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Apr 19, 2017
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先ほどニューヨークタイムズが報じたアランの死亡記事で、死因は心臓発作と報じられました。ロンドンの会長によると娘のルイーズさんが昼食に出て自宅へ戻るとすでに亡くなっていたそうです。以前より心臓病を患っているというニュースが伝えられておりましたが、その悪化が彼の命を奪ったわけですね。

遺族によるアランの葬儀費用を捻出する為のクラウドファンディングは現時点で10万ドルを超えました。おそらく十分にアランの葬儀は賄えるようになったと思います。今後我々ファンは彼のベスト盤などを手にすることでご遺族のサポートができると思います。

アランの在りし日の姿を振り返ります
アランの訃報を伝えた米紙が意外な事実を記事で報じました。彼の実の父親は実は判らないのだそうで(※2018年11月16日追記、その後両親の名の出てる記事では判明しました。アランは母ヴェラ・ホールズワースと父ジョシュア・ホリンズの間に生まれた息子だったそうです。)、SamおじいさんとElsieおばあさんによって育てられたのだそうです。彼の紹介記事ではよく父親がジャズピアニストでと書かれてきましたが、それは実の父ではなく、親代わりだったおじいさんを指したことだったようです。おじいさんもまた労働者でその生活は貧しいものだったそうです。ジャズピアニストというのもセミプロ活動だった可能性が高いです。(右側でおもちゃのサックスを吹くのがアラン)


時代はまだビートルズが大人気だった60年代前期、17歳からギターを本格的に始めたアランはいくつかのローカルバンドで演奏を開始します。ルックスが良く地元ではアイドル人気も得ていたようです。(※2018・11・22追記:その後の見つけたいくつかのインタビューで、14歳の時ギターをプレゼントされたの事)
この画像、オカッパに近い髪型からして1966-67年あたりだろうか?


レコードデビューバンドのイギンボトム


70年代初頭のソウルバンド「グレン・サウス・バンド」時代。昼間工場に勤めながら。夜は仲間とバンド活動をしてたようです。イギンボトム時代からの仲間の話ではこのバンドは7カ月演奏していたそうです。(うちアランが参加したのは三か月ほどの模様)


翌72年には60年代末英国北部での演奏家ユニオンツアーで同じステージに立ったサキソフォン/フルート奏者レイ・ウォーリーから連絡が入り「まだ演奏しているのかい?」と尋ねられています。工場勤めしながら演奏していたアランをロンドンへ呼び寄せたのも実はレイだったようです。72年春からはレイの家に居候し、彼からおこずかいをもらい、ロンドンのミュージシャンのたまり場で多くのミュージシャンに紹介されていたそうです。その過程でジェイミー・ミューアらとサンシップを組んだり、レイとその仲間たちパット・スマイスと演奏したり、イアン・カー名義のアルバム、ベラドンナのセッションへ参加。



テンペスト時代1973年、この時点ではまだトレモロアームを使用してなかったアラン。このバンドを抜ける直前、新加入したオリー・ハルソールと共演し、その変態ギタープレイに影響を受けたのでしょう。


アランは多くのバンド遍歴を重ねましたが、それは彼が気まぐれだったからというよりも彼のあふれんばかりの才能から、様々なバンドからの引き合いが絶え間なくあったことの裏返しでもあったと思います。実際、彼の70年代のギグ記録を記載したサイトでは常に複数のバンドを掛け持ちしていたことが読み取れました。彼が短期間だけとはいえ一つのバンドにだけ契約で縛られていたのは、UK在籍の頃だけだったようです。

ソフトマシーン1974-75

ソフトマシンに在籍してた頃もいくつものセッションへと参加してます。トニー・ウィリアムスやジャック・ブルースとの共演。

近年公開されたパット・スマイスとの1974年コラボ映像


ライフタイム在籍時。このバンドで二枚のアルバムと初ソロ作を制作しツアーも行いましたが、バンドを抜けた時、英国への帰国費用の為、マネージャによってアラン愛用の白のSGが売り飛ばされてしまったそうです。


GONG


BILL BRUFORDソロアルバム セッション


UK



BRUFORD


ジョン・アンダーソンやジャック・ブルースらとのオールスターバンド





1994年、キアヌ・リーヴスの大ヒット映画「スピード」のサントラにアランが参加してた件について。セッションには参加したが、実際映画を鑑賞したアランには自分の音は聞こえなかったそうです。どうりてサントラいくら聞いてもわからないはずです。一応参加はしたから映画のエンドロールやサントラ盤にアラン・ホールズワースの名が残されてるようですが、彼のソロを期待して映画を見たりCD聞いても彼のプレイは聞けないようです。

映画でのクレジットでLが一個足りてないのはご愛嬌という事でw

※2018年2月13日追記:アランがギターを始めてからの使用ギターが語られたインタビューから。
61年頃最初は何か判らんフラットトップ→カール・ヘフナー・プレジデント→ハンク・マービンに憧れてストラトキャスターを半年→それを売ってギブソンSGをほぼ10年間。
(2019年6月15日追記◆最初のSGは赤、イギンボトム解散後に売却し、ヴァイオリンとカールヘフナーのColoramaを購入するも全く使い物にならず。白いSGカスタムに買いなおしたそうです。テンペスト時代に一部写真にあるES-335はヴォーカルのポール・ウィリアムス所有。アランはこれを弾いて気に入り、そのままレコーディングに使用したそうで、その後のソフトマシーン参加時にもレコーディングでSGカスタムとともに使用されたのだとか。)






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Last updated  Jun 15, 2019 11:59:56 PM
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誓願2006 @ Re:ELP写真集10月末発売!(08/01) 情報ありがとうございます。 おかげさまで…
chop100 @ Re:先週土曜日に退院できましたので(05/13) 誓願2006 さん ありがとうございます。 ま…
誓願2006 @ Re:先週土曜日に退院できましたので(05/13) ご無沙汰いたしております。 退院なさって…
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Midge大佐 @ Re:150万アクセスありがとうございます♪(01/23) おめでとうございます! これからも楽しみ…
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chop100 @ Re[1]:プログレ女子4コマ その205(04/02) Midge大佐さんへ うちも家宝ですw

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