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イラクで人質になっていた、香田証生さんが遺体で発見された。との悲しいニュースが飛び込んできた。この件については様々な意見が飛び交っているけど、理由はどうであれ人命が最優先されなければならないし、命が無くなろうとしている人に対して、あまりにも厳しい批判は如何なものだろうか?批判は批判として生きて帰った時に批判すればいいのではないか! さて、今巷で飛び交う「俺流」という言葉に賛否両論があるようだ。同意語として、「自己流」や「我流」というのがあるが、前者は、「自分の考えで自分の道を行く。」という風に男らしい生き方のイメージがあるが、後者は、「自分勝手」とか「わがまま」という風にも聞こえる。しかし、誰もが俺流であり自己流に生きているのだと思う。一人一人が育った環境も違えば、受けてきた教育も異なる中で基礎を築き、その上に立って自分なりの「俺流」の生き方で生きているのだ。その中でも極めて大衆の流れに沿うことよりも、強く自分の行く方向に「我」を通す生き方が、今言われている「俺流」の行き方で生きる人なのかもしれない。単純に見れば、組織の一員として「寄らば大樹の陰」で生きる生き方か? 一匹狼的に「鶏頭となるも牛後となるなかれ」として生きる生き方か? だが、どちらを選んでもそれなりの大変さは当然ながら出てくる。人生に苦労のない生き方などはない。もしあるならば、それは全てから逃避しなければ叶えられないということだろう。生きることからさえもだ!ならば自分の人生の中での苦労や悲しみでさえ、少なからず楽しめる生き方のほうへ向かいたい! と私は独りの道を選んだ。とは言っても、人は独りぼっちで生きていくことなど出来ない。要するに、どちらを要として生きるか!ということだろう。「俺流」は、自由もある代わりに全責任を自分で取らねばならない。しかし、達成した喜びも、失敗した苦しみも批判も一身に受けなければならないが、本人にとって、それ自体が無性に楽しくてワクワクする生き方なのかも知れない。http:www.asukajuku.jp/メダリスト(クエン酸・アミノ酸)(顆粒)500ml用(15g×12袋)
2004/10/31
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「兵法家伝書」では、自分の行動が相手にとって予測可能になってしまうことを、「拍子が合う」として忌避している。実際に強さを誇る話の中には、自らの攻撃の破壊力ばかりを強調したり、鍛錬したところで相手に読まれて当らなければ何の役にも立たない。 破壊力を誇るよりも、相手との関係における「拍子」を読む能力を訓練させることの方が、現代的な武術の意義として活きるのではないだろうか。では、拍子の感覚はどのように訓練できるのか。「形や拍子の訓練をするには、力やスピードを除いた方が良い場合が多い。脱力し、正しい形で正しい拍子を繰り返していくうちに、技の骨組みが動作の中に浮かび上がってくる」(時津憲治 「武道の方法序説」)また、拍子を合わせないことを具体的に訓練するためには、相手が速く動く時にはゆっくりと動き、相手が遅い時には素早く動くことを実際の組手の中で意識して動くことで開発されると思います。この相手の拍子を読む。いうことは、単に武道の中だけに必要なことではなくて、人間対人間の関係に於いても必要不可欠なものではないかと思う。相手の拍子を読み弱点ばかりを見つけ出すことではなく、相手と調和し融合していくためにも拍子を読むことは非常に大切である。と思います。参考文献(「秘伝」となる事柄)http:www.asukajuku.jp/【楽天野球団】 送料・代引き手数料無料『ビビッドプラス』2個セット
2004/10/29
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運足や運歩法とは、今で言うフットワークという意味ではありますが、ボクシングや現代剣道などスポーツの、飛び跳ねるような移動法とは随分ちがいます。 武術の運足は、そのほとんどが歩くことが基本です。勿論、相手との間合いを詰めたときなどは、「寄り足」や「継ぎ足」などの細かい移動も行うけど、他は歩く。飛び跳ねたりは余りしない。例え速い動きをしても、腰の高さに変化のない移動が基本であります。歩くということは、実に実戦の理に適っているのです。現代のスポーツ的格闘技のようなフットワークは、道場やリングという整備された条件の足場ならではのことなのです。もしこれが屋外の整備されていない足場での実戦だったらどうだろうか? 飛び跳ねて石ころにでも足を取られた瞬間に命がないかも知れません。二天一流の「兵法三十五箇条」の中に「足ぶみの事」というのがあります。<足づかひ、時々により、大小遅速は有れども、常に歩むが如し。足に嫌ふ事、飛び足、浮き足、ふみゆする足、ぬく足、遅れだつ足、是皆嫌ふ足なり。足場いかなる難所なりとも、構えなき様に確かに踏むべし。」一歩の運足が命に関わる実戦における歩法では、先ず、安定性こそが命綱であった訳です。ですから実戦では、墓穴を掘りかねない不安定な飛び跳ねる運足を嫌うのですね。自然に歩く歩法の利点として、「相手の中に一瞬たりとも身を置くことのない移動が可能である。」御殿手の上原宗家歩くということは、安定性を保ち、止まることのない移動が可能なのです。飛び跳ねる動きは、飛ぶ時と着地した時に一瞬ではあれ動きが止まります。ましてや、窪みにでも着地をしようものなら命が幾つあっても足りませんね・・・。運足や歩法一つを取っても、スポーツと武術にはこれだけの違いがあるのです。また、健康の面からも歩くということは一番自然に足腰をはじめ身体を鍛える健康法でもありますね。http:www.asukajuku.jp/さらにさらにパワーアップして新登場【ヘビージュジュワー】
2004/10/27
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先ずはじめに、先日、新潟にいる愛弟子と連絡が取れないと書きましたが、作日メールで無事を確認しました。彼は某大学病院で医師をしていますので、地震後は多忙を極めているようです。無事で一先ずは安心しています。さて、武道医学にも精通されている柳生心眼流の島津師範によれば、「人間の動きは五本の指ですべてを表すことが出来る」らしい。親指が親の力、小指が子供の力を表し剣を持つにも、親が先に出るのではなく、子供から先に動いていく。人差し指は読んで字のごとく人を指す。すなわち、「進む」動きを表す。 薬指は薬を塗るのに使うからこの名があるが、軟膏などを容器からとる動作を想像すると分かる通り「引く」動きを表す。中指はその中間にあって軸となる指である。太刀の柄を握る際にも、軸を中心として小指、薬指を締める。締めると言っても強く握り締めるのではない。握らず、軽く引っ掛けるのが基本である。空手の場合も拳を握る際、掛け受けと同じ動作で小指と薬指から引き込む感じで握る。「進む」ことを司る人差し指を握りこめば、「進む」ことが出来なくなる。また、突きをもどす時は薬指を意識する。これも、薬指が「引く」ことを司るということなのである。また、指先にまで神経が通り躍動感さえ感じさせる指の使い方は「活き指」であり、また指がダランとしている指は「死に指」である。指が「活きている」ということは、全身の動きの切れがあり全身が活きているということなのであります。また、指の動きが人間の健康にも、多大な影響を与えていることは誰もが知る事実でもあります。指の動きを今までよりもチョッとだけ意識してみませんか?「秘伝」となる事柄より一部引用しました。http:www.asukajuku.jp/
2004/10/26
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未だに強い余震が続いている新潟地方、今後雨になるということで避難している方たちが心配ですね。テレビを見てたら、阪神大震災までは、何と!震度・・というのは、気象予報官の感覚で決めていたそうですね。ビックリですね!今は阪神大震災を教訓に震度測定法も1500ヶ所位に増えているそうです。 渇!さて、日本ではスポーツなどの指導者は、その競技の技術だけを指導できれば、それで指導者だという考えの方が多いですね。色んなスポーツをしている子供たち、特に成長期である中学・高校の選手が筋肉や関節を壊して仕方なく、その競技を断念せざるを得なくなる子供がいかに多いかを知る人は少ないでしょうね。栄光の陰に多くの犠牲が伴うことは世の常ではありますが、それは指導する者に、もう少し身体に関する知識があれば、このような犠牲になる子供が極端に減少することは目に見えていることだと私は思っています。日本の場合、こんな犠牲になる子供に対して、「根性がない!」「才能がない!」の一言で切り捨てます。そうじゃなくて、極言すれば指導者に壊されているのです。スポーツに限らず、特に日本は弱者や挫折した者へのやさしさの足りない国だといつも思います。その陰には、拝金主義だったり、成功者崇拝主義であったり、弱肉強食を表面では忌み嫌いながらも敗者を労わらない、社会に強く根付いている結果至上主義にあるのかも知れませんね。チョッと脱線しましたが、スポーツなどの指導者は、もう少し人間の体のことを勉強しなければならないということを言っているのであります!武道で言えば昔から、活法と殺法と言われる、人を助ける法と人を殺す法の両道を習得してこそ武道家であり、文武両道だった訳です。http:www.asukajuku.jp/野草の雫 720ml
2004/10/25
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新潟地方また、その周辺地域の方々へ心よりお見舞申し上げます。時間が経つにつれ被害が大きくなっていますので心配です。私の武道の愛弟子でもあります医者が新潟にいますので、昨夜からメールで連絡を取っていますが、まだ連絡が取れていません。恐らく、被害者の方の治療等で飛び回っているのだと思います。大変だと思いますが、地域の皆さん頑張って下さい! 度重なる台風の被害に、さらに追い討ちをかけるように日本列島に襲い掛かる自然災害。これは何か、人類への警告のような意味にも考えられなくもない気もしますね。 さて、筋肉は伸縮の可動範囲によって力が発揮できるということを話しました。筋肉は縮む方向にしか力を出せませんので、もう一方の拮抗筋がいかに伸びるかにかかっているのです。ですから、健康面から見ても、パワーの面から見ても通常の状態では筋肉はゆるゆるにゆるんでいた方がいい訳です。要するに、ゆるんでいるから瞬間に縮めてパワーを出すことが出来るのです。最初から固く縮んだ筋肉は見かけ倒しで余り意味をなさないどころか、血液や体液の流れを阻害しやすいので健康面から見ても余り良くないですね。健康面からもパワーの面からも筋肉は固めないということが第一です。今、大ブレイクしている、運動科学総合研究所の高岡英夫先生が指導されている、<ゆる体操>がそれらを証明していますね。ではまた、次回に続きます。肥満遺伝子を細胞レベルで変える!?常に脂肪を攻撃!常に細胞を新しく!二度と肥満を繰り返さな...
2004/10/24
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筋肉は通常、固い方が強いと思っている人が多い。結構スポーツなどの競技をやってる人の中にも、そう考えている人が多いのには驚きですね!2つの関節を跨いで付いている拮抗筋がお互い伸びたり縮んだりして関節を動かしています。 筋肉は鍛えれば鍛えるほど強くなるのと同時に固く収縮するのです。伸び縮みの差が大きければ大きい程その力を発揮するんですね。ですから筋肉は鍛えるだけでは、収縮する方向への力は強くなりますが、反対の拮抗した筋肉も伸びることより縮もうとする力が強くなってお互いでブレーキのかけ合いをすることになります。これでは関節を十分伸ばしたり縮めたりする機能が劣りますよね。エッ、それじゃあ、鍛えない方がいいの?そうですね、十分に筋肉の機能を出すためには鍛えるだけでは逆効果になりますね。しなやかな動きをする筋肉の持ち主を代表する有名人と言えば、マリナースのイチロー選手ですね。 彼の動きを観ていると、自分の持つ筋肉の機能を十分に使いこなしています。細かい筋肉までも自由にコントロールしていますね。これは筋肉の伸び縮みの可動範囲が広いからできる技です。しかも自分自身での身体のコントロールが細部にまで行き届くのでしょう。ではこの続きは次回まで。http:www.asukajuku.jp/ タバコを吸ってやめる♪禁煙草メントール110本代引き手数料無料!2個以上なら送料も無料
2004/10/23
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今回の台風は、全国に大きな被害をもたらしました。自然災害とはいえ被害に遭われた地域の方々のご苦労には、心よりお見舞申し上げます。 「柳に風・・・」という言葉がありますが、武道の世界でもユラ~っと頼りなく思える構えのない立ち方が、隙のない姿勢だと私は思います。空手の場合どちらかというとガチッと固めて構えるイメージがありますが、流派によって捉え方も様々です。健康の面から考えても、体を固めるということは筋肉を緊張させ収縮させる訳ですから、血液や体液の流れを阻害します。元々筋肉は伸びたり縮んだりを繰り返すことによって、血液やリンパなどの体液を流しているのです。特に重力に逆らって、足から心臓に向けて上ってくる静脈血の場合は、心臓のポンプだけに頼ると心臓がダウンしますので、ふくらはぎや太ももの筋肉の伸縮によって心臓を補助しているのです。ですから、高血圧のお年寄りなどの場合、ふくらはぎを中心にした脚の筋力が衰えている方が多い訳ですね。病院で、歩け、歩けと言うのも心臓を補助して血液を押し上げるための脚の筋力を鍛えるためでもあるのです。「老化は脚から」という言葉も脚が弱ると心臓に負担をかけるよ。という意味でもあるのですね。筋肉と武道、健康に関して書くと非常に長くなりますので、また今度、何回かに分けて書いてみます。http:www.asukajuku.jp/海の深層水 天海の水1000
2004/10/22
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今、まさに台風が通過中で強い突風が吹いている。子供の頃って台風が来ると結構喜んでいたような記憶があるけど、今、被害などの報道がある度に、これほど科学が発達したと言っているにもかかわらず台風一つコントロールできないのだから、人類は未だ自然に対して無力なのである。経路にあたる地域の方々は十分に気をつけて下さいね! 私がまだ実戦、実戦と表面ばかりの強さを求めていた頃、現在の師である、財団法人氣の研究会、心身統一合氣道八段の引地聖荘師範と出合った。今から20数年前のことである。私が突いた手首に師の手が触れたか触れないかの感触があった瞬間、私は床に叩き付けられていた。しかもそれは、これまでの私が経験したことも、見たこともない不思議などうしようもない力に依ってである。そのとき私が本当に思ったことは、「これは人間技ではない!」しかし一方では、今日まで探し求めていたものだという確信に似たものもあった。ただ、技や力の差によって負けるのであれば、その負けた原因を知りそれをクリアすることによって次に繋ぐ気持ちも出てくる。しかし、なぜ投げられたか、なぜ負けたのかが分からなければお手上げである。今までの修行も全てが空しくなった。私は空しさのまま、今までの武道の全てを捨てて勉強したい!旨を伝え弟子入りをお願いした。「君のやって来た武道を捨てることはないよ。かえって表面的だろうが肉体的だろうが、その辺の所まで徹底して強さを求めないと結局は本物にはならんし、口先き武道になってしまうんだよ。残念ながら、そういうのが多いけどね。」弟子入りを許されて長い月日が経ったが、師の前に立つと未だに師を越えるどころか足元にも及んでいない。しかし、生涯にわたって、一つのものを極めて行く覚悟を持ったということ自体がすでに真の強さなのではないだろうか?「3年かけても良き師を探せ。」只の格闘屋から武道家の端くれへ導いて頂いた我が師に感謝!http:www.asukajuku.jp/
2004/10/20
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一瞬にして4人を倒す!まだまだ若い未熟な頃の話で恐縮ですが、相当前のすでに時効になった昔話としてお聞き下され! 今から思えば、私は空手の技も心も未熟そのものだったが、気構えと正義感だけは人一倍強くて、未熟なくせに自信過剰な扱いにくいガキだったことには間違いない。ある街の夕暮れの商店街を一人歩いていた。向こうから4~5人のいかにも普通ではない連中が横一列に並んで肩で風切ってこっちへ向かってくる。買い物かごを抱えたおばちゃん達は道の隅の方に避けて、その普通でない連中が通り過ぎるまで待っている。<これって、何かおかしいぜ!> 善良な市民が天下の大道を、なぜあんな連中に遠慮しながら歩かなけりゃならんのか!その瞬間、結論が出た「4~5人か!場外稽古でもするか。」そのまま、道の中央を歩き、当然その連中の真ん中を突っ切る形になる。ドン!・・・予測したように連中が吠える。「こら~っ!待たんかい! 兄ちゃん隅のほうを歩けや!」私はその言葉を待ってましたとばかりに「お前らゴミが隅を歩けや!」この頃、このようなやり取りから路地の方に場所を移し格闘が始まることは今のようにそれほど珍しいことではなかった。例にもれず、私もその連中に路地裏へと連れ込まれる。その移動の最中、私は一人一人を観察しながら一番強そうな奴を探した。道場稽古では、このような複数とやる場合は出来るだけ一列になるような位置を取り続ける。これを位置取りというが、この場合は、誰が何の凶器を持っているかも知れない。ゴングが鳴るわけでもなく、私は目を付けた一人にサッと間を詰めるなり、いきなり膝上の外側広筋に向けて下段蹴りを叩き込んだ。座り込んだ相手の顔面に左の前蹴りを入れた。2人めも下段から倒した。複数と戦う場合、中段以上の蹴りは墓穴を掘る可能性があるため、これを使うのは実戦経験がないかズブの素人だけだろう。3人目までは相手が動揺してる内に瞬間に倒したのを覚えている。それから一呼吸入れて残りの2人に向かった時、2人の内の一人は逃げ腰だが何か棒のようなものを手に持っているが震えている。もう一人の男の顔面に突きを入れるフェイントから金的に蹴りを蹴り込んだ。道場ではこんな単純な技は先ず入らない。喧嘩なれしているとは言え隙だらけだ。もう一人は走って逃げた。私もそれを確認して、何人かの野次馬を尻目に急ぎ足でその場を立ち去った。長居は無用である。道場ルールの下であれ、実戦練習を積まないで基礎や型などの練習ばかりをしていても実際の場合は何の役にも立たない!もう、これも時効であろうから書いたが、今は仮に一方的に喧嘩を売られたとしても、一旦は頭を下げるように心がけている。しかし「無用な争いは何の利益も生まない。」と私も当然同感だが、形式ばかりで実戦の「じ」の字も経験のない人がこれを言うと滑稽に聞こえてならない。とは言え、私は私闘を推奨する気持ちなど毛頭ないが、武道とは形だけの美しさを競う舞踏会ではないのだから・・・。昔、昔の昔話でした。御目を汚し失礼しました!
2004/10/19
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「強さを感じさせない強さをもてないのは、未だ未熟な強さを捨て切れていないからだ!」今日はいきなり入りました。先人たちの言葉をお借りして書いて見ることにします。 苦労が見えるようじゃ、プロではない!汗を感じさせないのが本当のプロである。あんな好きなことを楽しそうにして、お金を稼いで「うらやましいなあ!」と思わせてはじめてプロなのである。「苦労しました!」ではなくて「周りに大変苦労をかけました!」と言える人間が本物である。なぜなら、自分が好きでやっているものに苦労など感じるはずがないからだ。自分を向上させるには、絶えず不愉快な忠告も、思い通りにならないことも抱えて、それらを一纏めにして楽しみ自分を向上させていく人をプロと呼ぶのだ。低い地位にいれば、高い地位にいる者の危かしさが良く分かる。暗がりにいれば、明るみにいる人間がすけて見える。静かにしていれば、動き回っている人間の空しさが分かってくる。沈黙を守っていれば、多弁な者の騒がしさが見えてくる。<作者不明>活力パワーアップ!摩訶不思議マカ170粒
2004/10/18
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「先生」と呼ばれる人にも、上・中・下の三段階があるらしい。一つ目は、若い頃から「センセイ!センセイ!」と奉られて、その実「先生も労働者だ!」とうそぶいて、月給の値上げ等々に血道を上げている先生を「教員」と呼ぶらしい。二つ目は、一生懸命勉強して、生徒に「知識」をつぎ込むことのみに汲々としている先生を「教師」と言うらしい。三つ目は、大した学歴もなく、優れた専門的知識もなくとも、絶えず愛の心で接し、子供らに「教える」=「押し入れる」のではなくて、生徒に本来潜在している神性を導きだしうる先生を「先生」と呼ぶんだそうです。イヤー!こんな古人の言葉には勉強させられますね~! ところで、武道をやってる皆さんは、拳の握り方をキチンと習ったことってありましたか? 「拳の握り方だって!馬鹿にするな!」って声が聞こえて来そうですね~。 でも決してそんな無礼なことを言ってる訳ではありません。今日は少し「拳の握り」について書いてみましょう。物体と物体が衝突するとき、そこに反発する力(抗力)が生じます。拳を用いて物体に打撃を加えるとき反発する力に対抗するために、接触の瞬間に拳を握り締めることが必要になります。このとき、拳を握り締めることによって、突きの威力を高めることもあるし、逆に威力を弱めてしまうこともあるのです。その理由は、同じ「握り締める」という動作でも二通りの「握り締め方」があるからです。それは、筋肉や身体の使い方に由りますが、握り締めることによって、その威力を弱めてしまう握り方は、「屈筋主体の握り締め方~緊縮性の握り」逆の透徹威力を高める握り方は、「伸筋主体の握り方~伸張性の握り」です。具体的に伸張性で握るというのは、空中に飛ぶハエを掴む感覚で、小指と薬指の2本を握り締め、他の3本の指は軽く握る感じですね。色んな流派で色んな解釈がありますが、突きの威力を身体の表面で分散させないように、内部に透徹させるための握り方として非常に威力を発揮する方法だと思います。また、突くときに人差し指を意識し、拳を引くときに薬指から引くように意識して練習すればこのような突きになるのではないでしょうか!
2004/10/17
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九州福岡も最近めっきり朝晩が肌寒くなりました。北国ではもうずいぶん寒くなっているのではないでしょうか?もうあと2ヶ月余りで今年も一年が過ぎようとしています。 我が飛鳥塾でも、秋季昇段昇級審査、寒稽古、稽古納めと行事が続きます。2年前から、1月中旬に十数年前から毎年行ってきた滝打たれ(洗心の行)を中止していました。その理由はちょうど2~3年前、他の道場での「滝行」で一人亡くなったと聞いていたからです。自分一人の修行ならばいざ知らず、門下の人にそのようなリスクを背負わせてまでやるべきことか?と自問した結果一時中止に至った訳です。自分自身の武道人生を顧みれば、骨折や怪我は当たり前のように受け止めていたけれど、やらせる側に立って見ると、試合にしろ、普段の稽古にしろ、門下生の怪我が一番心配である。逆に言えば、怪我もしないような稽古や修行は武道じゃない!と言う人もいるだろうけど、私も実はそうも思っていた。しかし、武道は肉体や技を鍛えぬくことが目的ではない。それを目的としているうちはまだ武道に至っていないのだろうと思う。じゃあ精神か?よく武道は精神だ!の如く精神論ばかりをぶちまける人がいるけど、チョッとそれも違うような気がする。肉体論も精神論も聞き飽きて私はこれ以上聞きたくもない。肉体でもなく、精神でもなく、ちょうどその真ん中を私は求めて行きたい。今年も12月に寒稽古で海には入るけど、来年1月の滝行はまだしばらくは中止にしようと思う。
2004/10/16
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此処の所、毎日毎日いい天気ですね~!今日も絵に書いたような秋晴れです。週末は行楽地は賑わうことでしょうね~! 昨日の「人間研究の道」の続きを少しだけ書きますね。生死を賭けて人間を研究しようとする中に、人間がより人間らしく生きるのに必要な情報と、人間の能力を最大限に発揮させるための方法が伝えられているのです。現代においても未来においても、過去に武道家が行ったような自分の命を賭けてまで、人間自身を研究、観察する機会は恐らくもう訪れないでしょう。ならば、このように古人が命を懸けた努力、研鑽の集大成として伝承されてきた武道の修行を通して、人間の持てる能力をいかんなく発揮する方法や、人間が人間らしく生きるための情報を知り、真の意味で殺人拳から活人拳へと昇華させ人生に活かしていくことが現代に武道を学ぶ意味があるのではないでしょうか。でも、それほどまでに徹底して、人間について研究した武道が到達したものは一体何だったのでしょうか。人間は本来自然の一部であって、その自然に適応できたときに始めて、人間自身に備わっている能力が発揮される。武道の真髄は、解剖医学で死体を研究することではなく、生きた人間を研究する極限だったのかも知れません。
2004/10/15
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今日も晴天なれど肌寒い!という天気ですね。でも今日も博多は爽やかな秋晴れですよ~! 武道に関するサイトだから、武道にまつわる事を中心に書いていますので、武道に興味のない人にはごめんなさい!と言いたいのですが、世間で考えられているような相手を倒したり、殺したりするだけが武道ではないのです。人間同士が命を賭けて闘うということが、武道を人間研究の極へと発展させたのです。武道の歴史に関する本などを見ても武道家によって様々な人間研究がなされています。でも、果たしてこの21世紀の現代に人を殺したり傷つけたりする技術を身に付ける必要はあるのでしょうか?そして、現代において武道は必要のないものなのでしょうか?そうではないと思います。なぜなら武道は人をいかに合理的に殺せるか!殺られなくてすむか!という、自分の命を賭けて人間の心理や人体の動きなど人間の心身を細かく観察し研究した情報が隠されているからです。与えられた条件で、すべてが整った研究室で研究された訳ではなく、死ぬか生きるかの瀬戸際で研究された。ということに意味があるのだと思います。そして、この研究された情報は、これから先も発展して進化する人間にとって極めて重要な情報だと思うからです。命を賭けて、しかも何千年という時間をかけて培われてきた人間研究の集大成が武道には残されているのです。この命を懸けて。ということが重要な点です。人間の心身について、命を賭けてまで研究しなければならないものが、過去にも現在にも武道以外に果たして存在するでしょうか?人体を研究することでは第一線である現代医学にしても、心を研究する心理学にしても、決して生死を賭けて研究されてきた訳ではありません。どんなに優秀な医師でも医学しか学んでいなければ、どの程度の力を加えれば関節が破壊されるかを体験的には理解してはいないでしょう。また、どんなに有能な心理学者であっても、闘いの最中に、または極度の緊張状態の中でいかに呼吸を整えリラックス出来るかの術を知る人は恐らくいないでしょう。ですから私は、武道のことに限らず、人生の岐路で迷ったり悩んだりした時は武道の中に解決のヒントを見つけ出すことが多いですね。
2004/10/14
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ここ数日、非常に爽やかな秋晴れが続いています。暑くもなく寒くもなく、一年で一番いい季節でしょうね。でも、暑かった夏の疲れが出るのもこの季節ですし、なぜか心がセンチメンタルになるのもこの季節ですね。皆さんも季節の変わり目に気を付けましょう! さあ、今日も元気に行ってみよう! 「抗力」って聞いたことありますか? 難解な物理学の本などで読まれた方もいることでしょうね。武道や武術が上達して、ある一定レベル以上に達すると、この「抗力」を自分の身体で体現できるようになります。今日は、この「抗力」について少し書きますね。でも私は物理や力学の専門家ではないので、もしかすると間違った表現をしてるかも知れませんので鵜呑みにしないで下さいね。ある物体が、他の物体に力を加えると後者は前者に対して逆向きの力を返す。このような力を「抗力」という。このように定義されますが、抗力のことを反発力とも言いますね。また抗力は加えられる力次第で決まる力でもあります。例えば、壁を押せば同じ力で押し返されるし、引けば同じ力で引っ張り返される。地面に立ってバーベルを持ち上げるとき、体重とバーベルの重さと同じだけの「抗力」が上方に向けて発生し、その抗力を利用してバーベルを持ち上げることが出来るのです。<腕の力の限界は自分の体重までである>ある何かの物体と自分の身体が空中に吊り下げられた状態で、その物体を腕を使って引っ張れば、自分の体重までは引き寄せることが出来るけど、物体が自分の体重より重たい場合は自分が向こうに引き寄せられてしまう。押す場合も自分の体重より重い物を押せば、自分が押し離されてしまう。ところが実際に地上では、引く場合も押す場合も、自分の体重より重たい物でも動かすことが出来るのです。な~ぜ~!それは、地上である大地との「対抗力」を使っているからなのです。人間が腕力の限界を破ってより強大なパワーを発揮するためには、大地との「抗力」を利用する以外にないのでして、それは(抗力を利用するテクニック)によって可能になるのです。このようにして外向きに発揮される力が「集中力」でもありますし、大地との抗力を動きとして、いかに自分の身体に伝達させるかが究極のテーマでもあります。上に上がった物は必ず落下しようとします。また逆に下に落下したものは必ず上へ上がろうとする性質があります。これは重力と抗力の作用であり、自然の法則なのです。この自然の法則である「重力と抗力」を使いこなしたとき、自分の心と体が統一され、自分と武道、自分と大自然もまた一体になるのです。これらが一体になったとき現実的に理解できないような現象も起こすことが出来ます。例えば、自分の体重を一瞬にして2倍3倍? にして持ち上げることができないようにコントロールしたり、地面からの抗力を足から腕に伝達させて相手を吹っ飛ばしたり・・、しかし、これらは決して摩訶不思議な現象ではなくて、重力と抗力を活用した、ごくごく当たり前の現象なのです。
2004/10/13
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昨日に引き続き快晴です。気持ちいい秋晴れです。が昨夜、我がダイエーホークスが西武に負けました!残念!ペナントレースで2位西武に4,5ゲーム差を付けて1位でレギュラーシーズンを終え、プレーオフで負けて優勝を逃した。何か、トンビに油揚げさらわれたような気分もしましたが、仕様がない、サッと切り替えて今日も行きましょう! 武道・武術とは本来、自然の力、自然の法則を、自分のその動きの中に体現しようとするものであり、それを学ぶということは、そのような大自然の法則と一体となるための修行であります。強さを求め続ける人間が、本当に求めなければならないものとは何なのか。それは表面的な強さを超えたもの、この世のありとあらゆるものを存在させている偉大な働きを知るということである。しかし、人間は自然の法則とか宇宙の法則とかを真に理解せずに偏り過ぎてしまうと、理論が先行しすぎて過大に表現し、自分の実際の実力とは程遠いものになってしまう。4000年の歴史を持つ中国の武術にそのように誇張した者が多いのもまた事実である。自然の法則と一体になった動きを理解するためには、先ずは現実的な実戦の場を数多く踏まなければならない。法治国家である現代では死ぬか生きるかの勝負をすることは不可能なのであります。ある一定のルールの下で行われる実戦試合であっても、机上の空論ばかりを唱えていることよりも遥かに得るものは大きい。何が言いたいのかというと、要するに自然の力を学びもせず強けりゃいいという考え方をする者や、逆に自然の法則をかさに理論先行に陥り技術が伴わない者のように偏っては非常に危険である。と言っているのであります。
2004/10/12
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昨日までとは打って変ってこちら福岡は快晴です!気持ちいいなあ、秋の風が心地いい! 昨夜、我がダイエーホークスが勝って逆王手!したので、なおさら今日の晴天は気持ちいいね。今晩、ホークスの優勝が決まりますね~。間もなく名古屋ドームに行きますので、落合さん、名古屋のみなさ~ん・・・!首をキレイに洗って待っててね~!さてきょうは・・・行ってみようか~! <三つの器>1、上器=(私利私欲を離れ完成に近い人間性)>優れた立派な人物は、「道」を教えられれば即座に実行に移す。2、中器=(自分を高める努力はしつつも私利私欲からも煩悩からも脱け切れない人)>中程度の人間は「道」を教えられても半信半疑である。3、下器=(人間の何たるかも知らず、知ろうともせず、自分だけの欲に囚われて、人に依頼する気持ちばかりが強く、自分では何も起こそうとはしない人間)>つまらない人間は「道」を教えられると腹を抱えて笑い出す。こんな連中の物笑いになってこそ、始めて「道」と言えるのである。 「大器は晩成する」老子よりところで、今、楽天と張り合ってる、ライブドアにもブログを作って見ました。出来たてホヤホヤで、まだ何にもないですけど一度お立ち寄り下さいませ!http://blog.livedoor.jp/mugen27asukajuku/
2004/10/11
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関東方面の方、台風大変でしたね。被害に遭われた方には、お見舞申し上げます。 さて、こっちも昨夜は大変でした。ナント!我がダイエーホークスがまさかの連敗をしたのです。(斉藤!しっかり投げろ!) 何と言うことか・・ライオンズに逆王手をかけられました。もう後がないですね~!まあ、今日と明日連勝すればいいことだよ~!と、いうことで本題に入りますよ。剣の名人が老いてもなお「この剣の太刀筋はこれでいいのか?」と悩み創意工夫をするように、どんな人生の名人・達人であっても向上心を抱いている。逆にいうと常に向上しようという意欲を欠かさなかったからこそ、名人・達人になったのである。向上心があるかどうかで、その人が「人の道」を歩いているかが解る。と言い切る人がいる。 中村天風我々、普通の凡人は、人並みに普通の向上心を持ち、普通に人並みに努力し、人並みに(ま、いっかあ~!)と言って諦めています。その結果が当然ながら普通の凡人なのであります。これもある意味では一つの才能なのでしょうね。それ以上の向上心を持って頑張ってストレス溜めて、病気になるのを生命を維持する能力が働いて、その辺で諦めるように制御しているのかも知れませんね。私の治療院に、子供の頃から勉強が出来て周囲から多大な期待をされて、当たり前のように東大を目指すべくして、超進学校の東大進学コースに学び、そして神経異常をきたし精神科で神経性不安症という病名を付けられて来院した高3の少年がいました。治療をしながら私は彼と色んな話をしました。そしてある日、彼は数回目の治療に来院した時、「目が覚めたような気がすします。今まで十数年間、自分の意志で生きて来なかったような気がします。先生!今度は自分で決めました!」と言って、大学などには拘らず、自分のような人を助けたいために精神科医を目指したい。と笑顔で言いました。両親と一緒に最初に来院した時の目は、何かに怯えているような焦点が合わないような目をしていた子が、今、生き生きとした目で、新たに自分で見つけた夢を話している・・・!私は涙を必死にこらえなければならない程に嬉しかったことを忘れられません。
2004/10/10
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昨日に引き続き、チョッとだけ野球のこと。今日、夕方からダイエー対西武の第三戦が、ご当地福岡ドームで開催されます。残念ながら私は仕事でテレビ観戦ですが、ドームは大歓声の中でプレイボールでしょう。あの雰囲気の中で応援したかったなあ~!みんな応援してね~!!どっちを?だって! 当然、ダイエーですよッ!!話は変わって、今、毎日毎日流れてくるニュースは子供が殺されたり、虐待されたり、悲しい事件ばっかりですね。そんなニュースを、見たり聞いたりするたびに押さえ切れない憤りを感じるのは私だけではないでしょう。そういう世の中の背景があってか、私の空手道場の子供の部、約50人の半数以上は女の子なのです。子供が普通に空手を習った位で、殺人鬼から身を護ることは恐らく困難だと思いますが・・・。以前、県警の警察官や刑事さんに空手を教えていた頃がありますが、その頃、逆に警察官から犯罪に遭遇した時の心構えや対処法などを学ばせて頂きました。そのことが今、子供たちの空手指導に多いに役立っています。型や基本も大切ですが、「子供達には実戦を想定した戦い!」ではなくて、実践を想定した「身を護る心構え」と「逃げる方法」を教えることが現実的な護身術になります。こういう方法を知るか知らないかでは、結果として大きな違いが出ることは目に見えています。因みに、私の長女も今、警視庁警察学校にいますが、護身術や逮捕術を通して徹底した実践訓練を受けているようです。しかし、これだけ子供たちが犠牲になっているというのに、このような命を護ることに関して、なぜ、学校教育の一環としてもっと積極的ではないのだろうか?といつも疑問に思います・・・?今、強烈な台風が関東・中部地方に向かっています。その周辺の方々、大変ですが気を付けて下さいね!
2004/10/09
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さあ、これでがっぷり四つだぜ!今、パリーグはプレイ・オフで、我がダイエーホークスと西武ライオンズの熱戦が福岡ドームで行われています。第一戦は大差でホークスが勝ったので、このまま連勝して大手をかけるか!と思いきや、な、何と!昨日の第二戦は大差で敗れました。さすが敵ながらあっぱれ!さあ、明日の第三戦で大手をかけるのはどっちだ! 西武ファンには申し訳ないけど、日本シリーズは当然ながら、我らが王ダイエーホークス対落合中日ドラゴンズです。中日ファンにも申し訳有りませんが、日本一はホークスで決まりですね。2階で背伸びをすれば福岡ドームが見えそうな所に住んでいますので、時にはドームに行って応援しますが、プレー・オフはもっぱらテレビで応援しています。何しろ、私の飛鳥塾整体院はダイエーホークス公認の応援治療院なんですから応援にも力が入りますね~!城島が松中が井口がズレ-タが明日は大暴れしてくれるから、ダイエーファンの皆さんしっかり応援しようね~! 今、福岡は燃えていますよ!!
2004/10/08
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禅の仕切り・・って何?完全に一つのことに打ち込んで、他のことは一切忘れてしまうこと。これを禅の仕切りと言うのだそうです。一つ一つ仕切った壁の中で全力投球し、他のことは一時的に完全に忘れるということを繰り返して修行する。ある時は、それに集中し、その次に何かが起これば、そちらに集中するというように次々に仕切って行く。前のことは一時完全に棚上げする。禅というのは実は、その部分を教えたいのですね。<方中力>禅では、始めは自分の呼吸を数えることに集中しますが、やがて、四方八方に均等に注意が向くようになります。この現象を「方中」といいます。方中というのは、四方八方に氣が向くことですが、一点一点に鋭い注意が必要な時、直ちにそこへ向かうことができる。しかも、その一点に囚われることのないパワーなのです。コマが勢い良く回っているいる状態は、目で見ると止まっているように見える。これは停止ではなくて静止した状態ですね。本当に止まるとコマはその場に倒れて停止します。これは身体上でいうと死ですね。止まると言うことは死そのものなのです。動き続けることが生きるということなんですね。自然界も常に止まることなく動き続けています。武道では一瞬でも止まることを「居つき」と言います。先ほどのコマのように止まっているように見えて、実はすごい勢いで動いている。これが武道の極意かも知れませんね。一般の生活の中でも、この「方中力」=切り替える力は威力を発揮すると思います。今、どれだけの現代人がこの「方中」ができなくて病気になっているでしょうか?
2004/10/07
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大願達成。願望成就。など全ての人が望んでいることではないでしょうか?ここ数日、武道一色でしたので今日は願望達成の必殺技?を少し書いて見ようかなと思っています。先ず、夢や願望を達成させるのは簡単なんです。達成するまで諦めなければ必ず達成しますよね!しかし、これだけでは必殺技や秘技とは呼べませんね。これからですから聞き逃さないように集中して下さい!それは! 自分の夢や目標を毎日毎日、一日も休むことなく大学ノートに書くこと!です。目標が10個あれば10個とも書くのです。そして達成したことから削除していけばいいですね。因みに私の夢ノートは8冊になりました。エッ!面倒くさいって? もしそう思った方は夢を叶えるなんて、諦めた方が幸せな人生をおくれるかも知れませんネ~!チャレンジされる方、幸運を祈りますョ~!
2004/10/05
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先日、筋肉の使い方の最後に<続き。 って書いたので続きらしきことを少し書くことにします。太ももの表側(大腿四頭筋)と裏側(ハムストリングス)は、別称アクセル筋とブレーキ筋とも呼ばれている。裏側のハムストリングスがアクセル筋で表面の大腿四頭筋がブレーキ筋。だからその用途によって使い分けなければならない。速く走ったり、早く動く場合は当然アクセル筋に意識を入れる。空手などの突きや蹴りの場合は逆にアクセル筋は身体が推進するだけのわずかしか使わず、ブレーキ筋を主力として使う。慣性の法則を身体の内部で起こすために、ブレーキ筋を用いて身体の推進力を急停止させ拳足を分銅のように飛び出させる。もちろん、このとき身体は液体でなければならない。また、人間の身体は脳の自己防衛本能のために、あらゆる部位で自動的に制御せれている。肘や膝の関節を超速度で伸ばす突きや蹴りも実際には対象物に当たる寸前、肘や膝が伸びきる寸前でその制御によって急ブレーキがかけられてしまう。これは膝や肘の関節を破壊しないために生命維持の本能が働くためである。しかし、そのとき一撃必殺のはずの拳が透徹力を無くした竹刀に変化する瞬間でもある。この透徹力を失わない突きや蹴りを放つためには、このブレーキを外し、なお且つ超速度から関節を保護するために各靭帯を強化する必要が出てくる。本来それを強化するために突きや蹴りを反復するのですが、ブレーキがかかったままで何万回反復しても、竹刀の突きからは恐らく脱することは出来ないでしょう。
2004/10/04
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強い者が弱い者を食い、弱い者がさらに弱い者を食い、さらに弱い者を見つけ出せない弱い者は、強い者のお情けによって生きるかのような世界。社会の中に生きていながら自分は人を食ってまで生きたくはない!と悩み苦しんだ末、トルストイの「本当に生きようとするなら死ね!」の言葉に触れて死を決意し、一切を捨てるのである。妥協せず、真に生きようとするなら死ぬしかない。一切を捨てきったとき中心が観えるのである。中心とは本質である・・・。(中庸とは捨てること)より武道は人間の生きる意味を、そしてその方法を体得させるべき道である。体得。そう、どれ程すばらしい理論を並べても、どれ程それに詳しかろうと、武道とは知識を得ることばかりではなく、体現できなくては何の意味もなさないのである。昔、ブルース・リーがワンインチパンチという体表面から1インチ拳を離し、相手を吹っ飛ばすという技を演武しているのを見たことがある。寸勁である。筋肉を固めて体を固体として使っている普通の人間から見ると凄い技のように見えるのだろうが、これは日頃から体を液体として使うことを当たり前のように修行している武道家からすると、特別な技ではない。逆に体表面に拳を密着させた状態からでも相手を吹っ飛ばせないようであるならば、それは未だ武道や武術と呼べる段階ではないであろう。しかし目的はそれにあるのではない。これらは筋力を力として主に使えるか、地球の重力を力として主に使えるかの差である。つまり自然の力といかに融合できるかなのだ。http:www.asukajuku.jp/
2004/10/03
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あまり専門的になりすぎると誰も読んでくれないと思って、その点考えながら書いてるつもりですが・・・?多くの人は身体を使うとき筋肉を緊張させ固体として使っています。しかも体の前面側の「屈筋」を多く使って動作をしているのです。これは人間が二足歩行になる前の四足で行動していた頃の名残とも言えます。今は腕である前足を使って地面を引き寄せて体幹前面の筋肉を使って動いたり走ったりしていたのです。特別に意識せず訓練もしないほとんどの人たちは、生涯を屈筋と呼ばれる筋肉を主体に行動しているのです。スポーツや武術・武道を訓練し、ある程度筋肉の合理的な使い方を身体が解って来ると、同じ筋肉を使うのにも伸筋という体の背面にある筋肉を主に使うようになります。これはスポーツ界にあっても名選手と言われる人たちに多く見られるようです。この伸筋郡を主体にした動きを訓練する基礎運動を、私が主宰する武道では「身体動作」と呼んでいます。中国武術の太極拳や日本武道の合氣道などの武術をヒントにした基礎運動です。伸筋郡を主体に自分の意思で使えるようになることが、先ずは武道や武術の入り口だと私は考えています。これが出来るようになると身体を固体から液体として使うための準備が出来たと言えます。脱力から液体、次にその液体に意思を持たせてコントロールする。<続き
2004/10/02
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今日から10月ですね。早いもので、もうすぐ今年一年も終わりに近づきました。光陰矢の如し・・・! 今、私は人生の半分を過ぎてつくづく思います。私たち人間は、何もかもあれもこれもとやりたいと思うことは山ほどありますが、結局はそんなに沢山のことをやるほど人生は長くないのですね。今日で船越義珍先生の語録も最終回になります。 では今日も行って見ようか! 「慢心するな、独善に陥るな!」 大道狭しと闊歩して、天下の豪傑を売り物にしているような者は、例えそれが本当に強かったとしても人はその人を心から尊敬はしないだろう。まして大して強くもないのに強そうに振舞うほど滑稽なものはない。しかし、そういう態度や格好をするのは、大抵こういった駆け出しに多いのである。 そして品位を傷つけ、体面を汚し、評判を落とすのは大体こういう手合いである。 それとは逆に「ほう、あの人は武道家だったのですか?」と言われるようになれば、そろそろ本物に近いと言える。 「空手道一路」よりhttp:www.asukajuku.jp/
2004/10/01
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