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kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
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Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2014.12.14
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カテゴリ: 教育・子育て
諏訪さん の著作を読んだが、
 読者レビューをみると、評価はあまり芳しくない様子。
 読み始めると、かなり真っ当なことを書いているので、
 「なぜかな?」と重いながら読み進める。

  「学校にあってはならないこと」は、不祥事や事故が生じた際の
  学校側の言い訳や謝罪の枕詞として使われるし、
  マスコミ(特にテレビ)が学校のミスや不手際を断罪するときにも登場する。
  学校は一種の聖域として考えているらしい。

  マスコミは真実だなどと思っていないだろう。
  学校(や教師)を論難する根拠として使っているのだ。
  不祥事やミスがまったくないのが学校の正常なあるべき姿と考えているわけでもなかろう。
  「学校にあってはならないこと」という絶対値を振りかざして、
  学校を、教師のミスを、スキャンダルとして扱おうとしている気配が濃厚だ。(p.39)

ここで述べていることについては、私も同意する。
ただし、本気で「学校にあってはならないこと」と思っている人は存在する。

  実際、人間の生き方の問題として考えれば、
  いじめられることと自死のあいだにはかなりの距離がある。
  人間の決断が入っているからである。(p.42)

この記述に関しては「決断」と言う部分が、とても引っかかる。

もう、「決断」などできる状態ではなくなってしまっていることも考えられる。
自分が自分でなくなり、最早、自分自身をコントロールすることが出来ない。

  「学校で起きたことは学校の責任だ」というのも、かなり強引な理屈だとも言える。
  現実生活のリアリティを欠いた論理だ。
  学校に無限の責任を押しつける、ためにする非難の決まり文句だ。

  学校(教師)は加害の当事者ではない。
  ここに決定的なズレがある。

先ほど挙げた部分に続く、この箇所については、同意する。
学校(教師)は「加害の」当事者ではない。
管理・監督責任は当然生じるし、
そこから逃れることは、決して出来ないが。

  確かに、いじめを受けた生徒の親や、とりわけ、
  いじめによって子どもが自死に追い込まれた親の不信感は十分に納得できる。
  しかし、メディアもそろそろ学校におけるいじめ問題の指導や処置が
  <情けない>と表現されるほど困難である真実に出会うべきだ。(p.53)

ここまで読んだときには、この先どんなことが述べられるのか、大いに期待した。
そして、「なぜ、これで、レビューの評価が低いのか?」と首を捻った。
しかし、ここから先、その評価に、少しずつ納得していくことになる。
特に、5章以降については、諏訪さん自身の考えや行動について、新たな発見があった。

例えば「教員世界の中のいじめ」で取り上げた自身の体験や、
「生徒観の人間関係」で取り上げた自身の体験の数々。
諏訪さんが、教員生活をどのように過ごしてきたかが伺われ、
また、周囲の先生方との関わりがどのようなものだったかも、伝わってきた。

さらに、7章以降は、 尾木直樹氏 橋本徹氏 宮台真司氏
内藤朝雄氏 『教室の悪魔』 『友だち地獄』 についての私見。
諏訪さんの考え方がどのようなものか、知ることが出来た。
出来れば、 森口朗氏 についての考え方も知りたかった。





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Last updated  2014.12.14 12:24:55 コメントを書く
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