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( ´ ▽ ` )ノ タダイマァ先日、ドバイ経由で帰国しました。ドバイと言うと、世界で一番、お金持ちの国だそうで、ヴィーンを離れるときには、Y浅せんせに、「アラブの石油王に連れて行かれないように気をつけてね。」と散々、注意されましたので、たとえ、らくだを10匹くれると言われても、3番目の奥さんにしてあげると言われても、「絶対、日本に帰る。」と心に誓って、飛行機に乗りました。ドバイに着いたのは、真夜中の12時頃でしたが、気温37度もあって、「やっぱ、石油の出来る国は、ちょっとちゃうなあ・・・。」と思いました。大阪に帰ると、みんなに「大阪は暑いでしょ?」と言われましたが、ドバイに比べると、それほどでもなかったです。ドバイの空港には、ありとあらゆるものが売ってるそうで、飛行機が買える。というのが有名だそうです。「空港で、買えない物はない。」と言われるこの空港ですけど、お金があれば・・・。というのが大前提でありますので、私にとっては、買えないものだらけでした。残念ながら、石油王の妻になる機会にもめぐり合いませんでした。しばらく日本人をあまり見ていなかったので、日本行きの飛行機で、大量の日本人を見ると、「これだけ日本人がいたら、1人くらい、知り合いがいるかも・・・。」と、探してしまいました。もちろん、知らない人ばっかりでした。こんなにドバイの事ばっかり書いたら、まるでドバイに行ってたみたいですけど、この夏は、ドイツとデンマークとオランダに行っていました。その話は、また今度・・・。帰国して、改めて祖国を見て気づいたことは、1、店員が親切2、駅、道、トイレが清潔3、女性のみだしなみがきれい4、みんな日本語をしゃべっている5、小泉首相と間寛平の顔が似ている変わったなあ。と思ったことは、1、ガソリンの値段があがった2、小泉首相が老けた3、本屋に「大人用ドリル」とか「大人用塗り絵」が大量に売っている。時差ぼけは、ほぼ治りました。今日はこの辺りで、失礼したいと思います。ほな、おやすみ。
2006年08月15日
やっと、シェーンブルン宮殿の見学に行きました。わたくしの札幌の宮殿よりは広かったです。もちろん、宮殿についている動物園にも行きました。なんでも、この動物園は、ヴィーンの旭山動物園と言われているそうで、動物と触れ合える。というのが、売りのようです。たしかに、いろんな工夫がされていて、動物と触れ合えたような気がします。「日本でまかけという猿を見た」と、こっちの人に聞いたことがあって、(゜Д゜) ハア??それは、猿のお尻は「まっかっか」って言うだけで、品種の名前とちゃうんちゃう?とわけの分からない説明をした覚えがありますが、こっちではニホンザルの事、Makakeって言うのですねえ。それって、日本人が「メリケン粉」って言うのと一緒? 「ロート・ゲズィヒツ」(赤い顔)って、そのままやな。ヽ( ´ー`)ノフッライオンを見ようと、恐る恐る建物に入っていくと、思わず悲鳴を上げてしまいました。なんと、柵の中には鏡が。そして、そこに映る、ひきつった自分の顔。そこに「地球上で一番怖い動物」と書いてありました。 あひゃひゃひゃひゃ(≧∀≦*)粋やな。ところで、急ですが、ヴィーンを7月11日に立つ事にしました。その後、ヨーロッパを1ヶ月ほどさまよったあげく、帰国します。ヴィーンにいる時間も、あと数時間。(/ー ̄;)シクシクというわけで、観光と荷物整理の日々です。これまでの数ヶ月間♪今日も元気良く~~~、レッスン、レッスン、レ~~~ッスン♪ (モーツァルトのクラリネット協奏曲で歌ってね)だったとすると、最近の私は、♪今日も元気良く~~~、ビール、ビール、ビ~~~ル♪と言うとこでしょうか。(`ー´)イヒヒ明日は、リンツ近くの、ユダヤ人強制収容所の見学に参ります。おまけパンダが、あまりに人間のような動きをするので、「あれって中に人間が入ってるんだよ。時給、いくらかねえ~~。夏は暑くて大変だねえ。」と、ひとりはしゃいでいると、子供を連れた母親に睨まれました。背中に哀愁をおびたパンダさん。
2006年07月07日
ザルツカンマーグート2泊3日の旅に行ってきました。私の添乗員さんは、この方達。 ご一緒~~~。О高監督ご夫妻です。ロンドンで演奏会の後、ザルツカンマーグートへ寄られるという事で、私も連れて行って下さいました。久しぶりに、深く息をしたっていう感じです。こんなにシェーンでした。 そして、湖畔に立つ、お二人定宿のペンションに泊めてもらいました。家族でやってる感じの良いペンションでした。犬もいました。夜、散歩していると、ペンションのおじさんが湖で釣りをしているのが見えました。「よし、明日はあれを絶対・・・。」そして次の日の食卓にて。あやこさんの胃袋にお入りになられた、おさかなさん、ありし日の姿。(-ノ-)/Ωチーンたくさんある湖を周り、ザルツブルクにも行きました。ブルックナーがお眠りになっている教会にも参りました。やっぱ、話に聞いていても、行ってみないと分からないものですねえ。楽しくて、あっという間の3日間でした。どう楽しいかと言うと、О高監督トークつき演奏会を、3日間、トークだけ聞いてる感じ。あんなにコネタ、おっと失礼、話題の豊富な人は、他に知りません。今回、奮発して「ディアンドル」という民族衣装を買いました。いつか、演奏会で着るつもりです。いつかの演奏会には、ぜひ、このディアンドルを見に来て下さいませ。写真を載せたいところですが、いつかの演奏会のために、掲載は控えることにします。О高ご夫妻、どうもありがとうございました。ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ
2006年07月02日
真っ黒になりました。顔も手足も、腹も真っ黒です。なぜなら、毎日ドナウ川で泳いでいるから・・・。鳥インフルエンザで騒がれて、白鳥が危ないそうなので、白鳥が近づいてくると、ジョーズ並みの恐怖感が味わえます。結構、真剣に逃げ惑います。ちなみに、水着姿の写真掲載は自粛させていただきます。昨日、ドナウインゼルフェストに行きました。ロックの野外コンサートのフェスティバルなんですけど、そんな中に、クラシックのプログラムが投入されるのは、さすがヨーロッパですね。指揮はふぁびお・るいじさんオケは、ウィーン・シンフォニカーでした。かなりの人数が集まっていて、前の方は真面目に音楽を聴く人たちで寿司づめ状態でしたが、後方では、ゴザを敷いて、ビールを飲んでいる家族なんかがいっぱいいて、あんたら、花見とちゃうで。と言いたくなりました。私ももちろん、ビールを飲みました。最高です。モーツァルトとか、プッチーニのおきまりのアリアなんかを演奏していましたが、その間、さんざん飲んだくれて、きゃあきゃあ言ってた花見集団も、ヨハン・シュトラウスが始まると、全員総立ち。みんな、縦に、横に揺れだして、ほぼ興奮状態になりました。揺れるだけならまだしも、「雷鳴と電光」では、おっちゃん達が走り出しました。やっぱ、運動会に使われるだけの事はあります。日本では「フライング拍手」なんかが問題にされますが、そんなのかわいいもので、ここでは、フライング・シンギング知ってる曲、(例えばアンネン・ポルカとか)リタルダンドして、次のワルツが出てくるとこなんか、先に、次のメロディー、歌っちゃっていました。(゜▽゜=)ノ彡☆ギャハハ!!いやー、楽しかったです。はっきり言って、ウィーンに来て、一番おもしろい演奏会でした。アンコールも、「もっと弾いて~~~。おねが~~い!」と、切実に思いました。アンコールというのは儀式なのかと思っていましたが、本来、あああるべきものなのですねえ・・・。うんうん。ちなみに、大きなスクリーンで舞台を写していて、音響もとても良かったです。おまけゆかたを着て行くと、日本語の達者なおばちゃん(ヴィーン人)が話しかけてきて、「日本に住んだことがあります。京都にいたけど、暑いので網走に住みました。」と言ってました。京都が暑いから、網走って・・・。そんな極端な・・・。
2006年06月27日
最近、1年間たいへんお世話になったY浅せんせの50回目の誕生パーティーがありました。Y浅せんせは、ヴィーンアカデミーの指揮科のせんせで、私も、指揮科のレッスンのオケに何度も載せていただきました。今年、モーツァルトが250歳ですので、モーツァルトとたったの200歳しか、年齢が違わないという事になります。そして、考えてみたら、私も今年で●0歳なので、アニバーサリーがモーツァルトと一緒なわけであります。人生をモーツァルトとともに・・・。歩んで行くことになるのか、ならないのか・・・。(T▽T)アハハ!私自身、モーツァルト生誕300周年の時に、まだ生きているのかどうなのか。少し、興味の沸くところであります。せんせの誕生パーティーでは、すごい人数の生徒達が集まりましたが、こんなお客さんもいらしていました。こんな客たち 真ん中がY浅せんせで、両脇が愛弟子のみなさまです。S野(右)さんは、いつもの弾けぶりで、場を盛り上げていらっしゃいました。次の日、外国人の友達に「あの人、有名な指揮者なんだよ。」と説明を試みましたが、たぶん、信じてもらえませんでした。この辺に関するコメントは差し控えさせていただきます。T束(左)さんにはブログ掲載の許可をいただいていませんが、よいですか?すいません。S野さん「どう?指揮科の授業見たら、いかに君のオケに来る指揮者が優れているか、分かったでしょう?」わたし「はい。よくわかりました。今後、指揮者の悪口を言うのはやめます。」とうっかり口を滑らせてしまいました。周りにいるオケの人たちには爆笑されましたが、指揮者の人たちの顔が少々、ひきつっていたように感じたのは、私だけでしょうか・・・。ちょうどこの日、札響の専務夫妻もいらっしゃっていて、有名な観覧車にご案内しました。そして、ちょうどこの日、なんとアメリカからもお客が来ました。街中、大騒ぎでした。こんな感じ 屋根に「ブッシュ ゴー ホーム(家へ帰れ)!」と書いてあります。デモなんかもあったようで、ギリシャ人の指揮科の生徒は「アンチ・ブッシュのコンサートをする!」とか息巻いていましたが、このテンションにも、少々着いていけない部分があります。最後に、ヴィーンの隠れた名所をご案内しましょう。 ハッシュ・マルクト「ハッシュ」って「麻薬」の意味なんだそうです。あー、こわいねぇ~~。ヽ( ´ー`)ノフッたぶん、誰かがいたずらで「ナッシュ・マルクト」の看板に落書きしたのでしょうけど、あながちウソでもないので、笑えません。(゜▽゜=)ノ彡☆ギャハハ!!
2006年06月22日
先日、大阪シンホニカーから留学中のA野さんのリサイタルがあって、私も、1曲だけ、モーツァルトのばよりんとびよらのデュオを弾かせていただきました。「ヴィーン・ムジカリネン」という由緒正しそうな名前の団体の企画でしたが、ほんとにアットホームで雰囲気の良いリサイタルで、私も楽しかったです。リハーサルの様子。たぶん年配のご夫婦や気立ての良い奥様なんかがメンバーのようで、理事は女性団体なんかで活躍している恐ろしくパワフルなおばちゃんでした。私のように、気立ての良くない少女は、少々ビビッてしまいます。例えば、こんな感じ。理事「貴女は、どの作曲家がお好きなの?」あやこ「モーツァルトです。」理事「おほほ・・・。モーツァルトイヤーでなくても?」あやこ「(`口´;)げはっ!」会場の隣には、ゲストルームのようにくつろげるお部屋があって、そこが我々の楽屋でした。おばちゃんが案内してくれました。そこで、びよらの音だしが出来るかどうか、質問したかったのですけど、全くドイツ語が上達していない、気立ての良くない少女の独会話とっさのひとこと。あやこ「Kann ich Bratsche spielen?('▽'*)ニパッ♪」直訳すると、 「わたしはびよらを弾く事ができますか?('▽'*)ニパッ♪」そんなもん知るかっちゅうねん。こっちが聞きたいわ。(←ひとりボケつっこみ)これにはさすがのおばちゃんも、たじたじしつつ首を傾げながら「やーやー。」とか言っていました。(゜▽゜=)ノ彡☆ギャハハ!!表舞台で活躍するおばちゃんの裏では、旦那さんがコツコツと働いていらっしゃって、舞台のセッティングとか、ドアの開け閉めなんかをやってくださいます。舞台の上で、素敵なお花をいただきました。ばよりんを左手に、お花を右手に持っているA野さんに向かっておじさん「はやく、バケツの水につけなさい。ばよりんじゃないよ。間違えないでね。」あひゃひゃひゃひゃ(≧∀≦*)ピアニストのベルンハルド君「ばよりん、水に漬けたらびよらになってしまうから気をつけてね。」*o_ _)oバタッなんにしても、この数ヶ月、この演奏会に向けて努力されたA野さんには頭が上がりません。お疲れ様でした。
2006年06月13日
ご無沙汰しておりました。実は、「敗血症」というのにかかっておりました。「白血病」ではありませんのでご心配なく。指の爪の周りがささくれ立っていたので、その皮をめくったら、そこが傷になったらしく、ばい菌が入って膿んでしまいました。指が曲がらないほどに腫れて、そのうち腕の血管が、赤黒くなって腫れていきました。放っておくと死ぬそうです。゚・。・(●ノ∀`●)σ・。・゚ イーッヒッヒッヒ うそみたいな本当の話です。大病院に行くと、ヴィーンのブラックジャックのような名医にめぐり合いました。名医のお言葉「僕にとって大事なのは、あなたがびよらを弾けるようになることだけだから。」とおっしゃって、大病院は高いからと、ご自分のオフィスを紹介してくれました。最後の診察なんかは無料でしてくださいました。このご恩は一生忘れません。たぶん。しばらく、骨折したときのように、包帯でぐるぐる巻きにして、毎日、抗生物質を飲んでいたら、治りました。包帯ぐるぐる巻きの写真をブログに載せて、「びよらの練習、しすぎました。あはは」と書きなよ!!と友達に言われましたがありえない事は書かないことにします。(T▽T)アハハ!人間の体ってもろいものなんだなあ・・・・。と思いました。気をつけたいと思います。はい。
2006年06月08日
( ´ ▽ ` )ノ タダイマァプラハから帰ってきました。実は、知り合いが日本から来ていたので、日にちをあわせて私も行って来ました。プラハは、ほんとに綺麗だと聞いてはおりましたものの、ほんとに心打たれる日々でした。こういう光景を目の当たりにすると、「モルダウ」を弾いたりするときの感覚がまた違うものになるような気がしました。在プラハ中に、日ヒルのみなさんもちょうど演奏旅行にいらっしゃっていたので、みなさんの泊まっているホテルにご挨拶に参りますと、思わぬ人がトラで乗っていたりして、不思議な再会もしてまいりました。ここどこ?東京?って感じでした。久々に日本のオケの人に会うので緊張したためか、なんと、留学してから初めて、札響の夢を見ました。すでに9月になっていて、オケに復帰する初日の夢でした。みんなとペラペラしゃべっていたら、いつの間にか練習が始まってしまっているのに、私だけ楽器が見当たらない。という、あながち現実に起こりえないとも言い切れない、オーケストラ奏者が見る典型的とも言える夢でした。(*'ω'*)......ん?私だけ?5日間、プラハを満喫したためか、長い間、滞在していたような錯覚すら覚えましたがいざヴィーンに帰るとそこは現実で「あーあ。あっという間だったな~~~。」と思いました。これと同様に、今はヴィーンに来た日が遠い過去のようになっていますが、日本に帰国すると、「あっという間だった。」と思うのでしょうか・・・。ところで、今回、ずっと欲しかったものを買いました。チェスです。実は弱いけど、チェス好き・・・。ずっと、こういう素敵な木製のチェスが欲しいと思い、旅行するたびに探していましたが、やっとめぐり合いました。うっとり~~。すてきだわ~~~。
2006年05月29日
やっと発見しました。いつか、掲示板に書き込みがあった「市毛よしえのポスター」このことでしょうか? 上の方に、「Yoshie Ichige」って書いてますね。確かに、強烈・・・。でも、これって、いわゆる女優の市毛よしえさんと同一人物なのでしょうか・・・。なぞが残ります・・・。街で、こんな看板を見つけました。 ヨーロッパ、沈・・・。沈む?わかって書いてるんでしょうか・・・。 これは、シーツ、枕カバーなどのシリーズです。絶対、眠れません。日本のイメージと言えば、昨日、待ちに待った国立歌劇場での「蝶々夫人」を見に行きました。コスチュームとかが、Tsugouharu Foujitaと言う日本人だったので、つっこむ場所はありませんでした。海外で蝶々夫人を見ると、変な部分が一杯あるもんなんだけど・・・。シャーデです。たぶん、着物の様式なんかもきっちりしていて、大河ドラマを見ているようでした。完璧でした。ただ、蝶々夫人を歌っている女の人が、栄養を取りすぎた黒人?だったこと意外は・・・。なんて言ったら、人種差別になるのでしょうか・・・。それほど、私の蝶々夫人に対する思い入れは強いのですが、確かに、そう言ってしまったら、カルメンを日本人がやるのもおかしいし、まあ、これは人種差別なのでしょう・・・。うまかったら、人種は関係ないのでしょう・・・。うまかったら・・・。って、昨日の人、ひどかったよなあ・・・。うーん。ま、いいや。さて、今日からプラハに行ってまいります。('▽'*)ニパッ♪先生が日本へ演奏旅行に行っているものですから・・・。しかし、私がヴィーンにいる間に、先生は何回日本に行くのだろう・・・。
2006年05月25日
先日、グンポルヅキルヒェンという、ヴィーンから電車で40分ほどの街へ遊びに行った。オーストリアの電車は右側通行なのに、なぜかここの路線は左側通行で、遠い故郷もそうではなかったかと、郷愁の思いが胸を熱くさせるので、しっかり写真に収めることにした。 さっそく電車に乗り込み、電車の窓に映り行く遠い過去に思いをめぐらせていると、口ひげを生やした小太りの車掌がやってきた。切符の確認かと思いきや、車掌「さっき写真を撮っておったのは、この者か。」という。我々「あ・・・す・・すいません・・・。 あの、日本も左側通行でして、いや、決して悪気があったわけでもなく・・・。」車掌「ちょっと、こっちへ来なさい。」我々「(゜ロ゜; 三 ;゜ロ゜)ヒイイイィィ(゜ロ゜; 三 ;゜ロ゜)ヒイイイィィ」そして、通されたのは、なんと運転室。車掌「そんなに興味があるなら、こっちの方がもっと良い景色だよ。 ('▽'*)ニパッ♪」(*'▽'*)わぁ♪本当に、すばらしい眺めでした。運転していたお兄さんも、これがまた、なかなか愉快な人で、ギアチェンジの方法から、車内アナウンスの方法まで説明してくれ、意味もなく、スピードダウンさせたり、意味もなく、警笛を鳴らしたりプラットホームから50メートルほど行き過ぎて止まったり、してみせてくれました。「自分はこの仕事を愛していて、誇りに思っているので、こうやって興味を持ってくれる人がいるとうれしい。」というお兄さんを見て、仕事を愛している人というのは、輝いているもんなんだな。と、胸を熱くするのでありました。 第2次世界大戦以前は、オーストリアは左側通行だったけど、ヒットラーが右側にしろ。と言ったので、徐々に変わって行ったけど、ここは未だに、左側のままなんだそうです。南駅で降りる予定でしたが、せっかくなのでドナウ川も渡ってみよう。という事になり、終点まで乗ることにしました。 ドナウ川にさしかかると、せっかくだからと、お兄さんはスピードダウンしてくれ、「夏場はここで、ドナウ川に目を奪われて、どの列車もスピードが落ちるんだよね。」と言いました。やはり、青くはないドナウを、ヴィーンの人々がどれほど愛しているか、愛していれば、このドナウも青く見える日が来るのか。などと思いをめぐらせていると、お兄さん「いや、夏場になると、裸のお姉さんが川岸で日光浴するんだよ。理由はそれだけ。運転手も人間だってことだねえ~~~。あひゃひゃひゃひゃ(≧∀≦*)」*o_ _)oバタッヴィーンにも、どこかのどかな所が残っているのかな。と、なんだか、心が温まる時間だったのであります。
2006年05月23日
1週間ほど、母が来ていたので、一緒にミュンヒェンに行きました。ミュンヒェンって札幌の姉妹都市だっけ?バイエルン王家の紋章がライオンなのか、町中、いたるところにライオンがいました。 ライオンは百獣の王やで。 ドイツ言うたら、ビールやで。 入れ歯にはポリデント。 三輪明広。 アラブ系、成金。ベタですが、ノイシュヴァンシュタイン城に行きました。シェーンです。非常に、シェーンです。久々に母に会いましたが、相変わらずで「北海道だけじゃなくて、本土でも演奏しなさい。」と言われました。さすがに、本土と言う響きは強烈です。今、スーパー大辞林でその意味を確かめてみると、本土1本国2主な国土。離島や属国などに対していう。ってことは、北海道は離島!?それとも、外国!?少し、発想を転換すると、やはり、大阪と言うところは、日本ではなくて大阪王国なのかもしれません。北海道は大阪王国の属国?あまり書くと怒られるので、これくらいで失礼したいと思います。
2006年05月11日
やっと「第3の男」のDVDを見た。正直言って、予想以上にすごい映画だった。やっぱり名画は見ておくべきだな・・・。と思った。舞台は終戦後のヴィーンで、これを見るとヴィーンのご老人達は、戦後の混乱期を生き延びたという感慨や懐かしさにふけるのかもしれないが、私は、雑踏に包まれながら生きていた大阪時代、終電車に乗るためにプラットホームまでダッシュしていた、あの切迫感、緊張感を思い出す。というのも、「第3の男」のテーマ曲は、阪急梅田駅「最終電車間際」に、駅構内にお気楽に流れていたのだ。「普通電車、西宮北口行き最終、ただいま発車いたします。」というお告げとともに、耳から離れない、「♪ちゃんちゃらんちゃらんちゃらん~~」あの時、キ●ン「一番絞り」のCMに使われていたからなのだろうか・・・。阪急電車と言えば、阪神電車と一緒になる?なんかよく分からないけど、そんな記事を読んだ。「地味な阪急にのっとられるなんて・・・。」と言うような、一般の人々の意見を見て、Σ('◇'*)エェッ!?と違和感を感じたのは私だけだろうか・・・。そして、意見者の住所を見る。「枚方在住」とか書いてある。「お京阪に何が分かるもんどすえ~~!!」(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返し阪神間、つまり大阪から神戸までには、3本の電車が走っていて、北から阪急、JR、阪神の順番である。同じ区間を3本平行に走っているため、その競争は熾烈だろう・・・。と憶測するが、阪神間に住む住民のなかには、明らかに電車沿線別 人種差別が存在した。つまり、「うちは阪急沿線にあるんざます。」「おたくは阪神ですの?あら、そうざんすか。」というような会話があちらこちらで聞けた。というわけなのである。そして、一番プライドを持っているのは、まぎれもなく「阪急乗車客」何を隠そう、うちの実家はずっと阪急沿線だったので、子供の時は、阪急ブレーブスファンだった。阪急ブレーブスがオリックスに身売りし、しばらくオリックスファンを名乗ってはみたものの、もひとつしっくりこず、阪神を応援しようかと考え出したときの、かすかな抵抗。これは言葉で説明できるものではない。そして、私もおばあさんになったら、阪急電車の中でおみかけする芦屋のおばあさま達みたいに、髪を薄紫に染めて、毎週、阪急百貨店で、高級お洋服をお買い物するような暮らしをするのだと、信じて疑わなかった。毎日の食料品は、阪急電車の中おみかけする芦屋の奥様みたいに、イカリスーパーで、高級外国食材をお買い物するようになるのだと信じていた。よもや、自分が「第3の男」聞いたら、終電思い出しますわ~。あはは~。などと言うようなオトナになっているとは思いもよらなかった。たまに阪神電車に乗ると、ワンカップ大関を片手に競馬新聞を覗き込むおじさんがいたりして、(`口´;)げはっ!電車の中なのに・・・。とカルチャーショックを覚えた。私にとって、電車の車内とは神聖な場所であったのだ。もちろん、私の意見はかなり差別的で、気を悪くされる方もおられるだろうが、例えば、芦屋に住んでいる人に「芦屋に住んでるなんてお金持ちだね。」というと、「いやいや、うちは阪神沿線だから・・・。」という答えが帰ってくるのを見れば分かるように、その差別は根深い。というか、根深かったのだ。今や、もうそんな話も過去のものとなりつつあって、阪神と阪急の問題がどうなるのか分からないけれど、その結果はこの長い間続いた差別に大きな影響を与えることは確かであろう。まあ、少し気になる事と言えば、もし、阪神電車が阪急にのっとられるとしたら、それでも、やはり阪神梅田駅でも「第3の男」を流すのだろうか・・・。
2006年05月01日
今日レッスンに行くと、先生とよあひむが言い合いをしていました。よあひむの言い分(。-_-。 )ノ「先生はヴィブラート、ヴィブラートってばっかり言うけど、音楽に大事なのはそれだけじゃない。」先生の言い分(。-_-。 )ノ「音楽家は常にいろんな事考え弾かなきゃいけない。君みたいな弾き方じゃ、音楽にならないんだ。」あやこの言い分(。-_-。 )ノ「よあひむ君、なんでもいいけど、私のレッスンの前に先生のご機嫌が悪くなるようなこと、しないでください。」こんなこと日本ではありえませんね。うんうん。まずもって、よあひむ君の言い分はいまいち良く分かりません。私はというと、先生に「右」と言われれば右を向き、「お手」と言われれば、手を載せる、正しい日本人ですから、こういうときは、本当にびっくりしてしまいます。そして、また、こんなヤツの話に、「好きなように弾いて、「ぶらぼー」って言われて満足してるのは、プロじゃないんだよ。」と懇切丁寧に話をしている先生は、ほんとに人間の出来た人だなあ・・・。と感心してしまいます。話し合いは30分にも及びましたが、とうとう、よあひむが「あなたはいつも、トゥトゥトゥ~~~♪ってばっかり・・・。」と先生のものまねをしてしまい、先生はキレテしまいました。私は4歳からヴァイオリンを始めました。「新しいヴァイオリン教本」というのやったように思いますけど、その本は、6巻までしかなかったので、「きっと、6巻まで弾けるようになったら、ヴァイオリンのレッスンは終わりになるんだろう・・・。」とけなげに思っていました。親に、「6巻まで弾けたら、もっともっと難しい曲が一杯あるの。」と聞かされたときには、( ̄▽ ̄;)!!ガーンと思いましたが、親の言葉は正しく、いまだに難しい曲はとめどなくあります。「私、いつになったらレッスン行かなくて良くなるんだろう・・・。」と子供のころ、考えていましたが、まさか、この年になって、まだ行ってるとは夢にも思っていませんでした。はっきり言って、自分の欠点を指摘されるのは、出来る限り、避けたい・・・。欠点はなるべく、目をつぶって欲しい・・・。とも思いますが、こればっかりは仕方ありません。まあ、私のレッスンでは、先生のご機嫌は直っていたから、まあ、よあひむの事なんて、どうでもいいんだけど・・・。
2006年04月29日
実は、先日のエスタハーずぃーの演奏会で取り返しのつかないことをしてしまった。先日の演奏会は作曲の学生の新曲を何曲か弾いた。自分で書いた曲を指揮したギリシャ人のT君というのが、あまりにひどい指揮だったため、楽譜にこっそり似顔絵を書いてうさばらしをした。そっくりだった。我ながら、画伯健在・・・。と惚れ惚れした。隣に座っていたヤニ君がご丁寧にアッシュ・ロッホ(放送禁止用語?)としっかりと書き加えて、絵は完成された。そして、ここから不幸は始まる。帰りの電車の中、突然、ヤニ君の顔が引きつった。あっ!落書き、消すの忘れてた!(`口´;)げはっ!ギャラ問題で混乱してしまった我々は、それを消すのを忘れていて、それらの楽譜達は、指揮者の手に回収されてしまったのだ!!もはや、T君の目に入るのを避けられない。ヤニ君のひとこと(・_・;)「さらに悪いことに、アヤコの絵が完璧だったんだよね。」T君を傷つけるだけでなく、ヤニ君とT君の友情すら危うく・・・。それから寝れない日々が続いた。 ・・・と言いたいが、次の日は15時間は寝た。ご飯も喉をとおらなかった。 ・・・と言いたいが、風邪をひいても食欲だけは減らなかった。今日、その演奏会に出ていた福岡出身の女の子に会ったので、その話をすると、「あー、あー。あれ、あやこちゃんが書いたっちゃ?実はね、帰りのバスの中で、“これは誰でしょう~!!”って、みんなで盛り上がっとったいね。えっ!?あれ、T君だったの?みんな、“これは絶対 L先生だ!!似てるよね~!!”って笑っとったよ。」・・・・・って・・・・。ちょっと、違う意味でショックったい・・・。音楽家には絵心が分からんかったっちゃね・・・。ええがね、ええがね。げいじつっちゅうもんは、理解されんもんだっちゃ・・・。
2006年04月27日
昨日はアイゼンシュタットで寄せ集めのオケの本番をしました。ウィーンからの距離で言うと、札幌から長沼町くらいの感覚?ハイドンゆかりの地だそうです。そして、ハイドンがお遣えしていたエスターハーずぃー城で演奏しました。こっそり他の部屋も覗いてみましたが、一番のお気に入りはこの部屋。 中華風のお部屋です。柄はすべて中華風。ここを、あやこの部屋inエスターハずぃー(中華風)にしたいものですな。昨日はギャラの問題でおおもめにもめ、とある日本人がぶちぎれてしまい、なんだか大変なことになってしまいました。今回、大阪出身で昔から友達のMちゃんがいましたが、あやこ「なあなあ、B琶湖フィルって知ってる?」Mちゃん「あー、あー、あったなあ。そんなん。」あやこ「うん、あん時も大変だったんだよねえ・・・。( ̄。 ̄)遠い目」Mちゃん「大変そうやったよねえ・・・。( ̄。 ̄)遠い目」その時の事を書いた日記Mちゃん「でさ、あのK川っていう指揮者、今どうしてるか知ってる?」あやこ「あ、名古屋の方でなんかやってるんでしょ?」Mちゃん「そうなの?ウィーンでも一杯、学生が被害にあってさー。」あやこ「Σ(`□´/)/ ナニィィイイイ!!」ぺこ 名古屋付近の方、ご注意ください。お金の問題というのは、いつも悲しい気持ちにさせられますが、やっぱり、再犯は許せません。ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆ ケシカラン!! まあ、今回の事も、コーディネータをしていたのは学生だったし、アイゼンシュタットにも行けたし、ま、友情出演してやった。と考えてやるか・・・。ヽ( ´ー`)ノフッという感じですけど、二度とこういう事にならないように反省してもらいたいものですな。その後、アイゼンシュタットの観光に行きました。ハイドンが眠る教会 この棺の中に、ハイドンが眠っています。ちょっと感動です。ハイドンの死体は、ばらばらにいろんなところで研究されていたようですが、最近(1954年)に、やっと首が戻ってきたとか・・・。今日は、風邪が治りきっていないのと、昨日の疲れで、ほぼ死人の状態で1日を送りました。たとえ死人になったとしても、私の体の部位が、あっちこちで研究の対象にされることはないでしょう・・・。ヽ( ´ー`)ノフッ
2006年04月24日
風邪をひいてしまいました。のどにきています。ここんとこ、春になったら風邪ひいてるなあ・・・。やっぱ、気の緩みでしょうか・・・。イースターの2週間は学校も休みのはずですが、そこは熱心な先生についているお陰で、うちのクラスは、お休みになってからもレッスンがありました。してくださいました。イースターで2週間休みになる。と先生が言われた瞬間に('▽'*)ニパ~~~ッ♪と光り輝くような笑顔をしてしまったのが、私の戦略ミスだったのだろうか・・・。「それでも、少しはレッスンしようか。」と言われてしまった。言ってくださった。休み前の最後のレッスンはなんだか、ノリノリのレッスンで、先生「ほら、ここのEs(Eのフラット)の音、これが重要なんだよ。調が変わるでしょ。こう、深ぁ~~~く。」と、弾いてくださったけど、あやこ「あの、先生、このEの音、フラットじゃなくて、ナチュラルって書いてますけど・・・。」と言うと、「あ・・・・。」とつぶやき、先生のテンションは少し下がってしまった。先生の間違いを指摘するというのは、気まずくもあり、恐縮もしてしまうものであるが、いくら、ウィーンヒルの先生であろうと、О澤征爾さんであろうと、やはり、EsはEsであり、Eではないのである。辻あやこと藤あやこは似ているけれど、同一人物ではない。という事と同様なのである。そして、私は演歌歌手ではないので、喉が痛くても仕事ができる。という事なのである。ああ。しんどい・・・。
2006年04月13日
最近、友達が本を送ってくれました。かなり話題の本のようです。 イスラム教徒やキリスト教徒に囲まれていると、宗教を持たない自分が不思議に思えてきたりしますが、日本には武士道という、すばらしい教えがあるそうです。恥ずかしながら、「武士道」なんて知らない世界で育ってしまいましたが、昔は、その精神がきちんと受け継がれていたようです。本の中には新渡戸稲造が英語で書いた「武士道」の事が、書かれていました。偶然の話でびっくりですが、実は最近、日本に住むアメリカ人の友人が、「外国の友達が出来たら、日本の精神を教えるために、この本を、読ませてあげると良い。」と言って、送って来てくれたのが、なんと、この本でした。 日本の私が知らずして、どうして外国人が・・・。お恥ずかしい限りです。(シ_ _)シ ハハァーー とにかく、この英語の本を辞書を引き引き、読んでみようと努力したものの、すぐに挫折・・・。今度は「日本語訳」された、この本を持ってきてもらいました。「国家の品格」にも書かれてあるように、国語ができないのに、英語が出来るわけがない。というのはまさにこの事ですな。ヽ( ´ー`)ノフッそして、たまたま日本の新聞をぺらぺらめくっていると、I原都知事の記事がでていて、 国語をマスターしていないものは、外国の知識を吸収できない。とか、数学者の岡潔が芭蕉の俳句に刺激を受けた。とか、それって全部、「国家の品格」に書いてあったことやん~!という感じの発言内容が載っていました。ちょっと読んだ本に影響されるなんて、所詮、私と同じレベルだな・・・。ヽ( ´ー`)ノフッ「国家の品格」には文化を守る事が、最終的には国を救う。というような事も書いてありましたが、I原さん、ちゃんと意味、読みとれたかなあ・・・・。( -_-)フッ今度は大阪の方で、4つのオケを合併したら良い。というような、安直な話になってるようですけど、どうなんでしょうねえ・・・。その話題よく分かりませんが、「世界的な演奏水準を目指すためにも一本化したほうがいい」って、んなあほな。ちょっとは考えてから物言いや~。って感じやな。ヽ( ´ー`)ノフッ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~そして、また影響されてる人を発見してしまった・・・。この人も「国家の品格」を読んだはず・・・。ここだからぁ、あの本には、「安直な考え方は良くない。」という事も書いてあったじゃないか~~!(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返しなんでもすぐに影響されて、流されて行く所自体に、問題があるような気もする。鬱・・・。
2006年04月12日
今回、M部さんが札響の事務所から私への差し入れを、運んできてくれた。(ノ´▽`)ノオオオオッ♪これからの季節、たまりませんな。なんて嬉しい心配り!学生諸君よ、就職する気があるなら、こういう職場に就職したまへ!と思い同封されている封筒を見てみた・・・。♪ちゃ~~ちゃ~~ちゃ~~ちゃちゃちゃ(←チャイコフスキーの弦セレ)そこには請求書が・・・!!ヘ(゜曲、゜;)ノ~ あヒィイイイイイ!!オー人事、オー人事!~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~事務所のみなさま、手の込んだギャグを、どうもありがとうございます。えっ!ギャグじゃない?~~~~~~~(;_ _)O パタ...うどんとお蕎麦、喜んで、いただきます。('▽'*)ニパッ♪
2006年04月10日
昨日はピクニック・・・お墓参りに行きました。ウィーンの楽器屋さんに勤めるK松さん夫婦の車に乗せてもらいました。カクシュカ先生のお墓は、ひっそりと近郊の街にあって、さらに、墓標は名前の部分をフタするようになっていて、探し当てるのは、本当に大変でした。K松夫妻「きっと静かにしておいて欲しいんだろね。」わたし「あー、M部さんが楽器持ってこなくてよかった・・・。(´▽`) ホッ。」( ̄ー ̄)ニヤリッ右下の黒いお墓。でも、無事見つかり、M部さんも先生とお話できたようで、よかった、よかった。K松さん「あっ!ケンチャン、線香と数珠、持ってくるの忘れたねえ~~。」(-m-)ぷぷっ実はこの墓地に、ルドルフ皇太子と駆け落ちしたマリーさんのお墓もあるとか・・・。ルドルフ皇太子夜はなんと、M部さんがみんなに大盤振る舞いしてくれました。中華でしたが、おいしかったな~~~。 写真、前列左から、楽器職人のK松さん、指揮者のT岡さん、ORFセカンド首席のN島さん、 後列左から、ハープのN溝さん、私、大阪シンフォニカーから留学中のA野さん、M部さん、K松さんの奥様。ハープのN溝さんは、うちへ遊びに来ています。最後におまけ。 大好きな甘いものをむさぼり食うM部さん。
2006年04月09日
今、札響のびよら奏者、M部さんが遊びに来ています。彼もウィーンに留学経験がありますが、カクシュカ先生(アルバンベルクの)が去年、亡くなられたので、今回、お墓参に訪墺だそうです。明日、近郊の街へ、みんなで車でお墓参りに行きます。M部さんの古い知り合い「ケンチャン(M部さんの事)、お墓の前で楽器弾きながら泣くんでしょ?私達、横でピクニックやってるから、思う存分、泣きながら弾いてちょうだい。」あひゃひゃひゃひゃ(≧∀≦*)私「先生、うれしくて出てくるかもねえ・・・。」M部さんの古い知り合い「だめだよ~、そんな事言っちゃ。ケンチャン、そういうの弱いんだから・・・。」(ノ∇≦*)キャハッッッ♪札響の中での扱われ方と、あまりに一緒なM部さんを見て、人というのは、どこへ行っても変わらないもんだな。と、強く思うのでありました。そして、またまた、ばったり昔の友人に会いました。 写真の右から2番目の人。大阪でフリーをしていたときの友人です。一番左は、ウィーンで勉強中のY中くん。左から2番目がM部さんです。(4人ともびよら)10年くらい前に留学していたM部さんを見ていると、10年後には、私はどんなオトナになっているのかなあ。と考えてしまいます。ま、見当もつかないな・・・。ヽ( ´ー`)ノフッ明日はお墓参りです。(←M部さん)明日はピクニックです。(←我々)そして、明日から東京のハープのお姉さんも来ます。いきなり、周辺がにぎやかになって来ました。('▽'*)ニパッ♪
2006年04月08日
昨日、おとといと、寄せ集めのオケの本番がありました。土曜日はニーダーウーストライヒにある、国定公園ORTHという所でありました。ウィーンから1時間半くらいの、美しい郊外の街です。 古いお城(上の写真)を、モダンに改築してあります。 ウィーンの街中でメンバー全員、集合して、地下鉄とバスと乗り継ぎ、地元の人が車でお迎えに来てくれました。プチ、遠足気分です。るんるん。電車の乗り降りの際には、指揮者が人数を数えていました。ヤニ君のひとこと。「(o ̄∀ ̄)ノ”先生っ!!隣のお友達と手をつないだ方がいいですか~?」東欧(ブルガリアやハンガリー)の人が多かったですが、びっくりするほどのパワーで、休憩なしで、怒鳴られながらの練習が2時間続いたりします。この秩序のなさは、国柄でしょうか。若さゆえのものでしょうか。でも1回、こうやって本番すると、なんだかこのメンバーの事が好きになった気がします。日本人は私だけだったけど、中国人が3人いたので、私のカタコト中国語も登場するほどでした。オーケストラって、やっぱり好きだな・・・。と思いました。日曜日は、ウィーンの小さなホールでありました。(左の黄色の建物) そして、ホールの前に、疲れた子供がいました。 ホールの中は、ほんとに美しいです。 でも、やっぱり私はウィーンの街中よりも、郊外の方が好きだな・・・。ORTHのお城の屋根に、コウノトリが巣を作っていました。 ここから、心理テストの話題で盛り上がりまして。こんなの↓1番好きな動物は何ですか?2番目に好きな動物は何ですか?3番目に好きな動物は何ですか?これって、日本にもありそうですが、やっぱりどこの国の人もこういうの好きなんですね。ちなみに、私は1、猫2、犬3、リス でした。みなさんはどうですか?そのうち、お答えをアップします。
2006年04月03日
先日、オペラ座で、なんと、大阪時代の知り合いに、偶然、出会いました。5年間くらい、ずっとご無沙汰していた人でした。びっくりです。今日は、その人とお昼ご飯をご一緒しましたが、・・・この人、どうやって注文するのかな・・・。私が、お店の人に言ってあげたほうが良いのかな・・・。でも、英語、できるかもしれないしな・・・。と、ちょっと気を遣ってみたりもします。すると、なんと彼は、メニューを指差し、ドゥエ!とか言っているではないですか・・・。オオーw(*゜o゜*)wフランス語ですか~~!とれびあ~~~ん!!と思いきや、その後、彼は思わず上って言ってしもたわぁ~~。って・・・・。大阪人、恐るべし・・・。)゜0゜( ヒィィ今、寄せ集めのオケにのっていて、今週末本番があります。オペラの時、お隣だったヤニ君に紹介してもらいました。その時の話題ヤニ君は日本語に興味があるので、最近は言葉を教えあって勉強したりもしています。ヤニ君の質問「わたくし」っていうのは、オフィシャルな場面で使うんでしょ?んじゃ、「あなくた」とも言うの?あやこ「(゜Д゜) ハア??あなくた?」ヤニ君の理屈わたし→オフィシャル→わたくしあなた→オフィシャル→あなくたあひゃひゃひゃひゃ(≧∀≦*)思わず笑ってしまいますが、ヤニ君は真剣です。ヤニ君の質問 その2「僕は「マキ」という名前の日本人にあったことがありますが、じゃあ、「さしみ」とか「みそ」とか言う名前の女の人もいますか?」あやこ「(゜Д゜) ハア??」ヤニ君の理屈「マキ」→たぶんヤニ君の中では「巻き」と言えば寿司の種類。例・・・きゅうり巻き、鉄火巻き、手巻き「巻きちゃん」がいるなら、「さしみちゃん」「みそちゃん」も・・・。あひゃひゃひゃひゃ(≧∀≦*)もちろんヤニ君は真剣です。ヤニ君の質問 その3「日本語でフールってなんて言うの?」あやこ「関東では「ばか」、関西では「あほ」って言うんだよ。 大阪で「ばか」は言わない方がいいんだよ。」(←親切なお答え)ヤニ君「あ、なるほど。 ドイツ語で「アッシュ・ロッホ」って言うんだけど、 きっとそこから来てるんだね。」あやこ「(。-_-。 )ノいいえ、違うと思います。きっぱり 「あほ」って、すごく昔からある言葉だからね・・・。」ヤニ君「アッシュ・ロッホもだよ。('▽'*)ニパッ♪」あやこ「ポカーン(゜Д゜) ・・・ 」・・・・。っていうか、わたし、「アッシュ・ロッホ」なんて「あほ」には到底、聴こえそうにもないんですけど・・・。
2006年03月29日
今日はめずらしい曲をしました。指揮科のレッスンの為のオケにたまにのっていますが、「金管の中に1本だけびよらが入るらしいんだけど、やる?」とお電話を戴き、(`口´;)げはっ!現代曲?と思いましたが、おもしろそうなのでやってみました。実際には現代曲ではなく、全く逆で、ガブリエルと言うバロック以前の人の、「ソナタ ピアノ エ フォルテ」という曲でした。話によると、声楽の入る曲や通奏低音以外で、初めて楽譜にされた器楽曲だそうです。最近では金管8重奏なんかでやるそうですけど、オリジナルには7本の金管の中に、1本だけ、びよらが入っていて、音楽的にも、パート的にも非常に重要な位置を占めます。・・・・と思います。この時代の弦楽器が現代の楽器と全く違う事は置いておくとして、これが歴史に残る、重要な曲だとすれば、私は提言する。びよら奏者はもっと威張ってもいいのではないか・・・・。と胸を張って教室に入ろうとすると、用務員のおじさんに「おねえちゃん、何しに来たの?」と、呼び止められました。あやこ 「Σ(-x-;)ナ、ナニッて?!あーた。 ・・・・。びよら奏者ですよ。わたくしが・・・。」おじさん「今日はびよらは要らないよ。」・・・・・。おじさん、よく見て。この楽譜にびよらのパートあるじゃない!っていうか、一番上に書いてあるじゃない!!重要なんですよ、びよらが・・・。 ・・・・今日は・・・。 ・・・・たぶん・・・・。私は大きな声で言いたい。びよらの地位向上を・・・。ビッテ~・・・。ナンマイダ- L(-_-)_/☆Ω チーン
2006年03月29日
ただいま、電気が復旧しました。ε=( ̄。 ̄;)フゥ約27時間、電気なしの生活を送りましたが、電気って大事だなあ・・・。電気がないと、ほんとに何にもできません。エジソンって、偉大だ・・・。(=゜∇゜)ボーうちはガスがないので、シャワーもキッチンも全てストップします。仕方ないので、昨夜の晩御飯は、唯一稼動する石油ストーブでインスタントラーメンをつくりました。夜は外から漏れ差し込む、街灯の明かりをたよりに、 家にあらん限りの蝋燭に火をつけ、 現代人における、電気に依存する生活について、考えたりしましたが、大家になかなか連絡がつかなかったのもあって、だんだん、今朝あたりは、(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返しなんで、この時代、電気がつかないなんて事になるねん!!そうなると、悪いことばっかりを思い起こすもので、おとといは、演奏会ですれ違いざまに、肩が少しぶつかった御婦人に、あう~~~~。肩が痛い、と1分くらい騒がれるし、立見席で座っていたら、「ここは座る席ではない。」と、ピストル持った警官に注意されるし、イースターに向けて、卵に絵でも塗ろうと思っても、茶色い卵ばっかりで、白い卵が見つからないし、私の大好きなクリムトの絵は、アメリカに行ってしまったというし、ああ、もう、嫌なことばっかりだあ~~~。と思っていた矢先、大家さんが来て、すんなり電気は復旧しました。(*'ω'*)......ん?もう直ったの?って感じ・・・。そうなると、ケロッと機嫌は直ってしまい、今になると、1晩くらい、電気が付かなくても、たいしたことじゃないなあ。あはは~。なんて、お気楽な事を言ってしまったりもします。思い出すのは、阪神大震災の時、私は大学受験の真っ只中だったけど、体育館で何日か過ごしたり、電車も半年くらいは復旧せず、不便な思いをし、今まで、どんなに便利な生活をしていたのだろう・・・。と実感したはずが、その半年後くらいには、その感謝の気持ちも薄れていたような・・・。まあ、あの時は、生きてるだけで幸せ。という感じでしたが・・・。今回の一人停電、アパートの大元から部屋ごとに分ける部分が壊れたみたいです。┐(´-`)┌これからは、3月19日をエジソンの日と命名して、電気のありがたみを実感しようではありませんか!(`0´)ノ オウ!
2006年03月20日
部屋の電気が付かない。全部の電化製品が途絶えた・・・。(`口´;)げはっ!なんでや?
2006年03月19日
ほんとに便利な世の中であります。インターネットのお陰で、ヴィーンにいても日本の情報を知ることができるわけです。ただ問題は、前後関係を知らなかったり、読解力がなかったりする事。例えば、こんな見出しが目に付きます。TBS「さんまのスーパーからくりTV」出演者情報などがWinnyによって流出ウィニーの存在を知らなかった私は、この記事を読んで、ウィニーって誰?ボビーの友人?と、思ってしまいました。ファニエスト外語学院の新入生かと思ってしまったというわけであります。お悩みパビリオンで加藤淳先生に相談してみるしかありませんな。ヽ( ´ー`)ノフッずっと、気になっていたのは、永田議員のお話。永田議員って、永田町で仕事している議員の事をこう呼ぶのかと思っていました。「永田議員、謝罪。」という見出しを見ると、政治家が集団で悪いことしたのか?と思いました。「永田議員、辞職か。」という見出しを見ると、解散総選挙か?と思いました。(゜▽゜=)ノ彡☆ギャハハ!!笑ってごまかすしかありません。それでも、明日も朝日は東の空から昇るのであります。
2006年03月17日
最近の話。その1先生が良い先生なので、クラス変更せずにドイツ語のクラスに通っています。今日は会話の練習をするのに、映画の話。お気に入りの映画は?とか聞かれても、映画を語るという事は、人生感、美的センス、価値観など、自分の本質、すべてをさらけだすような気がして、気楽に答えられません。これは、好きな演奏家は?と聞かれる時も同様で、オーソドックスな所でお茶を濁したりしてしまいます。トルコ人の、ちょっと男前なイスメットは、お気に入りの映画は?という問いに対して、サムライと答えました。すると、先生は、いぶかしげな顔をして、サンライス?と聞き返しました。「オムライス」とか「ハヤシライス」とか「チキンライス」の仲間でしょうか。するとイスメットは、「違う。エンデ・サムライ」と言うと、先生は、Ende Sunriseと黒板に書きました。渡辺謙もびっくりです。「日の出の前が一番暗い。」という慣用句があるそうですが、「日の出の最後」には何があるのでしょうか・・・。興味あるところであります。最近の話。その2サンライズと言えば、最近のマイブームは、日の出、日の入り時刻をチェックすることです。 ちょっと暗い趣味ですが、かなり熱心にやってます。ヴィーンは緯度が高い分、夏の日照時間と冬の日照時間の差が大きいんだけど、ってことは、やっぱり1日に伸びていく時間も、目に見えて長くなっています。わたくしの信用おけるデーターによると、最近は、だいたい3~4分ずつ伸びています。データーを紙に書き込む時は、むふふ・・・。と言いながらにんまりしてしまいます。私的には、も・・・も・・・、萌え~~~!!って感じ。プ(-m-)A木さんに、ヲタク認定してもらえるでしょうか・・・。甘い・・・?最近の話。その3先日、ムジークフェラインに行くと、満員でうんざりしました。「たまには、良い席に座ってみたいなあ・・・。」と思っていると、偶然目があったおじさまが、立ち見券しか持ってない私に、座り券をくれました。その席は、前から7列目のど真ん中・・・。なんて運がよいのだろう。と思いました。さらに、「前のおじさんの頭が、ちょっとじゃまだなあ・・・。」と思っていたら、前のおじさんは休憩後、帰ってしまいました。おそろしく視界の開けた場所に座っていたので、舞台からも目立つようで、ちょっと緊張しました。世の中の全ての事が、このように自分の思い通りに動いたら、どんなに良いか。と思っても、そんな事はありえない事を、オトナの私は知っているので、「ドッキリカメラでも仕掛けられているのか。」と、警戒して、周りを見回してしまいました。でも、変わった事は何もなく、ただ運が良いだけでした。おまけ。間近で見たアーノンクールは、すごいオーラでした。でも、ちょっと人相が悪いなと思いました。
2006年03月14日
チューリッヒのE口さんの旦那様がドイツ語の先生だったので、なんとなく、それに影響されてか、また、3月から、ドイツ語学校にでも行こうか・・・。という気分になり、近所の安いドイツ語学校に昨日から行き始めました。クラス16人中、12人がトルコ人授業中に鳴る携帯は「アラビア音階」です。あとは、エジプト人、バングラデッシュ、タイ人とわたし。ここどこ?って感じ。4ヶ月前からこのメンバーなの。というクラスへいきなり投入され、ライオンの中に紛れ込んだ、子猫の気分を味わいます。)゜0゜( ヒィィライオン達は新顔に興味津々でありました。ライオン達「年はいくつなの?」わたし「29です」ライオンその1「うそー。」ライオンその2「信じられない・・・。」ライオン達に衝撃が走り、どよめきが起こります。ライオン達「子供はいるの?結婚は?」←矢継ぎ早に問い詰められます。わたし「ナイン!」キッパリ!ライオン達「おーまいがーw(*゜o゜*)w」ライオン達のいたるところから、ため息が漏れ聞こえます。ライオンその1「じゃあ、一人暮らしってわけ?」ライオンその2「まあ・・・ひとりぼっち?かわいそう・・・。」ライオンその3「え?ひとりでウィーンに来たの?どうして、一人なの?」・・・・。トルコ人って、親戚一同、寄り集まって大家族で住むらしいので、1人暮らしって、想像つかないようです。しかし、おーまいがー。とまで言われるほどの事か?そして、そのカオスにうんざりしている様子の先生がやってきて、授業が始まります。そして、さらにカオス度が増します。例えば、こういう感じ。<文章題>文章を読んで答えなさい。文章「・・・・鉄道で、切符を買わずに乗っている人が見つかると、高い罰金を払わされる。・・・・・以下省略」問、無賃乗車が見つかると、150ユーロ支払わねばならない。○か×か。答えは、もちろん150ユーロという数字は問題にないので×。そこから、始まるわけなのであります。イスタンブール出身のライオンその1「オーストリアでは無賃乗車は120ユーロなんだけど、うん。この問題はドイツのなの?ふーん。あっそう・・・。こないだ、うちの弟が地下鉄で捕まったところだから知ってるけど、オーストリアは120ユーロなの。でね、その弟、切符を買い忘れたらしいんだけど・・・。120ユーロはほんとに高いよ。でも、それが高いか安いかっていうのは、その人の感覚によっても違うと思うんだけど。150ユーロは、ほんとに高い!!信じられない。どうして、答えは×なの?だって、150ユーロは高いし、もし、120ユーロだとしても、十分に高いと思うけど・・・・。べらべら・・・。」この後も、しばらくこの調子でしゃべり続けます・・・。彼女のスイッチをオフにしてしまいたい衝動にかられます。ε- ( ̄、 ̄A) フゥーライオンその2は、「ab」か「bis」を書き込め、という問題で、immerとか、全然別の単語を持ち出し、意味の通じない文章を作ったあげく、「シェーン(美しい)(* ̄。 ̄*)」と、意味の分からない ため息をついたりしています。学校によって教科書が違うので、少しレヴェルの低いクラスに入ったとは言え、なんで、こんなにへらずぐちばっかりたたけるのに、問題が解けないのか、理解できません。「もし、レヴェルを上げたいなら、クラス変えてもいいよ。」と先生は言ってくれたけど、この先生が、とても良い先生で、丁寧で分かりやすいから、このままやってみようかなあ・・・。( ̄~ ̄;) ウーンこの学校、たぶん6,7個、教室があるので、100人くらいいると思うんだけど、日本人は一人もいなかった・・・。なんで?なあなあ、なんで?誰か、教えて・・・。
2006年03月08日
私はだいたい、オペラなどを見に来る人を、1.地元の通の音楽愛好家2.学生3.観光客4.ワグネリアン(ワーグナー狂)に大別している。地元の音楽愛好家というのは、心の広い人が多く、先日も、ウィーンフィルの立見席で、「あなたは背が低いから、入れてあげましょう。」と、前に立っていたおばちゃまが、自分の前に私を詰め込んでくれた。みんなで音楽を楽しみましょう。という精神が美しい。私は、「2.学生」に位置すると思う。といっても、まだまだ初心者なので、教えられることも多いが。「4.ワグネリアン」については、ちょっと置いておくとして、最近気になるのは、「3.観光客」で、冬にかけて、少し減っていたかと思われたが、2月の終わり頃からまた、増えてきた。学生が春休みだからか・・・。今日も隣で、日本人の観光客が・・・。「あのクラリネットのトリル、指が難しいんだけど、ウィーンフィルは上手だよね。」(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返しごるぁああ~!そんな低い次元で、ウィーンフィルを語るな~~~!おっと失礼・・・。昨日は、椿姫だったけど、やはり隣は日本人観光客で、2幕の1場が終わり休憩に入ったとたん、「あ~終わった、終わった。おもしろかったね~~。やっぱ、本場は違うな~~!かんどー!!」と感嘆し、3幕を見ずして帰ってしまった・・・。(-_★)キラーン!!彼女達は、昨日、椿姫が死んだ事を知らない!ウィーンの国立歌劇場の立見席は、席を取るのに、スカーフとかマフラーとかを、上から2段目の手すりにくくりつけるのが「ルール」だ。これは、係りの人はうるさいほど何度も言ってるし、ウィーンにいる人には常識で、私も初めて行った時に、知らないおばちゃんに教えてもらったものだ。でも、多くの観光客は聞いてないのか、言葉が分からないのか、そこは無法地帯と化し、席を保守しようとする人と、割り込もうとする人で、カオス になる。今日も、やっぱりそうで、とりあえず、言葉のわかってなさそうな日本人には、私が言ってあげるべきか・・・。と思い勇気を振り絞った。でも、おばちゃんは怖いので、若い女の子に、「あのね、立ち見はここにハンカチ巻いて、場所取ることになってるの。だから、なにか巻いた方がいいよ。」と言っていると、すかさず横にいたおばちゃん二人連れが、「でも、私達、ここを離れないから、必要ないわよ。そんなの!」バッサリ!あやこ、あえなく撃沈・・・。*o_ _)oバタッたとえ席を離れなくても、混乱を避けるため、「ここ私の席なんです。」という主張をする習慣があるのだ。という所まで、ちゃんと説明してあげればよかったのかもしれないけど気の弱い私は、あえなく撃沈に終わりました。んー、ウィーンは排他的で、人種差別も一杯あるのでしょうけど、立場変われば、言い分もあるのかもなあ・・・。と思ったり・・・。私自身も、ここでは外国人なので、痛いところではありますが・・・。
2006年03月03日
( ´ ▽ ` )ノ タダイマァバルセロナから、昨晩、帰宅しました。いやー、スペイン、ばんざい、 スペイン、おーれぃっ!ですよ・・・。バルセロナの空港に着いたときは、太陽の明るさや、ごみごみした感じが大阪に似ている気がして、「お好み焼き食べたい。」と思いました。とにかく、ホテルまでの電車が分からなかったので、インフォメーションのおばちゃんに「ここはどこですか?」と聞くと、「バルセロナよっ!」と、怒られました。)゜0゜( ヒィィ今回のメインは、有名なまだ出来上がっていない「サグラダ・ファミリア」でしたので、ホテルに着くなり、その足で向かいました。サグラダ・ファミリアって、有名すぎて、前情報が多すぎるので、もうすっかり、自分なりのイメージが固まってしまっていたものですから、「えっ、まだこれだけしか、出来てないの?」「えっ、出来上がってもないのに、8ユーロも取られるん?」「これ、日本のO林建設あたりに頼んだら、2年くらいで出来るで。」「細かい作業するまえに、大枠をばばっと作ったら、もっと早くできるのに、ちまちまやってんなあ・・・。」「何度もこの写真見てきたけど、ほんまに写真写りの良い建物やなあ・・・。」と、観光客が感嘆する中で、ひとり、文句ばっかり言いました。作業中のおっちゃんたちも、仕事もせず、だらだらしゃべってばっかりなので、「ほらほら、口動かさずに、手を動かす!」と説教しそうになりました。バルセロナは、想像以上の大都会でしたが、泊まっていたホテルは中心の方ではなかったので、近所の商店街で、地元のふれあいが出来ました。スペイン人は、英語ができない人が多くて、私達相手にでも、スペイン語でまくしたててきます。勢いで、何事もなんとかなるもんだな。と思いました。3日目の夜に入ったレストランでは、アジア人同士の方がまだマシ。と判断したのか、中国人の店員が出てきて、中国語でまくしたてられました。「いやいや、だから、うちらは日本人やって・・・。」と何度も繰り返しましたが、おかまいなしです。そのうち、作戦失敗と判断したのか、スペイン人のおっちゃんが出てきて、ガイドに載ってる写真を指差したりして、料理の注文をしました。ほんとに陽気なおっちゃんで、ワインも一杯、おごってくれたし、私とおっちゃんは、勢いで電話番号交換までして、帰りは、「うるるん滞在記」のような感動的な別れをしました。スペイン人、万歳です。近所のおばあちゃんがやっている、ちょっと小粋なレストランもあって、そこは、最高においしかったし、おかしかった・・・。地元で大人気という感じで、席は満席なのに、80才近いようなおばあちゃん、二人でやってるので、とにかく大変。飲み物に、私はサングリアを注文。「OK」とか言ったおばあちゃんは、ピッチャーにどぼどぼっと、その辺にある、ワインやお酒を手当たり次第に入れ、がぼがぼっと味見。首をかしげ、また、その辺のお酒をどぼどぼ、どぼどぼ、どぼどぼ・・・。と繰り返し、がぼがぼ飲む。私が見ているのを知ると、「きゃはは~。やだ~~。わははは!」とか言って、大盛り上がり。やっと、テーブルにサングリアは出されたが、しばらくすると、思い出したようにおばあちゃんはやってきて、「ソーダーを入れたらどうかしら?」とか言って、さらにどぼどぼと入れたあと、「好きなだけ、いれなさい。」とか言って、ビンを置いて行った。また10分位して、思いついたように、「そうそう、シナモン、シナモン・・・。」と言って、グサッとシナモン、投入・・・。これには爆笑です。もしかして、サングリア、作ったことないの? そのうち他の客は帰ってしまい、おばあちゃん達のさらにおばあちゃんも出てきて、みんなで食事を始めました。ガイドブックに載っているスペイン語を見て、「ら くえんた ぽる ふぁぼーる」(会計、お願いします)と、言ったら、おばあちゃん達は、「きゃー、あなたスペイン語、しゃべれたじゃない。奇跡だわ!!きゃあきゃあ」とか言って、盛り上がりを見せたかと思うと、すぐに違う話題に移行。ヾ(・ε・。)ォィォィ、会計してくれっちゅうねん・・・。そんなこんなを繰り返し、もう一度、帰る前夜にサグラダ・ファミリアを見に行くと、なぜか、強烈な感動を覚えました。いやー、すばらしいな。スペイン・・・。最高だな・・・。おまけグエル公園にいると、NHKの取材をやっていました。何の撮影かは、わからないけれど、あのシーンが使われるとしたら、完璧、私は写っています。いつ、放送なのかなぁ・・・。 今回のアルバムです。ここ見てね。('▽'*)ニパッ♪
2006年02月26日
明日からバルセロナに行って来ます。びよらのNちゃんと・・・。25日の夜に帰ってきます。なんと明日の集合は朝7時。)゜0゜( ヒィィ格安航空券で行くので、お隣のスロヴァキア、ブラチスラバ空港までバスで行き、そこから、飛行機に乗ります。ガウディー、みるぞーーー。パエリヤ、食べるぞーーーー。ワインも飲むぞーーーーーーーー。(`0´)ノ オーレィ!
2006年02月21日
チューリッヒの写真を整理しました。ここ見てね。('▽'*)ニパッ♪今日はミーハーですが、ピアニストのランランを聴きに行きました。正確に言うと、見に行きました。あの中華包丁さばきのようなテクニックを見たかったけど、今日は、ショパンの1番だったので、中華包丁は出てきませんでした。その代わり、ウィーンで都はるみとモスラが聞けました。(この曲、知らない人はごめんなさい)ピアノのMちゃんに言わせると、やはりランランの手の動きはすごいそうで、いつか、世界的なピアニスト、12人くらいが集まってやった演奏会で、普段は、宇宙と交信しながら演奏しているキーシンですら、宇宙との交信を中断して、ランランの手の動きに唖然としていたそうです。たぶん、筋肉の組織とか、運動神経が半端ではないのではないのではないか。雑技団のようなもので、たぶん普通の人と体が違うんだよ。という所に話は収まりました。Mちゃん「彼が卓球をやっていたとしても、まずオリンピックは難くないね。」そして、次にウィーンに来た時には、よく見える位置に座って、顔の動きを研究しよう。という事になりました。もしかしたら、顔の筋肉の組織なども、普通の人とは違うのかもしれません。奥深いです。ミーハーでごめんなさい。
2006年02月19日
昨日の夜、チューリッヒからヴィーンへ帰り着きました。チューリッヒは、すごく物価が高くて、外食とか乗り物の値段は目が飛び出るほどでしたが、その分、整備の行き届いた、きれいな街でした。ゴミ袋は1枚200円するそうです。 あまりに高いので、一瞬、ゴミ袋にEntschuldigen(すいません)と書いてあるのかと思いきや、Entsorgung(廃棄物の処理)でした。ま、そらそうか・・・。チューリッヒは一応、ドイツ語圏です。トラムの中で、こんな注意書きを発見しました。 禁止事項の注意書きのようです。ドイツ語がそこまで達者でない私は、絵で判断するしかありません。 ぎざぎざの靴で、寝転んではいけません。 たばこの煙を前の人に吹きかけてはいけません。 メキシコ人の服を着て、バンジョーを持ってはいけません。 のこぎりで、椅子を切ってはいけません。 羽をはやしてはいけません。はい。私は、どれも大丈夫なようです。('▽'*)ニパッ♪E口家の手厚いもてなしを受けて、とても素敵な時間を過ごすことが出来ました。ほんと、良い家族を見ていると、私も結婚して子供が欲しいなあ・・・と思ったり。ほんとに、ありがとうございました!!ところで、ウィーンの空港で、やばい熊をみました。 モーツァルトのつもりなのかもしれませんが、どうしても、私には、吉本新喜劇のおばあちゃん役をやっている桑原和男さん にしか見えません。すいません。関西ネタで・・・。かみさま~、かみさま~~~。ちゃ~ちゃ~ちゃ~ちゃ~~~(バックミュージックはツィゴイネルワイゼン)ご清聴ありがとうございました。チューリッヒ旅行のアルバム、整理できたらアップします。
2006年02月18日
今から、チューリッヒに行ってきます。スイスです。チューリッヒにはE口さんが住んでいらっしゃるので、お家におじゃましてまいります。E口さんと言えば、札響メンバーがよく出させていただいた土曜日の「NHKほっからんど」のアナウンサーで、札響がペールギュントをやった時には、語りで来てくださいました。テレビに出た日の日記と写真お会いするのは、すごく久しぶりだし、お子さんにも会えるので楽しみです!('▽'*)ニパッ♪それと、たまに札響にトラに来る、はつみちゃんもチューリッヒに来ているそうなので、会えるかな?はつみちゃんのブログでも実は、少しだけ後悔していることが・・・。あーやっぱ、電車で行くべきだったか・・・。今回、飛行機で行くのですけど、電車の方がよかったかな・・・。・・・( ̄  ̄;) うーんでも、電車だと片道9時間かかるみたいだから、やっぱ飛行機で正解か・・・。いや、でも、思い出に残ったのは電車だろうな・・・。でも、ここで病気になったら、来週のスペイン旅行に響くといやだしな・・・。あー、でも、車窓から見たであろう、アルプスの青い空や白い雲を考えると・・・。ま、しょうがないか。飛行機だと1時間しかかからないし、値段もそんなに変わらないので、まいっか・・・。あー、スイス~~。口笛は遠くまで聞こえるのでしょうか。あの雲は、私をまってくれるでしょうか。教えて~おじい~さん~~♪そんなわけで、日本時間の金曜日に帰ってまいります。ではでは・・・。バビブベボー ヾ(◎皿◎)→ バイバイキーン
2006年02月13日
今日は、良いことがあってん。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」聴きに国立歌劇場に行っててん。17:30~22:30やで。ほんま長いやろ。私は2ユーロの立ち見席で見ててん。いつものことやで。そしたらな、前の方の席に座ってたおっちゃんがな、「もう帰るから、このチケットあげるわ。」って言って、めっちゃ良い席のチケットくれはってん。2幕終わった後やったから、あと3幕だけやってんけど、ほんまうれしかったわ。「だんけしぇん」って連呼したで。家、帰って早速、値段調べてしまったで。44ユーロの席やったわ。日本円で言ったら、6000円くらいかな。私は、3幕だけその席で見れたから、2000円分、譲ってもらったってことやな。健気に生きてたら、良いこともあるもんやな。昨日は、フォルクスオーパーに「蝶々夫人」見に行っててんけどな、ちょっと、気分害してしまってん。怒りながら、帰ってんで。蝶々さん、十二単着てはってん。でも、それくらいの事では怒らへんで。ブタペストでは、蝶々さん、チマチョゴリ着てはったらしいしな。そんでな、みんな「日本」って大きくかいたうちわ持って踊ってはってん。おもしろいやろ。もちろん、そんな事では怒らへんで。今、ちょうどオリンピックやし、ちょうどいいやんな。原田、失格になったらしいから、ショックやけどな。なんで腹立ったかって言ったら、蝶々さん、自害するのためらいはってん。そんでな、なんでか知らんけど、その辺にいた、アメリカ人の野次馬達に刀取られて、刺し殺されてん!他殺やで。意味わからへん・・・。これってな、事実を歪曲されてると思うねん。大和魂に対する、侮辱やと思うねん。カルメンが「も一回、つきあうから、殺さんといて~!」って命乞いしたら、スペイン人は怒るやろ?それと一緒やと思うねん。ほんま、蝶々さんは大好きなオペラやから、泣く準備も出来てたのに・・・。頼むで・・・。また今度、国立歌劇場の方でもやるはずやから、そっちに期待するわ。
2006年02月12日
やっと、休みが来た!!うちのウィーンアカデミーは2月はまるまる休みだと聞いていたのに、先生が熱心なせいか、私のクラスは休みが、なんと2週間しかない・・・。いつから休みになるんだろ~~。とそわそわしていたが、やっと、今日から休みだそうだ。ワーイ♪ゝ(▽`*ゝ)(ノ*´▽)ノワーイ♪不真面目な生徒でごめんなさい。ところで、今日は初めて「アン・デア・ウィーン」という劇場に行ってきた。いつも「エリザベート」とかミュージカルを主にやっている劇場だけど、「魔笛」の初演をしたと言う、由緒正しい劇場で、これからはオペラもやるとか・・・。今日は、小澤さんが病気でキャンセルされた「イドメネオ」を見に行くことにした。シュテープラッツ(立ち見席)は当日券もあると言うのを聞き、4時半から並ぶ事に。(開演は7時)新しい所に行くのは、要領が分からないので、結構、緊張したりもする。それらしき人が列をなしていたので、最後尾の人に聞いてみた。あやこ「ここはシュテープラッツ(立ち見席)ですか?」おっちゃん「そうだよ。ここはシュテープラッツ(立つ場所) そして、ここはシッツプラッツ(座る場所)。がはは・・・。」と言い、近くの台のような物を指差し、私をそこへ抱っこして乗せるそぶりをした。・・・・・。いかん・・・。遊ばれている・・・。がはは・・・。と、とりあえず、調子を合わしてから、もう一度。あやこ「ここでシュテープラッツ(立見席)の券は買えますか?」おっちゃん「当日券は15枚しかないらしいけど、9人目だから君は買えるよ。」いつもは超巨大な国立歌劇場にばっかり行っているので、15枚という数字にショックを覚える。そして、そこから2時間半、私はたいてい本を読み続けるが、こっちの地元の人たちはその辺の人と、話したりケンカしたりして時間をつぶしている。顔の半分くらいの大きさの大橋巨泉風めがねをかけ、ジャージみたいな(今風に言うとスウェット)を着ている、恐ろしく太った日本人とおぼしき男性がいて、なにやら、大学ノートのようなものをペラペラめくっている。そばには、ウィーンの御婦人が立っていて、彼を覗き込むような姿勢。私はそれまで、何があったのかは存知あげないけれど、周りの5,6人の人も彼の答えを待っていた。彼はノートをめくり続けていた。5分くらい、ノートをめくり続けていた。少なくとも、私にはそれくらい長い時間に思われた。と、彼がノートから、見つけるべきものを発見したようだ。彼が口を開く。周りの人達が息を止める。私も動きを止める。そして、大橋巨泉風の男性のお言葉。「あいん・しぇーん・たーく (美しい1日)」(- -) (- -) (- -) (- -) シーーーン思わず、周りは失笑・・・。少なくとも、10人は失笑・・・。たぶん、地元の御婦人が、天気の話か、旅行に来てウィーンはどうだ?とか聞いたのでしょうね。そして、5分待たせて答えたのが、このお答え。(-m-)ぷぷっしか~~し( ̄× ̄)bチッチッ彼の事は笑えません。私なら適当に「ぐっと、ぐっと、だんけ、だんけ、えへへ。」とか言って、へらへらごまかすだろうに。このウィーンの、しぇーん・たーく を彼がどれほど待ちわび、そして、この1日を、如何なる気持ちで過ごしたのか。それら、すべてがこの一言に含まれていて、なおかつ、どんなに時間をかけてでも、このウィーンの御婦人に伝えたかったのだとしたならば、私は未だかつて、これほどの自己表現をしようとした事があったであろうか・・・。と、己に反省の念を抱いたり抱かなかったり・・・。≧(´▽`)≦アハハハ劇場の中は、こじんまりとしているだけあって、舞台の迫力がすごく伝わりますね。歴史的な背景は存知あげませんが、ブタペストのオペラハウスに雰囲気が似ていると思いました。しかし、町中にこんなにホールが一杯あって、毎日客が入るってすごいな~~。
2006年02月09日
信用のおける情報筋によると、「指揮者の人生ゲーム」というのを作った指揮者がいるらしい。(もちろん遊びで)たぶん、S藤さんと言う人だと思うけど、この人、札響にもいらっしゃいましたよね?で、その内容。・S藤H雄先生のメソードのルートに入ると、「叩き」「撥ね上げ」「引掛け」などを一こまづつ進んでいかなくてはいけない。・ホモで有名な●●先生と仲良くなり、ステータスが上がる。・途中で、「国際指揮者コース」「国内指揮者コース」「アマチュア指揮者コース」に分かれる。・コンクールに優勝すると、バッチを付ける。(-m-)ぷぷっ・息子が海外留学...ギャラの半分を仕送り。↑こんな感じだそうで、かなり爆笑。そこで、私も、びよら奏者の人生ゲームを考えてみる。・調弦中に弦が切れ、5,000円マイナス。・今日も音程をはずして指揮者に怒られ、ヤケ酒。10,000円支払う。・唯一の弟子に逃げられ、5,000円のマイナス。・リサイタルするが、客が来ず、50万円のマイナス。・途中で「首席奏者コース」「酒席奏者コース」「アル中コース」に分かれる。・音程が悪いのは楽器のせいだと楽器屋にそそのかされ、新しい楽器を購入。500万円支払う。・スピッカートが出来ないのは弓のせいだと、また楽器やにそそのかされ、新しい弓を購入。200万円支払う。・「本当にオーケストらにチューニングが必要か。」という本を自費出版するものの、まったく売れず、500万円のマイナス。って、赤字ばっかりやん!(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返し
2006年02月04日
今年はモーツァルトイヤーだから、盛り上がっています。↑シュテファン寺院やオペラ座の前には小屋が建っていて、演奏会のチケットを買ったりできるようです。Nちゃんから(。-_-。 )ノ「ショスタコーヴィチが生誕100周年だってことも忘れないで下さい。」あやこから(。-_-。 )ノ「アリアーガーが生誕200周年だってことも忘れないでください。」ところで、楽器を持ってオペラ座の前をふらふら歩いていたら、コンサートの客引きをしているお兄ちゃんに、声をかけられました。兄ちゃん「あなたにコンサートの仕事をあげます。」(゜Д゜) ハア??あーた、私が楽器、ちゃんと弾けるかどうかも知らないんじゃないの?あやこ「私は、まだ学生だから・・・(とちょっと、若い子ぶってみる)」兄ちゃん「今まで、コンサートで弾いた事はあるのか?」あやこ「学校でだったら、ちょっとだけ・・・。(さらに若い子ぶる)」兄ちゃん「モーツァルト、ハイドン、ヴィバルディは弾けるのか?」あやこ「うーん・・・。弾けるかなあ・・・。」そして、電話番号を教えて。と言われたけど、それはイヤだと言ったら、メールアドレスで良い。と言うので、一応、教えてきたけど・・・。教会とかホールでやるって言ってたけど、もしかして、モーツァルトの服とか着てやっちゃうやつ!?あひゃひゃひゃひゃ(≧∀≦*)ちょっとおもしろそうだけど、っていうか、観光客相手だからって、こんな適当な演奏家の集め方で良いのか!?_(-_- )ノ彡☆ばんばん!それとも、ただのナンパ?ところで、今日、発見しました。 ハウス・デア・ムジーク(音楽館)の看板。ヴィーンって日本人が多いから、こういう間違いはほとんど発見することができませんが、こんなところにありました。注意:絶対に関係者の人に通告しないこと。 そして、ここを日本人だけの密かな観光スポットにしようではありませんか! (`0´)ノ オウ!
2006年01月30日
今朝、大家のハイレフロ氏(仮名、推定年齢70歳)がやって来た。だいたい、約束の時間の1,2時間は遅れてくるのが常なので、今日も高をくくっていると、なんと15分も早くやってきた!「ストーブを直してくれ」と言った時には、2週間も待たされたのにである。今日は、私が家賃を払うと言ったからかもしれない。ハイレフロ氏は玄関の呼び鈴なんて、無粋なものは使わない。「コンコン!!」と2回、軽快にノックする。ここで注意したいのは、必ず2つ目のコンは、1つ目のコンより、大きくならないこと。ウィーンの基本に違いない。と私はにらんでいる。しかし、私はこのノックよりも前に、ハイレフロ氏が来たことに気づくのである。口笛を吹きながら階段を登る、軽快な足音が聞こえるからだ。とても、巨体の老人とは結びつかないほどの軽やかさだ。しかし、今日は口笛ではなかった。まさしく、るんるんるん~~~♪の鼻歌。そんなに、家賃をもらうのがうれしいのか。ハイレフロ氏よ。まだ、髪の毛の乾かない私を、メガネの奥の愉快そうな目で見ながら、恐ろしくウィーンなまりの英語を一生懸命、話そうと努力してくれる。ハイレフロ氏は、ほとんど英語を話せないのに。である。そして私は、恐ろしく大阪なまりのドイツ語を一生懸命、話そうと努力する。あやこ氏も、ほとんどドイツ語を話せないのに。である。もし、その様子を傍で見ている人がいたとするならば、全然、かみ合っていない会話に気づいてもいない我々に、唖然とすることだろう・・・。お金を払っても、領収書のようなものはない。今回も、私がお金を払う気になったから、ハイレフロ氏は取りに来てくれただけで、「ところで、このお金は、何月分?」と聞かれる始末だ。そして、ハイレフロ氏は何か冗談を言い、がははと笑う。私もつられて、がははと笑う。大家なんだから、「住み心地はどうだ?」とか聞いてくれればいいものを、そんな無粋な事はせず、「最近、びよらの調子はどうだい?」と聞く。毎回。そして、びよらを弾くマネをすることを忘れない。毎回。別れるときには、なぜか、「How are you?」と、何度も繰り返すので、「ファイン!」「ファイン!」と何度も繰り返していたが、私の答えなど聞いている様子もないので、これは、もしかしたら、ただの挨拶のつもりなのかもしれない。と、やっと最近、気が付いた。そして、またもと来た階段を、「寒い、寒い」と言いながら、しかし、うれしそうにピョンピョン~。と去って行くのだ。しばらくして、隣のお姉さんが、わざわざ私の所へやってきて、「引越しするの?」と聞く。なんで?しないよ。と言うと、「なぜなら、ハイレフロ氏があなたの家に来ていたから。」と言った。見てないのに。である。あの存在感は尊敬に値する。と私は常々、いたく感心し続けている。
2006年01月27日
今日は先生が初めて、ドイツ語でびよらのレッスンをしてくれました。普通は留学するとすぐに、そうなんでしょうけど、先生が優しいせいか、私は甘やかされていたわけです。ビックリしたのは、ドイツ語だと先生の発声が変わって、その方が音楽にしっくり合うような気がしました。今日はヒンデミットを見てもらいましたが、やっぱりドイツ語圏の音楽なんだな。という気がしました。しかし、途中でなぜか、札幌のヨド●シカメラの話になりました。カメラオタクの先生は、いつもそこに行けるのが楽しみだそうです。壊れた機械を持って行って、「これと同じのを下さい」と言うと、「売り切れてしまってないのだけど、うちで買った商品が壊れたというのなら、代金をお返しします。」と言って、お金とコダックフィルム2本をくれた。レシートもなかったのに・・・。そのスピリッツ(大和魂)は、すばらしい!!・・・という話だったんだけど、こんだけ込み入った話になると、途中で、話を見失いそうになるので、(・-・)・・・ん?とか言っていると、また英語に戻ってしまいました。残念・・・。ところで、うちの過酷なアパートメントの最近の様子をごらんください。おとといの映像↓ すりガラスではありません。窓についた、露が凍ってしまいました。ウィーン、真夜中は-28度だったそうです。そして、今日の映像↓ わが過酷アパートメントにも、かすかに希望の光がさし込み始めております。北側の窓は、今日の気温でもガチガチに凍っております。おまけ。 市場の八百屋さんは、外に出すと野菜が凍るせいか、店の中での営業です。(普段は、外に野菜を並べています)
2006年01月25日
今日もオペラの練習。隣のヤニ君は、毎日、日本についての質問をしてくる。その内容とは、日本語とか、物価とかその他もろもろについて・・・。そして、今日の質問。「ニッポンとニホンは、どう違うの?」(←ドイツ語)( ̄ヘ ̄)ウーン難しい・・・。こういう質問は、「どうして、夕日は赤いのか?」とか、「どうして、地球は丸いのか?」とか、「どうして、人生はせつないの?」というような質問と同様に、いつか、誰かに質問したような気もするし、していないような気もする。そして、それらの質問に答えが出たのか、出ていないのか、その辺もあいまいな状態であるような気もする。唐突なこの質問に、私はひとり、宮殿の中の劇場で頭を抱え込み、考えこんでしまったのだった。そんな私を見たヤニ君は、「なんで日本人なのに、自分の国の呼び方が分からないの?」と不思議そうに言った。そして、ヤニ君「君はどっちを使うの?」わたし「わたしはだいたい、ニホンって言うよ。ヤニ君はどっち?」ヤニ君「ボクハ、ヤーパントヨビマス。」≧(´▽`)≦アハハハ。そらそうだ。というわけで、詳しいとこ、知ってる人は教えてくださいませ。今回のオペラは、ダブルキャストで日によって歌手が交代になる。主役級の女の子の役は、一人がヨーロッパ人、もう一人は韓国人。韓国人の女の子は、いかにも気が強そうで、そつなく歌う人だけど、もう一人の少しぽっちゃりとした、ヨーロッパ人の方はへまばかり・・・。見ていても、ハラハラしてしまう。昨日も、アリアでなにか失敗をし、指揮者に怒られていた。その時なんと、ダブルキャストの韓国人が、「お~~っほっほっほっほ!!」と笑い出したではないか・・・。スポコン漫画か?これは・・・。あんた、お蝶夫人か?ニホンでは、これはありえません。なぜなら、我々は、道にゴミを捨ててはいけない。というのと同様に、こういうときの対処法を、知らず知らずのうちに教育されているからである。では、こういうときには、どうすればいいのか・・・。「そう、この曲難しいんだよね~。私もまだ音程、悪くてさ・・・。オケだって、指揮者だってひどいもんね・・。こんなんじゃ歌えないよ。」と、悲しそうにささやき、眉毛を少し下げ、困ったような表情を作らなくてはいけないのだ。そして、首を横にふり、やるせなさも付け加える事を忘れてはいけない。そして、自分の番が来て、万が一、上手く歌えてしまっても決して喜びは顔に出さず、「偶然、偶然。」と、涼しい顔をしなくてはいけない。絶対、忘れてはいけない。今日はすごくいい天気だったので、練習後、お庭の散歩へ行った。遠くの教会なんかも見渡せて、気持ち良いこと、この上ない。
2006年01月21日
実は、初めてシェーンブルン宮殿に行きました。普通、ヴィーンに来ると、真っ先に押さえるべきポイントのようですが、札幌人がわざわざ、時計台を見にかないのと同様に、こういうことは、ままあることで・・・。ええ、ええ。私は、初めての海外旅行が、ヴィーンだったのですが、シェーンブルンに行くつもりが、なぜかベルヴェデーレ宮殿に着いてしまったという、┛)"0"(┗ オーマイゴーッド!!的な経験の持ち主で・・・。ええ、ええ。ま、そんな事はさておき、今日、シェーンブルンに行った理由は、オペラで弾くことになったからで、その本番と練習はすべて、宮殿の中にある劇場であります。それが、ほんとため息が出るような美しい劇場で、こんな素敵な劇場↓ ね、(* ̄。 ̄*)ウットリじゃ、ござあせん?思わず、日本に残してきた、当家の屋敷と比較してしまうのでありました。歌はオペラ科の学生が歌うそうですけど、その中に「やすし」という日本人がいるようで、指揮者が、「ヤスシ!」と呼ぶのを見て、私の隣のドイツ人「ヤニ君」が目を輝かせて言いました。「彼はスシっていう名前なの?」(〃^∇^)o_彡☆あははははっ指揮者のおっちゃん、ヤスシの「ス」にアクセント、付けすぎですから~!!ヤニ君は、日本語が好きみたいなので、「ヤニっていうのは、日本ではクロロなんとか(松脂)の事を言うんだよ。」と、教えてあげると、「そっか、びよらを弾くには「ヤニ」が必要ってわけだ~~!!」と、(  ̄ー ̄)ノ◇ ザブトン1マイ 的なギャグを言って喜んでいました。(解説:つまり、僕と松脂をかけてるわけなのね。ええ、ええ。)ちなみに、今回やるオペラは、ドニゼッティの「Viva la Mamma」という、恐ろしくマイナーな曲で、日本語では、「劇場的都合不都合」という、一見、中国語のような題名で呼ばれるそうです。明日からも、お屋敷通いが続きます。
2006年01月18日
題名。やっと、終わった「クラス・アーベント」昨日、クラスの発表会がありました。曲は、エネスコの、コンツェルトストゥックを弾きました。夜の演奏会なのに、リハーサルは朝の9時半にありました。普段から、演奏会のリハーサルは、少し気持ちを抜いて弾く癖がついている私にも、先生は、「もっと弾け~~!!」と、朝っぱらから容赦なしでした。そして、先生風のギャグ「まあ、大丈夫だよ。君はまだ今は寝ているけど、夜になったら起きるだろう・・・。」朝10時にリハーサルが終わって、夜7時半の出番というのは正直言って時間ありすぎだと思います。仕方ないので、もう一回、家に帰って寝ました。寝ると言っても、昼には目が覚め、びよらを触ったり、ご飯食べたり、本番前の時間は、間をもたせるのが大変でした。本番は、緊張しました。「日本人はテクニックがあるけど中身がない。」と言われるのだけは絶対イヤなので、それだけは避けたい。と今回のテーマにしましたが、だからと言って、「彼女はテクニックもなかった。」と言われるわけにはいかないからです。でも、まあなんとか、終わってよかったです・・・。今回、残念だったのは、他の人の演奏があまり聴けなかった事です。5人出ていましたが、私は4番目だったので、ホールから漏れ聴こえる音でしか聴けませんでした。終わった後は、先生と奥さんと門下生で、近所のレストランで打ち上げでした。その後、ウィーン大学の友達が、日本に帰ると言うので、そっちの送別会にも行きました。コンサート終わったから、今学期のレッスンはこれで終わりなのかとちょっと期待していたら、まだ、来週もあるそうです。留学してきてるのに、早く休みにならないかと期待する自分に少し、反省しました。これから、学校では「クラス・アーベント」が目白押しなので、いろいろ見てみようと思います。おまけ。同じクラスのトーマスが、私の手を取ってひらひらさせながら、「見て、見て!こんな小さい手で、びよら弾くなんて、ミラクルでしょ。」と、彼女に自慢していました。
2006年01月11日
ウィーンの1月は、噂どおりに暗い・・・。この暗さは、札幌以上で、ほとんど、犬陽を見られない日が続く・・・。でも、札幌の雪は犬変だったが、それはない。犬阪に住んでいる時も、冬は寒いと思ったものだけど、「そんなもん、冬とちゃうで~!」(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返しと、犬きな声で、叫びたい!私の部屋は、14畳はあるかと思われる、広さだけは十分に広い部屋だが、たった1個の電球でその、明るさを保っているのだ。しかし昨日、その頼みの綱である電球が切れてしまった・・・。┛)"0"(┗ オーマイゴーッド!!どうして、こんなことで犬騒ぎするのかと言うと、ヨーロッパ仕様では、天井が地上4メートルほどの高さにあるからで、椅子に乗ったくらいでは、到底とどかず、途方に暮れてしまった。昨日1日、暗い部屋で過ごしてみたが、気分も暗くなりそうだったので、今日、気合を入れ、なんとか家具によじ登り、電球交換に成功を果たした。(= ̄▽ ̄=)V いぇーい。これで、しばらくは犬丈夫だろう・・・。とにかく、犬変なのだ。犬きな体が欲しい・・・。
2006年01月07日
みなさま、あけましておめでとうございます。と言っても、日本ではもうすぐ2日?大晦日は、昼から我が家で、びよらのNちゃんて子と忘年会をしまして、ええ、昼から飲んでまして、そして、その後、国立歌劇場の「こうもり」を見にいきまして、ええ、そして、指揮科のK子ちゃんと合流して、街へと繰り出したのであります。シュテファン寺院の方は危険だと聞いていましたが、「まあ、みんな歩いてるわけだし・・・。」と、思った私が、甘かった・・・。足元で爆竹は鳴るわ、花火は飛び交うわ・・・。命の危険を感じました。)゜0゜( ヒィィ今回、初めて動画を載せてみましたが、これは、イラク戦争の映像ではございません。あしからず・・・。声の出演「キャー。あははははは・・・。」←わたし 「叫び声が・・・」←K子ちゃん警察なんかも出動してましたが、まったく、やる気もなさそうで、「自分の身は自分で守れ」という言葉を再認識するとともに、ここは欧州なんだ。ということを強く自覚しました。「除夜の鐘を108回ついて、煩悩を消し去り、平和を祈りましょう。 ごぉおおお~ん」という、日本の年越しとのギャップが、なんとも言えません。その後、市庁舎の方へ行くと、仮設ステージがありまして、こっちでは、たぶん、いけてるDJのおっちゃんが、「いえーい、みんな~、乗ってるか~い!?カウントダウンの練習、してみるぜ~ぃ!!10,9,・・・・」とか、やってたわりには、肝心の年を越すときには、カウントダウンがなく、「ええ?もう、年越したん?ああ。おめでとう・・・。」みたいな雰囲気になってしまいました。あれは、失敗したのか、あんなものなのか・・・。その後、K子ちゃんが、「なんなら、うちで、ちょっと飲んでから帰りますか?」と、言ってくれたのを良いことに、すごく綺麗な部屋で、3人で飲みました。気が付いたら、朝の6時でした。(T▽T)アハハ!今年の目標・・・。うーん、去年はなんて言ってたんだっけ?まあ、なにはともあれ、今年もよろしくお願いいたします。ぺこ
2006年01月01日
そう・・・。その事に気が付いたのは、確か、昨日の朝食の時だった・・・。適当に買ってきたチーズが穴あきチーズだということに・・・。 子供の頃、大いに疑問だった。「トムとジェリー」とか、「アルプスの少女、ハイジ」の食べているチーズには、必ず、穴が空いているのに、どうして、うちのチーズには空いていないのだろう・・・。♪教えて~おじい~さん~ 教えておじい~さん~教えて~~~アルムの森の木よ~~♪おじいさんと、アルムの森の木からのお答え「(。-_-。 )ノ君ん家のチーズは雪印6Pチーズだからだよ。」昨夜、なぜか夢の中に、どっかのお兄さんが出てきて、「あの穴は、発酵するときの、○○○っていう気体なんだよ。」と、言う。お兄さんを信用しても良かったのだけど、目が覚めてから、一応、当家の家訓に従い、早速ググッてみた。穴の空いているチーズは、スイス産の「エメンタール」という種類で、製造工程でのガスによって穴が空くらしい。調べてみると、私の食べたチーズも「エメンタール」だった。レ( ̄ー ̄)ナットク!!( ̄^ ̄/)チーズと言えば、ドイツ語でケーゼと言う。そして、私が、一度、試してみなくてはならないと思っていた物。それは、レバーケーゼ初めてその名前を知ったのは、日本のドイツ語の教科書で。フィッシャーさん「レバーケーゼは好きですか?」ゆりこさん 「それ、なんですか?食べたことがありません。」フィッシャーさん「一度試してみてください」だいたい、レバーケーゼって、レバー(肝)のチーズ?|電柱|ヽ(_ _|||)))) おえぇぇぇ!!と思っていた上に、この例文ですよ。普通だったら、「おいしいよ。」とか言うだろうに、「一度、試してみてください。」という、一見、責任放棄にも見られる、この発言・・・。・・・( ̄  ̄;) うーん、ちょっと、怖い・・・。そして、勇気を振り絞り、ブルストスタンドで買ってみた。感想。おいしい!!o(★___________★)o キラァーン!! ケーゼと言えども、チーズではなく、ハムみたいな感じ。ブルストスタンドでは、温蔵庫で保管しているので、暖かくてふわふわしている。レバーケーゼの正体を知ると共に、ドイツ語教科書の行間を読む必要はないと、悟った。んで、なんで、レバーケーゼって言うの?ケーゼじゃないのに・・・。この話、何かに似てるな・・・。と思ったら、「ちくわ」の事、英語で「フィッシュケーキ」と言うのに、似てません?その話題の日記ところで、最近、知り合いが日本のテレビをDVDに焼いて、送ってくれました。うちの同居人も大喜びで、テレビに釘付けです。↓
2005年12月30日
ゴシ(-ε\)(/з-)ゴシああ・・・クリスマスも終わってしまったねえ・・・。しまったねえ・・・。しまったねえ・・・。ハンガリーから、Yちゃんという友達が遊びに来てくれました。ほんとに、底抜けに明るい人で、よくしゃべったなあ・・・。楽しかったなあ・・・。話には聞いていましたが、クリスマスのウィーンは、本当に、なにもなかった・・・。飢えた観光客が、開いているわずかなお店に群がっているのを観察し、危うく、我々も飢えるところでしたが、あらかじめ「薄切り肉をゲット」していたおかげで、こんな晩餐ができました。こんな晩餐↓ お好み焼きといなりずしです。なんとも、クリスマスイヴに相応しい、晩餐ではないですか・・・∬´ー`∬おほほ♪左上の豚ちゃん2匹は、ブタペストのクリスマスマーケットで買ってきてくれた、塩こしょう入れです。かわいいわ~~~('▽'*)ニパッ♪そんなわけで、イヴとクリスマスの大半を、パジャマで過ごしました。うら若き乙女2人の、●十代、最後のクリスマスでした。Yちゃん「ま、いいクリスマスの過ごし方やな。」あやこ 「そやな、ヨーロッパのクリスマスは、こういう感じなんやろな。」ほんまか、どうかは知りません。クリスマスの日は、「くるみ割り人形」に行きました。やっぱ、いいですねえ・・・・。楽しいし、明るいし・・・。第九もいいけど、日本でも年末は「くるみ割り」とか「ヘンゼルとグレーテル」にしません?今まで第九を歌ってた合唱団のみなさんには、バレエを練習していただいて、ネズミの大群とかで参加していただくということで、いかがでしょう。そして、最後に今年の反省をこめて、「グラン・パ・ド・ドゥ」でよ~せば、よか~ったのよ~~~。と大合唱すれば、完璧ですな。うんうん。しかし、中国の踊りとか、アラビアの踊りはあるのに、「日本の踊り」がないんですね。チャイコフスキーくんも、1曲くらい、「芸者の舞」とか、「阿波踊り、ア・ラ・マルチア」とか書いてくれたら良かったのにねえ。と、至るところであふれ返る日本語を聞きながら、ふと、そう思ったのでありました。今回の演出では、曲の途中に「ロミオとジュリエット序曲」が入ってましたが、「くるみ割りの中に、こんな曲入れたら、しんどいやんなぁ。だいたい、曲の雰囲気も、全然ちゃうやん!」とか、舞台裏で、オケの人は話したりしないのかな・・・。と、ちょっと気になってしまいました。クリスマスなのに、大変ですねえ・・・。(*´ェ`)ボー...Σ(*゜ェ゜*)ハッ!私も、去年まではクリスマスも大晦日も元旦も弾いてたなあ・・・。札響のみなさまもお疲れさまです。ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコそして、年明けは、なんと1月3日からレッスンが始まります。(゜ロ゜; 三 ;゜ロ゜)ヒイイイィィ(゜ロ゜; 三 ;゜ロ゜)ヒイイイィィもう、私の冬休みは終わったな・・・。☆ヽ(o_ _)oポテッ
2005年12月26日
先日、爆笑動画を載せましたが、(まだ見ていない人はこちら)その画像を見た、我らがH本さんが、「どこかで見たことある画像やと思って、探してみたら、こんなのがあったで。」と言って、送って来てくれました。言葉はついていませんが、あえて付けるとするならば、「忘れるな!同僚が自分よりも早く出世する時には、率直に祝福してあげることを・・・。」という感じでしょうか・・・。そして、その画像↓足元に注目。ここをクリック(〃^∇^)o_彡☆あははははっ前の画像と、こける方は一緒なので、これは、やっぱ、作られた画像だったのですねえ。暇にしている人は、こちらもどうぞ。日刊あなた
2005年12月22日
最近の話。その1黒い森の旅から、帰ってきました。そのときの写真はこちら。↓フォトアルバムたぢまくんも元気でしたよ。フライブルクという街は、フランスに近いせいか、お店に売っているものも、お洒落な気がしました。町中石畳が敷き詰められていて、その整備のために、多大な税金を投入しているそうです。で、自転車に乗ってると、罰金だそうで、みんな自転車を押して歩いていました。(T▽T)アハハ!環境の都市として前から知ってましたが、すごく雰囲気のいい、素敵な街ですねえ。最近の話。その2特派員になりました。うふ♪(* ̄ー ̄)v今年の夏に、AIR-G'(FM北海道)の高山秀毅さんの番組に出させて頂きましたが、今回は、ラジオの中のコーナーで、ウィーン現地リポートをさせて頂きます。┌(* ̄0 ̄)┐ ワーッハッハッハッ・・・・収録は、昨日のあさ、電話で行われました。海外現地リポートっていうと、東京のスタジオ「それでは、現地にいる辻彩子さん~!つじさ~ん!」・・・・・東京のスタジオ「つ・・つじさん?」・・・・・現地の辻さん「はい?」東京のスタジオ「現地の様子を伝えてください!」・・・・・・現地の辻さん「は・・・はい、えーただいま、現地は・・・・。」↑みたいなイメージがありますが、最近の技術では、ほとんど時差もなく、逆に、「ほんとに辻さんはウィーンにいるのか!?定山渓あたりに潜伏しているのではないのか。」という、疑惑すら、起きかねないな・・・。と危惧したりもするわけであります。以前、私は電話線の海底ラインについて、深く興味を持った事がありましたが、その時の日記ヨーロッパにも、海底ラインが通っているのでしょうか・・・。誰か、教えてください。<ラジオ情報>2005年12月25日(日)あさ6時~7時番組タイトル:AIR-G'クラシック・プログラム高山秀毅さんの番組 「朝クラ!」の中で、「あやこのウィーン・レポート」として、 放送されます。ぜひ、北海道にお住まいの方はお聞きください。('▽'*)ニパッ♪
2005年12月20日
明日から、ドイツの黒い森近くの「ビュール」という街に行ってきます。目的は、友達のお父さんのお誕生日の室内楽要員です。招待状話には聞いてましたが、ドイツでは区切りの良い数字の誕生日は盛大にやるそうですね。ここのお父さんは、70歳だそうです。楽しそうな人ですねえ・・・。音楽をプレゼントする。と伝えると、お父さんは言葉も出ないほど喜んでくれたそうです。ところで、ビュールと言うところは、フライブルクの北、100キロくらいの位置だそうですが、このひとに、会わずして帰るわけにはいきません。このひと→ここをクリックフライブルクで勉強している、元札響、コンサートマスターのT島くん。土曜日、私がフライブルクに出向いて、落ち合うことにしました。年末、特大企画。「たぢまくんは今・・・。」もはや、これは、札響団員としての使命というより、北海道民としての使命を果たそうとしているわけであります。それでは、イッテキマース"8-(  ̄ー ̄)カタカタカタ--.. 添乗員なし、同行者3名、ウィーン発。「友達の車で行く、2泊3日ドイツ黒い森とビールの旅。」~赤ずきんちゃんを食べよう と友達になろう~車で8時間半、かかるそうですが、ご心配されませぬよう。わたくし、運転しませんから・・・。
2005年12月16日
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