Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2022年08月15日
XML
カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-501
 記:スピノザの紐解く「もの」の認識とは、個物としての物の認識のみならず、その形質が人間の精神感情に齎す身体的変状、その内部認識の連関からくる観相の変遷が「実体としての有」を捉え得る道であり、その段階が第一種の認識・第二種の認識・第三種の認識であると説きます。此れを勘ぐるならば、其の経緯は仏教哲学、なかでも大乗仏教の「縁起」を思い起こされます。然し乍ら、其の方法論はかけ離れたものであるようにもとれます。西洋哲学は「我」を中心に物事の本質に精神を究明するのに対して、インド・アーリヤ民族を中心としたインド哲学では「我」を離れたところに「無我」物事の本質があるとします。スピノザの目指したものは「直感知」であり、大乗哲学の目指したものは「正覚」だということです。  (インド仏教中観学派・大乗哲学の祖 「龍樹/梵語名Nāgārjuna/Nagarjuna 」《竜樹菩薩》)
 定理二六 精神は、物を第三種の認識において認識することにより多く適するに従って、まさにこの種の認識において物を認識することをそれだけ多く欲する。
 証明 明白である。なぜなら我々は、精神をこの種の認識において物を認識するのに適すると考える限り、その精神をまさにこの種の認識において物を認識するように決定されていると考えているのである。したがって(感情の定義一 欲望とは、人間の本質が、与えられたそのおのおのの変状によってあることをなすように決定されると考えられる限りにおいて、人間の本質そのものである。により)精神はこのことにより多く適するに従ってそれだけ多くこのことを欲する。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。



哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022年08月15日 06時10分05秒
コメント(0) | コメントを書く
[絶対存在論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: