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自分らしく、決めたことをやりつづける。 無駄なことにしがみつくことは愚かなことだが、深く考えつくし自分自身が納得しやり始めたことはそう簡単にやめるわけにはいかない。これは自分との約束だ。人間は他人との約束は結構守るものだが、自分との約束は案外守れないものではないのか。自分自身の存在を公のものにしていくことが信頼の構築ということになるとすれば、自分自身の「癖」といわれるものでもそれを公に認めてもらえるまでにはこつこつとやり続けていくしかない。まして、大きな事業ともなればなおさらで、一発ホームランで構築できるものではない。一番いけないのは目移りすることだ。隣りの芝生は・・・というやつだ。私は、同業者とはほとんど会わない。いや会わないようにしている。なぜなら目移りするかもしれないからだ。自分自身をジャッジしては本来の仕事ができなくなる。他人の目での判断ではなく、自分自身がいかに自分自身に納得できるかだ。いいではないか。他人からは無駄に見えても自分自身がそのことの大切さを分かっていれば。クライアント(施主)の夢を実現するための活動が私の仕事だ。4年前、コーポラティブハウス、と言って分かる方はだれもいなかった。今日、たくさんの方々に支持されるようになった。この楽天日記もそうかな・・・。よくやるよな~、と思われているかもしれない。こうなれば意地だ。(笑)昨年から、新聞広告を打ったり、色々なマスコミに取り上げられる度に多少のパフォーマンスもやってきた。おそらく建築家らしくないだろう。しかしこれらのことは目的を持って行なっていることだ。決めたことをやりつづける・・・たとえなんと言われようと・・・結構しんどいぞ~。でもやりつづけるぞ~。それが経営者というものだ。
2005/01/31
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南平台コーポラティブハウス DVD完成! 英知を集めたDVDはすばらしい出来栄えとなった。色々な方々に見ていただいたが、私が考えていた以上にストレートに理解していただけるプレゼンとなっているようだ。うるさ型の方々(私の妻もその一人)に見ていただいたが、すこぶるよい反応だった。私の娘にいたっては、「宍道湖の景色を眺めて暮らせるなんていいな~。私も住みたい!」という反応だった。宍道湖の夕日は日本一といわれている。その夕日を、お風呂に入りながら、部屋の中から、透明強化ガラスのバルコニーの壁を隔てて、何もさえぎるもののない状態で毎日眺められる。今まで口で説明しても、特性パンフレットを見せても、まったく伝わらなかった。DVDは凄い!ビデオでもできなかったストレートなプレゼンだ。もう私には言葉は要らない。多くの方々から「こんなことをやろうとしてたんですか!?」と言われる。「そうです。4年前からず~とこのことをプレゼンしてきたんです。」DVDは私の世界に太陽の光をもたらしてくれた。19世帯・・・僅か19世帯の方々しかこのロケーションは手に入らない!早くこのDVDに出会っていただきたい。早く気付いていただきたい!いよいよコーポラティブ発進!!!
2005/01/30
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CASA BRUTUSの特別号が発売され、先日小旅行したときに見た垂水の家が紹介された。 4m×4mの住まいはツインタワーとなり、オリジナルのコンクリートの家のとなりに木造3階建ての安藤建築が誕生した。11月に、私自身その場に立ってみて、明石海峡大橋を望む絶景の地であることが分かった。今尚、いやますます刺激的な創作活動を続ける安藤先生。そろそろ刺激を受けたくなってきたので、今年中に事務所を訪ねてみよう。ありがたいことに、ここのところ、新築・増改築の物件の依頼が多くなってきた。決して奇をてらったわけではないが、結構刺激的な作品が出来上がってきている。模型でプレゼンする中で、クライアント(施主)からは、もっと刺激的で感動的な空間にしてほしい!という意識が感じられる。少し暖かくなってきたら、刺激的な建築達に会いに小旅行にでかけよう。コーポラティブハウスDVDも順じ完成する。コミュニティの新たな創出という刺激的な場面も待っている。ますます燃えるコムースだ!
2005/01/29
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本日(1/27)午前中に、南平台コーポラティブハウスのプロモーションDVDのナレーション撮りが無事終了した。これですべての作業は終わった。後は最終編集が上がるのを待つだけ。明後日には完成状態のDVDが手に入るだろう。ナレーターの方と昼食を共にしながら、今までのことをしみじみ振り帰ってみた。たった一人で「今こそコーポラティブハウス!」と騒ぎ出してから4年の時が経った。色々変遷を辿りながら今日を迎えることができた。来週からは、夕日丘(鳥取県境港市)につくる自然共生型コーポラティブハウスのプロモーションDVDの制作に入る。それが終わったら、D&CM方式事業のプロモーションDVDの制作が待っている。一昨日の、元ダイヤモンド社社長の言葉のように、商品開発とマーケティングの両方を組み上げた先に成功と言う状態が待っている。建築家はとかく独り善がり、マーケティングの術を知らないものが多いという。いかな建築家といえども、芸術的素養を磨いていくことは当たり前として、商売としての、商品開発(企画事業)とマーケティンング(依頼を受けるすべ)をしっかり組み上げなければならない!とのご指摘。至極ごもっとも!その事業の根底にある大義名分(目的)がなければ何の意味もないとも言われた。私の事業の大義名分(目的)はある。世のため人のため!(まじめな意味で)今わたしがやらなければコミュニティーはますます崩壊していく。昔を知っているものは昔を懐かしがりながら生きていけばよいかもしれない。しかし、以前を知らない人たちにとってはこの状態が普通だとすれば、いつか、隣りの住民が生きようが死のうが関係ない時代が来るやもしれない。世のため人のため! DVDを早く届けねば!
2005/01/27
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昨夜はある銀行の支店長から誘いを受け、オブザーバーとして平田市の異業種交流会に参加した。島根県平田市は今年出雲市と合併する。どちらかというと小さな町なのでこれからの社会動向は時に気になるところだろうが、こういうこともあるからかもしれないが、この町にある異業種交流会はまことにすばらしいものであった。とにかくみなさん勉強熱心。腹のそこから本音トーク。昨夜のゲストがすばらしかった。元ダイヤモンド社社長 岩佐 豊 氏であった。昨日は、松江市法人会主催の講演会のために来県されたのだが、夕方からはこちらの交流会にまったくボランティアで参加されたのだが、この会のメンバーの方と一昨年から交流があり、氏いわく、「全国でもまれな熱心さから、度々伺っている.」ということであった。10名程度の会なのでいたってアットホームで、これからの経済の動向やそれぞれの職種が抱える問題に対し、緻密な分析のもとにあくまで参考まで、と前置きされながら、的を得たアドバイスばかりであった。私にも、建築家としてのスタンスをご教授いただいたが、今まで考えてきたことに間違いはない!との確信を得ることもできた。何より、マクロな視点からそれぞれの事業を考えることができ、置かれている状況が手にとるように見えたようで、よい点、改善すべき点がわかったように思う。とにかく、この仲間達はすばらしい!内心、「これからも参加しませんか?」と言ってくれないかなと思ったものだった。話は変わる本日の朝日新聞に、当社が手がけるコーポラティブハウスの紹介記事が掲載された。この事業の目的は、「地域に新たなコミュニティを創出すること」早くしなければ、日本はもっと殺伐とした国になってしまう。ほんとのコミュニティを経験した世代がいるうちに、これからの世紀にふさわしいあらたなコミュニティを住い手自らがつくりあげていかなければならない。異業種交流会の方とも少し語り合ったが、応援したいと言っていただいた。地域には、私の知らない方々が多い。その中にきっと同じ思いを抱き共にコミュニティを創り上げていただける方々がいらっしゃるに違いない。
2005/01/26
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昨夜は午後11時ごろまでDVDの最終検討会を行なった。荒編集をもとに、改めてストーリーを組み立てていったが、さすがプロ集団!すべてのナレーションもほぼ完成した。27日にはナレーションどりを行い、来週にはいよいよ配布開始となる予定だ。どんなにこの時を待っていたことか。関わるものが納得できる内容だ。あとはいかに参加者になっていただける方に届くかだ。これからが本番。地域に新たなコミュニティが誕生するまで気の抜けない日々が続くことだろう。19戸の募集は難しい。されど、こんな条件のよい住まいがわずか19戸しかない。ストレートに情報が伝われば19世帯はそう時間をかけずに決まるだろう。そう確信できるDVDとなった。
2005/01/25
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今が試練の時 乗り越えるべきものがあることは幸せなこと! 以前の日記にも書いたが、この日記は自分史だと思って書いている。決して自分以外へのメッセージなどではない。あの時はこんな気持ちを抱いて生きていたんだな~、と後々振り返ることもできるのではないかと思っている。この日記は自分自身へのメッセージであり励ましだ。プロジェクトを推進するのは並大抵のことではない。日々の打ち合わせの中でクライアントの夢の実現のお手伝いをしながらこれから形となっていくプロジェクト(事業)を組み立てていくのは並大抵のことではない。どんなに大変でも私はやらなければならない。与えられた使命がある。もはや独り善がりの使命ではない。公も認めてくれて、現実に、その実現を目指すことが県に認められ、テクノアークしまねに入居が許されたのだから。起業はとても大変だ。スクールで言われるほど簡単ではない。スクールで習っていないことが次々山ほどやってくる。しかし、それは必然の出来事ばかりだ。アクションをおこせば波が立つ。自ら起こした波で基盤ごと大揺れする。基本的にはだれも助けてくれない。自分自身で乗り越えることしかない。その乗り越えた時に多くの手が差し延べられる。もうすぐだ。頑張るぞ。自らまいた種が、その結果だ。感謝!感謝!乗り越えるべきものがある、ということは幸せなことだ。苦しくてあたりまえ。自らが好んでこの道に入ったのだから。だれからも頼まれていない。苦しいのはだれのせいでもない。夢が見つからず、荒野をさまよう状態の時はほんとうに苦しかった。今の苦しみは違う。産みの苦しみだ。私はできる。私はツイている。私はこれを成し遂げる運命にある。実に幸せだ。やりがいがある。感謝一杯だ。
2005/01/24
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心一つになるには相当の努力が必要だ。お互いを認め合い信頼しあうためには相当の努力が必要だ。まして、初めてお会いした方からの信頼を得るのは並大抵のことではない。世の中には人の弱みに付け込んで、とことん深みにはまらせるサギまがいの、いや犯罪が横行しているようだ。テレビを見ていると若者のドラッグや麻薬にまみれる問題を取り上げていたが、一寸先は闇とはこのことだ。こんなことが私達の気付かないうちに蔓延していることに憤りを感じる。信頼を得ることは生易しいことではない。こつこつと積み重ねた日々の活動のなかでようやく芽が見えてくるものではないだろうか。一度落ちた人間が信頼を回復するのは並大抵ではない。心一つになることはさらに難しいことだ。心一つになるためには、まず信頼されていること。相手を信頼していること。そして、積極的に働きかけていくこと。建築家となってその夢と目的を成就するため起業家となり今日まで活動する中で、信頼を得るため事業を企画し積極的に働きかけてきた。もちろん、最初は鼻にも掛けられない。でも働きかけるしか術はない。緊急を要することが日々の活動のメインイベントになってしまっては、京セラの稲盛名誉会長のおっしゃるとおり、いつまでものたうち廻るしかない。今すぐにやらなくて良いことだが、将来これを確立すれば発展する!というものを、どんなに今が苦しくても、現在の緊急を要する活動と共にやりつづけなければ企業の発展と安定経営は訪れない!の言葉が身に凍みる。D&CM方式事業は、いよいよ協力業者会もできて、完成実績も増えてきた。関わる者が心一つになっていよいよ本格的な活動期に入っていく。コーポラティブハウス事業は、いよいよ発射台の組立てが終了し、エネルギーの充填が始まった。ここまでよく来れたものだ。もちろんまだまだ道は遠い。しかし、もはや孤独のランナーではない。多くの仲間達とともに手を取り合っての日々だ。「思えば遠くへ来たもんだ!」は海援隊の唄だったが、人間、毎日が前人未到の大地を常に最長不倒距離を出しながら進んでいる、ということだろう。手本は有って無きがごとし。私の事業を手がけたものはいない。私の事業は私のものでしかない。自分だけがよりどころ。常にクリエイターでい続けなければならない。なにより、人の心、人の思いを感じ取れる人間でなければ明日は無い。
2005/01/23
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夜明け前が一番暗い!とはよく言われる格言(?)だ。経営者になること、プロジェクトマネージャーになることは、多くの山を越えなければならない立場であることを意味する。コーポラティブハウスのDVDがまもなく完成するが、大きな資本を持つ会社ではないので、その負担は大きい。しかし、勝負をかけるときは思いっきりかけなければならない。優柔不断、中途半端はいけない。もちろん無計画に飛び込むことくらい愚かなことはない。夢をいだき、その夢を拠り所に少しずつ少しずつ進んできて、多くの賛同者を得て、プロジェクト化でき、多くのクライアントの方々に喜んでいただき、その確信のもとに事を進めてきた。南平台コーポラティブハウス、境港夕日丘コーポラティブハウスという二つの大きな事業が立ち上がり、もはや私だけの事業ではなくなった。この事業の真の主人公は、ここに住まう方々だ。その方々に、この事業がご自身の事業だと気付いていただくためにプレゼンをしなければ伝わらない。コーポラティブハウスは、欧米をはじめ世界ではポピュラーだが、日本ではまだまだなじみが薄い。しかし、地域にとって今こそ必要な事業であることは間違いない。そのことを、私と関わる公の機関(島根県)も地方大手銀行も認めてくれた。既製品の住まいが台頭してきたことにより、住まいづくりは既製品のカタログから選ぶもの、というベースができつつある。いや、そのように思う状況となってしまっている。供給するものが悪いと言っているのではない。エンドユーザーにとっての選択肢が狭まることがいけない。オリジナルな一戸建て住宅があるように、オリジナルな集合住宅があることを知らしめるのが私の使命だと思っている。なぜ私がしなければならないのか?だれもやらないから。それに気付いたものの責任を果たさなければならないと思うから。ほんとうのコミュニティを創り上げていかなければならないと思うから。以前、建設会社時代に大きなプロジェクトを立ち上げたことがあった。立ち上げるのに5年かかった。とても辛かったが、成し遂げた時には無上の喜びを感じた。なによりうれしかったのは、クライアントも技術者も、その他関わる者がその事業を自分の事業だと思って動いている姿を見たとき、なかなか理解されずたった一人孤独のなかでプロジェクトを立ち上げてきたことが走馬灯のように思いだされ、思わず感涙にむせったことがあった。以前の会社はなくなってしまい、その事業はできなくなってしまったが、そのプロジェクトを構成していた企画部門、営業部門、施工部門のことごとくをある建設会社が吸収し、それから6年、今まさに一人勝ち状態だ。その隆盛振りを見るにつけ、私がしてきたことに間違いはなかったとの確信を覚える。大切なのは理念だ。一時の目先の繁栄などいらない。なぜならいつもびくびくしていなければならないからだ。だれでも簡単にできそうにないこと。立ち上げるのに相当大変な思いをしなければなかないこと。その事業が立ち上がったら地域のためにどんなに役立つことか。・・・と思えることを時間がかかっても取組んでいく。 もうだめだ~! と思うことを何度も潜り抜けて行く先にいつか成功と言う状態が待っている。私はそれを体験した人間だ。成し遂げた人間だ。成功した人間だ。コーポラティブハウス。この事業を立ち上げるのは並大抵のことではない。しかし、今まさに機が熟した。荒涼とした大地を少しずつ耕し、肥やしを巻いて肥えさせてきた。そして種をまいた。その種から芽がでてきた。いままさしく、勝負のとき。今立ち上がろうとしている。多くの方々がDVD制作のための収録に参加していただいた。今度、自治体首長も出演願うことになっている。今が一番苦しいとき。夜明け前が一番暗い!この言葉が胸に凍みる。私は知っている。この先に待っているものを。
2005/01/22
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昨夜は、「工匠会」の発足式&新年会を行なった。「工匠会」とは、当社の行なっているD&CM方式事業に参加している専門業者の会で、建設現場における安全に関することを主たる目的とした会だが、言わば、安全衛生協力会ということだろう。私は、何事もメンバーを固定し、プロジェクトとして進めることにしている。CM方式とは、設計事務所が設計・監理だけではなく施工管理まで行い、クライアントと各専門工事業者と個々に契約していく方式(分離発注方式)で、工務店方式(一括発注方式)にくらべかなりのローコスト化が図れるが、もっと大きな利点は、プロジェクト方式(各専門職が決まっている)であることで、、基本設計が固まってきた段階や、実施設計が固まってきた段階で、クライアントと私以外に各専門職にも参加してもらい設計検討会を行なっていることだ。各専門職の知恵を結集できることが大きい。木組みに疎い私は多いに助かっている。それにクライアント(施主)と実際に仕事をする各職人方と設計の段階から仲良くなれるわけなので、工事がはじまってからのコミュニケーションは抜群によい。クライアントにとっての不安要素がまったくない。・・・と言って過言ではない。工匠会のメンバーは年齢も様々なだが、みんなが一つのプロジェクトのもとに共通の目的を抱いて進んでいる。夢に向かって進む姿に年齢は関係ないことがわかったし、みんなほんとうに生き生きしている。塗装家 だいぼさんは最年少ながら主要メンバーだ。いつもは二人で夢を語り合うのだが、これからはこんなに大勢の、しかも同じ事業おなじ目的に向かっている友と共に夢を語り合うことができることをとても幸せに思う。だいぼさんとは親子ほどの年齢差があるのだが、年齢に関係なく真の同志である。基礎屋の大将と私とも親子ほどの年齢差があるが、やはり同志でありよき友だ。私達の事業は、商品を売るのではない。クライアント(施主)にとっての夢の実現が果たせるプログラム・システムを提供する事業だ。どれ一つとして同じ建築はない。設計図面はその建築のものでしかない。我々のプロジェクトはいつか大きく羽ばたくであろう。
2005/01/21
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先週に建前の予定だった「東出雲の家」が本日建前だった。 この住宅は、当社にとっては珍しくシンメトリ-な建築だ。結構面積があるので、この界隈でも目立つ存在となるだろう。1階部分が杉板張り(リボス塗り)で2階部分が漆喰仕上げ、屋根が銀黒の一文字瓦というシンプルなデザインに仕上がっていく。建前の日程が予定変更になったため、私自身、本日は前から入っていたスケジュールの中で建前の現場に行くことは至難の技であったが、夕方にようやく現場に出向き施主さんにお祝いの「建瑞」をお渡しできた。この物件も、クライアントと初めてお目にかかってから2年経っている。本格的に基本設計に入ったのが昨年の春先だった。ことここに至るまでに数ヶ月の時が経ったが、模型や計画図面は夥しい数となった。先日建前をした「比津の家」でもそうだが、建前の前後に50分の1のスタディ模型を作製し、改めて打合せを行なった。我々専門家でも模型でスタディしなければなかなか分かりづらい。まして素人の方に図面だけで決めていくことなど不可能なことだ。スタディを繰り返しても建前をしてみると我々でも、「こんなスケール観になるんだな~」と想像通りではあっても実際のボリュウムを目の当たりにするのは初めてなので想像以上のことがあるのも日常茶飯事だ。巨匠 故ミース・ファンデル・ローエのように、原寸大模型(笑い)を作製し検討できたらそれに越したことはなかろうが、ほとんど不可能に近い。と、いうことから、この段階にさしかかったら、より密度の濃い50分の1あるいは必要に応じて30分の1の模型を制作し、細かな部分の空間の調整や仕様の打ち合わせを行なこととしている。
2005/01/18
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確信が持てる時、というのは間違いなくあると思う。ここ数年進めてきた2つの事業を立ち上げてきたが、一般的な言い方をすれば商品開発の時期を過ごしてきたということだろう。商品開発とマーケティングの二つがそろえば確信を持った事業ができると言われているが、ここへ来て、多いに確信を感じている。生意気ながら、商品開発は無事出来上がったと考えているが、問題はそれを必要としている人のところへ如何に情報が伝達できるかが問題だ。その部分がこの度整いはじめ、その組立作業の真っ最中だが、商品開発からマーケティングまでに関わった方々(現在も)の数は相当数に上る。もはや私だけの事業というレベルを超え、ひとつの公式プロジェクトとして関わるすべての方々の事業となってきた。もちろん、事業の成功をめざして来たわけだが、初めての経験であるだけに、その段階段階でどのような状況になるのか分からない部分も正直あった。しかし、日々の実践は確実にその者を成長させる。自分のことを言うのはおこがましいが、一年前の事業の状況、私自身の状況は大きく様変わりしてきている。(よい意味で)これが「確信」というものなんだな~、と感じている今日この頃だ。つくづく思い切ってこの世界に飛び込んでよかったと思っている。窮地に追い込まれると、そこには必ず救い人が現れてくれる。そして、そこを脱した時には前よりはるかに先へ進んだ境地になれる。ピンチはピンチではない。その意味を身を持って体験してきている。私は使命を帯びて生まれてきたのだろう。その使命を深く自覚しなければならない。へりくだっている場合ではない。つくづくツイている人生なんだな。ありがたい。感謝一杯だ。やりがいのある人生を与えてくださりありがとうございます。と、こういうことが、先日のツイている客人が来社されてから真正面から感じることができるようになった。
2005/01/17
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子供の頃の私は夢見る少年だった。(小笑) 授業中も空想の世界をさまよい先生の話など聞いたものではなかったな。小学校は、街中でも結構眺めがよい場所にあったせいもあり空想する空間としてはとてもよい場所であった。特にすきだったのは、きびしい冬が過ぎ、ここちよい春風が窓から注ぎこまれたとき、遠くの山に見える桜のピンク色とあいまって、私のこころは幸せの極地にあったものだった。当時の私は、「大人にはなりたくない!いつまでもここままでいたい!」と思っていたものだったが、一挙に現在にいたって自分自身を見つめたときにその思いはまったく変わっていないことに気付く。それがよいことかどうかは分からないが、まったくゼロから創造していかなければならないという建築家という職業柄からすれば、この性格にはいたって重宝している。私の周りにいる多くの尊敬すべき仲間達も結構いい歳こいている人が多いが、純粋な人間が多い。いや、ほとんどそうだな。起業をめざす連中も純粋そのものだ。「大人になったら現実主義になる」とは誰が言ったのだろう。いい加減なことを言ってもらってはこまる。現実の社会を現実に生きていくには、生きる目的というか、その先にある純粋なるものを深くかみ締めていかなければ、幸せな生活やビジネスにおける成功などというものはありえない。子供の頃、「大人の世界は、七人の敵と戦う」とか、「海千山千と闘う」とか、「月夜の夜ばかりとは限らない」とか、強迫観念を植え付ける人も結構いたが、そんな心根こそが墓穴を掘ることになることがこの歳になるとはっきり分かってくるものだ。お人よしは、相変わらずどの時代でも生きてはいけないが、純粋(夢)を見つめ、そこへ向かっていくことこそ逞しい生き方であり、それこそが本物しか生きられない時代の生き方であると思う。つまり、21世紀は、純粋に生きる者しか生きられない時代なのだ。大人だって純粋に生きている。・・・いや、純粋に生きなければいけないのだ。純粋に生きること、純粋を追い求めること、純粋を貫くことができるのは、逞しい者しかできないことだ。
2005/01/16
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建築家の50歳台はハナタレ小僧。 これは建築家の世界ではよく言われることだ。日本では、尊敬する村野藤吾先生(箱根小湧園、新高輪プリンスホテル、日本興行銀行本店、etcを設計)は亡くなる90数歳まで現役であったが、本格的な活動は60歳を越えてからであったし、フランク・ロイド・ライトにしても60歳過ぎてから超人的活動領域に入っていったし、ルイス・カーンにしても60歳以降に本番を迎えている。もちろん、コルビュジェやミースにしても60歳過ぎてからが本番の人生であったといえるだろう。一昨年だったか、島根芸術センターのコンペで当選した内藤 廣(建築家、東大教授)が来県の折りに、「ようやく50歳台になってなんとなく見えてきたかなという感じです。」、というようなことを言っていたが、私も50歳台になり、人生まだまだだなと思うこの頃だ。ことによれば一般の世界とは違うかもしれない。中学の同級生に会うと結構老けてるヤツも見かけるようになり、私とのギャップは凄いものがある(笑)ので、そのように感じる。建築家となってからスーツを着たことがあまりないが、今の私にとってはスーツを着るというのは自分自身を覆いかぶしてしまうような気がするので着ない。着ているのがよくないといっているのではなく、ファッションにこだわっているわけでもないが、私自身を素直に現す服装をしたいだけだ。服装の話が前記の話とどう関連があるのか?服装・・・やはりファッションというのかな~・・・歳を重ねることで色々な経験をし、その時々の心の有り様が服装となって現れるのではないかと思う。この日記に出てきた建築家は独特のファッションを身に付けている。もちろん真似をするつもりはない。私は私のままを表現するファッションを纏うだけだ。たとえ、それがユニクロであっても。もっと言えば、老人が、それこそ人格を感じさせる素敵な服装をしていたら、とてもいいものだと感じるのは私だけではないだろう。50歳台では、まだまだ人格がほとばしる!とまではとてもいかないだろう。何にしてもファッションが先行するのではなく、育まれていった人格にふさわしいファッションとお近づきになれる。ということは、真の建築を求めていくこと、その奥義を深めることによってそれにふさわしいファッションが近づいて来てくれることだろう。私にとって、建築家としてのベテラン領域はまだまだ先だ。この10年間は成長の過程といっていいのかもしれない。決して、現在の自分がアマちゃんというのではない。奥義を深めていき、その経験に裏打ちされた人格が現れていくときこそが、真に油の乗り切ったときといえる時かもしれない。
2005/01/15
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ISO取得はなんのためなのだろう?こんな話題が、昨日参加した「中小企業家同友会」の小ミーテングの中で出た。二代目として帰って来た御曹司さんがISOを手がけるらしいが、どう捉えていけばよいのか悩んでいる様子であった。色々な意見が出たが、もちろんそれぞれ捉え方が違ってよいわけでこうあるべきという答えはない。しかしながら、過去から現在にいたるまでにISOを様々な企業で取得しているのを見ているとその状況に疑問を感ずることも多い。例えば建設業だが、数年前に、建設業でも「ISOの認証が必要」になると騒がれ、最初のころに行なった業者は地方新聞に大きく取り上げられたりもしたものだった。当時建設業にいたので他人事ではなかったのだが、正直「それがどうしたの?」という思いを抱いていた。例えば、一級建築士はだれでもそう簡単に取れるものではない、従って、学校に行ってでも是が非でもとるんだ!と頑張っている人も多い。しかし、それがどうした?資格を得たからといってたちまちに食えるわけではない。要は、何のために取得するのか?目的は何か、ということを明確にしなければ、例えどんなに崇高な資格であっても何の約にも立たない。以前は疑問を抱いていたISOだが、私自身、最近はうって変わり、ある目的をもって認証を受けるべきものであると思うようになってきた。だから、建設業者の方には、「今こそISOの認証を受けるときがきた!」と申し上げている。「過去に認証を受けた会社は今は大変な思いをしている。」と、いまだ認証を受けていない業者が言う。最初に受けた業者は私に言わせれば動機が不純だ。他社との差別化!とか、こんなレベルの高い会社なんです!とか対外的なステータスを上げることをスタンスとしていたのではなかったのか。だから経営者が突っ走っている企業もよく見かけたものだ。海外の仕事もあり、外国の企業と丁々発止しなければならない企業ならいざしらず、日本の文化の中でどれだけスペックが大切だというのか?決していいかげんでよい、と言っているわけではない。もちろんきっちり仕事しなければならないことは当たり前として、顧客が真に望んでいる企業像とはどういうものか、ということを言っているのだ。過去認証を受けてきた企業の経営者ももちろん自分の欲徳ではなく一生懸命に会社を思ってのことであったことは否定しない。しかしなぜ今重荷になっている企業が多いのか?本来、何のためにやるのか?私が思うに、それは経営者と社員が心ひとつにできるツールとしてのISOである!というスタンスが根本ではないのか。対外的にはISOの一文字も出さなくて良いではないか。企業のスペックのなかでさり気なく書いてあればよい程度のものだ、私にとってはその程度のものだ。これが対外的なステータスだ!と思っているとすれば、それはマスターベーションだ。ずばり言う。体外的な効果は一切ない!・・・と考えるべきだ。私が思う答えだが、そうではなく、社員が自らのステータスとして受けるものであるのではないか。我々の日々やっていることが、世界標準からするとどの程度のレベルなのだろうか?を知ることであったり、組織の一体感を感じられたりとか、そういうことが目的であるべきではないのか。ピントはずれは、この他様々な出来事にもいえるのではないのか。組織は、組織の中の人間同士が、強い心の絆があり一体感を持っていることが大切だ。そんな組織はあふれるほどの創造力がある。自由な気風がある。ISOの認証を受けて、窮屈になっているのか、一体感を味わっているのか、そこがスタンスの違いによって現れてくる状況だ。何事も一番大切なのは、それを手がける個々人の思いであり、一帯となって進んでいく同志の心だ。それをしっかり指し示せるのが真の経営者だ。・・・と、自らにしっかり言い聞かせている私だ・・・・
2005/01/14
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昨日来、企業内研究者の特許の問題が話題となっているが、企業側か研究者側か、というジャッジについてはコメントするつもりはないが、これだけはいえるのは、一人の研究者といえども、周りの方々の有形無形の力の結集があってこその結果であろう。私の事業も、いずれ形となり現実のものとなったとき、「あれはすべて私の努力の結果です」などと思い上がってはいけないと思っている。陰に陽に私に力を与えていただいている方々あってこその私であることを深く自覚しなければならない、と自らに言い聞かせている。私自身の中に、社会性のある事業を成し遂げたい!という強烈なまでの欲望がある。こうやってがんばっているのは、ことによれば評価されたい!という欲望かもしれないし、誉められたい!という欲望かもしれないし、社会の役に立っている!という生きがいを求めてのことなのかもしれない。自らが評価されたい!と思うことも大切なことであろうが、同時に、回りの方々のお陰だ!と思う気持ちも大事だろう。私の廻りにはこんなに応援してくださる方々がいる!と意識することはその方々に意識を向けることであり、より多くの応援をいただける要因にもなる。このことは昨日の客人も言っていたが、ポジな心の有り様だという。ポジな心とは明るい心ということよりも、人間が兼ね備えるべき基本的な姿勢のことをいう、と言っていた。一人の力が大きいのか、結束した力が大きいかは明々白々だ。社会貢献のためにはどっちがより貢献できる土壌ができるか?そう考えたらおのずととるべきスタンスは明らかになるだろうとも言っていた。
2005/01/12
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先日、「最後は運」という日記を書いたが、本日はツイてる人が来られ、話に耳を傾けた。何でも、二年前からツキ始めたという。その手の話はよく分からなかったのだが、色々話を聞くうちに、何も特別のことではなく、また宗教的な話でもなんでもないことが分かってきた。何事もネガではなくポジな精神が大切ということを方々で耳にするが、そう言われてもそう簡単ではないのは私だけではないだろう。ところが、本日の客人の話は私をつくづく納得させてくれるものであった。都合の悪いことがおきてもポジな心でいることの大切さをしみじみ語ってくれたが、まったくそのとおりだなと思った。私は職業柄か理窟に合わないことや納得のいく説明がないとなかなか素直になれない性格をしているので、黙って信じなさい!と宗教的に言われても、あ~そうですか分かりました、というわけにはいかない。今日の話は、別に私の性格を察して説得しに来たわけでもなんでもなく、四方山話のなかから、「どうしてそんなにうまくいくのですか」というさり気ない問いかけから始まったのだが、その方は大学は理系で私以上に理窟に合わないことは相手にしないタイプなのでただでも納得できる状況ではあった。特別な話ではなく、ネガな気分で捉えると人間は知らず知らずのうちにこういう行動をとり、結果このような状況になる、ということを自分の過去の出来事を交え話してくれた。私自身にも当てははまることばかりで一々ごもっとも。しからばポジな心で受け止めた場合は、かくかくしかじかだと・・。これも一々ごもっとも。2年前からそのような心持でいることを心がけるようになったら、あら不思議、周りの人がドンドン支援してくれるようになり、仕事も順調に受注できるようになったという。話を聞いててもまったく違和感なし。そりゃ仕事も入るでしょう、と素直に感じた。ということは、私も同じように心がけていけばそのようになる?御仁いわく、「なるに決まっているでしょう!」文章ではうまく書けないが、さっそく実践開始。そのとたん霧が晴れたような気分になった。ポジな心でいるということはこんなに「楽」なことだったのか。これから先、たとえどんなことがあってもすべてをポジに捉えていけばポジな結果となって帰ってくるであろうことがよ~く分かった。理窟っぽいかもしれないが、理論立てて語ってくれたのがほんとによかった。今日から私はツイてる人になった。(笑)・・・いやまじめに!私の周りを世界が廻るとかそんな生意気なことではなく、自分の姿勢が成功(幸せ)の方向へ向きつづけていさえすれば必ずそのようになるということがよ~くわかった。今日初めてポジな心の大切さを知った。祈念すべき日となった。ありがたい。感謝一杯だ。こんな方はいつでもウエルカムだ。
2005/01/11
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時には思い切って捨てる勇気が必要だ。4年前、自宅で設計事務所を開設したとき、小屋裏部屋を事務所にしたのだが、そこは小屋裏の納戸として使っていたところだったので、本やら家財やらがびっしり詰まっていた。相当悩んだ挙句思い切って目を瞑りながら小型トラック5台分をゴミ処理場に持ち込んだ。その中にはずいぶん前に購入した百科事典などもあったのだが、一生のうち何度使うのか?と問いかけながらどんどん捨てた。すっかり空になったスペースはひとりの事務所としてはむしろ広いくらいになった。今があるのは、そのときに我が家から離れていった家財たちのおかげだ。去ってくれたおかげで、新しい世界のものがどんどん入ってきた。そこはとてもクリエイティブな空間で、今日にいたる事業の根幹はすべてそこで考え出された。なくなるということはそのものの価値を失うこととなる。とても後悔もした。しかし、その後、これからの人生でなくてはならないものが手に入っていった。つまりは、たまには思い切って捨てるのもよいということだ。所有と言う欲を捨て去ってこそ、キャパシティというスペースが与えられるものなのかもしれない。
2005/01/10
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本日は、比津の家の建前。 建ち上がって行く様を見ていると今までのことが思い出され、ほんとによかったなとしみじみ思う。建物の中心にコート(光庭 あるいは 中庭)がある住まいだが、私の中では、それまでコートハウスは狭小地に建てるものという固定概念があったのだが、敷地も大きいなかでのコートハウス形式となったことにより、自分自身へのカルチャーショックを感じるものとなった。 設計期間が長かったのは、この案に到達するのに時間がかかったことがもっとも大きな原因だった。クライアント(施主)ご夫妻がとても腹の座った方々だったので、お陰で慌てることなく、この地にふさわしい計画案をじっくり考えることができた。お目にかかってから約2年が経過しての建前(棟上)だ。通常の営業マンによる商品住宅建設では会って半年後には住まいが完成しているのが一般的だが、なにもそんなに急がなくてもよいではないかと思う。建物の中心にあるコートは、広場であり、通路であり、アウトドアリビングであり、瞑想空間にもなりうるとても豊かな空間だ。この物件を手がけることができたことは建築家冥利につきるとともに大変誇りに思う。 感謝に絶えない。「目の前のたった一人の人を幸せにする」この言葉は、島根県起業家スクール講師の福島正伸先生の言葉だが、しみじみとその意味をかみ締めている。地域のよき原風景となる建築。穏やかに、しかししっかりと存在感を示す建築。住まう人たちに、地域の人たちに、いつまでも語りかけてくる建築でいてくれることを願う。
2005/01/09
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正月に、大学へ行っている長男と長女が帰ってきたので、久しぶりに家族がそろったわけだが、どうも特別な意識というのがなかった。最近は携帯電話があり、どうしてるかな?と思えばすぐに声が聞こえる時代だからだろう。いいことか悪いことかは分からないが。 以前から4人の子供達に言っていることは、「夢を描け。その夢の実現を目指すんだ。そのためならどんな応援でもする。」この言葉を聞くたびに子供達は真剣な顔をする。中学2年の次女もそろそろ本気で将来について悩み始めた。いや、悩むように仕向けてきた。とかく親と言うものは心配しすぎるものだ。というか、アドバイスと称して親の考えるレール(特定の職業)を押し付けようとすることもあるのではないかな。押し付けの形で親が心配すればするほど子は親に依存してしまうこともあるので注意が必要だ。愛情を持って育てていかなければならないが、親だからといって子の人生の中に土足で踏み込むことはしてはいけないことだ。一個の独立した人格だからだ。反抗期がなぜ必要かといえば、土足で踏み込む親との距離を置くためだが、きちんとわきまえている場合は反抗期などないこともある。「うちの子は反抗期がなかった」と心配される親もいるが、どうでもよい話だ。そもそも人の敷いたレールを歩む人生なんて面白くもない。自分自身の想像の中で、楽しいと思える方向へ進むのがよいだろう。我が家の子供達にはそうアドバイスしている。人間生きていくのは、どの道(職業)だって大変さは同じだ。人の敷いたレールで大変な場合には腹がたつが、自分のやりたい世界で大変なのはむしろやりがいになったりするからだ。今は、我家の4人の子供が、自分のレールを一生懸命敷こうとするのを、親としてただ暖かく見守ること、これが当面の私の修行だ。
2005/01/08
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デジタルとアナログの融合は確実に進んでいる。なぜなら、私みたいな一般常識的にはオッサンの歳のものがインターネットだ・・・フォトショップだ・・・パワーポイントだ・・・ホームページビルダーだ・・・デジカメ編集だ・・・もちろんCADだ・・・などといつの間にやらデジタルな世界にどっぷりはまっているからだ。それだからと言ってオタクの世界にはまってしまって人とのコミュニケーションが取れないかと言うとそうではない。アナログをしっかり経験してきているのでご安心。むしろ逆で、いいカッコシイの若者文化の中に土足でどかどかとなだれ込み、大学生とも親友になれるような状況だ。久しぶりに同級生に会うと、勤め人の場合はそろそろ窓際定年の時期にさしかかり、お片づけモードもあるやなしや・・・デジタルとアナログの融合に寄与しなければならないのは、むしろ我々年寄り(まだ若いぞ!)世代の役目だぞ!デジタルを征するものは老若男女関係なしにお付き合いできる世界を手に入れることができる。アナログをしっかり身に付けている方には分かってもらえると思うが。おっと・・・決して誤解があってはならない。デジタルを駆使できるということ自体が目的ではない。あくまで手段だ。いい大学に入ることを「目的」にしてしまっているおろかな若者と一緒なことをやってはいけない。いい大学に入りたいというのは、まず夢や希望が根本にあって、その実現に向けての手段のひとつとして考えるなら大いに結構!一流大学さえ出ればと考えているなら、その瞬間に人生が終わる。一流大学出身のくせに「うだつ」が上がらない場合はとても悲惨な状況になることもあるのでご用心!年寄も気を付けなければならない。さっきの学生ではないが、資格マニュアみたいなのはご用心だ。インターネットを理解しメールを覚えたり、EXCELやWORDの上級クラスへ進んでいる年寄りも結構いるが、目的をはっきりさせておかないと、下手をすると数少ない友人を失い、余計に落ち込む結果となってしまう。パソコン教室へ行く時間があれば人間としての創造力を開拓していくことのほうが、私は先のような気がしますがね~。いつだったか、「図面が書けるので雇ってくれ」と言って来た人がいたが、「大丈夫。わが社は図面が掛けなくても入れます」といって差し上げた。ただし、空間の創造力があるかないかが問題だけど。目的というか資質を高めることが第一義で、技術的なことはあとでどうにかなるものだ。センスを磨くこと。これが一番。それから技術に入っていけばよい。何にしても、歳の差や性別に関係なく関わりあえるよき時代になったものだ。
2005/01/07
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「最後は運だよね。」 とは尊敬している友人知人の言葉だ。 確かに、今までの日記でも書いたが、私自身ここまでこれたことだって奇跡的だと思っているし、感謝をいくらしても足りないくらいだ。ありがたい。 感謝一杯。これが私の口癖だが、「それがいいんだよ。」とのこと。例えどんなことがあっても、「ありがとう」「感謝します」の姿勢と人の悪口を言わないことが運を良くすることなのだそうだ。鶏が先か卵が先か、ということもあるが、よいことがおきれば自然と感謝の念が涌いてくるものだが、例え悪いことがおきても同じように感謝の誠を捧げよということであった。これが成功者とそうでない人との大きな違いなのだそうだ。ならば本日より、絶えず感謝の心をもって生きることにしよう。
2005/01/06
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本日より新事務所での業務がスタートした。 やはり新鮮な気分だ。とても集中できる。ありがたい。初日から新規物件の打ち合わせを行なった。午後からは千客万来。うれしい限りだ。
2005/01/05
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新事務所への引越しが完了した。 IT環境やプロッターなどの接続に正月の間中かかってしまった。フリーアクセスフロアは結構ウエートトレーニングになったかな。しかし減量にはなんらの寄与もしなかったようだが・・・(笑)明日からスタッフが出社するが、作業環境はすべて整った。産業振興財団ほか役所は今日からなので、財団担当者の方々3名に最終接続を手伝っていただいた。とにかく今までの環境とはまるで違う。逆のようだが、フルオープンであることで仕事に集中できそうだ。「この配置は所長とスタッフがさかさまじゃないの?これじゃ所長が受付のようだ。」とは財団の職員氏。「いえいえ、これでいいんです。」入口を入るといきなり1.8m角の打ち合わせテーブル(年末に作ったもの)があり、その奥に私のゾーンがある。つまり入口を入ると真正面にいる私と対峙することとなる。かの安藤事務所も、エントランスを入ると即安藤忠雄氏とご対面~、というシチュエーションだ。受付も応接もあったものではない。入口を入ると即仕事場。そこには世界と格闘する安藤の姿がある。一昨年、20年ぶりに安藤事務所を訪ね、新築なった事務所に入って驚いたものだった。以前の事務所は、旧富島邸を買い取ってのことなので、窮屈なのは分かるが、新築なった事務所でも、世間の常識のかっこつけたところはどこにもなく、入ると、スタッフと一緒に建築の創造活動をする安藤忠雄氏にいきなり会えるのだ。だから真似をした。(笑)長野県の田中康夫知事みたいだな。それこそ廊下に面する入口もいつも空けとこうかな。(笑)設計を依頼したくなるようなシチュエーションが大切だ。どうすればよいか・・・簡単だ。仕事場をフルオープンで見せればよい。安藤事務所のように。ごまかしは利かない。私もスタッフも真剣勝負だ。いつどなたが訪ねてこられても結構。いつでもフルパワーだ。そのかわり、どなたがこられても接待は同じだ。これも安藤事務所と同じ。どんなに偉い方(世間的に)がこられても、ふらっと私が訪ねていってもまったく同じ。変に気を使うこともなく仕事に集中できる。さ~、いよいよスタートだ!
2005/01/04
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ありがたいことにJIA(日本建築家協会)への入会のお誘いをいただいた。6年前までの土建業にいる時までは最早異次元の世界となっていた会だった。まして入りたいから入れる会ではない。 まさか、JIAへの入会の誘いを受けるとは・・・既会員の推薦がなければ入会できないが、推薦するということだろう。振り返るのはもちろんまだ早い。しかし、当時のことを思い出すと、しみじみこの身に与えられた使命に打ち震える思いがする。つらかったのは、大手ゼネコンの下請けをしていて、私が安全パトロールで現場に出向いたときだった。広島の平和記念館2期工事では丹下健三事務所の方と、仁摩町砂博物館では高松伸事務所の方と話したときだった。私もこんな物件を手がけてみたい!強烈にそう思ったものだった。こいついやに詳しいなと思われたに違いない。(笑)それだけいつまでも建築家へのこだわりが抜けなかった。本屋ではいつも新建築や建築文化、A+UやJAなどを手に取り建築の世界から振り落とされないようにしていたものだ。依頼されれば・・・ニューヨーク現代美術館だって、ロンドン現代美術館だって超高層だって設計できる自信がある。 安藤先生も言っていたが、自分が建築家になりたければその瞬間から「建築家」と名乗れ!と。評価は人がするものではない。自分が自分自身にするものだ。自分自身に評価されないものが他人に評価されるはずがない、と。自信過剰とか、そんな思い上がりの意味ではなく、自分自身の正体への確信みたいなものだろう。現に、安藤はもともと素人だったのに世界の安藤になった。はじめて出会ったころはほとんど無名で人から評価などなかったが、しかし目の前の安藤からは確かな世界観を感じたものだった。「この人はきっと大きな仕事をするだろう」強烈な個性・思い・知性・芸術感を感じたものだった。まさかここまでの人になろうとは想像できなかったが。安藤は自信を持っていた。いつも強気とも受け取れる言葉しか発していなかった。そういえば、新建築に、後に日本建築学会賞を受賞した「住吉の長屋」が載ったとき、その翌月号の月評で建築家の清家 清が住吉の長屋を「こんなのは人の住めるものではない」と酷評したが、安藤の反撃はすさまじかった。おまけに住んでいるクライアントも怒り出す始末だった。私もこのすばらしい空間の持つ芸術性が分からないのであれば清家もたいしたことはないな・・と思ったものだった。予断だが、建築学会賞へ強く押したのは村野藤吾先生であったという。さすがだな。JIAは著名な建築家が名を連ねている。そんな中に自分の身を置くのもいいかも知れない。一度きりの人生、人にできて自分にできないはずがない。私ももっと建築家としての人生の深さを増していきたい、そう強く思う機会を与えていただいた。
2005/01/03
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何年ぶりだろうか、息子たちとスケートへ行った。 今から15年くらい前から行き始めたが、子供たちもすっかり大きくなりここ数年はあまり行くこともなかった。当時、子供を楽しませようということで行ったのだが、結局私もアイスホッケーにはまってしまったものだった。今にして思えば、当時の私は建築家になる夢を捨て、どこかに満たされないものを感じていたのだろう。どっぷり土建業にはまることができなかった。ゴルフにも誘われそれなりにこなしていたが、日曜日にまで接待(接待といいながら、結局みんなやりたくてやっているんだな)をする気にもならなくて専ら子供たちと過ごすことが多かった。今にして思えばそのおかげで我が家の結束というか、コミュニケーションがすごく図られていたように思う。それはそうだろう、親父が子供以上にアイスホッケー(格闘技)(笑)を楽しんでいたのだから、子供も本気になったに違いない。我が家は4人の子供がいある。男2人女2人、大学3回生の長男を筆頭に中三の次女までだが、子供のころは妻があきれるくらい親子でスケート場通いをしたものだった。今日は、長男と次男と3人で行った。お互いに今までのことを回想していた。リンクに乗れば親も子もない。(笑)多分、ほかの家族では体験できないことを共有できたのだろう。それがお互いしみじみ幸せなことだと思える。以前、長男がこんなことをつぶやいた。「親父は、今のほうが生き生きしているね。」「そりゃそうさ、好きなことをやっているからな。」人生とは面白いものだ。何か満たされないときには子供との思い出つくりをし、子供が大きくなったら、私自身の夢が叶い、建築家まっしぐら。私は決して宗教家ではないが、「生かされて生きている」のだ、という言葉が真実味を帯びて聞こえてくる。すべてがパーフェクトではないが、満たされていることのほうが多いというか、優先順位に従って良くなっていくのを感じる。私の家族は私にとってかけがえのないもの。一緒にすごし、同じ思い出を共有できることを幸せに思う。その基盤があるからこその建築家コムースであることを感じる。妻よ、子供たちよ、見ていてくれ!
2005/01/02
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思えばここまでの道のりは長かった。辛くきびしいことの連続だった。しかし回りの方々は、「早いじゃないか!」といっていただける。ありがたいことだ。うまくいっている部分は周りの方々には見えるが、辛く険しい道は私しか見えない。例えれば2倍~3倍の・・いや表面に見える10倍の道を歩んでこなければ回りの方々に評価はしていただけない。いやいや、評価がほしいのではない。実践によっての実現だ。実現しなければ何の価値もない。だから実現させるのだ!いよいよ来た!という思いが心の中を満たしている。私の事業を月に人間を立たせるアポロ計画に例えれば、その事業の必要性・・いや、重要性を検証する中で理念の構築は完了した。そしてそれぞれのパーツの設計と組立てを行なうのだが、プロジェクトメンバーというパーツはすべてそろった。そして、広報活動を行なうなど背景や基盤となる発射台の組立ても終わった。土地高度利用型コーポラティブハウス、自然共生型コーポラティブハウスという具体的な事業というロケット本体も完成した。いよいよ発射だ。確かな実感として思うこと・・・ここまでできたのだから絶対実現する!西日本にはコーポラティブハウスという住まいの選択肢が今だ提供されていない!人がやらないなら私がやる!私が提供する!これが私が心に期す大義名分「世のため人のため」だ。いよいよ実現の時がきた。私に多くのチャンスや理念を与えていただいた方々に深く感謝したい。その恩に報いるためにも、たとえどんなことをいわれても絶対やる!いままでのコミュニティは取り戻せないかもしれない、ならば一緒に、これからの時代にふさわしい心暖かくなるような新たなコミュニティを創出していこう!コーポラティブハウス事業に参加すること、コーポラティブハウスに住むこと、これこそが知らず知らずのうちに地域を蘇らせる社会貢献事業を行なうことになるのだ。住まいを手に入れることは一生をかけての事業だ。住宅ローンは3,000万円借りれば6,000万円を返さなければならない。大きな事業だ。だからこそ、真に価値あるものでなければならない。子々孫々に、よくぞこんな環境を残してくれたと言われるような事業でなければならない。世間の方々の範となるような環境をつくらなければならない。今年は必ず実現する。そして本年が、コーポラティブハウス事業の幕開けの年となるのだ!
2005/01/01
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