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病室の扉が閉まると、朱雀は詩織の枕元の椅子に腰を下ろした。「さて、どこから話そうか」詩織は堅い顔で身構えた。朱雀は微笑した。「私の事も、信用してもらえないのかね?」詩織は強い目をして黙って朱雀を見ていた。朱雀も”盾”である事は聞いていた。朱雀は百合枝の従妹である自分を、身内として温かく向かい入れてくれた。そして何くれとなく世話を焼いてくれた。だが肉親と”盾”の掟を守る者と、彼がどちらの立場でここにいるのか、詩織には判断がつきかねた。詩織は鍬見の容態が気になっていた。金谷は無事だと言った。彼には鍬見を気遣う気配が見えた。だが彼は鍬見に関して話す事を禁じられていた。朱雀なら教えてくれるだろうか。詩織は思い切って聞いた。「鍬見さんは、どうなったのですか?」「危機は脱した。快方に向かっている」朱雀は即答した。詩織は少し気が楽になった。微笑を絶やさずに、朱雀は言った。「キミと鍬見の事は、百合枝からも頼まれている。二人を引き裂かぬようにと」ようやく詩織の表情が和らいだ。「百合枝さんが?」「キミ達には、私も不幸にはなって欲しくない」朱雀と百合枝は自分の味方になってくれる。詩織は心強く思った。とはいえ、不可解な事ばかりである。何故、自分が襲われたのかも解らなかった。朱雀は詩織の混乱を感じ取っていた。「鍬見の罪は、キミと必要以上に係わった事にある」「必要以上に?」「我らは、戦いの中にいる」「『奴等』との?」「そうだ。だから部外者との深い係わりは避けている」「私は、百合枝さんの従妹です」「それは、別の話だ」朱雀は片手で自分の首のあたりを触った。「喉が渇いたな。珈琲でもどうかね?腹は減っていないかね?」「少し」朱雀が立ち上がった。扉を細く開けて、朱雀は誰かと短く言葉を交わした。戻って来て椅子にどっかりと腰を下ろすと、朱雀は言った。「ルームサービスを頼んだ。ホテル並とはいかないがね」そして悪戯っぽく片目をつぶってみせた。詩織は思わず笑ってしまった。いつもの朱雀だった。詩織の前でも百合枝を愛する事を隠さず、陽気で皆を笑わせながら、何もかも的確に物事を運んでいく。今もそうであった。詩織の心をほぐし、良い方向へ事態を転換させようとする彼の気持ちが伝わって来た。扉を軽く叩く音がした。朱雀が応じると、一人の青年が銀色の盆を手に入って来た。器用に片手に載せた盆の上には珈琲と白い陶器のスープボウル等が並んでいた。黒髪の青年に、詩織は何かを感じた。親近感に似た感情を。青年は微笑した。その微笑に、詩織の胸が泡立った。詩織は青年の名を思い出した。「寒露(かんろ)さん」「やあ、弟が世話になったな」あっと詩織は心の内で叫んだ。寒露の顔は、眼鏡をはずした鍬見に瓜二つだったのだ。(つづく)
2010/11/28
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2010/11/19
「癒しの力?」「ああ、キミと同じだ」「詩織さんに?」「鍬見の容態が持ち直した。毒が消えていた」「貴方、お願い」「何だね」「詩織さんの気持ち」「困った事になったな」「二人を引き裂く事だけはしないで」「解ってる」安楽椅子の百合枝を軽く抱きしめると、朱雀は出て行った。目が覚めると、詩織は寝台に横たわっていた。詩織は起き上がり、部屋を見回した。鍬見の病室と似たような部屋だった。違うのは、白いカーテンの向こうの、窓の外が明るい事だった。鍬見の病室で意識を失った後、ここに連れて来られたのだろう。同じ病院の何処かに鍬見がいる、生きている。その事実だけは確かめたいと思った。「失礼致します」一人の医師が入って来た。見覚えがある顔だった。百合枝の元に、鍬見に従って来たのを見た事がある。確か金谷(かなや)と言った。鍬見と同じく穏やかさと知性を感じさせる細身の男だった。白衣のボタンがきちんと嵌められていた。「ご気分はいかがですか」「少し、ぼんやりしています」「頭痛や吐き気は?」「ありません」金谷は頷くと、手にしたファイルに何かを書き込んだ。「金谷先生」詩織が言うと、金谷は微笑んで言った。「金谷とお呼び下さい。私を覚えていて下さって光栄です」「鍬見さんは、どうなったの?」金谷の笑みが消えた。「ご無事です。それ以上は、私の立場ではお答え出来ません」詩織は、佐原の村への猛烈な反発を覚えた。百合枝と再会を果たしてからずっと感じていた不満が爆発した。「立場とは何ですか?では幸彦様に連絡をして下さい。あの方が一番上なのでしょう?すべてあの方が命令しているのでしょう?鍬見さんを閉じ込めて、私を閉じ込めて」金谷は困った顔をした。金谷を困らせてもどうにもならない事は、詩織にも解っていた。だが言わずにはいられなかった。「私は佐原の人間ではありません。幸彦様は佐原の村では偉い方でも、私を自由にする権利はありません」「僕は、そんなつもりは・・」二人は戸口の方を見た。花束を抱え、顔面蒼白の幸彦が立っていた。傍らに朱雀が居た。朱雀が素早い身のこなしで病室に滑り込んだ。深く豊かな声が優しく言った。「少し気が立っているようだね、詩織」朱雀は振り返り、幸彦に言った。「私が説明致しましょう。控え室でお待ち下さい」そして金谷に言った。「幸彦様のお側に」金谷は安堵の表情を浮かべて一礼した。(つづく)
2010/11/05
聴覚、嗅覚、触覚魔への感受性も高まるぞ良いのか? 良いのか?こんな素材はめったには見つからぬ良いのか? 良いのか?かまわぬ かまわぬどうせ 親に捨てられた子よそうとも 見捨てられし者 どう扱おうと・・鵲の朦朧とした意識の中に、人の声が聞こえて来た。本当に人の声なのか幻聴なのか、今の鵲には判断がつかなかった。鵲は施術室に横たわっていた。朱雀の会社の持ち物の、とあるビルの地下室である。術師達はここに隠れ住み、術の研究を行っていた。毒を無効化する術を施されてから、定期的にここに通うように言われている。術後の経過を見る為だと、鵲は聞かされていた。(親に捨てられた子・・か)途切れがちの意識にも、寂しさが流れ込んで来た。(父上は、めったに戻っては来て下さらなかった。母上と私がどんな目にあっても、その事に気づいては下さらなかった。父上には、私はいらぬ子だったのだ)鵲の想いは、過去へと向かって行った。(”盾”ならばお役目第一、それが解らぬわけではない。母の咎を己が代わりに背負おうと、父は村に一層尽くしたのであろう。あの方のご気性ならば。そうだ、そうと思って私はずっと我慢していたのだ。親のいないさみしさに)盲目の母は鵲に厳しかった。三峰の子として、風の家の嫡子として、恥ずかしくない人間にしなければと思う母の気持ちが、鵲にも痛いほどに伝わって来た。鵲は文句も言わず、厳しい母に従った。幼き頃から、鵲には子供らしい時間はなかった。家に居れば盲目の母の手助けをし、勉学に励み、風の力を操る訓練も欠かさなかった。誰にも本心は言わない子になっていた。黙って運命を受け入れる事しか、鵲には選ぶ道はなかった。そんな中でも、いつか父に認められ、父と共に戦う日を夢見ていた。だが、長じて”盾”になり”外”へ出た鵲は、父の配下には入れられなかった。白神配下である事は恥ではなかった。むしろ順調な出世の道でもあった。白神は抜きん出て優れた資質を持つ鵲を可愛がってくれた。鵲も威厳と温和さを兼ね備えた白神に尊敬の念を抱いた。父はめったに鵲の前に姿を現さなかった。村にいた頃とあまり変わらぬ程度の触れ合いしかなかった。父が自分を褒めるのも、他の盾を褒めるのも、大差がないと感じられた。誰にでも慈悲深く誰にでも優しい”白き守護者”。鵲の為だけに見せる顔は何処にもなかった。鵲が遂に己の思いを吐露してしまった後も、父からは何も言って来なかった。(私の事など・・)朦朧とした意識の中で鵲は笑った。(私は何と女々しい男だ。この歳で、父が恋しいのか、父を恨むのか・・もう父など不要、私は一人前の”盾”、私は一人の”盾”。多くの中の一人。たとえ明日倒れても、次には代わりがいるだろう。真彦様を御守りするのは、何も私でなくていい。生き延びろと言われたが・・私がいなくても、真彦様には柚木もいるし、鳥船もいる)大きく世界が回転した。鵲は酷く眩暈がした。黒く重い闇に沈んでいくような気がした。術のせいだと解っていても、不快な思いを捨てる事が出来なかった。(術は・・好かぬ。いつも、吐き気がする。ずっと胸がむかつき、そして焼けるようになる)鵲は再び笑った。(こんな事も、父上はご存じない。知ろうともしないだろう・・な)鵲の意識は、闇に飲まれた。(つづく)
2010/11/01
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