本「五百羅漢図」を出品-同目録。この年「双鶏図」「鶏図」 「鵞鳥図」を描く。1797(寛政9)82歳 ◆この年、「蒲庵和尚自賛像」「群鶏図押絵貼屏風」を描く。1799(寛政11)84歳◆「百犬図」制作。☆6月8日、長澤蘆雪没(46歳)1800(寛政12)85歳 ◆4月6日~13日、池大雅の二十五回忌の案内が届けられるが、病気につき欠席の返事をする -案内状。この頃、石峰寺観音堂に「花卉図天井画」(信行寺・義仲寺蔵)制作。 9月10日、若冲没-過去帳・祖塔過去帳(参暇寮日記では9月8日)。石峰寺に土葬-過去 帳。縁故の深かった相国寺に遺髪が埋められた。 10月27日、相国寺一山の仮方丈になっていた鹿苑院で、四十九日の法要が行われる -参暇寮日記。法要は大典が主宰したと考えられる。この年、「伏見人形図」「鷲図」を 残している。 参考文献: 佐藤康宏著「もっと知りたい 伊藤若冲」株式会社東京美術 2006年発行 別冊太陽「若冲百図」平凡社 2015年発行 澁澤龍彦他「若冲」河出文庫 株式会社河出書房新社 2016年発行 石峰寺石像(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/25
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【2021年9月21日(火)】 事務所に立ち寄って、少し用事をして、月イチの三味線レッスンに行きました。以前、老夫婦が見学に来られて、生徒数が増えるかなと思いましたが、ここしばらく、小学6年生の女の子と二人です。 一人がレッスンを受けているとき、他の人が練習すると音が邪魔になります。以前はあまり気にしていなかったのですが、この女の子が入ってきてからは、その女の子がレッスンを受けている間は、私は「忍び駒」を付けて、消音するようにしています。 今日、久しぶりに新しい楽譜をもらいました。「合戦」という局で、先生作曲の曲だと思います。あまり難しくはなさそうです。 これで私のレッスンでのレパートリーは次のようになります。・2016年1月~ 津軽曲弾き・2016年4月~ 津軽じょんがら節・2016年6月~ さくらさくら変奏曲・2016年12月~ 津軽よされ節(イントロ) (2017年7月~ その歌部分)・2018年1月~ 旧アイヤ節・2018年12月~ 風花・2019年5月~ 風の流れ・2019年6月~ お江戸日本橋・2020年2月~ 帰ってこいよ・2020年10月?11月?~ 津軽曲弾きAB・2021年9月~ 合戦(練習中)レパートリーとしては、それ以外に、楽譜付き三味線CDのなかでマスターした楽曲が加わりますが、最後の2曲は難しくてマスターできていません。・じょんがら節(旧節)・雪月花・秋田荷方節・朝日の当たる家(練習中)・千本桜(練習中)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/21
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【2021年9月20日(月)】 昨日は、会の会議がコロナでZoom開催となって、終日在宅でした。この日は、カメラが不調で声のみでの参加になりました。そもそもVistaPCに外付けカメラが問題です。新しいPCを、そろそろ買わねばと思い、物色し出しました。あとは終日会の所持。 今日は、ある用時の外出で、その待ち時間を利用して、「若冲と近世絵画展」を観に承天閣美術館へ行ってきました。入館料は一般は800円ですが、65歳以上は割引で600円で入ることができました。 このブログにも掲載中の「若冲と応挙」の研究を通して、美術書で知った多くの絵や書物に出会うことができました。 若冲の関係では、伊藤若冲肖像画、若冲寿蔵銘拓本、梅荘顕常頂相、参暇寮日記、鳳凰図(林良絵の模写)、釈迦三尊像、小雲棲稿など、応挙の関係では、七難七福図巻、牡丹孔雀図などです。 待ち時間を利用しての観賞だったので、時間をかけられなかったのは残念です。出品目録(後期でしたので、Ⅱの方を観ました。)●第1展示室 ◎亜要文化財◇初公開 I・Ⅱ表示は展示期間。(表記無しは通期展示) 第1章 伊藤若冲と相国寺1 伊藤若冲像 久保田米僊筆 1幅 絹本著色 明治時代 相国寺蔵2 若冲寿蔵銘拓本 悔荘顕常撰 3幅 紙本墨書 江戸時代 相国寺蔵3 松鴎庵指図 1枚 紙本墨書 江戸時代 相国寺蔵4 参暇寮日記 紙本墨書 江戸時代 相国寺蔵5 役者寮目記 紙本墨書 江戸時代 相国寺蔵6Ⅰ 売茶翁高遊外像 梅荘顕常賛 伊藤若冲筆 1幅 絹本墨画江戸時代 相国寺蔵7Ⅱ 梅荘顕常頂相自賛 世継希僊筆 1幅 絹本著色 江戸時代 慈雲院蔵8Ⅰ 牡丹百合図 伊藤若冲筆 2幅 絹本著色 江戸時代 慈照寺咸9Ⅱ ◎鳳凰石竹図 林良筆 1幅 絹本墨画 明時代 相国寺蔵10Ⅱ 鳳凰図 伊藤若冲筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 相国寺蔵11 厖児戯帚図 無染浄善賛 伊藤若冲筆 1幅絹本著色 江戸時代 鹿苑寺蔵12 亀図 聞中浄復賛 伊藤若冲筆 1幅 紙水墨画 江戸時代 鹿苑寺蔵13 龍王図 梅荘顕常賛 維明周奎筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 寛政元年(1789) 相国寺蔵14 朱衣達磨図 維明周奎筆 1幅 絹本著色 江戸時代 文化元年(1804) 相国寺蔵15 釈迦三尊像 伊藤若冲筆 3幅 絹本著色 江戸時代 明和2年(1765) 相田寺蔵≪夕佳亭≫16Ⅰ 伏見人形図 伊藤若冲筆 1幅 紙本著色 江戸時代 慈照寺蔵17Ⅱ 鱏図 芝山持豊賛 伊藤若冲筆 1幅紙本墨画江戸時代 相国寺蔵第2章 天明の大火とその復興18 ◇宝勝如来普庵禅師像 梅荘顕常賛 原在正筆 2幅 絹本墨画 江戸時代 相国寺蔵19Ⅱ 中鶏左右梅図 伊藤若冲筆 3幅 絹本著色 江戸時代 天明9年(1789) 鹿苑寺蔵20 相国寺方丈杉戸絵原在中筆 36面のうち 板地著色 江戸時代 相国寺蔵21 維明周奎頂相 自賛 1幅 絹本淡彩 江戸時代 文化元年(1804) 慈照寺蔵22Ⅰ 梅図・牡丹図座屏 維明周奎 原在中筆 1対 紙本著色 江戸時代 相国寺蔵23 ◇北禅文草 梅荘顕常作 2冊 版本 江戸時代 寛政4年刊(1792) 瑞春院蔵24 ◇北禅詩草 梅荘顕常作 6冊のうち2冊 版本 江戸時代 寛政5年刊(1793) 瑞春院蔵25 ◇小雲棲稿 梅荘顕常作 6冊のうち5冊 版本 江戸時代 寛政8年刊(1796) 瑞春院蔵26 ◇小雲棲手簡 梅往顕常作 2冊 版本 江戸時代 安永6年刊(1777) 瑞春院蔵●第二展示室第3章 金閣寺、銀閣寺の障壁画27 金閣寺遊楽図屏風 6曲1隻 紙本著色 江戸時代 鹿苑寺蔵28Ⅰ 玉熨斗図 伊藤若冲筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 鹿苑寺蔵29Ⅰ 竹虎図 梅荘顕常賛 伊藤若冲筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 鹿苑寺蔵30Ⅱ 群鶏蔬菜図押絵貼屏風 伊藤若冲筆 6曲1双 紙本墨画 江戸時代 相国寺蔵31 ◎鹿苑寺大書院障壁画 紙本墨両 江戸時代 宝暦9年(1759) 鹿苑寺識32Ⅰ 維明周奎墨跡 大文字の解 1福 紙本墨書 江戸時代 慈照寺咸33 慈照寺境内図 維明周奎賛 池大雅筆 1幅 紙本淡彩 江戸時代 慈照寺蔵34Ⅱ 慈照寺境内諸堂図 1幅 紙本淡彩 江戸時代 慈照寺蔵35 慈照寺方丈障壁画 上官之問 山水人物画 与謝蕪村筆 12面のうち7面 紙本墨画 江戸時代 明和年間(1764~72) 慈照寺蔵第4章 18世紀の京都画壇の名宝36 七難七福図巻 天災巻 円山応挙筆 3巻のうち1巻 紙本著色 江戸時代 明和五年(1768) 相国寺蔵37 七難七福図巻 天災巻 画稿 円山応挙筆 2巻のうち1巻 紙本墨画 江戸時代 相国寺蔵38 七難七福図巻 天災巻 下絵 円満院祐常筆 1巻 紙本墨画 江戸時代 相国寺蔵39 釈迦十六善神像 円山応挙筆 1幅絹本著色 江戸時代 天明6年(1786) 慈照寺蔵40 雪中山水図 浜松群鶴図屏風 円山応挙筆 2曲1双 紙水墨画淡彩 江戸時代 明和6(1769) 相国寺蔵 ※Ⅰ期雪中山水図屏風、Ⅱ期浜松群鶴図屏風41 豆狗子図 円山応挙筆 1幅 紙本墨画淡彩 江戸時代 鹿苑寺蔵42Ⅰ ◎大瀑布図 円山応半筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 安永元年(1772) 相国図蔵43Ⅱ ◎牡丹孔雀図 円山応挙筆 1幅 絹本著色 江戸時代 明和8年(1771) 相国寺蔵44 古清水色絵橘文三宝 1口 江戸時代 相国寺蔵45 清閑寺焼金欄手月兎文茶碗 1口 江戸時代 鹿苑寺蔵46 古清水色絵唐子形香炉 1口 江戸時代 相国寺蔵47 狸形手焙 仁阿弥道八 1口 江戸時代 相国寺蔵常設展示 鹿苑寺大書院障壁画のうち ■一之間 床貼付 ◎葡萄小禽図 伊藤若冲筆 12面 紙本墨画 江戸時代(宝暦9年・1759) 鹿苑寺蔵 ■一之問小襖 樵夫吹笛図、竹雀図、双雀図、旅僧図 住吉如慶筆 4面 紙本墨画淡彩 江戸時代 17世紀 鹿苑寺蔵 ■三之同床貼付 ◎月夜芭蕉図 伊藤若冲筆 4面 紙本墨画 江戸時代(宝暦9年・1759) 鹿苑寺蔵常設展示 ◎⑤不動明王像 1躯 鎌倉時代 13世紀 鹿苑寺蔵よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/20
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【2021年9月18日(日)】 昨日は、終日事務所出頭。やはり忙しかったです。今日は、会協力のイベントに出る予定でしたが、コロナで中止になりフリー日になっていました。在宅で会の諸事を進めました。 「若冲と応挙」の第47回。付録の2つめ若冲の年譜の「その3(51際~70歳まで)」です。 伊藤若冲年譜(51歳~70歳)西暦(和暦)年齢 ◆:若冲の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向1766(明和3)51歳 ◆1月23日、相国寺、前年冬の証状に対する請書を若冲の町内に渡す-参暇寮日記。 4月19日、真如堂本尊の開扉に際し、相国寺方丈の室中正面に「釈迦三尊像」、 左右に「動植綵絵」12幅が飾られる-同前。5月18日、「動植綵絵」12幅、裏打ちのため 南蔵から出される-同前。6月22日、12幅の表装できる-同前。 6月23日、相国寺の例年の虫干しで「釈迦三尊像」と「動植綵絵」24幅、中の間に掛けられ る-同前。 11月、大典の碣銘を刻す若冲の寿蔵(生前墓)を相国寺塔頭松鷗庵に建立-碣銘。☆秋、蕪村が讃岐に赴く。1767(明和4)52歳 ◆春、大典と淀川を下り大坂に行く-乗興舟跋。「乗興舟」この年制作か-大典跋。 9月19日、相国寺に行き、弟宗寂の三回忌法要を請う-参暇寮日記。 9月19日、若冲の家で法要営まれる。-同前。*田沼意次、側用人となる。1768(明和5)53歳 ◆5月、『玄圃瑶華』刊行。「素絢石冊」この年刊行か-四辻公亨跋。 10月1日、東本願寺門跡光遍上人、若冲寄進画の一覧を相国寺に申し入れ、許可される ‐参暇寮日記。この年板行の『平安人物志』に、大西酔月、円山応挙、若冲、池大雅、 与謝蕪村の順で載る。住所は高倉錦小路上ル町。☆与謝蕪村、讃岐より帰京。白隠没(84歳)。1769(明和6)54歳 ◆6月17日、相国寺の閣懺法に際し、方丈正面に「釈迦三尊像」、左右に「動植綵絵」を 掛ける-参暇寮日記。1770(明和7)55歳 ◆10月、父の三十三回忌に当たって、「釈迦三尊像」及び30幅の寄進を完了 する。両親と自分の戒名を刻す位牌を相国寺に奉納-銘。1771(明和8)56歳 ◆多色拓版「花鳥版画」制作。この年の末から1773年にかけて錦高倉青物市場をめぐる争議(営業停止になる)に際し、年寄として尽力-京都錦小路青物市場記録。☆池大雅と蕪村、「十便十宜図帖」を合作。1772(安永1)57歳 ☆大典、相国寺慈雲院に復帰。大西酔月没(生年不詳)。1773(安永2)58歳 ◆夏、萬福寺住持の伯殉照浩から「革叟」の号と僧衣を授かる-伯洵照浩偈頌。1775(安永4)60歳 ◆この年板行の「平安人物志」に、応挙、若冲、大雅、蕪村の順で載る。住所は高倉錦小路 上ル町。☆6月、大典、『小雲棲稿』刊行。1776(安永5)61歳 ◆この頃、石峯寺の石像群の制作に着手-拾遺都名所図会。「猿猴摘桃図」はこの年までの 制作。☆4月13日、池大雅没(54歳)。伯珣照浩没(82歳)1779(安永8)64歳◆9月19日、母清寿没(80歳)-過去帳。☆8月5日、大典、相国寺113代住持となる。1781(安永10)66歳 ☆1月7日、曾我蕭白没(52歳)。1782(天明2)67歳 ◆1月28日、相国寺に寄進画拝借を願い出て許可される-参暇寮日記。この年板行の 「平安人物志」に、安永4年と同じ順で載る。住所も同じ。1783(天明3)68歳◆6月27日、日光准后宮公遵法親王、相国寺で文正筆「鳴鶴図」及び若冲画30余幅を観覧 -役者寮日記。「蟹図」はこの年までの制作。☆12月25日、与謝蕪村没(68歳)。1785(天明5)70歳 ☆12月24日、鶴亭没(64歳)。「乗興舟」(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/18
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【2021年4月16日(木)】 今日は終日事務所出頭でした。忙しかったです。 昨日は終日在宅で、この日を利用して、一日がかりで、新しい給湯システムを大阪ガス関連の工事会社に設置してもらいました。 今の家を建てて住み始めたのが2008年夏。給湯器システムは大阪ガスのエコウィルでした。10年で保証が切れた後も使い続けていたのですが、先日、エコウィル側ではなく、給湯器が雨水浸入で故障し13年の天寿を全うして、買い替えることになりました。初期投資も含めて、光熱費が得になるかどうかは不明ですが、停電時に0.7Kwであれば自家発電をしてくれるという特長もあるので、エネファームを設置してもらうことにしました。 昨日、その工事をしてもらいました。「エネファーム」(発電機)側には、大阪ガスとアイシン精機の社名が入っています。アイシン以外にパナソニック、京セラなどが生産しているようです。給湯機側は「エコジョーズ」ですが、大阪ガスの名前しか入っていません。調べてみると、ノーリツ、リンナイ、パロマ、パーパス、長府製作所などが生産しているようです。銘板を見ると、「NR」と書かれていたので、恐らくノーリツ製ではないかと思います。発電機エネファーム給湯機エコジョーズ リモコンには、写真のような画面が出て、今、どれだけの電気を消費していて、そのうち送電線からいくらの電気を引き入れて、発電でどれだけ賄っているかが分かるようになっています。発電は常時0.7KWするので、それ以下の電気消費であれば、余った分は売電することになり、表示版の送電線への電気の流れが逆になります。リモコン親機画面 ただし、この売電は年間で1万円程度で、大きいのは、ガスで発電して、送電線からの電気を最小限に食い止めることです。ガス代は高くなりますが、ガスでの発電のほうが電気を引き入れるより安価なので、そこで光熱費を下げることができるという仕組みです。 停電時の電気供給用のコンセントも工事をしてもらって設置してもらいました。停電時でも700Wまでの電気が使えます。お風呂のリモコンも新しくなって、お風呂からは呼び出しのチャイムだけだったものが、親機と会話ができるようになりました。停電時用コンセント(下側) 機器の設置工事は終わって、新しい給湯機が使えるようになりましたが、エネファームの稼働は関西電力への手続きが済んでからになるので、10月になってからになります。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/16
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【2021年9月15日(水)】 今日はもともとフリーの日でしたが、それを利用して、大阪ガスのサービス会社に来ていただいて、旧湯器エコジョーズと発電機エネファームの設置でした。コロナで東南アジアの工場が閉鎖になって、給湯器の部品が生産できなくなり、給湯器の供給に支障が出ているようで、今日できるかどうか危うかったそうですが、何とかなったようです。 雨があがってよかったです。終日かけて設置していただきました。発電機のエネファームの稼働は関電への手続きが済んで10月になります。キッチンでお風呂の操作ができたり、お風呂と通話できたり、リモコンも以前より便利になりました。 「寂雄と応挙」の第46回。付録の2つめ若冲の年譜の「その2(31際~50歳まで)」です。 伊藤若冲年譜(31歳~50歳)西暦(和暦)年齢 ◆:若冲の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向1755(宝暦5)40歳 ◆次弟(宗巌)に桝屋の家督を譲る-町中沽券状。通称を茂右衛門と改めて、家業から解放 され、作画三昧の生活に入る。2月、「月梅図」(バーク・コレクション)制作。 4月、「旭日鳳凰図」制作。同月、朝鮮画の「猛虎図」(正伝寺蔵)を模写し、 「虎図」(プライス・コレクション)制作。 ☆8月3日、京都出身の画家望月玉蟾(ぎょくせん)没(63歳)。 9月、売茶翁、高齢のため売茶の生活をやめる。 12月4日、近江出身の画家高田敬輔(けいほ)没(83歳)。1756(宝暦6)41歳 ☆6月、江戸出身の南蘋派の画家黒川亀玉没(25歳)。1757(宝暦7)42歳 ◆「売茶翁像」制作-売茶翁自賛。☆9月、蕪村、丹後より京へ帰る。"1758(宝歴8)43歳 ◆「動植綵絵」30幅の連作に着手する(あるいは前年からか)。 春、最も早い年記のある「梅花小禽図」制作。 ☆9月5日、大和郡山藩重臣で南画家の柳沢淇園没(55歳)。 曾我蕭白、翌年にかけて伊勢地方を巡る。1759(宝暦9)44歳 ◆2月、「雪中鴛鴦図」(動植綵絵)制作。 8月、「秋塘群雀図」「向日葵雄鶏図」(いずれも動植綵絵)制作。 秋、「紫陽花双鶏図」(動植綵絵)制作。 10月、鹿苑寺大書院5室に水墨障壁画50面(「葡萄図」「松に鶴図」 「月夜芭蕉図・芭蕉に叭々鳥図」「竹図」)を制作。 この年、「大鶏雌雄図」(動植綵絵)制作。 ☆2月12日、大典、慈雲庵住持の隠退願を出し、郊外に閑居。1760(宝暦9)45歳 ◆大典を通して、黄檗僧高遊外(売茶翁)を知る。 この年か翌年頃、大典・池大雅らと京郊外で観梅-小雲棲稿。 8月、「花鳥蔬菜図押絵貼屏風」制作。冬至、「動植綵絵」を見た売茶翁から 「丹青活手妙通神」の一行書(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)を贈られる。 版画「髑髏図」この年か-売茶翁賛。 この頃、大典、「藤景和が画の記」を記す-動植綵絵款記。 *9月2日、徳川家治が江戸幕府十代将軍に就任。1761(宝暦11)46歳 ◆春、「芦鷲図」(動植綵絵)制作。 5月、「寒山拾得図」(ギター・コレクション)制作-無染浄善賛。 この年までに、「芍薬群蝶図」「梅花皓月図」「芙蓉双鶏図」「老松白鶏図」 「老松鸚鵡図」(いずれも動植綵絵)を制作。 ☆秋、大典、『咋非集』刊行。1763(宝暦13)48歳 ◆「売茶翁偈語」に「売茶翁像」を描く。-「売茶翁偈語」 ☆6月19日、大岡春卜没(84歳)。 7月16日、売茶翁没(89歳)、同月、『売茶翁偈語』刊行。 この頃、与謝蕪村が屏風講により屏風を多数制作し頒布。1764(明和1)49歳 ◆金刀比羅宮奥書院上段の間に「花卉図」、二の間に「山水図」、三の間に「杜若図」、 広間に「垂柳図」制作-奥書院障子装飾之記。1765(明和2)50歳 ◆9月19日、末弟の宗寂没-参暇寮日記。 9月29日、相国寺に「釈迦三尊像」3幅、「動植綵絵」24幅を寺の「荘厳具として」 寄進-動植綵絵寄進状。 10月7日、相国寺、寄進の返礼に菓子松風二斤を持参-役者寮日記。 11月11日、宝蔵寺に宗寂の墓を建立-銘。 12月28日、若冲没後に屋敷一か所(高倉通四条上ル帯屋町)を町内に譲渡し、 毎年忌日に青銅三貫文を相国寺常住へ納める旨(永代供養)の証文に対し、 相国寺、請書の案を町内へ持参-参暇寮日記。 ☆5月、円山応挙、「淀川両岸図巻」(アルカンシェール美術財団蔵)制作。 鈴木春信らが多色刷の錦絵を創始。売茶翁(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/15
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【2021年9月14日(火)】 今日はもともとは会のフィールドワーク研修で、方広寺近辺を歩く予定でしたが、緊急事態宣言延長で中止になり在宅でした。 会の諸事の1つで、ここ1ヵ月くらい根を詰めてやってきたことがあり、今日で成果物を提出しました。これが出来上がってきたら、また忙しくなると思いますが、とりあえずひと段落しました。 「若冲と応挙」の第45回。付録の2つめ、若冲の年譜「その1(30際まで)」です。伊藤若冲年譜(1歳~30歳まで) 西暦(和暦)年齢 ◆:若冲の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向1716(正徳6)1歳 ◆2月8日、京都錦街に生まれる。母は近江の武藤氏出身-碣銘。父(宗清)は 青物問屋「桝屋」の三代目-過去帳。家は錦小路通中魚屋町南側-町中沽券状。 幼名は不詳。 ☆6月2日、尾形光琳没(59歳)。与謝蕪村生まれる。 *8月13日、徳川吉宗、江戸幕府八代将軍に就任。"1719(享保4)4歳 ☆5月9日、大典、近江国伊庭の儒医の家に誕生(権大納言園基勝から里子に出されたか)。1723(享保8)8歳 ☆5月4日、池大雅、京都西陣に誕生。1729(享保14)14歳 ☆3月、大典顕常、相国寺塔頭慈雲庵にて得度。1730(享保15)15歳 ◆この頃から絵を学び始める。 ☆7月26日、中国清の画家伊海(孚九)(ふきゅう)再来日し、8月29日帰国。 曾我蕭白、京都に誕生。 *6月、京都大火(西陣焼け)。1731(享保16)16歳 ☆12月3日、中国清の画家沈銓(南蘋)(しんせん、なんぴん)来日。1733(享保18)18歳 ☆5月1日、円山応挙、丹波国穴太(あなお)村に誕生。9月18日、沈銓(南蘋)が帰国。1734(享保19)19歳 ☆大岡春卜(しゅんぼく)、『欄間図式』刊行。1735(享保20)20歳 ☆この頃、売茶翁、鴨川の水辺に茶店を開く。1736(元文1)21歳 ☆11月28日、木村蒹葭堂(けんかどう)大坂に誕生。1738(元文3)23歳 ◆9月29日、父宗清没(42歳)-過去帳。家督を相続し、四代枡屋源左衛門となる。1740(元文4)25歳 ☆大岡春ト、『画巧潜覧』刊行。1744(延享1)29歳 ☆2月、池大雅「渭城柳色図」(敦賀美術館蔵)制作。冬、大雅、「箕山海布図」制作。 売茶翁、相国寺内の林光院にこれ以後10年間住む。この頃、浮世絵の紅摺絵始まる。1745(延享2)30歳 ☆大典が相国寺慈雲庵の住持となる。 *11月2日、徳川家重、江戸幕府九代将軍に就任。大典顕常(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/14
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【2021年9月13日(月)】 今日はもともとからフリー日。在宅で会の諸事でしたが、今日は時間の余裕が少しあったので、久しぶりに夕食を作りました。「パエリア」に挑戦しました。 買い物でレシピに書いてあったサフランを買おうとして香辛料売場に行きました。瓶を見つけて、底からなかを覗いてみましたが、何も入っていません。隣のターメリックの瓶は、ちゃんと粉で満たされています。思わず、店の人を呼びそうになりました。でも、どのサフランの瓶も同じ空なのに気付き、1個の瓶だけなら何か瓶詰め不良ということも考えられるのですが、全部ということはあり得ないと思い、よくよく見ると、ビニール袋に少しだけ、紫色の小さな細い棒状のものが、入っているのが見えました。そんなわずかんおサフランの入った1瓶が約400円。このとき、初めてとてつもない高価な香辛料であるのに気付きました。 そんば具合で、おっかなびっくりで準備して料理開始。奮闘1時間15分。見てくれはイマイチでしたが、おいしいパエリアができました。「若冲と応挙」の第44回です。付録の1、若冲や応挙の作品に出合うことができる施設の紹介「その2」です。付録1 作品に出会える施設 その1●東海地方徳川美術館名古屋市東区徳川町1017 TEL:052-935-6262 https://www.tokugawa-art-museum.jp/応挙「華洛四季遊戯図巻」「鯉亀図風炉先屏風」静岡県立美術館静岡市駿河区谷田53-2 TEL054-263-5755 http://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/若冲「樹花鳥獣図屏風」ゴールデンウィークに特別展示。その他作品は企画展などで展示。応挙「木賊兎図」企画展などで展示。●東京都宮内庁三の丸尚蔵館東京都千代田区千代田1-1(皇居東御苑内)TEL:03-3213-1111https://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/sannomaru.html若冲「動植綵絵」全30幅、「旭日鳳凰図」応挙「江州日日野村落図屏風」「牡丹孔雀図」「群獣図屏風」三井記念美術館東京都中央区日本橋室町2丁目1−1 三井本館 7階 TEL:03-5777-8600http://www.mitsui-museum.jp/応挙「雪松図屏風」「山水図屏風」「梅花双鶴図小襖」「郭子儀祝賀図」「水仙図」「破墨山水図」「雲龍図」「富士図」「山水図」三井記念美術館東京国立博物館東京都台東区上野公園13-9 TEL: 03-3822-1111 https://www.tnm.jp/応挙「写生帖」、旧明眼院障壁画「老松図壁貼付」「老梅図襖」及び「朝顔狗子図杉戸」、植松家旧蔵「双鶴図」及び「郭子儀携小童図」、「青松白鶴図」、金剛寺障壁画「山水図」及び「波濤図」、「拡元先生像・端淑孺人像」、「雪中老松図」サントリー美術館東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階 TEL:03-3479-8600https://www.suntory.co.jp/sma/応挙「青楓瀑布図」静嘉堂文庫美術館東京都世田谷区岡本2-23-1 TEL:03-3700-0007 https://www.suntory.co.jp/sma/応挙「江口君図」東京藝術大学大学美術館東京都台東区上野公園12-8 TEL:050-5525-2200 https://www.geidai.ac.jp/museum/若冲「鯉図」応挙「花卉鳥獣人物図」「竹鶏図」「若芽南天」など多数。平木浮世絵美術館東京都江東区豊洲2-4-9アーバンドックららぽーと豊洲ISLABDS 1F TEL:03-6273-1250http://www.ukiyoe-tokyo.or.jp/ 若冲「花鳥版画」根津美術館東京都港区南青山6-5-1 TEL:03-3400-2536 http://www.nezu-muse.or.jp/応挙「藤花図屏風」●関東地方(東京都以外)千葉市美術館千葉市中央区3-10-8 TEL:043-221-2311 https://www.ccma-net.jp/若冲「鸚鵡図」「寿老神・孔雀・菊図」「雷神図」徳川ミュージアム茨城県水戸市見川 1-1215-1 TEL:029-241-2721 https://www.tokugawa.gr.jp/応挙「百蝶図」佐野市立吉澤記念美術館栃木県佐野市葛生1-14-30 TEL:0283-86-2008 https://www.city.sano.lg.jp/sp/yoshizawakinembijutsukan/index.html若冲「菜蟲譜」企画展時展示。常時は複製展示群馬県立近代美術館群馬県高崎市綿貫町992-1 TEL:027-346-5560 http://mmag.pref.gunma.jp/応挙「青鸚哥図」ハラミュージアム アーク群馬県渋川市金井 2885-1 TEL:0279-24-6585 https://www.haramuseum.or.jp/jp/arc/ 応挙「淀川両岸図巻」岡田美術館神奈川県足柄下郡箱根町小涌谷493-1 TEL:0460-87-3931 https://www.okada-museum.com/若冲「梅花小禽図」「孔雀鳳凰図」「花卉雄鶏図」「月に叭々鳥図」「三十六歌仙図屏風」岡田美術館次回は付録2「若冲年譜」です。(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/13
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【2021年9月12日(日)】 終日、PCに向かって会の諸事でしたが、直近に締めきりがあるものがないので、時間は自由設計できています。正直なところ、色々キャンセルが入ったので、何とか時間がマネージできていますが、キャンセルになっていなかったらパニックに陥っているかもしれません。 「若冲と応挙」は前回で本編は最終回でした。あと参考資料を投稿していきます。今日は若冲や応挙の作品に出合うことができる施設の紹介「その1」です。付録1 作品に出会える施設 その1 ほとんどの作品が特別展や企画展など期間限定での公開です。期間限定の時期が毎年固定したいる場合や、常時観覧できる場合のみ、その旨記載しました。作品を観覧される場合は、該当施設のホームページや電話で確認してから、訪問してください。●京都府京都国立博物館京都市東山区茶屋町527 TEL:075-523-2427 https://www.kyohaku.go.jp/jp/若冲「乗興舟」「果蔬涅槃図」「石峯寺図」「石灯籠図屏風」「海宝寺旧蔵群鶏図障壁画」「墨竹図」など。応挙「魚籃観音図」「水草に鷺図」「琵琶湖宇治川写生図巻」「双鹿図屏風」「龍門図」「人物描写図法」など。相国寺承天閣美術館(塔頭寺院所蔵含む)京都市上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町 TEL:075-241-0423https://www.shokoku-ji.jp/museum/若冲「鹿苑寺大書院障壁画 葡萄小禽図」「同 月夜芭蕉図」常設展示。「同 松鶴図襖」「同 菊に鶏図襖」「同 芭蕉叭々鳥図襖」「同 竹図襖」、「釈迦三尊像」「牡丹・百合図」など。応挙「牡丹孔雀図」「七難七福図」「大瀑布図」「雲中山水図屏風」細見美術館京都市左京区岡崎最勝寺町6-3 TEL:075-752-5555 https://www.emuseum.or.jp/若冲「雪中雄鶏図」「糸瓜群虫図」「瓢箪・牡丹図」「菊花図押絵貼屏風」「群鶏図押絵貼屏風」「伏見人形図」「仔犬に箒図」「鶴亀図」「海老図」「虻に双鶏図」福田美術館京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町3-16 TEL:075-863-0606 https://fukuda-art-museum.jp/若冲「柳に鶏図」「群鶏図押絵貼屏風」応挙「黄蜀葵鵞鳥小禽図」「巌頭飛雁図」「陶淵明図屏風」泉屋博古館京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24 TEL:075-771-6411 https://www.sen-oku.or.jp/若冲「海棠目白図」石峰寺京都市伏見区深草石峰寺山町26 TEL:075-641-0792 https://www.sekihoji.com/若冲「石峰寺石像群」常時拝観可能。若冲忌9月10日の時期に寺宝の墨画掛軸「虎図」など特別展示。宝蔵寺京都市中京区裏寺町通蛸薬師上ル裏寺町587番地 TEL:075-221-2076 http://www.houzou-ji.jp/若冲「竹に雄鶏図」「髑髏図」、他に弟子作品。2月8日、若冲誕生会で公開両足院京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町591 TEL.075-561-3216 https://ryosokuin.com/若冲「雪梅雄鶏図」圓光寺京都市左京区一乗寺小谷町13 TEL:075-781-8025 https://www.enkouji.jp/応挙「雨竹風竹図屏風」(複製は常設展示)金剛寺京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内43 TEL:0771-22-2871 https://www.kongouji.net/応挙「波濤図」の内12襖と「群仙図」の内2襖を復元し常時公開。「群仙図」原図は収蔵庫に保管、11 月 3 日「文化の日」に一般公開。金剛寺(京都府亀岡市)●関西・西日本西福寺大阪府豊中市小曽根1-6-38 TEL:06-6332-^9669若冲「仙人掌群鶏図」「蓮池図」「山水図」「野晒図」。本堂は11月3日公開(雨天中止)MIHO MUSEUM滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300 TEL:0748-82-3411 http://www.miho.or.jp/若冲「象と鯨図屏風」「双鶏・霊亀図」「松鶴図」応挙「孔雀図」「虹図」「京名所図屏風」「京名所図屏風」「王義之書扇図」「蟹蛙図」「遊亀図」大乗寺兵庫県美方郡香美町香住区森860 TEL:0796-36-0602 http://www.daijyoji.or.jp/main/応挙「松孔雀図襖」「郭子儀図襖」「山水図襖・壁貼付」他、及び応挙一門障壁画(複製常時公開、原図特別公開時)。他に「王儀之龍虎図」「鍾馗図」「柳下狗子図」「波上白骨坐禅図」「野分図」大乗寺(兵庫県美方郡香美町)金刀比羅宮香川県仲多度郡琴平町892-1 TEL:0877-75-2121 http://www.konpira.or.jp/応挙 表書院「遊鶴図襖」「遊虎図襖」「竹林七検賢図襖」「山水図」「瀑布図」常時公開。若冲 裏書院「花丸図」特別公開時。無量寺和歌山県東牟婁郡串本町串本833 TEL:0735-62-0468 https://muryoji.jp/index.html応挙「出山釈迦図」「豊干寒拾図・花鳥図」「豊干寒拾図・花鳥図」「波上群仙図」「群鶴図」(小襖絵)「山水図」「雪中山水図」。その他長沢芦雪作品。(複製・原図常時展示)草堂寺和歌山県西牟婁郡白浜町富田1220-1 TEL: 0739-45-0004若冲「隠元豆・玉蜀黍(とうもろこし」図」「鸚鵡図」(和歌山県立博物館寄託)応挙「雪梅図襖・壁貼付・床貼付」(和歌山県立博物館寄託)(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/12
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【2021年9月11日(土)】 一昨日、昨日と連続で終日事務所出頭でした。色々とてんてこ舞いでした。今日も終日PCに向かって、会の諸事ですが、直近の締めきりのおのはないので、少々気は楽です。 「若冲と応挙」いよいよ本編の最終回です。「絵の比較」を終えましたので、「生涯の比較」をしてみましょう。◆第4章 若冲と応挙を比較してみる(続き)4-2 生涯を比べてみる 若冲、応挙、二人の画風の大きな違いはどこから来るのでしょう。もちろん、天賦の才能の違いの影響が大きいでしょう。しかし、彼らの生まれた環境、あるいは育った環境も、かなりの部分影響をしているのではないかと私は考えています。そういった点を箇条書きで簡単に比較してみましょう。生きた時代若冲:1716年(正徳6)2月8日-1800年(寛政12)9月10日 85歳没応挙:1733年(享保18)5月1日-1795年( 寛政7)7月17日 53歳没共通:江戸時代中期の画家。応挙の生きた時代は、若冲のそれに完全に含まれる。生まれた環境若冲:現京都市内、錦小路の裕福な青物問屋の長男。応挙:現京都府亀岡市。貧しい農家の次男。共通:現京都市内あるいは京都市近郊育った環境若冲:裕福なので青物問屋主人になっても絵を描き続けることができた。好きな画題、得意な画題を描いていればよかった。⇒動植物の絵がほとんど。動植綵絵は寺院の荘厳。売り物ではない。応挙:幼くして僧になるべく近くの金剛寺に預けられ、やがて京都に出て、玩具商・尾張屋に奉公し、眼鏡絵を描く。絵を描くのは生活のためでもあったので、依頼主の要求に応えなければならなかった。⇒遠近法、オールラウンダー共通:盛年時期は京都中心部に居住。両人住居は至近距離。天明の大火で焼け出される。絵を学ぶ若冲:狩野派の技をなすもの大岡春卜に学んだ? 狩野探幽、鶴亭などに影響を受ける。応挙:狩野派系石田幽汀に学ぶ。沈南蘋、狩野探幽、渡辺始興、日本古典画などに影響を受ける。共通:中国画に学び、影響を受ける。交流のあった人々若冲:大典顕常、伯珣照浩、売茶翁⇒禅の教え。生き方を学ぶ。絵の模写のツテ。池大雅⇒文化的交流応挙:円満院祐常、三井高美、妙法院門跡真仁法親王⇒絵の注文主、絵の模写のツテ。与謝蕪村⇒文化的交流共通:皆川淇園、木村蒹葭堂⇒文化的交流弟子と没後の展開若冲:限られた弟子の数。師を超える弟子は現れず。師が余りにも個性的過ぎた。若冲の代でほぼ途絶える。応挙:多くの弟子を育てた。師は偉大だったが、発展、展開の余地があった。森派、四条派など派生流派も形成された。竹内栖鳳など近代画壇にも繋がる。人々の認知若冲:没後明治時代までは衆目に知られ人気。その後日の目を見なかったが、最近になって若冲ブーム勃発。発刊されている関連本は応挙に比べて圧倒的に多い。応挙:没後も一定の認知と人気だが、若冲に比べると静かな人気。共通:両人、生前は「平安人物志」番付で1位、2位を常に争う。でも応挙が常に上。伊藤若冲肖像画 久保田米僊筆 円山応挙肖像画 山跡鶴礼筆 応挙が長男として生まれてきたら、いやでも農家を継がなければならず、画家応挙は生まれなかったかもしれません。応挙が若冲の家に生まれてきたら、尾張屋奉公の経験は得られず、後世に名を残すような偉大な画家にはなっていなかったかもしれません。若冲が応挙の家に生まれてきたらどうでしょう。若冲の個性は尾張屋奉公では伸びなかったかもしれません。二人が京都から遠くに生まれていたら、ただ絵を描くのが得意な青年で終わっていたかもしれません。偶然に偶然が重なって天賦の才能が開花し、この二人の素晴らしい作品群を今私たちは目にすることができます。 副題を「奇想の画家たちの生涯と生きた時代」としました。第1回で、応挙を奇想の画家に含めるのに違和感を覚える人も多いのではと述べました。この連載を読んでいただいてどうだったでしょうか。「精選版 日本国語大辞典」には「奇想」=「普通では思いつかない考え。奇抜な思いつき。」とあります。応挙の例えば「人物を描くとき、骨格を描いて、それに服を着せる」という着想は「普通では思いつかない考え」という意味で「奇想」と呼んでもいいのではないでしょうか。ということで、私は応挙をあえて「奇想の画家」と呼ばせていただいた次第です。 今回の研究にあたって参考にした主な文献を挙げておきます。【主な参考文献】「新版 奇想の系譜」 辻惟雄著 小学館 2019年「若冲百図」 小林忠監修 別冊太陽 平凡社 2015年「もっと知りたい伊藤若冲」 佐藤康宏著 東京美術 2011年改訂版「若冲」 狩野博幸著 角川ソフィア文庫 2016年「若冲」 渋澤龍彦他著 河出文庫 2016年「若冲」 澤田瞳子著(小説) 文藝春秋 2015年「円山応挙」 金子信久監修 別冊太陽 平凡社 2013年「もっと知りたい円山応挙」 樋口一貴著 東京美術 2013年「応挙・呉春・蘆雪」 山川武著 古田亮編 東京藝術大学出版会 2010年 これで本編は終了ですが、次回から何回かにわたって参考資料を投稿する予定です。(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/11
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【2021年9月8日(水)】 昨日午前中は年イチの健康診断で、隣のニュータウン内のエミナースに二人で行きました。二人とも、毎年オプションで付けている、標準腫瘍マーカーの検査もしていただきました。結果は約1ヵ月後に郵送されてきます。 昨日の午後と、今日は、在宅で会の諸事を進めました。締めきりの明確な内容は、一昨日までに済ませたので、プレッシャーをあまり感じることなく進めることができました。 「若冲と応挙」の第41回、「絵を比べてみる」の最終回です。◆第4章 若冲と応挙を比較してみる(続き)4-1 絵を比べてみる(続き) 最後に風景画。若冲の風景画となると、人物画よりさらに少なくなります。その一つが以前にも紹介した点描を使った図1「石灯籠図屏風」です。近景と遠景を明確に描き分け、間には雲海を置いて、山は暈したうえで小さく描いて遠近感を表現しています。図2応挙「江州日野村落図屏風」。応挙らしい作品です。両方とも六曲一双の屏風(ここでは片隻のみ表示)で若冲は金泥引を、応挙は金砂子を使っています。若冲の絵は寛政年間(1789-1800)の作、応挙の絵は安永5年(1776)の作です。若冲の絵のほうが後です。若冲が「俺だって風景が描けるんだ。」と、応挙と同じように金を使って六曲一双の屏風で描き上げたとも考えられます。ただ同じ技法では面白くないので、点描画という斬新な技法を取り入れたのかもしれません。図1 若冲「石灯籠図屏風」紙本墨画金泥引 六曲一双の右隻 京都国立博物館蔵(再掲)図2 応挙「江州日野村落図屏風」紙本墨画金砂子 六曲一双の左隻 宮内庁三の丸尚蔵館蔵 もう一つだけ、風景画のジャンルに入る絵を比較しておきます。図3は以前紹介した若冲「乗興舟(じょうきょうしゅう)」。図4はやはり以前紹介した応挙「淀川両岸図巻」です。若冲も応挙も伏見から大坂まで淀川を船旅して描いたようです。若冲作品は木版正面摺で、中国の風景かと思わせるような描き方です。応挙作品は、絹本着色の標準的なスタイルですが、左岸の建物が上下逆に描かれた部分があり、俯瞰図ながら船上の旅人の視線で描いているのが特徴です。同じ対象ながら、全く異なった作品に仕上がっています。若冲作品は明和4年(1767)作、応挙作品は明和2年(1765)作で、応挙作品のほうが少しだけ早く描かれています。若冲は応挙の作品を意識したうえ、正面摺の中国風墨画という応挙絵にはない技法で対抗したのかもしれません。当時、伏見から大坂への船旅が盛んだったことも、この2つの絵から窺い知ることができます。図3 若冲「乗興舟」紙本木版正面摺(部分) 京都国立博物館蔵(再掲)図4 応挙「淀川両岸図巻」絹本着色(部分) (公財)アルカンシエール美術財団(再掲) 若冲、応挙二人の絵を、よく似た画題を取り扱った絵を中心に比較してきました。美術書には、この絵は応挙が若冲を意識したかもしれないとか、若冲が応挙に対するライバル意識丸出しで描いた絵かもしれないなんていうことはあまり書いてありません。たまたま両人の絵を同時に研究することになった私の個人的な見解でしかありません。見当違いかもしれませんが、その場合はこの浅学の身をお許しください。(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/08
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【2021年9月6日(月)】 今日はもともとフリー日。今日がタイムリミットの会の作業に時間を費やしました。 「若冲と応挙」の台40回。「絵を比べてみる」の「その4」です。◆第4章 若冲と応挙を比較してみる(続き)4-1 絵を比べてみる(続き) 若冲と応挙の絵の比較の続きです。 多くの動物を描いた「群獣図」です。図1若冲「樹花鳥獣図屏風」。以前の回で「升目描き」によるモノクロ調の「白象群獣図」を紹介しましたが、こちらはフルカラーです。右隻には白象を中心に23種類の動物が描かれ、左隻には鳳凰を中心に31種類の鳥が描かれています。モノクロ調の「白象群獣図」に比べると稚拙な技巧が見られるため、若冲の下絵による、弟子たちの彩色ではないかともいわれています。図2応挙「群獣図屏風」。19種類53体の動物が描かれています。多くの動物がつがいで登場し、大小様々な動物たちが争うことなくくつろいでいます。若冲作品も、応挙作品も、動物たちのパラダイスを描いてはいますが、ずいぶん雰囲気の違うパラダイスになっています。図1 若冲「樹花鳥獣図屏風」静岡県立美術館蔵 上:右隻 下:左隻図2 応挙「群獣図屏風」宮内庁三の丸尚蔵館蔵 上:右隻 下:左隻 図3若冲「蒲庵浄英像」 図4応挙「江口君図」 京都・萬福寺蔵 静嘉堂文化美術館蔵 今までは全部動植物の絵の比較でした。応挙は動植物以外に、風景画や人物画も多く描いたのに対し、若冲はほとんど風景画や人物画を描かなかったので、比較する絵が動植物の絵にならざるを得ないためです。若冲の絵への向き合い方が大典顕常筆「寿蔵碣銘」に記されていることを以前の回で紹介しました。「では何を描くか。雲の上を飛ぶ麒麟や中国故事人物は実存しない。月代頭(さかやきあたま)の日本人を描くのは嫌である。日本の山水も描くほどのものはない。」風景や人物は端から描く対象として考えていなかったのです。とはいうものの若冲は辛うじて、肖像画の形で人物画を遺しています。図3若冲「蒲庵浄英像」。黄檗僧・蒲庵浄英の肖像画です。対して図4応挙「江口君図」。出来栄えという点では応挙の方が数段上回っていると言っても過言ではないでしょう。もともと若冲は人物画が好きではなっかたし、得意でもなかったのでしょうが、お世話になった知己の肖像画だけは描かざるを得なかったのでしょう。(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/06
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【2021年9月6日(日)】 昨日は、会の臨時の集まりと、その後の作業で事務所でした。 今日は、午前中床屋に行ってさっぱりしましたが、ここしばらく忙しくてできなかったプライベートのことに時間を割きました。そのため会のことはあまりできませんでした。明日また次の締めきりのものがあるので、ネジを巻き直しです。 8月は全国で豪雨の被害が出ました。幸い京都は大きな被害はなかったようです。でも、雨の日が多かったし、雨もきつかったのは間違いないです。特に中旬が酷かったですね。8月中旬の京都の降水量を調べてみました。平年の何と8倍近いです。ここ20年で段トツの量です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/05
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【2021年9月3日(金)】 9月になりました。1日はもともと予定無しでしたが、2日は「京の夏の旅」六道珍皇寺、3日は就学旅行ガイドの予定でした。しかし、両方ともコロナでキャンセル。1日、2日とも在宅ながら、会のやらねばならないことに追われていました。期限が既に過ぎているので、焦っって落ち着かない2日間でした。 以前投稿したように、エコウィルの給湯器が壊れたため(こちら)、1日にはガスサービス会社に来てもらって、エネファームの見積りを出してもらって、説明を受けました。もともとエコウィルがダメになったら、エネファームに替える予定でしたので即決しました。エコウィルがダメになった場合、単純な給湯器に替える方も多いようですが、高額にはなりますが、総合的に判断してエネファームにしました。今日、再び来ていただいて契約しました。 その契約を終えて、二人+孫で京都鉄道博物館に行きました。私は2回目。2、3年前、会の仲間がペアで株主優待で入場券をもらったというので、いっしょに行ったのが1回目でした。夏休みも過ぎた平日で雨も降っていたのでガラガラで密の心配はありませんでした。当然、孫は楽しんでいましたが、我々も楽しみました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/03
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