風雲 いざなみ日記

2006年12月20日
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仮名手本忠臣蔵01




お家再興と真相究明の望み

赤穂藩には大激震が走り、城内は混乱し不安と憶測が飛び交います。 城代家老の大石蔵之助は、藩士全員を招集して会議を開きますが、蔵之助はこのとき策を講じたのでした。会議で蔵之助は、この城は浅野家が築いた城であり、吉良上野介が生きているままで城を明け渡すのは "武士の義が立たぬ" と主張し、開城の折りには、大手門で皆切腹し、上野介の処分と浅野家再興を願い出ようと提案しました。


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そして更に、浅野家の家臣一同の結束を試すため、行動を共にする者には神文を提出するよう促しましたのです。このとき蔵之助の提案に従い、神文を提出したのは藩士270名のうち、70名ほどだったといわれています。



このときすでに、蔵之助の考えの中には、家督を内匠頭の弟の浅野大学長広に引き継ぎ、 お家再興 が認められない場合には、主君の仇として吉良上野介を討ち果たすというオプションを用意しており、信頼する側近には、そんな心のうちを告げていたようです。 一方、史料によれば、必ずしも浅野家再興に主眼を置いたものではなく、大学に浅野家の家名存続を託すニュアンスが濃いものだったようです。



仮名手本忠臣蔵02




そして迎えた赤穂城見分の折り、受城目付、代官に大学の家督相続を嘆願します。 このときの蔵之助のプレゼンテーションは大したもので、言葉の端々にまで真心がこもり、聞けば心を動かさずにはいられないほどのものであったと、後に幕府の目付たちの印象が伝えられています。 しかし、蔵之助の願いも虚しく赤穂城明け渡しが言い渡され、浅野家の家臣たちは、遂に城も主君もない浪々の身の上となったのでした。



浪人の身となってからも蔵之助は、知古の幕臣を通じて幕府に様々な働きかけをし、浅野家再興のために尽くしましたが遂にその願いは退けられてしまいます。そんなとき、吉良上野介は幕府に隠居を願い出て認められ、これによってわずかな可能性の残された "喧嘩両成敗" というルールでの上野介への処分も行われなくなり、この事件は幕府によって永久に闇に葬られたのでした。



 赤穂騒動記(3)へ続きます。




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最終更新日  2006年12月20日 00時20分11秒
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