今日は、母の一周忌、父の十三回忌の法要でした。母が亡くなったのは昨年の12月3日、父が亡くなったのが12年前の2005年11月24日。ということで、母の一周忌と父の十三回忌を併せて、今日これを執り行うことといたしました。
母のカラオケ友達の嶋郎女さんもご参列下さいましたが、昨日わが家にお供えをお持ち下さった折にお持ち下さった封筒の中に、彼女が母の霊前にと詠んで下さった和歌が1首したためてありました。
野や山に 匂ひかぐはし 四季の花 それ思ひ出の 花も匂へと (嶋郎女)
席を変えての食事会の場でのご挨拶の中で、この歌をご紹介させていただき、そのあと皆さんにもご唱和をお願いし、犬養節でこれを皆で詠って、母に捧げることとしました。昨夜のうちにPCでこれを打ち込み、出席者人数分を印刷に打ち出したものを用意して居りましたので、これはハプニングではなく、小生の予め考えたシナリオでありました。勿論、嶋郎女さんに事前のご了解を得てのことであったのは言うまでもありません(笑)。
父母を しのぶこの朝 わが庭の 山橘は ひとつ実をつけ (偐家持)
法事の会場へと出かけるべしで、家を出る時、勝手口の前の庭の片隅の藪柑子が赤い実を一つ付けているのが目にとまりました。早朝の雨に濡れた赤い実は、ぽっちりと照り輝いているようでもありました。
ヤブコウジは万葉ではヤマタチバナである。山橘、夜麻多知婆奈、山地木などと書く。
<追記>
読み返してみて、ヤブコウジの万葉歌を記載していないことに気付きましたので、何首かある中の一番有名なこれを追記して置きます。
この雪の 消
残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む(大伴家持 万葉集巻 19-4226
)
話は変わるが、大伴家持の長歌に「知智
(ちち)
の実の 父の命
(みこと)
柞葉
(ははそば)
の 母の命・・」
(万葉集巻19-4164)
というのがある。「ちち」というのはイチョウ説やイチジク説など諸説ある未詳植物であるが、一説にはイヌビワだとも言う。「ははそ」はコナラ、ナラガシワ、カシワ、クヌギなど、これも諸説あるが、コナラやクヌギなどのブナ科の落葉高木のことである。
防人の丈部真麻呂
(はせべのままろ)
の歌、「時時の 花は咲けども なにすれそ 母とふ花の 咲きで来ずけむ
(巻20-4323)
」という歌は「四季折々に花は咲くけれど、どうして母という花は咲いたことがないのか」と言っているが、母という名の花が無い訳ではないらしい。貝母
(ばいも)
とも呼ばれるアミガサユリがそれである。この花は古くは「母栗
(ははくり)
」と呼ばれていたそうな。
ということで、今日は父と母に関連した草木をとり上げてみました。
このアミガサユリとイヌビワは過去の記事でもとり上げているので、その折の写真を参考までに再掲載して置きます。写真をクリックすれば、拡大サイズの写真を、写真下のキャプションをクリックすれば、当該過去記事をご覧になれます。
( アミガサユリ
)
( イヌビワ
)
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