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ありがとうと感謝する気持ち。何が起こってもありがとうと感謝する気持ちになる。問題が起こると、喜怒哀楽の『怒哀』の気持ちは起こるが、問題を気にならなくなるまで解決していくには、問題を通して教えてもらわなければならない。教えてもらえば、問題を気に病むこともなくなる。どうでもよいくらい解決すれば、ほっとけばいい。必ず起こる問題があっても、逃げたらとことん追いかけてくるから、一歩いや半歩前に進んだり、前向きになればいい。前に向くことだ。
2009.09.29
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知らない事は恥ではない不自由である人には、して良い事 悪い事がある言うて良い事 悪い事がある悪い事をしていながら居直る人もいる幼児の段階から善悪が身につくと言う
2009.09.29
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人は苦労にきたえられて深み出る人と苦労にねじふせられて曲がってしまう人がある物が豊かになる程ものを粗末にする人が多い
2009.09.28
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『適度のストレスが人間を成長させる。ちょうど料理にスパイスが欠かせないように』適度の緊張感を持つ。切磋琢磨する。しかし過多な緊張を強いられる現代は、『担げないような重荷を、決して担ついではならない。』のである。他人への迷惑を考えず、自殺は簡単に増え毎日約100人はしている。しかし、それは自分のことしか考えない恩知らずである。必ず人に世話にならないで生まれた人はなく、育ってない人はいない。今生きていることは世話になり、世話をしたからこそ自分がいるのである。死ぬ時も同じで、人がいるから死んだ後も面倒を見てくれるのである。とらわれたことを捨て、過去を捨て今だけ生きるつもりでも、独りでは生きていけない。後々まで楽しく続く生き方をすることが大切なのである。
2009.09.27
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内に改まり 正しければ外に現われる事正しい自分の徳が神と同根なり人の上に立つ人は絶えざる批判に晒されそこからよくなる
2009.09.27
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どうにもならない時は、新たな一歩を踏み出すときである。いつまで踏みとどまって過去を振り返っても、何も始まらない。泥砂をかけられながら、踏みつけにされて、後押しをしてくれたようだ。新たな気持ちでふみだすかな
2009.09.26
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お道の御用に大・小 重い・軽いの区別はありませんいずれも大切な御用ですお役に立つとか立たぬとか向うにばかり 目をやらず御用を通して自分がどうして助からして頂くか 手元を見て行くことが大切である
2009.09.26
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人間はしっかり痛いことを言われなきゃならない。 誰でも人間です。指摘されてこそ自分の力になる。今の時代は直ぐに結果を求めますが、今の努力が直ぐ結果に現れるわけではない。しかし人知れずやる努力は、必ず実を結ぶ。
2009.09.25
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お道の御用に大・小 重い・軽いの区別はありませんいずれも大切な御用ですお役に立つとか立たぬとか向うにばかり 目をやらず御用を通して自分がどうして助からして頂くか 手元を見て行くことが大切である
2009.09.25
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乗潴(あまぬま) 当教会は、阿佐ヶ谷にて昭和9年五月十四日(布教七十五年)から布教を開始して、昭和十四年九月二十三日に阿佐ヶ谷教会設置(開教七十年)、初代仲井トク師が教会長となられました。その後、昭和四十二年三月十六日初代教会長帰幽され、同年三月二十九日、二代仲井昭夫師が教会長に就任され、平成九年四月二十日には現在の天沼二丁目の地にて、荻窪教会として名称変更、教会造営移転のおかげをいただきました。平成十八年二月六日、二代教会長帰幽され、同年三月八日、御神心の侭に三代教会長に就任させていただき、約三年半が経過いたしました。 教会の日めくり(和賀心の訓)の中に、「十一日。人をうごかすのは正しいとかまちがっているとかの主観的な主張ではなくそれがわかる資料を示すことである。この信念がいる。」とありますが、まさにこれを実践したのが、この教話集です。日々の思いを一話一話まずBLOGにのせ、だいたい十日単位での月例祭などの教話を題材としてお話しさせていただいております。教話は、月例祭(月二回)、月例霊祭(月一回)、春秋の霊祭(年二回)・大祭(年二回)、夏越感謝祭、年末感謝祭、元日祭などの教話等を発行順に集約させたものであります。 気が付きましたら通算130号を越え纏まってきたましたので、読みづらさや誤字脱字があるやもしれませんことは最初にお断りさせていただきますが、ここに纏めて冊子にさせていただくことにいたしました。。 神前拝詞の中にある「生活のなべてを信心と勤しみ」にあるように、信心すなわち生活、生活すなわち信心であることを再認識して、ここに信心の道を新たに歩まさせていただきたいと思う日々であります。 かつてこのあたりは、天沼村と呼ばれていました。古代8世紀に書かれた「続日本紀」の中に乗潴(あまぬま)に駅をもうけたとあります。これは阿佐ケ谷、荻窪間の天沼であるという説があり、古くから街道が開けていたと考えられています。 この記念誌は、「阿佐ケ谷と荻窪間の天沼」であるこの地の機縁を今更乍らに感じてこの記念誌の名前にさせていただくことにさせていただきました。 教会長 ----------------------------------------------------------- 後記 金光教荻窪教会開教七十年を九月二十三日に迎えました。(布教七十五年) 初代教会長トク先生、二代教会長昭夫先生から遺徳のバトンを受け継がれた三代教会長金行先生が、折りに伏して御教えを出されて三年半となりました。 ここに開教七十年記念に際し祈念冊子「乗潴(あまぬま)」にいたしました。我々信徒の座右の書とし日々の信心生活の指針ならんことを祈念いたします。 平成二十一年(2009年)九月二十三日 信徒総代並びに責任役員 青野宏康
2009.09.24
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平成21年9月23日(祝)09136 金光教荻窪教会 教会長 1、先祖のみたまを大切にする 神様から頂いた生命は、先祖から自分に、そして子孫にと受け継がれていきます。ですから、先祖を祭るということは自分を大切にするということであり、子孫を大切にすることでもあります。 私たちは先祖の愛情と慈しみを受けて生きてきたのですから、そのご恩を悟り、先祖の御霊を神様と同様に丁寧にお祭りすることが大切です。また、その心を神様もお喜びになるのです。 先祖のみたまをまつるのは、跡継ぎに限ったことではありません。誰もが先祖のみたまを大切にしてこそ、幸せな人生を送ることができ、子孫も家も繁盛することになります。 2、立教150年直信先覚先師の言葉 おとしがらを振り返ると、形が無く目には見えない信心であるが、先人達のご信心ぶりを現された足跡は、心底から神様を頂かれ、その身から打ち込まずしてはおれないと感じさせられるのである。 直信・近藤藤森師の夫人である玉露姫の三十年祭の時に、講話をされた畑徳三郎師は、「生きたくば神徳を積みて長生きせよ」と教えられしは、寿命のある限りは元気に信仰して徳を積み、死して後は天地にかえるので、よしや肉体はなくなるとも永遠に生きよ、とのみ教えであって、真実の腹の底より出たる真の心ほど、世の中に尊いものはない。真心と書いても信心というので、真心から神様に向かうのが信心であり、神様に向かう信心をもって世の中に処していくのが真心である。すなわち、真心と信心は一つなのであります。信心する人が、ただ神様の前で祈って一途にみかげを受けるだけの信心ではないので、祈ってみかげをこうむり、ありがたいと感じたならば、このありがたいという一念が世の中の万事に現れるようにしていくことである。この心の奥底から現れた真心こそが、永世までもずっと残って、消え失せることはないのである。 生活すなわち信心、信心即ち生活。この世で生を受けた我々は、先祖のみたまに見守られながら、教祖の生き方・信心を今の世に現すことが肝要なのである。3、ピア・プレッシャー(peer pressure) 周囲がすべて均一の価値観や生き方であることを、暗黙に要請することです。日本人は特に周囲と違ったことは好まれず、皆が同じ生き方をしなければ幸せになれないと、社会が暗示をかけているような社会なわけです。 例えば、新しいライフスタイルを切り開く人は、常に少数派です。新しいことは未知なことで、先行きも安定していないため、向かう人は少なく、追従する人も少ない。 また人間の常識は人間だけのもので、囚われているのは人間だけなわけです。常識は人間が作り、自身が常識に縛られるのである。 何事にも囚われない生き方をするのは、『幸せの方程式の解はひとつではない』ことに気がつくことです。『幸せの答えはいくつもあり、実現への方法もいくつもある』わけです。まずは、今が幸せなことを1つひとつ実感することからはじめて見ることです。 教祖様は、当時の習慣・慣習に囚われない生き方を、神様から一つひとつお試しがあり、お導きのまま実践していき、悟られたことで、このお道が開かれたわけです。 天地書附に「おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい」とあるように自分がおかげ授かっていることを実感し、囚われずに生きることを実践して生活させていただきたいものです。4、金光様 ある先師によると、三代金光様のご生活は、日常生活がそのまま信行であらせられ、教祖様のみ教えを守りとおそうとされるものであられた。 三代金光様は、「日々がさら」とのお言葉のままに、絶えず神様に心を向けられ、神様のみ心に添うあり方を求め続けられたのであり、そのようなご生活から自ずと生まれてきたお言葉が、「みんなが神様に御礼を」であられた。 ところで、四代金光様のみ跡をお受けくださった現教主金光様は、「できるからするんじゃない、できないご用のけいこをさせていただく」、また、「神様にお休みはありませんから」ともおっしゃって、歴代金光様ご同様、親様の求道の心をたどられ、自らに厳しく道を求められて、今日まで本部広前にご神勤くださっている。現教主金光様は、早朝、本部広前にお出ましになり、ご神前に進まれた時、正中で一礼をされて小さな声で、「ただいまでございます」と仰せられ、それからご神飯をお供えになるという。普通、「ただいま」は、外から家に帰った時の、家族に対する言葉である。ところが、金光様は、ご自宅から本部広前にご出仕された時、しかも神様に対して、「ただいまでございます」と仰せられる。そこには、「今月、今日」のただ今を含めて、神様の時間にあらためて参入し、神様と共にご用に仕えるという、親神様に対する金光様の深いみ心が込められていると仰がせていただく。
2009.09.24
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安心も心配も創り出すのは、自分の心。幸せはひとつではなく、いくつもの答えがある。習慣や慣習にとらわれないことが大事だと思います。自分の行動を制限するのも自分である。
2009.09.22
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体だけ休めても心が安らかでないと安静とは言えない安心もわが心心配つくるもわが心
2009.09.22
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理屈で知っていても、頭ではわかっていても、いよいよとなったときに実行したり行動できなければ、これまでの学習も何にもならない。やはり言うべき時に言えるように、ことに及んだときにでた力が本当の実力なのである。人はそのことだけを評価するだけである。練習で素晴らしくても、本番に強くなければなにもならないのである。
2009.09.21
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体だけ休めても心が安らかでないと安静とは言えない安心もわが心
2009.09.21
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若者には学力も大切だが明朗性 責任感 仕事には情熱を傾けてちょっとやそっとではへこたれない自信を持つ人になること
2009.09.20
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フリータの子供(成人)の生活支援している甘い高齢世帯が増え、グチも聞こえてくるが、若者の勤労意欲のなさや無計画さや無謀な夢の尻拭いまでご苦労なことである。更に介護や病気のことまで絶えない悩みもあるというのに。厳然として高齢者には選挙での得票数は多いが、老齢福祉は切り捨てられ、政治に関心ない若年有権者に対しても雇用確保より使い捨て切り捨てな状況にさせた、役人優先の社会では何も変わらないのかもしれない。ときに変わることは正しい。これまでの皆が中流の意識を、貧富の差を拡げ、格差社会を選び私だけが裕福ならいいと自己中社会を望ぞんだのは、他ならぬ有権者なのだ。皆が金持ちになり、一人でやりたいことをやる生活にしていき家族別を一人一人の個人別をめざし、社会保障という金の配分を切り替えていったのである。単なる幻想、欲望の世界である。
2009.09.18
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なんぼう学問がある理屈がよいというても御信心のことは解っただけでは役に立たぬ
2009.09.18
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武士道とは、身内集団原理であるのに対し、商人道は、開放個人主義原理である。武士道は、集団内部の人間関係を律するもので、身内への忠実に価値をおく。一方、商人道は、見知らぬ他人との取引をするから、他人に誠実になることが商人全体に望まれている。そして基本は継続取引である。そうなるように信頼を勝ち取ることでもある。二つの社会原理は、他人の悪意というラスクに対処するためである。1、人間関係を固定し、その中で完結する。悪いことをすれば、皆に知られてしまうので悪いことは出来ない。ムラの中では騙されることはない。リスクは外に押し出されるので、うちは安心、外は危険となる。2、危険と思った相手を変えるというリスクの対処法である。相手の見極めが大切になる。皆が相手の信頼性について見極めあっているのだから、他人に不信感を持たれないことが重要で、それには、他人に分け隔てなく誠実に振る舞うことが必要になる。過去、どちらもマイナーな状態で共存発展してきたが、企業の雇用維持もままならないと、身内意識もなくなり、集団の信頼関係を維持することは出来ない。バラバラな烏合の衆が、利己的に振る舞うと、身内の範囲が狭まり、開放個人主義の倫理が必要になる。他人には分け隔てなく誠実に振る舞い、危険な相手を見極め、危険ならば相手をかえるというリスクの対処で進めることである。本来信頼関係の中、互いに儲かり続けていく世界を築くことが特に肝要である。
2009.09.17
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他人に わずらわしいこと 気に入らぬことを辛抱させるような 不徳なことでは人徳はいただけぬぞ
2009.09.17
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愚痴不足 勝手考え 取り越し苦労どれを一つ持っていてもおかげの断りになります
2009.09.16
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今、旅は新幹線、飛行機、自家用車が当たり前のように感じていた。 しかし同期の先生からの教会たよりには…。 『 月参りに夜行寝台特急の座席車に乗ると博多から、朝の5時過ぎに金光に着く便が廃止になり、在来線を利用する。午後3時過ぎに発つと、乗り継ぎながらも午後11時過ぎに着く。 会堂広前で3時間過ごすと、お出まし、朝の御祈念、630お話の会、10時からの月例祭を参拝すると、昼過ぎに金光を発つと20時には帰宅することが出来るのです。 在来線の旅も楽しいです。町中の軒をかすめ、海岸線の景色を楽しみながらの8時間、信心参拝、この贅沢な旅を楽しんでみませんか? 竹下教会便り21年9月号No.48 』 東京からの参拝も昔は、19時発の夜行で行き車中一泊して、金光に一泊参拝、帰りも車中一泊という3泊4日旅で、朝通勤に間に合う時間に東京駅に着いていたようだ。 今は日帰り参拝も出来ないことはなくなり、朝品川発の始発で行けばぎりぎり10時の祭典にも間に合うらしい。 今はお金の贅沢より、時間の贅沢が出来ることが素晴らしい。つまり一番の贅沢は『心のゆとり』にあるのだ。
2009.09.16
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時の信心より常の信心 時の追肥より常の地肥時のお百度参りより その日参りに お蔭は受けるがよいぞ
2009.09.15
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平成21年9月14日(月)09135 金光教荻窪教会 教会長 1、無知を素直に認める 人生をかけて『知』を積み重ねてきたような人ほど、自分が知らない分野やジャンルに関して、誰もが知っているような常識的なことでも、自分が知らなければ、素直に『無知』を認める。 本当に強い人や賢い人、周囲から認められた人は、むしろ自分の弱さを無理に隠すことなくさらけ出すことで、さらに周囲の評価を高めているのである。 自分の弱みを他人にさらけ出すことができるかどうかが、真の大きさを測る尺度になるのである。2、性根(しょうね) 重要なのは、人物の人生観や生きざま、そのときの心情である。それを性根という。 まずはとやかくいわず、基本に忠実にまもり、それから独創性を尊重するからこそ、継承できるのである。 たとえば歌舞伎において初演は教わった通りに演技しなくてはならないが、二回目以降は自分なりの工夫を加えて演技することが認められているのです。 それによって先代とはひと味違った演技を作り上げていく余地があるのです。 受け継ぐものは基本、だからこそ変化出来るわけです。 伝えるべきことは、所作、形ではなく、段取り以外は、所作をする心情であり、性根なわけです。性根を理解して生活しないと感動するような生き方にはならない。3、目的 人生に目的を持ったら、一生は短く時間は足りない。目的を持たなかったら、一生は実に時間があまって長い。 目的を持った人は死ぬ時やりのこした事を無念に思うだろう。短い一生にちがいない。でもだらだら生きていたら、死ぬとき、あーやれやれたっぷり生きたなあと思える。4、没我『自分は他人からどのようにみられているんだろう』と客観的にモニターしている。 他人は通常、自分を緊張させる存在です。 しかし、気心の知れた友人同士や、毎日顔合わしている家族の間では、そんな緊張はしない。相手から自分がどう見えているかは関係ないわけです。 恋人は、ある意味で事故の延長線上にいる人であり、ふたりでひとつのユニットを組んでいるようなものです。緊張感を持って相手の様子を見たり、自分がどうみえるかを気にしなくていい。 自分を意識する垣根も消し去るような恋人が、一番いいしかし、人の役には立ちたい。でも老いてくると必要にされなくなるのが現代なわけです。5、絶対 人間の行動に関する法則に『絶対』はありません。 ある行動や仕草の意味の70%は予想できたとしても、残り30%は予測不可能です。 例えば、腕を組んでいるという仕草は、拒否を表していると言われていますが、腕を組んでいることが100%拒否ではありません。たまたま楽な姿勢だったからという場合もある。 相手の仕草や行動から恋愛をルール化させようとしても意味はない、当然血液型や誕生日で性格や相性を占うことにも意味はなさない。6、自分を認めること 自分に欠点やコンプレックスがあっても、人は自分自身から別れることはできません。 自分を愛せる人は、そんな欠点やコンプレックスもすべて込みの自分をありのまま愛せる人なわけです。 そんな人は、他者の欠点を受け入れる包容力があります。 長所は欠点のすぐそばにあるわけですから、欠点をあえて人から隠す必要もないということも分かっているわけです。 自分の自分に対する接し方は、自分の他人に対する接し方と合わせ鏡な関係です。 他人への接し方で、普段、自分とどのようにつき合っているのかが見えるわけです。 すぐに結果を求めない。即物的な形での見返りを要求しない。失敗した自分を許すことができる。とか三年五年で見えてくるものや育つものもあるわけです。 自分に対しておおらかな余裕をもって接することができる人は、他人に対しても同じ態度をとることができるのです。
2009.09.14
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不平不満 怠け心 身勝手な事が身に付くと不幸になる悲しい事 苦しい事に出会った時に避けて通る心では不幸になる 人間の価値は物により裏付けされがちであるが自ら切磋琢磨することにより培われる豊かな心に価値がある
2009.09.14
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自分に欠点やコンプレックスがあっても、人は自分自身から別れることはできません。自分を愛せる人は、そんな欠点やコンプレックスもすべて込みの自分をありのまま愛せる人なわけです。そんな人は、他者の欠点を受け入れる包容力があります。長所は欠点のすぐそばにあるわけですから、欠点をあえて人から隠す必要もないということも分かっているわけです。自分の自分に対する接し方は、自分の他人に対する接し方と合わせ鏡な関係です。他人への接し方で、普段、自分とどのようにつき合っているのかが見えるわけです。すぐに結果を求めない。即物的な形での見返りを要求しない。失敗した自分を許すことができる。とか三年五年で見えてくるものや育つものもあるわけです。 自分に対しておおらかな余裕をもって接することができる人は、他人に対しても同じ態度をとることができるのです。
2009.09.13
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辛抱は徳を積むもとである 苦難に負けてはならないどんな苦難でも根気と元気と勇気と活気とで耐えて行くこと人は試練に耐えた強さだけ成長する
2009.09.13
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自分を客観的にみることのできる能力です。どこいらの少し前の総理大臣がいっていたような...。自分は能力がないのでやめるみたいなことです。薬依存患者本人が自分は依存症だと気がつくことから始まるわけです。メタ認識能力を高めるためには、時々自分自身を振り返って、自分を見つめることが必要なわけです。また自分を客観的に表現するために、不特定多数の見るプログを書いたり、他人と会話をすることです。自分が普段着ているよろいを、時には脱いで、自分の悩みや他人の人生や将来の夢などを語る時間を持つことです。
2009.09.12
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真で成就しないことはなし成就せぬは真がかけたと悟れ
2009.09.12
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心を観るためには、心構えを特定のところに置かず、全体をボンヤリ眺め、柔らかく対応する。物事を決めつけずに、判断を停止し、考えを棚上げにすることで、相手の全体が見え、相手の心も見えてくるのです。本来目に見えない心を感じ取ろうとするには、目に見える外見ではなく、心の奥底を感じ取ることです。
2009.09.11
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あわてる時がお陰を頂く時じゃあわてる時にあわてるならばこれまでの信心はなんにもならぬ人をうごかすのは正しいとか間違っているとかの主観的な主張でなくそれがわかる資料を示すことであるこの信念がいる
2009.09.11
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人生はすべて自分の力でコントロールできるわけでもなく、偶有性の海に自らを投げ出せばいい。人は皆、気がついたらこの世に存在しており、それはあたかもこの世に自分という存在が投げ込まれている。この世界は自分が作ったわけではなく、選んだものでもないが、人はその中で否応なく生きていかなければならない。過去がどんどん必然になっていく。自分の身に起こったことを単なる偶然だと決めつけるのではなく、『もしかしたらそこには重要な意味があるのではないか』と自問してみることが、慣要である。あの日あの時間、あの場所に行ってこの人と出会ったことは単なる偶然の積み重ねであるが、自分にとっては『単なる偶然』ではなく『必然』だったのだ。後に確信をもってそう意味付けできる人生を歩んでいくこと。それは自らの人生から逃げ出さない『覚悟』の表れでもある。運命の赤い糸は、過去への感謝の気持ちかもしれない。
2009.09.10
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眼に見える所ばかり大切にして眼に見えない所を粗末にしております信心致しましたら眼に見えぬところを大切にせねばなりません
2009.09.10
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9月23日(祝)午後2時執行 金光教荻窪教会「生きたくば神徳を積みて長生きせよ」と教えられしは、寿命のある限りは元気に信仰して徳を積み、死して後は天地にかえるので、よしや肉体はなくなるとも永遠に生きよ、とのみ教えであって、真実の腹の底より出たる誠の心ほど、世の中に尊いものはない。真心と書いても信心というので、真心から神様に向かうのが信心であり、神様に向かう信心をもって世の中に処していくのが真心である。すなわち、真心と信心は一つなのであります。信心する人が、ただ神様の前で祈って一途にみかげを受けるだけの信心ではないので、祈ってみかげをこうむり、ありがたいと感じたならば、このありがたいという一念が世の中の万事に現れるようにしていくことである。この心の奥底から現れた真心こそが、永世までもずっと残って、消え失せることはないのである。秋季御霊祭を迎えるにあたり、血縁、教縁をはじめ、さまざまなご縁をもって御霊様と仰ぐ方々に対して、みたまさまとしてのお徳を偲び御礼を申し上げることで、それぞれの毎日の生活に、少しでも信心が神様の真心として現れてくることを願い、御霊様の立ちゆきを願う機会にさせていただければと思います。ともどもに参拝・遙拝のおかげを頂きましょう。
2009.09.09
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恋愛に正解はない。数学の『不良設定問題』とは、問いに対する解答がひとつではない、解答は複数存在する、もしくは解答がない。この意味においてのみ、恋愛は『不良設定問題』といえるのである。
2009.09.09
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ここへ参るのに手間が欠ける日間がかかると思うてはならぬぞ神様がそれだけの手間日間はじきに取り返してくださる
2009.09.09
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人生をかけて『知』を積み重ねてきたような人ほど、自分が知らない分野やジャンルに関して、誰もが知っているような常識的なことでも、自分が知らなければ、素直に『無知』を認める。本当に強い人や賢い人、周囲から認められた人は、むしろ自分の弱さを無理に隠すことなくさらけ出すことで、さらに周囲の評価を高めているのである。自分の弱みを他人にさらけ出すことができるかどうかが、真の大きさを測る尺度になるのである。
2009.09.08
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好きな事ばかりやっていると段々後に嫌な事ばかりが残る不自由をお蔭と喜んで不自由させて頂いているといつの間にか不自由がなくなる
2009.09.08
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重要なのは、人物の人生観や生きざま、そのときの心情である。それを性根という。まずはとやかくいわず、基本に忠実にまもり、それから独創性を尊重するからこそ、継承できるのである。たとえば歌舞伎において初演は教わった通りに演技しなくてはならないが、二回目以降は自分なりの工夫を加えて演技することが認められているのです。それによって先代とはひと味違った演技を作り上げていく余地があるのです。受け継ぐものは基本、だからこそ変化出来るわけです。伝えるべきことは、所作、形ではなく、段取り以外は、所作をする心情であり、性根なわけです。性根を理解して生活しないと感動するような生き方にはならない。
2009.09.07
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友達の友達の、その友達を6人たどっていくと、全世界につながるという理論です。通常なら決して出会わないであろう組み合わせが起こるわけです。同じ会社、同じ大学、同じ職種であれば、出会う可能性は高い。しかしたまたま出会ったのが、業種や立場を限定しないところでの偶然の出会いだったからです。それがスモール・ワールド・ネットワークなわけです。普段の自分の生活範囲から、意識的に離れて行動してみる、それも垂直に移動してみるイメージだと、急激に出会いが広がるらしい。そして、人生の『水先案内人』をもつことである。
2009.09.07
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なんぼう学問がある理屈がよいというても御信心のことは解っただけでは役に立たぬ事に当たって実際に出てこねば神様のお徳はこうむれぬ
2009.09.07
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この世に何しにきたのか。この世にさしたる用などないのである。用はないが、死ぬまで生きるのである。そして、時々、生きているのだと実感出来れば上々なのだ。だから何なのだをつみ重ねることである。実感なんぞ、気分なのである。たまには、楽しい時間を過ごしていければいい。
2009.09.05
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氏子忙しければ信心せよ壮健(まめ)なれば信心せよ兎角 氏子は反対をするから真のみかげが受けられぬ
2009.09.05
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平成21年9月4日(金)09134 金光教荻窪教会 教会長 1、好きなように生きる 嫌なものはいつまでも続けられない。我慢は限界がある。 嫌なことでも、その中から好きなところを見つけていくのが仕事かもしれない。好きなことを仕事にしたからといって、その中に嫌なところもあり、相対的に好きなところが少なくても、少しでも好きなところがあれば続けられるのかもしれない。 好きなとこ嫌なとこは必ず同居していて、相対的なものである。 好きなことは、どんなに嫌なことがあっても突き進めるだけのパワーがもらえる。人は好きなように生きるのである。2、素直 素直になれない。不正直。誰も信頼できないしない。作為的。拝金主義。人が右っていったら、必ず左と考える。話を聞かない。 自分の都合のよいところしか話さない。語る話に真がない。心許す相手を最後まで信じない。~天の邪鬼。 人は必ずそんな気持ちを持っているが、人に騙されても自分の気持ちには正直にいたい。 自分が信頼するに足ると思える人がいればとことん信じてみることで、相手の本質も見えてくる。本心が行動として現れてくる。 その上で、付き合い方がわかる。表層の付き合いには表層で、深層には深層で付き合うしかない。 人の気持ちはいくらでも孤独にもなれるし、空想の世界では独りよがりになれるが、現実一人では産まれてもいない。人に助けられ人を助けて生きていくのが人間である。 いかに夢を持ちながらも、その時その時を大事に生きていくかが大切である。3、ときめきが大切 人間は隙間だらけ。身体の中も、臓器と臓器の間は、なにもない隙間である。手術して食道をとったりすると、食道の場所に胃がきて、食道の働きをする。 臓器は単独で働いているわけではなく、周囲の空間と臓器を含めた『場』を作りだして機能している。 臓器だけではなく、人はそれぞれの生命の場を持っていて、互いに場が重なりあって生きている。 虚空から生まれやがて虚空に帰るならば、病気でも健康でも今出来る最善のことをしておくべきである。 普段から生命エネルギーを高めておく事が必要である。それには何かしたときには『ときめき』が必要で、ときめきが生命エネルギーを高めてくれる。 旨いものを食べるとか、旨い酒を飲むとか素晴らしい景色を観るとか、恋をするとか、密かな楽しみでもよいから、ときめくことなわけです。 職場や組織では、自分自身だけでなく、他人の命を思いやることで、全体のエネルギーが高まり、場が盛り上がるのだ。 私利私欲に走らず。道を誤らないように、生命を見つめた楽しい生き方をしていけばよいと思います。4、甘え 『甘える』には、何に対して甘えるかより対応は変わる。自分に対して甘えるなら、人には厳しいかもしれない。 相手に対して甘えるなら、相手のことを察してあげるだけの気配りがないと、単なる強請り上手とか図々しさが出て、浅ましさのようなものが目についてしまうのである。 甘えることも、才能である。 嫌な感じを抱かせずに相手の気持ちを和ますことができる力がある。5、めんどくさい『めんどくさい』に対応する。 欲望は、『贅沢の提供』という社会から『めんどくさい』を代行する社会に変貌した。 この『めんどくさい』需要を吸収するため、わがまま社会が成り立つのである。 ピーターパン症候群、いつまでも子供でいたい人々、成熟したくない人々が増えている。 大人になると、他人のために面倒を引き受ける覚悟を決めり、責任をとることを厭わないようになるからである。 流通の社会でも、インターネット、コンビニ、宅配便、通販などが拡大した。組織も、人を育てるめんどうより、派遣請負を雇ったり、責任から逃げ出すトップが出てきているわけです。 次の社会は、めんどうくさいわがままに対応することではなくて、めんどうくさいことに勝機があるのかもしれません。6、問題を積み残さないために 緊急度と重要性。 大概の問題は、緊急性を重視して、いつかは手をつけなければならない重要な課題に手を打ってきたかどうかで大きな差がでる。 経営者は緊急度の高低に関係なく、重要なテーマを議論のテーブルに載せ、決着しなければならない。
2009.09.04
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日々が新(さら) 昨日を忘れ今日を喜び明日を楽しめ歳月を超えてゆく時 いろいろなことにならされて円熟して行く
2009.09.04
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なにが自分でも本当のことか本当でないかわからない。しかし本当のことをいうと、相手が後ろにとびのく様に感じる。みんな本当の事は嫌いなのです。本当のことを言ってはいけません。だれもわからないからです。道の働きはなにより空っぽから始まるそれはくんでもくみつくせない。不思議な深淵ともいえて、すべてのものの出て来る源のない源である。働きは鋭い刃を丸くして、固くもつれたものをほぐし、強い光をやわらげ、舞い上がったチリを下におさめる。本当のことはときに、『和』を越えられないのである。対立は好まないのである。
2009.09.03
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心配が増したり物事が苦を病むようになるのは信心が落ちた証拠ぞこのおりこれを有り難う思うて信心するとこれが修行になってまた一段と信心が進むがそうでないと心配や難に負けてどうにもならぬようになってしまうぞ
2009.09.03
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誰だっていずれしぬだろうが、痴呆になることを選んだり、がんや事故を選んで死ぬわけではない。生きる道は選べるが、死にゆく道のりは選べない。だから、せめて生きる道を選んで生きていきたい。
2009.09.02
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考え方の美しさを身につけることが大切である素直にうける心のゆとり自分にあわない人をきらう傾向があるやさしく話せば理解する
2009.09.02
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『めんどくさい』に対応する。欲望は、『贅沢の提供』という社会から『めんどくさい』を代行する社会に変貌した。この『めんどくさい』需要を吸収するため、わがまま社会が成り立つのである。ピーターパン症候群、いつまでも子供でいたい人々、成熟したくない人々が増えている。大人になると、他人のために面倒を引き受ける覚悟を決めり、責任をとることを厭わないようになるからである。流通の社会でも、インターネット、コンビニ、宅配便、通販などが拡大した。組織も、人を育てるめんどうより、派遣請負を雇ったり、責任から逃げ出すトップが出てきているわけです。次の社会は、めんどうくさいわがままに対応することではなくて、めんどうくさいことに勝機があるのかもしれません。
2009.09.01
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