2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全18件 (18件中 1-18件目)
1
若い男が朝の通勤電車のなかで、ひっきりなしに髪をいじっていた。何度も何度も手ぐしで前髪を後ろへなでつける。本当に何度も何度も。気が狂ってるんじゃないかと思うくらい何度も。そんなにせずにはいられないほどおっしゃれーな性格なのかと思ったが、衣服は大したことない。しかもその髪、整髪料も何もついてないふわふわぱさぱさな髪で、いくらなでつけたって何も変わらないように見える。(実際、何も変わってなかったと思う)それでも何度も手ぐしを入れる。しばらくヒダリをやったあとはミギ。またヒダリ。もちろん周囲の人間のことなんかお構いなし。女性でも「そんなところでファンデーション塗るなアホたれ」と思う輩がいるけど、男でもこーゆーのがいるんだ。やっぱり。月曜しょっぱなからキモチ悪かった。
2006.01.30
今ごろ何を言っとるかと思われそうだが。正月にやったウィーン・フィルを、そのときは見られなかったので、録画を今日見た(聴いた)。今年の指揮者はマリス・ヤンソンスだったので、どうしても見たかった(聴きたかった)。毎年毎年、旬なマエストロを引っ張るよなぁ、この行事も。偉いかも。内容は素晴らしかった。聴いていてどれも非常にウィーンらしい気がした。なんというのだろうか、ドラマチックなメリハリはないんだけど、軽快でテンポがよくて明るくて楽しい、「シュトラウスって本来こうだよね」と思えるような演奏なのだ。指揮者自身も実に楽しそうに指揮していたようだし(もっとも時間が経つほどヤンソンスの頬がこけていくような気がして……開始と終了時の顔が違いませんでしたか?)。オーケストラ団員は相変わらず弾き終わると誇りかに微笑んでるし。聴衆は聴衆で、がまんできないらしく曲が終わるや否や堰を切ったように拍手しはじめる。もう一拍がまんしなさいよ、それじゃ余韻が楽しめないでしょーが(苦笑)。挿入されるバレエも今年は面白かった。いつも「こんなのよりも演奏会場見てたほうが面白いよー」と思ってしまうのだが、今回はそれがなかった。振付師はジョン・ノイマイヤーだそうで、彼の振り付けの腕がいいってことだろうか?「さっさと(画面を)会場に戻せー」とはついに思わなかった。珍しい。今年びっくりしたのは、ウィーン・フィルにいつの間にか女性がいる!!それも3人も!!(ハープ除く)去年か一昨年からすでにそうだったのかもしれないけど、私が気付いたのは今年で、ものすごく驚いた。女性は入団させないというので有名だったから。ついに来たかという感じ。ウィーン・フィルらしさを保てば女性も男性も関係ないはずだし、このまま恙無く行きますように(どきどき)。その「ウィーン・フィルらしさ」満開のニューイヤーコンサートだった。私は、テレビの画面で見るのが自分には分相応だといつも思っていたけれど、今年のはそれを越えて、聴きに行きたかったなー。初めて客席の人たちを羨ましいと心から思った。なんという幸運。羨ましい。私もそこにいたかった。
2006.01.29
![]()
書名:真夜中をすぎて著者:マリーン・ラブレース/中井京子訳出版社:集英社(集英社文庫)発行年月:2005年07月ISBN:4087604934本体価格:667円(税込700円)もお楽天ブックス嫌い。「マリーン・ラブレース」で検索かけたら出てこない。なんと「マーリン・ラヴレース」で登録されている。あんたね、本の表紙見なさいよ。「マリーン・ラブレース」ってなってるでしょーが。「ラヴレース」はまだ許すとして、だれも「マーリン」なんかで検索しないよ。なってない(ぶつぶつ)。やっぱりココログに移動すべきだろうか……(そんなくだらん理由で?)。あらすじ:ミリタリー・ロマンチックサスペンス決定版。子供時代の忌まわしい記憶に結びついた町に空軍将校として赴任したジェシカの周囲に起きる殺人事件。有力な容疑者とされた彼女は…? サスペンスとロマンスの絶妙なカクテル。はっきりいって、このとおりである↑(笑)。他に言いようがない。ちなみに私はミステリと思い込んで読み始めてしまったので、途中で「どうしてハーレクインなの?」とギャップを感じてすごく苦しんだ(大笑)。ミステリ(厳密にはサスペンス)は5分の1くらい。あとの3分の1がミリタリーで、残りは全部ロマンス(笑)。まぁ、面白く、さくさく読める。ミステリファンには物足りないだろうが、「つまらない」とは全然思わない。硬いミステリが苦手な女性にオススメ。「それだけ!?」と思うかもしれないけど、内容(=ジェスの恋愛)を私がここで紹介してもつまらないでしょ。だから、ここで打ち止め(大笑)。ああ、ただ、ロマンスだけじゃなく、エグリンの補給部隊の軍務が細かく書かれていて、その世界をちょっと面白いなと思ったりもした(だからミリタリー物でもあるってこと。あとがきによれば「一度で三度美味しい(ミステリ、ミリタリー、ロマンス)」だそうで)。何しろ軍歴二十云年のキャリアのあとにロマンス作家に転身(わお!)した著者だから、ミリタリー内部の描写には卒がない。あとは興味のある人が読んでね(笑)。▼この本はこちら。4時間弱。
2006.01.28
![]()
書名:白骨著者:G. M. フォード/三川基好訳出版社:新潮社(新潮文庫)発行年月:2005年05月ISBN:4102021132本体価格:743円(税込780円)しまった、読了は昨日(1/25)なのに、あまりの吃驚に昨日は他愛ないことを書き込んでしまった……。というわけでこちらで。あらすじ:裁判所から召喚された世捨て人作家コーソは、出廷命令を無視して行方をくらますことにした。元恋人と空路ミネソタを目指すが、空港は大雪で閉鎖。レンタカーで移動する二人は、吹雪で事故を起こし凍死寸前に。やっと見つけた空き家で床板を燃やして一命を取りとめるが、床下からは何体もの白骨死体が―。その家にまつわる身の毛もよだつ驚愕の秘密とは?至高のサスペンス登場。どうもシリーズものらしい。これの前に2作ほどすでにコーソが活躍する話がある(今度読んでみよう)。フランク・コーソは全米的な有名作家。あらすじにある「出廷命令を無視して」というのは、彼が手がかりを掴んでいると思った事件について、肝心の証人が雲隠れしてしまったためその手がかりがなくなり、このままでは法廷侮辱罪に問われることになりかねないので行方をくらまそうとしているのである。別に無精者だからではないし、単に法廷嫌いなわけでもない。もっとも、各地の警察とはどっちかっていえば敵対関係(笑)にあるようだ。無実の罪で糾弾されると、怒って相手に「とっとと失せろ」と怒鳴るような勇気(向こう見ずさ?)を持ち合わせた、作家のくせにちょっとしたタフガイだ。かといって正統派ハードボイルド系ほどのタフさはなく、このへんが微妙なバランスで面白いんだろう。ちなみに出てきた白骨は15年も前のもので、場所も初めての見知らぬ場所(だってほら、逃避行の最中だったから)。ホームグラウンドならともかく、ただの一般人がいったいどーやってこんな古い事件を扱おうというのか?と、不審に思っていると、その事件に絡む人物のある特殊性がコーソたちを導き、やがて事件は現在へとつながっていく。あまり話すとネタバレてしまうのでやめるけど、まぁ、よく死人が出る話だった。コーソのパートナー(元恋人)のメグ・ドアティの言葉を借りるなら、彼らは行く先々で墓を見ることになる。いろんな小さな謎が少しずつ解けるようになっていて、なかなか展開のうまい作家かも。(彼女がどうして彼を殺さなかったかの謎、とか)最初から最後まで、切れ切れに挿入されるパートが、最初はむにゃむにゃかと思っていたら、なるほどむにゃむにゃだったのね、と、すっきりつながるあたり、うまい。後半の、本当に佳境の部分に入ると、そのあとの展開がだいたい読めてしまうが、それでも話の求心力は衰えない。このへんは人物造形がいいからなのかな。コーソのファンにはならないけど(ドアティのファンにもなれない)、シリーズとしてはちょっと魅力的だ。もっとも、読み終わって「あ~終わってよかった~」という爽快感はなかった。「終わった」のは確かに「終わった」けど……「よかった」とは口が避けてもいえない。なぜかって……それは本書を読んでください。それもあって、続編には興味津々。すでに2本出ているようなので、機会があればそちらにも手を出してみたい。▼この本はこちら。5時間。やや読み応えあり。
2006.01.26
何がって、まあその……。宝くじではないけれど、「こんなの当たることあるんだ!」ってものが。吃驚だ。あまりの驚きに風邪も吹っ飛びそう(残念ながらまだ吹っ飛んでくれない)。詳しいことはそのうちに。自分でもまだよくわかってない……つーか、確認の電話までしたのに、いまだに半信半疑(笑)。
2006.01.25
昨晩から風邪を引きかけていて、今日の午前中はついに会社を休んだ。熱もないし目立った症状があるわけじゃないんだけど、全体にだるくて眠かった。11時半までぐーすか寝てしまった。おかげでかなりよくなった。風邪を引くとコーヒーがまずく感じられるようになる話は前にしたかもしれない。だから、昨晩も今晩もコーヒーでなく紅茶を飲んだ。しょうが汁をいっぱい入れたしょうが紅茶だ。味覚が若干お子様なので、砂糖と牛乳も入れて飲む。風邪にはこれが一番だね。ふだんは見向きもしない飲み物なのに(私には)、寒かったり風邪っぽかったりすると途端にすばらしく美味しい飲み物に変身するからおかしい(笑)。
2006.01.24

せっかくの雪なので、昨晩、ミニな雪だるまを作った。身の丈15センチくらい。部屋に持ち帰り、室内だと暖房で溶けそうだから、ベランダに出しておいた。朝(というよりほぼ昼…)、見たら日の当たる側が溶けて、思い切り前傾姿勢になっていた。そのうちにすっかり寝っころがって、コンクリに接している下半分からどんどん溶けて半分に割ったひょうたんのようになり、夕方にはほとんど元の姿を留めていなかった。さよなら雪だるま。11時頃の撮影。右に寝かせてあるのはラム酒のミニボトル。
2006.01.22
ずっと雪とはご無沙汰だったのに。午後五時でこのありさま。ひさびさに「センター試験は雪が降る」のジンクスを見た気がする。最近は全然だったけど、そういえば私らの頃は「入試=雪」だったよなぁ。試験の当日になると狙ったように雪が降るの(笑)。
2006.01.21
![]()
書名:ビッグ・サーの南軍将軍著者:リチャード・ブローティガン/藤本和子訳出版社:河出書房新社(河出文庫)発行年月:2005年11月ISBN:430946260X本体価格:780円(税込819円)あらすじ:ない。本当にないんだからしょうがない。楽天にもAmazonにもレビューは載ってないし(笑)。載せられないんだな、きっと。ないから。実際に本を読み出すと、「なんだストーリーあるんじゃない、あらすじがないなんて嘘ばっかり」と思うかもしれないが、最後まで読めばあらすじがないこともわかってもらえるはずだ。本当にないんだって。南軍将軍なんてタイトルだからてっきり南北戦争の話かと思いきや、違います。いちおうこれはリー・メロンという人物についての話で、ロバート・E・リー将軍に名前をひっかけてある。それで南軍将軍。それだけ?それだけです(ほぼ)。いや本当はもっと意味があるのかもしれないけど、アメリカ人にとっての南北戦争の意味がわかっていない一日本人としては、これ以上語りようがない。リー・メロン(なんでメロン?)は、曽祖父が南軍の将軍だったと主張する、カリフォルニア州ビッグサー(実在の地名)の住人である。はちゃめちゃである。どうやって生きているのかわからないほどいい加減である。「私」ことジェシーは彼と知り合い、やがてビッグサーで一緒に暮らすようになる(あれを『暮らし』といえるなら)。なにもかもむちゃくちゃである。パートタイマーコールガールの美女エリザベス、なぜかジェシーに付いてビッグサーに来る元ワーキングガール(?)の変人イレーヌ(こんなところに好き好んでやってくるなんて変人……しかも鰐を買って)、狂えるビジネスマン(?)ロイ・アールなどがはちゃめちゃ模様をさらに意味のないものにする。読むうちになぜか映画「イージーライダー」を思い出した。リー・メロンもジェシーも、その自由さをねたんで撃ち殺される側の人間のような気がして。何もかもでたらめだ。でも案外、一番でたらめに見える部分はノンフィクションで、一番ありそうに見える部分はフィクションなのかも。共通しているのは、現実にも虚構にも何も意味がないことだ。そしてある印象。アメリカってこんなガラクタだったんだ。そうなんだ。一皮剥げばこんなガラクタなんだ。「アメリカ」はただの幻想なんだ。実は最初っから崩壊しているんだ。などと勝手なことを自由に思わせてくれる本だったが、オススメかと言われると返答に困る。個人的にはオススメではない。でも読みやすいし「時間を無駄にした!」とは決して思わないし、オススメしても差し支えはない。カウンターカルチャーの旗手だそうなので、そのへんに興味のある人にはいいかも。期待せず期待する、ふわふわな境界に乗って読み出すといいかも。ちなみに翻訳・解説は『アメリカの鱒釣り』の訳者と同一だが、こちらの解説はつまらないし独り善がりっぽいので読む必要はない。それにつけても、こんなわけわからん本を文庫で出すとはチャレンジャーだな、河出書房(偉い)。▼この本はこちら。大した時間数じゃなかったが、何時間かは忘れた。
2006.01.17
最近、この病に罹ってしまったらしく(笑)、会社から帰っても何も作りたくない。先週はキャベツスープ3日、白菜なべ3日で過ごしたが、今は鍋も面倒になって、冷凍食品を解凍して食いつないでいる。う~ん。いかん。いかんとは思うもののやりたくない。まずもって献立を考えることができない。考えたくないし、それ以上に何かを考えるというゆとりが現在まるでない。まぁ最大の原因は会社が超多忙なせいだろうから、そのうち落ち着いたところでまた復活する……かな………たぶん。(もうちょっと早く帰れるようになったらきっと)
2006.01.16
昨年Tシャツ展でお世話になったギャラリー犀で、2月10日(金)から『DOG YEAR イヌ展2006』をやるらしい。それと連動して、このイヌ展専用ブログをつくり、企画+参加者が準備のプロセスやイヌのエピソードなどを投稿するという新たな試みをするそうだ。イヌ好きの方はぜひどうぞ。▼イヌ展ブログはこちら(ブログはもう始まってます)http://dogyear.livedoor.biz/?blog_id=1418129今年はこういうイヌがらみの展示が多そうだなぁ。
2006.01.12
![]()
書名:博士の愛した数式著者:小川洋子出版社:新潮社(新潮文庫)発行年月:2005年12月ISBN:4101215235本体価格:438円(税込459円)感想の前に。この本も、楽天ブックスのレビューはサイテーである。紹介しよう。世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたった一つの数式で示した―記憶力を失った天才数学者、と私、阪神タイガースファンの10歳の息子。せつなくて、知的な至高のラブ・ストーリー著者最高傑作。「示した」の後ろに格好つけてダッシュ(―)を入れたために、かえっておかしく見える。こういう約物は(こういう畑の人間なら)慎重に扱うべきなのに。「、と私、」とはなんじゃ。読点の扱い方も知らんのか全く……(ブツブツ)。しかしそんなことよりなにより軽軽しく「ラブ・ストーリー」に分類するかボケ。「知的な至高のラブ・ストーリー著者最高傑作」ってどーゆー意味だ。わかって書いてるとは到底思えない。以下はAmazonに掲載の出版社によるレビュー(まっとうだ…)。上記はこれを要約したんだろうけど……下手くそにすぎるぜ……。あらすじ:記憶が80分しか持続しない天才数学者は、通いの家政婦の「私」と阪神タイガースファンの10歳の息子に、世界が驚きと喜びに満ちていることをたった1つの数式で示した…。頻出する高度な数学的事実の引用が、情緒あふれる物語のトーンを静かに引き締め整える。著者最高傑作の呼び声高い1冊。ああ、あまりにおバカなレビューを(『罪と罰』に引続き)連続して見せられたため、ついわき道に逸れてしまったわ……。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・非常に面白くて、一気に読み上げた。「どうなるんだろう、どうなるんだろう」と、読み始めるとなかなか止まらない。展開がわかっているようでわからないからだ。どんでん返しで予測を裏切られるようなことはないものの、各所の展開はなぜやら新鮮味にあふれている。それがとても魅力的。この新鮮さにはもちろん数学の、ふだんは語られないようなことが折に触れ美しく語られること(博士の口を通じて)が一役買っている。そうして出現するさまざまな「数のはなし」がまた、いろんな仕掛けに満ちていてすごい。文句なく面白い。(江夏の背番号とか…!!)実は非常に奇抜な設定なのだが、うまくリアリティを出すことでその奇抜さが感じられないようになっている。ラブストーリーなんかでは決してないけれど、人間が人間を知るということは、世界を知るということは、こういうことなんだと思わせてくれる。この小説には名前が全く出てこない。「私(家政婦)」の息子も、「√(ルート)」と呼ばれるだけで本名は出てこない。背景は語られても個人を特定する名前が存在しないのだ。そのせいか、とても静かな感じがする。自意識の嵐のない、日本的な静かさ。これもまた、物語の詩情に貢献しているのだろう。なんか全然紹介になってないけど、とりあえず読んで見るのをオススメ。分量も少ないし、文章も読みやすい。詩情のある小説だ。▼この本はこちら。3~4時間?追記:映画化される価値のある作品だが、映画製作のスタッフが自分の好みで余計なものを付けて、詩情を損ねはしないかとそれだけが心配。ちゃんと捨象できただろうか?
2006.01.11
書名:罪と罰(上・下巻)著者:フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー出版社:新潮社(新潮文庫)1月8日読了だが、こちらで。すっごい古い文庫本(定価200円って、いつのだ?)。当然、人名なんかも昔の仕様なので、表記が違ったら勘弁してください。訳者は米川なんたらいう人で、聞いたこともない。今ある新潮文庫とは違う版のようだ。あらすじ:(あ~蛇足ながら楽天ブックスに記載のあらすじは馬鹿馬鹿しいので決して参考にしないように。何考えて書いとんじゃあそこのエディタは。脳味噌が腐っとる)貧しい青年ラスコーリニコフは、百の善を行うためなら一の悪は許されるという思想に基づき、金貸しの老婆を殺害、そのときに図らずも帰ってきた老婆の義妹まで殺してしまう。非凡人は凡俗な道徳観念を踏み越えられるはずと信じながらもそれを踏み越えられず、罪悪感に悩まされる青年の行き着く先は……。辛かった。最初から最後までずーーーーーっと。なんでこんな辛い思いをして読まねばならんのだろうかと思いつつ、ある箇所を越えてからは読むのを停めることができなくなってしまった。上巻の3分の1くらいは昨年中に読んであったのだが、7日に「ブラザーズ・グリム」を観た帰りの電車で読み出したら、止まらなくなってしまった。次が気になって本を置けない。家に帰り着いてからも読み通し、睡眠を挟んで8日の朝に読み終わったというわけだった。こんな苦しい小説をなんでみんな読むのかなぁ(笑)。楽しいところなんてこれっぽっちもない。冗談ではなく、徹頭徹尾、悲劇である。よくある悲劇っていうのは、悲しいながらも途中にユーモアが含まれていたりするものだけれど、これにはそういう部分がない。生半可な苦痛じゃない。発表された当時にあって、神経の細い人は辛くて途中から読めなくなったような話が解説で紹介されていたが、さもありなん。この小説なら、精神の苦痛ゆえにギブアップするというのも在りうべきことだと思うのだ。もぉ最初からラスコーリニコフ(老婆を殺す青年)が馬鹿で馬鹿で、「お前はナニサマのつもりだー!!」と叫びたくなるのをこらえ、老婆殺害のあとは「自分からべらべら喋って馬鹿かー!!」と胸をかきむしりたくなるのをこらえて読み進まねばならない。逆に言えばそれだけリアリティがあるってことか。彼が本当に望んでいるものはなんであるのか、それがずっとわからない。老婆を殺したあとの彼の金品の盗り方は実にお粗末だし、そうして盗ってきたものも証拠が発見されるとまずいからと捨ててしまう(場所は一応覚えているけど)。まるで警察に捕まりたいと思っているかのような愚かな振る舞いをしたかと思えば、次の瞬間には理路整然と相手をやりこめ、証拠がないことを洞察して「捕まるものか」と思ったりする。支離滅裂である。それはきっと、ラスコーリニコフ自身が自分が何を欲しているのかわかりかねているから、あるいは、自分が欲しているもの(人間性への回帰)が自分の論理(人間理性の優越)を覆してしまうことを認めたくなくて最後まで抵抗を試みていたからだろうと私は思う。最後まで、あの、四辻で悔悟したその瞬間まで。ほかにもいろいろ考えたことがあったんだけど、引っ込んでしまって出てこない。ラズーミヒンは救いのような存在だ。ラスコーリニコフとは好対照で。だが彼に好感を持ついっぽう、自分はラスコーリニコフ側ではないかと思って恐ろしい。正当な理由があれば悪事も許される、とは思わないけれど、ラスコーリニコフの他者に対する怒りや何かはよくわかるから(名前忘れたけどドゥーニャの婚約者のような卑怯者に対しての嫌悪とかいろいろ)。ああそうそう、なんといっても興味が尽きないのはスヴィドリガイロフだろう。最初は口伝、実在レベルでは後半からやっと登場するだけのくせに、その存在感は大きい。己の欲望のために簡単に道徳を踏み越えてしまう彼は、ちょうどラスコーリニコフの影のよう。「踏み越えられる」という意味ではラスコーリニコフの言う「非凡人」だが、理想のためでなく善行のためでなく、単に自分の欲望のためというプリミティブな理由であるので「非凡人」の資格返上となる(彼にしてもそんなレッテル貼られるのはごめんこうむりたいだろう)。そしてこの男がまたわからない。何を考えているやら。欲望のために盗みも詐欺も殺しも平気でやってきたのではないかと思われる人物でありながら、罠を張って捕まえた獲物を逃がしちゃったり、打算で決めたような結婚相手に生涯の保証をしてやったり、最後にはさらに一線踏み越えてむにゃってしまうし、わけがわかりません。だれでも彼になれるわけじゃないけれど、だれも彼を諭すことはできない。「それは正しくないことだ」と説得することはできない。もっと原始的な闇のような存在。魅力的に思えるところがなんとも恐ろしい。あまり長くなりすぎてもなんなので、この辺でストップ。興味のある方は読んでみてください。辛いけど頑張って、クライマックスである「悔悟」まで。あとの部分(警察行って自首するあたりから終わりまでの数ページ)はほっとできる箇所だけど、悔悟とその前の葛藤がこの本のすべてなので、すごーくすごーく割愛されてます。しょうがないけどね。いずれにせよ、ドストエフスキー最高傑作と思われます(個人的にはカラマゾフのほうが好きだけど、完成度はこっちのほうが高いと思う)。昔のように特権階級だけに許されるのでなく、だれでも読もうと思えばこんなすごい小説を読むことができる、そういう時代であるのは幸せなことです。▼この本はこちら。12時間ぐらい? ■江川卓訳の岩波文庫版で読みたい方。 罪と罰(上) 罪と罰(中) 罪と罰(下) ■工藤精一郎訳の新潮文庫で読みたい方はこちら(安上がり)。 罪と罰(上巻) 罪と罰(下巻)
2006.01.10
科博で開催中のパール展を観に行った。装飾品だらけかと思っていたら案外そうでもなくて(もちろん装飾品は多数展示されていたが)、淡水・海水、または貝ごとに生ずる真珠の分類と特徴、養殖の話、産業の話、はては「貝リンガル」なる生体センサーの説明まで、いろいろあって面白かった。真珠のほうだけでなく、真珠質に覆われた貝殻にスポットをあてた展示もあり、いろいろ勉強になった。今や私たちの洋服を飾るボタンはほぼプラスチック製だけど、昔は真珠貝だったんだねー!洋服に付いてたはずなのに、全然わかってなかった私(苦笑)。まさかあれが貝だったなんて。今の今まで、実感としてなかった。そういえば「貝印」のボタンってあったな。ああ、なんだかとても懐かしい(いや、今でもあるんだろうけど)。展示途中に、ニューヨークの自然史博物館からやってきた教材ビデオみたいなやつを上映しており(日本語で吹替え済み)、2~3分の番組を3本くらい見たかな。どれも出来よく、興味を持てる内容だった。時間も短くて飽きないし、ばっちり。本家の自然史博物館には、こういったビデオがたくさんあって、全部見ていると一週間ぐらいかかるのかもしれない。アメリカ人って、どうしてこういうものを作るのがうまいのかね?私は、現代の養殖業では真珠がいくらでも取れるようになったのかと思っていたのだが、実はいまだに全体の50%しか真珠が取れないらしく、ちょっとびっくりだった(残り50%は死んじゃったり真珠を形成しなかったり)。やっぱり生き物相手は大変なのね。鉱物と違って生産量が有限じゃないのはメリットだけど。取れた50%の内訳がさらにあって、25%は店頭に並べられないような品質(粉にして使ったりすることになる)で、20%がいちおう店頭に並べられる品質で、文句なく宝石として売り出せる品質の真珠は全体の5%しかないらしい。いわゆる「花珠(はなだま)」ってやつだ。1万個のアコヤ貝を収穫(浜揚げ)して取れる花珠がやっと500個?一連のネックレスに50個使うと、10本しかできないの!?がーん。………じゃあ、最近ネットでよく安売りしてる花珠って、いったい何だ?本当に花珠なのか??かなり強い疑問を感じてしまったりして……。それにつけても、古来、真珠を愛でる風習のなかった日本が(真珠質に覆われた貝殻のほうは螺鈿に使ったけど)、近代以後、一躍真珠産業のリーダーになっちゃったのはなんだか妙な話だ。この産業が、日本人に向いていたのかな。どこがと問われると困るけど……海に慣れてたとか手先が器用で核の埋め込みに有利だったとか?人が多かったせいもあるけど(人の溜まってるところは見られなかったりした)、1時間半くらいかけてゆっくり見た。まずまずの展示だったんではないかと思う。お土産に、貝のかたちをした和三盆を買った。……なぜパール展のお土産で和三盆?ま、美味しかったからいいか。(ちなみに、一番人気はシェル型のマドレーヌらしかった。なぜパール展でマドレーヌ……)
2006.01.09
もういい加減いいかと思い、一番大きいやつを二株収穫した。あとはもう少し様子を見てから。さて、今晩は何しよう。
2006.01.08
テリー・ギリアム監督の新作。出演は、マット・デイモン、ヒース・レジャー、モニカ・ベルッチ、ジョナサン・プライス、レナ・ヘディ他。13日で終わってしまうらしいので、慌てて観に行った(実はお正月までこの映画のことはすっかり忘れていた…)。あらすじ:19世紀、フランス占領下のドイツ。兄ウィル(マット・デイモン)と弟ジェイコブ(ヒース・レジャー)のグリム兄弟はヤラセの魔物退治で生計を立てていたが、仏軍に詐欺罪でしょっぴかれ、ギロチン刑の代わりにマルバデンの村で起きている怪事件を解決するよう強いられる。拷問係のカヴァルディ(イタリア人)を目付けに一行が訪れた村では、すでに10人の少女が行方不明になっていた。狩人アンジェリカ(レナ・ヘディ)に案内を頼んで入った森で彼らが遭遇したのは、どうやらホンモノの魔物のようで……。面白かった。「未来世紀ブラジル」や「12モンキーズ」のような切り口を求めていたコアなギリアム・ファンには物足りないんだろうな。でも私にとっては十分佳い映画だった。自分がグリム好きってせいもあるか(言っておくがそれはもう20年以上前からのことで、最近のブームとは関係ない。つーか最近ヘンに騒ぎすぎ)。ジャックと豆の木をはじめ、眠りの森の美女、赤ずきんちゃん、ヘンゼルとグレテル、ラプンツェル、白雪姫などなど、グリム童話のモチーフ満載(必ずヒネってある)。グリム好きには「おっ」と思える仕掛けがあちこちに。そもそも兄弟で魔物討伐に出るあたり、双子の王子の冒険を思わせるものだ(途中で片方がむにゃって最後にむにゃるあたりも…)。「フィッシャー・キング」ではギリアムは現実をおとぎ話化していたけれど、これはちょうどその逆っぽい。おとぎ話を現実の中に根付かせたというのかな。その手法がうまい。最初は「ああ、こういう現実がおとぎ話のネタになるのね」といった観点でいろんな例を見せられる。現実がおとぎ話のネタになることから、おとぎ話自体が「現実にあっておかしくないもの」として認識され、その存在感を獲得していく。そのあとでホンモノのおとぎ話(?)が出現しても、すでにある程度の存在感が確立されているから、現実とのギャップを認識せずにすむわけ。…………かな、もしかして(汗)。魔女役のモニカ・ベルッチ、映画評で書かれているとおり、美しい~。まさに魔女。実に魔女。いやぁ美人だった。笑ったのはジョナサン・プライス。フランス人を戯画化しての演技がハマっていて、いちいちおかしい(プライス演ずる仏軍の大将の名前が、わざとフランス語の発音を強調するようなでたらめ?な名前になっているところからおかしい)。カヴァルディも味があったし、脇役もみんなよかったな~。そも、大道具小道具見るだけでも面白いと思う。娯楽作だがちょっぴりホロリな部分もあって、個人的にオススメな作品。……………。……………。やっぱもう一回見ないとわかんないや。あちこち。あの村の老婆の台詞の意味とか、カヴァルディが最後に呪う意味とか、もう一度見て確認したい……。今回の映画はわかりにくくないように思っていたけど、そう見えて実は難解なのかも(涙)。とりあえず次はビデオ(DVD)化を待とう。
2006.01.07
野田秀樹の「贋作・罪と罰」を見た。ストレートでわかりやすい、『罪と罰』そのままだったという友人の評を聞いて、ある意味安心して行った。確かにわかりにくいところはなかった。わりかし現実的であり、言葉遊びだけで展開するような場もなかった(『罪と罰』じゃさすがに無理ってことかな)。話もシンプルなまま、思っていたよりずっと原作に近い。ただちょっと(野田にしては珍しく?)どこにいちばん焦点合わせたいのかがわかりにくいだけ(笑)。まぁ相変わらず衆愚に対する怒りのようなものは伝わってくるが、テーマとなっている「理想の実現のためなら小さな悪は許される(注:原作ではもう少し複雑)」という思想はインテリのものであって大衆とは一線を画する、つまりその思想の批判は大衆よりインテリ批判に相当することになる。それが悪いというわけではなくて、そんなところに焦点当てたいわけじゃないんじゃなかろうかという疑問が……。それから、どちらかといえば怒りのアンテナが「理想を論じながら(=こいつを殺せば世の中良くなると言いながら)自分では行動しようとしない人々」に向けられているようなのが気になった。自分で責任取りたくないから他人にやらせようとするのは、真実、醜い振る舞いだけれど、だからってじゃあそれ(理想のための殺人)を「実践」したら偉いんかってーとそれも違うはずで……。しかし今になって思うとそれらはみな「大義のためなら何でも許される」という某アメリカ(「某」付ける意味ないね…)のような、あるいは極東の国の首相のような、稚拙(単純馬鹿で幼稚)な志向をことごとく粉砕するための手法であったのかもしれない。あちらからもこちらからも否定する、そうするための。松たか子は頑張ってたし(野田の舞台では毎回叫ぶ役だね)、古田新太は相変わらず上手かった。脚本もあとから考えると巧妙に細工してある。主人公以外は、だいたい原作における複数の人物の役割を振り分け、重ねて演じるようになっている。たとえば古田の役は主にはラズーミヒン(友人)だが、ソーニャ(娼婦)やドゥーニャ(妹)も部分的に受け持つ。その再構成のしかたは非常にうまく、見ている者に不自然さを感じさせない。ただ、肝心の野田が……ちょっと……さすがに浮いてないですか(苦笑)。『罪と罰』への先行イメージを持っているからそう思うのかもしれないけど。あとは、幕末の、「理想に燃える志士たち」を持ってきているはずだが、その熱気が薄いような気がして、じゃあどうしてこの時代を舞台に選んでいるのかという意味がわかりにくかった(これについては全く私が鈍感なだけの可能性が高いけど)。実は『罪と罰』読んでません。だって有名なんだもん(言い訳)。読まなくてもみんな知ってるでしょ、あらすじ。だから読まなかったの、長いし。これから読む。読もうと思わせてくれた、それがこの舞台から得られた一番の果報だったのかもな。
2006.01.05
年末は全くヒマがなかったので、本日窓拭きをした。「正月二日から窓拭き…」と親には呆れられたが、本当にヒマがなかったんだからしょうがない。さすがに元旦は避けたけど、その元日は去年手がけられなかった年賀状を書いていたのだった(笑)。さておき。この部屋は(というか最近そういうマンションばかりだと思うけど)バルコニー側が全面窓で、大きなガラスが4枚はまっている。大きくて拭き甲斐がありそう。朝の10時から、1時間くらいかけて表裏ともきゅっきゅと拭いた。天気は曇りで寒かった。曇りのせいか、ぴかぴかになった感じはしない。まぁ……ちょっとは綺麗になったかな。午後から雨が降り出した。珍しく私が窓なんか拭いたせいですか……?
2006.01.02
全18件 (18件中 1-18件目)
1
![]()

