全12件 (12件中 1-12件目)
1
2008年10月21日(火) 34日目ダッカを早々と後にして、クルナと言う所へ来ました。クルナと言うのに、来てしまって良かったのか? などと、オヤジギャグ飛ばしたくなるような地名です。本日は、バングラデシュで一番高級とされるバス会社、ショハグ社のVolvoに乗って移動しました。ミネラルウォーターに、お菓子のサービスもあり、このようなティッシュもサービスしてくれます。そして、彼が切符切りの、ヨォンユス君です。ビーマンのCAになりたいそで、その為には、このようなバスの乗務員経験が必要らしいです。6ヶ月間、行うと言ってました。ヨォンユス君、親切過ぎると言うか、懐いて来ると言うか、暇さえあれば、一番後部座席の僕の所へ来ます。チップを要求するでもなく、どうも外人に興味があるだけのようです。 ポッタ川(ガンガー)を、フェリーで渡る為にバスが並んでいます。ここでフェリー待ちと川を渡る為に、2時間を必要とします。 フェリーの上から、撮ったポッタ川(ガンガー)。汚い泥水の川です。インドの沐浴で有名な、ヴァラーナスィーなどを通って来ますので、人間を焼いた灰や、子供の死体なども流れて来ているはずです。こんな大きな川、川幅も、ものすごくあるので、橋を作るのは、今の経済と技術のバングラデシュでは、難しいのでしょう。 約、9時間のバスの旅でしたが、エアコンも効いているし、従って、騒音も少なく、快適な旅でした。因みにお値段は、650タカ、1000円です。やっぱりちょっと高いですよね?乗っている人も、バングラ人ですが、皆さん、お金持ちの人のようです。ローカルバスに乗る人たちと、明らかに、見た目が違います。さて、クルナの町へ着いたら、もう夕方、薄暗い時間でした。ホテルへチェックインして、すぐにネットカフェを探しに出かけました。ネカフェありましたが、残念ながら、日本語が読めません。コルカタへ行くまで、アップ出来そうもなく、諦めです。で、地元食堂へ行きましたら、こんな女性が食べていました。 僕は、始め親子かなー? 年の差がすごくある、姉妹かなー?などと、観察しておりましたが、な、なんと、21歳の同い年なのです。絶対にそうは見えませんよねー!何故、写真を撮ることになったかと言いますと、僕が食堂に入り、彼女達が食べているものを指差し、あれと同じものを下さい、って言ったのです。そしたら、例の如く、彼女達も、どこの国から来ましたか? と聞いて来ました。(マトンハリムって言うのを食べました)質問者が、野郎どもなら、無視するか、逆質問して、混乱させるか、するのですが、彼女達には、丁寧に答えました。すると、すると、そっちのテーブルに移って良いか? って聞いて来るのです。断るべき理由は、何もありませぬ。 「何なら、ホテルへでも一緒に?」 などと、言う訳はありませんぞ。(考えもしませんでしたからね!)で、話が弾みました。大学生です。明日、見学に行くバゲルハット出身で、クルナに下宿して勉強しています。左側の子は、写真より、実物の方がずっと可愛いです。唄を唄ってくれって頼んだら、食堂で、ほんとに歌ってくれました。バングラには、日本発明のカラオケがありません。カラオケって言う世界語を、彼女達は、知りませんでしたから。そして、問題は、支払いの段になって、気づきましたが、彼女達が、僕の分まで払ってくれていたのです。そりゃーまずい、いくら「貧乏旅人」でも、どんだけ「ケチな男」でも、貧乏国の女学生に、ご馳走して貰っては、経済大国、ニッポンの一員として、恥ずべき事である!と、お金を渡そうとしましたが、受け取りません。言うことが、泣かせるじゃーありませんか!私達、日本人の人と、初めて話しをしました。とってもとっても、嬉しいです。あなたは、私達のゲストですから、私達に払わせて下さい。と、このように言うのです。もう、参りましたねー。その前に失敗しているのです。名前と住所を教えて欲しい、と、言われたのですが、名前だけ紙に書いて、住所は書きませんでした。文通も面倒だなー、と思ってしまったのです。ご馳走になったからと、今更、住所を追記する訳にも行きませんので、ただ、ただ、ありがとうって、繰り返すだけです。見てください! アジアの星一番さん、微笑んでいます。 一緒に食堂を出たのですが、別れ際、私達のことを忘れないで下さいね、これ見て思い出して下さい、とボールペンをくれました。どのような対応をしていいやら、さっぱり、分からず、右往左往とはこの事かと、知った次第です。日本の良さを知らしめるべき所、これでは、すっかり評判を落としました。住所でも聞いて、写真でも送るような、手はずをすれば良かったのです。イカンなー! しっかりせい! アジアの星一番!そんな事じゃー、アジアの星一番でなく、アジアの星百番程度に格下げするど! と、自分を叱り付けて置きました。追記先ほど(10月23日夕方)、コルカタに着きました。バックパッカーがひしめく、サダル・ストリートに宿を取りました。さすが、IT大国、バックパッカー通り。日本語可能なネット屋、すぐ見つかりました。これで返事書けます。
2008.10.23
コメント(6)
ダッカで、往復3時間半もかけて、ネットカフェへ行って以来、その後ネットカフェ見つかっていません。どこかで、見つかったら、又々、3日分、連続アップとなります。2008年10月18日(土) クシティアと、宗教詩人ラロン・シャハ2008年10月19日(日) バングラ人質問撃退法 クシティアからダッカ2008年10月20日(月) ダッカ==============================2008年10月20日(月) 33日目ダッカ、1日探訪して来ました。大都会です。一言で言うなら、もう1日で、結構です、早く移動したいです、と言う感想です。まぁ、取り合えず紹介しましょう。市内の中心、ゼロポイントに近い、Hotel Ramna です。エアコン付きで、650タカ(1000円位)6階なのですが、蚊取り線香と、蚊取マットをつけて寝たのに、夜中に刺されました。エアコンが効きすぎて寒いので、止めたからかなー?ダッカから次の目的地クルナまで、船が出ていると言うので、一番乗りでチケットを購入する為、その販売事務所へ出かけました。ホテルの近く、リクシャーの停車場。幌のない荷物運搬用リクシャーです。運転手の人たち、リクシャーの上で寝ています。見えますか?リクシャーも、これだけ多いと壮観ですねー。BIWTCの事務所に着きました。しかしオフィス開始の20分も早く着いてしまいました。たまたま、出勤して来た人と会い、事務所で待て、と言うので一緒に行くと、立派な個室です。どうも一番偉い人だったようです。でも親切ですよね?ダッカから各地域に船が出ていて、その船は「ロケット・スティーマー」と呼ばれているそうです。蒸気機関を改造した外輪船。クルナまで、25時間かかりますが、ゆったりと水の国:バングラを旅して見たかったのであります。1等:2380タカ(3600円)、2等:1440タカ(2100円)両方とも、二人用個室を一人で使用する値段で、1等はエアコン付き。しかし、残念ながら、木曜と日曜しか運行しておらず、木曜は満席だとの事。大変、残念ですが、諦めざるを得ません。早めに予約せねばなりませんねー!仕方ないので、オールドダッカまで見学に歩くことにしました。イヤー、暑いし、うるさいし、大変な町です。喉が渇きます。道端にパイナップル売りが立っています。お皿や、切ったパイナップルをバケツの水で、さらっと洗うので、雑菌、大丈夫かなー? と心配になりましたが、喉の渇きに耐え切れず、食べました。(その後、問題なし、胃腸元気です!)オールドダッカに入りました。リクシャーの数がすごいです。人も多く、歩く場所を確保するのも、困難なほどです。 ショドル・ガットにやって来ました。ブリゴンガ川。ここから長距離の船も出ます。小さな船は、対岸へ渡るものや、大きな船から荷物を移動する為のようです。ここの通りには、船客目当てのお店が沢山並んでいます。又、果物市場、野菜市場もあります。野菜市場で、地元のおっさん達と話していたら、食べきれないほどの、新鮮なパイナップルを切ってくれました。(食ったばかりなのに・・・)そして、道端には、ミシン屋さんも、並んでいます。面白いのは、道端の床屋さん。これだけシンプルで、風通しの良い、床屋さんもないでしょう。港で、船を見ていたら、何人ものバングラ人が声をかけてきます。例の二つの単語でしか聞いて来ませんから、無視ですけどね。そして、懐かしい日本語が聞こえました。「おー! バングラで、初めての外国人か!」と、振り向くと、完璧なバングラ人です。しかし、日本語は流暢です。聞けば、12年間、日本で働いていたそうで、結構な時間、話し込んでしまいました。竜ヶ崎の工場でずっと働いていたそうで、1988年から1999年までの期間。始めは15万円の給料が帰る頃は35万円貰っていたそうです。6万円の部屋を借りて、半分は社長が出してくれて、週末には、ビールをどっさり持って来て、外へ飲みに行くな、お金を貯めろと言ってくれたそうです。話を聞いて、計算してみたら、彼は、12年間で、1500万円は貯金しています。一生、遊んで暮らせるお金です。そのバングラ人、会社の人たちに感謝してましたねー。同胞が感謝されているのを聞くと、関係ない僕でも、嬉しくなります。さて、名残惜しいのですが、ラールバーグ・フォートへ移動しました。ダッカの紹介には、必ずここの写真が使われるほど、有名です。宿のあるゼロ・ポイント近くにネット屋さんが見つからないので、大使館などが、多くある、ダッカ北東のボナニ駅方面へ行って見ました。リクシャーとバスで、1時間半もかかりましたよ、わずか8キロ程度なのに。でも、ネット屋が見つかり、3日分一気にアップ出来ました。2時間たっぷり、パソコンに張り付き、ゼロ・ポイントへの帰り方を聞いていたら、客の一人が、同じ方向へ帰るので、一緒に行ってくれるとの事。貿易会社の社長さんです。英語も堪能で、バス代は出してくれるし、色んな話を聞けて、2時間もかかった市内バス、退屈しないですみました。しかし、この渋滞を何とかしないとまずいですねー、ダッカも。わずかな距離、市内を移動するのに、2時間ですから。困ったものです。しかも、夜の9時近くなっても、バスの中は、灼熱状態、拷問に絶えているようなものです。貿易会社の社長さん、夕食を食べようと言いましたが、遠慮しときました。そしたら、道路わきのちゃんとしたお店で、スナックとマンゴジュースをご馳走してくれました。面白かった話は、アルカイダに金を出しているのは、アメリカだ。サウジの王族は、CIAに脅されて、言うことを聞いている、背けない。5年位前の、中国のサーズ騒ぎは、アメリカの陰謀だ。アメリカに対抗できるのは、中国しかない。日本製品はバングラから駆逐された。今は、中国製品ばっかりだ。と、言うような話をずっとしていました。とにかく、アメリカ大嫌い、中国大好きなようです。そして、日本製品は、全て中国製品に置き換えられたって話し、お店を見れば、すぐに分かります。それは、中東でも同じです。多少、品質が悪くっても、安い方が良いですもんね。露天で商売している、電気品売りのお兄ちゃんが言ってました。「これは、バングラの製品、品質悪いよ! こっちは中国製品だから、品質は一番、全く中身が違うんだよ!」って。今や、そう言う時代になって来ました。 どうするニッポン?
2008.10.22
コメント(8)
2008年10月19日(日) 32日目バングラ人の質問攻めには、閉口しております。しかし、彼らの質問パターンが、ほとんど一定している事に、気が付きました。ユアーカントリー?ネイム?この二つです。文章になっていませんが、まぁ、こんな質問です。歩いていれば、ほぼ3分に1回は聞かれます。面倒でしょう?ほとんど無視しますが、気が乗った時には、撃退する為、からかいます。どうするか?カントリー? とか聞いて来たら、「ん? おめぇは、どう思うんだ? どっから来たと思う? んー? えー?どうなんだ! どうなんだ!」と、問い返します。それも、しつっこく、早口で。彼らは、単語二つしか知りませんから、目を白黒させて、カントリー? と聞き返すか、訳分からんもんで、バングラデシュなどと答える奴もいれば、すごすごと退散する奴もいます。敵が退散すると、ホッホッホ、やった、やったと、嬉しさを噛み締めます。もう一つ、閉口する事があります。あいつら、やたらと触って来るのです。道端ですれ違っただけなのに、握手をして来るのです。無理やり握手しようとする奴もいます。話せる奴には、日本人は、握手する習慣はない、と断ります。無理に握手しようとする奴は、腕を振り払います。困ったもんでしょう?握手でなくても、触って来る奴らは沢山います。「触んな!」、と怒鳴ってやりますが、あいつら、お構いなしです。ほんと、困った奴らです。親愛の情のつもりなのでしょうか? 僕には、そんな親愛はいりません。放っておいて欲しいです。それから、インドよりウンコは少ないですが、彼らは、唾や痰を吐きます。道は唾や痰だらけです。中国人といい勝負です。これにも閉口しております。そして、手で鼻をかみます。え? どうするかって?例えば、右の鼻押さえて、左の鼻から、フッっと、鼻を飛ばすのです。うまいことするなー! なんて感心している場合ではありませぬぞ!リクシャーの運ちゃんが、それをやると、風の向きによっては、こっちに引っかかる場合もありますぞ! 引っかかったら、エライこっちゃです。だから、道を歩くのに、ウンコの他にも、唾や鼻を踏まないよう、右に左に揺れながら歩かねばならぬのです。大変です! バングラデシュ!あ! そう言えば、靴の臭い、洗ってから問題ありません。右の靴に若干、あの臭いが残っていますが、気になるほどではないです。と言うことは、あれは、やっぱりウンコ踏んで、その臭いが靴の中まで、染込んだのでしょうか?恐るべしウンコ! 恐るべし、あの臭い! ウンコは踏まないようにしましょう!そうだ、もう一つ、困ったとまでは行きませんが、バングラ特有のことがあります。買い物したり、道を聞いたり、リクシャーと交渉したりしていると、必ず、バングラ人が集まって来ます。それも1人や2人でなく、10人の単位でです。バナナ買うのに、売っている人と値段交渉でなく、集まった他の奴らが勝手に20タカだの、15タカだのと言うのです。ガイドブック開いて、道聞いていると、ガイドブックを僕の手から取り上げる奴もいます。分からん行動です。まぁ、そんだけ、外国人が少なく、声をかけて見たいのだろうし、悪気がないのは分かっているのですがねー。声をかけないまでも、ジロジロ見られるのは、当たり前です。動物園のサルになった心持です。はぁ~、疲れた~。今日は、首都ダッカへ移動です。今回の移動は、宿の前から、気の良いリクシャーの運ちゃんさんだったので、気分良かったです。ホロのついているリクシャーでなく、板を並べた、荷物運搬用のようなリクシャーでした。でも特に問題なく、運賃もホロ付きに比べて半分です。10数分乗って、5タカ。7円少々って所です。バス乗り場についたら、調度、ダッカ行きが出発するところでした。乗って見てビックリ! 仰天!こんな素晴らしいバスなのです。 しかも、エアコン付きです。ですから、埃も外から入って来ませぬ。臭いも外から入って来ませぬ。定員以上乗せませんから、通路に乗客はいませぬ。途中で、切符切りが、お茶飲んで、30分も休むなんて事ありませぬ。途中で、乗客を乗せたり、降ろしたりしませぬ。席も、余裕たっぷりです。こんなバスが、バングラデシュにあったとは、驚きです。これで、水のサービスや、コーヒーのサービスしてくれたら、トルコ並みのバスになります。韓国の3列豪華バスには、かないませぬが、かなり高度なレベルであります。アジアの星一番さんも、ゆったり座っています。んん? ちと偉そうですなー! 怒ってんのかー?今回は、バングラ人に近づく為、お化粧を若干、日焼け気味にして見ました。途中、又、りっぱな橋を渡りました。ダッカに近づくに連れて、交通量が増え、のろのろ運転になりました。5時間かかって、やれやれ、ダッカに着き、宿でも探すか、ここは、どこじゃ? と地図を出して聞いてみれば、市内から、一番遠い、ガブトリ・バスターミナルです。ここからが大変でした。ローカルバスに乗り込んだら、いつもの通りに戻りました。あまりに快適なバスで移動してきたもので、その差に身体もついていけまへん。たちまち、汗があふれて来ます。おまけに、渋滞、騒音、排気、都会の悪い面を全て持っています。なんと、市内まで、1時間と10分もかかりました。この暑いのに、隣のじいさんは、しきりと腕に触って何か話しかけてくるし、反対側の若者は、この暑いのに良く眠れるなー、と思うほど、コックリして、こっちに寄りかかってくるし、そりゃー、まぁー、防御に大変でした。若者が寄りかかって来る度に、ペットボトルで、頭をポカリとやります。10数回は、ポカリとやったでしょうか? それでも、まだ居眠りしてました。ちょっと、アホですかねー?ちょこっと宿の廻りを歩いて見ましたが、いやぁー、ここダッカも大変な都市ですぞ! インドに負けない、何かを持ってます。明日、探検に出かけましょう!
2008.10.22
コメント(4)
2008年10月18日(土) 31日目ラジシャヒからクシティアへ移動です。朝も無駄骨を折りました。宿で、クシティアへの長距離バス停を教えて貰ったら、親切にリクシャーを呼んで、場所も説明し、バスまで連れて行ってあげろ、と指示してくれました。しかし、そこへ行ったら、係りらしき人に、ここからクシティア行きは出ない、別のバス停だと言われ、一旦、支払いを済ませたリクシャーで、又、又、移動です。30分も走った所のバス停へ着きました。ここは、ボグラから移動した時に到着したバス停です。ここでリクシャーの運ちゃんと、一悶着。ボグラから着いた時、リクシャーの運ちゃんたちは、100タカだの80タカだの法外な金額を要求して来ました。そいつらを無視して、歩き出しました。暫く歩いたあと、英語が堪能な親切な女性から、市内までの相場は、15タカ、それに、数タカ、プラスしてあげれば良いはずと教えて貰いました。それで、その時は、20タカ支払ったのです。そうしたら、今回は、始めのバス停まで10タカ(支払い済み)、そしてその後の分は、20タカ、合計で30タカだと言うのです。まぁ、結構、走ったので、そんなもんかなー、とは思ったのですが、そのまま支払うのも、癪だし、バスの出発まで、時間もあるらしいので、交渉して見る事にしました。「ん? 普通は15タカだろ? それを20タカ支払うって言ってんのに、その上、まだ、10タカも欲しいって言うのか!」数字以外は、日本語で言ってます。そしたら、リクシャーの運ちゃんやら、バスの関係者やら、20人以上が集まって来ました。口々に何やら言っています。僕は同じ言葉をずっと言い続けていました。誰が交渉相手か分からないほど、多い人数です。まぁ、かなりの時間、粘って見ましたが、敵は多勢、こちらは一人。敵は全員バングラ人、しかも同業者。こちらは外国人、そして客。どう考えても勝ち目はありません。乱闘になったら、バックパックはあるし、逃げるにも逃げられません。体力的にも勝ち目は、ゼロです。あいつら、毎日自転車漕いでます。交渉に勝利したとしても、たったの15円です。よって、「アッチャ、アッチャ!」、と言って、合計30タカ(45円)を支払ったのであります。因みに、「アッチャ」とは、分かりましたって言う意味です。日本人の一部が、「アッチャー!」、と驚く、その「アッチャー!」とは無関係です。アッチャ、アッチャって良く耳にするので、地元民に確認したので、意味は間違いないはずです。あいつらも、満足そうに頷いてましたから。ここまでは、まぁ、通常よくある事なのであります。そして、バスに乗ると、さっき、交渉した時にいた連中が乗り込んで来ました。「写真撮れ」って言うから、撮りましたがね、意味ねぇ奴らです。問題は、この後です。バスは、出発しました。快調に飛ばすので、こりゃー、早く目的地に着くわい、と先ほどの、交渉事は忘れてしまいました。が、しかし、バスは、思わぬ方向へ向かいました。見慣れた風景です。なんと、始めのバス停へ行ったのです。「くっそー! ここから、クシティア行きは出ないって・・・」ガックリです。あんな方まで、リクシャーで行って、皆んなに囲まれて交渉して、余分に支払ったのに・・・。 元へ戻りました。だけど、こう言うトラブルは、どうやって防いだら良いのでしょうかねー?宿の人の言うことを信用して、このバス停で、他の人に、再確認したら良かったのでしょうか?まぁ、バックパッカーとは、「無駄に時間を浪費する」とも読みますので、よし、としましょう。バスは、快調に飛ばします。ブウァー、ブウァーと、クラクション鳴らしながら。そして、素晴らしい橋、バングラデシュとは、とても思えない橋を通りました。僕は、カメラを持って、バス内を前へ、後ろへ移動しまくり、この橋をカメラに収めたのです。バーディング橋と言います。このような橋が、以前(何年前なのか?)はなくて、物流もうまく行ってなかったようです。橋が出来てから、農業生産物も変わって来たと言いますから、橋は重要ですねー。さて、クシティアに着き、宿にもチェックインして、早速、ラロンさんが眠る、ラロン・マジャルへ行きました。ラロンとは、吟遊詩人で、生涯で800近い信仰歌を残したそうです。イスラム教にも、ヒンドゥー教にもとらわれない民間信仰で、楽器とバック一つを背負い、長い髪と髭、聖者然とした衣装で、歌が、祈りと修業の手段だとの事です。この歌う修業者をパウルと呼びます。ラロンも、そのパウルだったそうです。このような楽器を使います。弦は1本だけです。この日は、10月18日。ラロンの命日が17日で、毎年、この前後に、多くのパウルが、ラロン・マジャルへ、ラロンを偲んでやって来ます。まさに、この日、パウル達が、交替で歌っていました。コンサートのようです。ツキがあるとは、こう言うことでしょうか?何も知らずに来たのに、1年に1度の、ラロンを偲ぶ、パウル達の心の歌を聴けたのですから。そう言えば、ヨルダンのペトラへ行った日も、新世界七不思議に選ばれた7月7日でした。悪い事は一切しない、旅好きのアジアの星一番だから、神がそのような巡り合わせにしているのでしょうか?(ふふ、自我自讃)この祈りの歌の会場から外は、もうまるで、大きなお祭りです。屋台やら、売店やら、広い会場に一杯です。あまりの広さに、歩いたら、喉が渇きます。ココナッツを飲んでみました。生ぬるいですが、うまい!遊園地のような所もあります。この乗り物、何て言うのでしょうか?これ、手動、人間力で動かしているのです。笑っちゃいますよねー!知らずに、頬が緩んでいましたが、面白いので暫く見ていました。メリーゴーランドも、人間が動かしてました。時間が余ったので、夕方は、町の北方を流れる、ゴライ川を眺めに行って来ました。ポッダ川(ガンガー)から分岐した川です。静かですねー。渡し舟です。人間は無論のこと、自転車から何でも渡します。
2008.10.22
コメント(9)
バングラデシュ、仲々、ネットに繋げず、可能な時は、いつも1日最大の3回アップとなってしまいます。ご了承の程を!10月16日(木) 実録 バングラデシュ両替物語10月17日(金) プティア10月17日(金) ラジシャヒ動物園と夕陽==========================ラジシャヒ動物園と夕陽2008年10月17日(金) 30日目 その2スィーツを食べて、ネットでブログをアップしたら、夕陽を見に行くのに、調度良い時間になりました。ラジシャヒの南方を、ポッタ川(インドではガンガー)がゆったりと流れています。そこから、見る夕陽が、とっても美しいと言うのです。その近くまで行ったら、動物園がありました。動物も好きだし、外国人も現地人も、入場料が一律5タカ(7円)と言うのも気に入りました。熊に、虎に、サル。 ここは、動物は少なく、遊園地と、公園を兼ねているような所です。中東のイスラム国では、見られない、若いカップルが語り合っている姿が、あちこちで見られます。デートコースなんですね。 さて、ポッタ川へ行って見ました。ゆっくりゆっくりと流れています。ヴァラーナスィーで見るガンガーよりこちらの方が、神々しい感じすらします。 売店や屋台も出ており、このように椅子も準備されています。 屋台です。チョポティを売っています。 清潔そうではありませんが、食べて見ました。酸っぱいと言うか、辛いと言うか、豆を煮たもので、生野菜と卵を刻んで混ぜています。カレーにも似た味でした。 時間も、そろそろ、夕陽に調度良い頃です。現地の皆さんも、見やすい位置で、じっと夕陽を眺めています。 これが、僕のお奨めの、写真です。一番気に入ったものです。小船で、家路に急ぐ漁師さん、岸辺では愛を語るカップル、そして、ガンガーに沈む、どでかい夕陽・・・、う~ん、良いですねー!あの夕陽の向こう、川の向こうは、インドです。
2008.10.20
コメント(6)
2008年10月17日(金) 30日目 その1 プティアは、池や林に囲まれて、大小のヒンドゥー寺院、旧王の館などが 点在する、田舎であるが、見どころが多いとのことで行って来ました。 ラジシャヒから、バスで、40~50分です。 バスを降り、リクシャーで行くと、シヴァ寺院が見えて来ます。 1823年に建てられた、北インド式の、ヒンドゥー寺院で、塗り壁で、 凝った彫り物や、絵もありません。 ここは、池が多く、こんな池の畔に寺院があるのです。 とっても、静かで、のんびりした雰囲気で、こう言う景色、良いですねー! アニク寺院とコヴィンダ寺院です。可愛らしい寺院です。 屋根の形に特徴がありますね。中央のこんもりした屋根を、 エク・バングラ型と言うようです。(意味は分かりません。) 大人も子供も、池で釣りを楽しんでいます。 僕も、釣らせて貰いましたが、難しいです。小さな魚なので、針に食い付かず、 餌をつつく程度なので、引っ掛けで釣る感じです。 コヴィンダ寺院です。これも、1800年代に建てられたものです。 テラコッタも、残っています。 ヒンドゥー神話とか、村人の生活などが、描かれています。 ドルモンチョ(これもヒンドゥー寺院)と、地元の子供達 プティア、落ち着いたいい村でした。 ラジシャヒの町戻ると、小腹空いて、何か食べたいなー! でも、ハエだらけの スィートは、食べたくないしなー、とお店の製品を眺めていました。 おいしそうですよねー? お店の人は、快く写真を撮らせてくれました。しかし、俺達も撮ってくれ! と、うるさいので、後で消せば良いや、と撮ったのがこれです。 写真を撮ったあと、「一つ味見していけ、お代はいらねぇー!」なんて 時代劇で聞いたような気前の良いせりふが飛び出ました。 普段より、タダって言葉に極端に弱い僕は、歩き出しそうになった足を止めて、ご馳走になりました。 あま~い! 甘い! そして、うまいのです! どんな風に、何を混ぜて作っているのか、分からないし、お腹の菌が それらに耐えられるかどうかも不明なので、味見だけに留めました。 まぁ、みんな食っているのだから、大丈夫だと思うのですが、ここは、慎重に、止めときましたです。
2008.10.20
コメント(2)
2008年10月16日(木) 29日目ラジシャヒでは、両替の為に、又、銀行へ行きました。IFIC BANKは、仕事拒否窓口係りに引っかかり、両替不可でした。木曜の午後3時。ここで両替出来ないと、金曜、土曜が週末の、当地では、両替不可能となり、大いに困ります。(実際は、両替屋さんが、あるらしいので、困りはしなかったでしょうが。)近くにあった、International Bank と言うりっぱな名前の銀行へ行きました。銃を持った、怖そうな警備員もいます。窓口へ、と言っても、普通の机の前です。そこへ案内されました。隣のおっさんが、「担当が、今、昼食中だから、少し待ってくれ。」と言います。僕は、大げさに、「え! えええー! 今、午後3時だぞ! バングラでは、昼飯、今頃、食うのかー?」、と手を大きく広げて言いましたです。そしたら、そのおっさん、俺がやる、とか言い出しました。とは、言っても、パスポートを、めくって眺めているだけなんですけど。最初のページから、最後まで、1枚づつ、彼はチェックしてました。増刷してあるので、普通のパスポートの2倍はあるし、パスポート更新してから、十数カ国へ行っているだろうから、時間はかかります。で、「いつ、当国へ入国しましたか?」、と聞いてきました。「お前が、今、調べたんだろう!」、と言いたかったですが、両替して貰わねばならぬ、こちらの弱みもあるので、「ハイ! 10月13日です!」、と朗らかに答えました。と、そいつ、仮に、アブドラ・アジズとしておきましょうか、アジズです。そのアジズ、少し図に乗って、「どこに記録がある?」、と、質問して来ました。「お前が、今、調べたんだろう!」、と言いたかったですが、弱みがあるので、渋々、調べだしました。見つけるのは、結構、面倒ですねー。仲々、見つかりませんよ。そしたら、アジズ、「色んな国に行っているなー!」、などと雑談をしたいらしいのです。元々、担当じゃないし、やる気は全くないのですね。こりゃーアジズに、言っても無駄だと感じ、雑談に応じることにしました。ここで、アジズには、弱みはなくなった訳です。どこに住んでる?サウジで働いていたのか?シリアにも行っているな?子供はいるのか? 奥さんは?職業は何だ?バングラの女はどう思う?(関係ねぇーだろ!)などなど、もう質問攻めです。廻りに同僚が、二人もやって来ました。弱みはないし、面倒なので、無視しようとも思いましたが、ここでも、おいしい紅茶は出してくれるし、押し黙ってもやることないので、一応の対応はしていました。サウジ出稼ぎの話になりました。「結構、沢山、お金、貰えるのだろう?」「ええ、まぁまぁ。」アジズ、計算機を持ち出して、何やら計算しています。そして見せました。「583」と言う数字が、ありました。「これが、US$換算の俺の月給なんだ。あんたは、いくら位だ?」どうだ! 高給取りだろ! ってな、雰囲気が、彼から漂っています。こう言うことを平気で聞いて来るのですね。なので、ここで、一瞬の内に考えつき、驚かしてやれ、と思いました。「ん? そんだけー? それ、俺の1日の給料だな!」、と583の数値を指して言いました。アジズ、目の玉、まん丸にひん剥いて、身体を前に乗り出して来ました。「ほ、本当か? 俺の給料、高い方だぞ! 1日、こんだけ貰ってるのか?」ちょっと、身をそらして、偉そうぶって質問してたのに、アジズ大変身です。583US$って言えば、大体6万円ですよね。で、年間50週として、週休2日、祝日と有給休暇で30日とすれば、実働、220日ですから、それに6万円かけると、1320万円。(アジズに計算機借りて、計算したものです。)ひぇ~! 年棒だと、1320万円だ!思わず、大嘘がばれそうな、声を出してしまうところでした。だけど、この位、貰っている日本人は、いるでしょう、その人数、結構多いかも。と言うことで、計算機から顔をあげず、何度か、計算して、そして、「そうだ、1日で、その位、貰っている。」、と、自信を持った振りして答えました。ひぇ~! 今度は、アジズが声を出しました。近くの同僚に、何か説明しています。それから、偉そうぶった態度は、全く影を潜め、日本で働きたいが、その時は、助けてくれるか? と、銀行の自分の席なのに、職業相談になっています。「そんな話して、ええのんかー?」 と聞きたい位です。そんなこんなで、時間をつぶしていたら、のっそりと、担当が帰って来ました。又、パスポートを1枚づつ調べています。そして、いつ、入国した、だの、又、同じような質問攻めです。こいつら、よっぽど、暇なんでしょうなー。ま、僕も、暇って言えば、暇ですから、付き合ってあげます。どうも彼らの説明によれば、バングラデシュでは、パスポートに現金持ち出しの金額を記載し、それ以上、使えないようなシステムになっているようなのです。それで、彼らは、パスポートの、その金額の記載箇所を探していたのです。「日本に、そんなシステムはない。幾らでも持ち出しOKだ。」と、説明してあげました。おー! ニッポンすごい! ってな、顔してます。隣のアジズも、自分の仕事しないで、身を乗り出してずっと、こちらのやり取りを聞いてます。「で、幾ら、両替」、と聞かれました。本当は、100ドル両替しようと思っていたのです。1日、1500円位で旅してますので、既に両替済みの100ドルと合わせれば、10数日間は持ちます。でも、バングラの両替って面白いから、もう1回くらい、どっかで、両替して見たいと思い、50ドルにしました。そしたら、透かして見たり、札を紙に擦り付けて見たり、アジズにも渡して、同じような確認をしていました。なんなんじゃ?担当が、パスポートをコピーして来ました。「日本は、本当に、確認許可なしに、お金持ち出していいの?」又、聞いて来ます。「あぁ、2万ドルでも、3万ドルでも、じぇ~んじぇん問題ない!」それでも、まだ信用出来ない顔してます。「この前なんか、10万ドル持ち出したけど、問題なかったど!」って言ってやりました。(そんなに持ってないけど。)大体、今どき、現金をそんなに持ち歩く人なんていませんよね。キャッシュカード持っていくでしょ。現金はやばいです。まぁ、先進国って言われている国の人なら、すぐ分かるでしょうがねー。しかし、彼は、日本は、金持ちなので、そう言う事なのかなーって顔してましたが、それでも、まだ、両替してくれません。パスポート持って、どこかへ行きました。どうも、上の人に相談に行ったらしいです。待つこと、しばし。アジズに、バングラの名所なんぞを、聞きながら待ちました。担当、帰って来ると、「パスポートに、50ドル両替したと書いて良いか?」と聞いて来ました。「世界各国、49カ国行って、両替しているが、そんな話聞いたことない。パスポートは、日本政府が、管理している。僕にその権限はない!」って答えると、担当さん、困った顔して、今にも泣きそうです。なんだか、可哀相になってきて、「だけど、それ書かないと、両替出来ないなら、仕方ないよねー、許可システムが違うんだもの」と、言うと、ようやく、両替する方向に進みそうになって来たのであります。ボグラの銀行では、あの個室の偉い人の部屋で、簡単に両替出来たのに、なんで、ここは、こんなに時間がかかるのでしょう。分かりませんねー!で、パスポートに、このように記載されました。そして、きちんと、サインまでしましたよ。パスポートに両替の証明を記載されたのは、初めての経験です。これが、1時間と少々の、「実録 バングラデシュ両替物語」でした。
2008.10.20
コメント(6)
昨日に続き、3回分を一気に掲載します。でないとリアルタイムに追いつきません。10月14日(火) ボグラ近郊のマハスタン遺跡10月15日(水)ジョエプールハット近郊のパハルプール遺跡(世界遺産)そして、本日、10月16日(木) ボグラからラジシャヒ移動。============================2008年10月16日(木) 29日目ヒンドゥー寺院、旧王の館が点在すると言う、プティアへ行くために、その近くの町、ラジシャヒへ移動です。そこには、日本語可能なネット屋があるとの噂なので、アップ出来るかも知れません。昨夜、宿にメッセージが残ってました。「明日の朝、8時に行く」、と。心当たりがありませんが、もしかしたら、銀行で会って、お店で、飲み物をご馳走になった、ラフィクルさんかも知れません。いや、彼しか、バングラでメッセージを残す人は思いつきません。明日は、7時頃出発しようしていたのに、困ったなー? と思っていたら、ホテルに電話がありました。事情を説明し、明日は、早立ちしなければならない、と何度説明しても、朝食だけでも一緒にしたいと言い、7時にホテルへ来てくれる結果になってしまいました。さて、翌朝、ほんとに来るのかどうか、疑わしいし、朝食をどうするかで、悩みました。食べてしまって、本当に来たら、せっかく朝食を一緒に食べようと言ってくれているのに悪いし、食べないで来なかったら、移動中、腹減って困るしなー、ふむふむ・・・で、半分程度、食べておくことにしました。準備万端、7時。 しかし来ません。待つこと、10分、やはり来ません。バス停へ出発しました。ホテルのすぐ隣です。バスは、8時出発とのことで、暑いし、ホテルに戻り、待つことにしました。すると、7時半過ぎに、やっぱりラフィクルさんでしたが、ホテルにやって来ました。先日の礼を言い、8時出発なので、朝食は一緒に食べられない、お茶を飲みましょうや、と言って、とホテルのレストランへ行きました。しかし、彼は、バスは沢山ある、問題ない、などと、こっちの予定は無視して、スープだの、野菜だの注文しだすのであります。それを見て、まぁ、急ぐ旅でもないし、連れもいないし、いっか、と腰を落ち着けて、食事することに、相成ったのであります。彼は、甥っ子とを連れて来ました。「いくつ?」って聞くと、ラフィクルさんは、「20歳」、と言います。そして勉強していると言います。ですから、「大学生?」、って聞くと、いや、「高校生」、だと答えます。なに? バングラは、20歳でも、高校生なのか? え? ええー?その疑問を問うと、本人に確認し、「16歳」であることが、判明しました。彼らにとって、年齢って、いい加減で良いのですかねー?サウジでも、インド人は、年齢を適当に言ってました。知らなけりゃー、知らないって言えばいいのに、適当に推定して言うのですよ。この人たちです。久しぶりにアジアの星一番も登場ですが、化粧がイマイチ、ですねー。顎と頬の辺りが、ほんの少し、出すぎかなー?もう1泊していけ、と仕切りに薦められましたが、コルカタに友人がいて、土曜日には行かねばならないし、スケジュール上、今、出発しないと駄目なのだと、再三説明し、お断りしました。何故、こんなに親切にしてくれるのか、その理由が分からないのです。大体、日本人に声をかけてくる現地人には、魂胆がありそうなものなのですが、このラフィクルさんには、魂胆が潜んでいるようには見えません。その後、お茶を飲もうと、自分のお店の方へ連れて行かれました。リクシャーで、10分も乗って行くのです。エアコンの効いたりっぱな、レストランへ行きましたが、その道中、甥っ子が手を握って来るのには、閉口しました。16歳ですからねー! 男でも手を繋げるのは、小学校3年生位まででしょう?無下に、手を振り解く訳にも行かず、なんとも、言えぬ気分です。彼らは、男同士でも、良く手を繋いで、歩いていたりします。別にホモでもないのですね。お茶を飲み、もう行かねばならないって、言うと、お昼は何食べる?などと聞きながら、弁当を頼んでくれました。そして、甥っ子が、リクシャーで、バス停まで送ってくれました。食事も、リクシャーも、お茶も、弁当も、全部、ラフィクルさんが支払ってくれました。何も求めず、無償で、こんなに親切にして貰って良いものか、と迷いましたが、そのままお礼を言って別れました。日本滞在中に、よっぽど日本人に、親切にして貰ったのでしょうか?そうだとしたら、同胞、日本人のお陰様で、僕もその親切のお返しを貰った事になります。ラフィクルさんには、日本へ帰ったら、お礼の手紙でも出しましょう。で、バスは、狭い道路をぶっ飛ばして行きます。4~5時間かかると言うのに、たったの、2時間半で着きました。神風特攻隊(知りませんが)みたいな、ぶっ飛ばし方でしょうか?ラジシャヒでは、両替の為に、又、銀行へ行きました。前回と同じ、IFIC BANKです。しかし、担当者は、もう時間が過ぎた、と両替しようとしません。午後3時クローズだと言いますが、3分前でした。どうも、仕事したくない奴見たいなので、早々に引き上げました。しかし、本日、木曜日、両替出来ないと、ここバングラは、金曜、土曜と週末で銀行は休み、どうしても、今日中に両替しなければなりません。ダメ元で、別の銀行へ行って見ました。結果、1時間と少々、かかりましたが、両替出来ました。これも話すと、長くなるので、別掲します。町を歩いていたら、こんなのがありました。なんじゃないな? と思って立ち止まって見ていたら、塊を食べろ、とくれました。うー! あま~い!砂糖です。調度、砂糖が切れる所だったので、一塊、15円で買いました。そして、買うつもりはありませんが、魚市場へ。皆さん、カントリー? って聞いて来ますが、無視。ウザイです。写真も撮ってくれー! と、大騒ぎです。 野菜や、米のような市場もあります。ここは、この町の中心にある、シャヘブ・バザールの一角です。 3回分アップするだけで、もう2時間半がかかりました。コピーするだけなのに・・・。すいません! コメントの返事を書く時間がなくなりました。ネット屋さんも、もうじきクローズです。皆さんのところへも、お邪魔できず、残念です。すいません!
2008.10.17
コメント(8)
2008年10月15日(水) 28日目本日は、世界遺産のパハルプール遺跡を見に行きました。本来なら、宿泊する予定でありましたが、ボグラへ直行した為、行かなかった、ジョエプールハットへバスで向かいます。この通りで、もうバナナだらけの街道市場に遭遇しました。こんなバナナ市場通りが、ずっーーーっと、何キロと言って良いほど続きます。文字通り山ほど、バナナを積み上げたリクシャーが、ひっきりなしに、走ってくるのは、見てても爽快です。ジョエプールハットで、パハルプール行きのバス待ち。待つ事には慣れて来ました。その間、チャーを飲んで待っています。(チャーとは、ミルク、砂糖入りの、紅茶です)皆さん、チャーの他に、この葉っぱに、何やら少し包んで、口に放り込んでいました。試そうか、とも思いましたが、うまそうでもないので、止めました。何でしょうねー?こんなので、大人が遊んでいました。ビリヤードと同じ要領ですが、キューは使いません。そして球でなく、おはじきの大きなようなのを使います。「ケラブ」、と言うゲームだと教えて貰いました。さあて、パハルプール行きのバスですが、出発して、10分位走ったら、停車し、運転手も切符切りも、のんびりお茶しだしました。20分我慢し、25分も過ぎた頃、待つのに慣れたとは言え、こう言う待ち方には、我慢できません。おい! こら! 何やっている! 皆んな暑いバスの中で待っているんだぞ! 何分待たせるのだ! バカ野郎! 早く出発しろ!と日本語で、窓の外に、怒鳴ってやりました。英語で言っても分からないので、日本語で言っても同じです。運転手は、慌てて帰って来て、エンジンをかけました。言ってやらないと、分からないのですよ。他の乗客からは感謝の眼差しで、チラチラ見られました。で、世界遺産のパハルプールに到着です。入場料、100タカ(150円)ですが、中は良く整備されています。インド亜大陸最大規模の仏教僧院跡との触れ込みです。「旅行人」には、バングラデシュ最大の見どころの一つと記載あったので、期待して来ました。しかし、ここもレンガ造りの基礎と周壁が残っているだけなので、何が、そんなにすごいのかが、分かりにくいです。高い尖塔があり、木造の楼閣がそびえ立っていたと言う事なのですが。基礎部分に、テラコッタが残っていました。2800枚もはめ込まれていたようですが、現在は何枚残っているのか?ここの建築様式(パーラ朝)は、ミャンマーのバガンや、カンボジャのアンコールワットにも影響を与えたと言われているそうですが、まぁ、その本家のここより、バガンや、アンコールワットの方が、規模も壮大で、残っている遺跡もずっとりっぱです。ただ、広さを見ると、当時の盛況さは、分かるような気もします。 ボグラへの帰りの風景ですが、広大な稲作地帯です。見渡す限り、田んぼが続いていました。追記バングラデシュ、ボグラ滞在、3日間。観光客らしき人には、日本人はおろか、韓国人にも白人にも、一人も出会わなかったです。世界遺産である、パハルプールでも、然り、一人もいません。外国人が少ない、それでか、どうか分かりませんが、どこでも話しかけられます。始めは、きちんと対応していましたが、数十人を越すと、いささか面倒になって来ました。しかも、子供から爺さんまで、同じ質問です。「ユアーカントリー?」 って聞いて来るのです。3日間で、100人以上に聞かれたでしょうか?面倒くさいっすよ! 答えるのが。リクシャーの運ちゃんとネゴしてれば、すぐに、10人以上は集まって来ます。勝手に、いくらだ! とか言い出します。で、「うるせぇー! 向こうへいけぇー!」と、言っても、それを真似して、皆んで、大笑いです。まったく、どう言う、人種なのでしょうか? バングラデシュ人?
2008.10.17
コメント(4)
2008年10月14日(火) 27日目まず、両替しなければならないので、ボグラの町の中心へ向かいました。いやー、どこもかしこも、リクシャーだらけです。 銀行は、シャット・マタと言う、道路7本が集まる、7差路の近くにありました。町の中心地です。驚いたのは、単に100US$の両替なのに、個室に通されました。そして、な、な、な、なんと、紅茶がサービスで出されました。すごく偉い人のようで、 今日のレート持って来い! パスポート、ここと、ここをコピーせよ! お茶を持って来い!などなど、命令を出しています。本人は、写真のように新聞読んでいるのです。命令を受ける方は、いちいち、「アッチャ!」、、と言います。何で、「アッチャ!」、何でしょうねー?入り口は、本当に銀行かよ? と言うような建物でした。記念の為に、写真を撮ってみました。紅茶サービスは、効きますねー。バングラデシュ、一気に好きになりましたよ。そして、トイレはどこ? って聞くと、ずっと中まで、案内してくれます。しかも日本語が出来る人がいるのです。用を足して、外に出ると、その人も一緒に、出て来て、お店に来ないか?と言います。なんだー、客引きかよー! とガッカリしましたが、まぁ、変なもの薦められたら、帰ってくれば良いや、とのこのこ、ついて行ったのです。そしたら、こんなお店です。各種、色んなホースを売っているお店で、全く、いかがわしい事ありません。わざわざ、冷たいセブンアップを買って来てくれて、コップに注いでくれます。聞けば、日本の東京、大塚に5年いて働いたそうです。それを元手に、今や、社長さん、ラフィクルさんです。銀行といい、このお店の、ご主人と言い、ほんと親切です。さて、暫くネットに繋げてないので、ネット屋を探しに、町へ繰り出しました。あっちに聞き、こっちで聞き、ネット屋に行って見ても、どこも日本語が使えません。一番大きいと言う、BORODOLA HELP LAIN と言うネット屋、ここにも、行きましたが、やっぱり駄目です。諦めました。ボグラの町を走る列車の線路も、人で溢れています。一体、汽車が来たら、どうするのか? ネット屋を探していたら、ニューバザールに迷い込みました。綺麗なお店も、沢山あります。外のリクシャーだらけの風景とはずいぶん異なります。 食事ですが、どうも軽食のようなものばかりで、どこへ行けば、主食が食べられるのか? 今の所、分かりません。右の写真が、「ドイ」と言って、甘い食後の食べ物です。 さて、午後は、モハスタン遺跡へ出かけました。モハスタンは、4世紀頃から栄えていた、仏教都市遺跡との事です。残っているのは、8~11世紀頃のものとされていますが、実際には、この写真のように、城壁跡くらいしか、ありません。近くでは、農家の人たちが、稲を積んでいたり、草取りをしたりしています。皆、写真を撮ると喜んでくれます。 遺跡の南方、バショルゴールへやって来ました。これは、「初夜の家」と言う意味らしいです。ある王子が、新婚初夜の夜、蛇に噛まれて息絶え、ガンガーに流されたと言う伝説があるからだそうです。ほんとだとしたら、可哀想!する前だったら、王子様可哀想! した後だったら、花嫁さん可哀想?しかし、その息絶えた王子は、ヘビ使いの娘に救われて生き返り、その娘と幸せに暮らしたと言う、ハッピーエンドの伝説です。(なら、する前の方が、良かったですね?)ラクシンダル・メドゥ寺院跡と言う事ですが、この跡から、どのような寺院が建っていたのか、しばし、瞑想したものでした。基礎と言うか、土台と言うか、複雑に作られているものですから・・・。遺跡は、このリクシャーで、2時間半ほど、かけて廻りました。運ちゃんの写真を撮ろうとしたら、通りかかりのお母さんや、子供達も一緒に入って来ます。たぶん、モスリムだと思うのですが、中東と違って、ずいぶん、大らかですねー。
2008.10.17
コメント(6)
3連発で、アップします。(途中、ネカフェなしでした)10月11日(土) タイガーヒルで御来光10月12日(日) バングラ入国出来ず! ホルディバリーから国境、閉鎖中そして、このバングラデシュ入国現在(10月14日)、バングラデシュの、ボグラに滞在中です。===============================2008年10月13日(月) 26日目ふゎあぁあぁーーーぁい! よー寝たなー!ここは、バングラデシュ国境に近いインドの片田舎、ホルディバリです。そのきったねぇー宿で1泊したのです。エアコンも、ホットシャワーもない、たった200円の宿ですが、気持ち良い寝起きです。蚊は全く問題なし。蚊取線香、蚊取マット、蚊帳の3大武器に対して、さすがの蚊野郎達も、攻撃出来ませぬ。ふふ! 勝った、勝った! 気持ち良いなー!シーリングファンって奴も、案外と気持ち良いもんです。気温がもっと高いと、駄目ですけどね。今でもはっきり思い出しますが、シリアのユーフラテス川沿いの町、デリゾールでは、極暑の中、シーリングファンは単なる、熱風廻し機で、役に立たず、3リットルの汗をかいたこと、報告済みです。それと、シーリングファンの効用。洗濯物が、すごく早く乾きます。一昨日は、靴を洗ったついでに、パジャマも洗いました。しかし、ダージリンの高所では、1日かかってようやく、乾くと言う、何ともゆったりでした。ですが、このシーリングファンがあれば、すぐ乾きます。で、ズボンも洗って、今朝は、洗濯物一切なし! 清潔度100%です。よーし、今日は、バングラへ入国するどー!ってな事で、ホルディバリから、チャングラバンドラへ移動です。宿で、バス停前に、7時半発のバスが来る、と聞きましたが、これまでの経験より、まぁ、1~2時間の誤差は覚悟していました。そしたら、1~2分の誤差でバスが来ました。これは、まさに奇跡的な正確さです。驚きました。感動しました!ですが、だが、しかし、座る席はありません。満席です。例の如く、バックパックはバスの上に乗せろ、と言われましたが、パソコンが入っていると、バス内に持ち込みました。そしたら、切符切りの奴、通路にバックパックを降ろすなと、言いやがります。くっそ! バックパック背負ったまま、何時間もバスに揺られるのかー!参ったな、こりゃ! と、頭抱えておりました。すると、近くに座っていた兄弟の兄が弟を膝の上に抱いて、席を空けてくれました。なんと、やさしいお兄さんでしょう!この子達です。弟だって、結構大きいですよね? その後、通路にもひしめき合うほどの大混雑となり、何故、切符切りのおっさんが、通路にバックパック置くな、と言ったのか、理由が分かりました。このお兄さんには、ほんと感謝です。バス代出してやろうか? と思ったほどですが、思っただけでそれは止めました。代わりに、飴玉2個あげました。弟はすぐに舐めてましたが、お兄さんは、ポケットにしまいこみました。そして、かなり時が経ってから、弟に自分のをあげてました。ちょっと、出来すぎたお兄さんです。僕なら、飴玉貰ったのを弟に隠して、二つとも、自分で舐めようとするでしょう。無事、国境のチャングラバンドラに来ました。しかし、宿らしきものは、昨夜より、もっとひどい、こんなのしかありません。ちょっと遠回りだったですが、昨日のルートで良かったのかも知れませんねー。インドのカスタムとイミグレで手続きしてから、腹ごしらえです。旅の食のこつをつかんで来ました。一つは、非常食を持つこと。これはバナナが最適です。水は必須。もう一つは、食べられる時に食べておくこと。で、10時半、昼食には、早すぎますが、食べておきました。もう、ここは、バングラデシュです。ブリマリと言う国境に入った場所です。リクシャーで、延々とこんな道を走ります、のどかで、ゆったりして良いのですが、座る場所が、木製なので、尻が痛いです。 炎天下、尻の痛いのを我慢して、1時間と10分、パトグラムと言う、小さな村で降ろされました。ここからバスが出ているのです。ジョエプールハット行こうと思っていましたが、ここからは、乗り換え、乗り換えらしく、ボグラ行きがすぐ出るので、それに乗れ! とせかされ、乗り込みました。ジョエプールハットより、ボグラの方が親しみ安いですねー。何んでか?ボクラは皆んな、生きているー♪、生きているから・・・、って唄です。ボクラと、ボグラ。似ているじゃーないですか?5時間で、ボグラに着くって話でした。49時間のバスの旅を経験していますから、5時間なんて、へっちゃらのちゃい!です。ボグラはー♪、皆んな、生きているー♪ などと、鼻歌うかいながら、快調な出足。隣には、ボウヤ見たいな、青年です。初め小学生かな?と思ったほど、童顔です。しかし、実際は青年です。4時間ほど走った頃、もう、あと1時間だなー、とあくびをしながら、隣の青年に身振りで、ボグラ、1時間? って聞くと、2時間だ! と言います。なんじゃ? ここはどこじゃ? と聞けば、まだ道のり半分程度のロングブールって町だそうです。ありゃまー! まだこんなところか!と思ったら、どっと、疲れが出てきました。腰は痛くなるし、腹の調子も何だか、おかしいし、おまけに、バスも故障して、道端に止まって修理しだしました。 やっぱり、早めのお昼、食べておいて良かったです。ローカルバスなので、昼食の為に、停止することはありません。その代わりに、修理の為に、停止します。なんと、1時間ほど、止まりました。この辺りは、外国人が少ないのか、バスの修理時、バスを降りたら、現地の人たちが、僕の廻りに集まりだし、あっと言う間に数十人になってしまいました。スターになった気分です。こんなに集まって、何か、やらにゃー、悪いかなー? と、ディスコダンスの真似事したら、大喝采でした。でも、腰は痛いし、腹の調子は悪いし、そんなサービスしている場合じゃーないのですがねー。そんなこんなで、ボグラには、2時間15分遅れの、19時15分に到着です。ホテルを吟味するのももどかしく、1軒目のセンチュルー・モーテルに決めました。最高のホテルです。エアコン、ホットシャワーは完備されており、ティッシュ、トイペまで置いてあります。それに、石鹸からシャンプーまで。初めてですねー、こんなにちゃんと準備されたホテル。え? お値段ですか?700タカです。1000円ちょっとですね。2泊目以降は、600タカに負けさせました。900円ってところです。
2008.10.16
コメント(10)
2008年10月12日(日) 25日目さて、本日は移動です。可能なら、一気にバングラデシュへ入国したいと、早めに、ホテルをチェックアウトしました。この光景もお別れなので、ホテルの屋上から、撮影しました。向こうにうっすらと見えているのが、昨日の朝、タイガー・ヒルから見た、ネパールとの国境にある、8586mの、カンチェンジュンガです。これが、ダージリンの町です。斜面に、へばりついたように、家々が立ち並んでいます。これが乗車を諦めた、ダージリン鉄道の線路です。この幅は、60cm位しかありません。世界遺産にも登録されており、通称「トイ・トレイン」と呼ばれているらしいです。全長、88キロ。標高差、2000m。ここを7時間半かけて走ります。平地はディーゼル機関車が牽引し、標高1500m地点より、蒸気機関車に替えて、急勾配を登るとの事です。乗って見たかったですが、切符買うのも、並んだり相当面倒そうだし、丸1日かかるので、止めました。鉄道マニアなら絶対に乗るでしょう。ダージリンから、麓のシリグリの町まで、バスが見つかりません。歩き回って、見つけたのが、線路の脇に止まっている車です。この車に、なんと、14名も乗せてまぁ、乗れるだけ詰め込んで、運ちゃんは、銭儲けにも走ります。そしてシリグリから、バングラデシュ国境に近い町、ホルディバリへ向かいます。このバスを探すのも一苦労、二苦労、三苦労でした。12時半にバス停に着き、チケット売り場へ行って聞いた所、そこへ行くバスのチケットは売っていない、とどこのバス会社(私バス)も言います。止む無く、ジープタクシー乗り場へ行って見ると、バスしか行っていないと言います。バス停に戻って、もう一度聞いてみるも、やっぱりチケットは販売してない。何度も往復していたのを見ていた、係員(どこの会社か不明)が、午後1時半に出発するのがある、と教えてくれました。で、食事して、戻って待って来ましたが、バスはありません。そんな繰り返しでしたが、15時発のバスをやっと探し当てて、乗った次第です。歩いて歩いて、汗びっしょりです。ダージリンは寒い位だったのに。このバスの中も暑くて、日陰の席の奪い合いです。ここ、ホルディバリは、バングラ国境の片田舎です。ホテルとは決して呼べない宿しかありません。お湯シャワーはないけど、一応ツインの部屋にしました。100ルピー、200円ちょっとの部屋です。エアコンなんてありません。蚊が心配なので、蚊取線香はないか? と聞けば、「自分で買って来い。」、と言われました。何とも、サービスの悪い宿であります。ですが、わずか200円しか支払っていないので、文句も言わずに、買いに走りました。蚊は嫌いです。14巻21ルピーで売っていたのを、負けさせて20ルピーで買って来ました。宿のおっちゃんに、「明日の朝、これを、18ルピーで売るが買うか? 13巻で18ルピー、お買い得だぞ!」、と聞いたら、一言、「いらん!」と言われました。まぁ、必要ないから持っていないのでしょう。買いませんよね。蚊対策は、蚊帳に蚊取線香、そして持参の蚊取マットで万全です。しかし、別物の、大問題発生!何と、ホルディバリからバングラへ入る国境は閉鎖されている、って、言うのです。な、なんじゃー! そりゃぁー!何のために、この片田舎のホルディバリに来たんじゃ! このー!聞けば、もうずっと前から、この国境は閉ざされていて、ここから数時間離れた、チャングラバンドラの町へ行き、そこから、バングラのブリマリへ渡るのだそうです。そうなら、そっちへ直接行ったのにーーーーー!シリグリから、ここへ来る程度の時間で、そのチャングラバンドラへバスで行けたそうです。無駄な、1日を過ごしました。あのバス探しは、何の為だったのか?自棄酒でも飲もうと思いましたが、酒場もなさそうです。ナーンを3枚も、自棄食いしました。そこの食堂です。この店主、食べ終わってから、アルコールあるぞ! なんて言うのです。聞いてみると、酒のような、ポカラで味見させて貰ったのと同じような匂いでした。食べた後ではねー、あまり飲みたくもないので、止めました。早く寝て、明日は早くバングラへ入りましょう。追記「地球の歩き方」では、バングラデシュ版を発行していません。で、「旅行人」が発行している、バングラデシュを買って持参しています。2006年発行なので、2年前ですが、これには、きっちり国境越え情報として、ホルディバリのルートが掲載されているのです。それを参考にやって来たのですが、閉ざされていると言うのです。しかも、8年前からだそうです。困りましたねー! 「旅行人」さん!しかし、バス停にいた、リクシャーの連中、バングラへ行くと言ったら、乗れ! 乗れ! と誘ってきました。一体、どこへ連れて行くつもりだったのでしょう?日本と違って、「バングラ」、などと言う、キャバクラとかないでしょうに。
2008.10.16
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1