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July 18, 2019
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カテゴリ: 詩とやまと歌と
​​星 ​  割…カツ、わ(る) ​​、わり、わ(れる)さ(く)​


崇徳院御製
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ

​瀬の流れが速いので、岩にさえぎられる滝川が分かれてもまた下流で一つになる
ように、いつかはきっと恋しい人に逢おうと思います。​


 滝川の流れの速さとイメージが重なって、何と力強い、激しい歌だろうという
のが第一印象でした。

 作者崇徳院は、保元の乱を起こして讃岐に流され、彼の地で亡くなりました。
乱に至るまでには、崇徳院ご自身がまねいたのではない「不義の子」という要因
が関わっていて、気の毒な人生でした。


 崇徳院は鳥羽天皇と璋子の間の子となっていますが、実際の父親は鳥羽院の
祖父、白河院だと言われます。白河院は璋子の養父でしたが、鳥羽天皇に入内さ
せる前に手をつけていたという忌まわしい噂がありました。

 鳥羽天皇自身もそう思っていて、崇徳院に対しては冷淡でした。
崇徳院は、白河院の後ろ盾で即位しましたが、白河院亡き後、鳥羽院と美福門院の
皇子に譲位させられてしまいました。わが子の重仁親王の即位を望みましたが、
次の皇太子も美福門院の皇子とされ、鬱屈した思いが高じて保元の乱を起こした
ものの、敗北して配流の憂き目に遭ったのです。

​​憤…フン、いきどお(る) 慨…ガイ​​


讃岐平野

 讃岐の地で重仁親王死去の報を受けてから二年間、自ら崩御されるまで、怒りの
ため髪をとかすことも爪を切ることも亡く国家を呪ったといいます。死後も天狗になったり怨霊となったという伝説も伝わります。
 上田秋成の『雨月物語』「白峯」にも怨霊となった院の浅ましい姿を西行が嘆
き、供養したという話が載っています。

 しかし、配流後の歌には恨み辛みはなく、詠まれるのは心細さです。崇徳院も
歌の名手であり『詞花集』は院の勅命によって編纂されました。出生の不透明さが
なければ、鳥羽天皇との仲もこじれず、保元の乱も起こることがなかったのかも
しれません。


​​





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Last updated  July 18, 2019 12:00:20 AM
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