全64件 (64件中 1-50件目)
だれをもたよりにしないで、自分一人で生きていくという生き方になっていなければならない。お互いにたよりになるのであって、たよりになるのと、たよりにするのとは大違いで、なるのはよいのだが、するのは間違いで、たよりにしようとするような了見では、たよりになるものではなく、不足なことばかりが多くなるものである。
2009.01.31
コメント(0)
グチというものは、相手が身を入れて聞いてくれて、その場限り解消してしまいさえすれば、愚痴と名をつけるまでもない。それはいわば打ち明け話とでも言うべきものなのである。相手に『うるさい、聞きたくない、そんなつまらないことを』とはねつけられると、そこからが愚痴という名前のつくものになるので、そう言われれば言われるほど、言わずにおられないことになり、先方が聞かないと言えば、よけいに聞いてもらいたくなり、なんでも聞かせようとすることになり、幾度でも同じことを繰り返して言うようになる。そうなるとそれを先方は愚痴だと呼び出すことになるのである。
2009.01.31
コメント(0)
広大なお蔭と言うがお蔭は氏子めいめいの真に映る影のことぞ神様には大きな真を向けてみよ大きなお蔭が身にいただけるぞ影は形に添うと決まったものじゃ
2009.01.31
コメント(0)
感情を引き起こす思いや考えを探すことから始まる。たとえば失業。例に取ると、まず浮かぶのは『自分が失業するかもしれない』という考えである。次に、これが仮に本当だとしたらそれは『なにを意味するのか。何が起こるのか。』と自問する。そうすると次に『自分が失業したら生きていけない』とか『失業したら家族に見捨てられる』とかいう新たな思いが浮かぶ。不安や取り越し苦労で心労を起こす。そんなときは、不安や取り越し苦労を具体的に、どのくらい自分が信じているのか、どれくらい信じる根拠があるのか、さらには、別の考え方はないかを確かめることだ。実際に考えてみると、日本の完全失業率は5.4%にすぎず、失業しても失業保険や生活保護の制度もあるので、生きていけなくなることはない。ましてや失業を理由に家族に見捨てられたりすることもめったにないだろう。生きていけなくなるまで生活が苦しくなることはあまりないのである。つまり不安をおこしているほとんどの思考の原因は、その根底にある思考までたどってはっきりさせれば、非常に偏った考え方を信じてしまっていることが分かる。1、少なくとも漠とした不安をはっきりさせること。相談できる相手をもつこと。2、事前に不安や鬱を起こさないように、安心の気持ちやプラス面をみる癖を普段から心がけ、予防しておくこと3、楽観的にいきる仲間を増やしていくこと。
2009.01.30
コメント(0)
信心は家内に不和が無きが元なり父母も子供も共に生まれたり育たねばならない子も父母も
2009.01.30
コメント(0)
不景気になると、かなりの低賃金でも人は集まる。ゼロよりはましと…。そんな受け皿の代表が介護福祉関連である。現在平均年収320万で、全産業平均485万をはるかに下まわり、男性派遣社員平均404万よりも下回る。削減ばかりで、引き上げは考えられないので、次の景気回復とともに、前回1990年後半の介護業界に人が押し寄せ、景気回復と介護報酬引き下げで起こったような大量の人材流出(当時の離職率は20%超)は避けられない。まさに高齢化の徒花産業である。介護サービスは無償の施しなのか?そんなことではますます将来への不安が拡がるのである
2009.01.29
コメント(0)
知らない事は恥ではない不自由である人には、して良い事 悪い事がある言うて良い事 悪い事がある悪い事をしていながら居直る人もいる幼児の段階から善悪が身につくと言う
2009.01.29
コメント(0)
アクディクション(嗜癖=各種依存症)は、行動の悪習慣であり、瞬間の陶酔や快楽をもたらすので、一種の自己救済である。生きるための自己逃避、自己救済的行為が自己破滅につながるということが嗜癖である。アルコール依存症はいくら入院しても断酒が保証されないし、断酒させる薬など存在しない。カウンセリング領域は、アルコール依存症、薬物症(麻薬、覚醒剤など)、摂食障害、共依存、浪費借金ギャンブル依存、虐待DV、自傷、不登校ひきこもり、人間関係(親子、夫婦、職場、学校、近隣、愛憎、生き方)、うつ、PTSD(心的外傷後ストレス傷害)など。言葉で人を救う道を模索する。。取り次ぎ取り次がれて、人を助けていくお道では、問題を立ち行くように、両立させていく道を探る。なにが悪いかではなく、どう悪かったから改めていくかを気づかせて頂き改まる気持ちでどう行かさせていただくかである。いい悪いではなく。
2009.01.28
コメント(0)
人は苦労にきたえられて深み出る人と苦労にねじふせられて曲がってしまう人がある物が豊かになる程ものを粗末にする人が多い
2009.01.28
コメント(0)
終身雇用、年功序列に支えられた戦後日本型循環モデルの生活は破綻したから、新たな社会体制が必要であるという。教育と仕事により個人は、仕事の実質的な有益性や正当性への公的な承認、目的達成能力の拡大をねらう。物語性(個人の主体性)、有用性(貢献に対しての実感や公的承認)、職人技(誇りや執着)を身につけ、新しい資本主義に立ち向かえという。男女が生活基盤として収入を確保して、リスクヘッジは個々に委ねられる。家庭と教育は切り離され、家庭の費用負担度や意欲に依存しない。福祉は、払える余裕あるものが払い、社会全体が安心と承認を受け取る。家庭は、教育費の負担がなくなり、依存的な親密性はなくなり不安定になる。しかし閉塞感はなくなり、情愛は残る。家庭を維持する理由にあった子育ての重圧から解放され、自由平等な民主主義にたどりつけるのである。本当か??学者は相変わらず単なる欧米のまね社会を盲信しているだけではないか?
2009.01.27
コメント(0)
内に改まり 正しければ外に現われる事正しい自分の徳が神と同根なり人の上に立つ人は絶えざる批判に晒されそこからよくなる
2009.01.27
コメント(0)
取り返しがつかないことを取り返しがつくようにする。人間にとって取り返しがつかない最大の出来事は、死であろう。この世で人間ほど明確に自分が死ぬことを知っている生き物はいないという。死ぬという一大事業をいかに見事にやり抜くか、いかに死を飼い慣らすか、人は誰もその根本的な問題から逃れられない。『人間は、どうして生まれ、どうして生きるのかということを知らねばなりませんなあ』教祖は自らの生死の境目で、生の向こう側から生を支えるものに出会い、支えられ受け入れられていることを受け入れた。目の前の現実と目に見えぬ真実という、つながりがたいものがつながれる、起こるはずのないことが起こる出来事にも、超越した事態がある。生まれたときにみんな大きな宿命(不条理)を背負っていて、それを受け入れ、あらたな運命に出会って生きていく。不条理の中からありがたいものを受け取って運命とともに育っていくのである。
2009.01.26
コメント(0)
お道の御用に大・小 重い・軽いの区別はありませんいずれも大切な御用ですお役に立つとか立たぬとか向うにばかり 目をやらず御用を通して自分がどうして助からして頂くか 手元を見て行くことが大切である
2009.01.26
コメント(0)
いま人の気持ちはどんどん切り換っていけるらしい。ドライに割り切る。昨日までは親しい人、今日からは赤の他人。そこには情の世界はなく、利・理の世界にのみで生きているからである。目的のためには手段を選ばない。自分の都合最優先で他人のことは二の次三の次であるらしい。もちろん自己中は前提、基本他人は信じない、目先の利のみ信じる。どれだけそんな人ばかりわざわざ都会に集まり溢れるのか計り知れない。みな地方から集まってきた人ばかりである。よき伝統は覚えてもいないらしい。
2009.01.25
コメント(0)
お道の御用に大・小 重い・軽いの区別はありませんいずれも大切な御用ですお役に立つとか立たぬとか向うにばかり 目をやらず御用を通して自分がどうして助からして頂くか 手元を見て行くことが大切である
2009.01.25
コメント(0)
平成21年1月24日(土)09108 金光教荻窪教会 教会長 1、取り返し 取り返しがつかないことを取り返しがつくようにする。それが信仰である。 人間にとって取り返しがつかない最大の出来事は、死であろう。 この世で人間ほど明確に自分が死ぬことを知っている生き物はいないという。 死ぬという一大事業をいかに見事にやり抜くか、いかに死を飼い慣らすか、人は誰もその根本的な問題から逃れられない。 『人間は、どうして生まれ、どうして生きるのかということを知らねばなりませんなあ』教祖は自らの生死の境目で、生の向こう側から生を支えるものに出会い、支えられ受け入れられていることを受け入れた。目の前の現実と目に見えぬ真実という、つながりがたいものがつながれる、起こるはずのないことが起こる出来事にも、超越した事態がある。 生まれたときにみんな大きな宿命(不条理)を背負っていて、それを受け入れ、あらたな運命に出会って生きていく。 不条理の中からありがたいものを受け取って運命とともに育っていくのである。 2、吉本タキ子老媼之霊神四十日祭 先の教会長仲井昭夫大人の長兄前翁の妻(伯母)、愛媛県八幡浜市、大正十四年八月十日生まれた。84歳4ヶ月にて帰幽。 十数年前に、病(認知症)を患い特別養護老人施設青石寮で生活させていただいていた。療養中とはいえ元気な中にも細菌性肺炎を患い、灯火が尽きていくように急性肺炎にて12月16日午後2時24分に急逝した。御霊神の立ち行き御祈念させていただきお届けさせていただいております。 旬日の祭典をさせていただくことで故人を偲ぶ機会にさせていただきましょう3、祝!春の甲子園(センバツ)金光大阪の出場決まる センバツ高校野球大会出場おめでとうございます 第81回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)の選考委員会が1月23日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社であった。 近畿代表6校の1つとして金光大阪の出場が決定した。同大会は、平成21年3月21日(土)から12日間<雨天順延>、阪神甲子園球場にて開催。(尚、組み合わせ抽選会 平成21年3月13日(金))4、今日を喜んで暮らす 今日を喜んで暮らしたら、死ぬことと病むことを忘れて暮らします。死ぬことと病むことを忘れて暮らしたなら、それ以上の欲はいらない。5、神様と人間の関係ーあいよかけよー 信仰にとって、どういう神を信ずるか、ということは大切な要件です。 金光教は、天地金乃神を信仰します。天地金乃神は、天地の間のすべてのものを生かす神であり、人間の親神です。 神と人間とは、「人間あっての神、神あっての人間」という関係にあります。人間は、神によって生かされ、神は人間を通して神のはたらきを現すことができるのです。この関係をあいよかけよと呼んでいます。 天地金乃神は、人間にとっての親神ですから、人間の親が、わが子への愛を知ることによって、神の人間を愛してやまない心を理解することが出来ます。病気でわが子が苦しんでいる時、子どもが助からなければ親が苦しむように、人間が助からなければ神も助からないという、そういう親神であるわけです。 長部日出雄という民衆の魂を描くことで有名な作家が、金光教本部に参拝して、その時の印象を、「世にもめずらしい宗教」と題して書きました。「金光教の教義は、唯一神の絶対性があまり強くなく、したがって独善性も希薄で、柔軟性に富み、理性的で、庶民的で、具体的である。大方の宗教が、神を絶対者とし、超越的な存在とする考え方のうえに成り立っているのに、たがいに相より相かかわるという相対的な『関係』のなかに、神と人の結びつきを認める金光教の教義は、画期的なものといってよく、いまの世界思想の最先端とも一致する考え方ではないか」 すなわち、天地金乃神は宇宙の支配者ではない。人間に命令を下したり、人間を操り人形のように支配したりする絶対者ではない。神があって人間があり、人間があって神がある。神と人とが、お互いに相手があってこそ成り立ち、相手のはたらきがあってこそ自分のはたらきができるという相対的な関係にある。こうした神と人との関係を説く金光教の教義は、現代の世界観、宇宙観や、現代思想が発見したもっともすすんだ考え方と合致する普遍性をもつものである、と長部氏は言うのです。
2009.01.24
コメント(0)
親祖先を大切に致せ根を断ちて枝葉の栄えた例しはあるまいぞ信心する人は木の切り株に腰をおろして休んでも立つ時には礼をいう心持ちになれよ
2009.01.24
コメント(0)
明治維新を境に、日本古来の信仰(神道)は、押し寄せる異国の文化に対応するため、国家を挙げての管理下に置かれた時代がありました。神話時代から尊ばれた神社は、国の機関のひとつになり、布教活動には当たれなくなりました。 当時、国学(日本固有の精神理念)が興り、神道を心のよりどころと考える人々が増えて行く中、明治政府は神社と別に、数多くの宗教活動を行う団体の中から神道を信奉する民衆宗教団体を教団として認めることによって、布教活動を許可し、国民の精神生活の柱となる部分を培おうとしました。この時に勅許(天皇からの直接の布教許可)を受けた、のちの「神道十三派」と言われる教団が「教派神道」と総称されるようになったのです。 これらの教団は皆、幕末から明治維新にかけて成立したもので、日本人の心に深く根ざした神道的な信仰が、優れた人格者たちによって磨き上げられ、現在もなお人々に明るい光となって照らし広められている神道教団です。
2009.01.23
コメント(0)
あきらかに 人の本心が見えてくる。人を知り、言動をみていたりすると、言葉の裏側にある気持ちや心根が明らかになってくる。最初はこちらも激流の渦の中に巻き込まれ翻弄されるが、暫くするとその言動に察しがつき、『また始まった』『やっぱりこうしたか』とわかってくる。それでも諦めずズバズバいうと、そんな直言を素直に聞くだけの度量はないので反発され逆ギレされるだけで、聞き耳がない。それでもその都度まともに真っ直ぐ対応する。聞く耳ないから、何年経っても同じことを厭きずに繰り返しているのである。悪意もあるから更にまともなことがしたくなくなる。いつか素直に話を聞き素直に行動するようになれば、繕ったり虚偽痴態をとる必要がなくなり、何よりも幸せになれる。実際はわからないので、また繰り返す。これではいけないと、日々あらためて素直に生きることが信心することである。
2009.01.23
コメント(0)
迷いは欲からおこる欲をはなすと決断がつく役に立つ時は人が大切にする役に立たなくなると人が相手にしなくなる
2009.01.23
コメント(0)
米国バブルの崩壊による不景気に、為替ショックな日本は、飲み屋のお客、分捕り合戦みたいなもので、少ない商権の奪い合いである。のるかそるか、売り手市場では少ない顧客側の選択に委ねられるのである。反応を観ながら場を楽しむか、市場から離れるかはわからない。どちらでも風の向くまま気の向くままかもしれない。ただ相手が仕組んできたら心は楽しめないので心は離れていく。
2009.01.22
コメント(0)
体だけ休めても心が安らかでないと安静とは言えない安心もわが心心配つくるもわが心
2009.01.22
コメント(0)
幼児教育のセールストークでもおなじみの『臨界期』というのがある。~人間の発達にはある能力の修得にふさわしい時期がある。その時期を逸すると修得はなかなか容易ではなくなる。もし人間らしさ、自我がその能力であるならば、夢、希望、優しさ、主体性、理性、愛情、思いやりなどは既に幼児期に修得されなければならない。人間は、幼児期の親のケアのなかで成長し、親の温かい心を必要とする。しかし、商売化がすさまじい早期教育は実際の効果は疑問である。へたに親が強迫観念を持ち、他の子と比べるばかりされた子供にも早期教育の歪みが現れています。アダルトチルドレン、インナーチャイルド、自分探し、引きこもり、ニートなど、親の早期教育のせいで、自分らしく生きることができなかったという元・子供たちの声もある。過度の教育が心の歪んだ子供を生み出している。今の教育という知識だけの頭でっかちな教育ばかり進めても何の意味もありません。心を育てること人間同士の関係性のなかで、初めて培われる思いやりを育てていくことが必要なことです。自分がしてもらってうれしかったこと、たのしかったことを他人にもしてあげるのです。実体験の蓄積が思いやりにつながる心を育てる。
2009.01.21
コメント(0)
体だけ休めても心が安らかでないと安静とは言えない安心もわが心
2009.01.21
コメント(0)
『恩返し』は自分に親切にしてくれた相手に直接、恩を返す行為ですが、『恩送り』は別の人に思いやりを示すところがなんといっても特徴です。『おかげ様』にも通じる思いやり行動のリレーです。人から受けた善意を他者に渡す、その善行の連鎖により、支え合う社会がつくられていくのである。~ペイ・イット・フォワード~
2009.01.20
コメント(0)
若者には学力も大切だが明朗性 責任感 仕事には情熱を傾けてちょっとやそっとではへこたれない自信を持つ人になること
2009.01.20
コメント(0)
まことのこころを大切にしてきた日本人。真と事(言)~真・誠・信うそのない暮らしや真実の世界は穏やかであり、安心でき、平和である。真実・真情・純真、誠実・誠意・誠心、信仰・信頼・信用へとつながる。まことの心は区別なき感謝の心、老若男女貧富清浄不浄信頼不信の区別なく迷わず無分別の心にある。『なるようになりなるようにする。』
2009.01.19
コメント(0)
生命は天地の神の造り下されたものである天地の心を心として御神意の侭(まま)に事実をあるが侭に見て何事も大切にすること
2009.01.19
コメント(0)
平成21年1月18日(日)09107 金光教荻窪教会 教会長 1、改まる気持ち 人は、肩先についている埃のことを教えてもらうと礼を言うが、心の歪んでいることや批判されると怒る。大きな考え違いである。心を直してもらえば一生の徳である。2、癖(くせ) 人のフリみてわがフリ直せといっても、人を批判はしても、自分のフリはなかなか直さない人が多い。 人のことに気がつくように、我がフリにも気をつけることが真の道である。 気がつかない、目立たないことを大切にすることが何よりも大切なことである。 目に見えるところは大切にして、見えないところも粗末にしない気持ちが大事である。3、素直に生きる 素直に生き、しとやかに生きる。そう生きないとなにもうまく行かないと悩んでも始まらない。素直に生きれば、必ず立ち行く道があり、将来への安心へとつながる。自分の心の中をよく調べて、今の幸せをよく点検してみることが肝要である。4、古代日本人の幸福 清く正しく美しく生きること『清く』は宗教的清浄であり、正しくと美しくの根底をなす。『正しく』は道徳的『美しく』は芸術的にひとつになる心合わせたところに幸せがあると考えた。 心身についた罪・ケガレ・過ち・災いを取り払うために禊ぎと祓いがある。 無意識に犯した罪、過ち、ケガレなどは道徳的には問題にならないが、わだかまりを除かないと不幸の原因になると考えた。そんなわだかまりもたまっているからきたないのであるから、わだかまりを流すことが幸せにつながると考えた。 幸せのためには、不幸になるのは心のわだかまりで、それを滞めないようにすればよいし、たまっても祓い流すことで幸せな社会になると考えた。 常に慎み深い態度で正直に生き、幸せを願うことが肝要な事なのである。5、今労働力は。 1年目にもてはやされた言葉である。パラサイトフリーター(両親と同居したフリーター)。大人になりきれない子供に気持ちをおだてられマスコミの餌食になっていた。 当時。 フリーターは将棋の駒、安い労働力の供給元である重要な『歩』であったが、今は捨て駒にされた。1997年当時で340万人の派遣、バイト、パートの低賃金労働者。 今サービス業、製造業からはじまり、法改正もあり、多くの業種に入って行った。なくてはならない存在となり、日本の単純労働や低賃金労働を支えていた。 自由な生き方を求める若者と柔軟な労働力を求める企業という図式に、新たな差別を生む土壌が醸成されている。いつでもクビにできる若年非正規社員を調整弁にした、団塊の世代対策はそろそろ終焉を迎えた。 企業の継続性や成長は、人材育成からはじまり、人材教育に終わる。お金で買えるものと買えないものがあるのである。 景気の循環とはいえ、急激に不景気が進行し、世の中はお先真っ暗なニュースに満ちあふれている。風評に流されず、先の安心を見据えて自分を磨き、今できることをトコトンやりきることが大事である。
2009.01.18
コメント(0)
なんぼう学問がある理屈がよいというても御信心のことは解っただけでは役に立たぬ事に当たって実際に出てこねば神様のお徳はこうむれぬ
2009.01.18
コメント(0)
どうにもならないとき、笑うしかない。待ち人が来ないとき。あなたは今の世の中、約束もなく、待ち合わせ時間も場所も携帯でできるから問題ないと考えている方が多い時代に、実は携帯を持ったばかりにかえって待ちぼうけになる人が現れるわけです。安易に約束して安易に破棄する時代が来たわけです。そこにはエゴしかない。自己世界内だけなら、時間も距離も超越して自由にできるわけです。それが現実と仮想な個人の思考との狭間にうごめき、他人は自己の心の許容範囲を広げる練習になるわけです。
2009.01.17
コメント(0)
他人にわずらわしいこと 気に入らぬことを辛抱させるような 不徳なことでは人徳はいただけぬぞ
2009.01.17
コメント(0)
神仏に向かう時、なによりもまことのこころを大切にしてきた日本人。真と事(言)~真・誠・信うそのない暮らしや真実の世界は穏やかであり、安心でき、平和である。真実・真情・純真、誠実・誠意・誠心、信仰・信頼・信用へとつながる。まことの心は区別なき感謝の心、老若男女貧富清浄不浄信頼不信の区別なく迷わず無分別の心にある。『なるようになりなるようにする。』
2009.01.16
コメント(0)
時の信心より常の信心 時の追肥より常の地肥時のお百度参りより その日参りに お蔭は受けるがよいぞ
2009.01.16
コメント(0)
体調を崩したり、病気を患うのは、そこになんらなの歪みがある逆に体が教えてくれてるんですね今の生活、生活習慣、ものの考えて方にちょっと歪みがでてます直しなさいってねからだが教えてくれているんですねそれはあなたが発するあなたへのメッセージですゆっくりなおそうねって、無理しないでそんなメッセージに耳を傾けて いきましょうね
2009.01.15
コメント(0)
時の信心より常の信心 時の追肥より常の地肥時のお百度参りより その日参りに お蔭は受けるがよいぞ
2009.01.15
コメント(0)
平成21年1月14日(水)09106 金光教荻窪教会 教会長 1、初祭典 本年は、立教150年、当教会、布教75年、開教70年のお年柄になります。素直な気持ちを持って今を大切にした生き方をさせていただきたいものです。 2、吉本タキ子老媼之霊神三十日祭 先の教会長仲井昭夫大人の長兄前翁の妻(伯母)、愛媛県八幡浜市、大正十四年八月十日生まれた。84歳4ヶ月にて帰幽。 十数年前に、病(認知症)を患い特別養護老人施設青石寮で生活させていただいていた。療養中とはいえ元気な中にも細菌性肺炎を患い、灯火が尽きていくように急性肺炎にて12月16日午後2時24分に急逝した。御霊神の立ち行き御祈念させていただきお届けさせていただいております。 旬日の祭典をさせていただくことで故人を偲ぶ機会にさせていただきましょう。3、世の中 ヒトはそれぞれの場だけの自分の考えにこだわり、互いに正しいとか正しくないとかいって決めつける。 正しいのは自分が正しいと判断することだけであり、正しくないのは自分が正しくないと判断しているのにすぎない。 あやふやな価値判断で人の値打ちを取りざたするものではない。 どうかすると、他人によく思われて、尊敬されたいとか、名誉に輝きたいとか、有名になりたいとか、働かずに儲けたいとかいう欲望がある。しかし弱者ぶるのではなく、そく隠の情を忘れてはならない。4、心一つで豊かにも貧しくもなる ひとときの安寧な気持ちが、本当の豊かさである。モノや金じゃない世界に安らぎを覚える。5、メタな道 (感情の自覚と自己行動そのものの道) 個別の違いは真理の違いではなく、道の違いである。価値観の対立が争いの歴史。個々の中身に関する対立をいったん棚上げにして、複数ある登り道を交通整理するメディアを創る事が理想だが、現実はひとつの道しか認めない原理主義的な考えに左右されている。みんなお互いに差異を尊重して共生しようとする形式を整えようとしても、他と自分を同一のものさしで比較することを認める立場と、認めない立場に別れる。強く大きいところほど、同一の基準を指し示し、認めるように強要する。強要されれば隷属を強いられるため、激しく反発するのである。だが結果、同一のでたらめなルール、商売を強請し、破綻への道をひた走ってしまい、更に世界をも巻き込んだのである。いくら強く大きな存在が強要しても、無条件で盲信するような世界はどこかイビツな形でしか成長できないのである。イビツさが世界をおかしくしている。6、いのち 命は神から与えられたものではない。神が人間に任せたものである。与えたならば、与えられた瞬間から命は人間のものになり、神と人との関係は途切れる。 しかし『任せた』のだから、神と人間との関係は命を介して継続する。また任せられた命はいつかは返さなければならない。 ところが、多くの人々は自分の命は自分のものであると勘違いし、自殺や他殺(戦争・紛争・テロなど)や命の操作をしたりしたおろかな行為を平然と行う。生かされている命、任されている命を、大事にしていくこと、感謝していくことが必要なわけである。
2009.01.14
コメント(0)
日々が新(さら) 昨日を忘れ今日を喜び明日を楽しめ歳月を超えてゆく時 いろいろなことにならされて円熟して行く
2009.01.14
コメント(0)
幸せと不幸不幸は内面的なもの、法律・道徳・宗教的な規範、慣習に背いた行為の結果生じたもの、 外面的な不幸、天災・病気・盗難など思いがけないところから災難が降りかかってきたものしかしよく考えてみると原因は内面的外面的両方の要因が含まれている。つまり幸福も不幸も、相反するのではなく、表裏一体でつながっている。不幸を直視し、よく調べていくことは、本当の幸せを知ることになる。いくら幸せだといってもいつ災いがふりかかるかわからないが、それも常に、慎む気持ちと態度を忘れないことで幸せの道を歩むことができるのである。
2009.01.13
コメント(0)
辛抱は徳を積むもとである苦難に負けてはならんどんな難儀にも根気と元気と活気とで耐えて行くこと人は試練に耐えた強さだけ成長する
2009.01.13
コメント(0)
日本古来の罪の意味あいは、罪を犯した結果よりも罪を犯さないようにすること、悪事を働かないようにツツシム(慎・謹・障)ことに重点があった。元来は罪を犯さないように謹慎していることがツミであった。古くは、罰という字もツミとも読み、罪と罰はひとつのものと考えられていた。罪を犯せば必ず罰が科せられ、あがないをしなければならなかったのである。現代の日本人のように、罪を犯してから罰を逃れることを考えるようなことを考える発想ではなかったのである。
2009.01.12
コメント(0)
真で成就せぬことはなし 成就せぬ時は真が欠けたと悟れ
2009.01.12
コメント(0)
命は神から与えられたものではない。神が人間に任せたものである。与えたならば、与えられた瞬間から命は人間のものになり、神と人との関係は途切れる。しかし『任せた』のだから、神と人間との関係は命を介して継続する。また任せられた命はいつかは返さなければならない。ところが、多くの人々は自分の命は自分のものであると勘違いし、自殺や他殺(戦争・紛争・テロなど)や命の操作をしたりしたおろかな行為を平然と行う。生かされている命、任されている命を、大事にしていくこと、感謝していくことが必要なわけである。
2009.01.11
コメント(0)
あわてる時がお陰を頂く時じゃあわてる時にあわてるならばこれまでの信心はなんにもならぬ人をうごかすのは正しいとか間違っているとかの主観的な主張でなくそれがわかる資料を示すことであるこの信念がいる
2009.01.11
コメント(0)
肉眼では見えないものを大切にする。古代から、幸福は正直に生きる者のところにやってくるとされていた。だれも見ていないからといって嘘をつき、悪事を働いたりしたことが露顕する。なんでもお見通しなのである。隠身(かくりみ)~簾の内外の関係である。内側の暗い方からは外がよく見えるが、外側の明るいほうからは簾の内側の暗い方はよく見えない。物事の真相をはっきりと見分けるには心眼でみる必要があり、そのためには暗い方が効果的であるらしい。
2009.01.10
コメント(0)
眼に見える所ばかり大切にして眼に見えない所を粗末にしております信心致しましたら眼に見えぬところを大切にせねばなりません
2009.01.10
コメント(0)
助かるって言うことは、その事に囚われなくなること、気にしなくなることです。気にしなくて良くなれば助かったと言うことです。例えば、病気になってどうにも調子悪いとどんどん自分自身は悲劇の主人公になって行きます。周りは見えずわがままになっていきます。自分自身がそのことに囚われなくなると、自分と病気は共存して、折り合いがついていくと、自分の中では決着したのかもしれません
2009.01.09
コメント(0)
ここへ参るのに手間が欠ける日間がかかると思うてはならぬぞ神様がそれだけの手間日間はじきに取り返してくださる
2009.01.09
コメント(0)
ものごとには『いいこと』と『悪いこと』の両面があるのですから、どうせなら自分にとって『いいこと』を考える人が結局幸せですねものごとの悪い面を考えれば、どうしても悲観的になります。仕事でも試験でも恋愛でも、悪いほうの結果を予測しているとやる気が湧いてきませんし、プロセスを楽しむこともできません。どういう結果が出るにしろ、プロセスを楽しめる人間の方が人生全般を楽しめることだと思いますそれから悲観的な気持ちのときには『おめでたい人』が疎ましく感じられます。『いい気ものだ』とか『幸せなヒトだな』と羨ましくなりつつも、どこかで敬遠する気持ちになってしまいます。波長があわないからです。楽観的な気持ちのときは違います。心が軽く弾んでいる時には、同じように弾んだ気持ちの人と付き合いたくなります。自分の弾んだ気持ちわかってくれるひとの方が楽しいからです。うっかり悲観的な人に近づくと妬まれるかもしれません。あるいはせっかくのいい気分に水を差されるかも知れません
2009.01.08
コメント(1)
好きな事ばかりやっていると段々後に嫌な事ばかりが残る不自由をお蔭と喜んで不自由させて頂いているといつの間にか不自由がなくなる
2009.01.08
コメント(0)
全64件 (64件中 1-50件目)