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建築家コムース発行「メルブック」の配信登録(無料配信)住宅建築の玉手箱 第三章 職人文化 現代の名工 特別公開日本の品格のもとは職人文化マーケティングアドバイザーのハマムラさんの勧めもあり、藤原正彦著「日本の品格」を手に入れた。まだ読み始めたばかりなのだが、私の考える日本の品格の礎(いしずえ)となるものはやはり職人文化だと思う。次回のメルブック「住宅建築の玉手箱」ではこのことを取り上げる予定だ。終戦後、連合軍の総司令官だったマッカ-サーは「日本は、当たり前の営みの中に、世界の中でたぐい稀な文化を持った民族!」とアメリカ政府下院で演説した話は有名だが、現代の日本の状況をマッカーサーが見たらどう思うだろう。文化に固執(こしつ)しろと言うつもりはないが、魂を売り渡した者のように、社会の流行り廃りに遅れまいと目と耳を大きく見開いている様は見ていられない。遅れた人間にならないようにとの必死の様が見える。いじめっ子はすなわちいじめられっ子の要素をもっていると言われているが、社会に遅れていじめられないために人をいじめる子供のように、現代の大人たちも右往左往している。慌てずしっかり足を大地につけることだ。自分を取り巻く空気を感じ取ることはもちろん大事なことだ。しかし、その前に自分が立っている地球と言う大地を感じ取ることが大切だろう。地球はぜ~んぜんびくともしていない。なるほど空気は早く吹いたりゆっくり吹いたりしているだろう。少々時代に遅れたっていずれ追いつけばすむことだ。私の娘は大の読書好きで、小さいときからテレビより物語の世界が好きだった。別にいじめにあったわけではないが、みんなの離すテレビ番組の話についていけず大いに悩んだものだった。がんばってテレビを見るもののガマンしきれず再び本の世界へ戻っていった。大人の年齢に近づいていくなかで、娘は確固とした自分を築きはじめている。外国へホームステーしたときに、外国では自分のような人間が普通であることを知ったいう。はやり廃りについていけなくて悩むより、もう少し長いレンジで自分を見つめることが大切だろう。私の娘は品格があると思う。気取っているというのではなく、おしゃべりだろうと物静かであろうと、確固としたアイデンティティを持つことが、品格のある人間と言われることだろう。職人文化は、究極は哲学の世界へ行く。社会が、町の職人を見てどう感じているかはしらないが、私は哲学者と相対していると思っている。
2006/03/31
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建築家コムース発行「メルブック」の配信登録(無料配信)住宅建築の玉手箱 第三章 職人文化 現代の名工 特別公開職人文化 現代の名工昨日、メルブック「住宅建築の玉手箱」職人文化 現代の名工 を配信した。今回は、メルブックがどのようなものかをご理解いただけるのではと思い、ホームページ上で特別に公開した。建築の知識に疎い中で、付け焼刃的な住まいづくりをしてしまうと後でえらく後悔することになりかねない。「私は古臭い家はいや!今時の家を建てたいの!」と思われている方でも、やはり温故知新のことわざにあるように、古きを訪ね新しきを知ることが基本だろう。先進的なことやよい意味での突飛なことは、今までのことを捨て去ることではないからだ。安藤忠雄が、高校は機械科で大学も出ていない状況の中で、今日、ここまで先進的な建築家になれたのは、数年にわたる国内外への旅で、古きも新しきも訪ね、それらの根底にある本質に目覚めたことによる。私に言われた「その向こう側にあるものを見つめるんだ!」とは、本質を見つめることだ。いかに素人とはいえ、一生、あるいは代を越えて存在する住まいを建てるにあたっては、自分自身の本質と向き合うことが大切だろう。それは、現代の名工と言われる職人の命がけの仕事振りを見ることでも触れることができるだろう。その本質に本気で迫れば必ず見えてくる。誰でも例外なく。現代の名工という「古き」を訪ねると「未来」が見える。なぜなら、本質とはすべてを超越した不偏のもの究極のものだからだ。21世紀は、本質を見つめる姿勢を身に付けたものが力強く生きていける時代だ。もはや20世紀のようなテレンテクでは通用しない。20世紀後半は、職人をないがしろにしてきた。訳のわからないノウハウを身に付けるのが逞しい生き方ではない。人間すべて職人!これが分かれば、生き方が分かる。本質を究め、本質に生きるのが、この世で人間に課せられたものだろう。限りなく本質に迫っていく!そう自分に自分に言い聞かせている。
2006/03/30
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建築家コムース発行「メルブック」の配信登録(無料配信)住宅建築の玉手箱 第三章 職人文化 特別公開一流を知ることの大切さここでいう一流のものとは決して高価なものという意味ではないが、心底よいものというのは無限の価値がある。メルブックの配信をはじめたが、次回の「住宅建築の玉手箱」では、現代の名工といわれる4人の巨匠を紹介する。江戸木挽き(こびき)の林似一氏、宮大工棟梁(とうりょう)西岡常一氏、左官の入江長八氏、建具職人遠藤 潔氏の四人を紹介する。但し、伊豆の長八は江戸から明治にかけて活躍した左官だ。決して伝統的な建築がよいと言っているのではない。現代建築であっても、古来の文化の延長線上にあるのであって、他の惑星から異色の文化がやってきたのではない。よいものに触れることはとても大切なことだ。島根県立美術館をはじめ、全国に赴いたときには美術館などには必ず訪れるようにしている。最初は建築を見るのが目的であったが、それでも次第に芸術に引かれていく自分を感じるようになった。食の職人は、文化としての本物の味を知らなければプロとはなれないように、建築もとりあえず本物を嗅ぎ取る回路を手に入れなければならない。プロまかせではなく、住い手自らがその回路を手に入れなければならないだろう。その回路の醸成に一役買うのが私のメルブックだ。本質にたどり着けば、応用がきくようになる。プロは生まれたときからプロであるわけではない。プロと同じプロセスを辿ればそれなりの回路は手に入れることはできるだろう。一流なものとは、決して高価なものを現すことではなく、本質を現すことが分かるだろう。
2006/03/29
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ぶつかってこそよい関係になれるもの以前の私は結構意気地なしで、人とぶち当たることをあまりしなかった。自分の考えを持ちながら一歩引いて人の考えを尊重するあまり、反動でたまに爆発したものだが、自分を押さえこむとフラストレーション状態になるのだろう。1年をかけて進めてきた物件がここにきて頓挫した。先日までそのクライアントと大騒ぎしていたのだが、にわかにお断りの手紙が届いた。なぜだ!という思いでことの真相をお聞きしてみると、なるほど致し方ないなと納得できたし、そのことで随分悩んでこられたことを感じて、気にしなくてよいということと、これからも側面支援をしていくことを申し上げたらえらく喜ばれた。色々な諸事情で成就できないこともある。ビジネスとしての契約だけで関係がなりたっているわけではない。断らなければならない理由を正直に語っていただける関係まで深まっていたことがまずはうれしかった。よく考えて見ると、この出来事のお陰でこのクライアント(施主)と心底の付き合いが今始まった。不思議なことだ。これからむしろ平気で遊びに行ける感覚だ。正直な気持ちでぶつかってこそよい関係になれるものなのだということをつくづく実感した。仕事を断られたのに関係が深まるということも面白いものだ。人間を取り巻く自然の法則は奥深いものがあるな~としみじみ思う。
2006/03/28
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建築家コムース発行「メルブック」の配信登録(無料配信)メルブックの反響先日、メルブック「住宅建築の玉手箱」に引き続き、メルブックコムースの旅日記」の配信を開始した。「住宅建築の玉手箱」は結構シリアスな内容も含まれるので少しお堅い印象があるということから、「旅日記」のほうはむしろ砕けたほうがよいとのアドバイスをいただいた。ということから、今までの旅で一番印象に残った旅のお話から書き始めたが、アドバイスしていただいた方から「面白すぎて死ぬかと思ったよ!(大笑)」というコメントをいただいた。本人はいたって真面目に書いたつもりだが・・・実際、12年前の冬の青森への一人旅は無謀そのもので、それこそ死ぬかと思った。(苦笑)果敢にチャレンジする気性がよく伝わってきたとのコメントもいただいた。何はともあれ、どんな人間かをわかっていただくためには、それこそ裸にならなければいけないと思っている。そのことで離れていく人がいても、それが私の本性なので、それはそれでいたし方ないだろう。何はともあれ、ありがたいことに反響がすごい。インターネットをアナログ活用する例をあまり見たことがないので、まさしく未体験ゾーンのメルブックだ。今は、反応に一喜一憂しながら成り行きに任せている。メルブック登録が毎日入ってきており、今までのかかわりのある方に一方的に一方的に送信している方をふくめ、総数は700名にもなった。私が行いたいのは、双方向の関わりでのコミュニティの実現だ。今までの社会では存在しなかったやり方なので、自分でも多少の戸惑いがあるが、受け取られた方も少なからず慣れていただくまでに時間がかかるかもしれない。
2006/03/27
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事業は体制が大切最近つくづく思うのがこのことだ。複数の施工中の物件も順調に進み、来月は小樽の設計が大詰め、淡路島も山場、福山も実施設計に入る。先の予定だった物件が前倒しになりそうな気配・・などなど、今月から来月は何かと気ぜわしくなりそうだ。以前から幾度となく山場があったのだが、建築家として統括する立場からは、様々な出来事に常に汎用性をもって対処していかなければならないと思っている。ここで、今だから話せる話をひとつ・・・以前、心底私を悩ませることがあった。重要な業務(施工統括業務)を託した者がずさんな管理をしたために、結局その者を選任した私に責がかかってきて、大いに苦しんだ。通常の設計事務所と同じように工務店に一括発注すればこのようなことはおこりえない。専門業者(職人)とクライアント(施主)が直接契約し直に関わることが、クライアントの利益となり、社会にとっても大切な営みの復活となることから私は建築家としてこの事業に取組む決心をした。ここで必要となるのが、現場の統括管理をする人間だ。通常は下請けをしている職人連中を束ねていかなければならないため大変重要な役割だ。私は施工の人間ではないので、適任者を選定しなければならない。しかし、選定した人間が悪かった。人柄は決して悪くはないのだが、管理がずさんで、各職人は段取りができず困るし、施工中のクライアント(施主)への報告やコミュニケーションを図ってくれず、私が気づいたときには後の祭りだった。何はともあれ選任した私の責任だ。現在では体制も一新し、適任者に恵まれ非常にスムーズに施工が行われている。体制をしっかり整備していくことは、マーケティングアドバイザーのハマムラさんのおっしゃる「顧客の生涯利益の実現」に合致する。私の事業の主人公は、私ではない。私にゆだねていただくクライアント(施主)が主人公であり、目的は顧客の生涯利益の実現だ。このことが私の中で明確になった。このように、事業の原点はいたってシンプルなものだ。このところのメルブックの配信にしても、会報の発行にしても、「顧客の生涯利益の実現」のために、私が建築家としてできることのひとつなのだ。なぜなら、社会は情報にあふれていると言われているが実はそうではない。流れてくるのはコマーシャルだ。今こそ、その道のプロが情報発信をしなければいけない。現代社会は、素人がマニュアルにしたがって物を売る時代だ。これも悪いわけではないが、家づくりは、それこそ子々孫々の利益にもつながる一大事業なのだ。プロがもっと情報を発信して顧客の思考の選択肢を広げていかなければいけない。
2006/03/26
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建築家コムース発行「メルブック」の配信登録(無料配信)「死ぬかと思った!旅日記 」 配信間近!今日は島根県中小企業家同友会の事務局がテクノアーク島根に引っ越すことになり、今日が引越しの日であった。私もお手伝いに参加したが、一通り終わったころにお昼になり、若手事業家と言われる方々と一緒に公園の芝生で弁当を広げて食べた。10名の弁当会は大変楽しいものであった。楽しい語らいが繰り広げられ、それぞれの人柄を垣間見ることができた。同じ企業戦士とでも言おうか。みんな夢を胸に抱いて人生を生きているんだな~としみじみと、久々に春らしくなった日差しの中で思った。このところのメルブック発信もようやく軌道に乗ってきた。メルブック「住宅建築の玉手箱」とは別に、「コムースの旅日記」の配信が迫ってきた。メルブックを書いていると、何かが自分にフィードバックしてくるのが分かる。色々なアクションをおこしてみて分かることがたくさんあるが、文章を書くことは頭の中でのアクションをおこしているのだろう。ブログとはまた違ったものがある。メルブックは、いずれまとめて本にでもしたいと思いながら書いているが、適度な緊張感の中でのアクションは実によい。理窟屋だった私が、いつからフットワークの軽い人間になったのだろう。遠い小樽からの設計依頼や、メルブックを発行するという適度な緊張感が私を変えていくのだろう。旅日記の第一章は、ほんとうに死ぬかと思った旅の紹介からはじめることにした。光陰矢のごとし、すでに12年前の出来事になってしまったが、今での鮮明に思い出すことができる。自分自身で、今思い返してみてもこの無謀な旅の記憶はどんな痛快活劇よりも面白い。結構面白い旅をしてきたな。風景をただ漠然と見て廻るのではなく常に建築を見つめてきたので、おそらく一般の方とは感じ方が違うのではないか。どんな旅日記になるか、私自身が楽しみだ。
2006/03/25
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建築家コムース発行「メルブック」の配信登録(無料配信)事業の組み立て修了!あえて(修)の字を当てたが、まさしくそんな心境だ。先日も書いたが、マーケティングアドバイザーのハマムラさんと、シンちゃんにご協力いただいて、私の事業の仕組みがすべて組みあがった。表になったものをしげしげ見ると、ようやくここまで来たな・・・、よくぞここまで来たな・・・という思いだ。もちろんこれで自動的にすべてがフル稼働するということではない。しかし、淡々と慌てることなく進めていけば結果はおのずとついてくることが容易に想像できる。事業の組み立ての最中は、それこそ上手もなにもあったものではない。ただがむしゃらに実績を積むだけだ。(心境として)しかし、こうしてすべてが組み上がってみると、実に落ち着いた心境になることが分かる。事業のフローを見ると、まるで山登りと同じで、頂上から見下ろすと、汗をかきながらひたすら登ってきた道が見える。あの時はあ~だったな、こ~だったなと思い起こせるのが不思議だ。山の頂上の上には、雄大な青い青空と宇宙の空間が広がっている。心の視野を広げると、むしろ今までの至らないことにまで心が及ぶ。妻に苦労かけてきたな・・・。周りの方々が、ひたすら応援し続けていただいてきていることも改めて感じ取れる。「お待たせしました。ようやくここまで来ました!」と申し上げたい心境だ。さ~、いよいよ本番だ。ハマムラさんのおっしゃる「顧客の生涯利益の実現」私が標榜する「コミュニティの新たな創出」がドッキングし、確かな歩みをはじめた。ハマムラさんのマーケティングノウハウはさながらマジンガーZというマシンだ。私はこのマシンの提供を受け、操縦席に座った。さ~、キーを差込み活動開始だ!
2006/03/24
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事業フローチャート作成昨夜(朝方?)までかかって事業のフローチャートを作成した。マーケティングアドバイザーのハマムラさんの勧めもあり手がけてみたが、これが結構難しいものだった。自分の手がけている事業はもちろんすべて把握しているが、しかし、色々な事業やその中で行われている物件などを考えると、膨大な広がりを持っていることが分かった。紙を広げてやり始めたらすっかり午前様になり、パソコンで図に描き終わるころにはすっかり翌日が明けようとしていた。ハマムラさんの言ったとおりだった。描いてみるといろいろなものが見えてきた。もちろん企業なので事業がうまくいかなければいけないことは事実だ。しかし、描いていく中で気づいてきたことは「これはすべて顧客の利益のためだな・・・」ということだった。これもハマムラさんには言われていたことだが、身にしみてそう感じた。この仕組みは建築家コムースの思いの体現なのだが、それを欲していただく方のためのものだということをしみじみ感じた。メルブックも第2号を配信した。ありがたいことにうれしいコメントが返ってきている。メルブックも、正直、自分の思いの発露(笑)がほとんどの部分だったのだが、これをお読みいただく読者の方の利益なのだとつくづく思うことができた。従って、遠慮なく色々書かせていただこうと改めて誓った。(笑)フローチャートに描き出すと、私の建築家としての活動(事業)が色々な方向へ延び初めていることを感じる。私にできること、私ならできること、私しかできないことが、おぼろげながら見えてきた。すべて顧客の利益の追求のためだ。フローチャートを書いてみて、今は明確にそう思えるようになってきた。
2006/03/22
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会報「Arts&Craft」第2号アップ!先週末からの懸案も方向性が明確になり、会報のアップも無事終えた。このところの反応には正直驚いている。メルブックの登録が毎日コンスタントにあるからだ。今までの関係先を合わせてすでに500名を越えている。初版500部ということでもないが(笑)、それでも毎日登録のメールが送られてくることはうれしい限りだ。より専門的な領域に入った内容だとしても、本質からの話をすればいくら素人の方でも分からないことはないと思う。大切なのは本質だ。社会共通の本質であったり、個人の固有の本質だ。建築家の仕事とは、端的に言うと、この本質を見つめていくことだろうと思う。つまり、社会固有の本質と個人固有の本質とを同時に見つめて、そこに固有の「建築」を創造していくことだ。だから、個人の住宅が地域の財産でもある。会報やメルブックで行いたいことは、「本質」というものを一緒に見つめていくということだ。今までは、設計を依頼されたクライアント(施主)と見つめてきた。しかし、社会を蘇らせるには(生意気ながら)、もっと多くの方々に、たとえ建築の創造という行為を伴わなくても、その思いや出来事のあらましを共有することにより、社会の本質、個人固有の本質を見つめる思考回路が醸成されていくのではないかと考えた。社会はますます混迷の色を濃くしている。人は深層心理の部分では地域のコミュニティに飢えている。万人がそうだとは言わないが、少数の孤立主義(こういう人は声が大きいので体制の思いだと錯覚させるパワーがある)の人たちの考えだけが表に出て、楽しいコミュニティを望む人たちの心を封じ込めてしまう。本質とは何か・・・を見つめていくと、個々のアイデンティティは固有のものであり、その共通項としての社会性としての本質が存在する。従って個人固有の本質だけを見つめるだけでは、めぐりめぐって個々の本質も崩れてしまう。一人では運動会はできない。一人では治安は保てない。治安が悪い社会になってきたから門を閉ざす、世間とは付き合わない!という方がおられるが、まったくおろかなことだと私は思う。一戸建ての住宅では塀を高くすればするほど空き巣などの犯罪は多くなるのが実態だ。反対に、隣近所とのお付き合いがオープンな界隈(かいわい)は、玄関も窓も開け放し、隣りのおかずもばっちりわかるというところでは、すこぶる治安がよい。「本質」とは難しいことを現しているのではない。例えばこのように、どっちが安全かと少し深く考えたときに感じ取れることも、本質を見つめることになる。日本人の思考回路は停止している。本質と向き合う回路が皆目動いていない。ここに日本の危機がある。
2006/03/21
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気を取り直して UP!色々励ましていただいたおかげで元気です。今朝は岐阜のTさんにお詫びの電話。あたたかいお言葉をいただきながら行動開始。私の対処方針もほぼ固まってきたので、至急にクライアント(施主)と詰めていこう。ところで、メルブックの発信総数が500を越えた。今までの関係先の総数はおそらく1200~1300はあると思うが、とても対処しきれない。とりあえず思うところへ配信したのと、有難いことにかなりのメルマガ登録をいただいており、毎日登録のメールが届くのでこの積み重ねでしばらくは終始してみることにする。------------------------------------この日記をお読みいただいている方の中で「なんでうちには来ないんだ?」と思われている方は、申しわけありませんがメルマガ登録でお申込ください。アドレス帳との格闘が続いておりまして、とても気を使っている場合ではない状態(苦笑)が続いておりますので、どうかお許しください。それに昨日来の物件でのアクシデントもありましたので・・・m(__)m------------------------------------これから一週間おきに、「会報」「メルブック住宅建築の玉手箱」「旅日記」を配信する。つまりそれぞれを3週間おきに更新する格好だ。すべての手順が整えば後は楽になる。本ちゃんの仕事に没頭できるだろう。そして、日々の仕事の中で見えてくるものを次々と配信していくことにしていく。「書くことがよくあるね」と言われるが、相当のネタをすでに持っているし、それに毎日がエンドレスで物事が集積していっているからネタは減るどころではなく増えつづけているので吐き出さないといけない(笑)状況だ。
2006/03/19
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問題発生!現在、鉄筋コンクリート3階建ての建物のリニューアル設計中だが、問題発生!竣工図(建物が完成した状態を表した図面)と現地が合わない。(大変!)スタッフもここしばらくフル稼働状態で、構造設計などの外部協力者も動員して90%どころまで仕上がってきたところだったのだが、根底から覆りそうなことが起きた。竣工図と現地が合っていないのだ。アイタ~!どうなっているんだ。この建物は20数年前に大手ゼネコンの設計施工で建てられた建物だが、こんなことってあるのかな~?竣工図とは、設計図をもとに、施工上で変更になったところなどを修正して完成した建物の状態を正確に表した図面だ。本来、現状と違っているわけがない。目に見える仕上げ部分であればそれでも発見できるのだが、構造体の中の部分は図面を信じる以外に知る手立てはない。もしこのまま分からずに業者を選定して施工に入っていたとしたら・・・考えただけで背筋が寒くなる。今分かったことはラッキーなことだ。たまたま当時施工した専門業者の一社が当時の施工図(元請けが専門業者に渡す施工要の図面)の1枚をクライアント(施主)のところへ持ってきてくれたことにより発覚した。施工図画一番正確だから間違いないだろう。こうなれば全部の施工図を見なければもう信用できない!明日は岐阜に行く予定にしていた。お昼過ぎに伺う約束をしたばかりだったのに!先ほど(深夜に及ぶ)まで検討を繰り返していたのだが、設計が振り出しにもどりそうな状況に陥ってきたため、明日も調整に追われる状況となってきたことから岐阜に訪問できなくなってしまった。こんな時間では電話もできない。明日朝にお断りの電話を入れなければならない。なんでだよ~!!これも修行だな~・・・初めてだなこんなこと。以前に関わっていない建物のリニューアルはほんとうに何が出てくるかわからないな~。それにしてもなんとかしなければならないが、スタッフとの検討作業の中で、なんとか方向性が見えてきた。明日は大至急にその裏づけ作業をしなければならない。4月初旬には実施設計を上げて、設計見積作業を行い、擦り合わせの後、月末には業者の選定作業に入らなければならない。最後まで責任持って図面を書いておいてほしかったぞ~!
2006/03/18
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メルブックの反応一昨日から順じ発信しているメルブックの反応がよいようだ。まだ全体の5分の1くらいの発信なのでまだ相当の時間がかかりそうだ。今週末には岐阜へ足を運ぶ予定だが、全国を飛び回ることがますます多くなるなかで、ついつい疎遠になりがちな関係先とのコミュニケーションを図ることもできるだろう。なによりうれしいのは、建築を建てられた方とも継続してコミュニケーションを図っていけることだろう。双方向のコミュニケーションの大切さが叫ばれているが、まさしく実践形が出来上がったように思う。そして、デジタルの世界の中でアナログな世界が存在できることを証明していきたい。 メルブック登録
2006/03/16
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困っているのは職人ではない!不景気になると職人の仕事がなくなる。いつも弾き飛ばされるのは職人だ。というイメージを持たれているようだが、実はそうではない。これからますます職人は少なくなる。高齢化が進み後継者も育ちにくい。不景気で困っていることは事実だが、しかし、それによって職人の世界がすべて衰退していくということではない。私の息子が大工になりたい!といったとき、いまこそチャンスだ!と応援してやった。中学の先生は今の、しかも表面的なことしか見ていないらしく反対された。まったく愚かだ。一時、仕事は減ったり増えたりするものだ。そのこととは別に、全体の職人の総数が減ってきていることと複合して考えたときに、少し賢い方なら分かるはずだ。総務系の競争相手が山ほどいる就職活動に向かうより、職人に成りたいと思うほうが親としては安心だ。肩叩きや賃金カットもない。もちろん、どの道に進むにしても成功哲学をかみ締めなければ成功者になれない。総務系も職人の世界も厳しさは一緒だ。要は、自分が心底やりたいことかどうかが問題だ。息子は、30歳くらいで10名くらいの職人を抱える棟梁(とうりょう)になることを目指している。ここまで明確な夢を中学2年ころから描いていたが、それをやめさせようとする教育者の底の浅さがむしろ心配だ。私は常日頃、職人文化の復興をといているが、それは職人が困っているからではない。一般の方々の文化的素養を深めていかなければならないと思ってのことだ。昭和30年代まではたしかにあった風景(コミュニティ)。そのような豊かな情緒を失った社会の末路は悲しいものがある。気づかなければならないのは職人のほうではない。一般の方々のほうだ。醸造家バッシーさんの事業もいよいよ顕在化への入口にたどり着いた観がある。事業を成就していくことは、何にしても並大抵のことではない。私はバッシーさんに近い第三者として見えるのは、上記に書いたようなことだ。私はバッシーさんには何の不安も感じない。要は、周りの支援者だと称する方々がバッシーさんがどれだけのものを抱えているかが分かるかどうかだ。私が「職人文化の復興!」と常に言っているのは、文化を察知する能力を身につけていかなければこの社会は終わりだと申し上げているのだ。困っているのは職人ではない!
2006/03/15
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晴れの卒業式(修了式)一昨日から山陰は雪模様となっている。中国大陸からの黄砂(こうさ)が交じり溜まった雪は淡い土色になっている。晴れの卒業式にこのような天候になったこともなかなか味のあるものだと感じる。「楽も苦も菩薩の思し召し」とはお寺の山門に掲げてある説法だが、息子の晴れの門出に父として思いを馳せた。次男は中学卒業を前に進路について先生ともめたことがあった。大工になりたい!という夢をかなえてやりたいと思った。先生は辞めさせようとした。進学するのも確かに人生。しかし職人になるのも人生。息子は技術校で大工技能を修得する道を選んだ。息子ながらえらい奴だと思う。明日から職人となる数十人の卒業生を見ていると、君たちはまさしく日本の宝だ!と叫びたくなる。建築大工、園芸技術、左官技能、伝承建築(宮大工)の各科の生徒達は輝いていた。「中学の先生から祝詞や祝電は届かなかったね。」とつぶやいた息子の言葉に身震いするほどの湧き上がるものがあったが、息子の顔も期するものがあった。いやいや進んだ道、なんとなく進んだ道、というのではない。明確な夢と目標を実現するために進んだ道だ。確かな人生をすでに歩んでいる。かならず名を成す職人になるだろう。なぜなら、技能オリンピック世界大会の大工部門で世界チャンピオン2名を生み出した男の孫だから。大工の血は脈々と流れている。プロがさらに上のプロをめざす心根を持っている。私が尊敬する大工の棟梁(とうりょう)に弟子入りした。私の設計した物件も手がけることになるだろう。私は心の中で、職人文化の復興を息子に託した。
2006/03/14
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= お知らせ = メルブック創刊! この度、メルブック(Eメール配信)を発刊する運びとなりました。ご希望の方はご登録ください。 建築家としての考え方をお伝えしてまいります。プライベートなことも含まれますので公開ではなく、申込された方に配信してまいりますので、ご希望の方は下記の登録フォームからご登録ください。 メルブック 『 住宅建築の玉手箱(たまてばこ)』 第1回配信 第一章 「建築」の考え方 目次 ・社会の何かがおかしい! ・職人は身近な存在だった! ・商品としての住宅が台頭! ・社会にひずみが発生! ・日本の住宅政策は誤り!(もはや手遅れか?) ・住まいづくりは社会貢献事業!メルブックについては、このページへのコメントでご感想をお聞かせください。尚、ホームページでは、会報「Arts&Craft」もご覧いただけますのでよろしければお立ちよりください。
2006/03/13
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広島県福山市福山市の物件が始まることになり、昨日は初めての現地打合せに出向いた。今回もリニューアルなのだが、もともとの設計と施工を見るにつけ、気が重くなってしまった。デザインとか使い勝手とかは当初の想定からはずれることはままあることだが、基本的な部分に問題を感じた。リニューアルを手がける度に感じるのが、新築当時のクライアント(施主)や設計者、施工者の思いだ。松江市の築百年の商家、小樽市の北前商人の旧邸、淡路島の古民家などからは当時の思いがストレートに伝わってくる。以前から言うように、私の中には、新築も増改築も改修もリニューアルもあったものではない。すべてが概念としての新築だ。福山の物件については、ここに至れば過去のことはどうでも良い。私が出掛けさせていただくことにより、今新たな建築を誕生させたい。素材(既存)を個性として受け止め、これからのあるべき「建築」を誕生させるの。単なる建物からは何も伝わってこない。それは建物のせいではない。そこに込められた関係者の思いがテレパシーのように伝わってくるものなのだ。大きな建物の中の一部屋の改造であっても、私は建物全体を視野にいれて、全体としてのその部分を創りあげるのだ。そうすれば、その建築には命(思い)が宿る。
2006/03/12
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右のページと左のページ人間は二つのページを持っていると思う。右脳と左脳のように意識されることなく、しかし確実にその仕組みは存在している。夢を描き創造の世界のなかで成功させていくのが右のペ-ジ。現実の世界を受け止めて確実に生きていく姿を認識すのが左のページ。みんな同じように持っているものなのだが、往々にしてどちらかのページは閉じられていることが多い。これらのページがたえず開かれていて重ねあわせながら生きていくことが大切ではないかと思う。右のページは先見性の能力であり、左のページは現実を受け止めて確実に生きていく能力だと言えるだろう。私にこのような思考の大切さを示していただいた選択理論を提唱されている青木仁志先生の言い方を借りれば、「魚を与えず魚の釣り方を教える」に表されているように、目の前のことに対処しながら、その延長線上にあるものを「同時に意識」していくことが大切なのだろう。成功者と言われ方がよく、「どうしたら今していることを楽にできるかを絶えず考えている」とおっしゃる。怠けたような言い方だが何となく分かる気がする。多くの企業が困っているのが資金繰りだが、要は資金繰りに困らないほどの受注を獲得することだろう。だから、資金繰りに困るようならマーケティングを構築することに専念することだ。珍問答のようだが、両方のページを開けたらそれが見えてくるのだろう。
2006/03/10
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上棟式 & 餅まき久しぶりに上棟式で餅まきが行われた。最近では儀礼儀式は簡素化されてきているが、今日のクライアント一家は一家の歴史をしっかり刻みこむために最近では珍しくなった餅まきを行われたのだろう。幼いお子さんも一緒になって餅を巻いた。原体験として深く心に刻みこまれることだろう。昭和30年代まではそこかしこにあった風景が繰り広げられた。松江市横浜町は昭和30年代を彷彿とさせる建物が残っている。会報第2号に登場する漆塗り職人さんも同じ横浜町だ。文化度の高い町だからこそ文化度の高い建築的芸術性の高い「建築」を創らなければならない。文化には文化を沿えることが大切だ。古い街並みの中に現代建築をはめ込むにはこのような定義が必要だと私は思っている。餅まきには何時の間にか近所の人たちや学校帰りの子供達が大勢集まってきた。古きよき風情の中でコミュニティの体験ができた。これもいいな~としみじみ思いながら現場を後にした。
2006/03/09
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出雲市で講演昨日の講演は、雇用能力開発機構しまねセンター主催で行われた。私のようなものを呼んでいただきありがたい。どうせやらせていただくのなら精一杯の思いを訴えかけなければと思いお話させていただいた。ポリテクセンターのリフォーム科で学ぶ老若男女40名あまりの方々も参加されたが、テクニックももちろん大事だが、相手(顧客)の思いを汲み取ることの大切さをお話した。不景気だ!不景気だ!という方が多い。工務店関係は特に、顔を見るたびにおっしゃる。私は即座にこう答える。「お客さんは不景気ではないですよ。」もっけな顔をされるが、いかに自分のことしか考えていないかが分かる。私だって楽ではない。しかし、不景気を協調して仕事がくるか?自分の都合ばかりを心の中に満たしていて仕事はくるか?顧客は満足するか?と常に自分に問い掛けるようにしているのだが、「そうだそうだ。相手の願望を満たすことしか見返りはないんだったな。」と気づく。安藤忠雄氏の言う「その向こう側に見えるもの」とは相手の願望の本質を見極めるということだ。つまり相手の一番望んでいるものは何かを深く洞察するということだ。昨日の講演でお話している最中に気づいたのだが、安藤さんに「木造で家を建てたいのですが」と来たお施主さんの計画がコンクリート打放しの住宅になったのは安藤さんの誘導だろうと思っていたが、実はそうではなく、表面の言葉ではなく、その方の本質的願望を満たすものはじつはコンクリートの建築であるということを計画作業の打合せを繰り返す中で発見していったのだろういうことに思い至った。そういえば私が手がけた比津の家は、当初から希望であった木造建築が出来上がったのだが、当初の概念とまったく正反対の住まいが出来上がった。当初は「外に開かれ空間を創る」というものであったが、実はそれは閉鎖性を意味することに気づき、プロセスの中で次第に「内に開く空間を創る」ことになっていった。とても豊かな住空間ができあがった。一昨年手がけた浜乃木の家は極小敷地であるため内に開く空間をつくる以外に方法はなかったのだが、比津の家は広広とした団地の、それも角地という広がりをもった敷地であるにもかかわらず閉じてしまったのだが、このお施主さんにとってはまったくもって正解であった。今回、お話している講演者が一番気づかされるものであることも改めて悟った次第だ。今回の参加者の方々は、一般の方というより業界の方々ということであったが、今度は建築士会を前にお話することになっている。おなじ建築の世界にいる方々にお話するのも意味あることであることも感じた次第だ。一人でも多く、明確に、「地域の願望、顧客の願望」に素直に目を向けて仕事をするプロが現れてほしいものだ。
2006/03/09
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とっておきの建築情報本質とは特別なものを意味しない色々な方々とお話をすると共通していることのひとつに、非常に真面目に物事を見つめておられる方が多い。コンサルタントの指導も行き届いているためか、「本質を見つめる」という言葉をよく耳にするようになった。私自身もよく言う。しかし、この「本質」に対する捉え方が微妙に違うことを感じることも多い。私が考える、あるいは捉えている「本質」とは、哲学的悟りの境地にいたらないと見出せないもの、ということではない。自分自身の本来の状態というか、邪念なき素直な状態を言うのだと思っている。安藤忠雄氏の言われる「その向こう側にあるもの」ということにしても自分自身の素直なありのままの姿を見つめるということだと思う。経営というのも、何も特別なことではなく、本来あるべき姿を求めていくのが経営改善であり、エジソンのごとく特許を常に考え出しそれで理論武装していくのが会社を強くしていくことではない。社員が生きがいを持って生き生きと働けるようにすることが会社の業績アップにつながる!などと一流企業がまことしやかに言う。コンサルタントも言う。おかしな話だ。働き甲斐のない会社が普通で、働き甲斐のある会社が希少価値などということを平気で言うような社会そのものが狂っていると思う。経営指針を作ってみて思うことは、経営者としての自分にとって一番自然な状況を考えそれを表したに過ぎない。なんだか随分評価していただいているようだが、「朝顔を見たときにおはよう!あいさつをします。」と定義したことに、今時ここまでしている企業はない!えらい!と誉められているような心境だ。私が自分に肝に銘じなければならないことは、回りの方があたかも経営指針を特別なものとして捉えたがることに同調せず、朝家を出るときに靴を履いて出るのと同じように、ごく当たり前のことしか書いてない!と思わなければならないということだ。本質とは特別な次元のことをいうのではない。本来目の前にあること。自分の素直な心に感じること、そのものを本質と言う。見えていても自己否定している人も見受ける。
2006/03/08
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CANCANを読めこれは、北海道小樽市で全国的に有名になっている洋菓子舗ルタオのオーナーから言われたことだ。建築家としてのバリエーションを広げるためにもぜひ購読すべきだと言われた。情報を知るということはなるほどこういうことも意識しなければいけないなとまたまたキャパが広がった気がする。本屋でCANCANを買うのは少し勇気がいるが、さっそくチャレンジだ。(笑)それにしてもルタオのオーナー会社は、山陰にあるのだが、10年をかけてよくぞ全国的なブランドをつくり上げたものだなと関心しきりだ。昨夜はその社長さんと一献傾けたが、なるほど考え方がダイナミックだ。夢を明確にしてそれに向かっていくのではなく、夢の中に行って自分の中で顕在化させ、そこから現在を見るのだ!そこから見たら現在は過去なのだ。したがって、今がたとえどのような状況であろうと行き先にまっさきに行ってしまえば必ずそこにたどり着くことができる!と熱く語っていただいた。一々納得だ。またひとつ、とてもよい出会いに恵まれた。
2006/03/07
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マーチンD-35アコースティックギターの名器だが、今日パソコン用のACアダプターを手に入れたいと思いジャンク屋に行ったところ、無造作につるしてあるD-35を見つけ思わず息をのんだ。「・・・(汗)・・・なんでこんなところにあるんだ?」にわかに信じられなかった、値札がついているところを見ると売り物らしい。それにしてもこの扱いは何だ!とはらだたしくなりながら値段を見て驚いた。値段について聞いてみた。「側板に傷があるからジャンク品です。」 「へ~・・・」知らないということは恐いことだ。猫に小判とはこのことだな。私は裕福なわけではないが、ぜいたく品を買うような値段ではない価格で手に入る。「オレはACアダプターを買いに来たんだ!」と自分に言い聞かせたが、嘘みたいな値を見たときにすぐに買い手がつくだろうと思い、思わず「これください!」思わず手に入れてしまった。早速弦を張り替え鳴らしたところ・・・ 「CDから聞こえてくるD-35の音だ~!」 感激~!ギターを弾き始めたのが16歳からだが、そのときからマーチンD-35が欲しかった。ギブソンやマーチンなどというのは所詮無理だなと思っていたし、大人になってからだっておいそれとは買えない価格だ。それが、そこいらのギターの中古品と同じ価格で無造作に置いてあるのには驚いた。欲しいと思ったときから実に36年ぶりに手に入ったのだ。深夜帰ってからの楽しみができた。少しずつでも弾いていくことにしよう。建築家として頭が鋭敏になりすぎているきらいもあるので、「ここですこし饅頭でも食べて肩の力を抜いたほうがもっといい仕事できるよ」と神様が与えていただいたのかもしれない。しばらく忘れていたものを再び思い起こしたような気持ちだ。結局、お目当てのACアダプターは手に入らなかった。(笑)
2006/03/06
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メルブック発行会報の発行に併せブックを発行することになった。2~3ページものをPDFファイルにして発信しようというものだ。「住宅建築の玉手箱」と題したメルブックは、建築家の視点から、住まいづくりの情報をお伝えしていく。欧米のような社会システムの中では、個の考え方を基盤に、さらに全体的価値観が確立されている。日本の住宅政策は、まさしく無政府状態と言っても過言ではない。政府自体の社会の規範(環境観、芸術観)に対する基準が曖昧であることが問題であるが、このことは政府の運営上の固有の問題ではなく、国民の資質の問題だと思う。オ-ダ-的意識を持ちながらも、いつの間にかレディメイドな選択をしてしまっているのが問題ではないか。しかしこのことは国民の責任でもない。取りも直さず、選択肢を与えない企業の責任だと私は思っている。企業、つまり、プロの責任ということだ。日本にはプロが少ないのだ。プロとは、社会全体を見据えて仕事をするものをいうのであって、明確な理念を持つべきものだと思う。大袈裟な言い方のようだが、至って当たり前のことだ。私の場合は、建築家としての職制を果たすためには、やはり必要な情報を提供していくことだと考え、この度のメルブックの発刊となった。とっておきの建築情報
2006/03/05
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淡路島へ明日は淡路島へ行く。3時間あまりで着いてしまうので今ではさほど遠いとは思わない。瀬戸大橋を渡り、淡路島サービスエリアから見る神戸の町は圧巻だ。特に夜に明石海峡を通過するとそれは見事な夜景だ。ダイナミックな文明の姿にしばし見とれてしまう。訪れる地域には固有の文化がある。そのために戸惑うこともあるし、その中に心地よい空気を感じることもある。私の場合は基本的に人間が好きなのですぐになじんでしまう。こうして色々な地域から声をかけていただけることはほんとうにありがたい。そこでの出会いはなんともいえず人生の喜びを感じる。もしかしたら一生出あえなかったであろう人たちと親しくなれることがなんとも言えない。来週は福山、京都、岐阜を廻る予定だ。福山と岐阜は打合せ。京都は、息子に頼まれたこともあり、話をさせていただくために出向く予定だ。何にしてもそれぞれの町での出会いを大切にしていきたい。この人生をお互い様に有意義なものにしていくためには、ふれ合いが大切だ。アナログが一番だが、ことによればデジタルも立派に機能し始めたのかもしれない。北海道の笑顔のハナ☆さんやカナダのなえさんとの出会いをはじめたくさんの方々との出会いは、遠近など関係ないことを感じさせていただいた。小樽のクライアントとは携帯メールで連絡し合うなど、この時代の文明の利器を活用できる喜びに浸りながら、ますますコミュニケーションの大切さを感じる毎日だ。なんにしても、会報の発行と私が淡路島に出向くのとまったく同じ思いだ。アナログもデジタルもない。要はそこで何を感じるかだろう。とっておきの建築情報
2006/03/04
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とっておきの建築情報夢の実現って後ろを振り向いた時に終わる夢の実現には、実にいくつものハードルが用意されているんだな。貫くのも自分。あきらめるのも自分。いよいよ実現というときに容易されたハードルはすごく高い。貫くときのエネルギーってすごいのに、一度怖気づくと一生懸命逃げ道を探し出すんだな。自分の夢の実現は自分しかわからないし、自分だけしか支える者はいないんだ。牛突きの牛は一度怖気(おじけ)づくと闘牛ではなくなる。今までにどれだけの起業家がつぶれていったことか・・・つぶされていったことか。自分が強い意志を持って働きかければ、「応援するよ~!」となるけど、ひとたび弱い自分になって相談すれば、「やめといたら・・・」となるものなんだ。つまり自分の気持ちの有様のままなんだ。つまり、相手はいかようにも変化(へんげ)する。相手は鏡なんだな。建築家コムースは、絶対に自分の夢を実現する!たとえ誰が何を言おうが、それを肥し(こやし)にする分でも、それでもって歩みを止めるような愚かな私ではない。一度後ろを振り向きだすと恐くなっちゃうんだよね~。後ろに誰もいないから。大きなものを背負っていることを改めて感じるから。後ろに誰もいないのは当たり前。かかりきれないくらい大きなものを背負っているのも当然だ。高い志の荷物はとてつもなく重いものだから。なまじっか退路があると人間怖気(おじけ)づくんだよね~。ガリレオは世界でたった一人地動説を唱えて、迫害されてもそれを貫いた。私は、「顧客の夢の実現」「顧客の幸せを実現!」という夢から逃げ出すわけにはいかないぞ~!絶対に夢を離さない。なぜなら私はガリレオだから。真実を知っているから。
2006/03/04
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会報「Arts&Craft」 - とっておきの建築情報満載会報 「Arts&Craft 」 発行!いよいよビジュアルでお伝えするときが来た。媒体をどうするのか色々悩んだ末に、webページでの公開に踏み切った。会報の発行は、マーケティングアドバイザーの浜村さんと、シンチャンに色々教えていただき発行できることとなった。 アリガタイm(__)mアナログ版で発送したが、有難いことに知り合いが多く、全部発送し終えていないのに発送コストは相当なものとなった。これでは、せっかく伝えたいことでも発送できないことになりかねない。アナログがよいことは分かっているが、資金難で発送が遅れるようでは意味がなくなる。果たしてwebまで開いて見ていただけるのかはわからないが、とにかくアップし、知り合いのメールアドレスへ発行案内を送ることとした。Webでのアップに際しては、午前様まで「シンチャン」にご協力いただいた。この場を借り心よりお礼申し上げます。頭の中にはすでに10号くらいまでの編集は出来上がっている。伝えたい出来事、伝えたい住まいづくりの知恵、匠の職人さん、町の職人さん全国での活動の中でのトピックス、特集等、楽しんでお読みいただけるものにしていきたい。
2006/03/02
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会報「Arts&Craft」 - とっておきの建築情報満載神聖なる建築自分で設計した建物であっても、時間とともに我が子のように一人立ちしている雄姿を見ると期するものがある。こういう瞬間に、たまたま私の身体や思考を経由して神のデザインがもたらされたと思える。私の設計した建築は結構インパクトがあるように思う。一人の個性的な人物のように建築が存在する。明らかに地域の原風景になりえていると思う。皮膚科クリニックと調剤薬局の建物が並んでいる様はとてもよい空間を地域に与えている。国屋の家、比津の家、浜乃木の家、坂本の家、などなど、すべてが街のランドマークになっている。もともと自然体でしかも表情のある建築を目指しているのだから、おのずと建築にその気持ちが現れてくるのだろう。建築家然として意識せずにその建築を訪れると、自分でもハッとする。もはや作家たる建築家の元を巣立って一個の生命体となり、それは「神聖なる建築」へと昇華を続けている。単なる洋風とか和風とかという概念を越えて、一個の生命体の誕生こそが建築の創造だ。建築を構成する一つ一つの材料も、大切な細胞として他の細胞と組み合わさっている。築百年の商家は、古材と新材が見事に融和し始め、人間としての基本的道程のように、人格の高揚をめざす人生を確実に歩みだしている。こうして建築を擬人化して感じ取ろうとすると、確かになにかのエネルギー、生命の息吹を感じる。建築はとても神聖だ。建築家は、さしずめ神官のごときものだ。
2006/03/01
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