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「モロッコ16日間一人旅」、暇なので、実際に幾ら、掛かったのか項目別に費用を纏めて見ました。宿泊費 28、000円 食費 22、800円交通費 16、600円通信費 2、400円観光費 600円雑費 900円合計 71、300円1日当たり、4500円ほど、使っています。結構、高いですねー! もっと安く旅しているつもりでした。これは、モロッコに着いてから、出発するまでの、16日間の費用で、この他に、飛行機代がかかっているのです。飛行機代は、バハレーン→ドバイ→カサブランカの往復で、2100サウジリアル=63、000円です。ですから、合計で、134、300円を、必要としました。飛行機代も、結構高いですねー。さらに、盗難にあった、8万円あります。21万円強かかりました。これなら、日本からのツアーとあまり変らないのじゃーないですか?因みに、昨年集めた、パンフですと、32万円~39万円 阪神航空フレンドツアー幻想のサハラ エキゾチック・モロッコ10日間32万円~42万円 ルックJTBサハラ砂漠と迷宮都市 モロッコ幻想気候10やっぱり、盗難費用を含めても、バックパッカーの旅の方が、圧倒的に安いですね。バックパッカー続けましょう!
2008.05.30
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既に、記載しましたが、モロッコからサウジへの帰りは、大変な目にあいました。何と、カサブランカのホテルを出発し、サウジの我が家まで、43.5時間もかかったのです。にっくきエミュレーツのカサブランカ空港の事務所です。機内で5時間も待ったあげく、本日は飛びません! とアナウンスがあり、ぞろぞろと、入国手続きをして、引き返してきたのであります。担当者の説明が未熟で、ここでも、乗客は大混乱でした。2時間ほど待って、ようやくホテル行きのバスに乗ることが出来たのであります。ホテルへ到着後、チェックインも大混乱し、1時間以上かかって、ようやくこの部屋にたどり着くことが出来ました。その後、夕食ですが、このスープが出て来るまで、何と1時間。このディッシュが出て来るまで、さらに、15分。夕食食べ終わったら、もう夜の22時であります。そして、その後も、すったもんだの末、ようやく明日のスケシュールが決まりました。朝4時半起床、5時半ホテル出発です、寝る暇ないよ。カサブランカを飛び立って、およそ、11時間、ようやくドバイ空港に着陸です。そして、ドバイから、バハレーン経由、サウジアラビアの、ジュベールへ帰って来たのでした。ヒィー、疲れた!4月12日(土)の朝、サウジに帰り着きまして、その後も長々と、モロッコの旅を、アップして参りました。しかしながら、これで、全日程、完了であります。秘密事項は、秘密でありまして、書く事は出来ませんが・・・。(あんのかー? そんな秘密って?)さて、これにて、「モロッコ16日間一人旅」の報告完了致します。
2008.05.26
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スペインへ行けなかったので、1日余りました。カサブランカで、ボォーっとしていようかとも思いましたが、何せ、普段から、ボォーっとしております。ここで、ボォーっとしたら、ボォー×2となってしまいます。別に、ボォー×2となっても、何ら問題ないのですが、何だか、損するような気になってしまって、どっかへ出かける事にしたのです。ガイドブックを、つらつら見ていたら、カサブランカの南西、およそ100キロに、アル・ジャディーダと言う町を発見しました。善は急げ!思い立ったが吉日!行くっきゃない!早く行こ!ってことで、早速出かけました。やはりバスで行きます。車窓からの眺めは、タンジェからカサブランカとあまり代わり映えしません。約2時間で、着きました。風が強い日です。雲も風に飛ばされているって感じです。ここは、CTM乗り場の前の、道路です。海岸沿いに出て歩く事にしました。白い家に椰子の木。良い絵ですなー。 地中海に近い国らしいです。大西洋です。真ん中にポツンと見えるゴミ見たいなのは、ウインドサ-フィンやっている人です。海の色は、汚いですよ、土色で。ちょっと残念。一応、海の家もありますが、お客さんは、まばらです。まばらな人の海って、何だか寂しいですね。雲が、うわぁーって勢いで、襲いかかって来そうな雰囲気です。アル・ジャディーダは、1502年から1769年の間、ポルトガルの支配下にあったそうです。そう言えば、ポルトガルの雰囲気、らしさが、ありますねー。(行った事ないのに?)ここは、ビーチリゾートの町のようで、本日は、閑散としていますが、シーズンには、モロッコ人や、ヨーロッパ人が押し寄せ賑わうそうです。町の見所は、ポルトガル占領時代に作られた、貯水槽だけのようです。で、旧市街の中にあるので、行って見ました。こんな所を歩きます。入り口は、「歩き方」に記載通り、普通の家のようで、看板が出ていないと全く分かりません。中へ入ると、広いですよ。1514年に作られたと言う事ですから、日本では、室町時代です。まだ、織田信長が生まれる、20年前です。信長と言えば、世界の話を好んで聞き、面白がっていたらしいですが、モロッコとか知っていたのでしょうか?もし、あの時代に行けたら、信長に教えて上げたいですね。写真も、パソコンも持って。褒美くれるだろうなー! 信長さん。だけど、色々と、聞かれて、答えに窮して、死刑! 何て事にも?信長に説明しに行くの、やっぱり、止めときます。水に映る、天井の穴から入る景色が綺麗って言うので、撮って見ました。確かに!
2008.05.25
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モロッコの北の端、タンジェからカサブランカまで、1等の列車に乗り、ホテルも、バックパッカーに似合わぬ、二つ星のホテルに決めてしまいました。何だか、バックパッカーの誇りが、消えてなくなってしまったようで、反省仕切りです。ちょっと落ち込んでいます。あの、気分良さは、どこへ行ってしまったのでしょうか? はぁー。こんな風に、ああじゃ、こうじゃ、と大した事柄でもないのに、考えてしまう所に、うつ病患者特有の、素質があるのでしょうなー。で、夕食は、質素にしました。これです。小麦粉らしきものをコネて、アブラらしきものをたっぷり付けて、焼いたものです。こんなのは、どこにでもありますね。ここで、おばはんが、焼いてました。写真撮ろうとしたら、おばはんは恥ずかしがって、写らない方へ移動しました。可愛い素振りです。ミントティは、おかわり自由です。一般庶民で、大混雑なほど、繁盛している、お店であります。これで、たったの5DH(約70円)です。よし! やった!バックパッカーの誇りを取り戻したぞ!と、気負って見たのですが、これでは、主食になりませぬ。おやつ程度です。もっと食べたいです。しかし、あれですね、中途半端に食べてしまうと、その後、又、本格的な夕食は食べられないし、かと言ってこれだけでは、腹減って眠れなくなると思うし、困ったもんですね。何か、調度、手頃な食べ物はないかなー? と、カサブランカ中心街、歩行者天国のような、ちょっと洒落た道路を歩いておりました。そうしたら、「東京楼」とか言う、看板が見えて来ました。うん、これじゃー! ラーメンじゃ! 食いたい!ってんで、2階へ上がって行きました。表の雰囲気と異なり、内部は、パブのような感じで、中華屋さんって感じではありません。そして食べたかった、ラーメンもなし。残念! と思いましたが、小腹が空いている状況でもあるし、ワンタンスープってのを見つけたので、それにしました。薄暗い店内で、ワンタン探しながら、食べました。結構、いけますねー! これを日本とか、中国とかで食べたら、同じように言えるか自信ありませんが、この日は、うまいと思いました。このレストランの名刺です。トンキンと読むのですねー。トウキョーでもなし、トンジンでもないし。大体、中華料理なのに、東京って名前付けないで欲しいですよ。こんな事するから、アジア情報に疎いこっちの方の人たちは、日本は中国の一部だと思ってしまうのではないですか?まぁ、それはそれとして、ラーメンを食いたくなりました。そして、翌日、探しましたら、別のお店ですが、麺がありました。帰国前日に、ラーメン食ってどうするんじゃ、と我ながら思いますが、食いたいもんは、食いたいのです。
2008.05.24
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「モロッコ16日間一人旅」も、残すところ、あと2泊。懐には、スペイン行きを断念したフェリー代金がたんまりあります。その他にも、財布の中には、まだまだごっそり。札があります。ん? しかし、これは、Oさんにフェズで借りた金じゃろ?そうだった、そうだった。返さねばならぬお金ではあります。さらに、盗難にあった、8万円の件、どうするんじゃ!しかし、じゃが、現金があるのは、嬉しいもので、その上、1等の列車に乗った心地よい余韻も残っております。気分は上々。良いホテルに泊まる事にしましただ。見て下せー! これが、部屋への入り口の扉だどー。これが、ベッドルームですだ。だ、だんなー!ベッドルームの他に、こんな部屋までついているだどー!いかん、いかん、いつの間にか、下男言葉になっていました。貴賓室に泊まるお大尽言葉に、せねばなりませぬな。バスタブも付いています。たっぷり、お湯も、どんどんでます。2週間以上振りに、バスタブにお湯をたっぷり入れて、どっぷりと浸りました。週刊誌持ち込んで、バスタブに浸りながら、読んでいたら、汗で文字が読めなくなりました。気持ちいいー!これで、わずか250DH。3500円相当です。これなら、ケチって、「財布から8万円も掠め取って行く、チンケなバックパッカー宿」より、こう言うホテルの方が良いなー!部屋の電気も明るいし、心も明るくなったような気がします。でもですね、思うのですが、インターコンチだとか、リッツだとかそう言うホテルばっかりに泊まっていたら、この部屋も、たぶん、「なんじゃー、こんな部屋かよー!」と、文句の一つも言いたくなるでしょう。その程度の差は当然ながらあるのです。たったの二つ星ですから。でも、最高な至福の気分にさせて貰えるのは、貧乏ったらしい旅を続けて来ているからこそ、思えるのですね。そう言うことです。人生、上を見りゃー切がなく、下を見たって切がない。普通は、大体、上ばっかり、見たがるもんじゃがの。下を歩いていりゃー、ちょっと上に上がっただけで、喜びも満足感も味わえる。ま、その辺りで満足してちゃー、向上心がねーのか! とか、実際に、向上もしない可能性も高いので、難しい問題ではありまするが、ま、そう言うこと。そう言うことですな。応接間のような、部屋でゆったりと、そう言うことを考えてました。
2008.05.21
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タンジェで2泊する予定を、急遽切り上げ、カサブランカへ移動することにしました。荒天とか言う理由により、高速船が出なかったからです。使ったと思った、596DHの高速船代が返って来ました。何だか、金持ちになった気分です。自分の、お金なのに・・・。その気分のまんま、汽車は、一般庶民の乗る2等席ではなく、お金持ちさんが乗る、お大尽様が乗る、1等席に致しましたでござる。1等の上はないので、1等が最上級クラスなのであります。切符をお見せしましょう。なんじゃ、なんじゃ、切符は、2等とおんなじやな。薄っぺらのチケットじゃわい。列車が来るまでの、待ち時間。最上級のお客である故、一般庶民の待つ、大広間の待合室にて待つには、似合わぬ。よって、別室のサロンへ。サロンと言ったほどの所ではなく、喫茶店です、カフェでした。カフェオーレを、ゆったりと飲みましたでござる。因みに、コーヒー下さい、と言っても、カフェオーレしかくれません。どうも、コーヒーは、ないようです。これは、ここタンジェだけでなく、モロッコのどこでも同じでした。これは、牛乳を飲んで健康維持しなさいって言う、モロッコの政策でしょうか?(そんな話、聞いたことねー!)そんなこんなで、時間をつぶしていると、列車がやって来ました。ワァオオォー! 1等席です!仲々、良い席でしょう? コンパートメントって言うのでしょうか?仕切られています。コンパートメントは有り難いのですが、先客が3人おりましてな、これが、又、しゃべる、しゃべる、うるさい、うるさい。おじさん、おばさん、青年の3人なのですが、おしゃべりのはずのおばさんが聞き役で、青年が速射砲の如くしゃべくりまくりです。少し経ったら、大人しくなるだろうと思ったものの、30分経っても、静かになる気配なし。うるさい!って怒鳴る訳にもいかず、誰も客のいないコンパートメント(あったのです)に移りました。しかし、モロッコ人、良くしゃべりますわ。独り占めの1等コンパートメントにて、車窓の外を眺むれば、おぉー! 海です! 大西洋かなー!しばし、走ると、海から離れ、又々、緑豊かな風景です。こんな光景が、ずっと5時間も、カサブランカまで続きました。アトラス山脈を越えた地方にはいなかった牛も放牧されています。羊やヤギが圧倒的に多いのでありますが・・・。
2008.05.20
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スペインのタリファ行き、高速船は、朝の7時から2時間置きに出航しています。出航の1時間前には、船着場に着いているようにと言われました。7時出航だと、6時に着かねばなりません。5時前に起きなければ、間に合わず、日帰りなので、早めに出かけたいとしても、早すぎです。で、次の9時出航で行く事にしました。朝、雨です。憎らしき雨です。でも小雨です。傘はないし、買うのも面倒なので、小雨に濡れながら、フェリー乗り場へトットコトットコと、急ぎました。ようやく着いたら、大勢の人たちが待っております。大混雑を掻い潜り、インフォーメーションの美しい女性にどこが乗り場か確認しました。 すると、な、なんと、欠航ですと!そな、アホなー! な、なんでやー!荒天だからだそうです。荒天つっても、小雨じゃーないですか?この程度は、荒れるって言いませんです! 単なる曇りの天候に、水滴が、ちょこっと落ちて来ているだけです!こんなのを荒天って言ったら、中の上、若しくは、上の下辺りの美人を、大ブス!って言ってるのと、おんなじです。そしたら、日本全国、大ブスだらけになって、大問題発生です!モロッコなんて、大々ブス、超ドブスだらけになってしまいます。あんただって、大ブスじゃぞ!しかし、残念ながら、この私目には、これを案内係りのお嬢様に説明するだけの語学力は持ち合わせておりません。よって、単にそう思っただけで、対処のしようがありませぬ。いつも通り、すごすごと引き下がるしかないのでありまする。ほんとに、こんなのが荒天かよ・・・。だけど、660DHのところ、596DHに値切り倒して購入した、往復チケットがあります。こいつを払い戻ししてくれるのだろうなー?と、そっちが心配になりました。何しろ。8500円相当の大金です。残念だなー! ジブラルタル海峡を渡って見たかったなー!別に特に変った海でもあるまいが、そこを通って見たかったなー!小雨に、ちょっと濡れながら、小型ボートのある帰り道を急ぎました。チケットを購入した、会社の事務所へ行き、事情を話したら、欠航であることは知っており、すんなり払い戻しをしてくれました。話を聞くと、2時間半かかる船は、予定通り出港なので、スペイン往復しようと思えば行ける時間です。まだ8時を過ぎたばかりですから。次の、出航が11時。2時間半の往復で、5時間だと、何もしないで帰っても、16時。向こうで、3時間もブラブラしたら、帰って来るのが、19時。やっぱり止めとこ。 一旦、行こうとしていた心が萎えると、立て直すのは難しいです。そして、小雨の、タンジェの町を、歩いてホテルに帰ったのであります。
2008.05.19
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マラケシュからの移動時、ワルザザードに泊まらず、ティネリールまで直行したので、日程に余裕が出来ました。カサブランカが、名前からの印象に似ず、あまり見るべき所もないようなので、その宿泊も短縮し、ジブラルタル海峡を渡って見たいと考えましたです。で、モロッコの再北端、タンジェの町へ向いました。汽車です。2等席を確保しました。車窓からは、豊かな緑が見えます。黄色い花も、満開模様ですが、見えますでしょうか?これが、タンジェの駅です。面倒なのは、この駅、市内の中心にあるのではなく、市内から、6キロも離れているのです。しかも、移動方法が、タクシーしかないのですねー。全く、こう言う不便を、市民は許しているのでしょうか?タクシーの客引きも、駅に屯しています。ホテルの客引きもいます。市内に着いて、街を歩いていると、ホテルの客引きが多いです。そんな奴らに、引っ掛かりはしません。自力で、何軒か見て、フェリー乗り場に近いホテルにしました。天候不順で、タンジェに近づいた頃より、雲行きが怪しくなり、ポツポツ降り出していました。雨のことは、ほぼ1年忘れていたので、何の準備もありません。困ったなー!もし買ったとしても、ここでしか使い道がないし・・・。と思っていたら、夕食の外出時には、雨は止んでいました。普段からの心がけが、こう言う時に活きてきます。町の風景です。タジン以外の、料理はないかなー? とブラブラ、町をあるいていたら、ご飯のような、炒飯のような物が見えました。早速、頼んでみます。味は、チャーハンと似ても似つかぬ味ですが、タジンではない料理なので、あまりうまくないけど、無理して食べましたよ。明日は、スペインのタリファへ、スピード船で行くことでチケット買いました。何と、35分で、モロッコのタンジェからスペインのタリファまで、行ってしまうと言う事です。ジブラルタル海峡を、高速船で渡ります。楽しみだなー!タリファから、アルヘシラスの町まで、無料のバスも出ているし、普通の速度の船より、安いので、高速船にしたのです。何で、安くて速いこの高速船に、全員が乗らないのかなー?と不思議に思ったものであります。
2008.05.18
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ムーレイ・イドリスからメクネスに戻りました。世界遺産のヴォルビリスの遺跡には行かないで、戻りました。何故かと言いますと、交通手段がないのです。ムーレイ・イドリスからわずか3キロなので、歩いて行って戻れば良いと思うのですが、疲れているのです。何だか、旅の疲れが出ているようで、ちょっと丘を登るだけで、ひぃーふぃーはぁーはぁー、と息が上がってしまいます。腰も痛いし・・・。んじゃー、タクシーに乗ればいいじゃん!と思いますよね? そうなんです。そうなんです。そうなんですが、そのー、何と言いましょうか、バックパッカーをやっている時は、性格が変わってしまうのです。ケチになってしまうのです。タクシーなんぞに乗るのは、超贅沢でありまして、バックパッカーの風上にも置けない! って気持ちになってしまうのであります。え? なに? いつもケチだろう? ですと!あ、いや、そうではあるのですが、もっと、そうなるのですよ。分かって下さいな、と言っても解らないでしょうなー。世界遺産のヴォルビリスの遺跡とは、モロッコに現存する最大の古代ローマ遺跡なのです。ローマ遺跡って奴は、あちこちで沢山見たし、まぁ、ええじゃろ!ってな、気持ちでした。はてさて、グランタクシーで、メクネスへ戻ろうと思いますが、これが又、仲々、発車するタクシーがありません。乗り場はあるのですが、行先が皆、違うんです。僕は待ちます。10分、20分、30分・・・。でも、平気です。バックパッカーとは、「無駄に待つ」とも読みます。その間、100DH出せば、タクシー世話してたるぞ、とか、いや、60DHで良いだの、銭を儲けたい輩が、近づいて来ます。しかし、無視。その内、彼らも、「あいつはケチ、ダメだ、貧乏な奴だ、声かけるな!」と仲間内で話したのか、逆に、僕が無視され始めましたです。内心、ビクビク、帰れなかったらどうしよう、30キロも歩けないしなー、などと、心配はしておりました。声も掛けられず、さらに、10分、20分、30分・・・。平気でありません。焦ってきました。かなり焦って来ました。仏頂面を、ちぃっと、笑顔に戻して、係員らしき人に近づきます。「あのさー、メクネスに行きたいの。しかし、10DHしか払わないの。ダメ?」僕の方をチラッとみますが、無視されています。でも、僕は、彼のそばにウツムキ加減で、ずっと無言で立っていました。しばらくして、又、同じ質問をしました。そしたら。「あっちに来る車が、メクネスに戻るよ。」、と教えてくれたのであります。「早く言えよ!」 ってか、僕が彼らを無視していたのでしたが・・・。そうしたら、頻繁ではないですが、客を乗せて来ては、降ろし、満席になると出発しております。ようやく、メクネスに帰れる事になったのでありました。めでたし! めでたし!無事メクネスに戻れたので、ケーキを買って、無事帰還祝いを、行いました。4DHでしたから、60円しません。ケーキ屋さんが2軒あったのですが、1軒は、ケーキが入っている、ガラスケースの中に、どでかいハエが、わんさかわんさか、飛んでいたり、ガラスの壁に止まって休んでいたりしてます。あのケーキ屋さんから、買って行く客も沢山いるのですよ。驚きました。ハエの足から、おいしいネバネバとか出てるのでしょうか?それとも、ハエのウンチが、良い味付け加減になるのでしょうか?まぁ、モロッコの、メクネスの人たちは、鷹揚です。無論のこと、このケーキは、ハエ1匹飛んでいない、ガラスケースに入ったのを買ったものであります。夕食は、高級パスタ屋さん、ル・フールで食べました。久しぶりにビールです。イスラムの国なのに現地産がありました。主食のパスタです。ボローニャのスパゲッティです。茹で過ぎのようで、麺が柔らかいですが、いつも、タジンばっかりなので、うまく感じました。しかし、レストラン内は、薄暗く本も読めないし、料理が出て来るのに時間はかかるし(多分30分以上待った)、家族や、カップルばかりのお店だったので、まぁ、退屈しました。時間を持て余しました。宿への帰り、中東、イスラムでは見かけないネオンを見ました。近づいて、みましょう。パブって書いてあります。大っぴらに、飲めるお店があるのですねー!サウジとは、全く違うので、驚くばかりです。入って見たかったのですが、ビール1本で、良い頃加減のほろ酔い状態であり、残念ながら、偵察出来ずでした。
2008.05.16
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謎の奥様の家を出て、「聖者の町」、ムーレイ・イドリスを一望出来る、左手の丘(西側)に登る事にしました。二つの丘の真ん中に、モスクがあります。ムスリム以外の人は、入場出来ないようです。まぁ、当然でしょうね。この街全体が、聖域として、非イスラム教徒に閉ざされた町であって、敬虔なムスリムによって造られ、その心が継承されて来たと言う、この街ですから。このような細い道を登って行きます。おー! 見えて来ました!「聖者の町」 ムーレー・イドリス「神秘な町」 ムーレイ・イドリス789年、モロッコ最初のイスラム王朝、イドリス朝が開かれた町です。あれー? あそこに見える、街のてっぺんの、ちょっと下の家が、謎の奥様の家じゃーないかい? あの辺りですよ! きっと! たぶん。いやー、謎ですねー。謎のご家族でありました。撮った写真は、必ず送りましょう。近所の子供も、可愛いものです。
2008.05.16
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世界遺産の街、メクネスから26キロほど北へ行った所に、「聖者の町」、と言われる、ムーレイ・イドリスがあります。その北西3キロの所に、これ又、世界遺産の、ヴォルビリス遺跡があります。それを見る為に、メクネスを出発しました。この辺りは、交通の便が悪く、グランタクシーと言う、乗合タクシーを利用せざるを得ません。イエメンなら、どこの町にでもある、庶民の足ダッバーブと同じで、普通車の前列に3名、後列に4名乗ります。満席になるまで、出発しません。これは、まだ、そのグランタクシー乗り場へ行くまでの、メクネスの町です。メクネスを出発して、30分程で着きました。ここが、ムーレー・イドリスの広場です。ここで、世界遺産に登録したいような、謎の奥様に出会いました。それは、後述するとして、観光地には、どこにでもいる似非ガイドがここにもいます。「僕はガイドではない、学生です」、とか言って案内しようとする輩です。後で、金くれって言われて、揉めるに決まっています。それで、本当は、左手へ登れば、ムーレイ・イドリスの全貌が見られると分かっていたのですが、右手方面へ登りました。この町には、二つの丘があるのです。そしたら、右手の丘からは、案の定、見るに耐える場所がありません。こんな所しか見えないのです。戻ろうとして、このような道を引き返しました。そしたら、現地の奥様に声を掛けられたのであります。この女性は、一枚の封筒を持っていました。見ると、差出人は、神奈川県の方であります。手真似で、色々と何かやっておりまして、中身を読んで欲しいと言っているのかと思い、封筒の中を見ると、何もありません。はてさて、なんじゃいなー?と、考え込んでおりますと、「とにかく、来て頂戴よー!」、と言う素振りです。ムーレイ・イドリスの詐欺師で、善良な旅行者から、お金を巻き上げる手法かいな? と怪しんでは見たものの、そんな様子もないので、着いて行きました。「家に上がって下さいませ」と言います。中に、怖いお兄さん達が、屯していて、荷物を全部巻き上げられはしないか、ドキドキであります。しかし、バックパックは宿に置いて来たし、お金は既に、ほぼ全額盗まれてしまって、持ち合わせは少ないし、盗られるなら、命しかないよなー? と考えました。しかし、僕の命、この人たちにとって、超安価で価値はないし、盗ってしまった方が、荷が重くなるだろうなー? と一瞬の内に考え、家に上がらせて貰う事にしたのであります。さて、結果は如何に? 以下、次号に続く!いやいや、続けます。そんな暇はありません。奥様の依頼は、封筒の宛名を書いて欲しいと言う事でありました。そんな事なら、喜んで書きまっせ! と汚い字ではありますが、神奈川県の遠藤さんと言う方の宛先を書きました。そうしたら、その次に、名古屋の山下さん宛にも書いて欲しいと言うのです。手帳を持っていまして、住所が書いてあります。中に、「又、是非来て欲しい、お父さんもお母さんも一緒に来て欲しい」、と書いてくれと言います。はいはい、書きます、書きます、その程度のご依頼ならば、チョチョイノチョイです。簡単に書きあがりました。その間に、お茶は出してくれるし、お菓子は出してくれるし、サービス満点です。おばあちゃんもニコニコしておりました。そして、写真を撮りました。この方です。そしたら、胸にカードを付けて来て、もう一枚撮ってくれと言います。意味が分かりません。この時も、まだ、この後、何があるのか、何かを要求されるのか、心配はしておりました。あまり長居しない方が良いよな、との内なる警告も発せられております。僕の写真も撮れってんで、撮ってくれました。アジアの星一番さん、ちょっと、背中こごめて、怯え顔じゃーありませんか?もう帰ろうと、思ったら、娘さんが出て来ました。むむ、むむむ、引き留め作戦かいな? と怪しみました。しかし、そのような、素振りも雰囲気もありません。でも、何だか、長居するのも、いけないような気がして、お暇したのであります。帰り際に、刺繍のあるハンケチをくれました。これは、怪しんで悪かったですよね?単純に、外国人好きな方ですよね?もし、そうだったならば、暇は余るほどあったので、ゆったりして、豪華な応接で、昼寝でもさせて貰って、地元の昼食でも食べさせて貰って、お嬢様とも話をさせて貰って、ついでに、さらにゆっくりして、シャワーなんぞも、浴びさせて貰って、夕食まで、ご馳走になって・・・、などと友好を深めれば良かったかいな、などとも思ったのであります。今でも、謎であります。神奈川の遠藤さん!名古屋の山下さん!手紙が届きましたら、どう言う関係の方か、教えて下さい!
2008.05.13
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ここメクネス、古都であるとはガイドブックで読んでいたものの、見所はどこなの?と問いたくなるようであります。まずは、旧市街、メディナの中心にあるエディム広場へ行って見ました。右手に見える、マンスール門を潜り、どんどん歩きます。そして、ムーレイ・イスマイル廟を左手に見て、「風の道」、と呼ばれる道を歩きました。右手が王宮で、左手がメディナの外壁です。 風は? そんな名前が付くほどの、風は吹いていなかったですね。 王宮の前に来ました。ここも入場は許可されません。貯水池ですが、向こう側に見える建物が、穀物貯蔵庫のあとだそうです。人間の食料を保存した他、1万2千頭の馬の餌も備蓄したと言う、巨大なものであります。ハイビスカスですか? 花が咲いてました。ぐるっと廻って、又、エディム広場に戻りましたが、結構、疲れます。夕食は、ちょっと高級そうなレストランへ1人で行きました。食後に、ミントティが出されましたが、葉っぱそのものが入っていました。確かに、ミントの味です。
2008.05.13
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現金盗難と言う目に会い、無一文に近い苦境にたたされた危機を救ってくれたOさん。何とか、心だけのお礼でなく、形のあるお礼をしたいと思って、立派なレストランに、招待する事にしました。バックパッカーなど、入れない、普段の10倍はする値段の所です。そうです? あっしも、単なるケチとは違うでしょう?使う時は、使うのです。取り合えず、写真を並べますね。食べ始める前に、写真を撮るのを忘れてしまったんで、食べ残りのようなお皿になってしまいました。豆です。トマトと茄子ですねー。トマトのサラダです。ジャガイモです。これが、パスティラって言うのでしょうか?ハト肉や鳥肉が入っていて、パイ皮で包んで焼き、上にアーモンドやシュガーパウダーをかけるって聞きました。そして、これが、タジンです。今まで食べたタジンと別物のように、味が異なり、おいしいです。タジンは、もういらないよ! と思っていました。しかし、非常においしくて、そして、タジン以外も、ここの、それぞれの料理は、今までの旅で食べた、同じモロッコ料理とは思えないほど、おいしいものでした。やはり、ケチったら、おいしいものは食べられませんねー。食事の途中、午後9時を過ぎた頃から、ショーがはじまりました。ベリーダンスもありました。僕は初めて見るのですよ、このダンス。背中も艶かしいです。Oさんも、飛び入り参加を強いられ、でも、結構楽しそうに踊ってました。デザートです。食べきれません。さらに、イチゴとリンゴ。 ショーは延々、午後11時近くなっても行われています。ダンスあり、お客参加のダンスあり、太鼓や弦楽器の音楽あり、手品もあり、などなど、飽きさせない趣向でした。最後は、シンプルですが、打楽器と踊りながらの演奏で、盛り上がり、完了です。料理と言い、ショーと良い、仲々、良かったです。Oさんも、旅に出て以来、こんなおいしい食事と、楽しいショーは初めてだと喜んでくれました。(東欧とかエジプトとか、廻って2ヶ月経った所らしいです。)良いレストランを探す為、日中、太陽の下を歩き回り、ヘトヘトに疲れて座り込んでいたら、おじいさんが水をくれて、元気を取り戻したのでした。苦労して、探したレストランで、Oさんに喜んで貰って良かったです。ほんのお礼のお食事会でした。
2008.05.10
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お金を借りられることになって、まだ、心穏やかな気持ちにまで、復活はしておりませんが、安心して、古都フェズの散策に出かけました。フェズの旧市街メディナ、フェズ・エル・バリは、世界遺産です。9世紀初め、モロッコ最初のイスラム王朝、イドリス朝の都になったそうです。この時に造られた街が、今、そのまま残って、且つ、生活に供されているのが、すごいって事なのでしょう。ここの道は、細いです。メイン道路でも、この程度です。メイン道路をどんどん歩いて行きますと、「なめし皮! なめし皮!」と、日本語で声を掛けて来る人が多くなりました。それで、「あー、ここが、皮染色 職人街だな。」、と理解出来ます。これが、中世そのままと言われる、染色の手作業工場です。ここには、案内して小銭を稼ごうって言う輩多いので、注意要です。色付けされた皮は、このように干されます。さらに歩きますと、門やモスクは、飽きるほどあります。 マリーン朝の墓地にも登って見ました。フェズの街が一望出来ます。ホテルに戻ろうと歩きましたが、迷路です。こんな所を歩きます。どっちへ向っているのか、分からなくなります。暑さと、現金盗難事件による、寝不足により、意識朦朧。とある場所で、ハァーハァー、ヒィーヒィー、と座って、下を向き、息を整えておりました。そうしたら、近くに座っていた、ご老人が、その息子が孫か使用人か、知りませんが、彼に何やら指示したのです。若い彼は、コップに水を持って来ました。これは飲んでもいいものか? と、しばし、眺めていると、顔を洗え、と言っているようでした。 コップから少量の水を、手の平に乗せ、顔に当てます。「おー、気持ちいい!」生き返るようです。こんなに気持ち良いもんか、とその動作を繰り返したら、あっと言う間に、水はなくなりました。そしたら、今度は、ペットボトルの大きいのを持って来て、頭にもかけろ、って言う仕草をします。そりゃー、気持ち良いか知らないが、頭にかけると、面倒なので、首筋にかけました。「おー! これも気持ちいい!」そんなこんなで、クッタクタであった身体に、多少の元気が戻り、散策を再開です。おじいちゃんには、心より手を合わせて感謝しました。ようやく、ホテル近くのブー・ジュルード門に帰って来ました。これが、フェズ最大の門だそうです。
2008.05.09
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昨夜、あまり眠れず、ボォーっとした冴えない頭で、起きました。現金盗難事件の、対策を取らねばなりません。注:昨夜とは、4月3日(木)の事です。昨夜、ベッドの中で悶々としておりましたが、Oさんに借りるしかないな、との結論に至り、寝付けたのです。しかし、Oさんが、出かける前に、頼まねばならないし、あまり早く行って起こしても悪いし、遅く行って、出かけていなかったら、それこそ対策不能となってしまいます。Oさんとは、昨日、メルヅーガからフェズまで、同じバスで移動し、夕食も一緒に食べ、同じ安宿に宿泊している、バックパッカーさんです。全く、見ず知らずと同じなのですが、こう言う時こそ、同胞、日本人。普段考えない、同胞などと言う、虫の良い思いに至りながらも、貸してくれなかったら、どうしようとドキドキしながら、部屋をノックしたのであります。ちょっと、話したら、すぐに財布を取り出し、「いくらですか?」、と。ありがたいですねー! 余裕も含めれば、日本円で、5万円弱、必要で、Oさんも、そんな大金の持ち合わせはありません。キャッシングしてくれて、夜、落ち合う事になりました。と言う事で、旅を続けられることになり、一安心です。ふー、良かった! 良かった!一安心すると、盗られた、失った、8万円強は、だんだん惜しくなって来ます。不思議なものです。大きな心配が去ると、次の問題が、気になってくるのですねー!モロッコへ来て、9日目。8日間で、使用したお金は、宿も、バスも、食事も、水も、ネット費も、自転車借用も、砂漠ツアーも、一切合財、ぜ~ん部含めて、3万2千円です。1日、4千円で、過ごして来ました。安宿探しに、2時間もかけたりして、節約に努めた結果です。8万円と言えば、20日分の旅が出来ます。うわー! あったま来るなー! うわーー! グジャグジャグジャっと、何かをぶち壊したい気持ちです。まぁ、しかし、いくら考えても、腹立てても、お金は戻って来ないし、考えれば考えるほど、腹立ってく来るし、うつ病にも良い影響はありません。僕よりもっと馬鹿な、僕よりもっと貧しい、何とも憐れな奴に、恵んであげたと、諦めるしかないのです。しかし、良く良く考えて見れば、 Oさんと昨日、バスで出会ってなければ、 そして、一緒の安宿に宿泊してなければ、 さらに、一緒に粗末な食事に行ってなければ、本当に、困ったことになっている所だったのであります。どうするのでしょうねー? 海外で現金がなくなってしまったら?今後、対策として考えねばならない事は、1.現金の保管場所。2.キャッシング可能な、カード。3.パスポートの保管場所。これらですねー。サウジ出稼ぎ完了後、あちこちへ長期の旅に出るつもりですから、今回のことなど、おきないよう、充分な対策が必要です。そう言えば、Oさん、その後、スペインを廻って、明日、5月8日だったと思うから、明日、帰国ですねー。お借りした現金、送付したけど、届いているだろうなー?
2008.05.07
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700US$、及び、200サウジリアルを盗られて、手持ちの100ドルと、何故か、泥棒さんが残して言った、7US$と、168サウジリアルしか、残金がありませぬ。弱った、困った、どうしよう?弱った、困った、どうしよう?弱った、困った、どうしよう?考えても、考えても、切がありません。そうしたら、元スッチーさんで、世界を駆け巡り、世界の隅々まで知り尽くした、シュロールさんて方が、ご自分のブログで、僕の今後の対策を取り上げてくれました。1.お金 すっからかんになる前に心の準備始めよ!2.現地で働いて帰る資金稼ぐか、モロッコ人として 生涯を終えよ!3.100ドルでラクダ買って砂漠で タクシー始めよ!4.100ドルでラクダ買って、それに乗ってサウジ帰れ!5.さもなければ100ドルでラクダ買って、ラクダ引っ張って歩き途中で 出会った人に、牛と交換してもらい最後には、牛でサウジアラビア 到着するまで歩け!6.今持っている100ドルを元手に 派手に 商売始めよ!何れも、的を得た、貴重なアドバイスであります。さすが、元スッチー! トラブル対策は、万全であります。と感心しました。と、思ったのでありまするが、心の準備は出来るにしても、それ以外の、項目は、自信がありませぬ。ラクダに乗ってサウジに帰るってのは、おー! 良い案だなー! と、納得しました。しかし、どっちへ行って良いか、分からんもんね。ダメです、この案。シュロールさん、有名ブロガー(たぶん)です。読んで下さい!シュロールさんの日記僕は、この方に会ったことありません。従いまして、現在、何をしている方かも知りません。ま、しかし、元スッチーを名乗っているだけあって、きっと容姿端麗であることは、間違いないでしょう。そして、これだけのアドバイスを、咄嗟に書いてくれるのですから、頭脳明晰であるに違いありません。そして年齢は、如何ほどでしょうか?元スッチーさんですから、義務教育は卒業しているはずです。ですから、15歳以上。いや、かな以前から、実態として、義務教育は高校までですから、18歳以上であると、睨みます。そして、上限は?スッチーと言う名は、既に、古典辞典に載るような名称になっています。ジェンダーフリーとか言われた時代に名称かわりましたね。結構、古い話です。今は、キャビア・アテンダントでしたね。ん? 違う? あ~、そうでした。キャビン・アテンダントでした。カビンでもなく、キャビンでした。ケビンとも読むらしいですが。でもですね、スッチーのように略すと、キャビン・アテンダント、キャビアなんですよ! ま、どっちも高価ですから、似たようなもんです。話が飛びました。年齢でしたね?良く分かりません。従いまして、100歳未満と睨んでおきます。結論が出ました。シュロールさんの年齢、18歳以上100歳未満。えーー! ありゃー? それでは、僕と同級生じゃーないですか?奇遇ですねー!と言った回り道しましたが、依然として、どうやって、この困難を克服するのか、結論が出ておりません。従って、まだ、安眠できずです。
2008.05.05
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くっそ! やられました!隠し財布の中から、700US$と、200サウジリアルが、見事になし。僕を嫌って、どっかへ歩いて行ったかとも思いましたが、そんな訳ない。ほんな、アホなー! そんな話ある訳ないやろ! 考えたなー!チッチキチー! 漫才の真似している場合ではありません。事は深刻です。現金なしで、どうやって、旅を続けるか? いや、どうやって、サウジへ帰れるのかを、心配せねばなりませぬ。旅に出るときは、財布は二つ持って行きます。ア:その国のお金を入れておく財布と、イ:サウジやUS$など、しょっちゅうは使わないお金を入れておく財布。アは、尻ポケットに入れておきます。イは、バックパックの3室ある真ん中に入れておき、鍵を掛けています。万が一、バックパックを持ち去られた時の為に、US$は、ショルダーバッグに分けて持っています。今回の場合、1200US$を持ち、700US$を、バックパックに保管。500US$をショルダーバッグに入れて、必要に応じて、100US$づつ、現地通貨に換金しておりました。ショルダーバッグの、US$が残り、100US$しかないので、バックパックの方から、移そうと思って、調べた所、現金がない事に気が付きました。驚きました。始めは、入れる所を間違えたかなー?などと、ぜ~んぶ、お金を保管しそうな場所を調べて見ました。しかし、ありません。もう夜の12時頃です。参ったなー!何度も、ないのは知りながらも、探しましたが、ある訳ありません。どこで盗られたのだろうか?考えて見ると、宿しかありません。移動中は、衣類も含めて、ギシギシに詰まっていますし、おまけに、必ず鍵を掛けています。その状態で、財布の中の、お金だけ盗るのは、不可能です。宿では、一旦、中身を全部、外に出しています。財布だけが残っています。中身を外に出したあと、鍵をかけるようにしているのですが、たぶん、かけたのは、半分位で、残りは、鍵をかけないで、室内に置きっぱなしにしたのです。宿ですねー!間違いありません。しかし、どこの宿か分かりません。マラケシュでは、夕食に外に出ただけ。ティネリールが怪しい。サイクリングで、丸1日、部屋を空けたし、おまけに、洗面の水はけが悪いって、クレームいれたら、良い部屋に移動して良いと言うのです。その時、広げていた中身を、バッグに仕舞わず、バラで移動して、鍵も掛けなかったのです。残念ですが、仕方ありません。100円程度をケチって、8万円もの大金を盗られていては、アホもアホ、大アホ、超アホです。しかし、今回の場合、騙されたより、腹も立ちません。お金は惜しいですが、鍵もかかっていないバッグが置いてあったら、中を見たくなるのが心情です。それを忘れて油断した僕が悪いと思う次第です。今まで、そう言う目に合ったことがないので、油断してしまいました。しかし、どうするんだ?残金、100ドルしかないぞ!諦めて、ベッドの潜り込みましたが、どうしよう? ばっかり、頭を駆け巡り、仲々、寝付くことが出来ません。
2008.05.02
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朝日を見て、砂山を降り、ミントティを1杯、飲んだらキャンプ地を出発です。慌しいです。朝日が、又、オマルと、ラクダと、アジアの星一番を砂漠に映します。帰りは、バックパックをラクダの背中の入れ物に詰めてくれました。おいおい、そんなら、昨日もそうしてくれよー!って言いたかったです。だって、かなり、「蟻の門渡り」辺りへの負担が異なります。昨日は、20分もしたら、サバク歩きは、もうええです、遠慮します!状態であったのですが、今朝は、快調です。しばし、砂漠の風景をごらん下さい。この砂漠の中に、何がいるでしょうか?昨夜の強風で、今までの、足跡は、全て消され、風紋が出来ました。鳥の鶏冠みたいに見えるのは、風下の砂です。風に吹き飛ばされて、小山のてっぺんの風下に、飛ばされやすい砂が溜まるのです。ラクダの大群が現れました。1時間半も、歩いた頃、メルヅーガの家並みが見えて来ました。歩くと、あそこまででも、結構、時間がかかります。う~ん、20分はかかったでしょうか?ラクダさん、ご苦労様でした。ゆっくり休んでください。 ホテルへ帰り、気になっていた、砂漠ツアーの代金を聞きました。一旦、約束したのだから、300DHで良い。と、オーナーさんが、胸を張って言いました。当たり前だとは、思うものの、嬉しく感じた次第であります。で、このホテルに、もう1泊する事にしたのであります。丸1日、な~んにもすることないので、ほんと、ゆったり出来ました。いや、でも、ネットカフェに行きましたね。ぜ~んぶ、洗濯もしました。そうだ、その帰りに、「のり子さん」、に会ったのでした。
2008.04.28
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5時に目が覚めました。外は、真っ暗です。しかしながら、朝の気配はするのですね。キャンプの北側にそびえる、砂漠の山に登ります。かなりきついです。手も冷たい。20歩程歩いては、息を整える、そんな登り方です。山の三分の一ほど、登った頃、朝の光が洩れて来ました。この砂の山の頂上目指して登っています。ほら、こんな所を登っているのです。高所恐怖症ですが、砂の為なのか、恐怖を感じません。これが、土か岩だったら、足が強張って、絶対に登れないはず。もう太陽が、砂の山から姿を現し始めました。アジアの星一番さんも、姿を現しました。朝だけに、すっきり顔ですねー! 今朝は、お化粧のノリが良いようです。さらに、砂山の頂上を目指して登ります。美しいですねー! 全くの砂の世界。朝日を浴びる側、影の側、両者とも演技を心得ているような景色です。この写真の下の真ん中辺に見えるのが、キャンプ地です。見え難いでしょうか?こんなに高い砂山の頂上へ登ったのです。もう少し、拡大して見ましょう。見えましたでしょう?山を降りて行くときは、ものすごく楽です。スースー、とスキーを楽しむように降りられます。途中、こんな可憐な花が咲いていました。
2008.04.28
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夕食は、タジンです。ちょっと食べ飽きました。食事後、外へ出てきましたら、もう、辺りは、ほとんど夜です。空を見上げれば、星々、キラキラ輝いています。ですが、まだ、太陽の残り灯りが、西の方にあり、空全体が、暗くはなっていません。オマル、アリ、ユセフの3名と談笑し、と言っても、片言の単語を並べて、想像するしかないのですが、それでも、楽しい一時を過ごしました。ヨルダンのワディラムでも、エジプトの白サバクでも、ガイド達が唄を唄ったり、もてなす素振りがありました。しかし、ここは、全く何にもありません。それはそれで良いのですが・・・。空も星明りだけになった、21時。僕は、マットと寝袋と、毛布3枚を、テントから持ち出し、宇宙の下へ準備しました。そう、宇宙の下です。そのように表現したい程、美しい夜空です。今は、もう春。しかし、夜の9時ですと、冬の星が威張っています。そう、オリオンと、シリウスです。西の空に傾きかけていますが、やはり星座の王様、威風堂々、星空で光っています。寝袋は、オリオンに沿うよう、頭を北東に向けて敷きました。全くの素晴らしい夜空を、独り占めです。若干、頭を北側に振れば、北斗七星が、見えました。これも、分かり易いです。カシオペア座は、既にサバクの中に、降りたのか、見えません。流れ星も、シューっと流れます。結構長く光っているのに、仲々、願いは、完全に言えないものです。風がさわさわと、吹いています。頬に当たると冷たい程です。寝袋の裾を、頬まで引き上げました。それでも、星を見ていたいのです。流れ星、二つ、三つ。四つ、五つ。うとうとしつつ、いつの間にか眠ってしまいました。寒いなー!と、目が覚めてみると、すごい風です。ビュービュー、と言う音が聞こえます。砂も、ぶっ飛んで来ます。寝袋の上に掛けた毛布が、風で飛ばされていました。寒いはずです。空は、相変わらず、満天の星です。オリオンの左足は、サバクの山に、埋もれていました。あー、そんなに時間は経っていないのだなー、と気が付きました。毛布を、寝袋の上に掛けなおしました。すっぽり包まれば、寒くはありません。このまま、星空の下で寝られる。そう思いましたが、無理です。砂が、びしびし、頬に当たります。髪の毛の中は、砂だらけ。毛布も、飛ばされてしまいます。無理です。外に寝るのは。オリオンの剣が、サバクに埋もれる頃まで、我慢しましたが、テントの中に、非難する事にしました。オマルも起き出して来て、ラクダを僕のテントの東側(風下)に移動させていました。ラクダにさえきつい、風なのです。サンドストームです。テントに入っても、風の音は強く、怖いほどです。移動の疲れ? ラクダに乗った疲れ? 風はビュービューと騒いでいるのに、又、深い睡魔に襲われ、夢の中へ陥りました。ふと、目が覚めると、クシャクシャ、ピュルルルールーとか、そんな音が聞こえます。なんじゃいなー?ラクダが何かやっている音です。いつの間に風はすっかり治まり、無音に近い状況です。外に出てみました。シリウスも、もう見えず、さそり座が、姿を現ていました。今夜も、月は全くなく、星明りだけの空です。眠いのですが、そして、若干寒いのですが、しばし、夜空を見上げていました。それから、朝起きるまで、ラクダの、クシャクシャ、と言う音に、付き合っていたのです。牛のように反芻するんでしょうか?ラクダは、寝ないのかなー?気が付いている限り、ずっーっと、その音がしていました。
2008.04.27
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シャック、シャッ、シャック、シャッ。オマルの足音を聞きながら、サハラ砂漠を歩いて、1時間半。サバクの風景は変りません。さらに、歩いて行きますと、夕焼け模様になって来ました。時計を見ると、もう、18時38分です。ラクダの乗り心地って、どんなものか、分かるでしょうか?足を乗せるところもないし、結構、不安定です。手でつかまる場所も、低い位置にあり、両手で持つと背筋を伸ばせません。ラクダさん、登り坂は、強いようで、安定した歩き方なのですが、下り坂は、ガクッ、ガクッと、降りるので、最も緊張します。尻が痛いです。尻というか、「蟻の門渡り」って言う場所でしょうか?そこが、モロにラクダの背中に当たり続けて、痛くなって来ます。おまけに、バックパック背負ったまま、ラクダに乗ってますから、その重みまで、肩から、「蟻の門渡り」に重量がかかるのです。男の場合、そこには、大量にあそこへ血液を送る為の道があります。それを圧迫されるのですから、痛いです。しかし、女性の場合は、そこには何にもないし、凹んでいるのだから、痛くもないはず。ラクダに乗るのは、男より、女性に適しているのかも知れませんねー。などと、考えていたら、キャンプ地に着きました。メルズーガを出発して、1時間と50分でした。すぐに、ミントティを振る舞ってくれます。料理してる、オマルさんです。ユセフさん、40歳。アリさん、70歳。二人とも、ここに泊まっているようです。一緒にサバクキャンプする予定であった、モロッコ人4人は、結局、来ませんでした。この3人と僕だけの、小さなキャンプです。
2008.04.26
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ホテルに行ったものの、砂漠1泊ツアーは、午後4時出発とのこと。ホテルに泊まらず、早速申し込んで、砂漠へ出かけることにしました。1人で行くなら、400DH。2名以上参加なら、一人300DH。この日、モロッコ人4名が行くと言うので、300DHで参加です。しかし、午後4時を過ぎても、モロッコ人は、やって来ません。午後5時になっても、まだ来ないし、キャンプ地まで、2時間かかると言うので、痺れを切らして、オーナーに文句。しぶしぶ、オーナーは案内人を紹介してくれました。オマールさん、34歳です。ようやく出発です。15分も歩くと、もう、そこは幻想の世界。サバク、サバク、サバク、サバク、サバク・・・砂 砂 砂 砂 砂 砂 ・・・ ほらほら、砂ばっかし!オマルさんが、ラクダを引っ張って歩きます。驚くことに、無風。従って、無音。全く音がありません。どこの国へ行っても、あり得ない現象です。オマルさんの、足音が、シャック、シャッ、シャック、シャッ、と聞こえるだけ。ラクダの足音は聞こえません。この地上に、オマルさんと、ラクダと、アジアの星一番だけです。地球を独り占め! って感じです!お! ラクダに乗ってる姿が見えます。もう、夕方です。影が良く見えるのですよ。アジアの星一番さん、ラクダに乗って敬礼! してます?いえ、写真撮ってるので、敬礼しているように見えるだけです。サハラ砂漠を歩く、ラクダと、アジアの星一番さんです。サングラスしているので、顔がおかしいですねー?トッコトッコと、サバクを歩いて、1時間。キャンプサイトは、まだまだ、先であります。
2008.04.23
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サハラ砂漠の麓、メルズーガには、最近も増え続けると言う、宿が結構多くあります。ティネリールで紹介して貰った、ロアジスは、感じが良くなかったので、行ったものの、すぐに引き返し、ロンドン留学中の学生さんに教えて貰った、サハラホテルに行きました。プールもある、ホテルです。ホテルの裏は、もう、すぐ砂漠です。この空の青さ! 感動ですねー!ムスリムの国らしい食堂です。ミントティは、挨拶代わりなのか、すぐに出て来ます。昼も1時を廻っており、お腹も空いていたので、昼食を頼みました。野菜と、卵焼きと、ポテトです。これにパンがついて、40DH(550円)。これが、部屋です。全く話は異なりますが、このメルズーガにて、日本人女性が働いているホテルがあります。WILDERNESS LODGE と言います。ひょんな事で、30分ほど、お話させて貰いました。何でも、パリに住んでいて、時々、このメルズーガに来ていたらしいですが、気に行って、移り住んだと聞きました。本名は知りませんが、「のりこさん」、と皆さんから呼ばれている、と言ってました。部屋も見せて貰いましたが、僕のいるサハラホテルより、部屋は広いです。食事込みの値段とか、砂漠ツアーとか、ホテルにより若干異なるようですが、大体、どこも同じようです。せっかくの海外旅行なので、地元の人たちだけと、過ごしたいと思われる方には、お奨め出来ませんが、安心して旅をしたいって方は、メルフードからの車の手配もしてくれるし、よろしいかも知れません。ホテル名のMIXIもやっていると言ってましたから、興味ある方は、覗いて見て下さい。この項、WILDERNESS LODGEの、コマーシャルでした。(宣伝費は、全く貰ってませんが。)
2008.04.22
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最高の時を過ごした、ティネリールを後にし、カスバ街道を北へ。エルフードを目指します。ここも、ワルザザードから、ティネリールの道と同様、土漠とオアシスの繰り返しです。上の写真が、土漠。下の写真が、オアシスの村です。エルフードに着きました。ここから、サハラ砂漠まで、50キロほどあるのですが、何故か、エルフードから砂漠の麓、メルズーガまでの、国営バスも、民営バスもありません。止む無く、150DH(約2100円)も支払って、タクシーに乗りました。リッサニと言う街を通り抜けます。土漠の向こうに、ピンクがかった山が見えます。あれが、サハラ砂漠の西端のようです。さらに近づいて見ましょう。見えて来ました! サハラ砂漠です!サハラ砂漠と言えば、砂だらけの砂漠かとばかり、思い込んでいましたが、その直前まで、土漠なのですねー。何だか、サハラ砂漠と言うより、茶色っぽい小山見たいですよ。これで、ようやく、サラサラの砂漠にやって来たことになります。
2008.04.21
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モロッコでの食事ですが、まだ5日間しか滞在していませんが、食事は、クスクス、タジン、ブロシェット、この程度しかありません。これに、アラビアパンを食べるのです。モロッコ風サラダとか、ハリラと言ったスープもありますが、どこでも、同じで、少々飽きて来ました。それで、ティネリールでは、別物を食べて見ようと思いました。朝食です。卵焼きとパンとお茶です。まぁ、ご飯に海苔と卵程度の、日本の朝食みたいなものでしょう。食堂で、食べてる人がいたので、同じのを頼んだのです。全部で、11DH(150円)でした。そして、昼食。トドラ峡谷のホテルのレストランでメニューを見たら、90DHで、やはり、クスクス、タジン、などのセット料理のみ。価格も、街の3倍はするので、食べるのを諦めました。持参のクッキー食べて、水飲んで、ティネリールまで帰ろうと思いましたが、チャリ漕いで、結構な運動量なので、腹が減ります。途中、ベルベル人が、真っ青な空を見上げていたので、チャリを止めて、挨拶すると、そこは、お土産屋と、食堂も兼ねていました。何が作れるか? って聞くと、卵、20DH、との答え。朝も、卵だったけど、まぁ、いっか、と注文しました。これに、パンにコーラで、26DH(360円)でした。コーラ1本が、6DH(85円)ですから、安くはないです。朝のと違って、野菜も入ってて、美味かったですよ。そして、夕食。クスクス、タジン、ブロシェット以外の食べ物、何かないかなー?と、プラプラ歩いていたら、スパゲッティがあるって言う食堂に入りました。これに、パンとミントティで、30DH(420円)です。まぁ、味は、お奨め出来ませんが、たまには、食べたいです。外で、客引きしているウェイターさんです。そう言えば、人物写真は、今回で始めてです。イエメンなど、撮ってくれ、撮ってくれ、とうるさいほどでしたが、モロッコ人は、全く言いませんね。本日の、貧乏バックパッカー、粗末な食事の紹介でした。
2008.04.20
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カスバ街道の一つのオアシスである、ティネリール。小さな、街です。村落と言うべきか迷うほどです。これが、メイン道路です。そして、ここが街の中心の広場で、色んな安い物が売られています。トドラ峡谷がなかったら、外国人は立ち寄らないオアシスでしょう。しかし、何とも良いなー、と思える佇まいの街なのです。日本人二人と会いました。二人とも男の学生さん。1人は、東京からで、モロッコへ卒業旅行。1人は、ロンドンへ1年間の交換留学中で、スペインとモロッコへ。二人とも、本格的なバックパッカーの旅は、初めてだそうです。しかし、しっかりした、お二人でありました。まだ、21歳、22歳ですぞ!あっしにも、そんな時期があったのかいな? と言うほど、思い出すのに苦労するほどでありまする。二人とも、スペインからジブラルタル海峡を渡って、タンジェへ入ったとのことで、1人は、時計回り、もう1人は、僕と同じ、反時計廻りです。メルズーガ砂漠行きの、貴重な情報も教えて貰いました。日本の将来を担う、若き青年。頑張って欲しいものです。さて、モロッコのインタネーット状況ですが、カサブランカでは、ネット屋を探す暇がなかったので、分かりませんでした。が、ここは、進んでいます。かなり早いです。サウジでは、遅くて、遅くて、イライラしますが、ここは、画面が、シュッっと変ります。気持ちいいほどです。日本語が使えないネット屋もありますが、探せば、あるようです。何しろ、トドラ峡谷の、誰も使わんだろうってな、田舎の村落にもネット屋はありましたから。しかも、1時間、7DH。100円程度。高くても、100数十円です。便利です。
2008.04.19
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2008年3月31日(月)本日は、丸々1日、ティネリールに滞在予定。チャリを1日、チャーターしました。 ん? なんだか、大層な言い方ですな。自転車借りるのに、チャーターとは言わないでしょうよ。まず銀行を目指しました。既に、200US$を換金していますが、5日目にして、残りがわずかになってしまっているのです。1日、4000円相当、使っています。バックパッカーとしては、少し使いすぎでしょうか? 節約せねば・・・。さて、銀行です。多くの人が並んでいます。整然と並んでいるのを見ると、どこやらの国と違うなー、と思います。係員の手続きも、ゆったりゆったりです。でも、だれーも、文句言わず。じーっと待っています。僕はイライラして来ました。20分ほど、待っても、まだ2人しか終わっていないし、僕の前に、6人も待っているのです。結局、別の両替屋を探しに行き、見つからず、別の銀行へ行って、両替しました。ホテルを9時に出発したのに、朝食食べて、明日のバスのチケット買って、両替したら、もう11時です。さてさて、ようやく、トドラ峡谷へ出発です。こんなトドラ川を遡って、チャリを飛ばします。川沿いには、美しい緑が豊かです。峠越えです。この坂は、きつかったです。チャリを漕いで登れず、押して登りました。途中、白人のご夫妻に抜かれました。あいつらは、強い、元気だ。こんな道路、自転車漕いで、登れますか?峠の頂上から見た、トドラ川沿いの村落です。水が如何に貴重か、この景色を見れば、明々白々、きっちり、かっきり、明らかですね。水は大切にしましょう! 日本の皆さん!宇宙人が、降りて来そうな、岩場を見つけましたので、パチリ。こんな光景、確か、トルコのカッパドキアでも見ましたぞ?そう言えば、何かの映画、何だったかなー? 未知との遭遇だったか?カッパドキアと、モロッコで撮ったとか、聞いたような?川を遡っているので、ずっと登り坂ですよね? 行くときは、それに、気付いていませんでした。車で走る時もそうですが、走っている時って、意外と、多少の登り坂には、気付かなくないですか?トップで走っているのに、スピードが落ちて来て、登り坂に気付くとか?帰りは、チャリを漕がなくても、走るので、何だー、下り坂かよ!と気付いたのです。え? そんなの気がつかないって、頭が悪い? そうなのかなー?トドラ川を渡ります。右端に見えるのが、愛車チャリ、「トドラ星一番号」です。真中で、澄まして写真に納まっているのが、アジアの星一番さんです。サングラスかけていますねー。この辺りで、既に1時間半を経過。いい加減疲れて来ております。大型観光バスは、狭い道路を、ビュンビュン通るし、車も多いです。その度に、舗装の道路から、荒れた路側帯にはみ出なければ行けないので、さらに疲れを増します。しかし、「車で来る奴らには、気に行った所で、ゆったり歩いたり、パノラマを心行くまで、見つめたり、出来んだろ、へっへっへぇーのへー!」 と、自分を慰めるのでありました。そして、ティネリールを出発して、調度、2時間。岸壁がそそり立つ、トドラ峡谷に着きました。この岩に挟まれた所が、そうですねー? 500m程度続くでしょうか?ここが、峡谷の出口です。ここは、ここで、素晴らしいのですが、この峡谷に来るまでの、トドラ川沿いにある、村落と、緑と、色んな形の山肌、そして、土漠などが、より、心に残ります。そそり立つ、岩と岩の間は、ヨルダンのペトラを見たら、大したこと、ないじゃん! と思ってしまいます。ベルベル人が、彼らの伝統的な織物を売ってました。行きは、2時間もかかったのに、帰りは、たったの1時間。途中、2箇所、チャリを降りて、押さねばならない峠はありましたが、気持ち良かったです。ここは、自転車で行くのが、お奨めです。最高! トドラ峡谷!
2008.04.17
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ワルザザードで、再び、同じバスに乗りました。日本人女性達に、「あら、又、来たわ、この日本人」、と言うような目つきで、見られました。ああ、恥ずかしい。バスを降りて、乗るまで、わずか10分でしたから、結構、手際よくチケット買えたなー、などと、僕は、1人で感心していたのでありました。僕の今度の席は、37番です。行って、見ると、可愛い女の子が、既に座っています。「そこどけー! わしの席じゃ!」などと言う気はおこりません。可愛らしい女の子なのです。一番、後ろの席が空いていたので、そこへ座りました。この子ですよー! 日本人の僕が気になるのか、時々、後ろを振り返り、ニコっと微笑みます。見えませんか?僕はと言えば、ベロを出して、ベロベ~ロとか、やったり、顔面を両手で外側へ引っ張って見たり、笑わせるべく、努力をしたのです。何の為に? 15年後の為と言うことにしておきましょう。(何じゃそれ?)さぁ、カスバ街道を突っ走ります。しかし、何にもないがな?いやいや、ここはカスバ街道です。土漠ばっかりと思いきや、こんなオアシスが出て来ます。この繰り返しです。かなり、オアシスは多いですね。土漠 →オアシス →土漠 →オアシス →土漠 →オアシスこんな感じです。ナイル川の両岸にしか、緑がないエジプトとは違います。この道路が出来る前は、ラクダに乗った、キャラバンが行き来したそうです。それも、良いなー、と思いますが、昔は帰って来ません。ティネリールに向う、カスバ街道は、左手にずっとアトラス山脈が見えるのです。仲々の風景ですぞ。ワルザザードで、泊まる予定を変更したので、お昼食べずじまいでした。腹減ったなー、パンも買ってないし、今日は、昼飯抜きかいな・・・、と思っていたら、こんな所にバスは泊まりました。カフェレストラン 東京って、書いてありますよ!おー! やった!こんなカスバ街道で、日本食が食べられるとは、かぁー、いいもんじゃ!と中に入ってみると、東京とは似ても似つかぬ、普通の地元のお店。とんがり帽子の、タジンの煮込みが、沢山あるだけでした。日本女性グループは、アラビア語が話せるようで、テキパキと、タジンを注文していました。僕はと言えば、1から10までしか、アラビア語が出来ないので、それも時々、4と7を忘れてしまっているので、皆が一通り注文して、誰もいなくなっていから、注文しました。指さして、これくれ! って言うだけです。だから、羊なのか、チキンなのかも、分かりません。腹へっているし、何でも良かったのですけどね。帰りに、トイレに行きましたら、一つしかなく、中国のトイレ模様です。日本人女性、そこでするのは、嫌らしく、木の陰へ向いました。きっと、そこで、用を足したのでしょう。因みに、僕は覗いてなんかいませんです。全くそう言う姿に興味薄いです。(本当ですよ)さすが、バックパッカー、若い女性とは言え、逞しいです。さてさて、話が飛びました。この東京レストランから、走ること、2時間。16時に、ティネリールに到着しました。日本人女性グループも降りました。そしたら、アラビア語ペラペラの、その女性が、一緒にトドラ渓谷へ行きませんか? と声を掛けて来ました。「はい! 行きます!」、と、声が出そうになりました。しかし、若い女性の誘いに対する、この素早い反射神経が、時々、困難を強いるって言う、事態に何度も直面しております。昨日だって、欧州系の高校生美尻集団に、付いて言ってしまって、マラケシュでは、ずいぶん遠廻りをし、無駄な時間を過ごしてしまったのでありました。僕は、ここに2泊して、トドラ渓谷へは、自転車で行くつもりだったのです。その女性グループは、タクシーか何かで、トドラ渓谷へ、行って、そして、ここに帰り、さらに、本日、エル・ラシディアまで行くと言うのです。そりゃーきついっすよ。それに、エル・ラシディア行きのバスは、もうありません。考えた末、悩んだ末、やはり、一人旅を続行する事に致しました。そして、彼女に対して、力なく、首を横に振ったのであります。お姉さん達、そんなに急いで、どこ行くの!もっと、ゆっくり廻ろうよ! って言おうとしたら、もうタクシーの運ちゃんと、値段交渉してました。そうです、僕は既に無視されています。単なる割り勘要員として声を掛けられたのでした。 ガックリ。今夜と、明日の、お泊りホテルです。1泊77DHと言ってましたが、2泊するからマケテよ! って言ったら、60DHにしてくれました。1泊850円です、安いですねー。机もあるし、洗面もあるし、トイレ、シャワーは、共同ですが、まぁまぁ、使い易いです。「ホテル トドラ」って言いまして、CTMの着いた、通りにあります。しかし、このホテルのせい:80%の確立で、大変な困難な目に遭遇するとは、この時は、まさかのま、とも考えていませんでした。
2008.04.16
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実は、アトラス山脈を越えるバスの中、景色を堪能しながら、ワルザザードとは、どんな街か? ガイドブックを読んでいたのです。そしたら、大した見所はなく、ザゴラとか、マアミドとか、砂漠地帯へ行く為の、入り口なのです。おまけに、フランス軍が作ったサハラ砂漠の最前線基地らしい。面白みもないので、1泊する予定を止めて、通過する事にしました。しかし、もうバスを降りてしまいました。「アホやなー! もっと早く調べとけよ!」 と、どなたかと一緒だったら、そうやって、文句つける所でありますが、何せ、1人です。文句言っている暇もないし、文句言う相手もおりません。CTMオフィスに行きます。人が、一杯で、わぁーっと、カウンターに群れています。並んでもいないし、いつ順番がくるのやら?ようやく、前の人がどいたので、ティネリールへ行きたい、と告げました。「いつ? 今?」、 と変な逆質問がありました。「いや、この次の奴」「え、明日?」「いや、今日」「じゃー、今?」「いや、次の奴」なんだか、会話がおかしいです。よくよく聞いてみると、まだ、お昼時間なのに、最終バスが、もう出発するって言うのです。「それ、乗る、乗るー、乗りた~い!」と、慌てて、切符を受け取ると、これまた、慌ててバスに向いました。慌てたので、45DHの支払いを忘れてしまいました。しかし、モロッコ人はしっかりしています。走って追いかけて来て、きちんと、お金を取りました。(当たり前じゃわい!)バスですが、なんと、僕が乗ってきた、バスじゃーないですか!全く、ほんまに、とんまな話です。良く、調べるべきですねー、事前に。このバスには、日本人らしき、女性グループが乗っているのです。時折、日本語が聞こえて来ましたから、らしき、ではなく、日本人です。日本人に出会うのは、マラケシュで、ツアーのおばさんグループに次いで2度目です。今度は若いバックパッカーさん達です。だから何だ、ってことはないのです。ただ、単に、そう言う人たちが居たって話だけです。そんなこんなで、ワルザザードは歩きませんでした。車窓からの風景。綺麗に整備されていますねー!
2008.04.15
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さぁ、モロッコの旅、一番のハイライト、アトラス山脈越えです。天城越えとは、ちょっと違いまするぞ!天城峠は標高たったの、830m。このアトラス山脈は、すごいかな標高、最高地点は2000mを超えます。そして、オート・アトラスの最高峰は、4167mもあるのです。この山脈が、緑豊かな、海岸沿いと、サハラ砂漠に続く、カスバとオアシスの世界に、分けているのであります。さぁ、いつも通り、CTMバスにて、出発です。出発して、マラケシュの車窓から見られる風景。緑豊か、平坦です。暫く走ると、山も見えて来ます。もう、アトラスの麓辺りです。ウヮッオー! 雪を抱いた、アトラス山脈の山々が見えます!もう、この辺りが、通過地に於ける、最高地点に到達します。最高地点を越えると、風景が一変します。木々が極端に少なくなるのです。相変わらず、雪を抱いた、アトラス山脈。2000m程の高さにいても、まだ、さらにさらに高いです。しかし、雪解けの水を、栄養を貰い、こんなに花も咲いています。一方で、何もないはげ山もあります。変化に富んでいますねー!居眠りする暇がありません。バスが急停車しました。何じゃー! 危ないじゃーないか!アトラスの山を見ていた、僕は、心の中で、そう叫びました。羊さまの、道路横断でした。この高地でも、羊飼いは多いですねー。山並みに、点々とうごめくのは、みんな羊さんです。アトラスの村落です。土地に溶け込んでいて、どこが家なのか分からない程です、山肌と、土と、家が、同じ色です。アトラスを降りて、少し走ると、もう、そこは、土漠の世界です。さらさらの、砂漠をイメージする、アトラス越えのサハラ側ですが、全く違いました。この風景から、山を取り除けば、サウジアラビアと同じです。7時45分、マラケシュ発。12時30分、ワルザザード着。4時間半あまりの、アトラス山脈越え。まぁ、見ごたえのある、バスの旅でありました。
2008.04.14
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昼食食べて、さて、史跡探訪の続きじゃ! と勇みこんで歩いて、エル・バディへの道を聞くと、なんと、午後3時まで、クローズだと言います。「なんじゃよー! 長い昼食休みじゃのー」、と思いますが、政府には勝てません。「ばっきゃろ! 開けろ!」って言ったって、無視されるに決まってます。で、せっかく近くまで来たのに、市内に戻りました。ツアーだったら、こんな無駄なような時間は、絶対にないでしょうね。何時から開いて、何時に閉まるかなんて、ツアー会社が当然、調べて、工程を組むでしょうから。市内に戻って、日本語可能なネット屋を見つけたので、この時間は無駄ではなかったです。「犬も歩けば棒に当たる」って言いますが、「アジアの星一番が歩けば、良い事あり」、って言う、格言にします。さて、エル・バディ宮殿です。この中庭を囲むように建物があり、360もの部屋があったそうです。因みに僕の東京のアパートは、6畳2間です。ワンルーム以上のところがすごいです。しかし、360部屋に比べると、蚤より小さい。(こらこら! 比較すんな!)この四角の建物は、金の工場で、且つ風呂であったとのこと。金と風呂、何が関係するの? 金製造の余熱を風呂に使ったのかな?南側のテラスから、中庭と、金の工場を見たところです。これは、テラスから外を撮ったものです。一般庶民の家並みです。ここには、高い建物がありません。規制されているのでしょうかー?それとも、干乾しレンガでは、高層ビル作れないのだろうか?マラケシュは、世界遺産ですから、簡単に改造出来ないと言う理由があるのかも知れません。次が、バイア宮殿です。この写真の周囲の建物は、4人の后と、24人の側室の部屋だったと言うことです。そんなに沢山いたら、1人や2人、忘れませんかねー?しかし、1人で、28人もの女性を囲ったら、あぶれた男がいるはずです。そう言う男は、どうしたのでしょう? 奴隷みたいに生きたのでしょうか?嫌ですねー!って、あぶれた方も、28人も后や側室がいる方の、両方です。ゼロは絶対的に困ります。しかし、28人もいらんよ。28人もいたら、どうすんだよ?せめて、4人まで結構。理由は不明。そん位で良いんじゃないかなー? と。お! それでは、ムスリムに適しているぞよ!(それでは、4人も要りません。)ここには、今も、時々、国王が宿泊するらしいです。
2008.04.13
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サウジに、たどり着きました。10日(木)の朝、帰国の途に着く為、カサブランカのホテルを出発したのが、朝の9時半。サウジの我が家に到着したのが、12日(土)、朝の5時。43.5時間かかりました。カサブランカの空港にて、ボーデイングカードを受領した時点にて、既に予定より、1時間遅れておりました。これでは、ドバイにて、乗り継ぎ予定のバハレーン行きフライトに、間に合わないじゃーないか? トルコからの帰国時と同じじゃーないか?と、不安になります。隣に座った、アラブ系の顔しているがタイ人と言う人は、いやー、1時間くらい、空中で飛行機がぶっ飛ばすから、大丈夫だよ、間に合うよ、などと、知ったような口を聞いてました。しかし、1時間、2時間、3時間と遅れると、もう無理です。フセインへ連絡取れないなー、困ったなー、と飛行機の座席にて、腹を空かして思っていたものです。搭乗して5時間が経過する頃、本日は、キャンセル、ホテルに泊まって貰います。とのアナウンスが流れます。乗客の数十人から、拍手がおきました。何で、拍手するんじゃ? と不思議に思いましたです。それからが、大変です。 1.出国してしまっているので、入国手続きをして戻る。 2.エミュレーツ事務所へ行って待機。(通路に大人数が待機です。) 3.担当者の説明が未熟の為、乗客は大混乱。 4.2時間ほど待って、ようやくホテル行きのバスに乗る。カサブランカ市内へ。 5.ホテルのチェックインも大混乱。全員がチェックインするのに、 たぶん、1時間以上かかった。 6.電話したくても、ホテルの人たちは、チェックインの対応で大わらわ。 質問も出来ない。 7.夕食も、1時間以上かかる。 8.夕食食べ終わったら、もう夜の22時。 9.この頃、ようやく、明朝4時半起床、5時半ホテル出発と連絡あり。 しかし、フライトの時間は不明。そんなこんなで、サウジアラビアへの連絡も出来ず、イライラのしどうしでした。フセインへも、会社の人が連絡してくれて、バハレーン空港へ迎えに来ていました。連絡があるまで、空港で待っていたそうです。ほんとに、ご苦労様でした、フセイン!今日は、疲れているので早く寝ます。明日から、又、モロッコの旅、続編をアップします。皆様の、ブログへも、お邪魔したいと思います。
2008.04.12
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エミュレーツ航空、カサブランカ発ドバイ行き、EK752欠航です。機内に乗り込み、5時間待ったあげく、欠航となりました。一応、エミュレーツが手配したホテルに宿泊ですが、バハレーン空港で、運転手のフセインが待っています。連絡が取れません。一応、たった今、ホテルの無線ランが繋がり、会社の方にメールを送れましたが、サウジは、夜中の2時。起きて、すぐに、メールを見てくれたとしても、フセインは、空港で、徹夜待ちです。エミュレーツ! ダメですよ。 お奨め出来ません!
2008.04.11
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王宮は見せて貰えず、写真も撮らせて貰えず、追い払われて、すごすごと引き下がって来たことは、既報の通りです。けったくそ悪いけど、歩いていると、そう言う気分も変わります。歩くってのは、気持ちいいものです。人間本来の姿だからでしょうか?エル・バディ宮殿を目指して、歩いています。これが、マラケシュの一般人の住居であろうかと思います。こう言った、若干赤みがかった色の建物が、圧倒的に多いです。調度12時、お昼の時間になりました。おいしそうな、清潔そうではないですが、街の串焼き屋って感じのお店があったので、入って見ました。たった、こんだけです。質素な昼食ですねー。9DH、130円。安いのだから、仕方ありません。味はまぁまぁです。ついでに、本日、食べたり、飲んだりしたのを、載せます。歩きつかれて、一休みに飲んだ、コーヒーです。6.5DH。結構高いです。街を歩く人々を眺めながら、ゆっくり飲みました。夕食もついでに、掲載しますね。豪華に、ミックスサラダです。これが、問題になったタレ。昼も食べた、ソーセージ。魚のフライ。多すぎます。ちょっと油っぽ過ぎますが、白身魚でおいしかったですよ。問題は、支払いの時。メニューには、ソーセージ20DH、魚20DH、サラダ5DHってありました。ですから、頭脳明晰でない僕の計算でも、合計は45DHとなります。ん? 合ってますよね?ですが、タレが一皿、5DHで、合計55DHだと言うのです。「そりゃー、ねーだろー!」 むむむ! ムカッとして言いたい場面です。例え、1円也とも、理に適わぬお金は、出さない主義なのであります。これは、ケチとは申しません。きちんとしたリッパな生き方と理解して頂きとう存じます。ですけど、隣に綺麗なフランス人のおばさんが二人いたので、「ケチな日本人だなー、日本人は、だから嫌なのよ」、などと、日本人全体の印象を悪くしたらこりゃー不味いっぺ! と思って、渋々、何も言わずに支払いました。でも、これって、絶対におかしいですよね?旅人に不快の念を感じさせる不届きな輩には、きっとアッラーの、お怒りがいつの日か、ドカンと落ちる事でありましょうや。ふん!
2008.04.09
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さぁー、マラケシュ、丸々1日フリーであります。どこへ行きましょうか?街には、大型の市内観光らしいバスが走っています。そして、明らかに市内観光用の、馬車も走っています。しかし、そこは、健脚自慢のバックパッカー、貧乏なバックパッカー。見所は、そうそう、遠くもないようなので、歩いて見て廻る事にしました。まずは、メディナの南方にある、アグノウ門を目指します。これです。王宮の近くにある門でした、いくつも門はありますが、これが一番美しいようです。スルタンが宮殿に行くために使われたらしいですが、死刑にされた罪人の首も晒したとのことです。やだなー! 死刑には、なりたくねー!門の上に、でかい鳥が巣を作っています。この鳥、カタカタとか、嘴をたたいて鳴いて、門や城壁の上の、沢山巣を作って住み着いております。これって、コウノトリですかねー?すぐそばの、ホブ門も見ていたら、馬車がやって来ました。その向こうに見えるのが、アグノウ門です。ほら、ここにも大きな鳥が巣を作っています。やっぱり、コウノトリでしょう? 大量にいますぞ!次に行きましたのが、サアード朝の墳墓群です。観光客は、欧州系ばっかりですねー。ほとんど100%そうです。中には、はっとする美人もいますし、しゃがむと、半ケツになる女性もいます。(注:半ケツとは、お尻の割れ目が見えることを言います。)半ケツは、この際、関係ありません。欧州系が、ずらリ並んで、お墓を見るのを待っているのです。僕は、お墓に興味はありません。どんなに豪華でも、お墓なんぞに興味はありません。しかし、10DH支払ったので、全部見ることにしています。サアード朝、1549年から1659年の、歴代スルタンが葬られていると言う事で、大きなお墓群です。大きく3つの部屋に分かれてました。庭にもお墓らしきものがありましたね。で、次は、エル・バディ宮殿へ行こうとしました。この辺りだろうなー、と思った頃、欧州系の高校生くらいに思える、美女集団が、歩いて行くのが、見えました。おー、これはしめた。後を着いて行けば、宮殿にいけるぞ! おまけに形の良いお尻の大群じゃわい! しめしめ。と普段から真面目な顔を、さらに真面目にして、歩いたのです。しかし、かなり歩いても、宮殿は出てきません。変りに、青空市場が出て来ました。野菜なんぞを見ていたら、美形お尻軍団は、どっかにいっちまいました。どこへ行ったら、良いんじゃ?全く、どこの国でも、男を騙すのは、女に決まっています。え? 騙されてない? お前が、付いていっただけだろう? って?はい、そうでした。すいませんです。で、止む無く、歩きます。かなり歩きました。聞きながら歩きました。そしたら、こんな広い所に出ました。しかし、偉そうな門番が、3人もいて、「しっしっ!」って言うように手で、この私目を、追い払うような手つきをします。失敬な! こいつ死刑にしたろか!と思いましたが、その権限も、力も、お金も、何にもないので、すごすごと引き下がって参りましたです。写真を撮ろうとしたら、あいつ、それさえもダメだ、と言いやがるのです。くっそ! と思って、写真、隠し撮りしました。ざまーみろ!ですが、この上の写真は、別物で、城壁の中に、丸く通路がありますが、その向こうの右手に王宮の入り口があります。そこは撮ったらイカンと言うのですねー。けち臭いやっちゃ!
2008.04.06
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CTMバス乗り場から、メディナまで歩き、ホテル探しで、歩き廻り、もう疲れきっております。4時間近くウロウロしたのですから。しかしながら、旅の目的は、歩くのではない。ホテル探しでもない。と、気付き、重い足をひきづり、スークへ行く事にしましたです。何故なら、このスーク見ずして、マラケシュを語るなかれ!マラケシュを見ずして、モロッコを語るなかれ!と言われているのです。え? 誰が言ったか? ですと?あぁ、あのアジアの星一番さんです。ふふふ、と笑うなかれ!ここ、マラケシュは、世界遺産であり、選ばれた理由の一つに、スークもあるのです。ここは、アジアの星一番さんを、信用しときなはれ。なにー! 信用ならんですとー! むむむ! じゃが、肉じゃが、ここのスークは、ほんとに大きいのです。と、ガイドブックが言っております。世界最大である、とも言っております。こんな所が、延々と続きます。衣料品、香辛料、装身具、皮革製品、木彫り品、陶器、銅製品、カーペット、何でもあり、です。延々と、1キロに近いほど、歩いたでしょうか?小さな門があり、スークの外に出たようです。でもお店はありました。そこを歩くと、小さな広場があり、こんな建物がありました。クッバ・バアディンと呼ばれるもので、12世紀に建てられた、水利設備だとのこと。水利設備には見えない、立派なものですねー。この貯水池の水は、50キロほどあるアトラス山脈から流れて来るのだそうです。そして、その隣に、ベン・ユーセフ・モスクです。メディナの中で、最大のモスクだそうです。さて、又、スークを戻り、フナ広場にやって来ました。屋台が並んであります。食い物です。腹も減りましたので、夕食です。おー!羊の頭が置いております。屋台のおっちゃん、心臓だの、脳みそだの、と日本語で説明してくれます。頭の良くなる脳みそは、欲しいけど、羊の脳みそは食べたくはないぞな。これが足だと言うので、食べてみる事にしました。お皿に、盛ってくれます。フォークもスプーンもありません。どうやって食べるのかと見ていたら、隣のフランス人カップルは、手で食べていました。熱いのにねー。パンを千切って、肉を親指にくっつけて食べるようです。食べ難いです。これに、お茶を飲んで、16DH。安いですねー!別の屋台にいって、スープを飲みました。このスープの屋台が、一番混雑しています。1杯3DH(50円)と安いからかなー? この鍋に大量に入ってます。これが、マメスープです。ハリラと言うようです。羊肉で出汁をとり、マメ、タマネギ、トマトなど細かく刻んで、煮込んだもの。とろ~りとして、うまいです。フナ広場の屋台は、これから夜に向かって、さらに活気が増して行くでしょう。僕はと言えば、バスの移動と、2万歩も歩いた疲れより、活気はなく、まだ薄暗くなったばかりなのに、早めにホテルに帰り、就寝予定です。
2008.04.05
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タジンも食べたし、さて、ホテル探しです。候補は、二つ。ホテル・アリ → 欧米人に人気あり、ネットも使い放題。 シングル160DH、ダブル250DH。ホテル・ミモザ → 清潔で、モロッコの女性グループにも人気あり。 シングル50DH、ダブル100DH女性に人気と言う言葉に惹かれ、ホテル・ミモザへ行きました。調度、受付の青年が、食事中で、テラスで待ってくれってんで、屋上に登りました。おー! フナ広場と、その向こうに、クトゥビアの塔が見えます。しかし、待てど暮らせど、受付の青年が着ません。20分を過ぎて、痺れを切らせて、1階に降りて行きました。何しとったのか知らんけど、まだ、パンを食ってます。仕方ないので、まだ、待つ事にしました。何せ、モロッコ女性に人気のホテルって言うのですから。さらに待つこと10分。やっと、部屋を見せて貰いました。まぁまぁの部屋だし、机もあるし、ここにしようと思って、バックパックを開けて、荷物を全部、机とベッドの上に出しました。そして、部屋代を支払いに行くと、120DHだと、言いおります。えー? トイレ、シャワー共同は、50DHじゃーないんか?と聞くと、いや、あの部屋はダブルなんだ、と言いおります。しかし、ダブルでも、100DHじゃーないんか?と聞けば、それは、古い。今は、120DHじゃ。とのたまう。くっそー! そんなら、別のホテルに移る!と言って、せっかく、部屋中に広げた荷物を、詰めなおしました。ったく、腹立つなー。待たせるだけ、待たせて、あれは、何じゃ!女性にだけ、優しいのではないのか? そんなホテルはダメダメ。と、メディナの安宿の方へ歩いて行きます。フナ広場の端を歩きます。すごい人だかりです。縁日のようです。しかし、今は、それを覗き込むそんな余裕ありません。ホテル探しです。横目で見て、先を急ぎます。こんな道路の、さらに、わき道へ入ります。そして、ホテルを5軒も見て廻った頃、気付きました。 トイレ、シャワー共同シングル 70DH → 全て満室 トイレ、シャワー共同ダブル 120DH → これしか残っていない。どのホテルも、ほとんど同じ値段で、部屋もほとんど同じ内容です。しかも、机がなかったり、コンセントさえない部屋もあります。パソコン使えません。 いやー、困った、困った。ホテル・ミモザにしとけば、良かったかいな? と若干、後悔の気持ちが湧いて来ましたが、なにくそ! 日本男児ここにあり!ってな気持ちで、さらに探すことにしましたぞな。安宿が、ここに40軒程度あるでしょうか?僕は、その半分以上、見ました。ホテルアドバイザーになれそうです。しかし、やはり、同じです。いい加減、疲れて来たし、これなら、もう少し高めのホテルにした方がいいかな、と初心貫かずの方針転換です。安宿群からちょっと離れた所にある、ホテル・ド・フコール。ここなら、シングル210DH、これが満室でも、ダブルが290DH.サウジ出稼ぎの金もあるし、まぁ、今夜は贅沢しよう。と、そっち方面に移動です。すると、その途中に、ホテルがありました。面倒だけど、寄ってみるか、と、そう思ったのです。当たり!ダブル90DHがありました。シャワー室も近く、お湯もばっちり出ます。探し回った甲斐がありました。ホテルチェックイン、16時。1時間半も、ホテル探しに費やしました。
2008.04.04
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サハラ砂漠に来ています。メルズーガと言う、砂漠へ入る基地見たいなところですが、ネットカフェがありました。日本語が、読み書き出来るので、喜んだら、WORDのソフトが入ってません、USBに入れた、文書を取り出せず、今は、リアルタイムの書き込みです。しかし、皆さんの所へ、お邪魔して書き込みしようとしたら、何名かの方は、楽天に登録しないと書けませんと、エラーになってしまいます。色々と、面倒ですねー。サハラ砂漠、良かったですよー!素晴らしいの一言。らくだに、往復4時間も乗りました。
2008.04.02
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12時ぴったりに、マラケシュの国営バス乗り場、CTMに着きました。位置は、ガイドブックで確認済みです。このバス乗り場から、500m程度で、旧メディナの入り口の門に着くはず。城壁沿いを歩けば良いのです。そして、その門から、かの有名な、ジャマ・エル・フナ広場まで、1キロ程度なのです。まぁ、たったの30分程ですから、歩こうと考えました。バス停から歩くこと、5分。こんな風景です。あれー? 何かおかしいなー?左手に、城壁が見えるはずなんですが? ない、ない! ない!ありません!よって、聞きまくり作戦です。この辺りにあるはずの、ドゥカラ門、それがどっち方面か聞くのです。どこの国の方も親切で、ほとんどの人が、あっち、とか、こっち、とか、教えてくれます。しかし、何故だか、全く別方面のことが、しばしばあります。ですから、信用してない訳でもなく、道を教えて貰って、心より、感謝申し上げているのですが、何人かに聞く事にしております。そうしたら、間違いなく、歩いて行く方面です。しかし、城壁どころか、門も全然、全く、出て来ないので、交通整理している、ポリスさんに聞いて見ました。そしたら、何と、降りたバス乗り場は、国営であり、メディナよりずっと遠い所にあったのです。僕が地図で確認したバス乗り場は、民営だったのです。あちゃー! 参った!こんな失敗、どっかでもやったなー! 反省しとらん!経験を活かしてない! 日々進歩してない!とガックリしても、一歩も進みません。地図で確認すると、結構遠いですが、日ごろ、ゴルフで鍛えている健脚故、チックショー、歩いてやろーじゃーねーか!と思ったのであります。歩くには、仲々、良い並木道じゃーないですか?並木道をテクテク、快調に歩くと、11月16日広場って、変な名前の広場にぶち当たりました。ここを右折です。さらに、テクテク歩くと、着きました!ここが、旧メディナに入り口、コブ門です!さらにさらに、テクテク、テクテク、と歩きます。結構疲れて来ました。もう1時間と、20分ほど歩いています。あまけに、パソコンも入った、バックパックを背負ってます。そしたら、「クトゥビア」が見えました。もうメディナです。マラケシュのシンボル、高さ77mのミナレット。美しいじゃーありませんか!ムーア建築様式の傑作だそうです。何でも、セビリアのラルダの塔(97m)と、並び、世界で最も高く、美しいミナレットだと言われているそうです。フナ広場に着いたのは、歩き出して、1時間半。もう午後1時半です。腹減ったなー! と思ったら、三角帽子の土鍋が並んでいる食堂が、街角にありました。 こりゃー、タジンに違いない!柔らかく、とろけそうなジャガイモが上に乗っています。その下に、羊肉、人参など、野菜が入っていました。アッチッチ、とか、言いながら、食べました。パンは、こんな感じのものです。歩き疲れましたが、腹八分目、又、歩き出すのは、調度良いです。さて、これから、ホテル探しです。
2008.03.31
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2008年3月28日カサブランカからマラケシュへ移動します。このバスです。バスの中、見て下さい。ガラガラ、ガ~ラガ~ラ。誰もいません。45人乗りほどの大型バスですが、乗客は、7名でした。こんなので、儲かるのかなー?イエメンなんて、満席にならねば、出発しません。あっちの方が、時間はいい加減になってしまうけど、効率的ですね。乗り心地は、隣も占領出来て、最高です。カサブランカを出発してから、こう言う風景が続きます。ガイドブック読んで、居眠りして、週刊誌を読んで、又居眠りしても、窓の外は、まだこう言う風景です。緑が豊かですねー!バスの中、冷えてるんです。セーター着こんでも、寒い。クーラーはいっているんじゃーないのか? 運転手に、文句つけて見るかなー、と思った頃、外の景色が変りました。山が見えて来たのです。カサブランカ出発、3時間ほどでした。程なく、街並も見えて来ました。マラケシュの街です。3時間半のバスの旅、ちと寒かったですが、それを除けば、快適でした。それからー、トイレ休憩がなかったのですねー。お茶ガブ飲み禁止、水ガブ飲み禁止。コーラガブ飲み禁止。そして、バスに乗る前に、トイレに行くべし! これが、バスに乗る際のアドバイスです。
2008.03.31
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本日も、ブログ2連発です。アップ出来ない時もあるので、ブログが、現実に追い付くよう、急ぎます。日本語可のネットカフェもあるのですが、文字盤の場所が違ったりするので、すごく時間がかかってしまいます。<例えば>ZとWの位置が入れ替わっている。Mの表示がない。AとQの位置が入れ替わっている。@マークの位置が違う。、とか 。とか ・とか ?とかの位置が違い、表示がない。覚えるのに、時間がかかります。==============================2008年3月27日カサブランカの旧メディナを、ブラブラ歩いたら、疲れました。色んなお店が並んでいました。が、僕は、買物にあまり興味が湧きません。従って、そう言う歩き方には、すぐに疲れてしまいます。ですが、サウジや、オマーン、イエメンなどに比べると雰囲気が異なります。なんでやろなー?と考え、周囲を見回してみました。そしたら、女性の数が多いのです。しかも、普通のジーンズのような格好をした若い女性達も多いのです。それで、雰囲気が違ったのですね。しかし、女性を見た程度では、疲れが取れません。手とか繋いでくれないし・・・。 (当たり前じゃ! 何を考えとる! 変態!)で、ホテルに帰り、一休みし、早速、トルコ料理を食べに行くことにしました。街の中心である、時計台から、そう遠くはないレストランです。こんなモロッコ風の感じのレストランです。パンは、ついています。これが、有名なクスクス。クスクスとは、北アフリカを代表する料理で、モロッコでも家庭料理だそうです。そして、同じようなスープ。スープには、大きな「おたま」がついてました。モロッコ人は、これをスプーン代わりに使うのかいな? と不思議に思いましたが、これでは、飲めそうにないので、スプーンを頼みました。しかし、これは、そのまま飲むのではなく、クスクスにかけて食べるのだと教えて貰いました。恥じ掻きました。恥掻きついでに、クスクスって料理は、笑いながら作るのですか?と聞いて見ました。(って、聞いてません。嘘です。聞く訳ないっすよね。聞いたらアホです。)クスクスは、ベースが小麦で、それに色んな肉や野菜で、味が異なって来るらしいですが、こう言うレストランへは、貧乏旅行なので、仲々、頻繁には、来られません。従いまして、チキンとラムとベジタブルが入っている、ミックスクスクスを注文したのであります。味は、やっぱりと言うか、少々、カプサに似ています。そして、Moroccan Tea。この味、なんと表現して良いのか? 言葉が出ない! 味を表現する奴です。あぁー、ダメだ! 料理番組のレポーターにはなれません。なんと言うか、変な味で、変な匂いなんです。これは、食事と一緒に飲めません。失敗しました。しかし、もったいないので、全部飲みました。ウエイターに、これは何じゃ?と聞いてみましたら、グリーティと答えます。そして、砂糖を入れてある、と。そんな味せんでー? と言っても、「そうじゃ!」、と答えるのみ。へんな味。 (ミントが入っていたようです。)まぁ、何はともあれ、満腹です。量が多すぎて食べ切れませんでした。お値段は、100DH=約1400円でした。(えー! ホテル1泊と同じです!)しかし、満足げな、アジアの星一番さんでした。(本日は、顔がちょっと長細いですなー! お化粧失敗しましたか?)
2008.03.31
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カサ・ポール駅から、市内まで、対した距離でないので、歩くことにしました。駅から市内への道。椰子の木が植えられており、良い雰囲気です。旧メディナの入り口、国連広場前の、時計台です。市内のど真ん中、カサブランカは、分かりやすいですねー。安宿を何軒か見ましたが、シャワーのお湯がきちんと出るホテルにしようと決心しました。ま、決心と言うほど、大げさな問題ではないですが、寒いのです。お昼で20度位。午後4時を廻った今は、ひんやりとしてますので、15度以下でしょうか?ホテル・デ・ネゴシアンと言いまして、CTMターミナル(長距離バス停)に近く、値段も105DH(1500円)と、お手頃です。外観はこんな感じです。この向こうの方へ、数分歩くと、時計台がある国連広場です。お部屋です。しかし、今のカサブランカ、寒いです。セーターだけでは、不足。コートか、ジャンパーのようなものが必要です。
2008.03.30
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2連発でアップしました。(マラケシュにいます。)昨日、記載しましたが、日本語は読めても書けません。従いまして、自分のパソコンで、原稿を書いて、USBに移して、それを持って、ネットカフェに行き、コピーして、ペーストするって言う面倒なことを行っています。リアルタイムで、モロッコをお伝え出来ませんが、そして、せっかく頂いたコメントの、返事が書けませんが、ご容赦願います。(機会を見つけて、お返事します。)===========================電車は便利です。カサブランカ空港の地下に電車の駅があります。成田見たいに、長い距離を歩く必要はありません。すぐです。便利です。電車に乗り込むと、杖を持ったおじいちゃんと、顔つきはアジア系かと思われるおばあちゃんと、もう1人、青年風の3人が、同じ4人掛けのボックスに座りました。彼らは、英語がほとんど話せません。青年が片言話すだけです。が、僕のチケットを見て、何か言ってます。どうも、途中で乗り換えのようです。それで、僕は、アラビア語で、本を見ながら、話しかけて見ました。「こんにちは!」「私は、日本人です」「あなたの名前は?」、おー、やるなー、会話は順調です。「結婚してますか?」、と聞いたら、気難しい顔してたのに、チョコッと笑顔になりました。そして、頷いて、「アイワ」、と答えました。「アイワ」とは、イエスって言う意味です。すご~い! 会話になってる!で、次に、「何歳ですか?」、聞いて見ました。「ミア」、とか言う返事です。僕は、1年がかりで、1~10までの数字を覚えて、知っています。その語尾を少し変えれば、99までの数字は、概ね理解出来ます。しかし、「ミア」、と言う単語は見当たりません。なんじゃいな? と思って本を調べて見ると、な、なんと、「100」とあります。「えー! 嘘こけ! 100歳って言う事はなかろう!」と日本語で言うと、ふふふ、と笑いましたぞ、おじいちゃん。歳を聞かれたら、「20歳以上100歳未満」と、答えている僕のお株を奪われました。何とも、すっとぼけたおじいちゃんです。時間は、1時間以上あるらしいので、じっくりと確認して見ますると、75歳であることが判明しました。全く、とぼけた味のある、おじいちゃんであります。僕は、聞かれたら、答えようと、「以上」と「未満」の単語を探しました。仲々、見つかりません。そうしたら、歳は聞いて来ないし、会話も途切れて、眠くなり、ウトウトしてしまったのであります。隣の青年に肩を叩かれて起こされました。乗り換え駅に着きました。おじいちゃん、おばあちゃん、そして青年も乗り換えのようで、僕も一緒に別のホームへ連れて行って貰いました。片言のアラビア語のお陰で、乗り越さずに済み、無事、カサブランカ市内のカサ・ポール駅に着きました。
2008.03.29
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カサブランカ飛行場からは、電車で移動することにしました。市内まで、35ディラハムです。尚、1ディラハムは、今現在の為替で、14円程度です。電車待ちの時、地元のモロッコ人が話しかけて来たので、少しお話をしました。恋人同士らしい2人連れと、おっちゃん、の3人がお相手です。「どこへ行くんだい?」「モロッコ初めてかい?」「1人かい?」「日本のどこに住んでるの?」などなど、色々と質問攻めであります。その中で、彼らは、僕の計画を立てた、旅程の変更をアドバイスして来ました。僕は、モロッコを、時計廻りで行こうと思っておりました。しかしながら、彼らは、反時計廻りの方が良いと言うのです。何が良いのか、具体的に良く分かりませんでしたが、一般的にはそのように廻るらしいです。で、急遽、彼らのアドバイス通り、反時計廻りに変更です。カサブランカ マラケシュアトラスを越えて、ワルザザードカスバ街道を走って、ティネリールエルフィード(メルズーガでサハラ砂漠の星空の下で寝たい)フェズメクネスカサブランカと言った工程になります。どっち廻りでも、良いのだとは思いますが、地元の人のリコメンド通りに廻った方が、理由はないけど、良いですよね? こうやって、簡単に変更出来るのが、「貧乏1人旅」の良い所です。
2008.03.29
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本日は、2008年3月27日。現地時間、12時35分。エミュレーツ航空にて、予定通り、モロッコのカサブランカに到着しました。いよいよ、「16日間 モロッコ一人旅」の始まりです。 昨日の夕方、バハレーンにて、日本対バハレーンのワールドカップ予選を観戦。1対0でカンパイ(完敗)し、残念会兼会食で、こちらではビールでカンパイ(乾杯)し、その後、バハレーン空港へ移動。居眠りしながら、かなり待って、朝の3時50分、ドバイへ移動したのであります。それから、空路9時間、ようやくカサブランカへ着きました。中東からアフリカなど、すぐ近くのイメージがありますが、遠いですねー。飛行機は、どこを飛んで行くのかなーと思っておりましたら、まず、ドバイから、イラクと、サウジアラビア国境のサウジ側の上空を飛びます。そして、ヨルダンの北部、シリアの南部を通って、地中海に出ます。ここまでで、4時間かかりました。そして、マルタ島上空で、6時間。その後は、チュニジアのチュニア付近で、地中海上空から、陸地の海岸線沿いをとびます、チェニスで、目的地まで、2時間と表示されていましたから、ここまで7時間かかっています。チュニジア、アルジェリア上空を飛びます。アルジェリアから、モロッコの国境まで、8時間と少しかかり、これで、あと、1時間で、カサブランカです。ドバイ空港内も、飛行機内も冷えすぎで、セーター着ても、まだ寒くて、鼻水が、出そうです。飛行機は、エミュレーツでしたが、日本とは全く関係ない地域を飛ぶ為、日本語の映画はありません。アラビア語の映画は全く分からないし、英語の映画も分からないけど、英語の映画を選択して見ました。まぁ、ほとんど分かりませんが、16歳の高校生に子供が出来て、子供の出来ない夫婦に、その赤ちゃんを養女にあげるって言うようなストーリーだったようです。機内食です。ビールもワインもあるし、結構、豪華でした。食事以外は、大体、寝たり起きたりでしたが、アラブの皆様は、毛布を頭から被って、寝ています。日本人は、ああ言う寝方、しませんねー。 見た事ありません。さて、カサブランカ市内へは、どうやって移動しようかなー?おまけ情報モロッコの両替率は、飛行場でも、カサブランカ市内でも、全く同じ率でした。政府が厳しく管理しているようです。銀行より、両替屋の方が、率が良いとか、悩む必要がありません。I am sorry. I can not reply for your comment becauseJapanese language are not available in here.(I can read it but can not write.)I have already moved from Casablanca to Marrakeshon 28 March 2008.
2008.03.28
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