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どうせなら、5色違う色にしたら○○戦隊なんとかレンジャーになるのになあ。 京都 清水寺にて
2012.01.22
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湯豆腐「奥丹」は、江戸時代の今から約375年前に創業され、先代で15代続く京都の老舗で、創業当時の名前は「奥の丹後屋」だったそうです。底冷えする京の大寒には、湯豆腐がぴったりですね。この日もいつもの「おきまり一通り」をいただきました。まずは、胡麻豆腐から。禅寺でもかかせない精進料理の代表である胡麻豆腐。ぷよぷよした食感が癖になりますね。わさびとちょっと甘めのタレが絶妙のバランスでした。次に木の芽田楽。香ばしい木の芽の香りとスパイスの風味がお酒を進めます。(なくても進みますが・・・) 豆腐は2通りあって、舌触り滑らかなおとうふと、純古代造りを守ってつくられるちょっと固めの昔どうふ。私は滑らかなほうは好きですが、2人で来たら、ぜひ1人前づつ頼んで味を比べてみてくださいね。湯豆腐が終わりかけの頃に、揚げたての精進天ぷらが出されました。〆にご飯の上にとろろ汁をかけていただき、満腹です。実は、奥丹にはもう1種類おとうふがあって、島どうふというそうです。日本最南端の波照間島より奥丹清水まで運ばれた海水を用い、先取り方によって作ったお豆腐で、先代当主が数十年の歳月をかけ心を込め作りあげた極上の味とのことです。次回は島どうふにもチャレンジしてみようかな? 総本家ゆどうふ奥丹HPはこちら
2012.01.21
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たくさんの飴が、まるで雨が降っているかのようでした。京都 清水道にて
2012.01.15
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京都 清水道にて
2012.01.14
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鷲峰山高台寺は、臨済宗建仁寺派の禅寺で、正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所、ねねさんが慶長11年(1606)開創した寺です。寛永元年(1624)7月、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ高台寺と号したそうで、造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なったので寺観は壮麗をきわめたといいます。この方丈前庭園は、春の枝垂桜と秋の紅葉が特にすばらしく、その時期にあわせてライトアップされます。壮観の一言ですので、ぜひその頃に訪れてみてくださいね。開山堂は、高台寺第一世の住持、三江紹益禅師を祀る塔所で、左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像が安置されています。礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の格子天井には秀吉が使った御船の天井が用いられていますが、撮影禁止とのことでした。高台寺には、いくつかのお茶室があって、こちらは遺芳庵。灰屋紹益と吉野太夫との好みの茶席といわれ、鬼瓦席と共に高台寺を代表する茶席として知られています。こちらの2棟続きのお茶室は、奥が傘亭で手前が時雨亭。利休の意匠による茶席であり伏見城から移建したもので、傘亭は竹と丸木が放射状に組まれ、傘を開いたように見えることからその名があり、時雨亭とは土間廊下でつながっています。最後は八坂神社。「祇園さん」として親しまれている八坂神社は、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)を祀ります。日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って地上に幸いをもたらした偉大な神さまですね。八坂神社の歴史は、社伝によれば平安建都の約150年前の斉明天皇2年(656)と伝えられています。都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、現在も約三千の分社が日本各地にあるそうです。八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。なんと、これで住吉大社、大神神社、八坂神社と3日連続の初詣?になりました。これだけ神頼みをしたから、今年はいいことがあるかも・・・って、無理か。
2012.01.09
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京都東山界隈を歩いてきました。まずは定番、清水寺から。「清水の舞台」は、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べた「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げているそうです。4階建てのビルの高さもあり、面積は約190平方メートル、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた、文字通り「桧舞台」です。この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されてきたそうです。一度みてみたいですね。こちらが「音羽の瀧」。清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧ですね。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています。 清水さんへのお参りを終え、いつも大勢の人で賑わう産寧坂へ。三年坂ともいい、「この坂で転ぶと3年以内に死ぬ。」という都市伝説が有名ですね。名前の由来は諸説あるようですが、清水寺の南にある子安の塔「泰産寺」へ続く坂道であるため、産寧坂と呼ばれるようになったというのが一般的です。北の政所「ねね」さんが清水へ子供の誕生を念じて(産・念)坂をあがり清水寺にお参りしていたことからその名前がついたとも言われています。産は「うむ」、寧は「やすく」という意味があり、この坂をたどって子安の塔へ参詣すると安産するということですね。産寧坂を降りたところに、こんな野菜が山積みされていました。これだけあれば、たくさんの千枚漬がつくれるでしょうね。産寧坂を下りて少しあるくと右手に見える坂が二寧坂。こちらも「転ぶと二年以内に死ぬ。」と言われていますが、単純に、産寧坂の下なので二寧坂で呼ぶようになったようです。もちろん、この先には一年坂もありますよ。このあと、八坂の塔を眺めながら、ねねさんゆかりの高台寺に向かいます・・・つづく
2012.01.08
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なでうさぎをなでなでした後は狭井神社へ。本神社は、本社の荒魂をおまつりしている、延喜式神名帳に記される古社で、古くより、華鎮社(はなしづめのやしろ)と称され、病気を鎮める神としての信仰がとても厚い神社です。三輪山への登り口でもあり、本神社で受付をしてから御神山へ登ります。狭井神社拝殿の裏には、薬井戸があり、ご神水がこんこんと湧き出ています。この霊泉は万病に効くと古くから伝えられており、私も数年前、腎臓病で入院していたときにお見舞いにいただき、お陰さまでこれ以上悪化することなく過ごしています。狭井神社から久延彦神社へ向かう高台から、大和三山が見渡すことができます。左から、天香具山、畝傍山、耳成山。万葉集に、「香具山は 畝火ををしと 耳成と 相あらそひき 神代よりかくにあるらし 古昔も然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき」と中大兄皇子に歌われた大和三山。大和三山(の神)が神代に恋争いをしたという歌で、中大兄皇子と弟の大海人皇子の額田王をめぐっての恋争いを大和三山に託したものともいわれています。万葉の頃から三角関係のもつれは大変だったようです。大和三山を眺めながら、久延彦神社へ。ご祭神の久延毘古命は、大国主神が国造りの際、多くの神がご存じなかった少彦名命の神名をお教えになられた神様であり、知恵は世に類なく優れておられました。『古事記』には「足はあるかねど天下の事を、尽(ことごと)に知れる神」と記されている神様であります。このため、受験合格・入学・進学・就職等の成就安全をおまもり下さる、知恵の神様として信仰されており、境内にはふくろうさんの絵馬がたくさんぶらさげられていました。実は今年、とある国家試験を受けることになった私、合格祈願を願い奉納してまいりましたが、さて、どうなることやら。最後は若宮社へ。奈良時代には、神仏習合の姿をとり、大神神社の神宮寺、大神寺として栄えたそうです。中世には、三輪流神道がこの地より広まり、各方面に多大の影響を与え、明治の神仏分離までは、大御輪寺の本堂として、若宮の大神様とともに本地仏十一面観音(国宝、現聖林寺奉安)が併祀されていました。現社殿は、昭和62年より3年間に亘り解体修理が実施され、応永19年(1412)の姿に復元されたもので重要文化財に指定されています。無事、お参りを済ませたあとは三輪そうめん。この時期は暖かいにゅうめんです。三輪そうめんは、伝説では大和三輪で、紀元前91年、大物主命の五世の孫である大田子根子命が大神神社の大神主に任ぜられ、その十二世の孫である従五位上大神朝臣狭井久佐の次男穀主が創めてつくられたとされる、そうめんの発祥なのだそうです。お出しがとってもおいしくて、参拝で冷えたからだをほっこりさせてくれますよ。
2012.01.07
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昨日に引き続き、今日も初詣?に行ってきました。恒例の奈良県桜井市の大神神社。三輪山ですね。遠い神代の昔、大己貴神(大国主神のこと)が、 自らの幸魂・奇魂を三輪山にお鎮めになり、大物主神の御名をもってお祀りされたのが大神神社のはじまりです。それ故に、本殿 は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられて おり、我が国最古の神社なのだそうです。三輪山といえば蛇。手洗場も蛇の口からお水が出ています。三輪山と蛇との神話はいつくかあるそうですが、三輪の大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫が、夜しか訪れぬ夫の姿を朝見たいと願ったところ、その姿は「うるわしき小蛇」であったという箸墓伝説が有名ですね。(『日本書紀』崇神天皇条)こちらが、一般の神社では本殿にあたるであろう拝殿。寛文4年(1664)徳川4代将軍家綱の造営で、桁行9間 (21メートル)、梁間4間(8メートル)、正面は三間一面の大向拝がつき、大正10年に国の重要文化財に指定されました。拝殿をお参りした後は、「なでうさぎ」さんへ。なでるとご利益があるそうで、大勢の皆様によってピカピカに光っています。こんな感じです。私も頭が良くなるように、毎年頭をなでなでしていますが、一向に頭がよくなりません。なぜだろう・・・なでうさぎさんのそばには、このような大きな絵馬?がいくつか置かれており、参拝者が自由に願いことを書くことができます。今年も願いを込めて「頭がよくなりますように」と書きましたが、一向に頭がよくなりません。なぜだろう・・・つづく
2012.01.07
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今日は午前中通院で、午後からもお休みをいただき、住吉大社へ少し遅い初詣に行ってまいりました。まずは住吉さんのシンボル、反橋(そりばし)から。太鼓橋とも呼ばれる反橋ですが、昔はこの橋のすぐそばまで波打ち際がきていたそうです。住吉津ですね。 あの一寸法師は、この住吉津からお椀の舟に乗って旅立っていったそうです。 反橋を渡るとすぐに手洗舎があり、大きなうさぎさんの口からお水が流れています。昨年の干支ですね。1年間ごくろうさまでした。 神功皇后がお祭りされた日が卯の日であり、住吉大社とウサギとの深い結びつきを象徴したものだとか。住吉大社の本殿は四社あって、一番奥の第一本宮からお参りするのが正式です。現在の本殿はすべて1810年に造られた神社建築史上最古の様式の一つで、国宝建造物に指定されています。こちらは第三本宮(奥)と第四本宮(手前)です。四社はすべて同じ大きさだとか。本殿を後ろからみるとこんな感じで、「住吉造り」というそうです。朱色が印象的ですね。住吉大社のおみくじは巨大で、まるで大砲のようですね。台を利用しないとくじを引き出すことは難しいようです。なにかと世知辛いこの頃ですが、時にはのんびりゆったりできることを期待してたくさんお参りしてまいりました。さて、今年はどんな年になるのかな?
2012.01.06
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旧年中はお世話になりありがとうございました。本年もよろしくお願いします。「今年こそいい写真がたくさん撮れますように」って新年早々、すでに他力本願になっています・・・反省。
2012.01.01
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