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奈良の2大コスモスの名所、斑鳩町と藤原宮跡のコスモス、今年も行くことが出来た。(斑鳩町、法起寺五重塔とコスモス)(藤原宮跡、畝傍山とコスモス)11月4日、久々にリュウちゃんの住んでいる斑鳩(いかるが)の里のコスモス見物に出掛けてみました。ブログでは、過去に何回か斑鳩の里のコスモスのブログをアップしたことがあります。以前は、法隆寺の西側にある「藤の木古墳」の周辺や、「斑鳩三塔」の一つ、「法輪寺」の傍にもコスモス畑があったのですが、数年ほど前から「藤の木古墳」や「法輪寺」周辺のコスモス畑は、次々と稲田や宅地に代わってしまい、現在では、「法起寺(ほうきじ、ほっきじ)」周辺と、新たに「コスモスの名所」としてオープンした「中宮寺跡地」の2か所のみが、「斑鳩の里のコスモスの名所」となってしまったのです。今は亡き「藤の木古墳」と「法輪寺」周辺のコスモスが懐かしい!(「藤の木古墳」とコスモス、2016年撮影)(「法輪寺」とコスモス、2016年撮影)なので、今回の「斑鳩町コスモス巡り」は、いきなり「法起寺周辺のコスモス」から始まります。「法起寺」周辺のコスモスも、以前と比べると、作付面積が1/3位に減ってしまった。「法起寺周辺のコスモス」と云えば、本ブログ冒頭の写真のように、国宝の「法起寺三重塔」とコスモスのコラボです。毎年、斑鳩町の「秋の観光ポスター」には、必ずこの図柄が使われるのです。斑鳩の里の秋のシンボル、「法起寺三重塔」とコスモスのコラボ、久々に撮ることが出来た。「藤の木古墳」、「法輪寺周辺」に代わって、斑鳩の里の新しいコスモスの名所に躍り出たのが、「中宮寺跡地」のコスモス」です。「中宮寺跡地」は、「法起寺」から県道を500m程、南に行った所にあります。「中宮寺跡地」???「中宮寺」は法隆寺夢殿の裏手に在る!「跡地」って、何なのだろう???<「中宮寺跡地」について>(中宮寺弥勒菩薩)本尊の「木造菩薩半跏像(弥勒菩薩)」(国宝)で知られる「中宮寺」は、現在は法隆寺東院の「夢殿」の裏手にありますが、江戸時代以前は、現在の場所から500m離れた「跡地」にあったのだそうです。「跡地」の発掘調査は昭和30年代から始められ、2018年(平成30年)、「中宮寺跡史跡公園」として整備されました。発掘調査の結果、以前の「中宮寺」には、「三重塔」が存在していたことが判った。現在は、「斑鳩三塔」だが、江戸時代以前は「斑鳩四塔」だったのだ!整備された「中宮寺跡史跡公園」の周辺には、コスモスが植えられ、「法起寺三重塔」と並ぶ「斑鳩町のコスモス名所」となったのです。本日のコスモス、やや盛りを過ぎて、しかも11月2日の強風で、かなり倒れていたが、天候に恵まれて、まずまずの写真が撮れた。<藤原宮跡のコスモス>11月8日、今回もリュウちゃん一人で、「藤原宮跡」のコスモスを観に行ってきました。午前9時過ぎ、家を出発、電車を乗り継いで、近鉄「畝傍御陵前駅」に着いたのだ午前11時ジャスト、当初の予定通り、駅前の「餃子の王将」に入り、早い昼食、プファ~、ビールが旨い!定番の「餃子」、「エビチリ」、少量だけど、ビールのツマミにはこれで充分なのだ。駅前から、「藤原宮跡」までは徒歩15分位です。「餃子の王将」から徒歩5分の所に、「本薬師寺跡地」があります。この辺りから、この地特有の古代のアトムモフィア(雰囲気)が濃厚になってくる。「藤原宮跡」が見えてきました。まだコスモスは咲き残っているかな?コスモスが見えてきました。良かった!まだコスモスは咲き残っていた!<「藤原宮跡」について>「藤原宮跡」は、持統天皇8年(694年)に造営された「藤原京」の跡地です。「藤原京」は、古代中国の「唐」の都を参考にして作られた日本初の本格的な「都」です。和銅3年(710年)に「平城京」に遷都されるまで、16年間に渡り、「日本の首都」だった場所なのです。「畝傍山」、「耳成(みみなし)山」、「(天の)香久山」の、所謂「大和三山」のトライアングルの中心部に宮殿が築かれ、その壮麗さは、後の「平城京」、「平安京」を上回ったと推定されています。(「藤原京」復元図)コスモス畑に入ります。例に拠りまして、背景の「大和三山」とコスモスというコンセプトで写真を撮りましたので、本ブログも、そのコンセプトに従って写真をアップします。<畝傍山とコスモス>大和三山の中では、「藤原宮跡」から一番遠くにある山です。「畝傍山の背後に霞んでいる山並みは、右から、「二上山(にじょうざん)」、「葛城山」、「金剛山」です。<耳成山とコスモス>「耳成山」は、「藤原京」の宮殿の背後にある山です。持統天皇が宮殿の玉座に座った場合、完全に「背後の山」となり、玉座から見ることは出来なかった筈の山ですね。「耳成山」の遥か背後に、710年に造営された「平城京」があるのです。<天の香久山とコスモス>「天の香久山」は、百人一首の持統天皇の和歌で有名になった山です。この山の右側の道は「明日香村」に続いています。背後の山は、「大化の改新」で中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が談じ合った「談山神社」のある「多武峰(とうのみね)」なのです。本来だったら、「藤原宮跡」から3キロ東にある「安倍文珠院」まで歩いて「コスモス迷路」を観に行くのですが、足の調子が悪いので、今回は諦めました。足の具合が悪いため、行動半径が狭くなってしまったが、今年も奈良のコスモスの2大名所を歩くことが出来た。少々満足。<藤原宮跡、世界遺産に登録か?>10月15日に更新した「明日香路の彼岸花2024(2)」のラストに、<明日香村と隣接する藤原宮跡、世界遺産に登録申請>というトピックスを書きました。順調に行けば、今回、コスモス見物に訪れた「藤原宮跡」も、2年後に世界遺産に登録される筈です。そうなると観光客が激増して、「藤原宮跡」独特の「古代のアトモスフィア」が失われてしまう恐れがある。痛し痒しなのだ!
2024年11月26日
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夢に見た秘境の駅「奥大井湖上駅」エメラルドグリーンのダム湖の小島の上、今、眼下のパノラマのように拡がる。10月22~23日、女房殿と2人で、静岡県の名勝を巡る一泊パックツアーに参加して来ました。これまでリュウちゃんは伊豆半島を除いて、静岡県は何時も「通り過ぎるだけの県」でしたので、観光旅行に行くのは今回が初めてだったのです。今回の旅程は以下です。(1日目)新幹線京都駅集合~「こだま号」で「静岡駅」下車~静岡駅からバスで、大井川鉄道「奥泉駅」に行き、そこから大井川鉄道に乗り、「奥大井湖上駅を経て、終点の「井川駅」下車~「井川駅」から再びチャーター・バスに乗り、「三ケ日温泉」のホテルで宿泊、(2日目)チャーターバスで、「浜名湖ガーデンパーク」~「日本平(にほんだいら)、久能山東照宮」~「三保の松原」~新幹線「静岡駅」早朝6時に家を出発、京都駅で、新幹線車中で食べる弁当とビールを購入し、車中で、早速、プファ~、ビールが旨い!旅に出た時は昼夜ビール漬け、これ、リュウちゃんの「生き甲斐」なのだ。本日の天気は、生憎の「曇り」、でも、「伊吹山」は車窓から観ることが出来ました。「静岡駅」で下車、チャーターバスに乗り換えて大井川を遡ります。以下の写真は、バスの車窓から撮った大井川です。上掲の1枚目の写真、歌川広重の「東海道五十三次」の「金谷・大井川遠岸」に似ている!広重もこの辺りを旅したのかな?(歌川広重「金谷・大井川遠岸」)午後2時頃、大井川鉄道井川線の「奥泉(おくいずみ)駅」に到着、ここでチャーターバスを降り、大井川鉄道に乗り換えます。「奥泉駅」、正に「秘境駅」だ!縄文時代の竪穴建物を模したトイレ、外観と異なり、中は近代的なのだ。以下の写真は、井川線の列車の車中からの眺めです。線路の下に流れるのは大井川の上流の「接阻峡(せっそきょう)」と呼ばれる渓谷で、「長島ダム」の上の人工の湖は「接阻湖」で、この湖の真ん中の小島の上に、お目当ての「奥大井湖上駅」が築かれているのです。<大井川鉄道井川線>今回、リュウちゃん達が「奥泉駅」から乗車した「大井川鉄道井川線」は、標高300mの「千頭(せんず)駅」から、標高686mの「井川駅」までを結ぶ全長25,5キロの山岳鉄道です。始点の「千頭駅」から終点の「井川駅」までは、14の駅があり、所要時間は約50分です。走行時速は約30キロ、超鈍速列車なのです。大半の区間が非電化でディーゼル機関車を使っていますが、勾配の急な「アプトいちしろ駅」から「長島ダム駅」の2駅の間は電化区間で、「ディーゼル機関車」の前に「アプト式電気機関車」を連結して、急勾配の坂を上るのです。途中、トンネルが61カ所、鉄橋が55カ所、14の駅の内、約半数がいわゆる「秘境駅」です。時速30キロの超鈍速鉄道、以前、スイス旅行の時乗った「氷河特急」のようだ。(スイスの氷河鉄道)お目当ての「奥大井湖上駅」に到着、アチャ~、この駅の停車時間は僅か1分、下車にて写真を撮ることはおろか、ホームに出る時間も無い!夢見た絶景は何処で撮れるのだろうか?結局、終点の井川駅まで列車に乗り、そこで下車、「奥泉駅」でお別れしたチャーターバスに再び乗り込み、10分ほど山道を下ったところで、添乗員の女性が、「ここが湖上駅を見下ろす絶景ポイントです」、で、バスを降りて3分程山道を下りますと、おお!夢にまで見た「奥大井湖上駅」の絶景、遂に眼下に出現!このツアーに参加した甲斐があった!この絶景スポットの撮影時間は5分くらいしかありませんでしたので、ちょっと写真が単調になってしまいましたので、以下にネットからお借りした写真を2枚貼り付けます。下の写真は、多分、「ドローン」で撮影したものと思われる「鉄橋」を上部から撮影した写真です。線路の横に、人が歩ける「遊歩道」がある!この鉄橋の名称は「奥大井レインボーブリッジ」、東京の「レインボーブリッジ」よりも3年早く建造された元祖「レインボーブリッジ」なのだ!「湖上駅」で下車して、「レインボーブリッジ」を空中散歩してみたかった!(奥大井レインボーブリッジ)ここからバスは宿泊地の浜松市の「三ケ日温泉」のホテルに直行、夕食は浜名湖名産の「うなぎバイキング」、プファ~、ビールが旨い!うなぎ食べ放題、ビール飲み放題、リュウちゃんにとって、ここは極楽浄土なのだ!翌日の23日は朝から雨(しかも強雨!)ホテルのベランダかた見下ろす猪鼻湖(いのはなこ)の湖面も雨で煙っていました(残念!)朝食を終え、午前8時30分にチャーターバスに乗り込み、本日の最初の目的地である「浜名湖ガーデンパーク」に向かいました。「浜名湖ガーデンパーク」は2004年にオープンした静岡県営の大規模公園です。面積56ヘクタール、規模から推定すると、リュウちゃん行きつけの奈良県営「馬見丘陵公園」に似ている?ここで約1時間自由散策、といいましても、降りしきる雨の中、何処へ行ったらいいのか、サッパリ分かりませんので、係員から聞いた展望塔と、その下にある「コスモス園」に行って見ることにしました。下の写真が「展望塔」です。高さ54m、展望所の高さ44m、ちょっと中途半端な高さかな?「展望所」に登ります。雨に煙る眼下の光景、ちょっと残念!「展望塔」の直下に、「コスモス園」が見えました。「展望塔」を降りて、「コスモス園」に向かいます。「コスモス園」の傍に咲いていた赤い花、何という花なのだろう?「コスモス園」です。雨に濡れたコスモス園、「馬見丘陵公園」のコスモスと比べると、ちょっとコンパクトだが、今年初めて満開のコスモスを観た。午前10時過ぎ、再びバスに乗りました。バスはここから次の目的地である「日本平(にほんだいら)」に向けて東名高速道路を東に向かってひた走ります。走ること約2時間、正午頃、「日本平」のバス停に到着。「日本平(にほんだいら)」、名前だけは聞いたことがあるが、どんな所なのかサッパリ分からない。どんな所なのだろう?<「日本平」とは>「日本平」は静岡市駿河区と清水区の境界の駿河湾の海岸の近くにある「有度山(うどやま、標高307m)」の山頂と、一帯の丘陵地及び名勝地である。ここは屈指の「富士山の絶景スポット」である。(日本平から観た富士山、この写真はネットからお借りしました)また、眼下には「清水港」や「三保の松原」などが一望出来る。「日本平」の山頂からは「日本平ロープウェイ」が運行していて、下にある「久能山東照宮」まで5分で行ける。「日本平」の地名は、「日本書紀」の「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」の東征伝説に由来しているようだ。この地でヤマトタケルは「火攻めの謀略」に逢い、危うく命を落とす危機にみまわれたが、「草薙の剣」で火を払い危機を脱して、ここで勝どきを挙げた。「日本平」の名称は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説から来ているようだ。であるならは、「日本平」は、「二ホンダイラ」ではなく、「ヤマトダイラ」であるべきなのかな?本日の天候は「雨」なので、富士山見物は諦め、ロープウェイに乗って「久能山東照宮」に向かいました。ロープウェイから見下ろす「久能山」の谷底、雨で曇っている(残念!)「久能山東照宮」に到着、幸いなことに、到着直後に雨は止んで、殆んど傘を使わずにお参りすることが出来たのです(一部、傘をさしている人はいたのですが)<「久能山東照宮」について>「久能山東照宮」は元和2年(1616年)、75歳で没した徳川家康公が、埋葬された神社です。家康没後すぐに着工され、元和3年(1617年)12月に「東照社」として創建されました。有名な「日光東照宮」も元和3年(1617年)に創建されていますが、これは家康の遺言によって改葬された神社のようです。このように、「久能山東照宮」は、現在、全国に多数存在する「東照宮」の原型であり、元祖「東照宮」なのです。以下の「図」は、「久能山東照宮」の伽藍図です。(伽藍図)「久能山東照宮」は、一番下から社殿まで、1159段のキツい石段があります。足の調子の悪いリュウちゃん、ロープウェイが無ければ、「久能山東照宮」参りは全く不可能なのだ。結局、リュウちゃんはロープウェイの駅の近くの「楼門」から「社殿」の前までしか行けず、「本殿」まで行くことは出来ませんでした。以下に「楼門」から「社殿」の前で撮った写真を何枚か貼り付けます。リュウちゃんを置き去りにして、本殿見物をした女房殿、貴女は偉い!午後1時過ぎ、バスは「日本平」を出発して、昼食場所に向かいました。昼食場所は、清水港の「エスパルス・ドリームプラザ」の中にある寿司店です。腹ペコでしたので、ビール(中瓶2本)を追加注文し、遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!空きっ腹にお寿司とビールが沁み込む。少々、お寿司の量が足りませんでしたので、更に「本マグロ」中トロ3貫と赤貝3貫を追加注文、プファ~、益々ビールが旨い!久々に食べた中トロと赤貝益々、お腹に沁み込む。食いねえ食いねえ 寿司食いねえ(二代目広沢虎造「石松三十石船」の名セリフ)昼食を終えて、波止場に向かいます。ここから「水上バス」(遊覧船)に乗って、今回のツアーの最後の見所「三保の松原」に行くのです。この日、清水港の海には5頭のイルカが回遊していて、何度かリュウちゃんも見ることが出来たのですが、残念ながら上手く写真を撮ることが出来ませんでした。動体視力の鈍いリュウちゃん、動いている生物の写真を撮るのは、苦手中の苦手なのだ(トホホ!)水上バスの丸窓に「三保の松原」が見えてきました。天気が良ければ、この辺りは屈指の富士山の絶景スポットなのですが、本日は残念ながら天候不良、なのでネットからお借りした「三保の松原から見た富士山」の写真を以下に貼り付けます。(「三保の松原から見た富士山」、この写真はネット五からお借りしました)「三保の松原」に入ります。「三保半島」の東岸、総延長約7キロ、5万本余の黒松で構成される「三保の松原」、こんな凄い黒松の林、初めて観た!下の写真は、三保の松原の「羽衣伝説」に由来する<三代目「羽衣の松」>です。2010年に世代交代した推定樹齢200年のクロマツ、まだ余り貫禄は無いようだ。尚、上掲の「羽車神社」には朽ちてしまった<二代目「羽衣の松」>の切り株が安置されています。<三保の松原の「羽衣伝説」>「羽衣の松」は、三保の松原の「羽衣伝説」で、天女がこの松に羽衣を架けて海で水浴びをしたとされる松の木です。この伝説の詳細につきましては、下記のサイトに詳しく書かれていますので、興味のある方は下記サイトをクリックしてご覧下さいね。<三保松原の羽衣伝説>「三保の松原」の羽衣伝説は、幼い時に話を知って、今でも「美しい思い出」として心の中に残っているのだ。午後3時、チャーターバスで「三保の松原」を出発、午後4時、新幹線「静岡駅」から「こだま号」に乗り、帰路につきました。「静岡駅」で駅弁と缶ビールを買い、車中で夕食、プファ~、ビールが旨い!「三保の松原」の天女、今頃、富士山の上を飛んでいるのだろうか?(木村武山「羽衣」:静岡美術館蔵)
2024年11月13日
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初秋の馬見丘陵公園、赤いサルビアが晴天に映える。10月10日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、「馬見丘陵公園」に行って来ました。10月10日と云いましても、この日の奈良の最高気温は30℃の真夏日、暑くならない内に散策しようと思い、午前9時前の家を出発、午前9時ジャストに公園の北エリアの駐車場に到着、駐車場前の「集いの丘」、絶好のお花見日和だ!本日の主な目的は、コスモス、コキア、ダリアです。、コスモスのメインの場所は、「集いの丘」と、左側の小径なのですが、残念ながら、まだ「開花始まる」の状態、殆んど咲いていませんでした。ちょっと早過ぎた。コスモスの代わりに、本日の「集いの丘」は、赤いサルビアがメインの花なのだ。<岩淵リリ「サルビアの花」><中田喜直「サルビア」>北エリアのコキア、少し色づいて来た。トンネルを潜って、中央エリアに向かいます。中央エリアの主役の花は、アメジストセージ(サルビア・レウカンサ)です。この花、紫のサルビアなのかな?中央エリアには、まだ、ひまわりが咲き残っていました。馬見丘陵公園のひまわりの見頃は、8月の筈なのに、今年は10月になっても咲いている。やはり、まだ真夏なのだ!???「下池」の畔にでました。「下池」を悠然を泳ぐ巨大な草魚、遥か彼方に若草山が見える。「下池」から、コキアのメインの見所である「カリヨンの丘」に向かいます。「下池」の土手に、彼岸花が咲き残っていた!ゴルフボールのようなキノコ、多分、毒キノコだ。「カリヨンの丘」に到着、アチャ~、今年のコキアは、かなり疎らだ(ちょっと残念!)何時ものように、「ナガレ山古墳」の下に休憩所で暫し休憩、ここから「帰路」になります。帰路は「上池」の畔を辿ります。道筋の左手に、春と秋の2期咲きの「コブク(子福)桜」が咲いていました。最初は、夏の猛暑による「狂い咲き」だと思ったが、後で「2期咲き桜」と判明、自然の摂理は、正常だったのだ。「上池」の畔には、針葉樹の「ラクウショウ(落羽松)」の林が続いています、暗いエメラルド色の「上池」と、落羽松のコラボ、ちあきなおみの名歌、「ひとりしずか」を連想する。<ちあきなおみ「ひとりしずか」)><「流れのある坂道」の白い彼岸花>落羽松の林を抜けた所は、「流れのある坂道」エリアです。ここには約300本ほどの白い彼岸花が見られる場所なのですが、「お彼岸」から半月が過ぎた本日まで咲き残っているかは疑問だったのですが、、、咲き残っていた!約半分程は枯れていたが、まだ充分、鑑賞に耐えられる。「公園館」の前を通り、北エリアに戻りました。<北エリアの「ダリア園」>初秋の馬見丘陵公園の一番の見所は「ダリア園」です。ここには、120種1000株のダリアが植えられています。例によりまして、この日撮ったダリアを紹介致します。<マザー><窓の明り><白鳳>赤いダリアなのに、「白鳳」とは、これ如何に?<黒蝶>正に「黒いダリア」だ!<ポートライトペアビューティ><ピンキーサンタ><金魚花火>ゴージャスな赤い大輪のダリア、品種名は、「真っ赤な太陽」が相応しいかな?<さんさん><キャンディキス><オレンジベルベット><ポンポンショコラ>ダリア版「チョコレートコスモス」ですね。<月の使者><オレンジクッション><光炎(こうえん)><飛翔><大海原><レモンソーダ>虫がとまっていた。ダリアの蜜、美味しいのかな?<ルージュマジック><巨星><ハミルトンジュニア><イーグルアイ><ゾロ><宙(そら)><ファーストレディ><赤陽(せきよう)>ふぅ~、やっと25種類紹介することが出来ました。正午過ぎ、公園を後にして、近くの寿司店で昼食、プファ~、ビールが旨い!「花より団子」ならぬ、「花よりお寿司とビール」なのだ!
2024年10月29日
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今年の「稲渕案山子コンテスト」、最優秀賞に選ばれた「キキとジジ」秀逸な作品だ!(前回のブログの続きです)「石舞台」の麓を見下ろすレストランで昼食を終えて、午後1時に次の目的地である「稲渕棚田」に向かいました。レストランから「稲渕棚田」までは、徒歩30分の上り坂、無事、辿り着けますことやら?以下は、「石舞台」から「稲渕棚田」への道筋で撮った写真です。「石舞台」より標高の高い所は、彼岸花が少ない。開花はこれからなのかな?午後1時30分、「稲渕棚田」に到着、「稲渕棚田」の見物(みもの)は、「第29回案山子コンテスト」です。今年はどんなユニークな案山子に出逢えるのかな?棚田の入口に、巨木を使ったオブジエがあります。オブジエの下の白い彼岸花、今年も見ることが出来た!小滝のある橋の下を潜ると、そこから約500mに渡り、「案山子ロード」が続きます。さて、ここからは、「案山子ロード」に展示されていたユニークな案山子を幾つか紹介してみます。今年も30点ほどの案山子が出展され、作品にはタイトルと制作者の名前が書かれているのですが、全ての作品を紹介出来るスペースはありませんので、好感を持てた案山子を10点ほど紹介いたします。稲渕地区の「案山子ロード」、すっかり、秋の風物詩になった。<六地蔵に見守られる><「のこたん」withエッフェル塔><はすときいと僕の旅><マリンと遊ぶ><イナブレイキンかかし><朱雀><明日香より愛を込めて><外で遊ぼう><燕の親子><今年のジャンボ案山子>「案山子ロード」には、毎年、体長3~5mほどの「ジャンボ案山子」が展示されます。今年のジャンボ案山子は、「御陣乗太鼓」です。「御陣乗太鼓」???はて、何じゃらほい?<「御陣乗太鼓」とは>「御陣乗太鼓」は石川県輪島市名舟町に伝わる伝統芸能で、お面を被った人々が陣太鼓を打ち鳴らしながら勇壮に舞い、名舟大祭の一部として行われる日本遺産構成文化財です。越後の上杉謙信は、1576年以来能登へ攻め入って、翌年に名舟村をも攻撃したが、村人は鍬や鎌など以外は武器は持たなかったので、古老の知恵を借りて、樹皮のお面と海藻の頭髪で仮装して、太鼓を打ち鳴らして夜襲をかけて、上杉軍を退散させたという。村人たちは名舟沖48kmにある舳倉島奥津比咩神社の大祭に御陣乗太鼓の舞いを奉納するようになった(以上、ウィキペディアからの引用です)今年の案山子コンテストは、年初の「能登大震災」と、秋の「大水害」に対し、復興の祈りを込めてエールを送ることが主要テーマになっていましたので、「御陣乗太鼓」をジャンボ案山子に仕立てたのでしょうが、一般の人にとっては殆ど理解出来ない案山子になってしまったとリュウちゃんには思われました。これまでリュウちゃんが見た一番お気に入りのジャンボ案山子は、2021年の「大谷翔平」案山子なのです。大谷翔平選手のポストシーズン、ますます期待が高まる!(大谷翔平ジャンボ案山子)案山子ロードの終着点に、明日香村では唯一、黄色い彼岸花(鍾馗水仙)が咲く土手があります。期待が高まる!今年も開花が見られるかな?土手に近づいたところ、アチャ~、まだ「蕾膨らむ」だ!ちょっと早過ぎた。土手の上は、明日香村の「白い彼岸花の名所」の一つです。白い彼岸花も、まだ咲き始め、ちょっと淋しい。<今年の最優秀賞案山子「キキとジジ」>「案山子ロード」の終着点に展示されていた案山子です。ご承知のように、この案山子は、宮崎アニメ「魔女の宅急便」の主人公、13歳の少女の魔女「キキ」と、相棒の黒猫「ジジ」を案山子に仕立てた作品です。丁寧に仕上げられたチャーミングな案山子!アップで撮っても魅力ある表情!リュウちゃん、すっかりこの作品に魅了されてしまった!アニメで主題歌として使われたユーミンの、「ルージュの伝言」が口に出てくる。<「ルージュの伝言」:松任谷由実(?)>午後3時、稲渕棚田を後にして、帰路に就きました。ここからはずっと下り坂、少し足どりが軽い。帰路の彼岸花の見所は、「橘寺」周辺です。「橘寺」に近づくと、民家の傍の稲田の畔に彼岸花が目に付くようになってきました。「橘寺」の下の道筋に、馬の顔の形をした切り株があります。この切り株、「馬の顔」の形は単なる偶然なのか?<「橘寺」周辺の彼岸花>午後3時半、「橘寺」の前に到着、「橘寺」の前には、「聖徳太子御誕生所」という石碑が建っています。「橘寺」の周辺は、明日香村でも屈指の彼岸花の見所なのです(本日は、まだ桜に例えれば「五分咲き」くらいでしたが、、)かって聖徳太子も見たかも知れない「橘寺」周辺の彼岸花、古代の息吹を濃厚に感じるスポットなのだ。<「亀石」付近の彼岸花>「橘寺」から、「亀石」に向かいます。歩く方向の左側の高い土手の上の彼岸花、「見上げる彼岸花」なのだ!「亀石」に到着、楽しみにしていた」亀石」の下の彼岸花、今回は見ることが出来なかった。ちょっと残念(早過ぎたのかな?)<天武・持統陵>「亀石」から500m位、坂を下りた所に、「天武・持統陵」があります。陵の周辺に彼岸花は咲いていませんでしたが、コスモスが若干、開花していました。<高松塚古墳の近くの彼岸花>「天武・持統陵」の石段の下の道を下りますと、前方左手に「高松塚古墳」があるのですが、「高松塚古墳」に行くのには、一山越えなくてはならす、小1時間ほど掛かってしまいますので、残念ですが今年も「高松塚古墳」行きは諦めたのです。以下の写真は、今回の明日香村の彼岸花巡りの、「ラストの彼岸花」です。午後4時過ぎ、今回の散策の終着点である「近鉄飛鳥(あすか)駅」に到着。午前9時30分に「近鉄橿原神宮前」を出発してから、途中、昼食休憩を除き、ほぼ6時間、歩きっぱなしの旅でした。足の痛みも途中で忘れてしまうほどの、充実した一人旅になった(かな?)<特報><明日香村の遺跡と、隣接する藤原宮跡、世界遺産に登録申請>2024年9月9日、世界遺産への登録を目指して文化庁の審議会は、奈良県明日香村などの飛鳥時代の遺跡「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」について、国内の候補として、推薦することを決めました。今後、政府は9月末までに暫定版の推薦書をユネスコに提出し、ユネスコの諮問機関による事前審査を経て、早ければ2年後の2026年に世界遺産委員会で登録されるかどうかが決まります。明日香村で、世界遺産に登録申請された主な文化財には、「飛鳥寺跡地」、「石舞台古墳」、「橘寺境内」、「天武・持統陵」、「高松塚古墳」、「キトラ古墳」などが含まれています。いわば、「明日香村の、ほぼ全村が世界遺産になる」ということです。明日香村が世界遺産になったら、外国人の客が殺到して、現在の「静かな明日香村」は損なわれてしまいそうだ。「静かな明日香村」は来年で終わり、来年は「静かな明日香村」最後の年、また、あすかビールと古代米おにぎりでプファ~、ビールが旨い!とやってみたい!
2024年10月15日
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今年も明日香路の彼岸花を観ることが出来た。9月30日、またまたリュウちゃん一人で恒例の「明日香村彼岸花巡り」に行ってきました。「彼岸花」は、その名の通り、お彼岸(9月23日前後)に開花する花なのですが、今年は夏の猛暑のせいで各地で開花が一週間ほど遅れたようです。猛暑のために開花が遅れる???普通の花は、猛暑で開花が早くなるのではないのか?この疑問についてネット調べをしました所、彼岸花は一日の最低気温が20℃を下回らないと発芽しないのだそうです。そうだったのか!彼岸花は「本当の秋」にならないと、咲かない花だったのだ!9月30日、午前8時過ぎに家を出発、9時30分に本日の彼岸花行脚の出発点である「近鉄橿原神宮前駅」に到着、ここからずっと徒歩で、明日香村の彼岸花行脚をする予定です。例によりまして、本日歩く予定の「明日香村散策図」を以下に貼り付けます。(明日香村散策図)本日予定している「行程」は、上掲図左上部の「近鉄橿原神宮駅」から出発し、「孝元天皇陵」~「天樫の丘」~「飛鳥寺」~「石舞台」~「稲渕棚田」~「橘寺」~「亀石」~「天武・持統陵」~「高松塚古墳」~「近鉄飛鳥駅」です昨年末から、左足の痛みが治らないのに、無事に彼岸花行脚が出来ますことやら?<孝元天皇陵の土手の彼岸花>「近鉄橿原神宮前駅」から歩いて10分ほどで、最初の彼岸花の見所である「孝元天皇陵」に到着、おお!天皇陵の土手の彼岸花、正にドンピシャリ、「見頃」だ!9月末のお出掛け、大正解だったのだ!下の写真は、「孝元天皇陵」の全景です。「孝元天皇陵」は、サイズは不明ですが、かなり巨大な前方後円墳です。「孝元天皇」は第8代の天皇ですが、伝承上の天皇の一人であり、実在したか否かが疑われている、所謂「欠史8代」の天皇なのです。「孝元天皇陵」の右手奥に、明日香村の山並み、その背後に、「談山神社」のある「多武峰(とうのみね)」が雲に霞んで見えています。「孝元天皇陵」から10分位歩きますと、明日香村に入ります。この辺りから、稲田のあぜ道に点々と彼岸花の列が見られるようになってきます。道の右側に、大和三山の一つ、「耳成山(みみなしやま)」が見えます。この道と「耳成山」の間には、持統天皇が治めた「藤原京(宮跡)」があるのです。<小墾田宮(おはりだのみや)遺跡周辺の彼岸花>明日香村に入り、10分位歩いた所に、推古天皇の宮廷跡とされる「小墾田宮遺跡」が見えてきます。ここの彼岸花の列も、明日香路の「見所」の一つなのだ。ちょっと角度を変えて、「小墾田宮遺跡」の立木を撮りました。立木の後方の小山は、大和三山の一つ、「天の香久山」、この立木、何という樹なのだろう?♪~この木何の木気になる木~♪なのだ。「甘樫の丘」の麓にある道の駅、「あすか夢の楽市」です。昨年まではここの入口が<明日香路で初めて「白い彼岸花」を観るスポット>だったのですが、今年は何故か、白い彼岸花は刈り取られていたのです。楽しみにしていた「白い彼岸花、何故、刈り取ってしまったのか?ちょっとガッカリ。<飛鳥寺の裏手の彼岸花>リュウちゃんの感じでは、ここが明日香路の彼岸花巡りのスタート地点なのです。おお!ここの彼岸花、まだ七分咲き、ちょうど「見頃」なのだ!<入鹿首塚>「飛鳥寺」の裏手に、蘇我入鹿の「首塚」があります。蘇我入鹿は飛鳥時代の最高権力者だったのですが、西暦645年の「乙巳の変(いっしのへん)」で、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足、藤原氏の始祖)に討首にされ、その首は、この場所に落ちたという伝承があるのです。入鹿首塚の傍には、キバナコスモスが満開でした。<入鹿首塚の傍のコスモス>飛鳥寺の裏手、入鹿首塚の傍に背の高いコスモス畑を発見!ここのコスモス畑、初めて見た!今年になってから植えられたのかな???「飛鳥寺」の裏手の彼岸花の列、毎年、リュウちゃんを出迎えてくれる!裏口から、「飛鳥寺」の境内に入ります。「飛鳥寺」の小さい境内には、小さい「万葉池」(蓮池)があり、池の周りには「芙蓉」や「野菊」(?)、彼岸花が咲いています。「万葉池」の中に、ハスの花が咲き残っていた!ハスの花と彼岸花のコラボ、初めて観た!「飛鳥寺」を後にして、「石舞台」を目指します。この道筋にも、彼岸花が点々と咲いている。道筋には、彼岸花の他に、コスモス、鶏頭、ブルーの朝顔などが目を楽しませてくれました。<石舞台周辺の彼岸花>正午少し前、やっと石舞台の麓に辿り着きました。石舞台の麓の草叢で、初めて「白い彼岸花」を観ることが出来た!赤い彼岸花の真ん中の白一点、「白衣の王子様」なのかな?「石舞台」を見下ろす丘に登ります。この丘の斜面、白い彼岸花の「見所」なのだが、まだ開花数が少ない。ちょっと早かったのかな?「石舞台」の左手に広がる「草原」です。ここは、彼岸花とススキと萩の花のコラボが楽しめるリュウちゃん一押しの絶景スポット、萩の花、今回が一番見事だったのだ!午後12時30分、「石舞台」の広場を見下ろすレストランのテラスで、「あすかビール」2瓶と「古代米おにぎり」を注文し、昼食、プファ~、あすかビールが旨い!明日香村特産の苺「あすかルビー」を使ったフルーティな味わいの「あすかビール」、「古代米おにぎり」と合わせ、「明日香の味」堪能なのだ!以下、<明日香路の彼岸花2024(2)~「稲渕棚田」から「近鉄飛鳥駅」まで>に続きます。
2024年10月05日
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真夏の「海遊館」で納涼、ジンベイザメと遊ぶ。9月18日、またまたリュウちゃん一人で、大阪市港区の大阪港にある巨大水族館、「海遊館」に行って来ました。リュウちゃんの住んでいる法隆寺から「海遊館」への公共交通の経路は以下です。JR法隆寺駅~(約30分)~JR弁天町駅~(大阪メトロ中央線)弁天町駅~(約5分)~(大阪メトロ中央線)大阪港駅)~(徒歩10分)~「海遊館」リュウちゃんの家から「海遊館」まで、ドアツードアで約1時間で行ける!案外、近いのだ!午前9時、家を出発、午前10時過ぎ、「海遊館」に到着、下の写真は、「海遊館」の手前にある「天保山大観覧車」です。直径100m、高さ112,5m、一周約15分、冷暖房完備、完成した1997年時点では世界一の規模、しかし、高所恐怖症のリュウちゃんは即スルー、「海遊館」の入場口は長い人の行列、入場券を買ってから入場するまで少し時間があったので、「海遊館」の裏手の「大阪港」を少し散策、海の向こう側に六甲山系が見える。入場します。<海遊館について>「海遊館」は、1990年7月に開館した日本最大級の水族館です。現在、約620種3万点の生物が飼育展示されています。「海遊館」の一番の見所は、オス・メス2匹のジンベエザメです。ジンベエザメを観るために、「海遊館」に来たのだ!以下に「海遊館」のHPと、動画の<「海遊館」見どころガイド>を貼り付けます。このサイトの中の「常設展示」の部分に経路や生物の名前が詳しく書かれていますので、興味のある方はクリックしてご覧くださいね。<「海遊館」のHP><「海遊館」見どころガイド>それでは経路に沿って順番に紹介します。<アクアゲート(トンネル型水槽)>「海遊館」の入口は、「アクアゲート」という水槽のトンネルです。入場者の頭上及び側面は、アクリル製の透明な板で覆われていて、来場者はまるで海底から見上げるような「海のパノラマ」を観ることが出来るのです(尚、アクアゲートの「アクア」は、ラテン語で「水」、なので、「アクアゲート」は日本語で、「水の門」の意味になります)いきなりの海底散歩、「海遊館」の演出は実にお見事!(アクアゲート、この写真はネットからお借りしました)<日本の森>「アクアゲート」を抜けると、何故か「日本の森」のコーナーに入ります。水族館なのに、「日本の森」とは、これ如何に?このコーナーの説明パネルには、以下のように書かれていました。「森に響く滝の水音、しずくに濡れ鮮やかさを増すコケの緑、季節ごとに表情を変える木々。そして、渓流の水辺で暮らす生き物たち。今も日本にカワウソが暮らしていたら、こんな情景が広がっていたかもしれません」成程!「森」をいっても、森の中にある滝や渓流に住む魚やカワウソなどが主役のコーナーなのだ!下の写真は、「コツメカワウソ」です。コツメカワウソは東南アジアなどに棲息しているが、日本には棲息していない!何故、「日本の森」のコーナーに展示されているのか?ちょっと不思議。「日本の森」の小さい水槽には、鮎やアマゴ、オイカワなどの渓流の魚が飼育されています。<アリューシャン列島>この小さいコーナーの「見もの」は、オホーツク海などの北の海に住む海鳥「エトピリカ」です。「エトピリカ」はアイヌ語で、「くちばし(etu)が美しい(pirka)」という意味です。日本では北海道東部で観る事が出来、釧路と根室の間にある霧多布(きりたっぷ)湿原は唯一、陸地でエトピリカを観ることの出来るスポットのようです。リュウちゃんはエトピリカの写真を4枚撮ったのですが、いずれもピンボケ写真になってしまいました。、なので、比較的ましな自撮り写真1枚と、ネットからお借りした写真1枚を以下に貼り付けます。<モンタレー湾>「モンタレー湾」は、アメリカ・カルフォルニア州の太平洋に面した湾です。海底には「モンタレー峡谷」という世界最大級の海底峡谷があり、アザラシ、ラッコ、イルカなどの海棲哺乳類の楽園になっています。このコーナーには2頭の「カリフォルニアアシカ」が飼育されています。例によりまして決定的な写真を撮ることが出来ませんでしたので、以下にリュウちゃんの撮った写真1と、「海遊館」のHPからお借りした写真を1枚づつ貼り付けます。眼の悪いリュウちゃん、動物の写真を撮るのは苦手なのだ(トホホ!)<パナマ湾>「パナマ湾」は中米にある「パナマ」の太平洋側の湾です。有名な「パナマ運河」は、大西洋のカリブ海とパナマ湾を結んでいます。このコーナーの「見もの」は、アライグマの仲間の「アカハナグマ」です。「アカハナグマ」はパナマ湾沿岸の熱帯乾燥林に多く棲息しているのだそうです。「アカハナグマ」の写真も上手く撮れませんでしたので、ネットからお借りした写真と合わせて下記に貼り付けます。<エクアドル熱帯雨林>熱帯雨林は、地球上で最も生物多様性に富んだ地域です。この大型水槽には、ピラルク、アロアナ、レッドピラニアなど、熱帯雨林特有の魚たちが悠々と泳いでいるのです。<南極大陸>このコーナーの主役は「オウサマペンギン(王様企鵝)」です。このペンギンは、皇帝ペンギンに次いで2番目に大きいペンギンです。王様より皇帝のほうが偉い???ペンギンを漢字で書くと「企鵝」、初めて知った!<タスマン海>オーストラリア島南部とニュージーランドに挟まれた太平洋の一部です。17世紀のオランダの探検家「アベル・タスマン」に因んで命名されました。ここの主役は、「カマイルカ」です。あれ???「カマイルカ」のウィキペディアには、「北太平洋に棲息する唯一のカマイルカ属」とある。本当にタスマン海に棲んでいるのかな???「海遊館」の水槽は、皆、巨大で、順に巡る来場者の前に次々と海底のパノラマが展開するのです。まるで魚のほうから、人間が観察されているようだ。<チリの岩礁地帯>ここはカ「タクチイワシ」の楽園です。大きな魚の餌食になってしまうカタクチイワシ、この水槽には天敵がいないのだ!(この写真は「海遊館」のHPからお借りしました)<日本海溝>日本海溝は北海道の襟裳岬の沖から千葉県の房総半島の沖まで続く全長約800km、幅約100km、深さ7000~8000mの海溝です。「太平洋プレート」が沈み込む海溝で、しばしば巨大地震の震源地になります。このコーナーの主役は「タカアシガニ」です。「タカアシガニ」はカニ類の中で最大の生物ですが、大味で、食用にはあまり向かないようです。タカアシガニ、殆んど動かないので、綺麗に撮れた!<北極圏>「南極大陸」の主役がペンギンなら、「北極圏」の主役はアザラシです。「海遊館」では、小型のワモンアザラシが飼育されています。<海月(くらげ)銀河>2018年に新設された「クラゲ銀河」です。まるで銀河の星のように、水中を漂う無数のクラゲ、ここは正にクラゲの宇宙なのだ!<太平洋水槽>「海遊館」の最後にして最大の見所、「太平洋水槽」に辿り着きました。以下の文章は、「海遊館」のHPに掲載されている「太平洋水槽の説明文です。<地球の表面積の1/3を占める太平洋には、さまざまな生き物が暮らしています。この水槽には、堂々と泳ぐジンベエザメ、優雅に羽ばたくイトマキエイ、群れをなすグルクマなど、多くの生き物が暮らしています>「太平洋水槽」は最大長34m、深さ9m、水量5,400m³(5400トン)、透明なアクリルパネルで造られています。1990年に開館した時には、この水槽は「日本一の大水槽」だったのですが、その後、沖縄の「沖縄美ら海水族館、黒潮の海」(水量7500トン)に追い抜かれ、現在は「日本で2番目に大きい大水槽」なのです。(「沖縄美ら海水族館、黒潮の海」)「太平洋水槽」には、ジンベエザメの他に、「イトマキエイ」、「マアジ」、「ロウニンアジ」、「クエ」、「マンボウ」など、約20種類の魚が飼育されています。また、飼育員が絶えず潜水服を着用して、水槽内を巡回しているのです。「太平洋水槽」を悠々と泳ぐ「マンボウ」です。ユーモラスな形をしたフグ目(もく)の魚、泳いでいる姿を初めて見た!さて、お目当ての「ジンベイザメです。<ジンベエザメ>「ジンベエザメ」は全ての魚類の中で最大の動物です。これまで確認された最大の「ジンベエザメ」は体長20m、体重20トンです。寿命は研究者によって60年~130年と、幅がありますが、現生動物の中では一番長寿の動物の一つのようです。映画「ジョーズ」に出てきた狂暴なホオジロザメなどと違って、性格は至っておとなしく、人が近づいても危険性のないサメで、動作も緩慢です。食性も、小魚、海藻の他は海面に漂っているプランクトンを主食としています。<「海遊館」のジンベエザメ>現在、「海遊館」には、オスの「海(かい)君」と、メスの「遊(ゆう)ちゃん」の2匹のジンベエザメが飼育されています。「海君」は体長4m、推定体重800キロ、「遊ちゃんは、隊長5m、推定体重1100キロです。「海君」、「遊ちゃん」のニックネームは、開館の時から連綿と受け継がれ、現在のオスの「海君」は7代目なのだそうです。開館以来34年で7代目?前の「海君」は早死したのかな???この訳は、「ジンベエザメ」は成長すると体長が10mを超え、「大水槽」が窮屈になるので、「海遊館」では体長が6mを超えると、海に放流して、小さく若いジンベエザメに入れ替えるのだそうです。ジンベエザメの代替わりの秘密、これで納得!リュウちゃん、30分位「太平洋水槽」の前に居座り、写真を撮り続けました。ジンベエザメが悠々と回遊する大水槽、真夏のファンタジーなのだ!約2時間、「海遊館」を巡り、正午過ぎに「海遊館」を後にしました。もうお昼時、お腹が空いた!で、「海遊館」に隣接する商業施設「食いしんぼ横丁」の中にある鮮魚店に入り、ビールと海鮮丼を注文し、昼食、プファ~、ビールが旨い!美しい生きた魚を観た後で海鮮丼を喰らう、人間の業(ごう)の深さに恥じ入るばかり、、
2024年09月27日
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熱帯温室「咲くやこの花館」で真夏の納涼9月6日、大阪の鶴見緑地公園にある熱帯温室植物園、「咲くやこの花館」にリュウちゃん一人で行って来ました。「咲くやこの花館」は、大阪市鶴見区の「花博記念公園鶴見緑地」の中にある屋内熱帯植物園です。床延面積約7000平方メートルもある日本最大級の「温室」が一番の「見所」なのです。猛暑の中の熱帯温室訪問、ちょっと酔狂な試みに見える。しかし、連日の猛暑の中では、気温30℃の熱帯温室は、納涼の場所なのだ!午前10時、地下鉄「鶴見緑地駅」に到着、「咲くやこの花館」は駅から歩いて10分です。「鶴見緑地公園」の入口の並木です。以前はこの並木の樹木を「メタセコイア」だと思っていたのですが、今回の訪問で、この樹木が「落羽松(らくしょう)」(別名:沼杉)という落葉針葉樹であることが判りました。メタセコイアではなく、ラクショウだったのだ!また一つ、お利口になった(苦笑)中央広場の噴水から「咲くやこの花館」までは、僅か5分の道のり、しかし、暑い!早く入場して、涼みたい!「咲くやこの花館」の建物が見えてきました。屋根から側面まで、総ガラス張りの熱帯温室、夏にはどんな花が咲いているのだろうか?入場します。以下の「図」は、「咲くやこの花館」の案内MAPです。(案内マップ)上掲の「案内MAP」について、少し説明してみます。★館内の中央部には大きな「フラワーホール」があります。植物園は、「フラワーホール」の周囲に造られています。★植物園の観覧は、順に、「熱帯雨林植物室」→「熱帯花木室」→「乾燥植物室」→「高山植物室」→「フラワーホール」となっています。それでは順路に沿って、咲いていた花や植物の紹介をして見ます。<熱帯雨林植物室><ガジュマル>日本では屋久島や種子島以南でしか見られない熱帯常緑高木です。ガジュマルを観に、沖縄に行こうと思っていたが、大阪で観ることが出来た!ガジュマルに絡みつくように、数々の「蘭(らん)の花」が咲いていました。以下、名称は省略して、蘭の写真を何枚かアップします。「熱帯雨林植物室」の主役は、「蘭」の花なのだ!<パナマソウ>「蘭」の他では、下記の「パナマソウ」が目に付きました。<水生植物室(ロータス・ガーデン)>「熱帯雨林植物室」の一角に、独立した「ロータス・ガーデン」があります。「ロータス・ガーデン」といっても、実質は熱帯スイレン園、ここでは一年中、熱帯スイレンが咲いているようだ。以下に、この日撮った熱帯スイレンの写真を何枚か貼り付けます。<ニンファエア・ギガンティア><ニンファエア・ギガンティア(アルバート・デ・レスタング)><ニンファエア・イミュタビリス><ニンファエア・イミュタビリス(ディープ・ブルー)><ニンファエア(ジョナサン)><ニンファエア(ヨックサイアム)><ニンファエア(紫式部)><ニンファエア(ジャックウッド)><ニンファエア(トロピック・サンセット)>(※)「ニンファエア」とは、スイレンの学名です。「ロータス・ガーデン」には有名なオ「オオニバス」も植えられているのですが、この日は残念ながら「花」は咲いていませんでした。なので、リュウちゃんが昨年の2月にここで撮った「オオオニバス」の花の写真を以下に貼り付けます。「咲くやこの花館」の「オオオニバス」の開花期は真冬だったのだ!初めて確認出来た!(オオオニバス)<熱帯花木室>「熱帯雨林植物室」を後にして、次の「熱帯花木室」に入ります。熱帯植物音痴のリュウちゃん、この2室の植物がどう区別されているのか、サッパリ分からないのですが、以下にここで撮った花木の写真を紹介します。<トーチジンジャー><ヘリコニア・プシッタコルム><エクメア・ファスキアタ(ヴァリエガタ)><シクンシ><バナナ>やっと誰でも知っている植物が出てきました。たわわに実ったバナナの果実、しかし、昨年2月に訪れた時にも、バナナの果実が実っていた。お目当てのバナナの花は何時咲くのか?(バナナの花、この写真はネットからお借りしました)あるサイトには、「バナナの開花期は4月~5月」と書かれていました。しかし、リュウちゃんの体験では、2月と9月に果実が実っていたのです。やはりバナナは年に2回、花が咲いて実を付けるのかな???<タビビトノキ(旅人の木、和名:オウギバショウ)>マダガスカル原産のバナナに似た植物です。この不思議な植物のウィキペディアに、素晴らしい写真が掲載されていましたので、その写真を拝借して貼り付けます。この写真、正に和名のオウギバショウ(扇芭蕉)だ!(オウギバショウ)<乾燥地植物室(サボテン室)>ここのお目当ては「サボテンの花」です。リュウちゃんは過去3回、「咲くやこの花館」を訪れていますが、いずれも、真冬か早春で、今回のように真夏の訪問は初めてです。冬にはサボテンの花はあまり咲いていなかった。初めて訪問した真夏のサボテン室、果たしてサボテンの花は咲いているのか?うん、かなり咲いていた!メインの「金鯱サボテン」の花、まるでバースディケーキのローソクのようだ!以下に「金鯱」以外のサボテンの花を何枚か春付けます(名称は省略しました)今回の「咲くやこの花館」訪問の目的の一つだったサボテンの花の鑑賞、50%くらい達成されたかな?<高山植物室>「咲くやこの花館」の温室は、だいたい28℃~30℃位に保たれているのですが、「高山植物室」だけは真夏でも18℃に保たれています。今日の野外の気温は35℃くらい、「高山植物室」の気温は18℃、野外との気温差17℃!標高1500mくらいの高原の気温だ!「高山植物室」は、正に「身近は避暑地」なのだ!(高山植物室)さて、「高山植物室」の花です。このコーナーの花は種類は多いのですが、身の丈数センチの極小の花が多く、上手く撮影することが出来なかったのですが、何とか撮影出来た花を以下に紹介します。<サギソウ(天の川)><サギソウ(金星)><サギソウ(銀河)><クロユリ><織井茂子「黒百合の唄」:昭和29年><メコノプシス・ホリドゥラ>ヒマラヤに咲く可憐な青い花です。<エーデルワイス>「高山植物室」の最後の花は、ヨーロッパ・アルプスの石灰質の高山に咲く「エーデルワイス」です。この花の名前は、ドイツ語の edel(エーデル、高貴な、気高い)と weiß(ワイス、白)に由来します。スイス及びオーストリアの国花に選定されています。リュウちゃんがこの花の名前を知ったのは、学生時代に観たミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」を観た時です。以下にこの映画でクリストファー・プラマーが歌うミュージカル・ナンバー「エーデルワイス」を貼り付けます。♪~Small and white clean and bright 小さくて白く清く明るいYou look happy to meet me 私に会えて嬉しそう~♪<「サウンド・オブ・ミュージック」より「エーデルワイス」>約2時間ほど、温室で涼を取って、昼過ぎに「咲くやこの花館」を後にしました。そろそろ昼食の時間、例によりましてJR京橋駅の近くの商店街の中にある大衆割烹店「大起水産」に直行、プファ~、ビールが旨い!寿司も旨い!この握り寿司、東京の銀座で食べたら5000円位掛かりそうだが、この店ではお通し、味噌汁付きでトータル800円!ビール中ジョッキ一杯290円!結局、中ジョッキ3杯飲んだので会計トータル1670円!!!メチャ安い!呑兵衛リュウちゃん、大満足!
2024年09月14日
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中学3年生の孫姫2号、吹奏楽部の定期演奏会で大活躍!8月17日(土)、千葉県南部のK市に住んでいる孫姫4姉妹を訪ねて上京(上千葉?)しました。毎年、夏休みの時期には、孫姫ちゃん達は必ず奈良に来襲していたのですが、今年は孫姫1号が高校3年生、孫姫2号が中学3年生なので、来年はそれぞれ大学受験、高校受験を控えています。孫姫1号は夏休み中、毎日夏季セミナー通い、更に孫姫2号は、吹奏楽部の定期演奏会が8月18日にあり、その後に県の吹奏楽コンクールが控えていて、とても奈良に来る時間が無いのです。それならこちらから千葉に行こう。という事で、孫姫2号の吹奏楽部の定期演奏会を聴くことを一番の目的に、17日に千葉に行ったという次第なのです。お出掛けする前日の16日には、関東地方に台風7号が襲来した為、新幹線は名古屋―東京間で運休していて、17日の上京も赤信号が点っていましたが、17日は台風一過、新幹線のダイアも正常に戻っていました(やれやれ)新幹線で上京の時の楽しみは、「新富士駅」辺りで富士山を見ること、しかし、残念ながら、富士山の周りだけ厚い雲に覆われていて、「赤富士」を見ることは出来ませんでした。今年は、まだ一度も富士山を観ていない。東京駅で在来線に乗り換え、K駅に着いたのが夕方4時、すぐに予約してあったホテルにチェックイン、午後5時に孫ちゃんのパパがホテルに迎えに来てくれました。この日は、孫姫のパパが予約してくれた割烹料理店で夕食、プファ~、ビールが旨い!1年2カ月ぶりに逢った孫姫ちゃん達、皆、少しずつ成長したね。翌日の18日は孫姫2号の吹奏楽部の定期演奏会の日、この日、孫姫1号は大学入試模擬テストの為、朝早くに試験会場に出掛けました。6教科8科目のハードな模擬テスト、帰宅は午後8時とのこと、大学受験は大変なのだ!朝10時、パパが下の孫姫2人とホテルに迎えに来てくれて、近くのイオンモールに直行(ママと孫姫2号は定期演奏会の準備のため、会場に直行したのです)イオンモールのフードコートで簡単な昼食、孫姫3号は小学校4年生、孫姫4号は小学校2年生、2人共、元気いっぱいなのだ!昼食を終え、会場に向かいました。定期演奏会の会場に着いて、受付でプログラムを渡されてビックリ!今回の定期演奏会は、何と41回目!しかも演奏曲目は全16曲。途中、休憩を挟み、2時間の長丁場!中学校の吹奏楽部の定期演奏会とは思えないほどの充実したプログラムだ!打楽器を担当している孫姫2号は、クラブの部長!プログラムの冒頭には、校長の挨拶の下に、孫姫2号の挨拶文が掲載されている!吹奏楽部の打楽器奏者は、「縁の下の力持ち」的な存在ですが<スネアドラム、バスドラム、クラッシュシンバル、ティンパニ、マリンバ、ヴィブラフォン、シロフォン、グロッケン>の8種類の楽器を演奏しなくてはなりません。いわば「八面六臂の大活躍」を強いられる過激なパートなのです。実は孫姫達のママも中学校時代に吹奏楽部で打楽器を担当していて、その延長上で音楽大学の打楽器専攻課程に進学し、「マリンバ奏者」になったのです。孫姫2号ちゃん、貴女は立派のママの血を受け継いでいる!プログラムの前半に、孫姫の「マリンバ・ソロ演奏」がありました。曲目は、マティアス・シュミットというドイツの作曲家がマリンバのための音楽として1997年に出版した「ガーナイア」という曲です。「ガーナイア」の意味は、「ガーナ(アフリカの共和国)の」、あるいは「ガーナ人の」という意味で、アフリカのリズムを取り入れた約7分の作品です。以下に短縮版のYou-Tubeを貼り付けますので、興味のある方はクリックして聴いて下さいね。<マティアス・シュミット「ガーナイア」>孫姫の「ガーナイア」の演奏、堂に入っていた。ソロの次は3人の奏者によるマリンバ連弾、この演奏も3人の息がピッタリ合っていた!ポログラム後半、孫姫はMC(司会進行)を務めました。マリンバ・ソロに連弾、それとMC担当、正に八面六臂の大活躍だ!演奏会が終わった後、ロビーで妹とピースサイン、お婆ちゃん(リュウちゃんの女房殿)とピースサイン、近くの(高級)回転寿司店店「やまと」で夕食、「やまと」という店名、リュウちゃんの住んでいる奈良に関係あるのかな?プファ~、ビールが旨い!、寿司も旨い!大人しいと思っていた孫姫2号ちゃんの大活躍、リュウ爺ちゃん、感動したよ。この調子で、高校受験を乗り切ってね。翌日は、何処へも寄らず、奈良に帰りました。帰りの新幹線の車窓からも、残念ながら富士山は雲隠れ、富士山の代わりに、米原付近で観た「伊吹山」の写真を最後に貼り付けます。伊吹山も雲に覆われていた。ちょっと残念!<おまけ・夏の名残の馬見丘陵公園>8月13日、近所の「馬見丘陵公園」に久々にお出掛けしました。目的は、「ひまわり」です。「馬見丘陵公園」のひまわりの見頃は、7月下旬から8月上旬なのですが、今年はその期間は連日の猛暑日の為にお出掛け出来ませんでした。ひまわり、まだ咲き残っているかな?午前9時ジャストに北エリアの駐車場に車を停め、散策開始、朝9時、既に気温は30℃近い、暑い!北エリアの「集いの丘」の横手のひまわり、もう半分終わっていたが、咲き残ったひまわりの写真を何枚か撮ることが出来た。トンネルを潜って、「中央エリア」に出ます。「中央エリア」の道筋のひまわりです。本日、名前が唯一確認出来たひまわり「サンフィニティ」です。以前は中央エリアの真ん中に、大きなひまわり畑があったのですが、今回は残念ながら見ることが出来ませんでした。既に刈り取られてしまったのかな?以下に、今年の8月3日に撮影された公園のひまわりのYou-Tubeを貼り付けます。興味のある方はクリックしてご覧くださいね。<2024年8月3日、馬見丘陵公園のひまわり><百日紅(さるすべり)>「馬見丘陵公園」には、無数の「百日紅」があります。その内、一際鮮やかに咲いていた赤い百日紅の写真を以下に貼り付けます。8月中旬の馬見丘陵公園、メインの花は百日紅なのだ!<雲南地湧金蓮(うんなんてゅうきんれん)>「馬見丘陵公園」の隠れた名花、「雲南地湧金蓮」です。4月に桜とチューリップを見に来た時には、この花は「終わりかけ」だったのですが、あれから4カ月を経て、新しい花を付けたようです。「雲南地湧金蓮」、殆んど1年中、咲いているのだ!
2024年09月02日
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大阪で初めて開催される大々的な歌川広重展、300点以上の浮世絵の名作を一挙公開。(歌川広重展ポスター)7月18日、大阪・天王寺の「あべのハルカス美術館」で開催されている「広重―擦りの極―(すりのきわみ)」展に、女房殿と2人で観に行って来ました(この展覧会は7月6日から9月1日まで開催されています)<あべのハルカス美術館開館10周年記念、「広重―擦りの極―(美術展ナビ)>今回の展覧会に出品された浮世絵の約8割は、フランス在住のポーランド人の浮世絵収集家・ジョルジュ・レスコヴィッチ氏から貸し出されたのだそうです。<広重の代表作を極上の摺りで味わう>この展覧会は主催がNHKと朝日新聞社ということもあり、特にNHKのEテレなどで何度もも特集番組を放送しているせいか、会場は大変混雑していまして、一点一点の浮世絵をじっくり鑑賞する時間はなく、浮世絵の前を来場者の流れにまかせて通り過ぎるだけになってしまったのです。会場内は基本、撮影禁止なのですが、今回は珍しいことに、一部の作品で「撮影OK」になっていました。以下、何枚か撮影した写真を貼り付けます。撮影OKといったって、三脚も使えず、大混雑の中での撮影、悲惨な写真になってしまった。(木曽海道六十九次之内「和田」)(木曽海道六十九次之内「洗馬」)(木曽海道六十九次之内「上ケ松」)(木曽海道六十九次之内「高崎」)まだ何枚か撮影したのですが、自撮りの写真は上掲の4枚に留め、以下の作品の写真は全てネットからお借りしたものを貼り付けます。<歌川広重について>(歌川広重の死絵、3代豊国筆、1858年)<プロフィール>★1797年誕生、★12歳で、江戸の火消し同心職を父から引き継ぐ。★1811年、15歳の頃、浮世絵師・歌川豊広に入門、翌年の1812年に「歌川広重」の名を与えられ、5年の修行の後、1818年、役者絵「傾城貞かがみ」で浮世絵師デビューを飾る。★1833年~1834年、55枚揃いの「東海道五十三次(保栄堂版)」刊行(尚、浮世絵画材としての「東海道五十三次」は人気が高く、広重以外の浮世絵師も多数の版を刊行しています。広重も、「保栄堂版」の後に、20種類もの「東海道五十三次」の浮世絵を刊行しましたが、今日では「広重の東海道五十三次」といえば、「保栄堂版」を指すことになっているようです)★1833年~1834年頃、70枚揃いの「木曽海道六十九次」を刊行(渓斎 英泉(けいさい えいせん)との共作)、★1852年、「不二三十六景」刊行、広重が初めて手掛けた富士山の連作、★1856年~1859年、晩年の代表作である120枚揃いの「名所江戸百景」刊行(一部は広重の死後に刊行)★1859年、37枚揃いの「冨二三十六景」刊行、1852年の「不二三十六景」に続く2度目の「富士山」の浮世絵であり、広重最後の浮世絵である。★1858年没(享年61歳)、生涯に刊行した浮世絵は2万点以上に上る。<安藤広重か?歌川広重か?>リュウちゃんは昭和36年頃、中学校の美術の教科書で広重を知りました。その時の名前の表記は「安藤広重」でした。ところが、月日が経ち、いつの間にか「安藤広重」が「歌川広重」に代わってしまいました。「安藤広重」から「歌川広重」への変更、いったい、何があったのだ???この問題について、ネット調べをしましたところ、下記のサイトがヒットしました。<安藤広重はいつから歌川広重になったのかという話>上掲のサイトによれば、戦後から昭和54年までの教科書は、「安藤広重」に統一されていましたが、昭和55年の教科書では、初めて「安藤(歌川)広重」と、苗字併記になり、その2年後の昭和57年には、「歌川(安藤)広重」と、「歌川」がメインの表記になり、更に12年を経た平成6年(1994年)には、完全に「安藤」の表記が消えて、「歌川広重」に統一されたのだそうです。しかし、何故、そういう変更が行われたのかという根本的な原因は、全く判りませんでした。安藤広重から歌川広重の名称変更の謎、結局、全く解けなかった(トホホ!)<作品>ここからは、実際の展覧会から離れて、ネットからお借りした画像で、広重の代表作を追ってみることにします。<東海道五十三次(保永堂版)>(1) 日本橋(朝之景/行列振出)(2) 平塚(縄手道)「東海道五十三次」に初めて登場する「富士山」の図です。(3) 箱根(湖水図)上掲のポスターの下部に使われた図です。(4) 原(朝之富士)「東海道五十三次」の中で、富士山が最も大きく扱われている図です。この図に関連して、後年の「行書版」、「隷書版」の「原」の図を以下に貼り付けます。この3枚の富士山の図、広重の富士山の図では、一番迫力がある!山頂が版木からはみ出している!<行書版の「原・柏原立場 ふじの沼><隷書版の「原(副題なし)>(5) 蒲原(14枚目、夜之雪)55枚揃いの「東海道五十三次」の内、最も有名で世評も高い図です。(6) 金谷(25枚目、大井川遠岸)(7) 庄野(45枚目、白雨)(8) 亀山(47枚目、雪晴)(9) 京都(55枚目、三條大橋)<―閑話―「浮世絵」とは><「浮世絵」のウィキペディア>この項は、上掲のウィキペディアを参考にしました。しかし、このウィキペディアは膨大な内容ですので、広重の浮世絵に絞って、リュウちゃんの関心がある項目に関して、ポイントを簡単に書いてみます。★広重の浮世絵は一部を除いて、大半が「木版画(印刷物)」である。★大半の浮世絵のサイズは、「大判」と呼ばれる「27cm×39cm」のサイズである、このサイズは、用紙のA3サイズ(29,7cm×42cm)よりも少し小さいサイズになる。★1枚の版木から最低200枚を擦って販売する。広重の「東海道五十三次」のように人気が出た浮世絵は、版を重ね、1万枚程度が擦られて販売された。★江戸時代末期の浮世絵の販売価格は18文から20文、当時、「かけそば一杯の価格」と呼ばれたように非常に安価だった。現在の価値に換算すれば500円程度、現代のアイドルスターのブロマイドのようなものであった。なので、明治の始め頃までは「美術品」として扱われず、消耗品であり、現在の新聞紙のように、「包み紙」などに使用され、拡散してしまった。★「浮世絵」が「消耗品」から「美術品」に昇格したのは、1867年に開催された「パリ万国博覧会」が契機になったようだ。この万博は幕末の幕府が初めて参加し、「浮世絵」を出品し、この「浮世絵」がフランス印象派のゴッホやモネなどに多大な影響を与え、所謂「ジャポニズム」のきっかけを作った。★「ジャポニズム」ブームをきっかけに、大量の浮世絵が海外に流出した。現在、世界には約80万点の浮世絵が現存しているといわれるが、その内、50万点は海外の美術館やコレクターに所蔵されており、日本で所蔵されている浮世絵は30万点くらいのようだ。<不二三十六景(1852年)>歌川広重の「富士山」の浮世絵は、先行した葛飾北斎の「冨嶽三十六景」及び「富嶽百景」の影響があると云われています。大胆にデフォルメされた構図、荒波の描写などは、これまでの広重の穏やかで静かな構図の浮世絵からは想像もつかない作品が多くありますね。(1)「相模七里ガ浜風波」(2)「相模大山来迎谷」<富二三十六景(1859年)>(1)「武蔵小金井」(2)「駿河薩タ之海上」上掲の「相模七里ガ浜風波」と本図の「波の描写」には、明らかに1830年頃に刊行された葛飾北斎の「冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」の影響がみられますね。(葛飾北斎「神奈川沖浪裏」)(2)「伊勢二見か浦」リュウちゃんの故郷は「夫婦岩」のある伊勢市二見ヶ浦です。なので、広重の描いた二見ヶ浦の浮世絵に興味津々になりました。多分、広重は、「海岸から富士山が見える西の果て」という意味で、「富二三十六景」の中に「二見か浦」の図を描いたのだとリュウちゃんは思っています。リュウちゃんは小学校3年生から中学校3年生の7年間、自転車通学で、「夫婦岩」を見ながら学校に通いました。しかし、通学路から富士山を見た記憶は、7年間で数回に過ぎなかったのです。広重の描く「夫婦岩」、何だかいびつな形をしている。広重は、実際に「夫婦岩」を見たのだろうか?下記の図は、同じ広重が1850年頃に描いた「伊勢名所二見ヶ浦の図」です。(「伊勢名所二見ヶ浦の図」大判錦絵3枚続。1850年頃)上掲の浮世絵に描かれた「夫婦岩」、男岩も女岩も高さが数十メートルもある!異様な高さだ!やはり広重は実際の「夫婦岩を見ずに、想像だけで描いたようだ。では、広重の「想像」の元になった画像は何だったのでしょうか?リュウちゃんは、広重が「伊勢名所二見ヶ浦の図」を出版した20年ほど前に出版された歌川貞国の「二見浦曙の図」が広重の「想像の元」になったと思っています。(歌川国貞「二見浦曙の図」:1830年頃)上掲図で夫婦岩の前の小さい人物像から推定すると、男岩は50m、女岩は40m位ありそうだ。実際の夫婦岩は、男岩が高さ9m、女岩は高さ4m 、奇岩ではなく、穏やかな岩なだ。(夫婦岩)<江戸名所百景>1856年~1858年、119枚、死の直前まで製作された「最晩年の作品」です。(1)「上野清水堂不忍ノ池」(2)「亀戸梅屋舗」ゴッホが模写した作品として有名です。(ゴッホの模写との比較。右側がゴッホの模写)(3)「深川萬年橋 (小名木川河口)」この亀、何故、吊るされているのだろう?(4)「亀戸天神境内」この景観は今も残っているようです。この浮世絵の「太鼓橋」は、クロード・モネが1899年に描いた「水連の池」にも描かれています。(クロード・モネ「水連の池」1899年)(5)「高輪うしまち (現在の泉岳寺駅付近)」大八車のデフォルメが凄い!(6)「上野山内月のまつ」上野の寛永寺清水堂にある「月の松」は、(1)の「上野清水堂不忍ノ池」でも描かれています。この「月の松」は、現在も観ることができますが、これは平成24年に復元された「2代目」なのだそうです。(7)「蓑輪金杉三河しま」後述の「深川州崎十万坪」と対をなす構図です。(8)「深川州崎十万坪」今回の広重展のポスターに採用された広重最晩年の傑作です。タイトルにある「十万坪」とは、現在の江東区千田および千石周辺に当たるところで、享保8年(1723)から行われた干潟の埋め立てにより10万坪に及ぶ新田が開発されたため、「十万坪」と呼ばれていたのだそうです。<月に雁>広重の「月に雁」といえば、昭和24年に発売された記念切手が思い出されます。リュウちゃんは小学校時代、ささやかな切手収集家だったのですが、額面8円の「月に雁」は、当時の流通価格で数千円もしていたことを思い出しました。この切手、現在ではどれ位の価格なのかな?と思い、ネット検索しました所、あるサイトに、「並品:2600円、美品:6200円。5枚綴りシート美品:34000円」とありました。昔は「高嶺の花」だった「月と雁」、今でも「高嶺の花」なのだ!お昼苗に美術館を出て、近所の行きつけの寿司店で昼食、プファ~、ビールが旨い!この店の寿司定食、ボリュームたっぷり、安くて旨いのだ!
2024年08月15日
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「西の京ロータスロード」、奈良市の西側にある薬師寺、唐招提寺、喜光地、西大寺の「4塔ハス巡り」、今年も歩くことが出来た!(薬師寺東塔とハスの花)(2021年のポスター)7月17日、2年ぶりに「西ノ京ロータスロード」を歩いてきました。天気予報では、この日の最高気温は33℃!、真夏日!今年の夏は10年に一度の猛暑、連日、猛暑日が続く中で、33℃は、めったに無い「低温日」だ!??この日に行くしか無い!午前8時に家を出発、午前8時50分にロータスロードの起点である「薬師寺」の近くの「近鉄西ノ京駅」に到着、アチャ~、ロータスロードのイベント開催中なのに、薬師寺は午前9時からしか入場出来ない!で、午前9時ジャストに薬師寺に入場しました。今回の「ロータスロード巡り」も、いつものように、仏像巡りは無しで、ひたすら野外のハス巡りです。2年前の「薬師寺:には、境内に500鉢ほどのハスが持ち込まれていたのですが、アチャ~、今回は2年前の半分ほどしかス鉢がない!これから追加されるのかな?「薬師寺」は、680年に天武天皇によって藤原京に建立されましたが、8世紀の始め。平城京遷都に伴い、西ノ京に移設された古刹です。薬師寺には2基の三重塔があります。その一つ、「東塔」は、建立された奈良時代から、そのまま残っている建築物であり、薬師寺の伽藍の中では最古の建築物で、「国宝」に指定されています。明治時代に来日したアメリカの美術史家、アーネスト・フェロノサが、この「東塔」を見て、「凍れる音楽」と評したことは有名な話ですね。以下、東塔、西塔とハスのコラボ写真を何枚か貼り付けます。三重塔とハスの花のコラボ、薬師寺のハスの一番の見所なのだ!<東塔とハスの花><西塔とハスの花>約30分位、薬師寺のハスを見物して、「唐招提寺」に向かいました。ここで「本日の行程」を紹介致します。先ず、下の地図をご覧ください。(西の京ロータスロード、ウォーキングマップ)上掲のMAPで、★起点となった「薬師寺」は、地図の一番下の中央部にあります。★「薬師寺」の少し上部に、「唐招提寺」があります。「薬師寺」から「唐招提寺」までの距離は、約600m、徒歩約10分です。★「唐招提寺」の左少し上に「垂仁天皇陵」があります。「垂仁天皇陵」の左上部に「喜光寺」があります。「唐招提寺」から「喜光寺」までの距離は約1700m、徒歩約30分です。★「喜光寺」のずっと上部に「西大寺」があります。「喜光寺」から「西大寺」までの距離は約1400m、徒歩約20分です。起点の「薬師寺」から終点の「西大寺」までの距離は約3700m、33℃の真夏日に、無事に踏破出来ます事やら?「唐招提寺」に入ります。(唐招提寺金堂)<唐招提寺(とうしょうだいじ)について>「唐招提寺」は、奈良時代の西暦759年に「唐(中国)」からの渡来僧・鑑真(がんじん)によって開山された奈良でも屈指の古刹です。西ノ京4塔の中では、境内に様々な木々が生い茂り、一番「緑豊かな古刹」なのです。他の3塔のハスは、皆、「鉢植え」なのですが、唐招提寺のハスは「地植え」が基本なのです。また、西ノ京4塔の中で、唯一、ハスの品種名が(一部ですが)表示されているお寺なのです。金堂の右手前の、「休憩所」の前の鉢植えのハスが、第一の見所です(まだ殆んど開花していませんでしたが、、、)開花していたハスの品種名を確認しました所、「即非蓮」とありました。「即非蓮」、はて?「京都植物園」の「即非蓮」は、赤いハスだったが、ここは白いハスだ。はて???「金堂」の横手にある、小さな蓮池です。結局、地植えのハスが観られたのは、ここだけだったのだ(残念!)「金堂」の前に置かれた鉢植えのハスです。「唐招提寺」のシンボルである金堂に、ハスの花はお似合いだ!「金堂」の裏手にある「本坊」にも、50鉢ほどのハスがあります。一昨年は殆ど咲いていませんでしたが、今年は少しだけ咲いていたのです。「本坊」から、「戒壇」の前を通り、「薬草園」に向かいます。「戒壇」の前にある「水路」の地植えのハスは、今年も開花していませんでした(残念!)「薬草園」に入ります。「薬草園」の一部に、100鉢ほどの「ハスの品種園」があります。一昨年は、5種類のハスしか紹介出来ませんでしたが、今年は、上掲の「即非蓮」を含め、10種類のハスを確認出来ました。以下、この日撮った9種類のハスを紹介致します。<薬草園のハス>(1) 「西湖蓮」(2)「法華寺蓮」(3)「舞妃蓮」(4)「王子蓮」(5)「大賀蓮」「大賀ハス」は昭和26年、当時68歳だった大賀一郎博士によって、千葉市検見川にあった「東京大学検見川厚生農場」の「落合遺跡」の発掘の中で発見されました(最初の一粒の種を発見したのは、当時ボランティアで発掘に参加していた中学生の西野真理子さんでした)。この時発掘された3粒のハスの種の内、2粒は発芽しませんでしたが残りの1粒が見簿とに発芽、昭和27年の夏にピンクの大輪の花が咲いたのです。このハスの開花は、アメリカの「ライフ誌」に、「世界最古の花・生命の復活」という記事で大々的に紹介され、以後、このハスの花は「大賀蓮」と呼ばれるようになりました。このハスの種は、「放射性炭素年代測定」によって、今から2000年前の弥生時代以前のものと推定されています。「大賀蓮」は、昭和29年に「千葉県の県天然記念物」に指定されました。(大賀蓮)(6)「原始蓮」大阪府の天然記念物に指定されているハスです。 原始ハスは、「古事記」のなかで歌人・引田部赤猪子ひきたべのあかいこ、「古事記」の雄略天皇の条に登場する女性)が「日下江の入江のハチス花ハチス 身の盛り人羨しきろかも」と詠んだハスと言われ、約1600年前の5世紀ごろから咲き誇っていたとされています。<「古代ハス」について>「大賀蓮」も「原始蓮」も、「古代ハス」と呼ばれるハスです。「古代ハス」の正確な定義は無いようですが、およそ1000年前の地層や遺跡から見つかったハスの種を発芽させ、開花に成功したハスを「古代ハス」と呼んでいるようです。現在のところ、日本で「古代ハス」と呼ばれるハスは、「大賀蓮」、「原始蓮」の他には、埼玉県行田市の「古代蓮の里」に咲いている「行田蓮」の3種類だけのようです。「行田蓮」につきましては、下記のサイトをクリックしてご覧くださいね。<時空を超えた花―古代蓮>(7)「藤壺蓮」(8)「姫蓮」(9)「紅万々蓮」まるでバラのようなハスの花ですね。午前10時半頃に「唐招提寺」を後にして、「喜光寺」に向かいました。「唐招提寺」から「喜光寺」へ行く道の中間点に、全長227mの巨大前方後円墳があります。この巨大古墳は、第11代「垂仁天皇陵」です。記紀の記述に登場するのみで、実在したか否かは「謎の天皇」です。今年もシラサギが群れていた!午前11時、「喜光寺」に到着、「喜光寺(きこうじ)」は、奈良時代の722年に、行基によって創建された古刹です。行基は、その後、東大寺の大仏造粒の実質的な責任者を務めましたので、「喜光寺」は別名「試みの大仏殿」と俗称されています。「ハスの花」は平成7年(1995年)から育て始め、現在では80種250鉢のハスが境内に植えられています。ネームプレートが無いので、品種名は皆目分からないのですが、この日撮った写真を何枚か貼り付けます。ロータスロード4塔の中では、ハスの花の一番の老舗、喜光寺のハスには、独特の風格がある。「本堂」の裏手に回ります。裏手には、ロータスロード4塔の中で唯一、「水連池」が在るのです。ハスとスイレンが観られるのは、4塔の中で「喜光寺」だけなのだ!「水連池」の中に、ハスが共生していた。今回の新発見だ!午前11時30分、「喜光寺」を後にして、4塔目の「西大寺」に向かいました。幸いなことに、歩き始めてすぐに「西大寺行き」のバスに乗ることが出来ましたので、西大寺には午前11時40分に入ることが出来たのです。「西大寺」の創建は西暦765年、ロータスロード4塔では一番の新参の古刹です。鉢植えのハスの登場も4塔の中では、一番の新参者で、広大な境内の片隅にある「愛染堂」の小庭に100鉢ほどのハスを観ることが出来るのです。「愛染堂」の見所は、新しく建立された緑色の「平和観音像」とハスのコラボだ。正午、「西ノ京ロータスロード4塔巡り」を全て終えて、西大寺を後にしました。さて、昼食です。実はリュウちゃん、以前から、<ロータスロード4塔巡りを終えた後は、大和西大寺駅の南口にある「ラーメン小舎・熊っ子」で昼食を摂る>と決めていたのです。「ラーメン小舎・熊っ子」は、静岡県在住のブログ友・M子さんから、「友人夫妻が経営しているラーメン店が近鉄大和西大寺駅の近くにある」と紹介されていました。実は、「熊っ子」には、過去に2回、店の前まで行ったことがありますが、2回共、「定休日」の看板が掛かっていて、店に入ることが出来ませんでした。まるでフランツ・カフカの「城」のように、目の前にあるのに中に入ることが出来ない!今回が3回目のトライアル、3度目の正直で、やっと店に入ることが出来た!店に入り、M子さんの友達と思われるママに自己紹介、過去2回、店に入れなかったことを話したところ、「この店は、朝、開店して、午後1時に一旦、店を閉めて、夕方にまた開店します。お客さん(リュウちゃん)が来店されたのは、多分、2回共、午後1時過ぎの筈、その時間は、毎日、定休日の看板を掛けて、休憩しているのです」との事、そうだったのか!これで奈良版「カフカの城問題」は、一件落着だ。店内の写真です。本日の客は、リュウちゃんの他には、女性が一人だけでした。ママ曰く、「ここは、繁華街ではない辺鄙な場所なので、昼のお客様はいつも少ないのです。店の稼ぎ時は夜なのです」との事、そうだったのか!午後1時に一旦閉店する事の裏には、深い理由があったのだ。さて、昼食です。先ず、「餃子」一人前と、ビール大ジョッキを注文、プファ~、ビールが旨い!結局、ラーメンや定食は食べず餃子一人前(7個)だけのツマミで、大ジョッキを3杯も飲んでしまった。ビール好きリュウちゃんの真骨頂ここに極まれり、なのだ!今回は以上の理由で、餃子以外の当店の評判のメニューは食べなかったのですが、以下にこの店の評判を伝える記事を2つ貼り付けます。興味のある方はクリックして覗いて見て下さいね。<ならかしネット「熊っ子」><ラーメン小舎「熊っ子」食べログ>
2024年08月01日
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花弁が数千枚もある奇跡のハス、「近江妙連(おうみみょうれん)」。今、開花始まる。7月5日、昨年の夏に初めて名前を知った「近江妙連」を観るために、滋賀県守山市にある「近江妙連公園」にリュウちゃん一人で公共交通を使ってお出掛けしました。この日の奈良の最高気温は33℃、猛暑日寸前、野外散策にはギリギリの真夏日だ。リュウちゃんの家から「近江妙連公園」のある滋賀県の「JR琵琶湖線守山駅」までの公共交通の経路は以下です。「JR法隆寺」~(JR奈良駅経由、約1時間)~「JR京都駅」~(琵琶湖線、約30分)~「JR守山駅」、午前8時過ぎに家を出発、乗り換えの待ち時間もあり、午前10時に「JR京都駅」到着、京都駅に着く寸前、方針変更、午前中に「京都植物園に行き、午後から「近江妙連公園」に行こう。普通、ハスの花は朝に開花して、昼頃には花を閉じてしまうのですが、「近江妙連」は、一旦開花すれば、20日間くらい「咲きっぱなし」になり、花を閉じないのだそうです。「京都植物園」のハスは、皆、午後に花を閉じるが、「近江妙連」は午後でも花を閉じない。開花していれば午後に行っても大丈夫?午前10時30分、「京都植物園」に到着。入口付近には、ユリ、タイタンビスカスが咲いていました。タイタンビスカスはまだ咲き始め、今はユリの季節なのだ!「ハス園」に着く前に、ハス池の東屋(あずまや)で暫し休息、今の気温は、多分30℃超え、むし暑いが清楚なハスの花に癒される。「ハス池」から5分位歩いた所に「ハス園」があります。ここには全て「鉢植え」で、190種類のハスを観ることが出来ます。「ハス園」の手前に咲いていた花です。<アガパンサス><クニフォニア・ルーペリー(別名:トリトマ)>南アフリカ原産の花なのだそうです。こんな珍しい花が、さりげなく植えてある。植物園って、楽しい!さて、「ハス園」です。昨年は7月21日に訪れ、41種類のハスを紹介ました。今年は昨年よりも約2週間早い訪問だったのですが、昨年より4種多い45種のハスを以下に紹介させて頂きます。<巨椋(おぐら)系のハスについて>「京都植物園」のハスには、「巨椋」という名称の付いたハスが多く見られます。これらのハスは一括して「巨椋池系のハス」と呼ばれています。「巨椋池系のハス」は、かって京都市の南部に在った周囲16キロメートルの巨大な「巨椋池」で発見された品種なのだそうです。「巨椋池」は、昭和8年から昭和16年にかけて行われた干拓事業で、約600ヘクタールの農地に姿を変えてしまい、僅かに数十種類の「巨椋池系のハス」に、その名を遺すだけになってしまったようです。<京都植物園のハス、ミニ図鑑>(1)「輪王蓮(りんのうれん)」(2)「巨椋淡桃(おぐらたんもも)」(3)「巨椋ヒラキ淡桃」(4)「黒坊4(巨椋池系)」(5)「巨椋白鳳(おぐらはくおう)」(6)「巨椋斑(おぐらまだら)」(7)「巨椋の白鳥」(8)「巨椋、請所の本紅」(10)「黒坊2(巨椋池系)」(11)「巨椋清平(せいべい)」(12)「巨椋宮西」(13)「五丁田下の段(巨椋池系)」(14)「巨椋豊白(ほうはく)」(15)「巨椋の鳳凰」(16)「巨椋の彩雨」(17)「東観世紅(ひがしかんせべに)」(18)「原始蓮」(19)「大賀蓮」(20)「玉繍蓮(ぎょくしゅうれん)」(21)「姫蓮(ひめはす)」(22)「即非蓮(そくひれん)」(23)「曲院風荷(きょくいんふうか)」(24)「西湖紅蓮(さいこぐれん)」(25)「蜀紅蓮(しょっこうれん)」(26)「碧台蓮(へきだいれん)」(27)「西円寺青蓮(さいえんじしょうれん)」(28)「インドデリー大学」これ、ハスの名称なのかな???(29)「毎葉蓮(まいようれん)(30)「漁山紅蓮(ぎょざんこうれん)」(31)「京都御苑」(32)「辻弁白八重」まだ「蕾」でした。(33)「中日友誼蓮(ちゅうにちゆうぎれん)」(34)「姫万里」(35)「水晶白(すいしょうはく)」(36)「羅敷粉粧(らふふんしょう)」(37)「矮相思紅(わいそうしこう)」(38)「棗紅(そうこう)」(39)「玉楼人酔(ぎょくろうじんすい)」(40)「紅灯籠(こうとうろう)」(41)「雪美人(せつびじん)」(42)「紅碗蓮(こうわんれん)」(43)「棗紅(そうこう・半八重型)」(44)「悟空(ごくう)」中央上の赤いハスが「悟空」です。(45)「春不老(しゅんふろう)」正午少し前に「ハス園」を出て、京都駅に向かいました。「植物園」は写真で見ると涼しげだが、実際は猛暑で汗ダクなのだ!京都駅ビル2Fにある大衆割烹店「がんこ」で、「寿司定食」と瓶ビール(中便2本)で昼食、プファ~、ビールが旨い!ビール2本飲んだ勢いで、猛暑と熱中症を吹っ飛ばそう!午後1時過ぎ、「JR守山駅」に到着、駅前でタクシーを拾い、約15分で「近江妙連公園」に到着、アチャ~、ハスの葉っぱばかりで、花が見えない。本当に咲いているのだろうか?ハスの葉の近くに寄ってみますと、葉の下に、「近江妙連」の蕾が見えました。「近江妙連」、葉の下にひっそりと咲く小さな花なのだ?ネット調べした情報によれは、「近江妙連」は、「蕾」の時に、その中で花弁がどんどん増えて行き、最初は蕾の中の花弁の数は2000枚くらいなのに、開花する頃には花弁の数が5000枚以上、時には8000枚にもなるようです。残念ながら、リュウちゃんがこの日撮影した「近江妙連」は、開花しているものが一本もなく、蕾ばかりでした(ちょっと時期が早かったようです)でも、「蕾の中で花弁の数だどんどん増えていく」ということは、撮った写真で判ると思いました。「蕾」が若い頃には、普通のハスのようにほっそりとしている。「蕾」が成長すると、太く、丸くなる。開花寸前には、花弁がはみ出してくる。以下、上記の3つの段階にある写真を貼り付けます。<若い蕾><成長して、少し太めになった蕾><開花寸前、花弁がはみ出した蕾>ちょっと悔しいので、ネットからお借りした「開花した近江妙連」の写真を何枚か貼り付けます。「近江妙連」の花びらは、周囲がピンク、中心部が赤いようだ、来年には、7月下旬の「見頃」の時期に、「近江妙連公園」に行って見よう!尚、「近江妙連」の詳しい来歴等に関心のある方は下記のサイトをクリックして読んで下さいね。<近江妙連と大賀ハス>
2024年07月20日
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馬見丘陵公園の100品種、3万本の花菖蒲、今、見頃?4000本のアジサイも、見頃?6月13日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、近所の「馬見丘陵公園」にお出掛けしました。今回の目的は、100種類3万本の花菖蒲が咲いている「花菖蒲園」と約4000本ある「アジサイ園」の花を見ることです。朝、10時過ぎに家を出発、10時30分に公園の「中央エリア駐車場」に到着、本日の最高気温は30℃、午前中でもかなり暑い!「中央エリア」の入口から「菖蒲園」に向かいます。道端には「白いクチナシ」の花が植えられていました。ここは「クチナシ小道」だ!「クチナシ小道」が果てる先に、「花菖蒲園」があります。「中央エリア」入口から徒歩5分で、「花菖蒲園」に到着、う~ん、ちょっと遅かったかな?花付きは、かなりまばらだ(ちょっと残念!)<花菖蒲について>「花菖蒲」は、アヤメ科アヤメ属の多年草。原種である「野花菖蒲(ノハナショウブ)」は、日本や朝鮮、ロシアにも自生していましたが、「園芸品種」として発展したのは、日本だけのようです。室町時代後期から「園芸品種」として改良が加えられ、江戸時代前期までに数百種類の花菖蒲が作出されたようです。現在では、5000種類くらいの花菖蒲が作出されているようです。花菖蒲の歴史に関しましては、下記のサイトをクリックして参照下さいね。<独自に発展した「菖蒲(しょうぶ)」の歴史を紐解く><花菖蒲の系統>園芸品種としての「花菖蒲」は、以下の4系統に分類出来るのだそうです。(1)「江戸系」:江戸幕府の旗本、松平定朝(さだとも)によって育出された約300品種が「江戸系」の基本種、定朝の生前には「門外不出」の品種だった。(2)「肥後系」:江戸時代後期の隈本藩主・細川斉護(なりもり)が藩士を江戸の松平定朝に弟子入りさせ、「門外不出」を条件に譲り受けた品種、なので元来は「江戸系」だったが、熊本で独自に新品種を作出し、「肥後系」と呼ばれるようになった。(3)「伊勢系」:現在の三重県松阪市を中心に鉢植えの室内鑑賞向きに栽培されてきた品種群である。「江戸系の品種の影響を強く受けているという説が有力である。(4)「長井系」(長井古種):山形県長井市で栽培されてきた品種群、江戸後期からの品種改良の影響を受けていない、少なくとも江戸中期以前の原種に近いものと評価されている。現在、34種の品種が確認されている。以下に、この日撮影出来た38種の花菖蒲の写真を貼り付けます(系統が記されている品種は、そのまま系統も書いておきます)<花菖蒲の品種>(1) 待賢門(2)春の海(3)青岳城(せいがくじょう)(江戸系)(4)春眠(伊勢系)(5)碧玉(へきぎょく)(江戸系)(6)池の漣(さざなみ)(肥後系)(7)花鳥(かちょう)(江戸系)(8)初紅(はつくれない)(江戸系)(9)紫衣の誉(しいのほまれ)(江戸系)(10)鳳台(ほうだい)(江戸系)(11)金剛城(肥後系)(12)揚羽(江戸系)(13)久方(ひさかた)(肥後系)(14)沖の白波(肥後系)(14)千早城(肥後系)(15)王昭君(江戸系)「王昭君」は古代中国(前漢)の官女、古代中国の4大美人の一人、(16)春の小川(肥後系)(17)鳳山(ほうざん)(肥後系)(18)藤代(ふじしろ)(伊勢系)(19)小雪路(江戸系)(20)駒繋(こまつなぎ)(肥後系)(21)宿の桜(江戸系)(22)紅半夏(べにはんげ)(江戸系)(23)業平7なりひら)(肥後系)(24)白鴎(24)碧涛(へきとう)(肥後系)(25)紫明(しめい)(江戸系)(26)大和姫(やまとひめ)(肥後系)(27)万里の響(ばんりのひびき)(江戸系)(28)三筋の糸(江戸系)(29)出羽娘(長井系)(30)花の雨(江戸系)(31)稚児化粧(肥後系)(32)水の光(江戸系)(33)波乗舟(江戸系)(34)晩加茂万里(おくかもばんり)(江戸系)(35)東鹿子(あずまかのこ)(江戸系)(36)大観(たいかん)(肥後系)(37)乙女(伊勢系)(38)紬娘(つむぎむすめ)(長井系)<「下池」の草魚>菖蒲園から「下池」に向かいました。「下池」に棲息する「草魚(そうぎょ)」を見るためです。体長1mを超える巨大な草魚、悠然とした巨体に心が和まされる。<アジサイ園へ>「下池」を後にして、「アジサイ園」に向かいます。途上に、「萩の花」を発見、「萩」って、秋の花の筈なのに、もう花を付けている!ちょっとビックリ!「アジサイ園」は「水連池」の周囲にあります。アジサイを観る前に、「水連池」を一周、おや?今日の水連池に咲いている花は、黄色一色だ!以前は何色もの水連が咲いていた筈だが???さて、「アジサイ園」です。「アジサイ園」といいましても、独立した一区画にあるのではなく、「水連池」から「ナガレ山古墳」の後円部にかけての小道の脇に約4000本のアジサイが植えられているのです。以下、ここで撮ったアジサイの写真を順不同で貼り付けます。「馬見丘陵公園」のアジサイは、散歩道の脇に咲く脇役の花なのだ。「ナガレ山古墳」から、「上池」の畔を通って、中央エリアの駐車場に戻りました。「馬見丘陵公園」から車で10分の所にある寿司店に入り、昼食、プファ~、ビールが旨い!「馬見丘陵公園」は身体のオアシスだが、ビールとお寿司は喉のオアシスなのだ!
2024年07月09日
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全国屈指のアジサイ寺・「矢田寺」、60種10000本のアジサイ、今、開花。6月4日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、隣町の大和郡山市にあるアジサイの古刹、「矢田寺」にお出掛けしました。リュウちゃんの家から矢田寺までは車で約15分位なのです。午前11時、家を出発、11時15分、矢田寺の前の駐車場に到着、矢田寺に入る前に、参道にある奈良県初の本格トルコ料理店「Alla Turca(アラトゥルカ)」に立ち寄りました。2年前に矢田寺に来た時には、この店は「カフェ」だったのですが、その後、トルコ料理店にリニューアルしたのです。今回の矢田寺行き、「アラトゥルカ」でランチすることが目的の一つだったのだ!このお店につきましては、以下のサイトをクリックしてご覧くださいね。<奈良県初!?トルコ人シェフが提供するトルコ料理のお店|AllaTurca(アラトゥルカ)>トルコ料理音痴のリュウちゃん夫妻、何を注文していいのかサッパリ分かりませんでしたので、シェフの日本人の奥様(上掲のサイトには、シェフ夫妻の写真が掲載されています)に薦められて、以下の「ラム肉のタンドリーケパブ」を注文(勿論、リュウちゃんはジョッキビール2杯も注文)、プファ~、ビールが旨い、柔らかいラム肉、ビールとの相性抜群だ!さて、「矢田寺」に向かいます。シェフの奥様に聞いた話では、本日のアジサイは「3分咲き」位とのこと、咲いているのは殆ど「青いアジサイ」だとのことでした。ちょっと早かったのかな?でも、気を落とさずに、行ってみよう。下の図は、「矢田寺案内図」です。「矢田寺」には、約60種10000本のアジサイが植えられているのですが、大半のアジサイは上掲図左側の「あじさい園」に植えられているのです。入口の「山門」から上掲図の境内までは、約200段の石段が続いています。この石段、後期高齢者には、かなりキツい。石段の途中には、カシワバアジサイが咲いていました。境内に入りました。青いアジサイがお出迎え、<矢田寺について>奈良県大和郡山市の「矢田丘陵」の麓にある「矢田寺」は高野山真言宗の古刹です。創建は、天武天皇5年(676年)天武天皇の勅願によって創建されたと伝えられています。「矢田寺」が「アジサイ寺」と呼ばれるようになったのは、昭和40年頃からのようです。詳しくは下記の「大門坊のHP」をクリックしてご覧くださいね。<矢田寺のアジサイ(大門坊のHPより)>「見本園」の横手に、ブラシの花が咲いていた。「アジサイ園」を散策する前に、「見本園(品種園)」に入り出来るだけ品種を撮影することにしました。一昨年は22種のアジサイを撮影出来たのですが、今回は、一昨年より11種も多い33種のアジサイを撮影出来たのです。以下、この日撮影した33種のアジサイの写真を、品種名と共に貼り付けます。全60種中、33種の品種を撮影出来た。残るはあと27種、来年以降、全60種撮影に挑戦しよう!?<見本園の品種>(1) ナデシコガク(2) 八重カシワバアジサイ(3)ブルーキング(4)エンジアンダム(5)黒姫アジサイ(6)シチダンカ(七段花)(7)ウズアジサイ(8)富士の滝(9)六甲山アジサイ(10)キヨスミサワアジサイ(11)コアマチャ(小甘茶)(12)紅花甘茶(13)城ケ崎(14)三河ちどり(15)ヤマアジサイ(16)ヒメアジサイ矢田寺のアジサイの半分くらいはヒメアジサイのようだ!(17)白妙(18)甘茶(19)山アジサイ「カラスバ」(20)朝日(21)黒岳(22)紅てまり(23)日向青(ひゅうがあお)(24)七変化(25)絞り(26)天城甘茶(27)アナベル(28)椎葉ヤマアジサイ(29)美里桜(30)海峡(31)ノリウツギ(32)キヨスミサワ紫黒葉(33)伊予てまり現在、アジサイは約3000種類の品種があるようです。以下のサイトには、約140種のアジサイが写真付きで紹介されています。興味のある方は下記のサイトをクリックしてご覧くださいね。<アジサイの品種図鑑><アジサイ園~谷間のアジサイ>「見本園」を後にして、矢田寺のアジサイの一番の「見所」である「アジサイ園」に向かいました。ここの「アジサイ園」は、伽藍の横手の「谷間」に築かれています。谷底には細い渓流が流れ、渓流添いに細い順回路が設けられていて、見学者は、この順回路を一周する間に、背丈の高いアジサイと、桜や楓などの灌木の「グリーンシャワー」を満喫出来るのです。矢田寺のアジサイ園、他のアジサイの名所では中々体験出来ない「森林浴」が楽しめる!約30分ほど「アジサイ園」のグリーンシャワーを楽しみ、伽藍に戻ってきました。「矢田寺のアジサイ」の総数10000本の内、約半数は「アジサイ園」に植えられているのですが、「もう半数」は伽藍のあちらこちらに点在して植えられています。以下、「伽藍のアジサイ」の写真を何枚か貼り付けます。<北僧坊の泰山木の花>矢田寺散策の最後に、「本堂」の横手にある「北僧坊」に入りました。「北僧坊」は宿坊なのですが、お昼には、一般の来場者にも、精進料理などが賞味出来るレストランになります。「北僧坊」のメニューに、「野菜カレー」を発見!カレーはインド料理なので、仏教発祥の地インドゆかりの精進料理ということなのかな?(「北僧坊」の野菜カレー、この写真はネットからお借りしました)リュウちゃんが「北僧坊」に立ち寄ったのは、精進料理や野菜カレーが目的ではなく、境内に泰山木の花を見つけたからなのでした。「北僧坊」の泰山木、まだ咲き始めだが、お寺の境内に泰山木の花はお似合いだ。2時間ほど矢田寺を散策して、入口の「山門」に戻りました。山門の前の茶店(「アラトゥルカ」の隣にあるお店です)で、「抹茶ソフト」を注文し、暫し一服、プファ~、抹茶ソフトが旨い!抹茶ソフトは、喉のグリーンシャワーなのだ!
2024年06月28日
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初めて訪れた「ひらかたパークローズガーデン」、600種4000本のバラ咲き誇る!(前回のブログの続きです)以下の「図」は、「ひらかたパークローズガーデン」の施設を表した画像です。以下、幾つかの施設の写真を貼り付けます。<愛の神殿><バラの乙女?><乙女像><メリーゴーラウンド><バラのアーチ>先ず、前回と同じく、「ローズガーデン」のHPを貼り付けます。リュウちゃんのブログを説明不足と思われるお方は、以下のHPを参照しながらご覧くださいね。<ひらかたパークローズガーデンHP><「ひらかたパークローズガーデンのミニ・バラ図鑑」~その2><著名人の名が付けられたバラ><ザ・マッカートニーローズ>フランス、1991年、メイアン、ビートルズのメンバー、ポール・マッカートニーに捧げられたバラ、<ジャンヌ・ダルク>オランダ、2006年、四季咲き大輪。14~15世紀、イギリスとフランスの間で戦われた「百年戦争」に神の啓示を受けて、僅か17歳でフランス軍に従軍、「オルレアン包囲戦」を勝利に導き。「オルレアンの乙女」と称されるも、2年後の19歳の時に異端審問にかけられ、異端と判定されて火刑に処せられました。<シャルル7世の戴冠式におけるジャンヌ・ダルク(ドミニク・アングル画)><マリア・カラス>フランス、1965年、20世紀を代表するオペラ歌手、ビゼーのオペラ「カルメン」などが彼女の代表的な録音ですね。(マリア・カラス)<マリア・カラス「カルメン」より「恋は野の鳥」><クリスチャン・ディオール>フランス、1958年、メイアン、<フレグランス(芳香)エリア><芳純>日本、1981年、鈴木省三、ダマスク・クラシック、<夢香>日本、2007年、竹内俊介、フルーティ、<ゲーテ・ローズ>ドイツ、2010年、タンタウ、ミルラ、<パパ・メイアン>フランス、1963年、メイアン、ダマスク・モダン、<ロィヤル・ローズガーデン>これまで世界中で作出されたバラは、数万品種と推定されますが、それぞれのバラに付けられた「バラの名前」も多様で興味津々ですね。その中でも、ロイヤル・ファミリーの名が付けられたバラは、特に人気が高いと思われます。以下、このエリアで撮った写真を幾つか紹介致します。<プリンセス・チチブ>イギリス、1971年、ハークネス、四季咲き中輪、秩父宮妃殿下、<プリンセス・アイコ>日本、2002年、京成バラ園、四季咲き中輪、愛子内親王、<プリンセス・サヤコ>フランス、1980年、メイアン、清子(さやこ)内親王(黒田清子さん)<プリンセス・マサコ>日本、1993年、國枝バラ園、四季咲き大輪、雅子皇后、<ジュビレ・ドゥ・プリンス・ドゥ・モナコ>フランス、2000年、四季咲き半剣弁カップ咲き、モナコ元首レーニエ3世、<キャロリーヌ・ドゥ・モナコ>フランス、1989年、メイアン、四季咲き大輪、モナコ公国キャロリーヌ王女(グレース・ケリーの長女)、<ヨハネ・パウロ2世>アメリカ、2008年、四季咲き大輪、ローマ教皇、<ドフトツァウバー84>ドイツ、1985年、コルデス、四季咲き大輪、イギリス王朝、<クレオパトラ>ドイツ、1955年、コルデス、四季咲き大輪、エジプト王朝、<京阪園芸で作出されたバラ>以前、「万博記念公園のバラ園」に行った時、バラ園の一角に、「京阪園芸作出のバラ」というコーナーがありました。リュウちゃん、この時、初めて、バラ作出家としての「京阪園芸」という名前を知ったのです。以下のサイトは、「京阪園芸のバラのHP」です。<「京阪園芸」作出のバラ>上掲のサイトの説明文です。京阪園芸作出のバラは、1967年より日本のバラ研究の第一人者「 岡本勘治郎」氏の指導のもとはじまりました。当時の育種では、 大輪咲き・花のフォルム・花びらの質感・四季咲きなどを中心に、良好なもの から選抜し、1970年に最初のオリジナル品種の「花嫁」が誕生しました。以降、「京都の名所」をイメージした名をおもに冠していましたが、近年では時代のニーズに合わせた「F&Gローズ」シリーズなどブランド展開し、今日までに32品種(???)を作出しています。上掲のサイトには、「京阪園芸」で作出された約50種類のバラが写真付きで詳しく説明されています。リュウちゃんが今回撮影出来たのは、18種類に過ぎませんが、「京阪園芸」作出のバラの全貌を知りたい方は上掲のサイトをクリックしてご覧くださいね。今回、リュウちゃんが「ひらかたパークローズガーデン」を訪れた一番の目的は、「京阪園芸」作出のバラを観ることだったのだ!<都大路>日本、1988年、京阪園芸、四季咲き大輪、<八坂(やさか)>1972年、四季咲き大輪、<大原女(おはらめ)>1974年、四季咲き大輪、<鞍馬>1977年、四季咲き大輪、<紫野(むらさきの)>1992年、四季咲き大輪、<北山>1994年、四季咲き大輪、<平安>1979年、四季咲き大輪、<花嫁>1970年、四季咲き大輪、<京極>1989年、四季咲き大輪、<丸山>1984年、四季咲き大輪、<絵日傘>1974年、四季咲き中輪房咲き、<朱雀>1977年、四季咲き大輪、<洛北>1990年.四季咲き大輪、<金閣>1975年、四季咲き大輪、<大文字>1981年、四季咲き大輪、<愛宕(あたご)>1984年、四季咲き大輪、<光華(こうか)>1996年、四季咲き大輪、<ふるさと>1970年、四季咲き大輪、<2010年以降に作出された新作のバラ><はいから>日本、2016年、<フィネス>日本、2017年、<モガ>日本、2017年、<環(たまき)>日本、2014年、<せん>日本、2013年、<清流>日本、2013年、河本ばら園、四季咲き中輪、<かおりかざり>日本、2012年、ローズファームケイジ、F&Gローズ、<夜来香(いえらいしゃん)>日本、2013年、青木宏達、四季咲き中輪、「夜来香」といえば、懐メロ大好き人間のリュウちゃん、戦前に李香蘭(山口淑子)が歌った名曲を思い起こします。<「夜来香」中国語バージョン、歌:李香蘭(山口淑子>(李香蘭)約2時間余り、バラ園を散策して、帰路に着きました。プファ~、バラに堪能した!でも、撮った品種は全体の1/9、また来年も「ひらかたパーク」へ行ってみよう!
2024年06月15日
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初めて訪れたひらかたパークローズガーデン」、600種4000本のバラ咲き誇る!5月14日、リュウちゃん一人で「ひらかたパークローズガーデン」に行って来ました。このバラ園に行くのは今回が初めてです。「ひらかたパークローズガーデン」は、明治43年に開園した「日本最古の遊園地」である「ひらかたパーク」の一角にあります。以前はここで大規模な「菊人形展」が行われていたのですが、今は「ローズガーデン」のバラが花の主役なのです。「ひらかたパーク」は大阪府枚方市の枚方公園町に在ります。運営母体は「京阪電鉄」、通称は「ひらパー」、京阪本線「枚方公園駅」から徒歩3分の所に入場口がありますので、車の免許を持っていないリュウちゃんでも、公共交通を使って楽勝で行けるのです。リュウちゃんの家から「ひらかたパーク」までの順路は以下です。JR法隆寺駅~(約25分)~JR天王寺駅~(乗り換え、約15分)~JR京橋駅~(京阪本線に乗り換え)京阪京橋駅~(約20分)~京阪枚方公園駅~(徒歩3分)~ひらかたパーク、朝10時、家を出発、11時過ぎ、JR京橋駅に到着、駅前のアーケード街にある大衆鮮魚店「大紀水産」に入店、プファ~、ビールと握り寿司が旨い!寿司ネタは飛びっきり新鮮、ジョッキビール2杯と握り寿司定食で、お代は1800円!安い!旨い!午後1時過ぎ、「ひらかたパーク」に入場口に到着、入場口の前にもバラが咲いていました。入場します。「ひらかたパーク」は、やはり「巨大遊園地」なのだ!「バラ園」は、入場口から徒歩1~2分です。まだちょっと早いかなと思っていたが、充分に「見頃」のようだ。<ひらかたパークローズガーデンについて>ここで「ひらかたパークローズガーデン」についての情報を簡単に書いてみます。この情報は、下記のHPからの抜き書きです。詳しい情報をお知りになりたい方は、下記のHPをクリックしてご覧下さいね。<ひらかたパークローズガーデンHP>★昭和30年、ひらかたパーク内の9000平方メートルの広大な地に「バラ園」が誕生、開園当時には、約2000種10000株のバラが植えられ、「東洋一の大バラ園」と称された。★造園を指揮したのは、枚方市に本社のある「京阪園芸」に所属していた園芸家・バラ育出家の「岡本勘治郎」氏(尚、千葉県の「京成バラ園」(昭和34年開園)の育出家であり、「ミスターローズ」と称された鈴木省三(せいぞう)氏は、岡本氏より14歳年下です)★2000年(平成12年)にリニューアル、面積7000平方メートル、約600種、4000株のバラ園となり、現在に至る(このリニューアルで、バラ園は相当、縮小されたが、縮小の理由は明らかにされていない)以下の絵図は、ローズガーデンの「エリアマップ」です。上掲のA~Fのエリアには、以下のようなバラが植えられています。(A1~A4):モダンローズ・ガーデン、(A1):ロイヤル・ローズガーデン→世界各国のロイヤル・ファミリーに因むバラを集めたエリアです。(A2):フレグランス(香り)・エリア→バラの香りを楽しみながら鑑賞出来るエリア、(A3):有名人の名前が付けられたバラのエリア、(A4):ひらかたパーク(=京阪園芸)で育出されたバラのエリア、(B):「時の歩み~バラの小道」→初期のモダン・ローズから、年代順にモダンローズを鑑賞出来る小道、(C):オールド・ローズガーデン→1867年以前に存在したバラを「オールド・ローズ」といいます。多くは年に一回しか咲かない「一季咲き」のバラです(1867年に作出された「ラ・フランス以降のバラは「モダン・ローズ」と呼ばれます。多くは「四季咲き大輪」で、ハイブリッド・ティーㇳも呼ばれるバラなのです」(D):殿堂入りのバラのエリア→3年に一度開催される「世界バラ会議」で、毎回1~2種位「殿堂入り」のバラが選出されるという名誉あるバラを集めたエリア、(E):シュラブローズ(半つる性のバラ)ガーデン、(F):日本の育種家のバラガーデン、さて。この日リュウちゃんは約70種類のバラの写真を撮ることが出来ました。ローズガーデン全体では約600種類のバラがありますので、撮った品種は全体の1/9強に過ぎません。まだ蕾のバラや、既に散ってしまったバラもありますので、まずまずの種類のバラの写真が撮れたと思っています。今回のブログでは、2回に分けて撮った写真を全部紹介したいと思います。<「ひらかたパークローズガーデンのミニ・バラ図鑑」~その1><バーガンディ・アイスバーク> 1998年、オーストラリア、四季咲き中輪房咲き<アンジェラ>ドイツ、1988年、コルデス、四季咲きシュラブ、<ブリリアントピンク・アイスバーグ>オーストラリア、1995年、四季咲き中輪房咲き<悠久の約束>フランス、2010年、四季咲き大輪、<オルソラ・スピノーラ>フランス、1996年、シュラブ、<ソニア・リキエル>フランス、1995、シュラブ、<スプリング・パル>日本、伊丹バラ園、クライミングローズ、<ザ・フェアリー>イギリス、1932年、ベンタル、シュラブ<つるゴールドバニー>フランス、198年、メイアン、クライミング、<コルデス・ジュビリー>ドイツ、2012年、コルデス、クライミング。<スイート・ドリーム>イギリス、1988年、フライヤー、四季咲きつるバラ、<グラス・アン・アーヘン>ドイツ、1909年、フロリバンダ、<サマー・ソング>イギリス、2005年、デビッド・オースティン、イングリッシュ・ローズ、<トラディスカント>イギリス、1993年、オースティン、イングリッシュ・ローズ、<ピエール・ドゥ・ロンサール>フランス、1987年、メイアン、クライミングローズ<イエス・オブ・ザ・ダーバーヴィルス>イギリス、1998年、デビッド・オースティン、イングリッシュ・ローズ、<グラハム・トーマス>イギリス、2001年、デビッド・オースティン、イングリッシュ・ローズ、<セプタード・アイル>イギリス、1997年、オースティン、イングリッシュ・ローズ、<シュロプシャー・ラス>イギリス、1968年、デビッド・オースティン、シュラブ、<フェルゼン伯爵>フランス、2009年、メイアン、四季咲き中輪、<ベッラ・ディ・トーディ>イタリア、1999年、四季咲き大輪、<イージー・ゴーイング>イギリス、1996年、ハークネス、四季咲き中輪、<マダム・フランソワーズ・ピテ>フランス、1877年、ロゼット咲き、<イスパファン>1832年以前、ダマスク、<ガブリエル・フォーレ「イスパファンのバラ」:歌:ビクトリア・デ・ロスアンヘレス><ボールズ・ヒマラヤン・ムスク・ランブラー>イギリス、1916年、ボールス、ランブラー、<ポール・ノエル>フランス、1910年、ランブラー、<ヘンリー・ネバード>イギリス、1924年、ハイブリッド・パーペチュアル、<殿堂入りのバラ><アイスバーグ>ドイツ、1958年、コルデス、四季咲き中輪、1983年殿堂入り、<パスカリ>ベルギー、1963年、ランス、四季咲き大輪、1991年殿堂入り、<イングリッド・バーグマン>デンマーク、1985年、四季咲き大輪、2000年殿堂入り、(ングリッド・バーグマン)<クィーン・エリザベス>アメリカ、1954年、ラマーツ、四季咲き大輪、1978年殿堂入り、<エリナ>イギリス、1983年、ディクソン社、四季咲き大輪、2006年殿堂入り、(以下、「ひらかたパーク・ローズガーデンのバラ」~その(2)」に続きます)11111
2024年06月03日
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葛城山頂朱に燃ゆ!一目百万本のヤマツツジ、今、満開!5月10日、約10年ぶりに女房殿の運転する車の助手席にのって、「大和葛城山のヤマツツジ」を観に行ってきました。全国屈指の「ヤマツツジの群生地」として知られている「葛城山」は、奈良県と大阪府の境にある「金剛山地」の主峰の一つで、標高959,2mの山です(主峰は葛城山と隣り合っている標高1125mの金剛山です)葛城山の山頂付近は「葛城高原」と呼ばれ、5月には高原を覆い尽くすように数万本ヤマツツジが咲き、大勢の観光客で賑わうのです。午前9時に家を出発、午前10時少し前、「葛城山ロープウェイ」の発着駅の近くの駐車場に到着、以前はロープウェイに乗るのに、1時間位駅前で並んだが、今回は20分待ちでロープウェイに乗れた!ロープウェイに乗って、約6分で「葛城山上駅」に到着、ここから上り坂の山道を15分位登っていきますと、ヤマツツジの群生している「葛城山自然ツツジ園」に到着するのです。ツツジ園への途上の途中に、奈良県側を見下ろせる「展望所」があります。「展望所」で早速一服、眼下の靄の中に、畝傍山と耳成(みみなし)山を見ることが出来た!(上の写真の右手中央が「畝傍山」左中央が「耳成山」、「畝傍山」と「耳成山」の真ん中奥に「天の香久山」があります)ツツジ園に行く前に山頂に立ち寄りました。山頂からは、大阪側が見渡せるのですが、本日は靄が濃く立ち込めていましたので、写真を撮るのは諦めたのです。山頂から、ツツジ園に向かいます。前方に「金剛山地」の主峰、「金剛山」が迫ってきました。「金剛山」の手前の谷底が「葛城山自然ツツジ園」です。おお!ツツジ園は満開だ!正に「葛城山頂朱に燃ゆ」だ!深い青緑の金剛山と朱いやツツジの見事なコントラスト、この時期の葛城高原でしか見られない絶景だ!もうお昼時、お腹が空いた!で、山頂にある「葛城高原ロッジ」で昼食、プファ~、ビールが旨い!ツツジ天国のど真ん中で飲むビール、格別の味なのだ!昼食を終え、谷底へ続く「ダイアモンド・トレイル」を下って行きます。下り道の途上は巨大なヤマツツジで覆われている!途上からの眺めも絶景だ!<「葛城高原自然ヤマツツジ園」について>★「葛城高原自然ヤマツツジ園」は、標高1125mの「金剛山」に接する葛城山の約15万平方メートルの南斜面に、数万本の自然発生したヤマツツジの咲く楽園です。★昭和40年頃、この地は一面に「熊笹」が生い茂る「熊笹の群生地」だったのですが、昭和44年頃、ここの熊笹が一斉に花を咲かせ、結果、ここの熊笹は殆ど枯れてしまいました(熊笹が花を咲かすのは、100年に一度位しかない珍しい現象です。花が咲いた熊笹は、まもなく枯れてしまうようです)(「熊笹の花」:この写真はネットからお借りしました)★熊笹が生い茂っている頃には、脇役に過ぎなかったヤマツツジは、熊笹が枯れたことにより葛城高原の主役に躍り出ました。今では、「一目百万本」のヤマツツジの群生地として、シーズンには多くの見物客で賑わうようになりました。★「葛城高原のヤマツツジ」は、このように、人が植えたものではなく、自然発生した花ですので、現在でも、新しい苗木を人の手で植え付けたり、選定したりすることはないのです。人の手が入るのは、年に2回程、ツツジの根本の熊笹を刈り取る事と、山道の整備だけなのです。―閑話休題~谷底に到着、以下の写真は谷底から見上げたヤマツツジです。見下ろしても良し、見上げても良し、ここはヤマツツジの楽園なのだ!暫し谷底からの景観を楽しみ。谷底左手の斜め上に延びる山道を登って、帰路に着きました。この山道の途上からの眺め、リュウちゃんの一番好きなビュースポットなのだ!帰路の途中、當麻寺参道の入口にある「中将餅本舗」に立ち寄り、8個入りの「中将餅」を購入、家に帰って、「おやつタイム」に食べたのです。プファ~、中将餅が旨い!葛城山登山のお土産は、中将餅がベストなのだ!(中将餅:伊勢名物「赤福」に形が似ている草餅なのです)
2024年05月22日
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全国桜名所ランキング第1位の「弘前城公園」の桜、天守台の眼前に岩木山(津軽富士)が迫っていた!(前回のブログの続きです)「函館市場」で早い昼食を終えた後、次の目的地である「弘前城(ひろさきじょう)」に向かいました。「函館駅」から青森県の「弘前駅」までの行程は以下です。「函館駅」~(函館本線・函館ライナーで約20分)~「新函館北斗駅」~(北海道新幹線に乗り換え)~北海道新幹線「新函館北斗駅」~(約50分)~新幹線「新青森駅」~(奥羽本線に乗り換え)~「奥羽本線「新青森駅」~(約30分)~弘前駅、24日の弘前市の天候は、「曇り時々雨」、最高気温18℃、残念な天候、お目当ての「岩木山」観ることが出来ます事やら?正午過ぎに函館駅を出発、午後3時頃に「弘前駅」に到着、おお、「弘前駅」の手前の車窓から、「岩木山」が見えた!午後3時頃、「弘前駅」に到着。駅前からタクシーでホテルに行き、チェックインの後、「弘前城公園の桜見物」に出掛けました。下の図は「弘前城公園の案内マップ」です。(弘前城公園の案内マップ)上掲の「案内マップ」につき、少し説明します。★リュウちゃんの泊まったホテルは、案内マップ右下の「弘前城植物園」の更に右側に在ります。ホテルから右下の植物園の角までは徒歩10分です。★この日のリュウちゃん達は、ホテルから図の右下に至り、そこから外堀沿いに図の右側中央部にある「東門」から入場(城)、内堀の所にある「東内門」から「弘前城」に入城、天守のある「本丸」を経て「北の郭」から城を出て、「はす池」沿いにお城を一周。入場した「東門」から元来た道を辿り、ホテルに戻ったのです。チェックインの際、ホテルのフロントで、本日の開花状況を問い合わせましたところ、「落花盛ん、花筏が見頃」とのことでした。アチャ~、函館の桜は「満開」だったのに、直線距離で50キロほどしか離れていない「弘前の桜」は「見頃」を過ぎていた!アチャ~!しかし、気落ちせず、桜見物に行こう。午後3時過ぎ。ホテルから「弘前城公園」に歩いて出掛けました。案の定、外堀のソメイヨシノの桜並木は、殆んど「葉桜」に近い。堀の水面に浮かぶ「花筏」も盛大だ。しかし、このソメイヨシノ、皆、巨木だ。これらの巨木が「見頃」であれば、どれだけ素晴らしかった事だろう。「東門」に着きました。「東門」の前の枝垂れ桜、満開だ!「東門」から入場します。おお!「東門」の内側は、満開のピンクの八重桜の花園だったのだ!(この桜の品種名は「関山(かんざん)」です。この桜は、「弘前七桜」の一つで、公園には全部で105本の「関山」が植えられています。日本原産の八重桜で、欧米では最も普及している日本の桜なのだそうです)ピンクの八重桜の前に、50鉢ほどの桜の苗木が植えられていました。以下、幾つかの苗木を紹介します。<楊貴妃><思川(おもいがわ)><釧路八重><白妙(しろたえ)><弘前雪明かり><気多(けた)の白菊桜><花海棠(はなかいどう)>この花は「桜」ではないのですが、に桜近いバラ科リンゴ属の耐寒性落葉高木なのです。「ピンクの枝垂れ桜の花園」から「東内門」を潜って「本丸」に向かいます。「東内門」を潜った目の前に、「弘前市古木名木」の一つである<弘前公園最長寿(日本最古級)のソメイヨシノ>が植えられています。推定樹齢140年!幹周4,43m、樹高9m、樹齢60年と云われるソメイヨシノでは、破格の古木なのだ!<弘前城公園の桜について>「弘前城公園」には、ソメイヨシノを中心に、52種約2600本の桜が植えられています。前回のブログで紹介した「函館・五稜郭の桜」の本数が1600本ですから、「弘前城公園」の桜の本数は、「五稜郭」よりも1000本も多いのですね。弘前城では、江戸時代の正徳5年(1715年)から桜が植え始められたようですが、現在のような全国屈指の「桜の名所」になったきっかけは、今から約140年前の明治15年(1882年)に、旧藩士の菊池楯衛(たてえ)(彼は青森のリンゴ栽培の先駆者でもあります)が、当時は殆ど知られていなかったソメイヨシノの苗木を1000本(一説では300本)寄贈して公園内に植栽したことのようです。現在でも、公園内には樹齢100年を超えるソメイヨシノが400本も残っていて、この長寿のソメイヨシノの存在が、他の桜の名所とは一線を画する「弘前城公園の桜の見所」になっているようです。<弘前七桜>弘前城公園には、ソメイヨシノの後に咲く桜が40種約700本あります。その40種の中から厳選した7品種の八重桜を「弘前七桜」と名付、弘前の「桜カレンダー」で見頃を紹介しています。以下に、その7品種を文字のみで紹介致します。(1)「八重紅枝垂れ」:公園内に171本、「東門」の入口の枝垂れ桜が、この品種です。(2)「弘前雪明かり」:公園内に4本、本ブログの「苗木」で紹介しました。(3)「東錦」:公園内に13本、ピンクの大輪の八重桜です。(4)「ウコンザクラ」:公園内に12本、珍しい「黄色い桜」です。(5)「松月」:公園内に3本、(6)「関山」:公園内に106本、(7)「普賢象(フゲンゾウ)」:公園内に22本、淡紅色の上品な大輪八重桜です。赤い橋を渡って、「本丸」に入城します。この辺りのソメイヨシノは、まだしっかり咲いている!「本丸」に入ります。「本丸」の中でも、巨大な桜が林立している!「本丸」の中で、「結婚式」(?)が行われていた!さて、ここからが本ブログのハイライト、岩木山と弘前城と桜のコラボです。息を呑むように美しい岩木山と弘前城と桜のコラボ、曇天ではあったが、この時期に弘前に来てよかった!「北の郭」から弘前城を後にして、内堀の周りを半周しました、内堀の360mのソメイヨシノの並木、正に「桜のトンネル」だ!「本丸」の下の「はす池」に、カルガモの群れを発見、久しぶりの鳥の写真が撮れた!「はす池」の終わった辺りに、「弘前市古木名木」の一つである「根上がりイチョウ」を発見。推定樹齢300年、幹周5,38m、樹高約16m、目を見張る巨木ではないが、地上に露出した巨大な根と桜のコラボに目を見張らせられた!もう午後7時、公園散策に約3時間も掛かってしまった!で、ホテルの近くのレストランで夕食を済ませ、女房殿をホテルに残し、ホテルで紹介された「カラオケスナック」にリュウちゃん一人で出掛けたのです。旅行先で地元のカラオケスナックにフラっと立ち寄り、地元に因んだ歌を歌うのがリュウちゃんの生き甲斐の一つ。ましてや好きな歌の多い津軽のスナック、期待が膨らむ!紹介されたスナックには、既に4~5人の先客が来ていたのですが、一見したところ、誰も歌を歌っていませんでした。よし、絶好のチャンス!スナックのカウンターのモニターの前に陣取り、以下のような地元に因む歌を中心に、ワンマンショーで歌ったのです(下記の歌の題名表記の所をクリックしますと、オリジナルの歌を聴く事が出来ますので、興味のある方はクリックして聴いて下さいね)<美空ひばり「リンゴ追分」><美空ひばり「津軽のふるさと」><美空ひばり「急行青森行き」、作曲:上原げんと><千昌夫「津軽平野」、作曲:吉 幾三><佐々木新一「リンゴの花が咲いていた」><原田悠里「津軽の花」>プファ~、ビールが旨い!好きな津軽の歌を、地元のスナックで歌いながら飲むビールの味は格別だ!結局、ビール中瓶3本を飲み、ワンマンショーの歌は30曲ほど歌ってしまった!翌日の4月25日、この日も朝から曇天でした(残念!)実はリュウちゃん、24日の夕方までは、「25日はリンゴ園に行って、リンゴの花と岩木山のコラボを見よう」と思っていたのです。これは、原田悠里の「津軽の花」の歌詞に、<♪~リンゴも桜も一緒に咲いて~♪>というフレーズがありますので、「桜とリンゴの花は同時期に咲く」ものだと思い込んでいたからなのでした。ところが、前日のスナックで、「津軽の花」を歌い終わったあと、スナックのママから、「リンゴの花は、弘前では、桜と一緒には咲かないわよ、桜が散ってから、暫くして開花するの。今年のリンゴの花の開花は、多分5月中旬頃ね」とのこと、アチャ~、リンゴの花はまだ蕾、残念!歌詞に騙された!ということで、リンゴ園訪問は諦め、公園に付設されている「弘前城植物園」に行ってみたのです。午前9時少し過ぎ、植物園に入園、以下に、植物園の案内図を貼り付けます。図の文字が小さくて分かりにくいのですが、図の中央上部にある「さくらの園」から、時計回りに園を一周したのです。おお!「さくらの園」の枝垂れ桜、完全に「見頃だ!以下は印象に残った一本桜です。<シダレヤマザクラ><湖上の舞><品種名不詳>「さくらの園」の近くに「リンゴ品種園」がありました。案の定、リンゴの木は、まだ蕾も確認出来ない。しかし、1種だけ、開花していたリンゴの木がありました。下記の「ヒメリンゴ」です。リンゴの木は、実の小さいヒメリンゴから先に花が咲くのだ!?以下に、植物園に咲く花で印象に残ったものを幾つかアップします。<スノーフレーク><ニワウメ><シャクナゲヨシノ>正午少し前に植物園を後にしてホテルに戻りチェックアウト、弘前駅前の和食店で昼食、プファ~、ビールが旨い!3日間に渡る函館・弘前の桜行脚、かなり充実した旅になった!駅前のミスドで暫し休憩の後、シャトルバスで青森空港に向かいました(弘前駅から青森空港までは、シャトルバスで、70分掛かるのです)午後4時、青森空港に到着、空港の展望台から岩木山が見えるようなので、展望台に登ってみましたが、残念ながら岩木山は厚い雲に覆われていて、山頂を見ることは出来ませんでした(残念!)午後5時30分発の伊丹空港行きの飛行機に搭乗し、午後7時10分に無事、伊丹空港に到着したのです(やれやれ!)本ブログ最後の写真は、飛行機の窓から観た風景です。青森から富山県辺りまでは、下界は厚い雲に覆われていたが、富山県上空辺りから、北アルプスの峰々が見え始めた。反対側の座席からは、富士山の頂きが観られたようだ。今度青森から伊丹に戻る機会があれば、進行方向の左側の座席を予約しよう!
2024年05月13日
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初めて訪れた「五稜郭」の1600本の桜、今、正に満開!圧巻!、来て良かった!リュウちゃん夫妻、4月23日から25日にかけて、2泊3日で、函館市の「五稜郭」と、青森県弘前市の「弘前城公園」の桜見物に行って来ました。今回の旅行の行程の概略は以下です。<23日>(午前11時)伊丹空港から出発~(午後12時30分)函館空港到着、ここで昼食、~バスで「五稜郭」へ移動~「五稜郭」見物~夜、函館山に登り、夜景観賞~夕食を終えた後、ホテルに宿泊、<24日>ホテルで朝食の後、「凾館桟橋」見物~函館朝市見物~函館朝市の店で昼食~JR「函館駅」から新幹線「函館北斗駅」に移動~新幹線「新青森駅」に移動~JR「新青森駅」から奥羽本線でJR「弘前駅」に移動~ホテルにチェックインの後、「弘前城公園」散策~ホテルの近くのレストランで夕食<25日>ホテルで朝食の後、再び「弘前城公園」散策~弘前駅前の和食店で昼食~弘前駅前からリムジンバスで「青森空港」に移動~午後5時30分、「青森空港」出発~午後7時10分、「伊丹空港」到着~空港の和食店で夕食~午後9時過ぎ、帰宅、上記の「北の桜見物計画」、実は出発の50日ほど前の3月初旬に立案し、飛行機、ホテルの予約をしたのです。何しろ全国屈指の桜の人気スポット、早めに予約しないと行くことが出来ない!なので、当日、「桜が見頃」になっていうるかは、全く未知数です。例年は、「五稜郭の桜の見頃」の時期は4月末のゴールデンウェークの前後なのですが、最近は地球温暖化の影響で「見頃の時期」が早まっています。今年も2、3月「異常な温暖」で、「梅の花の見頃」も例年より10日くらい早かったことを考えますと、当然、「桜の見頃」も、例年より10日くらい早まる筈ですね。あれやこれやの諸条件を勘案して、出発日を4月23日と決め、飛行機、ホテルを予約したのです。「桜の見頃」は、当たるも八卦、間違っても、少しくらいの桜は観られる筈だ!???4月23日、朝8時に家を出発、この日の奈良の天候は「曇り時々雨」、午前11時予約した飛行機は定刻に伊丹空港を離陸、函館空港に向かったのです。午後12時30分、定刻に函館空港に着陸、今日の函館の天候は「晴」!やったね!空港からバスで、ホテルに向かい、チェックインの後、ホテルに荷物を預け、ホテルから徒歩5分の所にある「五稜郭タワー」に登りました。地上90mの展望所から見下ろす「五稜郭の桜」、ドンピシャリ満開だ!展望所から、今夜行く予定の「函館山」が見えた!「五稜郭タワー」を降りて、境内の散歩に向かいます。ところで、「五稜郭」って、何なのだろう?松前藩の出城なのかな?何故、ユニークな五角形の土塁をい築いたのか?土塁の中心部には何があるのか?何時、「桜の名所」になったのか??疑問は尽きない。で、疑問を解消するために、俄かネット調べをしてみました。下の図は、「五稜郭の簡単マップ」です。「五稜郭」の中心部は、「箱館奉行所」、「五稜郭」は「城」ではなく、「奉行所」だったのだ!以下に、「五稜郭タワー」のネット記事を貼り付けます。このサイトには、「五稜郭の歴史」や、データが詳しく書かれていますので、興味のある方はクリックしてご覧下さいね。<五稜郭タワー>「三の橋」から境内に入ります。入口は「箱館奉行所」なのだ!平成22年(2010年)に再建された「箱館奉行所」です。「奉行所」の周囲には巨大な赤松が植えられています。「奉行所」の前にある「梅の木」、まだ花を付けていた!さすが北国北海道!「奉行所」からお堀を見下ろす土塁の端に出て、左周りに「三の橋」まで土塁を半周しました。土塁の上から観るソメイヨシノ、圧巻また圧巻!満足度120%だ!土塁を半周して、お堀の外側から桜を眺めます。お堀の外側から観た「五稜郭の桜」、夢のような絶景だ!大満足の桜見物を終えてホテルに戻り、暫し休憩、夕方に路面電車で函館駅までお出掛けしました。日本三大夜景の一つ、「函館山の夜景」を観に行くためです。当初は途中からロープウェイを使って函館山に登る計画だったのですが、函館駅で「直通バス」があることを発見、このバスげ「函館山に登ったのです。さすが日本三大夜景の一つ、「函館山の夜景」は素晴らしい!しかし、三脚を使わない手撮りの写真は、ブレが目立つ、満月も2重にブレてしまった。残念!4月24日、ホテルで朝食を済ませ。午前9時にチェックアウト、昨夜と同じように路面電車で函館駅に向かいました。昭和63年(1988年)に廃止された「青函連絡船」の発着基地であった「函館桟橋」と、隣接する「函館朝市」を見に行くのが目的です。「函館桟橋」は函館駅から徒歩5分です。生憎、この日の天候は曇り時々雨、正に「津軽海峡冬景色」だ。停泊している「摩周丸」もちょっと淋しい。桟橋の目の前に、昨夜登った「函館山」が見えます。「函館」に関する歌としては、北島三郎の「函館の女(ひと)」が有名ですが、リュウちゃんは美空ひばりが48歳の時にリリースした小椋 佳の作詞・作曲による「函館山から」が大好きな歌なのです。この歌、同じ小椋 佳の「愛燦々」の影に隠れてしまい、全然知られていないが、小椋 佳らしい格調の高い名曲なのだ!<美空ひばり「函館山から」:詞・曲:小椋 佳>(↑ここをクリックして、お聴きくださいね)「函館桟橋」から「函館朝市」に戻りました。「函館朝市」の中にある鮮魚料理店で、お刺身定食と生ビールの注文し、早い昼食、プファ~、ビールと刺身が旨い!店内にはサブちゃんの「函館の女」が何度も流れていたが、函館朝市では「函館山から」よりも、サブちゃんのド演歌がお似合いだ!???以下、<2024年の桜行脚(5)~「弘前城公園の桜」>に続きます。
2024年05月07日
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奈良県の2大桜の名所、「高見の郷」の1000本の巨大枝垂れ桜全国屈指の桜の名所「吉野山の桜」、一挙に公開!(「高見の郷」の桜)(吉野山の桜)4月10日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、奈良県東吉野村にある新しい桜の名所、「高見の郷(さと)」にお出掛けしました。「高見の郷」にお出掛けするのは、今回で3年連続になります。リュウちゃんの家から「高見の郷」までは、車で約1時間30分、この日は午前8時30分に家から出発し、10時ジャストに、「高見の郷」の駐車場に到着しました。駐車場から無料のシャトルバスで、麓まで行き、そこから「無人運転カート」で、1000本の巨大な枝垂れ桜の咲く「高見の郷」に登ります。無人運転カートの前は、凄い人の行列!行列に並んでからカートに乗るまで、20分位掛かってしまった!「高見の郷」の命名の由来は、ここが奈良県と三重県の県境にある「高見山」(標高1249m、俗称「関西のマッターホルン」)に隣接していることから来ています。無人運転カート乗り場から、初めて「高見山」を撮ることが出来た!ここで「高見の郷」の「桜MAP」を紹介します。(「高見の郷」桜MAP)★「高見の郷」は、2004年(平成16年)に開園した新しい奈良の桜の名所です。★園内には、約1000本の巨大な枝垂れ桜が植えられていて、観る人を圧倒します。その様子は、「鈴鹿の森庭園」の「枝垂れ梅」の景観とよく似た感じですが、枝垂れ梅の樹高はせいぜい6m、比べて「高見の郷」の枝垂れ桜の樹高は、10~15m位あります。従いまして、「高見の郷」の満開時の桜の花の総量は、「鈴鹿の森庭園」の枝垂れ梅の花の総量の約5倍ほどあると考えられます。★「高見の郷」は、古来から全国屈指の桜の名所として知られる「吉野山」から直線距離で約30キロの所にあります。車を使えば、「高見の郷」から「吉野山」までは、30分もあれば行けるのです。なので、一日で「高見の郷」と「吉野山」をハシゴすることも可能なのです。★「高見の郷」は、新しい桜の名所なので、1990年(平成2年)に公益財団法人「日本さくらの会」が制定した「日本さくら名所100選」には入っていません。また最近の「全国桜の名所ランキング」にも全く登場しないのですが、奈良県民のリュウちゃんの見解では、優に全国ベスト10に入るべき、素晴らしい桜スポットだと思っているのです。ー閑話休題ー自動運転カートを「千年の丘」の下で降りて、約50m上部にある「千年の丘」に登りました。標高700mの所にある「千年の丘」、ここから「高見の郷」の桜が一望出来る!見下ろす絶景は、正に第2の吉野山だ!暫し「千年の丘」からの眺めを堪能して、約100m下にあるメインスポットである「天空の庭」に降りて行きました。「天空の庭」への下り道、道脇は枝垂れ桜で埋まっている!「天空の庭」に降りてきました。「天空の庭」の天空は、桜の花で覆い尽くされている!他の桜の名所では絶対に観ることが出来ない「桜の天国」なのだ!もう正午、お腹が空いた。で、「天空の庭」にある茶店で、「山菜蕎麦」と缶ビール(2缶)を買って、昼食(女房殿は、カレーライスとお茶)プファ~、ビールが旨い!ゴージャスな桜の下で飲むビール、心の中までピンク色なのだ!昼食を終え、「天空の庭」の下にある「記念植樹コーナー」に降りて行きました。ここは「高見の郷」で一番新しいコーナー、いにしえの歌人「西行法師」なら、きっとここで、「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と詠んだことだろう、暫し「記念植樹コーナー」の桜の下を散策して「天空の庭」に戻り、昼食を摂った茶店で、「桜ソフトクリーム」を注文し、「おやつタイム」、プファ~、桜ソフトが旨い!桜の名所のおやつは、桜ソフトが一番なのだ!実は本日の「高見の郷」の桜の開花状況は「七分咲き」、やはり「満開の高見の郷の桜」が観たかった。来年、満開の頃に来てみよう!<吉野山の桜>「高見の郷」に女房殿の運転する車に乗ってお出掛けした2日後の4月12日、今度はリュウちゃん一人で、公共交通を使って「吉野(山)の桜」を観に行ってきました。残念ながら、昨年は吉野に行くことが出来ませんでしたので、「2年ぶりの吉野行」になります。直前に4月12日の吉野の桜の開花状況を調べました所、★下千本:葉桜、★中千本:半分葉桜、★上千本:散り始め、★奥千本:満開、との事、アチャ~、メインの場所の桜は「ほぼ終わり」だ!しょうがない、久しぶりに「奥千本」をメインにして、出掛けてみよう。以下に、「吉野山桜見所マップ」を貼り付けます。(吉野山桜見所マップ)上掲のマップについて、少し説明します。★マップの左下に、スタート地である「近鉄吉野駅」があります。ここの標高は207mです。ここから「下千本」が始まっているのです。★マップ右上の「奥千本」の頂上に、「金峯(きんぷ)神社」があります。おこの標高は765m、従いまして「近鉄吉野駅」と「金峯神社」の標高差は558mとなります。★「金峯神社」の更に奥に、「西行庵(さいぎょうあん)」があります。★「近鉄吉野駅」から「金峯神社」までは、約6キロの車も通れる「遊歩道」が整備されています。★本日の行程は、「近鉄吉野駅」からバスを乗り継いで「金峯神社」まで登り、そこから「西行庵」を経由して、徒歩で「近鉄吉野駅」に戻ってくるという趣向です。★全長約8キロ、標高差約600mの行程になります。午前8時に家を出発、「近鉄吉野駅」に着いたのが午前10時ジャスト、そこからバスを乗り継ぎ、「奥千本」の「金峯神社」前に着いたのが午前11時30分、「金峯神社」の参道の横に広がる「奥千本」、満開だ!「金峯神社」を素通りして、「西行庵」に向かいます。左足の痛みが治らないリュウちゃん、この道は険しい!やっとの思いで、「西行庵」に着きました。(※)「西行庵」は、平安時代末期の僧侶であり歌人であり、生涯、旅人であった「西行法師」が、吉野の奥千本に地に庵を結び、独居したとされる場所です。西行は生涯で2200首もの短歌を詠みましたが、桜に関する和歌が多いのも、吉野のに独居したことと関連がありそうですね。<吉野山 梢の花を見し日より 心は身にも添わずなりにき>「西行庵」の前にある休憩所、ここから観る桜は、素朴な佇まいだ。850年前、西行も同じ桜を観たのだろうか?「西行庵」の対面の山道を登ります、山道の頂上からの眺望、ここは吉野山の裏山、遥か後方に見える山々は「大峰山脈」、山の峰々を縫うように吉野から和歌山県の熊野まで100キロの修験道の道、「大峰奥駆道」が続いているのだ!壮大なロマンを感じる光景なのだ!「西行庵」を一巡りして、元の「金峯神社」に戻ってくるまで、1時間半くらい掛かってしまいました。もう午後1時前だ。お腹が空いてきた。先を急ごう。<吉野水分(みくまり)神社>「金峯神社」から遊歩道を1,3キロ降りた所に「上千本」の頂上と云える「吉野水分神社」があります。おお、ここの枝垂れ桜、まだ咲き残っていた!<花矢倉展望台>午後2時少し前、やっと本日の昼食場所である「花矢倉展望台」の茶店に到着しました。この展望台からは、吉野の桜のメインスポットである「中千本」、「上千本」が一望出来るのです。「中千本」、「上千本」の桜は、見頃を過ぎていた為か、ちょっと淋しかったが、桜は少なくても絶景なのだ!茶店で、「しいたけご飯」と缶ビール(2缶)を注文し、見晴らし台の隅に座って、遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!桜の見頃は過ぎたとはいえ、ここは格別な別天地なのだ!<さくら咲競(さくら)プロジェクトの展望所>昼食を終えて、「花矢倉展望台」から50mほど遊歩道を降りた所にある「さくら咲競(さくら)プロジェクトの展望所」に向かいました。おお!、ここから見下ろす「上千本」まだ十分に「見頃」だ!「花矢倉展望台」から僅か50mしか離れていないのに、何という違いなのだ?不思議不思議なのだ!「さくら咲競(さくら)プロジェクトの展望所」から、どんどん下に降りて行きます。以下、「中千本」までの途上で撮った写真を何枚か貼り付けます。<吉水(よしみず)神社からの眺め>「中千本」にある「吉水神社」は、かって源頼朝に追われた源義経、静御前、弁慶一行が身を潜めた所です。また、後醍醐天皇が吉野に潜幸した時、ここに行宮を設け、一時居所とした所でもあります。また、文禄3年(1594年)、豊臣秀吉が「吉野の花見」を開催した際、ここを本陣として5日間滞在した所でもある歴史的な神社なのです。現在、境内には桜の木は殆ど無いのですが、入口に吉野の桜を見上げる展望所があるので、リュウちゃんが吉野に行った際には必ず立ち寄るビュースポットなのです。吉水神社から見上げた桜、案の定、「奥千本」のみが満開なのだ。<蔵王堂>いよいよ吉野山のシンボル、「蔵王堂」まで降りてきました。「蔵王堂」の前の2本のシロヤマザクラ、ほぼ完全に「葉桜」だ!「吉野山」の最後の写真は、「蔵王堂」の下の遊歩道から撮った「高見山」です。「高見山」の麓にある「高見の郷」と、吉野山は、こんなに近かったのだ!(※)今回の「吉野山の写真、すべてに左上部がピンボケになってしまいました。少し見苦しくなってしまったことをお許し下さい。
2024年04月30日
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馬見丘陵公園のチューリップと桜、桃の花の三重コラボ、ゴージャス! 春爛漫だ!4月4日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、「馬見丘陵公園」にお出掛けしました。リュウちゃんの家から「馬見丘陵公園」までは、車で10分で行ける至近距離に在りますので、思い立ったらすぐ行ける「近隣公園」なのです。今回の「馬見行き」の主な目的は、4月6日から開催される「第11回馬見チューリップ・フェア」です(下記ポスター)。チューリップ・フェアの始まる日の2日前だったのですが、開催2日前なら、殆んど「見頃」になっているだろう、ソメイヨシノは終わりに近いし、ソメイヨシノとチューリップのコラボを見られるのは、今しか無い!昼食を済ませ、午後1時に家を出発、午後1時10分に公園の「北エリア」の駐車場に到着、アチャ~、駐車場は満車だ。仕方がないので、チューリップの「見所」から少し離れている「上の駐車場」に車を停め、見物にお出掛けしたのです。ここで、本日歩いた公園のマップを貼り付けます。(「馬見丘陵公園」北・中央エリアマップ)上掲のマップで、チューリップの「見所」は、(1)「集いの丘」(図の右上部)の道筋、(2)「乙女山古墳」の上部にある「花の道」、(3)「一本松古墳」(図の左下部)の辺り、(4)「カリヨンの丘」の周辺、(5)「中央エリア」入口の「公園館」の前の小山、です。順に散策します。<集いの丘の道筋のチューリップと桜>「集いの丘」の手前の「花の広場」の桜とチューリップのコラボです。ここのチューリップ、まだ咲き始めだ(ちょっと残念!)集いの丘の道筋のチューリップは、ほぼ満開だ。いい時期に来たのだ!「集いの丘」のある「北エリア」から、短いトンネルを潜って「中央エリア」に向かいます。残念ながら、本日の天候は曇天、今年の「花行脚」は天候に祟られる。トンネルを抜けた所に咲いていたミモザの花です。♪~春はミモザの花も匂う~♪ですね、(※)上記の歌詞は、奈良光江の昭和25年のヒット曲、「赤い靴のタンゴ」の2番のラストに出てきます<「中央エリア」の「花の道」のチューリップ>おお、ここのチューリップは、まだ「5分咲き」くらいだ。今年の「馬見丘陵公園」には、約140種、60万球のチューリップの球根が植えられたようです。いつも花の種類を確認するのですが、今回の馬見では、以下の3種類しか確認出来ませんでした(トホホ!)<ピンクインプレッション><ペロナサンライズ><ペップトーク><花桃の丘>「乙女山古墳」と「下池」に挟まれた所に「花桃の丘」があります。ここには約50本ほどの「花桃」が植えられています。まだ整備されて間もないエリアなので、ネットで検索しても、殆んどヒットしないのですが、なかなか風情のあるエリアになってきたとリュウちゃんは思っているのです。「花桃の丘」の「花桃」、ほぼ「見頃」だ!「馬見丘陵公園」では、桜、チューリップ、花桃が同時に「見頃」になるのだ!<「一本松古墳」エリアのチューリップ>「花桃の丘」から、「一本松古墳エリア」に向かいます。このエリアのチューリップ、圧巻だ!少し以前には、ここのチューリップは、3番手のエリアだったが、本日観た限りでは、ここは公園の一番のチューリップ・エリアに昇格したようだ。<「カリヨンの丘」周辺のチューリップ>「一本松古墳」エリアから「カリヨンの丘」エリアに移動、「カリヨンの丘」の後ろ側に、10本ほどの「乙女椿」の並木を発見、もう、ほぼ終わりだが、まだ「乙女」の花も咲き残っていた。「カリヨンの丘」周辺のチューリップ、まだ「5分咲き」だ。ここには「ムスカリ」だけの花壇もある!「ナガレ山古墳」の前の休憩所で暫し一服。プファ~、「午後の紅茶」が旨い!ビールでなくて残念だが、「馬見の春」満喫だ!休憩所の周辺では、馬酔木、シャクナゲも開花していました。<「上池」のほとりのソメイヨシノ>「休憩所」から、帰路に着き、「上池」のほとりに向かいます。ここは馬見公園一番のお花見所、しかし、桜見物客は殆ど居ない!皆、チューリップ見物に行ったのかな?<ミツバツツジ>「公園館」の近くにある「ミツバツツジ」が見頃を迎えていました。薄紫色のミツバツツジ、何やらホッとする思いだ。<「公園館」の前の小山のチューリップ>公園館の前の小山のチューリップ、まだ殆んど「咲き始め」でした(ちょっと残念)下の写真の左側に、「ネモフィラ花壇」と思われるような一列がありますが、この一列も「まだ成長していないチューリップ花壇」なのです。馬見丘陵公園のチューリップの根本には、殆んど全て「ネモフィラ」が植えられています。ですから、チューリップが小さい時期は「ミニ・ネモフィラ花壇」、チューリップが成長すると、小さいネモフィラは隠れてしまい、「チューリップ花壇」になります。更にチューリップが終わり、茎が撤去されますと、成長したネモフィラ一色になり、「成長したネモフィラ花壇」に変身するのです。「馬見丘陵公園」のチューリップ花壇は、3度変身する!最後の「成長したネモフィラ花壇」も見事なのだ!<雲南地湧金蓮(うんなんちゅうきんれん)>本ブログのラストの写真は、中央エリアの「花の道」の一角にひっそりと咲いている「雲南地湧金蓮」です。この花、昨年秋に開花したのですが、4月まで咲き残っていたのですね。「雲南地湧金蓮」、「馬見丘陵公園」の隠れたシンボルフラワーなのだ!春に観ることが出来、ラッキーだ!
2024年04月18日
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3年連続の醍醐寺桜行脚、醍醐寺の桜、極めることが出来たのか?4月4日、今年の「桜行脚事始め」として、京都市の醍醐寺。宇治市の三室戸寺、平等院を歩いて来ました。醍醐寺は3年連続で行くことになりました。何故、3年連続、醍醐寺通いをしたかといいますと、2022年は、様子が分からず、観たのは「伽藍」のみで、「三宝院」「霊宝館」には入場しなかった。2023年には、醍醐寺」のシンボル桜である「霊宝館」の「醍醐深雪桜」、五重塔の前の巨大枝垂れ桜がほぼ「葉桜」で、醍醐寺桜見物として悔いを残した。2本のシンボル桜の満開の時期に行って見たい!という理由で、今年も醍醐寺に行って見ようと思ったのでした。朝8時30分、リュウちゃん一人で家から出発、公共交通を乗り継いで、午前10時に醍醐寺の「総門」の前に到着、残念ながら本日の天候は「曇天」だが、「総門」の前の枝垂れ桜、「総門」の中のソメイヨシノ、ほぼ満開だ!お目当ての2本のシンボル桜、まだ咲いているのだろうか?<「三宝院」の桜>チケットを購入して、先ずは「三宝院」に入ります。「三宝院」は、慶長3年(1598年)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を催した所です。院内の横手に、立派な枝垂れ桜があります。この枝垂れ桜は、秀吉に因んで「太閤しだれ桜」と呼ばれています。また、画家の奥村土牛(とぎゅう)が、この桜を描いたところから、別名「土牛の桜」とも呼ばれているようです。実物の「太閤しだれ桜」と「土牛の桜」、迫力は断然、実物が勝っている!?(奥村土牛「醍醐」)<「霊宝館」の桜>「三宝院」を出て、参道の向かい側にある「霊宝館」に向かいました。「霊宝館」の前のソメイヨシノのトンネル、まだ「七分咲き」くらいだ。「霊宝館」に入場します。「霊宝館」は枝垂れ桜の天国だ!さて、お目当ての「醍醐深雪桜」です。樹齢約200年以前は「京都随一の桜の巨木」だったが、樹勢の衰えと台風による枝の減少で、淋しいものになってしまった(残念!)<ソメイヨシノの巨木>「醍醐深雪桜」の手前に、殆んど枝が無く、太い幹だけが残った桜が一際目を惹きます。この桜は、樹齢100年と推定されるソメイヨシノの古木で、京都で一番古いソメイヨシノなのだそうです。「霊宝館」で一際目を惹くソメイヨシノの古木、名前は付けられていないようだが、貫禄十分!「霊宝館」の新たなシンボル桜なのだ!<仁王門(西大門)>「霊宝館」を出て、「仁王門」に向かいます。「仁王門」の前の桜、満開だ!仁王様もご満悦!<五重塔と桜のコラボ>「仁王門」から「伽藍」に入ります。「伽藍」の一番の見所は、五重塔と桜のコラボなのです。五重塔の前の「清瀧宮」の横手の枝垂れ桜、今年も花付きがイマイチだ。花びらが小さいせいなのか?それとも、樹勢が衰えたためなのか?改めて五重塔と桜のコラボ写真を撮りました。日本3大五重塔の一つ、醍醐寺五重塔と桜のコラボ、何処から撮っても壮観だ!<観音堂・弁天池の周りの桜>五重塔を後にして、「伽藍」の更に奥にある「観音堂・弁天池」に向かいました。おお、観音堂の周りの桜の満開だ!観音堂の脇にある「弁天池」の水面にも、少し「花筏」が浮んでいた。もう正午、お腹が空いた!で、「弁天池」の畔にある茶店で昼食を摂ろうと思ったのですが、生憎、満員、おそらく30~40分待ちでした。なので、醍醐寺のお花見はここで切り上げて、地下鉄「醍醐駅」に戻り、駅ビルの中にある和食店で昼食、プファ~、ビールが旨い!今年初めて食したタケノコ、春の香り満喫だ!<三室戸寺散策>地下鉄「醍醐駅」から帰路についたのですが、まだ時間は午後1時を過ぎたばかり、よし、「JR宇治駅」で途中下車して、三室戸寺と平等院に行ってみよう。三室戸寺、花の寺なのだが、桜はあるのかな?午後2時。三室戸寺の門前に到着、入場口の前に咲いていた赤い花、何という花なのだろう?山門を潜り、境内に入ります。アチャ~見渡した所、三室戸寺の庭園には、桜が3本しか無い!三室戸寺は、「桜の寺」では無かったのだ!本堂の横手にある「三重塔」の横手に、3本目の桜を観ることが出来ました。ここだけ観れば、三室戸寺は立派な「桜の寺」なのだ!?(※)2022年、三室戸寺は、250本の枝垂れ梅が咲く「枝垂れ梅園」を開園しました。これで三室戸寺は「梅の寺」の仲間入りを果たしたのです。(「三室戸寺」の枝垂れ梅園・この写真はネットからお借りしました)出来ることなら、枝垂れ梅園の上部辺りに、枝垂れ桜や河津桜を植えて、「桜の寺」になって欲しいとリュウちゃんは願っているのです。残念ながら、境内の桜は3本しか観ることが出来なかったのですが、さすがに京都を代表する「花の寺」とあって、この時期でも、様々な花を観ることが出来ました。以下、この日撮った花の写真を幾つかアップして見ます。(馬酔木)(雪柳)(ミツバツツジ)(木瓜)シャクナゲが開花していた!開花して間もないシャクナゲ、新鮮だ!三室戸寺を後にして、徒歩で「平等院」に向かいました。先ずは宇治橋の袂に建てられている「紫式部像」に挨拶、この石造は、紫式部の「源氏物語」の「宇治十帖」が宇治を舞台にしていることを記念して、2003年に地元のライオンズクラブによって建立されたようです。また、宇治川の川向うには、「宇治十帖」をテーマとした「源氏物語ミュージアム」(1998年開館)があります。この2つのモニュメントを見ますと、「紫式部は晩年、宇治で暮らし、ここで宇治十帖を執筆した」と錯覚してしまうのですが、史実では、晩年の紫式部は謎に包まれていて、何処で暮らしていたのか、何時亡くなったのかは全く不明なのだそうです。また<「宇治十帖」は紫式部の作ではない>という説も根強くあります。今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部が主人公ですが、謎に包まれた晩年をどう描くのか? 今から興味津々なのです。<平等院>「平等院」に入ります。「平等院」の境内の桜の本数は少ないのですが、「鳳凰堂」の前の「阿字池」(あじいけ)の畔に何本かの桜を観ることが出来ます。「鳳凰堂」と「阿字池」と桜のコラボ、なかなか素敵なのだ!「鳳凰堂」の裏手にある「鳳翔館」(ほうしょうかん・歴史ミュージアム)の入口に、巨大な赤い花がさいていました。この花、多分、木瓜(ぼけ)の花、こんな巨大な木瓜の花、これまで見たことが無い!こりゃ、唯の木瓜ではなく、「大ボケ(木瓜)」だ!この「大ボケ」、平等院の隠れたシンボルフラワーだ!午後4時、「平等院」を後にして、帰路につきました。「平等院」参道の茶店で、「濃い抹茶ソフトクリーム」を注文し、暫し「おやつタイム」休憩、プファ~、「濃い抹茶ソフト」が旨い!梅の「月ヶ瀬」では「梅ソフト」、お茶の名産地・宇治では「抹茶ソフト」なのだ!
2024年04月11日
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約400万年前、「古琵琶湖」の湖底にあった「月ヶ瀬梅渓」、今年も満開の梅に出遭うことが出来た!3月7日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、「月ヶ瀬梅渓」に行ってきました(昨年は3月15日にリュウちゃん一人でバスに乗ってお出掛けしたのですが、今年は暖冬のため、梅の開花が例年よりも、かなり早かったため、昨年よりも一週間早くお出掛けしたという次第です)午前9時、家を出発、有料道路である「西名阪自動車道」、一般道路である「名阪国道」を経て、「五月橋インターチェンジ」から「月ヶ瀬エリア」に入り、午前10時過ぎ、月ヶ瀬尾山の「名勝月ヶ瀬梅林」の「碑」の手前にある駐車場に到着、公共交通で行けば、リュウちゃんの家から月ヶ瀬までは2時間超、車では約70分、公共交通の約半分の時間で月ヶ瀬に着くのだ!上掲の写真の「碑」の後ろにあるのが、「小谷商店」です。小谷商店の裏庭の枝垂れ梅(呉羽枝垂れ)月ヶ瀬梅渓(梅林)の最初の見所なのだ!天候も上々、期待に胸が膨らむ!「小谷商店」の前から、急な坂道を登り、「上の梅林」に向かいます。急坂の途中に、2つの「盆梅店」があります。この2つの盆梅店、「上の梅林」の最初の「見所」なのだ!ここには、梅と同時に、蝋梅も見ることが出来る!2つ目の「盆梅店」には、「長浜盆梅展」に出品出来るような立派な盆梅が販売されています。ある盆梅には、「30万円」という値段が付けられていました。盆梅愛好家にとっては、30万円は決して高くないのかな?立派な盆梅の中に、一本の梅の木に紅白2色の花を付ける「思いのまま」の盆梅が販売されていました。「思いのまま」の盆梅、リュウちゃんも興味津々!この盆梅、値段は幾らだったのだろうか?<猿まわしのイベント>盆梅店の近くの空き地で、「猿まわし」のイベントが開催されていましたので、暫しの休息を兼ねて「猿まわし」を楽しみました。若い女性と一匹のお猿さんの大道芸、リュウちゃん大感激!チップに千円あげてしまった。<月ヶ瀬梅林発祥の地「真福寺」の梅>「猿回し」の行われていた「広場」のすぐ横に、「月ヶ瀬梅林発祥の地」とされる「真福寺」があります。「月ヶ瀬梅渓」の「上の梅林」は、ここがスタート地点、<「真福寺」について>平安時代末期の治承2年(1178年)に創建、1205年に真福寺の鎮守として「天神社」を祀った折に、菅原道真が好んだ梅の木を植えたのが「月ヶ瀬梅林」の始まりとされている。「梅林」が大きくなったのは、元弘3年(1331年)、後醍醐天皇が笠置山かた撤退する際、何人かの女官が難を逃れ、「月ヶ瀬」の地に留まり、女官の一人であった「姫若」が村人に助けられたことを感謝して、この地に梅の木を植え、その熟れた実を用いて「口紅」を作ることを村人に教えた。また、「青梅」を乾かして燻製にした「墨梅」を用いて、「烏梅」(うばい、紅染めの媒染剤)を作り、京都に売りに行って村に富をもたらした。室町時代には、「烏梅」用の梅林が拡がり、江戸時代には、10万本の梅の木が植えられていたようだ。近代に入ると、「染め」の原料が化学物質にとって代わられ、梅林は衰退し、現代では全盛時の1/10、約1万本数千本の食用梅の梅林となっている。「真福寺」の境内には、女官の「梅若」が植えたとされる「梅若の梅」(樹齢約800年)が今も花を咲かしている。境内に入ります。真福寺境内の梅、まだ「五分咲き」くらいだ。樹齢800年の「姫若の梅」、今年も元気だ!<「一目八景」の「みはらし茶屋」>「真福寺」から30mほど山道を降りますと、そこは「月ヶ瀬梅渓」の一番のビュースポットである「みはらし茶屋」があります。ここの展望所からの眺めは「一目八景」と呼ばれています。約100mの眼下に流れる五月川、渓谷を囲む雄大な山並みと梅のコラボ、ほぼ毎年観る光景だが、何度観ても飽きることが無い絶景だ!五月川を見下ろす茶店で、「伊賀牛すき焼き定食」とビール(中瓶)2本を注文し、昼食、プファ~、ビールが旨い!五月川の向こう側は、伊賀牛の産地、三重県伊賀市だ。奈良の月ヶ瀬で三重の伊賀牛を喰らう、ちょっと乙な気分だ!<品種園>伊賀牛を食べた茶店から10分位、山道を辿りますと、月ヶ瀬の上の梅林の見所の一つである「品種園」に着きます。「品種園」の入口で、「呉羽枝垂れ」がお出迎え、例によりまして、この日撮影出来た品種を幾つか紹介します。<雲龍梅><玉垣枝垂れ><滄溟(そうめい)の月><未開紅><八重緑萼枝垂れ><甲州最小><玉光><難波枝垂れ><三段の丘>「品種園」の横手に、下の写真のような「三段の丘」があります。「三段の丘」に登ります。丘の二段目の道沿いに、10本ほどの「蝋梅」が植えてあります。やはり「月ヶ瀬」は、奈良県屈指の蝋梅の名所なのだ!丘の頂上に登りました。丘の頂上から見下すダイナミックな景観、「月ヶ瀬」の「見所」の一つなのだ!<天神梅林>「三段丘」の向こう側に、本日の最終目的地の「天神梅林」があります。「天神梅林」は、月ヶ瀬の「上の梅林」でも、最も標高の高い場所にあり、一番遅くまで畝の花の咲いている梅林です。名称の由来は、この梅林の一角に、「真福寺」から移転された「天神社」がある為のようです。リュウちゃんの大好きな「天神梅林」、まだ梅の花は「5分咲き」程度だ。「天神梅林」の頂上にある土産物店から折り返し、帰路につきます。下の写真は、帰路の山道から「天神梅林」を見下ろしたものです。一目八景、品種園、天神梅林、やはり「月ヶ瀬」は日本一の梅の名勝地なのだ!毎年、帰路の道筋に咲いている一本の蝋梅、今年も観ることが出来た!天神社の近くの売店で、「梅ソフトクリーム」を買って、暫し休息、プファ~、梅ソフトクリームが旨い!普段はビール党のリュウちゃん、間食はソフトクリーム党なのだ(笑)
2024年04月01日
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三重県北部にある2大梅林、「鈴鹿の森庭園」、「いなべ農業公園梅林」、曇天の天候なれど、満開の梅を観ることが出来た!(鈴鹿の森庭園)(いなべ農業公園梅林)2月29日、女房殿と2人で、三重県北部にある2大梅林日帰りバスツアーに参加して来ました。「三重県北部の2大梅林」とは、鈴鹿市にある「鈴鹿の森庭園」と、いなべ市にある「いなべ農業公園梅林」です。この内、「鈴鹿の森庭園」には昨年の3月9日に女房殿の運転する車の助手席に乗って行って来たのですが、「いなべ農業公園梅林」は「奈良から遠すぎる」というう理由で女房殿に拒否されていたのです。そんな所に、JR奈良駅出発の「2大梅林日帰りバスツアー」の新聞広告が目に留まりました。こりゃ、ツアーに参加するっきゃ無い!参加料1人13000円と少々高いが、絶好の機会だ!午前8時10分、JR奈良駅を出発、名阪国道経由で梅林に向かいます。途中、「名阪国道」と「東名阪道」の境にある「関ドライブイン」(三重県亀山市)の大食堂で早い昼食、プファ~、ビールが旨い!本日の天気予報は、生憎の曇天、午後から雨、酔った勢いで、雨を吹っ飛ばせるかな???午後12時30分、「鈴鹿の森庭園」に到着、園内に入場します。おお!、園内の梅はほぼ満開!曇天なれど、いい時期に来ることが出来た!<「鈴鹿の森庭園」について>「鈴鹿の森庭園」は、三重県津市に本社がある園芸会社「赤塚農園」が2014年に三重県鈴鹿市の鈴鹿山脈の麓に開園した「枝垂れ梅」の研究梅林です。園内には、ピンクの八重咲きの代表的品種である「呉羽枝垂れ」を中心に、約200本の巨大な梅の木が植えられています。「研究梅林」なので、普段は公開していないのですが、開花期の約一ヶ月のみ、一般公開されているのです。以下に「梅林MAP」を貼り付けます。(「鈴鹿の森庭園」梅林MAP)<園内散策>約1時間ほど、散策時間がありましたので、ゆっくりと散策することが出来ました。以下、順路に沿って撮影した写真を貼り付けてみます。<玉垣枝垂れ><白加賀><藤牡丹枝垂れ><御幸><思いのまま>一本の梅の木に紅白2色の花を付ける珍しい品種です。最近は人気が出た為か、殆んどの観光梅林で観られるようになりました。<酔心梅>この梅、リュウちゃんと同じ、酔っ払いの梅なのかな?<紅千鳥><八重緑萼枝垂れ><八重月影枝垂れ><呉羽枝垂れ>「鈴鹿の森庭園」の200本の梅の巨木の内、半数以上が「呉羽枝垂れ」です。以下に貼り付ける「天の龍」、「地の龍」などの、独自に命名された銘木も、品種は「呉羽枝垂れ」なのです。「鈴鹿の森庭園」はほぼ「呉羽枝垂れの庭園」なのだ!<「鈴鹿の森庭園」の梅の銘木>庭園では、特に際立っている梅の木に、独自に命名し、園の中心部に、これらの銘木を植えてあります。以下、銘木を出来る限り紹介して見ます。<青龍梅>古代中国の伝説上の神獣「青龍」から拝借して命名されたものと思われます。その名の通り、青白い小さな花を付けるしだれ梅なのです。<朱雀梅><荘美梅龍><玄武梅><「天女の梅」(呉羽枝垂れ)><「右の龍門梅」(呉羽枝垂れ)><「左の龍門梅」(呉羽枝垂れ)><「羽衣の梅」(呉羽枝垂れ)>この銘木、「横綱」を絞めている!<「天の龍」(呉羽枝垂れ)><「地の龍」(呉羽枝垂れ)>庭園のシンボルツリーである「天の龍」、「地の龍」は、共に樹高約6m、樹齢100年以上の「呉羽枝垂れ」の古木で、確認されている限りでは「現存する最古の呉羽枝垂れ」なのだそうです。これらの「銘木」は開園の前に全国から集められ、移植されたのだそうです。<園内の光景>以下、園内の光景の写真を何枚か貼り付けます。巨大な呉羽枝垂れと、クリスマスローズ、水仙などのコラボ、昨年、設置された「水琴窟」、幻想的なドライアイスによるスモーキング、「鈴鹿の森庭園」はこの世に出現した桃源郷なのだ!(水琴窟)<赤塚植物園のガーデン>園内に、以下のようなポスターが貼られていました。このポスターによりますと、「鈴鹿の森庭園」を運営する「赤塚農園」は、他にも三重県津市近郊に、幾つかのフラワーガーデンを運営しているようです。<レッドヒルヒーサーの森><赤塚シャクナゲガーデン><赤塚アジサイガーデン><赤塚ブルーベリーガーデン>以下に「赤塚植物園のガーデン・園芸店」のサイトを春付けますので、興味のある方はクリックして見て下さいね。赤塚植物園のガーデン・園芸店>赤塚植物園のガーデンは、いずれも伊勢自動車道の途上に近い。今年中に一度、出掛けて見よう!<いなべ農業公園へ>午後2時ジャストに「鈴鹿の森庭園」を後にして、次の目的地である「いなべ農業公園梅林」にバスは向かいました。添乗さんのガイドによれば、<「鈴鹿の森庭園」から「いなべ農業公園梅林」までは70分の行程>との事、午後3時過ぎ、梅林に到着。雪を頂く鈴鹿山脈の麓に広がる「いなべ農業梅林」、今にも雨が降りそうな曇天だが、展望所から見下ろす梅林は絶景だ!展望所から梅林に降りて行きます。展望所の下にある梅林を見下ろす丘に咲く呉羽枝垂れや実生白梅と鈴鹿山脈のコラボ、やはり絶景なのだ!<いなべ農業公園梅林について>「いなべ農業公園4梅林」は、三重県最北端に位置する「いなべ市」にある東海地方随一の大型梅林です。38ヘクタールの広大な土地に「実梅」を中心とした「梅林」と、「花梅」を中心とした「梅苑」が整備されています。ここには、約100種4000本の梅の木が植えられていて、シーズンには全国各地から観光客が訪れます。尚、「みなべ市」は愛知県、岐阜県、滋賀県の3県の「県境の地」で、市内から「伊吹山」を観ることが出来るのです。さて、お目当ての「梅苑」に降りて行きます。苑内は、巨大な枝垂れ梅の並木の間を縫うように、遊歩道が縦横に整備されています。以下は「梅苑」で撮った写真です。悪天候にも拘わらず、「梅苑」は夢のように美しい!「梅苑」からの帰りがけに、雨が降ってきました。リュウちゃんは雨傘を持っていませんでしたので、少し濡れながら、帰りのバスに辿り着いたのです。終日、降雨直前の悪天候なれど、最後の一瞬まで雨に降られることが無かった。日頃の心掛けが良かったからなのかな?
2024年03月22日
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今年も行きつけの「馬見丘陵公園」の川津桜が「見頃を」迎えた。3月7日、リュウちゃんの家から車で10分の所にある県営「馬見丘陵公園」に川津桜を見に行ってきました。「馬見丘陵公園」の川津桜は、「南エリア」の「巣山古墳」の傍に50本ほど植えられています。まだ植えられてから10年ほどしか経っていませんので、皆、「若木」なのです。(「馬見丘陵公園」南エリアMAP)上掲のMAPの「カリヨンの丘」の下の駐車場に車を停めて、川津桜の並木に入りました。3月7日の河津桜、満開だ!上の写真の場所は、上掲の「エリアMAP」の「巣山古墳」の右下に表示されている「現在地」の部分なのです。<河津桜並木>「現在地」の場所から、「いにしえの丘」に向かって、約100mほど「川津桜並木」が続いいまして、この「並木」が「馬見丘陵公園」の河津桜の「見所」なのです。昨年行った伊豆の河津町の河津桜並木とは比べようもないが、素敵な「川津桜並木」なのだ!<巣山古墳と河津桜並木>上掲の「エリアMAP」にありますように、「河津桜並木」の横には、4世紀末に築造されたとされる「巣山古墳」があります。全長204mの巨大前方後円墳で、一帯の「馬見古墳群」のなかでは、最大の古墳です。巣山古墳と河津桜並木のコラボ、古代史のメッカ、奈良ならではの景観なのだ!<河津桜とメジロ>並木の中の一本の河津桜に、メジロが数羽群がっていました。目の悪いリュウちゃん、動く小鳥を撮るのは大の苦手だが、何回もシャッターを押してやっとメジロを撮影することが出来た!「馬見丘陵公園」を出たのが午後5時頃、この儘、家に帰るのがちょっと惜しい気がしましたので、帰路、行きつけの回転寿司店に立ち寄り、早い夕食、プファ~、ビールが旨い!寿司と共にピンクの河津桜の残影が早春のビールの「おつまみ」なのだ!<奈良の河津桜の新名所>数年前までは、<奈良の河津桜の名所は「馬見丘陵公園」唯一カ所だけ>だと思っていました。最近、ネット調べをしました所、リュウちゃんの家から車で30分以内で行ける「近郊の河津桜」の新名所を2か所発見しました。(近郊の河津桜の新名所その1)<明日香村の河津桜の丘>明日香村のシンボル、「石舞台」から「稲渕の棚田」に行く途上にあるようです、約50本の河津桜が丘の斜面に植えられているようです。(明日香村の河津桜の丘、この写真はネットからお借りしました)(近郊の河津桜の新名所その2)<竜田古道の里山公園>「信貴山」の南の山の中にある、近郊の人にも殆んど知られていない公園です。ここには約60本の河津桜が植えられています。(竜田古道の里山公園の河津桜、この写真モネットからお借りしました)この公園、リュウちゃんはてっきり奈良県の公園だと思っていたのですが、実は大阪府柏原市の公園だったのです。上掲の写真、遥か彼方にリュウちゃんの家が写っているのだ!???<「馬見丘陵公園」の蝋梅>「馬見丘陵公園」は現在のところ、奈良県随一の「河津桜」の名所なのですが、早春に黄色い可憐な花を付ける「蝋梅」の、多分(?)、奈良県随一の名所でもあるのです。今年、リュウちゃんは2度、馬見丘陵公園に「素心蝋梅」を見に行ってきました。「馬見丘陵公園」では、2か所で「素心蝋梅」を見ることが出来ます。1カ所目は上掲の「南エリアMAP」の、「いにしえの丘」と表記されている辺り、「巣山古墳」を側面から見られる場所です。以下、この場所で撮った「蝋梅」の写真を何枚かアップして見ます。撮影した日の天候は曇天、暗い写真になってしまった(残念!)2カ所目は、上掲の「南エリアMAP」で、「ナガレ山古墳」と表記されている部分の左側の道脇です。ここには5本の蝋梅と巨大な白梅のコラボを見ることが出来るのです。白梅と蝋梅のコラボ、「馬見丘陵公園」の早春の風物詩なのだ!<「馬見丘陵公園」の梅林>「馬見丘陵公園」の「梅林」は、上掲の「南エリアMAP」で、「カリヨンの丘」と表記されている場所の上部にあります(ここは「南エリア」ではなく、「中央エリア」なのです)僅か100本ほどの「小さな梅林」なのですが、公園散策の途中で、「ついで」に立ち寄れるという意味では、貴重な梅林なのです。リュウちゃんの家から車で10分の所にある「馬見丘陵公園」、四季を通じ、様々な花が楽しめる素敵な「馬見丘陵公園」、今年は何度、行けますことやら?
2024年03月13日
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8万本の南高梅が咲き誇る日本最大級の南部(みなべ)梅林、9年ぶりの見参2月14日、9年ぶりに和歌山県南部(みなべ)町にある「南部(みなべ)梅林」を散策してきました。「南部梅林」は、和歌山県の中部にある、日本一の梅の生産地として知られる「みなべ町」にあります。梅林に植えられている品種は、梅干しに加工するための青梅を収穫する「南高梅(なんこうばい)」という白梅で、山の斜面に植えられている「南高梅」は約8万本、日本一の規模を誇る「生産梅林」なのです(下記は今年の梅林のポスターです)(梅林のポスター)リュウちゃんの住んでいる奈良県斑鳩町から和歌山県真部町までのJRのルートは以下です。「法隆寺駅」~(大和路線)~「天王寺駅」~(阪和線)~「和歌山駅」~(きのくに線)~「南部駅」以下の図は、「きのくに線」のルート図です。(「きのくに線」のルート図)尚、「天王寺駅」から「南部駅」までは「特急くろしお」で、乗り換え無しで約2時間掛かります。「法隆寺駅」から「南部駅」までの所要時間は、乗り換えの時間を含め3時間弱、ほぼ新幹線で「東京」に行く時間に匹敵する!和歌山県「南部」は、隣県の「奈良県」からも「遥か彼方」なのだ!午前9時、「法隆寺駅」を出発、乗り換えの「天王寺駅」で、おにぎり4個(南高梅2個、おかか1個、昆布1個)と缶ビール(3缶)を購入し、「特急くろしお」の車中で昼食を摂ることにしました(いつも昼食には、缶ビールは「2缶」が定番なのですが、2時間の長旅なので、昼食前の「お茶代わり」として、もう1缶追加したのです)和歌山駅を過ぎたあたりで、車窓の外に広がる太平洋を見ながら、早い昼食、プファ~、ビールが旨い!梅林散策の前に味あう南高梅のおにぎり。格別な味なのだ!正午過ぎに「南部駅」に到着、「南部駅」、特急停車駅にも拘わらず、無人駅なのだ!駅周辺も、売店は全く無し、「くろしお」の車中で昼食を済ませたのは、大正解だったのだ!駅前でタクシーを拾い、「梅林」に向かいました。駅前から梅林までのタクシー料金は、990円でした。車中でタクシーの運転手に聞いた話によれば、<今年は暖冬の為、梅の開花が早く、本日の時点では「終わりかけ」>との事、う~ん、かなり残念!でも。メゲずに散策を楽しもう。入口から坂道を登って、梅林に入ります。天気予報では、「晴」の予定だったのに、実際の天気は「曇り」ちょっと残念。下の図は、「南部梅林観光案内図」です。梅林内の一番長い散策コースは、約4キロあります。(南部梅林観光案内図)入口から中心部の「梅林公園」までは、距離約500m、標高差約100mの舗装された浜道を登って行きます。以下の写真は、入口から「梅林公園」までの途上で撮ったものです。「終わりかけ」と聞いたが、まだまだ咲いている。ここからは、「南部梅林」側の写真になります。既に「見頃」を過ぎているためか、「曇天」の天候のためか、ちょっと淋しい写真になってしまった。<梅林公園>南部梅林の中腹にある「梅林公園」に到着しました。「南部梅林」は、「観光梅林」ではなく、「南高梅の実」を生産する「生産梅林」ですので、植えられている梅の木は99,9パーセントが白い小さな花をつける「南高梅」なのですが、観光用に作られた「梅林公園」の中には、南高梅の他に「紅梅」、「ピンクの梅」などが植えられています。また「梅まつり」の時に使われる「舞台」も設置されているのです。以下、公園で撮った写真を何枚か貼り付けます。「梅林公園」を後にして、梅林の最上部に登って行きます。南部梅林の梅の木は、山道の下にある急斜面に植えられています。斜面の上に折りたたまれているブルーシートは、梅の実の採集に使われます。また、一番下の写真に見られるモノレールと箱は、ブルーシートの上に採集した梅の実を収集運搬する唯一のツールなのです。急斜面での梅の採集と運搬、大変な作業なのだ!<梅林の頂上>梅林の頂上に出ました。ここからは、太平洋が見渡せる!晴天だったら、眺望絶佳だった筈だ!本来なら全長4キロの散策コースを歩く予定だったのですが、足の痛みが続いていることに加え、曇天でしたので、頂上から折り返して帰路につきました。帰路では、梅の花の下に咲いている水仙や菜の花を楽しんだのでした。見頃を過ぎた梅の花よりも、菜の花や水仙のほうが美しい???梅林の中に、これも和歌山県の名産である「みかんの木」が1本だけありました。ここは「みかんの実る丘」でもあったのだ!<川田正子「みかんの花咲く丘>→ここをクリックしてご覧ください。午後3時前、「南部駅」に帰還、大阪方面行きの「特急くろしお」の乗り、午後6時過ぎ、無事、法隆寺に帰還しました。最後の写真は帰路の「くろしお」の車窓から見た「海南市」付近の「みかん畑」です。梅もみかんも、山の急斜面に植えられている!斜面での農作業は、重労働の筈だ!
2024年02月28日
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日本一の歴史と規模を誇る「長浜盆梅展」、琵琶湖一周を兼ねて見参2月2日、リュウちゃん一人で、滋賀県長浜市で開催されている「長浜盆梅展」を観に行って来ました。以下のサイトは「第73回長浜盆梅展」のHPです(クリックしてご覧ください)<第73回長浜盆梅展>上掲のサイトには、以下のような「説明文」が掲載されています。<盆梅とは>盆梅とは、鉢植えの梅、つまり盆栽のこと。長浜盆梅展は開花時期に応じ、約300鉢の中から約90鉢を純和風の座敷にずらりと展示します。中には、高さ3mの巨木や、樹齢400年と伝わる古木もあります。長浜盆梅展は昭和27年から始まり、今年(令和6年)で73回目を迎えます。新春の風物詩として親しまれています。リュウちゃんは20年ほど前に女房殿と2人で一度だけ行ったことがありますが、現在では「忘却の彼方」です。初めて行くのと同じの長浜盆梅展、フレッシュな目で観てみよう!午前8時過ぎに法隆寺を出発、長浜までの往路の経路は以下です。JR法隆寺駅~JR京都駅~(JR湖西線に乗り換え)~JR近江塩津駅~(北陸本線に乗り換え)~JR長浜駅、(※)京都駅から長浜駅間は、琵琶湖線(東海道本線)の米原駅経由の直行新快速に乗ると、1時間10分で行けるのですが、今回は湖西線の左手に平行している「比良山地」を観ながら長浜に行こうという趣向です。尚、「比良山地」は、「比良の暮雪」として「近江八景」の一つに選ばれている名勝地で、京都・奈良から一番近いスキー場のある所です。(歌川広重「比良暮雪」)以下の写真は、湖西線の車窓から撮った「比良山地」の山並みです。今年は暖冬なので、積雪が少ないのかな?「近江塩津駅」で北陸本線に乗り換えます。この駅は滋賀県の最北部で、湖西線の次の駅、「新疋田駅(しんひきだえき)」は、福井県の最南端である「敦賀市」にある駅なのです。「近江塩津駅」卑近の「比良山地」とは反対側の車窓から撮った山並みです。この山並みは、多分、「賤ヶ岳(しずがたけ)」、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った古戦場、琵琶湖と「余呉湖」を隔てる標高421mの小山、琵琶湖周辺の歴史的景観の一つなのだ。北陸本線「余呉駅」を過ぎたあたりから、左側の車窓に「伊吹山」が見え始めます。標高1377m、滋賀県最高峰の「伊吹山」、雪の「伊吹山」は、「富士山」のようだ!午前11時30分、「JR長浜駅」に到着、「長浜駅」から眺めた「伊吹山」、長浜市のシンボルの一つなのだ。「長浜盆梅展」の会場である「慶雲館」までは、長浜駅から徒歩3分の所にあります。なので、会場に入る前に、駅ビルの中にあるフードコートで、「カツ丼」と瓶ビール(中瓶2本)を頼んで早い昼食、プファ~、ビールが旨い!雪の伊吹山に感激、盆梅展には、どんな感激が待っているのだろうか?正午過ぎ、会場の「慶雲館」に入りました。「慶雲館」の前庭にも、盆梅が開花していた!館内に入場します。館内のかなりの盆梅には、名称がつけられていました。以下、名称と共に、盆梅の写真を紹介させて頂きます。<仁寿(じんず)>推定樹齢150年の白梅です。<花簪(はなかんざし)><清麗><昇龍梅>推定樹齢250年の白梅です。<林光(りんこう)>推定樹齢150年、「林光」という名称を見て、最初リュウちゃんは「はやしひかる」と読んでしまいました(苦笑)、リュウちゃんの知っている「はやしひかる」は、合唱曲「原爆小景」などを作曲した20世紀の作曲家なのです。<彩音(あやね)><香篆梅(こうてんばい)><千代の苔>推定樹齢200年。<清音>推定樹齢120年の一重咲き白梅です。<黒鯨><夫婦周航(めおとしゅうこう)><凝馨(ぎょうか)>中国原産、日本には数本しかない貴重品種なのだそうです。<妙照(みょうしょう)>推定樹齢150年、一重咲きの白梅、フ~、結果、全90鉢の内、名称が確認出来た盆梅は以上の13鉢だったのです。名称が確認出来た鉢は他にも幾つかあったのですが、その殆んどは「未開花の鉢」でしたので、写真を撮らなかったのです。出品されていた90鉢の内、開花している写真を撮れたのは僅か13鉢、ちょっと淋しい結果だ。暫く「盆梅展」を鑑賞し、奥庭に出ました。「慶雲館」の奥庭、素晴らしい池泉回遊式庭園なのだ!奥庭の至るところに、盆梅がある!「やはり野に置け梅の鉢」なのだ!<国指定名勝「慶雲館」>長浜盆梅展の会場になっている「慶雲館」の、ウィキペディアの記述は以下です。「慶雲館」は明治天皇夫妻のための「迎賓館」である。京都で行われた孝明天皇御式年祭(20年祭)のため明治天皇が行幸した前年の明治19年、長浜の実業家で当時は太湖汽船頭取を務めていた浅見又蔵が行幸計画を知ったさい、長浜で自社航路から鉄道へ乗り換える時間に滞留する適当な施設がなかったことから急遽、自らが所有する大通寺別殿跡地に行在所を私費で建設した。工事は同年11月3日から急遽開始され、竣工したのは行幸当日の明治20年2月21日朝であったが、明治天皇・昭憲皇太后夫妻が京都を発った当日朝の時点では、建設工事の後かたづけも終わっていなかったという。夫妻は同日13時前に長浜港に到着し、同館で昼食および休憩をとったあと、13時45分発の列車で名古屋へ向かった。尚、池泉回遊式庭園の「奥庭」は明治45年に小川治兵衛により作庭された。僅か1時間ほどの天皇夫妻の滞在のために造られた「慶雲館」、明治天皇の権威は絶大だったのだ!<国指定名勝「慶雲館」HP>最後の写真は「奥庭」のピンク色の八重咲き盆梅です。この「盆梅」、正に「春爛漫」なのだ!タイトルに「琵琶湖一周」と謳いながら、結局、琵琶湖の写真は一枚も無し、ちょっと「羊頭狗肉」でしたね。(ゴメンなさい)
2024年02月10日
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真冬の万博記念公園、「太陽の塔」の下、8000本のアイスチューリップ咲く!先日、関西のテレビ・ローカルニュースで、「万博記念公園の太陽の広場に、8000本のアイスチューリップが見頃」という報道が伝えられました。アイスチューリップ???初めて聞く名前だ。どんなチューリップなのだろう?と思ってネット検索しました所、以下の記事がヒットしました(以下の記事はクリックして見ることが出来ます)<冬に咲くアイスチューリップとは?>上掲の記事によりますと、「アイスチューリップ」とは、〇普通のチューリップの球根を冷蔵施設で一定期間、低温で管理した後、自然の冬の環境に戻すという処理をしたチューリップ。温室ではなく、自然の環境で真冬に開花するチューリップ。〇普通の「春咲きチューリップに比べると、花は小ぶりだが、その代わりに開花期は長く、約一ヶ月位、一つの花が開花している「長持ちチューリップ」。花の少ない真冬に8000本のチューリップが観られる!よし、万博記念公園に行ってみよう!1月19日、午前10時30分、家を出発、リュウちゃんの家から「万博記念公園」までの経路は以下です。JR法隆寺駅~(25分)~JR天王寺駅~(乗り換え)~地下鉄天王寺駅~(30分)~千里中央駅~(乗り換え)~モノレール「万博記念公園駅」、午前11時30分、「天王寺駅」到着、ちょっと早いが、「天王寺」で昼食を摂ろう。という事で、地下街にある行きつけの(といいましても、行くのは年に数回なのですが)大衆海鮮料理店(酒場)に立ち寄り、早い昼食、プファ~、ビールが旨い!ツマミは魚のアラ煮と寿司定食、元気をつけて真冬の万博記念公園を歩いてみよう。午後1時過ぎ、「万博記念公園駅」に到着、駅前から、公園のシンボル、「太陽の塔」が間近に見えます。この日は午前中は「曇り」だったが、午後からはほぼ快晴、チューリップ日和になった!以下のマップは「万博記念公園」のアイスチューリップの咲いている場所を示しています。アイスチューリップは、「中央口」を入った目の前の「太陽の広場」に咲いているのだ!「中央口」から入場します。おお、以下の写真では、アイスチューリップは全く見えない!アイスチューリップは「太陽の塔」の近くには植えられていなく、「中央口」の正面と左右に、見た目では「ささやかに」植えられています。8000本といえども、広大な「太陽の広場」の中では、「ほんの一握り」にしか見えない(ちょっと残念!)「太陽の広場」をチューリップで埋め尽くす為には、少なくとも10万本が必要のようだ。<寒咲き菜の花>この時期、アイスチューリップ以外に、公園で咲いている花はあるのか?と思って、入場口のお姉様に問い合わせましたところ、下図の2カ所で「寒咲き菜の花(カンザキナノハナ)」が見頃を迎えています」とのこと、で、「太陽の広場」の右横にある「菜の花園」に行って見ました。寒咲き菜の花、まだちょっと早かったようだが、「早春」を体感出来た。「菜の花園」の脇にある「赤い実」のなる木、何という名前の木なのだろう?<パンパスグラス>「菜の花園」を更に右側に進みますと、大きな「樅の木」の向こう側に、数株の「パンパスグラス」を見ることができました。パンパスグラスの「花穂」、これも立派な「冬の花」なのだ!<松竹梅梅林>「万博記念公園」の「自然文化園」には、約120種600本の「梅林」があります。この梅林には、「梅」の他に、「黒松」、「竹」が植えてあるので、「松竹梅の梅林」と呼ばれています。1月中旬なので、開花は期待せずに立ち寄ったのですが、以下の7種類の開花を確認することが出来ました。通常の年の開花は2月上旬、暖冬の為、今年は開花が早いのかな?<八重寒紅><初雁><雪山枝垂><冬至><白加賀><大盃(おおさかずき)><名称不明の紅梅>「梅林」から見上げた「太陽の塔」です。「太陽の塔」は、文字通り「万博記念公園」のシンボル、園内のどこからでも、見ることが出来るのだ!
2024年01月31日
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新春2日の奈良公園。若草山山頂に鹿遊ぶ。元旦に、石光寺の「寒牡丹」、當麻寺の「冬牡丹」を観に行って来ましたが、翌2日には、久しぶりに奈良公園を一周して来ました。今回の奈良公園一周のメインテーマは以下の2つです。(1) 今年の夏から「令和の大修理」の為、約8年に渡り姿を隠してしまう「興福寺五重塔」の「見納め」をすること、(2) 最近、左足が少し不具合が生じている中で、若草山山頂に登ること、リュウちゃんは今年6月で78歳、何時まで「遠足」が出来ますことやら?今回も女房殿を家に残し、リュウちゃん一人でポケットにハンディ・デジカメだけを入れ、午前9時過ぎに家を出発、午前10時ジャスト、IR奈良駅から「奈良公園一周」の旅に出発しました。JR奈良駅から歩いて10分で、興福寺の境内に入ります。「猿沢の池」から興福寺に境内に登る石段、ちょっとしんどい!無事に奈良公園を一周出来るのだろうか?お目当ての「興福寺五重塔」です。既に改修工事は始まっていまして、五重塔の周囲は工事のフェンスで囲われていて、塔の直下まで近寄ることは出来なくなっています。今年の夏には、塔全体がシートに覆われてしまい、約8年に渡り、その雄姿が見られなくなってしまうのです。8年後といえばリュウちゃんは86歳だ!今回が「見納め」になるかも知れない?「国立博物館」前の広場の鹿たちです。今年も、奈良公園の鹿に逢えた!<木に竹を接いだムクロジ>博物館から「片岡梅林」に行く途上にあります。幹の天辺から竹が生えている!??本当は、幹の天辺から生えているのではなく、幹の空洞の中の地面に竹の根があるのですが、見た目では幹の天辺に根を張っているように見える面白い「ムクロジの木」なのです。<浮見堂>「木の竹を接ぐムクロジ」の傍にある「片岡梅林」の下に降りた「鷺池(さぎいけ)」の中に、「浮見堂」が建てられています。「浮見堂」、奈良公園を代表する景観の一つだ。古代中国の「東屋(あずまや)」を連想する。干上がっている「鷺池」、初めて見た。その景観から、「浮見堂」は奈良時代に建てられたものだと、これまでリュウちゃんは思っていたのですが、実は創建は大正5年(1916年)、奈良公園の建築物の中では「新参者」なのです。「うきみどう」として関西で一番有名な建築物は、大津市の本堅田の琵琶湖の水上に建てられている「満月寺浮御堂」です。こちらは、「近江八景」の「堅田の落雁」として有名な観光地なのです。この「浮御堂」は、西暦1000年頃、「浄土宗の祖」とされる僧「源信(恵心僧都)」によって建立された由緒ある建築物で、古くより一休和尚、蓮如上人、松尾芭蕉、小林一茶、歌川広重、葛飾北斎などが訪れた名刹のようです。(満月寺浮御堂)<飛火野の大クス>「浮見堂」を後にして、「飛火野」の草原に向かいました。ここのお目当ては、「飛火野の大クス」です。飛火野の大クス、何時観てもその威容に圧倒される!この「大クス」は、圧倒的な威容から、樹齢が1000年位はありそうに見えるのですが、実は明治41年(1908年)、明治天皇が飛火野に行幸された際に、その玉座に記念植樹されたもので、樹齢は120年位の「若い巨樹」なのです。遠くから見ますと、一本のクスノキに見えますが、実は3本の木から成り立っている「集合巨樹」なのです。集合巨樹であっても、その「威容」は少しも色褪せないのだ。「飛火野の大クス」の周囲は、「鹿の集合場所」の一つなのですが、本日は新春のためか、大クスの周囲に鹿を見ることは出来ませんでした。以下の写真は春日大社の参道から撮った「飛火野の鹿たち」です。「飛火野」から、春日大社の参道に入りますが、「萬葉植物園」の前から参道を外れ、鹿の保護施設である「鹿苑(ろくえん)」の方向に向かいます。但し、「鹿苑」には入らず、この辺りから始まる「春日山原始林の巨樹巡り」をしようとする趣向です。神社参拝よりも、巨樹巡り」が、奈良公園散策の目的なのだ!<イチイガシの巨樹>「鹿苑」の奥に、「イチイガシの巨樹」があります。この巨樹の前には、以下のような「立札」があります。この、「イチイガシの巨樹群」の立札の辺りから、昭和30年に国の特別記念物に指定され、更に平成10年にユネスコの「世界遺産」に登録された「春日山原始林」が始まっています。以下の写真は、この辺りで観られる「最大の巨樹」です。幹周り約10m、木の品種不明、完全に枯れてしまっているが、感動的な巨樹なのだ!<春日若宮神社の大クス>前方に「春日若宮神社の大クス」が見えてきました。幹周11,46m、伝説では4世紀後半に神功皇后がが植えたとされる樹齢1500年以上の老巨樹、今年もこの巨樹に出逢えた!「春日大社」に入ります。さすが新春!かなり賑わっている。入口の「南門」から「本殿」に入ります。「本殿」の手前にある「山藤の根」凄い迫力だ!「本殿」は善男善定で大賑わいですが、生来の不信心者のリュウちゃん、賽銭箱には目もくれず。「本殿」の左手にある「御神木(社頭の大杉)」に目が行ったのです。樹齢約1000年、幹周約8m、「本殿」の祭神よりも、この御神木に賽銭を納げたい!朱塗りの柱の回廊を通って、「本殿」を後にします。もう12時30分、お昼時だ。で、「一言主神社」の近くにある昔ながらの「大衆食堂」に入り、「天ぷらうどん」と瓶ビール(中瓶2本)を注文し、昼食、プファ~、ビールが旨い!奈良公園散策はこれからが本番、足の痛みを酔いで中和して、元気に歩いてみよう。<水谷神社のイブキの巨樹と水谷茶屋>「大衆食堂」から2分位歩いた所に、「水谷神社」があります。「水谷神社」のイブキの巨樹、すっかり枯れ木だが、迫力絶大だ!水谷神社の近くにある奈良公園屈指の休憩スポット、「水谷茶屋」です。「大衆食堂」はガラガラだったのに、「水谷茶屋」は大賑わいだ!<春日山遊歩道から若草山山頂へ>さて、ここからが本日の遠足の本番です。「春日山遊歩道」を歩き、標高340mの「若草山山頂」を目指します。標高差は僅かに300mと少し、左足の不具合で、無事に山頂に辿り着けますことやら?「水谷茶屋」の前の山道を少し登った所に、「春日山遊歩道」の入口があります。「春日山遊歩道」は、「春日山原始林」の中を通る1,5kmのなだらかな山道です。(春日山遊歩道マップ)「春日山遊歩道」ウォーキング、「奈良公園一周」の、一番の醍醐味なのだ!午後2時ジャスト、無事、「若草山山頂」に到着、山頂から見下ろす奈良市と原始林の景観、山頂で遊ぶ鹿たち、新春の若草山山頂は平和に満ちている!午後3時ちょっと前、若草山の麓に降りてきました。雲一つ無い青空の下、山麓も穏やかで平和だ。<手向山八幡宮>2本の巨樹がある「手向山八幡宮」を通り抜けます。このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに(菅原道真、百人一首第24番)<東大寺二月堂>「手向山八幡宮」の隣に「お水取り(修二会)」で有名な「二月堂」があります。今回は足の痛みをこらえて「舞台」に登りました。二月堂の舞台から見下ろした「大仏殿」の屋根です。新年2日の奈良公園一周、もうゴールは近い!<大仏殿、南大門(ゴール)>「大仏殿」の前に出ました。「鏡池」の畔の紅葉、1本だけ散り残っていた!以下の写真は「南大門」の前の休憩所で撮りました。「南大門」の前の休憩所、鹿たちにとっても、一番の休憩所のようだ。朝10時にJR奈良駅を出発、午後4時にJR奈良駅に帰還、その間、約30分の昼食時間を除いて、約5時間半、歩きっぱなしの奈良公園一周旅、左足に不具合があったにも関わらず、無事に達成出来た!来年の新年も、一周旅に挑戦してみよう。今回の奈良公園一周旅では、「花」を全く見ることが出来ませんでした。なので、以下にリュウちゃんの家の庭に咲く花を何枚かアップします。奈良公園よりも、リュウちゃんの庭のほうが、「花」が多いのだ!
2024年01月20日
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石光寺(せっこうじ)の寒牡丹と、當麻寺(たいまでら)の冬牡丹、新春の奈良の花遍路は、ここからスタートなのだ。(石光寺の寒牡丹「東雲の月」)(當麻寺の冬牡丹)ちょっと遅くなってしまいましたが、新年おめでとうございます。さて、リュウちゃんの2024年は、全国的にも珍しい「寒牡丹」の名所、「石光寺」から始めることにしました。ついでに、當麻寺の「冬牡丹」も観に行って来たのです。石光寺の寒牡丹の見頃は、12月上旬から1月上旬、元旦でも、「見頃」を過ぎているのかも知れない?2024年1月1日(元旦)、リュウちゃん一人で公共交通に乗ってお出掛けしました。朝9時に法隆寺を出発、ローカル線を3回乗り換えして、石光寺の最寄りの駅である近鉄南大阪線「當麻寺駅」に着いたのが、午前11時過ぎ、アチャ~、「當麻寺駅」まで、2時間も掛かってしまった!ローカル線の乗り換え旅はしんどい!近鉄「當麻寺駅」から「當麻寺」までは、700m、「當麻寺」から「石光寺」までは、更に600m、従いまして近鉄「當麻寺駅」から「石光寺」までは1,3kmです。最初の写真は、途上の民家の庭に咲く「蝋梅」です。ここの蝋梅、元旦に満開になっていた!早咲き品種なのかな?「石光寺」の手前の途上に道から眺めた「二上山(にじょうざん)」です。「二上山」は「當麻寺」の山号にもなっている歴史的名山なのです。午前11時30分、「石光寺」に到着、境内に入ります。どれほどの「寒牡丹」を観ることが出来るかな?境内にある、「染めの井」(中将姫が「當麻蓮糸曼荼羅」を織る際、この井戸で蓮糸を染めたとされる井戸です)と「中将姫像」です。「染めの井」の脇には、「ミツマタ」が開花を待っています。さて、お目当ての「寒牡丹」です。以下に、この日に咲いていた全ての寒牡丹の写真を貼り付けて見ます(品種名が確認出来たものは、名称も書きます)(1)<緋の御旗>(2)<大正紅>(3)<東雲(しののめ)の月>(4)<時雨雲(しぐれぐも)>結局、品種名が確認されたのは、上掲の4種だけ、ネットの「奈良ガイド~石光寺寒牡丹の見頃」の記事によれば、石光寺には、約40種200株の寒牡丹が、11月下旬かた1月下旬の約2か月に渡り、順番に咲くようです。アチャ~、元日の石光寺で名前が確認出来た寒牡丹は僅か4種、全体の1/10に過ぎない!全ての品種を確認するためには、開花期間中に3~4回、足を運ぶ必要がありそうだ。以下に品種名を確認出来なかった寒牡丹の写真を貼り付けます。元旦に開花していた寒牡丹は、トータル10株程度。全体の1/20位なのだ!石光寺は、「関西花の寺二十五霊場20番札所」で、一般的には「牡丹の寺」として有名なのですが、牡丹の他にも、冬には「山茶花」、「寒咲きアヤメ」、「蝋梅」、「万作」、「ミツマタ」など、春から初夏には「桜」、「芍薬」、「紫陽花」、夏には「百日紅」などの花が咲きます。本日はまだ「蝋梅」や「寒咲きアヤメ」、「万作」は開花していませんでしたが、境内の至る所で「山茶花」と「南天」が「見頃」を迎えていました。午後12時30分に「石光寺」を後にして、「當麻寺」に戻りました。もうお昼時、當麻寺参道にある釜めし店でお昼を摂ろう。客はリュウちゃん唯一人、貸し切り状態の店で、「釜めしセット」と瓶ビール(中瓶)2本を注文し、遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!殆んど人の居ない元旦の古刹、リュウちゃん流の「真冬の風流」なのだ!午後1時過ぎ、釜めし店を出て、「當麻寺」に向かいました。お目当ての「冬牡丹」は、「奥の院」の「浄土庭園」に咲いています。「浄土庭園」に入ります。元旦に観る「冬牡丹」、「山茶花」「水仙」、「寒桜」、ここは正に「冬の極楽浄土」だ!ここから。「冬牡丹」です。「冬牡丹」、正に極楽浄土の花なのだ!<千葉の孫姫4姉妹、奈良に来襲>昨年12月27日、千葉県に住んでいる孫姫4姉妹一家が来襲しました。今回の予定は12月29日に大阪の高槻市にある孫姫のパパの実家に行ってしまうというハードスケジュールで、奈良滞在は僅か45時間です。まる1日、孫姫達と遊べる時間は、12月28日だけ!どないしよう?と、悩んだのですが、結局、上の2人の孫姫の要望で、近くのイオンモールのシネコンで、ディズニーアニメ創立100周年記念作品の「ウィッシュ」を観に行くことにしました。長編アニメ「ウィッシュ」、ロマンスが無い、ファンタジーが無い、リュウちゃん失望!孫姫ちゃん達はどう思ったのだろうか?余談ですが、昨年公開された宮崎駿の7年ぶりの新作「君たちはどう生きるか」にリュウちゃんは魅了され、結局、3回も映画館に足を運んでしまいました。宮崎アニメの集大成、ロマンがありファンタジスティック、難解だが、見事な傑作だ!今年の米アカデミー賞の前哨戦であるゴールデン・グローブ賞で、この作品は見事、アニメ映画賞を受賞しました。日本のアニメがこの賞を受賞したのは、初めての快挙です。このまま行けば、宮崎駿は、2002年の「千と千尋の神隠し」に続き、2回目のアカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞することが濃厚になってきました。対抗馬は、上掲のディズニーアニメ創立100周年記念作品「ウィッシュ」の筈です。2001年から始まったアカデミー賞長編アニメ映画賞は、ディズニーのために創られたような賞で、過去22回の内、何と、15回もこの賞をディズニー・アニメが獲得しているのです!(但し、受賞した15作品中、11作品は、2006年にディズニーが買収し、完全子会社にした「ピクサー・アニメーション・スタジオ」製作のアニメだったのです)今回の「ウィッシュ」は、本家ディズニー・アニメが、「創立100周年記念作品」として製作した作品です。自社の名誉のためにも、何が何でもアカデミー賞獲得に走る筈です。しかし、「ウィッシュ」は出来がお粗末過ぎる。若し「ウィッシュ」がアカデミー賞を獲るようなことになれば、裏で大規模な工作が行われたと見て間違いなさそうだ。閑話休題、改めまして孫姫4姉妹を紹介させて頂きます。<孫姫1号>:高校2年生、17歳、来年の春は成人&大学受験です。<孫姫2号>:中学2年生、14歳、来年の春は高校受験です。<孫姫3号>:小学校3年生、8歳。<孫姫4号>:小学校1年生、6歳。今回はまとめて孫姫ちゃんたちの写真を撮る機会がなかったのですが、リュウちゃんの家にいる猫の「チビ」ちゃんとの交流の写真を以下に貼り付けます。<猫のチビ>:17歳6ケ月、(孫姫1号より1ヶ月早生まれ)、チビは、人間に換算すれば、85歳のお婆ちゃん、でも、何時までも長生きしてネ!
2024年01月10日
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「錦の里」と称される奈良屈指の紅葉の名所「正暦寺」、久々の正暦寺の紅葉狩り、11月24日(金)、9年ぶりに奈良市内屈指の紅葉の名所である「正暦寺(しょうりゃくじ)」に一人で行ってきました。9年ぶりの「正暦寺」、綺麗な紅葉を観ることが出来るかな?「正暦寺」は奈良市内にあるとはいえ、JR奈良駅から車で25分も掛かる「僻地」にあります。以前は1日数本の公共交通のバスが運行していたのですが、数年前、バスが廃止になってしまい、現在では文字通り「陸の孤島」となってしまいました。でも。紅葉のシーズンには、臨時バスの運行があるというので、臨時バスに乗ることを前提にして、朝9時30分、法隆寺の家を出発、午前10時、JR奈良駅前の観光案内所に到着、ここで、改めて「正暦寺」に行く最善の方法を問い合わせましたところ、臨時バスは土・日のみの運行です。平日は公共交通で、「正暦寺」に行く方法はありません、とのこと、アチャ~!平日の「正暦寺」は、完全に「陸の孤島」だ!しょうがない、タクシーで行くしか方法が無い。ということで、奈良駅からタクシーを奮発し、「正暦寺」に着いたのが午前10時30分。奈良駅から「正暦寺」まで、タクシー代が4010円も掛かってしまった!さて、「正暦寺」です。最初の紅葉は、入口にある「日本清酒発祥之地」の石碑の横にあります。(※)「正暦寺」は何故、「日本清酒発祥之地」と呼ばれるようになったのか?「うま酒、三輪の山」と云われますように、日本の酒造りの発祥の地は、正暦寺の約10キロ位南にある「大神(おおみわ)神社」だとされています。但し、古代から大神神社で造られていた酒は、所謂「濁り酒」でしたが、室町時代に正暦寺が開発した酒は、「南都諸白(なんともろはく)」(「麹米」と「掛け米」(蒸米)の両方に精白米を用いる製法)と呼ばれる製法で、この製法が現在の清酒の製法とほぼ同じであることから、正暦寺が「清酒発祥の地」と呼ばれるようになったようです。「正暦寺の紅葉」の最初の見所は、残存している唯一の塔頭である「福寿院客殿」から見る「借景庭園」です。この庭園からの紅葉の眺め、京都の名庭園の紅葉に匹敵するが、残念ながら「客殿」からの撮影は禁止!!??なので、以下にネットからお借りした写真を2枚貼り付けます。こんな素敵な庭園が撮影禁止、何故、撮影禁止なのか?意味不明だ。「客殿」の外に出ます。「本堂」へ登っていく参道脇の紅葉とイチョウが、「借景庭園」の「借景」された場所なのです。「借景」された場所の紅葉とイチョウ、なかなか見事なのだ!参道を辿り、「本堂」に登って行きます。「本堂」への登り坂の途中に、2基の「十三重石塔」と、正暦寺で亡くなった僧侶の墓石群があります。「十三重石塔」と墓石群と紅葉のコラボ、正暦寺ならではの景観なのだ!「本堂」に登って来ました。「本堂」前の紅葉の景観、「談山神社」のように、深山の紅葉なのだ!「本堂」を出て、その先にある「龍神平(りゅうじんだいら)」に向かいました。「龍神平」の眼下は、「福寿院」だ!「借景の地」のイチョウも紅葉も、眼下にあるのだ!もうお昼時、さて、昼食をどこで摂ろうか?どうやって奈良に帰ろうか?「正暦寺」の近所には、休憩所が一か所だけ在るのですが、ここは「喫茶」だけで、食事は出来ません。「酒」と名が付く飲み物も、「甘酒」しか置いてないのです。「清酒発祥の地」であるにも関わらず、「甘酒」しか置いていない!こりゃ、参った!!!しょうがない、歩いて奈良駅に帰ろう。帰路の途中で、食べ物屋に出逢えるかも知れないし、奈良市に行くバス停も見つかるかも知れない?12時ジャスト、下山開始、ススキや柿の木のある田舎道を、ひたすらテクテクと西に向かって歩いたのです。しかし、食べ物屋は一軒も見つからない!午後1時20分、ひたすら歩くこと1時間20分、やっと、JR万葉まほろば線の「帯解(おびとけ)駅」に到着、この駅からJR奈良駅は、<「帯解駅」~「京終(きょうばて)駅」~「奈良駅」>と、僅か2駅なのですが、何しろ超ローカル線なので、次の奈良行まで30分待ち、しょうがない、待ち時間を利用して、「帯解寺」を見物しよう。平安時代に創建された「帯解寺」は、安産・子授けの寺として信仰を集めていまして、美智子皇太后、雅子皇后を始めとする皇族の方々も、この寺で安産祈願を行ったのだそうです。午後2時過ぎ、やっとJR奈良駅に到着、早速、駅前の「餃子の王将」に入り、「餃子」と「レバニラ炒め」、それと、生ビール(2本)を注文し、遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!定番の「餃子」と「レバニラ炒め」、空腹の五臓六腑に沁みこんでいくのだ!遅い昼食を終えて「餃子の王将」を出たのが午後3時ちょっと前、本来なら、ここから歩いて奈良公園を一周する所ですが、今回は時間がないので、「大仏殿」の周辺に限定して行ってみることにしました。市内循環バスに乗り、「氷室神社前」で下車、氷室神社のイチョウ、美しい!「南大門」を潜って、「大仏殿」の前の「鏡池」に出ます。おお!「鏡池」周辺の紅葉、絶好の見頃だ!「鏡池」から、「大仏殿」の裏手に周ります。「大仏殿」の裏手に「大仏池」があります。「大仏池」の周りのイチョウの黄金の絨毯、今年も観ることが出来て、気分はハッピーなのだ!
2023年12月27日
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奈良県の真ん中にある談山神社と長谷寺、奈良の2大紅葉の名所なのだ!(談山神社・十三重塔の紅葉)(長谷寺、初瀬の大イチョウ)京都の貴船神社から銀閣寺の紅葉狩りをした翌日の11月23日、今度は、地元「奈良の紅葉狩り」で、桜井市にある「談山神社(たんざんじんじゃ)」にお出掛けしました。今回も女房殿は所要があり、リュウちゃん単独でお出掛けしたのです。車の運転が出来ないリュウちゃん、公共交通で行くしか手段が無いのだ!リュウちゃんの住んでいる斑鳩町から、公共交通を使って談山神社までは、以下のルートで行きます。JR法隆寺駅~JR奈良駅(万葉まほろば線に乗り換え)~JR桜井駅(奈良交通バスに乗り換え)~談山神社バス停。万葉まほろば線、奈良交通バスは、1時間に一本に超ローカル線、乗車している時間よりも、乗り換えの待ち時間のほうが遥かに長いのだ!午前11時過ぎ、談山神社バス停に到着、バス停付近の光景です。この辺りの紅葉、まずまずの色づきだ。普通、バス停から談山神社に行くのには、左側の小道を降りて行くのですが、リュウちゃんは、バス停の上から行くことにしています。ここの紅葉もなかなか良いのだ。しかし、色づきが浅い。まだ少し早かったのかな?もうお昼時、よし、談山神社に入る前に昼食を摂ろう。で、談山神社を見下ろす釜めし店で昼食、プファ~、ビールが旨い!窯めしが炊きあがる前に、缶ビールを2本飲んでしまった!昼食を終え、談山神社に降りて行きます。上から見下ろす十三重塔、周りの紅葉の色づきは浅いようだ?談山神社の入口の「大鳥居」の前にある「杉の巨木」です。今年も「杉の巨木」に出逢うことが出来た!「大鳥居」です。ここから石段を登り、談山神社に入ります。石段の途中にある杉の巨木、「夫婦杉」です。「夫婦杉」に逢うことも、談山神社散策の楽しみの一つなのだ!石段の上に「拝殿」があります。以下の写真は、「拝殿」の下部で撮った光景です。やはり紅葉の色づきは浅い。ちょっと残念だ。「拝殿」に上がります。銅製の灯篭と紅葉のコラボ、「拝殿」の一番の「見所」なのだ!「拝殿」を降りて、「十三重塔」に向かいます。「十三重塔」と紅葉のコラボ、「談山神社」の一番のビュースポット!この光景を撮るために、ほぼ毎年、「談山神社」に来るのだ!(※)「談山神社」のシンボルである「十三重塔」は、現存する世界で唯一の木造十三重塔です。天武天皇7年(678年)、藤原氏の「祖」である「中臣鎌足」の長男だった僧の定恵(じょうえ)が、この地に鎌足の墓を築き、その墓の上に「十三重塔」を建立したようです。「十三重塔」の裏手にある「権殿(ごんでん)」の周りの紅葉です。杉の大木とイチョウのコラボ、ここは「談山神社」屈指の、紅葉の「見所」なのだ!「権殿」から石段を下りて、出口に向かいます。出口付近から見上げた「十三重塔」、ここも「談山神社」の定番の紅葉スポットなのだ!<長谷寺の紅葉>本来なら、11月23日に「談山神社」に行った後、長谷寺に行く予定だったのですが、時間がタイトになってしまったために、この日の長谷寺行きは断念、改めて一週間後の11月30日に、女房殿の運転する車の助手席に乗って、長谷寺にお出掛けしました。長谷寺の紅葉、まだ「見頃」なのかな?午前10時30分、法隆寺出発、午前11時20分、長谷寺に到着、境内に入る前に、「長谷寺」の前、「天神山(与喜山)」の麓にある「素戔嗚(スサノオ)神社」に立ち寄りました。<初瀬の大イチョウ>「素戔嗚神社」に立ち寄ったのは、この小さな神社の境内にあるイチョウの巨樹、「初瀬の大イチョウ」を観るためなのです。駐車場の前の赤い橋の向こうに、大イチョウが見えてきました。「素戔嗚神社」に入ります。久しぶりに観た「初瀬の大イチョウ」、樹高約40m、幹回り7,15m、樹齢300年強、奈良県天然記念物、県最大のイチョウの巨樹、いつもながら、その威容に圧倒された!「素戔嗚神社」を出たのが、ちょうど正午、「長谷寺」に入る前に、参道にある和食店で「うなぎ定食」と瓶ビール(2本)で昼食(運転手の女房殿は、勿論、ビール抜きです)プファ~、ビールが旨い!久しぶりの「初瀬の大イチョウ」に、改めて感激!これから行く長谷寺の紅葉は、オマケなのだ!昼食を終え、午後1時に「長谷寺」に入場しました。長谷寺名物の一つは、「仁王門」から続く399段の「登廊(のぼりろう)」です。「登廊」の周辺には紅葉無し、上部に紅葉があるのだ。「登廊」は、「天狗杉」のちょっと上部で右に直角に曲がっているのですが、今年の夏にアジサイを観に行った時には、右に曲がる地点で「登廊」を外れ、「登廊」からまっすぐに続く石段を登ったのです。今回も夏と同じコースを辿って「本堂」に登ったのです。この「登廊」から続く石段、夏は鉢植えのアジサイ、秋は鉢植えの菊の花が飾られていた。石段の周辺の紅葉も見事だ!「本堂」の舞台に登りました。「登廊」の上部に、「十月桜」が咲いていた!舞台からの眺め、やはり今年の紅葉はイマイチだ(残念!)「本堂」の舞台から、「開山堂」に降りて行きます。「開山堂」の右手の山裾に、「真紅の紅葉」を発見!この「真紅の紅葉」、本日の一番の紅葉だ!?「開山堂」のある休憩所の紅葉、ここも「長谷寺」の紅葉の見所の一つ、見上げる「五重塔」と紅葉のコラボ、なかなか素敵なのだ。休憩所から坂道を降りて帰路につきます。帰路の道筋、ここが長谷寺の紅葉の一番のビュースポットなのかも知れない?「長谷寺」の最後の写真は、仁王門の横手にあった鉢植えの菊の花です。ここの菊の花、一際鮮やかだったのだ!
2023年12月12日
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京都の紅葉の名所、貴船神社、哲学の道、銀閣寺、いずれもリュウちゃん初体験なのだ。(貴船神社)(銀閣寺)11月22日、女房殿が所要があった為、リュウちゃん一人で京都の洛北にある紅葉の名所を行脚して来ました。今年の京都の紅葉狩りは、紅葉の季節に初めて行く「貴船神社」をメインに考えていましたので、公共交通を使ってお出掛けしたのです。もう一つ、今年の京都の紅葉狩りに「貴船神社」を選んだ理由があります。それは、数日前に千葉県に住んでいる高校2年生の孫姫1号が、修学旅行で、「貴船神社」に行ったという報告が、写真を添えて女房殿のスマホに入ったからです。孫姫1号の貴船神社のスナップ写真、生徒は皆、着物姿だ!最近の修学旅行、ちょっと贅沢になったのかな?リュウちゃんの家から貴船神社までの行程は以下です。JR法隆寺駅~(乗り換え)JR奈良駅~JR東福寺駅~(乗り換え)京阪東福寺駅~京阪出町柳駅~(乗り換え)叡山鉄道出町柳駅~叡山鉄道貴船駅~(乗り換え)京都市バス貴船神社ローカル線の4回乗り換え、京都は近くて遠いのだ!午前11時、貴船神社バス停に到着、バス停前のイチョウがお出迎え、バス停から貴船神社までは徒歩10分の登り坂、途上にある料理店の店先の紅葉なかなか美しい。貴船川沿いの紅葉、色づきはイマイチだ。貴船神社本宮下の鳥居の周りの紅葉、ここが最初の貴船の紅葉スポットのようだ。下の鳥居から上の「本宮」への道は、90段の不揃いな石段です。後期高齢者3年目のリュウちゃん、不揃いな石段が苦手なのだ(トホホ!)「本宮」に到着、本宮前の休憩スポット、「龍船閣」からの眺めです。紅葉の色づき、やはりイマイチだ。「龍船閣」の横手に、貴船神社の御神木、樹齢400年の「桂の大木」があります。貴船神社の桂の御神木、ここの一番の見所なのだ!そろそろお昼、往路はバスを使ったが、帰路は歩いて下山し、途中の店で昼食を摂ろう。帰路の道筋の紅葉です。貴船の紅葉、この道筋で、やっと色づきの良い紅葉に出逢えた。下り道の途中に、以下の写真の店を発見しました。この店で、鮎の塩焼き、ソーメンセットと貴船ビール(2本)で昼食、プファ~、貴船ビールが旨い!紅葉の色づきはイマイチなれど、貴船に来た甲斐があった!後で賄いのお姉さん(なかなかの美人さんです!)に話を聞きましたところ、「今年は夏の猛暑のために、貴船の紅葉は、残念ながら全然ダメです」「貴船の紅葉は、当店から叡山鉄道貴船駅までの道筋の紅葉がベスト・スポットなのです」お姉さんの助言通り、歩いて貴船駅まで降りました。以下の写真は、帰路の道筋の紅葉です。お姉さんのいう通り、帰路の道筋は、なかなかの紅葉スポットなのだ!貴船駅のホームも、なかなかの紅葉スポットなのだ!<紅葉のトンネル>帰路の叡山鉄道の「市原駅」と「二ノ瀬駅」の間に、「紅葉のトンネル」と呼ばれる有名な紅葉スポットがあります。(紅葉のトンネル、この写真はネットからお借りしました)この「紅葉のトンネル」の写真を撮ろうと思って、電車の一番前に乗ったのですが、既に千客万来、撮れたのは以下の写真のみ、運転手さんの後ろ姿のみ、残念至極なのだ!<京都御所>午後2時、叡山鉄道「出町柳駅」に到着、駅から歩いて、「京都御所」に向かいました。「京都御所」には、紅葉があるのかな?と思って立ち寄ってみたのですが、残念ながら殆んど紅葉を観ることは出来ませんでした。でも、イチョウが美しかった!<哲学の道へ>「京都御所」から「哲学の道」に向かいます。「哲学の道」初体験のリュウちゃん、事前にネットで調べましたところ、出発点:紅葉の名所「永観堂」の北側、終着点:銀閣寺参道の下、だと判明しました。(「哲学の道」地図、右側の「永観堂」から、左上の「銀閣寺」へ向かう予定)「京都御所」でタクシーを拾い、「永観堂」の門前に着いたのが午後3時、「永観堂」の紅葉、やはり色づきはイマイチのようだ。午後3時30分、「哲学の道」に入りました。<哲学の道>入口の紅葉、中々美しい。「哲学の道」は、「永観堂」の北側から「銀閣寺」に続く約1,5キロの遊歩道です。もともとは明治23年に「琵琶湖疎水」が完成した際に、疎水の管理用道路として設置されたようです。明治末期から戦前にかけて、哲学者の西田 幾多郎(にしだ きたろう)などが好んでこの道を散策した為、昭和47年にこの歩道が正式に「哲学の道」という名称で呼ばれることになりました。昭和62年には「日本の道百選」の一つに選定されました。「哲学の道」、秋は「紅葉の道」なのだ!<銀閣寺>「哲学の道」週着点の手前から、「銀閣寺」の参道に入ります。小学校の修学旅行以来、65年ぶりに訪れた「銀閣寺」、果たして「紅葉の名所」なのだろうか?「総門」から「銀閣寺垣」と呼ばれる竹垣で囲まれた約50mの参道を通り、境内に入ります。おお!銀閣寺の庭園は、「紅葉の庭園」だったのだ!「銀閣寺」の名称の由来となった「観音殿(銀閣)」です。この周囲にも、紅葉が見られた。<「銀閣寺」について>「銀閣寺」の正式名称は、「東山慈照禅寺(とうざんじしょうぜんじ)」です。創建は1490年、創健者は室町幕府第8代将軍の足利義政です。「慈照寺観音殿」が「銀閣」と呼ばれるようになったのは、どうやら江戸時代に入ってからのようです。「鹿苑寺舎利殿」(金閣)は、文字通り「金箔貼り」の建物、しかし「慈照寺観音殿」(銀閣)は、銀箔は貼られておらず、貼った形跡もない。何故、銀箔の貼られていない観音殿が「銀閣」と呼ばれるようになったのか?この疑問は、現代でも、「謎」のままなのだ!「銀閣寺」の庭園は、東山三十六峰の一つ、「月待山(つきまちやま、標高194m)」の麓に築かれています。山の麓も庭園の一部のようなので、庭園から続く山道に登ってみました。庭園を見下ろす月待山の山道、ここの紅葉は「素晴らしい!」の一語。銀閣寺に紅葉狩りに来て良かった!!!もう午後4時を過ぎた!日暮れは間近だ。急いで奈良に帰ろう!本日最後の写真は、「銀閣寺」の参道の民家に植えられていた黄色い大輪の「菊の花」です。黄金色の菊の大輪、これは「金閣」の化身なのだろうか?
2023年12月01日
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リュウちゃん行きつけの「馬見丘陵公園」、今年もコスモスに出逢うことが出来た!10月23日、昨年に続き、リュウちゃんの住んでいる斑鳩町の隣町の川合町、広陵町にある「馬見丘陵公園」のコスモスを観に行って来ました。朝10時、女房殿の運転する車の助手席に乗って「お出掛け」、リュウちゃんの家から「馬見丘陵公園」までは、車で約10分、文字通り「ご近所公園」なのだ!午前10時過ぎ、公園の「北エリア駐車場」に到着、ありゃ?北エリアの「集いの丘」には、コスモスではなく、「サルビアの丘」だ?コスモスは、まだ早過ぎたのかな?「集いの丘」の左手に、コスモスを発見、良かった!今年も、「馬見丘陵公園」のコスモスに出逢えた!昨年と異なり、「集いの丘」の周辺は「サルビアの丘」に大変身だ!<中田喜直:歌曲「サルビア」>「集いの丘」から、中央エリアに向かいます。中央エリアへの途上のミニ花壇、いつもバラエティに富んでいる!「中央エリア」に入ります。「中央エリア」名物のサルビア・レウカンタ、今年もいっぱい咲いていた!「中央エリア」のコスモスです。<リマラレモン>今年の中央エリアのコスモスのメインは、キバナコスモスの一種で、丈の小さい「リマラレモン」という品種でした。ちょっと迫力に欠けるが、「黄色のコスモス絨毯」中々の「見もの」なのだ。「中央エリア」から「乙女山古墳」の横手にある「花桃の丘」を経て、「カリヨンの丘」に向かいます。道筋の北側に、若草山が霞んで見える!<カリヨンの丘>「カリヨンの丘」に到着、「カリヨン」は、鐘と鍵盤を組み合わせた楽器で、日本語では「組み鐘」といいます。多くは鐘楼などの「塔状」の建築物の一部に設置される楽器ですが、この公園のカリヨンは下の写真のようなシンプルな構造になっているのです。「カリヨンの丘」エリア、「コキア」が色づいている。ここは「コキア」の楽園なのだ!「カリヨンの丘」から、「ナガレ山古墳」の麓の休憩所に移動、暫しティータイム、古墳の上空はのどかな秋空、雲ものんびりと流れる。以下の写真はネットから拝借した「ナガレ山古墳」の空中写真です。全長105mの前方後円墳、5世紀頃に造られたようです。被葬者は不明ですが、5世紀頃にこの地を支配していた豪族「葛城氏」の王族の古墳だという説が有力なようです。(ナガレ山古墳)「馬見丘陵公園」は、奈良盆地の「佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)」、「柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)」と並ぶ大和3大古墳群の一つ、「馬見古墳群」の上に築造されていて、園内には大小200基を超える古墳が存在します。この古墳群は、いずれも日本史の空白期である4~5世紀に築造された古墳で、被葬者などの具体的な情報は全く判明していない「謎の古墳群」なのです。ここで前回のブログに続き、「古代大和の勢力図」を貼り付けます。(古代大和の勢力図)上掲の図の中央下に「馬見」とある所が、現在の「馬見丘陵公園」とほぼ重なっています。上掲の勢力図で見る限りでは、「馬見」は「大和」の中心だったようだ!?やはり「馬見丘陵公園」も謎にみちた古代ロマンの地なのだ!(馬見丘陵公園最大の前方後円墳・巣山古墳、全長204m)ここから帰路につきます。<公園館の前の丘のコスモス>帰路の途中、公園館の前の丘が最後のコスモススポットです。ここは、他の場所には植えられていない珍らしいコスモスの楽園だ!中央エリアの山茶花の垣根に、一輪だけ開花しているのを発見、もう冬近し、なのだ。<雲南地湧金蓮>8月2日に見た「雲南地湧金蓮(ウンナンチュウキンレン)」、まだ咲き残っていた!「集いの丘」の前の広場に戻ってきました。広場では、「ダリア祭り」が始まっていたのですが、今回はコスモスに堪能しましたので、スルーしました。今年は最愛のダリア、「奈々」ちゃんに会えなかった(残念!)(ダリア「奈々」)約2時間の散策を終えて、近くの回転寿司店に直行、ここで昼食、プファ~、ビールが旨い!「馬見丘陵公園」、花+古代歴史ロマンの公園なのだ。これを機に、馬見の古代ロマンにも目を向けてみよう。
2023年11月18日
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藤原宮跡から安倍文珠院へ、今年も「コスモス行脚」が出来た!10月19日、今年初めての「コスモス行脚」に行って来ました。今回歩いたのは、奈良で一番のコスモスの名所である「藤原宮跡」と、桜井市にある古刹「安倍文珠院」です。本日の行程は以下です。JR「畝傍駅」~「おふさ観音」~「藤原宮跡」~「安倍文珠院」~JR「桜井駅」おおよその距離は、JR畝傍駅から「藤原宮跡」までは約1キロ、「藤原宮跡」から「安倍文珠院」までは約4キロ、「安倍文珠院」からJR「桜井駅」までは約1キロ、合計約6キロです。合計約20キロの「山の辺の道」と比べると、楽勝の行程だ!例によりまして、女房殿お手製の「おにぎり弁当」と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前9時に家を出発、午前11時、出発点の「畝傍駅」に到着。ローカル線2回乗り換えに失敗、乗車時間20分なのに、2時間も掛かってしまった!午前11時、JR「畝傍駅」に到着、ここからスタートです。<おふさ観音>「畝傍駅」から「藤原宮跡」までの途上に、バラの寺として有名な「おふさ観音」があります。境内に入り、暫し「秋バラ」を鑑賞、今正に「秋バラ」の季節、境内には、鉢植えのバラが咲き乱れていた!「おふさ観音」から歩いて10分くらいで、「藤原宮跡」の北側に着きます。おお、「藤原宮跡」のコスモス、完全に「見頃」だ!「藤原宮跡」のコスモスは、約3万平方メートルの広大な敷地に、6種類300万本のコスモスが植えられています。「藤原宮跡」の総面積は、84万平方メートル、コスモスエリアは全体の4パーセントだ。全ての敷地をコスモスで埋め尽くすとすると、6300万本のコスモスが必要なのだ!(「藤原宮跡」のコスモスエリア図)コスモスエリアに入ります。コスモスは、晴れた秋空がお似合いだ!「藤原宮跡」は、畝傍山、耳成(みみなし)山、天の香久山の、所謂「大和三山」のトライアングルの中心部にあります。以下に、例によりまして「大和三山」とコスモスのコラボ写真を貼り付けます。<畝傍山とコスモス><耳成山(みみなしやま)とコスモス><天の香久山とコスモス>「大和三山」の中では「天の香久山」がコスモスエリアに一番近いので、写真も一番多く撮ったのです。もう正午を過ぎた、お昼にしよう。で、コスモスエリアの北にある「大極殿跡地」に移動、この「大極殿」から、主(ぬし)だった持統天皇が左前方にある天の香久山を観て、百人一首で有名な、春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ 天の香久山という歌を詠んだ筈です。(「大極殿跡地」から見た「天の香久山」)「大極殿跡地」にビニールシートを敷いて、昼食。プファ~、ビールが旨い!気分は持統天皇だ!リュウちゃんも一首浮かびました。夏過ぎて 秋来にけらしまほろばの 香久山の下コスモス薫る(お粗末!)午後1時過ぎ、「藤原宮跡」を後にして、「安倍文珠院」に向かいました。「藤原宮跡」から「安倍文珠院」までは、約4キロの道のり、1時間もあれば着くだろう。午後2時過ぎ、「安倍文珠院」の「表山門」に到着、下の写真は、「安倍文珠院の伽藍図」です。コスモスは「金閣浮御堂」のある「文珠池」のほとりと、文珠池の右横の、「花の広場」に咲いています。この時期、「花の広場」には、「コスモス迷路」が作られているのです。境内に入ります。先ずは「金閣浮御堂」の周囲のコスモスです。「金閣浮御堂」とコスモスのコラボ、「安倍文珠院」の秋の風物詩だ!)「金閣浮御堂」の横にある「コスモス迷路」に入ります。「コスモス迷路」に植えられているコスモス、背丈2~3m、大人でも迷路の上から見渡せない。レモンイエローや珍しい「八重咲き」もある。この小さい迷路は、コスモスのミクロコスモス(小宇宙)なのだ!「コスモス迷路」の入口に、一際小さい「チョコレートコスモス」を観ることが出来ました。チョコレート色の、チョコレートの匂いがする不思議なコスモス、今年もリュウちゃんを出迎えてくれた!「展望台」に登ります。「安倍文珠院」は平安時代の陰陽師・安倍晴明が陰陽道の修行をしたお寺で、上掲の「伽藍図」にある「展望台」は、晴明が天体観測をした場所のようです。展望台の直下に「コスモス迷路」があります。展望台からの眺望です。金閣浮御堂の右上の山は、藤原宮跡の北にある「耳成山」です。展望台の脇に、ここからの眺望を示した絵図が掲げられていました。写真は靄が掛かっていてよくわからないが、この絵図で、本日歩いてきた道筋を明瞭に知ることが出来る!ーーーー<付録><邪馬台国は、やはり「纏向遺跡」だった!???>前回の「山の辺の道」のブログで、リュウちゃんは、「邪馬台国は桜井市にある纏向遺跡だ」と書きました。その理由は、<邪馬台国のことが唯一記述されている中国の「魏志倭人伝」に記述されている国名:地名は、すべて当時の日本人が語った「音声」を当時の中国の漢字に変換したものです。従いまして、中国式漢字表記の以下の言葉は、日本式の漢字に、以下のように置き換えることが出来ると考えているのです。邪馬台国=倭(やまと)国=大和国、卑弥呼=姫巫女>というものだったのですが、その後、「魏志倭人伝」に記述に関しまして、<邪馬台国=纏向遺跡>説を補強する「ささやかな発見」をしましたので、ここに書いてみます。<朝鮮から九州に至る「魏志倭人伝」の記述>★倭人は帯方(今の韓国ソウル付近)の東南大海の中に住み、山島に依って国邑をつくる。もとは百余国。漢のときに朝見(参内して天子に拝謁)する者があり、いま使者と通訳を接触させているのは三十国。★郡(帯方郡)から倭に到達するには、海岸に従って水行し、韓国(馬韓)を経て、あるいは南へ、あるいは東へ進み、その(=倭国の)北岸の「狗邪韓国」(くやかんこく。伽耶・加羅・金海)に到達する。(帯方郡から隔たること)七千余里。★海を渡ること千余里で、「対馬国」に着く。★南に一海を渡ること千余里、「一大国」(一支・壱岐)に着く。★海をわたること千余里で「末廬国」(まつろこく。松浦付近)に着く。★東南に陸行五百里で、「伊都国」(いとこく・いつこく。糸島付近)に着く。★東南の「奴国」(なこく・ぬこく。博多付近)まで百里。(※)尚、「奴国」は、西暦56年に古代中国の「後漢」の光武帝が「漢委奴國王」と印字された金印を授けたことで有名です。この「金印」は、江戸時代に志賀島(現・福岡県福岡市東区の半島)で発見され、現在では、東京国立博物館が所蔵しています。この金印の発見により、「奴国」が現在の福岡市に存在していたことが確実になりました。(漢委奴国王印:東京国立博物館蔵)★東行して「不弥国」に(ふみこく・ふやこく)まで百里。(※)「不弥国」までは、現在の北九州に存在していたことは確実です。問題はここからで、「不弥国」から南に向かう「九州説」と、東に向かう「畿内説」に分かれるのです。(邪馬台国への行程図)★南へ「投馬国」(とうまこく、つまこく)に至る、水行二十日。(※)「不弥国」から水行二十日の行程の「投馬国」、果たして何処にあったのか?上掲の図をご覧ください。上掲の図は、邪馬台国畿内説と九州説の2通りの経路が示されています。畿内説では「投馬国」は広島県の「鞆の浦」(とものうら)辺り、九州説では、宮崎県の「西都市」(さいとし)辺りとする説が有力のようです。しかし、リュウちゃんは思い切って想像を膨らませ、「投馬国」を奈良の「當麻寺」(たいまでら)の辺りにあった考えるのです。先ず、「とうま」と「たいま」の音読みが似ている。そして、もう一つの類似性を、「魏志倭人伝」の続きの記述から拾ってみました。★(投馬国の)官を彌彌(みみ。耳・美々か)と言い、副官を彌彌那利(みみなり。耳成・耳垂か)と言う。思わぬ所に「耳成」という言葉が出てきた!これは大和三山の「耳成山」の由来になった言葉だと考えるのが合理的ではないだろうか?「當麻寺」と「耳成山」は直線距離で10キロ程度、恐らく、古代の「投馬国(當麻国)」の領内に「耳成山」も入っていたのだろう。「耳成」は、邪馬台国畿内説の重要なキーワードになりそうだ!最後に、古代の奈良の豪族の分布図を貼り付けます。以下の図は、多分、邪馬台国時代から2~300年後の勢力図のようですが、古代史を想像する上の参考になると思います。尚、下の図で、「當麻寺」は中央下部の「葛城氏」の表記のある辺り、右側(東)に「大和三山」があります。「纏向遺跡」は、図の右側中央下の「大王家」と表記された辺りにあるのです。奈良は何処でも、古代のロマンと謎に満ちているのだ!
2023年11月03日
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6年ぶりの「山の辺の道」縦断、まだ彼岸花が咲き残っていた!10月2日、6年ぶりに奈良の「山の辺の道」(南コース)を縦断遠足して来ました。「南コース」はJR(近鉄も同じ)「天理駅」からJR「三輪駅」に至る全長16キロの「古代の道」です。途中、寄り道や回り道をしますので、実際に歩く距離は20キロ位になります。(「山の辺の道」:南コース)ここで改めまして、「山の辺の道」の南コースをウィキペディアの記述に基づいて。紹介させて頂きます。<山の辺の道・南コース>★天理市の石上(いそのかみ)神宮から笠置山地の麓にそって、三輪山の麓にある大神(おおみわ)神社までの約16キロの道、現存する「日本最古の道」である。★途上には、「内山永久寺跡地」、「夜都岐神社(やつぎじんじゃ)」、「竹之内環濠集落」、「念仏寺」、「長岳寺」、「崇神天皇陵」、「景行天皇陵」、「檜原(ひばら)神社」、「纏向(まきむく)遺跡」、「箸墓(はしはか)古墳」などの古代~近代のヤマトの歴史的な遺跡、神社が点在している。尚、「纏向遺跡」は古代、卑弥呼女王が治めた「邪馬台国」の有力な候補地で、また、「箸墓古墳」は卑弥呼の墓だとの説が有力である。★「大神神社」から直線距離で約5キロのところに、持統天皇が治めた「藤原宮跡」があり、「藤原宮跡」から南に1キロほどの所には、古代天皇の宮跡が幾つもあった明日香村がある、推古天皇の補佐をした聖徳太子は飛鳥の地から「山の辺の道」の一部を辿り、法隆寺に通勤したようだ。★「万葉集」に詠まれた「山の辺の道」に関連する歌<味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに い隠(かく)るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(みさ)けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや >(額田王、巻1・17)<三輪山を然(しか)も隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや> (額田王。上記長歌の反歌、巻1・18)<衾道を引手の山に妹を置きて山路を行けば生けりともなし >(柿本人麻呂)「山の辺の道」は、古代ロマンの道なのだ!例によりまして、女房殿お手製の「おにぎり弁当」と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、朝8時に家を出発、8時50分、スタート地点の「天理駅」に到着、久々の「山の辺の道」無事にゴールの大神神社に辿り着けますことやら?9時20分、石上神宮が見えてきました。おお、まだ彼岸花が咲いている!柿も実っている。こりゃ、彼岸花と柿の木行脚になりそうだ。石上神宮に到着。神宮の神鶏がお出迎えだ。「内山永久寺」跡地の手前の松尾芭蕉の句碑です。うち山や とざましらずの 花ざかり「内山永久寺」跡地の石垣の上に登りました。石垣の上から、生駒山が見渡せました。「内山永久寺」は平安時代に建立、大和では東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ待遇を受ける「大寺院」で、松尾芭蕉がここを訪れた頃は、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、「西の日光」讃えられたようです。明治の「廃仏毀釈」によって徹底的に破壊され、現在では、この石垣と、石垣の上に建てられた「大和名所図会所収の境内図」のみが往時の栄華を留めるに過ぎないのです。正に夏草や つわものどもが 夢の跡ですね。ここ辺りは「柿」の名所なのだ!細い山道が続きます。「山の辺の道」で、この辺りが一番の難所なのだ!「難所」を過ぎ、広い舗装路を下った「みかん畑」の傍に「十月桜」(?)が咲いていました。「みかん畑」から、次のマーキングポイントである「夜都岐神社(やつぎじんじゃ)」に向かいます。沿道には、点々と彼岸花が咲いている。「夜都岐神社」の鳥居です。春には、この鳥居の右手にある土手の桜が見事なのですが、本日も境内には入らず、鳥居の前を通り過ぎたのです。「夜都岐神社」の鳥居を通り過ぎた辺りから、沿道の彼岸花が濃くなって来ました。ここは「山の辺の道」の、彼岸花のメッカだ!白い彼岸花も見られた!<西山塚古墳>ちょっと見では「円墳」にしか見えないのですが、全長114mの巨大な前方後円墳です。史跡に指定されていないので、古墳はみかん畑になっている!<念仏寺>「念仏寺」の墓地に入ります。墓地のお地蔵様と彼岸花のコラボ、まるで浄土世界に入ったようだ!「念仏寺」から、次のマーキングポイントの「長岳寺」に向かいます。道筋には、彼岸花、芙蓉、コスモスが咲いていた。正に「秋たけなわ」だ!<長岳寺>正午、「山の辺の道」の南コースの中間点に位置する高野山真言宗の古刹、「長岳寺」に着きました。この古刹は、平安時代の初期に空海によって建立されたようです。境内の桜並木の根本に、彼岸花が咲いていました。「長岳寺」の横に、「山の辺の道」をハイキングする人の休憩所である「天理トレイルセンター」があります。当初の予定通り、ここのベンチで昼食、プファ~、ビールが旨い!秋晴れの下、おにぎりも美味しい!これで桜が咲いていたら、最高なのだが、、、(6年前に撮ったトレイルセンターの枝垂れ桜)<崇神(すじん)天皇陵>昼食を終えて、午後1時、トレイルセンターを出発、眼前に第10代・崇神天皇陵が見えてきました。崇神天皇陵は全長242mの巨大前方後円墳です。「山野の辺の道」道筋にある古墳としては、これから訪れる「景行天皇陵」、「箸墓」に次ぐ、巨大古墳なのです。崇神天皇陵は、「山の辺の道」の第3の巨大古墳だが、景観はピカ一なのだ。陵の周りにも。彼岸花。コスモス、萩、ススキが秋の風情を醸し出していました。<景行天皇陵>様々な花を愛でながら、景行天皇陵に向かいます。前方に、景行天皇陵が見えてきました。第12代景行天皇は、熊襲征伐、東国征伐で英雄と称えられる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父、陵は全長300mの前方後円墳で、「山の辺の道」の最大の古墳、全国でも第8位の巨大古墳です。「山の辺の道」は、「巨大古墳の道」なのだ!前方に、ゴールの「大神神社」の神山である「三輪山」が見えてきました。もうゴールは近いのだ!花を愛でながらゴールに近づこう。<檜原(ひばら)神社>午後3時、ゴールの大神神社から1,5キロ手前にある摂社・「檜原神社」に到着しました。「檜原神社」は全国的にも珍しい「三ツ鳥居」のある神社で、パワースポットとしても有名な神社のようです。(「檜原神社」の「三ツ鳥居」)<檜原神社の「元伊勢」伝承>「檜原神社」は、「元伊勢」の最初の伝承地です。以下、<貴重な三ツ鳥居がある檜原神社は、古代太陽信仰に彩られた秘密のパワースポット>という長いタイトルのサイトから、「元伊勢伝承」の記述をコピペします。<元伊勢伝承>天照大神(あまてらすおおみかみ)が現在の伊勢神宮(内宮)に鎮座されるまでの間、各地を放浪し一時的に鎮座された場所のことは「元伊勢」と呼ばれているのですが、伝承によるとその一つがこの檜原神社だとのこと。もちろん御祭神も伊勢神宮(内宮)と同じ天照大神です。かつて天照大神は宮中で祀られていたそうなのですが、第10代・崇神天皇の御代に疫病が蔓延したことから、崇神天皇は皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に天照大神の神霊を託し「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に祀らせました。その倭笠縫邑が檜原神社であったというのです。(上掲の記述に続く以下の記述と「図」は、(<太陽神と旅した皇女・倭姫命(祈りの回廊のコラム)>)からのコピペです。 それから年月が経ち、疫病も平癒した垂仁天皇の御代に、天照大神は豊鍬入姫命から離されて、今度は垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)に託されます。倭姫命は、倭笠縫邑を出発し、天照大神が鎮座する場所を求めて、まずは菟田(うだ)の筱幡(ささはた)へ。そこから近江(滋賀県)、美濃(岐阜県)を巡って、伊勢国に至り、現在の三重県の伊勢神宮の地に奉斎されることになります。(この図は「祈りの回廊」のサイトから拝借しました) 倭姫命はその間およそ40年ほどの歳月をかけ、天照大神が鎮座する場所を探して旅をしました。『日本書紀』に登場する倭姫命の足跡は、倭笠縫邑と菟田の筱幡のみです。一方、平安時代成立の『皇太神宮儀式帳』や、鎌倉時代成立の『倭姫命世紀』には天照大神を祀った多くの場所が記載されています。この倭笠縫邑から伊勢神宮に至るまで、一時的に天照大神を祀った神社や場所は「元伊勢」と呼ばれています。(倭姫命の伊勢までの道のり)天照大神を祀る「元伊勢の旅」は崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命から、垂仁天皇の皇女・倭姫命に受け継がれた。倭姫命は40年も「伊勢神宮」を探す旅をした。この旅、苦難の旅だったのか?それとも、「ロマンの旅」だったのか?少し疲れましたので、檜原神社の参道の横にある茶店で「葛餅」と缶ビール(2缶)を注文して一服、プファ~、ビールが旨い!「山の辺の道」の旅は、「ロマンの旅」なのだ!<箸墓(はしはか)>檜原神社の参道を降りて行った所に、全長278mの前方後円墳である「箸墓」があります。「箸墓」は全国古墳ランキング」で11位の古墳で、「山の辺の道」沿いの古墳としましては、「垂仁天皇陵」に次ぐ巨大古墳なのです。「箸墓」の被葬者は、宮内庁によって、第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと、漢字も読み方もややこしい!)とされていますが、もう一つは、古代の邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓所という説で、リュウちゃんは「山の辺の道」を歩く時には、「卑弥呼説」を固く信じて散策するのです。リュウちゃんの<箸墓=卑弥呼の墓所>説の根拠は単純です。邪馬台国のことが唯一記述されている中国の「魏志倭人伝」に記述されている国名:地名は、すべて当時の日本人が語った「音声」を当時の中国の漢字に変換したものです。従いまして、中国式漢字表記の以下の言葉は、日本式の漢字に、以下のように置き換えることが出来ると考えているのです。邪馬台国=倭(やまと)国=大和国卑弥呼=姫巫女今回は行かなかったのですが、「箸墓」の近くに「纏向(まきむく)遺跡」という弥生時代の遺跡があります。以前からここは邪馬台国の有力候補地だったのですが、170回に及ぶ発掘調査により、以下の写真のような大きな高床式の建物が何棟も建てられていたことが判りました。一際大きな建物、女王卑弥呼の住居だった!???(纏向遺跡建物復元図)<大神(おおみわ)神社>「箸墓」から15分位歩きますと、眼前に大神神社の「大鳥居」が見えてきました。いよいよゴール近しだ!「大鳥居」を潜りますと、10分位で「大神神社」に到着です。6年ぶりの大神神社参拝、ご利益があるかな?境内の杉の根本の彼岸花、正に「見頃」だ!朝8時50分、天理駅を出発、途中、2回の「ビール休憩」を挟み、午後4時30分、帰路の「JR三輪駅」に到着、約6時間歩きっぱなしの旅も無事に終了しました。「山辺の道」縦断旅は古代ロマンを求める旅、ロマンがあれば6時間歩きっぱなしもへっちゃらなのだ!
2023年10月27日
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藤井聡太さん、8冠達成おめでとうございます!(藤井聡太8冠)2023年10月11日午後9時ジャスト、藤井聡太7冠は第71期王座戦五番勝負の第4局で長瀬拓矢王座に138手で勝利し、21歳2か月で史上初の八冠独占を成し遂げました。(王座戦第4局終局の瞬間)(第4局投了図大盤の前で解説する藤井新8冠)第4局終局後、藤井新8冠はインタビューに答え、以下のようなコメントをしました。「ここ1年はタイトル戦の結果は良かったんですけど、それに見合った力があるかというと、まだまだなのかなと思う。引き続き、実力をつけていくことが必要」棋士になってから7年と11日での8冠独占達成、改めましておめでとうございます!藤井ファンのリュウちゃん、今年の1月14日に、以下のブログを更新しました。<将棋・8大タイトル独占成るか? 2023年の藤井聡太5冠>あの時から僅か9か月で、8大タイトルを独占してしまった!ここで改めまして、棋士になってから8冠になるまでの軌跡を年度別に追ってみます。<2016年>★10月1日、14歳2か月(史上最年少)でプロ入り、12月24日、レジェンド加藤一二三戦と初対局、白星デビュー。<2017年>★2016年度(2016年4月~2017年3月)の成績は10勝0敗、デビューから続いた連勝記録は、29連勝(この連勝記録は、まだ破られていない)★第11回朝日杯オープン戦優勝(初の全騎士参加の公式戦優勝)〈2018年〉★新人王戦優勝、朝日杯オープン戦連覇、七段昇段(15歳9カ月)、★2018年度の対局料・賞金トータル2031万円(ランキング第12位)、★2018年度成績:45勝8敗、勝率:8割4分9厘、<2019年>★順位戦B級2組昇級、2019年度成績:53勝12敗、勝率:8割1分5厘、★2019年度の対局料・賞金トータル2108万円(ランキング第9位)<2020年>★第91期棋聖戦5番勝負で、渡辺 明棋聖を3勝1敗で下し、初タイトル獲得(17歳1カ月、タイトル獲得最年少記録更新)★第61期王位戦7番勝負で、木村一基王位を4連勝で下し、「棋聖」と併せ、タイトル2冠獲得、★一般棋戦では、「銀河戦」、「朝日杯オープン戦」で優勝、順位戦B級2組で10戦全勝、2021年度B級1組昇級を果たす。対局料・賞金トータル4554万円(ランキング4位)、2020年度成績:44勝8敗、勝率:8割4分6厘、<2021年>★第92期棋聖戦5番勝負で挑戦者の渡辺 明名人を3連勝で下し、タイトル初防衛、★第62期王位戦7番勝負で、これまで苦手としていた豊島将之竜王を4勝1敗で下し、王位防衛、第6期叡王戦5番勝負では、豊島将之叡王に挑戦、3勝2敗で豊島叡王を下しタイトル3冠目獲得、第34期竜王戦7番勝負では豊島将之竜王に挑戦、4連勝のストレート勝ちで4冠目の「竜王位」獲得、名実共にトップ棋士となった。第71期王将戦7番勝負では、渡辺 明王将に挑戦、4連勝のストレート勝ちで5冠目の「王将位」を獲得した。B級1組順位戦は、10勝2敗で、2022年度のA級昇級を決めた。対局料・賞金トータル6996万円(ランキング3位)、2021年度成績:52勝12敗、勝率:8割1分3厘、<2022年>★タイトル5冠堅持、★第7期叡王戦五番勝負で、出口若武士六段に3連勝で勝利、タイトル防衛、★第93期棋聖戦五番勝負で、永瀬拓矢王座に3勝1敗でタイトル防衛、★第63期王位戦七番勝負で、豊島将之九段に4勝1敗でタイトル防衛、★第35期竜王戦七番勝負で、広瀬章人八段に4勝2敗でタイトル防衛、★第43回将棋日本シリーズ(JT杯)決勝で斎藤慎太郎八段を下し、初優勝★2022年度、タイトル戦ではない4つの公式棋戦(NHK杯戦、JT杯戦、朝日杯オープン戦、銀河線)で全て優勝、グランドスラム達成、★対局料・賞金トータル1億2205万円、初めて1億円突破、ランキング1位となる。★2022年度成績:53勝11敗、勝率:8割2分8厘、<2023年>(3月)★第72期王将戦七番勝負で、タイトル獲得数99期の大記録をもっているレジェンド・羽生善治九段の挑戦を受け、4勝2敗でタイトル防衛、★第48期棋王戦挑戦で、渡辺 明棋王に3勝1敗で6冠目の棋王位獲得、★第81期A級順位戦で7勝2敗で名人挑戦プレーオフ進出、プレーオフで広瀬章人八段に勝ち、名人戦の挑戦者となる。(5月)★第8期叡王戦五番勝負で、菅井竜也八段に3勝1敗で防衛、★第81期名人戦七番勝負で、渡辺 明名人に4勝1敗で勝利、待望の名人位獲得及び7冠となる。(7月)★第94期棋聖戦五番勝負で、佐々木大地七段に3勝1敗で勝利、タイトル防衛。佐々木七段、千葉県に住んでいる孫姫4姉妹のパパにソックリだ!(佐々木大地七段)(8月)★第64期王位戦七番勝負で、佐々木大地七段に4勝1敗で勝利、タイトル防衛、(10月11日)★第71期王座戦五番勝負で永瀬拓矢王座に3勝1敗で勝利、8タイトル独占!藤井聡太8冠となる!(10月)★第36期竜王戦七番勝負で、伊藤 匠(たくみ)七段が挑戦者になる。(伊藤 匠七段)伊藤七段は、藤井8冠より誕生日が約3か月遅い同年齢、第36期竜王戦第1局が指された時点で藤井8冠は21歳、伊藤七段は20歳、2人の対局者の年齢の合計が41歳、年齢合計が史上最年少の対局なのです。尚、藤井8冠と伊藤七段は共に小学校3年生だった2012年1月、「小学館学年誌杯争奪全国小学生将棋大会」の準決勝で対局し、この時は伊藤が藤井に勝ったのですが、負けた藤井は人目もはばからず、おいおいと泣きじゃくったとういうエピソードが残されています。(賞状を掲げる3少年、向かって左が伊藤 匠、右が藤井聡太少年)<8大タイトル獲得の段階図>(日テレニュースより転載)<藤井聡太のタイトル戦全成績>(日刊スポーツより転載)タイトル戦通算成績は64勝16敗、勝率:8割ちょうど、これまで登場した18回のタイトル戦番勝負のすべてに勝利、現在までのタイトル獲得数は18回(棋聖戦:4回、王位戦:4回、叡王戦:3回、竜王戦:2回、王将戦:2回、棋王戦:1回、名人戦:1回、王座戦:1回)となります。18回連続タイトル戦勝利!この大記録、どこまで伸びるのだろうか?前回のブログでリュウちゃんは、以下のように書きました。若し今年、8冠を独占したとしますと、今後少なくとも10~15年位はタイトル独占状態が続きそうです。何しろ、これまで出場した11回のタイトル戦は、パーフェクト勝利!、敗け知らず!強すぎて好敵手がいない。今後10年位は、好敵手が出現しないと思われる。恐らく、10年後の30歳の時点では、大山康晴15世名人の持つ「通算タイトル80期」の記録を抜き、35歳までに、「通算タイトル100期」の新記録を達成すると思われる。「今後10年位は、好敵手が出現しないと思われる」とい書きましたが、以下に、今後、藤井8冠の好敵手になりそうな将棋士を敢えて挙げてみます。その前に、2023年10月13日時点でのレーティング・ベスト10を挙げてみます。尚、このレーティングは以下のサイトから抜粋しました。<将棋連盟 棋士別成績一覧(レーティング)><2023年10月13日現在のレーティング・ベスト10>(1位)藤井聡太8冠:2105点、(2位)永瀬拓矢九段:1924点、(3位)豊島將之九段:1916点、(4位)羽生善治九段:1865点、(4位)伊藤 匠七段:1865点、(6位)菅井竜也八段:1864点、(7位)佐々木大地七段:1860点、(8位)渡辺 明九段;:1847点、(9位)佐々木勇気八段:1829点、(10位)広瀬章人八段:1821点(※)藤井8冠の前の「絶対王者」羽生善治九段の最高レーティングは、2014年7月に記録した2003点でした。藤井8冠の最高レーティングは、2023年8月に記録した2106点、既に全盛時の羽生九段の最高レーティングを100点以上も上回る「史上空前のハイレベル」なのです。<永瀬拓矢九段>(永瀬拓矢九段)現在のところ、藤井8冠のライバルと目されているのが、永瀬拓矢九段です。先の王座戦では、藤井8冠と互角以上の死闘を演じ、藤井の師匠・杉本八段のコメントで、「改めて永瀬さんの強さを再認識した」と言わしめた強豪です。藤井8冠にとりましては、永瀬九段は唯一の練習対局のパートナーです。この関係は、藤井8冠が棋士になって間もない頃、非公式戦の「炎の七番勝負」の時から始まったようです。この七番勝負では、14歳だった藤井四段が、羽生九段を始めとするトップ棋士7人と対局し、藤井四段は何と、6勝1敗という驚異的な好成績を収めたのですが、その時、唯一、負けたのが永瀬六段(当時)だったのです。これをきっかけに、勝った永瀬六段のほうから、「1対1の練習対局」を申し込み、大抵は10歳年長で段位も上の永瀬のほうから、藤井の拠点である名古屋に赴き、練習対局を指したのだそうです。藤井8冠のライバル、永瀬九段は、お互いの実力を認め合い、尊敬し合う仲だったのだ!<伊藤 匠(たくみ)七段>(伊藤 匠七段)前述しましたように、小学校3年生の時に藤井8冠を「号泣」させた棋士です。年齢は藤井8冠と同じ21歳ですが、誕生日が藤井より遅いため、現在、全棋士中、2番目に若い棋士です(藤井8冠は3番目に若い棋士です)棋士(四段)になったのは2020年10月1日、ギリギリ17歳の時でした。今年度の成績(10月13日まで)は27勝6敗、勝率:8割1分8厘、藤井8冠とほぼ同じの高い勝率です。特に、現在進行している竜王戦では、ランクが下から2番目の「5組」から勝ち進み、9連勝して、永瀬王座(当時)と「挑戦者決定3番勝負」を戦い、見事に2連勝して、藤井竜王との7番勝負に挑むことになりました。藤井竜王の挑戦者になるまで、11連勝!しかも、永瀬九段に2連勝!伊藤七段の強さは本物なのだ!今期の「竜王戦」、楽しみだ!<藤本 渚四段>(藤本 渚四段)昨年10月1日に棋士(四段)になったばかりの新人です。年齢は18歳、現在、最年少棋士なのです。今季成績は22勝5敗、勝率8割1分5厘、現在、新人王戦3番勝負に挑んでいます。まだ藤井8冠との対局はないのですが、近い将来の対局が楽しみなのです。<鎌田美礼(かまだみれい)女流2級>(鎌田美礼女流2級)2008年6月生まれ、現在、15歳(中学3年生)、13歳の時に女流プロ2級になった新星です。現在、最年少の女流棋士なのです。以下鎌田女流2級の動画を幾つか紹介します。(1) デビュー戦直後のインタビュー、<人に見られて恥ずかしくない将棋を指したい>(2)王位戦第1局の終局後、師匠の石田和雄九段とのインタビューで、<指してて寂しそう、でも>(3)王位戦第1局の大盤解説で、藤井8冠の印象を聞かれて、鎌田女流2級「(藤井さんって)(実在するんだ」<実在するんだ>鎌田美礼女流2級は、藤井8冠の将来のライバルにはなり得ないと思いますが、「将来のお嫁さん候補」としてここに挙げてみました。少女漫画に登場するような美少女棋士、リュウちゃんは既にファンなのだ!<藤井8冠とAI>藤井8冠といえば、よく「AI将棋の申し子」とか、「AI超え」などと云われ、研究に自作のPCを使っていることで有名です。(自作のPCで研究する藤井8冠)彼が研究にPCを使うようになったきっかけは、ウィキペディアの記述によれば、以下のようです。藤井が将棋ソフトを研究に用いるようになったきっかけは、三段時代の2016年5月に千田翔太から勧められたことであり、千田からは将棋ソフトのインストールの方法も教わった。将棋ソフトによる研究の影響で三段時代に矢倉から切り替えて角換わりの採用が増えたとも言われている。また、揺らぎやすい戦いを好まない藤井はデビュー以降先手番で相掛かりを選択してこなかったが、2020年秋に藤井が研究に導入した新しい価値観を持つとされるディープラーニング系の将棋ソフト「dlshogi」の影響で、2021年2月から2022年5月までは相掛かりの採用が増えていた。2020年にはCPUで動かすNNUE系の将棋ソフト「水匠」を利用していることを明かしている。その後、2020年度の王将リーグが終わった頃に、プロ棋士の中でもいち早くGPUで動かすディープラーニング系の将棋ソフト「dlshogi」を導入した。藤井は「dlshogi」が従来のCPUで動かす将棋ソフトと比較して序盤に優位性があると認識しているが、終盤は「水匠」の方が正確な場合が多いとも評している。「dlshogi」を研究に導入してから、ディープラーニング系の将棋ソフトに特徴的な手が見られるようになったと指摘する声もある。2021年のインタビューでは、将棋の勉強法として棋譜並べや詰将棋といった通常の方法のほか、将棋ソフト開発に利用される互角局面集を使って中盤の互角の局面から将棋ソフトと対局し、中盤の判断力を改善していると語っている。将棋ソフトを用いて序盤以外の局面で自分の評価軸をただすという使い方について、将棋ソフト「水匠」の開発者である杉村達也は「とてもめずらしい使い方で、ほかにあまり聞いたことがありません」と述べている。将棋は、序盤―中盤―終盤と進行するゲームです、「序盤」は、殆んどの戦法で」「定跡」(囲碁では定石といいます)が確立されていまして、プロの対局では、30~50手位までの「序盤」はあまり時間を使わずにスイスイと進むのですが、「中盤」にかかりますと、指し手が一手に付き100通り位あります。2手で10000通り、3手で1000000(百万)通り、4手で100000000(一億)通り、5手で10000000000(百億)通りの手順があることになります。つまり、「5手先」の最善手を完璧に読むためには、百億通りの手順を読まなくてはならないということになります。藤井8冠が「中盤」にかかる時点で、いつも「大長考」するのは、無限にある手順から「最善手」を探し出そうとしている作業だと推測されます。上掲のウィキペディアの記事に、「中盤の互角の局面から将棋ソフトと対局し、中盤の判断力を改善していると語っている」とありましたが、藤井8冠は自作のパソコンで、無限に近い指し手のある「中盤」から「終盤」にかけての「最善手」を探しているものと思われます。藤井8冠は具体的にどんなパソコンを作っているのか?この疑問については、以下のサイトの記事が参考になりそうです。<藤井聡太8冠のさらなる高みへ、世界的半導体企業「日本AMD」最新型CPUを完成次第提供へ>以下、上記サイトの記事をコピペします。藤井は人工知能(AI)を使った将棋ソフトで将棋研究を深めている。ソフトの「読み」のスピードを高めるために、極めて高性能なCPUを組み込んだPCを自作しており、処理速度は世界最高水準とされる。日本AMDは22年9月に藤井とCM出演などの広告契約を結んだと発表。販売店などで当時約100万円で取引されていた「Ryzen Threadripper(ライゼン・スレッドリッパー)PRO 5995WX」を提供してきた。前人未到の8冠全制覇を成し遂げ、さらなる高みを目指す藤井聡太8冠(21)へ、世界的半導体企業「AMD」(本社米国)の日本法人「日本AMD」が12日、藤井が将棋研究のための自作パソコン(PC)で使用している同社CPU(中央演算処理装置)の最新型が完成次第に提供し、さらなる進化に協力することを明言した。藤井の8冠達成を受け、関路子代表取締役副社長は取材に「サポートさせていただけたのであれば、大変光栄に思っております」と語り、「新製品が出た際にはまたご提供できればと思います」と明言。日々進化するCPUの最先端版でのサポートを約束した。お祝いの記念品を贈ることも検討している。関氏は「今後も将棋界を盛り上げていただけるような活躍をしていただきたい。期待も込めて、おめでとうございますとお伝えしたい」と祝福した。日本AMD公式Xも12日、8冠達成を祝い「AMDはこれからも歴史に名を刻み続ける、藤井さんの挑戦を応援していきます」などとつづった。藤井はAMDの会長兼最高経営責任者(CEO)であるリサ・スー氏を「世界で最も会いたい人」として挙げ、7月に都内で対談を果たした。通訳を介し、AMDに期待することなどを話していたという。関氏は「藤井さんにご活用いただけるような製品を今後も作っていきたい」と力を込めた。【沢田直人】う~ん、ANDのサポートで、藤井8冠のAI将棋研究は、益々前進していくようだ!10月12日、岸田首相は、藤井8冠に「内閣総理大臣顕彰」を授与すると表明しました。「内閣総理大臣顕彰」とは、「国家、社会に貢献し顕著な功績のあったものについてこれを顕彰することを目的」とする。表彰の対象は、国の重要政策や防災・災害救助、道義の高揚、学術・文化の振興などの6項目のいずれかに貢献のあった「全国民の模範と認められるものその他内閣総理大臣が表彰することを適当と認めるもの」であり、個人や法人に限らず団体も含まれ得る。表彰されたものには表彰状および盾が授与され、その際に金一封をそえることもできるとされている」で、これまで、羽生善治九段(7大タイトル独占、国民栄誉賞も受賞)囲碁の井山裕太九段(7大タイトル独占、国民栄誉賞も受賞)などが受賞しています。但し、現在では「国民栄誉賞」の下位に位置づけられていて、受賞してもあまり話題にはなりません。岸田首相殿藤井8冠に「内閣総理大臣顕彰」を授与するのであれば、副賞として、1日の使用料が3千万円掛かるとされる「スパコン富岳」の年数回の無料使用を授与して欲しい!(スーパーコンピューター富岳)10月17日から18日にかけて、藤井8冠としての最初のタイトル戦、「第36期竜王戦七番勝負第2局」が、京都の仁和寺で指されています。挑戦者は本ブログでも紹介した伊藤 匠七段、(竜王戦第2局・開始の風景)尚、この対局は、以下の「アベマ無料将棋チャンネル」で、無料で視聴出来ます。<アベマ無料将棋チャンネル>藤井聡太様、改めましてタイトル8冠独占おめでとうございます。この上は、益々精進されて、「将棋の神」に近づかれることを、ファンの一人として期待しています!
2023年10月17日
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稲渕の棚田の奥に咲く黄色い彼岸花、今年も巡り合うことが出来た!(前回のブログの続きです)「あすかびーる」3本の「昼食」を終えて、午後1時過ぎに「石舞台」を出発、次の目的地である「稲渕の棚田の案山子ロード」に向かいました。「あすかびーる」を3本飲んで元気回復!この勢いで、ずっと上り坂の「稲渕の棚田」を目指すのだ!「石舞台」から「稲渕の棚田」までは、徒歩約30分の行程なのですが、ずっと「上り坂」ですので、後期高齢者のリュウちゃん、歩いて辿り着けるか、ちょっと危ぶんでいたのいですが、「あすかびーる」3本飲んだおかげで元気百倍!当初の危惧はどこかへ吹っ飛んでしまったのです。以下の写真は、「稲渕の棚田」までの道筋で撮りました。流れる川は明日香村を縦断する「飛鳥川」です。「石舞台」から20分位歩いた眼前右手に「稲渕の棚田」が拡がって来ました。「稲渕の棚田」は、約300枚余りの水田と畑で構成されている横に広い棚田です。平安時代頃から開墾された古い歴史のある棚田で、1999年(平成11年)、「日本の棚田百選」の一つに選ばれました。また、2011年(平成23年)には、「重要文化的景観」の一つに選定されました。車道から小滝のある小道に下りて稲渕の棚田に入ります。ここは名物の「案山子ロード」今年も沿道脇に面白い案山子がお出迎えだ!<花と昆虫><万太郎上人!!>NHK朝ドラ「らんまん」ネタですね。<子泣きじじいさん><彼岸花と飛鳥美人><おいしい明日香の苺><ユニトピア 明日香><みんなでさんぽ><明日へ羽ばたく花トンボ><明日香に住む花の妖精さん♪><花と虫 自然いっぱいのカブ>「カブ」は、宮崎アニメ「ハウルの動く城」の案山子キャラです。<とれた~!!><ひまわり公園><少女時代に思いを馳せて><棚田のあおむし><稲刈りをする女の子>この案山子、今年のリュウちゃんの「可愛い案山子」大賞だ!<棚田号 出発進行!><ヤッホー!! 明日香村で大冒険!!>今年の「明日香村村長賞」を獲った案山子です。このキャラ、何だったのかな?今年の「ジャンボ案山子」です。この「ジャンボ案山子」、タイトルが付いていませんので、何を表現したのか、よく判りませんが、幾つかのネット記事では、顔は「笑福亭鶴瓶」のようだ」と書かれていました。リュウちゃんは、「笑福亭鶴瓶」というよりも、「柳家 金語楼」だ!と思ったのでした(古い!)新しいNHK朝ドラ「ブギウギ」のモデル、笠置シズ子にもちょっと似ている???<笠置シズ子「買い物ブギー」>v=Q_tHACJ12kw (上のリンクの右側のローマ字の部分をクリックしてください)<稲渕の黄色い彼岸花>「案山子ロード」の果てる先に、「白い彼岸花」と「黄色い彼岸花」の咲いている場所があります。遠目で見たところでは、少しだけ咲いているようだ。近づいて見なしたところ、少しだけ咲いていました。やれやれ、稲渕に来た甲斐があった!(※)「黄色い彼岸花」は、正式名称を「鐘馗水仙(ショウキズイセン)」といいます。通常の赤い彼岸花と同じヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草で、草全体にアルカロイド系の強力な毒を持っていることも共通しています。彼岸花は古代に中国から伝来した植物ですが、伝来した時から大半は3倍体で、種子を作らす(不稔性、動物では不妊性)で、球根の分裂で増えていくようです(稀に2倍体の赤い彼岸花がありますが、これは「コヒガンバナ(小彼岸花)」と呼ばれていますが、普通の3倍体の赤い彼岸花との区別は殆どつけられないようです)。「赤い彼岸花」の大半は3倍体ですが、白い彼岸花、黄色い彼岸花は種子を作る(稔性)の2倍体の植物である為、他の2倍体の彼岸花と交配により、様々な園芸品種の彼岸花が作出されているのだそうです。黄色い彼岸花は2倍体の植物なのに、何故、稲渕でしか咲いていないのか?ちょっと不思議。黄色い彼岸花が咲いている土手の上には、白い彼岸花の「小群生地」です。ここの白い彼岸花、ほぼ満開だ!稲渕地区を後にしたのが午後3時ちょっと前、これまではずっと登り道だったが、ここからはずっと降り道、やっとゴールに辿り着く目途が付いた。<橘(たちばな)寺>午後3時30分、眼前に「橘寺」が見えてきました。「橘寺」の下の稲田の畔は明日香村屈指の彼岸花の名所なのです。境内に入ります。「橘寺」は聖徳太子生誕の地と云われており、「聖徳太子建立七大寺」の一つとされています。建立は7世紀の始め頃ですので、「飛鳥寺」に次ぐ日本最古の寺院の一つと云えそうです。以下、境内で撮った写真をアップします。寺の名前に因んだ「橘」も境内に植えられていました。<二面石>「飛鳥の謎の石造」の一つです。片面が、もう片面が悪相なのですが、風化してしまって、どちらが善相か悪相か、判別がつかない。聖徳太子の愛馬「黒駒」像です。聖徳太子は「黒駒」に乗って明日香から法隆寺に「通勤」したのだそうです。(この銅像は平成12年に建立されました)境内の桜の大木の根本に、ちょとだけ彼岸花が咲いていました。午後3時30分、「橘寺」を後にして、「亀石」に向かいます。「橘寺」から「亀石」への道筋、ここも明日香村屈指の彼岸花の「見所」なのだ!<亀石>道筋の右手に、「飛鳥の謎の石造物」の一つ、「亀石」が見えてきました。「亀石」は、高さ1,8m、長さ3,6mの巨大な花崗岩の前面下部だけに、カエル(亀)のようなユーモラスな顔が彫られた石造物です。明日香村にある「酒船石」、「鬼の雪隠」、「鬼の俎(まないた)」、それと「亀石」などは、誰が、何の為に造ったのか、現在でも定説がありませんので、「飛鳥の謎の石造物」と呼ばれています。昭和50年に刊行された松本清張の長編歴史ミステリー小説「火の路」では、これらの謎の石造物は、古代ペルシャから渡来した「ゾロアスター教(拝火教)」の影響を受けた遺跡ではないかと、大胆な推理をしています。30歳の頃に「火の路」を読んだリュウちゃん、読後、明日香村はいっぺんに「憧れの古代ロマンの地」になってしまったのです。読んだ時には東京勤務だったのですが、36歳の時に転勤で大阪勤務になりましたので、「これ幸い!」と、明日香村に近い奈良に住むようになったのです。―閑話休題―あれ?いつも亀石の下に赤い彼岸花が咲いている筈だが、今年は全く芽も出ていない。残念!「亀石」の横に、無人休憩所があります。少し歩き疲れたので、休憩所の自動販売機で缶ビールを買って、暫し休憩。プファ~、ビールが旨い!今年も初秋の明日香村を堪能出来た。良かった!(休憩所の前の素朴な看板です)休憩所からゴールの「近鉄飛鳥駅」までは、約20分、途中、「天武・持統陵」を経由し、午後5時ちょっと前、「ゴールイン」しました。午前9時10分にスタート地点の「近鉄畝傍御陵前駅」を出発、午後5時にゴール地点の「近鉄飛鳥駅」に到着、休憩を1時間取った以外は、歩きっぱなしの7時間、歩いた歩数は、約5万歩!後期高齢者2年目のリュウちゃん、まだまだ体力は衰えていないのだ!
2023年10月06日
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彼岸の中日、今年も石舞台の上の土手に、白い彼岸花が咲いた。9月23日(秋分の日)、約1年ぶりに、明日香村に遠足に行って来ました。目的は明日香村一帯に咲く彼岸花見物です。今年の夏の猛暑は、9月下旬まで続きましたが、この日の奈良の最高気温は29℃、ようやく真夏日が途切れた日になりました。真夏日が途切れたといっても、29℃の高温、最後まで遠足を遂行出来るか、ちょっと心配だ。何人かのブログ友様の日記を拝見したところでは、今年はどうやら猛暑のせいで、彼岸花の開花が例年よりもちょっと遅くなっているようです。例年なら彼岸の中日は、ドンピシャリ彼岸花の「見頃」、遅れているといっても、「五分咲き」くらいにはなっている筈だ?法隆寺の家を午前8時に出発、午前9時10分、遠足の起点の「近鉄畝傍御陵前駅」に到着、ここからずっと徒歩で、以下の順番に遠足の予定です。<本日の遠足の予定>「近鉄畝傍御陵前駅」(出発点)~「本薬師寺跡地」~「藤原宮跡」~「天の香久山の麓」(ここまで橿原市)~(ここから明日香村)「甘樫の丘の麓」~「あすか夢の楽市」(道の駅)」~「曽我入鹿首塚」~「飛鳥寺」~「石舞台古墳」~「稲渕の棚田の案山子ロード」~「橘寺」~「亀石」~「天武・持統陵」~「高松塚古墳」~「近鉄飛鳥駅」(終点)<本薬師寺跡地>午前9時10分に本日の遠足の起点である「近鉄畝傍御陵前駅」を出発、歩いて10分くらいで、このコース最初の彼岸花の見所である「本薬師寺跡地」に至ります。先ずは「萩の花」、「彼岸花」と、大和三山の一つ「畝傍山」とのコラボ、ここは畝傍山に一番近い萩と彼岸花の名所なのだ!ここの彼岸花、盛期には畔一面に咲くのですが、本日の開花は疎ら、本日は、多分「3分咲き」位、開花は例年より1週間位遅いようだ?<藤原宮跡>「本薬師寺跡地」を後にして、「藤原宮跡」に向かいました。本日朝の天気予報は、「曇り後晴れ」だったのですが、一向に天気は良くなって来ません。今にも雨が降り出しそうだ。「本薬師寺跡地」から約15分位で、「藤原宮跡」エリアに入ります。11月のコスモスの季節には「藤原宮跡」がメインステージになるのですが、本日は彼岸花がテーマですので、「藤原宮跡」は「通り過ぎるだけの場所なのです。大和三山の一つ「耳成(みみなし)山」と彼岸花のコラボです。「藤原宮跡」の手前の道路を、東に向かいます。この道の突き当りに、大和三山の一つ「天の香久山」があります。「天の香久山」の近くに、「キバナコスモス」が咲いていました。「天の香久山」の麓に、「奈良文化財研究所」があります。この前の道を右手に向かいますと、明日香村に入るのです。「奈良文化財研究所」の右手奥、「天の香久山」の麓の彼岸花の「小群生地」です。ここで「クロアゲハチョウ」を見かけたが、アップの写真を撮る前に、どこかへ飛んで行ってしまった(トホホ!)「奈良文化財研究所」から10分くらい歩きますと、明日香村に入ります。やはり明日香村、独特の雰囲気がある。明日香村の橿原市からの入口にあたる「甘樫の丘」の麓に着いたのが午前11時ジャスト、ここまで2時間近く掛かってしまった!「甘樫の丘」に登る時間が無い!今年もパスだ。「甘樫の丘」の傍に、「道の駅」と駐車場を兼ねた「あすか夢の楽市」があります。ここに咲いている白い彼岸花、明日香村の彼岸花行脚は、ここからスタートするのだ!<「飛鳥寺」の裏手、「入鹿首塚」付近の彼岸花>「あすか夢の楽市」から5分ほど歩きますと、「蘇我入鹿首塚」に着きます。「入鹿首塚」付近の稲田道の彼岸花、明日香村の彼岸花の第一の「見所」なのだ!<飛鳥寺>「入鹿首塚」は「飛鳥寺」の裏手にあります(下の写真は「首塚」の近くから撮った「飛鳥寺」です)飛鳥寺に入ります。狭い境内の庭園には、「万葉池」があり、池の周囲には「芙蓉の花」と「萩の花」が咲いていました。池のほとりには彼岸花も咲いていたのです。料金を払って、本堂に入ります。本堂には、日本最古の仏像である「飛鳥大仏」が安置されています。他の古刹の仏像と違って、飛鳥大仏は撮影OKなのだ!アップで撮った顔は、独特の威厳がある。飛鳥寺を出たのが午前11時30分、これでは「石舞台」に到着するのは正午になる。先を急ごう。正に正午、「石舞台」の下の「広場」に到着、ありゃ、この辺りの彼岸花は、まだ「咲き始め」だ。白い彼岸花のほうが、開花が早いようだ。例によりまして「石舞台」の上部にある丘に登ります。丘の斜面の白い彼岸花、まだ開花は疎らだが、やはり明日香路屈指の彼岸花の「見所」なのだ!丘を降りて、「石舞台」の横手の「草原」に入ります。ここは「ススキ」と「萩の花」の明日香路一番の名所だ!流れ落ちる滝のような萩の花、見事だ!もう12時30分、お腹が空いた!で、石舞台の下の広場の横にあるレストランに入り、「柿の葉寿司定食」と地ビールの「あすかびーる」(小瓶3本)を注文し、昼食、ぷふぁ~、あすかびーるが旨い!明日香村特産のイチゴ「あすかルビー」を使った珍しいイチゴ味のビール、まろやかでフルーティな味わい、こりゃ、何本でも飲めそうだ!以下、「2023年明日香村彼岸花行脚(下)」に続きます。
2023年09月28日
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初めて行った三方五湖、展望台からの眺め、息をのむほど雄大だ!ずっと猛暑日が続いた8月、高齢者のリュウちゃんにとりましては「身体に応えた」月でした。連日、エアコン点けっぱなしで、近所のスーパーに買い物に行く以外、「家に籠りっきり」の日々」だったのです。前回のブログで書きました「馬見丘陵公園」のひまわりも、やっとの思いでお出掛けしたのでした。こういう時には、女房殿が元気です。今回のブログで書く「三方五湖」も、元気な女房殿にお付き合いしてお出掛けしたのでした。8月初旬の某日、女房殿の誘いに乗って、格安日帰りバスツアーで、福井県の若狭湾国定公園の中にある「三方五湖(みかたごこ)」に行って来ました。三方五胡、名前は聞いたことがあるが、どんな所なのだろう?バスツアー参加料金は1人6000円、2人で12000円ですが、女房殿が1人無料のチケットを入手しましたので、今回は2人計6000円で参加することが出来ました。参加費用1人当たり僅か3000円!正に「格安バスツアー」なのだ!午前7時、奈良を出発、途中、タイアップしている滋賀県の宝石店などに寄り、名神高速自動車道の米原(まいばら)ジャンクションから北陸自動車道に入り、一路、三方五湖に向かいます。以下の写真は「帰路」に撮影した北陸自動車道の車窓から観た光景です。車窓から見える山里の光景、懐かしい日本の原風景なのだ。午後1時、若狭湾の海辺にある格安料理店で遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!格安ツアーなので料理はショボいが、ビールが飲めれば、それでいいのだ!午後2時、格安料理店を出発、「三方五湖レインボーライン」を経由して、午後3時、展望台のある梅丈岳(ばいじょうだけ・標高400m)の山麓に到着しました。リフトの乗り場でたぬきの親子がお出迎えリフトに乗って山頂の「展望台」に昇ります。リフトの眼下は「若狭湾」の海です。リフトに乗って、3分くらいで「山頂公園」に到着、ここから「三方五湖」が一望出来るのです。下の写真は「山頂公園の図」です。図の上部の「五胡テラス」、「若狭テラス」からは眼下に「三方五湖」が一望出来、下部の「中央テラス」、「茶屋テラス」からは、若狭湾の海が一望出来るのです。初めて観た「三方五湖」、神秘的で雄大だ!以下の看板に、「三方五湖」の5つの湖が示されています(右側のブルーの部分は「若狭湾」です)上掲の図に基づき、「三方五湖」についての「豆知識」を以下に書きます。<「三方五湖の豆知識>◎三方五湖(みかたごこ)は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町にまたがって位置する5つの湖の総称。若狭湾国定公園に含まれる。◎昭和12年、「国の名勝」に指定、平成17年(2005年)、湿地の保存に関する国際条約である「ラムサール条約」の指定湿地に登録、更に平成27年(2015年)、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 - 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 - 」の構成文化財として「日本遺産」に認定された。◎「三方五湖」は以下の5つの湖で構成されている(5つの湖は全て繋がっている)(1)「三方湖(みかたこ)」:唯一の淡水湖、面積:3.58平方キロメートル。(2)「水月湖(すいげつこ)」:汽水湖、面積:4,18平方キロメートル、最大の面積の湖、(3)「菅湖(すがこ)」:汽水湖、面積:0,91平方キロメートル、最小の面積の湖、(4)「久々子湖(くぐしこ)」:汽水湖、面積:1,40平方キロメートル、(5)「日向湖」(ひるがこ)」:唯一の海水湖、面積:0,92平方キロメートル、五胡の面積全て足しても僅か11平方キロメートル余り、約670平方キロメートルの「琵琶湖」の1/60にしか過ぎない。改めて「琵琶湖」の広大さが判った。◎「三方五湖」で獲れる天然ウナギは、江戸時代から「筒漁」(ウナギの狭い穴を好む習性を利用して、節をくり抜いた竹筒などを魚場に沈め、そこに潜り込んだウナギを捕獲する漁法)による漁獲で知られていた、。江戸時代初期の随筆にも三方地域の名物としてウナギが紹介されている。江戸時代の本草学の書物では三方五湖産のウナギは脂の乗りが良いとされ、「京都で一番美味な鰻」として説明されている。近年は漁獲量が激減しているが、「筒漁」は現在も連綿と続けられている。(「三方五湖」の筒漁、この画像はネットから拝借しました)30分ほど「展望台」からの絶景を楽しみ、再びリフトを使って下山しました。下りリフトから観る若狭湾も絶景だ! <瓜割りの滝>ツアーバスは「三方五湖」を後にして、次の目的地である「瓜割りの滝」に向かいました。「三方五湖」は名前だけは知っていたが、「瓜割りの滝」は全然知らなかった。どんな滝なのだろう?午後4時前、「瓜割りの滝」の入口に到着、杉の木立の山道を歩いて、滝に向かいます。歩いて5分位で「瓜割りの滝」に到着、バスツアーで立ち寄る滝なので、どんな名瀑かと思っていたが、落差1m位の小滝だった(ちょっと残念)この、滝というには余りにも小さい小滝が、何故わざわざツアーバスの立ち寄り先になっているかといいますと、ここの渓流の湧水が昭和60年に選定された「名水百選」に入ったからのようです。ここの湧水の水温は夏でも12℃弱で、「水の冷たさで瓜(うり)が割れた」との故事から「瓜割りの滝」と命名されたようです。また、平成27年(2015年)に環境省が開催した「名水百選選抜総選挙」で、「おいしさが素晴らしい名水部門」で、見事、第2位を獲得(1位は神奈川県秦野市の「おいしい秦野の水~丹沢の雫~」でした)、全国的な「おいしい水」として脚光を浴びました。殆んどの来場者が、ペットボトル持参で、ここの名水を汲んでいました。<閑話:大阪地下鉄の「喜連瓜破(きれうりわり)」駅>関西人は殆んど知っていることですが、大阪メトロ(地下鉄)谷町線に「喜連瓜破」という変テコな名前の駅があります。この変テコな名前の駅、どういう由来のある駅名なのだろう?「瓜割の滝」と、何らかの関係があるのだろうか?と思ってネット調べをしました所、以下のようなことが判りました。◎「喜連瓜破」駅の北側は、昔は摂津国にあった「喜連村」という環濠集落だった。◎駅の南側は、昔は河内国にあった「瓜破村」だった。「瓜破」の地名の由来は、「平安時代、空海(弘法大師)が高野山に登る途中、この地に立ち寄って水を求めたところ、地元の住民が育てていた瓜を割(破)って空海に差し出した」という故事から来ているという説が有力のようだ。◎当初は「喜連駅」となる予定だったが、瓜破側住人が反発。駅の位置が喜連と瓜破の町界であることに留まらず、摂津国(喜連)と河内国(瓜破)の国境であることも相まって議論は平行線を辿り、結局、「喜連」と「瓜破」を一緒にしてこのような駅名となった。ふ~ん、大阪屈指の難読駅名の裏に、興味深い歴史があったのだ!「瓜割りの滝」と「喜連瓜破」の駅名、全く関係が無いことが判った!ー閑話休題ーバス停の近くに、「若狭瓜割名水公園」があります。バスが出発するまでの短い時間、この公園の太った「鯉」と、「桔梗の花」に癒されたのでした。午後5時過ぎ、「瓜割りの滝」を出発、往路と違う京都経由で、奈良にたどり着いたのが午後8時過ぎになってしまいました。家の近くの大衆割烹店で遅い夕食、プファ~、ビールが旨い!ちょっとチープな旅行だったが、三方五湖の雄大な風景を観られたことは、大満足なのだ!ーーーーーーーーーーーーー<特報:法隆寺前の船塚古墳>9月8日のテレビや夕刊に「法隆寺の参道脇の駐車場の植え込み」は、実は6世紀後半の「古墳」だった」とういう報道がありました。古墳の名前は「船塚古墳」と命名されたようです。<動画:船塚古墳>この「植え込み」は、リュウちゃんの家から徒歩3分の所にあります。徒歩10分の「藤の木古墳」に次ぐ第2の近隣古墳、斑鳩町に住んでいて良かった!久々に古代史への興味が戻って来た!
2023年09月08日
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公園に咲く25種15万本のひまわり、真夏の青空の下、華麗に咲き競う!8月2日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、近所にある馬見丘陵公園に行って来ました、今、馬見丘陵公園では「ひまわりウィーク」が開催中です。この日の奈良の最高気温は36℃!外出には向かない危険な猛暑日だ!奈良でも今年はずっと猛暑日が続いていて、本来なら「お出掛け」には向かない日だったのですが、やはり一度は馬見のひまわりが見たかったので、女房殿にお願いして、半ば無理やりにお出掛けしたのです。朝9時に家を出発、9時15分に公園の北エリアの駐車場に到着、筋雲のみの快晴の空、朝から太陽がギラギラと照りつけている!まず、駐車場に一番近い「集いの丘」の斜面に向かいました。ありゃ?ここは、最初のひまわりの「見所」だった筈だが、短く剪定された「百日紅(さるすべり)」しか見られない。ひまわりは何処へ行ったのだ???結局、丘の斜面には、ひまわりは植えられていなかったのですが、丘の右側にある小道添いに様々なひまわりを見ることが出来ました。幾つかのアップしたひまわりの写真を以下に張り付けます。珍しい赤黒のひまわり、多分、品種名は「プラドレッド」、中心部の種の部分が殆んど無い、菊の花に似た不思議なひまわり、このひまわり、何という種類なのかな?「集いの丘」から、中央エリアに向かいます。道添いでは、ひまわりと百日紅の巨木、そして植えられたばかりの緑のコキアのコラボが目を楽しませてくれます。ひまわりと百日紅とコキアのコラボ、真夏の馬見丘陵公園の風物詩なのだ!短いトンネルを抜けると、そこは中央エリアです。トンネルの前のつるバラ、まだ咲き残っていた!さて、中央エリアのひまわりです。ここは、北エリアの「集いの丘」と並ぶ、馬見丘陵公園の2大ひまわりの「見所」です。恐らく、公園のひまわりの90パーセントは、この2か所に植えられているようです。しかし、ちょっと淋しい感じ、今年は大型のひまわりが、殆んど植えられていなかった為なのかな?<ガウラ>中央エリアの一角に(1株だけですが)、「ガウラ(ヤマモモソウ、ハクチョウソウ)」が咲いいました。この花、いつも咲いている?<閑話:ひまわりの花びらはたったの5枚???>「ひまわり」といえば、中心部に丸い大きな種があり、その周囲を数十枚の花びらが縁取っているいるという形を誰しもが思い浮かべますね。種類によって相当な違いがありそうですが、種の周囲の花びらの枚数は、今回、リュウちゃんが撮ったひまわりで見る限りでは、少ない品種で20枚位、多い品種で、数百枚位です。では、一番花びらの多い品種は、何枚位の花びらがあるのか?という疑問を持ち、PCの検索サイトに、「ひまわりの花びらの枚数は?」と質問を入れ、検索しました所、PCの答えは、「5枚」でした。え~、たったの5枚???そんな筈はない!現にリュウちゃんの撮った写真でも、少ない品種でも20枚位、花びらがあった。何かの間違いだ、それとも、PCの不具合か?と、訝しく思って、更に検索した所、下記のサイトに出逢いました。<ひまわりの種類・品種一覧!別名や花びらの枚数は?>上掲のサイトの後半に、<ひまわりの花びらは何枚?>という一項があり、以下のように説明されていました(以下、コピペした文章を掲載します)ひまわりの花は一つなのか、たくさん集まったものなのでしょうか?ひまわりは頭状花序であり、多数の花が集まって、一つの花の形を作ります。わかりにくいですよね〜。ひまわりの花は1つの花 のように見えますが、実は小さな花がいくつも集まっ てできたものなのです。これを頭状花(とうじょうか)といいます。外側は舌状花(ぜつじょうか)、中央部分は筒状花(つつじょうか)の2種類の花で構成されているんです。ひまわりの花びらの部分を舌状花といい雄しべはありません。虫をおびき寄せる役目をしています。中央部分は筒状花でたくさんの小さな花の集まりです。こちらは雄しべと雌しべがあり、一つ一つの花に種ができます。では、花びらは何枚?ということなんですが、舌状花を詳しく見ると、5枚の花弁が癒合した合弁花(ごうべんか)なんですね。5枚の花弁がひっついて1枚の花となっています。ということで、ひまわりの花びらは5枚ということになります。上掲の記述、浅学菲才のリュウちゃん、サッパリ意味が判らない(トホホ!)どなたか意味の判る方、ご教示頂ければ幸いです。―閑話休題―<公園館前の「芝生の丘」のホワイトナイト>中央エリアから、馬見丘陵公園のシンボルタワーである「公園館」の前にある「芝生の丘」に向かいました。ここには「ホワイトナイト」という白い花弁の小さいひまわりが咲いています。ちょうど散水の時間、リュウちゃんも水を浴びながら撮影したのだ!もう午前11時、灼熱の炎天下を、2時間近く歩いたことになる!熱中症が心配だ。そろそろ引き上げよう。帰路の中央エリアで「雲南地湧金蓮(ウンナンチュウキンレン)」の花に出逢うことが出来ました久々に馬見公園で見た雲南地湧金蓮、ラッキー!この花は300日くらい咲き続けるので、来年春まで開花が見られそうだ。午前11時過ぎ、灼熱の馬見丘陵公園を後にして、行きつけの回転寿司店に直行、プファ~、ビールが旨い!冷たいビールのおかげで、熱中症も退散したのだ???
2023年08月22日
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久しぶりに観た京都府立植物園のハスの花、盛りは過ぎていたが、華麗。7月21日、7年ぶりに「京都府立植物園」にハスの花を観に行きました。「京都府立植物園」には、現在、190種、700鉢の鉢植えのハスの花を観ることが出来ます。おそらく、近畿地方随一の「ハスの花の名所」なのです。「京都植物園」は京都市の北部にありますが、京都駅から地下鉄烏丸線に乗って15分位で入場口のある「北山駅」に着きますので、方向音痴のリュウちゃんにとりましても、迷わずにに確実に行ける数少ない京都の花のスポットなのです。午前7時過ぎに奈良の家を出て、午前9時30分に植物園の「北山口」から植物園に入場しました。入場口で係の女性に、「ハスはまだ咲いていますか?」と聞きましたところ、「もう盛りは過ぎていますが、まだ、かなりのハスが咲いています」とのこと、ちょっと遅かったか?しかし、190種の内、50種くらい観られたら、よしとしよう。<ハイビスカス???>「北山口」から入場しました所、左手に巨大なハイビスカスが植えられているのが目に着きました。さすが京都府立植物園、南国の花、ハイビスカスが観られる!正にトロピカルなのだ!しかし、ちょとおかしいぞ???ハイビスカスに似ているが、違う花のようだ。何という花なのだろう?またまた入場口の係の女性に聞いたところ、「あの花はハイビスカスではなくて、<タイタンビスカス>という花ですよ」とのこと、「タイタンビスカス」、初めて聞く花の名前だ!ハイビスカスの巨大種なのか?タイタンビスカスは、2009年に三重県津市にある「赤塚植物園」で新しく作出された新種の花なのだそうです。ハイビスカスと違って北海道のような寒冷地での野外栽培が可能な耐寒性を持った花で、素人でも簡単に育てられることから、今、急速に全国各地で普及しているようです。タイタンビスカスの詳細につきましては、下記の「赤塚植物園のHP」をクリックしてご覧下さいね。<タイタンビスカス~赤塚植物園HP>「ハス園」に向かいます。「ハス園」は園内の「四季彩(いろどり)の丘」という場所にあるのです。「四季彩の丘」の手前にある「ハス池」です。もうハスの花は、殆んど終わりなのかな?「四季彩の丘」に到着、一見したところ、ハスの花の開花な疎らだ。やはりちょっと遅かったのかな?でも、メゲずに、開花しているハスの花を出来るだけアップして撮影しました。結果、約40種のハスを撮影することが出来ました。以下、この日撮影した「ハス図鑑」をアップして見ますが、その前にこの植物園のハスの品種について、若干の予備知識が必要だと思われますので、「図鑑」作成の前に、予備知識について書いておきます。~「ハス図鑑」予備知識メモ~(1) ここのハスのかなりの部分が京都府久世郡久御山(くみやま)町にかって存在した「巨椋池(おぐらいけ)」周辺で発見された品種のようです。(2) また、ここのハスの花は、京都花蓮研究会初代会長で「ハス博士」といわれた内田又夫氏(?~2005年)が関係を持っているようです。以下の「京都花蓮研究会」のサイトには、「巨椋池品種」が16種、「内田又夫氏作出品種」が9種掲載されています。<京都花蓮研究会>それでは今回撮影したハスの品種を紹介します。今回は品種名のみの紹介だけですが、これらの品種の多くは上掲の「京都花蓮研究会」のサイトの中で詳しく紹介されていますので、興味のある方は上掲のサイトをクリックしてご覧下さいね。<京都府立植物園のミニ・ハス図鑑><絹留(きぬとめ)><巨椋の輝(おぐらのかがやき)><巨五丁田白花>(おぐらいけ系)<三栖(みす)自生>(おぐらいけ系)<巨椋の稔(みのり)><春日森>(おぐらいけ系)<巨椋淡桃(おぐらたんもも)><福田農場白>(おぐらいけ系)<巨椋の瑞光(ずいこう)><巨椋の紅霞(べにがすみ)><請所の本紅>(おぐらいけ系)<巨椋宮西><巨椋大島><南観世(みなみかんぜ)>(おぐらいけ系)<二本柳>(おぐらいけ系)<佐古外屋敷(さこそとやしき)>(おぐらいけ系)<黒坊東2>(おぐらいけ系)<巨椋の白鳥><巨椋白鳳(はくほう)><黒坊4>(おぐらいけ系)<黒坊の白花>(おぐらいけ系)<ヒラキネール型>(おぐらいけ系)<巨椋の鳳凰(ほうおう)><西遊田紅(にしゆうでんべに)>(おぐらいけ系)<巨椋紅鶴><巨椋の華(はな)><巨椋の彩雨><東観世紅(ひがしかんぜべに)>(おぐらいけ系)<古代蓮(こだいれん)>(中国古代蓮)<玉繍蓮(ぎょくしゅうれん)><姫蓮(ひめはす)><艶陽天(えんようてん)><曲院風荷(きょくいんふうが)><京都御苑><姫万里(ひめまり)><毎葉蓮(まいようれん)><瑞光蓮(ずいこうれん)><碧台蓮(へきだいれん)><金輪蓮(きんりんれん)><酔妃蓮(すいひれん)><名称未確認のバラに似た赤いハス>フ~、名前を確認出来なかった2種を含め、41種のハスを紹介することが出来ました。これでも、まだ全体の1/5でしかありません。全種類を紹介する為には、シーズン中、3~4回は足を運ぶ必要がありそうです。もう老齢のリュウちゃんには無理かな?<閑話:日本で一番、花弁の多いハス>上掲の「ハス図鑑」でもお分かりのように、大半のハスは、「名前は変われど、姿はほぼ同じ」です。稀に上掲の「玉繍蓮」のように、花弁が100枚以上ある「八重咲きのハス」もありますが、大体は、花弁が10~20枚の「一重咲き」です。千変万化のバラに比べ、ハスの花は単調だ?「ハスの花」をネット調べしました所、花弁が2000~8000枚もある驚くべきハスがあることが判りました。そのハスの名は「近江妙蓮」、花弁が数千枚もある驚くべきハスだ!千変万化のバラも遠く及ばない奇跡のハスなのだ!(※)数千枚の花弁がある「近江妙蓮」(龍谷大学農学部ブログより拝借)尚、滋賀県守山市(「水生公園みずの森」がある草津市の隣町)には「近江妙蓮公園」があり、ここの「大日池」と「瑞蓮池」には多数の「近江妙蓮」が咲いているそうです。また、「近江妙蓮」は、守山市の「市花」になっているのです。「近江妙蓮」の由来などにつきましては、下記のサイトが大いに参考になりましたので、興味のある方はクリックして覗いてみて下さいね。<近江妙蓮と大賀ハス>よし、来年は「近江妙蓮公園」に行ってみよう!~閑話休題~約2時間ほどハスを鑑賞した後、園内にある「観覧温室」に向かいました。「観覧温室」は、「ジャングルゾーン」、「サボテンゾーン」、「砂漠ゾーン」など、8つのエリアに仕切られていて、それぞれのエリアはほぼ一年中、同じ室温に保たれているようです。因みに、一番室温が高い「ジャングルゾーン」は、年間を通じて、28℃に保たれているようです。本日の京都の最高気温は36℃、「ジャングルゾーン」より外の気温は8℃も高い!「観覧温室」は真夏の京都の避暑地なのだ!以下に真夏の「観覧温室」で観た植物を幾つか紹介致します。<熱帯スイレン>残念ながら、この植物園には、「スイレン」は殆ど観ることが出来ませんでした。本日観たスイレンは、以下の2種類だけだったのです。<アグラネオマ・クリスプム><レンブ><マンゴー><プラティケリウム・リドリー><プラティケリウム・ワンダエ><アフリカバオバブの花>初めて実物を撮影することが出来ました!<食虫植物展>「観覧温室」の「特別展示室」では、「食虫植物展」が開催されていました。以下、展示されていた食虫植物を幾つか紹介します。<ネペンテス・スマトラナ><ネペンテス・アラタ><オオウツボカズラ><ヒョウモンウツボ><ツボウツボカズラ><プラティケリウム・マスターシアナ>もう正午を過ぎた。京都駅に戻り、昼食を摂ろう。で、往路と同じように、地下鉄烏丸線に乗って、京都駅に戻りました。この日は、途中の「四条駅」で降りれば、「祇園祭」が見られたかも知れない?でも、猛暑の中での祭り見物はしんどい!という訳で、今年も「祇園祭」見物は早々に諦めたのです。午後1時、京都駅ビルの中にある行きつけの大衆割烹店に入り、昼食、プファ~、ビールが旨い!「祇園祭」はほろ酔いの心の中で想像することにしよう。(「祇園祭」:この写真はネットからお借りしました)
2023年08月05日
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天を衝く巨大なハスの花、広大な池に咲く多彩なスイレン、「草津市立水生植物園公園みずの森の夏、今、絶頂!7月6日、8年ぶりに滋賀県草津市にある「草津市立水生植物園公園みずの森」に行って来ました。8年前はリュウちゃん1人で行ったのですが、今回は女房殿と2人で公共交通を使ってお出掛けしたのです。目的は水生植物の代表格である「ハスとスイレン」を観ることです。この公園は関西随一の「ハスとスイレン」の名所で、特にハスは、公園に面している琵琶湖の湖面に、50万株ものハスが群生している「日本一のハスの群生地」として有名だったのです。今年もハスの群生が見られるかな?ハスの花は昼頃に閉じてしまいますので、開花時間に間に合わせるべく、朝7時に家を出発、それでも、公園に入場したのは、午前10時頃になってしまいました。公園の入口に、鉢植えや水槽植えのスイレンが点在しています。入口からいきなりスイレンが観られる!例によりまして、咲いているスイレンを出来るだけアップで撮ってみました。普段、スイレンはアップして見る機会が殆んどないが、こうしてアップして見ると、その多彩さに驚かされる。<スイレンのミニ図鑑><紫 式部><ドウベン><ミロク><ドリスホルト><サウスチャーム><ディレクターGTムーア><キーラルゴ><ティナ><ピンクグレープフルーツ><ワンビサ><ペリーズダブルホワイト><テキサスドウン><バーガンディプリンセス><ピンクスパークル><サンギネア><オールモストブラック><グレッグスオレンジビューティ><ラロック><ニュートン><フロエベリ><ペリーズベイビーレッド><ピーチグロウ><ファビオラ><インナーライト>フ~!、結局、24種のスイレンの写真をアップすることが出来ました。(※)(閑話:「琵琶湖周航の歌」とスイレン)「草津市立水生植物園公園みずの森」は琵琶湖の傍にあります。琵琶湖に関する歌といえば、大正6年に作られた第三高等学校(現:京都大学)の寮歌・学生歌だった「琵琶湖周航の歌」が有名ですね。作詞は当時、三高ボート部の部員だった小口太郎、しかし、作曲者は長い間、不明でした。昭和54年に作曲者が新潟県出身で東京農業学校に在籍していた吉田千秋であると判りました。吉田千秋が大正4年に発表した「ひつじぐさ」という合唱曲のメロディを、小口太郎が「琵琶湖周航の歌」のメロディに転用したのでした。現代なら盗作騒ぎになった筈ですが、おおらかな時代だったので、そんな問題はまったく生じなかったのです。結局、小口と吉田は、生前、一度も逢うことなく、2人共、20代の若さで夭折したのでした。<吉田千秋作曲「ひつじぐさ」>「ひつじぐさ(未草)」は、日本で唯一、自生していたスイレンで、転じてスイレンの総称としても使われる言葉です。「琵琶湖とスイレン」の関係、かなりこじつけでしたが、ちょっと興味ある話でしたので、ここに「閑話」として掲載しました。閑話休題、入口の「スイレン広場」の右手に、「ハスの教材園」があります。ここのハス、皆、背丈が2~3mもある!これじゃ、花を真上から撮影することは不可能だ!この日のハスの開花は少なかったのですが、それでも13種類のハスの花を撮影することが出来ました。以下、その写真を貼り付けます。この公園で見る限りでは、ハスは似た花が多い。品種名が判っても、殆んど区別がつかない。<ハスの品種><月のうさぎ><碧血丹心(へきけつたんしん)>碧血丹心とは、厚い忠誠心や誠意のことです。「碧血」は青い宝玉、「丹心」は誠意や真心のことのようです。<朝田寺紅蓮(ちょうでんじこうれん)>「朝田寺」は三重県松阪市にある「花の寺」です。ここの榎本住職は高校の2年後輩なのです。<Donghu chun xiao>中国名のローマ字表記です。<白蓮(はくれん)><太白蓮(たいはくれん)><大観蓮(だいかんれん)><浪速蓮(なにわはす)><錦蘂蓮(きんずいれん)>「蘂」とは、花の「しべ」の意味です。難読漢字ですね。<浄台蓮(じょうだいれん)><碧台蓮(へきだいれん)><廬山白蓮(ろざんびゃくれん)><千葉赤(ちばあか)>「ハスの教材園」を出て、「スイレン池」に向かいました。この「スイレン池」は、画家のクロード・モネが晩年を過ごしたパリ近郊のジヴェルニー村の「スイレン池」によく似ているように思われます(リュウちゃんは行ったことはないのですが)。下記の写真で、「オオオニバス」のような水生植物は、「パラグアイオニバス」なのです。フランスのジヴェルニー村の、「モネのスイレン池」に似た池、この公園の一番の見所なのだ!「スイレン池」の橋を渡り、丘に上っていきます。ここは水生植物だけでなく、様々な植物が植えられている。以下、ここで見た植物を幾つか紹介致します。<アガパンサス><半夏生><ヤマボウシ><枝垂れエンジュ(槐)のお家>丘の下の広場に下りて、琵琶湖の湖畔を散歩、赤い百日紅の咲く湖畔の向こう側に霞んでいる山は、近江富士と称される「三上山」(みかみやま:標高432m)です。以下の写真は、8年前(2015年)にリュウちゃんが撮った「琵琶湖のハスの群生」です。やはり噂は本当だった!8年前には、琵琶湖の水面に50万株のハスの群生が見られたが、今では跡形もなく群生が消えてしまった!リュウちゃんは琵琶湖のハスの群生の、最後の目撃者の一人なのだ!この突然の「消失」につきましては、下記のサイトをクリックしてご覧くださいね。<国内最大級のハスの群生地が突然の消滅>「ロータス館」に入ります。館内では「牧野富太郎と水生植物」というイベントが行われていました。テーマは「ムジナモの発見」です。「ムジナモ」は浮遊性の食虫水生植物で、1890年(明治23年)、東京葛飾の小岩町で日本では初めて牧野富太郎によって発見され、牧野はこれを正式な学術論文として発表、この論文により、牧野の名前は一躍、世界中に知られるようになったようです。以下の写真は、会場に展示されていた「ムジナモ」の実物です。上掲の実物写真、「ムジナモ」の水槽を撮っのだが、写っていたのは、「ヒツジグサ」(日本原産のスイレン)だったのだ!「ムジナモ」は、この写真の上部の水面に浮かんでいるのだ!(失敗した写真ですが、敢えてアップしておきます)以下、ネットからお借りした「ムジナモ」の写真を以下に張り付けます。(ムジナモ)尚、牧野富太郎をモデルにしたNHK朝ドラ「らんまん」の7月26日放送分で、万太郎が池にハマって、偶然、「ムジナモ」を見つける、というシーンが出てきましたね。NHK朝ドラ「らんまん」、これからが万太郎が世界に飛躍する展開になりそうだ。<ウーパールーパー>「ムジナモ」の近くに、何故か生きている「ウーパールーパー」(正式名称:メキシコサンショウウオ)が展示されていました。この公園は、「水生植物園」のみではなく、「水生動物園」も兼ねている!???展示室から、「熱帯温室」に入ります。熱帯温室には、現在。「熱帯スイレン」が「見頃」でした。以下、「熱帯スイレン」の写真を何枚かアップしてみます。公園の入口にあった「温帯スイレン」は、花が水面スレスレに咲いているが、ここの「熱帯スイレン」は花が水面より数十センチ上に咲いている!リュウちゃんの「新発見」なのだ!??午後1時、「水生植物公園みずの森」を後にして、京都駅に向かいました。午後2時、京都駅着、駅ビルの中にある行きつけの大衆割烹店で遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!猛暑の中のハスとスイレン、心の中は清涼感いっぱいなのだ!
2023年07月27日
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初めて訪れた夏の長谷寺、長谷寺がアジサイ寺だと、初めて知った!6月29日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、久しぶりに桜井市にある長谷寺に行ってきました。目的は「アジサイを観る」ことです。長谷寺は桜・牡丹・紅葉の名所で、奈良県随一の「花の御寺」として有名なお寺なのですが、浅学菲才なリュウちゃん、これまで長谷寺が「アジサイの名所」だということを全く知りませんでした(行ったことはないのですが、鎌倉の長谷寺がアジサイの名刹であることは知っていました)。本当に長谷寺にアジサイが咲いているの???女房殿は、最近、テレビのローカル観光情報により、長谷寺が「アジサイの名刹」であることを知ったようです。長谷寺行きは、女房殿のリクエストだったのです。午前9時40分、家を出発、午前10時30分、長谷寺の下にある駐車場に到着、11而ちょっと前、入口の「仁王門」に入場しました。「仁王門」のすぐ後ろから、399段の「登廊(のぼりろう)」が上の「本堂」まで続いています。「登廊」の左手の道に、若干の「鉢植えのハス」が置かれていました。もうハスの季節なのだ!「登廊」の下部の左右は。花が終わった「牡丹園」なのですが、「登廊」の上部、「天狗杉」の辺りからアジサイに出逢うことが出来ました。「登廊」は「天狗杉」のちょっと上部で右に曲がっているのですが、長谷寺のアジサイのメインスポットは、「登廊」の曲がり角の上部の石段の周辺にあるようです。「登廊」の曲がり角を曲がらず、「登廊」を出て直進すると、そこは長谷寺一番のアジサイスポットなのだ!無数の鉢植えのアジサイが置かれている石段を昇り、本堂の「舞台」に出ました。「舞台」の下に泰山木の白い花が咲いていた!泰山木の花は大抵は「見上げる花」、「見下ろす泰山木の花」初めての体験だ!本堂の舞台の対面に見える小山は、標高455mの「与喜山(よきさん・天神山)」で、古代から長谷寺の寺領であり、樹木の伐採が一切禁じられていた為、現在では常緑広葉植物を主体とする原始林を形成していて、「与喜山暖帯林」として国の天然記念物に指定されているようです。本堂に安置されている長谷寺の本尊「木造十一面観音立像」です。この「十一面観音立像」に関しては、興味深い話が伝えられています。(※)(鎌倉の長谷寺の)寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基である徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山した。養老5年(721年)に徳道は大和国の山中で見つけた楠の大木から二体の十一面観音を造り、その一体(本)が大和長谷寺の観音像となり、もう一体(末)を祈請の上で海に流した。その15年後に三浦半島の長井浦に流れ着いた観音像を鎌倉に安置して開いたのが、(鎌倉)長谷寺であるとされる(~「鎌倉・長谷寺のウィキペディア」より抜粋)奈良の長谷寺と鎌倉の長谷寺は、木造十一面観音立像繋がりで、兄弟(姉妹?)寺だったのだ!因みに、奈良の長谷寺のアジサイは約3000株、鎌倉の長谷寺のアジサイは約2500株のようです。アジサイの株数でも、奈良の長谷寺は鎌倉の長谷寺の兄貴(姉貴?)分なのだ!本堂の舞台から「開山堂」に降りて行きます。「開山堂」は、「登廊」の上の無数のアジサイの鉢で飾られている石段を昇り切った左手にあります。「開山堂」周辺のアジサイ、中々見事だ!「開山堂」の右手は、「御守り授与所」がある休憩所になっています。「御守り授与所」から上部の「五重塔」までの石段の周囲は、春はシャクナゲの見所ですが、夏はアジサイの花で覆われるのです。アジサイに覆われた石段の上に、五重塔が見え隠れする。ここからは「帰り道」、山の下にある「仁王門」に向かって下山します。「帰り道」の道筋も、アジサイで溢れている!「帰り道」の道脇に咲いていた花です。この花、何という花なのだろう?「紫蘭」の白花品種なのかな?「仁王門」の横手の小さな池に、2輪だけ咲いている黄色い睡蓮を発見。もう「睡蓮の季節」なのだ!正午、長谷寺を後にして、参道の和食店で昼食。プファ~、ビールが旨い!奈良の長谷寺が、アジサイの名刹だと判り、大満足だ!
2023年07月16日
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全国屈指のアジサイの名所・三室戸寺、3年ぶりに訪問を果たした!6月7日、3年ぶりに京都府宇治市にある「三室戸寺」にアジサイを観に行って来ました。「三室戸寺」は、「京都随一の花の寺」で、春には昨年(2022年)に開園した250本の「枝垂れ梅園」、約20000本のツツジ、約1000本のシャクナゲ、夏には約10000本のアジサイ、250鉢のハスの花、秋には(花ではありませんが)、「紅葉の名所」として、四季折々の花が楽しめるお寺なのです。以下に、三室戸寺を徹底解説したサイトを貼り付けますので、興味のいある方はクリックしてご覧下さいね。<三室戸寺を徹底解説!四季を彩る京都随一の花名所>旋回は女房殿の運転する車の助手席に乗ってお出掛けしましたが、今回は女房殿は所要があり、リュウちゃん一人でお出掛けしました。JR法隆寺駅から三室戸寺のあるJR宇治駅までは所要時間約1時間、午前10時ちょっと前に家を出て、午前11時ジャストに「JR宇治駅」に到着。JR宇治駅から徒歩5分で、「宇治橋」に出ます、「宇治橋」の袂には「紫式部」の石造が鎮座しています。前日が大雨でしたので、宇治川は溢れるほどの水量です。こんなに水量のある宇治川、初めて観た!宇治橋から「平等院」に向かいましたが、「平等院」には入らず、宇治川添いの「あじろぎの道」を少し遡ってみました。道の右手には「平等院」が見え隠れしています。「あじろぎ(網代木)の道」の名称は、下記の百人一首の歌に由来しているようです。朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木(あじろぎ)~権中納言定頼(百人一首第55番)上掲の歌で、「網代(あじろ)」とは、冬に氷魚(ひお、鮎の稚魚のこと)を獲る仕掛けのことで、川の浅瀬に杭を打ち、「簀(す)」という木や竹で編んだ「網」を仕掛け、「氷魚」を獲ったのです。「網代木」は、宇治川の浅瀬に打たれた「杭」のことで、平安時代の宇治川の風物詩だったようです。「あじろぎの道」を、宇治川の上流に向かって少し遡ります。上流部分には「鵜飼い」の為の屋形船が何艘か係留されていました。船着き場の小屋に貼られていた「鵜飼い」のポスターです。宇治川の鵜飼いは、長良川の鵜飼いと並ぶ歴史的なイベントだったのだ!<宇治川の「鵜飼い」について>「宇治川の鵜飼い」は例年、7月1日から9月30日の3か月の間の夕方から夜にかけて開催されるようです。その歴史や、さまざまな情報については下記のサイトをクリックしてご覧下さい。<宇治川の鵜飼い/宇治市観光協会>尚、「鵜飼い」の動画を下記に張り付けますので、興味のあるお方は下記サイトをクリックしてご覧下さいね。<鵜飼/2年ぶりに実施、宇治、夏の風物詩>「あじろぎの道」の帰路、平等院の入口の近くに、「元祖、抹茶生ビール」という立札を発見!抹茶生ビールって、どんな味がするのだろう?よし、三室戸寺のアジサイ見学の後、「おやつの時間」に立ち寄ってみよう!<「源氏物語」ミュージアム>「宇治橋」を渡り、「あじろぎの道」の対岸を暫し散策、対岸の一角に「源氏物語」の主人公、「光源氏」の石像を発見。石像の横に、以下のような石碑が建っていました。「光源氏」の石像から、ちょっと奥に入ったところに、「源氏物語ミュージアム」があります。このミュージアムは1998年に開館、「源氏物語」の「宇治十帖」の舞台となった宇治の地に相応しいミュージアムですね。料金600円を支払って入場し、暫し平安王朝気分を味わいました。もう正午を過ぎた。お腹が空いた!で、「宇治橋」の袂にある回転寿司店で昼食、プファ~、ビールが旨い!久々の三室戸寺散策に期待が膨らむ!午後1時、昼食を終え、出発、回転寿司店から三室戸寺までは徒歩約15分です。午後1時過ぎ、三室戸寺に到着、入場料500円を払って入場しました。入場口から100mほど坂を上りますと、「赤い山門」に至ります。アジサイ園は山門の右下に広がっているのです。本日は開園して間もない時期でしたので、全体的には「3分咲き」といったところです。花の密度が疎らなのがちょっと残念、でも、充分に「見頃」なのだ!以下に、個々のアジサイの花のアップの写真を紹介致します。残念ながらアジサイの名前は分からないのですが、宇治の山里に咲くアジサイの変化(へんげ)を楽しんで頂ければ幸いです。以下のアジサイ、三室戸寺名物の「ハート型のアジサイ」なのかな?まだまだ続きます。この中に、「幻のアジサイ」と云われる「七段花」(シチダンカ)があるのかな???アジサイ園の上部にある枯山水庭園(池泉回遊式庭園)の「与楽園」を暫し散策(この庭園は、「昭和の小堀遠州」といわれる中根金作氏により、平成元年に竣工しました)三室戸寺の伽藍は、「与楽園」の上部にある60段の急な石段の上部にあります。石段の右半分は、約700鉢のアジサイの花で作られたアジサイアート、「アジサイ昇鯉図(しょうりず)」が見られます。鯉は滝を昇り竜になる。石段を昇るリュウちゃんは始めから「竜」なのだ(苦笑)(※)(本ブログで、このアジサイアートを「昇鯉図」だと書きましたが、これは誤りで、正しくは「花兎飛躍図」でした。間違いを優しく指摘頂きました「末摘花」様、「みなみたっち」様、有難う御座いました!)「石段」の上に三室戸寺の伽藍があります。顔は翁、胴体は蛇の「宇賀神像」がお出迎え。「本堂」の前には、100種750鉢の「ハス」がありますが、本日は時期が早過ぎ、やっと一輪の「蕾」が観られたのみだったのです(残念!)境内には、「宇賀神像」の他に2つの石造があります。<福徳兎>兎がもっている大きな玉に手を入れ、玉の中にある卵型の石を立てられたら願いが叶い、足腰も丈夫になるようです。<宝勝牛>口の中にある玉石をなでると、勝運がつくようです。もう午後3時、おやつの時間だ。で、平等院の入口近くの「元祖・抹茶ビール」の店に行き、「抹茶ビール」のおやつを楽しみました。プファ~、抹茶ビールが旨い!草団子と「抹茶」の茶葉のツマミ、茶所宇治ならではの「お茶ずくし」だ!最後の写真はJR宇治駅の前にある「茶壷ポスト」です。ポストまで「茶壷」!宇治市は全国屈指の「茶所」なのだ!
2023年07月05日
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正に大都会のオアシス!約4000株のバラが咲く中之島バラ園、奈良人リュウちゃん、初見参!5月24日、大阪・中之島にある「中之島バラ園」に生まれて初めて行ってきました。リュウちゃんはレコード会社に勤めていたサラリーマン時代、約17年間、大阪勤務を体験しましたが、勤務先は殆ど繁華街のど真ん中の「梅田勤務」だったのです。「中之島」は「梅田」から徒歩10~15分位で、仕事に関係のあった「大阪フェスティバルホール」には、仕事に関連したクラシック・コンサートによく通った記憶があります。朝比奈 隆/大阪フィルのブルックナーの交響曲の数々や、20世紀の最後の作曲家の巨匠・オリビエ・メシアンの大作「トゥランガリラ交響曲」なども、この頃にここで聴いて、今だに強く印象に残っているです。でも、「バラ園」のある「中之島公園」には当時、殆んど関心がありませんでしたので、勤務時代も退職後も敬遠していました。大阪には、「万博記念公園」など、素敵なバラ園が他にいっぱいある!というのが主な敬遠の理由だったのですが、女房殿が5月21日に友人と「中之島バラ園」に行ってきましたので、感想を聞きましたところ、「思っていたより良かったよ!」との事、辛口の女房殿が「良かったよ!」というくらいだから、かなり良かったのだろう?よし、リュウちゃんも「良さ」を確かめに行こう!という訳で、リュウちゃん一人で、お出掛けしたのです。午前11時過ぎ。JR「大阪駅」到着。早速、阪急東通り商店街にある行きつけの大衆割烹店で早い昼食。プファ~、ビールが旨い!大都会のど真ん中にあるバラ園、期待が高まる!いつもなら、ここから歩いて「中之島」に行くのですが、「バラ園」の位置がよく判りませんでしたので、タクシーを奮発、「大阪駅」から10分くらいで、「バラ園」に到着しました。到着したのは「難波橋(なにわばし)」(通称:ライオン橋)、ここから「バラ園」に入場。上掲の写真のように「中之島バラ園」は、大都会・大阪の高層ビル群のど真ん中にあります。個々のバラの背丈も「万博記念公園」のバラ園のように高くはなく、ちょっと平板な感じです。しかし、いつものように「バラの種類の写真」を出来るだけ撮っったあとで判ったことがありました。この公園のバラ、一見、平板に配置されているようだが、個々のバラは皆、実に見事で、丹精を込めて育成されていることが手に取るように判るのだ!こんな素敵なバラの数々、初めて観る思いだ!さて、リュウちゃんが感嘆したバラの写真を以下に60種類ほどアップしてみます。本来なら一種類に付き、最低2枚の写真をアップしたいところですが、そうしますと、バラの種類の写真だけで、ブログ1回の最大写真容量の100枚を超えてしまいますので、断腸の思いで、一種類に付き写真一枚と致しました。<バラの種類>(1) 「イエロー・クイーン・エリザベス」(作出国:ベルギー、作出年:1964年、作出者:フラーミンク)(2) 「ビンゴ・メイディランド」(作出国:フランス、作出年:1994年、作出者:メイアン)(3) 「シスター・エリザべス」(作出国:イギリス、作出年:2006年、作出者:オースチン)(4)「ザ・プリンス」(作出国:イギリス、作出年:1990年、作出者:オースチン)(5)「ザ・ダークレディ」(作出国:イギリス、作出年:1991年、作出者:オースチン)(6)「エブリン」(作出国:イギリス、作出年:1991年、作出者:オースチン)(7)「アンブリッジ・ローズ」(作出国:イギリス、作出年:1990年、作出者:;オースチン)(8)「ボニカ82」(作出国:フランス、作出年:1982年、作出者:メイアン)(9)「ジャルダン・ドウ・フランス」(作出国:フランス、作出年:1998年、作出者:メイアン)(10)「ヒストリー」(作出国:ドイツ、作出年:2003年、作出者:タンタウ)(11)「アシュラム」(作出国:ドイツ、作出年:2003年、作出者:タンタウ)(12)「ホーム・アンド・ガーデン」(作出国:ドイツ、作出年:2001年、作出者:コルデス)(13)「マリア・テレジア」(作出国:ドイツ、作出年:2003年、作出者:タンタウ)(14)「メルヘンケ二ゲン」(作出国:ドイツ、作出年:1985年、作出者:コルデス)(15) 「ダブル・デライト」(作出国:アメリカ、作出年:1977年、作出者:スイム)(16)「プリンセス・ドゥ・モナコ」(作出国:フランス、作出年:1981年、作出者:メイアン)(17)「mia愛子」(作出国:日本、作出年:2008年、作出者:ローズ・ファーム・ケイジ)(18)「フランシス・ブレイズ」(作出国:フランス、作出年:2000年、作出者:マサド)(19)「スヴニール・ドゥ・ルイ・アマード」(作出国:フランス、作出年:1998年、作出者:デルバール)(20)「パピ・デルバール」(作出国:フランス、作出年:1995年、作出者:デルバール)(21)「シャトルーズ・ドゥ・パルム」(作出国:フランス、作出年:1996年、作出者:デルバール)(22)「ゴルデルゼ」(作出国:ドイツ、作出年:1999年、作出者:タンタウ)(23)「メヴロー・ナタリー・二ペルス」(作出国:オランダ、作出年:1919年、作出者:リーンダース)(24)「デンティー・ベス」(作出国:イギリス、作出年:1925年、作出者:アーチャー)(25)「ザ・フェアリー」(作出国:イギリス、作出年:1932年、作出者:ベントール)(26)「ダグマー・シュペート」(作出国:ドイツ、作出年:1936年、作出者:ヴィルツ&アイケ)(27)「ピース」(作出国:フランス、作出年:1945年、作出者:メイアン)(28)「マダム・シャルル・ソバージュ」(作出国:フランス、作出年:1949年、作出者:マルラン)(29)「リリー・マルリーン」(作出国:ドイツ、作出年:1959年、作出者:コルデス)(30)「パパ・メイアン」(作出国:フランス、作出年:1963年、作出者:メイアン)(31)「マリア・カラス」(作出国:フランス、作出年:1965年、作出者:メイアン)(32)「ドレスデン」(作出国:フランス、作出年:1961年、作出者:ロブション)(33)「フレンシャム」(作出国:イギリス、作出年:1946年、作出者:ノーマン)(34)「クリムソン・グローリー」(作出国:ドイツ、作出年:1935年年、作出者:コルデス)(35)「エディター・マクファーランド」(作出国:フランス、作出年:1931年、作出者:マルラン)(36)「ピンク・グルス・アン・アーヘン」(作出国:オランダ、作出年:1929年、作出者:クルース)(37)「ブリリアント・ピンク・アイスバーグ」(作出国:ドイツ、作出年:1958年、作出者:コルデス)(38)「ホワイト・クリスマス」(作出国:アメリカ、作出年:1953年、作出者:ハワード&スミス)(39)「リバプール・エコー」(作出国:北アイルランド、作出年:1971年、作出者:マグレディ)(40)「ブライダル・ピンク」(作出国:アメリカ、作出年:1967年、作出者:ボーナー)(41)「ヘリテージ」(作出国:イギリス、作出年:1984年、作出者:オースチン)(42)「みさき」(作出国:日本、作出年:2009年、作出者:国枝啓司)(43)「プリンセス・オブ・ウェールズ」(作出国:イギリス、作出年:1997年、作出者:ハークネス)(44)「プリンセス・チチブ」(作出国:イギリス、作出年:1971年、作出者:ハークネス)(45)「サマー・モルゲン」(作出国:ドイツ、作出年:1993年、作出者:コルデス)(46)「シュネーヴィッチェン」(作出国:ドイツ、作出年:1958年、作出者:コルデス)(47)「アプリコット・ネクター」(作出国:アメリカ、作出年:1965年、作出者:ボーナー)(48)「花房」(作出国:日本、作出年:1981年、作出者:京成バラ園芸=鈴木省三)(49)「早春」(作出国:日本、作出年:1991年、作出者:京成バラ園芸=鈴木省三)(50)「ニコール」(作出国:ドイツ、作出年:1985年、作出者:コルデス)(51)<プロミネント>(作出国:ドイツ、作出年:1971年、作出者:コルデス)(52)「しのぶれど」(作出国:日本、作出年:2006年、作出者:京成バラ園芸)(53)「高雄(たかお)」(作出国:日本、作出年:1975年、作出者:京阪園芸)(54)「桜貝」(作出国:日本、作出年:1996年、作出者:京成バラ園芸=平林 浩)(55)「布通姫(そどりひめ)」(作出国:日本、作出年:1970年、作出者:小野寺 透)(56)「熱情」(作出国:日本、作出年:1993年、作出者:平林 浩)(57)「天津乙女」(作出国:日本、作出年:1960年、作出者:寺西菊雄)(58)「イングリッド・バーグマン」(作出国:デンマーク、作出年:1985年、作出者:ポールセン)(59)「オーナー・ドゥ・バルザック」(作出国:フランス、作出年:1994年、作出者:メイアン)(60)「マリリン・モンロー」(作出国:アメリカ、作出年:2003年、作出者:カルース)(61)「ローズ・オオサカ」(作出国:日本、作出年:2000年、作出者:寺西菊雄)(62)「シャンテ・ロゼ・ミサト」(作出国:フランス、作出年:2004年、作出者:デルバール)フ~!結局、62種のバラを紹介してしまいました。紹介した62種のバラは、これまで、他のバラ園のブログで紹介したバラが大半だったのですが、(60番)の「マリリン・モンロー」は初めて紹介するバラです。「マリリン・モンロー」というバラがあることにビックリ!日本の女優の名が付いたバラは、(57番)の「天津乙女」ただ一種類のようだが、「八千草薫」や「吉永小百合」というバラがあっても不思議ではない。「京成バラ園芸」様、日本の女優の名前を付けたバラを是非、作出して下さいね。午後1時、「中之島バラ園」から歩いて「大阪駅」に戻りました。途中、「バラ園」の近くにある「こども本の森中之島」にちょっと立ち寄り、入口に、「青いリンゴ」のオブジェがお出迎えしてくれます。「こども本の森中之島」は、2020年7月開館、大阪出身の建築家・安藤忠雄氏が設計・施工し、大阪市に寄贈した子供向けの図書館です。以下のサイトは「こども本の森中之島」のホームページです。興味のある方はクリックしてご覧下さいね。子供だけではなく、大人も一緒に楽しめる素敵な図書館だ!夏休みに孫姫4姉妹が奈良に遊びに来たら、USJなどには行かずここに遊びに行きたい!<こども本の森中之島>
2023年06月19日
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京成バラ園、東京タワー、孫姫4姉妹と遊んだ楽しい東京旅5月3日から5月5日のゴールデンウィークに、千葉県の君津市に住んでいる孫姫4姉妹を訪ねて上京しました。孫姫4姉妹が今住んでいる家はパパの会社の「借り上げ社宅」なので、残念ながらリュウちゃん夫妻の泊まるスペースがありません。なので孫姫4姉妹を訪ねる時には、いつも近くにホテルを取って上京するのですが、GWとあって近くのホテルがどこも満員、やむなく「品川プリンスホテル」を2泊予約してお出掛けしたのです(新幹線の指定席も、やっと取ることが出来たのですが、往復共に、冨士山が見えない側の座席だったのです)ゴールデンウィークのお出掛け、大変なのだ!5月3日、午後4時にJR内房線「君津駅」に到着、孫姫4姉妹のママ(リュウちゃんの娘)が車でお出迎え、暫く「社宅」で休憩して、仕事を終え、帰宅したパパの運転で、近くのレストランで夕食、明日(5月4日)は何処へ遊びに行こうか?孫姫たちが住んでいる君津市や、お隣の木更津市には特に行ってみたいところがありませんので、リュウちゃんは外房にある「鴨川シーワールド」を提案したのですが、意外と遠いという理由であっさり否決、ディズニー・ランド案も出ましたが、ゴールデンウィークなので大交雑が予想され、こちらの案はリュウちゃんが否決、結局、リュウちゃんの提案で、八千代市にある「京成バラ園」に行くことにしました。まだバラの開花が始まったばかり、「京成バラ園」のバラ、開花しているのかな?5月4日、午前11時にバラ園の最寄り駅、東葉高速鉄道「八千代緑ヶ丘駅」に集合、バラ園に行く前に駅前にあるイオンのフードコートで早い昼食、プファ~、ビールが旨い!可愛い孫姫に囲まれての昼食、格別だ!駅からバラ園までは「徒歩15分」と書かれていましたので、歩いて行ってみました。徒歩15分と書かれていたが、実際は30分位掛かってしまった!足取りが遅かったのかな?正午過ぎ、バラ園に入場。おお!バラ園は、ほぼ「見頃」だ!<京成バラ園について>「京成バラ園」は1959年(昭和34年)に開園した日本最大級のバラ園です。約1万坪の広大敷地に、1600種1万本のバラが植えられています。開園と同時にここの研究所長となった「鈴木省三」は、ここで数多くのバラを育出し、「ミスター・ローズ」と呼ばれた人物です。鈴木省三が育出したバラは、「聖火」、「乾杯」、「希望」、「早春」、、、のように、2文字の漢字で命名されることが多く、また育出したバラの多くが内外のバラ・コンクールで受賞しています。ここで参考のために、ネットにある「バラ図鑑」のサイトを貼り付けます。以下のサイト、バラのことなら何でも判るようだ!?<Rose Garden|バラ図鑑>さて、いつものように、この日撮ることが出来たバラの品種を以下に張り付けます。今回もバラの名前のみで、説明は省きますので、詳しい情報は上掲の「バラ図鑑」で検索して下さいね。<イントゥリーグ><ディズニーランドローズ>(まだ蕾)<ハニーブーケ><スマイルハニーローズ/くまのプーさん><プリンセス ドゥ モナコ><つるシャルル・ド・ゴール><ジャクリーヌ・デュ・プレ><デザート・ドリーム><つる「うらら」><アウトリット・グレーフィン・フォン・ハイデンベルク><サハラ98><ソニヤドール><つる「聖火」>鈴木省三が京成バラ園で育出した傑作のひとつ、1971年ニュージーランド国際コンクール金賞受賞のバラです。<ダーシーバッセル><ホワイト・ニュードーン><ザ・メイフラワー><FKドルシュキ><ポート・メリヨン><パット・オースティン><ミセス・ウッズ><フォーチュンズ・ダブルイエロー><ブライトサイド・クリーム><マリア・カラス><ミスター・リンカーン><ブラックマジック><ジュビレ・デュ・プリンス・ドゥ・モナコ>園内の休憩所で、「かき氷」を買って、暫し休憩、孫姫ちゃん達、花(バラ)よりアイスだ!バラ園では、男女2人のパントマイム・ショーがありました。バラ園とパントマイム、何故か、よく似合う!?2時間ほど園内を散策、僅か2時間の散策では、広大の京成バラ園の魅力を、断片的にしか伝えることが出来ない!以下のサイトは、「京成バラ園の公式ホームページ」です。<京成バラ園公式ホームページ>新種のバラを育出するバラ園とあって、バラの苗の販売所でも膨大な数のバラの苗が販売されています。また、バラの苗の「通販」も充実しているようです。「通販」に関しては上掲のホームページから入れますので、興味のある方はクリックしてホームページの覗いてみて下さいね。「八千代緑ヶ丘駅」で孫姫ちゃん達とお別れして、リュウちゃん夫妻はホテルに戻りました。途中、銀座に立ち寄り、暫し「銀ブラ」、地下鉄「銀座四丁目駅」では、高峰秀子の「銀座カンカン娘」のメロディが流れていた!<銀座カンカン娘>銀座四丁目の角にある「三越銀座店」の12Fにある寿司店で夕食、プファ~、ビールが旨い!やはりリュウちゃんは「花(バラ)よりビール」なのだ!<美空ひばり「銀座四丁目」>5月5日(子供の日)、「男はつらいよ」大ファンのリュウちゃんは、久しぶりに寅さんの故郷、葛飾柴又に夫婦2人で行こうと思っていたのですが、女房殿のスマホに孫姫からリクエストが入りました。リクエストは、東京タワーに行きたい!でした。東京タワーなら泊まっているホテルから近い。よし、久しぶりに東京タワーに行ってみよう!<美空ひばり「東京タワー」>午前10時、品川駅で孫姫たちと合流、電車を乗り継ぎ、増上寺の「三解脱門」の右脇の道から東京タワーに向かいました。「子供の日」とあって、東京タワーの下は、こいのぼりが舞い踊っている!地上150mの所にある「展望台」(メインデッキ)に登ります。高校生の孫姫1号は「エレベーターではなく、<600段の階段登り>に挑戦する」と言いましたので、女房殿と孫姫1号の2人は「階段登り」、高所恐怖症のリュウちゃん達はエレベーターで展望台に上りました。昭和33年に開業した東京タワー、150mの展望台は長らく全国一番の高層展望台だったが、今では、周りの高層ビルの谷間に入ってしまった。展望台名物の「透明な床」、高所恐怖症のリュウちゃん、床の上に立つことが出来ない(トホホ!)本日のラストの写真は、東京タワーのすぐ近くにある増上寺の「紅葉谷」です。東京タワーのすぐ傍に、京都の北野天満宮のような「紅葉谷」があるのだ!また紅葉の季節に、東京タワーに行こうかな?ーーーーーー<特報>藤井聡太6冠、念願の名人位を奪取し、史上最年少名人及び史上最年少7冠を達成!おめでとうございます!この上は、この秋に行われる「王座戦5番勝負」に出場し、史上初の「8冠」独占を果たされることをファンは期待しています。(藤井聡太新名人・7冠)
2023年06月02日
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一年ぶりの春日大社萬葉植物園、20種類の藤の花、今、満開。4月27日、リュウちゃん一人で奈良公園を歩いて一周してきました。今回の奈良公園一周の主な目的は、春日大社万葉植物園の「藤の花」を観ること、それと春日大社境内に無数に生えている「山藤」を観ること、それと、昨年、初めて知った「奈良八重桜(ならのやえざくら)」を観ることです。例年、萬葉植物園の藤の見頃は、ゴールデンウィーク頃、今年はちょっと早く出掛けたが、「見頃」なのだろうか?午前11時、JR奈良駅スタート、ここから歩いて奈良公園を巡ります。<興福寺>先ずは「興福寺」の「南円堂」、新緑が眩しい!前の「藤棚」もう終わりかけかな?「北円堂」の前には数本の「奈良八重桜」があるのですが、ほとんど「葉桜」になってしまっていました。その中で僅かに一本だけ咲き残った「奈良八重桜」を撮ることが出来ました。「五重塔」の下の「藤棚」、「花」よりも「葉」の緑が美しい。(※)「興福寺五重塔」は今年の7月から「令和の大修理」に入ります。なので、当分の間、見ることが出来なくなるようです。<奈良国立博物館>「奈良国立博物館」の前にも、大きな「藤棚」があります。ここの「藤棚」、どうやら「見頃」のようだ。いうつも思うのだが、「花:」より「根」が見事だ!<飛火野エリア>「春日大社」の「前庭」である「飛火野エリア」に入ります。「飛火野」といえば樹齢120年の「大クス」今の季節が一番美しい!「大クス」の前の「藤棚」、もう「終わりかけ」のようだ?<萬葉植物園>さて、入場料500円を払って「萬葉植物園」に入ります。入場口の女性の話では、現在の「藤園」の開花状況は、「やや見頃を過ぎていますが、遅咲きの藤は今が見頃」とのこと、入場口の近くの「九尺藤」、まだまだ「見頃」なのだ。「大根の花」です。いつも同じ場所に咲いています。大根は通常は花が咲く前に収穫してしまうので、花を見る機会は殆ど無いのですが、ここは、「花」を見るために大根が植えられているのです。大根の花の「花言葉」は、「適用力」、「潔白」、白く、清々しい花なのだ!「萬葉植物園」の真ん中には大きな池があり、池の中央部にある「中ノ島」には、奈良市指定の天然記念物「臥竜のイチイガシ」があります。「臥竜のイチイガシ」、萬葉植物園の一番のビュースポットなのだ!<藤園>「藤園」に入ります。萬葉植物園の「藤園」には、20種200本の藤が、半分は「棚仕立て」、もう半分は「立木仕立て」で植えられています。「かざはやの里」のような壮大な藤園ではありませんが、春日山原始林の木々の間に造られた藤園は、原始林と調和した独特の「藤の楽園」となっているのです。<園内の山藤>園内には2本の巨大な「山藤」があります。1本は園の入口に、もう1本は園の奥にあります。この2本の巨大な山藤、藤園の「見所」の一つなのだ!以下、園内のスナップを何枚か貼り付けます。萬葉植物園の藤園は、バラエティに富んだ「藤の楽園」なのだ!例によりまして、この日撮影出来た藤の種類を以下に紹介致します。(1)<海老茶>(2)<白野田>(3)<黒龍>(4)<口紅>(5)<麝香(じゃこう)>(6)<白甲比丹>(7)<岡山一歳>(8)<昭和紅>(9)<新紅>(10)<本紅>(11)<九尺>(12)<八重黒龍>フ~、やっと12種類の写真を撮ることが出来ました。残りの8種類は、もう終わっていたのかな?萬葉植物園を後にして、春日大社に向かいます。「春日大社」は、春日山原始林の中にあります。春日山原始林は、西暦841年、天皇の命によって樹木の伐採が禁じられ、その禁令が現代まで続いていますので、まさに「千古の始始林」になっているために、至るところに目を見張る「巨樹」が自生しています。リュウちゃんの好きな巨樹は、春日大社の「二の鳥居」の直前を右に曲がったところにあります。この巨樹、恐らく幹周10m位、殆ど「枯れ木」、何という名前の巨樹なのだろう?巨樹のある場所から、「金龍社」に向かいました。ここで、2本目の開花している「奈良八重桜」を観ることが出来た!「金龍神社」の隣に、「春日若宮神社」があります。修復され、新しく生まれ変わった拝殿、その奥の山藤、この辺りは「山藤のメッカ」なのだ!巨樹大好き人間のリュウちゃんにとりましては、「春日若宮神社」といえば「若宮神社の大クスノキ」です。樹齢1700年、幹週11,2m、奈良県一番のクスノキの巨樹、今年も逢えて良かった!「春日大社」の境内に入ります。春日大社境内の藤の「見所」は、樹齢700年以上とされる「砂ずりの藤」(野田藤の変種といわれています)なのですが、リュウちゃんは断然、本殿の横手にある「山藤」がご贔屓なのです。ここの山藤、今が一番の「見頃」なのだ!さて、「砂ずりの藤」です。この藤の古木の名称は、「長く伸びた花房が地面まで垂れ、地面の砂を擦る」というところから来ていますが、近年は樹勢が衰え、花房の長さはせいぜい50センチ位にしかなりません。でも、朱色の建物とのコラボ、古都奈良ならではの、「藤の銘木」なのだ!もう午後1時を過ぎた。お腹が空いた!で、大きな「山藤」の前の茶店で遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!藤の花の香りがツマミなのだ!奈良公園の藤見物も、これで終了です。リュウちゃんにとりましては、ここからが「帰路」です。<水谷神社のイブキの巨樹>昼食を摂った茶店の近くに、春日大社の摂社の一つである「水谷神社」があります。何時も通り過ぎるだけの「水谷神社」ここのイブキの巨樹、何時観ても異様だ。圧倒される!今回の奈良公園の「藤行脚」はこれで終わりです。このブログの最後に、奈良公園の鹿たちの写真を何枚か貼り付けます。皆様、是非一度、奈良公園に遊びに来て下さいね。私達はいつでも皆様を大歓迎致します。出来れば公園内にある売店で、「鹿せんべい」をいっぱい買って、恵んで下さいね。そうすれば、一生の思い出になりますよ。(奈良公園の鹿一同)
2023年05月20日
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アジサイの名所「かざはやの里」の1800本の藤の花圧巻の眺めだ!4月24日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、三重県津市にある「かざはやの里」の藤の花を見に行って来ました。「かざはやの里」は、広大な敷地に77000株のアジサイが植えられている「全国屈指のアジサイの名所」として最近、全国的に知られるようになってきましたが、「藤の花」も、1800本という途方もない本数が植えられている「藤の名所」なのです。以下に、「かざはやの里」を紹介しているサイトを貼り付けましたので、興味のある方はクリックしてご覧下さいね。<「かざはやの里」~観光三重>朝9時に奈良の家を出発、午前11時に最寄りの「伊勢道久居(ひさい)IC」下車、昨年、アジサイを見に行った時と同じように、近くの回転寿司店でちょっと早い昼食、プファ~、ビールが旨い!1800本の藤の花に期待が高まる!正午ちょっと前、回転寿司店を出て、「かざはやの里」に向かいました。回転寿司店から「かざはやの里」までは、車で約10分です。おお、入口の駐車場から藤の花がお出迎えだ!園内に入場します。下の写真のように、「かざはやの里」は、左右を小高い丘に囲まれた「すり鉢状の斜面」にアジサイが植えられていまして、「藤の花」のメインスポットは下の写真の左側の丘の上にあります。巨大な「藤棚」が並んでいる丘の上に上がってきました。おお、ここは正に「藤の楽園」なのだ!「藤棚」の傍にも、立木仕立ての藤の花がいっぱい植えられているのです。藤の花といえば「棚仕立て」がポピュラーだが、「立木仕立て」の藤も風情がある。「かざはやの里」には、9つの巨大な藤棚が造られています。植えられている藤の種類は、「白甲比丹藤」「紫甲比丹藤」「紅藤」「口紅藤」「六尺藤」「九尺藤」「長崎一歳藤」「八重黒龍藤」「黒龍藤」「白野田藤」の10種類のようです。暫く9つの巨大な藤棚の下を散策しました。「藤の花」の一番の魅力といえば、何といいましても、長く垂れ下がった花房ですね。日本で一番有名な藤の名所は栃木県にある「足利フラワーパーク」の「大藤」<樹齢160年、ノダナガフジ(別名九尺藤)>ですが、この「大藤」の花房は最長2mくらいになるようです。残念ながら、本日の、「かざはやの里」の藤の花房の長さは、長くてもせいぜい1mくらいです。時期が早過ぎたのか?それとも「藤の木」の樹齢が若すぎたのか?「足利フラワーパーク」は1996年(平成8年)に開園されましたが、目玉の「大藤」は、その時に移植されたようで、樹齢は先に述べたように160年なのだそうです。「かざはやの里」は、前回のブログで紹介しました「高見の郷」と同じく、2004年(平成16年)に開園されましたが、アジサイや藤の植え付けは、苗木から始めたようで、藤の木の樹齢も現在、せいぜい20~30年といったところです。やはり樹齢が若過ぎるために、花房がまだ短いのかな?<9画3段円の藤棚>「かざはやの里」の丘の上にある9つの巨大藤棚のラストとしまして、一際巨大な藤棚が前方に見えてきました。この一際巨大な藤棚は「9画3段円の藤棚」と呼ばれています。直径約100mくらいの円形状の藤棚で、その棚が上段・中段・下段と3層に造られていて、まるで教会の「ドーム」のような形状になっているのです。このような藤のドーム、初めて観た!「ドーム」の中に入ります。青天井のドーム、素晴らしい景観だ!「藤棚の丘」を下り、「すり鉢の底」を経由して、対面の丘に向かいました。以下の写真は、対面の丘から撮った藤棚の写真です。改めて「かざはやの里」の藤棚のスケールが確認出来た!対面の丘には、「藤棚」は無かったのですが、途上の至るところに、一本仕立ての「藤ツリー」が出迎えてくれたのです。「藤棚」も素晴らしいが、「藤ツリー」も見事だ!対面の丘に咲いていた白い花、何という名前の花なのだろう?参道横にある「花手水」も「藤手水」なのだ!(※)4月末にPCを新調しました。新しいPCは以前の使い慣れたPCとは細かい点で勝手が悪く、ブログ更新に四苦八苦しています。新しいPCで見る写真は、いずれも右半分がボケていることが顕著に判るようになりました。この「ボケ」は以前から感じていたのですが、今回のブログの写真で、今使っているデジカメの限界を痛感した次第です。次回のブログからは新しいデジカメを使って写真をいっぱいアップしたいと思っています。今後共、リュウちゃんの拙いブログを宜しくお願い致します。
2023年05月11日
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標高700mの天空に咲き誇る千本の巨大しだれ桜、ここは第2の「吉野の桜」なのだ!4月11日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、昨年初めて行った奈良の新しい桜の名所「高見の郷」に行って来ました。リュウちゃんの家から「高見の郷」までは車で約1時間30分、午前8時30分に家を出て、午前10時過ぎに、専用駐車場に到着。ここから無料のシャトルバスが「高見の郷」の入場口まで送ってくれます。ここで「高見の郷」の「桜MAP」を貼り付けます。(「高見の郷」の桜MAP)昨年は一番下部にある入場口で1000円の入場料を払い、そこから更にシャトルバスで、「高見の郷」のメインの見どころである「天空の庭」まで行ったのですが、今回、シャトルバスは、上掲図の左側の「バス停」と表記されている「図」からはみ出したところにある別の入場口に到着しました。ここからどうやって「天空の庭」まで行くのだろう?と訝しんでいますと、案内の女性が、<こから天空の庭までは5人乗りの「無人運転カート」で行って頂きます>とのこと、「無人運転カート」は、以下の写真のような乗り物です。ハンドルは付いていますが、自動運転なのです。(無人運転カート)平坦なゴルフ場ならいざ知らずガードレールのない崖道、転落するリスクはないのか?ヒヤヒヤしながらカートに乗ったのですが、終点の「天空の庭」の手前にある、「千年の丘」の登り口で途中下車、ここから「高見の郷」の一番標高の高い展望台である「千年の丘」に上っていくのです。標高700mからの景観。雄大だ!見下ろす「天空の庭」吉野の「上千本」から見下ろす景観とソックリだ!<「千年の丘」からの眺望>「登り口」から10分くらいで、標高750mの「高見の郷」の頂上である「千年の丘」に到着します。「千年の丘」は、桜は少ないが、眺望絶佳だ!暫く雄大な「千年の丘」の眺望を楽しみ、約100m下にある「天空の庭」に降りて行きます。この「下り道」からの眺望も素敵なのだ!<天空の庭>午前11時過ぎ、「高見の郷」の一番の見所である「天空の庭」に到着、縦横にそそり立つ無数の巨大なしだれ桜、天空が桜の花で満たされている!!!この世のものとは思えない物凄い光景だ!!! <「高見の郷」について>「高見の郷」は、奈良県の北西部にある東吉野村の「高見山」の麓に、2004年にオープンしたばかりの、「新しい奈良の桜の名所」なのです。奈良人リュウちゃんも昨年、初めて知ったばかりの所なのです。この地で林業を営んでいた「島崎昭章・章さん親子」は、衰退し、荒れていく山を、何とか有効活用出来ないかと考え、「この地に桜を植えよう」と思い立ち、全国から集めた1000本の優良なしだれ桜を植えたのだそうです。樹齢60年といわれる「ソメイヨシノ」とは違って、手入れ次第では何百年にもわたり咲き続ける「しだれ桜」です。日本3大桜の一つとして有名な「三春の滝桜」の種類は「紅しだれ桜」なのですが、樹齢1000年、樹高12m、幹周り9.5m、枝張り東西22m・南北18m、と巨大な樹になっています。(三春の滝桜)まだオープンから19年しか経っていませんので、それぞれの桜の木は樹齢約20~30年の「若木」です。「高見の郷」の1000本のしだれ桜、1000年後には1000本の「三春の滝桜」が出現する???想像するだけで楽しい!お昼になりました。「天空の庭」にある茶店で「山菜ソバ」と缶ビール(2缶)を購入し、赤い蛇の目傘の下のベンチで昼食、プファ~、ビールが旨い!「高見の郷」の1000本のしだれ桜、独り占めした気分だ!「赤い蛇の目傘」の近くに、シャクナゲが開花していた!紅葉もあった!しだれ桜とシャクナゲと紅葉のコラボゴージャスだ!昼食を終えて、「天空の庭」の下部にある「記念植樹コーナー」に向かいます。このエリアは、「高見の郷」が開園した2004年以降に、新しく開拓され、来場者が記念として、しだれ桜の若木を植樹したコーナーのようで、「天空の庭」のような巨樹には成長していないしだれ桜が大半なのですが、来場者もそんなに多くなく、何やらホッとするエリアなのです。来年あたり、リュウちゃんもここにしだれ桜を植樹したい!暫し「記念植樹コーナー」を散策し、「天空の庭」に戻りました。やはり「天空の庭」は一番華やかな場所、東京に例えれば、「銀座四丁目」なのだ!もう午後2時を過ぎた。そろそろ下山しよう。ということで、「天空の庭」から発車する「無人運転カート」を待つ行列に並びました。カートを待つ行列は長いが、カートは次々に到着する。思ったよりも早くカートに乗ることが出来た!ガードレールの無い崖道を走行する無人運転カート、上っていく往路はまだしも、下っていく帰路はヒヤヒヤだ!<行きはよいよい帰りは恐い>とは、正にこのカートのことなのだ!今年は桜の開花が早過ぎたため、とうとう「吉野の桜」行脚の機会を逃してしまいました。なので、昨年撮った「吉野の桜」の写真を以下に貼り付けます。来年は「吉野の桜」と「高見の郷」のしだれ桜のダブル行脚が出来ますことやら?
2023年04月24日
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今年、最初で最後の京都の桜。醍醐寺・清水寺の桜、雄大で華麗だ!梅行脚が終わった途端に、今年の「桜行脚」を始めました。本来なら「桜行脚」は、早咲き桜を別にして、例年は4月上旬から始めるのせすが、今年は3月の「史上最高の高温」のため、ソメイヨシノの開花は異常に速く、こちら関西でも殆どの名所で、3月末が「見頃」となってしまいました。で、リュウちゃんは、3月27日から3月30日まで4日間連続で「桜行脚」に出掛けたのです。ソメイヨシノの命は開花してから約一週間、「桜行脚」は忙しいのだ!今年の「桜行脚」の第1弾と致しまして、京都の「醍醐寺」と「清水寺(きよみずでら)」の桜をアップしてまます。3月27日の新聞の「桜便り」で、「京都の桜の名所」が殆ど「満開」になったことを知りました。よし、昨年、一部しか観ることが出来なかった「醍醐寺」に行ってみよう!という訳で、午前中に「醍醐寺」に出掛けてみました。朝8時30分に家を出発、午前10時過ぎ、醍醐寺に到着、おお、「総門」の前の桜、満開だ!「総門」を潜り。境内に入ります。「総門」から「仁王門」までの参道の桜、ゴージャスだ!「三宝院」の横手にある拝観券売り場に並んで1500円の拝観券を購入、醍醐寺の拝観券は、「仁王門」の手前にある「三宝院」と「霊宝館」、そして仁王門」の奥にある「伽藍」の3か所を拝観するチケットです。昨年も同じチケット委を購入して入場したのですが、この時に入場したのは「伽藍」のみで、「三宝院」と「霊宝館」には入場しなかったのです。事情が分からなかったとはいえ、昨年は痛恨の極み!「醍醐寺」に行って「三宝院」、「霊宝館」に入らなかったという事は、「醍醐寺の桜」の1/3しか観なかったことになる!<三宝院>で、拝観券売り場の横にある「三宝院」に入場しました。「三宝院」には桜は数本しかありませんでしたが、以下の「太閤しだれ桜」が有名なようです。この桜は推定樹齢170年、昭和47年に日本画家:奥村土牛(とぎゅう)の「醍醐」という作品で有名になったようです。境内のピンクの枝垂れ桜、こちらのほうが華麗だ!「三宝院庭園」は豊臣秀吉が慶長3年(1598年)、「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭として有名なのですが、本日は「桜見物」がメインですので、1枚写真を撮っただけで、国宝の「表書院」には入りませんでした。国宝の「唐門」の前を通り、「仁王門」に向かいます。(三宝院唐門)「仁王門」の周辺の桜、華麗だ!「仁王門」を潜り、「伽藍」に入ります。昨年、初めて「醍醐の桜」を観に行った時の記憶では、「五重塔」の周辺の桜が一番見応えがありましたので、今回も最初に「五重塔」の下に行ってみたのです。先ずは「五重塔」の前にある「清瀧宮」の裏手にある巨大枝垂れ桜です。醍醐寺の桜の中でも、屈指の巨樹のようだ。「清瀧宮」の前にある巨大枝垂れ桜です。昨年訪れた時には、ほぼ「散り桜」だったのですが、今回もほぼ「散り桜」、この枝垂れ桜、何時、訪れたら「満開」を観られるのだろう?<五重塔と桜のコラボ>「清瀧宮」を見下ろすように、京都最古の木造建築物である「五重塔」が建てられています。五重塔と桜のコラボ、醍醐寺の桜の一番の見所なのだ!五重塔を後にして、「伽藍」の一番奥の「観音堂」に向かいました。観音堂の横には「弁天池」があり、この池の周辺も、醍醐寺屈指の桜のビュースポットなのです。昨年は弁天池の水面に桜の花筏がいっぱい浮かんでいたが、今年はまだ花筏だ少ない。やはり今日は、一番の見頃の時期だったのかな?<霊宝館の桜>「仁王門」を出て、「三宝院」の対面にある「霊宝館」に向かいました。「霊宝館」は醍醐寺の文化財や宝物が収められているところなのですが、「醍醐大しだれ桜」などの巨大なしだれ桜が多数あり、実際には「醍醐寺随一の桜の見所」のようです。下の写真は「霊宝館」の前の参道の桜のトンネルです。「桜のトンネル」の真ん中に「霊宝館」の入場口があります。入場口から、建物の周辺を時計回りに一周します。以下、その時に撮った写真をアップしてみます。<醍醐大しだれ桜(醍醐深雪桜)>本日の醍醐寺桜見物の一番の目的だった「醍醐大しだれ桜」です。残念ながら、花は殆ど散ってしまって、ほぼ「葉桜」になっていました。「醍醐深雪桜」、「見頃」は何時頃なのかな?「醍醐深雪桜」の近くに、下の写真のような、幹だけで長く伸びた枝の無い桜の老木(?)があります。この桜の老木と隣のピンクの八重桜のコラボ、本日の醍醐寺の桜の中で、リュウちゃんの一番の「お気に入り」になった!約2時間ほどの醍醐寺散策を終えて、京都駅に向かいました。京都駅の駅ビルの中にある大衆割烹店で昼食を摂るためです。午後1時、大衆割烹店に到着、いつものように、「寿司御膳」とビール2本を注文し、ちょっと遅い昼食、プファ~、ビールが旨い、割烹店の壁に展示されていた花鳥図の一筆で描かれたワラビの図に春を感じた。ちょっと酔っぱらったのかな?<清水寺(きよみずでら)の桜>さて、清水寺です。京都人でないリュウちゃんにとりましては、「京都と云えば清水寺」というくらい、「京都のシンボル」的な存在なのです。三重県伊勢市出身のリュウちゃん、小学校6年生の時に京都に修学旅行に行ったのですが、現在まで覚えているその時の記憶は「清水寺」のみなのです。ブログで「清水寺の桜」を採り上げるのは今回が初めてですが、「桜行脚」で一度は行って見たい所でしたので、今回、行って見たという次第です。「高台寺」までタクシーで行き、「二年坂」、「三年坂」、「清水坂」を歩いて清水寺に向かいました。参道の清水坂、凄い人混みだ!着物姿の女性が多い。京都のお花見は華やかなのだ!修理を終えたばかりの仁王門と三重塔、朱色が眩しい!本堂(清水の舞台)、阿弥陀堂、奥の院、桜よりも人のほうが圧倒的に多い。これじゃ、桜見物というよりも、「人混み見物」だ(苦笑)
2023年04月11日
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