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彫刻の森美術館見学後は電車で小田原に出て昼食をとることにしました。12:32 小田原着、改札を出ると駅ビルには二宮金次郎の像がありました。駅ビルの上階からは小田原城が遠望され、ズームアップして撮影しました。昼食する場所を探していると、「個室割烹日本海」が目に留まりました。中は照明が落としてあり、刺身定食はフラッシュ無しの写真ですが実際の見た目はもっと良く、980円でしたが、新鮮でとても美味でした。石鯛の額を見ながら食事をしているうちに折角小田原に来たので久しぶりに小田原城址公園を訪れることにしました。帰宅後小田原城について調べてみると、次のことが分かりました。戦国大名北条五代の居城として有名だった小田原城はその後歴史を重ね1870年 小田原城は廃城となり、ほとんどの建物は解体されました。1901年 城跡に小田原御用邸が設置されましたが1923年 関東大震災により城内の石垣はことごとく崩れ落ちました。陸軍省や宮内省の所管であった敷地は城址公園として再整備され1931年 石垣修復、1935年 二の丸平櫓が隅櫓として復興、1938年 国指定史跡となり、1960年 天守閣が復興、1971年 本丸表門である常盤木門、1990 住吉橋、1997年 銅門、2009年 小田原城の正規登城ルートである馬出門が復元されました。現在ある天守閣はRC構造によって外観復元されていますが小田原市当局の要望により天守最上階に高欄が取り付けられ、天守の本来の姿を忠実に再現するものではないそうですが常盤木門と二ノ丸正門の銅門は本格木造再建で評価が高いそうです。昼食後、お城を目指して歩く途中に「万葉の湯」がありました。やがてお堀に架かる朱色の「学橋」が見えてきました。13:33 「学橋」に到着、お堀越しに二ノ丸南東隅平櫓が見えました。橋を渡ると広場の大きな木の向こうに歴史見聞館がありました。桜が植えられた道を行くと左手に銅門、右手に歴史見聞館が見え正面に「いぬまき」の巨木が立っていました。白い建物の歴史見聞館には入らず、その裏手から天守閣撮影場所を探して歩き今はアヤメが育っている堀跡に沿う小径を散策しました。朱色の橋を渡り常盤木門をくぐると天守閣が眼前に現れました。現在ある近世小田原城天守閣は徳川時代に老中にまでなった稲葉正則が完成させた5重天守の規模を持つ巨大な3重4階の天守で、続櫓を付した総漆喰塗りの複合式天守をイメージしたものと思われます。途中階には各種資料が展示され、これらを見ながら階段を登りました。後北条時代(鎌倉時代の北条と区別)に築城された小田原城は難攻不落、無敵の城と言われ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えました。1589年 北条氏政は豊臣秀吉との対立が決定的となり小田原城の防備を固めるため総延長12kmにも及ぶ大外郭を構築、これは豊臣秀吉が構築した大坂城の惣構を凌ぐ規模でした。1590年20万もの秀吉軍が来襲し小田原城を取り囲むも遂にこの大外郭の中には入れず、戦いは長期戦になりました。秀吉は石垣山一夜城の構築により自軍の圧倒的勢力を誇示し北条方は有名な降伏すべきか抗戦すべきかの小田原評定の後、無血開城し、抗戦を唱えた氏政は切腹、和議を結んだ氏直は高野山へ追放となりました。また小田原城は1633年、1703年に大地震で壊滅的被害を被り1707年には富士山が大噴火、その後も1782年、1843年、1853年、そして廃城後の1923年、関東大震災の引き金となった地震に遭遇しました。14:24最上階の高欄に到着、小田原の町並みを望見しました。再び常盤木門を通り、幹が特徴のある「いぬまき」の巨木を眺め二の丸の正門である銅門と住吉橋、馬出門を通り二の丸平櫓である隅櫓と学橋を見ながら小田原城址公園を後にしました。
2011.12.31
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箱根強羅での会合2日目は朝食後に話し合った結果、ほとんどの参加者は今回宿泊した宿が大層気に入り、次回も5月下旬にもう一度同じ場所で会おうということになりました。次年度幹事はクジ引きの結果、私はその一員になってしまいました。8:50 太陽山荘を出発、緩やかな坂をゆっくり下りて9:01 強羅駅に到着、皆さんと来年の再会を約し別れましました。私は1駅歩き、彫刻の森美術館を散策することにしました。線路沿いの平坦な道を歩き、9:19 彫刻の森美術館前に到着しました。シニア割引の適用を受け、チケットを買い入場しました。入るとすぐにエスカレーターで下り、ブロンズ彫刻が目に留まりました。上半身が裸の若い女性でその下に羽があり下半身はカモシカのようです。作品への詳しい説明がないのが残念でした。ブロンズ彫刻は、彫刻家が「原型」という、もとになる形をつくり、そこから型をとってブロンズという金属にします。このため、ブロンズの彫刻は絵画とは違い、彫刻家が決めた数だけ作品をつくれるそうです。地下道をくぐり抜けると眼前に緑豊かな野外美術館が展開しました。1969年に開館、近・現代を代表する彫刻家の名作約120点が常設展示され世界有数のコレクションを誇るピカソ館をはじめとする5つの室内展示場と四季折々の花が咲く70,000m2の庭園があります。「とらわれのアクション」(アリスティド・マイヨール作)というブロンズ像がまず最初、目に飛び込んできました。画家として活躍していたマイヨールが40代になってから彫刻したもので顔は男性的だが豊満な女性の裸身は錆止めのワックスが施され光り輝いて、そのボリュームは見る者を圧倒していました。近くには白い強化プラスチック製の「樹人」(岡本太郎作)や「弓を引くヘラクレス-大」(エミール=アントワーヌ・ブールデル作)のブロンズ像は力強い躍動感を示していました。少し離れた所にはこれらの力強く古典的な像とは対照的な足と首が細く長いツイギー風近代女性のブロンズ像がありました。アートホールに入ると「オクテトラ」(イサム・ノグチ作)を中心に建築家のみかんぐみがデザインしたという子供達の“あそび”のエリア「ごろごろ コロン ~彫刻となかよし~」が設置されていましたが日曜日にもかかわらず子供達の姿は見かけませんでした。アートホールを出ると人間の首の部分だけ横にゴロリンさせたものや少し離れた芝生にはサイに似た珍獣の像が置かれ「人とペガサス」(カール・ミレス作)の像が頭上にありました。円形広場から坂道を下っていくとギリシャ彫刻風の戦士像が並んでいました。男女の戦士は中世のヨーロッパや日本の戦士が甲冑で身を固めているのに対しより機敏性を重んじているためか上半身は裸で逞しく迫力がありました。さらに下りてゆくと右手の芝生にはハワイに昔住んでいた人々を思わす太っちょでおおらかな男女像と後方に近代のオブジェが並んでいました。左手には色づいた紅葉をバックに肩越しに寄り添う裸の男女像やツイギー風少女像、裸の少女像、帽子を被った少年像… が並んでいました。左手に下りてゆく道を行くと池があり、鮮やかなオレンジの「浮かぶ彫刻 3」(マルタ・パン作)が幻想的な雰囲気を出していました。吊り橋があり、裸の女性の立像・足を上げた座像、裸の少女像がありました。再び元の道に戻ると丘側に「球体をもった球体」(アルナルド・ポモドーロ作)「16本の回転する曲がった棒」(伊藤隆道作)… が見えました。やがて外観が積み木を横に組んだようなネットの森に着きました。近くにドンキホーテに登場してきそうな男性像立っていて、側にあった鉄板をいろいろ加工して独特の像を造る作家の展示場を見学しました。ネットの森の中はどうでもよくなり、入りませんでした。やがてこの美術館が一番力を注いだと思われるピカソ館に到着しました。この館にはピカソの長女、マヤ・ピカソから購入した陶芸作品を中心に、絵画や版画、彫刻、金のオブジェなど300余点を所蔵しているそうです。ピカソが65歳になってから南フランスの陶房で始めた陶芸作品はユーモアが感じられ、明るく楽しさに溢れた作品が多く、心が和みました。ピカソが70歳の時、26歳のジャクリーヌと出会いその後生涯を共にしますがこの晩年の満ち足りた生活の様子はデイヴィッド・ダグラス・ダンカンにより写真に納められていて、大きく引き延ばして展示されていました。近くには「歩く花」(フェレナン・レジェ作)、ヘンリー・ムーアの作品、裸の女性のブロンズ像… が各所に置かれていました。薄緑色で円形のティアラとウェディングヴェールをモチーフにした施設、近現代の彫刻作品を納めた緑陰ギャラリー、土産店… がありました。緑陰ギャラリー前には芝生があり、大きな帽子を被った裸の女性像が置かれ、その向こうに「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」という円柱状の建物があり、ステンドグラスで囲まれたラセン階段を登り、上からの眺望を楽しみました。近くには温泉足湯があり、白い人間の首の像が横向きに置かれていました。緑陰ギャラリー前から緩やかな坂を登り円形広場に向かって行くとひとつの生物が他の生物のそばにいる時の、両者の優しい関係を示すという「ふたつの形」(バーバラ・ヘップワース作)と高さが5mの巨大像「ミス・ブラック・パワー」(ニキ・ド・サン・ファール作)が現れました。その他に「ファミリー・グループ」(ヘンリームーア作)、下着を脱ぐ女性像、「ボクシングをする二匹のうさぎ」(バリー・フラナガン作)… を見ながら園内を一周し本館ギャラリーで「しろきもりへ」(山本基作)を見ました。 様々な彫刻を見ましたが個々の作品の解説が少なく、ホームページによると音声ガイドを貸し出しているそうで、今度来た時はこれを借りたいと思いました。11:12 美術館を後にし、11:23 彫刻の森美術館駅より箱根登山列車に乗りました。
2011.12.22
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毎年行われている宿泊を伴う、旧職場のOB会があり参加しました。一昨年は熱川、昨年は熱海、今年は箱根の強羅で行われることになりました。大湧谷、箱根彫刻の森美術館、小田原城と3回に分け投稿いたします。10:45 小田原でJRから階段を下りて小田急・箱根登山鉄道ホームへ。丁度小田急が箱根湯本まで乗り入れているロマンスカーが入ってきました。箱根登山鉄道は1919年に開通しましたが、急な山間を走るため2カ所のスイッチバックや急カーブの箇所があり、ゆっくりと走ります。箱根湯本で列車を乗り換え12:04強羅駅に到着しました。強羅駅は人で溢れており、駅のパンフレットを見て検討した結果ケーブルとロープウェイを使用する大湧谷への往復切符を買いました。終点駅の早雲山までのケーブルは1921年に開通しました。ケーブルは車内が階段状に出来ており、途中のホームも坂になっていて途中駅は直接道路に自由に出られる構造になっていました。早雲山駅でロープウェイに乗り換えましたが大層の混雑でゴンドラは次々来るのですが順番を待つ長蛇の列ができていました。2008・2009年度にはロープウェイの年間有料乗車人員でギネス世界記録認定TMを受けたそうです。ゴンドラは間隔の広い二本の動いているロープで支えられるフニテル方式を採用しているため、風速30mに耐えられるそうです。13:12 大湧谷駅に到着、ここから雪を少し被った富士山が見えました。駅の売店で有名な黒玉子やお土産を売っていましたが側で色鮮やかな安納芋を焼いたものを売っており、買い求めました。これほど中がオレンジの焼芋は見たことがなく、味も最高でした。駅前の展望台からは雄大な富士山と芦ノ湖方面が望見されました。大湧谷観光センター横から山道を登り13:45 閻魔台に到着しました。辺り一面に強い硫黄の臭いが立ちこめ、大湧谷の石碑がありました。 大涌谷は約3100年前、箱根火山で水蒸気爆発による山崩れが発生し、堆積物が貯まり、さらに約2900年前に小規模な火砕流が発生し冠ヶ岳ができ、堆積した火山砕屑物が山崩れにより大涌谷となりました。そして、かつて大涌谷は「地獄谷」と呼ばれていましたが、明治天皇・皇后の行幸啓に際し、1876年9月5日に改称されたそうです。閻魔台近くの玉子茶屋では、名物「黒玉子」がつくられていました。1個食べると7年寿命が延びると言うふれこみで5個入500円でした。温泉に含まれる硫黄と鉄分が結びつき黒い硫化鉄となり卵の殻に付着し黒く変色、黒玉子と呼ばれていますが、買い求めはしませんでした。大湧谷駅から再びロープウェイに乗り下山、早雲山駅でケーブルに乗り14:36 中強羅駅で下車して宿泊地までゆっくり歩くことにしました。中強羅駅は無人駅でホームは傾斜しており、階段で道路に通じています。駅近くの木は紅葉していましたが、桜が少し咲いている所もありました。公園上駅、公園下駅と2駅分歩いて15:12 箱根太陽山荘に到着しました。国民宿舎太陽山荘は1942年に建てられた2階建て(一部3階建て)の伝統的木造建築で、2007年、国から登録有形文化財の指定を受けました。温泉地の旅館としての特徴を備えた、日本の住まいの風情が感じられました。お風呂は最近改修され、鉢植えの花が至る所に配置されていました。夜は昔の職場の仲間と再会し話が弾み楽しい時を過ごすことができました。
2011.12.16
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3食付きで日帰りのお江戸巡りバスツアーの旅行案内が目に留まり費用も手頃(9980円)とあって、サクラさんと行ってきました。11/22 6:50集合場所を出発、東名高速道を利用、途中SAで休憩し9:28 東京築地場外市場に到着、まず朝食のお寿司をいただきました。「築地すし一番」という人気寿司店でしたが、朝食ということもあり1階の立派なカウンター席ではなく、2階の団体用食堂でいただきました。食後は市場内を散策、マグロを解体し即売しているの店がありました。鮪や鮭の切身、金目鯛、、いくら、毛蟹、せこ蟹… の生魚、トロホッケ・つぼ鯛・金目鯛の干物、数の子、タラコ、塩鮭…そして漬け物屋さん、揚げ物屋さん、佃煮屋さん等が並んでいました。国産の松茸(6~8本入り)が9000円で売られている一方でカナダ産(2625円)、トルコ産(1365円)が売られていました。タラコ、干物、数種の佃煮、ワカメを買い10:40 築地を出発しました。11:30 世田谷区にある等々力渓谷公園に到着しました。役の行者にゆかりのある等々力不動(満願寺の別院)では秋季大祭大護摩供・菊まつりが実施されていました。そこから階段を下りてゆくと2つの竜の口から水が噴出する不動の滝があり、この滝は古くから修業者が訪れることで知られていたそうです。等々力という地名はこの滝の轟く音から里人が呼称したという説もあります。丁度赤い帽子を被った小学生の一団が来ていて、話し声が轟いていました。橋を渡り対岸には稚児大師御影堂があり、川沿いに歩いて行くと雑誌のモデルさんらしき女性を撮影している場面に遭遇しました。時間はありましたが、そこから上流には行かず、集合場所に引き返しました。12:50 青山・表参道エリアの「星のなる木」で懐石料理をいただきました。13:50 明治神宮外苑の「銀杏並木」青山通り口に到着しました。先のとがった円錐状に刈り込まれた銀杏群はまだ緑みを帯びていました。絵画館前広場では屋台の店が並び、並木通りは人で溢れていました。集合場所近くの青山通りにはキャンドルを売る店がありました。15:39 和歌の六体に由来するという六義園(りくぎえん)に到着しました。1695年、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮して築き上げた「回遊式築山泉水庭園」です。明治時代に入り、岩崎弥太郎(三菱創設者)の所有となりましたが1938年 東京市に寄付され、1953年 国の特別名勝に指定されました。秋の日は短く、日没前になんとか園内を一周できました。モミジはまだ紅葉不足でしたがハゼの木が真っ赤に紅葉していました。大変手入れが行き届いていて、この日もブルーの作業衣の植木職の方がヘルメットを被り、松の手入れを一心にされているのが印象的でした。今までに見た兼六園(金沢)、三渓園(横浜)、城山公園(大磯)と共に季節を変えて再度訪れたてみたい日本庭園だと思いました。新宿御苑もそうですが、バックに高層ビルが見える所があり残念でした。「叙々苑」の焼き肉弁当をバス内でいただきながら帰路につきました。
2011.12.04
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