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リュートはガット弦の繊細な楽器。今のリュート界のことは全く知らないが30年頃前はギターからの転向者が大半だったと思う。良く言えば、いわば両刀使い。同じ発弦楽器でも全く別物なのに両刀使いとは荒っぽい話しだと思う。指先の指腹で奏でる音色は人の心底に語りかける。僕は音楽学(ルネサンス期専攻)の一環として古楽器も学んだので彼とよく合奏をした。彼の音色はまるでカゲロウのようだった。日本の古楽器世界は上り坂の時代で彼のような存在を求めなかった。彼は語学力の才があり。ドイツ語翻訳で身をたてることになった。ドイツの有名車などの技術者向けの翻訳などをしていた。これは大変な力を必要とする分野らしかった。彼は生活費のために翻訳をし、生活費以外の時間、大半を音楽の翻訳に時間を割いた。彼は帰国にさいしドイツ女性のフィアンセがいたが、日本での音楽生活は極貧覚悟であることから泣く泣く単身で帰国した(今は僕の部屋に彼女の写真がある)。ドイツ留学を許した両親の最後を見とどけた。葬儀代は銀行から借りた。ある日突然彼と連絡がとれなくなった。ある日突然彼から連絡があった。如安さんに迷惑をかけられないからとのこと。癌だった。医療生活保護を受けることになった。少し落ち着いたので(僕に迷惑をかけずに済む状況になったの意)連絡をくれたとのことだった。20094年5月7日60才で召された。病室で臨終洗礼を僕が授け(洗礼名ヨゼフ)、楽友友人らで最後のお別れをした。そのとき、僕の母親の言葉を思い出した。芸は人様の余りで生きること。チリ・ゴミのようなもの。人様のためにあると言うこと。彼は芸を完結した。それにしても日本での「芸」とは実に厳しく残酷なものと彼の死に顔を見て感じた。5月は「マリア様の月」であり「我が楽友の月」でもある。彼の遺品となった「リュート」は音のない楽器になった。今年来年のうちにはどなたかに引き継いでもらおうと思っている。
2014年05月31日
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楽友が逝って5年になる。40年前、僕は音楽を学ぶためにドイツに渡ったのが言葉の壁に直面した。そんな姿をあわれんでくれたのがリュートを学んでいた彼だった。彼は僕の一年下。ギターからリュートに転向。ビールを飲みながら多くを議論したのを覚えている。リュートの楽譜はリュート・タブラチュアといい五線譜とは異なる。そのタブラチュアから音楽を読む力には脱帽だった。彼は自分の音楽だけではなく貪欲に音楽全般を学んでいた。オーケストラ譜も読めるように初歩から学んでいた。僕は彼より一年先に帰国。凱旋のはずだったが世の中のいやな人間関係の洗礼を受けた。凱旋帰国のつもりが不幸不信の一年を過ごしている最中に彼が帰国。彼は僕の住む川越に住んだ。凱旋帰国のはずが精神的どん底生活を気の毒に思ったのか、僕をある作曲家を紹介してくれた。いまさら作曲家にあってどうする、ひやかし、気分晴らしに老作曲家をひやかしてやろうと彼と一緒に訪問した。ひやかしのつもりがひやかされた。頭から冷水を浴びせられた。その日から老作曲家のお宅に通い始めることになる。ただし日本とドイツで学んだ作曲をすべて捨て一からやり直すことと、老作曲家のもとで学ぶと言うことは社会的名誉は得られない覚悟を、とのことだった。音楽界のドロドロ策士陰謀の世界を浴びただけに野にくだろうと決意し、それから作曲のイロハを学ぶことになる。老作曲家に学んでいることを著名音楽家らに言うと、顔色が変わり、言葉を選ぶ態度に驚いた。そして疎遠になった。彼のリュート音楽は日本で認められることはなかった。どの分野でもそうだろうが言葉と態度のイケイケでないと世間では認められない。彼はそんな性格ではなかった。
2014年05月31日
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今月は「聖母マリアの月」ふと思い出すようにアヴェマリアとパーテルノステルを考えている。今月の草津訪問で気になったのがパーテルノステルに節をつけること。今までは絶対にありえない想像すらできなかったことだが旋律を付けてみようと頭から離れない。草津での就寝中に夢で書いたことから始まった。何十通りもの節を日本語で書いたが駄作ばかり。そのあと8通りの教会旋法で書いてみたがあきらめた。結局はラテン語の主梼文を一語一語吟味している。第一、第二、第四旋法にまでやっとふるいにかけたが、つまるところグレゴリアンにおさまるような気がしている。歴史の重みと凡才がおちいる悪魔の誘惑なのだろうか。才能へのおごりか傲慢さか冒涜か。最近はこの件で何故か恐怖心を感じ筆を折ろうかと弱気になってきた。目の調子が良いとは言えない中、来週からしばらくスケジュールが目白押しとなるのが気がかり。
2014年05月30日
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前回のブログで心に引っかかりがあったし、同じことで電話で問われた数日だった。「音楽による罪の加担」特に戦争という想像外の現実のなかにあって、無防備でチリのように吹けば飛ぶ存在の音楽者が時の権力に加担利用される悲劇。いまの平和の世の中(?)だからこそ、音楽者は心に留めていなければならないと思う。音楽という心にうったえる存在は、目に見えない大きなモンスター。時としては何万何十万人を一度に鼓舞することができる。ある者は、戦地の最前線の仮舞台で演奏し兵隊さんを慰め励ました。ある者は、もっと大がかりな商業ベースで全国民を鼓舞した。ある者は、戦死の悲しみを憎しみへと転化させた。ある者は、これを機に自ら進んで参列した(その反対の人もいたが少数派)。ある者は、将校姿を気どり、なかには准将姿でかっ歩した(世間の誰もが知る人ぞ知る!)。敗戦を迎え「戦犯論争」が起こるも、亀の頭のごとくじっと首を引っ込め、世間の批判も四十九日と音楽界音楽教育界に復帰した。その結果が現在の姿だと少なくとは僕は思う。ある者だけではなく、戦争を拒否した人たちがいたのも事実。その者は、敗戦後、ある者たち権力者により抹殺された。正しき者が世の中をけん引する王道とは言えない。いまの音楽界を見れば一目瞭然。永井荷風の罹災日記をめくる。荷風と同じような音楽家もいたことは事実。僕もそうなりたいものです大きな流れに物申すことの困難。アリンコほどの小さな心臓では大きな流れに逆らうことは至難の業かもしれない。でも言わなければ同じ過ちを犯す可能性があるだけに。「mea culpa,mea culpa, mea maxima culpa」「告白の祈り」(Confiteor Deo)の一節がよぎる。(我が過ちなり、我が過ちなり、我がいと大いなる過ちなり)
2014年05月28日
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「CHAGE and ASKA」のASKAが覚せい剤で逮捕されたと言う。薬物は心身ともに害であることから良いこととは言えない。驚くことは日本が薬物のお客様だと言うことを考えなければならないと思う。「CHAGE and ASKA」のCDやDVDなどが回収発禁になると言う。個人の罪・責任と彼らの作品への評価は別であることを考えなければならないと思う。作品としての評価は創作者演奏者がどうであれ正しく評価され愛されるものだと思う。それを一時的社会的雰囲気に敏感に反応し抹殺することは絶対にあってはならないことだと思う。こんなことをしたら、クラシック界の歴史の中で戦争に加担した作曲家の作品はどうなのだろうか。作品は作者が筆を置いた時点で公共性の意味を持つのだから。1980年代の学園コンサートで多くの人が大切な音楽を心に秘めていること。門外の僕にも心に残る20年前に感動を覚えた「YahYahYah」などの名曲と演奏者の行為は別物だろう。「白か黒か」ではいけないと思う。外国が一番とは言わないが、過去に薬物使用で逮捕されたアーティストらが社会復帰をし、若者らに経験談を語る姿は評価される。この観点から言えば、罪を罰し社会的に葬るのではなく、立ち直るための支援をもっとべきだと思う。
2014年05月27日
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若い優秀な楽徒が野に下るのを複雑な思いで見ている。前回のブログで景気の良いニュースを載せたが、本当なのだろうか。我が身うちにも、まわりの優秀な楽友もオケの仕事が無くて野に下る楽友が少なくはない。みんな音楽への情熱を持ちつつ前途に絶望し廃業する楽友が多いと言うのに。音楽大学が乱立し有望なる音楽の種が良い環境で育てばよいのだが、なんといっても音大という土壌環境が悪い。音楽界という環境が悪い。音大の授業カリキュラムをこなせる程度の教師陣をそろえ(粗製乱造で指導陣も技術よりコネか)、学生の就職先は当然のごとく自己責任が常識の世界。これでは富裕層の子だけが親の道楽と子の趣味で終わってしまう。そんな中にあって音楽に目を開いた楽徒がごくわずかだがいる。彼女らは生家に戻り音楽を教えるだろうが、教えるには技量不足。たかだか短大や四大で学んだ音楽は音楽のノレンをくづった程度。卒業後に音楽を学ぶ環境と情熱があると良いのだが。それにしても優秀な楽徒は存在する。演奏で生活できる環境を望まずとも、音楽で生活できる環境はできないものだろうか。前回の世界に冠たる日本のクラシック音楽界は本当なのだろうか。
2014年05月25日
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http://japanese.joins.com/article/690/185690.html?servcode=400§code=400&cloc=jp|article|ichioshiプロオケ32楽団、聴衆400万…欧州も凌駕する“ジャパン・パワー”2014年05月23日15時20分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] 日本は世界古典音楽界の強者に挙げられる。クラシックビジネス専門家の間で、東京のマーケットは最大の管弦楽市場だ。最高水準を誇る世界的な交響楽団や演奏者たちが日本の舞台に進出しようと心を砕いている。主にソウルだと1~2回の演奏会しか開催しない韓国舞台に比べ、8~10都市の巡回演奏会が保証されている日本が、アジアのクラシック市場を制覇しているのは当然のことだ。最近では中国がその後を追っているが、まだ日本には及ばないという評価だ。それだけ日本は舞台・客席ともに長きにわたる歴史とともに厚い人的構成を誇っているということだ。ロンドン・ベルリン・パリとは違う独特さを持ち、クラシック・ミュージックの本場である欧州の水準を超えている。 日本は特にオーケストラ分野が強い。日本オーケストラ連盟に所属しているプロオーケストラは32楽団にのぼる。これら楽団の音楽を聞きに年間400万人の聴衆がコンサートホールを訪れる。400万人という数字は、海外オーケストラ公演は除外した純粋な自国交響楽団演奏会における観客数だ。アマチュア同好会オーケストラや吹奏楽団も全国に3000団体を越える。楽器を買って定期的に練習する人々は20万人だ。楽器市場に資金がよく巡り、音盤売り場が健在な背景だ。自国オーケストラを愛する管弦楽ファンが日本クラシックの底力というわけだ。~~~~~~~~~~~~~~とあるが、本当だろうか。僕の目にはそうは思えない。
2014年05月24日
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若い優秀な楽徒が野に下るのを複雑な思いで見ている。音楽大学が乱立し音楽の種が良い環境で育てばよいのだが、なんといっても音大という土壌が悪い。音楽界という環境が悪い。カリキュラムをこなす程度の教師陣をそろえ、就職先は当然のごとく自己責任が常識の世界。これでは富裕層の子だけが親の道楽と子の道楽で終わってしまう。音楽に目を開いた楽徒がごくわずかだがいる。彼女らは生家に戻り音楽を教えるだろうが、教えるには技量不足。たかだか短大や四大で学んだ音楽は音楽のノレンをくづっただけ。学ぶ環境があると良いのだが。それにしても優秀な楽徒は存在する。演奏で生活できる環境を望まずとも、音楽で生活できる環境はできないものだろうか。
2014年05月23日
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小さなコンサートをひかえている。演奏者とのメールが不通だという。何かあったのか心配していた。親御さんが癌のために危ないと言う。本当に小さなコンサートだが大切にしていると人伝えに聞いた。まだこんな考えを持っている若い演奏家がいることを誇りにできる。僕が中学生のころ、つまり半世紀前に母親から言われた言葉を思い出す。“音楽家と言ってもつまりは芸人。芸人になると言うことは「親の死に目」と「畳の上で死ねない」と言うこと。その覚悟がなければ止めなさい”“芸事は人様の余りで生きると言うこと”と普段やさしい母に厳しく言われた。親が生死の境にいる中、演奏の準備をし演奏にいどむ態度は本当に厳しいものがある。まぁ、どの分野も人間はこうして成長をするのだろうが、この経験は誰もが一度は経験する試練。いつも明るく破天荒な彼女の心に平安がありますように2週間後に会うときどう言葉をかけることになるか
2014年05月20日
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「集団的自衛権」を行使できるようになっても為政者の子や孫が最前線におもむくことは眼中にないだろう。実際に最前線に派遣されるのは自衛隊員の下士官だと想像できる。我が国民に絵入で分かりやすく説明。「このような状況下になっても自衛隊は何も手を出せない、それでいいのですか皆さん」と我が言葉に悦を感ずる表情で訴える総理大臣。人さらいにあった国民を返してと言えない国の政治家が何を言うか。我が領土をどさくさに取られても時期尚早と口先ばかりの政治家が何を言うか。そんな為政者の言うことを真に受ける国民がいるだろうか。本当にやる気なら、我が身をもって外交努力をすべきではないのか。一発の銃弾から戦争が始まった歴史を忘れてはならない。こんどもまた日本がそんな歴史を作ってはならない。一発の銃弾が引き金となり、報復復讐憎しみの戦場となり、自衛隊が軍隊となり、任意徴兵制度が強制的な義務徴兵制がしかれて我が子わが孫友人知人が駆り出される。こうなると先の大戦の二の舞。そんな光景を見たくない。本当にやる気があるなら、命がけで外交努力をすべきではないのか。どうしても集団的自衛権が必要なら憲法九条を変えるべきだ。「銃後の家族」を思い出してもらいたい。愛する夫や兄弟を戦地に送りだし、残された家族の日々の不安を。日本では1945年から今日まで忘れ去られた言葉だが、いまでも、あの大国アメリカでは今も続いている。戦地に送り出した家族の不幸を我が家では続いている。日本で「銃後の家族」を作り出さないためにも集団的自衛権とか平和憲法改正とかが声たかだかに叫ばれたくない。集団的自衛権は戦争に向けての第一歩であると思います。
2014年05月19日
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茶の間の話題程度の知識だが、こうも向きになって顔を硬直させて真剣に分かりやすく説明する総理大臣の姿に、こちらも向きになって疑問を感じた。我等の意見は所詮は井戸端会議。政治への影響力はない。民主党政府への大きな期待は自民に傾き、政治はもうコリゴリ、この国民姿勢がどんどん社会を悪くしている。これ悪魔の所業なり。「集団的自衛権」の権利を行使しを国民に理解してもらいたいようだが、それほどまで行使しなければならないのならば「憲法」を変えてはどうなのだろうか?重箱の隅をつつくのではなく、それほど必要に迫られる世界状況ならば正攻法で憲法九条を真剣に検討すべきだと思う。敗戦後に幾度となく世界危機があったが、日本はまがりなりにも「平和憲法」を貫いてきた。世界ひろしと言えども平和憲法を顕示し誇りとする国民は日本だけではないだろうか。こう急に「集団的自衛権」などと国民を子ども扱いにして絵入で子どもを脅し諭そうとする裏には中国の第一の矢である「中越の衝突危機」が迫っているのだろうか。中国の第三の矢が我が国にも向けられていると言うことなのだろう。領土拡大、資源獲得。悪魔の手先となった国民に手向かってはいけない。やられたらやり返す小競り合いは戦争につながる。日本は半世紀前にも「窮鼠猫を噛む」と戦ったが、度が過ぎる国民せいか大きな過ちを後代に残した。そして「四等国」になりさがり「四等国民」の屈辱をなめてきた経験を忘れてはいけない。毎週金曜日には一人して世界平和を祈って断食を続けているが、集団的自衛権なる恐ろしく強大な怪物にほんろうされず、為政者らにだまされず、次世代に平和憲法を継続したいと一人して断食してます。消費税8%も議論をし尽しての結果だっただろうか。高速道路料金も議論をし尽しての結果だっただろうか。ETCは何だったのだろうか。すぐに消費税は10%になるのも国民は曖昧に承知する国民が一番悪い。
2014年05月17日
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きのう草津から帰宅。距離140キロ、途中は高速。節約から軽自動車を利用しているが高速片道(鶴ヶ島~渋川伊香保)1050円がなんと1700円にいつのまにかなった!それに通勤時間帯も廃止とか。議論の結果でもなく消費税8%のどさくさか。どさくさの勢いか、民意は我にありと今度は「集団的自衛権」がつづく。ETCはいったい何だったのだろうか草津行に片道1700円はきびしい。すきで行くのだからいいじゃない!そんな声が聞こえてくるが、それにしてもきびしい。月に一度から隔月一度に、三カ月に一度にしなければと思うが、待っている人たちもいるからまずは頑張ることにしよう。この国はおかしい
2014年05月17日
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前回のブログで「谺さんとは何となく近寄りがたい苦手意識を僕は持っていたのであまり親しくはなかったが、ハンセン病との闘争の戦士だったことは間違いない。」と書いたが、「苦手意識」と書いたが言葉が思い浮かばなかったからだ。彼と初めて会った状況が悪かったし、それで良かったと思う。つまり、親しくできない環境もあるから。親しくできない環境とは、ハンセン病施設の人間関係は「知る人は知る」で、親しく訪問している人でないと幾ら説明しても理解してはもらえないだろう。施設には訪問者のための宿泊施設がある。ある日のこと。他に団体の宿泊者が大勢いた。食堂で会議を始める。場所もわきまえず、他人に知られるとまずいような話を大声で平気で議論している。僕ら部外者の耳にもその会議の内容が耳に入る。聞いていて憤慨。あぁ何でこんな輩(やから)を信頼するのかなぁ~~。十数年前にハンセン病の裁判以降、大勢の人がハンセン病施設を訪れるようになった。(ここでは書ききれないし、書くことが空しいし自身がみじめになるので書かないが)有識者、芸術家、大学の先生とかが我先にと施設を訪れた。いっせいにシャバから偉い先生方が押し寄せる。つまり、施設の外のシャバの人と付き合い話すことじたい想像すらできなかった入所者。大学の先生がひざを交えて話をしてくれる。ときには大学で学生を相手に講演をして欲しいとオファーがかかる。天と地がひっくり返った状況。いつのまにか、そんな偉い人たちと同等の錯覚を覚えて不思議はない。そんな雰囲気を僕は感じていた。シャバの人は善人ばかりではないことを無菌生活の隔離された病者には分かるはずがない。だまされるなよ、りようされるなよ、そういつもッ僕は感じていた。そんな思いもあって、彼との初対面は初めっから批判の会話となった。僕はおべっかを使わないし、だから彼は僕に対しては良い印象を持っていなかったと思う。だって、本音で話をする人は彼の回りにはいなかったろうから。「朗読と音楽」でハンセン病をつづる作品のなかに草津の重監房をテーマにしたものが3つ書いた。そのひとつは谺さんの監修で作ったが未発表である。谺さんはハンセン病を世に知らしめる人生だったろうし、彼でないとできなかった。人は世間は同病者も含めて勝ち舟には一斉に乗るが、そこまで至る苦労の時期にあっては、誰もが目をつむり、冷笑し批判したと聞く。谺さんらはその顔をもってハンセン病を世間に知らせたことは大変な偉業だったと思う。二十歳にもならないスポーツ選手らに国家的賞を与えるよりも先に、彼らに与えるべきだと僕は思う。“神も仏もあるものか!癩(ライ)の生き様が証明しているのでないか”そう語った谺さんだった。あす明け方、草津にむかう。車中で谺さんの想い出と霊魂に祈りを捧げたい。それにブロガーにもご不幸があった。お二人のために9日間のノヴェナの祈りを捧げたいと思っている。
2014年05月12日
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http://www.asahi.com/articles/ASG5C355PG5CUHNB003.html昨夜やっと日程のやり繰りができ、あとは2カ月に一度の糖尿病予約のドタキャンをすれば明日の早朝に家を出発することができる。今月の11日に谺雄二さんが亡くなられた。通夜には参列できないが13日午前の葬儀には間に合うだろう。谺さんに書いた曲は何曲かある。なぜか作曲風景が鮮明に思い出される。谺さんとは何となく近寄りがたい苦手意識を僕は持っていたのであまり親しくはなかったが、ハンセン病との闘争の戦士だったことは間違いない。
2014年05月12日
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庭とは言えない小さな庭にも小鳥たちが訪ねてくる。巣箱を作ってみた。穴の径は3センチ。スズメかシジュウカラが家庭を作ってくれると良いのだが。ちいさな巣箱を作った。穴の径は3センチ。スズメ、シジュウカラの訪問を望んでいる。毎日小鳥のエサを用意している。早朝と夕方にピーチクピーチクと大合唱でうるさいくらい。よく見ていると小鳥にも性格?上下?弱者強者?があるようで、人間社会の縮図かもしれない。鳥の種が違うと一緒には食事をしないようだ。キジバトの夫婦?がいつも一緒に来るが、そうなると小鳥たちは食事場から遠慮する用で遠くから眺めてピーチクパーチクさわいでいるがキジバトはゆうゆうとしたものだ。いつも不思議に思うことだが、どの鳥も元気そう。病気や怪我などは無縁のようだ。良く考えると病気や怪我だと生きていけない自然界なのかもしれない。ここしばらく右目の調子が良くない。来週は草津のハンセン病療養所を訪問する。3泊4日で調整。14日の御ミサは復活節第5主日。ミサ曲の選曲と練習をあしたから少しづつしよう。
2014年05月10日
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作曲科の学生さんにグノーのアヴェマリアのアナリーゼをすることになり、いまいちど見直しをしている。この勉強は恩師のもとで冷や汗をタラタラ流して習った勉強だった。この手法で書いてみようかとふと思い立った。グノーはバッハのピアノ曲に旋律を書いたのだが、伴奏部を自分でデッサンし、それに旋律を書いてみる。伴奏の自由さはあるが、自由すぎるとピアノ曲になる恐れをセーブしながら書くのは、これはこれで難しい。その反面、伴奏部の範囲内で旋律を書くのも、これはこれで制約が多すぎて難しくなる。ここしばらくはこれで過ごそうと思っている。伴奏部は印象派を意識して見ようと思う。
2014年05月09日
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6月1日に孫たちがアメリカから里帰りする。2カ月の予定とのこと。以前は小学校に短期入学させて頂いていたのですが、今回はしないとのこと。日本の学校に通い多くを学ばせてあげたいと言うのが親の願いだったが、どうも日本の学校は外面(そとづら)は良いが中身は旧態依然として何も変わっていない。アメリカの教育とは「水と油」と言うことで、2カ月のヴァカンスと言うことになりそうです。がぜん頑張りたいのはグランパ!問題はタバコ!タバコの紙は有害だから良くないが、パイプは無害だと思うのだが。家族で合奏をしようとの計画だそうでエルガーの「威風堂々」と「赤いやねの家」に決定した。編曲のために渡された小学5年生の音楽教科書をペラペラとページをめくると、色あり写真あり説明ありと親切は良いのだが、どの曲もみんなフォーク調。新しい時代になったのが感じる。こんな音楽教育を詰め込まれるのだから今の若者の音楽が理解できるような気がする。音楽がなくただ思いつきの音曲が流れるだけ。まぁそんなことを言っても詮無いことですが。
2014年05月07日
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連休とかで車は大渋滞。ガソリン代の値上がりの不満をどこに発言すれば良いのだろうか。我が家は車を使うから家計に大きく響く。高速道路のETC割引もいつのまにか値上がり。ETCをあわてて買って装着したのは何のためなのだろうか。世の中、だます人種とだまされる人種にわかれるみたい。ここのところ夏びよりだったのが急に寒くなった。外でかな切り声が聞こえるので4,5日ぶりに雨戸をあけてみると子供たちの声が聞こえる。ひさしく子供たちの遊び声を聞いたこともなく、なんだか嬉しくなる。この連休で孫を見せに里帰りなのだろう。高齢者ばかりの住宅街もまた明日から静寂になる。子どものいない世界に未来があるのだろうか我が家の孫たちがアメリカから2ヶ月の予定で6月に里帰り。いつのまにか長男と次男は中学生とのこと。長男がフルートを、次男がギターを始めたとのこと。一番下の女の子はクラシックバレーをやっているとのことで、日本でもも習うようだ。レッスンの送り迎えは我が家で一番暇な僕がやるようになるだろうが、問題がひとつある。それは「パイプ」。パイプの煙は子どもたちによくないと言うことで、パイプは書斎だけに限定厳守、車中も禁煙、これが守れないと孫たちにも近づけない雰囲気。さぁ~、この二か月間をこの「パイプのけむり」をどうするかが大問題です。
2014年05月06日
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5月は聖母月です。聖母マリアへの崇敬は、初代教会からすでに始まっていたそうです。「神の母聖マリア(1月1日)」 「聖母の被昇天(8月15日)」 「無原罪の聖マリア(12月8日)」などマリアに関係のある祝日が次第に導入され、またルルド(ルルドの聖母の記念日、2月11日)やファティマ(ファティマの聖母の記念日、5月13日)をはじめ各地に聖母のご出現によって巡礼が行われるようになりました。聖母月の信心は、18世紀のイタリアで盛んに行われるようになったと言われます。マリアに対する祈りの中で幾世紀にもわたって祈られている信心業に「ロザリオの祈り」があります。ピウス11世教皇(第259代教皇、1922-1939在位)は「我々が神の御母に向かって唱える色々な、そして有益な祈りのうちで、聖なるロザリオは特別な、きわめて主要な地位を占めていることを知らない信者はいない」(回勅『イングラヴェシェンティブス・マーリス』)と言っています。ロザリオの信心は、聖ドミニコ(1170-1221)が聖母マリアからの啓示を受けたのが始まりだと言われ、ドミニコ会士らがこの信心の普及に尽くして今日に至っています。また、レオ13世教皇(第256代教皇、1878-1903在位)は10月を「ロザリオの月」と定めました。
2014年05月01日
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