風雲 いざなみ日記

2010年08月14日
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写真は、65年目の終戦の日を前にした、わだつみ判官家の盆供養の様子です。 太平洋戦争で跡継ぎを失い、途絶えたわだつみ判官家の一族は五家。 わだつみ判官の家は次男の父がいたため、唯一残った家なので、今年もこうして一族の陸海軍の戦没者を一同に集めて慰霊しています。 大佐から学徒兵まで合わせて103の英霊。



一族が散華した戦場は様々。 ミッドウェイ、シンガポール、満州、インパール、フィリピン、ラバウル、サイパン、アッツ、硫黄島、沖縄、神風特別攻撃隊・・・ 中には終戦日以降のソ連参戦による戦死も・・・



わだつみ判官が幼い頃、海軍中佐だった祖父は、傍らに座る判官に遠い南の海の話や、近代の洋上戦では航空戦術がいかに勝敗を左右するかなどについてもいつも詳しく語ってくれました。 戦前の祖父はバーボンとJAZZを愛し、ビリヤードとダンスが得意でアメリカに数年滞在していました。 



そして、当時陸軍憲兵少佐だった母方の祖父同様に戦争には反対の立場をとっていましたが、運命とは皮肉なもので、昭和16年12月8日 真珠湾攻撃で開戦の口火を切ることになったのです。 負傷の後、祖父は大本営にいたため生きて戦後を迎えましたが、予科練から特攻に志願した長男は、終戦直前に沖縄付近で戦死しています。 長男の戦死を、祖父は夢に出てきた八咫烏(ヤタガラス)に告げられたそうです。




祖父の日記の最後のページにはこんな文章が書かれています・・・



日の丸の旗の下に、この地で千年後に平和を謳歌する人々がいますように。


日の丸の旗の下に、この地で千年後に自由と平等が根づいていますように。


千年後のこの地にも、日の丸の旗が翻っていますように。



(元海軍中佐 わだつみ判官祖父の最後の日記より)




我が家に戦前の賑やかな食卓はありません。 あれから65年.・・・ こうして我が家は、母と御家老とで、ひっそりとしたお盆を迎えています。先の戦争は、死ななくてよかった多くの若者を死なせ、同時に滅ぶべきでない、日本の美しい精神文化をも滅ぼしてしまったように思います。



戦犯合祀を理由に、国に命じられ、絶望の淵で最後まで戦った人々に礼を尽くさず、 卑屈な謝罪外交 を続ける戦後の日本・・・ 判官は不満に思います。 礼を尽くして謝罪すべきは、国益に殉じた将兵とその遺族にではないでしょうか。



昭和21年10月、8歳で父を戦犯として失ない、戦後、 "戦犯の子" と教師にまで石を投げられたりして育った母の背中は、今年も寂しそうです。 戦犯とは、いったい何なのか・・・(怒)








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最終更新日  2010年08月14日 22時43分10秒
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