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「古典推し」という番組がNHKで始まった。第一回が「平家物語」。私の大好きな古典なので、録画して見た。いきなり、「尊い」という言葉が出てきた。「素晴らしい」という意味のようだ。「推しが尊い」といった使われ方が番組の中では出てきた。 こういう運び方は、若い人たちに向けて「古典の良さを見直してみよう」系の番組をNHKが作ろうとしているのかなと思ってみていると、「扇の的」が出てきた。陸にいる源氏の武士たちに向かって漕ぎ出してきた平家の船には竿の先に扇がつけてある。「この扇を射抜ける者がいたらやってみろ」という挑発かなと思いきや、扇の的の横に立っている女性は巫女のような姿。つまり、この扇の的を射抜けたら源氏の勝ち、平家の負けを占うためのものなんだという解釈が出てきた。 手元にあるのが角川文庫版。そのような解釈は載っていない。 与一がみごとに扇の要際を射切ると、「沖には、平家舷(ふなばた)を叩いて感じたり、陸(くが)には源氏箙(えびら)を叩いてどよめきけり」とある。与一が扇を射切ってしまうという事が平家にとっての凶兆ならば平家の武士たちは「舷を叩いて感じ」るのだろうか?また平家の軍船の間から扇の的を立てた船が漕ぎ出してきたときに、義経が「あれはいかに」と側近に問うと、「射てみよというのでしょう。ただし、義経様が美人をご覧になろうと矢の射程距離内に入られますと射殺せよとのことでしょう。しかし、あの扇は射落とさねばならんでしょう」(拙訳)と答えていることから考えるに、「占い」説はやや無理があると思う。 他の本にそのような解釈があるかどうか調べてみたい。
2024.03.28
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三浦しをんの作品を読んだのは、『神去なあなあ日常』が最初だったと記憶している。他に『風が強く吹いている』『まほろ駅前多田便利軒』などが印象に残っている。 『舟を編む』をいつ頃読んだのかは定かではないが、全く引き込まれてしまった。それまでおよそ「辞書を編纂する人たち」に関心を持つ事は無かったが、常にカードを携帯し、女子高生の会話に耳を澄ませて新しい用例を収集して日本語が変化していく現場に立ち会い、同時にこれまで長年使用されてきた言葉の語釈を改めて考え直す。「右」という言葉をどう定義づけるか。「愛」と「恋」とはどう違うのか。また両者が合体した「恋愛」という言葉をどう説明するか。 辞書の紙をどうするか。「ぬめり」という言葉を初めて目にした。 大槻文彦が編纂した「日本初の近代的国語辞典」とされる『言海』。「言葉の海」。ここに載っている「猫」は、猫にたいする語釈の傑作と言われている。以下に紹介する。 ねこ(名)【猫】[「ねこま」下略。「寐高麗」ノ義ナドニテ、韓國渡來ノモノカ。上略シテ、「こま」トモイヒシガ如シ。或云、「寐子」ノ義、「ま」ハ助語ナリト。或ハ如虎(ニヨコ)ノ音轉ナドイフハ、アラジ。]古ク、「ネコマ」。人家ニ畜フ小サキ獸。人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。然レドモ、竊盜ノ性アリ。形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル。毛色、白、黑、黄、駁等、種種ナリ。其睛、朝ハ圓ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ。陰處ニテハ常ニ圓シ。 大槻の生涯を活写したのが、高田宏の『言葉の海へ』。これも大変に面白かった。 調子に乗って、『大漢和辞典』を編纂した諸橋轍次の事も調べた。こちらも言葉にならないほどの偉業と言っていい。 さて、『舟を編む』だが、映画化された。原作にかなり忠実な作品だった。 ところが今回のNHKの作品は、ファッション雑誌の元読者モデルで、現在はその雑誌の編集部にいる女性が、玄武書房初の中型辞典を編纂するという現場に移動になる処から始まる。正しくは、彼女が大泣きしているシーンから始まる。号泣、涕泣などいった「泣く」に関する言葉が字幕で入る。 第一回目のキーワードは、彼女がなんとなく使っている「~なんて」という言葉。個性の強い辞書編集部の面々と不安な日々を過ごすうちに、彼女は、辞書をひいて「~なんて」という言葉の意味を知ることとなる。 第六回目は、いよいよ、「なぜ紙の辞書でなくてはならないのか」問題が浮上してくる。岩松了演じる荒木が、中型辞書作成の企画が通った事を、彼が敬愛する松本(柴田恭兵)に知らせに生き、喜びのあまり二人で手を取り合ってぴょんぴょん跳ね、ぐるぐる回るシーン。しかし、本当に紙の辞書を作らねばならないのかと疑問を呈する経営者(堤真一)とどう戦うか。 「辞書はなぜ紙でなければならないのか」という問いを私も共に考えたい。そして、書店に行って、「この一冊!」という辞書を買いたい。 ※「辞書はなぜ紙でなければならないのか」と打つと必ず、「神でなければならないのか」と私のパソコンは変換する。ちょっと不思議。
2024.03.27
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神大の学生が、とまった旅館の部屋の障子を破り、胴上げをして天井を破損した一件を自分たちでSNSにアップして退学になったという。 不思議なのが、自分たちのあほな行動をわざわざSNSにアップしたということ。大学は、退学という処分の一択であったと推測する。「こんなことをやらかしてこの程度か!」という反応がおそらくは世間一般のものだと大学が判断せざるを得なかったからだろう。 中二病・高二病・大二病という言葉があるそうだが、二十歳のころかな。 振り返ってみるに、下宿で「二十歳になったんだから意義のあることをやろう」という話が持ち上がり、先輩たちに「先輩たちが徹マンをやって、何時間くらいぶっ通してやったんですか?」と尋ねると、30時間という答えが返ってきたので、「記録は破られるためにある」と卓に向かい、結局、35時間という「下宿大記録」を打ち立てた。これだけ長時間やると、四人の点棒の数はほぼ等しくなり、高校の数学の先生が言っていたことが頭の隅に浮かんですぐ消えた。それから四人で風呂に行って、前後不覚に寝た記憶がある。 つまり、その時の四人は、「世間様に迷惑をかけてでも自分たちのあほさを貫きたい」という考えはなかったし、またスマホもなかったこととてその行動を発信しようなどとは思いも寄らなかった。四人で、「あの時、オレら、あほやったよね」と振り返って笑うぐらいが関の山だった。 ふと思いついて調べてみると、ロシアのピョートル大帝は、25歳で200人近くの側近を連れて西ヨーロッパを視察、皇帝自らオランダの造船所で仮名で(ばれていたと思うが)ハンマーをふるって造船技術の習得に励んでいる。 ただ問題は、そうして働いた後の夜のこと、したたかウォッカをのんだ一行は、ホテルの部屋の窓を破壊し、テーブルや椅子、食器を盛大に放り投げたという。 当然、破損代金は、ロシア政府へ請求が行ったことと思われる。 ロシアを出発したのが1697年。それから300年ちょっとの時間がたった。 神大生たちの行動は、一罰百戒。「おれたちこんなあほなことが出来るんだぜ、えらいやろう」という思いで、世間に迷惑をかけるあほが少しでも減ることを願う。
2024.03.20
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梅や桃の花、白いモクレンの花は咲いているが、桜の本命のソメイヨシノは開花が遅れているのか、まだつぼみの状態だ。ただ、今年の入学式は4月の8日。あと20日ほどある。例年、入学式の大きな看板の前や満開の桜の下で記念撮影をされているお母さん(時としてお父さん)と新入生のためにその日に間に合えばいいなと思う。春は、一年の中で一番華やかな季節かもしれない。私の師は山形の方なのだが、春を迎える山形の新緑を語られる時にはひときわ言葉に熱がこもる。散歩をしていると、自転車、車では気が付かなかった自然の小さな変化が目に入る。特に今はベニカナメモチの赤い若葉が目に染みる。水分をたっぷりと限界まで蓄えているような赤い若葉。雪柳は私の好きな花の一つで、散歩の際に出会うとしゃがみこんで一つ一つの小さな花に見入ってしまう。
2024.03.19
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エジプトのピラミッドの回廊の中に、「最近の若い者は困ったもんだ」と書いてあるという事を聞いたことがある。半信半疑でいたのだが、最近、以下のような言葉を目にした。 「若い時に哲学をするのは恥ずかしいことではない、しかしもはや年もいっているのに人がなお哲学をしているというのはソクラテスよ、滑稽なことになるのだ。」 古代ギリシアの哲学者プラトンの『ゴルギアス』という本の中に出てくる。ゴルギアスは、ソフィストと称される人々のリーダー的存在とされていて、アテネの民会において論敵を叩きのめすための弁論術を教えて報酬をとるという今でいう教師のような者だ。 上記の言葉はゴルギアスの仲間のカリゥクレスのもの。 若い時に色んな思想にかぶれるのは良いけれど、年をとっても青臭いことを言うんじゃないよ、と翻訳(?)できるかもしれない。 おおよそ2000年ほど前の言葉なのにいまだに通用する。ヒトの考えることは背中に背負ったリュックのなかに入ってしまうようなものかもしれない。 ガザの惨状とウクライナのひとびとが被らねばならない死と荒廃を見るにつけ、「戦争をしない」という事さえも実現できていない人類が「進化」したのは、効率的な人の殺し方ぐらいのものかもしれない。
2024.03.18
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ビニール袋の中に一杯たまってきた発泡スチロールのトレイ、透明プラスティック、ペットボトルを近くのスーパーまでもっていく。きちんと分別して入れていく。先客は若いカップル。入れていく量は少なそうだ。ペットボトルのリサイクル率が低いと報じられていたのが気になる。袋の中を空にしてから、少しばかり南にあるコーヒー焙煎所に行く。 この店は西宮に越してきてからしばらくして発見した店。本業は焙煎なのだが、店内で飲むこともできる。最初に入ったときに驚いたのは、何の飾りけもない木のテーブルがどんとおいてあり、その周りにパイプ椅子が置いてあったこと。のちにパイプ椅子は簡素な木の椅子に昇格(?)して現在に至る。 必ずたのむのはコーヒーとドーナツ。なんともいい組み合わせ。この店のコーヒーは、ブラックで飲むことにしている。ふらっと入った店ではまず一口飲んでみて、ミルクと砂糖を入れることにしている。店によっては甘いミルクコーヒーになることもある。 学生時代からコーヒー(インスタントからはじまって)をのみ続けているから、コーヒーを飲んで眠れなくなるとか目が冴えるという事はないが、ただ一度だけ体験したことがある。結構有名なコーヒーのチェーン店で、コーヒーをたのんで、しばらくそのままにしていた。何か他の事をしていたと思うのだが、ややぬるくなったコーヒーを一口飲んで文字通り目が醒めた。恐ろしく不味い。それ以来そのチェーン店には入ったことがない。 他にも豆を売っているのに恐ろしく不味いコーヒーを出す店もある。 旨い,不味いは人それぞれだしその時の体調にもよるのだが、不味いものは不味い。 いまや、私が安心してコーヒーが飲める店は二軒だけになってしまった。
2024.03.17
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