Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年08月06日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-493
 定理一九 神を愛する者は、神が自分を愛し返すように努めることができない。     (*ゲーテ)
 証明 もし人間がこのことに努めるとしたら、彼は(この部第五部の定理一七の系 神は本来的な意味では何びとをも愛さずまた何びとをも憎まない。なぜなら、神はいかなる喜びあるいは悲しみの感情にも動かされず、したがって神は何びとをも愛さずまた何びとをも憎まないのである。により)自分の愛する神が神でないことを欲することになるであろう。したがってまた彼は(第三部定理一九 自分の愛するものが破壊されることを表象する人は悲しみを感ずるであろう。これに反して自分の愛するものが維持されることを表象する人は喜びを感ずるであろう。により)悲しみを感ずることを欲することになるであろう。これは(第三部定理二八 ある人がその愛するものを憎み始めてついに愛がまったく消滅するに至る場合、彼は、それを全然愛していなかった場合よりも、もしその憎む原因が両方の場合相等しいとしたら、より大なる憎しみに捉われるであろう。そしてこの憎しみは以前の愛がより大であったに従ってそれだけ大であるであろう。により)不条理である。ゆえに神を愛する者は云々。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 記:報償論 スピノザにおいては神が人間精神感情やその行為に干渉するのは、人格性を付与された「神格」だと解き、絶対的存在はそれらとは相違し、一切の受動は無く「能動」のみの存在であり人間の精神感情や行為からの影響からは隔絶されています。然し乍ら、人間が神の存在を認識「直感知」すれば、そこには随喜が生じるものであり、インド大陸の正覚者「仏陀」の悟り、一切の煩悩(ぼんのう)から解脱した、不生不滅の高い仏教の究極的な実践目的の境地「生前涅槃(随喜)」を連想させます。



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最終更新日  2022年08月06日 06時02分07秒
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