不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2004/11/17
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テーマ: 京都。(6125)
カテゴリ: 日本旅行記
京都旅行の165話目です。
瑞泉寺 豊臣秀次 菩提寺です。
坂本竜馬 が投宿した「酢屋」を見て、高瀬川沿いを三条通まで歩いていました。
すると、ふと目に入ったのは「 豊臣秀次 之墓」と大きな石に彫っています。
これは見ないといけないと思い、訪れて見ました。

瑞泉寺 は小さなお寺で、誰もいる気配がありません。

ほとんど訪れる人はいないでしょうけど、パンフが置いてありました。
100円か200円か忘れましたが、それが料金ですね。

少し奥へ行くと、石の塔があります。
これが 豊臣秀次 公御一族の墓所らしいです。
お墓なので、変わった所はありませんね。
その反対側には、写真が張ってあったと思いますが・・。
もう忘れかけています(笑)。

パンフをいただいて帰りました。




 ☆☆☆  瑞泉寺  うんちく ☆☆☆


太閤秀吉の姉「とも」の子として生まれた秀次公は、実施に恵まれなかった秀吉に請われてその養子となった。
一時は秀吉の後継者とされた関白太子大臣秀次は、淀の方に秀頼が生まれるや一転、邪魔な存在になった。
そして、淀の方を囲む武将たちの策謀に乗せられ、あらぬ疑いをかけられて、文禄四年(1595)七月、高野山で自害させられた。
そればかりか、その妻妾子供三十九人は三条大橋西南の河原で白昼、衆人環視の中、無残にも次々と斬殺されていった。
死骸はその場に埋めて塚とし、その上に秀次の首を石櫃(いしびつ)を据え、三条大橋を渡る人々の見せしめにした。


それから16年後に、角倉了以が高瀬川工事を進めていて、「塚」に参拝に行くと加茂川の洪水で著しく壊れていた。
角倉了以の巨財の寄付により本堂をなどを建てた。
秀次公の法名からとって「瑞泉寺」となった。
その後、「石の首びつ」は境内にある現在の墓域に移されて、今は石の塔の中央部に奉安されている。





◇瑞泉寺ですが、他の所にもあるらしいです。
他の所の方が有名らしいですね。
そことの関連はわかりませんけどね。
歩いていると、何かが見つかる事もありますね。





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Last updated  2004/11/17 09:08:26 PM
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