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久しぶりに札幌での仕事の夜に見たのは、北の国の満月。あの曲がどうしても頭によぎる。
2012.12.02
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空に懸かる大きな月も満天の星も、季節ごとに移り変わる美しい花々も、自然が作り出した様々な風景も、未知の世界を経験させてくれる数々の書物や映画も、すべてはこの目があってこそ見ることができる。人間が持つ五感の中で最も情報を多く取れるのは、この視覚であり、この視覚が無かりせば、これらのものすべて感じることができないのに、私たちはそれが無い世界を想像することすらしない。しかし、そんな暗闇の世界を昨日体験することができた。扉の向こうは完全なる漆黒の闇で、目を閉じても開いても何ら変わらず、頼りになるのは手元の杖と、全盲の女性の導きと、行動をともにする少数の見知らぬ人々のみ。そんな人々と助け合いながら、道を歩き、橋を渡り、風を感じ、水の音を聴き、視覚以外の感覚を研ぎすませていく。途中、ボール遊びをすれば声が聴こえる方にちゃんと球は届き、休憩のときに冷たいビールをいただけば、味覚が鋭くなっていることに驚き、見知らぬ者同士があたかも旧知の友のように語らいが弾み、何よりも闇がしだいに怖くなくなっていく。1時間程度の闇の旅を終えて、再び薄暗い灯りのある部屋にたどり着いたときの安心感は一入で、参加した仲間と、導いてくれた全盲の女性と語らいを通じて、目が見えることの有り難さを再認識させてもらえるとともに、私たちには一時的な冒険であっても、導いてくれた女性にとっては永遠である暗闇。それでもその明るさと優しさに、私たちが決して知ることの無い環境の中で豊かな感性を育んできたことの凄さを感じるばかり。源氏物語や万葉集の頃は、夜はもっと暗く、漆黒の闇は夜の部屋のどこにでもあったはず。人々は暗闇に対して恐怖とともに神や魔物が宿る場所として敬い、共存をすることで深い感性も育んだのではないだろうか。暗闇の中で握り合う手と手はあたたかく、掛け合う声はやさしい。Dialog in the dark二回目の体験でしたが、感動の深さは変わらず。
2012.09.17
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昨日、今日と、戦国時代に時間旅行をしていました。 まだ世の中に電気もガスもなく、 移動手段は自分の足か馬しか無かった時代を見に。 それはまだ男が男らしく、 女が女らしかった時代で、 今よりももっと時間がゆっくり流れていた時代。 夜明けとともに目覚め、 日没とともに眠り、 夜は男と女の秘め事と、 魑魅魍魎のためにあった時代。 そして、その時間旅行とともに、 原子力という現代の人間が生み出したものが、 自然の猛威のためにもろくも崩れたために、 人が長らく住めなくなった場所にも訪れました。 そこはまさに電気もガスも未だに通っていないばかりか、 人が夜を過ごす事がまだ許されていない場所。 人は、もしかすれば、 電気という力を知ったときから、 滅びの道を歩み始めているのではなかろうか。 そんなことを思って、 電気があふれた現代社会に舞い戻って参りました。
2012.07.30
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鍵もかけずに外出できて、 留守中に隣人が訪れて茶菓子でも置いていってくれたような古き良き時代は、 都会ではもう遠い過去のこととなり、 今は普通に道を歩いていても、 突如襲われて殺されてしまうなどという事件が、 普通に起こるようになってしまった世の中。 そんな悲しい世の中だからなおさらに、 誰も訪れるはずの無い隠れ家の呼び鈴が鳴らされるならば、 誰もが一瞬身構えてしまい、 完全に緊張を解いていた時間が一気に瓦解してしまうのは当然のこと。 昨日、香港に出張した報告書をしたためながら、 完全に集中している最中、突然なった呼び鈴は、 静かな部屋を轟かせるような雷鳴のごとくで、 仕方なく立ち上がり部屋の壁にかかるモニターを覗けば、 それは見知らぬ男の顔。 年の頃私と変わらない恰幅のよい眼鏡顔で、 普段着によく見えない身分証明書のようなものを首にぶら下げている。 全く応対する気にならず居留守を決め込み、 やがてモニターが消えたのち、席に戻り執筆を再開しようとするも、 一度切れた気力を取り戻すにはしばらく時間がかかるもの。 ようやく文章が流れ出したと思ったらまた再びの呼び鈴。 当然それは同じ人物で、当然応えたりはしない。 その後3回繰り返されて、ようやく途絶えるも、 執筆をする気力は完全に妨害され、 一度シャワーを浴びにいくことになる始末。 さて、あれは何者だったのか。 先日読み終えた村上春樹の1Q84に、 密かに隠れて住んでいる「青豆」、あるいは「ふかえり」の部屋に訪れる NHKの集金人の描写があったが まさに、同じ気分を味わうことになったしだい。 NHKの公共放送の概念は、これだけインターネットなどが普及し、 情報源が豊富になった世の中では、 完全に時代遅れとなっていることは誰もが感じていることだろうが、 さらにその上でこんな物騒な世の中に、 夜突然訪れて集金するなどというシステムそのものが、 もはや成り立つはずがない。 私は本宅にて契約をしているが、 NHKの番組にその価格に見合う価値があるとも到底思えないし、 当然、別宅でまた視聴料を別に払うことなど問題外のこと。 集金のお仕事をされている方のご苦労は相当ものだろうが、 値上げで世間の批判を浴びている東京電力同様に、 「公共のため」という看板で、一方的に価格を客に押し付けるという商売は、 もはや成り立つ世の中ではないはず。 少なくとも人々がくつろいでのんびりとしている時間帯に、 無粋に呼び鈴を何度も鳴らすような来訪をするような商売は、 女性の一人暮らしならばもっとさらに恐怖を伴うはずで、 人々に決して好意的に受け止められるはずが無い。
2012.06.15
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今、会いたい人、あなたにはいますか? うららかな春の陽光の中に立てば、夢と現の境が曖昧となり、 会えるはずのない人までも、 あなたの目の前に立つ事があるとするならば、 あなたは誰に会いたいと想うのでしょう。 幼いときに亡くなった優しかったおばあちゃんか、 もう何年も会っていない仲良かった幼なじみか、学生時代の友人か、 憧れてやまない歌手、俳優か、スポーツ選手か、 遠い昔の歴史上の偉人、文豪か、芸術家か、 別れたきりのかつての恋人か、 それとも、昨日会ったばかりの大切な想い人か。 会いたいと想う気持ちはきっと、 春になって桜が咲けばそれを見に行きたい心理にも近く、 満開の桜が咲いていることを知ってしまったなら、 心がざわざわとして止まらなくなるように、 ふっとその人の事を想いだした時、 その春に経験した想い出とともに心に押し寄せてくる。 会いたいと想う人が、たくさんいることは、 それまでのあなたの人生が、きっと恵まれていたのだと、 教えてくれているのです。 そして、 あなたに会いたいと春の訪れと共に想っている人もきっといて、 春のぬくもりのようにあなたを想って、 心を暖かくしているのかもしれない。 あの人に会いたい。 過去から、現在、そして将来、 春が訪れるたびに、 そう想ってもらえるような人であれたなら、 きっと私は幸せです。
2012.04.03
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人生50年を過ぎて、今まで一度も入院という経験をしなかったのですが、ついにその記録を破り、先週まで1週間、虫垂炎で入院しておりました。2月中旬にタイ、ベトナムに出張していたのですが、出国前から体調を崩し、滞在中はずっと腹痛に悩み、食事もさほどできない状態でなんとか業務をこなし、帰国直後に発熱し、病院に駆け込みましたところ、急性虫垂炎の診断で、即、手術。もう少しで破裂するところだったとされ、よく海外出張などしていたものだと、医師に感心されました。一歩間違えれば、バンコクで手術となりかねないところでした。入院生活の間は本当にたくさんの経験をすることができました。自分の体に起こった事。麻酔、点滴、縫合、抜糸。同室の患者の病状、会話。看護師たちの献身的なお仕事ぶり。保険のこと。そして何よりも健康の大切さ。もう入院はしたいとは想いませんが、でも貴重な経験だったと想います。体の方はほぼ完治に近くなり、来週の検診で、禁酒、禁珈琲を解いてもらうのみとなりました。
2012.03.09
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2011年11月11日。 1が6つも並ぶ記念すべき日の朝は雨模様となり、急速に冬の気配を感じられる中、久しぶりに平日に休みを取れた私は10時前には銀座のアップルストアに到着しておりました。 すでに10名くらいの人々が開店前のはずなのに店の中に導かれ、すでに受付が始まっておりました。希望の機種、色を尋ねられ在庫があることを確認した後私も店の中に招き入れられ、10時の開店を待つことになりました。 Mac直営店では予約は取っておらず、毎日の入荷を早い者勝ちで売り切ってしまう方式でその日によって入荷する台数が違うため、朝一番に行っても手に入らないこともあるとのことで、私としては幸いでした。 懇切丁寧な受付を受けて、ついに手に入れることができた、 i phone 4S Black 64GB そして2年以上使ってきた携帯電話、お疲れさまでした。 これまで ipod を愛用してきましたので、操作については慣れているほうですが、それでも「初めて」はいろいろと困ることもあるもの。 じっくりいじりながら、自分のものにしていきたいと思います。 銀座を出たのは11時11分頃だったかもしれません。 1が10個並んだ瞬間。 四角い仲間ができました。 その後、 有楽町の駅のそばにある富山県のアンテナショップにたちよったのですが、これまた四角い珍しいものを見つけ、こちらも買って帰ってしまいました。 富山のますの寿し。 いろんな種類がありますが、四角いのは初めてです。 1がたくさん並んで、初心に戻った日。 心は四角ではなく、まんまるです。
2011.11.11
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日常の循環を普通に過ごしているとその日常の当たり前さを忘れがちではありますが、先の震災のように激変というものは前触れなく襲ってくるものです。あるいはあったとしてもなかなか気がつかないもの。 昨日のことですが、昼少し前にじわじわと腹痛が始まり、昼休みに入った頃には耐えられないほどの激痛に襲われました。全身から脂汗がにじみ出て、顔色も同僚曰く真っ白で、昼食はもちろんとらず別室で横になって休んだのですが、いっこうに収まる気配がなく、これはただごとではないかもと考えるほど。 万が一入院などになった場合を想定し途中の仕事をどうにか整え、ふらふらした状態で退社し、1ヶ月前にタイから帰った際の腹痛を看てもらった病院に駆け込みました。しかし午後は3時からで30分前についてしまった私は、入り口前の丸椅子で待たされたのですが、激痛をこらえているその時間の長かった事。 ようやく3時になりすぐにレントゲンを撮ってもらい診察になったのですが、レントゲンでは異常は見当たらず、この病院ではこれ以上治療できないとされ、そこから徒歩10分ほどのもっと大きい病院への紹介状を出される結果に。 この炎天下まだ歩くのかと思いながら、どうにかその病院にたどり着き、受付に行ったのですが、なんら連絡をもらっていないとのことで、説明を一からする始末。つまり紹介状を書いただけで連絡をしてくれていなかったということに心の中で憤慨しつつ、待合室に座りましたが、さすがにその時点で限界。 その長椅子に完全に倒れ込んでしまいました。 そこへ恰幅のいい女性看護士さんが声をかけてくれて、そのまま点滴室のベッドに連れて行ってもらうことが出来、ようやくしっかりと横になれたしだいです。 すぐに医師が駆けつけてくださり問診のあと、とりあえず採血と点滴が始まり、その時胸の携帯に先の病院から連絡が入り、レントゲン写真をお渡しするのを忘れたので今から届けるというお粗末の上塗り。 その後1時間ほど点滴をしている途中途中で看護師さんと医師が声をかけてくださり、心理的にもずいぶん救われました。先の病院とこの病院の対応の差は両極端。 診察の結果、血液にもレントゲンにも問題は見つからず、腸の炎症くらいしか考えられないとされ、そう深刻になる事は無いだろうと、点滴を終えたときには痛みもだいぶ安らいだ事から、薬の処方をもらい帰宅を許されました。 原因がはっきりしないというのは気持ちが悪いのですが、一緒に点滴を受けていた若い男性の患者さんが元気いっぱいそうなのに、入院を宣告されているのとは私は対照的。 その後薬局に移動し薬を処方してもらったのですが、その時の私の様子をめざとく理解した女性従業員の皆様が私に座ったままでとの配慮をしてくださり、最後にはここで最初に飲んでいくことを勧められ、一人の若い女性が私のとなりに座り、薬を一粒一粒私の掌に手を添えながら乗せていってくださるほどのご親切。 なにやらそれまでの苦労が報われたかのように癒されてしまいました。 帰宅後はだいぶ落ち着いていたとはいえ疲労しきっていたため、シャワーを浴びた後、6時過ぎには床について眠りにつき、朝方6時まで途中数回トイレに立ったくらいで熟睡し、朝目覚めたときには会社に出られるという自己判断ができるほど回復していました。 ただ昨日の朝食以降何も食べていないことで体力はでませんでしたが。 定刻に出社し同僚に報告した後予定を変更し、どこにも外出しないでデスクワークをしておりましたが、時々痛みはあるものの、大きな問題も起きず定時まで仕事ができましたし、昼食はざるそば、夕食はかけそばを食べるくらいまでは回復しております。 現在もまだお腹はおかしいですが、昨日のことを思ったら雲泥の差。 これだけで済んだと思えば本当に有り難い事だと考えたほうがよいのでしょう。 暑い夏にかく汗もいやですが、こんな脂汗は絶対に避けたいものです。明日もう一日仕事をすれば夏休み。ゆっくり養生いたします。
2011.08.10
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吉野家の新メニューに「カレー牛どん」なるものが登場したとの報道を受け、カレーも牛どんも好物である私としてはこれは試してみなければと、実に久しぶりに会社の帰りに本日吉野家に立ち寄ってみました。 最近は女性が一人で吉野家に入る事も珍しくなくなっているとのことですが、本日はそれなりに混雑はしていたものの女性の姿は無く、ワイシャツ姿の会社員、普段着のおじさん、学生風の若者などばかりでした。いろんな層の人が集まるのもこんなお店の特徴でもありましょう。 お目当てのカレー牛どんをオーダーし「早い」のふれこみの通り、すぐに出てきていただき始めました。 それなりの「安い」価格なのに「おいしく」、十分満足で、一人楽しんでおりますと、 私のとなりに若い学生風の男の子が来店し座ったのです。 少しばかりまだ垢抜けていない感じの彼は、メニューを吟味することなく、すかさず「牛丼並」をオーダーし出てきた水を美味しそうに飲み干した後、おもむろに小銭入れを取り出して、その中身を見たかと想えば、一瞬凍り付いたような空気が漂ってきたのです。 そのただならぬ雰囲気はとなりにいる私には余す事無く伝わり、次に何が起こるか戦々恐々としておりましたなら、彼は店員を呼び止め、 「あの、まだキャンセルできますか?」 と小さな声で質問し、店員が驚きながらも「はい」と答えるとそさくさと彼は立ち上がり、お店を出て行ったのです。 そこに残ったのは半分水を飲み干したグラスのみ。 店員は何事も無かったのようにそのグラスを片付けました。 おそらく彼は小銭入れの中に牛どん並の「380円」が残っていると思ってお店に入ったのでしょう。ところが残金が無い事に気がつきこのような事態に。 私は出てゆく彼の後ろ姿を見つめながら、心の中で激励せざるを得ませんでした。 負けるな。この屈辱を忘れなければいつかきっといくらでも美味しいものを食べられるようになるからと。 かくゆう私も学生時代、バイト代が入る前などに手元のお金がなく小銭入れにある残金で間に合うものだけをオーダーしたことが幾度もあり、たとえば町の中華料理店で餃子一皿だけを頼んだりしたことも。 そんな時はもちろん彼女を見つけてデートをする資金などあろうはずがなく。 「愛さえあればお金なんて。」との美文句もありますが、それは彼女が出来てからの話しであって、お金がなければ彼女も出来ないなあ、と当時思ったこともありました。 しかし今思えば、学生の分際でいくらでも使えるお金がある男の方がむしろ問題で、そんな苦労や屈辱を味わったことがある男のほうが、将来きっとお金と女性を大切にする精神が宿るものと考えます。 その彼の良き将来を祈って、私はカレー牛どんをお味噌汁付きで最後まで頂いてしまいました。 そんな自分の学生時代のほろ苦い記憶を思い出させてくれた彼に感謝。 日本社会がいろんな面で病んでいる昨今。 こうして食事がちゃんとできること、恋愛を語れる環境にいられることに感謝。
2011.08.03
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私たちが暮らすこの日本という国は、 北半球の絶妙なる位置にあり、東西に長いとはいえ、 暑すぎず寒すぎず、そしてはっきりとした四季を楽しむことができて、 海に囲まれているから、山に恵まれているから、 天然の野菜や果物や海の幸の種類も豊富で、 ありとあらゆる料理を堪能することができて、 世界中でも希有な長い歴史を持ち、独立国としての地位を守り続け、 情緒溢れる文化や芸術、そして表現力豊かな日本語に恵まれ、 こんな小さな国にいるというのに、様々な情報も得ることが出来て、 自由になんでも語る事ができる。 そして、空気も水も空も森も海も湖も、 何もかもが美しい。 私は日本が大好きです。 日本に生まれて本当に良かった。 英語よりも日本語が好き、 外人女性よりも日本女性がずっと好き、 洋食よりも、やっぱり和食だし、 洋楽も洋画も好きだけど、邦画や邦楽だって負けてない。 海外旅行も楽しいけれども、国内の温泉行く方がのんびりできるし、 若いときは欧米が大好きだった頃もありますが、 今は日本が大好きです。 だけど、私たちのそんな大切な暮らしや文化を守るべき人たちだけが、 日本人として嘆かわしく、恥ずかしいと言わざるを得ず。 この人たちは、こんな素晴らしい国を、 いったいどうしようとしているのだろう。 けれども今にして始まった事ではなく、 これまでもそうだったのに、日本が滅びずに済んでいるのは、 やっぱり、日本人が凄いからに違いない。
2011.06.02
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東北における現状を私たちはテレビの報道を通じて日々見ることが出来るのですが、それは所詮テレビの画面の小さな範囲のことであり、テレビを消せばそれは消滅してしまうものです。 現実の現場を知る事など出来ない事はわかっていながら、かといってどうしようもない。 そんなさなか、先週、南相馬市から仙台市にかけて仕事で行ってきました。新幹線が通じておりませんので、宇都宮でガソリン補給の難しさを考えてプリウスをレンタカーで借り、新白河でホテルに泊まった後、ぐるりと600キロ以上を走破する旅でした。 原発の避難のためにゴーストタウンのようになった街。 海はずっと向こうなのに走っている道路にそって延々に続く津波の後の廃墟。 道一つで廃墟と平常が並んでいる現実。 仙台市内の道路のひび割れ、くずれたマンションの外壁。 すべてが連続しているものでした。 もちろん私が見たものでもほんの一部であり、その連続は私の想像を超えるほどに続いているものだとわかっています。 それでもその連続の一端を見ることが出来、感じるものは言葉に言い尽くせないものでした。 そして戻って、宇都宮の綺麗なホテルでシャワーを浴びて一息ついていたとき、 今日現地で案内してくれた人は、地震以来風呂に入っていないと言っていたことを思い出し。 それだけですでに、私には非連続。彼にはまだまだ続く連続。 この間の溝はあまりに深く、乗り越えられないものなのです。 連続と非連続。 せめて気持ちだけでも連続して被災した皆様の応援をしていたいものです。
2011.04.05
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Mike OldfieldのCRISESのアルバムジャケットほど、芸術的に美しい作品は無いと思っている私です。そのなみなみとした満月のたたずまい、薄緑の天空とあまりに静かに凪ぐ海。そしてそれを見つめる孤独の男。そんなアルバムジャケットの風情をそのまま思い起こさせる奇跡的な場面に、昨年末遭遇することが出来ました。今年最初の日記として実に相応しく。男がいない?それは撮影した私でございます。
2011.01.03
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深い」という形容詞がふさわしい季節は「秋」しかない。 「秋が深まる」、「秋深し」。私たちは自然にこの言葉を使う。 春夏秋冬と並ぶが故に、私たちは一年の始まりは春からと思いがちだが、一般に1月から3月まではまだ冬の気温であり、4月こそがまさに春。 そして秋は9月から11月で、かろうじて12月が冬と言える月にすぎない。 つまり一年は冬から始まり秋に終わるとも言えるだろう。 一年をマラソンレースにたとえれば、11月はまさに最後のコーナーを曲がってゴールが見えてきた頃。 私たちの心の中にどこか一年の締めくくりを迎えたことを感じるからこそ、「深まる」という言葉を自然に使うようになったのではなかろうか。 そして、 寒さに体も心も縮こもる冬よりも、 ぬくぬくとなにやら眠たげな春よりも、 灼熱の暑さにばててしまう夏よりも、 秋は身も心も最も活動しやすい季節であり、 心はより深い感情を持ち、体は機能のもっとも深いところまで発揮できるに違いない。 だからこそ、読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋といわれるのだ。 そして恋愛もその深い感情に司られ、相手に対してより深い情感を込めるようになり、情交もさらにもっと深い快感をもたらす。 しかるに、恋愛の秋、性欲の秋とも言っても過言ではない。 秋がなにやら寂しい理由は、そんな季節の感覚に移ろう心と体が、他の季節に比べてさらに欲を深めるが故に、その満たされない、貪欲な欲望に伴う渇望感がそうさせるだろう。 秋が寂しいのは、心身がしっかりと季節を乗り越えてきたからに違いなく、 幸運にしてその渇望感を満たされる機会に恵まれたなら、他の季節以上に深い満足感を味わうことが出来るだろう。 恋にも情交にも深みにはまりたいなら、今が最もふさわしい季節。 そしてそんな我々の頭上には、 空はどこまでも高く、 月は鮮やかに大きく輝いている。 ~~~~~~~~ 11月を迎え、今日はまさに秋晴れに恵まれ、小春日和という言葉もしっくりくる一日でした。 カレンダーも2ヶ月単位のものならば、最後の一枚を迎え、いよいよ今年もあと2ヶ月。わたしも愛用のシステム手帳を11月から始まる来年のリフィルに変更いたしました。 すでに皆様の心には、今年の運の評価ができつつあるはずで、今年はいい年だったなあ、とか、最低な一年だったなあとか、いろいろ巡っているはずです。 しかしこれから秋本番を迎えるにあたり、さらに深いところに入ってゆき、最後の大詰めを迎える2ヶ月。 ここから最後に大逆転があっても不思議ではないのです。 これから始めることもある。 これから出会う人もいる。 これから失敗することもある。 これから運に恵まれることもある。 どことなしか寂しさを感じる秋。 その理由がいつもよりも欲が深いからという理由ならば、 欲こそが人を動かす原動力なのだから、 その寂しさをバネにして、力にして、最後の2ヶ月を過ごしたいものです。追伸私にとってはあまりに激動の年でした。1月の異動、タイ、ロス、そして敬愛する上司の急逝。まだ2ヶ月、油断しないでがんばります。
2010.11.02
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かつて遠い昔、 徒手空拳でアメリカ、シアトルの地に降り立った時、 不安と孤独に押しつぶされそうな気持ちになった。 されどアメリカで見るもの、聴くものがすべて新鮮で珍しく、 若かった私にはあまりにも刺激的で感動的だった。 そして長い年月を隔てて再び訪れたアメリカの地は、 かつてのその輝きを失い、どこかしら元気がなくって、 古い友人に再会したときに、その変貌に呆然とするのにも似たものを 感じたしだい。 ロサンゼルスと言えば、誰もがアメリカ有数の巨大都市で、 ハリウッドやビバリーヒルズが燦然と輝いている町を想像するだろうが、 私の目が肥えたのか、それとも衰退したのか、 その姿に恋をすることはもう私にはない。。。 それは、たとえれば札幌の時計台のように、高知のはりまや橋のように、 あるいはシンガポールのマーライオンのように。。 確かにロデオドライブに行けば、その一角だけは華やかで、 モデルのような綺麗な女性もたくさん歩いていたけれども、 わたしにはその町のブランド店の数々も、 美貌を誇らしげに歩く美女にも関心はなく、 日本の女性がやはり美しい。 そして心をいろんな彩りで表現できる日本語が好きだ。 と再認識させられただけだった。 。 そうはいってもかつて、私を暖かく迎えてくれたこの国だから、 若かりし頃につきあったことのある恋人に会うように、 郷愁と複雑な感情をこめて、 また訪れることがあるだろう。 願わくば、シアトルに行ってみたい。 かつての恋人の笑顔を見に行くような気持ちを携えて。。。
2010.07.17
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1月から新職場に移り、怒涛の日々を過ごしておりますが、その新職場の業務のひとつとして海外との関わりがあります。さび付いた英語を再び使わなければならない苦痛はありますが、それでも異国を訪れる新鮮さはまた格別。。そんなことで先週 タイ バンコクを訪れました。ホテル1泊、帰り機内泊というまったくゆとりの無い旅でしたが、それでも短い分中身は充実していたかと想います。10年前、一度訪れたことがあるのですが、その時を思えば随分と近代化され、立派な都会に様変わりしていたバンコク。微笑みの国といわれるだけに、よい風情を感じてきました。また半年後行くことになりますが、今度は少しくらい観光がしたい。。
2010.02.28
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月は晴れても心は闇だ。。 大好きな人と結ばれて、月が晴れているような気持ちのはずなのに、 その後の長い生活のしがらみで心は闇になっている。。 そんな夫婦はこの世にさぞかし多かろう。。人を好きになるというのは、その人個人に惚れることであり、その人の地位、年齢、立場、貧富などは関係ない。情事の時は男も女も裸であるのはそれの象徴であり、その人が持っている金や地位に抱かれているわけではない。 ところがこれが結婚を伴うとなった場合、本人同士が好き合っていればよいというわけにいかないことは、かつてのように家と家の結婚という要素が薄くなった現代社会ににおいても同様。 なぜならば、結婚した以上は生活が伴い、子供ができれば親という立場となり、互いの家族、親族との交流も続くのであり、一方、出会った頃のような恋愛感情というものはあまりも儚く、たよりないものであることを後から気がつく。 こんな現実があることを先人は知っているから、周りの反対にあい、愛し合いながらも結ばれない、という悲恋の物語を生み出す。 ところがそんな悲恋で終わった恋でも、そんなしがらみを無視して結ばれていたならば、人生の悲劇になっていたかも知れず。 それは、まさに憧れの人と結婚しても、「月が晴れても、心は闇」 そして始めから結ばれるはずがないのに、不倫の恋をする男女は過去も現在も変わらずにあるのは、不倫の恋のほうが互いのそんな立場を気にせずに、対等に気持ちだけで交わせるからなのかもしれない。 最近の婚活ブームは、そんな男女の気持ちよりも先に、相手の条件を重視するものであり、就活にも似たような雰囲気なのは見ていて何とも寂しいことだが、自分の一生の伴侶を見つける以上はそんな条件を無視してはいけないことも理解できないこともない。 しかし、好きになったら命がけ。。という情熱も忘れてはならない。 その情熱が二人の間の障害を乗り越えていける力でもあるのだから。 「惚れてしまって、可愛くて愛しいものなら、なぜ命がけになって彼女をもらおうとしないんだ。 結婚をした後で、かたわになろうが、肺病になろうが、またその肺病がうつって、そのために二人とも倒れてしまったって、そんなことを構うものか。 ましてや嫁にしようとする家の財産がどうだとかなんてもってのほかだ。 実家が困窮したならば、可愛い女房の親じゃないか、自分にとっても親になるんだ。余裕があったら貢いで、人情があるならば三杯食べる飯を一杯ずつわけるくらいに覚悟を持て」 このくだりは泉鏡花の「婦系図」という小説において、妙子という女性に惚れ嫁にもらおうとしているのに、その家の財産、妙子の健康状態などをいろいろと調べている友人に対して一喝する主人公 早瀬の台詞を私なりに表現を少しくだいて転記したものです。 この早瀬本人も、芸者上がりの美女お蔦と同棲しているのを、自らの師に将来ある身なのに芸者上がりの女を選ぶなどもってのほかと諌められ、師を選ぶかお蔦を選ぶかの選択を迫られ、無情にもお蔦を捨てるのです。 (この別れの場面が有名な「月は晴れても心は闇だ」、「切れるの、別れるのってそんなことはね、芸者の時にいうことよ。今の私には、死ねといって下さい。」の台詞なのですが、これはこの作品を新派の劇にした時に加えられたもので、原作には登場しません。 原作ではお蔦はひっそりと引き下がりますが、別れた後に病に倒れます。その時にお蔦を見舞う反対したはずの師の行動に泣かされます) 惚れてしまったならば、何事にも負けないほどに覚悟を決めて惚れぬき通す。 言葉では簡単なのですが、惚れるということのあまりにのうつろいやすさと弱さに多くの男と女が泣いてきたともいえるでしょう。 そんな恋のうつろいやすさの中であっても、損得抜きで今そこに自分が想いを寄せる人がいる、寄せてくれる人がいるという実感があるのならば、 「月が無くとも、心はあたたか」となれるでしょう。。 ~~~~~~~~~~ (「婦系図」(おんなけいず)は文庫本で400頁を超える長編ですが、読み出したら止まらなくなり、ほとんど一気に読んでしまいました。 美女(たおやめ)を表現する美しい言葉、お蔦をはじめとする数多く登場する女たちの艶やかさ、女らしさに魅了されつつ、急転直下の物語の面白さにどっぷりつかり、圧倒的な日本語の凄さを満喫できる作品でした。 泉鏡花としては比較的読みやすいですが、それでも一般の小説よりは難解です。それでもご興味があればぜひ挑戦なさってみてください。
2009.12.02
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紅葉を愛でる習慣があるのは日本だけだという話を聞いたことがあります。もしそれが本当であるならば、日本の伝統文化に息づく雅、風流の感性が私たちの心にしっかりと根付いている証拠であり、実に誇らしいこと。冬を目前にした、赤と黄と緑の色の洪水は、またに「色が豊か」と書いて「艶」と呼ぶように、なにやら女性の艶かしさにも通じる、そして艶めいた女性から湧き上がる情念にも似た、研ぎ澄まされた、そしてあやうい緊張感すら漂うようにすら感じます。和服の女性と紅葉が似合うのも、そんな日本の感性が働いているからかもしれません。そんな日本文化が最も集まっている場所と言えば京都であり、紅葉の京都が注目されるのも、至極当然なことなのでしょう。そんな至極当然の秋の京都に訪れる機会がこれまでなかったのですが、ようやく実現し、感動を新たにすることができました。少しまだ盛りには早いのかもしれませんでしたが、東福寺から東山に抜け、さらに嵐山、嵯峨野をめぐる充実した一日。。一日かけてもつるべ落としの夕闇はあまりにも早く。。またゆっくりと訪れてみたいものです。できれば和服に着替えて。
2009.11.21
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それは週末の渋谷から郊外に向かう私鉄電車の中のことだった。 もう終電に近い車内は満遍なく混雑し、酔客も少なくなく、吊革につかまりながら舟をこいでいるサラリーマンの姿はいつもの風景。 それだけ混んでいても車内は意外と静かなもので、時折誰かが咳をする音、小さな声で会話する声が遠くから聞こえる程度で、普通ならばそれほど、気になるものではないのが日常。 しかし、時として場をわきまえず大きな声で会話をする人がいるのも仕方のないこと。 ドア付近の吊革につかまって立っている私の前に座っている男女も始めはそんな程度であった。見たところ50代始めのカップルで、互いに敬語を使っていることから夫婦ではないことは明らか。 男のほうが大きな声で、会話の内容はとるにたらないもので、気になるものではなかったが、少々うるさいなと思える程度。 そこへ起こった事件。。。 私の左側にドアにもたれて舟を漕いでいたこれも中年のいわゆる少しくたびれたサラリーマン風で、よれよれの背広姿。 電車が急発進したときに、まさに宙を飛んで、私とその中年男女の間に見事に転倒。 その転倒はまさに見事で、仰向けに完全に伸びた姿勢で、ただ仰天しているその表情が天を向く。 私も仰天したものの、これは本人にとってはまさに驚天動地のことだろう。怪我までしてやいないかと気になるのが当然。 周りの客も何事が起こったかと男性に注目。 そんな時にかける言葉は、当然ながら、 「大丈夫ですか?」 のはず。。 ところがいの一番に発せられた言葉は、 「おい、おっさん、しっかりつかまっていなければだめじゃないか!」 発したのはその男女の男のほう。 その声に反応し、転倒したサラリーマンは見事な速さで立ち上がり、「すいません!」と一声発し、元の場所に戻っていった。 さらにその男の会話は女と続く。 「最近のサラリーマンって奴はかっこつけて吊革につかまらないのが多いんだよな。社会で何かにつかまっていなければ生きていけないのだから、吊革くらいしっかり握ってなきゃどうすんだよ。。」 とげらげら笑いながら、隣の女性に話し、そんな話題が延々と続く。。 そしてその声は当然、倒れた男性の耳にも届くはず。 私を含め周りにいる客の顔が皆、引きつっているのが感じられ、私の隣に立っていた若い女性は本を読みながら、明らかに軽蔑の表情を浮かべるほどに。。 そうさ、 誰もが何かにつかまって必死で生きている。 だけど時には転ぶことだってあり、そんな時に差し伸べられる手はとっても暖かいもの。。 あなたは転ばないのですか? そういうあなたこそ、転んだときに誰かの助けを必死で求めるのではないのですか? そして、 ご一緒されている女性がうなずいて笑っているのを見て、さらにやるせない気持ちとなり。。 私は見ていたのだ。 その転倒した男性は、彼の前に無造作に、無遠慮に放り出された若者の大きな荷物に足をとられ、どうにもならなかったことを。。 依然として続くその男性の自論に耐え切れず、私は次の駅で車両を変えざるをえず。やがて再び動き出す車両。吊革につかまり、舟を漕ぐ男たちがゆらりゆらり。。
2009.11.02
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放蕩でどうしようもない男を献身的に支える良妻の物語。。 というのは大間違いな解釈。 映画が終わりに差し掛かり、有名な台詞を佐知が語りエンドロールが流れたとき、 ああ、佐知はやっぱりこのどうしもようもない旦那大谷に心底惚れているのであり、むしろその放蕩さ、某弱無人さの中に光る魅力の虜になっているのだと実感した。むしろそんな放蕩さがあるからこそ大谷の魅力であり、それがなければただの飲んだくれにすぎない。 その証拠に、大谷と心中未遂を起こす秋子、大谷の作品に傾注する青年岡田、そしてなんといっても文句を言いつつも、大谷の無銭飲食を受け入れ続けてきた椿屋の夫婦。 みんなその不思議な魅力にはまっているのだ。 そして佐知自身もそんな放蕩さの素質を蓄えており、だからこそ初恋の男性辻も青年岡田もまじめすぎて心を許しかけるも最後には大谷に帰ってしまう。 そして見ている観客も大谷のどうしようもなさにあきれつつも、その魅力は感じ取っているはず。 結局は不思議な魅力をかもし出す似たもの夫婦の物語なのだと感じた。。 それにしてもあの短い短編をこれほどまでに深い物語にしたのは素晴らしい。欲を言えば心にぐっと残る後味が薄いのが残念だった。それにしても広末涼子のあの艶は凄い。。
2009.10.19
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シルバーウィークというまるで暦のプレゼントのようなお休みは、気持ちだけでも得をした気分でしたが、5日間は実に忙しく、この休みがあるのと無かったのでは随分と違うといえるほど、充実させてもらいました。その中の目玉だったのは、かねてより行きたかった場所ふたつ。山中湖畔にある「三島由紀夫文学館」と逗子にある「岩殿寺」この数年、三島由紀夫の文学にどっぷりとはまり、全作品読破にむけて順調に進んでおり、また神田古書街では絶版本も幾たびか手に入れて。その文学館をようやく訪れることができました。初版本や演劇化されたポスターや、三島由紀夫の書斎の再現など、小さな展示館ではあるものの、ファンを十分満足させるもので、意外なほどたくさんの人が見えていました。「岩殿寺」は、泉鏡花のゆかりの寺で境内に鏡花の池というのがあります。数年間この寺で暮らしたことがあるようで、その経験で、「春昼」という傑作を書き上げています。この春にこの「春昼」「春昼後刻」という本を読み、その美文にいたく感銘し、物語の重要な舞台として登場する岩殿寺を訪れてみたくなりました。小説やドラマに登場した土地を、実際に訪れてみたいと思う気持ちは誰もがあるもの。。明治時代に書かれた小説のその風情がそのまま残る、どちらかと言えば不気味な雰囲気の寺。。キバナコスモスがその当時から咲いているかのように妖しく風になびいていました。境内の中では泉鏡花と同じ空気を吸っている気持ちになれたのです。文学の風情を満喫できた連休。。渋滞は大変につろうございましたが。
2009.09.26
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駅前通りで、猫が車にはねられて死んでいるのを見てしまった日。。 自宅に戻りテレビを見ていた私に、大騒ぎで大変だと外から飛び込んできた息子の剣幕にあおられて、マンションの玄関先に駆けつければそこには、ガラス扉の内側に迷い込んだ雀が切なそうに鳴いている姿。 住民が出入りする際に自動ドアが開いた際に迷い込んだのだろうか。 出るに出られずロビーにこだまする鳴き声。普通ならば街路樹の上からその姿を見せずに聴こえるべき雀の鳴き声が、無機質な建物の床に響くのはなんとあわれなことだろう。 何度か脱出を図っていたのだろうか、その目は必死の形相ですでに体も弱っていることがすぐにわかる。 逃がしてあげようと判断して近寄ってしまったのが失敗で、近づく私に驚いた雀は勢いよく飛び立ったのは良いものの、硝子扉に最高速度のままで激突。 硝子というものは人間にとっては素晴らしい発明だろうけれども、動物、鳥にとってみればあやかしの壁と言うにふさわしく、目の前に広がる空間を信じて羽ばたけば、魔性の壁が立ちふさがる。 激突して跳ね返った体はすでに飛び立つ力はなく、この手で救い上げても抵抗することはなく。。 そのまま扉の外に連れて行き、そのまま飛び立つことを信じて掌を開けれども、力なく地に落ちた雀。 どうしようもなく、しかしこのまま路上に放置することも出来ず、再び救い上げてせめて緑地にでも連れてゆこう考え、再びのこの手にのせようとしたところ、最後の力を振り絞ったかのように雀は、自ら近くの小さな緑地帯へと飛んでいった。 しかし自ら掌に感じていたのは、その雀のまもなく忍び寄る死。 烏か猫などの餌食になることなく、どこかで静かに死を迎えて欲しいということを願うばかり。。。 自宅に戻り、しばらくした後、その雀のことを気になった息子は、その緑地帯に見に行ってみると出かけて行き、やがて帰ってきた時に、雀が元気に鳴いている声が聴こえたとの報告。 それは違う雀であることを、息子には言えず、ただうなずくしかない私だった。 命の儚さを感じる、過ぎ行く春の陽だまりの中の出来事。。
2009.05.10
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「温故知新」という言葉が好きです。 「古きを温(たず)ねて新しきを知る」という意味で、古くからあるものを見て、そこから新しいものを見出してゆくという意味となります。 新しいものは古きものから見出されることであり、むしろその方がより斬新なものが生まれたりするものです。 最近、昭和の時代を振り返る企画が目立ちますが、当時の携帯もインターネットもなく、時間の流れも人の交流もまったく違い、そして同じものを同じように感動を分かち合っていた時代を振り返れば、そこには現代の効率や便利さの犠牲になって消えていった美しきものを、情緒と感性を刺激させられながら、私たちの心の中によみがえらせてくれるからでしょう。 古いものを見る目と心には、感性が磨かれるのです。 たとえば昔の恋を思い出せば、ほろ苦い恥じらいと、数多くの失態、失敗もよみがえり、それがこれからの恋におのずと役立ち、新しい恋を愉しむ感性が育っていることに気がついたり。 文学においても、川端康成、三島由紀夫、夏目漱石、最近では泉鏡花の古い作品が好きですが、若いときに読んだ際には理解できなかった、男と女の間の心の揺らぎや感性を、自分も年を重ねてきたことで、存分に感じることが出来るようになり、いつの時代も変わらない愛や恋、情というものを、この古い作品を読んで、現代につながるものを実感させてもらえています。 先人が築いてきたせっかくのたくさんの文化、触れなかったらもったいないじゃあないですか。 そんな温故知新を感じる素晴らしい作品に、今日もめぐり会いました。 桑田佳祐 昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦 この中で歌われているほとんどの曲は私にとってリアルタイムであり、素晴らしい演奏と共に、当時の想い出がよみがえったり、当時はあまり気にもしなかった曲も、実は深い意味があることに気がつかせてもらったり。。 特に男と女の情念を歌う曲の歌詞では、短い言葉の中で実に味わい深く、濃い内容になっていることに改めて驚き。。。 (たとえば、「他人の関係」の歌詞は今聴けば驚愕ものだし、「終着駅」もひとつの短編小説のよう。。) こんな古き名曲たちを鮮やかによみがえらせてくれた桑田氏には脱帽。。 日本語の奥の深さはこんな昭和歌謡にもふんだんに詰まっているのですね。。歌においては、歌詞をおろそかにはできないことは、現代のJPOPでも言えることでしょう。 カラオケに行きたくなりました。。。男と女の情念歌いたい。。 どなたかご一緒しませんか? ~~~~~~~ その一方で、温故知新とは言えない、嫌いなCMについて。。 加山雄三 天才バカボン 宇宙戦艦ヤマト ウルトラマン ウルトラセブン スター・ウォーズ 筋肉マン ドカベン 仮面ライダー などなど これらもみな昭和の時代の文化として人々をときめかせたものであり、いろんな想い出を持つ方も少なくないでしょう。 でもこれらがパチンコのCMでテレビに登場すると、最初は確かに懐かしさにぐっと画面に引き寄せられるのですが、その後の落胆も大きく。。 自分の大切にしている心の想い出を、無理矢理に乱暴に引っ張り出されてしまうような不快感を感じる人もきっと多いはず。。 それは先に述べた昔を振り返る感性、情緒が伴わず、商業的にあからさまに使われてしまっているから。。 特に、最近呆然としていますのは ドリフターズといかりやさんが登場するCM。 亡くなった人まであんなふうに登場させてはいけない。 故人を尊重して昔の番組を見るのは違う。。。 温故知新。。。 とはこの場合言えない。
2009.04.29
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まるで一気に夏になったような気候が関東、関西にやってきていて、まるで春が全力疾走で駆け抜けていくようなあわただしさ。。 もうすこしどうぞ、ゆっくりと落ち着いて、この春を楽しませてほしいというのに。 それでも桜だけは例年に比べ長い時間、私たちを楽しませてくれています。ただ、私は今回はなかなかゆっくりと桜を見る機会がなく、仕事の移動の合間に垣間見る程度でした。 そして桜の見ごろも関東でも関西でも、この週末が最後。。 ふっと思い立ったのが、 「そうだ、京都に行こう!」 でした。 お恥ずかしながら、春の京都を見学したことがありません。 この機会に、行ってみたかった上賀茂神社に。。。 この神社は、映画「愛の流刑地」でその美しい桜がとっても印象的だったので、一度訪れてみたかったのですが、その期待を裏切らず鳥居くぐってすぐの枝垂桜の壮大さには、圧倒されてしまいました。。 そしてたまたま運良く、「曲水の宴」が開催されていて、宴そのものを見ることは出来ませんでしたが、その宴のあとの雰囲気だけは楽しめて。。 そしていたるところにまだまだ咲く桜。。。 自分へのお土産でこんなのを買ってきちゃいました。 手ぬぐい。。春夏秋冬。。。
2009.04.12
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劇場で見てエンドロールが出た後に立ち上がれない映画というのは意外と多くはない。 この映画を劇場で見たときにはずっとこらえていたものが、そのエンドロールで堰を切られたかのようなあふれる心のの感情に呆然としたことを良く覚えている。 (映画でもレビュー書きました) 今回DVDを手に入れて、あらためて自宅で鑑賞するに当たり、そのエンドロールを先に見たのだが、そこにあらわれる様々な人間の表情と花の対比に、この映画はまさに人間の心の様々な形を対比させながら見せてくれているのだと気がついた。 ぐるりのこと。。身の回りのこと。 つまりそれは人間関係のこと。 本編を見ながら、実にたくさんの登場人物がいることにもあらためて気がついた。 この映画には翔子とカナオの夫婦関係を軸に、親子関係、男女の関係、兄妹の関係、友人関係、職場の関係、店と客の関係、ひいてはただ道端を通り過ぎるに過ぎない他人の関係までも、我々が日常の世界で普通に体験する関係の考えられるものが全て表現されるという、つまり「ぐるり」の関係を縦糸に、 普段は「ぐるり」の中で体験することのない、法廷における被害者と被告人の関係を横軸にしながら、人間の心の光と陰を巧妙に見せてくれる。 その人間の心の光と陰の中心的象徴として、翔子のうつから再生にいたる過程が、翔子自身が描く天井画と、カナオが描く法廷画に凝縮されているのだ。 さらにそこに巧妙に心を揺さぶる素晴らしい音楽が流れてくれば、私たちの心も大きく震えてしまうことは必定。。 そして最後のエンドロールは、翔子とカナオのその絵の対比にその音楽が重なり、私たちの心までえぐられる。。。 「おくりびと」がオスカー受賞で話題になっているが、死を見つめる人間の心を見つめることに対し、こちらは生きている人間の心を見つめている映画で、この二つと映画を対比させてみることも、また違う感動をもたらすと思う。 「おくりびと」も素晴らしい映画だが、「ぐるりのこと」のほうが生きている人間を見つめるだけに、さらにもっと深いところまで心に響く。
2009.03.08
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関東人の私にとって、京都とは修学旅行で初めて訪れた場所であり、少なくとも1泊以上の覚悟を決めて訪れる場所の印象があります。ところが今関西に単身赴任しており、住まいがあるという状況下で、京都が仕事帰りにでも立ち寄ることが出来るという気軽さには、まだ実は慣れていません。京都がこんなに近くにあっていいの?という感覚です。しかしその感覚を味わうことが出来る催し、花灯路に今年も行ってまいりました。嵐山、嵯峨野の夕闇をほのかに輝かせる情緒。。すっかり魅了させられました。いつか、単身赴任を解消して関西を離れることがあっても、この催しには訪れたいと思います。
2008.12.20
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本日、見たかった「おくりびと」を見てまいりました。 期待を裏切らず、実に心の真髄に響く深い映画で、素晴らしき余韻に浸っています。映画の中でさりげなく、しかししっかり記憶に残る、「食」、「性」、「妊娠」の各シーンが、全体に流れる「死」の雰囲気とともに、主演の大悟の奏でる哀愁あるチェロの旋律とともに綴れ織られ、生きることの静謐さ、尊厳さを心にしみこませていってくれる。 死に行く人は、残された人に生きることの素晴らしさを教えていってくれるのだと言います。幼い子供はおじいちゃん、おばあちゃんの遺体を見ることで生きることの意味を、自然に学ぶのだと言います。 映画のシーンの中で石文(いしぶみ)というものが登場します。輪廻転生を意味しているように感じました。亡くなった人の魂がまたふたたび胎児の中に乗り移る。もしそれが本当にあるのなら、おくった人にまたおくられることになる。 人はだれもがいつか死ぬことになるのですが、この映画のように、礼をもって、厳かに、美しくおくられたい。そして良い人生で、良き人との出会いに恵まれたなあと思って逝きたいものだと思いました。 そしてふたたび生まれ変わった時、また、あなたに会いたい。 映画のシーンで、こんな台詞があります。 「また、会おうな・・」
2008.09.23
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生まれた場所、育った場所、学んだ場所、仕事をした場所、結婚して住んだ場所。。。 人生の中で、人はいくつ暮らす場所を変えて行くのでしょうか。 ほんの少し前までは、ほとんどの人は生まれてから死ぬまで、場所を変えることが無く、狭い世界で生活する事が当然だったのです。もちろん、今でも生まれた場所に暮らし続ける方もたくさんいらっしゃることでしょう。 ただ、特に東京などではどこかから移り住んできた人々が多く、皆それぞれの故郷を離れてきているのです。 住む場所を変えるということは、ある面人生の一大事。 それまでの生活を終えて、新しい場所に移るのですから。 人間関係も、環境も、すべてが違う場所へ。。 その土地になじめるのか、どんな人に出会うのか、どんな生活が待っているのか。。 不安もありつつ、期待も大きい。 日々の毎日の暮らしの中で、ふっと違う土地に行ってみたい。 誰も自分を知る事の無い、それまでのしがらみと人間関係を捨て、ある面、自分である事も捨てて。。 そんな風に思う人も少なくないかと思います。 それは人生に対する逃避かもしれませんが、新たな可能性への期待でもある。 そんな時、自分を連れていってくれる人が現れないかな。。 と思う事もあるかもしれません。 その先に待つのは、決してなだらかな道ではなく、曲がりくねった茨の道であるとしても、それでも、連れ去ってほしい。。 未知の世界への憧れでもあるのでしょう。 「百万円と苦虫女」。。 という映画を見ました。蒼井優さんという、実に個性的な味わいのある女優の主演で、ふとしたことから前科者になってしまい、百万円だけ持って家を出て見知らぬ土地に行き、そこで使った引越代、敷金礼金などの分を稼いで、再び百万円に戻したら、住む土地を変えてゆくという物語です。 海、山、地方都市と舞台は巡ってゆくのです。 しかし、移り住んだ時には一人でも、仕事をしていく以上、そこの人々とのかかわりが生まれ、否応無くその人間関係の波に巻き込まれてゆく。。その過程とそれにいつも困った顔をしながら笑う主人公の表情が見事でした。 最後には恋人にもめぐり会いますが、結局は。。。 こんな映画を見ながらも、私もいろんな町を訪れて、そこで多くの人とすれ違いますゆえ、人間の縁をあらためて感じたしだいです。
2008.07.21
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良い小説というものの条件として思いますのが、登場人物の心理描写を丁寧に描いているものだと思います。そんな理由で、三島由紀夫、川端康成が好きであり、心の中を表現する手法と感性にいつも感銘しながら読んでいます。 こんな心理描写を上手に描いた映画も最近大好きです。少し前に見た、「山のあなた」もそんなひとつでした。 映画というものは、小説とか、コミックと違って、心の中を文字で表現することができません。モノローグという手法もありますが、それに頼るよりも、役者の台詞の言い回し、感情表現、しぐさ、そしてそれを取り巻く情景描写で、見る者に感じさせるほうが、ぐっと心に響いてくるのです。 そんな心を、上手に描いた傑作映画をこの週末に鑑賞しました。 ぐるりのこと。。。 夫婦関係を中心に人間の「こころ」を描いた映画です。 法廷の被告人の絵を描く夫とその妻の心のすれ違い、セックスのこと、妻の心の病などを描きつつ、それをとりまく家族、親族の葛藤や、いさかいも盛り込んでいきます。 セックスに関する下ネタもふんだんに取り込み、笑いもそそりつつ、法廷の場面も盛り込んでいく。 被告人とその被害者などの表情もいろんな人々の心がつたわり、緊張感も程よく与えられつつ、物語は静かに進んでいくのです。 圧巻は、法廷画家が書いた被告人たちの表情と、妻が書いたお寺の天井画の花の数々の対比のシーン。 被告人たちのさまざまな顔と美しい花をつかって人間の心のかたちを見せてくれたのです。 人の心は本人にしかわからないもの、他人にとっては月よりも遠く、わからない存在かもしれません。でもその心のおかげで、人はみな助け合っているのだということを、教えてくれた作品です。 見終わってから時間がたつにつれ、心に中で余韻が、ぐるぐる、ぐるり、ぐるぐるりとめぐっている映画です。 最後に、木村多江さん。。。素敵です。。
2008.07.07
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昨日、新横浜から新幹線に乗って単身赴任宅に戻る途中のこと。。。 無事、新大阪に着き、JR大阪駅で乗り換えると、休日の夜のいつものざわめきの車内。それでも背広姿の人もちらほらいます。 途中の駅で人がたくさん降り、比較的すいた時、目の前の座席が空きましたが、自分の駅までもそう遠くないので立っていようと思いました。ところが、その隣に座る礼服を来た初老の男性、一見横山やすし風のおじちゃんが、手振りで座りなさいとの合図。。 苦笑いをして座らせていただきました。 電車が動き出し、もしかして思っておりましたら、案の定、声をかけられてしまいました。 背広着ておりましたので、仕事帰り、お疲れさんというところから始まり、単身赴任で自宅から横浜から移動してたことを伝えると、またたいそうなご反応。。。 ちょうど箱根で結婚式があったらしく、おじちゃんも新幹線で移動してきたようで、自分は今日だけでも疲れたのに、私が毎週行ったり来たりしていることに、こちらがびっくりするくらいの驚きよう。。 その後食事はどうしているのかとか、背広ぴしっとしていて偉いとか、髪の毛もちゃんとしているとか、ほめ殺し状態。。 (すいません、背広はたまたまた数週間前に新調したばかりで、髪の毛は数日前、宇都宮に出張の際、時間調整中、ぼさぼさ頭をなんとかすべく、QBハウス(10分1000円の床屋さん)で切ってもらった程度のものです) あげくの果てはご自宅のマンション名まで教えていただき、良かったらいつでも食事しに来てくだされとまで。。 私が降りる駅の手前だったのでよかったのですが、同じ駅だったらそのままさらわれていきそうな雰囲気でした。。 圧倒された私は、ただひたすら愛想笑いと、扇子をぱたぽたたするばかり。。。でした。 大阪のおばちゃんには、電車の中で何度か声かけられたことはあります。 にいちゃん、ネクタイいいのしているねえ。。とか、読んでいる本を見て、にいちゃん何読んどるん。。。とか。。 (関西弁、表現違っていたらごめんなさい) どうも声かけられやすいようですが、おじちゃんにこれまで親近感を持って話しかけられたのは、初体験。。 大阪ってすごいですね。。 でも、楽しかったです。
2008.06.30
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「山のあなた」という映画を本日見ました。素晴らしい日本映画を堪能させていただきました。昭和始めの映画のカバーだそうですが、こんな見事な作品があったのですね。。そしてこれを情緒そのままに、静かに、美しく、心の奥からじーんと暖めくれる映像を与えてくれたことに感謝です。 温泉街の按摩の徳市と、東京から来た美女 美千穂の、ほのかな愛が美しくも切なく、静かに描かれ、それを取り巻く按摩仲間、同じように美千穂に惹かれる旅客と子供。。。 温泉街とはそもそも、現実の世界から逃避してくる癒しの場所であり、そこに暮らす人々とは違う環境であって当然。そこで生まれる恋もまた浮世離れの魔法の仕業かもしれません。 按摩は都会に美女を追いかけていくことは出来ない。山の向こうのあなたになってしまうだけ。。でもめぐり合えた幸せとその恋心は永遠の価値があるのです。。 この映画を、「山のあなた」と銘打ったことだけでも、傑作と言える、そう思います。 山のあなたの空遠く。。。でもこの空は、ひとつです。 追伸 この和服の美女には、いちころです。。
2008.06.01
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昨年末に訪れた嵯峨野の花灯路で、その魅力にすっかりはまってしまい、今回も東山花灯路に昨夜行ってきました。古都京都の風情を幽玄に彩る光景に包まれて、今再び日本人に生まれたことを喜び、この情緒を大切に出来るような感性を持っていたいと、改めて思ったしだいです。。
2008.03.23
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大阪に単身赴任していても、週末を単身先で過ごすことは少なく、折角の関西の観光地を訪れる機会が少ない状況です。特に京都は大好きなのですが、つい足が遠のいていました。先週末、大阪で過ごしたのですが、ちょうど嵯峨野では花灯路というライトアップの催しが開かれていて、それもその週末までのため、いてもたってもいられず、訪れてしまいました。嵐山、渡月橋、竹林、嵯峨野の寺社が幻想的な灯りに灯され、息を飲むほどの美しさ。来てよかったです。人が多く、とびきりの寒さでしたが、心は暖かく。。クリスマスのライトアップも素適ですが、この古都を彩る美しき催し。。お勧めです。
2007.12.22
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先日、知人のお誘いを受け、大げさではなく、自分としての人生の価値観が変わるくらいの素晴らしい体験をさせていただく機会に恵まれましたので、皆様にもご紹介したいと思います。 その名も、"Dialog in the Dark”、「暗闇の中での対話」というイベントです。 舞台は、東京の赤坂見附にある廃校となった旧赤坂小学校。その小学校の中を完全なる暗闇の中で探検するというものです。 8人一組となり、扉の向こうは自分の掌を目の前にしてもわからない完全な暗闇です。与えられたものは一本の杖のみ。 そしてその廃校の中の体育館、校庭、美術室、用務員室などを探検していくものです。 頼りになるものは、その杖と、一緒になった他の人の声。そして、それを誘導してくださるのは、視覚障害者の女性。。 ひとつひとつ場所に移動するたびに、足元の床、土の感触、風のそよぎ、匂い、壁の感触、人の息、声、視覚以外のすべての感覚が研ぎ澄まされていきます。 そして日常生活では、ハンディキャップを負っていらっしゃるはずのガイドの方がとっても頼りになる存在となるのです。 そしてとどめは、暗闇の中でいただいた飲み物の味。。なんというおいしさでしょう。味覚まで研ぎ澄まされるのです。 暗闇の中では、他人であった参加者との一体感も生まれてきます。不思議な信頼関係。。。声を掛け合いながら、手探りをしながら、皆しだいによりそっていく。。 私はまともに女性の胸を触ってしまいましたが、ご愛嬌の世界。。 完全なる暗闇を体験することも日常の生活ではありえません。 でもほんの少し前まで、日常生活の中には当たり前のようにあったはず。 そんなときの月明かりは、まぶしいくらいであったはずでしょうし、暗闇の中には様々な魑魅魍魎(ちみもうりょう)も元気に闊歩していたのでしょう。だからこそ人間関係も、またとっても大切であったはず。 1時間ほど漆黒の闇の中にいたのですが、しだいにその暗闇が心地よくなっていくのが不思議でした。 そして最後に薄明かりの部屋に連れて行かれ、感想を語り合うのですが、目が慣れていくにつれ、参加者の口数が減っていくのです。 ガイドの女性が、そのときに、 「皆さん、目が慣れていくと口数が減っていくのですよ。。」 という一言がすごい衝撃でした。 すべてを終えて、皆解散。。。 残念なことですが、その時点で皆また赤の他人に戻っていったのです。 でも、皆さんの心には確かな記憶が残っているはずです。 ホームページ
2007.11.19
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昨日、仕事で東京の麻布十番に出没していました。 この街は六本木の隣り駅であるにもかかわらず、下町的雰囲気が漂っています。町並みを歩くとお煎餅やおかきの老舗があって、つい立ち寄ってしまいたくなる。 たままた仕事が終わって家に帰るだけだったので、前から気になっていた、たいやきの老舗「浪花屋」で、たいやきを買って帰りました。 どうやらたいやきの発祥のお店のようで、サトウハチローが通ったり、およげたいやきくんのモデルになったり、知る人ぞ知る超有名店のようです。 20分ほど順番待ちで、お持ち帰りで自宅まで。。。 そこはかとない良い香りが漂い、電車の中で気になりながら。。 自宅に帰って家族とご賞味。。。 ああ~~なんという絶品。。すごい。。。の一言。。 麻布十番にお立ち寄りの際は、お見逃しなく! 浪花屋総本店
2007.10.27
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金曜日に岐阜で仕事があり、お客さんと帰りに名古屋で夕食となりました。名古屋名物が食べたいということになり、駅そばの山本屋本店に。。。公費で落とせることもあり、一番豪華なもの食べようとなり、松茸入り味噌煮込みうどんをいただきました。レギュラーのものでも2000円以上するお店なのですが、これは3300円。。お値段もさることながら、内容も豪華でした。美味しかったのでご紹介しちゃいます。
2007.09.30
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本日を持って夏休みが終わり、明日から仕事のため大阪へ飛行機で移動して参りました。 写真は羽田空港に向かうバスの車中から、ちょうどベイブリッジを通過しているときに撮ったものです。 遠くに見えるのはランドマークタワーとみなとみらい地区です。 いつも飛行機のときはバスを使うのですが、この光景を見るたびに、横浜にただいま、いってきます。。。と心の中で言っているような気がします。 バスも飛行機も思いのほかすいていました。 夏休みは遠出もせず、自宅付近ですごしました。 一番幸せだったのは、本日お昼に地元の有名ラーメン店の「カレーつけ麺」をおいしくいただいた時だったかもしれません。絶品でした。笑。
2007.08.15
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昨日所用があり、昔住んでいた神奈川県高座郡寒川町を車で訪れました。茅ヶ崎の北部にあるこの町は、寒川神社で有名で相模川と富士山が綺麗な町です。行きは東名青葉インターから厚木インターまで乗ったのですが渋滞に巻き込まれたため、帰りは地道を使ったのですが、地図を見ていると相鉄線の瀬谷駅から北にまっすぐ、「海軍道路」という道があることに気がつき、興味がわき、ハンドルを切りました。入ってみたらなんということでしょうか。。どこまでもまっすぐ続く道と桜の並木道。。。その周りはまるで北海道にでもいるかのようなのどかな田園風景。。。春先に訪れたならきっと素晴らしい桜の風景なのでしょう。比較的自宅に近い場所なのですがまだまだ知らないところが、たくさんあるのです。時には道に迷うことも大切ですね。運転していたため、写真が撮れず残念。。。楽天ブログで検索して紹介されている方が見えたのでトラックバックさせていただきました。えぐねこさんの日記
2007.08.14
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井上靖は、私たちの世代にとって中学生時代に、「しろばんば」などの小説で国語の教科書に載ったり、読書感想文の指定本にされたりなどで、比較的若いときに接した作家です。中学生の時に、井上靖が好きになり、少し背伸びをして「氷壁」という小説を読み、読書感想文で賞をいただいたことがあります。当時、難しいながらも、いたく感銘したことを記憶しています。少し前にこの小説がNHKでドラマ化されましたが、設定が大きく変えられ、主人公の名前まで変わっているため、自分の持っているイメージが崩されそうで、見ませんでしたが、ふと書店で本を見かけ、35年ぶりに再度読んでみました。そのプロットの見事さと、情景描写、心理描写に昭和初期に書かれた小説とは信じられないくらいの展開に、圧倒されてしまいました。35年もたつとストーリーはほとんどうろ覚えでしたので、新たな気持ちで感動することができました。主人公を中心に、一緒に氷壁を制覇する寸前にザイルが切れて落下して死んだ友、その友が慕っていた人妻へ、主人公が寄せる思い、その友の妹との関係を中心に物語りが進んでいきます。主人公の上司の人間味、人妻の夫の物語でのキーとなる位置づけ。友が山で火葬されるときの情景描写、人妻が主人公に心を引かれていく心理描写そしてラストで単独で登る主人公が、危険に遭遇した際に、人妻への思いを振り切り、友の妹の元へ向かおうとする心理。そしてラストの一行の感動。恋愛、不倫、社会、ビジネス、いろんな要素が盛り込まれており、すべてが圧巻でした。読み終えた後、虚脱感すら伴っています。この小説の良さを知るためには、ある程度の社会経験が必要であり、中学生の時によくこんな小説を読み、読書感想文を書くなどの暴挙を良くしたものだと。。。どこまで理解していたのでしょう。不思議です。長い、重厚な小説がお好きな方。お勧めです。
2007.05.30
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東京タワーが最近話題になることが多いですね。東京にいるといつも目にする東京タワーですが、実際にそこに訪れる機会はなかなかないものです。私も小学生の時に訪れてからは立ち寄ることはありませんでした。「Always 3丁目の夕日」で建設当時の風景が描かれ、その後も江國香織の小説とその映画「東京タワー」そして今はリリーフランキーの『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』も話題になっています。そんなこともあったので、本日それこそ30数年ぶりに訪れてみました。予想以上の混雑で入場するのに1時間待ちの状況。でも展望台から見る東京の眺めは絶景でした。満開の桜が東京の街を彩り、特に真下の増上寺の桜は圧巻でした。下のお土産屋さんも昭和のレトロムードと新しいお店が混在し、十分楽しめる観光スポットであることを再確認できたしだいです。東京に住んでいると意外と行かない場所です。お勧めです。
2007.03.31
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昨日は大阪から新幹線で名古屋で仕事をした後、横浜に移動したのですが、その車中で友人から全日空機がたいへんだというメールが届きました。私が常に全日空を利用していることを知って、心配してくれたようです。伊丹ー高知の便は私も何度か利用したことがあり、この機種にも乗ったことがあります。このような事故は本当に人事ではありません。飛行機に乗っていますと、いろいろ起こります。揺れはもちろん、乗客のマナー、天候による着陸地の変更、決行などなど。これからも果てしなく飛行機、新幹線を利用していくことでしょう。いつか本当に肝をつぶすようなことにでくわすかもしれません。危機管理という言葉がよくいわれますが、こればかりは、運ですね。。
2007.03.14
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昨日仕事で久しぶりに仙台まで行ってきました。仙台駅で乗り換えて、少し郊外に移動したのですが、社中の田園風景は本当に綺麗でした。札幌とか仙台とか大都市でありながら、少し移動すると豊かな自然に恵まれている街は本当にいいですね。仙台駅で少し時間がありましたので、楽しみにしていた牛たんを堪能してきました。駅の中に牛タン通りというものが出来ていて、手軽に牛たんを楽しめます。今回は2回目で、前回と違うお店に入りました。すし通りもあって、こちらも魅力的なのですが、やっぱり牛たんに入ってしまいました。とっても美味しかったです。ただ料金が1600円というのは高いですが。。。仙台の地元に方にとってはこの通りはどう評価されているのでしょうか。もっとお勧めのお店が街中にあるのかもしれませんね。昔、駅から少し離れたところに入ったお店がとってもおいしかったのを覚えています。牛たん通りのホームページ
2007.03.10
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昨日2月28日お昼過ぎに大阪駅にいたところ、突然、電光掲示板が消え、改札の中の照明が消えてしまいました。自動改札も動かず、あっという間に改札付近は人であふれかえっていきました。しばらくアナウンスも、駅員も呆然としていたのですが、やがてそのまま通過しくださいとのアナウンスが流れたしだいです。私も電車に乗らなければならかなったので、そのまま改札を通過しましたが、乗りたい電車が何番線からでるかもわかりません。止まったエスカレータを上りましたが、どうして止まっているエスカレータはこんなに登りにくいのでしょう。躓きそうになりながらホームに上りましたが、やっぱり間違い。隣りのホームにまた下りて上りました。その後伊丹空港から飛行機で東京に戻りましたが、東京の夜のニュースで報道され、4時間も停電していたそうです。大阪駅という大阪の最も大きな駅でこのようなことが起こるとはびっくりしました。電気が止まっただけでの大混乱。これがひとつの街全体だったら、大変なことです。翌朝の私が読んだ東京版の新聞ではのっていませんでした。不思議です。
2007.03.01
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木村拓哉主演のTBSドラマ「華麗なる一族」が話題になっていますが、私も初回からずっと楽しみに見ています。ドラマなのに映画並みの丁寧な作り方をしていると思いますし、見ていて本当にのめりこめる久々のヒットだと思います。山崎豊子の小説は以前、「二つの祖国」、「沈まぬ太陽」を読み、いずれも素晴らしかったので、この原作も読んでみようと思い購入しました。どこの書店でも山積みになっていて、旧作であるにもかかわらず、大変な売れ行きのようです。最初はドラマの進行に合わせて読もうと思っていたのですが、その面白さにどんどん引き込まれ、読みきってしまいました。私は銀行勤めではありませんが、会社にはこのような権謀策謀に近いものは大なり小なり、あることでしょうし、政治、官僚との駆け引きもまるで事実であるかのように感じる内容です。ドラマはこの原作の素晴らしさを損なうことなく、良い出来だと思います。原作とは少し違いますが、その違いもまた見ていて楽しいものです。小説を読み終えてストーリーはわかってしまったのですが、ドラマがどのように展開していくか楽しみになりました。ところで、文庫本の裏には物語のあらすじが書かれていますが、この下巻のあらすじには、なんとエンディングがわかってしまうネタばらしをしてしまっています。これは大変な失態だと思います。書店で手に取り、短いあらすじを読んだ瞬間に、ああこうなってしまうんだと、わかってしまう。。。。あってはならないことだ思うのですが。。まだエンディングを知らない方、絶対に下巻の裏表紙を見ないことをお勧めします。
2007.02.23
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このところ、掲示板に定期的に迷惑書き込みがあります。私はトラックバックは楽天会員以外はNGにしているのですが、他のブログを見ると、なんとも情けなくなるくらいの迷惑トラックバックの嵐状態のものもお見かけします。他のブログはどうかわかりませんが、楽天では最近目立ち始めているように思えます。携帯メール、あるいはPCメールにも迷惑メールは減る傾向も無く、特にPCメールは海外からも大変な数で押し寄せてきます。ウィルスもそうですが、本来のネットの機能を低下させるこれらのこと。なんだか情けなくなります。愚痴でした。
2007.02.20
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本日の夕刊にシドニィ・シェルダン氏が30日亡くなったという記事が載っていました。以前にもこの方の作品について触れたことがありますが、大好きな作家がまた一人いなくなり、新作が読めなくなったことがとっても残念です。「ゲームの達人」などアカデミー出版のベストセラーで有名で、お読みになられた方も多いかと思いますが、私は海外赴任前に英語の勉強のために「ゲームの達人」をペーパーバックで読んだことをきっかけに、すっかりはまり、すべての作品をペーパーバックで読破してしまいました。決して難しい英語ではなく、わかりやすく、どんどん物語りに引き込まれていく魅力はすごかったです。何作かアカデミー出版の翻訳も読みましたが、日本語の吹き替え映画を見ているような感覚で、原書の魅力が大幅に低下しているのにがっかりしました。またさほど長くない作品もわざわざ上下巻に分けたり、原題と大きく異なる邦題をつけたりして、セールスを狙っている同社の戦略にも抵抗感があり、新作はすべてペーパーバックで読みました。最近の作品は少々マンネリズムになっている傾向がありましたが、新作が出るたびにどきどきして手に取ったものです。亡くなられて本当に残念。また古い作品を読み直して見ましょうか。。。
2007.01.31
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Mr.Childrenは、むかし「Tomorrow never knows」を好きになったくらいで、その後は特に意識することはありませんでした。ところが、今はやっています「しるし」のCDをとある方に聞かせていただいたこと、またその曲を採用していたドラマ「14歳の母」のロケを地元でしていたことで、「しるし」のCDを購入してしまったのですが、その中に収録されている「くるみ」に最近はまってしまいました。昔の曲のリメイクだそうですが、今回のヴァージョンのほうが良いとのことです。実際、すっかり聞き込んでしまっています。出だしの「ねえ、くるみ、誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ」から始まる歌詞、そして最後のところの「どんなことが起こるんだろう。想像してみよう」「出会いの数だけ別れが増える。それでも希望に胸が震える」など、最初はややネガティブな表現から、曲がもりあがるにつれてポジティブな展開となり、希望を持たせてくれる展開を示してくれます。聞いていますとなんとも心地よくなってくるのです。Mr.Children・・これまではあまり意識しませんでしたが、良い曲にめぐり合えました。
2007.01.25
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「愛の流刑地」を見てきました。ご存知のとおり、日経新聞での連載時には朝のビジネスマンが日経の裏側を熟読してしまうということで話題になりましたし、私もつい毎日読んでしまっておりました。朝読むには確かに大変刺激的な内容でした。映画も小説のその前評判もあり、濃厚なセックスシーンがあるといういことでそのイメージが先行してしまっていましたが、主演が豊川悦司であること、監督が鶴橋康夫であることで、私が好きな野沢尚ゆかりのコンビであることで、原作とは違う雰囲気に仕上がっているのではないかなと想像していました。その想像通りで、前評判のセックスシーンはとっても美しく、きれいであり、物語もやや男性の性欲を扇情させるような原作と比べ、女性に受け入れやすい、叙情的に仕上げられていました。中でも映像の美しさは見事でした。原作よりもはるかに芸術的な作品になっていると思います。原作に登場しない富司純子、長谷川京子がとっても印象的でした。先入観抜きで、素直に映画館に運んでよい作品です。お勧めです。
2007.01.20
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遅ればせながらあけましておめでとうございます。今年は5日から仕事始めなのですが、1日仕事しただけで、すぐに3連休で、短いようで長いお正月休みをのんびり過ごしました。家内の実家は愛知県で帰省したのですが、愛知県では一般的なサガミというお店で食事をし、久しぶりに味噌煮込みうどんをいただきました。私は関東人で、会社に入ってすぐに名古屋に配属となり6年ほど過ごしたのですが、その際には名古屋の味噌煮込み、味噌カツ、赤だし味噌汁などの食文化には当初なじめなかったのですが、暮らしていくうちに、すっかりファンになってしまいました。名古屋という町は、幹線道路はもちろん、ローカルな道路沿いにいろんな外食店が目白押しであり、安くて美味しいものをいただくことができます。営業をしている時は車で乗り付けられる喫茶店の多さには本当に重宝いたしました。久しぶりにいただいた味噌煮込みうどんも大変美味で、また食べたくなっておりますが、東京地区ではお店も少ないので残念です。サガミというお店は、関東地方にも少し出店しておりますので、また行ってこようかと思っております。味噌煮込みうどんは、山本屋というのが名古屋では最も有名です。名古屋駅にありますので、いらした際は是非。
2007.01.07
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ようやく「硫黄島からの手紙」を見ることができました。評判どおりの素晴らしい作品であり、「父親たちの星条旗」よりも、より感動しました。ハリウッド映画でありながら、日本人の俳優による日本語の映画であり、米軍側がわずかに登場する以外は字幕も出てきません。何の予備知識も無く、監督も知らずに見たら、日本映画と誤解してしまうことでしょう。ここまで徹底して日本側の視点で作られたハリウッド映画は初めてなのではないでしょうか。渡辺謙演じる栗林中将が、実に人間味のある人物として描かれ、それを取り巻くいろんな人々の人間性、価値観が対比のように上手に表現されています。迫力ある戦闘シーン、抑えた色調、まるでドキュメンタリーを見ているかのような気にもさせられました。「父親たちの星条旗」では、謎の不気味な戦闘員として描かれていた日本人が、実に人間味のある存在として表現され、逆に米国軍の残虐さも描かれるシーンもありました。また上官の命令で、泣く泣く自決する人々。そして生き延びようとする人。つまり戦争には、現場にいる人間を非人間的にしてしまうものあること、そして日米どちらにも家族があり、その帰る家がある兵隊を戦争は死に追いやるものであることを伝えているような気がします。2つの作品を見て思うことですが、両方の作品は完全に米国側、日本側と別れた立場で描かれており、シーンのリンクはありますが、登場人物のリンクは全くありません。すこし関連があったら、もっと面白かったのではと思ったのですが、物語の流れ上それも難しかったかもしれません。今年最後に良き映画を見ることができました。
2006.12.29
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硫黄島での攻防について、米国側、そして日本側からの両方の視点で描かれたふたつの作品が話題になっていますが、まずは米国側からの「父親たちの星条旗」を見てきました。日本側からの「硫黄島からの手紙」が見たいのですが、やはり両方見ておきたくなりすね。この映画の基本となる硫黄島での写真を元に作られた硫黄島のモニュメントは有名です。アメリカ滞在時にも見てきました。ワシントンのアーリントン墓地の近くにあり、とっても巨大です。その時は硫黄島の背景など知らず、有名な銅像だからと写真を撮っただけでした。正面からの写真は有名ですので、横から撮ったものをご紹介しておきます。ネタバレですが、この銅像の元になった写真の出来がよすぎたために、この写真に写っていた軍人の不幸が語られ、それとともに戦争の悲惨さが伝わってくる映画です。戦場ではこんなにもいとも簡単に人が死んでいくのだということも。。日本側の「硫黄島からの手紙」も見にいきたいと思っています。
2006.12.06
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