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北海道初上陸の「国宝 鳥獣戯画 京都 高山寺展」が来週の火曜日(9日)から「北海道立近代美術館」で始まります。今年本帰国して同館の一年間会員になり本来であれば何回でも鑑賞可能のはずですが。会員が複数回特典を利用すると美術館にとって財政的な負担が多いという理由で9月1日までの開催期間に1回だけ見る事が出来るという鑑賞券が早々に送られて来ていました。
1994年に「世界文化遺産」に登録の「高山寺」
この展覧会のお知らせで私は初めて「高山寺」というお寺の名前を知り、調べてみると774年(奈良時代)に創建された古刹(由緒あるお寺)で1206年(鎌倉時代)に明恵上人
(みょうえしょうにん)
が後鳥羽上皇からその寺域を賜り高山寺として再興したと説明があります。後鳥羽上皇と言えば大河「鎌倉殿の13人」を思い出します。北条義時追討を企て(承久の乱 1221年)失敗し隠岐に島流しに遭っています。
何故「高山寺」に転籍文書、仏画、鳥獣戯画など多種多様な絵画(国宝8点、重要文化財1万点余り)が集められたのかについては明恵上人(1173-1232)のひたむきに修行に打ち込む姿が多くの弟子に慕われ、皇族や武家の要人からも支持を集めたからだそうです。またこの寺は茶の発祥地らしく明恵上人が栽培した茶が宇治へと伝わり「宇治茶」という名称が現代に引き継がれているそうです。
高山寺展のパンフレットの中で特に興味を惹かれた2点です。左が「国宝 仏眼仏母像(12~13世紀)」で幼くして父母を亡くした明恵は仏眼仏母を母と慕い24歳の時この像の前で自らの右耳を切り、修行に邁進する決意を固めたそうです(ゴッホの耳切り事件を思い出します)
右は「夢の記 第10篇」で40年書き続けた明恵の夢日記の一部です。明恵は夢を神仏からのメッセージと捉え最晩年まで記録し続けたそうです。
1期から3期に分け作品を入れ替えての展覧会なので、どの期に行くか思案中です。川端康成など近現代にも時代を問わず様々な人々を引き付けた明恵の精神をちょっとでも垣間見る事が出来ればと思います。
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