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視野の広がり苦労しないとわからないことがあるものだ。昨年は非常に苦労の多い年であったが、色々な方々に相談する中で路は開けてくるものであることを改めて知ることができた。例えば、先日の増資についても、もちろん資金の調達ということが第一義ではあるが、多くの理念に賛同していただく方を募るのもよいことを改めて感じた。昨日は、あるクライアント(施主)の方から出資するよ、と声をかけていただいた。株主となれば経営についてきびしく見るよと言われたが、もちろんそれが当たり前のことであり、何より理念の理解者がいてくださることも含めて力強い活動(経営)になっていくだろう。昨年は嘘のような事件に巻き込まれたが、ことによればよかったかもしれない。NHKで紹介されたり、日経アーキテクチュアに紹介されたり、小樽の価値ある仕事をさせていただいたりした中で、その事件がなければ天狗になっていたかもしれない。出資者を募るとは、会社をよりグローバルにしていくことだ。より社会的な意義の深い活動にしていきたいという思いが強くなってきた。苦労の多いこの頃だが、視野を広げる機会を与えられたのかもしれない。そう思うと、この苦労が有難く思えてきた。
2006/01/31
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本質は訪問販売以前の日記に、職業人はすべて「職人」と書いたが、世の中すべて訪問販売とも書いた。ソニー創業者の盛田も、松下電器の松下幸之助も、みんな風呂敷に商品入れて背中に担いで訪問販売したのが創業だった。今はどの企業も店を構えてお客が来るのが当たり前になっている。私は建築家になる前に保険の外交をしていたことがあるが、だれでも一度訪問営業を経験してみればよい。物事の基本の一つを学べる。私の場合は、現在の建築家活動の理念の背景になっている。「商売」とは崇高なものだ。例えば、大学教授という職業は商売ではないという方がいるが、私に言わせればれっきとした商売だ。崇高な商売人であり訪問販売員だ。商売とは顧客に尽くす(顧客の夢の実現を果たす)ことだ。顧客の夢を実現して、そのご褒美として利潤をいただくことだ。自己満足だけの職業など断じて存在しない。すべて世の為人の為だ。どの店でも社員が、「本来なら私が風呂敷を担いで訪問しなければいけないのにわざわざ来ていただいたのですか。それはありがとうございます。」という心持で対応したならその店は多いに繁盛することだろう。経営者は特に「店に客が来るのが当たり前だ」と思ってはいけない。 (自分への言い聞かせ)本質は訪問販売なのだ。役所だって、市民のところへ行くのが本来だ、と思えば、あのような横柄な態度もとらないだろう。本来は私が行かなければいけない!ということを道理とする社会であればみんな謙虚に生きれるだろう。これから社会人となる人がここのところをわかって活動すれば、大いなる成功要因になるだろう。クリエーターにしても、自分の自己満足(店に来るのが当たり前)ではなく、本来なら私が行かなければならない(私の創り出すものを待ってくれている人がいる)と思えば、大いなる使命感とともに、苦しい創造作業が使命感に満たされたやりがいのあるひと時となるだろう。本質を掴むことだ。 本来は訪問販売が基本・・・これが本質だ。 訪問販売 = クリエイティブな提案(プレゼン)どのような商売(職業)でも、人のためにつくす(提案)のが使命だ。だから、私は建築家として今日も遠慮なく(使命を果たすため)提案する。
2006/01/29
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本当の能力主義ことによれば以前の日記にも書いたかもしれない。我がアトリエ(事務所)には競争がない。スタッフ同志で仕事を組ませない。安藤事務所と同じやり方でやっているので、私とスタッフの二人のプロジェクトがスタッフの数だけある。スタッフには色々な特徴がある。悪いところだけを見ればきりがない。人間みんなそうだ。例えば、あいさつがなかなかできないというか苦手な人もいるだろう。普通の会社は、そこのところを徹底的に態度訓練するだろう。うちはやらない。どうでもよいことだ。態度が悪くてよい、ということではない。本気になればほっといてもよくなる。私は、その者の尊厳を壊してまで教えようとは思わない。あいさつが悪いのはそこの経営者の教育がなってない!と言われるかもしれないが、それは甘んじて受けよう。そんな無駄な時間と労力を使うことが惜しい。ひとつの設計依頼にスタッフとともに向きあったときに、スタッフは豹変する。神経を集中する。私の要求は、私と一緒にクライアント(施主)の夢の実現に意識を集中させることだ。建築はクライアントのものであるとともに地域の財産だ。地域の原風景を創り上げるという崇高な仕事だ。それを共有したとき、あいさつがどうのという次元の低い話は吹っ飛ぶ。一々立ち居振舞いに思いを向けるなどという低次元のことなどにかまけてはおられない。「あいさつや礼儀作法は親にもう一度教えてもらって来い」これでよい。創造作業は、身体を捩りながら思いを搾り出すような作業だ。仕事場は態度訓練の場ではない。クライアントへの本番の場だ。みんな能力を持っている。我がスタッフは23~25歳の男女だ。おそらく他の設計事務所では一部のことしか任されていないのではないか。特に計画作業に関わるということはほとんどないだろう。能力のない経営者に限って任そうとしない。私は、計画作業をスタッフの頭も総動員する。実施設計に至ってはクライアントも加わっての創造作業だ。我がスタッフには競争ではなく、能力の発揮を問う。みんな有能な人間に進化する。誰でも例外なく固有の能力を持っている。それを引き出せばよい。能力主義とは競争させることでない。各自の能力を発揮させることだ。これが分からない経営者が結構多い。
2006/01/29
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「文化」とは私は学者ではないので学術的な検証はできないが、建築家として設計に真正面から向き合うときに、そこには必ず「文化」というものが立ちはだかる。意識しまいと思っても、それを解析しなければ仕事が進まない。実に難しくやっかいなものだが、いくつかの物件の設計を行う中で、私の中での「文化」が明確となってきた。NHKで紹介いただいた松江の「築百年の商家」のリニューアルで、それはいよいよ明確に意識できた。さらに、小樽市指定歴史建造物のリニューアルの依頼をいただいたとき、対峙し合っていた小樽市役所とクライアントの間に立ち、私の「文化」をお話した。自分でも驚いたが、それはすぐに共通の認識として受け入れられリニューアルが行われることとなった。 文化とは・・・建築からの検証 「その建物は建築「文化」か?」松江市には松平藩の居城「松江城」がある。平成の時代の中でこの城は「建築」か?「建築」となるためにはその建物が存在するための土台となる「文化」が必要だ。答えから言うと松江城は「建築」ではない。なぜなら、この建物の土台となる武士の「文化」はすでにそこにはないからだ。このような場合、この建物は史跡と呼ばれたり文化財と呼ばれる。一方、安土桃山時代から現存するお茶室「利休の待庵」は「建築」か?この建物は「建築」だ。なぜなら、この建物が載る文化としての「お茶の世界」が現代にもありこれからも続いていくであろうことが想像できるからだ。かの岡倉天心の世界でもわかるように、確固たる文化だ。小樽市指定歴史建造物は建築か?これを小樽市役所とクライアントにぶつけた。旧 遠藤又兵衛邸が私に託された建物であった。この遠藤邸は明治35年に建てられた建築だ。和洋折衷のたぐい稀な建築で、日本建築学会の評定書も公布されている価値あるものだ。答えからいうと、この建物は「建築」ではない。いや、なかった。なぜなら、明治の庶民文化の上に建っていた建物としての「建築」であり、現在の文化の上に乗っていないからだ。私は小樽市役所に問うた。「この建物は文化財ですか史跡ですか?」市役所からの答えは「史跡でも文化財でもない」というものであった。「ならば、この建物を「建築」にしなければいけないのではないでしょうか。つまり、明治の庶民文化ではなく、平成の庶民文化の上に乗せてあげましょう。」実にチン問答のような問いかけだが、そこに小樽市役所とクライアントの中に大義名分ができた。クライアントにしてみれば、敷地の中に明治の遺構が横たわっていて実に迷惑な話だったろうし、小樽市役所としてみれば、当時(30年前)に指定された意義が揺らぐ(オリジナルを維持していくことの難しさ)中で、どう対処してよいか分からなかったのだろう。「文化」を絶対的なものとして捉えたときに、「建築」の検証解析が可能となる。平成の庶民文化のための「建築」にしていく「作業」が始まった。これが、私の建築家としての仕事だ。「文化」とは、過去の時代を目指しているものではない。常にこの瞬間をスタートラインにして、未来に向けて走りつづけるであろうものを「文化」という。「お茶の世界」は、たまたま安土桃山時代から興ったことであって、今日のこのスタートラインに立たせてみて、なおかつこれからも続いていくであろうことが想像できるので「茶の湯の文化」と呼ばれるのだ。ウインドーズもことによれば文化かもしれない。50年後も100年後も存在しうる可能性を感じるならば、ウインドーズは文化だ。
2006/01/28
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そこを見つめれば世界が開けるバッシーさんとまたまた話し込んだ。お互いに事業の理念が一緒なのでポイントがよく見える。20代によく言われた。「世の中には君の知らない世界があるんだよ。海千山千でないと生きていけないよ」と。この歳になって思うことは、ばかも休み休み言え!だ。こんなことを言うヤツラばかりだったからこんな世の中になってしまった。若い奴はどうのこうの・・・とよく言われたものだったが、当時の大人たちが実は若者の向上心をつぶし世の中をダメにしてきたのだ。若者よ!だまされてはいけない。ほんとうの成功者には逞しい純粋性(理念)を持つ者しかなれないんだ。ケチなヤツラの言う海千山千の話は蹴散らせ!私(あなた自身)の内面を見つめると世界への入口が見えてくる。純粋な心の中に社会の扉があるんだ。バッシーさんと私には見える。安藤忠雄の言う「今見えているもの、今している仕事のその向こう側を見つめる」とは、お互いの心の内面の真に目指していることを見つめ合うことだ。世界の社会の真実は遠くにあるのではない。自分の心の中にあるんだ。安藤忠雄が人種や国を越えて可愛がられているのは、人種に関係なく人間が皆一様に持っている純粋性を見つめるからだ。「こいつは私のことをわかってくれる」瞬間的に感じることだろう。安藤と会ったことがある人にはこの意味がよく分かるだろう。安藤は、目の前の本質だけを見つめて生きている。聞かれれば本質だけを返す。建築家としてバッシーさんの目指していることを見つめているとワイナリーの事業の本質が見えてくるし、どのようなワイナリーを設計すべきかが見えてくる。今の社会はダメだと言ってため息をつく人がいる。私は、「おれが説教してやるからその(社会)と言う人を連れて来い!」と言ってやる。もっけな顔をする。あなたが社会そのものだ!と言っても気付かない。「世界」という人もいない。すべての人が「世界」そのものだ。自分自身が世界そのものなのだ。人はいつも主人公は自分以外の人だと思っているし、主人公は遠くにいると錯覚している。宇宙の果てを目指している人がいる。しかし宇宙の果てにいる人から見ると我々が宇宙の果てにいる人たちなのだ。我々が羨望の的なのだ。つまり主人公なんだ!一人一人の心の中に崇高な世界への扉がある。例外なくそうだ。人間(あなた)そのものが神だ・・・と言われる意味が今はよく分かる。一人一人が崇高な神であり主人公なのだ。脇役は一人もいない。人間ってすごい。この世はすごい世界だ。すご過ぎだ。わかんないかな~。
2006/01/27
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ステップアップのための増資の時期有難いもので、どうしようかなと思っていたら思わぬ知恵をいただけるものだ。このところ全国的に動きまわっているが、ダイナミックに事業が展開し始めるとまずは支出が先行する。いつでもそうだが、物件が動くと資金が動く。まして多くの物件が動き出すと結構ダイナミックに資金が動くこととなる。松江で大型プロジェクトがあったり、全国各地からの依頼ありで今までにない活況を呈しているが、ゆえに資金が必要となってきた。東京事務所開設資金など全国版ならではの必要資金もあり、さらに、今までにない大型工事の受注ということもあり、全国へ出るための旅費交通費もばかにはならない。有難いことにすでに物件の設計作業も進んでおり、闇雲に営業活動に行く話ではない。受注の年間ベースで見ると大きな黒字となるのだが、運転資金的には前半に支出が集中するため収入とのバランスがとれない。どうしたものかと思い、銀行の親しい支店長と話したら、そのような時には増資で対応したほうがよいとのことだった。借金はしたくないとの思いもあるため、その案には多いに関心を持った。以前からアドバイスされていたことであったし、出資をしてもよいとの話をいただきながらうやむやにしてきたが、いよいよ本気で考えるべき時が来たようだ。会社は出資者のものである。私は建築家として出資者の負託に答え事業を行なっている。この原点に立ち返って、むしろ心有る方、私とともに間接的にでも社会貢献に一役買っていただく方にご参加いただくこともよいことだ。自分で言うのもなんだが、出資した会社が全国的に活躍するなどということになれば、出資した甲斐があるというものだろう。もちろん誰でも良いというわけにはいかないが、心有る方にはむしろ積極的に出資をお願いするのもよいことだと思う。昨年、島根県民ファンドに応募せよ!という有難い言葉をいただきながらうやむやにしてきたのだが、今にしてみればもったいない話だ。たくさんの出資者の方々の思いを背中に載せ、本物の建築家活動を展開することだ。よし!グローバルな精神で増資を行い、建築家活動をさらにパワーアップだ。一緒に社会貢献していただける出資者の方ウェルカム!
2006/01/26
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淡路島の古民家 実施設計完了昨年9月から勧めてきた淡路島の築百年の古民家リニューアルの実施設計が完了した。およそ30枚あまりの実施設計図面となったが、本日のクライアントとの打合せで、図面枚数の多さと、検討項目の思考の深さを感じていただいたに違いない。建築家との完全融合の瞬間だ。基本設計段階での夥しい模型の数々や計画図を使っての検討作業を通して建築家が一歩(数歩?)リードして設計は進む。実施設計終了時にクライアントがめでたく合流される。実施設計の複雑かつ面倒くさい作業の積み重ねのなかでその状況を伝えるのは不可能だ。クライアントにしてみれば、アポロ宇宙船が月の裏側にいて交信不能の状況と似ているかもしれない。いよいよ、新たな建築の誕生だ。リニューアルではあるが、建築家として概念としての「新築」を行う。明治の時代に帰るわけではない。素材を使ってこれからの建築を誕生させるのだ。小樽の2期工事も基本設計の初期段階にあり、模索作業が続いているが、その他に数多くの物件がめまぐるしく頭の中を動きまわっている。岐阜県にも早く訪ねたい。木曾が私を待っている。
2006/01/26
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国際シンポジウムに招かれるとうとうここまできたかという感慨がひとしおだ。東京大学から国際シンポジウムの案内が来た。もちろんパネラーとして招かれたわけではないが、一般大衆に向けての案内ではなく、名指しの案内が来た。日経アーキテクチュアの取材の依頼を受けたときにもそうだったが、「ここまで来たのか」という感慨ひとしおだ。実際の毎日の建築家活動は、創業の身であることもあり必死の一言なのだが、こういうことってほんとうに大いなる励ましだ。方向性は間違っていないという証しをもらったと同然だ。自信が湧いて来る。私が目指す「建築家」像は、いい加減なものではない。もちろん全国で通用する建築家を目指しているのだが、ことによれば地元では「何をのぼせているんだ」としか見えないかもしれない。こうして小樽をはじめ全国から設計依頼をいただき、NHKや日経アーキテクチュアの取材を受け、さらに東京大学から招待を受けるというのは本当にうれしいものだ。今時の経営者はどなたもつらい状況だ。創業の身である私もまったく同じだ。しかし、今がどうあろうと、夢とビジョンが明確であり、ましてこのように認めていただけるというのは誠に心強い限りだ。グローバルな視点で地域を見据えるシンポジウムだ。是非参加し、パネラーをはじめ、当代の先駆者の方々と交流を図りたい。3月には、独立行政法人に招かれ講演をさせていただくこととなった。講演の主旨は、まさしく東京大学の国際シンポジウムの縮小地域版だ。同じ3月に、理念のつながる二つの催しに招かれるというのは、次のステージを暗示するものかもしれないなどと勝手に想像している。
2006/01/25
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見えること 見えないこと目の前に見えるものは、鏡に映った自分の姿、見えないものは自分の背中。自分の知っている自分の姿と、自分の知らない自分の姿があることが分かる。自分が知らなくても、背中の自分は自分自身の真実であることには変わりない。ややこしい話だが、つまり自分の判断がいかに深いと思っても、自分自身についてさえも知らないことがあるのだから、物事はもっと深く慎重に考えなければいけないということだろう。特に社会の現状について、目の前に見えていることと、その後ろにあるものの両面を意識しなければならない。コミュニティ性という心の部分と、環境に関わる部分の両面があることを意識していなければならない。建築は、ただつくればよいというものではない。そこに込められたものは、個の部分のこともあれば、社会の歯車のひとつとしての意味合いがある。例えば、公害になるような物質が含まれている壁材が使われていたとするなら、家人の健康を害するとともに、地域が悪い環境になる源となる。自分だけは・・・はいけない。世界は国家の集合体であり、国家は地方の集合体、地方は町の集合体、町は一つ一つの世帯の集まりだ。つまり世界は世帯の集まりだ。建築家の頭の中は、世界と世帯が直結している。それを社会と言う。
2006/01/24
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小樽職人の会北海道に行っての一番の収穫は「小樽職人の会」の方々にお会いできたことだ。平成4年から呼掛けが行われたが、最初は会合の途中で大半の職人さんが帰ったりしてうまくいかなかったらしい。小樽市役所の方で公私のすべてを捧げ今日の形になるために情熱を傾けた方とも親しくなれた。それに職人の会の事務局をしておられる旗屋さんの大将にもお目にかかることができた。この動きは北海道全体の動きとなり、今では全国にその活動が広がってきているという。 小樽職人の会 小樽職人の会 メンバー傍から見ると専門職が集まっているのか、と門外漢に捉えてしまうのかもしれないが、実は、町の界隈(かいわい)の潤滑油は職人達であり、その活性化こそがコミュニティの源なのだ。小樽職人の会は、職人だけの会ではない。これだけの専門職がいるのだ、ということを一般の方々に知っていただき、関わっていただくことが目的だ。つまり、わけのわからんNPO活動ではなく、要するに、以前はあった当たり前の生活の営みをやりましょうということだ。立ち上がるのは職人達であって門外漢ではない。決して外野が主人公になってはいけない。小樽職人の会も、職人達が本気になるように陰に陽に関わり支えている人たちがいるが、一切表には出ていない。私は、「松江職人の会」ができることを夢見ている。働きかけはするが、職人の会自体の表には決して出ない。今はひたすら核となるであろう職人を探している。染物師でもいいし、靴職人でもいいし、スーツ職人でもよい。技能士会なるものがあるが、官主導ではなく、もっと生活に根ざしたもので、職人の自発的なものでなければならないことを小樽職人の会にふれて思う。
2006/01/23
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建築家の責任姉葉問題も騒がれているが、忘れてならないのがアスベストをはじめとする建築資材に使われている有害物質や身近な食品に使われている添加物の問題だ。私が建築の世界に入った昭和40年代の後半はオイルショックの真っ只中で、物資が高騰し大変な状況であった。しかし、そんな中で大きく報道されていたのがアスベストの問題だった。発ガン性のおそれあり、とは当時既に言われていて、作業員の防塵マスクの装着が義務付けられた。こわいな~!とは当時から思っていて、工事現場ではアスベスト工事の時には決して足を向けなかった。それが、30年後の今日、ようやく大きく報道された。このことから、国の安全基準など当てにならないことが分かった。設計図面には管理建築士の名前が明記される。私が設計した場合は私の名前が載る。いつも気になっていたのが、住設機器の選定だ。システムキッチンをはじめとする機器の選定には本当にこまる。インテリアコーディネーター氏に協力してもらっているが、お互いに語り合うことは、我々がプロとして選定したものが後になってアスベストのように、とっても悪いものでした!などということになってはこまるということだ。道義的な責任が生じる。最近恐いのが、電磁波や水の問題だ。システムキッチンなど数多くのメーカーがしのぎを削っているが、アスベストのように、こんな悪いものがついていました、などということがないようにしっかり吟味しなければいけない。建築家として吟味し、確固たる納得できる機能を有する機器は積極的にお勧めすることとした。つまり、建築家としての責任の果たし方は安全なものを明確に伝えることだと考えた。黙っていたって、結局最終的な道義的な責任を有するのであれば、明確にお勧めすべきだと考えた。とにかく、最近までの建築資材には、昨今騒がれているアスベストやホルムアルデヒドだけでなくさまざまな有害物質が含まれている。以前はアトピーが少なかった。確かに食品添加物も影響しているだろう。しかし、現実には、以前のほうが基準が曖昧で強い添加物が使われていて、それにも関わらずアトピーが少なかった。むしろ、昭和40年代からの新建材と言われている有害物質だらけの建設資材によるところが大きいのではと私は思っている。建築基準法が改正され環境基準がきびしくなったのは一昨年からだ。それによって改善されるのは今後新築される建物だけであって、今までの建築は相変わらず有害物質だらけだ。つまり、社会環境は法律が変っても直ちには改善しないのだ。付け加えるなら、車のブレーキパッドにも最近までアスベストが使われていた。世界中の身近な大気にアスベストが巻き散らかされているのだ。昭和30年代まではすべての癌による死亡者数を足しても死亡原因の第一にはなっていない。それがいまでは、特定の癌の死亡率だけで一位となり、すべての癌の死亡率を足すととんでもない値となる。NHKのクローズアップ現代でも取り上げていたが、全国の上水の中のトリハロメタンの値が上がってきているという。農薬、食品添加物、建設資材に使われている有害物質などが捨てられ、いつしか食物連鎖のように水源地になだれ込む。全国的に見ても琵琶湖水系のトリハロメタンの値は異常なまでに高くなっている。これも一方の真実であることを知るべきだ。絶対何かがおかしい。絶対に無頓着であってはならないことだ。こんな中で、建築家として建物内の環境だけを考えておればよいのか。総合的なコーディネートをするのが建築家の使命だとするなら、環境・健康に関する領域にまで及ばなければいけない。どうせ図面に名前がでているのだから、将来なにかがあった時には、直接的な責任がなくても、「なぜ教えてくれなかったのか」という道義的な責任が問われることは明白だ。従って、今後、電磁波や水以外にも伝えなければならないことがあれば、たとえ何を言われようが積極的に伝えていく。現代人は職人文化を意識する回路が欠如している・・いやインプットされていない。だから殺伐とした社会となってしまっている。職人文化に目を向ければたちまちによき社会になることを私は訴え掛けている。同じように、もはや健康的な環境ではなくなってしまっている社会であることを明確に伝え、その対策に無頓着であってはいけないことを啓蒙していくことも大切な建築家の使命だ。その上で理解されないなら、もはや私の意識の及ぶところではない。
2006/01/22
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ポチの家手っ取り早く分かりやすいのでこの「ポチの家」という言い方をする。昨日の日記にも書いたが、いくら高価な部材でも、それらをただ単に並べ立てるだけではなんの価値も見出せない。窮屈なローコスト住宅こそ芸術性の高い「建築」が誕生するチャンスは大きい。なまじっか予算があるばっかりに虚飾の祭典になってしまうことがあり、ただの「建物」に過ぎない存在となってしまうことも少なくない。こんなことを分かりやすく説明するために「ポチの家」の話をする。ポチはもちろん犬のポチだ。ポチの家、つまり犬小屋だ。よく子供達が描く切妻屋根で妻側に楕円の入り口があるあれだ。建築的にはおそらくなんの価値もないデザインだろう。普通はこれをベニヤでつくりペンキを塗る。そんなものだ。このポチの家を木曾の檜でつくったらどうなるか。確かに数十万する高価な箱になるだろう。しかし、建築的に見れば、所詮はポチの家なのだ。大切なのは、ベニヤで作っても「建築」と言えるものを創ることだ。だから先日案内していただいた高価な住まいは、木曾の檜や吉野杉をふんだんに使った「ポチの家」なのだ。残念ながらレディーメイドな回路しかない方には理解不能だろう。これは仕方ないことだ。どうもセンスは生まれつきのようだ。ローコストでよいから、本物の「建築」に住みたい!という方のお手伝いをしたいものだ。
2006/01/22
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手法としての数奇屋 概念としての数奇屋本日は、概念としての数奇屋建築を体現した「松江の離れ」の建前が行われている。昨日の日記にも書いたが、大きなフレームを意識した観点と細かな手法を決めていく視点とが必要だ。とかく部分から入る人が多い。つまり手法から入る人が多い。この部分は個々の趣味の部分が大勢を占めていて表面的な表現だであり、その奥にあるものを表現するものでなければならない。まず根本的な思想的あるいは思いというものを明確に意識する作業が必要だ。その上で、その思いを表現するにふさわしいものであれば私はどのようなものでもよいと思っている。建築家というのは実に奥の深いものだなと思う。自分でこむつかしくしているに過ぎないのかもしれないが、日経アーキテクチュアの記者がわざわざこんな田舎の私を訪ねてきて「建築家とはなんでしょう」と問い掛けてきたときに、「やはりそうか」という思いになり、自分自身のスタンスが正しいことを感じた。知識の膨らんだ方は沢山いる。私よりはるかに詳しい方も多い。そういう方は、私が広げる辞書のようなもので実に都合がよい。昨日の日記でも書いたが、部分を見て、あーだこーだというのは実にストーリーがなさすぎる。部分が秀でていても、テクニックにこっていても、全体から見てアンバランスになることのほうが多い。物事には程度というものもある。「松江の離れ」は、予算が限られていたことも幸し、ほどほどの数奇屋とすることができた。私は松江に京都を再現したところで意味はないと思っている。京都だから、地域性と文化がその体現としての建築を生み出しているのだ。概念としての数奇屋は全国どこでも体現できる。つまり哲学のような概念だからだ。それがどのようなものかは言葉では現されない。建築芸術を感じ取る感性の中にしかそれを意識できる回路は与えられないからだ。そこに佇んだときにじ~んとして涙ができる建築もあれば、へ~で終わってしまう建築を感じるように、理由を述べることは難しい。大切なのは全体的なフレームであり概念だ。建築の創造には「意識」と言うフレームが絶対条件だ。私は常に建築家として、この物件で与えられたフレームはなんだろうとまっさきに考える。自分の中で明確にし、それを基本的概念にすえ実際の計画作業を行う。細かなデザイン的なアイデアは、私だけでなく、スタッフやクライアントのアイデアも総動員する。先日も、大きな新築の田舎作りの住まいを見せていただいたが、「この床柱いいでしょ~!」と自慢そうに言われても、「え~ま~」としか言いようがなかった。何のために秀でた床柱がそこになければならないのか分からなかったし、いつ使うかわからない客間を8帖二間続きでつくり、家人は、狭いダイニングキッチンで大半の時間を過ごすという。これももちろんその方の価値観からのものなのでとやかく言えないが、「どうしたいのですか」と問い掛けたくなる。もちろん、明確な目的意識や価値観が理解できれば、それはそれでよいのだが。8畳の間はこうつくった!とか、床まわりはこうつくった!とか、玄関はここにこだわった!とか色々聞かせていただき、さぞお高かったんだろうと感じたが、肝心の全体の枠組みがさっぱり見えてこなかった。狭い敷地でおまけにローコストとなると俄然建築家の血が騒ぐ!とは安藤忠雄の弁だが、まったくそのとおりだと思う。予算がないとは、虚飾を剥ぎ取ることにもなるからだ。背景となるきらびやかな大道具もなく僅かな役者だけで物語をつくり上げる源はなにか・・・それを成立させるのは、そこに体現する概念であり芸術だ。予算があるないに関わらず、確固としたフレームを意識し、それを体現したデザインを組み立てることだ。これを「建築」と呼ぶ。そうでないもはただの「建物」だ。ローコストの「建築」もあれば、高価な「建物」もある。その違いはこういうことだ。
2006/01/21
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大型事業はコーディネートが大事最初に勤めた設計事務所は公共施設等大きな建築を手がけるところだったので、大型建築ばかりを担当してきた。従って、少々大きな建築でも気後れることなどはない。昨年末に、大型の複合福祉施設の設計の依頼を正式に請けることとなったが、もとより多いに自信を持って作業を進めている。2年前より、先行して都市計画法の開発行為が行われている。この分野は土木コンサルの領域だが、しかし、その全体像がどうもしっくりこない。クライアントもしっくりきてないようだ。手続きの進め方がなんだかちぐはぐに思える。開発行為が終われば、いずれ建築設計としてバトンを受け取り建築していくのだが、担当する者としてじっと見つめたときに整合性が曖昧でかなりの調整の必要を感じた。何が間違っているというわけではないが、物事にはケ-スバイケースで結果にいたる道筋なり理念が必要だろう。このコンサルは、クライアントが実現しようとしている事業をきちんと理解して進めているだろうかという疑問が湧いてきた。物事はなんでもそうだが、事務的に機械的に処理していけば成就するというものではない。広い見地からのコーディネートが必要だ。時には政治的な視点で判断しなければならないときもあるだろうし、実際に行われる事業がその地域にうまくマッチングできるように建築の観点から洞察することも必要だろう。決してクライアントが顕在的に要求していることではないにしても、潜在的にはプロとして要求されているわけだから、例えば、私であれば建築家としての内なる洞察はしっかり行わなければならないだろう。どうも広い見地で洞察するコーディネートの姿がそこにはない。事務的にこなすそれぞれの専門分野の技術者の姿しかない。こういう場合には、最後に、クライアントだけがぽつんと取り残されてしまう。外部から見ればきちんと仕事はこなしているということだろう。大切なのは、クライアントが何のために今回の事業をしようとしているのかを感じ取り、所謂、当事者意識になって初めて作業開始となるのが本来だろう。「言われる通りやりました」では本当のプロではない。ここしばらく、この事業の確固たる道筋を作ることに専念してきた。各役所をまわりながら、クライアント(申請者)と役所(審査・許可者)双方が共有できる道筋ができた。この作業は、模型や図面で現されるものではないので、人知れず哲学のような存在として今見えているものの向こう側に背景として存在している。関わるすべての者にとっての共通認識として存在する。私としては、大いなる仕事をしたと感じているのだが、しかし視覚にはふれることがない世界だ。こういうのを陰徳というのだろう。 (言ってしまえば陰徳にならないか)
2006/01/20
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感性の一致が出発点当然のことではあるが、私が申し上げることが伝わらず理解されないときには落ち込んだりすることもある。一方で、瞬間的に話が進んでいくこともある。昨夜は老舗のお上さんとお会いしお話したが、全国を飛び回り活躍していらっしゃるが、感性の合う方との出会いを求めて活動していると言う。感性の合わない方にいくら話しても無駄であることを今更ながら感じるこの頃だ。昨夜の老舗のお上さんのように、だれかれとなく話すのではなく、感性の一致を見極めて話を進めていくことにしよう。もちろん結果としては今までだってそうしてきたのだけれど、もっと明確に意識していこう。そうすればお互いに無駄な時間を過ごさなくてすむ。建築だってそうだ。クライアントには、オーダーメイドタイプ、イージーオーダータイプ、レディーメイドタイプがある。建築家がお手伝いできるのはオーダーメイドタイプだけだ。従って、特にレディーメイドタイプにいくら建築を語ってみたところでなんの意味もない。そういう方にも結構建築を語ってきてしまった。真に私を待っていてくださる方がいらっしゃるのだから、そういう方との出会いを求めて神経を研ぎ澄まさなければならない。これは、どのような商売でも共通のことだろう。トップセールマンと言われる方々は、きっとそのような神経が研ぎ澄まされていて、相手を瞬時に見極めてむだな会話はせずに本当の出会いの機会のチャンスを広げているのだろう。私も無駄な時間を過ごしている暇はない。八方美人になってもしようがない。建築家として目的の的を絞り、出会うべきクライアントとあるべき建築の創造を行っていくことを、改めて強く認識していこう。
2006/01/19
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山麓の家松江市内で、なだらかな山の斜面に計画中の住まいの計画が進むこととなった。斜面に建てることはそう簡単なことではない。以前、安藤事務所で、六甲の集合住宅の計画作業を垣間見たが、それこそ長大な時間を使い、現地測量から敷地模型を作成し、機械的かつ芸術的な作業を繰り返し計画されていく様は、その行為こそが芸術的にさえ思えたものだった。そのような格闘するような敷地ではないが、それにしても、要望と現実を整合させていく作業が並大抵ではない。様々な矛盾を生じる要求を満たしていくところに建築家たる真髄があると思えばさらなるやりがいとなる。先日、新聞記者の方やある企業の方がいらしたが、ホームページを見てそのユニークな建物に関心を持ち訪ねてこられた。決して変った建物を設計しようとしているのではなく、回りに迎合することなく、本来そこにあるべき建築を素直な心で創造していった結果がいままでの作品となっている。日々の設計作業もまさしくそのような作業の繰り返しだ。
2006/01/18
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東京 ・ 岐阜 今月下旬に東京で話をさせていただくことになった。「建築を通じてコミュニティの復活を!」と題してのミニ講演会だが、Uターン者向けに定住の提案もかねている。松江市の、南に宍道湖を望む絶景の高台にコーポラティブハウスを計画しているが、東京からのUターン者の方々にも呼びかけようとするものだ。もちろん私の建築家活動全体を貫いている理念をお話するのだが、今ごろにしかしアクションをおこして情報を発信し、届かなければ何の縁も生まれない。東京でおこすアクションでどのような反応がでるか楽しみだ。東京の翌日は岐阜に入る。以前から計画を依頼されていた場所にはじめて足を運ぶことになった。木今から15年くらい前に木曽路を旅したことがあった。木曽川だったか長良川だったか忘れたが、木曾の檜の生まれる場所を訪れたのだが、悠久の歴史につなぐ事業の壮大さに胸が打ち震えたものだった。岐阜の家が必ずしも木曾の檜とは限らない。そこにあるべき建築を誕生させていくのが私の仕事だ。
2006/01/17
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小樽にて思う小樽市指定歴史建造物遠藤又兵衛邸の第一期リニューアルは無事終了した。雪の中の完了検査となったが、職人の技もなかなかのものだった。概念としての「新築」が行われた。来月は小樽雪あかりが行われるが、そのおりにこけら落としが行われる。建物のライトアップと内部の見学だ。内にどのような空間ができているのかお楽しみ。初お目見えだ。小樽の次なる設計依頼もいただいた。夏までは小樽に通うことになった。小樽にはなにかがある。小樽の仕事により私の中に明確になったものがある。建築家を純粋に貫いていく覚悟ができた。いや、純粋に貫ける仕事を与えられることに、わが身の幸せを感じる。小樽はこれからも続く。来月からは埼玉が始まる。そして広島。こんなに遠くに私の居場所があった。小樽は私にとっての原点となった。
2006/01/15
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たとえどうあろうと目的地に向かう列車に乗っている醸造家バッシーさんとの話のなかで、お互い明確な夢と実現に向けての実践の最中にあることを確認しあったが、ようするに、今(島根)を基点に夢の実現地点(東京駅)に向かう列車に乗っている。理念やビジョン、長期中期短期の経営計画という線路を敷き列車を走らせている。途中の燃料補給計画や運行計画を明確にし、まさに今京都あたりを通過している。創業者である自分がたとえ39度の熱をだしてうなされ寝込んでいようが、その列車を下りない限り必ず東京駅に着く。つまり夢は実現する。名古屋や静岡でおりてしまえば夢の実現はできない。経営とはとてつもない苦労の連続だ。だからこそ、どんな状態になっても必ず実現する仕組みをつくり、その列車に乗って走ることだ。自分でてくてく歩いて東京まで行く方法もあろう。しかし私たちは、夢と願望(線路と列車と目的地)を明確にし、その列車に乗ってさえいれば必ず目的地に着けるようにした。そのお膳立ても並大抵のことではないが、どんなに熱が出てもその列車から降りない信念も相当な覚悟がいる。必ず成功するようになっている。その列車から降りなければよいだけだ。目的地に着くまでじっと耐えるのだ。大勢の迎えの人たちが旗を振って出迎えてくれることだろう。それが明確にイメージされればそれですべて決まりだ。小田原あたりで救急車が迎えにきても絶対に降りなければ良い。(あきらめなければよい)
2006/01/13
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地方が「客席」で東京が「舞台」はウソストレートすぎる表現だろう。地方の人間の描く東京イメージは、おそらく地方が客席で東京が舞台という構図ではないだろうか。なんと言おうか、まったくもって笑ってしまう。以前はそうであったかもしれないが、政治をはじめ社会の構図が変わってしまった。国民総視聴者化、総評論家化・・・何でもよいが、つまり観客化してしまって、舞台の主人公がだれもいない状態だ。東京の人間に地方を委ねてはいけない。東京人は自分のことだけで一杯だ。全国の出来事などまったくもって見ていない。せいぜい六本木と品川、東雲(しののめ)の建築ラッシュに目を向けているに過ぎない。出来てからの町には関心がなく、常につくる行為にしか関心がない。文化を守る思想はもはや東京人にはない。もちろん田舎の者にもない。田舎者は東京人が自分たちを意識してくれていると錯覚している。東京に情報などない。あると思っている田舎者の錯覚だ。情報は全ての地域に発信源があるのであって、東京が発信源だなどと思うことが、東京人、なかんずくマスコミのアホな連中の思考をますます増徴させてしまう。東京が「都会」だと錯覚させている仕掛け人はマスコミだ。心あるマスコミ人は人生を後悔しないためにもさっさと足を洗って地に足をつけた人生に踏み出されることをお勧めする。一生評論家的人生では実体験の無い人生で終わってしまう。たまには評論される側になってみればよい。あさってから再び小樽だ。私にとって東京は通過点に過ぎない。東京の隅々まで動きまわっているから東京人より東京を知っているかもしれない。それに小樽をはじめ全国の町もずいぶん知っている。つまり東京を始め全国の街を知っているのであって、東京が一番などと言っているわけではない。しかしながら、私は東京が好きだ。都会としての東京ではなく、街の界隈としての東京が好きだ。そこには、地方が失った「田舎性」を感じるから。わかるかな~
2006/01/12
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ぶれている人どんなに努力してもうまくいかないこともある。その原因が相手にあることもある。ぼけっぱなしで話のストーリーがまったく読めないため、早く話を切り上げたくなることがある。今日はそんなことがあった。それは相手の年齢は関係ない。若くても、大の大人でもぶれっぱなしの人もいる。今日は二人の的外れな方とお会いした。(申し訳ないが事実)一人はあるプロジュクトに関わる役所の方。もう一人もやはり役所だがこの人はと思ってお会いした方だが、どうも人選を間違えたらしい。ということは、この方はと思い選んだ私の感性の問題かも。アホは嫌いだ!とは、若かりしころの安藤先生の口癖だったが、大阪弁特有の意味合いでの言い回しだが、たしかにそうだなと思うこのごろだ。学校の成績は抜群でも社会的にアホな方は確かにいる。官でも民でも組織に埋没するあまり、いつの間にか社会的には通用しない、つまりアホの部類に入ってしまっている御仁も多いのではないか。知識ではない。その場の空気を読めないとか。会議の骨子を理解せず会議のための会議にしてしまうやからとか。プレゼン側の意図を理解しようとしない方も素直ではないというか、大阪弁でいうところのアホなんだろう。とくに腹がたったわけではないが、無駄な時間を費やしてしまったというくやしさが湧いてきただけだ。いやいや、こんな無駄もあるから本物がより本物として意識できるのだろう。そう思うと今日一日がありがたい一日に思える。
2006/01/11
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数奇屋の舎大型の福祉施設の設計も進行中だが、現在進行中のRC住宅のリニューアルも気になる物件だ。数奇屋とは、必ずしも数奇屋にあらず。つまり、儀礼儀式も大切だが、その根本の精神がもっとも重要だ。数奇屋といえども、もともとはその作り手の趣味を実現しただけであり、それをスタンダードと考えるだれぞがいて今に様式が伝承されているという次第だろう。規範にとらわれる必要はない。そのことをこのRC住宅を通して感じている。精神としての数奇屋は必ず存在する。松江の町で実現させる。ポイントは色々あるが、結構大切なのが天井だ。私は数奇屋をボールトで実現したいと思っている。平面はほぼ固まった。アプローチから玄関ホールとつながるスペースは、クライアントのアイデアにより私も胸躍るような機能空間となった。問題はいよいよ天井だ。ルイスカーンのキンベル美術館のように、はたまた安藤忠雄のベニヤの茶室のシナベニヤのボールトの芸術的な深みが実現できるのではないか、そんなキャンパスを感じる住まいだ。担当から伝わるクライアントの思いは、私の思いと重なり、共感と新たな創造の切磋琢磨を感じる。もう少しこのまま泳がせていたい・・・芸術的な空間は事務的作業からは決して生まれない。醸造家バッシーさんも松江葡萄酒工房の日記でも書いて折られたが、やはり、私にまどろっこさを感じたと書いておられた。スタッフやクライアントから、時に驚くような芸術的な空間のアイデアが出ることがある。そんな瞬間を待ち続けるのも建築家のひとつのスタンスでもあるのではないか。そう私は思っている。偶然性の芸術もある。私の場合は緻密な偶然性手法とでも名づけておこうか。
2006/01/10
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コミュニティワイナリー基本設計完了醸造家バッシーさんのコミュニティワイナリーの基本設計が完了し、実施設計の段階へと入る。農地転用もほどなく終了するところとなり、理屈の上ではいつでも建設にかかれるところとなってきた。昨日バッシーさんと、なんにしても世に出るまではこの事業は分かりづらいだろうなということを話した。建築家の醍醐味は事業主体者の懐深く入って建築を創り上げていくところにあり、この度のコミュニティワイナリーは類稀なものであることが分かっているので、世に出たときに地域に新たな世界が広がることを思うと胸躍るものがある。地域の事業であるとともに、それはボーダー(国境)のない世界に存在する事業となり、世界と通じることだろう。バッシーさんの事業は、個人の夢の実現という範囲を超え、地域の、いや、大げさではなく世界がその実現を待っているものだ。地域で関わる私たちは、世界に向けての実現の義務を共に負う。この事業の向こう側にあるもの、それは世界の人々の「芸術」という心とつながっている。
2006/01/09
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その向こう側に見えてくるもの最近の生活(活動)の中で、その向こう側に見えてくるものを強烈に感じている。生死の境をさまようような災難にあったときにあの世を感じた、という人が結構多い。真意のほどは定かではないが、しかし、一般的にいうところの苦労の最中に見えるものがあることは確かだ。それは人の心であったり、真実であったりだ。哲学の世界は総体的には実存ではなく観念的な思考の中で意識されるものであるが、苦労している状態の中で感じる哲学的なものは実存の世界で感じられるものだ。もちろんこれも意識の中で感じ取れるものだが、前者は空想活劇の世界であり、後者は現実の中で感じるものだ。従って、「その向こう側に見えるもの」とは、哲学書を千冊読んでもじつは見出せるものではなく、現実の出来事の中から体験を通して、その向こう側に感じる哲学的世界が「その向こう側にあるもの」の実存だ。このことを意識できてないと見えてはこない。体験の中から感じ取れるものということであるとすれば、実は、この瞬間にもすべての人が今この瞬間の体験の中で、「その向こう側にあるもの」は感じ取れる世界だ。安藤忠雄の言う「その向こう側にあるもの」とは実に身近な世界なのだ。しかし、そこに一歩足を踏み入れたとたん深遠なる哲学の世界が広がっている。人間は神なる存在だ、と言われる所以は、その体験こそがその人自身であり、つまり人間そのものが「その向こう側にある者」なのだ。目に見える仮想の世界たる現実社会のボーダー(国境)にしばられて暮らしているのが一般的だと思う。しかし、現実には何のボーダーもないのだ。人間そのものが深遠なる世界そのものであるわけで、地表面に人間が居なければ国も国境もなんの意味もなさないものだ。つまり、実存と思われている物理的なもの(国や国境→実態は泥の大地)こそが仮想のものであり、人間が体験として感じるものの向こう側にあるものこそが実存だ。安藤忠雄の哲学の世界を紐解けばこのようなものであると思う。少なくとも、私は安藤と同じ世界を感じているし共有していると思っている。どの自治体の仕事でも、あるいはどの国の仕事でも、まったくもってTADAOANDOが通用するのは、日本人としてのボーダーでもなければ、だれぞが勝手に意識しているインターナショナルなるものでもない。安藤忠雄の自身のその向こう側にあるものがボーダーを越えて存在している。実はそれはずべての人が共有しうるものなのだ。
2006/01/08
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大切なものを伝える勇気世の中に物が氾濫し取捨選択で何が正しいのか分からないことが多い。建築家としての活動の中で、様々なことを問われる機会が多い。古い建物の再生については、概念としての「新築」を提言したことにより、理念的な解釈が与えられた。小樽の指定歴史建造物のリニューアルをどうするのかは簡単な問題ではなかった。しかし、市役所ならびにクライアントに、その概念をもとに遠藤又兵衛邸のリニューアル計画を提案したところ、それが受け入れられ実際のリニューアルとなった。概念の大切さは多岐に及ぶ。住まいの中での住宅設備についてのことも建築家としては悩むところだ。つまり、システムキッチンはどのメーカーのどのタイプがよいか、などということについては実際問題としてどう選択してよいかは分からない。あなたの建築家としての趣味で・・・などと言われても軽はずみには答えられるものではない。しかし、ここに、環境をはじめ、大きく言えば文化なるものを根底に置けばそこにあるべき答えが見えてくる。あくまで概念としての答えだが。私は古建築のリニューアル屋ではない、建築家だ、との思いから、建築家としての根本の理念を構築していく作業に長い時間を要したが、それと同じように、住宅に当たり前に設置される様々な機器についても明確な概念が必要だった。なぜなら、意味の無いものを取り付けるわけにはいかないのが建築家だからだ。何時の頃からかは分からないが、そんな問いかけにも答えをぼかしている自分のジレンマを感じていたし、かといって特定のメーカーを意味もなしに「とりあえずこれにされてはどうですか」などと言った瞬間に建築家ではなくなると感じていた。昨年末にそれに対する答えがひょんなことから訪れた。いたって単純な判断で建築家としての明確な答えが見出せた。ためしに3名の方々にお会いし、特定の商品を勧めた。なぜなら、これこれこういう理由でこの商品を建築家としてお勧めすると申し上げたところ、みなさん真剣に受け止め納得していただいた。私はこの商品を正式に取り扱うことに決めた。なぜなら、建築家として推薦しなければ、無責任なだれかが、間違った解釈であったり、申し訳ない言い方だがメーカーの商品戦略の選択を迫られるからだ。もちろん私のお勧めは強制ではない。取捨選択はクライアントの自由だ。しかし、本日の反応でも明らかなように答えは明確だ。明確な答えが見えているのに勧めないのはむしろ罪だ。キーワードは環境だ。健全な住環境、健康を保てる環境の実現がキーワードだ。ほかにはなにもない。いたってシンプルだ。昨年末に知人の奥さんが亡くなった。幼い子を残してだ。それに脳梗塞で倒れられた方、元気なのに悪いものが見つかり緊急入院された方。なぜだろうか・・・主には、建築での環境汚染と食物からの環境汚染の二つがあると思う。それをどうするのか・・・そこに機器選びのポイントがある。それを建築家としてお勧めできるのは、ということを今まで避けていたが、もし、そのメガネに叶うものがあるなら、それを推薦するのが責任を果たすことになると考えた。そして本日のプレゼンとなった。答えは明白となった。
2006/01/07
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淡路島の古民家の基本設計が大詰め数個の模型と多くの計画図を要した基本設計の段階が大詰めとなった。基本設計から実施設計の段階へはあまり明確な区分けがあるわけではないが、現在のところまだ基本設計の段階であることは間違いない。クライアントも空間を読み取る思考が明確になり、ともに空間を検討しあえる状況となってきた。2月中旬には着工の予定だ。昨日の横浜の家N邸も、こちらは実施設計がいよいよ大詰めだ。資金の最終調達のため銀行へ赴く。この住まいは、京都の町屋のように間口が一間半で奥行きがとてつもなく長い。現代の町屋は、中に光庭を配し、透明感のある室内空間となっている。安藤忠雄の住吉の長屋の木造版のような最終模型を見ながら、完成した姿に思いを馳せる。2月から3月にかけて多くの物件の工事がはじまる。過去一年間のエネルギーが噴出す。今月中旬、小樽の遠藤又兵衛邸も最終の現場検査に赴く。また新たな建築が生まれ出た。
2006/01/06
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色々な経験 人間は色々な経験をするのが常だ。 私にも今まさに乗り越えなければならないことがある。 企業創業は並大抵のことで はない。多くの方々に助けていただきながらの今日だが 、 今だ落ち着いて感謝の誠を捧げる余裕すらない現状だ。 心の中で手を合わせて咽び泣きながらじっと耐えている 毎日だ。 苦労しているのは自分だけと思いがちだが、妻や子供 お世話になっている友人知人にもどれだけの思いをさせて いることだろう。 夢の実現を果たすというのは実にしんどいことだなと 弱音を吐きたくなることもあるが、はたと我に帰った 時に、自分の一番やりたいことの実現に向けての苦労 なのだから、そそり立つその峰の向こうに何が待って いるかは知っている。つまり夢の実現状態が待ってい るのだ。そこでは、今まで支えていただいた方々と、 建築家の私に託していただく方々と共に分かち合っている情景がある。 ある方から言われた。「今あなたが背負っている苦労は 必然であり、いつか、乗り越えた経験で人と関わる ための使命があるからです。」 年末に知人の奥さんが亡くなった。幼い子供二人を 残して。人生って何だろうと思う。 私の双子の妹は障害者で、歩くことも話すことも 身体を自由に操ることも できなかった。18歳で亡くなったとき、人生って何だ ろうと思った。 苦労はアクションを起こした時に発生するもので、言わば必然だ。 生が与えられていればこそのチャレンジじでありアクション であり苦労なのだ。今何が一番大切なのかを見つめて 与えられた使命に邁進しよう。
2006/01/04
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新たな使命が重なるとき北海道・東京と島根を往復する中で様々な出会いがあり、様々な出来事を知るとき、そこに新たな使命が重なってくる。それは、まったく新たなものがただ単に足し算のように重なるのではなく、今までに明確になった使命に厚みのごとく重ね合わさってくる。小樽で知った「職人の会」は、私が捜し求めていたひとつの回答であり、それは松江にも即実践できるものだ。また、小樽近郊の消えゆく歴史建物の処遇に関わることになりそうだが、これも即現在の建築家活動の中で実践できるものだ。必然として出会ったとしか言いようのないものがそこにある。まるで導かれるように、いつのまにかそんな世界にいる私。このことは、島根から遠く離れた地での出来事だが、私が島根に基盤を置く限り小樽の出来事は島根の出来事なのだ。明治の文化が色濃く残る北海道の町が消えようとしている。小樽市役所の方から促された。今度小樽に出向いた折にその町まで足を伸ばすことにした。車で往復5時間の町は私を待っているに違いない。きっと何かが待っているに違いない。そこに新たな使命が重なってくるだろう。私が松江に基盤を置く限り、北海道のその町の出来事は松江の出来事になる。
2006/01/03
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謹賀新年新しい一年がスタートした。今年はどんな一年になるのだろう。とても楽しみだ。託された多くの設計依頼をみつめるときに、建築家としての責任を感じる。関わる方々にとってよき年になりますように。
2006/01/02
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