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2008年10月9日(木) 22日目昨夜は、どこかの空き地にバスを止め、その傍の掘っ立て小屋のような食堂で、卵焼きを作って貰って、夕食でした。バスの中に寝たので、4人とも、鶏の鳴き声に起こされて、5時半には、起きだしていました。1時間待っても運転手は来ません。ドバイ出稼ぎ者は、俺は、別のバスで行く、とでっかい荷物を他の二人に手伝って貰ってバスから降ろし、行ってしまいました。彼は、ドバイからカトマンドゥまで来たものの、バスのチケットが買えず、故郷の近くに来ていながら、二日間も待っていたらしいです。本来なら、晦日から正月を家でゆったりする予定だったのに、もう1月1日の朝になってしまっています。彼にすれば、もう、1分でも、早く家に行きたいのでしょう。分かります。その気持ち。じゃーな! 元気でな! 二晩を共にした同士は去って行きました。僕は、本日も、どこで食べられるか分からないので、掘っ立て小屋の食堂で何か作って貰おうと思いました。言ったら、何にもないって言います。僕は、食堂の中に入って、「そこに、ラーメンがあるだろ! そいつと、卵と、野菜と、昨日の残りのご飯があったよな! そいつを、ミックスして作ってくれ!」と頼みました。ミックスって言葉が気に言ったのか、「ミックス、ミックス」と繰り返し言いながら、作ってくれました。グチャグチャですが、うまいっすよ!運転手が来ません。マレーシア出稼ぎ組の二人も、そわそわしています。早く帰りたいのです。英語の話せない運転補助もバスに泊まりましたが、そいつがどこやらと連絡して、どうも運転手は来ないって結果になったようです。それで、マレーシア出稼ぎ組も、オートリクシャーを呼んで、これまた、どでかい荷物をいくつも持って去って行きました。元気でなー! 彼らも、もうすぐ故郷の家だ、良かったなー!あれー? 「良かったーなー!」 何て言ってる場合じゃーねぇど!どうした? あれだけ居た乗客が、結局、僕一人になってしまったではないですか? おい、どうしてくれるんだ?野菜卵入りラーメンライスを、頬張っていたら、英語が少し話せる運転補助が、のっそり、のっそり、やって来ました。(早く歩け! この! と思いましたが、黙ってました。)いつ運転手は来るのだ? と聞くと、別の運転手が来るから、少し待て、と鷹揚に答えます。そして、なんと、掘っ立て小屋の食堂の若い主とビール飲み初めてしまってます。おいつらにとって、正月でも、僕にとっては、大枚3500ルピーも支払って、カトマンドゥからダージリンへ特急で、直行するはずであったのです。それが、28時間も経っています。正月なので、1時間ほど、待ってあげました。しかし、運転手は来ないし、もう待てん! と、運転補助に、ばっきゃろー! どうなってんだ! いつ出発するんだ! と、ちと、大きな声で言ってやったのです。そしたら、金やるから、その辺のバスで、カーカルビッタまで行け、と言いやがります。おい、ダージリン行きのチケットは、どこでくれるんじゃ?と聞けば、そんなもん、知らん、と言いおります。あっちゃー!危険信号が、真っ赤な赤信号に変わりました。やっぱりかー! と思いましたが、これこそ、後の祭りです。ここで、どう騒いでも、勝ち目はありません。ダージリンまでの切符を買ったと言う証拠は、どこにもないのです。言うことだけ、無茶苦茶言って、仕方なく、掘っ立て小屋を立ち去ります。カーカルビッタまでは、責任があるとか言い、運転補助の、その又、補助の若者二人がついて来て、小さな乗り合いバスを止めて、お金も支払い、僕を乗せてくれました。こんなバスですが、完璧な定員オーバーで走ります。この運転手の隣のエンジンの上みたいな所も、人が一杯のります。乗り切れん人は、バスの上に乗ります。それでも、乗れん人は、入り口ドアにしがみついて乗っています。乗ったり降りたりしますが、これは、一番空いた時に、撮れた写真です。それでも、中国とは異なり、我先に、押し合いして席を取ろうと言うような行動はなかったですね。大混雑ですが、秩序は保たれてました。道路は、こんな感じで、インド、ネパールへ来てから、一番整備された道路だなー、と感じました。そんなこんなで、ダーランから国境の町、カーカルビッタまで、3時間で着きました。その頃には、もう腹たった事など、忘れていました。貧しい奴らに、数千円くれてやったと考えるようにしたのであります。インドは、騙されやすいと聞いていたので、相当気を付けていました。しかし、ポカラがあまりに居心地も良く、変な輩には出会わなかったので、気が緩んでいたとしか言いようがありません。 それと、お祭りに巻き込まれて、足止めされたくない、早く移動したい、そう言う気持ちが、危険信号をキャッチしながらも、無視してしまったのです。ネパールからインドの国境です。この橋を渡れば、三度目の、インドです。リクシャーなど乗らず、歩いて渡りました。そして、この掘っ立て小屋が、インドのイミグレです。誰も来ないのか、係官が一人、暇そうにしていました。手続きも簡単です。インドへ入り、スリグリまでの、バスの中で気が付きましたが、ネパールの出国手続きを忘れてしまいました。密入出国に慣れてしまったのか、自然と密出国してました。こりゃー、困りました。ずっとネパールに滞在している事になってしまいます。しかし、戻るのも面倒だし、そのまにしてしまいました。ブラックリストに載ってしまいますね。日本へ帰ったら、ネパール大使館へ連絡することにします。スリグリからダージリン行きの最終バスは、出発済みで、どうしたものかと、困ってしまいましたが、乗り合いジープがあると言うので、探して乗り込みました。ジープの後ろの荷台に向かい合って、4名乗ります。僕の前に座ったのは、180cmはあろうかと言う、デンマークの若い女性。背がでかい分だけ、足も長く、僕の足の間に、足を入れて来ます。この娘の笑顔が、可愛いんだなー。接触していては、悪いと思って、離そうとしても、隣の太ったインド人が席を狭めているので、無理です。デンマークの女性も嫌がっているようには、見えないので、すまないと思いながらも、ぴったりと接触したまま、3時間も山を登りました。ダージリンも、お祭りです。すごい人です。この日の朝から、早く歯磨きしたい! 早く暑いシャワーを浴びたい!と、思い続けていたので、多少高くっても、気持ちいい、ホテルに泊まろうと、こんな豪華な部屋にしました。応接付きです。広い部屋とベッドです。これで、700ルピー、約1600円です。49時間バスの旅。疲れきりました。こんなにシャワーが気持ち良いとは・・・。
2008.10.11
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2008年10月8日(水) 21日目ネパールを密出国しました。そしてインドへ密入国しました。こんなにも簡単に、手続きなしで、インドへ入国出来るとは思ってもいませんでした。別に好んでインドへ行った訳ではありません。カトマンドゥから、出来るだけ早く、ダージリンへ行きたかっただけです。話せば、長~い物語なのであります。長~い話など、聞きたくないでしょうから、手短に説明します。昨夜、15時半に、カトマンドゥのバス停に集合、16時、ダージリンへ向けて、出発の予定でした。そのチケットを、大枚、3500ルピーを出して購入しました。(5000円ほどの大金ですぞ!)ツーリストバスで、カトマンドゥから、ダージリンまで乗り換えはあるものの、直行で行くと言う旅行会社の説明でした。親切で、おまけに、バス停まで、一緒に行って、座席まで確認すると言うのです。高いなー! 親切過ぎるなー! とこの時、思いました。これが危険信号だったのですが、飛行機のチケットは取れないし、もしかしたら、お祭りの終わる、10日まで、数日、足止めを食らうかも知れないと言う意識があり、このアラームを見逃してしまいました。そして、旅行会社の社員と一緒に、15時半までに、バス停へ行きました。そこで、僕が貰っている、カトマンドゥからダージリンまでのチケットを、その社員が持って行き、バス会社のチケットと交換して来ました。ほんと、親切なやっちゃなー、と感心していました。バスまで行きました。しかし、ツーリスト用のバスと思えない、ローカルバスであります。座席はきっちり決まっていました。それじゃー!って社員が帰ろうとするので、確認の為に、チケットを見ると、カーカルビッタまでのチケットです。「おい、おい、これは、ダージリンまでじゃーないぞ!」と、説明を求めると、「カーカルビッタで、その先のチケットは渡すよう手配してある。」と言うます。「そんな事言ったって、それを証明するものが何にもないじゃないか!」と、心配になって、しつっこく尋ねます。しかし、そいつは、親切面で、「いやいや、ネパーリは真面目で親切です。もしチケットを渡さないような事があれば、連絡して下さい。こちらで、落とし前をつけます。」、などと、言うもので、バックパッカーの星一番ともあろうものが、それを信用してしまったのです。それでも、一応、名刺と電話番号など、連絡先は、貰っておきました。さて、15時半には、バスに乗り込み、16時の出発時間を待ちます。しかし、16時になっても全く出発する気配はありませぬ。待つこと、45分、ようやく出発しました。しかし、5分位走って止まり、動きません。ピタリとも動きません。運転手もどっかへ行ってしまいました。外で、なにやら賑やかです。なんじゃろ? と思って、他の乗客に聞いて見ても、分かりません。訳分からないまま、待つこと、何分か忘れました。出発したのは、15時半にバスに乗ってから、3時間後の、18時半です。くっそー! イライラするなー! と思っても、対処のしようがありません。もう、乗ってしまったのです。よく分かりませんが、満席になるまで、色々と調整してたようなのです。ですから、ツーリストバスではありません。ヴァラーナスィーから、ポカラへ移動した時は、日本人と欧州系ばかりでした。が、しかし、今回は、全員がネパール人で、その中にポツリと、日本人らしき、アジアの星一番がいるだけです。(傍目から見たら、全員がネパール人でしょう。)これは、何だと思いますか?こうやって、バスの中央の通路に置いて座るのです。こんな座席に座って、18時間も、20時間も、夜を通して行くのかい? 君?と聞いて見たいところです。満席どころか、定員オーバーです。僕の隣に座った奴は、どでかい安物のバッグを、自分の足元に置きます。そのバッグがでかすぎて、僕の足の置き場が半分もありません。で、そいつに、「こっちの中央の通路にそいつを移動せよ!」 と指示したら、即座に、拒否されました。むかっ! っとして、「移動せよ!」、と言っても、「やだ!」、の一点張り。何度か繰り返すと、自分の足を、バッグの上に上げて、これで、あんたの足の置き場だ出来たろう? ってな態度です。よっぽど、大事なものが入っているのだろうと、僕は諦めました。ったく、変な奴が、隣に座ってしまったもんだ、とガックリしたものです。で、移動の夜中、そいつの足がこっちへ来たら、押し戻して、来たら押し戻し、まんじりともしない、夜明けがやって参りました。そしたら、そいつ、朝のひんやりし過ぎる風なのに、窓を全開にして、頭を外に出して、見ているのです。僕は、「寒いから窓を閉めろ!」、と、今度はきつめに、指示を出しました。怖い顔して言ったから、そいつは、渋々と言った感じで、窓を閉めたのです。しかしながら、数分もすると又々、窓を開けて、真剣に外を見ています。何だか訳ありで、窓閉めろ!って言うのも、可哀相な気もして、「何で、外を見てるんだ?」 と聞いて見ると、「もうじき、故郷だ。」、と言うのです。さらに話を聞いてみると、 年齢、25歳。 サウジで、3年間働いて、故郷へ4ヶ月間の帰省なのです。おおー! 何だー! サウジかー! 聞いた事ある国だなー? って思ったら、8月まで、僕が出稼ぎに行っていた国です。(忘れんなよ!)急に親しみが湧いて、さらに話を聞くと、僕のいた、ジュベールから、50キロの所で働いていたとの事なのです。僕の運転手だった、アシュラフや、フセインのこと、思い出しました。そっかー! 3年ぶりに故郷へ帰って来たのかー!父ちゃん、母ちゃんが待ってるだろーなー! 何? 妹もいるのか?そんじゃ、窓、全開にしろ! 少し位寒くたって、何ちゅうことなか!と、窓を、全開にしてあげました。思い出しました。サウジには、インドからだけでなく、ネパールからも出稼ぎが多かったのです。トイレ掃除とか、お茶いれとか、そう言った下働きの人たちが多かったですが。きっと、この汚い安物の大っきなバッグには、大した品物じゃーないけど、心のこもった、土産が詰まっているのだろうなー、と、何だか、昨夜から、ちょっと意地悪していたみたいで、反省仕切りの、私めでありましたです。そして、彼は、眼を輝かせて降りて行きました。そしてら、次に乗り込んできたのは、こんな奴です。何でしょうか?なんと、ヤギさんです。モロッコで、ヤギと一緒のバスに乗ったことありましたが、その時、ヤギさんは、後ろの荷物置き場あたりでした。今回は、堂々と、座席に来たので、びっくりしました。人間より、いい席です。さらに、夜明けの道を走ると、こんな建物の前で、バスは止まりました。 何か、がやがやしていたと思ったら、ほとんど全員の乗客が降りて行くではありませんか!僕は、慌てましたぞ、「ど、どこへ行くんじゃー!」、と。バスは、もぬけの空です。 建物を良く見ると、カスタムオフィスって書いてあります。 ここは、しっかり聞かねばならぬ、と周囲の連中に聞きまくったところ、この先の道路が、渡れない為、このバスはインドへ出て迂回する。ものすご~く、遠回りになる。で、先を急ぎたい人たちは、川を船で渡って、その先で待っているバスで、行くのだそうです。そんな話聞いてない。(川を渡れるとと言う話)僕も、遠回りより、近い方が良いけど、このバスから離れたら、せっかくダージリンまで買ったチケットが、台無しになるので、泣く泣く、残りました。残ったのは、乗客4名、運転手、補助の2名、と補助の奥さんらしき人、合計8名です。やぎさんも、降りてしまいましたから。で、何の手続きもまなく、ネパールを密出国し、インドへ密入国したのであります。
2008.10.10
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2008年10月7日(火) 20日目ダージリンへ向けて、バスの出発は、16時です。夜行です。それまで、時間があるので、カトマンドゥの市内を散歩しました。タメル地区のメインストリートです。タヒティ・チョークです。アサン・チョークです。王宮や寺院の集まったダルバール広場です。この建物の窓が、ネパールの切手の図案になったそうです。拡大してみます。なるほどー! 切手にしたい窓です。カテシンブー・ストゥパです。以上、カトマンドゥの町の見所を、グルッと廻って来ましたが、1時間ちょっとで見てきました。あまり、見所は多いとは言えません。話は変わります。昨日、ポカラから移動する時に、偶然、昼食の隣の席となり、お会いしたご夫妻は、京都から来られた方でした。カトマンドゥ市内にある「桃太郎」と言う日本レストランとも関係していて、是非、いらっしゃいと、言うので、昨夜は、そこ食べました。焼き餃子に、回鍋肉をつまみに、ビール飲んで、ラーメン半炒飯付きを食べたら、朝起きても、腹減ってません。食いすぎです!で、そのご夫妻は、京都で、「マチャプチャレ」と言うネパール料理店を経営しているとの事ですが、息子さんに任せて、ポカラに、お店を出すそうです。店名は「桃太郎」と言ってました。11月に開店。ご主人、63歳と言ってましたが、やる気ありますねー!頑張れ! ニッポン! ってな気持ちで、応援したくなります。さて、ダージリンへの移動ですが、カトマンドゥから、昨日来たポカラ方面へ100キロほど戻ります。ムグリン、ナラヤンガード、ヘタウダへ。ここまでが、ネパール。そして、国境を越えてインドのラクソウルへ出ます。この道は、沢木耕太郎が、通ったバスと同じルートなのですよ。一昨日、彼の本を読んでいる時、まさか、同じ道を辿るとは思いませんでした。場所は違いますが、理由は同じ。道路が不通です。しかし、彼が旅したのは、もう20年以上昔ですよね? 世界各国が、著しい成長を遂げる中、幹線道路が、不通となって、他の国を通らねば、自分の国の町へ行けないなんて、なんとも、貧乏な国ですねー。最優先で、幹線道路の復旧しようと思わないのでしょうか?で、旅のルートですが、沢木耕太郎は、パトナーの方へ向かいましたが、僕は、ここから、ネパール国境に近い道路を走ります。ムサファルプルかティハールを通り、ダージリンへ。このようなルートになろうかと思います。もしかしたら、再びネパールへ入国し、カーカルビッタからインドへ出国するかも知れません。飛行機代を、1万数千円ケチル為に、ずいぶん大回りをせないけまへん。まぁ、しゃーないですな。追記インドから、ポカラまで、一緒に移動した、タカ&トシの、タカの方が、なんと、カトマンヅゥで同じ宿でした。再会の挨拶しましたが、いつの間にか、彼の隣には、日本の若い彼女が座ってました。で、挨拶のみで、早々に自分の部屋へ引き上げました。やるな! 青年!再追記今日会ったら、一人でした。彼女ではなかった見たいです。遠慮せんとけば良かったです。
2008.10.07
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2008年10月7日(火) 20日目ダージリンへ向けて、バスの出発は、16時です。夜行です。それまで、時間があるので、カトマンドゥの市内を散歩しました。タメル地区のメインストリートです。タヒティ・チョークです。アサン・チョークです。王宮や寺院の集まったダルバール広場です。この建物の窓が、ネパールの切手の図案になったそうです。拡大してみます。なるほどー! 切手にしたい窓です。カテシンブー・ストゥパです。以上、カトマンドゥの町の見所を、グルッと廻って来ましたが、1時間ちょっとで見てきました。あまり、見所は多いとは言えません。話は変わります。昨日、ポカラから移動する時に、偶然、昼食の隣の席となり、お会いしたご夫妻は、京都から来られた方でした。カトマンドゥ市内にある「桃太郎」と言う日本レストランとも関係していて、是非、いらっしゃいと、言うので、昨夜は、そこ食べました。焼き餃子に、回鍋肉をつまみに、ビール飲んで、ラーメン半炒飯付きを食べたら、朝起きても、腹減ってません。食いすぎです!で、そのご夫妻は、京都で、「マチャプチャレ」と言うネパール料理店を経営しているとの事ですが、息子さんに任せて、ポカラに、お店を出すそうです。店名は「桃太郎」と言ってました。11月に開店。ご主人、63歳と言ってましたが、やる気ありますねー!頑張れ! ニッポン! ってな気持ちで、応援したくなります。さて、ダージリンへの移動ですが、カトマンドゥから、昨日来たポカラ方面へ100キロほど戻ります。ムグリン、ナラヤンガード、ヘタウダへ。ここまでが、ネパール。そして、国境を越えてインドのラクソウルへ出ます。この道は、沢木耕太郎が、通ったバスと同じルートなのですよ。一昨日、彼の本を読んでいる時、まさか、同じ道を辿るとは思いませんでした。場所は違いますが、理由は同じ。道路が不通です。しかし、彼が旅したのは、もう20年以上昔ですよね? 世界各国が、著しい成長を遂げる中、幹線道路が、不通となって、他の国を通らねば、自分の国の町へ行けないなんて、なんとも、貧乏な国ですねー。最優先で、幹線道路の復旧しようと思わないのでしょうか?で、旅のルートですが、沢木耕太郎は、パトナーの方へ向かいましたが、僕は、ここから、ネパール国境に近い道路を走ります。ムサファルプルかティハールを通り、ダージリンへ。このようなルートになろうかと思います。もしかしたら、再びネパールへ入国し、カーカルビッタからインドへ出国するかも知れません。飛行機代を、1万数千円ケチル為に、ずいぶん大回りをせないけまへん。まぁ、しゃーないですな。追記インドから、ポカラまで、一緒に移動した、タカ&トシの、タカの方が、なんと、カトマンヅゥで同じ宿でした。再会の挨拶しましたが、いつの間にか、彼の隣には、日本の若い彼女が座ってました。で、挨拶のみで、早々に自分の部屋へ引き上げました。やるな! 青年!再追記今日会ったら、一人でした。彼女ではなかった見たいです。遠慮せんとけば良かったです。
2008.10.07
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2008年10月6日(月) 19日目昨日は、一日、ゆったりと宿の本を借りて、読んでました。一つは沢木耕太郎の深夜特急、インド・ネパール編。もう一つは、ミャンマー秘境を旅する本でした。沢木耕太郎が辿った旅は、コルカタ →ブッダガヤー →カトマンドゥ →ヴァラーナスィー→カジュラーホー →デリーアジアの星一番が辿った旅は(予定も含めて)デリー →マツゥラー →カジュラーホー →ヴァラーナスィー→ポカラ →カトマンドゥ ここから予定 → ダージリン →バングラデシュ→コルカタ →ブッダガヤー僕の方が、多くの町へ行くし、バングラも廻りますが、ほぼ同じような場所を廻ることになります。沢木耕太郎は、カトマンドゥからポカラへ行こうとしたらしいですが、道が雨で、途絶えて、行けなかったそうです。何だよー! 沢木! 残念だったなー、道が途切れるなんて!と、せせら笑っておりました。そのせせら笑いが、自分に帰って来るとは、ポカラを出発する時は、思いもしなかったのです。そして、天気。出発する最終日は、素晴らしく綺麗に、ヒマラヤが見えました。あまりに気持ちいいので、歩いてバス停まで、行きました。ここは、毎晩のように世話になった、日本食堂。「バックパッカー秘伝の味」とありますが、最初にカツ丼食った夜は、あまりのうまさに、涙が出そうでした。バス停です。ここでもヒマラヤが良く見えます。日本の田舎風景に良く似た、田んぼ中の道路を走ります。 途中のレストランも、小ぎれいで、完全水洗ではないですが、トイレも綺麗です。 田んぼ以外の所は、渓谷を走ります。飽きない風景が、ずっと続きます。ポカラ:7時半出発、カトマンドゥ:14時半着。7時間のバスの旅でした。ツーリストバスなので、途中現地人は乗り降りしないので、ゆったりと移動できました。問題は、ここからです。カトマンドゥは、それほど見るべき所もないので、町を散策し1泊したら、インドのダージリンへバスで移動しようと思っていました。それで、早速、チケットを買いに行ったら、何と、道路が決壊していて、ダージリン近くの国境の町、カーカルビッタへバスは行けないって言うのです。な! なんじゃー! 沢木耕太郎を笑っていられないぞ!と、焦りまくりました。おまけに、ネパール最大の盆と正月が一緒に来たような、ダサインと言う秋祭りが重なっているのです。10日間ほど、続く、大祭りで、9日が最大の祝いの日なのです。飛行機で移動するケースとか、バングラのダッカまで飛行機で行ってしまうケースブッダの生まれ故郷、ルンビニ見てから、インドへ戻るケース色々と検討しましたが、通れないネパールを迂回して、一旦インドへ出て、インドを走って、そして、又、ネパールの国境近くに戻るケースを採用しました。もしかしたら、20数時間、いや、30時間くらい、かかるかも知れません。そう言えば、バスで僕の前に座っていた、カナダ女性が、そのような事を言っていたようですが、聞き流していました。明日から、明後日にかけて、大移動です。大変だなー!
2008.10.06
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2008年10月5日(日) 18日目気が付けば、ポカラに、もう6日目になっていました。居心地の良い地なので、いつまでも居たくなってしまいます。困るのは、旅を続ける気持ちが薄れていく事であります。ここに沈没する訳には行きません。まだ、バングラ、インドの大半が待っています。で、本日は、完全休養日として、旅モードへの切り替えを行い、明日、首都のカトマンドゥへ移動することにしました。宿ですが、実は昨日、「ゴータマの家」って言う歩き方に乗っている宿に移動しました。前のJHARNA HOTEL は、立地も最高で、お湯も出るし、蚊対策も万全で、気に入っていたのです。でも、1泊、サランコットへ宿泊し、空けた1泊の代金について揉めました。最初、250ルピー全額でなく、100ルピー支払えば良いって話だったのです。しかし、昨日、山へ登る前に再確認すると、全額支払えって事になり、むかっ腹立てて、即刻、チェックアウトしたのでした。おバカさんですよねー!100ルピーにまければ、150ルピー損したように思えるけど、さらに2泊で500ルピーが入金されるのです。客室はほとんど空いている訳だし。ま、そう言うことで、今度の部屋は、景色はよろしくありませんが、部屋自体は全く同じ程度で、200ルピー(300円)です。日本語の本も沢山揃えてあるし、1日、読んでゆっくり出来ます。沢木耕太郎の深夜特急3 インド・ネパール編が置いてあったので、読もうと借りて来ました。ビデオでしか見てないのです。暇なので、今までの費用を整理して見ました。インド滞在12日間(デリー空港着から、スノウリ国境まで)12,681ルピー、2.35円換算で、29,800円也。1日当たり、2,483円となります。もっと安く廻れるかと思っていました。しかし、宿、移動、観光入場料、食費、全てひっくるめてですから、まぁ、安いと思わねばなりませぬ。そして、ネパール滞在6日間(スノウリから本日の宿とカトマンドゥまでのバス代を含めて)5652ルピー、1.5円換算で、8,478円也。1日当たり、1,413円となります。ポカラにずっといたので、移動費が安いですが、移動費のカトマンドゥまで、600円程度ですし、ネパールの方が、ずっと安いです。贅沢しなければ、夕食は、ビール飲んで、日本食食べても、1ヶ月、5万円以内でここポカラで、生活出来る事になります。安いですねー!東京で、5万円の部屋借りようなんて思ったら、都心から外れ、トイレ共同、風呂なしの、6畳一間程度でしょう。また、時期を見て、ゆったりと滞在して見たいものです。写真ないので、今朝食べた、チベット料理のトゥクパをお見せしましょう。ラーメンやうどんのような麺料理です。チョウメンは焼きそばですが、これはスープ麺です。スープの量は少なめですが。
2008.10.05
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2008年10月4日(土) 17日目今朝も、ヒマラヤの山々は、雲を被って、全く見えません。初日には、くっきり見えたのになー! 残念です。しかしながら、外を覘けば、静かなフェワ湖の湖面が見えます。鳥はさえずり、爽やかな朝です。さてっと、今日も、又、近くの山に登りましょう!ガイドブックを見ていると、観光客は、ほとんど行かず、従って、売店なども少ない山が見つかりました。フォクシンです。1日で行って来れます。=============================ポカラの遊びは、卓球とブランコのようです。フォクシンへ行く途中にも広場に大きなブランコがあり、子供たちが遊んでいます。きちんと、列を作って、順番待ちしています。どこやらの国とは違います。田んぼの、あぜ道を歩いて行くと、川が見えました。 立派な吊橋です。長さは200m以上あるでしょう。入り口に説明がありましたが、スイスの援助で作ったようです。ネパールは、国家予算の40%が、援助と言うことなので、貧乏です。川の反対側へ渡り、少し登って振り返ると、ひょー! いい景色!実は、川の吊橋へ来る前に、ヒルに刺されました。どこで、くっついたのか分からないのですが、田んぼのあぜ道しか歩いていない時です。農家の前を通りかかり、痒いから虫刺されか、消毒かしようと思って、ひざをまくると、黒くてちょっと長いのが、へばりついていました。ひゃー! と思わず声が出てしまって、そいつをぶっ潰しました。血が流れ出ます。ティッシュで抑えても血が止まりません。そしたら、おばちゃんが、マッチのカラ箱を持ってきて、それを千切って貼り付けてくれました。この写真がそうですが、血は確かに止まりました。ヒルに対応している、現地の知恵ですねー。因みに、ネパール語で、ヅゴァと言うようです。もう、こんな登って来ました。こんな高所に来ても稲の田んぼがあったり、山の道だったり、こんな所を歩いて登ります。 フォクシンへは、2時間半ほどで、着きましたが、遅い昼食を木陰で食べていたら、村の子供達がやって来ました。日本の福岡市が建てた、学校があるとか、子供達が説明してくれます。ネパールの歌を歌えとか、賑やかにやっていたら、娘さん達も集まって来ました。僕も得意になって、日本歌を歌って、拍手喝采を受けました。村のガキのクセにませていて、この娘と結婚しないか? などと言い出します。綺麗なお嬢さんで、まだ、17歳だそうです。本人も結婚を承諾しました。おいおい、冗談にしろ、そんなに簡単に、OKすんなよ!と言いたくなります。聞いて見ると、子供達も、娘さん達も、日本願望があるようです。日本へ行けば、沢山稼げると聞いているようです。そう言えば、サウジにもネパール人が、沢山出稼ぎに来てましたねー。それで、ネパールへも行って見ようと思ったのでした。行きたい国は、日本とアメリカをあげていました。中国は? と聞いたら、「やだ」と言ってましたねー。
2008.10.04
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2008年10月2日(木)~3日(金) 15~16日目近くの山へトレッキングに出かける事にしました。サランコットと言う山です。標高は、1500mほどあります。まず、市内バスで、バス乗り場へ。そして長距離バスに乗って、途中のノーダラと言う場所で降ろして貰います。ノーブラではないですよ!延ばしても駄目です。ノーダラー。貧乏人になってしまいます。ノーダラです。バスでは、隣に可愛い、11歳と14歳の姉妹が乗り込んできました。2人座席に3人ですから、体がぴったりと寄り添ってしまうので、子供とは言え、ええのかいな? と思ってしまいました。ノーダラから、サランコットへの道は、村の道です。舗装ではないですが、ずっと整備されており歩きやすいです。しかし、観光トレッキング客が多いのか、村のガキ共は、金くれ!ペンくれ!で、うるさいです。まぁ、これも外人がそうしたのですね。元々は、素朴だったのです。誰かが金くれたり、ペンをあげたりするので、貰えるものと、うるさくなってしまうのですねー。僕はあげません。景色は、素晴らしいです。高所なのに、米の栽培もしています。 フェワ湖が見えて来ました。3時間15分で、目指す、サランコットへ着きました。日帰りの予定で来たのですが、宿に聞いて見ると、1泊2食、大瓶ビール付きで900ルピー(1400円)で、交渉出来たので、泊まることにしました。部屋からの眺めです。絶景ですねー!目の前の、物干し竿見たいのが、突っ立っていて、邪魔ですが、電線用の柱なのです。どこでも、電線は、景色の邪魔です。宿からすぐですが、1592mの、見晴台へ行って見ました。残念ながら雲がかかっていて、ヒマラヤが見えません。本当は、こんな景色が見えるはずなのです。写真売りのお兄さんが、雲がかかって可哀相だ、この写真でも写せ、と言ってくれたものです。(売り物ですけどね。)翌朝も、5時半起きして行きましたが、やはり雲がかかっています。頂上には、欧州系、中国系、韓国系、そして、日本人二人で賑わってました。韓国系が、一番うるさいです。雲がかかって、山は見られませんでしたが、アサガオが、キレイに咲いていました。朝食食べて、下山です。こんな道を降りて行きます。このフェワ湖の、一番向こう側まで、歩いて行きます。昨日と、今日で、6時間弱、3万6千歩。調度いい、散歩コースでした。
2008.10.03
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2008年10月1日(水) 14日目 ゆっくり寝ました! 8時間半も寝てしまいました。 丸2日間のバスの移動で疲れてもいたのでしょうが、何も予定していないので、 気持ちもゆったり出来たのでしょう。こんなに眠れたのは久しぶりです。 この部屋です。 ツインルームですが、一つは、荷物を全部広げて、物置です。 ベッドから頭を横に向けると見える景色です。 信じられませんねー! フェワ湖のまん前で、且つ、ヒマラヤで最も目立つ、 マチャブチャレが、部屋から眺められるのです。この部屋が、1泊400円弱なのです。10泊しても、3900円です。 だから、長期滞在の人が多いのです、ここポカラには。 さて、昼近くまで、ゆっくりしたので、チャリでも借りて、町の探訪に出かけることにしました。 宿の近くの、おばちゃんがやってるレンタサイクルへ行くと、1日100ルピー。 いくら粘っても、70ルピーまでしか下がりません。これで、大体相場が 確認出来ました。 僕の宿のある、ダムサイドから、レイクサイドへ歩いて行きました。 暑いし、歩くと結構、距離もあるので、100円程度だから。チャリ借りれば 良かったなー、と悔やみますが、仕方ありません。 レイクサイドのフェワ湖です。 湖畔で、外に設置した卓球台で、子供達が卓球に熱中しています。 ネットはなく、レンガで代用しています。 ここにチャリ屋があったので、今回も50ルピーを目標に粘り強く交渉。 150ルピーから始まって、100ルピーへ。どうも今の相場は、100ルピー らしいですが、諦めません。 100から80まで下がりましたが、そこからが、時間がかかりました。 「じゃー、いらない」、と歩き出したら、ちょっと待って、とか声がかかり、 ようやく、50ルピーで纏まりました。 しかし、僕は、1日レンタルだから、明日の昼過ぎまで借りられると 思ったら、1日と言うのは、朝から夕方だ、と揉めました。 「あんたなー、誰も借り手がいなければ、ゼロだろ? 僕がな、借りれば、 50ルピーが入って来るのじゃ。50で手を打っておかんか?」 と、諭すと、しぶしぶ、OKとなりました。 なんとも、せこい交渉でしたが、155円が、75円程度に下がりました。 そして、昼を廻っていたので、昼食です。 きっちりした、ラーメンがありました。 それに、お茶が飲み放題ってのが嬉しいです。お茶、がぶ飲みしました。甘ったるい、こちらのお茶より、ずっとおいしいです。 それから、チャリを飛ばして、町の北北東にある、ビンドゥバシニ寺院へ 行きました。ずっと登りで結構きついです。それに、ろくに地図にも乗ってないので、何回聞いたことか? ようやく辿り着きました。 お祭りのようで、演奏と、若い娘さんや、子供達が踊り狂るっていました。 帰りは、オールドバザールを通って帰りますが、閑散としており、 バザールとも言えない雰囲気です。 昨日、2日から1泊で、トレッキングに行っておりました。よって、国境越えネパール編と、このポカラチャリ編、二つアップしました。トレッキングは、最高でしたねー! 夜辺り、アップする予定です。
2008.10.03
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2008年9月30日(火) 13日目蚊に刺されて、あんまり眠れなかったのに、朝は、5時半に叩き起こされました。外は、真っ暗です。雨音がします。ユウジ、30代カップル、無言の若者二人、そして、謎のおっさんは、カトマンズーへ行くのでお別れです。ユウジは雨なのに、合羽着て、わざわざ、僕らのバスの中までやってきて、握手して、自分のバスの方へ去って行きました。いい奴ですねー! 少し位、損してもギスギスしてセコセコ生きるより、損しちゃったなー! 程度で明るく暮らすのが良いかも知れませんね。 いい人生が待ってますよ、彼には。昨日のインド側とは違って、ツアー客専用のバスではありません。一般ローカルバスです。6時45分に出発したのに、ブトワルって町で満席になるまで、1時間以上も待たされました。でも、ネパール美人さんたちも、乗り込んで来るので、その点は、悪くはないです。女優のような美人さんもいましたが、残念ながら、顔写真は撮れませんよねー。隣の少年から青年になりたての、若者は、途中、こんなもの買って、食べてました。お椀も、箸も、葉っぱで代用です。エコですねー。インド国境を越えて、宿泊したスノウリから、インド国内と同じような風景でした。しかし、ブトワルと言う町から、風景は一変して、渓谷を、ずっと走ります。景色は,全く、言うことありません。難点は、しょっちょう止まる事のみ。これは少々、イラつきます。 タカ&トシは、ガタガタ道で、太陽が照りつけるのに、好んでバスの上に乗っていました。ずっとです。10時間くらい、この鉄の座席に座っていたのですから、大したものです。ヒマラヤが見えて来ました。国境を出発して、10時間ほど経った頃です。写真では、見えませんねー。タカ&トシは、レイクサイドの方へ行くと言うので、バスを降りて、お別れしました。僕は、安い宿のある、ダムサイドへ向かいます。250ルピー(400円位)の、宿を見つけました。中学生位の宿の娘さんと、道路で出会って、誘われたのです。その娘が可愛いものですから、ヒョイヒョイと、付いて行ってしまったのです。でも、それが正解でした。安いだけでなく、湖のまん前で、すごーく、いい場所なのです。部屋からの眺めです。ヒマラヤの、マチャブチャレや、アンナブルナも見えます。ちょっと、景色を見ていたら、もう、薄暗くなっていました。
2008.10.03
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