読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」 20
読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」 15
読書案内「BookCoverChallenge」2020・05 16
読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて 5
映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 6
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谷川俊太郎「はだか 谷川俊太郎詩集」(佐野洋子絵 筑摩書房)「さようなら」谷川俊太郎ぼくもういかなきゃなんないすぐいかなきゃなんないどこへいくのかわからないけどさくらなみきのしたをとおっておおどおりをしんごうでわたっていつもながめているやまをめじるしにひとりでいかなきゃなんないどうしてなのかしらないけどおかあさんごめんなさいおとうさんにやさしくしてあげてぼくすききらいいわずになんでもたべるほんもいまよりたくさんよむとおもうよるになったらほしをみるひるはいろんなひととはなしをするそしてきっといちばんすきなものをみつけるみつけたらたいせつにしてしぬまでいきるだからとおくにいてもさびしくないよぼくもういかなきゃなんない 詩人の谷川俊太郎が亡くなったそうです。2024年の11月13日のことだそうです。 11月19日、月曜日の朝起きるとチッチキ夫人が寝ぼけまなこのボクにいいました。「谷川俊太郎がなくなったって。」 で、その日のフェイスブックで、友達が詩人の死を悼んでいました。谷川俊太郎さん「さようなら」ですね。 谷川俊太郎が、もう、30年以上も昔にだした「はだか」(筑摩書房)という詩集をチッチキ夫人が大切にしていたことを思い出しました。 上の写真が、箱装の外箱です。で、これが中の姿です。醜いかもしれませんが、何かの包み紙でカバーしてあって、真ん中にはだかと谷川俊太郎という文字が赤エンピツで書かれています。 ホコリを払って「はい、これ。」といって渡すと「ぼくもういかなきゃなんない、でしょ。」「うん、挿絵は佐野洋子さん。彼って、いったさきで大変ちゃうの?」「そうねえ、少なくとも三人は確実に待ってるからねえ(笑)」 で、これが皮をむいた姿。 美しい詩集ですね。1988年の出版です。挿絵は佐野洋子さん、装幀は平野甲賀さん、最初の詩が「さようなら」です。懐かしいですね。 で、これが、この詩集のオシマイの詩「とおく」のページの写真です。 佐野洋子さんの挿絵ですね。読めますか?読みにくいので、詩は書き写しておきますね。とおくわたしはよっちゃんよりもとおくへきたとおもうただしくんよりもとおくへきたとおもうごろーよりもおかあさんよりもとおくへきたとおもうもしかするとおとうさんよりもひいおじいちゃんよりもごろーはいつかすいようびにいえをでていってにちようびのよるおそくかえってきたやせてどろだらけでいつまでもぴちゃぴちゃみずをのんでいたごろーがどこへいっていたのかだれにもわからないこのままずうっとあるいていくとどこにでるのだろうしらないうちにわたしはおばあさんになるのかしらきょうのこともわすれてしまっておちゃをのんでいるのかしらここよりももっととおいところでそのときひとりでいいからすきなひとがいるといいなそのひとはもうしんでてもいいからどうしてもわすれられないおもいでがあるといいなどこからかうみのにおいがしてくるでもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける 「うみよりももっととおく」へ行ってしまった谷川俊太郎の声が、やっぱり聴こえてくるようですね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.21
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谷川俊太郎「みみをすます」 中村稔「現代詩人論 下」(青土社)より 中村稔の「現代詩人論」(青土社)の下巻です。上巻もそうでしたが700ページを越える大著です。下巻では飯島耕一、清岡卓行、吉岡実、大岡信、谷川俊太郎、安藤元雄、高橋睦郎、吉増剛造、荒川洋治の9人の詩人が論じられています。 フーン、とか思いながら最初に開いたページが谷川俊太郎でした。 谷川俊太郎は多能・多芸の詩人である。「ことばあそび」の詩も書いているが、平仮名だけで書いた詩集「みみをすます」がある。一九八二年に刊行されている。これには表題作「みみをすます」の他、五編の詩が収められているが、私はやはり「みみをすます」に注目する。ただ、たぶん一五〇行はゆうに越す長編詩なので、全文を紹介することは到底できない。かいつまんでこの詩を読むことにする。 ここで論じられているのはこの詩集ですね。 本棚でほこりをかぶって立っていました。谷川俊太郎「耳を澄ます」(福音館書店)、チッチキ夫人の蔵書ですが、ボクも何度か読んだことのある懐かしい詩集です。箱入りです。箱から出すと表紙がこんな感じです。 わが家の愉快な仲間たちが小学生のころ、多分、教科書で出逢った詩です。今でも教科書に載っているのでしょうか。 子供向けのやさしい詩だと思っていましたが、今回読み直してみて、少し感想がかわりました。 まあ、それはともかくとして、中村稔はこう続けています。 まず短い第一節は次のとおりである。みみをすますきのうのあまだれにみみをすます いかに耳を澄ましても、私たちは、昨日の雨だれの音を聞くことはできない。読者は不可能なことを強いられる。次々に不可能な行為を読者の耳に強制する。みみをすますしんでゆくきょうりゅうのうめきにみみをすますかみなりにうたれもえあがるきのさけびになりやまぬしおざいにおともなくふりつもるプランクトンにみみをすますなにがだれをよんでいるのかじぶんのうぶごえにみみをすます 恐竜の呻きを聞くことができるはずはもないし、燃える木の叫び、プランクトンの音、まして自分の産声を聞くことができるはずもない。「みみをすます」は全編、こうした、いかに耳を澄ましても聞くことができるはずもない音、声などに耳を澄ますのだ、という。作者は読者が空想の世界、想像の世界に遊ぶように誘っているのである。読者が空想、想像の世界に遊ぶ愉しさを知るように、この詩を読者に提示しているのである。たとえば、山林火災で樹木が燃え上がる時、燃える樹木が泣き叫んでいると思いやることは私たちにとって決して理解できないことではない。この感情を拡張し、深化し、豊かにする契機をこの詩は私たちに提示しているのである。 こうした試みによって、谷川俊太郎は現代詩に新しい世界をもたらしたのである。彼でなくてはできないことであった。(P269~P370) ただ、ただ、ナルホド! ですね。この詩が書かれた時代、つまり、1980年代の始めころから、当時、三十代だったボクたちの世代が、十代で出逢った戦後詩の世界に新しい風が吹き始めていたのですね。 この詩を学校の教科書で読んで大きくなった愉快な仲間たちも、もう、40代です。今でも教科書に載っているのか、いないのか、そこのところはわかりませんが、小学校や中学校の教員とかになろうとしている、若い人たちに、是非、手に取ってほしい、読んでほしい詩集! ですね。 せっかくなので、谷川俊太郎の詩集にもどって中村稔が引用しきれなかった「みみをすます」全文を写してみたいと思います。みみをすます 谷川俊太郎みみをすますきのうのあまだれにみみをすますみみをすますいつからつづいてきたともしれぬひとびとのあしおとにみみをすますめをつむりみみをすますハイヒールのこつこつながぐつのどたどたぽっくりのぽくぽくみみをすますほうばのからんころんあみあげのざっくざっくぞうりのぺたぺたみみをすますわらぐつのさくさくきぐつのことことモカシンのすたすたわらじのてくてくそうしてはだしのひたひた・・・・・にまじるへびのするするこのはのかさこそきえかかるひのくすぶりくらやみのおくのみみなりみみをすますしんでゆくきょうりゅうのうめきにみみをすますかみなりにうたれもえあがるきのさけびになりやまぬしおざいにおともなくふりつもるプランクトンにみみをすますなにがだれをよんでいるのかじぶんのうぶごえにみみをすますそのよるのみずおととびらのきしみささやきとわらいにみみをすますこだまするおかあさんのこもりうたにおとうさんのしんぞうのおとにみみをすますおじいさんのとおいせきおばあさんのはたのひびきたけやぶをわたるかぜとそのかぜにのるああめんとなんまいだしょうがっこうのあしぶみおるがんうみをわたってきたみしらぬくにのふるいうたにみみをすますくさをかるおとてつをうつおときをけずるおとふえをふくおとにくのにえるおとさけをつぐおととをたたくおとひとりごとうったえるこえおしえるこえめいれいするこえこばむこえあざけるこえねこなでごえときのこえそしておし・・・・・・みみをすますうまのいななきとゆみのつるおとやりがよろいをつらぬくおとみみもとにうなるたまおとひきずられるくさりふりおろされるむちののしりとのろいくびつりだいきのこぐもつきることのないあらそいのかんだかいものおとにまじるたかいびきとやがてすずめのさえずりかわらぬあさのしずけさにみみをすます(ひとつのおとにひとつのこえにみみをすますことがもうひとつのおとにもうひとつのこえにみみをふさぐことにならないように)みみをすますじゅうねんまえのむすめのすすりなきにみみをすますみみをすますひやくねんまえのひゃくしょうのしゃっくりにみみをすますみみをすますせんねんまえのいざりのいのりにみみをすますみみをすますいちまんねんまえのあかんぼのあくびにみみをすますみみをすますじゅうまんねんまえのこじかのなきごえにひゃくまんねんまえのしだのそよぎにせんまんねんまえのなだれにいちおくねんまえのほしのささやきにいっちょうねんまえのうちゅうのとどろきにみみをすますみみをすますみちばたのいしころにみみをすますかすかにうなるコンピュータにみみをすますくちごもるとなりのひとにみみをすますどこかでギターのつまびきどこかでさらがわれるどこかであいうえおざわめきのそこのいまにみみをすますみみをすますきょうへとながれこむあしたのまだきこえないおがわのせせらぎにみみをすます 中村稔が言うとおり、結構、長い詩です。あのころと違った感想と上で書きましたが、今回読み直して、たとえばしょうがっこうのあしぶみおるがんうみをわたってきたみしらぬくにのふるいうたにみみをすます というあたりに、今の、ボクのこころは強く動くのですが、あのころには、その感じはあまりなかったわけで、この詩が「ひらがな」で書かれていることの意味というか、効果というか、が、子供に向けてということではなくて、ボクのような年齢になった人間の、まあ、年齢は関係ないのかもしれませんが、ある種の「記憶」は「ひらがな」である! ということこそ、この詩の眼目だったんじゃないかという驚きですね。 詩人は「ひらがな」という方法の意味についてわかってこう書いているにちがいないのでしょうね。実感としてとしか言えませんが、「小学校の足踏みオルガン」ではなくて、「しょうがっこうのあしぶみおるがん」という表記が、老人の思い出を、記憶の底の方から揺さぶるのです。大したものですね(笑)。追記2024・11・20 2024年の11月13日に谷川俊太郎さんが亡くなったそうです。老衰だそうです。この詩人は宇宙人だから死なない! そう思っていました。まあ、ボクなんかには想像できない、どこか遠くへ行かれたんでしょうね。お声はみみをすませば、いつまでも聞こえてくるのかもしれませんね。 著者の中村稔さんは、谷川俊太郎さんより年長で、今年、97歳だったかだと思います。いつまでもこっちにいて書きつづけてほしいと思います。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.15
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谷川俊太郎・下田昌克「ハダカだから」(スイッチ・パブリッシング) 今日の案内は図書館の新刊の棚で見つけた「ハダカだから」という詩集(?)です。スイッチ・パブリッシングという出版社から2023年の4月15日に出版されたようです。ちなみに2200円です。高いのか安いのか、まあ、人によりますが、ボクは、こんなもんだと思います。 下田昌克という人が挿絵(?)を描いていて、谷川俊太郎が詩(?)を書いています。やたら?マークを付けていますが、「詩」の定義がわからないのでとりあえず詩集と詩に?マーク、中に描かれている絵ですが、絵が先なのか詩(?)が先なのかわからないので、挿絵といっていいのか、ふと、気になって?マークです。大した意味はありませんが、読んでいて絵が先だったんじゃないかという気がしました。 ちょっとこのページをご覧ください。 ごらんいただいている見開きの左下に「おしり」に見える線画があります。で、この見開きのページの詩句はこんな感じです。絵が先だったんじゃないかということを、ボクなりに確信したページです。根拠はうまく言えません(笑)。18横に一本線を引けばもう水平線だ絵描きは一瞬で空と海とを創造するあてとは線を自由に遊ばせるだけすると見えてくる足尻腿膝指乳首見える生身に隠れているのは見えないtenderness いかがですか。確かに、谷川俊太郎ですね。どうしてそう言えるのかは、うまく言えませんが谷川俊太郎です。下田昌克の絵もいいでしょ。絵を見ながら詩人が詩を書いているようすを、ボクは思い浮かべました。詩人はやさしく笑っています。まあ、そんな感じです。 実は、他のページには女性の「ハダカ」の絵たくさん乗せられています。ナンバーの18は、たぶん、掲載されている詩のナンバーで、全部で20まであります。 谷川俊太郎の、これはひょっとしてデス・マスクじゃないかと思わせる絵もありますが、詩人はまだなくなったりしていません。一番最後ページはこんな感じです。 ちょっと見えにくいですが、雁が列をなして飛んでいくような絵ですが、雁の旅ではありません。「生と死とは背中合わせ」と無言で言っている。 それが、この詩集の最後の一文です。このページの絵が本の表紙に立体的に印刷されています。写真には写りませんが、手触りではかすかなくぼみを感じることができます。女性の背中の手触りです。とうとう、詩集が女性の体になりました(笑)。谷川俊太郎、91歳だそうです。お元気そうで何よりです。 なにをいっているのかといぶかしむひとは、詩集を手に取って絵と詩をご覧くださいね。ちょっと笑えると思います。
2023.05.24
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谷川俊太郎・文 白根美代子・絵「あいうえおつとせい」(さ・え・ら書房) 「ことばあそびえほん」という「さ・え・ら書房」という本屋さんが出していたシリーズの1冊です。最初のページに、この絵本の文を書いた谷川俊太郎が「あいうえお讃」という文章で解説しています。そこから少し引用します。 あいうえおの文字をおぼえることは、もちろんたいせつですが、文字より先に、あいうえおの音の豊かさを、身につけることも負けずおとらずたいせつだと思うんです。ただ棒よみするんじゃなく、、その一行一行の、一音一音の表情を味わってほしい。そのためには、あいうえおを、言ってみればおもちゃとして、親子で遊んでみるのもおもしろいんじゃないかな。 というわけで、ことばあそびです。ゆかいな仲間のユナチャン姫とか、ひらがなが読めるようになったばかりですが、大きな声で読めそうですね。ラ行は「ら、り、る、れ、ろ!」とかわかってくると楽しそうです。らいおんはりすのるすにれこーどをろくおんなかがいいうなぎと もぐらこかげで ごもくならべ 二つめは少しむずかしいかもしれません。「がぎぐげご」とか「ぱぴぷぺぽ」とかいえるようになると、どんどんたのしくなるにちがいありません。 先程の「あいうえお讃」の中で解説しています。 各行の初めの文字、最終文字、または他の特定の文字を並べると、人名やある語や句になるこういう遊戯詩を、英語ではアクロスティックと呼ぶんですって。この本では、ひとつひとつの詩に、五十音の各行がかくれています。さがしてみてください。 アクロスティックというのは、英語の詩では「不思議の国のアリス」とかに出てくるのが有名だったと思いますが日本にもありますね。和歌に折句(おりく)とか沓冠(くつかぶり)とかいう技法がありますが、同じ遊びですね。唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ 「カキツバタ」が詠みこまれていますが、「伊勢物語」の東下りにある有名な一首です。高校時代に出会われたはずの和歌です。 沓冠(くつかぶり)というのは頭もお尻もという遊びです。夜も涼し 寝ざめのかりほ 手枕(たまくら)も 真袖(まそで)も秋に 隔てなき風(兼好法師)夜も憂し ねたく我が夫(せこ) はては来ず なほざりにだに しばし訪ひませ(頓阿法師) 兼好法師の歌を、前から拾えば「よねたまへ」(お米下さい)、後ろからも「ぜにもほし」(銭もほしい)と無心しています。 それに対して、返事をした頓阿法師が「よねはなし」(お米ありません)、「ぜにすこし」(銭なら少し)と答えているわけです。歌の筋もちゃんと通っているところがすごいですね。この場合は生活がかかっているようで、遊びといっていいのかわかりませんが、一般的に言えば、江戸時代に至るまで、和歌に関わる「ことばあそび」はいたるところい出てきますね。谷川俊太郎は、そういう文化の詩的な継承者だと思います。 お家で、おチビさんやお母さんの名前とかでアクロスティックとか折句とかで「ことばあそび」を遊ぶのもありそうですね。なかなか文化的なあそびですよ(笑)
2022.05.26
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週刊 読書案内 茨木のり子「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書) ここのところ茨木のり子の詩を懐かしく読んでいて、この人の本で最初に読んだのがこの本だったことを思い出しました。 岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」です。 今、手にしている本の奥付を見ると、初版が1979年で、1980年の11月に第7刷となっています。おそらくチッチキ夫人の棚にあった本です。「茨木のり子」や「谷川俊太郎」を、ぼく自身が、自分で購入した覚えがほとんどありません。みんな、同居人の本棚のお世話になって読みました。 この本も例にもれませんが、仕事柄もあるのでしょうね、かなりお世話になった記憶があります。まあ、いまさらのような本なのですが、読み返してみながら、どなたかが新しく手にとられても、やはり、面白さは生きているし、若いひとが「詩」について考えるための、率直な手立てとなるなにかを備えている本だと思いました。 あらためて私の好きな詩を、ためつすがめつ眺めてみよう、なぜ好きか、なぜ良いか、なぜ私のたからものなのか、それをできるかぎり検証してみよう、大事なコレクションのよってきたるところを、情熱をこめてるる語ろう、そしてそれが若い人たちにとって、詩の魅力にふれるきっかけにもなってくれれば、という願いで書かれています。(中略) 自然に浮かびあがってきたものを、どう並べようかと思ったら、偶然に「誕生から死」までになってしまったもので最初からのプランではありません。(「はじめに」) 「生まれて」、「恋唄」、「生きるじたばた」、「峠」、「別れ」の5章立てで構成されていますが、それが茨木のり子さんの人生の「時間」のめぐり方です。 約50編の詩について、それぞれの作品がそれぞれの「時間」の中でうまれた「ことば」として読み解かれていて、彼女の率直でストレートな読み方が「若い人たち」に向けて、飾ることなく、すっと差し出されている1冊です。「生まれて」と題された第1章の始まり、本書の巻頭に据えられている詩はこの詩でした。 かなしみ 谷川俊太郎あの青い空の波の音が聞こえるあたりに何かとんでもないおとし物を僕はしてきてしまったらしい透明な過去の駅で遺失物係の前に立つたら僕は余計に悲しくなってしまった つづけて引用されるのが石川啄木のこの歌です。不来方のお城のあとの草に臥て空に吸われし十五のこころ(「一握の砂」) で、こんな解説が挟まれています。 ほんとうは色なんかついていない茫々とした宇宙の空間、それなのに真青にみえる果てしない空というもの ― 寝ころびながら見ていると、自分が母親のおなかのなかから生まれてきたというより「あの青い空の波の音が聞えるあたり」を通って、やってきたんだ!この地球の上に。そんな実感が強く来たらしい。 お気づきかと思いますが、「そんな実感が強く来たらしい」と解説されているのは「かなしみ」を10代で書いた谷川俊太郎です。 谷川俊太郎という詩人にとっての「青空」の意味と、詩を書いたり読んだする十代の少年や少女の「こころ」が、啄木の短歌の引用で繋げられて、最後にこんな引用です。空の青さをみつめていると私に帰るところがあるような気がする(「六十二のソネット」所収「空の青さ」部分) こんな感じで、15歳くらいの読者は一気に詩の世界に引き込まれていくはずなのですがどうなのでしょうね。ジュニア新書ということもあって、高校生にもよくすすめましたが、今読みなおしても、まあ、うまいものだと思います。 ついでなので、今回読み直して懐かしかった詩を引用しますね。一つ目は「恋唄」の章に出てきた黒田三郎の詩です。 賭け 黒田三郎 五百万円の持参金付きの女房を貰ったとて 貧乏人の僕がどうなるものか ピアノを買ってお酒を飲んで カーテンの陰で接吻して それだけのことではないか 新しいシルクハットのようにそいつを手に持って 持てあます それだけのことではないか ああ そのとき この世がしんとしずかになったのだった その白いビルディングの二階で 僕は見たのである 馬鹿さ加減が 丁度僕と同じ位で 貧乏でお天気屋で 強情で 胸のボタンにはヤコブセンのバラ ふたつの眼には不信心な悲しみ ブドウの種を吐き出すように 毒舌を吐き散らす 唇の両側に深いえくぼ 僕は見たのである ひとりの少女を 一世一代の勝負をするために 僕はそこで何を賭ければよかったのか ポケットをひっくりかえし 持参金付きの縁談や 詩人の月桂冠や未払の勘定書 ちぎれたボタン ありとあらゆるものを つまみ出して さて 財布をさかさにふったって 賭けるものがなにもないのである 僕は 僕の破滅を賭けた 僕の破滅を この世がしんとしずまりかえっているなかで 僕は初心な賭博者のように 閉じていた眼をひらいたのである (詩集『ひとりの女に』) いや、ほんと、懐かしいですね。久しぶりに黒田三郎を読みました。彼の詩は男の子と女の子、どっちに受けたのでしょうね。で、もう一つが「峠」の章に引用されていた河上肇です。 旧い友人が新たに大臣になつたといふ知らせを読みながら私は牢の中で便器に腰かけて麦飯を食ふ。別にひとを羨むでもなくまた自分をかなしむでもなしに。勿論こゝからは一日も早く出たいが、しかし私の生涯は外にゐる旧友の誰のとも取り替へたいとは思はない。 この詩を読んで、今の若い人が「河上肇って?」と思って、彼の本に手を出したりすることは、もう二度とないのでしょうか。 実は、彼の文章の大半はネットの図書館、青空文庫で読めるのです。問題は「河上肇」という名前を思い出すかどうか、興味を持つかどうかですね。 まあ、「こんな本ありますが、いかがですか」と言って差し出すことぐらいはできるかなというのが、今回の案内の目的でもあるわけで、のんびり続けていこうと思っています。 それでは、また覗いてくださいね。バイバイ。
2021.11.03
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週刊 読書案内 谷川俊太郎 選「茨木のり子詩集」(岩波文庫)その2 さて、谷川俊太郎が選んだ「茨木のり子詩集」(岩波文庫)の案内(その2)の登場人物は、詩人の小池昌代です。 ぼくがこの詩集を久しぶりに手に取った理由は、小池昌代さんが解説を書いていらっしゃるということを思い出したからです。 で、やっぱり、こここでは詩集の巻末に収められた「水音たかく ― 解説に代えて」をちょっと紹介するのがいいでしょうね。 小池昌代さんの、茨木のり子の詩の解説はこんなふうにはじめられています。 茨木のり子の詩を読むのに、構えはいらない。そこに差し出された作品を、素手て受け取り、素直に読んでみるに限る。意味不明な部分はない。とても清明な日本語で書かれている。ときには明快すぎ、謎がなさすぎると、不満を覚える人もいるかもしれない。けれど、この詩人の詩が威力を発揮するのは、おそらく、読み終えたのち、しばらくたってから。言葉が途絶えたところから、この詩人の「詩」は、新たにはじまる。遅れて広がる感慨があり、それは読後すぐのこともあれば、何十年か先に届く場合もあるだろう。(P361) で、彼女の茨木のり子体験、出会いはこんなふうに書かれています。 私が最初に出会ったのは、「汲む ― Y・Yに ―」という詩だ。読んで泣いた。本書には収録されていないので、数行を拾って紹介してみたい。詩は次のようにはじまる。 大人になるとというのは すれっからしになることだと 思い込んでいた少女の頃 立居振舞の美しい 発音の正確な 素敵な女のひとと会いました その素敵なひとは、初々しさが大切なの、と言い、人の「堕落」について語る。そこから「私」が拾ったのは次のようなことだ。 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな ぎこちない挨拶 醜く赤くなる 失語症 なめらかでないしぐさ 子供の悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性 わたしは自分のことが書かれていると思った。赤面恐怖であがり症、思春期はとうにすぎていたにもかかわらず、自意識過剰でがっちがち。私にとって、若さというのは地獄だった。 しかし詩の要は、もう少し先にある。次の三行を、密かに心に刻んだ人は案外多いのではないだろうか。 あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナがかくされている きっと・・・・ 今、十分に大人になってみると、弱さに安住するのは恥ずかしいと思うし、「堕落」せずに生きていくことなんて出来るのかとも思う。でもその上で、この三行には真実があるとわたしは思う。わたし自身が成熟していくのに、力を貸してくれたと思う言葉である。(P362~P364) 教室で、十代の後半に差し掛かった少年や少女たちに、人が「文学」、たとえば「詩」と出会うということが、どんな体験なのか伝えたいと思い続けて30数年暮らしました。今、この文章を読み返しながら、こんなふうに語ることの難しさが、やはり浮かんできます。 この後は解説です。せっかくですから、その1で案内した詩集「歳月」についての解説から引用します。 引用部分は茨木のり子が49歳のとき、25年間連れ添った「夫」を肝臓がんで失った経緯、加えて、その後書きためられていた作品が「一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさい」 と生前には公表されなかった事情が記され、それらの詩編がYと書かれたクラフトボックスの中に清書されて入っていたことが茨木のり子の死後に発見されたことに触れた後、この詩集に収められている「月の光」という詩を引いて語っているところです。 ある夏の ひなびた温泉で 湯上りのうたたねのあなたに 皓皓の満月 冴えわたり ものみな水底のような静けさ 月の光を浴びて眠ってはいけない 不吉である どこの言い伝えだったろうか なにで読んだのだったろうか ふいに頭をよぎったけれど ずらすこともせず 戸をしめることも 顔を覆うこともしなかった ただ ゆっくりと眠らせてあげたくて あれがいけなかったのかしら いまも 目に浮かぶ 蒼白の光を浴びて 眠っていた あなたの鼻梁 頬 浴衣 素足 月の光に照らされて眠っている「夫」は、すでにもう、死んでしまっているように、しんとしている。うたたねからやがて目覚めるとわかっていても、読者のほうには、「死」に触ったという感触がしめやかに渡される。詩の言葉が、すべて消えてしまったあとに残るのは、月の光を浴び横たわっている、一人の男の姿である。月光という詩の神に、彼は捧げられた生贄のようだ。茨木は詩の中で自責の念にかられている。(P372~374) 谷川俊太郎が「成就」という言葉で評した、茨木のり子がたどり着いた文学的な境地を、小池昌代は「自責」という言葉で表そうとしているのではないかというのが、ぼくの感想です。もちろん「文学」に対する「自責」ですね。 小池さんはスクラップブックに残されていた「詩」と題された作品を引いて、解説を終えています。詩人の仕事は溶けてしまうのだ民族の血のなかにこれを発見したのはだれ?などと問われもせず人々の感受性そのものとなって息づき流れてゆく 私の耳には聞こえてくる。茨木のり子の詩の言葉が、ときにはさびしい笛の音で、ときにはひときは清い水音をたてて、私たちの血のなかに、ひっそりと流れていくのが。(P384) 実は、小池さんの解説は丁寧でとても面白いのですが、そこをお伝えすることがうまくできていません。まあ、しかし、一度手に取ってお読みいただくのがよいかということで「案内」を終わります。
2021.10.05
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週刊 読書案内 谷川俊太郎(選)「茨木のり子詩集」(岩波文庫)その1 茨木のり子さんです。「現代詩の長女」なのだそうです。2014年ですから、もう7年も昔に出た岩波文庫の腰巻にそう書いてあって、「なんだかなあ」 という気分になりました。 ね、ご覧の通り、やたら聡明そうな写真とセットになっています。 現代詩人とか、女流詩人とかいうのは、こういう兄弟姉妹なのですよというか、新たなる誤解を招くための陰謀ですね、これは。 というのは、もちろん、冗談です。 「谷川俊太郎が選んだ茨木のり子」 ということと、詩人(?)の小池昌代の解説が気にかかって手に取りました。 まず、文庫版の冒頭に谷川俊太郎が「初々しさ」と題して書いている「まえがき(?)」のなかで、 茨木さんの詩業は、亡くなった後に公表された「歳月」によって成就したと私は考えています。 と書いている「歳月」から「駅」という詩を引用紹介します。 駅 朝な朝な渋谷駅を通って田町行きのバスに乗る北里研究所附属病院それがあなたの仕事場だったほぼ 六千五百日ほど日に二度づつほぼ 一万三千回ほど渋谷駅の通路を踏みしめて多くのひとに踏みしめられて踏みしめられてどの階段もどの通路もほんの少し たわんでいるようでこのなかにあなたの足跡もあるのだ目に見えないその足跡を感じながらなつかしみながらこの駅をを通るとき峯々のはざまから滲み出てくる霧のようにわが胸の肋骨(あばら)のあたりから吐息のように湧いて出る哀しみの雲烟(うんえん) 詩のなかの「あなた」は誰なのか。毎日、渋谷駅の通路を歩き、バスに乗って北里病院へ通った方です。詩人が「あなた」と呼びかける人はもうこの世にはいないようです。詩集「歳月」は「あなた」を亡くした詩人が「あなた」に対して呼びかけた詩を集めた詩集のようです。 本書にも十数編の詩が所収されています。谷川俊太郎の「成就」という言葉の意味をぼんやり考えながら読みましたが、この詩がこころにのこりました。 茨木のり子の出発から成就までが一冊に集められた詩集です。「歳月」から採られた詩にかぎらず、それぞれの人が「ああ、茨木のり子だ」 と感じられるだろうなと思う、胸をうつ詩もたくさんあります。通勤や通学のカバンの隅に入れていて、電車とかで座れたときに、ちょっと取り出すのにちょうどいいサイズです。 そんなふうにこの詩集を読む若いひとを想像すると、ちょっと嬉しくなる詩集です。ときどきお試しください(笑)。追記2021・10・02 本書の「初々しさ」のなかで谷川俊太郎が「倚りかからず」より、こっちが好きだといっている「青梅街道」という詩を追記しておきます。 青梅街道内藤新宿より青梅まで直として通ずるならむ青梅街道馬糞のかわりに排気ガスひきもきらずに連なれり刻を争い血走りしてハンドルを握る者たちはけさつかた がばと跳起き顔洗いたるやぐずぐずすると絆創膏はがすごとくに床離れたる くるみ洋半紙 東洋合板 北の誉 丸井クレジット 竹春生コン あけぼのパン街道の一点にバス待つと佇めばあまたの中小企業名にわかに新鮮に眼底を擦過必死の紋どころはたしていくとせののちにまで保ちうるやを危ぶみつさつきついたち鯉のぼりあっけらかんと風を呑み欅の新芽は 梢に泡だち清涼の抹茶 天にて喫するは誰ぞかつて幕末に生きし者 誰一人として現存せずたったいま産声をあげたる者も八十年ののちに引潮のごとくに連れ去られむさればこそ今を生きて脈うつ者不意にいとおし 声たてて 鉄砲寿司 柿沼商事 アロベビー 佐々木ガラス 宇田川木材 一声舎 ファーマシイグループ定期便 月島発条 えとせとら なるほど、いいな。なるほど、なるほど。
2021.10.03
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茨木のり子「倚りかからず」(ちくま文庫) 先日「案内」した谷川俊太郎の「夜のミッキー・マウス」があった棚の横に並んでいた詩集です。 茨木のり子「倚りかからず」(ちくまぶんこ) 谷川俊太郎は、茨木のり子と川崎洋が1953年に始めた「櫂」という詩の同人誌のグループの一人です。このグループには吉野弘や大岡信、岸田衿子という、今となっては名だたる詩人が集いましたが、最初は茨木のり子と川崎洋のお二人で、その次が谷川俊太郎のようです。 どなたも、高校とかの教科書でおなじみです。高校では出会わない川崎洋は小学校から、すでに、おなじみです。「とる」 かわさきひろしはっけよい すもうとるこんにちは ぼうしとるてんどんの でまえとるせーたーの ごみをとる(以下略) 岸田衿子は、絵本ですが「ジオジオの冠」のひとです。まあ、女優の岸田今日子さんのおねえさんで、谷川俊太郎と田村隆一の「奥さん(?)」だったことのある人というのもあります。 大岡信は言う必要はないでしょうが「折々のうた」(岩波新書)ですね。吉野弘は散文詩「I was born」の人ですね。 茨木のり子の詩に「わたしが一番きれいだったとき」というのがありますが、これも教科書に出てきますが、まあ、とても有名なのは間違いありません。わたしが一番きれいだったとき街々はがらがらと崩れていってとんでもないところから青空なんかが見えたりした(中略)わたしが一番きれいだったときわたしの国は戦争で負けたそんな馬鹿なことってあるものかブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた(以下略)(「わたしが一番きれいだったとき」) もう、ずっと以前のことですが、この詩を初めて読んだ時に気づきました。「櫂」の詩人に限らず、20代で読んだ人たちって「親」の世代の人なのです。茨木のり子も、ぼくの母親と、ほぼ、同世代の人です。 ぼくは山陽本線の土山駅を電車で通るたびに母親を思い出します。田舎の女学校の生徒だった彼女は「学徒動員」で土山に来ていて、休日には、なんと新開地の「聚楽館」で映画を観たりしたそうです。 その時一番怖かった思い出は、1945年3月の神戸の空襲だったそうで、土山の宿舎で友達と抱き合って、東の空が真っ赤に焼け染まるのを見ていたそうです。 茨木のり子の詩とかに、そういう世代を感じながら読むことにどんな意味があるのかわかりませんが、そのことに気づいて以来、「自分の感受性ぐらい」とか「倚りかからず」とかに、その世代の女性の「意地」のようなものを感じてきました。 「一番きれいだったとき」の「空襲」や兄たちの「出征」・「戦死」、呆然とした「敗戦」の経験なくして、この「意地」は生まれなかったのではないでしょうか。 この詩集は2006年に亡くなった、彼女のラストメッセージだそうです。有名なのは「倚りかからず」ですが、今日はこれです。「意地」を張り通した、昭和の女の笑う力です。 笑う能力 茨木のり子「先生 お元気ですか我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」他家の姉が色づいたとて知ったことか手紙を受けとった教授は柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか「次の会にはぜひお越し下さい枯木も山の賑わいですから」おっとっと それは老人の謙遜語で若者が年上のひとを誘う言葉ではない着飾った夫人たちの集うレストランの一角ウエーターがうやうやしくデザートの説明「洋梨のパパロワでございます」「なに 洋梨のパパア?」若い娘がだるそうに喋っていたあたしねぇ ポエムをひとつ作って彼に贈ったの 虫っていう題「あたし 蚤かダニになりたいのそうすれば二十四時間あなたにくっついていられる」はちゃめちゃな幅の広さよ ポエムとは言葉の脱臼 骨折 捻挫のさまいとをかしくて深夜 ひとり声たてて笑えばわれながら鬼気迫るものありひやりともするのだが そんな時もう一人の私が耳もとで囁く「よろしいお前にはまだ笑う能力が残っている乏しい能力のひとつとしていまわのきわまで保つように」はィ 出来ますれば山笑うという日本語もいい春の微笑を通りすぎ山よ 新緑どよもして大いに笑え!気がつけば いつのまにか我が膝までが笑うようになっていた ちょっとエラそうで、申し訳ないのですが、そんなにお上手(?)な詩だとは思いません。でも、ふと笑えて、いいなあと思いました。80歳になろうかというばあさんが、結構、ガンバって意地張っておられるような気がします。追記2021・09・08 話題に出した「倚りかからず」は茨木のり子73歳のときの詩です。彼女は50歳になるかならないかの頃夫を失い、その後、独りぼっちになったことに向かい合う生活を詩のことばに昇華したおもむきのある人だと思いますが、たどり着いた境地がこの詩なのではないでしょうか。 発表当時、朝日新聞の天声人語に紹介されたそうで、多くの方が、よくご存じの詩ですが、引用しておきたいと思います。 もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりたくない もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ(「倚りかからず」ちくま文庫 所収)
2021.09.08
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谷川俊太郎「夜のミッキー・マウス」(新潮文庫) 百三歳になったアトム 谷川俊太郎人里離れた湖の岸辺でアトムは夕日を見ている百三歳になったが顔は生れたときのままだ鴉の群れがねぐらへ帰って行くもう何度自分に問いかけたことだろうぼくには魂ってものがあるんだろうか人並み以上の知性があるとしても寅さんにだって負けないくらいの情があるとしてもいつだったかピーターパンに会ったとき言われたきみおちんちんないんだって?それって魂みたいなもの?と問い返したらピーターは大笑いしたっけどこからかあの懐かしい主題歌が響いてくる夕日ってきれいだなあとアトムは思うだが気持ちはそれ以上どこへも行かないちょっとしたプログラムのバグなんだ多分そう考えてアトムは両足のロケットを噴射して夕日のかなたへと飛び立って行く「夜のミッキー・マウス」(新潮文庫) 友達との間で、矢作俊彦の「ららら科学の子」(文春文庫)の話が出て、丁度その頃、尾崎真理子が谷川俊太郎にインタビューした『詩人なんて呼ばれて』(新潮社)を読んでいたものだから、この詩集を引っ張り出してきました。 平成18年(2006年)の7月に発行されたと奥付にありますが、単行本の詩集は平成15年(2003年)、9月の発行です。 表題作は「夜のミッキー・マウス」ですが、今回は、まあ、話題に沿ってということで「百三歳になったアトム」を引用しました。 谷川俊太郎といえば「スヌーピー」の全訳の人なのですが、「アトム」は主題歌の作詞者ですね。空を越えて ラララ 星のかなたゆくぞ アトム ジェットの限り 60代より御年の方は必ず歌える(?)歌じゃないでしょうか。 で、「百三歳になったアトム」のことなんですが、アトムの生まれたのは1951年「アトム大使」だとすると、103歳というのは2054年くらいですね。そのことが、今日一日、なんだか不思議でした。 この詩のなかの「アトム」は、ぼくなんかもいなくなった世界のアトムなんですね。多分、アトムに自分を重ねてこの詩を読むのは、やはり1960年代に小学生だった人じゃないかと思うのです。この詩はそういう詩だと思うのですが。うまくいえませんね。 まあ、今、もしも高校生と一緒にこの詩を読むとして、どういったらいいのかわからないなあという感じですね。 文庫本の解説のなかでしりあがり寿さんがこんなことをおっしゃっています 電車の中、ぼくの手の作品集にはしっこを折ったページが増えてゆく。 はしっこを折った詩は誰かに読ませたい詩だ。妻によませたい詩。娘に読ませたい詩。あてはないけど誰かに読ませたい詩。詩があったらからと言って橋や道路のようになにかが便利になるわけじゃ。どっかの占い師のように悩める心に答えをくれるわけじゃない。コレステロールや血糖値を下げて長生きできるわけでもない。でもそれがあるだけで確実に何かが変わる。 妻は「ママ」という詩を読んで苦笑して「私はちがう。」というだろう。 小学生の娘は「よげん」という詩を読んで、世界のちょっとヤバイところを感じてとまどうだろう。 「ああ」を読まされた女性スタッフは、なんのつもりでこれを読まされかいぶかしく思うだろう。(谷川俊太郎の詩になりたい P109) キリがないのでこれくらいでやめますが、「ああ」とかどんな詩なのか、きっと気になる方もいると思いますので、ちょっとここで引用して話を終えたいと思います。 ああ 谷川俊太郎あああああああああ声が出ちゃう私じゃないでも声が出ちゃうどこから出てくるのかわからない私からだじゅう笛みたいになってるあつうぬぼれないであんたじゃないよ声出させてるのはあんたは私の道具よわるいけどこんなことやめたいあんたとビール飲んでるほうがいいバカ話してるほうがいいでもいいこれいいボランティアはいいことだよねだから私たち学校休んでこんな所まで来てるんだよねでもこのほうがずっといいどうして苦しいよ私嬉しいけどつらいよあ何がいいんだなんてきかないで意味なんてないよあんたに言ってるんじゃない返事なんかしないで声はからっぽだよこの星空みたいにもういやだああねえあれつけて未来なんて考えられない考えたくない私ひとりっきりなんだもの今泣くなっていわれても泣いちゃうあああああいい「夜のミッキー・マウス」(新潮文庫) さすが、谷川俊太郎、やるもんですね。もちろんこの詩を「女性スタッフ」にすすめたり授業で取り上げる「勇気」はぼくにはありません。でも、悪くないと思うのですがいかがでしょう。(笑)
2021.09.07
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谷川俊太郎・尾崎真理子「詩人なんて呼ばれて」(新潮社) 地下鉄を降りたら新宿方面へ少し戻って右に折れ、なだらかに住宅地を下っていく。谷川俊太郎はここ、東京都杉並区成田東の住宅地の一角に、生まれたときから暮らしている。(中略)「やあ、いらっしゃい」玄関で呼び鈴を押すと、たいてい本人がドアを開け、迎え入れる。(中略) 詩人、谷川俊太郎は、あらためて紹介するまでもなく日本でもっとも有名な、ただ一人の職業詩人である。しかし人はその名から、どんな作品を連想するだろう。火星人が〈ネリリし キルルし ハララしている〉、デビュー作の「二十億光年の孤独」だろうか。子どものころに覚えてしまった〈かっぱかっぱらった〉が反射的に出てくるのか。元妻の作家、佐野洋子に捧げた愛の詩集『女に』を女性たちが思い出すのもうなずける。東日本大震災後、被災地の人々の間に次々とインターネットを通じて広がり、一人ひとりの気持ちを支えたのは「生きる」という、四十年以上も前に生まれた一編の詩だった。(以下略)(「はじめに」) こんな書き出しで本書は始められていますが、長年、読売新聞の文化欄の担当記者だった尾崎真理子による、詩人、谷川俊太郎に対するインタビューです。 ただ、並みのインタビューとは違います。本書は、計5回にわたって、詩人の出発から現在まで、かなり熱のこもった質問と、それに対する、率直で本質を突く答えで出来上がっていますが、それぞれのインタービューに合わせて尾崎真理子の、気合の入った解説がつけられており、その上、話題として取り上げられた「詩」は、本書中央に20篇収められているものに加えて、途中の引用を合わせれは100篇を超えるのではないかと思います。 読み進めていけば谷川俊太郎の代表作を、20代から、80代に至った現在まで、読み直すことが出来るという作りになっていて、まあ、それだけでも読んで損はないと思います。 しかし、やはり、インタビューですから、どんな質問に、詩人がどんな答えをしているのかということですが、父、谷川徹三との家族生活に始まって、詩人仲間との交友などはもちろんですが、「詩」や「ことば」を巡っての内容も、当然読みごたえがあるのですが、まあ、ぼくが一番興味深く読んだのは「女性関係」についてでした(笑)。尾崎 谷川さんにとって、やっぱり佐野洋子さんは特別な、別格の女性ですか?谷川 ええ。ぼくにとっては、全然、特別。でも、いろんな意味があるから。佐野さんはプライベートな批評家として別格で、彼女のお陰で女性にも人間にも理解を深めることが出来たという意味で特別だし、衿子さんは最初の女性だから、やはり別格なんです。大久保玲子さんは二人の子どもを生んでくれて、一番長い時間、一緒にいたという意味で別格だし…。誰が一番とか、言えませんね。それぞれ別の関係で、今は言葉で言い難いな。 ぼくは怨んだりする気持ちは全然なくて、感謝の気持ちしか残っていない。そう言うとまた佐野さん、怒るんだろうけど。でも、僕は少なくとも詩を書くより何よりも異性とのつきあいが大事。それだけは彼女もよく知っていたでしょう。よく言われてたもの、「あんたは女が一人いれば、友達なんか一人も要らないんでしょう。」って。(第4章 佐野洋子の魔法) まあ、何とも言えませんが、すごいでしょ。80歳を過ぎているからとか、話に出てきた女性が三人とも、もう、この世にはいないとかいうことと関係なく凄いですね。 なんか言葉が出てこないので、ここで、ちょっと、詩を紹介しますね。 素足赤いスカートをからげて夏の夕方小さな流れを渡ったのを知っているそのときのひなたくさいあなたを見たかったと思う私の気持ちはとり返しのつかない悔いのようだ(「女に」1991) いずれにしても、この本は、まず、今までの生活のどこかで谷川俊太郎の詩に触れ、その時々、共感や違和感をお感じになりながら、いい年になってしまわれた方にすすめます。 谷川俊太郎の詩に出会ったことのある人は、彼の詩が生まれ、読まれてきた紆余曲折を、詩人が、かなり正直に語っていること、そして、語られている事実にまず驚かれると思います。で、その驚きと一緒に、自分がそれぞれの詩と出会った、あの頃の有為転変を思い浮かべ、今、目の前に「初々しく」、しかし、あいかわらず「泰然自若」としてある「詩」そのものに驚くという、どうも、この年になったからできるとしか思えないおもしろい興奮をお感じになるのではないでしょうか。 まあ、加えていうなら、「谷川俊太郎の詩って?」という感じを、お感じになっている方なら、お若い方でも、是非お読みいただきたいですね。ある意味、現代詩の歩みをたどっているところもあって、とても分かりやすい入門書でもあるのです。 偉そうに言いましたが、お読みになった方が、皆さん、必ずそうなるとは思わないのですが、ぼくなんかは、なんとなく、谷川俊太郎をはじめとする、現代詩の作品を一つ一つ読んでみようかな感じる本でした。皆様、是非どうぞ!
2021.08.27
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谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」(青土社) 1975年、ぼくは大学1年生だったか、2年生だったか?大学生協の書籍部の棚にこの詩集が並んでいたことを覚えています。 価格の900円が高かったですね。書籍部の書棚の前に立って、棚から抜き出して立ち読みしました。 芝生そして私はいつかどこかから来て不意にこの芝生の上に立っていたなすべきことはすべて私の細胞が記憶していただから私は人間の形をし幸せについて語りさえしたのだ 巻頭の、この詩を読んで、自分から、なんだか限りなく遠い人が立っているような気がしたのを覚えています。 それから45年たちました。先日、同居人の書棚にある詩集を見つけ出して、そのまま書棚の前に座り込んで初めて読む詩のように読み始めました。 2 武満徹に飲んでいるんだろうね今夜もどこかで氷がグラスにあたる音が聞こえるきみはよく喋り時にふっと黙り込むんだろぼくらの苦しみのわけはひとつなのにそれをまぎらわす方法は別々だなきみは女房をなぐるかい? 4 谷川知子にきみが怒るのも無理はないさぼくはいちばん醜いぼくを愛せと言ってるしかもしらふでにっちもさっちもいかないんだよぼくにもきっとエディプスみたいなカタルシスが必要なんだそのあとうまく生き残れさえすればねめくらにもならずに合唱隊は何て歌ってくれるだろうかきっとエディプスコンプレックスだなんて声をそろえてわめくんだろうなそれも一理あるさ解釈ってのはいつも一手おくれてるけどぼくがほんとに欲しいのは実は不合理きわまる神託のほうなんだ 谷川俊太郎も若かったんだなあ。というのがまず第一番目の感想ですね。「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」と題された詩篇は、全部で14あります。二つ目に「小田実に」とあるのが、なんだか不思議な感じがしましたが、どの詩も、印象は、少し陰気です。 14 金関寿夫にぼくは自分にとてもデリケートな手術しなきゃなんないって歌ったのはベリマンでしたっけ自殺したうろ覚えですが他の何もかもと同じようにさらけ出そうとするんですがさらけ出した瞬間に別物になってしまいますたいようにさらされた吸血鬼といったところ魂の中の言葉は空気にふれた言葉とは似ても似つかぬもののようですおぼえがありませんか絶句したときの身の充実できればのべつ絶句していたいでなければ単に啞然としているだけでもいい指にきれいな指環なんかはめて我を忘れて1972年五月某夜、半ば即興的に鉛筆書き、同六月二六日、パルコパロールにて音読。同八月、活字による記録お呼び大量頒布に同意。 気にとまった作品を書きあげてみましたが、あくまでも気にとまったということです。それぞれに、刺さって来る一行があるのですね。 四歳年下の同居人が、大学生になってすぐに購入していることに、今更ながらですが、驚いています。この詩人の作品を愛していた彼女に、ぼくとの生活について問い直すことは、やはり、今でも、少し怖ろしいですね。
2020.12.20
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谷川俊太郎(詩)パウル・クレー(絵)「クレーの絵本」(講談社)黄金の魚Der Goldfish 1925おおきなさかなはおおきなくちでちゅうくらいのさかなをたべちゅうくらいのさかなはちいさなさかなをたべちいさなさかなはもっとちいさなさかなをたべいのちはいのちをいけにえとしてひかりかがやくしあわせはふしあわせをやしないとしてはなひらくどんなよろこびのふかいうみもひとつぶつのなみだがとけていないということはない 谷川俊太郎が、パウル・クレーの絵を40枚選び、そのうち11枚の絵に、絵と同じ題の、おそらくクレーに対してであるのでしょう「愛」、「在るもの」、「線」というように詩を書き加えて出来上がった「詩画集」です。 最初に表紙の絵「黄金の魚」のページに書かれた詩「黄金の魚」を載せました。あと二つは、ぼくが気に入った詩と絵を選びました。選ばれた場所Auser wahlte Statte 1927そこへゆこうとしてことばにつまずきことばをおいこそうとしてたましいはあえぎけれどそのたましいのさきにかすかなともしびのようなものがみえるそこへゆこうとしてゆめはばくはつしてゆめをつらぬこうとしてくらやみはかがやきけれどそのくらやみのさきにまだおおきなあなのようなものがみえる死と炎Tod und Feuer1940かわりにしんでくれるひとがいないのでわたしはじぶんでしなねばならないだれのほねでもないわたしはわたしのほねになるかなしみかわのながれひとびとのおしゃべりあさつゆにぬれたくものすそのどれひとつとしてわたしはたずさえてゆくことができないせめてすきなうただけはきこえていてはくれぬだろうかわたしのほねのみみに シマクマ君の家には谷川俊太郎の「仕事」がたくさんあります。絵本や詩集ですね。「ゆかいな仲間」たちが小さかったころ、読んでほしいと思って買ったのかというと、そういうわけでもありません。同居人のチッチキ夫人が、昔から彼の詩が好きだったというのが理由です。 シマクマ君が彼の詩をまじめに読み始めたのは、どちらかというと最近のことです。読み始めてみると、昔読んだ詩もあれば、初めて見る絵本もあります。 この絵本は、表紙が棚を飾っていたにもかかわらず、中を見るのは初めてだった本です。手に取ってみると、ほっておくのは、ちょっと惜しいと思うのは、この三つの「絵」と「詩」で十分わかっていただけるのではないでしょうか。追記2022・06・04 この絵本とかは、まあ、詩集といった方がいいと思いますが、詩人にそんなふうにいうのもなんですが、名人芸ですね。 せめてすきなうただけはきこえていてはくれぬだろうかわたしのほねのみみに 90歳を超えた詩人は、ここの所「死」について、軽やかな「詩」のことばで表現していますが、まさに、不世出の職人詩人の長寿を願うばかりですね。にほんブログ村にほんブログ村
2020.11.04
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谷川俊太郎 詩・岡本よしろう 絵 「生きる」(福音館書店) いわずと知れた谷川俊太郎の詩「生きる」の絵本です。表紙の写真をご覧ください。この表紙に惹かれて借りてきました。好き好きですが、ぼくは、こういう、何となく漫画風のリアル描写が気に入りました。 三十代くらいの年齢の方なら小学校で習った詩です。暗唱できる人もいると思います。その詩の何行かづつに絵がついています。表紙のアパートの絵はおまけですが、ぼくはこの絵が一番好きです。 表紙を開くと「生きる」という詩の題が最初のページにあります。木に蝉がとまっています。 このページから谷川俊太郎の詩のことばと岡本よしろうの絵のコラボレーションが始まります。そこからページをめくると見開きが全部で19ページあります。 「いまいまがすぎてゆくこと」のページを写真でとるとこんな感じです。 最後の見開きの次のページに、詩の最後の「いのちということ」という一行があって「地球」の絵があります。 その次の見開きに、この詩が、もう一度、全文のっています。今さらですが、載せてみますね。 生きる 谷川俊太郎生きているということいま生きているということそれはのどがかわくということ木漏れ日がまぶしいということふっと或るメロディを思い出すということくしゃみをすることあなたと手をつなぐこと生きているということいま生きているということそれはミニスカートそれはプラネタリウムそれはヨハン・シュトラウスそれはピカソそれはアルプスすべての美しいものに出会うということそしてかくされた悪を注意深くこばむこと生きているということいま生きているということ泣けるということ笑えるということ怒れるということ自由ということ生きているということいま生きているということいま遠くで犬が吠えるということいま地球が廻っているということいまどこかで産声があがるということいまどこかで兵士が傷つくということいまぶらんこがゆれているということいまいまがすぎてゆくこと生きているということいま生きているということ鳥ははばたくということ海はとどろくということかたつむりははうということ人は愛するということあなたの手のぬくみいのちということ 裏表紙に、もういちど蝉の幼虫が出てきます。 現代詩の中で、おそらく、いちばん、多くの人に読まれた詩だと思います。絵本に描かれた、岡本よしろうの「絵」を見ながら、シンプルな詩の「ことば」が、どれほど様々な情景を、それぞれの読み手の頭の中にイメージしてきたのか、つくづく「驚嘆」する思いになりました。 おだやかですが、ふっと、さみしい絵本でした。何故、さみしいと感じるのかはよくわからないのですが。一つ一つの岡本よしろうの絵が、「時」を止めているように見えるからかもしれません。 一度ご覧になってください。追記2022・06・01 詩人の谷川俊太郎の絵本を紹介しようとしているとこんなふう「詩」として発表された作品の絵本化に出会うことがあります。「生きる」という詩は、小学校の教科書にも載せられた有名な作品です。教科書には挿絵だってつけられていたでしょうし、子供たちはその詩を読んで絵を描いたり、感想を言葉にしたりしてきた作品です。 その詩が1冊の絵本として、もう一度表現されるということは文学作品の映画化に似ています。詩人自身が、自分の作品の言葉の新しい広がりを求めている積極性に目を瞠る思いです。にほんブログ村にほんブログ村
2020.10.15
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谷川俊太郎「ベージュ」(新潮社) 谷川俊太郎の新しい詩集です。2020年7月30日に出版されています。図書館の新入荷の棚で見つけました。 どこ?ここではないうんここではないなそこかもしれないけれどどうかな「場」をさがしあぐねているのだみちにあたるものはまっすぐではなくまがりくねるでもなくどこかにむかっているらしいがそうだまなつのあさのくだりざかをわすれてはいけないなひとりよがりでひたすらおりていけばいい「場」があることだけはたしかだからうんそうおもっているものたちはまだいきのびているはずだそこここでことばにあざむかれながらとおくはなれたところにいてもそこにいればほらそこがここだろというばあさんがいてわからんものははにかんでいるとにかくいかねばならないなどといきごんでいたきもちがきがついてみるといつかうごくともなくうごくくものしずけさにまぎれているおんがくのあとについていってもうんみずうみのゆめがふかまるだけいちばんちかいほしにすらいけないなさけなさをがまんするしかないそうありふれたくさのはひとつみてもはじまっているのかおわりかけているのかみきわめるすべがないだろ〈そう〉は〈うそ〉かもしれないとしりながらきのうきょうあすをくらしているのがきみなのかこのわたしなのかさえほんとといかけるきっかけがみつからないただじっとしているのがこんなにもここちよくていいものか「場」はここでよいとくりかえすかぼそいこえがまたきこえてきたきずついたふるいれこーどから「場」がいきなりことばごときえうせてうんときがほどけてうたのしらべになったときわたしはもういきてはいなかった 谷川俊太郎の詩を読むときには、何となく「青空」を探してしまいます。上に引用した「どこ?」という詩は、詩集のいちばん最後に載っている作品なのですが、ここまで読んできて、いくつかの詩に「青空」という単語がでてきます。 たとえば、最初の頃にある「イル」という詩には、「空が青い 今も昔も青いが」 とか、「この午後」という詩には 若いころ、青空はその有無を言わせない美しさで、限りない宇宙の冷酷を隠していると考えたものだが、人間の尺度を超えたものに対するもどかしさと、故知らぬ腹立たしさのようなものは、齢を重ねた今も時折私を襲う。 といった詩句が出てきますが、この詩を選んだ理由は「まなつのあさのくだりざかをわすれてはいけないな」 という言葉が気に入ったからです。この言葉が書かれた結果、この詩全体を覆う「青空」を感じたからという方が正直でしょうか。 この詩は「場」という言葉以外、すべて、ひらがなで書かれていますが、谷川俊太郎は「あとがき」で「ひらがな回帰」について「文字ではなく言葉に内在する声、口調のようなものが自然にひらがな表記となって生まれてくる」「文字にして書く以前にひらがなの持つ「調べ」が私を捉えてしまうのだ」 といっています。 加えて、この詩集の書名「ベージュ」についてはこんなことを書いていました。 来し方行く末という言葉は若いころから知っていたが、それが具体的な実感になったのは歳を取ったせいだろう。作者の年齢が書く詩にどこまで影を落としているか、あまり意識したことはないが、自作を振り返ってみると、年齢に無関係に書けている詩と、年齢相応の詩を区別することはできるようだ。米寿になったが、ベージュという色は嫌いではない。 2020年 六月 谷川俊太郎 コロナ騒動の最中に出来上がった詩集だったようです。ぼくのような読者には、ちょっと、感無量な「あとがき」ですが、お元気で、「詩」を書き続けられることを祈ります。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.08.21
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谷川俊太郎・瀬川康夫「ことばあそびうた また」(福音館書店) 谷川俊太郎さんの「ことばあそびうた」を案内しましたが、ヤッパリ、「ことばあそびうた また」(福音館書店)も、もののついでということで、いや、ことのついでが正しいか?少し、ご「案内」しようかと思います。 こっちの表紙は、表も裏も、ご覧の通り「かえるくん」が大集合です。もちろん瀬川康夫さんの絵ですが、残念ながら、瀬川さんは、もう、この世の方ではありません。 松谷みよ子さんの「いない いない ばあ」(童心社)という、チョー有名な絵本の画家さんといえば、「ああ あのくまさんの」とお気づきになるでしょうか。 エエっとあったはずなんですが。ないですねえ。ああ、これです、これです。 はじめておうちに赤ん坊がやってきて、はじめてよんであげて、はじめて笑ってもらった本だったような気もします。 松谷みよ子さんも、5年ほど前に亡くなっていらっしゃるようです。お世話になりましたね。 で、「ことばあそび また」の「かえるくん」ですね。 かえる 谷川俊太郎かえるかえるはみちまちがえるむかえるかえるはひっくりかえるきのぼりかえるはきをとりかえるとのさまがえるはかえるもかえるかあさんがえるはこがえるかかえるとうさんがえるはいつかえる 父さんガエルさんがどのあたりをうろついていいらっしゃるのかといいますと、この辺りのようですね。 このへん 谷川俊太郎このへんどのへんひゃくまんべんたちしょんべんはあきまへんこのへんどのへんミュンヘンぺんぺんぐさもはえまへんこのへんなにへんてんでよめへんわからへん 今夜も、おとうさん、どうも、帰っていらっしゃらないようですね。このあたりは、どのあたりなのでしょね。四丁目の赤ちょうちんのあたりでしょうかね。 いのち 谷川俊太郎いちのいのちはちりまするにいのいのちはにげまするさんのいのちはさんざんでよんのいのちはよっぱらいごうのいのちはごうよくでろくのいのちはろくでなししちのいのちはしちにいれはちのいのちははったりさくうのいのちはくうのくうとうのいのちはとうにしにじゅういちいのちのいちがたつ というわけで、そろそろ退場ですかね。新しいいのちに期待することにいたしましょう。 で、これが裏表紙です。 おしまい。追記2020・05・30「ことばあそびうた」の感想はここをクリックしてみてください。追記2022・05・31 「谷川俊太郎さんがらみの絵本を!」と思いついて2年前に投稿し始めたのですが、頓挫していますね。思いついては、忘れるということが、ここのところ頻繁におこりますが、くよくよしてもしようがありませんね。また思いついたので、また始めればいいじゃないかという毎日です。 というわけで、最近また思いついて「あいうえおつとせい」とか、案内しました。また覗いてくださいね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.30
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谷川俊太郎・瀬川康夫「ことばあそびうた」(福音館書店) 北海道のお友達の家にアカゲラがやってきて、ログハウスのドアから柱から、コツコツやるので困っているというお話しを聞きました。 経験も実害もないぼくはうれしくなって思いだしました。もちろん、うれしくなったりしてはいけません。お友達のお家が三日月になってしまうなんて想像するのは、もっといけません。 うそつききつつき 谷川俊太郎うそつききつつききはつかないうそをつきつきつきつつくうそつききつつきつつきにつつくみかづきつくろとつきつつく 詩人の谷川俊太郎と画家の瀬川康夫が1973年につくった絵本です。「ことばあそびうた」(福音館書店)、ちょっと信じられないことに定価は500円です。 これもまたチッチキ夫人の棚から拝借しました。むかし、ゆかいな仲間たちに大声で読んでやったような、やらなかっったやうな。 一つだけというのも、もったいないからもう一つ。実に有名な詩だけど、この辺りでは見かけません。北海道にならこいつも、まだいるかもしれないですね。 かっぱ 谷川俊太郎かっぱかっぱらったかっぱらっぱかっぱらったとってちってたかっぱなっぱかったかっぱなっぱいっぱかったかってきてくった で、これが裏表紙です。なんか、とてもシャレてますね。登場人物(?)たちの肖像が、みんな描いてあるようです。瀬川康夫の絵が、妙に懐かしいのですね。「日本昔話」でも出会ったかもしれませんね。 ああ、それから、この絵本には続きがあります。それはまたいつかね。追記2020・05・31 続きはこちらです。「ことばあそびうた また」の感想書きました。題名をクリックしてみてください。追記2022・05・29 2年前の投稿を修繕しました。コロナ騒ぎが始まったころでしたが、騒ぎはまだ続いています。どこまで続くのでしょう。ふと、ネットを見ていると「かっぱ かっぱらった」ってどういう意味かという質問があって驚きました。意味とか効果とかにとらわれる時代なのですね。 何の目的もないのにテクテク歩いて、歩き疲れて、鼻歌も出てこないし、そういえば口笛の吹き方もいつの間にか忘れそうな徘徊老人は、できるだけ意味とか効果から逃げ出したい一心なのですが・・・・。 そういえば、つい最近も、摩耶埠頭の倉庫だらけの広大な敷地をヨタヨタ歩いていて、作業服姿の青年から「道に迷われたのですか?」と親切に声をかけられしました。 「そうか、イヨイヨ、ぼくも、迷って徘徊している老人に見えるんだ!」 まあ、自慢してもしようがないのですが、シマクマ君の徘徊も、ちょっとホンモノになってきたようで、うれしいような、情けないような気がしましたが、実際、歩き疲れてヘロヘロだったことも事実なわけで、トホホな体験でした(笑)。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.29
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「生きる」谷川俊太郎:「谷川俊太郎詩集 続」(思潮社) 「生きる」 谷川俊太郎生きているということいま生きているということそれはのどがかわくということ木もれ陽がまぶしいということふっと或るメロディを思い出すということくしゃみすることあなたと手をつなぐこと生きているということいま生きているということそれはミニスカートそれはプラネタリウムそれはヨハン・シュトラウスそれはピカソそれはアルプスすべての美しいものに出会うということそしてかくされた悪を注意深くこばむこと 生きているということいま生きているということ泣けるということ笑えるということ怒れるということ自由ということ生きているということいま生きているということいま遠くで犬が吠えるということいま地球が廻っているということいまどこかで産声があがるということいまどこかで兵士が傷つくということいまぶらんこがゆれているということいまいまが過ぎてゆくこと生きているということいま生きているということ鳥ははばたくということ海はとどろくということかたつむりははうということ人は愛するということあなたの手のぬくみいのちということ (詩集『うつむく青年』1971年刊) 装幀家の菊地信義の「装幀の余白から」(白水社)というエッセイ集を読んでいると、谷川俊太郎の「生きる」という詩の最初の4行が出て来て、さて、残りはどうだったかと書棚から探し、ページをくっていると、いろいろ思い出した。 この詩は、ぼくが学生の頃にすでに書かれていて、「うつむく青年」という詩集に入っていたらしいが、発表された当初には気づかなかった。そのころぼくは詩集「定義」の中に収められているような詩に気を取られていた。 一緒に暮らすようになった女性が持っていた、上に写真を乗せた詩集「谷川俊太郎詩集 続」(思潮社)は900ページを超える、分厚さでいえば5センチもありそうな本だが、この詩、「生きる」のページには、学生時代の彼女の字体で、あれこれ書き込みがしてあった。今でも残っている書き込みを見ながら、実習生として子供たちを相手にこの詩を読んでいる彼女の姿を思い浮かべてみる。 我が家の子どもたちが小学校へ通うようになった頃、この詩は教室で声を合わせて読まれていた。詩であれ歌であれ、様々な読み方があることに異論はないが、声を合わせて読み上げられるこの詩のことばに違和感を感じた記憶が浮かんでくる。 今、こんなふうに書き写していると、「働く」ということをやめてから、さしたる目的もなく歩いている時の、のどが渇き、日射しが眩しい瞬間が思い浮かんでくる。 一緒に詩のことばの異様なリアリティが沸き上がってくる。記憶の中に残っていた子供たちの声の響きが消えている。公園の垂直に静止したブランコに、ふと気を留めながら、のどの渇きに立ちどまる。誰も乗っていないブランコのそばにボンヤリ立っている老人がいる。その老人がぼくなのか、別の誰かなのかわからない。でも、その老人を肯定する響きがたしかに聞こえてくる。いま遠くで犬が吠えるということ 三十代でこの詩を書いた詩人のすごさにことばを失う。 追記2020・03・03菊地信義「装幀の余白から」(白水社)の感想はこちらをクリックしてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.03.03
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大岡信「古典を読む 万葉集」・「詩人・菅原道真」(岩波現代文庫) 「折々のうた」の大岡信が2017年に亡くなって二年がたちました。以前こんな案内を、高校生に向けて書いたことがあります。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ 大岡信(おおおかまこと) この名前を聞いてピンと来る人は新聞をよく読む人かもしれませんね。朝日新聞朝刊紙上に、さあ、何年になるのでしょう。1979年1月から2007年3月まで連載された「折々のうた」の著者ですね。詩や和歌を一般の人にわかりやすく紹介する200字コラムの嚆矢とも典型ともいうべき仕事ですね。 岩波書店から新書化されていて、全部で21巻あります。途中に休載期間があって「折々のうた」(岩波新書)のシリーズ11巻と「新 折々のうた」(岩波新書)のシリーズ10巻の合計21巻です。 他に朝日新聞社が単行本、文庫本でもシリーズ化していて、それぞれよく読まれてきました。ぼくが大学生だった頃からの連載で、明治の訳詩とか古典短歌とかを歯ざわりのよい箸休めか新鮮なデザートのように、毎朝紹介してみせる大岡信の腕前に感心したものです。 大岡信は読売新聞の記者をしながら詩人として世に出た人です。「自分の感受性くらい」(花神社)の茨木のり子と「ことばの力」(岩波ジュニア新書)の川崎洋という二人の詩人が1953年に始めた詩誌「櫂」のグループに谷川俊太郎とかと参加し、その後、明治大学で教えながら素人にもよくわかる語り口で日本の詩や短歌、詩人、歌人を様々に論じたり紹介してきた人なのです。 特にアンソロジーを得意としていて、「私の万葉集(全5巻)」(講談社現代新書)、高校生や中学生向けの「星の林に月の船」(岩波少年文庫)、現代詩なら「戦後代表詩選(正・続)」(思潮社・詩の森文庫)というふうに、「折々のうた」のほかにもアンソロジーだけでも膨大な著作があります。 最近、「折々のうた」という短いエッセイは単なる余技ではなくて、調べ尽くして書いていたのだなと気付かせてくれた評論集を読みました。 「古典を読む 万葉集」(岩波現代文庫)、「詩人・菅原道真」(岩波現代文庫)の二冊です。 万葉学者として有名な中西進という人の「旅に棲む-高橋虫麻呂論」(角川書店)という本を読んで、我ながら、あまりの無知蒙昧さに情けなくなり、ひさしぶりに手に取ったのが大岡信でした。 というのも、この人文章は国文学の常識を教科書風にきちんとおさらいしたうえで論が進んでゆくのです。言ってみれば先生なのですね。国文学の和歌や詩に関して自分の“おばか”加減に困ったときの大岡信頼みとでも言いましょうか。だから下手な口真似のぼくの授業の講釈なんかより、この人を直接読むほうがいいというわけです。 とくに「古典を読む 万葉集」のほうは、授業ではほとんど触れることがない万葉集の和歌について、初期から代表的な歌人をたどって解説しているのでとてもわかりやすい。和歌も解説付きなので解釈に困って立ち往生ということもきっとないでしょう。 まあ、やっぱり万葉集ということになると、代表歌人柿本人麻呂論という側面もあって、「古今和歌集」の代表歌人紀貫之と比較して論じているところなどは、なかなか刺激的でした。 古代から平安時代にかけて、和歌とはなんだったのか、歌人とは何者だったのか。時代と文化の関係ですね。ついでに、以前紹介した藤岡忠美先生の「紀貫之」(講談社学術文庫)に手を出してみようと考える人がいたりすると、ちょっと嬉しいですね。 「詩人・菅原道真」のほうは歌人というより漢詩人というべき菅原道真を論じているのですが、時代はもちろん万葉集の時代ではなくて、古今和歌集の時代の人。国風文化が生まれてくる歴史的な現場での、翻訳の話として僕はとても興味深く読みました。 古代の知識人の中に漢詩、「からうた」と読むべきかもしれませんが、唐、中国ですね、それと和歌、日本との相互の交流、翻訳という時代があったのですね。そこでは、何よりも日本の歌の中国の詩への翻訳という方向が面白いなと思ったのですが、諸君はどう考えるのでしょうね?是非、お読みください。(S) (初出)2008/09/02追記2022・10・22 読み返してみると、このブログを始めた2019年に、それ以前のブログに載せていた記事を再掲載したので、記述が古いことがわかりますが、内容そのものについては、古びているとは思いません。ただ、大岡信の「折々の歌」のシリーズが、例えば、高校生や大学生に、今でも読み継がれているのかどうかはかなり怪しいと思います。若い人たちが、古典的な教養と呼ぶべきものを失い始めたのは、ぼくたちの世代からだとは思いますが、「百人一首」を暗唱させることをゲーム化して競わせることが流行っている現在ですが、クイズの答えとして和歌は知っていても、こころの糧としての和歌には関心がないのが実情のようです。 国語教育のIT化とかが推進されているようですが、役に立つ国語には古典的な情操の涵養は含まれていないようで、要領のいい官僚の考えることは恐ろしいと、結構、マジに憂えている今日この頃です。ボタン押してね!にほんブログ村紀貫之/大岡信【1000円以上送料無料】名句 歌ごよみ[夏]【電子書籍】[ 大岡 信 ]
2019.07.13
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谷川俊太郎「62のソネット-41」六十二のソネット 41 谷川俊太郎 空の青さをみつめていると 私に帰るところがあるような気がする だが雲を通ってきた明るさは もはや空へは帰ってゆかない 陽は絶えず豪華に捨てている 夜になっても私達は拾うのに忙しい 人はすべていやしい生まれなので 樹のように豊かに休むことがない 窓があふれたものを切りとっている 私は宇宙以外の部屋を欲しない そのため私は人と不和になる 在ることは空間や時間を傷つけることだ そして痛みがむしろ私を責める 私が去ると私の健康が戻ってくるだろう 国語の教員になりたい女子大生の授業の練習を見ることがあります。すると、先生役の彼女たちが、時々、板書に赤い傍線を引いてこんなふうにキッパリいうのです。「ここは、テストに出しますよ。」 思わず、ギョッとして、昔、入学したばかりの高校一年生に「テストは難しいですか。」という質問に出くわして当惑してしまったことと、この詩を思い出しました。 あの一年生は、せっかく入った新しい学校で、始まりからテストの難しさを気にかけていました。見るからに、まじめな様子でした。「まあ、それも大事なことかもしれないが、もっと大事なこともある。」と伝えたくて、こんなことを書いて渡しました。「自己紹介」 これは19歳で浪人中のボクに、大学生になっていた友人がくれた手紙の言葉だ。「受験勉強は楽しい。やればやるほど出来るようになる。やらなかったことは出来ない。さっぱりしている。あんなシンプルで明快な勉強には二度と出会えないだろう。大学の勉強は苦しい。何がわかるようになったのか、さっぱりわからない。君も一年間、受験勉強を楽しみたまえ。」 彼は京都大学を出てサラリーマンをしているが、高校時代、農家だった実家の手伝いに精を出すことが当たり前の生活をしていた。 学校の教員が作るテストや、入試で試される問題が、ある範囲の中で作られていることに気付いていたようで、テストを苦にしなかった。 他人と比べて、優劣を競ったり、クヨクヨするということの馬鹿馬鹿しさを、とても早くから知っていた。虚勢を張ったり、卑下したりすることと本当に無縁な人だった。 一方で、家の手伝いをする田圃のあぜ道で詩を暗誦するような人だった。 こんなふうに言うと、変な人だと思うかもしれない。確かに変な人だ。が、多分、そこが大切なポイントだとぼくは今でも思っている。 彼は、みんなが今、手にしている、この国語の教科書に出てきた詩や和歌をほとんど暗誦することが出来た。もちろん、そんなことはテストされたりしない。しかし、彼がやっていたこと、そこにテストなんかでははかれない大切なことがあったと思う。ちがうだろうか? とりあえず、ぼくは、そんな手紙を読んで、救われたような気がした。そして、受験勉強の一日の半分は、テストより大事なことに熱中するようになった。 ここに、谷川俊太郎の詩がある。谷川の詩は教科書にも出てくる。この詩の最初の二行が、白い紙に書きだされて、先ほどの友人の四畳半の下宿の天井に貼られていた。まあ、それも変といえば変だが、ぼくには忘れられない。 この詩を読んですぐに意味のわかる人はいない。ちなみに、ソネットとはフランスの定型詩の形式の名前。14行の詩をことで、普通、4・4、3・3という行数が定型の「連」の構成で書かれる。 この詩は詩人が「六十二のソネット」と題して連作し、詩集にまとめたものの中の41番目の作品なので、こういう題になっているらしい。 繰り返し、何度も、口ずさんで欲しい。だんだんと、ある一行、ある一行が心の中で動き始める。行と行の関係が見え始める。相変わらず、意味は分からない。 でも、図書館や本屋さんの棚で彼の詩集を探し始めている自分と出会うことになる。ノートにせっせと、彼の詩に限らず、あれやこれやの詩人の作品を書き写している自分を見つける。 こういうことを普通、勉強などと呼ばない。誰にも言いはしないけれど楽しみ以外の何ものでもないものになる。それが、受験生時代にぼくが熱中したことだ。 で、ぼく自身の受験は?もちろん第一希望には遠く及ばなかった。それでは、参考にならない?まあ、しかし、だからこそ、幸運(?)にも、ここで皆さんと出合えたわけだ。一年間よろしく。自己紹介終わり。 残念ながら、ベンキョウの成果は「テスト」で測られ、テストの成果は、大きくなっての後には収入に反映するという実にシンプルな「価値観」が、若い人たちを、言葉がいいかどうか気がかりですが、「洗脳」しているのを目の当たりにすると、やはりぎょっとします。 国語の授業で「大事なこと」 は、テストでは測ることができない。そう思うのですが・・・。(S)追記2022・10・02 後期の授業が始まりました。週に一度、国語の先生になりたいと考えている学生さんと出会います。「本を読むのはお好きですか?」「本を開くまでが、おっくうです。」 スマホ世代の本音が聞こえてきて、ちょっと困ってしまいます。 現役の教員の方が、冗談半分でおっしゃっていましたが、学校の教科書に載っている論理的文章とかとお役所がいうのは、商取引の契約書とかのことなのだそうです。40年間教えたことのない文章の種類なので、何も思い浮かびませんでした。 文章を読むためのリテラシーは、まず文章を読むことにとって培われると思うのですが、契約書を読む力はなにによって鍛えられるのでしょう。やっぱり、お金に対する執着でしょうか。アルバイトと就職活動に明け暮れる彼女たちが、本を開いて「詩」を読むなんていうところにたどり着くためにどんなアドバイスをすればいいのでしょう。 世の中で、何が起こっているのか、本当はよくわかっていないことを、つくづくと実感する「お仕事」の始まりの日でした。にほんブログ村にほんブログ村幸せについて [ 谷川俊太郎 ]谷川俊太郎詩集 自選 (岩波文庫) [ 谷川俊太郎 ]
2019.07.06
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茨木のり子・長谷川宏「思索の淵にて―詩と哲学のデュオ―」(近代出版) たとえば「詩」の授業。学校の教科書に取られる作品というのは、ふつう短い。教科書の見開き2ページをこえる作品はほとんどありません。知る限りですが、一番長い詩は宮沢賢治の「永訣の朝」です。小説や評論のように読むこと自体に手間がかかるわけではありません。 短いということは、なんとなく、全部説明可能な印象を持ちますが、そうでしょうか。たとえば、戦前の「詩と詩論」というグループにいた人で、安西冬衛という詩人にこんな一行詩があります。これも知る限りなのですが、教科書で出会うかもしれない一番短い詩です。 「春」 てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った ごらんのとおり短い詩ですが、これを授業で解説することは簡単でしょうか? まあ、「てふてふ」は「蝶々」の旧かな表記だとか、「韃靼海峡」は日本地図では「間宮海峡」のことだとか、「春」だから蝶は、おそらく南から北へ、サハリンから大陸へ向かっているとか。 すぐ気づくでしょうが、それらの事項はこの詩を読んで湧き上がってくるイメージについて、補助的な役割しか果たしていませんね。これじゃあ、教員は生徒に何をどう読み取ってほしいのかわかりません。 詩の授業に限りませんが、文学作品の鑑賞の難しさをなんとかする方法は、なかなか見つかりません。「好き」か「嫌い」かの二者択一を教員自身が下して、極端な話「嫌いなものは授業ではやらない」 ということだってあるでしょう。考えてみれば、それも、あんまりですね。 たどり着くのは、いかにも凡庸ですが「詩」を読むこと。「詩」について誰かがなんか言っていることに興味を持つようにすること。「あの人はこの詩のことをこんなふうに言っていたな。」 という引き出しを増やすことが、生徒たちの反応に対して「ああ、それもあるか。」 という、余裕のようなものを作るのではないでしょうか。 そんな引き出しを増やす可能性のある一冊に「思索の淵にて―詩と哲学のデュオ―」(近代出版)があります。茨木のり子という詩人の詩を読んで長谷川宏という哲学者が語っている本です。 「落ちこぼれ」 茨木のり子 落ちこぼれ 和菓子の名につけたいようなやさしさ 落ちこぼれ いまは自嘲や出来そこないの謂い 落ちこぼれないための ばかばかしくも切ない修業 落ちこぼれにこそ 魅力も風合いも薫るのに 落ちこぼれの実 いっぱい包容できるのが豊かな大地 それならお前が落ちこぼれろ はい 女としてはとっくに落ちこぼれ 落ちこぼれずに旨げに成って むざむざ食われてなるものか 落ちこぼれ 結果ではなく 落ちこぼれ 華々しい意志であれ さて、この詩について哲学者の長谷川宏さんがこんなエッセイを書いています。 詩の書き出しには唸らされた。 落ちこぼれ 和菓子の名につけたいようなやさしさ 塾教師を生業とする身としては「落ちこぼれ」と聴けば、ただちに、学校の授業についていけない生徒のことを思ってしまう。和菓子を連想するなんて思いもよらない。 虚を突かれて、しかし、和菓子が好きなわたしにはこんなイメージが思い浮かぶ。色は緑か黄がいいと思うが、淡い色調の小ぶりの菓子箱のまん中やや上方に、白い和紙がはりつけられ、それに墨で書かれた「落ちこぼれ」の五文字が乗っている。そんなイメージだ。 落ちこぼれだからといって、肩身の狭い思いをする必要のないイメージであることはたしかだ。詩人は落ちこぼれの味わいの深さをいい、自分を落ちこぼれの一人だと明言し、最終二行では、 落ちこぼれ 華々しい意志であれ とまでいう。そこまでの潔さはないが、わが身を振り返って、落ちこぼれと縁の深い人生だったとは思う。 全共闘運動の後、大学教師への道をみずから断って塾教師をはじめたときには、まちがいなく落ちこぼれの意識があったし、さらにいえば、落ちこぼれを楽しみたい思いがあった。 三十年以上も続く塾稼業で、生徒を「有名」中学や「一流」高校に送りこむことには関心がなく、生徒がOBになっても関係が続くような、つきあいの親しさを大切にしてきたのも、落ちこぼれの塾経営といえそうだ。落ちこぼれである以上やむをえないが、経済的にめぐまれたことは一度もなかった。 落ちこぼれの塾には落ちこぼれた生徒が何人も通ってくる。大抵は落ちこぼれであることに傷ついているから、普通の子以上に丁寧なつきあいが必要だ。 授業についていけない子がついていけるようになれば、落ちこぼれは解消する。それが一番まっとうな落ちこぼれ解決法だ。が、学校の授業は生徒一人一人の能力に合わせて設定されているわけではないから、ついて行こう、ついて行かせようとして、思い通りにならないことが少なくない。 そこでどうするか。ついて行けないのは仕方がないとして、ついて行けないことでその子が苦しい思いや辛い思いをしているようなら、その苦しさや辛さを軽くしてやりたい。 そう思う私は、その子のついていける内容の教材を用意し、その子のついて行けるテンポでいっしょにとりくむ。ほかの子にテンポが合わないなら、無理に合わせようとしないで別々に進む。一対一で教えることもめずらしくない。 その子とのあいだに一定の信頼感が生まれてくると、ゆっくりしたテンポで前に進むこと自体が楽しく思えてくる。算数の問題を解くときでも、かわり番に朗読するときでも、生徒は安心してやるべきことに身を入れ、こちらも安心してそれを見まもることができる。劣等感から開放された軽やかな気分が、こちらにも伝わってくる。時間が静に流れ、教室に、深まりゆく秋の気配、とでもいいたくなるものが漂う。この穏やかさは落ちこぼれが恵んでくれたものだと思うと、目の前の子に感謝したくなる。 どっちかというと、詩の授業のための引き出しというよりも、学校で先生をするための引き出しのため紹介になってしまいましたが、いかがでしょうか。 茨木のり子には、授業で紹介したくなる詩がたくさんあります。ちくま文庫には「茨木のり子集(全3冊)」もありますが、たとえば「自分の感受性くらい」という詩はいかがでしょうか。 「自分の感受性くらい」 茨木のり子 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを/暮しのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかっ 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 積み重ねてきた年月と、そこで営まれた生活から生まれた詩だと思いますが、年が若いからわからないという詩ではないでしょう。 こんなふうに自省することを強くうながす詩はなかなかないないのではないでしょうか。 茨木のり子の眼はいったん、自分の外に出ますね。そして自分に視線を向けています。そこから言葉を生みだしている自分の姿勢を見ています。すると、自分が恥ずかしくなります。 すっくと立とうしている、気持ちの姿勢が見えるように伝わってきます。最初の詩とこの詩と、二つとも、最終行が印象的な命令形なんですよね。そこに詩人の「意志」の「立ち姿」が現れていると思いませんか? 長谷川宏は文中にあるように塾の先生をしながら哲学を研究したひと。ドイツの哲学者ヘーゲルの研究者としては世界的な業績を残している人らしいです。詩人谷川俊太郎との「魂のみなもとへ―詩と哲学のデュオ―」(近代出版)も読みやすくておもしろい本です。いかがでしょうか。(S)2018/07/12【中古】 思索の淵にて 詩と哲学のデュオ 河出文庫/茨木のり子(著者),長谷川宏(著者) 【中古】afb価格:198円(税込、送料別) (2019/5/29時点)文庫で読めます。【中古】 魂のみなもとへ 詩と哲学のデュオ 朝日文庫/谷川俊太郎,長谷川宏【著】 【中古】afb価格:198円(税込、送料別) (2019/5/29時点)もう、中古でしかないのかな。ちいさな哲学 [ 長谷川宏 ]価格:1944円(税込、送料無料) (2019/5/29時点)こういう人です。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.29
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