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・・・何故にそこまでしなければならないのか?公共放送を標榜し実際料金を取ってまで放送をしている。税金と同じと言われる様な半強制料金でありつつも、組織内部はやりたい放題のいい加減さを露呈した挙句に、肝腎な放送内容は相変らず偏向し続けていることは一体どうなっているんだろうか。 挙句には自業自得で聴取料金が激減した結果、強制的に課金するという暴挙に出ようとしているのですから開いた口が塞がらないネ。それに輪をかけて不払いの所には裁判で臨むと言い切っているのですから、なにおか況やだろう。 NHK内部の偏向報道と腐敗、そして中・韓・朝には技術と機材の提供を続けていると以前から言われてきたことだが、こんな体たらくで公共放送を名乗ってもらう必要を感じない方々は大勢いることだろう。 もぅ、何処の国の放送局なのかが判らないような放送内容で続けていくなら、そして延々と国益を損ねるような組織と思想に被れた人たちに委ね続けることは、早晩露見するだろうし、隠し遂せるものではないだろうが。■外国報道機関からの映像 下記クリックして見ることができる写真は荒川選手 が日の丸をまとい、リンクを周る様子です。・・・【当方のお気に入りリンクに在りますので見てください】・・・ 荒川さんの輝く“金メダル”に泥を塗ったのは何故?・・・こんな記事を恣意的にカットし続けているNHKだ。━━━━━━━━━━━━━荒川選手の栄光を汚すNHK━━━━━━━━━━━━━ 縄文塾 中村 忠之不振を極めたトリノ・オリンピックで、唯一輝いた女子フィギュアメダル獲得ゼロかと思った矢先の快挙、日本中が沸きましたね。 表彰台で日の丸を見上げる荒川選手は、はっきりと君が代」を歌っていたことが、感激を一層強くした人も多かったと思います。ところが中山善照氏のメルマガ cic_zensho@ybb.ne.jp 転送歓迎!)で、下記のようないやな事実を知りましたのであえて転送させていただきました。 「その1…その1「五輪を楽しめたのは本当か?」は割愛 します。 ★━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━★ ┃ト┃リ┃ノ┃五┃輪┃に┃思┃う┃ ★━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━★その2…NHK偏向報道?) ┃放┃送┃さ┃れ┃な┃か┃っ┃た ┗━┗━┗━┗━┗━┗━┗━┗━ ┃荒┃川┃選┃手┃の ┗━┗━┗━┗━┗━ ┃日┃の┃丸┃ス┃ケ┃ー┃テ┃ィ┃ン┃グ ┗━┗━┗━┗━┗━┗━┗━┗━┗━┗━ ■日の丸をまとってリンクをまわった荒川選手■以下は「日本再生ネットワーク、その他」からのメールのご紹介である。(要約抜粋)………………………………………………………………………■日の丸をまとってリンクをまわった荒川選手 荒川静香選手は表彰式の後、日の丸をまとってリン クを周ったのです。しかしこのシーンはカットされて 放送されなかったのはなぜでしょうか。■外国報道機関からの映像 下記クリックして見ることができる写真は荒川選手 が日の丸をまとい、リンクを周る様子です。なぜ、こ の様子を日本ではなく海外の報道機関から入手しなけ ればならないのでしょうか?http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/masscomi3.html■NHK偏向報道?への疑問 なぜ、NHKはこの様子をあえて意図的に排除して いるのでしょうか。 NHKは日本国民が愛国心を抱くような場面を検閲 し、日の丸を愛するような気持ちを抱かせぬために情 報統制を行っていると言わなければなりません。NHKは公共放送です。このような超偏向的な報道 をして許されるのでしょうか。偏向報道で国民を騙し 続けれると思っているのでしょうか。NHKにはいい 加減に「反日」偏向報道を止めてもらいたいです。> ***************************> 「日本会議 国民運動関連情報」> 平成18年2月27日(月) 通巻第26号> 日本会議事務総局 担当 江崎道朗> アドレス me@nipponkaigi.org> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~主宰者より:別の方からも同様の指摘がありましたので掲載します。「日の丸ウイニングラン」をカットしたNHK 2006-02-28 Tueついでに言えば、NHKは当日夜のスペシャルでは表彰式の国歌吹奏を全く流しませんでした。http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri/信じがたいNHKの偏向 http://dokuhen.exblog.jp/2750449#p749NHKの偏向事例◆添付した写真は荒川選手が日の丸をまとい、リンクを周る様子です。なぜ、この様子を日本ではなく海外の報道機関から入手しなければならないのでしょうか。http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/masscomi3.html(さいたま)・・・困ったもんだ、なんて悠長に構えている場合じゃないようです。これもインターネットの普及があったればこその偏向報道を暴く一助に成っているのですが、これまでのことを考えるとどれだけ好き勝手にご都合主義でやりたい放題だったのかを考えると恐ろしい。 税金同様の料金を取り、陰で延々と国益を損ね続けるならば必要ない。 一番民営化を推進しなければいけないモノがNHKだったかもネ。 あらゆるものが制度疲労を起こし、スクラップ・アンド・ビルドの時節を迎えているのかもしれない。 そして人類もフレミング同様の結末を迎えるのだろうか、膨張する人口、過激な環境汚染、人類の凶暴化意識、戦争と核拡散化、激化する弱肉強食、など留まるところを知らないほど知らないところで悪化が進んでいる現状。 頼れると思っている支柱がバタバタと倒れてゆく悪寒を感じる今日この頃だが、また知らないところで新しい希望の何物かが生まれていると思わないではいられない昨今の過激な混沌だ。 それでも流されるだけだが・・・ネ・・・ “神よ一握りの力を”、と、祈らずにはいられない心境だ・・・。
2006年02月28日
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・・・ぐずついた空模様がつづいている。すっきりとしない。 連日賑わしている民主党の謝罪記者会見があったが、謝罪があれなら猿でもできる、と思わせられたし内容は謝罪になっていない、そのことが民主党の浮世離れした感覚を物語っているようだ。 最近のお天気を代弁者に民主党はなったのかナ、スッキリしないな~。 国民の代弁者であるはずの議員であり、その集合体の党を代表する責任者が、あの程度の謝罪にならない言葉を弄して当面乗り切ろうとしても相当無理がある。一番は事の重大さを認識できていないことだろうネ。 党首はお咎めなし、幹事長は厳重注意、国対委員長は辞任、永田議員は党活動停止6ヶ月間?で辞任なし。 10日間も国会を混乱に落としいれ、不確かな情報を元に他人を誹謗中傷し一般人まで巻き添えにして、挙句に意味不明な仮面謝罪会見を延々と見せられても納得いくことはないだろう。 だいたい本気で謝罪しようと思っているとは感じられなかった。慇懃無礼の感を逃れられないだろう。言葉とは裏腹に仮面の下では・・・と、責任についてはすべて他力本願で自己決着はできないようなら留まって欲しくないネ。 自己責任を放擲してこれからの活動に期待はできないから当然だろう。 最近起こった事での最低の出来事ではなかったかと思う。国会議員の言動とは思われない情けない無責任さだから腹立たしいネ。 チョッと古いが山崎正和著の『演技する精神』でも熟読し、精神の歯を固く強固に鍛え直してもらいたいものだが、今からじゃもうおそいか。いまのままじゃ精神に歯がない、か、有ったとしても虫歯だらけの歯なのだろう。 『演技する精神』、生は薄明のアナーキーであるかと思われるが、少なくとも二つの眼を持つことから、人は外界へ踏みだしてゆく。 一つは自己を眺める眼。もう一つは他者に眺められる、その眼。 この二つの眼の格闘や調和が一歩を決定し、延長させ、展開させる。この意識の果実が“演技”であろうかが、そこまでの心の根、幹、枝、花のからみあいを解明しようとするのがこの本の努力であろうか。 実際、二つの眼を国民と議員とに置き換えてみると、まさしく不即不離の関係がみてとれる。その意識の果実が幸福な社会を構築することへ還元されてゆくのですから、けっして二つの眼は独立して在るようで連携を失ってはいない、絡み合い続けることでお互い生きることができるはずだから。 久しきに亘り哲学の大空位時代にあって、これは荒野の声として書かれた力作であり、労作であり、傑作だろう。 ディヴェルティスマン(気晴らし)の時代の柔らかい子である○田議員も、たまにはこういう本を読んで精神の歯を固く鍛えたまえ。 議員の席に気晴らしでそこに座っているなど傲慢不遜な精神で坐り続けることを許さない。現在の日本人には通用しなくなっていることの現状認識をキッチリと把握しなおした方がいいだろうね、まず座るとしても・・・。 精神にも歯があることすら知らずに国会議員を勤めていたならば、一番の不幸は国民だろう。なぜなら最悪の代弁者を選出してしまったのだから。 そう言われない為には精神にも乳歯の何本かは必要だろうし無ければ、野党の役目として闇を国民の前に輝ける闇として提出することだろうが、それさえもできないのじゃお役目ゴメンだろうからね。 あぁ、その前に楽天内の“よびりん”さんの日記でも先に読んで、乳歯の瑞兆を得てからでも遅くは無いはずだ。人生全般に亘っているので修行も深く・広く加速させることができるだろうから。 真贋を見極められないのは真剣さと努力と感性と能力が不足、現状のままなら国会議員に留まる必要も意味もまったく無い、資質の問題だろう。 まず、謝罪の意味をしっかりとお勉強してから壇上に上がっておくれョ。
2006年02月28日
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・・・そっと春の兆しが芽生えている。桜の三月は近づく今日この頃。 二月も終わりに近づきつつあるが、一年が駆足ですぎてゆくようだが、そのわりには何も手の中に残っていないのは何故だろうか。日々楽しく過せればそれでいいと単純に生きているからそうなのだろうが、何かに追い立てられるように目的意識をもって生きることができない性格もあるし。 誰かがよければ誰かが良くないことになる世の中に傾いてしまっているが、富の偏在と同様持てる者は必要以上に持ちすぎるし、努力することは必要でしなければならないが誰かを蹴落とすための、嫉妬とかコンプレックスから発するものは調教を旨くしなければ、つまらない結果を招く。 復讐の連鎖は人間も人類をも不幸に陥れることから、時効の概念が成立しているように、人も季節と同様に心模様を変えて嫌なことは忘れることで心のバランスを取り戻すことも必要だろう。 努力も己との葛藤から発するものは感動を与えるが、単なる競争のための努力は動機が弱いが故に挫折することが多いのは皆よく知っていることだろう。それを弁えていなければ単なる競争で終わってしまうことになる。 結果がすべての発想では世の中も人間関係も崩れることになる。 競争の動機と方向性が狂えば民主党のように耕さないで、収穫を得ようなどと短絡した言動へ走ることになる。国家の行く末を決定する国民の代表であり崇高で尊厳を守るべき議会であり議員であるはずなのに、自らを貶めているそのことに気付かなければ信用回復にはつながらないだろう。 衆人注目の議会の中で発する言動には心しなければ、現在の風潮を作っているものの一つには議会と議員の地盤沈下が大いに預かっている。また責任をうやむやにすることで気概を損なわせた政治責任は重いはずだろう。 民主党もあがいている。世の中すべて二律背反するもので成り立っていることから自民党にも表に出てこない悪と不正は潜んでいることだろうが、やり方が稚拙すぎることからブーメランのように民主党自身に跳ね返ってきたようだ。 灰色を黒と言いくるめようと散々な詭弁を弄して自民党を貶めようとしても、灰色は灰色でしかないのだから言募っているうちに自己矛盾に突き当たることになる。<<小泉首相に絶妙な金メダル効果>> 得意の「カンドーした」が飛び出した。荒川静香の金メダルは小泉首相に格好の政治的効果を与えた。電話で直接、祝福するというサービスもして見せた。トリノ五輪で日本はメダル・ゼロに終わるかと思われたのだが、小泉首相の「ツキ」も相当なものだ。民主党が完璧に落ち目の状態となっているときに、小泉流パフォーマンスの健在ぶりを示したのである。 トリノ五輪はめでたく閉幕。国民の関心は再び国内に向くことになる。その視線の先にあるのは民主党だろう。 崖っぷちの民主党なのだが、問題の永田議員の謝罪でなんとか許してもらおうということらしい。「事件の背後にある闇」を本当に追及するというのならば、ここは党の総力をあげなくてはならないはずなのだが、どうにも真摯な姿勢が伝わってこない。○◆【 鳩山由紀夫のメッセージ 】 みなさん、こんにちは。 遂にやりましたね。荒川静香選手、金メダルおめでとうございます。表彰式の国旗掲揚のとき、彼女は君が代を口ずさんでいましたね。トリノオリンピックの華となるフィギュアスケートで最高の演技をするのですから、本当にすごいです。それにしても、あの極度の緊張感の中で、何で笑顔で滑り続けることができるのでしょう。 つい先日、長野オリンピックで総合プロデュースをされた浅利慶太さんと食事をした際に、彼は「この8年間で日本の若者は変わった。ひょっとするとトリノでは日本はメダルに届かないかも知れない」とおっしゃいました。そして、その原因は教育にあると指摘されました。これから大問題になるとも予言されました。その通りでしょう。その道で頂点に立っている選手たちでさえ、大言壮語したり派手なパフォーマンスは得意でも、極限状態で実力を発揮できない日本になってしまっているようです。これも「国家の品格」の欠如の故でしょうか。 ところでもう一つ、「国家の品格」の欠如と言われても仕方がないのは、永田寿康議員が追及した「堀江被告から武部幹事長の次男にお金が渡る」内容のメールの真贋事件でしょう。確かに品の良いメールではないようですし、永田議員のこのメールを用いての質疑自体も品格を欠いていたとも言えるでしょうが、私は未だにこのメール自体の存在がクロとは思っていません。しかし、シロであることを補強する材料を見出すことが出来ない中で、昨日、永田議員は一時、自身の進退を野田国対委員長に預けました。この問題で一週間もの間、国民のみなさんをお騒がせしたことに対して耐えられなかったものと思われます。 永田議員の責任問題を一任された私は、まず永田議員本人に会い、彼の意向を尋ねました。彼は肉体的にも精神的にも憔悴し切っていましたが、「国民のみなさんや党のみなさんに大変にご迷惑をかけた。自分で何でもかんでも抱えてしまって、思い込みで行動してしまった結果こんなことになってしまった。進むも退くも地獄と思うが、より辛いと思うがどんなに国民のみなさんのご批判を受けても耐えて、ここは逃げずに働いてご批判に応えたい」と話しました。このように彼自身の進退に関しても半日の間に二転三転している状況ではとてもしっかりとした判断が下せないと感じ、数日間眠っていない彼には休養が必要だと思いました。彼が落ち着きを取り戻してから、永田議員を始め、メール問題に関する党の責任を明らかにしたいと考えています。 このメールの真贋や内容の真偽については、永田議員を引き継いで調査チームをスタートさせました。真実が明らかになれば、政権を揺るがす大疑獄事件の様相を呈することになります。本来ならば国政調査権を発動して、過去においてそのような流れが存在するか否かを調べるべきですが、なぜか、と言うより当然のことながら、政府は躊躇しています。したがって、党自らの手でどこまで調査出来るかが問われることになります。党の責任としてしっかりと調査を行ってまいりますので、暫くの猶予をお与えください。返す返すも、折角4点セットなど小泉政権の末期症状を徹底的に追及しているときにこのような事態となってしまいましたこと、心からお詫びを申し上げ、一刻も早く立ち直るべく努力をお約束します。 以上が鳩山氏のメルマガだ。荒川の金メダルを賞賛しているのはいいとしよう。だが、いま民主党が直面している最大の問題、「ニセ・メール事件」について、「ところでもう一つ」と言及する感覚はいったい何なのか。 金メダルとニセ・メールのどちらが民主党にとっての重大事なのか。危機意識を喪失した党の体質をあらわしているとしか言いようがない。 必要なのは「永田議員の休養」なのか。そうではあるまい。地に落ちた民主党の信用を一刻も早く回復するにはどうすればいいのか、それを真正面から打ち出すことではないのか。 鳩山氏はこの段階に及んでもなお、あのメールを「クロ」「ニセ」と断定してはいない。「シロ」であることの補強材料を探すのは結構だが、本当にメールにあったような事実を立証することが可能なのか。国政調査権うんぬんと強弁しているが、万一、国政調査権が発動されて何も出てこなかったら、民主党は壊滅的打撃を受ける。 野田佳彦国対委員長は「国会の中のことは自分に責任がある」として、野田氏の線で責任追及を食い止めようと躍起だ。幹事長がこういう、ふんわかとした金メダル賞賛メルマガを出しているのを、どんな思いで見ているか。 このところ、当コラムも民主党のこの問題だけに終始していて、われながらいやになるが、民主党は確実におかしい。公党としてやるべきことをやっていない。国政を混乱させたことに対する国民への謝罪である。前原代表は依然としてあのメールに信憑性があるかのような発言を繰り返している。ここまできたら、「ニセ・メール」であることが100%確実になったら(すでに永田議員も認めているようなのだが)、そこから派生する責任問題は前原氏を直撃する。もっと早い段階で収拾を図っていたら、こうはならなかったと思われるのだが、「問題にしているのはマスコミだけで、党内からはそういう声は出ていない」といった前原氏の認識はいかがなものか。 「ライブドアと自民党議員とのかかわり」をとことん追及するのは大いにやったらいい。いかがわしいそうな話はいくつも流れている。だが、「ホリエモンから武部幹事長次男への3000万円振り込めメール」の一件をまず片付けてからでないと、いくらなんでもスジ違いといわざるを得ない。 仮に、「メールはニセだった」「しかし、別件で自民党議員とライブドアとの黒い関係が明らかになった」という展開になったとしても、「ニセ・メールに踊らされた民主党」の不始末は残るのである。 民主党は政権を狙うとしている政党だ。筆者も2大政党時代の到来を望ましいと考えている。だが、こういう体質を見せ付けられてしまっては、民主党が政権を担うようになったら、「正義が通用しない、権力の恣意的乱用」がまかり通る政治になるというイメージを拭い去ることができなくなってしまった。その危険な、陰湿な体質を国民の多くは敏感に受け止めているのではないか。 民主党という政党の基本体質そのものが、この一件からにじみ出てくるのだ。現状は自民党が「大人の対応」をしているから、なんとか助かっているのであって、民主党はまともに相手にされていない存在なのである。 その危機的状況に思いをはせることができないのであれば、政権政党になることなど夢のまた夢だ。★★花岡信昭メールマガジン★★ いずれにせよ着地点はどこなのかで民主党の今後が決まるようだ。 桜の咲く季節が早く来ないかとまちどうしい気分だ。沖縄の方から開花宣言が北上し始めるのだが、豪雪と言われている今年は桜の開花にはどんな影響がでるのだろうか。 政治の理想“鼓腹撃壌”を叶えてくれる政党と政治家は居るのだろうか。 あまりにも稚拙で幼稚な現状に落胆し竹林の七賢人の如く、隠遁してしまっていて草葉の陰で苦笑いしてるのだろうか、混乱は深まるばかりだネ。
2006年02月27日
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・・・夜中かから雨が降って寒かった。 日付け変更線を跨いで深夜まで、丑三つ時を過ぎていたようだったが飲んでいた。夕方から風気味で熱もあったがはしごした。カラオケもやった。帰りは非常に寒かった。昼は太陽がでていたので薄いジャンパーで軽装だったので夜間の雨に降られ応えたネ・・・自業自得だろうし・・・。 のん兵衛はしょうがないものだとつくづく思うがやめられない。 帰りにボチボチ歩いていると、お店の帰りなのだろうか若い女性がアチらコチらに帰宅を急いでいる姿を見かけたが、仕事といえど深夜にトボトボ帰る姿は物悲しいものだ。 お店の中では冷暖房完備で快適だろうが一歩外へ出ると現実に引き戻されることになり、どんな商売も大変だ。お店での喧騒は幻だと気付く瞬間だ。 熱があって酒の味も感じられず飲んでいたが、12時ぐらいには熱も最高潮だったようで頭がカッカしていた。煙草を吸うとモドシソウダッタが何とかウッチャッテ最後まで付き合うことができた。 そのお陰で今日は胃が痛いし、頭もガンガン、フラフラだったが熱も38度くらいにもどってきたようで、こんなもんだろう遊びのツケはネ。 WBCではイチロウが張り切っているし、久々の日本でのプレーにはやはり思い入れが違うものがあるのだろう、溌剌としている。野球大国の日本なのでソコソコは誰が出ても辿りつけれるだろうし、頑張ってもらいたい。 スラロームでは四位と七位に入賞したそうだが、これもまた凄いことだし、選手層も厚くなったのだろうね、素晴らしいことだ。 お笑いが不足意味な今日この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。一日一回でも笑えないと虚しかった最低の日になるようなので、ジョークを一つ。 中年すぎのよれよれクタクタの夫婦に、突如として子供ができることになった。夫婦ともびっくりするやらうろたえるやで、ゆりかごを覗き込んでみると、赤ん坊の眼や鼻はそれらしいけど髪だけが赤いのである。 夫婦ともに眼も髪も黒いのでさっそく論争が始まった。それぞれ数代遡って記憶をたぐってみるが夫方にも女房方にも赤髪はひとりもおらず、黒髪で黒眼だったと判明した。 いよいよ困惑して相談をお医者さんに持ち込むと、遺伝学的には説明のしようがない。とりあえず性生活を聞かせていただくことになった。『一週間に二度くらいは?』『御冗談を』『では半月に三度くらいは?』『とてもとても』『三ヶ月に一度?』『しんどいです・・・』『半年に二度?』『アホらしくて』『一年に一度は?』『あるかなしかですナ~』 そんな問答が続くうちに、やがてお医者は顔をあげ、眼を輝かせて、ワカッタと叫んだ。『錆です。赤錆です。あなたの赤錆が出たんですョ』『?』 ・・・というお笑いでした。 『もし汝が賢ければ、笑え』、マルティアリス、ローマ時代の風刺詩人。『笑いは消化を助ける、胃散より遥かに効く』と、カントも言っているョ。 熱が出るとアチコチが、ギシギシ、悲鳴をあげているのがわかるよョ。
2006年02月26日
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・・・雨の降りしきるなかうろうろ歩いていた。やはりこの時期の雨は寒かった。 今年の夏は激暑になりそうだと言っていた。ダイポール現象とか言うそうで東大の先生が発見したそうでこれまでの激熱の夏はみなこの現象だったそうだ。で、今夏もその徴候が既に出ているのでそうだろうと。 政治・経済も激熱化現象が既に出ているので驚くほどではないだろうが、民主党のあのアホさ加減には開いた口が塞がらない。政治家ってホント浮世離れしている、そのことに気付かねば自滅しかないだろうがネ。 五輪では待望の金メダルを授かった?日本だが、荒川選手のフィギアの演技は日本人離れしていて素晴らしかった。音楽と演技が見事にコラボレーションし見ているほうも気持ちよかったし、心技体が他の選手よりも数段高いレベルでミックスしているが故に見るものを引き込むのだろう。 たった一個の金メダルだが、その価値は個人のメダルを超越した国家の金メダルといってもよいほど価値は高い。村主選手も素晴らしい演技をしたが残念だった。しかし、二位三位の選手達が失敗し転倒していても点数が落ちないのは何故?なのだろうね。 審判員の心証が左右する競技には毎回問題が発生するが、あからさまな結果を見せ付けられると選手達のやるせなさが滲みてくるね。涙と汗と夢を簡単に打砕く権限が審判員に委ねられている悲しさが伝わってくる。 曖昧な心証が結果を左右する競技はたくさんあるが、ルールでは正しくやっているとは言え人間の心証は複雑なので偏ったとしても解らない部分が大半なので不承不承納得せざる得ないが、時々審判員の判定結果で大騒動が起こっていることもまた確かだ。 村主選手の演技も力強さには欠けるだろうが、失敗のない緻密で華麗な舞だったように思う、が、これが審判員の心証とどこが違うと言われても解らないが身贔屓と言われてもしょうがないことだろうネ、これって。 中国の古典にある韓非子のように“法と術”でキッチリと心証が入り込めないような審査体系を構築してあげねば、気分しだいで左右される状況が在るようでは選手達も浮かばれないだろうに。 まぁ、でも人間がやっていることだからそんなことも知りつつ競技をしている、折込済みなのだろうと思わないと選手も見ている方も精神が破綻してしまうようだからこんなところで止めよう・それも含めて楽しむことか。 冬季五輪の華フィギアでの金メダルは素晴らしいことだ。 金メダルの荒川選手完璧だった、おめでとう! 優雅に舞った村主選手、雅の極致だったね! 時間が解決してくれる安藤選手、次回への布石を打てたことは素晴らしいことだね、お疲れさん! 閑話休題。 韓非子と言えば昔、ある出版社の入社試験で常識問題に“韓非子”というのを出したところ、正解は極めて少なく、最高傑作は『韓国の非行少年』という回答だったそうだ。 昔は中国の古典から日本人も“人間学”としてさまざまなものを学んできた。キラ星の如くある古典は今もなお引きつけて止まないものがあるし、学び続けても涸れることはないほど深い。 中国自体は焚書抗書で涸れているし、中国の弱肉強食の戦国時代を経て国家としての連続性はないに等しい。地域の闘争の歴史があるだけだ。 本家よりも日本のほうが本家の古典が揃っているし、研究も盛んに行われていることは皮肉だが事実だし、逆輸出しているのですからなにおかいわんやだろう。 ブチギレタ歴史断絶の連続があるだけだが、中国と言う地域にあった国家が覇権を争い延々と戦いを続けてきたことで、その中で国家として人間として如何にあるべきか、そのマネージメントはどうあるべきかをもじどうり命がけで練ってきた集大成なのだから、その訴求力は衰えないはずだ。 韓非子は弱肉強食の戦国時代にあって亡国をまぬがれるには、自ら富国強兵を達成し他国に打ち勝たねばならない。そのためにはまず何よりも、君主が強力な統率力を持つことが大事である。 君主が力に頼らず個人的な感化力(徳)を人民の一人一人にまで及ぼし、それによって統治をすすめるような迂遠な考えはこの乱世には通用しない。 しっかりとした体系をつくりあげ君主自身が要所をがっちりと抑えていくべきである。こうすればどんな凡庸な君主でも、君主が何もしなくても(無為にして)立派に国は治まるのである。と、法術を記した。 法術の法とは、明文化して人民に提示すべきもので、つまり法律のことだった。法は周知徹底させるべきであり、その上で“術”を用いることであり、これは君主が胸のうちに秘めてそれと悟られぬように使うことが肝腎であり、奥の手を見抜かれたのでは効果はゼロに等しくなるという。 その術とは君主による臣下統制術のことで、君主たるもの臣下が敬愛の念から自分に仕えているなど、ゆめゆめ思ってはならない。臣下というものは自分の利益しか眼中にない。 彼らは君主が権力を握っているが故に、やむを得ず臣下たることに甘んじているに過ぎない。したがってひとたび君主の権力弱化をみてとれば、君主の支配を排除しようとさえする。それが、より大なる利益追求の道だからであるという。 君主が最も警戒をせずばいけない者は、自分の妻であり、自分の息子であると。彼らは君主の認可を受けているからこそ后であり世継ぎであるが、君主の寵愛が消えてしまえば、その他大勢のひとりに還元されるのだから絶えず不安に駆られている。 君主の気持ちが変らぬうちに早く自分の望む地位を手に入れたい、この一念が募って毒薬や殺し屋が用いられる。史上数え切れないお家騒動はすべてここに端を発しているという。 まぁ、韓非子はこんな風に非情で冷徹な現状認識から発しているが、現状の日本も韓非子の時代と同様に混乱を極めてきているし、弱肉強食の世の中になってきていることを鑑みれば、いろいろなことに無関心ではいられないはずだろうが、天下泰平を決め込んで安穏としてきたそんな習慣を捨てきれずに未だ眼が覚めやらぬ夜明け前の状態の惰眠を貪っているようだ。 そんなわけで中国の古典には名著が溢れているし、読み進むととまらない事になる。 世界三大奇書といえば『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』(きんぺいばい)があげられるが、白髪三千畳よろしく稀有壮大な物語で冬の夜長を愉しまさせてくれる。 こ難しい古典もいいが、発想の飛躍、夢想に浸りたければこんなのとか三国志演義などもいいね。みな1500年ごろから1600年代にかけて書かれた物だが、この頃のシナはまだこんな余裕があったのだね・・・、今は見る影もないが。 魏・呉・蜀、曹操・孫権・劉備など三国の興亡の物語で、桃園の義、天下三分の計、赤壁の戦い、など馴染みのものが満載だ。何回読んでも飽きない。 “死せる孔明、生ける仲達を走らす”なんて文句をみると感じ入ってしまうことしきりだ。面白くてためになる古典は夜長には欠かせないものだネ。 この時期は、焼酎もウオッカも日本酒もいいネ・・・みんないいネ。
2006年02月24日
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・・・2月22日は『竹島の日』だった。 いろんなところで竹島の日を言われ書かれているにも拘らず、マスコミ関係はダンマリを決め込んでいるようだが、どこの国の報道機関なのかわからない。 マスコミはもう既に大概のっとられたとの話も有ることなので驚きもしないが、明日のことを考えてみると今のままじゃダメだろう間違いなくネ。 三月からまたこんなことがフリーパスになるので、困ったことが増えるでしょう。いったい何を考えているのか・・・。宗教から他民族まで、日本に巣食う「害人」を退治しよう!3月から朝鮮人犯罪者が日本にやってくる。 【2/23(木)10:30】 <山椒小粒さんより> ■外務省ホームぺージよりhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/annai/visa_10.html10.査証発給を受けられないケースについて 査証申請を行っても、例えば次のようなケースにあたる場合、あるいはあたるとの疑念が残る場合には、発給が受けられないことがあります。 ・申請人の旅券が真正かつ有効でない場合・申請内容が虚偽であった場合・過去に懲役1年以上の犯罪歴がある場合・過去に麻薬・大麻・覚せい剤・売春などの犯罪歴がある場合・本邦で不法滞在し退去強制された後、上陸拒否期間内(5年)である場合・渡航目的が入管法の「本邦において行うことができる活動」に適合しない場合・渡航目的が入管法の上陸許可に係る法務省令基準(資料1「出入国管理及び難民認定法 第7条第1項第2号の基準を定める省令」参照)に適合しない場合・日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認められる場合 3月1日以降、こういう方々が日本に入国してくるわけです。もし、センサーを首根っこに埋め込むことが条件だとしても私は嫌です。<Tさんより> 二階堂様 入管法改正案で16歳以上の外国人に入国審査で指紋採取を義務付け、在日韓国・朝鮮人などは採取対象外にしまてす。完璧な工作員無視のザル法です。この骨抜き法案には、法務省、国土交通省がからんでます。北米が長期的に見るとよくないと言われている意味もわかりますね。アメリカにとっても意味のない法案でしょう。→三月以降、日本はますます朝鮮人犯罪者が増えるでしょう。女性は特に、レイプの心配をしたほうがいいですね。なにせ韓国は、レイプ発生率世界ダントツぶっちぎり一位の国です。もう日本は安全ではありません。毎年一万人も朝鮮半島人を帰化させている法務省も、何考えてるんだか。刑務所が足りないのなら、朝鮮人追い出せよ。【nikaidou.com】 ・この国はいったいどこに向かっているのだろう。いつまで迷走中?なんだろう、もう瞑想から醒めてもらいたいものだね、火急のときなのにネ。 こんなの書くと疲れる、日本て火がボウボウなのにのんびりしているね。
2006年02月23日
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・・・あかるい陽が射している。 五輪はあいかわらず低迷を脱しきれないでもがいている様だが、メダルは取れていないが健闘していると思う。もともと冬季五輪は苦手だったのだし入賞するだけでも大健闘でもあり選手層の拡大を図ることができてこれからに希望を宅せることから、関心と底辺の拡大が図れれば良しと思う。 今回で終わりではない、土を耕し種を蒔いてあれば収穫はできるはずだ。 ただし参加選手達の無念と不完全燃焼さ、コーチ達の忸怩たる思いの残滓はぬぐえないが、跳躍の前に屈むよう自身とこれから後に続くものへの力を矯めたバネにできるはずだ。収穫期ばかりじゃないしネ。 選手達の見事で繊細、奇怪で巨体な鍛え抜かれた躍動感あふれるからだが創り出すドラマは、勝負をどがい視してみごたえがある。まだこれからの種目もある自己の限界を超えて欲しい、こころおきなく終わることを。 色褪せてゆきこんかいの五輪も平成の記憶の中に埋没してゆくのだろう。 明治、大正、昭和、平成と時代は流れつづけそれぞれの“時代色”はあるはずだ。時代を表す報道紙は数限りなくある、記事もそれを現しているだろうが時代色の生彩を放っているのは論説欄ではなく広告欄だろう。 ニュースの報道や解説はどの新聞も雑誌も似たり寄ったりになる。論説もそうだろうが最近は思想に被れた頓珍漢な顰蹙をかうような論説も多々あるようだが、違いが解る方が見るものを惑わせないでいい。 論説も広告もそれぞれ時代に左右されるが、新聞なりの個性を発揮できるのは傑出したコラムぐらいだろうか。もし傑出したコラムがあればそれは敏感にまさぐる指でありながら同時に顔でもあるといえる。 日本には新聞はあるがジャーナリズムはないと言われて久しいが、すでに定着し知るものにとってはアクビまじりの毒舌となっている。が、その論拠の一つは顔がないことの一点だだろう。 川柳、俳句、投書、コラム、こういった端末は、時代の微震計であり、氷山の露出部分だ。新聞のそんな時代の微震計たるコラムをピックアップし選集をこしらえた薄田泣菫の『茶話』がある。 谷沢永一・西浦和彦氏の編集で大阪毎日その他にだされたものをことごとく網羅している。名だたる完全魔のシラミつぶしだからすごい。コラムの名手といえば明治では正岡子規がいるし、大正ならば薄田泣菫がいた。 現在の新聞紙上を見渡しこれくらいのものが書けているコラムはあるのだろうか。博大な素養と膨大な見聞をさりげなく総動員し、誰にでもわかる平明な、雅欲混交の文体で時代と事物と人を語って飽かせないその話術は今でも生きているだろう。 その時代に生まれても育ってもいないのになつかしさを覚えさせられるのだから、これはやはり普通じゃない。風諫の針と嘲罵の赤い笑いがしばしばあるのに毒々しく感じられない徳はその博雅のユーモアからくるもであろうかと。 コラムは短いが難しい、言葉を煮詰め蒸留し、ムダをことごとく切って捨てながらけれどことの本質をつかまえて伝えなければならない。容易ではないだろうし、明晰でなければならないのにサムシング・アンセイドを背後に含ませなければいけない。 私的偏見を語りつつフェア・プレイでなければならず、百語を一語に縮めながらものびのびしていなければならない。しばしば最小を述べつつ最大を感じさせなければならない。 語らなければならず、説いてはならず。過去を現在と感じさせ、茶話飲み話なのにどこかに啓示の気配も添えなければならず、これらのないない尽くしの難問に泣菫はたいていの場合にやすやすと成功しているかのように感じられるのだ。 泣菫は長年に亘り新聞の顔であり続けたが、その万年筆のインクは切れることはなかった。コラムは小さいけれど小さな相違が大きな相違をつくるという鉄則は時代によっても変ることはないはずだ。 ただただ、傑出した異才、異能ぶりを痛感するのみだが。 感心するばかりではいけないね、笑うことも必要で誰かが言っていたが「最もむなしかった日は、笑わなかった日である」なんていうのもあるので笑って流してしまうことは重要だ。 知ることよりも、忘れることの方が重要なのかもしれないネ。
2006年02月22日
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・・・寒空に舞う鳥達は寒風をものともせずに飛び続ける。 その寒風の中人々は背を丸めてうつむきかげんに歩きゆく。コートの襟を立てウツムキかげんでは見えるものもみえなくなり、先行きを誤ることになる。 足元の情報も大切だがそれ以外の情報の方が圧倒的に多いのだから、寒空の下の寒風とはいえどもうつむきながら歩くのはいけないネ。 二階堂ドットコムプログからの抜粋ですが、寒風の中でもキッチリと胸を張り眼を落とさずに歩き続ける人たちがいる。それは現状と行く末に疑問と不安を感じ独立国家の体をなしていない流れから他国に隷属され、自主・独立・自由を奪われ奴隷に成り下がりたくないからに違いない。 人権・平和・戦争反対と念仏のように唱えていても世界の歴史上一度も、そんな理想の史実が実現したことはない。多種多様な国家が在り日本一国平和主義の頭の温い甘言に篭絡されてはいけない。 世界はジャングルの中だ、凶暴・不可解、なんでも生息しているのです。 いまのところ世界で一番理想に近づいているのは日本だと羨望の眼で見られているこの国をそうじゃない国家に合せなければならないのか、その思想とそれに加担する人たちの言動が不思議だ。日本人だとするならばネ。 人も民族も国家にも、品格と器と尊厳があることは論を待たない。 ・・・節穴の薮睨み・・・<藪睨み会社員さんより> 二階堂に集う草莽の士はこれを節穴と嗤うだろうか?沖縄で基地容認派の市長が当選した。米軍基地問題を考える時に、決定的に欠けているものがある。それは、1、在日米軍がいなかったら日本はどうなっていたか?2、これからいなくなると日本はどうなるのか?の二点だ。 日本の非武装平和を訴える似非文化人でも、以下の事実は認めざる得ない。*広島長崎以降、核攻撃を受けた国はどこにも無い。*細菌兵器を戦争で使用した国はどこにも無い。 第二次大戦以降各国は核開発競争に明け暮れ、今ではIAEAの努力により減少したとはいえ世界には3万発以上の核弾頭があると言われている。地球が楽に100回は滅亡する量だ。細菌兵器も増加の一方だったが、どちらも戦争での使用はこの60年間ただの一度もないという事実は、結果としてこれらの兵器が抑止力として働いてきたことを証明している。中国の軍高官が「日本は核6発で全滅する」と高言しているのは実際に照準を向けているからであるが、攻撃してこないのはなぜか? それはアメリカ軍の存在が抑止力として働いているからだ。もっと分かりやすく言えば、アメリカの存在が無ければ中国はとっくの昔に台湾を武力制圧している。これは誰もが認めるだろう。そして台湾の次に狙うのは親中派がへらへらしている金持ち国の日本に決まっている。なんせ国防の意識が小学生レベルなのだから。中国の侵略順位はきっとそうなっているということは中学生でも理解できる。 米軍を撤退させたらそれに代わる軍事力を日本は自分で用意する以外、独立を保つ道はないが、日本から独立を求める沖縄県民の4分の1の人々はどうやって沖縄の独立を維持しようと考えているのだろうか?大きな親切で言っておくが、ヤマトンチュウの反対派はその後のことは何も考えていない。沖縄は確かに在日米軍の75%を抱えており、その負担の不公平感は認める。しかしその代わりに国は毎年数百億円の補助をしている。 また米軍の地元への経済効果も沖縄経済の土台を支えている。本当に基地がなくなると県民の生活はたちどころに破綻することは火を見るよりも明らか。イデオロギーでは食っていけない、理想論では国は成り立っていかない現実を、人権自然保護を訴えるヤマトンチュウはまったく無視する。県民の生活のことなど彼らの頭にはこれっぽちもないからね、ウチナンチュウの皆さん。 基地撤廃を訴える反戦地主は2割近く(?)いると言っているが、その多くは県外の一坪地主ならぬハンカチ地主だ。その面積の合計は1%にも満たない。なのに国内のマスゴミは反対地主の数の多さを訴える。基地を取り囲む人間の腐りの大半はこのときだけやってくる県外からのブサヨクである。彼らは基地の騒音で悩んでいるわけでもなんでもない。なのにマスゴミはどこもこぞって嬉しげに「地元の」反対運動を大きく報じる。 沖縄の米軍基地反対はブサヨク似非文化人にとって象徴的イベントなのである。こうすることで一番喜ぶ人の為に彼らは熱心にソフトな破壊活動をするのだ。沖縄から米軍がいなくなって一番喜ぶのは誰か?それは中国以外にない。中国の工作はここまで来ているのだ。しかし流れは確実に変わった。反対運動の経過もそれを証明している。沖縄県民も目覚める人が増えてきているのだ。島袋市長、頑張れ! ついでに最近仕込んだ薀蓄を開陳しよう。いつの間にか見ることが無くなった二千円札だが、意匠となった守礼門は、朝貢国沖縄の王が宗主国である清の皇帝の使者を迎える時に土下座する門である。(ソウルの南大門も同じもの)これを国のお札の意匠に取り上げる意味は何か?時の首相オブチの強い意志で実現した二千円札だが、その直後思いもしない脳卒中で倒れ、不帰の人となった。その時のどれほど日本が混乱したかは、首相代行を決めるドタバタ劇を思い出していただければいい。なぜ一人の死で(たとえ一国の首相といえども)あれほどこの国の中枢がうろたえたのか?それは首相が事故や病気で執務不能になることは想定内だが、「殺される」ことは「想定外」だったからだ。 これは果たして節穴の薮睨みだろうか?誰に殺されたのか?前にも触れたが、軍事専門家も本物と認める中国共産党の「日本開放第二期工作要綱」中国共産党の意図するものはこれである。http://www5f.biglobe.ne.jp/%7Ekokumin-shinbun/S47/4708/470801china.htmlやつらは最初に「基本戦略」でこう述べる。「我が党は日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。」「解放」即ち「占領」であることは言を待たない。そして工作=スパイ活動を三段階に分けて実行するとしている。 イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標) 口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標) ハ.日本人民民主共和国の樹立・・天皇を戦犯の首魁として処刑 やつらは天皇を敵視する。天皇が日本人の強さの始点であり、またその支点になっていることを知っているのだ。 第一期工作は田中内閣によって完了した。やつらはこの成功を自画自賛する。「大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作った。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。 偉大なる毛主席は「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」と教えている。田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。「日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。」 なんともう35年も前にやつらは「日本のマスコミを支配下に置いた」と豪語している!!!賢明なる諸兄は今の日本を見渡せばこのことを事実として理解することだろう。時の庶民宰相田中角栄はまんまと中国共産党の工作に嵌ったのである。 このままではまずいと思った者がいる(はずだ)。そして角栄はアメリカ共和党のしかけたロッキードで失脚し、脳卒中で完全に政治生命を失った。小渕首相もイスラエルのシャロン首相もみんな脳卒中で倒れたのは偶然か?日本の親中化を望まない勢力と、イスラエルの平和路線転換を忌々しいと思う勢力が同じ手を使ったのではないか???脳卒中そっくりの症状を起こす薬があるそうだが、本当だろうか??? 第二期のマスコミ工作として中国共産党はこう言う。「雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に置かねばならない。接触対象の選定は「10人の記者よりは、1人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。」 こうしてやつらの獲得したのが朝日ジャーナルの編集長であった筑紫哲也である。奴は韓国名もネットに晒されている在日だ。最近その早口で日本につばはきかける古館伊知朗も同じ穴の狢だろう。そのうち化けの皮が剥がれるに違いない。中国は日本人そっくりの在日を工作員に仕立てているのだ。最近馬鹿な放言を連発している爆笑問題の太田光も、工作された在日に違いない。しかし戦後25年間で第一期工作を完了した割にはその後の35年間の進捗は思わしくない。日本人はやつらが思うほど柔ではないのだ。やつらは焦っている。その焦りが今出ている。 楽天の三木谷とライブドアのホリエモンが相次いでTV会社の乗っ取りを図ったが、二人とも在日なのは偶然か?二人の陰に見え隠れしてホリエモン逮捕で次は俺かと焦っている村上世彰も在日なのは偶然か?耐震偽装の連中がみんな半島つながりなのは偶然か?偽装発覚直後に設計事務所の所長が死に、今回のホリエモン事件も疑惑の中心人物が死んだが、どちらもいち早く「自殺」と報じられ、後から殺人の疑いが湧き出てくるのは偶然か?・・・・・P2へつづく・・・
2006年02月20日
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・・・・・P1から・・・ やつらが苦戦している第二期工作だが、実は昭和の終わりから平成の初期にかけて日本はやつらの思う壺に嵌りかけたのだ。やつらは言う。○対自民党工作の基本方針として「自民党を解体し多数の少数党に分裂せしめる」○その手段として「党内派閥の対立を激化せしめる」 これに真っ先に乗ったのがご存知江の傭兵。76年に新自由クラブを作って自民党を飛び出した。田中派は草刈場となって自民党の派閥抗争は激化した。そして93年新生党と新党さきがけが袂を分かって自民党は弱体化した。その間92年に就任した宮澤首相と出戻りの河野官房長官は教科書や慰安婦で謝罪外交の先鞭をつけた。そしてついに94年に村山内閣が成立し、やつらの第二期工作が完了した・・・かに見えた。 諸兄ご承知の通り社会党村山富市は自民党河野洋平と最悪のタッグを組んで売国に勤(いそ)しんだのである。95年に突然「村山談話」なるものを発表して東南アジア謝罪ツアーにでかけ、各国で「なんで謝るのか?」と怪訝を通り越して不快に受け止められた。それ以降は日本は国民そっちのけで中国に謝り続け、必要の無い遺棄化学兵器の処理費用負担を江の傭兵がさっさと決めるなどしてその禍根は今に及んでいる。村山のあとが中国女スパイと不倫した橋本龍太郎。(なんでこんな奴が未だに国会議員でいるのだ!)そのお次が守礼門二千円札の小渕恵三という訳だ。ここまで奴らの第二期工作は順調に進んでいた! しかし小渕首相はあの若さで突然脳卒中に倒れた。しばしのドタバタの後、靖国参拝神道擁護の森喜朗が首相に立った。中国共産党の工作にやられっぱなしの日本に、鉄槌を落としたものが存在した(仮説)。それに気づいた自民党が方針を変えたのだ(?)。そして「靖国参拝」を公約としたコイズミが森の後を継いで今日に至っている。 王毅駐日大使は異例の長期休暇を取ってつい先日公務に復帰した。中国の対日工作の変更があったのではないかと推測されているが、当たらずといえども遠からずだろう。流れが変わったことに、いや、日本を変えた裏の力の存在に中国も気づいたはずだ。 ライブドアの強制捜査と異常に早いホリエモンの逮捕が何を意味するのか?ここ一連のスパイ事件摘発は偶然か?次のガサ入れはどこか?間違いなく日本の中枢は変化した。奴らの望まない方向へ。きっと奴らは焦っている。次に何を仕掛けてくるのか?このサイトをご覧の諸兄は充分ご注意あれ!→面白いですね。日本を変えた「裏の力」というのはなんとなくおぼろげに見えているだけで、まだその正体は判明しません。ただそれは正体という一つの物質ではなく、靖国の英霊、そして日本人一人ひとりにある「魂」などの複合体ではないか、と思うときがあります。戦後半世紀以上、わけのわからない人間たちに好き勝手させ、経済犯罪者が跋扈したこの日本を危惧し、正しい方向に動かしはじめているのは、「日本人の底力」そのものではないかと。5年前より明らかに、日本国は進むべき正しい方向に少し舵を切って進み始めたのではないかとも思います。いつの時代も問題は山積していますが、基本的なことはすべて「日本人が老後まで安心して過ごせる社会」作りであると考えます。歴史あるこの日本国を、守り育て繁栄させるのは我々日本人たちの有形、無形の力です。【nikaidou.com】 ・・・日常の事象から不可解なことが如何に多いことかと気付き、なぜそれがそうなのだと思い巡らしいぶかしさをそれぞれが正してゆくことからしか隷属され奴隷状況を回避する手立てはないのだろう。 他人任せで何とかなってきた今までが普通じゃなかったことの現実と事実から、いまその代償としてあらゆるものが解体と綜合を余儀なくされているそのことに驚いてはいけない。 すべては原因と結果の無限の連鎖であることから、原因を正しく知り糺せばよいだけのことなのだから、正しく知るという意志を持てばいいだけだ。 眺めてみよう、人に品格も器もあるように、国家にも品格も器もある。
2006年02月20日
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・・・今日は少し雨が降った。この時期の雨は寒さをつれてくる。 スポーツでも仕事でも完全燃焼という僥倖に行き合わせることがある。 イロンナ小説でもチョッとしたエッセイでも稀に完全燃焼という文体に遭遇することがあるが、稀だ。 ある種の文章は、小説でもエッセイでも、その効果が作者の主体と密着行動をとったヴォキャブラリーの累積効果と言うよりは書かれた内容そのものの不燃焼物の重層感であることが多くて、またそのような文章にはしょっちゅう出くわし、偽りの感動を与えられて後から後悔するが、書き手が対象を完全に克服しているときの文章の与える効果はつねに真空状態である。 精神の不消化物が何一つとして残らない。そういうものの最後のページを閉じてたちあがるとき、まったく何一つとして荷物を背負わされていないのです。 その中の一つにヘイエルダールの『コン・ティキ号探検記』、キャパの『ちょっとピンぼけ』がそれを喚起させてくれる一冊だろう。 キャパはあれほど戦争と激突して、あるゆる悲惨や苦悩をなめつくしていながら、見るものを閉じ込めない。読みながらも哄笑し、しかめつらをし、眉をひそめ、呆れたり、くちびるをかんだりするが、終章の「ヨーロッパ戦争終焉!もはや朝になっても起き上がる必要はまったくなさそうである」という、キャパ一流のそっけなく、なにげない締めくくりを読みおわると、自分がじつにさばさばと首でも傾げたくなるくらい空っぽであることを見出すのだ。 完全に充足された空虚がそこにある。 ヘイエルダールのコン・ティキ号はペルーのインカ・インディアンがフンボルト海流と南赤道海流を利用して、バルサ筏で南米を出発し太平洋諸島にその文化を散布したのではあるまいかという、ダール自身の仮説の実証の試みだ。 けれど、この本の魅力は一読してあきらかなように、そういう文明論の魅力ではなく、ただただ“遊び”の魅力である。いつサメにパクつかれるか、いつ大波にのまれるかわからない、東西南北ひたすら水、水、水のその上をフラフラただよいながら、人間世界と完全に絶縁したキョクゲンジョウキョウの真っ只中で悠々と無用の長物『資本論』を読んでいる。 顔をそむけたくなるほど図々しい“遊び”の大家たちの勤勉きわまるエネルギーの乱費ぶりが見るものを悔しがらせ、あぁ、なんていいんだろう、コン畜生、と、うめかせるのですから。 ここには“目的”がない。人類学者ヘイエルダールは文明論の主題を抱いていた。しかし、コン・ティキ号探検記には過程と手段しかないのである。現実との照合は考える必要が無い、微細きわまる現実との闘争が描かれ、全頁ことごとく水の記述にあてられているといっても過言ではないが、それはなにも伝わってこないのだ。 ヘイエルダールが完全に処理してしまったのだ。 ダールがありあまる精力をじつに楽しげにチビリチビリとだしたり、ひっこめたり、まるめたり、フッと吹いてみせたりするその手つきだけがどうにもこうにも魅了するのだ。 風が吹いた。涼しかった。あぁ楽しいというようなものだ。あらゆる分析も深読みもしゃらくさくなってくる。そしてキャパもダールにしても、文体そのものはなんの奇もなく変哲もない、まるで水のようなスタイルなのだが、それでいてその強烈さ、明確さ、流動してとどまることを知らない自由さというのは、じつに一癖も二癖もあって逞しく、フトイやつなのだ。 ただし、この図太い男達が現実と激突してしょっちゅう負けたり沈んだりしながらついに表現操作においてスタイルしかのこさないまでに勝ちきっているのは、しかも原始憧憬というような青臭い童話、ただ劣等感のそのままの裏返しにすぎないような“生命力”とはまったく無縁異質な生命力を保持しているのは、一見なんの奇もなく変哲もない文体の背後でどのようにはげしく現実をほぐしたり組みたてたりをくりかえして飽きない貪婪さをもっているからということであるということである。 彼らのたくましい有機的活動においては現実のほとんどの瞬間にも解体と総合という相反した操作がおこなわれ、およそ固定的な結晶というものがないように見受けられる。 それで、どこにもひっかからず、どこにもとどまらなくてすむのであろう。 これほどの現実を前にこれほど楽しんでみせるものは“才能”だけではなさそうだ。 これらの前では自分のケチくささにホトホト愛想が尽きてくる。せいぜい読んで呆れて、なんとかならないかとつぶやきながら頭をかいているしかないじゃないか、ネ。 いくら読んでも恩讐の彼方へきえてゆくだけだが・・・。 以前の日記で“スイスの民間防衛”のことを書いてみたことがあるけれど、昨年こらいからまたこのことがリファイン?されて広まってきたようです。 スイスの実態と思い込みの乖離を今一度再考してみることもいいネ。 http://nokan2000.nobody.jp/switz/ --------------------------------------------------- 現在の日本は平和状態でしょうか?たしかに武力を伴った戦争はしていません。だからといって平和ということではないようです。武力による攻撃がなくても、他国から攻撃され侵略されてしまうことがあるのです。その場合、多くの日本国民は攻撃されていることに気付きません。スイスはそこまでちゃんと想定しています。 特に最近のニュースを見ていると、日本の隣国である「中国」、「韓国」、「北朝鮮」は、かなり以前から巧妙に日本への侵略を開始していたと言えます。 敵国の攻撃に対する、スイスの回避策 / 「民間防衛」より引用 P227 戦争のもう一つの様相は、それが目に見えないものであり、偽装されているものであるだけに、いっそう危険である。また、それは国外から来るようには見えない。カムフラージュされて、さまざまな姿で、こっそりと国の中に忍び込んでくるのである。そして、われわれのあらゆる制度、あらゆる生活様式をひっくり返そうとする。 このやり方は、最初はだれにも不安を起こさせないように、注意深く前進してくる。その勝利は血なまぐさくはない。そして、多くの場合、暴力を用いないで目的を達する。これに対しても、また、しっかりと身を守ることが必要である。 われわれは絶えず警戒を怠ってはならない。この方法による戦争に勝つ道は、武器や軍隊の力によってではなく、われわれの道徳的な力、抵抗の意志によるほかない。「それは国外から来るようには見えない。カムフラージュされて、さまざまな姿で、こっそりと国の中に忍び込んでくるのである」。前半はこれがメインになります。どんな姿で忍び込んでくるのでしょうか。続けて読んでください。 ・現在おかれた現実と実態、それを測る尺度を持たないで考えを巡らせても乖離を埋めることはできないのは当然で、スイスの国防に対する見掛けと現実の実態を知ることは、日本の今おかれた状況を把握するにはちょうどいいテキストだろうし、その危機感の欠如がいかに無防備な国家を形成していることかが見えてくるはずだ。
2006年02月19日
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・・・厚い雲に覆われて底冷えする。 連日のO/P報道もなかなかメダルが取れずに、次の一手へとなかなか話が進まない様子だ。もう一歩のところでメダルを逃したりとナカナカ頑張っている方だと思うが、やはりメダルが無いとインパクト不足か・・・。 選手の生い立ちから家族・友人・恩師・オラが町の応援団へと話は遡り取材合戦が各局で繰広げられているが何処も似たようなもので食傷気味だ。 オリンピックの陰に隠れ報道されない重要なことの方が如何に多いことか。重要なことが連日起きているにも拘らず、故意に隠されているとしか思えないことが盛りだくさんあるが流れないネ・・・。 日本を取り巻く環境の激変、表に現われる事象に囚われ、その底流に蠢き画策し暗躍する集団がいることを知っている人はどれだけいるのだろうか。 この世界一括りで括り切れないほど複雑怪奇で、まるで迷路に嵌り込んだまま生き続けるしかないかのように、あれもあり、これもあり、なおそれもあるという次から次へと問題が山積してゆくこの時代。 問題も知らなければ幸せだが、知らなければより負担が掛かってくる状況に追い込まれるような仕組みに追い立てられているのが現在だ。それも日本人自身が選択したものではなく、知らないが故にそれに乗じて画策・暗躍する者たちがいることでいかに不利益を被り、最終的には国家のメルトダウンすらあり得る状況へと追い込まれているのですから恐ろしい。 世界から見れば日本はお金持ちでお人好しのお坊ちゃん、お嬢ちゃんの集まりのように見えていることは間違いないだろう。 農耕民族で羊の集団のような日本人の中に、狩猟民族弱肉強食で鍛えられたライオンか狼が放り込まれたかの如く、大陸国家の利害損得を牽強付会の言説で塗り固め迫ってくる輩に太刀打ちできず押し込まれっぱなしの状況が着々と押し進められ現在進行形だ。 栄耀栄華に酔っている時はとうに過ぎ去っているにも拘らず、未だ酔いから覚めやらず漂いっぱなしの状態が続いている日本人。 能天気に一国平和主義で暮らすことができた時代は過ぎ去り、日本という小さいコップの中にも苦い水が流れ込んできていることを知らねば、結局臍を噛むのは日本人なのだから知らなければならないようだ・・・。 ・・・二階堂ドットコムより。ライブドアから小泉まで言いたい放題の本、発売します。武部なんて、実はどうでもいいのかもしれない。 武部がライブドアから3000万円もらっていたと民主党議員に言われた件だが、武部は何であんなにしょぼくれて「確認したところ・・・事実無根です・・・」などと記者団に語っているのだ?あれでは、「やりました」と言っているようなもんではないか。北海道人として潔くせねば、引退予定の君の後ろは非常に迷惑するぞ。 ただ、民主党の議員もちょっと変だな。「仲のいいフリーライターが持ち込んだメール」って、普通文春とか新潮に持ち込むだろう。さすれば100万くらいはくれるだろうし。それがわざわざ民主党の議員に持ち込んだ、ということは、民主党はそんなにカネ払ったのか?民主党はケチだからその手のものにあまりカネを出さないような気もするがなぁ。もちろん件のフリーライターが存在したとして、それが義憤に駆られて民主党議員に、ということも無きにしもあらずだが、それにしてもその辺は変だな。まぁ何かのサプライズとやらがあるのかもしれないが。 小泉も、何も確認してない割に(せいぜい検察に確認したくらい・・・)ガセネタ呼ばわりしているから相当すごいが、小泉は春先に、またバカなことを計画しているというから、そんなことどうでもいいのかもしれん。武部はこのまま行くと切られるが・・・小泉ら(内閣全員ではない)、「成りすまし議員」が画策する「朝鮮人による日本乗っ取り計画」のほうが大事だろうからな。韓国のビザなしはもちろんその布石だ。それらの成りすましらの計画に比べれば、ライブドアの3000万が武部なんてどうでもいいネタだ。そんなことをしている水面下で、大変なことになる予感がする。 自衛隊もなんか変な時期に防衛施設庁(施設庁は背広組という利権外道ばかりで、本当に国を守る制服組より劣る連中の住処)のスキャンダル出されて防衛省見送りになった。法務省にも汚職の大爆弾があるにもかかわらず、なぜ防衛省をつついたか、わざわざ見送りにさせたか・・・自衛隊が本気で蜂起すればまだしも、それは悲しいが無理だろうな・・・ 法務省汚職については今年の半ばまでにどこかで炸裂するだろう。本サイトとしては、こないだアジア刑政財団のパーティーに潜り込み(といっても昔から会員だが・・)検事総長の原田さんに直接話して義理は果たした。あとはいつやるか、だが。--------------------------------------------<JNSA>さんよりの投稿を記す。 いつもご苦労様です。nikaidouのようなサイトが無かったならば、虚構のメディア群にこの国は完全に洗脳されてしまうとつくづく思います。まだネット言論が機能しているうちになんとしてもあらゆる虚構を白日の下に晒さなければならないといつも思っております。今回はある情報通よりのメールをお送りします。これは、ちくま新書から元外交官の原田武夫が書いた本からまとめたものと思われますが、興味深いです。以下。 「かつて米国は貿易摩擦で徹底的に日本に圧力をかけた時があった。しかしある時点からこの貿易戦争はパッタリ終わった。貿易戦争のとき日本の官僚は徹底的に抵抗した。米国は戦略を変えた。日本は訳のわからない国だ。理解できない国だ。官僚の抵抗は度しがたい。そこで日本を構造改革して米国に都合の良い国にしてやろう。これは俺たちにとって都合の良いことであるが、日本の国民にとっても良いことなのだ。 官僚に牛耳られた理解の出来ない日本をグローバルスタンダードの国にする。これなら日本国民はすっかり騙されて小泉を支持するだろう。 米国が露骨に日本に圧力をかけて日本国民に嫌われるよりも、陰に隠れて在日を使って「改革」を進めたほうが手っ取り早い。三文芝居の脇役は小泉や竹中が喜んで演じるだろう。国民に抵抗勢力は悪者であると信じ込ませればいいのだ。日本国民の反発を招かずに、日本を「改革」することによって真っ先に米国が儲けさせてもらえばあとはどうでも良い。「利益確定」すればよいのだ。その最後の目的が郵貯、簡保の350兆円の国民の金だ・・・ 「・・・日本人の誰と話してもみんな仕方がない、米国のいうことに従わざるを得ない、黙って従った方が得だ、と諦めているようだ。我々はもはやアメリカが書いた日本搾取のシナリオから逃れられないのだろうか。 いや諦めるのはまだ早い。その方法が一つだけある。唯一の反撃は、米国の書いたシナリオの『番狂わせ』を行うことだ。それが出来るのは政治家でも役人でも日本の企業でもない。唯一それが出来るのは我々一人ひとりの日本人だ。米国が日本政府を通じて掠め取ろうとしている我々の金を、我々が自分で管理し、運用すればよいのだ。 郵貯、簡保の金を引き出そう。 銀行や投資会社に預けたり運用したりする金を引き出して自分で運用しよう。米国の国債なんかに自分の金を使わせないようにしよう。 米国の投資会社に儲けさせないようにしよう。 ついでに増税という形で日本政府に我々の金を吸い上げさせることを止めよう。 それが米国に持っていかれるのだから。 自分で自分の金を運用することはリスクをともなう。勉強する必要もある。 しかしそんなことはちょっと勉強すればだれでも出来ることだ。自分の金は自分で使おう。外資系ファンドや投資会社のカモになるな。 外資系ファンドや投資会社の下請けをしているような日本の金融会社、銀行、生保、郵政公社、証券会社に自分の大切な金を任せるな。米国の権力者が日本政府を使って我々の金を奪おうとしても、我々が自分で稼いだ金を金融会社に渡さなければ、さすがの米国も我々個人の金を力ずくで奪うことは出来ないのだ。これこそが米国の書いたシナリオを突き崩す唯一の方法だ・・・以上 もうそろそろ「在日」が巣食う暗黒の本当の黒幕であるアメリカならびに白人連合の手の内を知っておかないと「在日」を出し抜くことは出来ないと考えます。→もちろん、最後の敵はユダヤ・アメリカです。ですが朝鮮人のようなバカと違って非常に難儀です。朝鮮人であればまだしも、奴ら全部を敵に回して戦う自信は本サイトですらありません。センベイ糖尿とからかっている創価学会も、朝鮮総連も、暴力団も、全てが束になってもかなわないのがユダヤ、アメリカです。 端的に日本国内のことを言えば、フリーメーソンといってもいいでしょう。 フリーメーソンなんて・・・と思うあなたはまぁそう思っていてください。これは外務省や防衛庁などの対外交、情報担当部署ではわかっている話です。 本サイトはまだその大きな敵と戦う準備が出来ていません。経済CIAといわれる連中とも、日本人との共存におけるコンセンサスを取りきれていません。ですから、まずは目先のハエである悪徳朝鮮人を晒し上げるところから活動しているのです。 実は本サイトはある組織との接触がきっかけで、2年前、それまでの「なんとなくインターネットサイト」から方向転換をし、「日本の国益を守り、そして日本人が老後まで安心して暮らせる社会」を目指して突き進みはじめました。2年間でようやく足がかりをつかんだものの、まだ第一段階も達成できない状態です。 本年有料化するのも、「さすがにカネが無いときれいごとを言うだけでは何も意味がない」という結論から来たものです。だからといって選挙に出るとか、誰かに付け込まれそうなくだらないことはしません。 あくまで影で、そして本当に効果のあることをする所存です。詳細は申し上げられませんが、今後とも皆様のご愛顧をよろしくお願いいたします。【nikaidou.com】 ・・・何処の国に、どの民族より、誰よりも、などと目先の利害損得の優劣をつけることよりも、既存の国家、民族がそれぞれ如何に共存共栄できるかを考えなければいけないが、現在の方向は力での潰し合いに終始し、各々培ってきた国家・民族の経験と知恵を協調・共成・共生へもたらさず、逆にシナジー効果からは程遠い結果しか得られてない。 勝者なき敗者の集団と化した国家たちの群れが、次なる獲物を狙って暗躍する世界情勢からは、美しい崇高な理想を掲げ標榜しつつも現実は建前の中に埋没しているそれに気付かなければいけない。 外に敵を求めてウロウロしている状況からは真の勝者にはなれない。内なる敵と格闘しつつ呻吟することで、真の栄冠なき勝者が生まれる。 外的にいくら勝利しても真の勝者にはなれない。 己との戦いに勝利してこそ真の勝者だ・・・栄冠なき勝者だ。 日本人は古来からそれを標榜し実践してきたからこそ今日があるのですから、今一度思い起こせばそれでいい。既に刷り込まれているのだからネ。
2006年02月17日
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・・・あれほど暖かかった昨日とは一変し、薄曇で肌寒い。 三寒四温にはまだ早いのだろうが、天候も極端に振れることは結構辛いものがある。冬季オリンピックも期待値どうりの結果を出せずにいるが、トリノの空は青く澄んでいる。アルプス山脈の発端でもある山々は神々しい。 国威発揚の意味からも各国のメダルの期待値は大きいものがあるのだろうし、現在では否応無くオリンピックは武器を持たない戦争ともいえる情況を呈している。 東西冷戦時には両体制の親分ソヴィエト対アメリカのメダル合戦が繰広げられていたし、それによって様々な薬物が登場し選手を蝕んできたことは公然の事実だ。そしてご都合主義でルールの改正はあたり前に行われていた。 ルールという合法的な隠れ蓑に則って各国の利害損得が中和され、不利なルールを押付けられても黙るしかない状況が現在も続いていることは、紛れも無い事実だ。 スポーツと言えども決して公明正大ではないことは承知しつつ参加している状況で、ルールの限界すれすれをタイトロープよろしく通り抜けようとするのだから、そんな極限ではチョッとした心の隙間に魔がさす事もあってあたり前だろう。 人間であって功名心に駆られている血気盛んな、国家と選手が集っているのだから。とはいえ、当然とも言ってられないしそれを食い止めるものはやはり、それぞれの国家と選手達の道徳観しかないのだろうと思う。 ルールではすべて決めることはできないだろうし抜け道は必ず出てくる。完璧なルールは無いのだから。 オリンピックと言えども国際政治の思惑からは抜けきれず、他の分野と違うスポーツという純粋性を見るものに期待を抱かせ、求めて止まない中にさえもあらゆる社会の陰影が色濃く投影されているのですからしょうがない。 スポーツだけではなくそれ以外でもルール、原理原則、さまざまなものが現在に影響を与え続けていることは無数にある。世界中の価値観も解釈も無数にある中で統一しようとしても元々無理があることなのかもしれない。 おお揉めにもめている歴史観など各国で違って当然だろうし、此方の英雄もあちらでは強奪・殺略者となるし、その逆も当然有得るのだ。したがって歴史観の共有など有得ない、ただ事実を共有するだけだ。 その歴史にも空白がある。史上他に類を見ない世界帝国の建国者チンギス・ハーンとその子孫の皇帝達の陵墓の所在は現在に至るまで謎のままだ。 その原因は当時のモンゴル人が固有の文字を持たず、史実を記述して後世に残すと言う習慣が無かったことと、特異な埋葬習慣を持っていたことによる。この結果十三世紀の中枢であったモンゴル帝国を知る資料は、この世界帝国の主役からは、一切得ることはできず、漢人、ペルシャ人、ロシア人、ヨーロッパ人等の被征服者ないし外来者の記録のみに頼らざるを得ないのです。 その意味で世界史の中に巨大な空白が未だに残されているのです。 チンギス・ハーンはまぎれもなく“アジアの嵐”だったが、その台風の眼が残されているといえる。それを解消するには世界帝国の建国者たるハーンの陵墓を発見・発掘することからしか空白を埋める術はない。 陵墓の発掘によって発見が期待される副葬品をはじめとする多くの遺物を調査、研究することによって、この世界史上最大の空白を埋めることができるのだが、いまだ陵墓発見の報道は聞かない。 シュリーマンのトロイの遺跡発掘、カーターのエジプトの“王家の谷”、ハイラム・ビンガムのマチュ・ピチュの発掘などのどれと較べても比較を絶した、空前そしておそらくは絶後と思われる史上最大、最深の企画になる。 これは世界史に名を残したアジア研究家や探検家、たとえばスヴェン・ヘディン、オーレル・スタイン、オーエン・ラチモア、さらに大谷光瑞など、その誰一人として着想をしなかったし、着手もしなかったという性質の壮大なものだ。 昔、ジュール・ベルヌというフランスの小説家は「八十日間世界一周」「海底二万マイル」などのSFを書きましたが、当時の人はこれを空想ととしてファンタジーとして拍手、大歓迎したものだった。しかし、それから一世紀たつかたたないかに、彼のファンタジーは殆んどが実現されました。 人類は空を飛ぶばかりか月にまで行って帰ってこれるようになりました。海についていえば潜水艦が発明され、深海底が発明され、海底油田が発掘されるまでになった。彼は偉大な預言者だったとも言えるのです。 けれど、大地及び地中という未だに、暗くて、硬くて、冷たい。資源衛星、金属探知機などで地中にどういう資源が含まれているか推定することはできるようになった事実は皆知っている。 が、しかし、地中というものは大多数の人々にとっては未知の領域であり、未だ暗国大陸のままでしかない現状がある。 当時知られていた地理的概念の世界地図の五分の三という信じられないくらいの大面積を占める帝国の建設だった。それもアジア人が世情最大の建国を成し遂げたものであり、そのために及ぼした影響は甚大であり、広範で、場所によっては二十一世紀の現代まで、まざまざと響き続けている。 しかし、これほど現代まで世界史に影を落としているにも拘らず、彼らが有史以来の文字を持たなかったが故に、征服された民族が書き残した古記録があるのみだ。 被害者の報告書があるのみで、加害者の報告及び告白、記録というものが残っていない。かろうじてチンギス・ハーン一人について『元朝秘史』というドキュメントがあるが、これとて中国の文人が、北宋時代の歴史編纂官が漢字で綴ったものに一時期採用したウイグル文字がルビとしてふられているものだ。 文字を持たなければならないという政治感覚から採用したが、チンギス・ハーン没後百五十年のモンゴル帝国崩壊後には二度と使われることはなく歴史から消えていった。 このようにアジア史においての最大の空白チンギス・ハーンの陵墓を発見・発掘することで、主役の発言を持たないで被害者の報告のみで主役の活動を推測しているに過ぎない現状を埋めることができるのです。 現在のチグリス・ユーフラテスの両岸地帯は、十三世紀ごろは壮麗な灌漑設備が発達した地帯であったが、遊牧民であるモンゴル軍は農耕のための灌漑設備に何の興味も執着も抱かず、徹底的に破壊してしまった。現在も半砂漠化したままで二度と農耕地として蘇えることなく遊牧地帯のままだ。 拡大、膨張の一途を辿りつづけたモンゴル軍が、東ヨーロッパ一帯で活動した時期がありポーランド南部・ドイツ北部でポーランド軍とドイツ連合軍を打破した。そのときモンゴル軍は例によって三光作戦、奪い尽し、殺し尽し、焼き尽くす、を徹底的に行った。 そのためこの地方一帯は無人の、白骨累々の荒野と化し、農耕もできず、牧畜もできず、そこで救済策としてポーランドがドイツに要請し移民をこの地方へ導入、定着させた。ポーランド系ドイツ人の始りだった。 が、しかし二十世紀になってナチス第三帝国が勃興し膨張政策の発端としてオーストラリアを併合、次にチェコを併合したがこれらは無血入城だった。 勢いづいたヒットラーはポーランドを狙うことになるが、侵入の口実としてポーランド系ドイツ人が謂れなき迫害を受け、屈辱をうけ、奴隷生活を強いられており、第三帝国はこの同胞の苦難を見逃すわけにはいかないという理由をデッチあげ、ポーランドに侵入した。 ここで第二次世界大戦が初めて血を流して勃発した。 ヒットラーのデッチあげた理由で侵入し世界大戦へ突入したポーランドには、アウシュビィッツ強制収容所が設けられ数百万人が煙と化した。 十三世紀に吹いたアジアの嵐は、七百年後の二十世紀にも吹き続けたと言えるだろう。 日本にも蒙古襲来、朝鮮から出発したモンゴル船団が押寄せたが、台風によって悉く海底に沈められたが、日本も決して無関係ではないのです。 歴史の体験は良い悪いを問わず無限の連鎖であって切れ目がない。歴史のジャングルからチンギス・ハーンの陵墓の所在を発見発掘することは二十一世紀においていよいよ意義を増すこととなっている。 チンギス・ハーンの陵墓は人間の知に新しい何かをもたらすはずだ。
2006年02月16日
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・・・暖かい陽射しが降注いでいる。春遠からじだろうか。 前評判の良かったオリンピックもことごとく惨敗の山ができつつある。オリンピック頼りのN○Kは、特番体制を敷いて待機していたにも拘らず、スタートからつまずき通しでコメントも言い訳に終始している体たらくだ。 競技をするのが選手である以上、見ているほうの思惑どうりにならないことは当然だろうが、流言の流布?ではないだろうが番組の思惑から期待値だけ煽り上げ、その気にされておいてダメだったじゃ見ているほうも選手もたまったもんじゃないネ。 彼我の差をもう少し分析・検証し、いたずらに煽りあげることは止めてもらいたいと選手も見ているほうも白けちゃう。冷静さが欲しいものだ。 ・・・けれど選手には何の罪も無いことは確かだ。 安岡正篤の著書に『活眼 活学』という名著がある。 人生の心得、その中にある“運命”の中に、「自分とは?」という一項があるので掲載してみた。 全国各地での公演での一説、鋭く深い。「自分とは?」 ローマの昔、キケロとかセネカという偉い人たちがおりましたことは、皆さん御承知でありましょう。そのキケロが、こういう事を申しております。彼らは他人に向かって語る事を学んだ。しかし己に向かって語ることは学ばなかったと。 またセネカは、世に学者なるものが出てから、遂に有徳者を見ない。キケロは、人はむしろ不学―学ばざるにしかぬ。こういう事を申しております。 実際、近代の学校を出たり、多少文学を好んで読むほどの者でありましたならば、世界とか人類とか、アメリカがどうだ、ソ連がどうだ、イデオロギーがどうだ、民主主義がどうだ、共産主義がどうだ、新内閣が不満だとか、総理大臣が良いとか悪いとか、そういう議論をしない者はいないで有りましょう。そのくせ、本人自身は手紙一本ろくに書けず、応対だって満足にやれないものが案外に多いのです。 孟子ではないが、ずいぶん偉い人に会っても、ああ、なんとつまらないことを言う人かと思わずにおれないような、人間的にはまったく稚拙というか、できそこないというか、なってない人が多くって、こんな人々によって教育や政治や、いろいろの社会事業が行われたのではたまらないと、密かに嘆息させられることが少なくありません。 鸚鵡でも人間らしいものを言う。くだらん人間でもたいしたことが言えるものであります。否、大したことほどくだらぬ人間が利用するのに都合が良い場合が少なくない。それだから大したことなのでもあります。 無頼漢が天下国家の看板を商売にかけたり、淫婦が教祖になって信者を集めたり、奸商が国家を建前にして巨利を博したり、小人がお抱えになって御用学問を論じたり、つまり厳正に言えば、世間の人間が相手にせぬような無頼漢や淫婦や奸商や小人でも利用できるところに、偉大なるもののありがたさがあるとも、言えば言えないことではありません。 しかし、それだけもったいないことであり、殊に大言壮語して、空理空論を弄び、大衆をまごつかせたりする、いわゆるインテリなるものは迷惑なものであります。 日本はこれからますます物事が難しくなるでしょう。本物と偽者との区別がつかず、陰謀策略がしきりに行われ、専門的知識技術が何を作り出すやら分らず、非常なスピードで変化してゆく時代に、どうして自分を正しく立てていけば好いでありましょうか。 この「自分」というのは大変好い言葉であります。何気なく使っておりますけれども、時々日本の俗語の中には、こういう立派な言葉があります。 あるものが独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無碍な一致を表現して自と分をとを合わせて「自分」という。 我々は自分を知り、自分を尽くせばよいのであります。しかるにそれを知らずして、自分自分と言いながら、実は自己、私をほしいままにしておる。そこにあらゆる矛盾や罪悪が生じるのであります。 ・・・と、安岡正篤師は生前語っていた。現在の日本の窮状を予見していたかのように、宿命・運命・知命・立命などと普段では思いも及ばぬ大局観をもってして道を聡かにしてくれていた。 歴代の総理大臣から幅広く経財界を網羅し、大道を俯瞰しあるべき姿を探求し続けた人だったが故に、重鎮として重用され続け、歴史に立ち会った生き証人でもあった。 その道を説く、人格と慧眼と博識から燭陶を受けた者は数知れず。現在もその影響は衰えてはいない。 それはまるで、“死せる孔明、いける仲達を走らす”、如くだろうか。 ・知識人の悲哀・ はてさて俺は、ああ哲学も 法学も、また医学も なくもがなの神学も 一心不乱に勉強して、底の底まで研究した そうして、ここにこうしておる。憐れな愚かな俺だ そのくせ何もしなかった昔より少しも偉くなっておらぬ そして俺などに何がわかろうかと、そう自分で知っている! それを思えばこの胸がはり裂けそうだ。・・・とはゲーテの『ファウスト』の冒頭、碩学ファウストの慨嘆の言葉である。ここに知識人の変わらぬ悲哀がある。 いくら神学を勉強しても信仰が深くなるわけではない。あるいはだんだん神から遠ざかるであろう。いくら科学を勉強しても、安心立命が得られるわけではない。あるいは自己を喪失することもあろう。魂の感動に基づかねば真の生命を得ることはできない。と、喝破している。 日本近代の哲学界に最も高名であった西田幾太郎教授が、晩年禅に入って、余が禅を学のためになすは誤りなり。余が心のため、生命のために為すべし。見性までは宗教や哲学のことを考えずと言い、 世をはなれ人を忘れて我はただ己が心の奥底に住む しみじみとこの人の世を厭ひけりけふ此の頃の冬の日のごと 運命の鉄の鎖につながれて打ちのめされて立つ術もなし・・・と詠じているのは、知識人に対する好い教訓であろう。 その安岡正篤師が語っていた結論めいたもののひとつに、『今までは主として知識の文明であった。今後の人間は悟道の文明を開かねばならない』、と法律や機構や政策だけではどうにもなるものではない。 結局人物だ、という。 タキツスの言った通り、道徳なき法律は何か、である。 現代の悩みの究極は果たして偉大な道徳的人物が排出し得るかということであり、いかにしてそれらを有力な政治的地位に配置し得るかということである。 哲人政治というものが新たな世界の最大の政治的課題であると信じる。と言い切っているのです。現在の世界中の混沌を見渡せば納得できる。
2006年02月14日
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・・・どこかの新聞社がジャーナリスト宣言?とかをCMで流してたようだけれど、いまいち意味不明で何を言いたいのか解らない。 毀誉褒貶、変節が有り過ぎ。ジャーナリスト宣言もまだ間に合うのかネ。 ・・・・・・・頑張って欲しいものだが・・・・・・・。 ・・・こんなのがでてきたョ。【論説】朝日新聞よ、真実を語って悪いか 石川台湾問題研究所 石川 公弘 朝日新聞2月11日の社説は、「外交がとても心配だ」とのタイトルで、麻生外相の発言を取り上げている。先週末、福岡市の講演で麻生外相が、日本が戦後のアジア各国の発展を支えたと説くなかで、次のように言ったと非難している。要旨を要約する。「日清戦争のころ、台湾という国が日本に帰属した時、日本が最初にやったのは義務教育です。貧しい台湾の人々が子供を学校にやったら、カネをやるという大英断をした。結果として、ものすごく教育水準が上がり識字率が向上した。おかげで台湾と言う国は、極めて教育水準が高い国となり、今の時代にも追いついていけている」麻生氏には、自民党政調会長だったころにも、韓国を植民地支配した時代の創氏改名についても、好ましくない発言があったと朝日は言う。そして、「日本の植民地統治の負の部分を素通りして、プラスの側面ばかりを強調する。これでは植民地支配を正当化する勢力と見られても仕方がない。」「麻生氏の講演にはもうひとつ、別の問題がある。「一つの中国」という政府の方針に反して、台湾を「国」と繰り返し表現したことである。米中、日中間で台湾問題はとても微妙な事柄だ。中国が不可分の領土と主張する台湾に、「国」の呼称を使うことの意味を、外相が知らぬはずはない。「地域」とすべきところを、言い誤ったのだと思いたい。」麻生外相の発言に細かな点で多少違いがあるにしても、日本統治時代の台湾で識字率が飛躍的に向上し、それが台湾の各方面の発展向上に大いに貢献したことは、多くの台湾人が率直に認める事実である。朝日新聞はこの事実さえ、否定しようとするのだろうか。「日本統治時代の50年と、中国国民党統治の50年を比較すれば、日本時代の方が断然良かった」と、私は多くの台湾人から聞いている。それなくして、今も続く台湾日本語世代の日本に対する好感情は存在しないだろうと思う。麻生外相の発言は、この事実を正直に述べたものである。逆に私は聞きたい。朝日新聞は、日本統治時代に対する台湾人の高い評価を、なぜ否定するのか。中国共産党政府におもねるためか。また「一つの中国」であるが、日中国交正常化の際、日本は台湾を中国の領土として認めたわけではない。中国の領土だと言う中国政府の主張を理解したに過ぎない。しかも、当時の日本政府は、重大な間違いを犯した。それは当時台湾に住んでいた人間の大多数を占める台湾人の存在に、配慮しなかったことである。その地がどの国に属するかは、その土地に住む人間が決めることである。それが民族自決の原則である。人口13億といわれる中華社会は今日、中国共産党政権の独裁下にあって、人権の抑圧、貧富の格差の拡大、自然環境の悪化に悩んでいる。その原因の多くが、大中華主義・大国主義にあることに、自由を求める多くの中国人が気付きだした。中国共産党の抑圧を嫌って、いま数百万の単位で脱党運動が世界的に展開されている。そうした人心の流れを、朝日新聞はどう考えるのか。日ごろは人権を重視するという朝日新聞が、こと中国に関しては、なぜ反人権、反民主主義の立場に立つのか、私にはどうしても理解できない。私は「一つの中国」という原則こそ、多くの中国人民の人権、自由、民主主義の立場から、再検討されるべきものだと考える。麻生発言は、その問題を提起しているのではないか。朝日新聞は、自由を求める多くの人民の立場に立つべきで、それを抑圧する共産党独裁政権の立場に立つべきではない。『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html 麻生さんは愉しませてくれるし、余裕の発言を何時もするので好きだ。あれぐらいの余裕をかました発言をさらっと言えるような大臣が、後ニ・三人いれば日本の国会も政治も外交も面白くなるのにナ、真面目すぎるョ。 国会ももっと不真面目にやってくれなくちゃ愉しめない。国会の場はマジメに不真面目をするところじゃなければ、誰も見てくれないのだからもっと視聴率を意識して欲しい。そして突っ込みどころ満載の発言が欲しいネ。 そんな発言をする代議士がいれば次の選挙は当確だ。マジメな振りをするような芸が無い奴は落選だろう。パブリック・サーバントなんだから、国民にドンドン奉仕してもらいたい、国民に笑いとペーソスを提供できるそんな上等な代議士になってもらいたいものだ。 麻生さんのようにオトボケでいて奥が深い言説は、吉田首相譲りかはたまた広沢寅蔵の清水の次郎長を思い出すね、味があっていい。 小難しい社説も、媚びない・ぶれない・阿らない、毅然とした一文をモノしてもらいたいものだプロなのだから、と思う、今日この頃でした。
2006年02月13日
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・・・いいお天気だった。 オリンピックが夜中も昼間も流れている。ジャンプの原田選手が200g不足していてスキー板の長さ違反で退場だったそうですが、ダイエットとか体重増量などしなくてはいけないなんて小難しくなったもんだね。 200g体重が不足してスキー板が2cm長すぎ?だったなんて言われてもネ。いやはや複雑怪奇ですな~それでもルールだからしょうがない、頑張ってもらいたいものだ。 女子の上村、里谷、ナニガシ?、とかも成果を挙げられなかったが、よくやったと思う、勇気がいると思うねあんなサーカスのようにしなくちゃいけないんだから大変だろう。 ハーフパイプもクルクル回転して空中技を繰り出し、なんかい回転したかわからない程で、アイスダンス同様に回転数などいまだ解らないままだ。 バイアスロンのように鉄砲を担いで走り回って、何ヶ所か設置してある標的を撃つ、ナンか大変そうだけれどよく的に当たるよね、ゼイゼイ息を切らしてて的に当てるなんて、人間業じゃないねあれは。こちとらお祭りの射的でさえ当たらなかったから羨ましいよ・・・まったく・・・。 あるぺん、じゃんぷ、すけーと、がまだこれから始まるが、男女の滑降が愉しみだ。TVで見るとスピード感が失われちゃうけれど、滑降はそれでも迫力のある滑りが楽しめるのでいい。 暖かい部屋の中で厳寒のスポーツを愛でる、なんと贅沢。(お酒も?)
2006年02月12日
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・・・お天気がよく晴れていて、青空が高く淡い。 オリンピックも始まったが開幕のセレモニーは、毎回マジックショウと見間違えるほどで、ハデはでの競演になっちゃっているが世界のお祭りなので好いのかもしれない。 逆に四年に一回の世界の善隣友好、こんにちは、ハロー、ニイハオ、ムニャムニャ、オヤスミ、などと文明文化の違う国が集う集会なのだから、まだまだ派手にやれという意見もあって当然だろう。 オリンピックはビジネスチャンスに変貌し、選手は国際的なセールスマンになったのかも知れない。が、経済的に自立できないことはもっと困ることになるのでしょうがないだろうね。 クーベルタン男爵の理想は素晴らしいが、経済的に自立できないことは共産圏の崩壊を見ることでその悲惨さは想像できるし、オリンピックといえども例外ではありえず、経済の逼迫は結局制約条件が増し、愉しくない、不自由さの増大を招聘する元凶となる。 経済破綻は国家といえども例外ではなく襲われるが、それには因果律、原因と結果の法則がキッチリと働いているようだ。イギリスでもそうだったしサッチャー首相が現われなければ歴史の中に埋没したままだったかもしれない。それくらい深刻だったのだが、サッチャーは見事に立て直した。 渡部昇一 「100人の指導者たち」 「サッチャー」 1970年代のおわり頃、私の家族はエディンバラに住んでいた。当時のイギリスはさながら敗戦国のようだった。 事実、経済敗戦国だったのである。市街の大きな通りに面したところでも、板を打ち付けて閉店になっているところが多く目につき、貸家、売家の看板が無暗に多かった。 居住街を歩くと、大きな家に住む人がなく、窓は破れているのも稀ではなかった。道路では紙くずが風に舞っている。ロンドンでも似たような風景が見られた。 木村治美さんが『黄昏のロンドン』を書いて評判になったが、たそがれているのはロンドンだけでなく、イギリス全体であった。 ヨーロッパ大陸の貧しい国とされていたスペインなどよりも、イギリス人の一人当たりの国民総生産高が低くなっていた。世界一の金持ち国で、しかも戦勝国であったイギリスが、である。 この背景には戦後のイギリスの政治情勢がある。対ドイツの戦争が終わったので・・・日本とはまだ交戦中・・・総選挙をやったところ、保守党のチャーチルは敗れて労働党に政権が渡る。 労働党は当然、社会主義政策を押し進める。不労所得に対する税率が90パーセントを超えるようにもなった。鉄道や産業の国営化も進む。その政策が行き詰ると保守党に政権が渡るが、滔々たる社会主義化の流れを変えることはできず、せいぜい一寸と更なる左傾化を押しとどめる、つまりストップをかけるぐらいである。 そして行き詰って内閣が変わり、また労働党政権の社会主義政策が進む。すなわちゴーになる。それが行き詰ると再び保守党政権に…という繰返しであった。いわゆるゴー・ストップの政治であった。 その間にもイギリスの経済はどんどん落ちてゆき、敗戦国で、しかも分割された西ドイツよりはるかに貧しくなった。 このゴー・ストップを何度か繰り返して、1970年にエドワード・ヒースが保守党内閣を作った。しかし彼の政策は炭鉱労働組合などのストライキを招き、寒い冬に石炭もないような丁合になったため、1974年の選挙には国民に見放され、再び労働党内閣が成立した。 このときの選挙の敗北は保守党の心ある人たちに深刻な危機感を与えた。というのは、たとえ次の総選挙で勝って保守党政権を作っても、労働党系の労働組合に反対されれば、何もできないのだ、ということが明瞭になったからである。 何か抜本的なことをやらなければならない。それでキース・ヨゼフやイーノック・パウエルなどが「政策研究センター」を作り、保守党の政策を徹底的に検討することになった。そのメンバーの中に、マーガレット・サッチャーがいた。 この研究センターで、対社会主義理論のバイブルになった本がある。それはハイエクの『隷従への道』であった。「社会主義の根幹に立ち向かわない限り保守党の未来はない」ということになった。 ヒースの次の党首を誰にするか。キース・ヨゼフが最も適任であるが、彼はシナゴクに通うユダヤ人である。ユダヤ人でも保守党の党首となり首相にもなったデズレリーのような例もあるけれども、デズレリーは父の代にイギリス国教会に名目上入信していた。シナゴクに通うユダヤ人ではイギリス首相の候補者としてはまずい。 ではパウエルはどうか。彼はあまりにも歯に衣を着せぬ発言が多く、問題ばかり起こしている。というようなことで当時50歳のサッチャー女史が党首に選ばれたのである。 サッチャーはローワー・ミドル(中流下層階級つまり自営業者などの多い階級)の出身で、奨学金でオックスフォードに進み化学を専攻した。彼女の女学校にはラテン語の教科がなかったため、オックスフォードの奨学金の資格を満たすために、1年間で必要なラテン語をマスターしたと言われる。 後に富裕なサッチャー氏と結婚した。メイドのいる生活だったので、子育てのかたわら法律の勉強をして、弁護士(税制専門)の資格をとる。政治運動には大学時代からかかわっていて、すすめられて保守党から立候補し、何度か落選しながらもロンドンを選挙区とする議員になった。そして影の内閣の教育相や蔵相をやっていたのである。 私はエディンバラにいる間、彼女のテレビ演説を残らず聞くようにつとめた。彼女の英語は、日本人の耳にもっとも理解しやすい種類のものである彼女は真正面から労働党の政策、つまり社会主義政策、及び社会主義そのものを攻撃した。有名な言葉に「金持ちを貧乏にしても貧乏人は金持ちにはならない」があるが、これは多くのイギリス人の胸にグサリときた。また「労働党の言うようなことをやっていたら、われわれはまだ石器時代にいたであろう」とか、「保守党は間違いを犯したかもしれないが、労働党のように国民に階級闘争をさせて、イギリス人同士を争わせるようなことはしたことがない」とか、みんなに解り易い言葉で国民に訴えた。 労働党との公開討論会では、労働党を指して「あなた方の旗は赤旗で、私たちの旗はユニオン・ジャック(英国国旗)だ」と言って沈黙せしめたこともあった。 かくして労働党の中からサッチャーと討論しようという人がいなくなってしまった。そして、さらにフォークランド島の紛争では、断乎アルゼンチンと戦って勝った。 かくして保守長期政権が実現し、その間にソ連も解体し、イギリスはよみがえったのである。今は労働党であるが、かつてとは全く異なり、経済政策の基本ではサッチャー時代とかわらず、民営化された鉄道などが再び国有化されそうな気配はない。 渡部昇一 参考図書 「サッチャー私の半生」上・下マーガレットサッチャー著日本経済新聞社刊 各本体2427円 イギリスの経済破綻から、左傾化した思想がいかに国家を根本から腐らせるかが窺がうことができるが、耳に心地よい弱者救済・平等・平和・人権等々の甘言から、自立の精神をいかに奪い取りそれが国家の沈没のはじまりを意味していることに気付かなければならない。 他山の石、反面教師は沢山有るのだから、日本のマスコミは破綻した国家経済の真の理由は何故か有耶無耶であきらかにしない。食品もアメリカの牛肉問題を取り上げるが、中国と韓国の食品については何故か沈黙を通しているのは何故だ。 アメリカの牛肉問題よりも桁違いの危険度を内包した中国・韓国製品を放置したままでいて、アメリカ牛肉の不良もいけないが鬼の首でも取った様に騒ぎまくることは如何かと。 同じように中・韓の不良食品に騒いでみたらどうだろうかネ?あまりに有りすぎて騒ぎきれないのだろうかネ?困ったもんだ。
2006年02月11日
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・・・もう間もなくオリンピックが開幕する。 冬季オリンピックは、今まで日本は参加しつつもメダルは期待できない状況が続いていたが、そこそこに、ここ何回か期待が持てるようになってきた。 毎回、期待の持てる種目が増えてオリンピックも身近に思える。 札幌の時にはジャンプで、金・銀・銅の完全勝利があったが、その後もジャンプでは期待を背負いつつ結果もそこそこ残していた。原田と葛西はもう五回目のオリンピックだが、原田は今期不調で出場が心配されていたが最後に決めた模様です。 岡部は長年の不調から突然の復活を果たし入賞まで狙える位置につけている。ただし舟木は復活ならず残念だ。オリンピックへ出る人達はある種天才の集まりでもあることから、復調・復活などちょっとしたきっかけがあれば大丈夫なんだろうが、それが何かは誰にも判らない所が難しい。 復活した原田、最後に間に合ったようだ。よかったネ。以下。原田、最後の1枠に滑り込み=ジャンプ個人ノーマルヒル 2006 年 2 月 10 日 ジャンプの練習に向かう途中、笑顔を見せる原田雅彦。37歳で5大会連続五輪代表の原田の練習ジャンプが注目される(10日、イタリア・プラジェラート) 【時事通信社】 【プラジェラート(イタリア)10日時事】ノルディックスキー・ジャンプの個人ノーマルヒルに出場する日本勢4選手が10日に決まり、5大会連続の五輪代表で37歳の原田雅彦(雪印)が出場メンバーに入った。原田は同日の公式練習で100.5メートル、102メートル、101.5メートルと安定したジャンプを3回そろえ、最後の1枠に滑り込んだ。 原田以外のメンバーは、今季ワールドカップ(W杯)総合ランキング11位の岡部孝信(雪印)、5大会連続五輪代表の葛西紀明と20歳で五輪初代表の伊東大貴(ともに土屋ホーム)。一戸剛(アインズ)と16歳の伊藤謙司郎(北海道・下川商高)は外れた。個人ノーマルヒルは11日に予選、12日に本戦が行われる。 あとは、結果がどうなるかが問題だ。ムードメーカーの原田なのでチームにとっても明るい話題だろう。 今回のオリンピックはいつもの悲壮感より、明るい感じが強く感じるのは、今までにメダルを取れた現実と、よりメダルに近づいた種目が多くなり、自信と余裕が悲壮感を埋めているのかもしれないね。 ・・・たくさんメダルを取ってください、正々堂々と。
2006年02月11日
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・・・今日はおだやか。 複雑な事件・事故。世間は喧騒を撒き散らし毎日が過ぎて行く。 事実は小説よりも奇なりなどというように、まぁ、作家の想像力が現実に追いつかないのか、現実の飛躍の方が破天荒で現象として現われなければ、俄かには信じられないほど我々を凌駕している。 トリノ・オリンピックも開幕するそうだが、超人的プレーが展開されることだろうが、心残りの無いように己の限界を超えて欲しい。 いつも事実は易々と我々を裏切り続けてくれるが、パッチワークのような社会形態が強まり個人という中に逃げ込んだままの現状では、誰が何をしているのか、何事かが発生しなければ知りえようがない社会になった。 自然界は森羅万象あらゆる複雑怪奇な法則・因果律を内包しつつ、一瞬も遅滞なく何事もないかのようにスムースに過動しつづけている。 アラスカのキーナイ河、ナクネク河、その支流へ毎年膨大な数のキングサーモン、シルバー、トラウト、レッド、などがそれぞれ回帰する。それを毎年鮭の数を上回るフイッシャーマンが大挙して格闘する。 アラスカは昔は金で盛上がり、今はキングサーモンで盛上る。その間には一時期流行った“フラッグ・ストップ”なんていう洒落たのがCMで流れ、アラスカ詣でを煽った。 オーロラも売りの一つだろうし自然界にはイロイロ飽きさせないものがあるが、鮭の回帰本能とか鳩の帰巣本能など、ほかの動物達も勉強をしなくても持合せている本能の鋭さには驚かされるが、人類はそれを何一つ解明できてないのです。 一説によると鮭は、河の左岸、右岸、中央と回帰遡上するときに、それぞれ河を下るときに通った道程から水質をインプットされ、それを頼りに違いなく故郷へと行き着くそうだが、科学的解析は為されておらず現地人の昔からの言い伝えではそう言われているとしかいえないのですからサミシイね。 鮭の本能にも追いつけない、人工孵化といいながら命を創ることもできない人類の科学なのですから、科学万能と思い込むことは結構だが科学の限界も知っておくべきだろうか。 「お気に入り」の中に入れてみたが、世界の奇魚・珍魚・大魚の紹介をやってくれているHPを見つけた。(愉しめます) 自称フイッシャーマン?は一見の価値あり。 それと現地へ是非に行きたい方は、ツアーの御案内も兼ねているので現地へ行って、ヒルだ、アブだ、ムクインだ、ピラニアだ、毒蛇だ、サソリだ、などを直接楽しまれるが好いだろう。 アマゾンのピラルクー、ドラド、アラスカのキングサーモン、モンゴルのイトウ、アムールのナマズ、チベットのホニャララ?とか、自然は軽々と我々のちゃちな想像を超えたパフォーマンスを見せてくれる。 現地での写真も豊富で、想像力を逞しくさせてくれること請け合いだ。 アイヌの神話で石狩川を巨大なイトウが堰き止めたというのがある。石狩川の旭川カムイコタン近辺のアイヌ神話だが、イトウはそれくらい大きくなる魚だということかもしれないが、実際3~4mになったイトウは昔獲れたし、現在でも2m超は獲れているのですから驚くことはない。 たまには殺伐とした現状を想像力で軽々と超えてゆくことが、精神の健康を保つ秘訣なのかも知れないし、想像の飛躍を遂げるには現実に埋没したままではそれもまた難しい。 ファーブルになり、コナン・ドイルになったり、はたまたシュリーマンか大谷光端になり、マゼランになり、命がけで地球を駆け巡った先人の情熱を受継いでいる我々は今、『人の何故?』、と問う好奇心を忘れないことが重要で、失いたくないものの一つだろうネ。 何故と問う、そのことすら思い出せないほど疲弊している?かもね。
2006年02月10日
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・・・夜は深く、世界は広い、ハワイ諸島では現在も火山から溶岩が流れ出し、新しい島々を造り続けている。 地球も生き物であることの証明でもあり、あたり前すぎて地球そのものの神秘性を忘れ去っている。そしてかけがえのないものをボロボロ指の間から零し続けている人類。 この人類の現在の生き方が、何によって、何処の時点で、どのような意識になったときに地球と共鳴・共振・同調し始めることが可能なのだろうか。 地球の呻吟、人類の傲慢、地球は待ってくれるのだろうか・・・。 現在、地球が傷つき汚れたことは、結局、人類がそうであるからだ。===========================<親愛なる日本人へのメッセージ、アインシュタイン>近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界の一カ所位なくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という、尊い国をつくっておいてくれたことを・・・。日本の家族制度ほど尊いものはない。欧米の教育は個人が生存競争に勝つためのもので極端な個人主義となり、あたり構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみとなった。家族の絆はゆるみ、芸術や道徳の深さは生活から離れている。激しい生存競争によって共存への安らぎは奪われ、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独にしている。日本は個人主義はごく僅かで、法律保護は薄いが世代にわたる家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。この尊い日本の精神が地球上に残されていたことを神に感謝する。Albert Einstein, 1922年、北野丸船上にて>>============================================================ アインシュタインに愛された日本と、その美徳を簡単に手放してしまってもよいのだろうか。一度失うと二度と戻らないものがほとんどなのですが、日本人の心象も地球上の絶滅品種と同様、世界でも貴重で稀なものだったと、過去形にならないようにしたいものだが・・・もう既に過去形か。<<首相、皇室典範改正で今国会提出見送りを示唆。小泉純一郎首相は8日午前の衆院予算委員会で、女性、女系天皇を認める皇室典範改正について「誰もが改正が望ましいという形で成立するのが望ましい。政争の具にしないように慎重に取り組んでいきたい」と述べ、今国会への提出を見送る可能性を示唆した>>しかしそれにしてもテレビは相変わらずお行儀が悪い。かの人種はひねくれていることこそ勲章とでも心得ているかしら?そこで <<一読者の30代主婦でございます。昨日の日記で「ご懐妊」と「懐妊」について触れていらっしゃいましたが、私も同じようなことを思いました。昨日の筑紫哲也氏のニュース23では、筑紫氏と草野満代氏はともに「紀子様の懐妊」とはっきり言っていました。が、彼らの前フリが終わったあと、すぐにVTR(街の声を紹介するようなものだったと思います)が始まったのですが、VTRのナレーションでは、はっきり「ご懐妊」と言っていました。同じ番組内でそういう違いを見せられて、「?」とクエスチョンマークが浮かんできてしまいました。局の意向とは別に筑紫氏と草野氏がオンエア直前に打ち合わせして意地でも「ご懐妊」と言わないようにしたのか、すべて局の意向なのかはわかりませんが、どうも釈然としません。とにもかくにも、今回のご懐妊は慶賀の至りでございますね。昨日のテレビでは驚きと喜びの街の声にまじって、40代とおぼしき主婦が「困りましたね」という声も放映されていました。人それぞれ受け止め方が違うとは思いますが、私は一国民として素直に喜んでおります。一読者より>>今一つ 森 喜三郎氏より<<このたび、秋篠宮妃ご懐妊の吉報がもたらされましたが、将来にわたる皇室の安泰を期すならば、現政府案ではなく、やはり旧皇族復帰のための新案が必要だと信じます。日本国の存亡に関わる重大事項ゆえ、小泉首相以下、国会議員の皆様には熟考をお願い致したいと存じます>>================================・このメルマガは下記のホームページの孝子日記でもご覧になれます。 「クライン孝子のホームページ」 http://www.takakoklein.de================================ 生々流転し続けるのが世の常ならば、変らないものがあってもいいじゃないか。変らないことが変り続けていることの証明なのだから、それが伝統というものだろう。 また、一方ではハワイ諸島のように新たな島々が生まれつつある。 また、片隅ともいえない広範囲で人類の行動の残滓による環境汚染が厳然と浸透しつつあり、あらゆる生物を絶滅へと追い詰めている悲惨な現実とともに当然、当事者として人類自身も渦中でもがきつづけている現状がある。 昔有って今忘れている品性・品格を教える教育を知識万能教育から修正しなければ、物質至上主義のつまらない即物的で無味乾燥した砂漠の砂粒ような関係しか残らない世の中になる。 この日本もこのままでは、世界のオアシスになれと言ってくれたアインシュタイン博士が見たら泣いちゃうねかもね・・・。
2006年02月08日
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・・・あかるい陽射しがふりそそいでいて穏やかな陽だまりがある。 北京での日朝協議が終了したそうだが、案の定協議とは名ばかりで内容はなにも無い単なる時間稼ぎだったことが判明した。話合いで何とかなる相手じゃないことは解っているがお付き合いしては、いつも裏切られっぱなし。 外務省は学習効果をいつ発揮するのだろうか、“拉致”問題は国家主権の根幹だろう。北朝が認めているにも拘らず煮え切らない態度で三年も四年も拉致された方々も帰されないままに、逆に隠蔽されていた新たに拉致されたと思われる方々が続々と明らかになりつつある。 国家犯罪をうやむやにして、いまでも国交正常化などと寝ぼけた事を言募る人達もいるが、犯罪国家と仲良くして何が日本の国益に成るのだろうか? 戦後処理があるという人も居るが、北朝に残してきた膨大な資産を正しく計算すれば逆に日本側が保証をしてもらわなければならなくなる、兆単位でね。 口を開ければ戦後処理だとか言い出すが、根拠薄弱な勝手な妄想を振りまき、さもあるかのような世論をつくり上げるいつもの我田引水の話には呆れ返るしかないね、厚顔無恥の極みだろうか、恐れ入る。 この時代山賊国家じゃないのだったら、さっさと拉致した方々を帰す。日本に謝罪する。 そこからだろう国交正常化?なんてことは。信頼できない国家と何故仲良くしましょうなどと此方から擦り寄らなければならないのか判らないね。 政府もつまらない功名心から、国家の矜持を捨ててまで擦り寄って、何の益も無い国交正常化などと寝ぼけた事を画策しようなど思わない方がいいだろうね。 そんなに国交正常化をしたければ、長年足蹴にしてきた『台湾』とまず、正常化を確立してから、此方は望まないけれどジックリと国交正常化を考えてもいいだろうが、韓国も民主化しても『天皇』の写真も日本国旗も首相の写真も事あるたびに燃やし、足蹴にする国民性にはウンザリだ、皆も。 日本の首相も言うべき事を言わないで今日まできたツケが噴出。各国からの内政干渉・領土問題・教科書・戦争と戦後処理・など嘘・捏造・歪曲・隠蔽が罷り通ってきたが、昨今の周辺諸国からの波風から日本人も学習効果を発揮し始めている。 国内の報道機関も方向転換をせずば見限られちゃうことに気付き、大慌てのところもあるようですが、遅すぎでしょうね今からじゃね。国民を舐めすぎでしょう。 北方領土大会など、領土問題よりも大切な問題ってあるのだろうか?国家主権を侵犯されたままで解決されていない問題を放置したままで、これより他に重要な問題ってあるのだろうか。 どうでもいいことにかまけてないで、国家百年の計を練っておくれョ。◆北方領土大会 首相欠席、代読なし 答弁準備を優先 平成18年2月8日(水) 産経新聞 小泉純一郎首相は七日、東京・九段会館で開かれた政府など主催の「北方領土返還要求全国大会」を欠席した。衆院予算委員会での答弁準備を優先させたという。昭和五十六年の大会発足以来、首相欠席は今回で四回目。小泉首相は昨年も風邪のため欠席、山崎正昭官房副長官(当時)が首相あいさつを代読したが、今回は代読も見送り「極めて異例」(外務省関係者)の大会となった。 ロシアのプーチン大統領が北方領土支配の正当性を主張するなど対日強硬路線を強めているだけに、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が大会に先立つ討論会で「非常に誤った政治的メッセージをロシアに与える。日本政府の領土問題に対する姿勢が甘くみられる」と指摘するなど、大会出席者からは批判や落胆の声が噴出した。 小泉首相以外のケースでは、平成元年に竹下登首相(当時)が訪米のため、十年には橋本龍太郎首相(同)が長野冬季五輪開会式出席のため、それぞれ欠席したが、首相臨時代理出席やメッセージビデオの上映で首相の「決意」を発信した。 この日の大会には関係団体や政府、与野党関係者約千五百人が参加した。千島歯舞(はぼまい)諸島居住者連盟の萬屋(よろずや)努副理事長は「首相の口から決意を聞かせてもらいたかったのに残念だ」、歯舞生まれの父親に代わって参加した千葉市の会社役員、菊地園子さんも「首相にみんなの声を直接聞いてもらいたかったのに」と肩を落とした。 この後、出席した閣僚から「大会をきっかけに粘り強く領土返還のために、さらに声を大きくしていきたい」(小池百合子沖縄北方担当相)、「(元島民の)高齢化の状況を踏まえ積極的に取り組んでいきたい」(麻生太郎外相)との決意が示された。首相は同日夜、欠席について、記者団に「予算委員会の状況をみてほしい。担当閣僚に託したんだ」と釈明した。◆北方領土 打開の道筋見えず 外務省戦略に疑問の声平成18年2月8日(水) 産経新聞 ロシア側が北方四島支配に関する正当性を強調する中、外務省は、領土問題交渉の下地を再構築するため、近く次官級協議の再開を呼びかけるなど日露政府間対話を進めたい方針だ。しかし、領土問題打開の道筋はまったく見えていない。 外務省は、北方四島とのビザなし交流について、現在は数日間に限られている日本人の北方四島の滞在期間を最大一カ月程度に延ばすようにロシア側へ提案するなど、交渉の糸口をつくるのに躍起だ。 昨年十一月に五年ぶりに来日したプーチン大統領と小泉純一郎首相との首脳会談では領土問題に関する共同声明を出すことができなかった。日本政府内で一時、浮上した北方四島周辺での水産資源などの共同開発事業も管轄権問題などでロシア側は後ろ向きな態度を見せている。 外務省は、プーチン政権が安定すれば領土交渉が前進する機運は高まるとの見解を強調していた。 しかし、「ロシア経済が原油高で好調の中、逆にロシア国内で国民意識が高揚し、領土交渉で譲歩はしないとの姿勢を見せるようになった」(幹部)という。複数の日露関係筋からは対露アプローチの方法がそもそも間違っていたとの指摘が出ている。 外務省は今年七月にロシアのサンクトペテルブルクで開かれる主要国首脳会議を利用して日露首脳会談を開催するなど打開の道筋を探る方針だが、「冷戦崩壊に匹敵するような国際社会の変化でもない限り、ロシアは真剣に交渉に応じないだろう」(日露関係筋)との指摘もある。◆【主張】北方領土の日 国際化で対露包囲網築け平成18年2月7日(火) 産経新聞 七日は二十六回目の「北方領土の日」である。特に今年は「ソ連(現ロシア)は平和条約締結後に歯舞・色丹の二島を日本に引き渡す」とうたった日ソ共同宣言の締結(一九五六年十月)から五十周年だ。ロシア側は「二島最終決着」に向けた攻勢を一段と強めてこよう。小泉純一郎首相は最後の出席となる東京・九段での返還要求全国大会で「四島早期一括返還」への揺るぎない決意を国内外に声高に発信してほしい。 プーチン大統領は「四島の主権はロシアにあり、(米英ソ三首脳がソ連の対日参戦などの密約をした)ヤルタ協定などの国際法で確定済みだ」とソ連時代同様の歴史ねじ曲げ発言を繰り返している。しかし、昨秋訪日して真っ先に会ったのは日ソ共同宣言に調印した当時の鳩山一郎首相の孫の鳩山由紀夫民主党元代表だった。「現実には二島で最終決着を図りたいシグナルを送った」(外交筋)とされている。 ここで再確認すべきは、独裁者スターリンが日ソ中立条約を一方的に破って終戦後に四島を不法奪取した事実、しかも「戦勝国は敗戦国の領土を奪わない」とした大西洋憲章の決意に明確に反する事実だ。「四島返還」以外の選択肢はありえないのだ。 今年の領土交渉のピークは七月にロシアで初めて開かれるG8サミット(八カ国の主要国首脳会議)だ。クレムリンからは「共同宣言五十年を記念する条約か協定を結び、領土問題は今後は全く別枠で永続的に協議していこう」といった理不尽な提案も流れている。小泉首相には任期内の最後の国際舞台だが、功を焦って安易な妥協や譲歩に走るべきではない。 ブッシュ米大統領は昨年五月、ラトビアで「ヤルタ協定は歴史上、最大の過ちだった」と暗にソ連の対日参戦などを批判した。プーチン大統領が最も気脈を通じていたドイツのシュレーダー首相はすでに退陣した。加えて欧米各国から「ロシアはG8にふさわしい国か」との疑義が出されている。 「領土」を国際化し、日本援軍のための対露包囲網を構築しうる環境が整ったようにも見える。小泉首相はサミットでプーチン大統領に「四島返還なしに日露の戦後は終わらない」と真っ向から提議すべきだ。それこそが「歴史に名を残す」道ではないか。 日本の首相も官僚も政治家も、着眼大局、国家百年の計などという射程距離の長い思考は苦手なんだろうね。目先の己の利害損得には敏いけれど、なぜか国家国民への国益には目配り気配りが欠けちゃうのだね。 このままじゃ日本国内で日本人の住む場所が無くなりそうではないか。 世界で一番早く衆愚政治の極致へと日本が突入したのかも知れないね。
2006年02月08日
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・・・昨夜から雪が降るとの予報も、たいした雪にもならず混乱は避けられたようだ。良かった。けれどやはり寒い。冷える。熱燗か。 雪の寒さの中にホットなニュースが舞い降りてきた。秋篠宮様の第三子御懐妊の一報が流れた。紀子さまの御懐妊おめでとうございます。久々の明るいニュースで今年の幕開けから縁起がいい。 激論で盛り上がっている“皇室典範改正”問題は、いったいどちらへ舵をトルのでしょうか、たいした議論もなしにサブマリン法案のように突然浮上したもので、意味不明論議と左翼有識者軍団が一方的に決めようなどと不埒な謀議を巡らせても情報は流れ企みは知られることになる。 ・・・紀子様の御懐妊の御一報で情勢は一変する、不思議だ。 さまざまな騒動も、知らない事を掘り起こし知らしめてくれた効用があったことも確かだ。 皇統継承について、男系・女系、女帝・女系、などと染色体のX・Yが男系女系でどう変わってゆくのかなど、まともに答えられる人は居ないだろう。 二千数百年の神話の時代からの、神様の血統を継承し続けている天皇家。皇族が神様が国家の中心に居る、世界中を探してもそんな国家は無い。 神代から二千数百年続いてきた最古の伝統を、たった30時間と、一年少々と、意味不明な有識者達が拙速で出した結論に何故?委ねなければならないのか、もっと、結論を出すなら公平公正な開かれた議論の場を提供し“万機公論に決する”よう、国民の意識を盛り立て理解を深めなければいけない。 それでなければ不敬の誹りを逃れられない。 “皇室典範”改正問題は何年掛かってもいい、この問題こそ。 生きている限りは創造変化してやまない。それが自然の本体であり、人生の本体である。これでいい、これでとどまるということが無く神話の時代から悠久の時を刻んできた天皇家は、ただそれだけで自然の一部ともいえる。 自然は無限であり、自然は円通だ。まどかに通ずる。行き止まるということがない。変化して限りない。水蒸気が霧となり雲となる、また雨になり河となり海となる。 この円満無限の流通これが大自然の実態だが、われわれも万物一体の妙理を学び安心立命を深めようとするところに易という学問の妙味がある。人間の思考行動の限りなき円通の理論、これが易学だが陰・陽、0・1で進行するコンピューター同様に無限に展開してゆく。 人も土から生まれ土に還る自然そのものだとすれば、人間は自然界の元素が組合さって造られている。孔孟、老荘、仏教でも東洋の思想・学問・修行の根本的要素の一つに『素』というものがある、自然訓に和して『素心規』がある。 『易経』が基本原形六十四卦の組合せで天地万物を象徴する。人の交わりも利害打算で交わるようなのは利交といい、しかし、地位も名誉も利害もそんなものを抜きにして、人間の素地・素心で交わる、これを素交という。 人間いくつになっても何者になっても、いかなる境地に臨んでも、失うべからざるものは素心であり、世間のさまざまな着色に染まらない、生地のままの純真な心-素心、これが誠である。と、安岡正篤師は言う。 安岡正篤師が居られたなら、現在のこの喧騒をなんと看るであろうか。 ポエニ戦争のときにシラクサのアルキメデスがローマ兵に殺されてしまうが、ローマ兵が来たときにアルキメデスは庭に砂をまいて図形を描き、幾何の勉強をしていた。 ローマ兵が図形を踏もうとすると、アルキメデスは『私の円を乱すな!』と言ったといわれる。が、彼はローマ兵に殺されてしまった。ローマの司令官マルケルスはこれを聞いて、部下が誤ったのだと死を惜しんだ。 ポエニ戦争は紀元前二百年以上前の話だが、ここにも『円』がでてくることになるが、アルキメデスも現代人も誰もいまだに、完全な円は書くことはできないし、心の円熟も獲得できないでいる、かくて『円』は閉じない。 人はあとどれだけ待てば「完全な円」を描くことが出来るのだろうか。
2006年02月07日
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・・・今夜から雪が降るようで、先日の雪どうようまた、通勤で騒動が起きるのだろうか。 先日は北陸道で玉突き衝突があり大惨事、突然の悲劇に襲われた人たちも居たことだし、もし雪の予想どうりに今夜から降ったとしても余裕で対応してもらいたいものだ。最近の事件事故の報道を聞かされ続けていては気分が滅入ってしょうがない。 このごろは、愉しい、明るい話題がなんと乏しいことだろうか。ニュースも+-イコールになるように報道をしなければいけないと言う法律でも作らねばいけないね。 せっかく、個人的には密やかな愉しい気分を抱えていても、気分が滅入るような暗い話題に浸され続けては、ダンダン頭もうな垂れることになっちゃう。ささやかな楽しみを奪う暗いニュースは犯罪だろう。 “巷に雨が降る如く、わが心にも雨ぞ降る”、こんなフレーズがあるが、たいがいの人は巷のニュースが波動的に同調してしまい、世の中全体の暗い風潮を創り上げてしまうのですから、明るい愉しいニュースを半分含ませることは必要だろう。 まぁ、もっとも“巷に雨が降る如く、わが心にも雨ぞ降る”、と記したヴェルレーヌは、アルコール中毒で男色家だった。そして、ブリュッセルでチョッとした感情のもつれからランボーに拳銃を発射し投獄されたり、生活は乱れ、放蕩無頼の中にその一生を終えたようである。 しかし、獄中にカトリックに改宗し、第五詩集『叡智』を出版し詩人としての名声はいよいよ高まるが、生活の乱れは治まらずいよいよ深い闇の中へと落ちていった。“言葉なき恋歌”の中に収載されている、『巷に雨の降るごとく』と言う題名の詩の一説ですが、この詩のそばにはランボーの詩、“巷に雨が健やかに降るがごとく”という文句が並べて書かれている。それはランボーの詩からもらった文句だと言うことだろうネ。 小心翼翼として生きているわれわれは、チョッとしたことに影響されやすいし、無意識に影響されている。特に深い闇とか悪の華とか、怖いもの見たさにツイ惹かれて見てしまうし、頭から消えない。 好い話は、ほわ~ん、と消えてゆくが、ヤナ話はインパクトが強いせいか、なかなか消えてくれないものだ。 ヴェルレーヌのように感性が鋭く研ぎ澄まされ、深くものごとを洞察する、生まれつきの才能が当時のもったいぶった風儀と底意地の悪い社会風潮、また虚偽の人情の売り買いなどに反発を覚えていたからこそ、男色、アルコールなどで感性を中和したとも言えるが、それでも中和しきれずに放蕩無頼の末一生を終えた。 芸術家にはなくてはならない鋭い感性も諸刃の剣で、扱いが難しいものだ。 ストイックに生きることも、エピキュリアンのごとく生きることもまたいいだろう、が、偏らないことを心していれば少々のことでバランスを崩すことはないようだが、それもまた難しいので困ったことだ、心のバランス検知器でも欲しい今日この頃です。
2006年02月06日
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・・・季節は大寒を向かえ冷え切っている。陽射しが鈍く冷たい。 夜になると梟は活動を始める。ガラス玉のような眼をランランとさせ獲物を狙う、夕暮れになるとはじめて飛翔し昼間とは真逆の鋭い行動力を発揮する。 昔から梟は学問の神様と崇められ、受験生にも頼られているようだ。夜行性だからと言うわけじゃなくて、チャンとした理由があるのです。 ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉に“ミネルバの梟は夕暮れに飛翔する”と言うのがある。『法哲学』の序章にあるが、ミネルバは古代ギリシャの学問の神様の名前で、梟はそのお使い鳥だったギリシャ神話に出ているが、なのでミネルバのお使いの鳥、梟も学問の神様と崇め始めたのだろうネ。 ヘーゲルとか哲学などと言われると、もうそれだけでお手上げだ。ただあやかりたいと思う気持ちは誰でも持っているので、少しは知っておきたいものだ。チョコッと『法哲学』の序章の前文?を見てみたい。 「世界がいかにあるべきかを尋ねるにあたって、尚一言すれば、哲学の来ることは常にあまりにも遅すぎるのである。現実がその形成過程を完了してしまった時期に、哲学は始めて、世界の思想として現われる。つまり現実が成熟したときに始めて、観念的なものが実存的なものに対して表れ、知的王国の形体を築きあげる。哲学がその灰色を灰色に描くとき、生命の姿はすでに老いている。そして、灰色を灰色に描いても、姓名の姿は若返らされずして、ただ認識されるのみである」 と、ヘーゲルはここで哲学の無力感を述べているのではなく、むしろ、時代の懐疑主義に対して、学問の真のあり方に希望をつなぎなさい、と言っているらしいのだが・・・のたまっていらっしゃるご高説の方は、さっぱりチンプンカンプンだ、ゼ。 まぁ、受験生には頑張ってもらいたいものだ、ん。 そういうことで古代ギリシャのミネルバの梟にあやかって、学問を究めてもらいたい。 現在の優勝劣敗の社会情勢と真の学問のあり方が、どう整合し、どんな希望が生れ落ちるのか、観念的なものを実存的なものへの変身を見せてもらいたいものだ。 “ミネルバの梟は夕暮れになるとはじめて飛翔する”いま、深夜、冷える。
2006年02月05日
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・・・好天、冬晴れの透き通るような空が広がっている。 風も穏やかで静かな一日のスタートだが寒さが滲み込んでくる。 雪の北陸道では車60数台の玉突き衝突が発生し、大変なことになっているとのニュースが流れていた。何の原因かは解らないがこの厳寒期の事故は悲惨だろうし、車に乗っている者から見ると決して他人事とは言えない。 最初の事故車以外は大半もらい事故なのだろうが、スピードも然ることながら車間距離が降雪時には一番重要だ。夏と同様な車間距離ではブレーキが間に合わないだろうし、かといって車間距離を開ければ他車に入られるでイライラするが、この時期諦めが肝心のようだね、お先にどうぞ、だね。 “人に一歩譲るも、一生に百歩に未たず”なんてのがあることだし、人生長くて短いけれど、悠々と急げ、そんな余裕も持たずば倒れちゃうしね。 交通事故では年間1万人近くが命を落としているが、理想の死があるとすればそれからは程遠い死ともいえる。おそらく心の中ですべての人が密かに願っている往生際はそんな死に方とは思えないし、心の準備もできずに突然あの世に旅立つほど、普段から身辺整えている人も少ないだろうから。 “あら嬉し 行く先知れぬ 死出の旅”なんて心境で旅立ちたいものだ。 こんな、だれやらの辞世の句があったが、しかし、こんな幸せに恵まれるのは、ごくごく少数の人であるらしく、たいていは何もかも思いどうりにならなくなって、どうしようもなくて、選択の余地なく死んでゆくようだ。 理想の死といえば、男の場合は“腹上死”と言うのがあるね。これは男なら密かに願って止まない死に方だろうか。愛する女の上で汗を煌めかせて、奮戦力闘しているうちにポックリいくことだろうと思うが、こんないい死に方も僥倖、宝くじに当たるようなものだろうから、恩寵は遠いネ。 人は生まれたときから落陽に向かって一直線に歩み始めるが、煌めく汗と夕陽の中で、微笑みながら死んでいきたい。しかし、そのような恩寵ははたして与えられるだろうか?うさぎ仙人には与えられそうにはなさそう。 よほどの思召しがなければ無理そう、なので、これからゆっくりと死に方を考えてみようと思う。 日々“あら嬉し 行く先知れぬ 死出の旅”と呟きつつ考えよう。 突然、人生が断ち切られることになってしまうと、人生も人生設計も親族もへったくれもあったもんじゃなくなる。こんな悲しい人生の結末は迎えたくないものだと誰もが思うことだが、実際にはさまざまな理由でそんな死出の旅立ちを迎える人もたくさんいるのです。・・・御冥福を祈りたい。 いろいろあっても古今東西、この世の中すべからく無知もさりながら、暴力と傲慢・虚栄から成り立っているようなものだろうが、車を運転しようと何をしようとも、腹が立ったからといってそのまま言葉なり行動なりに移してしまうと後で悔いることになる。 で、ぐっとこらえたほうが良い。こらえることは相手を認めちゃうことになるが、こらえるのはたいへん難しい心の技で、達人や名人にだけできることだけれども、こらえる努力はしてみるべきだ。 でも、あんまり人生の達人になるとタゴールのような目つきと言葉つきでものを言うようになるし、人生のバカは出来なくなるという欠点があるが。 いつもチョッとピンボケなこちらは、酒でも飲んでいるうちにポックリと逝ってしまうのだろうが、それが一番良さそうだね似合ってて。 あまりにも世の中複雑になりすぎて急転する事象にヨレヨレ引っ張られているだけで、もう擦り切れちゃうことになっちゃってる当方。 お酒を飲むなら『ちょっとピンボケ』この一冊を書いたロバート・キャパのような奴と飲んでみたいなと思う。あれを読みキャパの写真を眺めているとこんな男とゆっくり飲んでみたかったという気分にさせられる。 そんな感じを起こさせる著者と作品というものはそうは無い。ドキュメンタリー作品の傑作の一つだろうし、タイムマシンがあれば同時代にいって飲んでみたいものだ。 彼はハンガリー出身のユダヤ人であったから、英語が下手で原文はシンプル。そこがまた良かったようで、そのシンプルに生死をかけた情熱というディープが入っていた。 シンプルはいい、だけどそれだけじゃ訴えてくるものが無い。これが問題で、ディープのあるシンプルでなければいけないのです。底が入った稀有な人物、R・キャパはディープあるシンプル、傑作の証明だ。
2006年02月04日
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・・・今日は節分。夕方になってから急に冷えてきたようだ。 全国各地で豆まきが催されているし、各家庭でもそれぞれの節分があるのだろう。子供も大人も豆まきで鬼を外へ退治しする、月光仮面のように正義の味方になれる日だから気分爽快だネ。 昔の人は季節ごとにいろいろな行事を考えたが、皮肉なことに科学が進歩したと言われる現在において逆に季節感が失われつつあることは、どうしたことだろうか。 自然への感謝、尊崇の念が薄れたことからくるのだろうか、科学の発達からくる傲慢さの表れだろうか、温暖化など自然環境を犠牲にして発達してきた近代文明も現在その逆襲に遭っているのは皮肉なことだ。 節分も昔は季節の変わり目に行っていたそうだ。いまは立春の節分が残っているだけだが、春夏秋冬、旧暦で季節の変る前日に行事が催されていたのだったが目にしない今日この頃だ。 変わりゆくのが世の常なのでそれもいいだろうが、新しければいいとも言えないことも多いので、残せるものは残したいものだ。お酒も昔はこんなに種類はなかったのに現在は世界中のお酒が入荷してきて、何がどれだけあるのかさえ判らない状況で、お酒以外もそうだが。 まぁ、現在は無数にあるお酒の中からでも白色革命?といえるほど、透明な酒、焼酎・日本酒・ウオッカなどが飲まれている。ブランディー・ウィスキーなど押され気味で琥珀色のお酒よりも透明なお酒が好まれているようだ。 高度成長とサントリーの宣伝の上手さも手伝って、日本酒は一時絶滅品種入りかと思われるほど需要が減ったが、酒造りの必死の努力によってバリエーションも増えて現在は流れを取り込んできている。 いい水といい米からいいお酒ができるのだから旨いし、日本人の主食からできる副産物ともいえ、長年体に滲み込んだモノは簡単に廃れない典型だろうか日本酒は。節分とおなじ春夏秋冬、熱燗・ぬる燗・冷といつでもやれるのがいいネ。 節分、豆まき、お酒、風習、旧暦、流行り廃り、ブランディーとウイスキー、焼酎、オイルライター、白い巨塔は最終回が良かった、煙草、パイプ、万年筆、パンタナル、ドラド、ピラルクー、鮭、本、PC、えんぴつ、虫眼鏡、財布、うどん、ミツマメ、ゴキブリ、酔人、奇問、愚問、美味、虫眼鏡、ナチュラリスト、南方熊楠、アラン・ベイツ、ダレル、今西錦司、中西悟堂、レイチェル・カースン、悲嘆、李白、ローレンス、魯迅、アイザック・ウォルトン、酒乱、ジュピター、美学・・・疲れた。 海であれ山であれ陸であれ、風の強いところではオイルライターが欠かせないが、ジッポが有名どころだが、イコムも知る人ぞ知るマニアックなものだ。 イコムの特徴はブリキ板一枚を折って畳み込んでつくり上げたもので、きわめてシンプル、きわめて素朴、しかしきわめて確実だ。ずっとヨーロッパで使われ続け愛用され続けているグッドデザインの典型だろう。 オーストリアのイコムのオイルライターは第二次世界大戦中はドイツ軍が使用し、アメリカ軍のジッポと対抗した逸品だ。オイルライターは苛酷な環境でも耐えられることから軍隊のためにできたライターだが、他の製品同様戦後も生き残り愛用され続けているモノのひとつだ。 イコムのオイルライターはフリントを装填するという感覚を想起させるデザイン。ただ完璧なものは地上にないという厳しい批判の見方で捉えると一つ、バネが強すぎて石がすぐに減ってしまうことだろうか。 おなじようにジッポでいえば、オイルを喰いすぎるのと親指で着火時するときに指の腹が汚れる、ことだろうか。 何れにせよ、ジッポとイコム、この二つが双璧だ。 豆は歳の数だけ食べる、ようです。 食べ過ぎないようにしよう。(人前では、さば読まないように・・・)
2006年02月03日
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・・・旧正月も過ぎて往き、昔からいえば本当の今年が始まる月でもある。 新暦・旧暦がありそれぞれ深い意味を含んでいるものだろうが、日本古来の旧暦のほうが圧倒的に長く親しんできたものだ。 しかし、俳句などの季語などは古来から旧暦を元につくられている為、新暦との季節感がずれるものもあるようだが、現在はそれでなくても季節感の喪失が感じられない中で生活しているために、違和感すら感じずに生きている。 現在はキリスト教暦の中で日本人は生きていることになるが、季節が巡りまた旧暦へ変遷することもあり得るかも知れないが、使い分けることは得意な日本人なのでどちらでも今は何ということはない。農事暦は旧暦で使われ、産業・工業社会では新暦が都合が良い。 降って湧いた様な『皇室典範改正』問題についてはいよいよ議論伯仲で、と言っても2660年も続いた皇統についての改正問題を、たった30時間足らずで、意味不明な有識者と言われる人達が密室で国民を蔑ろにして結論先にありの決定を唐突に出してきた、が、そんな不敬なことはないはずだ。 真の日本の根幹を成す大問題、そのことについて記してある一文を。<<今週の書棚>> ♪小堀桂一郎・櫻井よし子、八木秀次『女系天皇論の大罪』(PHP) 僅か十ケ月の議論、専門家はひとりもいない有識者会議、メンバーをみたら驚くなかれ、筋金入りの左翼(吉川弘之、古川貞二郎、園部逸御の三人が巧妙に会議をリードしており、奥田委員、緒方委員、佐々木委員にいたっては欠席ばかり)だった。 そもそも伝統破壊の左翼が、あろうことか皇室の在り方を論ずること自体、言語道断であろう。 およそ小誌の読者には、女性天皇は容認できても、なぜ女系天皇が駄目なのか、説明は不要だろう。 だが、本物の有識者が三人集まって、じつに要領よく問題点をまとめたのが本書である。結論はひとつ。「先例のない女系天皇が誕生すれば、二千年以上続いた日本の伝統が失われる」のである。 小堀桂一郎氏はいう。「GHQによる皇室典範改正は国際法違反であり、有識者会議は国民を代弁する議論ではない」。 櫻井よし子さん。「周章狼狽して伝統を覆す暴挙は許されない」 そして八木秀次氏。「先人の知恵のふかさにこそ学べ」と。 本書の特質は三人の慧眼ばかりか、この議論に必要な古典的資料のなかでも、一番大事な文献を選んで、その中枢を抜粋して並べているところにもある。 これは有益である。古事談、日本霊異記、皇室典範義解(伊藤博文)など重要文献の、そのもっとも重要な箇所が羅列されていて、今の議論に最も必要なことが簡潔に了解できる仕組みになっている。 評者(宮崎)も昨年11月に緊急に開催された「皇室典範改悪反対国民集会」(中野ゼロホール)の席上で言った。 「有識者会議はなにも知らないし、知っていることは全部間違っている」。 ついで1月14日、緊急事態にともなって呼びかけられた反対集会。氷雨ふる日比谷野外音楽堂で皇室典範改悪阻止と訴える国民集会が開かれたが、あの大雨のなかにも千数百の愛国者が集まり、誰一人帰らず、伝統を破壊する暴挙を許すな、とたちあがった。 この席でも評者は次の発言をした。「昭和42年に文豪・三島由紀夫はバンコックに長期滞在しています。タイを拠点にラオス、カンボジアに足を延ばしています。 テレビ報道もされた東大全共闘との対決のときに三島さんは、 「諸君らが天皇を守ると言ってくれたら共闘する」と発言しましたが、文化概念としての天皇制の重要性を主張した三島に対して、左翼の学生達は冷笑しただけでした。 当時、ラオスもタイも王室尊敬の念は替わらず、とくにパテト・ラオという共産主義ゲリラさえ、国王を推戴する「王政共産制度」なるものを模索しているように見えた、と三島さんは『文化防衛論』の最後の箇所で言っております。 三島由紀夫が取材した当時の東南アジアはいずれも政情不安とベトナム戦争の悪影響がもろにふりかかり、共産主義が猛威を振るっていました。 その後、ベトナムは共産化され、カンボジアではポルポトの二百万虐殺があった。 カンボジアは国王制度こそ存続したが、国土は荒廃し、いまのカンボジアは嘗ての歴史的文化的伝統は残っていない。荒廃の土地です。 ラオスでは巧妙に国王制度が廃止され、いまや旧国王の親族と末裔は古都のブルンパパンに生活しているだけ、その現場を筆者はみてきたばかりです。 それが現実、もし日本が女系天皇を認め、そして二十年後にもし、配偶者が共産主義者であったり、外国人であったりしたら、私たちは今日のカンボジアを、あるいはラオスを笑えるのでしょうか? 『文化防衛論』のなかで、三島さんは、次のように言い残しました。 「タイの共産系愛国戦線が国王讃歌を歌って団結を固め、ラオスの三分の二を占拠する共産勢力パテト・ラオが国王へ変わらぬ敬愛を捧げるなど、共産主義の分極化と土着化の実例を見聞した。 (中略)象徴天皇制を指示する国民が、代議制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』を容認するかも知れない。 およそ言論の自由の反対概念である共産政権が、文化の連続性を破壊することは言うまでもない。文化概念としての天皇は崩壊して、狡猾な政治的象徴として利用されるか、のちに捨てられるか、その命運は決まっている。 このような辞退を防ぐには、天皇と軍隊を栄誉の絆で繋いでおくことが急務だ。その他に確実な防止策はない」。 この四十年ちかく前になされた三島さんの預言は、なんと慧眼であったことでしょうか。危機は目の前にあります! ☆ ☆ ☆「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成18年(2006年)2月2日◎宮崎正弘のホームページ http://www.nippon-nn.net/miyazaki/◎小誌の購読は下記サイトから。(過去五年分のバックナンバー閲覧も可能)。http://www.melma.com/backnumber_45206/(C)有限会社・宮崎正弘事務所2001-2006 ◎転送自由。転載は出典を明記。 このように日本の根幹と将来を為す問題を、意味不明な有識者・専門家と言われる摩訶不思議な人達の一団に左右されることがあってはならないはずだ。 その意図がどんなものなのかも判らずに、ポッと湧いた様に信頼感と言える以前の人達が揃って勝ってに重大な日本の将来を決めるだなんて、誰が納得するだろうか?。 選任された人達の思想信条も定かじゃなく、密室での会合でご都合主義的に決めようなどとは狂気の沙汰だろう。 こんな風に、ここまで浸食されてるかと思うと、絶句するのみだね。
2006年02月02日
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・・・深夜になってしまった。雨はやんで星空が広がっている。寒さが増しているようで朝にかけて冷え込みそうだ。 順番を待ってる?次々と間断なく問題が発生し続けるこの日本丸。 詐欺のような建築問題とホリエモン、現在は防衛庁談合と米国産の牛肉問題でしょうか、まだ有ったかな~次々とでてくるので順番も狂っちゃうね。 食べものに日本人は結構シビアで清潔・衛生を要求する度合いが諸外国よりも強いが、文化風習の背景もありおいそれとワールドスタンダードだと言われようと、食文化の背景は他のことと違い方向転換は難しいことだろう。 清潔で微妙・繊細な日本人の心性が、独特の文化を育んできたことでもあるし長年刷り込まれてきたものは簡単には変らないし、変えられない。 でも、少し前までは肉食など物珍しかった時代がズーッと続いていたのですが、今は昔で記憶の彼方へと消えかけてしまい、昔から肉を食べる習慣があったと思い込んでいるのかもしれないネ。 こんなのも、一度見ておくことも必要かもしれない。日本の食料自給率は先進国では最低で危機的状況なのも間違いないのですから。エネルギィと食料の争奪戦が勃発していることも事実だし、お金を払っても買えない状況が何時起きるのか判らないのですから、今から肉を食べないことに慣れておくことも必要かもしれない。 煽っているわけじゃないけど、煽っている?以下の文を見てください。日本の進路★0057★060201「日本の進路」 日本戦略の研究会 No.0057 2006/02/01★ 表題: 日本のメディアや国会議員は米国産牛肉の安全性に固執しているが、日本民族の食糧不足対策の方が遙かに重要 林 凛明 21cq9@do-z.net◇ 日本のメディアや国会議員は、米国産牛肉にBSE(牛海綿状脳症)の病原菌が含まれる可能性がある脊柱(背骨)が混入していたとして、大騒ぎをしています。◇ 確かに米国畜産業界の安全管理意識が低いことや不注意が存在します。しかしながら、米国産牛肉に不安のある人は、当分の間、米国産牛肉の混入する恐れのある牛肉と牛肉加工品を、一切口にしなければ安心です。BSEは、感染症(インフルエンザ)のように空気伝染することは全くありません。◇ 日本民族の殆ど全員が、数年間も米国産牛肉を食べなければ、輸入しても売れなくなり、自然に日本市場から米国産牛肉の姿が消えて行く筈です。一生涯牛肉を食べなくとも、身体を壊すことは絶対にありません。◇ 21世紀は、食糧・エネルギー・資源の争奪戦の世紀と化して行きます。多少の病原菌不安より、「食べ物があるか否か」が重要問題です。◇ 日本は食糧を大量に輸入し、自給率が2分の1を割っています。日本民族の大多数は、「カネさえ払えば、食糧が輸入できる」と思っているかも知れません。しかし、その考えが永く続くかどうか、非常に疑問であります。世界規模の天候不順や動乱が想定されます。◇ 日本民族が、食糧の自給率を高めるには、「稲作=米」を中心に構築しないと成立しません。夏は稲作、冬は麦作、豆類も必要です。休耕地は完全に一掃すべきです。肉類の消費のために「畜産」の比重を高めれば、日本民族の食糧自給が益々遠のいてしまいます。◇ 米食を中心にして、野菜と魚、多少の肉類の食習慣に回帰することが、日本民族の成人病を予防し、健康体を取り戻すのです。◇ 今の日本民族は、贅沢(美食)になり過ぎています。私の家は貧乏でしたので、子供の頃、牛肉を食べた記憶が殆どありません。それでも健康に育ちました。禅宗の高僧は、肉類を余り(殆ど)食べなくとも、長生きします。◇ 日本民族は、米国産牛肉を非難して馬鹿騒ぎをするより、世界的な食糧不足を念頭に置いて、食糧の自国生産を中心とする(食糧自給率を高める)ことに、心血を注ぐべき時機に至っております。(No.0057完)★「日本の進路」に関連するアドレスは、次の通りでございます。発行済みのメールマガジンを、全てご覧頂くことができます。 ホーム頁 http://www.geocities.jp/npnxr/ に未掲載の(まだアップしていない)場合、 http://cgi.kapu.biglobe.ne.jp/m/11210.html にアクセス賜りますと、メールマガジン「日本の進路」最新4回分に限り、ご覧になることができます。ご活用をお待ち申し上げております。 世界中の食材が日本になだれ込んできていて、あたり前のような日常を送っている現在、お金を出せばナンでも買えてしまうことは良いことでもあり、感謝という感覚を麻痺させ続けていることでもある。 日本の最大の弱点、防衛とエネルギィと食糧自給率問題の解決の目途を立てられる政治と政治家が、あたり前に国会で議論できるような国家に成らなければ、いつまで経っても半人前で侮られたままの国家から抜け出せないだろう。 その実態を知らしめないそんな政府の在り方にも最大の問題がある。 他国から見ればアンバランスな、経済で建つ奇形国家にしか映らないネ。
2006年02月02日
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・・・スカッとした青空が見えないが、いつもそうじゃ困ることになるし、季節と同様に順繰りに晴れたり、雨が降ったり、雪が降ったり、アラレが落ちてきたりした方が自然なんだろう。 結構天候に左右される職業が多いので、晴天がいいなどと遊びの感覚で空を見上げていてもいけないようだし、それぞれ事情があるものだ。 昔のパチンコ屋さんは雨が降ると玉が出る、などと言われてたが、今はどうなんだろうね。ガチガチの最先端IT産業化してアメに左右されることはなくなったのか、そんな話は聞かないな。 タバコは雨がふると湿気て濃い味になるようだが、ゆっくり煙をくゆらせながら味わうことも少なくなっている、現代人は。タバコの味も駆け足でしか味わえないようでは単なるアクセサリーになっちゃったみたいだし、タバコも吸うこと事態が肩身が狭くなっちゃったネ。 インディアンが吸っていたものが世界に広まったようですが、現在白い眼で見られている煙草も、人類の歴史の中ではあらゆるものが広まり淘汰されてきたが単純に善悪の判定はできないようで、大概のものは百年も持たずに消えて逝ったようだが批判されつつ世界中で煙草は今も残っている。 人類の叡智の中で真に必要のないものなら三百年も淘汰されずに残っていないはずだろうと思う。なので今は解らない何かがあると思いたいね、自分が吸っているから、と言うところもあるけれどそれだけじゃなくてもネ。 我田引水?かも知れないね、煙草も吸うが二十年位前からパイプ煙草をいたずらしているが、面白いけど難しい。慣れないと点けた火はすぐ消えるし性急でイライラしつつパイプを持つと失敗するばかりだろうね。 パイプは火のつけ方、喫いかたに問題があるが、その前にまず煙草の葉の詰め方、ここから出発だろう。同時に致そうとする人の悩みも始まるのですが、やってみなければ判らないことはパイプだけじゃなくほかにも沢山あることは皆知っているはずだし。 パイプは指である。女も指だ。酒を飲むときも指で計る。それくらい指は重要だ。パイプの煙を燻らすにも一つ一つ指の使い方があるのです、やってみなはれってね、焦って喫っているときには上手くいかないものだ。 一説によるとシガレットはビジネスで、パイプは芸術だとも言われている。もしくは瞑想でもあり、徹底して個人的なものだ。深夜密かに部屋で喫うのが良いね、人前で喫うのはパイプに相手が圧倒される雰囲気があるから。 あのアインシュタインもかつて全米パイプ協会の会長だったこともあり、ある年のスピーチで『パイプは、それを喫う人の思考をして方法的ならしめる何物かを持っている』と、我々にはチンプンカンプンの迷スピーチを披露しているのですから驚く。 パイプを燻らす人達から見れば“福音”だろうね、世界の天才のお墨付きを頂いちゃったのだから喫わない人も、よくよく心すべしだろうね・・・。 パイプには有名無名ゴロゴロあるが、最初は手ごろな気楽に扱えるトーモロコシ・パイプがいいのかもしれない。コーン・パイプかのマッカーサーが占領政策をしに日本上陸してきたとき、飛行機のタラップを降りるときに咥えていたあのパイプだ。 日本の占領政策もパイプから始まったようなものなのだから、“敵を知り己を知らば百戦危うからず”の喩えどうりに、“パイプ”の何たるかを知らずば百戦百敗しちゃうんだよね~これが。 また、パイプも燻らせずに健康のために“禁煙”したい?という人は、まず煙草を飽きるほど吸うことである。飽きるほど吸えば飽きるんだからやめられるだろうネ。 ちなみにマーク・トウェインはこんなことを言っておるよ。『禁煙なんて簡単なことだ。私はもう二百三十回ほども禁煙している』と、教えてくれている、ありがたいことに。 むかしパイプ造りの名人といえば、デンマークのジョーン・ミッケがいる。そのデザインは天衣無縫、雄大でのびのびした造型は見事の一言に尽きると言わしめたほど。 そのほかにはホルベックやシックスティーン・イヴァルソンがいたし、三者三様で世界の超特級のパイプだ。 そのデザインの重厚さ、端正さも、そして気品も、群を抜いての逸品のパイプだが、使う人をパイプが選ぶ、と言われるほどに使う人の品性を求められる逸品でもあるからして、持つ心算なら心してもらいたいものだ。 お爺さんの形見とか、親父の形見とかでヒョッコリ手に入ることもあるだろうが、使いこなせないだろうから、まず、コーン・パイプから修練し慣れてから形見の逸品の煙を燻らせるってほうがよさそうだョ。 パイプで瞑想しつつ、ブランディで酩酊したんじゃ意味無いけどネ。 “パイプの煙”なんていうエッセイが団伊磨氏が書いていたことがあったが題名がしゃれていて気に入っていた。年配の人がパイプを銜えている姿には重厚感がみてとれて器の大きさを勝手に感じるのは思い込みだろうかネ。 願わくば自然にパイプを銜えても様になる、そんな齢を重ねたいね。
2006年02月01日
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