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白黒ぶちの子ヤギが、母ヤギにぴったり寄り添いながら、コワゴワ…でも、興味津々こちらをのぞいています。こうして動物と向き合うとき、頭に浮かぶ言葉があります。星の王子さまに、キツネが仲よくなろうと語りかける、あの有名なくだりです...「しんぼうが大事だよ。最初は、おれからすこしはなれて、こんなふうに、草の中にすわるんだ。おれは、あんたをちょいちょい横目でみる。あんたは、なんにもいわない。それも、ことばっていうやつが、勘ちがいのもとだからだよ。一日一日とたってゆくうちにゃ、あんたは、だんだんと近いところへきて、すわれるようになるんだ……」サン=テグジュペリ作 『星の王子さま』 内藤濯(あろう)訳(岩波書店、2000年)この本は、知合いのひでさんが紹介されていたので初めて本屋で手にとってみたのでした...星の王子さま、大切なものは目に見えない (私たちこんな本を読みました)楽天ブックスの中で一番安い版を探してみると...星の王子さま(集英社文庫)【 ピンクの象の回顧展 】以前このコーナーで、ヤギの写真を回顧しました...弁天堂の回でした。
January 31, 2007
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つい最近まで、与那国島では牛が農耕に使われていたのだそうで、トラクターが入ってきたのは、ここ十年ほどだとか。今では専ら、肉用牛として飼養されているようです。この牧場の写真を今また見て、思いました…なんで帰ってきてしまったんだろう。(旅行だから、必ずいつか帰るんですが…)与那国には今、どんな風が吹いているでしょう。この時期でも、こんな光が差しているんでしょうか。【 ピンクの象の回顧展 】会津の「べこ」は農耕や運搬に使役されました...見つめあう「あかべぇ」
January 30, 2007
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おとついの写真の右端に、掌(てのひら)だけ写っていた女の子です。差し出した手の上にピンクの象を乗せようとして、そこに木の実があることに気づきました。タピオカのような実が、ふた粒乗っています。小脇に挟んでいる棒切れを使って、古タイヤを転がして遊ぶんですね。もう一つ、写真の中に発見がありました。ストライプのシャツを着ている男の子の腰のあたり、白い椅子にお母さんの足が乗っかっています(笑)【 ピンクの象の回顧展 】男の子が腰掛けているのと同じような、プラスティック製の椅子がこんなところにも写っていました…背もたれが見えているだけですが、グアテマラのカフェテリアです... ピンクの象がいるランチ
January 29, 2007
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正月の朝日に手を合わせ、ふと振向くと、もう願いは叶っていました。『俺たちの旅』でカースケを演ずる中村雅俊が、ベルボトムのジーパンに下駄を履いて歩く姿に憧れていたのです。俺たちの旅(ウィキペディア)“俺たちの旅ごっこ”をするとき、もちろん私はカースケです。ジーパンも買いました。 宝物なので、このジーパンだけは、バスケットの中に大事にしまっておきました。しっかり自分で、アイロンもかけました…注1 :バングラデシュにおいてジーンズは高価なので、 スーツの代わりになります。 官庁に勤める人も、ジーンズを着て出勤したりします。 もちろん、しっかりアイロンを当てて―注2 :もちろん子供の頃の私がそんなことを知って、 ジーパンにアイロンをかけていたわけではありません。 ただ、大事な物だからピシッと折り目をつけた、 という点は共通していたかも―でも裾上げしてもらうと、端から1メートル(笑)も切り取られてしまって、シルエットがベルボトムにならないのです。膝から下に向かって広がり始める前に、裾に届いてしまいます。注3 :自分の体形がベルボトムパンツに向いていない ことに気づくのは、十数年も後のことになります―そんなことは、お構いなし。中村雅俊の締まらない口元を真似て、ジャケット写真を気取る少年でした。想い出のかけら(コロンビア/中村雅俊)【 ピンクの象の回顧展 】この時、私の背には... 日の出、松島
January 28, 2007
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ナイジェリア最大の都市といえばラゴスですが、現地在住の邦人が口を揃えて言うには、「ラゴスは、アフリカのダカ(バングラデシュの首都)だ。」残念ながら、この目で確かめることはできなかったのですが、つまりカオス(混沌)の町なのでしょう。恐らく、首都機能をアブジャに移したのも、その猥雑を避けるためだったのに違いありません。それだけにアブジャは整然とした、言い方を変えると生活臭の乏しい町に映りました。なんと、新首都のマスタープランは丹下健三氏の手によるそうです... アブジャ(ウィキペディア)アブジャはナイジェリアの中央、即ち内陸にあります。だから、写真の母子がビーチパラソルを広げていても、くつろいでいる場所は、団地の空き地。砂浜ではなく、下は赤土です。地元業者のエンジニアたちと雑談した日の夜だったと思います。 夕食に誘ってもらった人から、彼の後任にならないかと声をかけられました。彼はもう何年もナイジェリアに住んで開発援助の仕事に携わってきましたが、そろそろ任期も終わりに近づいていました。でも、後任が見つからなければ日本に帰れないのです。私がこの国の人と話す様子を見て、白羽の矢を立てたようです。アフリカの人といえば、“ぱっと見”からして日本人とはまるで違います。ましてナイジェリアの人ときたら、かなり“いかつい”顔をしています。この国にいきなり飛び込んだら、気後れ物怖じするのが当たり前。ただ私の場合、バングラデシュで人の無愛想さに慣れていることに加え、扉は開け放ってあるので(笑)あまり抵抗なくコミュニケーションできただけのこと。それと住むのとは、また別の話です。そこに暮らすとなれば、心身ともにかなりの強靭さが必要です。それと、強い信念が。いゃーっと唸って、その決心はつきませんでした。【 ピンクの象の回顧展 】ナイジェリアでは現地通貨をかなり余らせてしまいました。そこでその後のモザンビークでは、お土産を買ってお札を使い切りました... モザンビークのコイン
January 27, 2007
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ナイジェリアの首都アブジャ。土塀の上に帽子が並んでいます。頭型に形を整えているのでしょう。モスクで祈りを捧げるときに被る帽子だと思います。ナイジェリアの北半分はイスラーム、そして南部はキリスト教徒が多いようです。この近くのマーケットで、帽子を並べて売っていたので値段を尋ねると、2千~3千ナイラ(1,880~2,820円ぐらい) だと言います。吹っ掛けられてのではと思い、値切ろうとしたら「他を当たれ」と相手にされませんでした。アブジャの事務所では地元の業者を呼んで、仕事を引き継ぎながら、合間に雑談をしました。ナイジェリアには3百を超える(?~たしか…)部族があって、それぞれに言語が違うのだそうです。―初対面で同じ部族かどうか分からない人とは、 何語で話すの?返事はたしか、自分の部族の言葉で話しかけて、通じなかったら、もっともポピュラーな言語で話すんだったと思います。公用語は英語で、少なくとも都市部では日常会話も英語でなされているようでした。【 ピンクの象の回顧展 】為替レートは、1ナイラ=0.94円で計算しました...ナイジェリアの紙幣
January 26, 2007
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初めて出会った人に声をかけ、少しずつお互いのことを知り、時にはその後もずっと付き合いが続くこともあります。あ、男と女の話だと思ったあなた、プレイボーイ/ガールですね~。 これ、対人関係の進展一般についてです。小さい時分はかなりの人見知りだったのですが、いつの頃からか初対面の人とのコミュニケーションはあまり苦にならなくなりました。むしろその先、だんだん親しくなっていく過程に、よく戸惑います。思うに人は、最初は自分の扉を閉ざしておいて、相手を見ながら少しずつ開いてゆくものなのでしょう。ところが私の場合どうも、最初から全開にして始めて、相手によってはだんだん閉めていくようなところがあるかも知れません。そんな私に、人によっては呆気にとられ後ずさりしてたりするので、最近はスタンスなるものを意識するようになりました。形だけ(笑)【 ピンクの象の回顧展 】今日の写真は、ワカ・ショレアのオープン・ダイニングで撮ってもらいました... 波打ち際のディナーテーブルバリ島のバラット国立公園の中にあるリゾートです。
January 25, 2007
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ウメイロモドキの群れが、目の前をさわさわと流れていきます。どんな生き物もそうだと思うのですが、追えば逃げていきます(ヒトも)。その場でじっとしていれば、まるで私がいることなど意に介さず(実際、見えていないのかも)、すぐ近くまで寄ってきてくれたりするのに…でも、じっと待てずに、つい追いかけてしまうのが人情というもの。そして、逃げていく魚たちの後姿を見送るのです。【 ピンクの象の回顧展 】卵を守る親魚は、ヒトが寄っていってもぎりぎりまで逃げ出しません。必死で卵を守ろうとしています...卵を守るオヤビッチャ
January 24, 2007
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サンゴ礁を潜れば、たいていどこの海でもウメイロモドキが列をなして泳いできて、南国の海を盛り上げてくれます。青く光る背中から尾ビレにかけて、鮮やかな黄色が走っています。そんな彼らが、目の前を川のように流れていくのです。さぁ遠くから、ウメイロモドキがこちらに向かって押し寄せてきますよ…【 ピンクの象の回顧展 】こちらも暖かい海の定番... はみだしライオンフィッシュ
January 23, 2007
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急行食堂で最初に食べた新庄名物「とりもつラーメン」のスープが美味しかったので、次は「地獄ラーメン」を試し、そして今回は一日限定二十食「塩とりもつラーメン」にしてみました。揚げ(?)ゆで卵と、とりもつの親子になっています。レバーは薄切りで臭いなく、腸(たぶん)は歯触りほどよくシコシコ、塩スープがよく絡んで美味しくいただきました。ところでお客さんは店に入るとき、皆かがんで急行食堂と書かれた縄のれんの下をくぐって入ります。縄のれんをかき分けて入ろう、という感じではありません。中途半端な格好で入ろうとしたら、扉の角に額をぶつけてしまいました。昨晩、風呂場で額にコブができているのに気づいて、よくよく記憶をたどってみると、悪いのはあの縄のれんだということになりました。【 ピンクの象の回顧展 】額…といえば、額に噴出す汗を拭き拭きすすった...地獄ラーメン
January 22, 2007
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Suicaで買える自動販売機です。Suica(ウィキペディア)Suicaの導入された駅には…『まるごとSuicaが使える駅。Suicaステーション』というステッカーの中に、『この店でSuicaが使えます。』という“のぼり”の中に、あるいは風船人形の看板として、時に着ぐるみになって、…マスコットのペンギンが溢れています。ペンギン (Suicaキャラクター)(ウィキペディア)自動販売機や、立ち喰い蕎麦の食券さえSuicaをかざすだけで購入できるようになってきました。他のJRグループや、私鉄のICカード、あるいはEdyなどの電子マネーのほとんどが、ソニーのFeliCa(フェリカ)を組み込んでいるようです。FeliCa(ウィキペディア)SuicaとICOCAが相互利用できるのも、同じ技術を使っているからでしょう。この際、JRも、バスも、地下鉄も、そしてコンビニやコーヒーショップも、一枚のICカードで決済できるようになってくれれば、ますます便利になります。ただ、カードをかざすだけで決済が済んでしまうということは、読取機を悪用して満員電車の中でこっそりカードから電子マネーを抜き取ってしまう…そんな新手のスリがこれから登場するかも?【 ピンクの象の回顧展 】ペンギンのブランケットは、もったいないので箱に入れたまま、まだ使っていません...ペンギングッズが当たった!
January 21, 2007
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仙石線のマンガッタンライナーです。マンガッタンライナー(はてなダイアリー)写真はロボコンですが、ほかに仮面ライダーやサイボーグ009など、列車ごとに石ノ森章太郎氏の作品を代表するマンガ・キャラクターたちが、車体を飾ります。車内放送も、ロボコンの声なのだそうです。石ノ森章太郎/関連項目/仙石線(ウィキペディア)上↑のページの「マンガッタンライナー」のリンクから、各駅ごとにロボコン声の車内放送を聞くことができます。仙石線の終点、石巻には「石ノ森萬画館」があります。石ノ森萬画館(オフィシャルサイト)氏の生まれた石森(いしのもり)は、石巻市の近くです。石ノ森章太郎ふるさと記念館(オフィシャルサイト)1月25日生まれで、命日も1月の28日なのだそうです。【 ピンクの象の回顧展 】急行食堂の店先に張られた札には「テレビ・ラジオに○回出た店」... 急行食堂果して何回、テレビやラジオで紹介されたのか―気になって、先日見に行ってきました。答えは、テレビ・ラジオに数回出た店
January 20, 2007
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これはトンネルではなくて、雪崩覆い(スノー・シェルター)と呼ぶみたいです。陸羽東線も山形に入ると、急な斜面の際を縫うように走ります。雪崩が列車を襲って、死者が出たこともあるようです。陸羽東線/歴史~1927年2月3日(ウィキペディア)陸羽東線を新庄に向かう途は、トンネルと雪崩覆いを繰り返し繰り返しくぐり抜けます。これを撮った1月1日は、まだ十数センチメートルほど積もっているだけでしたが、そろそろこの辺りも深い雪に閉ざされる頃でしょうか。【 ピンクの象の回顧展 】そして新庄駅では、ホームだけでなく線路の上にも屋根がかかっています...新庄駅の「つばさ」(動画付)これも大雪対策でしょう。
January 19, 2007
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おとつい、昨日、そして今日と、図らずも夜明けの空が三種並ぶことになりました。どれも松島ですが、それぞれちょっとずつ場所と時間帯が違っています。撮りたかった空に一番近いのが、今日のこんな色の感じでした。冬の空気のせいでしょうか、薄い薄い紅色です。【 ピンクの象の回顧展 】象糞紙のメモ帳で思い出しました。 椰子の繊維でつくったカード... 青い象、ピンクの象
January 18, 2007
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昨日「カメラは正直」だと書きましたが、さすがに肉眼でこんなふうに見えることはありません。ファインダー~液晶モニタですが~の中に昇る、もう一つの朝日です。といっても、何もないところにカメラがひとりでに色を塗ることはないので、その種は風景の中に籠められています。レンズが感知したこの光の種を、漏らさず記録してくれるという意味で、やはりデジカメは正直なのです。これを三倍に薄めると、目で見た日の出に近くなりそう。海の上に何本か見える黒い筋は、牡蠣か海苔の養殖棚だと思います。松島というだけあって、ピンクの象がよじ登っているのは松林です。【 ピンクの象の回顧展 】とはいえ、こんな色使いはいくらなんでもないだろうと思いましたが、ありました~似た色が... 縄文米寿し
January 17, 2007
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記憶の中にある日の出前の東の空は、もっと淡い桃色でした。ところが撮り方が適切ではなかったのか、この写真では橙色です。でも記憶というのは当てにならなくて、そんなはずはない…と改めて実物を見直してみると、案外カメラのほうが正確に色を再現していたりします。これまでずっと、デジカメの緑って不自然だと思っていたのですが、先日、道端の草むらや苔を見渡してみたら、まさにデジカメ画像のように鮮やかな色でした。勝手に、自然はもっと沈んだ色をしているのだと思い込んでいたようです。この景色の中でも、手前の潟に、松の枝や雲が写っていたことに気づきませんでした。ヒトの目や記憶より、カメラのほうが正直かも。ピンクの象が向いている方角から、朝日が昇ろうとしています。【 ピンクの象の回顧展 】バングラデシュに沈む夕陽は、こんなだったと思うのですが... ダカに沈む夕陽今またダカの街に立てば、違う何かが見えるのかもしれません。
January 16, 2007
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いよいよ、DVD版『Dr.コトー診療所』のパッケージ再現も最終巻です...Dr.コトー診療所#スペシャル・エディション#4(楽天ブックス)B―ジョージさん、居酒屋『まり』の前でも 一枚撮りましょうか?J―いゃ、ここはいいです。レンタカーを返却する時刻も近くなってきました。そんなわけで、『まり』のママ西山茉莉子(大塚寧々)の位置には、ピンクの象に立ってもらいました。パッケージの写真では、道路沿いに護岸(?)の壁が見えていますが、緑の土手になっていました。【 ピンクの象の回顧展 】旅先では、バスやトラックが横転している光景をよく見る気がします。これまで訪れることになった国に偏りがある、ということもあるかもしれませんが...ピンクの象曰く「よくある光景」幸い私自身が、そのようなバスに乗り合わせたことはありません。
January 15, 2007
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そして今日再現するのは、DVD版『Dr.コトー診療所』第三巻のパッケージ...Dr.コトー診療所 スペシャル・エディション #3(アサヒレコード)診療所の事務長、和田一範の代わりに待合室に座っているのは、筧利夫さんではなく、お馴染みジョージさん。さて、間違いさがし~筧利夫さんと、ジョージさんの違いは何でしょう?答え…筧さんは白い開襟シャツなのに、ジョージさんは白衣を羽織ってます。これ、私の勘違いでした。旅館に戻り、壁のポスターを見直したジョージさん、「なーんだ、白衣じゃないよぉ。」考えてみれば、事務係が白衣着ませんねぇ。壁に這わせてある電気コードが、元は水平に延びていたような跡が残っています。これも、古さの演出でしょうか…【 ピンクの象の回顧展 】チェのコインをくれたおじさんは、―日本人の友達がいるから連絡とってみろ。と、電話番号をメモしてくれました。その日本人はキューバに住んで、貿易関係の仕事をしているようでした。その時のメモが、どこかに残っているかもしれません。チェ・ゲバラの絵葉書
January 14, 2007
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本日は、DVD版『Dr.コトー診療所』第二巻のパッケージを再現...Dr.コトー診療所#スペシャル・エディション 2(楽天ブックス)漁労長の安藤重雄(泉谷しげる)の代わりに、今日もジョージさんに立ってもらい…柱に寄っかかって! 左手はボケットにつっ込んで!肩すくめて! もっとこーんな感じにふて腐れてぇ、……注文の多いカメラマンに、もぉー分かんないよぉ~と、苦笑いのジョージさん。図々しく敷地の中に入り込んできた私たちに文句も言わず、写真を撮らせてくれた漁協(本物)の方々ありがとうございました。午前中この前を通ると、お母さんたちが、後ろのほうに見えている台を囲んで、魚をさばいていたりします。【 ピンクの象の回顧展 】キューバの通貨はペソですが、旅行者(外国人)はドルを使わせられます。ペソは、確か持ち出し禁止だったと思います。現地の通過を目にすることは難しく、特にチェ・ゲバラの刻まれたコインには人気があります。ゲバラさんよりピンクの像へ
January 13, 2007
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「志木那島診療所」の前で記念撮影…ではないのです。旅館の壁に掛けてあった 『Dr.コトー診療所(2003年版)』のポスターを眺めながら、これを再現してみようと思い立ったのです。DVDソフトのパッケージにもなっています...Dr.コトー診療所 スペシャル・エディション 1(ぐるぐる王国)今回も、Dr.コトー(五島健助)役は、吉岡秀隆ではなく、ジョージさん。パッケージの写真を見直してみると、体の傾き加減がちょっと足りませんでした…でもジョージさん、いい感じです。【 ピンクの象の回顧展 】旅先で必要に迫られて買った物は、帰ってからも重宝するものです。革靴しかなくて自然保護区を歩くように買ったウォーキングシューズ、半袖しかなかったので山に行くのに買ったセーター、そして... グアテマラのベルト空港のセキュリティチェックを通るたび必ずブザーが鳴り、ベルトを外せと言われる。ゲートをくぐり直そうとすると、ダブダブのズボンがずり落ちてしまう…搭乗のたびに、そんなことを繰り返すものでアンティグアのマーケットで買ったベルトです。
January 12, 2007
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「プロペラ風車の柱によじ登ってはいけない」と、昨日ここに書いておいたので(?)幸い負傷者はいませんでしたが…昨日(1月10日)の朝、高さ100メートルある風力発電機が根元から倒壊したのだそうです。青森の東通村にある25機のうち、倒れたのは1機だけ。かつて沖縄の宮古島にある風力発電機にも、台風によって似たような被害があったのだそうですが、今回の風速は十分耐えられる範囲内だったようです。「東通村」でニュースを検索(インフォシーク)みなさん、くれぐれもプロペラにぶら下がったりしてはイケマセン!【 ピンクの象の回顧展 】バングラデシュも今は、冬。 朝は一面に霧が立ち籠め、昼になるまでずっと霞んでいます(ノルシンディの子どもたち)。アイシャさんが、そんな様子のよく分かる写真を載せられています...クワシャ(霧)の風景(ママノオッパイハ、ロークオリティ!)今年もまた、寒さで凍え死んだ人の数が新聞に載っているようです。そして、くだもの屋の店先は... グルシャンのバザール
January 11, 2007
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与那国島には、二機のプロペラ風車が回っています。発電用風力原動機(ウィキペディア)なぜでしょう、この風車に惹かれて、バイクを借りて島を周るとき真っ先に見に行きました。風車は東牧場の丘の上に建っていて、空路与那国に飛ぶと最初に目に入ってきます。ピンクの象はおいたして柱によじ登っていますが、真似をしてはいけません。冬の与那国には、北あるいは北東から風が吹きます。ダイビングは、風が遮られる島の南側の海を潜ることになります。 「海底遺跡」も島の南です。【 ピンクの象の回顧展 】もっとも不評だったお土産は、これです...ピンクの象のジュース沖縄に行ってハイチューのシークァーサー味を買うような感覚で、ナイジェリアのスーパーマーケットでこのジュースを買って帰ったのですが、ちゃんと賞味期限のスタンプがあると見せても、作り笑いしながら引き出しの中にしまい込まれてしまいました。アメ(キャンディー)ぐらいならOKでも、ジュースとなると警戒心の働く心理は、なるほど分かるような気がします。
January 10, 2007
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旅館の食堂に飾ってあった、招き猫です。特に手前の猫は、“打ち振れば欲しい物が何でも出て来る”打ち出の小槌(ハンマー)を振りかざし、そしてお腹には「招」の文字。ハンマーヘッドシャークを見に行く時は、この「ハンマーを招く猫」に手を合わせてから出かけました。奥の猫は、鯛を脇に抱えて、「福」の文字の腹掛け。小槌を持っているのは大黒さま、鯛を抱えたほうは恵比寿さまを模しているのでしょう。大黒天(ウィキペディア)えびす(ウィキペディア)12月23日ごろからハンマーの発見率が上がってきて、私の初遭遇が24日。 その後も単独のハンマーに5~6回遭遇し、最後に深場で列をなす20~30匹の群れを遠目に眺めることができました。年末から、ハンマーの発見率は格段に上がっているようです。ダイビングサービス・マーリンが、ハンマーの遭遇状況やログを公開しています。ハンマーカレンダー(ダイビングサービス・マーリン)ログブック(ダイビングサービス・マーリン)ここのところ、ハズレなしのようですよ。【 ピンクの象の回顧展 】小銭入れや、タバコ入れにいいんじゃないかと、お土産に買った...ピンクの象とモザンビークの小物入れでしたが、ウケはどうも今ひとつ…
January 9, 2007
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Dr.コトー診療所(志木那島診療所)のセットは、与那国島の比川浜に建っています。西崎からボートで「海底遺跡」に行く途中に、小さく診療所が見えます。ピンクの象の鼻先に、白く光っているのがそれです。【 ピンクの象の回顧展 】Tシャツといえば旅行先で買う定番の品。与那国でも何枚か買い求めました。ただ、サイズやデザインの好みは人それぞれなので、相手を特定しないで買うお土産としては不向きです。その点、ペンダントはみんなに喜ばれます。かさ張らないので、持ち帰るにも煩わしくありません。ナイジェリアのマーケットで、あれもこれもと選んでいたら、同行者が「そんなに買ってどうするんですか?」いぶかしがっていました。ピンクの象とナイジェリアの首飾りでも帰って、みんなに配っているうち、あっという間に品切れになりました。一方、お土産Tシャツがダンボール箱の中にけっこうな枚数眠ったままになってます。
January 8, 2007
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与那国でハンマーを見るときには、西崎(いりざき)の沖でエントリーします。日本最西端のダイビング・スポットということになります。与那国で最後のダイビングも、ここ西崎でした。ハンマーを探して、下のほうを覗き込んでいたガイドさんが、深いところを指差します。上からでは何も見えませんが、最後なのでとにかく深場まで突進してみました。ハンマーの群れがぼんやりと見え、当てずっぽうでカメラ(デジカメムービー)を回しました...蒼い影はハンマーの群れ(動画24秒/1.6MB)最初に比較的ハッキリと、白く小さな影が見えます。ハンマー形の頭部も分かります。この白い影が画面の下に消え、ズームアップすると、ぼんやりとですがいくつもの影が泳いでいます。何匹見えましたか…?水深43メートルまで追いかけたところで、蒼い影は遠くに消えてゆきました。ハンマーに別れを告げて、浮上します。水面に戻ると、ボート「ミス・マーリン」号が我々を待っていてくれます。海面には波があったり、流れていたりすることが多いので、できるだけ素早くエギジットするため、フィンを履いたたままボートに上るのが与那国流のようです。ここで22本潜ってようやく、フィンを履いた足でステップを前向きに上れるようになりました。【 ピンクの象の回顧展 】与那国は潮の流れが速く、岩につかまったりするのに手を保護するため、グローブをするのが一般的のようです。しかし、ハンマーを探すときは中層をドリフトするので、結局私はずっと素手のままでした... マンジュウヒトデ
January 7, 2007
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ダイバーにとって与那国島の海には、「海底遺跡」に並ぶ、もう一つのお目当てがあります。水温が24℃を切るちょうど今ごろ、冬になると現れるシュモクザメの群れです。 時には、数百匹の群れが目の前を通り過ぎることもあるそうです。シュモクザメは、平たく横に張り出している頭部の形から、ハンマーヘッドシャークと呼ばれます。よく、ハンマーと略して呼びます。シュモクザメ(ウィキペディア)人を襲った例もあるようなのですが、ダイバーが被害に遭ったという話は聞きません。この時期、与那国に現れるハンマーはアカシュモクザメのメスで、お腹に子供がいるため丸々と太って貫禄たっぷりです。私のハンマーとのファースト・コンタクトは、与那国を潜り始めて6日目、12月24日の一本目でした。水深17メートル、ちょうど私たちと同じ水深に、彼女はいました。そろそろと一匹でこちらに向かって来ていたハンマーと、正面から鉢合わせになったようなかたちです。真正面から見ると、横に飛び出している目より更に、お腹のほうが膨らんでいたように思います。ハンマーの体長は2.5~2.7メートル、私たちとの距離は7~8メートルぐらいだったと思います。慌ててデジカメで録画を始めたのですが、ビデオがまわり始めた時既に、ハンマーは身をひるがえして泳ぎ去るところでした。ハンマーとのファーストコンタクト(動画15秒/761KB)後で聞いたのですが、ハンマーが群れを成して進むとき、列の先頭と最後尾に4匹ずつ見張りを立てるのだそうです。おそらく、あのハンマーも見張りだったのでしょう。ということは、すぐ近くに群れがいたのかもしれませんが、残念ながら見つけられませんでした。その後も何度かハンマーを見ることはあったのですが、これほど近くで出逢うことはありませんでした。【 ピンクの象の回顧展 】海の中では、ハンマーのような大物を追い求める一方で、サンゴやウミシダの陰に隠れているちいさな生き物たちを探すのも楽しいものです... アンボイネンシス黒
January 6, 2007
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「海底遺跡」のメインテラスです。このメインテラスに留まることができないくらい流れの速いことがあるそうですが、この時はゆっくり遊ぶことができました。その代わり水が濁っていて、太陽光も差し込んでいなかったので、クリアな写真を撮ることができなかったのです…そこで敢えて画像の彩度を下げ、遺跡っぽい雰囲気を演出してみました。奥に見えている段々が「階段」です。ダイバーの大きさと比べると、階段というよりは、祭壇のようにも思えます。この階段にみなで並んで座って、記念写真を撮ろうと試みましたが、うねりがあって右に左に揺すられ、散り散りになってしまって並ぶどころではありませんでした。【 ピンクの象の回顧展 】石の造形といえば、アンティグアの旧市街は一面が石畳でした... アンティグアの辻
January 5, 2007
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さぁ、これから与那国の「海底遺跡」を潜ります。まずは、ガイドさんからエントリー前のブリーフィング…地図に向かって左端にある「城門(ぐすくもん)」をくぐると、正面(ガイドさんの指の下)に「二枚岩」があります。高さ5~6メートルはある平たい岩が二枚、本棚の本のように並んで、そびえ立っています。そこから右に回り込むと、「メインテラス」に出ます。巾3メートル、奥行10メートルほどの広場です。その奥に、二段の「階段」があって、その先に長さ10メートルほどの「水路」、裏には二つの「柱穴」、そこから更に進むと、「拝所」と呼ばれる深さ約3メートルの狭い壁に囲まれた空間があります。最後に、前足(ひれ)を広げた「カメのレリーフ」を見て浮上するのが標準コースです。写真の地図がよく見えないという方、こちら↓に分かりやすい図があります。与那国島海底遺跡(ダイビングサービス・マーリン)上のリンク先から「?click」アイコンをクリックすると、左側に「海底遺跡地図」のリンクが表示されます。これが人工物か、自然の産物か、それはやはり自らの目で確かめるのが一番。 潜らない人も、グラスボートで遊覧することができますよ。【 ピンクの象の回顧展 】昨日は、タイの「SAVE!THE ELEPHANT(象を救え!)」でしたが、インドネシアでは、こんな状況です...霊長目ヒト科ヒト
January 4, 2007
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バンコクを旅行されたチェリ子さんからいただいたお土産です。バンコク旅行記は、ここ↓からスタート...母子バンコク旅行~2才娘と9才息子と(Dempasar Moon)象の形をした線香立ての背中に、袋をしばってあったヒマワリ付きの針金を活けてみました。左の前足を踏み出している仕草が、なんとも愛らしいのです。その後ろにあるのは、象糞紙のメモ帳です。表紙に、象の親子の浮彫が貼り付けられています。子象と親が、手の代わりに鼻に鼻をとりあっています。袋には「SAVE! THE ELEPHANT」と書いてあります。タイでも、密猟や開発の影響で、象の生活は脅かされているのでしょうか。チェリ子さんが旅行されたのは、ちょうどクーデターの戒厳令が解かれた12月初めの頃でしたが、大晦日には、バンコクで今度は爆破事件がありました。外国人観光客も怪我をしているようです。火をつけるのは爆弾ではなく、香を焚きましょう。とまれ無事に帰ってこられて、なによりでした。チェリ子さん、ありがとうございました!【 ピンクの象の回顧展 】象が登場するタイ映画のタイトルが「トム・ヤム・クン」...バリでトムヤムクン
January 3, 2007
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上空1万メートルから水平線を見ると、ほんと地球が丸いのが分かります。【 ピンクの象の回顧展 】イスラーム教の指導者を、イマームと呼びます。お坊さん、あるいは牧師や神父さんのような存在でしょうか。村のレッスン... このカードの中で、村人に説教を垂れているのがイマームだと思います。イマーム(ウィキペディア)
January 2, 2007
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ピンクの象が雲を伝って向かう先に、富士山。左上の隅には、明石山脈(南アルプス)の稜線が見えます。海岸線に広がるのは、富士市の街並だと思います。この新しい年が、よい年になりますように。【 ピンクの象の回顧展 】イスラームの暦は太陰暦で、西暦の元旦とは通常一致しません。そもそもイスラームにおいては年の改まることが、あまり大きなイベントになりません。むしろ、年に二度ある「イード」が、正月と盆のような特別な日になります。一番大きなイベントは、断食明けのイード、二つ目が犠牲祭(コルバニイード、クルバニイード)です。今年は、このコルバニイードと、西暦の1月1日が同じ日に重なったようです。ちなみに、去年の断食明けイードは10月24日(西暦)でした... 赤べこ
January 1, 2007
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