星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2024.07.16
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 「道長の子」が史実かどうか謎ですが、ウィキペディアでは999年に紫式部と藤原宣孝の子として生まれた娘、藤原賢子(第弐三位・だいにのさんみ)は3歳で父と死別しています(結婚生活はわずか3年で死因は疫病)その翌年には紫式部は「源氏物語」の執筆を始めているようで、私は中宮彰子の女房として入内した後に書き始めたと思っていたのですが、入内は1006年か1007年頃(彰子中宮は19歳頃)だそうです。もし藤原賢子が道長の子供であったら紫式部の女房としての入内もすんなりと繋がっていく感じがします。

 そして驚いたのは賢子も紫式部の跡を継いで18歳で彰子中宮の女房として入内している事です。紫式部の父「藤原為時」や母親譲りの文才があったのか百人一首にも選ばれています。

58番「有馬山 猪野(ゐな)の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」

​現代語訳:​ ​​ 有馬山の近くにある猪名(いな)にある、笹原に生える笹の葉がそよそよと音をたてる。まったく、そよ(そうよ、そうですよ)どうしてあなたのことを忘れたりするものですか。
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最終更新日  2024.07.16 15:58:00
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