窓辺でお茶を

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November 26, 2017
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御巣鷹の尾根に墜落した日航機の生存者を最初に発見、救助したのは、上野村の消防団だったとご存知でした? 私は自衛隊のヘリに運ばれる場面をニュースで見たために、自衛隊が発見したのだという印象が残っていました。

乗客509名、運行乗務員3名、客室乗務員12名を乗せた日航123便ジャンボ機が墜落したのは、1985年8月12日のことでした。あれから32年が経ちました。

青山透子さんの「天空の星たちへ  日航123便 あの日の記録」を読みました。
2010年に出版された本です。



(電子書籍版へのリンクをお借りしました)

著者の青山透子さんは1982年に日本航空のスチュワーデスとして初フライト、その時の便は羽田から伊丹への123便でした。
「天空の星たちは」は、希望が叶ってスチュワーデスとして採用され、厳しい訓練を受けたり、先輩にアドバイスを受けたり、初フライトでは失敗もして旅慣れた乗客のおじさまたちに笑われたり先輩に助けられたり、初々しくもしっかりと責任感を持って仕事を始めた様子から描かれます。

事故当時は国際線に変わっていましたが、寮に住んでいて、日航機が行方不明のニュースが流れた晩は、寮中の各部屋に設置されていた電話が一斉に鳴って、外まで聞こえるすごい音だったとのことです。心配した家族や友人が無事を確かめたくて電話したのです。
非番で搭乗していて救出された落合由美さんと、乗務員として犠牲になった方の部屋は、一晩中電話が鳴っていたそうです。



一週間後に帰国してから図書館で時系列に沿って新聞各紙を丹念に読んだり、その後退職して航空業界を目指す学生たちを指導するようになって学生たちと一緒に新聞記事を検討して、いくつか疑問が浮かびました。
事故の原因をしっかり調べて2度と悲劇が起きないようにするのが、亡くなった乗客と先輩たちへの供養だと信じ、現場の御巣鷹の尾根に行ったり、当時の上野村の村長さんや遺体の確認をした歯科医師で警察医だった大國氏に会いに行って話を聞いたりしました。

青山氏にとって、最初から腑に落ちなかったのは、ボイスレコーダーの解析も済まないうちに急に圧力隔壁の修理が原因だと報道され始めたこと。

その後、青山氏が持つようになった以下のような疑問に対する答えは出されたのでしょうか?

・圧力隔壁は大きな穴などはなかったが、回収するときに、裁断され、しばらくビニールシートをかけただけの状態で放置されていたが、重要な証拠ならどうしてもっとしっかり保管しないのか?破断面の観察もレプリカ法で行われているが、それでわかるのか?

・86年タイ航空の、トイレに仕掛けられた爆弾で圧力隔壁に大穴が開いた事故では、機内に突風が吹き、ものが飛び交い、乗っていた人たちの耳に異常が起きたのに、日航機では、突風が吹いたという証言もなく、90年に発表された犠牲者の撮った写真を見ても、白い霧もなく(発生したがすぐ消えたという)、酸素マスクが降りて、スチュワーデスがチェックしながら乗客とコニュニケーションを取っている様子が映っていて、物が飛び交っている様子もない。落合由美さんはすぐインタビューに答えているので、耳も無事だったと思われる。

・95年のスターズアンドストライプス(星条旗新聞)に載った米国第345戦術空輸団・マイケル・アントヌッチ氏の証言によると、嘉手納から横田に戻る途中、日航機の緊急事態発生の無線を傍受し、墜落の20分後に現場の上空に到達、煙が上がるのを目撃、9:05に海兵隊救難チームのヘリが到着してロープで降りようとしたが、横田基地に連絡したところ、日本側が向かっているので帰還せよとの命令を受けた。(落合由美さんは救助ヘリに気づいて手を振ったが気づいてくれなかったと証言。周りでは数人の子供の声がしていたがそのうち聞こえなくなったとのこと)

報道では墜落場所の情報が二転三転し、自衛隊が到着したのは米軍より12時間遅れた。米軍が場所をわかっていたのだから、当然伝わったのではなかったのか?
学生たちと報道された地点を地図上に印をつけていったところ、墜落場所を中心に楕円を描いていた。

上野村村長だった黒澤氏は青山氏に、「8時ごろ上野村南西部上空をヘリが飛んでいたのに、誰が長野の北相木村御座山などと断定したのか?」と語りました。
木を切って応急で作った担架で生存者を苦労して仮説ヘリポートに運んでからも、なかなかヘリが来なくて、死んでしまうのではないかと心配したそうです。



そして、15日から女子医大に人間ドックのため入院。具合が悪いわけではなく、わざわざこの時期に?

(ちなみに、ロッキード事件では、中曽根氏もお金をもらっていたと言われているのですが、平野貞夫さんが、著書「誰が田中角栄を殺したか」で、女子医大の医師が児玉誉士夫に注射を打って証人喚問できなくしたと書いています)

16、17日には圧力隔壁説が急に有力になり、17日からまた軽井沢に行ってゴルフは自粛したものの、毎日テニスとプール。

青山氏は、映画「沈まぬ太陽」のボランティア出演で上野村に行った際、映画の監修をした、事故当時身元確認班長だった飯塚訓氏や歯科医師で警察医の大國勉氏に会ってみようと決意したのでした。

そして前部の乗客は投げ出されて燃料タンクの火災による焼損遺体が多かったが、それまで見た火災による遺体でも、歯の骨までが真っ黒になった遺体はなかった、まるで2度焼きしたかのようだったと聞きます。



検索してみると、ネット上では色々な説が飛び交っていました。
この不可思議な事実に対する説明なしに「陰謀論」と揶揄するのは筋違いと思います。

私には真偽を確かめるすべはありませんが、このようなブログもあります。
「世界の真実を求めて!」自殺した自衛隊航空隊員が所持していた2枚の写真



なんと、青山透子さんの新著も今年10月に発行されていました。
これは、ぜひ読まなくては。


こちらのリンクは紙の本です。

関連テーマの本もいろいろ出版されていますね。

2006年に出版された、元日本航空パイロットの藤田日出男氏の「隠された証言 日航123便墜落事故」(新潮文庫)も読んでみたいですが、廃刊になっているようです。





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最終更新日  November 26, 2017 07:11:15 PM
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