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どこ? 谷川俊太郎 「青空」 を探してしまいます。上に引用した 「どこ?」 という詩は、詩集のいちばん最後に載っている作品なのですが、ここまで読んできて、いくつかの詩に 「青空」 という単語がでてきます。
ここではない
うん
ここではないな
そこかもしれないけれど
どうかな
「場」をさがしあぐねているのだ
みちにあたるものは
まっすぐではなく
まがりくねるでもなく
どこかにむかっているらしいが
そうだ
まなつのあさの
くだりざかをわすれてはいけないな
ひとりよがりで
ひたすらおりていけばいい
「場」があることだけはたしかだから
うん
そうおもっているものたちはまだ
いきのびているはずだ
そこここでことばにあざむかれながら
とおくはなれたところにいても
そこにいれば
ほら
そこがここだろというばあさんがいて
わからんものははにかんでいる
とにかくいかねばならないなどと
いきごんでいたきもちが
きがついてみるといつか
うごくともなくうごく
くものしずけさにまぎれている
おんがくのあとについていっても
うん
みずうみのゆめがふかまるだけ
いちばんちかいほしにすらいけない
なさけなさをがまんするしかない
そう
ありふれたくさのはひとつみても
はじまっているのか
おわりかけているのか
みきわめるすべがないだろ
〈そう〉は〈うそ〉かもしれないとしりながら
きのうきょうあすをくらしているのが
きみなのかこのわたしなのかさえ
ほんと
といかけるきっかけがみつからない
ただじっとしているのが
こんなにもここちよくていいものか
「場」はここでよいとくりかえす
かぼそいこえがまたきこえてきた
きずついたふるいれこーどから
「場」がいきなりことばごときえうせて
うん
ときがほどけてうたのしらべになったとき
わたしはもう
いきてはいなかった
「空が青い 今も昔も青いが」 とか、 「この午後」 という詩には
若いころ、 青空 はその有無を言わせない美しさで、限りない宇宙の冷酷を隠していると考えたものだが、人間の尺度を超えたものに対するもどかしさと、故知らぬ腹立たしさのようなものは、齢を重ねた今も時折私を襲う。 といった詩句が出てきますが、今回、この詩を選んだ理由は
「まなつのあさのくだりざかをわすれてはいけないな」 という言葉が気に入ったからです。この言葉が書かれた結果、この詩全体を覆う 「青空」 を感じたからという方が正直でしょうか。
「文字ではなく言葉に内在する声、口調のようなものが自然にひらがな表記となって生まれてくる」
「文字にして書く以前にひらがなの持つ「調べ」が私を捉えてしまうのだ」
といっています。
加えて、この詩集の書名 「ベージュ」
についてはこんなことを書いていました。
コロナ騒動の最中に出来上がった詩集だったようです。ぼくのような読者には、ちょっと、感無量な 「あとがき」 ですが、お元気で、 「詩」 を書き続けられることを祈ります。 来し方行く末という言葉は若いころから知っていたが、それが具体的な実感になったのは歳を取ったせいだろう。作者の年齢が書く詩にどこまで影を落としているか、あまり意識したことはないが、自作を振り返ってみると、年齢に無関係に書けている詩と、年齢相応の詩を区別することはできるようだ。米寿になったが、ベージュという色は嫌いではない。
2020 年 六月 谷川俊太郎
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