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平成23年6月1日 午前2時55分、わだつみ判官家の御家老は永眠しました。 ちょうど、桜の散る頃に体調を崩し、一時は起き上がることもできましたが、5月30日の未明から臥せり、静かに息をひきとりました。 享年17歳。 せめてもの救いは、おぼつかない足取りながらも夙川の桜並木を歩き、最後に満開の桜を一緒に見られたとこだと思います・・・振り返れば、ご家老にはどれだけ支えられていた言い尽くせない。 一個のモナカを巡って熾烈な争奪戦を繰り広げ、クルマやバイクで旅をし、山野へもよく一緒に出かけた。 阪神淡路大震災を経験し、避難所では愛想をふり撒いていた御家老。 こうして、判官の復興を傍でじっと見守ってきたんだと思う。 少なくとも、ひっそりとしがちな我が家に、笑いのネタを提供し続けてくれていた。長く生きた猫は火車(かしゃ)になるという・・・ それを教えてくれたのは、大病に倒れた楽天のブログ仲間の秋月龍樹さんだった。 「画図百鬼夜行」には、大猫がうなだれた死んだ女を抱えた姿で描かれている。 昔々のことだけど、人がもっと素朴だった頃には、火車はよく目撃されたという。「北越雪譜」には、越後の南魚沼で火車が目撃された様子が記されている述があり、葬儀が終わって棺を運んでいると空がにわかに暗くなり、突然火の玉が現れ、炎に包まれたその大猫の尾は二股に分かれていたという。また、「宇治拾遺物語」には火車は炎を発しながら空を駆けて、人の霊魂を運ぶために、あの世とこの世往来するとされる。その他、多くの伝承によると、本来の火車は、悪人の魂を地獄へ送るための使者が牽いた車を指したようだが、大猫の姿をした妖怪に牽かれていたことから、妖怪そのものを火車と呼ぶようになったそうだ。火車は、死者の魂を地獄へ連れ去るものだが、ときに、罪業の深い生者を地獄へ連れて行くこともあるという。生きながら、乗せられるというのは、よほどその人が罪に汚れているという証しで、昔はこの妖怪を恐れて、都人は寝ずの番をしたという。17年と4ヶ月の生涯を、判官と生きたご家老は死して何に変わるだろうか。 ともかく、これから先の我が家は静まり返り、益々寂しくなることだけは間違いない・・・
2011年06月01日
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今日は、午後からずっと強い風で、時々突風が吹く一日だった。 そして、不吉な春の嵐は、わだつみ判官の悲劇をもたらしたのだった・・・嵐みたいな生暖かい風の吹く帰り道、ちょっとイヤな思いをしてしまった。 仕事帰りにファミレスに寄って一人で食事した。 食事も終わって駐車場のクルマに戻ったら、運転席側のドアが当てられてて、ガガって目立つ傷になってやんの・・・要するに、クルマのドアをぶつけられた。(あいや~ぁ) 今日の夕方、ボディーコーティングの定期メンテナンスから戻ったところだから、傷一つ無いのは業者の確認済み。 たぶん、隣に停めた家族連れのBMWだ。 例え、強風が吹いてて子供の過失であったとしても、大人が知らんぷりして逃げるのは最低~っ。 世の中逃げ得か? それとも、軽自動車だからって舐めてんだろうか? そりゃあ、メルセデスやレクサスみたいな高級車じゃないですわ。(それぐらい買えるけどさ!) だけど判官のクルマは、軽でも塗装は特注したパールマイカだし、ボディーコーティングしてるし、シートは防弾素材だし、エンジンチューンだってしてるクルマだから、ドア一枚リペアするだけでも15万はかかるのだよ明智君!(誰?・・・笑)物事には礼儀がある。 だから社会人として、最低限の責任ある配慮が欲しい。 ましてや子供連れだったら、子供に「クルマ当てたら黙って逃げる」なんて、親が子供にそんな手本を示してどうする! 親バカは子供を幸せにするけど、バカ親は子供をダメにする。 自分の子供に対しても、最低のモラル教育だ。(ゆとり教育?) 不注意なんか誰にでもあるんだから・・・ 声をかけて説明してくれたら、修理代の請求なんてしないよ。(男前♪) 大切なのは心の問題なんだよね。 今夜は、クルマのドア以上に傷ついた判官だったりする。
2011年04月26日
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災害対策基本法の第105条では、首相に災害緊急事態を布告して、リーダーシップを発揮する権限を明記している。 さらに、第109条では、国会閉会中なら政府は生活必需品の配給、譲渡、物価の統制、債務の支払い延期などの政令を出せることを定義している。もしも、菅首相に国の危機を乗り切るという気概と器量があるなら、国を背負う責任を果たすために政治決断ができただろう。しかし、彼はただ、「冷静に」とか「国難」とか「命がけで・・・」とかきキレイ事を口にしただけで、今も災害緊急事態を発動していなかった。 実際に、命をかけているのは自衛官や警察官や消防士、そして自治体の首長や職員だけだ。今回のような大災害で発動せず、いつ発動するというのだろう。 法治国家において、政治家が法をもって国を主導しないというなら、民主党の政治は暇人の集まりのPTAより無能だ。3月22日に、災害緊急事態の布告を求めた野党議員に対して、民主党政権は「国民の権利義務を大きく規制する非常に強い措置で適切な判断が必要だ」と答弁しただけだった。事態は、阪神淡路大震災や関東大震災を上回る大災害だということをまるで理解していない。 こうしているうちにも、被災地で災害弱者の命が削られ、放射線は罪もない国民に不安を与え続けている。 管直人の見識の甘さと決断力のなさは、もう犯罪に近い。 国難の原因が、災害から人災に代わりつつあると感じる。 無なしの下で、懸命に働く枝野氏や蓮邦氏が余りにも可哀想でならない。 官僚や公務員を恫喝し、自治体や民間にだけ負担を強いて、他党に責任を転嫁してまで政権維持に固執するなら、民主党の全議員が国民の敵とみなされることを覚悟すべきだ。 それとも、亡国の咎人として歴史に自分の名を刻みたいのか・・・判官は、このブログを書くことで、日記が削除されるならそれで構わない。 民主主義の根本は、法の下の平等と主権在民。 その主権者が被災し、生命と財産を今も脅かされているんだ。 わだつみ判官が、こうして何が正しくて何が間違っているのかすら述べられないなら、そんな国に未来などない。
2011年04月16日
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散り際の桜は ことさらに 気高く美しい桜は誇り高い日本の心 桜は大和魂ただ 静かに風雪に耐え 誇らしく咲き 潔く 見事に散る故に桜は 神々しいほどに美しい力強く生き 美しく咲くとこしえに 咲き誇れ桜 とこしえに 咲き誇れ日本今春咲いた桜を 誰も忘れてはならない今春の咲いた桜を我等日本人は 深く魂に刻もう・・・(わだつみ判官 愚詩)被災地の方々に、この桜の花の写真を捧げたい。 桜は、日本を象徴する花。 桜は、この国の人々の絆を深める花。 そして、桜はこの国の勇気の花。
2011年04月14日
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阪神淡路大震災では、温かいとん汁と、フリースと、真新しいスニーカーと、誰かが掛けてくれた「怪我しなさんなよ」の一言が大きな励みになりました。あの日、神戸に手を差し延べてくださった全国の方々、あの時、神戸に声援を贈ってくださった日本中の方々に感謝しています。それでも10年。 不良債権を清算して、人並みの生活をするまでには10年の月日が必要でした。 途方に暮れて、不条理だと思い、不公平だとも思い、ついつい他の人の暮らし振りと自分を比べて、悔しがったり、恥ずかしがったり、羨んだり、妬んだり、不運だと自分を呪ったりもしました。このブログをはじめたのは2005年の5月。 丁度、阪神淡路大震災から引きずっていた過去に一区切りがついてからのことでした。 震災からすっかり遠回りして、気がつけば未だに独り。でも、少しずつ、失った時間を取り戻し続けることが、たぶん私の人生なのでしょう・・・そんな私が、東北地方太平洋沖地震で被災した方々に、今、恩返しできること。 余りにもささやかで小さな事ですが、これから、少しずつ色んな形で、恩返しをさせていただきます。 あの美しい海岸線の猟師町の風情を、復興させたいと心から願っています。あの激しい大災害を生き抜き、暮らしを取り戻そうとしている方々、そして全力で復旧に取り組む方々を、同じ日本人として心から誇りに思い、感謝しています。神戸の街を超える、奇跡の復興を心から願い、祈っています・・・
2011年03月22日
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時間経過とともに、明らかになる地震の惨状。 人々の暮らしが破壊され、多くの命が犠牲となった。報道で目にした、泣き叫ぶ少女の姿が胸を締めつけられた。 かつて自分が経験した苦悩。 彼の地で、多くの人が大切な何かを失っていると思うととても切ない。住み慣れた家からの避難を余儀なくされ、各市町村の避難所に身を寄せている人が1万3,000人余り。 津波に家を追われ、未だに孤立している人々も多いはず。救いたい命・・・ そんな想いで救助救援に携わる多くの人たちの努力が報われ、実を結ぶことを祈りたい。
2011年03月12日
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みんな無事なのだろうか・・・ インターネットで地震を知り、テレビを点けて、地獄絵図のような光景に絶句した。 とくに東北や関東の人たちが心配。 どうか、一人でも多くの人が、この被災を免れていてくれるようにと祈るしかない。揺れ、津波、火災、連絡が取れない不安・・・ 阪神淡路大震災での、あの日の忌まわしい記憶が甦る。各地の被害状況も、未だ把握しきれてないけど、災害地域に住む皆さんが、どうか一人でも多くの人が助かりますように・・・ 難を逃れていてくれますように・・・(合掌)
2011年03月11日
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とくにJポップ系なんですけどね。 最近、活躍してるシンガーの女の子は、若くてもみんな歌が上手いです。 それはイイとして判官には違いが判りません。 そりゃまぁ、歌が上手いからメジャーデビューできてるんでしょうけどね。 何だか論調が変ですね。(笑) あの、ちょっとゴスペルっぽい歌い方もよく似通ってるし、声質も曲の調子も似てます。 オヤジ世代の判官には、区別するのが一苦労です。判ります? ホントに判ります? この違い? 区別つきます?パっと見で、宇多田ヒカルとJASMINEの違いなんて、ホントに判るんですか? しばらく活動しないハズの宇多田ヒカルが、TVにガッツリ登場してるのを観てアレ?って・・・似てません? ホントに? やっぱり、それだけ判官も老いぼれたか、あるいは呆けたっていうことでしょうか・・・ 直ぐには区別がつきませんでした。(苦笑) そのうち、判官も時代遅れの男になるのか? それよりも、いったい何なんですか? 最近、よく目にするAKB48って・・・ 新型のロシアの小銃ですか?(笑)
2011年03月09日
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(京都 賀茂御祖神社)仕事は多忙なのに、肉体も心も弱って感性も鈍っている感じ。 大事な局面で思考が固まったりして、かなり重篤な症状。 もしかしてアルツハイマー? いやいや・・・ でも、凡ミスとか自分の判断が間違って失敗するならまだしも納得できるものの、思考が停止して何も指示できずに勝機を失うなんて事態だと最悪。とにかく先週は、指示の言葉が、適切なアドバイスが、何ぁ~んにも思い浮かばないトホホな一週間でした。 大殺界恐るべし・・・。(寒)悪い流れを変えなければと、すがる思いで休日に京都へ。 今回の行き先は、ユネスコ世界遺産登録の下鴨神社であります。 下鴨神社といえば、旧官幣大社で山城の国の一の宮。 そして、京都の都を守る守護神社。糺の森(ただすのもり)に鎮座する、下鴨神社の正式名称は「賀茂御祖神社」。 祭神は、神話に登場する賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)で、山城の国の賀茂氏の祖先とされています。 神武東征の折、賀茂建角身命は天照大神に命じられて八咫烏(ヤタガラス)に化身し、大和の葛木山より神武天皇を先導したと伝えられています。 わだつみ判官とも縁深い八咫烏と聞けば、なおさらお参りせずにはいられません。(笑)清々しい気に満ちた境内、糺の森に足を踏み入れた途端、まさに神域に入ったという感じ。 たちまち心が落ち着いて気分が高揚します。 境内に満ちている気がまったく違います。 なんとも心地良い気。 まるで、わだつみ判官のためにオートクチュールしたようなフィット感。お参りを済ませて参道を下ってゆくと、カラスが判官の近くへ飛んできて「カァ~」と鳴いて応えてくれました。 幸先ヨシ♪ 次はドコを巡ろうか。 ココしばらく、いざなみ日記はすっかり巡礼ブログに。(笑) 判官の開運の旅はまだまだ続きそうです。もし、お近くでオススメの神社やパワースポットがあれば、わだつみ判官に教えてください。 そんな訳で、『開運神社巡り・・・』というブログテーマを投稿してみました。 是非ご利用を♪
2011年03月08日
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東大阪の石切さんは、癌封じに霊験あらたかとして近隣も含めたくさんの参詣客が訪れるスポット。 関西人の間では、デンボ(腫れ物)の神様として人気が高いですね。 石切さんに参詣したからって、判官は病気じゃないし、あえて申せば、頭が固くて根性が曲がってる以外は、今のところドコも悪くないので心配御無用。(笑)石切さんだけじゃなく、阪神高速13号線、環状線、近畿道と乗り継いで、こうして東大阪市界隈に出掛けたこと自体がはじめてであります。 東大阪といえば、人工衛星の「まいど1号」をはじめ、数々のオンリーワンな技術が息づく街。 とにかく町工場の元気な街。 でも、はじめての道で余裕のない判官は、頭の中に思い描いた地図と、目で見た標識を一致させるのに精一杯。 本で読んで、咄嗟の思いつきで出掛けたので、まぁ迷ったこと迷ったこと。 バイクはナビなしなので。(笑)正式には石切剱箭神社。 でも、関西では石切さんとして親しまれ、拝殿と百度石の間を行き来するお百度参りはご利益があるとして全国的にも名高いようで。 でも、何より魅力は、何日か前もブログに書いた通り、隣接する石切参道商店街です。 胡散臭い古道具屋があり~の、怪しい占い師の村があり~の、ゆるキャラのいしきりんがあり~のと、とってもワンダーなストリート。皆さんも機会があれば是非訪ねてみてくださいね。 ココには、庶民の厚い信仰と、商魂逞しい大阪の精神と、笑える"発見"がいっぱいあって、かなり元気になれますから♪さてさて、大殺界に突入したわだつみ判官。 明日はくたばるかも知れない。(笑)
2011年03月03日
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(紀伊水道上空03.02)確信はありませんが・・・ 3月2日の午後、東の空にこんな雲が。 地震雲については、未だ研究段階のようですが、形状や現れ方によって、ある程度の規模や時期が推定できるとのことです。専門家ではないので、これ以上は不用意に不安を煽るようなことはしたくありませんが、このところ地震が続いているので注意したいですね。 地震予知は現段階では困難ですから、常に備えが肝心。日本と同じように地震の多いお国で、耐震技術の高いNZでも、大きな被害が出てしまいました。 残念ですが、いかに高度な技術を用いても、自然の猛威を100%防ぐことはできません。200名近い犠牲者には心からお悔やみを。 そして何より、海外で勉学に励み、志半ばで亡くなられた若き邦人の方々の死を悼みます。
2011年03月02日
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(石切参道商店街 2011.02.26)昨日の続きです・・・石切さんの参道商店街を散策していて見つけたのがココ。 昔ながらの商店街の佇まいの中にあって、一際、怪しいムードが漂う一角です。 金ピカの衣装で着飾った、昔のお姉さんたちが水晶玉やらカードやらをテーブルに置いてスタンバイ。 石切の母?大きな文字看板には、自信満々で巷で当たると評判の占師村とあります。 なんとポジティブな看板。 そろそろ、管首相もココで占いでもして引退時期でも決めてみません?(笑) まぁ、"当たると"名言する占いほど、当たらないと覚悟しておいた方がイイと、判官は思うのですが如何でしょう? でも、民主党のマニフェスト信じるよりはイイかも・・・
2011年02月28日
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昨日の続きでございます・・・石切さん(石切劔箭神社)にお参りのあと、古きよき空気が漂う石切参道商店街を散策していて、あのいしきりんの次にドドーンと目に入ったのがこの文字。 局部へ!漢方薬局の古びた看板。 でも目にすると、変にソコだけが目立つんですけど。(笑) 別に、モロに書いてるんじゃないんですけど、ビミョーに字の間隔が開いてるせいで目についた訳です。 何故か「局部へ」って文字だけ、ついつい読んでしまうのは私だけ?閉まっていたので確認はできてませんが、この店、きっとソレ系の漢方薬が多いんだと一人納得。(笑) この看板見たら、誰もが「?」ってなると思うんですけど、どなたか異論のある方は?とにかく、流石は大阪庶民の信仰を集める石切さん。 面白すぎるところです。(笑)石切さんの続きはまた明日・・・
2011年02月27日
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(いしきりん 02.26判官撮影)石切さんのいしきりん。 なんでキリン? 広く、石切さんの呼び名で馴染まれている東大阪市にある石切神社。 正式には石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)ですが。 天気がよかったので、今日は久々に一人で気ままなバイクツーリング。 晴れていても風は冷たかった・・・田舎者のわだつみ判官・・・ 大阪市内の道は不案内なので、激しく迷いましたよ。(苦笑) やっぱりバイクにもNAVIが欲しいと、不意に物欲が湧いてきました。(笑)はじめて参詣した石切さん。 そんな石切さんの石切参道商店街で遭遇したのがいしきりん。 看板によると、どうも参道商店街のイメキャラのようです。じっくり見ると可愛いような気もするけど、キリンなのに何故か首が短い?(笑)なんと、いしきりんのブログというのがネットにあって、詳しいプロフィールが紹介されてました。なので、ときどきツッコミを入れながら紹介します。ニックネーム: いしきりん。 (本名は?)性別: 女の子。 (別にどうでもイイ。)血液型: 不明。 (コメントのしようがない。)出没地:: 石切参道商店街。 (ほぉ~、お目にかからんが。)身長は: 1m4cm、体重スイカ4個分。 (ビニョーに、判りにくいデータ。)好きな食べ物: よもぎ、葉っぱ、生野菜。 (ふ~ん)嫌いな食べ物: 生肉系。 (好きだったらかなりコワい。)いしきりんの日: 11月11日。 (祭日になる?)好きな色:杏色。 (色が認識できる?)住まい: 石切参道商店街で葉っぱがあるところ。 (廃墟?)好きなこと:商店街巡り、食べ歩き。 (徘徊癖?)両親がキリン。 (進化?退化?)働き者。でもおっちょこちょい。 (ご職業は?)頭の後ろに小さいハート模様がある。 (どうでもイイ。)お気に入りのポシェットは中から、四次元ポケットのように何でもでてくる四次元ポシェット。 (三日ほど貸して欲しい。)時速50キロで走れる。 (チーターに食われるよ。)鳴き声は「モー」。 (ホントは牛?)さて、近畿地方には摩訶不思議なユルキャラが増えました。 でも、中でも群を抜いてキモイのは、奈良のせんとくんかな。(笑)いしきりんのプロフィールブログがあるので、ヒマのある方は覗いてみてください。 http://profile.ameba.jp/isikirin/石切劔箭神社の散策は、また明日。。。
2011年02月26日
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今や、瀕死の民主党。 崩壊のはじまりは、そもそも政権奪取直後から。 「最悪でも県外!」と、あの日に確約した言葉はすでに圏外?鳩ポッポが沖縄でしくじって引き篭もり。 巻き返しで見せた、熱血アピールの事業仕分けもボロが出て、当初から財源不足が囁かれていた子供手当ても予想通り雲行きが怪しく、最後は仲間割れで分裂の危機。その間も、国政に"民意"はまったく反映されず・・・ 選挙で声高に叫んだ友愛というスローガンはいったいドコへ?支持率10%台で、それでも政権維持に固執し、首相の座にしがみつく姿は、もう中近東や北アフリカの"独裁者"と幾らも変わりませんね。(笑)
2011年02月24日
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砂のトコロも地デジ。 テレビ一つ買うにも、種類が多過ぎて迷ってばかり・・・ でも、唯一迷わなかったのはメーカーの選択。 東芝かソニーとだけは決めてました。 ソニーと東芝は黒色の再現力がいいし、画面もくっきりだし、だいいち音響がいい♪どうする地デ鹿。アンテナを依頼しても、予約が多過ぎて2ヶ月待ちだと。どうなる地デ鹿。ケーブル工事だと、1ヶ月待ちだと。そして、今日の午後・・・砂のトコロにも鹿さんが来た。ついでに、勢いでブルーレイディスクレコーダーも買ってみた。でも、コレで番組録るなんてことはしないだろう。ただ、コレで映画を観るのがとっても楽しみ。(笑) 砂が選んだテレビは、フルハイビジョン液晶 東芝レグザZ1 LEDバックライト。 さっそくテレビを業者さんにセッティングしてもらって点けて観てみた感想は・・・ 離れの6畳間に40インチは要らねぇ~。(笑)
2011年02月20日
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もしわだつみ判官がドラッグのディーラーだったら・・・コワモテの顔に似合い過ぎて、ホントだと納得されたらいけないのでボケとジョークはこの辺で。 さて、遂に、あの噂の、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」を買いました。 電話だと息切れするほど長い本のタイトル。(笑)わだつみ判官は、アキバに通うオタク系の人ではないので、この表紙の装丁デザインのお陰で、この本を手に取るのもレジに持って行くのも、ちょっとためらいました。 P.F.ドラッガーの「マネジメント」は、経営学専攻の学生にとってもかなり難易度の高い著書ですから、正直、今まで読んだことはありません。 これから、主人公の女子高生みなみちゃんのガイドで、少しマネジメントの勉強をしようと思います。(笑)
2011年02月15日
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あり得ないというのは珈琲の値上げ。 雪は上等♪ 「あれ、珍しい雪だ」と、誰もが思ったのもつかの間、降りだしから気温はみるみる急降下。 そして、約2時間ほどで南近畿に雪国が出現。こちらは暖地というより、どちらかといえば南国ですから、基本的に冬タイヤという概念はありません。 幹線道路はたちまち大混乱。 慣れていないというのは実に恐ろしいもので、ブレーキ踏んだお姉ちゃんがガードレールにキスしたかと思えば、交差点でおばちゃんが立ち往生。 そして、そんな光景にビビッたお兄ちゃんが減速。そんな風にして、たちまち3キロの渋滞が完成。 備えあれば憂いなし。 4駆でスタッドレス装着の判官は迂回して峠道を走り、途中で撮影したのがこの一枚。給油に立ち寄ったガススタでは「雪は困るねぇ」などと、店員に調子を合わせてつぶやきながら、内心ウキウキしていたのでありました。(笑) 明日は、アイスバーン?走るのが楽しみ♪と、いつもより絵文字が多くなりました。(笑) 豪雪地域の皆様には、御見舞い申し上げます。m(_ _)m
2011年02月14日
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判官が、かつて任務やシゴトで赴いた国と地域は50ヵ国と30の地域。 全部合わせると約80ぐらいになります。 『世界不思議発見』という番組がありますが、今まで訪ねた国々の思い出をなぞることができます。当時、和製英語を駆使したオシと、ナンパに使うレベルのスペイン語と中国語以外、決して語学が堪能って訳ではなかったので、もっぱらコミュニケーションはボディランゲッジ。 そして、究極のコミュニケーションとして習得したのは、現地の食事を現地人の流儀で一緒に食べるということ。でも、判官にも基本好き嫌いはあります。 ぷよぷよドロドロした食感のものや、恐ろしく匂うハーブ類とかは、判官の苦手な食べ物。 例をあげれば、納豆とか、生卵とか、すった山芋とか、オクラみたいなやつ。世界となると色んな食文化があります。 でも、気候風土や民族性によって差はあったとしても、基本的に人が美味しいと感じる味や食感は、ある程度は世界共通のものだと思ますね。中には、虫とか爬虫類とか、それ以外でも強烈な思い出は多少。例えば、スウェーデンで出会ったシュールストレミングというニシンを発酵させた缶詰は無理でした。 あれは、食品というよりも、もはやテロに使えそうな兵器級の臭さ。フルーツだとドリアンもギブ。果物の王様といわれますが、明らかに匂いは暴君でした。(笑) 逆に、見た目は悪いものの、アボリジニが生で踊り食いする蛾の幼虫は以外に美味でした。 でも、感染症の危険があるので、よい子はマネしないように。そんな判官にも、幾つか忘れられない想い出の味があります。 まだ、英領だった香港で食べたラード飯。 これは、お上品な五つ星ホテルでは出会えない味。当時はスラムだった、九龍(カオルン)地区でも最下層の苦力(クーリー)の朝食です。ミラノのでは、冬の露天で食べた焼き栗。 イスタンブールの屋台の肉串(カバブ)も、カスピ海の作り立てキャビアも、ペナン島で食べたカリー味のビーフンももう一度味わいたい。 キリはないですが、要するに食いしん坊万歳。(番組が違う)さて、土曜の夜に観た『世界不思議発見』はベトナムの米料理特集でした。 ベトナムも、改革解放政策以前から三度ほど訪問して、黄昏に食べたフォーのあの優しい味の虜になりました。 また機会があれば出かけたい国の一つです。海外で日本人を見かけて思うこと。それは、もっと自国のことを知るべきだということ。日本が、いかに穏やかで恵まれた国か、ただ遊びではなく、世界の人と触れることで再認識しましょう。基本、祖国を愛さない人はいないと思います。でも、愛し方が問題。 あまりに無知であることが目立つのです。 崇高な恥を知る精神文化を、もっと誇らしげに世界に知らせましょう。 経済よりも精神の大国。 それが、わだつみ判官の思い描く国際外交です。(出馬はしませんが。笑)
2011年02月13日
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恋しくば 尋ね来てみよ和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉延喜二十一年(921)、摂津国阿倍野(大阪阿倍野)に生まれとされている陰陽師 安倍晴明には、出生にまつわる伝説が残されています。 そんな、近世に浄瑠璃や歌舞伎の題材にもされた信太(しのだ)の森の伝説は十世紀頃に遡ります。当時、安倍保名(あべのやすな)が没落していた安倍家再興を祈願しようと信太森稲荷神社に参拝したときのこと、狩人に追われた白狐を助けようとして手傷を負ってしまいます。 白狐は、若い女の姿になって葛の葉(くずのは)と名乗り、保名を懸命に手当てしました。葛の葉の介抱の甲斐あって、保名の傷は癒えます。 まさに男女の恋愛パターン。 男ってのは単純で、弱ってるときに女性に優しくされたりすると、ついつい惹かれてしまうもの。 こうして、世にも稀なラブロマンスが平安の世に芽生えたのです。 そうです保名もやはり男、例外ではなかったのです。(笑) 二人は恋仲となり、やがて葛の葉は身篭るのでした。 切なく美しい物語なので、生物学的異種交配だの、種の同一性維持だの、DNA制限酵素だのと、とにかく理屈はヌキにして、この際どうか広~い心を持ちましょう。(笑) とにかく身篭ったのですよ。 はい!身篭りました。 話が進まないので納得しておきましょう。(笑) こうして生まれた子は童子丸と名づけられます。 これが後の天才陰陽師 安倍晴明です。(何か?)しかし、保名と葛の葉の幸せな日々は長く続きませんでした。 葛の葉は、悩んだ末に安倍家と童子丸の将来を案じ、発覚を恐れて泣く泣く身を引く決心をした。そして、葛の葉は一首の和歌を残し、後ろ髪を引かれる想いで信太の森へ帰ったのでした。とにかく、陰陽師として歴史に名を刻んだ安倍晴明は、その神秘性とともに、今もなお多くの民衆に崇敬されているということなんでしょうね。 ん、我ながら最後はキレイにまとまった。(笑)
2011年02月11日
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(一条戻り橋 晴明神社)ブログ仲間の皆さんには随分と無沙汰してます。 昨年来、判官家では次から次から色んな出来事が起きて、日記は不定期更新に陥ってます。 唯一、十七歳となった愛犬の御家老だけは何事もなく、相変わらず食欲旺盛でご健在でございます。(笑)昨年末から、何となく運気が低迷してる感じがしていた判官。 そうなのです!判官は遂に大殺界に突入です。 昨年の後半は大殺界への序章だったか、父の入院やその後の介護。 加えて今度は母が入院、大晦日には突風でバイクガレージが倒壊し、愛車スカイウェイブまでもが一時入院と不吉な事件が相次ぎました。別に大殺界だけが動機ではないですが、立春を待って厄除けと運気の向上と、あわよくば職場の業績回復も祈願しておこうと思い立ち、京都上京区の「晴明神社」に参拝しました。晴明神社の祭神は、ご存知、陰陽師で名高い安倍晴明(あべのせいめい)。 天文道や占いを体系化した陰陽道は、平安時代には最先端の学問で政(まつりごと)にも影響を与える呪術でした。 晴明は、平安時代最強の陰陽師で、後に陰陽道の祖ともいわれた御仁。ことさら花山天皇の信頼は厚く、那智山の天狗封の儀式を行うなどその活躍は目覚しく、晴明の名は貴族社会ではすっかりビッグネームになります。 後年、一条天皇や藤原道長からも大変信頼されて、播磨守など官職を歴任。遂には従四位下にまで昇りつめ、何と85歳の長寿をまっとうしました。 判官のご先祖の官位が従五位下と少納言クラスなので、専門官僚の晴明はやはり凄い御仁です。晴明神社は、厄除け、開運、出世、財運向上、恋愛などにもご利益があるとされ、近頃ではパワースポットとしてもマスコミや雑誌にも取り上げられて女性にも人気が高いとか。 間違いなく、たももも。さんも参拝してそうな神社です。晴明神社は、京都上京区の"一条戻り橋"にあります。 さすが千年の都。 京都は地名にもいちいち情緒があります。(笑) とにかく、春のように温かい日曜日でしたから、道中の新快速電車の中ではひたすら鼻提灯。 到着したJR京都駅前からは、市バスB1系統の9番のバスを利用して、西本願寺や二条城を眺めながら堀川通りを北上して一条戻り橋のバス停で下車。 料金は220円也。バス停に下りると直ぐに神社の幟が見えます。神社の由来によれば、晴明神社は寛弘四年(1007)、晴明の遺徳を偲んだ一条天皇によって創建されたとか。壮健当初、東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売という壮大な規模だったらしいですが、応仁の乱後の秀吉の都の再興と、その後の戦火で荒れ果て、嘉永六年に再建されて現在に至ります。 穏やかな午後の陽光に照らされた境内は人で賑わい、参拝するのにちょっとした列ができていたのには少しビックリ。今では、こじんまりとした境内ですが、整備が行き届いた落ち着いた雰囲気。久し振りの京都を堪能した一日でした。 無論、今回は神事が目的ですから、お利巧にして真っ直ぐに帰宅しました。(笑) 晴明についてはもう少し触れることに致しましょう。つづく
2011年02月09日
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小曾根乾堂(こぞねけんどう)は、今となっては多くが歴史に埋没していますが、商人として、文人として、識者として、外国通として、そして地域振興に尽くした人として、乾堂は自身の才能を惜しみなく発揮して日本の近代化に貢献した大器の人です。とくに、人脈に長じていたため、勤皇・佐幕を問わず、誰からも一目置かれた上に、文人としても篆刻、書画、音曲、骨董と何をさせても一流で興味をそそられる人物です。乾堂は、長崎屈指の豪商の家に生まれ、文芸に秀でていた父親 六左衛門の期待を受けて、幼い頃から書や南画、篆刻(てんこく)、詩や和歌などを熱心に学んで、感性豊かで多趣味な青年に成長しました。 書は春老谷、水野眉川などの名書家に学び、とくに篆刻では自身で印譜「乾堂印譜」や「乾堂印藪」を刊行して高い評価を受け、十四代将軍家茂に謁見して隷書を献上したり、幕末から維新にかけて文人としても目立った足跡を残しています。音楽にも興味を持ち、明清楽の三宅端蓮に師事して中国伝統の月琴を習得。 後年には、乾堂の音楽活動は小曽根明清楽と呼ばれ、長崎の無形文化財として現在でも残っているそうです。乾堂の活動は、文人としての活動ばかりでなく、先を読む事業家としても大いに活躍した人です。 松平春嶽の支援によって、父親の六左衛門とともに浪ノ平の海岸一帯を埋め立てて港湾を整備し、交易拠点づくりに注力しています。また、歴代長崎奉行との交流だけでなく、坂本龍馬や勝海舟とも緊密な関係を持ち、海舟の長崎妻(愛人)との間に生まれた子供の面倒を見るなど、マメで面倒見のよい人です。 大河ドラマ『龍馬伝』にも描かれていますが、事実、龍馬の亀山社中の出資者となり、後に海援隊になってからも拠点は小曽根家に置かれ、物心両面で龍馬を支援していたことが推察できます。万延元年(1860)、乾堂が海舟に宛てた手紙の中で「軍艦五百隻の建造と上海、ジャワ、仏、英、蘭に商館を開き、旭の旗を立てたい」という自身の想いを語っています。 新しい時代を築き、大船で世界へ乗り出すという龍馬の夢は、乾堂の夢そのものだったのです。明治に入っても乾堂の活躍は止まらず、明治四年(1871) には日清修好条規締結の全権大使 伊達宗城の随員として清国に渡り、天津では日清修好条規文を書きました。 このとき、清国の全権大使に認められて「鎮鼎山房」の額を贈られたりしています。晩年には地元地域に目を向け、小曽根小学校(後の長崎市立 浪平小学校)の創設や、寺社の建立、小曾根桟橋の建設、岩崎弥太郎が率いた三菱への高島炭鉱の譲渡斡旋など、精力的に活躍しました。 ちなみに乾堂が創設した浪平小学校は、2007年の統廃合によって130余年の歴史を閉じています。乾堂を、粋人や文人、鼻が利く商人とかの一言で片付けることはできません。 小曾根乾堂とは、幕末から明治という時代を先取りした、開明思想家としてもっと評価されるべきでしょう。 維新以降の中国貿易、そして日本の近代化に果たした役割はとても大きいのです。人に対する細やかな気遣い。 何事も手抜きせず徹底して学ぶ気力。 それに、人の才能や力量を見極め、人脈を築くしたたかな実行力です。 明治十八年(1885)、59才で没。 大器院白厳乾堂居士の諡号の名の通り、まさに"大器"の人物だったようです。皆さんには本当にご無沙汰しています。久々の更新となりました。。。
2010年11月12日
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(ビレア・シンブサンセット わだつみ判官撮影)写真は、我が家で3年目を迎えたマレーシアシャクナゲ(ビレア)の園芸種、シンブサンセットです。 花びらに濃く鮮やかなオレンジの縁取りを配し、南国の太陽を連想させる黄色が魅力です。 高温多湿は苦手な花ですから花つきは少なかったものの、今年の猛暑にも負けず何とか咲いてくれました。シャクナゲは、植物分類学ではツツジ科に属します。 ツツジ科はおよそ30属に分かれますが、その一つにツツジ属があり、そのツツジ属はだけでも1000種類以上あるといわれ、シャクナゲにも350種ぐらいの種類があるといわれます。また、生育範囲がとても広く、北半球の亜寒帯からニューギニアなどの熱帯の山地まで分布します。とくに、ヒマラヤ地方から中国北西部には沢山の種類が分布していて、野生でも変種や自然交配が豊富に見られます。 そんなシャクナゲの中でも、トロピカルな雰囲気で異彩を放つのがマレーシアシャクナゲ群です。シャクナゲの栽培は難しくはありませんが、もともと山地の涼しい場所を好むものが多く、風通しの悪い高温多湿な場所を嫌う傾向があるので、暖地での植栽は工夫が必要です。いよいよ明後日は仲秋の月。 すっきりと晴れるとイイですね。
2010年09月21日
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(落日 わだつみ判官撮影)確かに、夜になると気温は下がるようになり、過ごしやすくなりました。 それでも、昼間はまだまだ軽く32℃を越えてしまいます。『暑さ寒さも彼岸まで』と昔からいいますから、そろそろ自然もここらで帳簿合わせをする頃でしょうか。気象庁の用語によれば、日中最高気温が25℃を超える日を夏日、30℃を超えると真夏日、35℃を越えると猛暑日と呼んでいます。 テレビやラジオでは酷暑という言葉も耳にしましたが、これは用語ではないそうです。でも、今年の暑さのピークを振り返ると一番ピッタリな気もしますね。今年は、恐らくほとんど誰もが経験したことがないほど、厳しい夏だったんじゃないかと思います。 お年寄りや、炎天下で作業していた労働者の方にとっては命の危険を伴う夏でした。わだつみ判官にとって、夏はバイクツーリングのオンシーズンなのですが、今年は7月中旬に一人旅で道後温泉へ向かったツーリングの道中で熱中症になり、それ以来、通勤も8月中はクルマ通勤に切り替え、ほとんどバイクには乗りませんでした。今年はいつまでも暑く、季節の歩みは遅いように感じてしまいますが、渡津神之森(ワダツミノモリ)でも、秋は日ごとに存在感を強めているようです。 日曜日の朝、夏を何とか越した老犬の御家老としばらく振りに里山の付近を散策しました。 ちなみに、世界最高気温の記録はイラクのバスラで1921年に観測された、58.8℃が最高だそうです。軽く死ねる気温ですね。(笑)
2010年09月14日
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安政の大獄に倒れながら、死後もなお尊皇攘夷の原動力となったのが吉田松陰(よしだしょういん)でした。松陰は長州藩士で思想家、兵学者、教育者としても優れ多くの逸材を見出し、のちに明治維新の精神的指導者として名を残します。高杉晋作は、安政六年(1859)七月、江戸伝馬町の獄中あった松陰のもとへ「男子たる者の死」について教えを乞う手紙を差し向けました。獄中、松陰は高杉晋作に次のように返事をしています。死は好むべきにも非ず、亦(また)悪むべきにも非ず。道尽き心安ずるすなわち是死所。世に身生きて心死する者あり。身亡びて魂存するものあり。心死すれば生くるも益なし。魂存すれば、亡ぶも損なきなり。死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。この手紙のやり取りのあと、松陰は幕命によって斬首刑に処され、訃報は下関の高杉にも伝えられました。このとき、高杉は身を震わせて怒りを露にし、長州藩の重職にあった周布政之助への手紙で「松陰先生の仇は必ず取ります」と記しています。文久二年(1862)、高杉は藩命によって幕府使節随行員として上海へ渡航し、清国が列強によって植民地化されつつある実態を知ります。帰国後、攘夷の決意を固めた高杉は時代を駆け抜けてゆきます。松陰が最期に伝えた言葉が、その後の高杉にどのような影響を与えたのかについては定かではありません。けれども、獄中で死を覚悟した中で書かれた松陰の手紙は、いかにも学識を感じさせ、簡潔でありながら明快な内容です。松陰が高杉晋作に伝えた最期の教えには、人としてのプライドと信念に満ちていると感じます。現代の日本に欠如しているものを、突きつけられたような気もしました。
2010年09月07日
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(努努鶏)博多名物というと、明太子と豚骨ラーメンと鶏。 そんな中で、ちょっとしたマイブームが、冷して美味しい鶏の唐揚げ『努努鶏(ゆめゆめどり)』by博多の味。 これは、ビールにも日本酒にもガッツリ合います。博多の街といえば、以前からの仕事のクライアントがあったり、判官が官庁時代にしばらく出向してたり、仲の良かったかつての後輩が、今は統括官として赴任してたりして、公私共に縁の深い街。博多へ行ったら、必ずといってイイほど、駅ビルで買って帰るのが『努努鶏(ゆめゆめどり)』。 ケンタッキーといい、『努努鶏(ゆめゆめどり)』といい・・・ 正直、判官は鶏好きでございます。(笑) とにかく、一度食べるとハマる味です♪ 博多へ行ったら味わってみてください。
2010年08月26日
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(わだつみ判官の財布)今年は寅年。西洋圏では、強さの象徴はライオンが主流になりますが、東洋での強さの象徴は虎。 虎は、武運や勝負運、財運をもたらし、男性では精力の象徴ともされます。(阪神タイガース優勝か?)少し前になりますが、財布が随分傷んでいたため、この際、プチ幸運な寅年にあやかろうと思い、8月に入って直ぐに蛇(ダイヤモンドパイソン)革の財布に買い替えました。同じ寅年は寅年でも、36年に一度の周期で巡ってくる『五黄の寅』が最強運気とされますが、わだつみ判官の持っていた財布はあと12年も持ってられませんので、ここらで手を打ちました。(笑)ちなみに『丙午(ひのえうま/へいご)』、『五黄の寅(ごおうのとら)』のどちらも、いずれ劣らぬ気の強い女性の年として有名ですが・・・(笑) 丙午と五黄の寅とは、暦計算の仕組みが異なります。数字以外で年月日を表わすものとして、「己丑年 丁丑月 庚子日」というように「干支」を用いたものと、「九紫火星年 四緑木星月 六白金星日」のように「九星」を用いた暦法があります。(暗号?)丙午は、前者の干支(えと/かんし) の一つで、十干と十二支を組み合わせて作られる古来の暦法で60年に一度の周期ということになります。 十干(10)と十二支(12)の最小公倍数は60ですから、干支は60年で一周することから、この法則によってちょうど60歳になると生まれた年の干支に還ることから『還暦』という言葉が広く一般に広まりました。一方、五黄の寅は、 九星(9)の五黄土星と干支(12)の最小公倍数36となり、五黄と寅年は36年周期で重なることとなります。(やっぱ暗号?)最強の武運と財運を望むなら、五黄の寅年に財布を探しましょう♪ 女王様みたいな気の強い女性に一生尻に敷かれたい「ドMな男性」は、五黄の寅か丙午生まれの女性を探しましょう♪ オススメは1986年生まれ(五黄の寅)の女性です。(爆)追記しておきますが、縁起を担ぐと財布を買うには時期があって春と夏が『吉』。 立秋を過ぎて秋、冬に買うのは『凶』となります。 暦の上ではリミットはせいぜいお盆までですから、再来年の『辰年=竜』の立春まで我慢した方が賢明です。 わだつみ判官の場合、来年から三年間は大殺界ですから、急いでお盆までに買い替えた次第です。次の五黄の寅年は、西暦2022年ですので悪しからず。(笑)
2010年08月16日
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写真は、65年目の終戦の日を前にした、わだつみ判官家の盆供養の様子です。 太平洋戦争で跡継ぎを失い、途絶えたわだつみ判官家の一族は五家。 わだつみ判官の家は次男の父がいたため、唯一残った家なので、今年もこうして一族の陸海軍の戦没者を一同に集めて慰霊しています。 大佐から学徒兵まで合わせて103の英霊。一族が散華した戦場は様々。 ミッドウェイ、シンガポール、満州、インパール、フィリピン、ラバウル、サイパン、アッツ、硫黄島、沖縄、神風特別攻撃隊・・・ 中には終戦日以降のソ連参戦による戦死も・・・わだつみ判官が幼い頃、海軍中佐だった祖父は、傍らに座る判官に遠い南の海の話や、近代の洋上戦では航空戦術がいかに勝敗を左右するかなどについてもいつも詳しく語ってくれました。 戦前の祖父はバーボンとJAZZを愛し、ビリヤードとダンスが得意でアメリカに数年滞在していました。 そして、当時陸軍憲兵少佐だった母方の祖父同様に戦争には反対の立場をとっていましたが、運命とは皮肉なもので、昭和16年12月8日 真珠湾攻撃で開戦の口火を切ることになったのです。 負傷の後、祖父は大本営にいたため生きて戦後を迎えましたが、予科練から特攻に志願した長男は、終戦直前に沖縄付近で戦死しています。 長男の戦死を、祖父は夢に出てきた八咫烏(ヤタガラス)に告げられたそうです。祖父の日記の最後のページにはこんな文章が書かれています・・・日の丸の旗の下に、この地で千年後に平和を謳歌する人々がいますように。日の丸の旗の下に、この地で千年後に自由と平等が根づいていますように。千年後のこの地にも、日の丸の旗が翻っていますように。(元海軍中佐 わだつみ判官祖父の最後の日記より)我が家に戦前の賑やかな食卓はありません。 あれから65年.・・・ こうして我が家は、母と御家老とで、ひっそりとしたお盆を迎えています。先の戦争は、死ななくてよかった多くの若者を死なせ、同時に滅ぶべきでない、日本の美しい精神文化をも滅ぼしてしまったように思います。戦犯合祀を理由に、国に命じられ、絶望の淵で最後まで戦った人々に礼を尽くさず、卑屈な謝罪外交を続ける戦後の日本・・・ 判官は不満に思います。 礼を尽くして謝罪すべきは、国益に殉じた将兵とその遺族にではないでしょうか。昭和21年10月、8歳で父を戦犯として失ない、戦後、"戦犯の子"と教師にまで石を投げられたりして育った母の背中は、今年も寂しそうです。 戦犯とは、いったい何なのか・・・(怒)
2010年08月14日
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(料理監修:わだつみ判官)連日めっちゃ暑い日が続き、相変らずシゴトでバタバタにていますが、わだつみ判官も御家老も意外と元気でやっております♪^^暑い日が続いて食欲も落ちる頃、夏バテ解消には胃の負担にならない鶏肉が一番。 今、手がけているクライアント某誌の"秋の掲載レシピ"にもちょうどイイとひらめいたので、ショウガを利かせたコラーゲンたっぷりの『骨つきチキンのポトフ』にしました。(一石二鳥♪)ショウガは、冷房で代謝が鈍った女性にバッチリ。 それに夏越しの女性のお肌にはコラーゲン補給は欠かせませんね。 皮と骨つきの鶏肉はコラーゲンが豊富、また、鶏肉の手羽や胸肉にはイミダゾールペプチドが多く含まれているので、夏バテにも効果があるのです。 セロリは、肌の糖化を抑制してくれ老化防止に最適。骨つき鶏肉には、あらかじめ荒挽き黒コショウ、岩塩、ガーリックパウダーで下味をつけておきましょう。 材料のタマネギは4等分に、キャベツはざっくり大きめ、ジャガイモは半分ほど、セロリは一口サイズに切ります。^^まず、少量のミンチ肉を色が変わるまで、続いて鶏肉に焼き色がつく程度に少量のオリーブオイルを垂らしたフライパンで炒めます。(本格的に焼かないように♪) 寸胴鍋を用意してカットした材料と鶏肉、ミンチ肉を入れて、水は具材がひたひたに浸かる程度まで入れます。 調味料とともに今度は白コショウを使います。煮立ってきたらアク取りのついでに味見して、岩塩を加えたりコショウを足すなどして、お好みで味の調整をしましょう。 味見といってもココで肉に手を出したらあとで4人で揉めますから味見はスープで。(笑)ショウガは厚さ2ミリ程度にスライスして4枚、ローリエを2枚、ケチャップは大さじ1杯、香りがづけにコショウは少し多めに入れて中火で約40分煮込めば出来上がり。●材料:4人分骨つき鶏肉(手羽元8本)約600g豚ミンチ少量(ミートボール1個程度の分量)タマネギ1個キャベツ1/2個ブナシメジ1パックニンジン2本ジャガイモ3個セロリ1/2本ショウガ*ローリエ2枚 オリーブオイル●調味料コンソメブイヨン4個・ケチャップ大さじ1杯程度白コショウ・荒挽き黒コショウ・岩塩・ガーリックパウダー・適量
2010年08月04日
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(チャイニーズチキンバーガー)カニをはじめ、ウニやイクラの魚介の丼がメジャーな函館ですが、迷った末に判官がセレクトしたのが、『ラッキーピエロ』というハンバーガーショップ♪ 中でも、人気の"佐世保バーガー"を抑えて、ご当地バーガーで堂々の第1位に輝いた人気ナンバーワンのチャイニーズチキンバーガーがオススメです。 ザックリと、大ぶりにカットしたボリュームたっぷりの鶏の唐揚に、レタスとパンがマッチしていて理屈抜きに美味い! つづく・・・^^
2010年07月15日
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(CALIFORNIA BABY 店内)わだつみ判官の「北海道の旅 シーズン1」のつづき・・・ CALIFORNIA BABYは、函館ベイエリアの赤レンガで有名な金森倉庫の付近にあるお店。 映画の撮影にも使われたそうで、一瞬ここが日本であることを忘れてしまいそうなほど、アメリカンな雰囲気が漂う異空間。シアトル駐在時に、判官が足繁く通った店に店内がよく似ていて、落ち着くことこの上なし。(笑) 判官がオーダーしたのはシスコライス。一番人気の看板メニューで、ボリューム感たっぷり。オマケにお値段も690円ととってもリーズナブル。 シスコライスは、大盛りのピラフにフランクフルトをのっけて、上からミートソースがかかっています。付け合せにはブロッコリーとスイートコーン、それに判官の好きなポテトサラダが添えられています。 ちょっとヘビーなアメリカンサイズです。♪ お昼時や夕食時はかなり混雑する店ですが、週末の夜だというのに、21時頃だと意外に空いていてラッキーでした。 たらふく食ってよし!ビールを飲んでよし!禁煙しなくてもよし! 函館ぶらり旅の夕食には、オススメのお店ですぜベイビ~♪ つづく・・・『カリフォルニアベイビー』電話:0138-22-0643定休日:年中無休 営業時間:11:00 - 24:00北海道函館市末広町23-15
2010年07月14日
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(八幡坂の夜景)わだつみ判官の「北海道の旅 シーズン1」のつづき・・・ 函館駅近くで海鮮丼を平らげ、午後の光線で浜茄子を撮影してから、わだつみ判官が目指したのは函館山の方角。 でも、季節柄か天候が不安定で山頂は雲。しばらく散策しながら様子を見ようと、金森倉庫やら、古い洋館の立ち並ぶ街並みを楽しみながら夕方まで歩きました。 日暮れ近くになっても、山頂が雲に覆われていたので決心して、八幡坂を上ったところで夜を待つことに。 八幡坂は、函館湾を見下ろせる絶景ポイントで、元町界隈の散策に欠かせない場所。映画やドラマのロケやCMでもよく登場する景色の美しさで知られる坂です。 日も暮れて、少し天候も回復し、少し低い位置からでしたが、狙い通りの函館の夜景を観ることができました。写真のイルミネーションの点る船は、旧青函連絡船の摩周丸。このあと、留守を守っている御家老には心の中で詫びながらも…(笑) わだつみ判官は、腹ごしらえを兼ねて、夜の函館のお店を転々と放浪。さてさて、雨の投票日。 旧来の党意や党略で行う、ビジョンのない政治は国民に否定されましたね。 財源を考えないバラ撒きは、結局は未来の子供たちに重荷を背負わせる事。 財源がないからと、使途不明確のままで、しかも景気が悪い時勢下で消費税増税なんて、これまた有り得ない。日本再生のシナリオは、財源確保ではなく、何よりも税金に依存する政治家の政治体質の見直しと、技術立国の復権、教育水準の向上、年金・福祉の充実と経済を担う人材育成です。群れに頼る、数の政治はもう通用しません。 民主党がよかったのは、政治を変える原動力が自分たちだと知らせ、事業仕分けのパフォーマンスを見せたところだけか・・・。 自民党もこの選挙結果に甘えては駄目。
2010年07月11日
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(函館港にてわだつみ判官撮影)♪知床の岬にハマナスの咲く頃 思い出しておくれ~ 判官のことを♪(笑)浜茄子(ハマナス)のことを、アイヌの言葉ではマウニと呼ぶそうです。 北海道は、今が浜茄子の最盛期。 浜茄子は、東アジアの温帯から冷帯にかけて分布するバラ科の植物で、日本での植生は北海道にとくに多く、次いで東北地方沿岸、南限は茨城県や島根県辺りの海岸の一部に僅かに分布しているようです。浜茄子は、海浜性の植物で、1m~背丈ぐらいに成長する低木です。 5月頃に開花しはじめ、7月初旬には最盛期を向かえて8月頃には結実します。 現在は、砂浜に自生するものは北海道でも少なくなり、こうして自生している浜茄子に出会えたのは幸せなことなのかも知れません。果実は親指ほどの大きさで赤く、弱い甘みと酸味があるそうです。 ローズヒップの名で知られるように、ビタミンCが豊富に含まれることから、健康茶として商品化されたり、サプリメントやのど飴に配合されたりすることも多いとか。撮影も手早く終えて、これから函館山へ出かけます。 さてさて、夏が苦手なわだつみ判官の『北海道の旅シーズン1』が、こうしてはじまります。(笑)『ハマナス』科属:バラ科バラ属学名:Rosa rugosa別名:ハマナシ、マウニ原産:東アジア、北海道、東北沿岸部、日本海沿岸部、島根
2010年07月08日
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梅雨入り宣言すると雨は降らなくなるし、そうかと思えば被害が出てしまいそうな豪雨になるのがここ数年の傾向です。南九州や首都圏でも、雨の被害が出た様子。 マッチャンさんやマササンは大丈夫だろうか・・・ 判官の幼い記憶に残る梅雨の情景は、里山の青々とした緑とアマガエルの声と、雨の降りはじめの濡れた土の臭いは何処へ行ったのでしょう。温暖化は問題ではないとする見方と、温暖化は生態系に深刻なダメージを与えるとする二通りの説が入り乱れていますが、年々歳々、四季が失われているのを感じているのは判官だけではないでしょう。わずか数百年のヒトの営みが地球の自然サイクルを危機に陥れ、わずか、一年余りの政治のブレが日本を没落国家にしては困ります。 自然には『摂理』という、逆らってはいけない普遍の法則がありまず。 過去の歴史に学べば、文明の発祥や民族の繁栄にも法則と条件があるのでは? バラ撒きと、直ぐに言い換える空っぽのマニフェストが日本再生の秘策? 消費税10%が内需拡大と国民生活と、福祉や医療改革、地方と農業そして産業再生の切り札?美しい言葉、目先、コテ先の変化に酔いしれ希望を託した投票は、イザとなればご覧の通りです。 日本の末来を数や政党にしがみつく、『群れの政治』に本当に託すべきか? たまに更新すれば、またしても政治ネタになってしまった。(反省)
2010年07月06日
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晴れ渡る空、そよそよと肌を撫で通って午睡へと誘う風の心地よさ。栴檀の、花の甘き香りの漂いたる初夏の午後。渡津神之森(ワダツミノモリ)は、麗らかなり。栴檀(センダン)の木は、紀州などには多く見られる樹木で、日本の温暖な地域の海岸近くや森林辺縁に自生しています。 背が高く、新芽の時期、初夏の花の時期、ヒヨドリが好む実を結んだ冬など。 栴檀は四季を通じて変化に富み、探しやすい樹木です。新緑は鮮やかで、花は甘い香りを漂わせるため揚羽蝶などが舞い、夏の日の午後は涼しげな木陰を提供してくれます。紀州出身の博物学者 南方熊楠が、死の直前『紫の花が見える』とつぶやいたのは、この栴檀の花のことだともいわれています。 センダン科 センダン属の植物は、熱帯から温帯にかけてアジアを中心に46属700種確認されています。生薬では、実は苦楝子(くれんし)と呼ばれ、ヒビやあかぎれ、しもやけの塗り薬に。 整腸、鎮痛薬として煎薬になります。 樹皮は、苦楝皮(くれんぴ)と呼ばれて、農家などで古くから虫除けや駆虫剤として用いられました。『センダン』 落葉高木科属:センダン科 センダン属学名:Melia azedarach Linnaeus原産:南西諸島、西日本各地、アジア各地の熱帯、亜熱帯域
2010年05月31日
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これまで、民主党が主張してきた主な政策で課題ですが、民主党の掲げてきた、その他のマニフェストと同様に、どう財源を確保するかについては明確でないことが大きな問題点として指摘されていましたね。 私は、この国の子育て支援の政策そのものに反対している訳ではありません。 ただ、民主党の法案があまりにもずさんで偏っていると思う問題点と、財源についての欠陥部分を指摘し、代案を提案ているだけです。 つまり、子育て支援の各政策は、少子化対策に有効で、意義のある政策ですから、もっと議論と試算を尽くして行なうべきだと言いたいだけなのです。 支給するメリットばかりがクローズアップされ、リスクは度外視。 私には、そのように見えて仕方がないのです。 それに一番の問題は、ただ子供がいるという家庭に対しての単なるバラ撒き政策であって、低所得の夫婦だけの世帯にとっては配偶者控除が廃止され、生活の困難が助長されることになることは懸念すらされておらず、ある意味、これは生活権の侵害ではないかと思うのです。 また、支給対象に、所得制限がほとんどないに等しい状況では、やはり生活格差は必然的に拡大してしまう恐れがあり、それが本当に気になりますね。 所得格差、生活格差は年々拡大しています。 今の日本の現状を踏まえれば、個人世帯への給付ではなく、例えば、低所得家庭の幼児を受け入れる保育所の設備充実と助成、同じく低所得家庭の児童や生徒の小・中学校、高等学校への政府の就学支援や、将来の優秀な人材確保も兼ねて、国公立大学あるいは技術者を育成する高等専門学校への苦学生の就学支援などに特化してはどうなのか・・・? 政治は、政権維持のためのウケ狙いや思いつきでするものであってはいけません! 今のままでは、赤字国債が増えるか、社会弱者の誰かにだけ負担を強いてしまうのは明らかです。 そして、財源の対策としては、基金を設立して市民からの寄付や、一定水準以上の富裕層に対し、一定額を「子育て・教育」と、目的を限定した暫定税として徴収。 同時に、「教育文化振興」目的の宝くじを発行など、財源を確保する方法は幾らでも見出せるはず。 仕分けや増税、福祉予算のカットで捻出するなどはもってのほかだと判官は思います。 ここしばらく、民主党の政治と金の問題が噴出する中、お坊ちゃま首相や日教組が支持母体の社会主義者議員は、世の中の実情が見えていないのが情けないことです・・・(寒) 判官は、いつも投資やお金儲けの事ばかり考えている訳ではありませんし、いつも、のん気にお座敷遊びにふけっている訳でもありません。 たまには、真面目に世の中の事も考えたりします。(笑) でも、久しぶりの更新で、またしても政治的な事を書いてしまいました・・・ 元官僚の悪いクセ・・・ ちょっと、反省です。(汗)
2010年03月02日
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さっきまで一緒に笑い合ってた・・・眠りに就くまで 身近に存在した・・・そんな自分の周囲に存在する 当たり前の日常が僅か1分足らずで 目の前から砕けて崩れた光のない暗闇の中に放り出され色彩のない夜明けの光景に絶望したあのとき 起きた事を現実とは思えず誰もが 自分に起きた出来事を直ぐにはのみ込めなかった・・・受け入れ難かった・・・だけど受け入れなければはじまらなかった暗闇に聞こえるうめき声と泣き声今も耳に残る助けを求める最期の声死臭と炎 埃まみれの髪 汚れた服 空っぽの心で…灰色の瓦礫から15年神戸の街は整備され 外観を取り戻したある人は 奇跡の復興だと胸を張るだけど あの日から一変した暮らしの中で神戸の誰もが "失う"という言葉の本当の意味を知った今日で、阪神淡路大震災から15年。 あの日、6,434人が命を失い、4万3,792人が負傷。 未だに後遺症に苦しむ人も数多くいます。 震災では、犠牲者の80%が、建物の倒壊や家具の転倒による圧死でした。また、市内の多くの病院も被災しました。 スタッフの不足や負傷者の殺到、交通網の通信網の寸断や渋滞による転送の遅れが重なって、助かるべき多くの命が失われました。神戸の教訓は、未だに十分には生かされてはいません。 民主党政権下では、子育て支援や高校の授業料無償化を優先して、公立学校の耐震化予算を6割削減。 これにより、全国の学校では平成20年度予算での耐震工事が終わっても、震度6強の揺れで倒壊の危険がある施設が2万5,000棟もあるのです。 友愛という政治理念は、いったい誰のために掲げているのか・・・国の未来を語り、日本再生を謳うなら、政権の人気獲得のための"ばら撒き"は根絶して、必要な人に必要な支援のできる国家づくりを目指して欲しいものです。
2010年01月17日
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(淡路黒岩水仙郷)遂にキリ番が出ました! もう少し、先の事だと予想していたのですが、このところアクセスカウントが急にハイペースとなり、一日の平均アクセスが230アクセス。 そして、今日がキリ番の日と相成りました。惜しかったのは、あじゅ子さんの333,318アクセスと、teapottoさんの333,335アクセス。 ん~っ、余りにも惜しい! るり子さんにもゲットして欲しかったなぁ・・・ヤバかったのは、そろそろだろうとアクセスしてチェックしたときのわだつみ判官本人で333,328番目。(危ない危ない・・・)そして、キリ番をゲットしたご訪問者は、諸行無常4141さん♪ ちなみに足跡記録によると、2010-01-05 18:32:28とあります。(わだつみの帰宅途中?) 諸行無常さん、ご訪問有難うざいます!諸行無常さんは、2005年に楽天ブログで出会って以来、リンクしてくださっている方です。 知的でお洒落、グルメでダンディーな実業家。 そんな、古いお馴染みさんにキリ番"333,333"をゲットしていただき、御礼を申し上げます。さてさて、韓国や中国では記録的豪雪。 日本列島でも、日本海側を中心に大雪と強風に見舞われています。 逆に首都圏では3月上旬並みの温かさだったとか。 明日にかけては、さらに雪と暴風に警戒が必要だと報じられていますので、通勤には十分にご注意ください。
2010年01月05日
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(海鵜 わだつみ判官撮影)わだつみ判官は、明日から初仕事です。 仕事では、これまで2年近く積み上げてきたものが大きく昇華する期待の年。 プライベートでは、昨年に続いて肉体的(ダイエット)にも経済的にも、大転換期を迎える年です。ちなみに、正月三賀日の間を通じて、不覚にも2キロ肥ってしまいました。(笑)天王星(+)で魚座のわだつみ判官にとっては、とくに今年は自分自身に磨きをかけるラストチャンス。 アクセル全開、ノー・ブレーキで自分の道を切り拓く仕上げの年となります。さてさて、アクセスカウントも333,333のキリ番にリーチですよ~♪ (私書メールよろしく!) あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2010年01月04日
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(2010.01.02 わだつみ判官撮影)御節料理とは、その名の通り節句に作られる料理で、今ではとくに、お正月に備えて用意される祝い料理を指し、ほとんどの地域では元日以降に食べるのが標準となっています。 ただし、本来は"年迎え"の膳として大晦日に一年間の一家の無事を祝って食べるものでした。 今でも、東北地方の一部や北海道の一部の地方では、かつての名残りで大晦日に食べる風習が残っているといいます。御節は、保存がきく作り置きの正月の料理となっていますが、これは、神様をお迎えした新年に台所を騒がせてはならないという考えによるものです。 とくに、物を切る包丁などの刃物はタブー。さてさて、わだつみ判官家では大晦日は蕎麦を食べず、甘い煮小豆をかけた餅を食べて年越しとます。 また、元日の朝はすまし汁の雑煮、2日目は合わせ味噌の雑煮、3日目には善哉(ぜんざい)を食べるのが風習です。たぶん、この三賀日のお陰で、年内のダイエットの努力はたぶん水の泡となるでしょう。(笑)わだつみ判官家の正月の一番の遊びは投扇。 それも、一般に知られる江戸の投扇興とは異なっていて、酒を入れる瓶子(へいし)めがけて投げ、当たって瓶子が倒れると『平氏を討ち果たしておめでとうございます♪』と、倒した人に一礼をして褒めちぎります。酒器の"瓶子"を語呂で"平氏"に見立てるというところが、源氏一党が、虐げられていた頃の名残り? そう考えると、かなり"卑屈"な遊びでございます・・・(笑)お正月らしく壁紙を変更したら、いざなみ日記が仏壇のようになってしまいました。(爆) 引き続き、皆さんもお正月をお楽しみください。 そろそろ、キリ番が近づいて参りました。 333,333は誰でしょうね。 あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2010年01月02日
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(明石海峡大橋 わだつみ判官撮影)新年明けましておめでとうございます思えば、一昨年秋のリーマンショック以来、日本国中が気持ちの沈んだ2009年でしたが、私たちは耐え抜きました。 新しい年は、日本経済が世界に反撃ののろしをあげるとき。 新しい年 2010年は、私たち一人一人が政治に目を光らせ、維新のつもりで日本再生の年にしましょう。 日本には、優れた英知と技術があります。 私たちは誇りを失ってはいけません。 日本経済は必ずよくなります♪さてさて、いよいよ2010年の幕開けです。 そして、このわだつみ判官の『いざなみ日記』は、遂にこの春には5周年を迎え、6年目に突入することになります。あじゅ子さん、k-0228さん、ぎょ金さん、沙羅樹さん、しっぽさん、諸行無常さん、十五屋お照さん、♪鈴音♪さん、たもももさん、teapottoさん、二輪熊さん、happy3231さん、ハレバレさん、八丁堀さん、ブルーローズさん、マササン、マッチャンさん、miki285さん、ララオさん、るり♪さん、ROVAさん、*雪花*さん・・・仲間の皆さん♪そして、たくさんのブログ仲間の皆さんにとって、素晴らしい年となりますように。アクセスカウントは、332,335と、かなり近づいて参りました。 キリ番を踏んだリンクしてくださっている馴染みの方には、記念品を用意してご連絡をお待ちしています。♪ あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2009年12月31日
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(09.12.19 桂浜 わだつみ判官撮影)古来から、日本では人が音として発した言葉は現実に影響を与えると考えられ、良い言葉を発するれば良い事が起き、不吉な言葉を発すれば凶事が起こると考えられていました。 これが、言霊(ことだま)と呼ばれ、日本の精神文化に息づいている感性の一つでもあります。万葉集に収録された柿本人麻呂の歌には、志貴島の日本(やまと)の国は事霊の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞとあり、古代にも"言"と"事"が同一の概念だったことを物語っています。美しい日本語が崩壊しつつあるといわれる現代、それでも、この国には言霊はわずかに息づいています。 結婚式や披露宴でタブーとされる"忌み言葉"などが、言霊の思想の名残りだったりします。 日本は、言霊の力によって幸せがもたらされる国。 "言霊の幸ふ国"なのです。言葉といえばもう一つ、自分の意志をハッキリ声に出すことを"言挙げ"といい、もしも言挙げが自分の"慢心"や"邪心"によるものであった場合は、悪い結果がもたらされるとも信じられていました。 例えば、古事記では倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身と出会いますが、倭建命は『これは神の使いだから帰りに退治しよう』と言挙げをしますが、それが倭建命の慢心によるものだったために、建命は神の祟りに遭い命を落としたといいます。 言霊とは万物に神が宿るとするアニミズム的一面ではなく、人々の畏怖の念や万象への敬いなど、心の有り様をも示すものであったことは確かなようです。最近、テレビを点けると円高だの、デフレだの、自殺増加だの、マニフェスト違反だのと必要以上に人々をことさら不安へと駆り立てるようなニュースが溢れています。 日本のマスコミは、問題を指摘して政策の揚げ足をとるだけで、相変わらず成熟しているとはいえず、社会への貢献のためにペンを振るうような報道はできていません。マスコミも、たまには国家国民のための政治の在り方や、景気回復のための提案や、人々を勇気づけるような、実利のある報道をできないものでしょうか・・・ 龍馬が今の日本の姿を観れば、何というのでしょうね。さてさて、正月まであと数日と迫り、何かと慌しい年の瀬ですが、元日には御節と美酒が待っています。(笑) 皆さんも何卒ご健勝で、よい年をお迎えください♪ 来るべき2010年が、新しい国政のはじまりとなり、経済再生の希望の年となるよう願っています。 あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2009年12月27日
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(皿鉢の塩タタキ)写真は、皿鉢(さわち)盛りにした鰹のタタキです。 高知市内で、リーズナブルで美味しく、人気の高いグルメスポットは"ひろめ市場"です。 そして、ひろめ市場でのイチオシは、やっぱり鰹のタタキ。 それもポン酢や土佐酢で食するのではなく、鮮度がよく、脂がのった鰹だけに限定される"塩タタキ"がオススメ♪ 藁で表面に焼きを入れ、温かくできたてのタタキに、ニンニクと大葉をのせて、わさびを塗り、荒塩でいただくと絶品の味です。 生臭さはまったくありません! 一度、この塩タタキを食べてしまうと、高知以外では二度と鰹のタタキを食べることができなくなりますから、覚悟して召しあがってください。(脅迫?)さてさて、高知で郷土料理といえば『皿鉢(さわち)料理』です。 高知では、人が集まれば必ず皿鉢料理が登場します。 皿鉢料理は、バイキング料理のように小皿に自分の好きなものを自由に取って食べることができ、どこから箸をつけても構いません。 皿鉢の原型は室町時代頃から作られていました。 当時の器は、比較的深みのある高坏で、浅鉢・深鉢・大皿・大鉢など色々と呼ばれたようです。 これらの器が皿鉢と呼ばれはじめたのは江戸時代の頃。 土佐藩の記述に『砂鉢』や『皿鉢』と記され、『佐波知』や『沙鉢』と当て字された記録も残ります。皿鉢料理の起源は、膳(日本料理の正式の膳立てで主となる膳)のあとの酒宴に出す料理が今に伝わったものですが、元々は農耕儀礼として五穀豊穣の祈願祭や収穫を感謝する収穫祭などにお供えとしたのが発祥のようです。神と人が、ともに祝う神事の一つで、かつては重要な儀式とされ、神のご加護の下で神と人が一体になって作物を大皿に盛り、酒宴をするのが慣わしでした。 こういった伝統を受け継ぐ料理は、明治の中頃までは『鉢盛り料理』や『盛り鉢料理』ともいわれ、日本の各地にありましたが、今では高知だけだとか・・・本来の皿鉢料理は、なま物、寿司、組み物などで構成されますが。 なま物は、大方の場合は鰹のタタキや刺身の盛り合わせ。 寿司は鯖などの姿寿司をはじめ、巻き寿司、にぎり。 組み物は、煮物、揚げ物のほか果物が基本ですが、単品でも数人分を盛り付ければ=皿鉢料理と呼ばれ、自由度満点のパーティ料理ででもあります。旅に出ると、こうした地方ならではの食文化に出合うことができます。 たとえグルメとしても、こうして日本の伝統に触れ、地方を知るということも大切なことですね。 あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2009年12月24日
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(高知の雪 判官撮影)南国も この日ばかりは 銀世界 (わだつみ判官愚句)先週半ばから、各地に出ていた雪の予報は知っていたものの、高知へは何度も足を運んでおり、勝手に"南国"と決めつけていたわだつみ判官がバカでした。 予想を遥かに超える降雪に驚きつつ、四輪駆動のシステムとスタッドレスタイヤに感謝しながら早朝に高知道を走りました。久しぶりに桂浜の龍馬どんとも再会、友人とも再会、郷土料理と酒にも再会し、室戸岬で夕陽を眺めて帰宅。 よいリフレッシュとなりました。 旅は遠足気分で日帰りでしたが、写真をたくさん撮ってきたので、ブログではちょいと続きます・・・(笑)高知へあと30分の距離に位置する立川SAでは、土曜の朝にこんな美しい銀世界を観ることができました。 あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2009年12月20日
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(神戸南京町 わだつみ判官撮影)さて、ルミナリエも終わりました。 ちなみに、今年のルミナリエ開催中の来訪者数は天気の影響もあり、例年の10%減。 募金の集まりも、600万円ほど昨年を下回ったとか。 せめてクリスマスまで観られたら、キレイなお姉さんと南京町界隈で待ち合わせて、一緒に食事などしてから同伴でお店に繰り出せるのですが・・・(笑) 歳末商戦に突入した神戸の街。 昨夜辺りから急に冷え込むようになり、週末は氷点下の予想です。 週末のわだつみ判官は、職場の仲間3人と高知に行く予定ですが、不意の雪の予報に、慌ててスタッドレスタイヤに履き替えました。 てっきり暖冬と思いきや、本格的な冬将軍の到来に、温暖な熊野育ちの判官はカラダが着いてきません。(老化現象?)ところで、最近ブログの画面にある、ライトブルーの『tつぶやく』というバナーはいったい何なのでしょうか? どなたかご存知ありません?ん~、tつぶやくって、いったい・・・(警戒心剥き出し♪)うかつにクリックすると、ある日突然、不当な請求をされることもあるご時世ですから、クリックしません。 でも気になります・・・さてさて、いざなみ日記のアクセスカウントもいよいよキリ番に近づいて参りました! もしもキリ番333,333を踏んだ方は記念品をご用意していますので、私書箱メールでご一報ください。 あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2009年12月16日
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(09.12.12.19:30 わだつみ判官携帯で撮影)UFOとは、未確認飛行物体でUnidentified Flying Objectの略。 本来はアメリカ空軍の用語です。 ちなみに、日本の航空自衛隊ではアンノンと呼びます。 おもに、国籍不明の航空機などに用いられますが、進路を外れた航空機や他国の偵察機、さらにはミサイルの可能性もあるため、こうした飛行物体がレーダーで確認され次第、スクランブル(緊急発進)行動の対象となります。昨日の午後19時30分頃・・・ 市内のスーパーに食パンを買いに行った帰りにスーパーの入口から出たところで、南東方向にある城山の上空に飛んでいるのを目撃しました。 そのとき咄嗟に、持っていた携帯電話で撮影したのが上の画像です。 城山までの距離は直線で約3.5キロ。 距離からして、飛行物体はバスぐらいの大きさでしょうか・・・ 肉眼でもとても明るく、鮮明に確認できました。 目撃当初は5機で、最初は右に左に移動しながら、ほぼ一定の感覚と高度を保ち、北方向から南へゆっくりと移動して、城山にある、ライトアップされた天守閣の数百メートル上空と思われる位置で静止。 飛行物体は、しばらく等間隔で空中に待機しているように見えましたが、次第に上下左右に揺れながら、途中で2機が合体して4機になりました。 また、付近のかなり上空には、同時刻に関空へ向かう旅客機が飛行していましたが、気づいていない様子でした・・・以前にも、何度か目撃したことはありますが、今回は撮影することができました。 あれは一体何なのでしょう? 彼らの目的は? もしかして、わだつみ判官に暮れのご挨拶?(笑)
2009年12月13日
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(神戸ルミナリエ わだつみ判官撮影)オスロ時事によれば、オバマ大統領が10日、ノルウェーのオスロ市庁舎で行ったノーベル平和賞受賞演説で「平和の維持のため、戦争という手段には一定の役割がある」と演説し、「平和は義務を必要とし犠牲を伴う」とアピールし、世界を戦いに駆り立てながら"テロとの戦い"というアメリカ式スローガンを振りかざして堂々の受賞。ノーベル平和賞は泥棒に追い銭?平和のために戦争という手段を使うという"強者の論理"には、正直、違和感を覚えます。 それは、かつて小泉元首相が言及した「改革には痛みが伴う」というのに似て、あれ以降、国民はずっと痛みを感じ続けている気もします。 弱者は強者のための踏み台ではありません。かつて、人類の平和的発展を願って創設されたノーベル賞。 今では、強者の論理がまかり通るノーベル平和賞は、地に落ちましたね。
2009年12月10日
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(09.12.08 わだつみ判官撮影)昨夜は、祈りと鎮魂を強調しましたが、粉塵と煙の中をくぐって生き延び、曲がりなりにも生活を取り戻した私たちには、励ましのともしびであり、毎年過去を振り返りつつ、「これからも頑張るぞ!」と気持ちを新たにさせてくれるイベントです。また、一時期より回復したとはいえ、神戸を訪れる観光客数は減少し、震災以前に比べると元通りとはいえません。 私たち阪神淡路大震災の経験者にとって、神戸ルミナリエは、神戸復興のシンボルであり、同時に神戸の経済再生のための起爆剤の一つでもあります。そんな神戸ルミナリエは、不況の煽りで開催のための資金集めが徐々に困難となりつつあり、存亡の危機に直面しています。 この神戸の街の灯りを消さないよう、皆さんもこの時期に神戸を訪ねてみてください。 あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2009年12月08日
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(09.12.06 わだつみ判官撮影)阪神淡路大震災が発生し、神戸の多くの人々が家や愛する家族を失い、哀しみに打ちひしがれていた年・・・ 鎮魂と追悼、そして何よりも瓦礫の街と化した神戸の復興を祈念してはじまったのが神戸ルミナリエでした。 開催年の最初の点灯式では、歓声の静あと静寂に包まれ、あちこちで涙する人も多かったと聞きます。 私自身、西宮の家が被災し、十年以上もの間、不良債権処理に苦しみました。 大勢の友人や知人が家屋や家族を亡くし、絶望のあまり、心を病み、ついに社会復帰できなかったのも目の当たりにしました。 私自身も、元の暮らしを取り戻すのには何年も掛かり、つい3年前まで、足を運ぶ気持ちにすらなりませんでした。この阪神淡路大震災以来、建築基準が改正され、国の対応マニュアルも作成されました。各地で防災意識も高まり、大規模な自然災害に対応する訓練も各地で行われるようになりました。確かに、神戸の街は美しく生まれ変わりました。 しかし、災害によって奪われた人々の暮らしは、そう簡単には元通りになることはありません。 また、被災者の心の問題など、数多くの課題は残されたままです。本当に多くの友人を失いました。 独りになってしまいました・・・ 一時は絶望もしました。 でも・・・生き残った者の責任として、生きていることに感謝し、わだつみ判官は友人たちの想いを背負って、前を向いて生きていきます。 そんな風に、亡き友人たちに誓ったルミナリエでした。 今年も、ルミナリエの祈りのともしびは、こうして冬の神戸の夜を彩っています・・・ あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2009年12月07日
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(09.12.05 わだつみ判官撮影)師走を迎え、相変らず多忙な毎日を過ごしており、せっかく手にした一眼レフカメラも持ち腐れ・・・。 ようやく時間ができ、カメラを手にしたのが昨日の2009神戸ルミナリエでした。 取扱説明書も見ず、いきなり夜間撮影で一眼レフカメラのデビューを飾るが判官流? でも、撮れたので結果オ~ライ♪(笑)最初の10コマはさすがに不慣れゆえ、手ブレやらストロボが発光するやらの操作ミス。 でも、11コマ目からはコツを掴み、一応ちゃんと撮れました。 さすがニコンのクオリティ♪この間までの、キャノンのコンパクトデジカメとは写真のキレが違います。 でも、夜間撮影でもあり、ブログにアップするために縮小しているので、クオリティの違いが皆さんに伝わらないのが残念。(笑)1時間ほど神戸ルミナリエのメイン会場を散策し、150コマほど撮影しました。 せっかくですから、次週からいざなみ日記は、しばらくの間写真ブログに変身します。(笑) あなたが、クリックしてくださると幸せです!
2009年12月06日
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