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★プ-ポ (vm) Pupo 本名エンツォ・ギナッツィ(Enzo Ghinazzi) 1955年9月11日フィレンツェの南東20kmにある山間の小さな町ポンティチーノ(Ponticino)生。自作自演歌手、作詞家、作曲家、テレビ司会者。 活動期間:1975年 – 現在 所属レコード会社:Baby Records, CGD, Discomagic Records, Ariola Records, Pull, Jolly e Universal Music Group サンレモ音楽祭出場6回:1980年第3位、83年26位、84年4位、92年参加曲(本名エンツォ・ギナッツィとして)、2009年10位、2010年第2位、 サンレモ音楽祭出品8曲:1980年第3位、81年5位、6位、83年26位、参加曲、92年参加曲、2009年10位、2010年第2位 公式サイト:http://www.pupo.tv/ 父のフィオレッロ(Fiorello)は郵便配達人、母のイレーネ・ボッツィ(Irene Bozzi)は主婦でした。祖父サンティ・ギナッツィ(Santi Ghinazzi)は詩人(Il Poeta)とあだ名され、両親は地元合唱団で指導をする家庭に育ちました。 彼は1970年、将来(4年後)結婚する少女アンナ(Anna)と出会っています。結婚後、オルヴィエート(Orvieto)で兵役に就くため学校を中退し、その頃25才の若さで癌で亡くなった母親の叔母クララに捧げる最初の曲“Primavera,”を書いています。この曲は公開されることはありませんでした。 エンツォがプロ歌手になる経緯は良く判りませんが、74年エジプト系イタリア人フェデリコ・ナッジャール(Federico Naggiar)がミラノで設立したベビー・レコーズ (Baby Records)と契約しました。 ナッジャールはバブルガム・サウンド後の新しい音楽を作るという望みと、他社で埋もれた才能を見つける嗅覚、外国生まれの歌手、イタリア人に外人風の芸名を付け英語で歌わせる商才が備わっていました。こしてベビーは新感覚の音楽で民族系レコード会社の新興メジャー・レーベルとして94年まで活動を続けます。 ナッジャールは新興会社のエンツォを芸名プーポ(Pupo)と名付けた自作自演歌手としました。プーポとは俗語で男の子の赤ちゃんのことです。関西弁で言うと『ぼんぼん(坊ちゃん)』でしょうか?確かにで顔もベーブ顔です。 ベビー・レコーズの新人男性歌手に『プーポ』と名付けたのは並々ならぬ思いが込められていたとも考えられます。 母親からも芸名について何か言われたようで、途中で改名しようかと思ったようですが、ビッグ・ネームになってしまいました。 75年に出したプーポのデビュー曲は彼自身とジュゼッペ・ティンティ(Giuseppe Tinti)が作った“Ti Scriverò”で、翌年週間ランキング48位(在位2週)のマイナー・ヒットででしたが、着実に実績を作りました。 BR-0012 (1975年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Ti Scriverò/La Compagnia BR-0012 翌76年に第2作、アンジェロ・ラ・ビオンダと作った“Come Sei Bella”を出しました。76年週間ランキング41位(在位9週)とデビュー曲を上回る成績でした。(新人デビュー曲が曲がりなりにもヒットした場合、2作目がデビュー曲より良い成績はなかなか出せないものです) BR-023 (1976年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Come Sei Bella/Ma Cosa È Stato BR-023 LPX-013 (1976年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Pupo – Come Sei Bella RB-238 (1979年 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) Pupo – Dolcemente LSM-1099 (1984年 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) Pupo – Ti Scrivero' 1.Come Sei Bella 2.Ma Cosa E' Stato 3.Io 4.La Compagnia 5.La Nostra Avventura 6.Ma Ci Vorremo Bene 7.Ti Scrivero' 8.Noi Adesso 9.Ritornera' L'Estate 10 Dolce Bambina LPX-013 RB-238 LSM-1099 着実に実績を出しているプーポは異例の早さでファースト・アルバム「Pupo – Come Sei Bella」が制作されました。廉価盤シリーズですが、2度リイシューもされています。編曲は“Come Sei Bella”を除き、75年ベビー・レコーズ入社のD.D.サウンド(La Bionda)、ラ・ビオンダ(La Bionda)の弟アンジェロ・ラ・ビオンダ(Angelo La Bionda)が当たっています。なおアンジェは“Come Sei Bella”の曲作りに参加しています。 この頃からベビー・レコーズ所属のパオロ・バラバーニ(Paolo Barabani)など様々なアーティストのために作詞家や作曲家として楽曲の提供を始めました。 シングル盤3作目は77年にラ・ビオンダ兄弟が作った“Io Solo Senza Te”を出しました。77年の週間ランキング35位(在位9週)とどんどん良い実績を残していきます。 BR-036 (1977年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Io Solo Senza Te/Due Bicchieri BR-036 BR-049 BR-049 (1977年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Sempre Tu/Grazie Perchè 同年もう1枚シングル盤、パオロ・バラバーニ作詞作曲の“Sempre Tu”を出します。こちらは翌78年年間ヒット・ランク86位に入る成績を残しました。年間ベスト100に入ったのは初めての経験でした。“Io Solo Senza Te”はプーポとラ・ビオンダ兄弟の共作です。 “チャオ”はデビュー曲“Ti Scriverò”のジュゼッペ・ティンティとダニエレ・パーチェ(Daniele Pace)が作った曲です。翌79年年間ヒット・ランク41位のミドル・ヒットとなりました。 BR-068 (1978年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Ciao 79#41/Gabriella BR-068 BR-083 BR-083 (1979年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Forse/Cercami Ancora 79年のシングル盤はパオロ・バラバーニとダニエレ・パーチェが作った“Forse”でした。この曲は初めての音楽祭、第16回夏のディスク・フェスティヴァル出場曲です。この年6月23日に開催された夏のディスクは順位を付けないガラ・コンサート形式でした。プーポの“Forse”はこの年の年間ヒット・ランク23位になり、大ヒットでした。 この成功で年後半にセカンド・アルバム「Pupo – Gelato Al Cioccolato」が発売され、彼のアルバムは初めて同年年間ベスト・セラー74位になり、アルバム歌手としても認められるようになり、プーポの代表アルバムとみなされます。 LPX- 32 (1979年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Pupo – Gelato Al Cioccolato 74321-87250・2 (2001年 RCA – BMG Ricordi) CD Pupo – Gelato Al Cioccolato [0 74321 87250 2 9] 1.Forse 2.Atomino 3.Gabriella 4.Io Solo Senza Te 5.Ti Ricordi 6.Gelato Al Cioccolato 7.Cercami Ancora 8.Sempre Tu 9.A Volte 10.Ciao LPX- 32 74321-87250・2 新人歌手プーポも5年経ち、順調にヒットが出せるようになったので80年サンレモ音楽祭出場の声がかかります。プーポ自身とパオロ・バラバーニにドナテッラ・ミラーニ(Donatella Milanii)が加わった共作の“恋人たち”は表彰第3位で、80年年間ヒット・ランク19位の大ヒットになりました。 BR-50209 (1980年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Su Di Noi (恋人たち)/Lucia BR-50209 BR-50221 BR-50221 (1980年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Cosa Farai/Firenze S.M. Novella サンレモ音楽祭で好成績を上げた後に出すシングル盤は難しく、多くの歌手は次のヒットを出すことが出来ず失敗してしまいます。この曲“Cosa Farai”は80年ヴェネチア国際音楽祭金のゴンドラで優勝し、年間ヒット・ランク39位となりました。サンレモ曲を超えるものにはならなかったものの、大ヒットであったことは間違いありません。 “恋人たち”と“Cosa Farai”の入ったサード・アルバム「Pupo – Più Di Prima」が制作され、このアルバムも80年年間ベスト・セラー23位になり、カンタウトゥーリのとして確固たる地位を築きました。 BR-56010 (1980年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Pupo – Più Di Prima 74321-89027・2 (2001年 RCA – BMG Ricordi) CD Pupo – Più Di Prima [0 74321 89027 2 7] 1.Cosa Farai 2.Più Di Prima 3.Su Di Noi (恋人たち) 4.Piccola Tu 5.Un Nuovo Giorno 6.Bravo 7.Firenze S.M. Novella 8.S.Francisco 9.Innamorata 10.Lucia BR-56010 74321-89027・2 81年サンレモ音楽祭にプーポは出場しませんが、2歌手に楽曲を提供しました。1曲目は 80年早々にフォニット・チェトラから移籍してきたリッキとポーヴェリ(Ricchi e Poveri)に“愛の理由(Sarà Perchè Ti Amo)”を、また同僚でありプーポへも多くの楽曲を提供しているパオロ・バラバーニには“ホップ・ホップ・ソマレッロ(Hop Hop somarello)”を提供しています。 彼とダニエレ・パーチェ、ダリオ・ファリーナ(Dario Farina)の3人共作した“愛の理由”は5位入賞し、81年年間ヒット・ランク6位のメガ・ヒットになりました。 BR-50232 (1981年2月 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Sarà Perchè Ti Amo (愛の理由)/Bello LAmore [リッキとポーヴェリ] BR-50232 “ホップ・ホップ・ソマレッロ”も彼とバラバーニ自身、ジャン・ピエール・レヴェルベッリ(Gian Piero Reverberi)の3人共作で6位入賞し、同71位になる成功でした。 BR-50228 (1981年2月 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Hop Hop Somarello (ホップ・ホップ・ソマレッロ)/Balliamo Vuoi [パオロ・バラバーニ] BR-50228 前年優勝したヴェネチア国際音楽祭に“Lo Devo Solo A Te”で出場しましたが、前年のような成績は残せませんでした。 BR-50251 (1981年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Lo Devo Solo A Te/Lidia A Mosca BR-50251 BR-56026 BR-56026 (1981年 Baby – CGD Messaggerie Musicali) Pupo – Lo Devo Solo A Te 1.Lo Devo Solo A Te 2.Perchè È Così 3.Chissà Se Domani 4.Nashville 5.Volano 6.Non Mi Arrendevo Mai 7.La Storia Di Noi Due 8.Lidia A Mosca 9.Burattino Telecomandato 10.Ti Sembra Facile 前出の“Lo Devo Solo A Te”、ナッシュヴィルの街に捧げた曲“Nashville”と共に“Non Mi Arrendevo Mai”、” Burattino Telecomandato”は第4作目のアルバム「Lo Devo Solo A Te」に収められ、“Lidia A Mosca”等はソ連(現ロシア)で大ヒットします。アルバムは82年年間ベスト・セラー68位になります。 プーポの国内盤はありません、プーポ 2は1983年サンレモ音楽祭の後に続きます
2020.08.27
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★エンツォ・マレパッソ (vm) Enzo Malepasso 本名ヴィンチェンツォ・マレパッソ(Vincenzo Malepasso)1954年5月31日ナポリ生、2009年4月27日ミラノの南郊外にある小さな町シツィアーノ(Siziano,)没、作詞・作曲家、音楽プロデューサー、歌手。 歌手デビュー当初はポール・キャッシュ(Paul Cash)という英語の芸名を使い、作曲の場合バッド・ステップ(Badstep)というペンネームも使いました。 活動期間:1974年 – 2009年4月 所属レコード会社:Omnia (Nappoleon)、Dig-It、Polydor、Aleph、Durium サンレモ音楽祭出場2回:1980年第2位、81年参加 サンレモ音楽祭出品6曲:自己出場曲、83年14位、84年5位、85年8位、86年10位 経歴からすると歌手生活は10年ほどで作詞・作曲家、プロデューサーの経歴が圧倒的に長いものでした。 ナポリの音楽高校で対位法と作曲法の課程を卒業し、20代前半から他の歌手のために曲を書き始めました。 1974年、マルチェロス・フェリアル(Los Marcellos Ferial)ののリーダー、マルチェロ・ミネルビ(Marcello Minerbi)が興したナポレオン(Nappoleon)という小さなレコード会社のサブレーベル、オミニアからポール・キャッシュ(Paul Cash)の芸名で両面英語で歌い、レコード・デビューしています。 ONP-9005 (1974年 Omnia (Nappoleon) - Durium) Together/Happy fool (come Paul Cash) ONP-9005 DG-1134 DG-1134 (1976年 Dig-It – CGD Messaggerie Musicali) 15 Anni/Lo Spazzolino [ヴィンチ・ディ・カーザ(I Vicini Di Casa)] 鳴かず飛ばずの状態だったと思われますが、再びマレパッソの名前が出るのは作曲家としてでした。76年メロディー・ポップ・バンドのヴィンチ・ッディ・カーザがディグ・イット(Dig-It)からのシングル・デビュー曲をクラウディオ・ダイアノ(Claudio Daiano)の詞に作曲しました。この曲が76年年間ヒット・ランク81位に入る彼らにとって大成功となります。 どういう経緯か判りませんが79年ポリドールから“Mannaggia”をエンツォ・マレパッソの芸名で再デビューし、アルバム「Agrodolce」も制作されました。 2060-188 (1979年 Polydor – Polygram Dischi) Mannaggia/Andiamo Al Cinema 2060-188 2448-090 2448-090 (1979年 Polydor – Polygram Dischi) Agrodolce 1.Buon Divertimento 2.Volgarità 3.Un Argomento In Più 4.Il Tempo Di Un Panino 5.Fra La Ragione E La Pazzia 6.Mannaggia 7.Caldo 8.Andiamo Al Cinema 9.Tira A Campà 10.Carta D'Identità 翌80年サンレモ音楽祭に“君は元気かい”で初出場し表彰第2位となります。80年の年間ヒット・ランク72位に入る成功を収めました。歌手として短い活動でしたが一瞬の輝きを見せます。 2060-218 (1980年 Polydor – Polygram Dischi) Ti Voglio Bene (君は元気かい)/Considerando Che... 2060-218 2448-108 2448-108 (1980年 Polydor – Polygram Dischi) Enzo Malepasso – Ti Voglio Bene 1.Ti Voglio Bene (君は元気かい) 2.Il Tempo Di Un Panino 3.Andiamo Al Cinema 4. Mannaggia 5.Un Argomento In Più 6.Caldo 7.Considerando Che... 8.Volgarita 9.Tira A Campà 10.Carta D'Identità サンレモの余勢を借り80年2枚目のシングル“Resto Con Te”を出しましたが、満足な成果は得られません。 2060-232 (1980年 Polydor – Polygram Dischi) Resto Con Te/Biografia Di Un Amore 2060-232 前年実績のお陰で翌81年サンレモ音楽祭に“Amore Mio”で連続出場しましたが、ニ匹のドジョウはいず、入賞すらできませんでした。 2060-240 (1981年 Polydor – Polygram Dischi) Amore Mio/Senso Vietato 2060-240 82年CGD傘下のアレフ(Aleph)で“Canzoni Nuove”を出しています。 AH-28003 (1982年 Aleph – CGD Messaggerie Musicali) Canzoni Nuove/Ultima Cena AH-28003 Ld・Al-8190 Ld・Al-8190 (1984年 Durium - Durium) È Bello Dire Anche Ti Amo/Parliamo (con Fiordaliso) 81年に仕事仲間の作詞家デスパ(Depsa)が見出だし、82年サンレモ音楽祭の新人の部でデビューさせたフィオルダリーゾ(Fiordaliso)に84年から楽曲を提供し、プロデュースもしました。 84年サンレモ音楽祭に出場曲“お月さまなんて欲しくない(Non Voglio Mica La Luna)”をルイジ・アルベルテッリ(Luigi Albertelli)の歌詞にズッケロ(Zucchero Fornaciari)と共作、アルベルテッリと共同プロデュースしました。 この曲は(私も80年代のカンツォーネで好きな曲の一つです)84年年間ヒット・ランク34位の大成功で、フィオルダリーゾのみならずマレパッソの代表作となりました。 3枚目のプロデュース曲“È Bello Dire Anche Ti Amo”でフィオルダリーゾとデュエットし、マレパッソの最後のレコードとしました。 これ以降ソング・ライター、プロデューサーの仕事に専念します。フィオルダリーゾとの関係は彼女がドゥリウム在籍した87年まで続きました。 80年代後半、彼はメキシコ、スペイン、オーストラリアで働き、それらの国でも8つのゴールド・ディスク、1つのプラチナ・ディスクを受けました。イタリア国内でも多くの有名歌手に楽曲の提供、プロデュースをします。 87年から96年の間にニーノ・ダンジェロ(Nino D'Angelo)のアルバムを9枚以上制作しています。94年ジジ・ダレッショ(Gigi D'Alessio)の3枚目のアルバムをプロデュースました。 98年ルカ・セーペ(Luca Sepe)をプロデュースし“もう少しだけ(Un Po' Di Te)”でサンレモ音楽祭新人部門3位、最終日7位入賞の好成績を残し、この仕事を最後に引退しました。 2009年ミラノの南郊外のシツィアーノで亡くなりました。 エンツォ・マレパッソの国内盤はありません、エンツォ・マレパッソは以上です。 ★ブルーノ・ダンドレア (vm) Bruno D'Andrea 本名ブルーノ・ノリ(Bruno Noli)1950年7月7日ジェノヴァの北40kmにある小都市トルトナ(Tortona)生、歌手。 活動期間:196?年 – 現在 所属レコード会社:Real Music、Fonit Cetra、CBS、12 Inch Stars (Dig It) サンレモ音楽祭出場1回:1980年入賞(16位) 公式ホームページ:http://www.brunodandrea.com/home.html 非常に若い年齢からプロ活動を始め、地方のダンス・ホールで演奏するバンド、ノッタンブリ(I Nottambuli).にギタリストとして雇われました。その後自分のバンド、ブルーノ・ダンドレア・バンッド(Bruno D’Andrea Band)を結成し音楽活動をしていました。 やがて作詞家でプロデューサーのルイジ・アルベルテッリ(Luigi Albertelli)と作曲家ヴィンッチェ・テンペラ(Vince Tempera)に見出され、歌手のドゥルピ(Drupi)、ルイジ・アルベルテッリと作・編曲家エンリコ・リッカルディ(Enrico Riccardi)の3人で設立したレコード会社レアル・ミュージック(Real Music)と契約することが出来ました。 REAN-14010 (1976年 Real Music – Dischi Ricordi) Siamo Noi/Che Pazzo Son Io REAN-14010 REAN-14016 REAN-14016 (1977年 Real Music – Dischi Ricordi) Ti Parlerò D'Amor (愛を語らん)/Bella Così レアルから戦前カフェ・シャンタン時代のレビューから戦後まで活躍したワンダ・オシリス(Wanda Osiris)の“愛を語らん(Ti Parlerò D'Amor)”や“Siamo Noi”、“Bella Così”などをシングル盤で発売しました。ブルーノ・ダンドレアは経歴に明記されていませんが、カサデイ(Casadei)のようなリショ楽団に近い存在だったと思います。 79年ルイジ・アルベルテッリは前年秋アメリカでTV放送が始まったロビン・ウェイrムス(Robin Williams)主演のホーム・コメディ「Mork & Mindy」をイタリアでも放映するに当たり、主題歌をブルーノ・ダンドレアに歌わすことにしました。しかしレコード会社レアルの経営が思わしくなく、彼をフォニット・チェトラに移籍させ3枚目のシングル盤を出しました。 SP-1715 (1979年 Fonit Cetra - Fonit Cetra) Mork & Mindy /Na-No Na-No SP-1715 SP-1723 SP-1723 (1980年 Fonit Cetra - Fonit Cetra) Mara (マーラ)/Replay TVホーム・コメディ番組のテーマ・ソングが成功し80年サンレモ音楽祭出場が決まりました。初出場で幸運にも入賞(実質20曲中18位)することが出来ました。 サンレモ音楽祭出場曲の後の仕事もTV番組のテーマ・ソングでした。RAI-1の子供向け番組「3, 2, 1... contatto!」の“Ty Uan”で歌手名もリ・アトミ(Gli Atomi)を使います。 SP-1726 (1980年 Fonit Cetra - Fonit Cetra) Ty Uan/Ty Uan (strumentale) (con lo pseudonimo Gli Atomi) SP-1726 A-1754(CBS) A-1754(CBS) (1981年10月 CBS – CBS Dischi) Stellina Love Song [:Vincenzo Tempera]/ Marmellata Albicoque [Bruno D'Andrea Vincenzo Tempera] Colonna Sonora Originale Del Film "Il Turno" Di Tonino Cervi 81年トニーノ・チェルヴィ(Tonino Cervi)監督で音楽がヴィンチェンツォ・テンペラのコメディ映画「Il Turn」の挿入歌“Marmellata Albicoque”を歌い、オリジナル・サウンドトラック盤としてCBSから発売されました。 レコード歌手としてのブルーノ・ダンドレアの経歴はここで一旦終わります。ダンドレアは元のダンス・バンドに戻り、87年国際的で標準的なリショのダンス楽団に編成し直しています。 95年第1回国際ダンス音楽フェスティヴァルに出場し、96年の決勝戦にコラッド・カステラーニ(Corrado Castellari.)と共作した“Set’Acchiappo”で優勝しました。 97年クラウディオ・バリオーニ(Claudio Baglioni)とファビオ・ファツィオ(Fabio Fazio)が司会するRAI-3のヴァラエティー番組「アニマミア(Animamia)」に出演し、ヨヴァノッテ(Jovanotti).と彼のヒット曲“Na-No Na-No”を歌いました。 そういうこともあってかディグ・イットのマキシ・シングル・レーベル、12インチ・スターからB片面ですが“Na-No Na-Noが出ました。 TIX-061 (1997年 12 Inch Stars – Dig It International) 12” Maxi Ufo Robot [Actarus]/ Na-No Na-No [Bruno D'Andrea] TIX-061 彼は現役リショ楽団としてダンス・ホールに出演し、演奏活動を続けています。 ブルーノ・ダンドレアの国内盤はありません、ブルーノ・ダンドレアは以上です。
2020.08.22
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トト・クトゥーニョは1960年代半ばからバンドで音楽活動を始め、トト&タティ、アルバトロスを経てソロ歌手になりました。その頃の話は私の下記の過去ブログにあります。先にそちらから読んでいただいた方が経歴は分かりやすいと思います。 ・サンレモの歌手たち 532 アルバトロス 1 (トト&タティ、 トト・クトゥーニョ 1) ・サンレモの歌手たち 546 アルバトロス 2 (トト・クトゥーニョ 2) (ご参考)★アルバトロス(compl) Albatros 1974年トト・クトゥーニョによって結成されたバンド、78年に解散した。 活動期間:1974-1978 所属レコード会社:Carosello サンレモ音楽祭出場2回:1976年第3位、77年参加 ★トト・クトゥーニョ (vm) Toto Cutugno 本名サルヴァトーレ・クトゥーニョ (Salvatore Cutugno)1943年7月7日ジェノヴァとボローニャの中間にある山中の寒村テンドラ(Tendola) 生、自作自演歌手、バンド・リーダー、作曲家、作詞家、テレビ司会者。 CI-20483 活動期間:1964年?-現在 所属レコード会社:Interrecord, Carosello, Baby Records, EMI Italiana, Universal, NAR サンレモ音楽祭出場16回:1976年第3位、77年参加(76、77年はアルバトロスとして)、80年優勝、83年5位、84年第2位、85年第2位、86年4位、87年第2位、88年第2位、89年第2位、90年第2位、95年17位、97年17位、2005年第2位(アンナリーサ・ミネッティ(Annalisa Minetti)とデュエット、クラシック部門優勝)、08年4位、10年参加、 サンレモ音楽祭出品28曲:自身出場曲16曲と1970年参加(Ahi! Che Male Che Mi Fai)、87年4位(Io Amo)、同5位(Il sognatore)、同7位(Canzone d'amore )、88年8位(Per noi)、同13位(Io (Per le strade di quartiere))、89年6位(Se non avessi te)、同23位(La fine del mondo)、90年11位(Io vorrei)、92年参加(Così lontani)、94年17位(Se mi ami...)、95年16位(Voglio una donna)の12曲 公式サイト:http://www.totocutugno.it/ 1978年トト・クトゥーニョは74年に結成したアルバトロスを解散しソロ歌手として活動を始めました。78年にTV主題歌のシングル盤を1枚出し、アルバトロス時代フランスで大変な人気を得たので、フランス限定でディスコ調の曲“Fly”をリリースしています。翌79年ソロのファースト・アルバム「Voglio L'Anima」とアルバム・テーマ曲“Voglio L'Anima”シングル・カットしました。 これまでの経過は『サンレモの歌手たち 546 アルバトロス 2 (トト・クトゥーニョ 2) 』をご参照ください。クトゥーニョは歌手として余り活動してなかったよう見えますが、もう一つの仕事であるライターとして働いていたようです。 こちらの話は80年サンレモ音楽祭で優勝してから、次の83年サンレモ音楽祭に出場するまでを紹介してから、後でまとめてご紹介しましょう。 彼は曲作りに重点を置いて音楽活動をしていたおかげか、この年のサンレモ音楽祭に目立った出場曲が無かったのが幸いしたか、見事に“ソロ・ノイ”は優勝しました。これまで16度サンレモ音楽祭に出場し、6度第2位になるものの優勝は80年の1回だけりです。“ソロ・ノイ”は80年年間ヒット・ランク18位の大成功収めました。 CI-20483 (1980年 Carosello - Dischi Ricordi) Solo Noi (ソロ・ノイ)/Liberi ※ジャケット写真は顔写真画像をご参照 サンレモ優勝で79年に発売したソロ・ファースト・アルバム「Voglio L'Anima」に“ソロ・ノイ”が追加された80年ヴァージョンが出ました。80年以降レコードの発売が少なくたってから、直近の既発アルバムにサンレモ曲を追加することが多くなってきます。 CLN-25082 (1979年 Carosello - Dischi Ricordi) Voglio L'Anima CLN-25082 (1980年 Carosello - Dischi Ricordi) Voglio L'Anima [*] ORL-8478 (198?年 Orizzonte – Dischi Ricordi) Voglio L'Anima [*] *1.Solo Noi (ソロ・ノイ) 1*2.Voglio L'Anima 2*3.Ma... 3*4.Una Serata Come Tante 4*5.'Na Parola 5*6.Aeroporto Kennedy 6*7.Amore No 7*8.Soli 8*9.Liberi 9*10.Se Vai Via 10*11.Donna Donna Mia CLN-25082 ORL-8478 サンレモ優勝曲の後に出した80年2枚目のシングル“Innamorat”も同年年間ヒット・ランク68位となりククトゥーニョ最良の年となりました。 CI-20487 (1980年 Carosello - Dischi Ricordi) Innamorati/Aiò Aiò Polinesia CI-20487 CI-20489 CI-20489 (1980年 Carosello - Dischi Ricordi) Flash 81#68/Francesca Non Sa (僕のフランチェスカ) 80年年末に近い時期に出したシングル盤“Flash”も翌81年の年間ヒット・ランク68位になっています。B面の“僕のフランチェスカ”は80年11月に開催された第11回ヤマハ世界歌謡祭の入賞曲です。国内盤でトト・クトゥーニョが初めて出た曲でもあります。 これまでの成績でソロ・セカンド・アルバム「Innamorata, Innamorato, Innamorati」が制作されています。 CLN-25087 (1981年 Carosello – Dischi Ricordi) Innamorata, Innamorato, Innamorati ORL-8649 (19?年 Orizzonte – Dischi Ricordi) Innamorata, Innamorato, Innamorati SLP-3078 (19?年 Carosello) Innamorata, Innamorato, Innamorati 1.Francesca Non Sa (僕のフランチェスカ) 2. Mi Dici Che Stai Bene Con Me 3.Tu Sei Mia 4.Cieli Azzurri 5.Flash 6.Il Cielo È Sempre Un Pò Più Blu 7.È Un Anno Che Tu Butti Via 8.Donna 9.E.. .Io Ti Amavo 10.Innamorati CLN-25087 ORL-8649 SLP-3078 81年後半に出したシングル“La Mia Musica”は年間ベスト100に入りませんでしたが、81年の週間ランキングでは最高位31位(在位7週間)の成績を残しました。翌82年“La Mia Musica”をアルバム・テーマに同名のサード・アルバムがリリースされています。 CI-20503 (1981年 Carosello - Dischi Ricordi) La Mia Musica 81#31-7/Punto E Virgola CI-20503 CLN-25093 (1982年 Carosello – Dischi Ricordi) Toto Cutugno - La Mia Musica ORL-8856 (1987年 Orizzonte – Dischi Ricordi) Toto Cutugno - La Mia Musica 1.La Mia Musica 2.L'Estate Vola Via 3.Maledetto Sogno 4.Mi Va 5.America 6. Con Te 7.Punto E Virgola 8.Da Poco Tempo Che 9.Sinfonia 10.La Mia Musica CLN-25093 ORL-8856 こうして83年ソロ歌手として2度目のサンレモ音楽祭に出場し、“イタリアーノ(L'Italiano)”を歌います。 さて最初にお約束した通りソング・ライターとしてのトト・クトゥーニョを振返ってみましょう。 通常曲作りには本名のサルヴァトーレ・クトゥーニョ (Salvatore Cutugno)を使っています。 最初の彼の名前が出てくるのは70年サンレモ音楽祭に参加曲“夜の足音“からです。クリスティアーノ・ミネッローノ(Cristiano Minellono)に詞に作曲しました。 BF-69042 (1970年3月 Clan Celentano - CBS Sugar) Ahi Che Male Che Mi Fai (夜の足音)/L'Oroscopo [グルック通りの若者 (I Ragazzi della via Gluck),] BF-69042 JT-4018 JT-4018 (1970年 Jet - Ariston) Ahi! Che male che mi fai (夜の足音)/Iosenza te (君なしでは) [パオロ・メンゴリ (Paolo Mengoli)] 彼が他の歌手へ盛んに楽曲を提供するのはアルバトロスを解散する前年77年頃からです。 77年にジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)に“ウェスタン”をマルチェラ(Marcella)に“ユー・アンド・ミー”を提供し、国内盤でも出ています。 GP- 519 (1978年2月SEVEN SEAS – KING, Japan) 街角のシレーヌ (SE'RE'NADE POUR DEUX AMOURS) 11.ウェスタン (WESTERN) GP- 519 GP- 520 GP- 520 (1977年12月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP恋するフェミーナ/マルチェラ(FEMMINA/MARCELLA) 7.ユー・アンド・ミー (AL DI LA' DELL'EMOZIONE) (You And Me) ダリダ(Dalida)にも2曲提供したのが国内盤で確認できます。 GP- 493 (1977年9月SEVEN SEAS – キング) 30cmLP愛の物語/ダリダ (COMME SI TU REVENAIS D'UN LONG VOYAGE) 2.夜は女の匂い (FEMME EST LA NUIT) 3.鍵 (LES CLEFS DE L'AMOUR) GP- 493 GP- 658 GP- 658 (1979年3月SEVEN SEAS – キング) 30cmLP 愛のヴァイオリン/ドメニコ・モドゥ-ニョ (IL MAESTRO DI VIOLINO/DOMENICO MODUGNO) 7.愛の裏側 (DIETRO L'AMORE) 同年同じレコード会社でもあったドメニコ・モドゥ-ニョにも“愛の裏側”を提供しています。更に系列のディスコ・ミュージック・レーベルにいるモモ・ヤング(Momo Yang)、国内盤でも出していますが、に提供した“Ciao Svedesina “は80年石川ひとみが” 恋のディスコ“という邦題で日本語カヴァー出しました。 C25A- 0078-N (1980年2月NAV – キャニオン) 30cmLP ひとみ.../石川ひとみ (HITOMI/HITOMI ISHIKAWA) 9.恋のディスコ (CIAO SVEDESINA [J] C25A- 0078-N K28P- 4 K28P- 4 (1980年SEVEN SEAS – キング) 30cmLPマンデー・チューズデー/ダリダ(MONDAY TUESDAY/DALIDA) 6.マンデー・チューズデー (MONDAY TUESDAY......LAISSEZ MOI DANSER) 79年にダリダはトト・クトゥーニョの作った“マンデー・チューズデー”も歌っています。 日本では発売されていませんが、多くの仕事をアドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)としています。 CLN-20150 (1979年3月 Clan Celentano – CGD Messaggerie Musicali) Adriano Celentano – Soli 1.Soli 5.Amore No 6. Non È CLN-20150 CLN-20201 CLN-20201 (1980年 Clan Celentano – CGD Messaggerie Musicali) Adriano Celentano – Un Po' Artista Un Po' No 1.Un Po' Artista Un Po' No 2.L'Orologio 3.Manifesto 4.Il Tempo Se Ne Va 5.Una Parola Non Ci Scappa Mai 6.Non Se Ne Parla Nemmeno 7.Se Non È Amore 8.Spettabile Signore チェレンターノの80年のアルバム「Un Po' Artista Un Po' No」は全曲トト・クトゥーニョが作った曲でした。 80年リッキとポーヴェリのアルバム「La Stagione Dell'Amore」に3曲提供、90年にもう一度コラボします。 BR-56009 (1980年 Baby Records – CGD Messaggerie Musicali) Ricchi E Poveri – La Stagione Dell'Amore 1.E No, E No 3. Jungle Beat 7.Goodbye My Love BR-56009 他にも日本で余り知られていない歌手にも曲を提供していますが、省略いたしました。 トト・クトゥーニョの国内盤 YL-8011 (1980年YAMAHA –ヤマハ) 30cm第11回世界歌謡祭実況アルバム (WORLD POPULAR SONG FESTIVAL IN TOKYO '80) 10.僕のフランチェスカ <L> (FRANCESCA NON SA <L>) YL-8011 トト・クトゥーニョ 4は1983年サンレモ音楽祭の後に続きます
2020.08.17
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第30回は非常に新人歌手が多く出場した年でした。30歌手の内複数回の出場となるのが5歌手、外人歌手が4(いずれも初出場)歌手とのこりが初出場のイタリア人歌手21としたいところっですが、そう簡単な話になりません。アルド・ドナッティとアルベルト・ケリが78年スコラ・カントルム(Schola Cantorum)のメンバーとして78年サンレモの舞台に立っていますし、リンダ・リーはダニエル・センタクルス・アンサンブル(Daniel Sentacruz Ensemble)の女性ヴォーカルとして76年、78年に出場しています。 メラ・ロ・チチェロ (SIF) ボッテガ・デッラルテ (EMI) プーポ (Baby) さらに優勝歌手トト・クトゥーニョは77年と78年アルバトロス(Albatros)に出て、アルバトロス解散後ソロ歌手として80年に優勝した経過です。バンドやグループのメンバーがソロ歌手として、また違うバンドのメンバーとなって出場することが頻繁に起きてきます。また出場経験歌手歌手が全てビッグ扱いになるかと言うと76年に出場したアルモニュウムのようにカテゴリーAになったバンドもあります。 第30回 1980年2月7日(木)~9日(土) サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo) 司会:クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、ロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、オリンピア・カリージ(Olimpia Carlisi) オーガナイザー:プブリスペイ(Publispei) 社[オーナーはジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)] 芸術監督:ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera) 芸術助監督:ジャンニ・ナーソ(Gianni Naso) [数]は外人歌手数、1980年の外人の出場は3歌手 ・Dischi Ricordi 8[1] (Ariston 1[0], Carosello 1[0], Cinevox 2[0], SIF 1[0], Lupus 1[0], Yep 1[0], Bronze 1[1]) ・CGD 6 [1] (CGD 1[0];Derby 1[1]), Baby 2[0], Splash 1[0], Ciao 1[0]) ・RCA Italiana 5[0] (RCA 3[0], Una 1[0], Spaghetti 1[0])) ・EMI Italiana 4[1] ・Polygram Dischi 4[1] (Polydor 21[0]);Philips 2[1])) ・Fonit Cetra 1[0] ・Ri Fi 1[0] ・CBS Dischi1[0] (CBS 1[0]) オ-ランド・ジョンソン (EMI) オムレット (Polydor) <参加曲> ◆Amor Mio... Sono Me (Pino Scarpettini - Angelo Piccareta) 出版社 Intersong Italiana - Clou. <A>オムレット (compl) Omelet (Polydor – Polygram Dischi) 2060-217 [45] 2060-217 SC-1143 ◆Angelo Di Seta (Remy Guidè - Claudio Colitti) 出版社 Grandi Firme Della Canzone <A> リンメル (compl) Rimmel (Cinevox - Dischi Ricordi) SC-1143 [45] ◆Dal Metrò A New York (Sandro Giacobbe) 出版社Sugar <A> ヘンリー・フライス (vm=sz) Henry Freis (Derby– CGD) DBR-10253 [45] DBR-10253 SIF-25008 ◆Dammi Le Mani (Franco Chiaravalle) 出版社SIF <A> メラ・ロ・チチェロ (vf) Mela Lo Cicero (SIF – Dischi Ricordi) SIF-25008 [45] ◆...E Pensare Che Una Volta(Sandro Spasiano - Paolo Cassella) 出版社 RCA – Jeans <A> ジャンフランコ・デ・アンジェリス (vm) Gianfranco De Angelis (RCA – RCA Italiana) PB-6417 [45] PB-6417 ZBU- 7181 ◆Non Ti Drogare (Alberto Beltrami) 出版社 IT - RCA <A> アルベルト・ベルトラミ (vm) Alberto Beltrami (UNA – RCA Italiana) ZBU- 7181 [45] ◆Ritagli Di Luce(Luigi Albertelli - Luciano Poltini) 出版社 Belriver <A> ラッテ・エ・ミエーレ (compl) Latte e Miele (EMI – EMI Italiana) 3C・006-18470 [45] 3C・006-18470 BR-50210 ◆Ti Desidero (Clauddio Scotti Galletta - Paolo Barabani - Franco Zulian) 出版社SIAE <A> アルモニュウム (compl) Armonium (Baby – CGD) BR-50210 [45] ◆Tu Che Fai La Moglie (Luca Cola - Enrico Intra - Marinco Rigaldi) 出版社 SIAE <A> ルカ・コ-ラ (vm) Luca Cola (Ri Fi – Ri Fi) RFN・NP-16800 [45] RFN・NP-16800 8278(CBS) ◆(Adelio Coscarella - Aldo .Cogliati - Diego) 出版社 - <A> コスカレッラ と ポリメノ (duo) Coscarella & Polimeno (CBS – CBS Dischi) 8278(CBS) [45] 参加曲を含む出場曲は以上です 日本のプロ・グレ・ファンならボッテガ・デッラルテやラッテ・エ・ミエーレの出場が興味を引くところでしょうが、当時イタリアでは第30回の注目はジャンニ・モランディの出場とその成績だけと言っても過言ではありませんでした。表彰上位3位までに入らず惜しい4位だったのですが、驚きは80年年間ヒット・ランク100位以内に歌った“マリウ”が入らなかったことでした。 音楽祭後のヒットの状況はトト・クトゥーニョの優勝曲“ソロ・ノイ”が80年年間ヒット・ランク18位で順当なところ、第2位エンツォ・マレパッソの“君は元気かい”は同72位、第3位プーポ“恋人たち”が同19位で大成功、注目はエンリコ・ルッジェリ(Enrico Ruggeri)のパンク・バンド、デチベルが同56位で関心を引きました。意外だったのが入賞どん尻20位のペピーノ・ディ・カプリの“君が”が同98位ながらランク・インした事でしょう。 もう一人復帰組で注目されていたのがボビー・ソロ(Bobby Solo)でした。サンレモ音楽祭の成績は入賞(実質10位)でジャンニ・モランディの実質4位には負けていましたが、その後のレコードセールスではモランディが週間ランキングにも入らなかったのですが、ボビー・ソロ8年ぶりのサンレモ音楽祭入賞曲”ジェロシア”は週間ランキング最高位8位(在位18週)の成績を残し『小吉』程度の成功でした。 80年初出場レコード会社の残る紹介はLupusだけですが、外国レーベルのブロンズも簡単に触れておきます。 ルーパス (La Lupus) 正式社名は定冠詞ラ(La)が付くようです。ラテン語でオオカミの意味。作詞家で88年、94年には自分自身がサンレモ音楽祭で歌った歌手のフランコ・カリファーノ(Franco Califano)とディスキ・リコルディのメンバーが1979年ローマで設立したレコード会社です。 作詞家としては特定な作曲家チームを組まず、多くの作曲家と仕事をしており、ルーパスでアルバムを出している作詞・作曲家で歌手もしていたピッポ・フランコと多く仕事をしていません。 ルーパス在籍歌手はステファーノ・ロッソ、ドナテラ・レットーレ(Donatella Rettore)、ジョー・キャレッロ(Jo Chiarello)、ガブリエラ・フェッリ(Gabriella Ferri)、バンドのコラージェ(I Collage)、ディク・ディク(Dik Dik)がいました。 レコード制作は90年頃までしていたようですが、88年にフランコ・カリファーノがサンレモ音楽祭に出場した曲はルーパスからではなく、リコルディから出ています。 イギリスのレコード会社ですが、サンレモ音楽祭では新レーベルなので簡単に紹介しておきます。 ブロンズ (Bronze Records) イギリスのロック・バンド、ユーラリア・ヒープ(Uriah Heep)がヴァルティゴ(Vertigo Records)でレコードを作っていた頃のプロデューサーだったジェリー・ブロン(Gerry Bron)が彼らのために作った独立系レコード会社です。 製造とディストリビューションはアイランド・レコードに委託(日本の国内盤は日本コロムビアから)でした。77年にEMIへ、80年にはポリドールに移動しています。86年財政難に陥りレイ・チャールズのレガシー・レコード(Legacy Records)に売却されました。 アルド・ドナーティ (RCA) フランチェスコ・マーニ (Ariston) ルカ・コ-ラ (Ri Fi) 音楽祭の中継はラジオが3日間通してされましたが、TVは第1夜、第2夜は23時から25分のダイジェスト版の放送のみで、最終夜の模様はユーロヴィジョンの国際中継があるため完全中継がされました。 第30回の司会は予選の2日間クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、オリンピア・カリージ(Olimpia Carlisi)が進行し、フィナーレの最終日をロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、オリンピア・カリージがするという変則的なスタイルでした。 ロベルト・ベニーニと言えば98年日本でもヒットした自ら監督、主演しアカデミー主演男優賞、アカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリなど世界各国の映画賞受賞作「ライフ・イズ・ビューティフル」を思い浮かべますが、このサンレモを司会した頃は27才の暴走型人気コメディアンで、音楽祭の中継が始まるやオリンピア・カリージに30秒間のロング・キッスをしたり、ローマ教皇や政治家いじる危険なジョークを飛ばし、登場する毎に服を脱ぎ、舞台で好き放題暴れまくりました。 ベニーニ自身が『音楽祭を救うための唯一の解決策は、決勝の前に私を解雇することです』と言うぐらいでした。 日本でいえば北野武がビートたけしの名前で人気を博し、毒づいていたのを思い出していただければご理解してもらえるでしょう。 こうして毎年サンレモ音楽祭後、今年の真の成功者が語られるのですが、80年は歌手でなく、司会をしたコメディアンのロベルト・ベニーニに定まったようです。 サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1979年は以上で、次回から参加歌手の紹介が続きます ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。 ・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。 ・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。 ・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2020.08.12
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第30回の方法はジャンニ・ラヴェーラが74年(第24回)に取った方法を踏襲して行われました。 歌手を2カテゴリーに分け、カテゴリーB(Bigの部)のスター歌手10名は予選をすることなく最終日の決勝戦に進め、今までの入賞歌手扱いとなります。 カテゴリーA(Aspiranti=候補者)は第1、2夜で各10歌手が歌い、各5歌手(計10歌手)が決勝戦に進みます。したがって各夜5歌手の計10歌手予選落ち(参加曲)となります。 このアリストン劇場に出場する30歌手を選考するのに、音楽祭開催3週間前の1月17日最終選考に残った40歌手を絞り込む審査が行われました、その審査員は地元リグリアの放送局が選んだ若者が半数、ジャンイ・ラヴェーラが選んだ男性が半数でした。そして最も得票したのがカテゴリーAのフランチェスコ・マーニ(Francesco Magni)で、落選したビッグの歌手にはトニー・ダララ(Tony Dallara)、ミーノ・レイターノ(Mino Reitano)がいました。 エンツォ・マレパッソ (Polydor) ラッテ・エ・ミエーレ (EMI) リンダ・リー (Cinevox) 第30回 1980年2月7日(木)~9日(土) サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo) 司会:クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、ロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、オリンピア・カリージ(Olimpia Carlisi) オーガナイザー:プブリスペイ(Publispei) 社[オーナーはジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)] 芸術監督:ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera) 芸術助監督:ジャンニ・ナーソ(Gianni Naso) [数]は外人歌手数、1980年の外人の出場は4歌手 ・Dischi Ricordi 8[1] (Ariston 1[0], Carosello 1[0], Cinevox 2[0], SIF 1[0], Lupus 1[0], Yep 1[0], Bronze 1[1]) ・CGD 6 [1] (CGD 1[0];Derby 1[1]), Baby 2[0], Splash 1[0], Ciao 1[0]) ・RCA Italiana 5[0] (RCA 3[0], Una 1[0], Spaghetti 1[0])) ・EMI Italiana 4[1] ・Polygram Dischi 4[1] (Polydor 21[0]);Philips 2[1])) ・Fonit Cetra 1[0] ・Ri Fi 1[0] ・CBS Dischi1[0] (CBS 1[0]) 出場歌手を送出しているレコード会社にも時代の流れが見て取れます。各社グループ別に最多がディスキ・リコルディで外人歌手1を含む8歌手を出場させていますが、本体のリコルディからは無く、傘下の有力会社アリストン、カロセッロ、チネヴォックスに支えられている状態です。 次のCGDグループも6歌手出していますが、直近に提携していた米CBS系が独立し、イタリア現地法人CBSディスキを設立(新会社から1歌手の出場を確保)したため、CGDは突然の経営悪化、本体からの出場歌手は一人が精一杯。 RCAイタリアーナはフォークロック、ニューミュージック系で元気が良く5歌手。勢力を増してきたのが、EMIイタリアーナとフォノグラムからポリグラム・ディスキに改名したポリドール&フィリップス連合。このところ冴えないフォニット・チェトラとサンレモの後から新譜も制作できない経営危機となったリフィからは各1歌手の出場となっています。 リロイ・ゴメス (Philips) ジャンフランコ・デ・アンジェリス (RCA) リンメル (Cinevox) <入賞曲> (11位) コンテッサ Contessa (Fulvio Muzio - Enrico Ruggeri) 出版社 Spaghetti Mus. <A> デチベル (compl) Decibel (Spaghetti –RCA Italiana) ZBSR-7182 [45] ZBSR-7182 AR-00879 (12位) Voglio Ll'Erba Voglio (Francesco Magni) 出版社 Santa Cecilia <A> フランチェスコ・マーニ (vm) Francesco Magni (Ariston - Dischi Ricordi) AR-00879 [45] (13位) カンテローCanterò Canterò Canterò (Aldo Donati) 出版社RCA Mus. <A> アルド・ドナーティ (vm) Aldo Donati (RCA – RCA Italiana) PB-6380 [45] PB-6380 LUN-4905 (14位) でも... 行くんだ Ma Vai Vai (Giorgio Bennato) 出版社Anaconda <A> ジョルジョ・ジト と ヂーゼル (compl) Giorgio Zito e i Diesel (Lupus – Dischi Ricordi) LUN-4905 [45] (15位) 想いは果てなく Va' Pensiero (Pippo Caruso) 出版社 Bixio CEMSA <A> リンダ・リー (vf) Linda Lee (Cinevox – Dischi Ricordi) SC-1142 [45] SC-1142 SP-1723 (16位) マーラ Mara (Luigi Albertelli - Brunello Tavernese) 出版社 Usignolo <A> ブルーノ・ダンドレア (vm) Bruno D'Andrea (Cetra - Fonit Cetra)SP-1723 [45] (17位) 歌姫さま Musica Regina (Leano Morelli) 出版社 Intersong Italiana <B> レアーノ・モレッリ (vm) Leano Morelli (Philips – Polygram Dischi) 6025-247 [45] 6025-247 3C・006-18472 (18位) 太陽に歌う Il Sole Canta (Nicoletta Artom - Giovanni Ullu) 出版社Belriver - Intersong Italiana <A> オーランド・ジョンソン (vm=a) Orlando Johnson (EMI – EMI Italiana) 3C・006-18472 [45] (19位) 時は過ぎゆく Passerà (MarcoLuberti - Antonio Coggio) 出版社 Calycanthus – Suvini Zeroni <A> アルベルト・ケリ (vm) Alberto Cheli (CGD – CGD) CGD-10250 [45] CGD-10250 SPH-1035・P (20位) 君が Tu cioè... (Depsa - Giuseppe Faiella) 出版社 Splash <B> ペピーノ・ディ・カプリ (vm) Peppino Di Capri (Splash – CGD) SPH-1035・P [45] 入賞曲は以上です 日本で各年度のサンレモ音楽祭オムニバス盤が80年以降(不定期に85年と89年は発売されましたが)リリースされなくなりました。特に80年は優勝曲、入賞曲のシングル盤さえ出ていないので、出場曲リストの国内盤ジャケット画像が全く無い寂しい状態になりました。 またイタリアのシングル盤のジャケット画像もほとんどが私の手持ち分を使っているため、状態が良くない物があります。お許しください。 ブル-ノ・ダンドレア (Cetra) ステファ-ノ・ロッソ (CIAO) ヘンリ-・フライス (Derby) 80年初出場レコード会社はCiao、Cinevox、Lupus、Unaの4社です。前回チネヴォックス(Cinevox)を紹介しましたので、はチャオ(Ciao)とウナ(Una)を紹介しましょう。 チャオ・レコーズ(Ciao Records) チャオ・レコーズ(単にチャオで通っていたようですが)は元プロフェーティ(I Profeti)の結成メンバーでドラマーだったオスバルド・ベルナスコーニ(Osvaldo Bernasconi)がプロフェーティ解散の翌年、芸術監督となって1978 年ミラノで設立されたレコード会社です。 所属アーティストで一版有名なのはロベルト・ヴェッキオーニ(Roberto Vecchioni)で設立翌年の79年にフィリップスから移籍をしました。その他にステファーノ・ロッソ(Stefano Rosso)、アクァ・フラジーレ(AcquaFragile)やPFMにいたベルナルド・ランゼッティ(Bernardo Lanzetti)などイタリア・ロック界の大物、有名なカンタウトゥーリのファウスト・レアーリ(Fausto Leali)を集めました。 しかしミュージシャンのオスバルド・ベルナスコーニは法律に基づいた契約や経営のマネージメントに疎く、またそれが出来る人材を雇っていなかったのか会社はトラブルが続出しました。 ロベルト・ヴェッキオーニのアルバム「Montecristo」を制作したのですが、フィリップスから契約違反で訴えられ、原盤権を取られてしまったり、設立当初ディストリビューション(プロモート、販売)権をフォニットとしたものの直ぐにCGDに変更し、流通できない不良在庫を抱えたりして81年になって経営破綻をしています。 ウナ・ソルス・コニウンクシット(Una Sors Coniunxit) [ラテン語でこう読むのだと思います] 何しろラテン語の会社名でイタリアでも通常は簡単なウナ(Una)だけを使っていたようです。意味は「共に一つの運命を」だと思います。 71年RCAのエンニオ・メリスと提携して「IT」を興しまたヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)が76年にIT傘下に作った実験的音楽を目的としたレーベルで、RCAイタリアーナがディストリビューションを行いました。丁度カテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)がCGDの傘下でアスコルト(Ascolto)を設立したのと同じ性格を持ったレーベルだと私は思っております。 ウナのアーティストの内、一番日本で知られているのはプログレ・バンド、フォルムラ・トレ (Formula 3)のドラマー、トニー・チッコ(Tony Cicco)で、チコ(Cico)としてアルバム「夜の闇の中で(NOTTE)」も国内盤が出ています。 K22P- 226 (1982年12月21日 SEVEN SEAS - キング) チコ/夜の闇の中で (CICO/ NOTTE) K22P- 226 ERS-28013 ERS-28013 (CR-10063) (1987年6月25日 RCA - エディソン(RVC) 月影のピエロ/ピエロ・ルネ-レ(PIERROT LUNAIRE) 次に、元ピエロ・ルネーレ(Pierrot Lunaire)のギタリストでアマデオ・ミンギ(Amedeo Minghi)に歌詞を提供したガイオ・キョッキョ(Gaio Chiocchio)がいます。その他ロック・オペラ「L'Eliogabalo」を作ったエミリオ・ロクルチョ(Emilio Locurcio)、ロベルト・クンストラー(Roberto Kunstler)、ゴラン・クツミナック(Goran Kuzminac)など社名通りの曲者揃いです。 流石商業的には苦しく、83年に活動停止をしますが、ITのプロデュースでウナ・レーベルの権利をパナ・レコードやCGDに売り、88年までウナのレーベル名は生き延びました。 サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1980年 3は次回に続きます ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。 ・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。 ・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。 ・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2020.08.07
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前年1979年第29回大会で「サンレモ音楽祭の復活」でその名の通り『サンレモ男』のジャンニ・ラヴェーラが総責任者として復活しましたが、この年80年のオーガナイザーはプブリスペイ(Publispei) 社と言う会社に変更になったのが大きな特徴です。 また日本においては61年(第11回)から75年(第25回)を除いて毎年どこかのレコード会社がその年の出場曲を集めたオムニバス(コンピレーション)盤を出していたのですが、ついに79年を最後に発売されなくなりました。不定期に85年にLP、89年にCDをして発売されましたが、それ以外は個人の歌手のアルバムかシングル盤に入るか、カンツォーネやサンレモのコンピレーション盤に収録される以外は国内盤が出ることは無くなりました。 第30回 1980年2月7日(木)~9日(土) サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo) 司会:クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、ロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、オリンピア・カリージ(Olimpia Carlisi) オーガナイザー:プブリスペイ(Publispei) 社[オーナーはジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)] 芸術監督:ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera) 芸術助監督:ジャンニ・ナーソ(Gianni Naso) [数]は外人歌手数、1980年の外人の出場は4歌手 ・Dischi Ricordi 8[1] (Ariston 1[0], Carosello 1[0], Cinevox 2[0], SIF 1[0], Lupus 1[0], Yep 1[0], Bronze 1[1]) ・CGD 6 [1] (CGD 1[0];Derby 1[1]), Baby 2[0], Splash 1[0], Ciao 1[0]) ・RCA Italiana 5[0] (RCA 3[0], Una 1[0], Spaghetti 1[0])) ・EMI Italiana 4[1] ・Polygram Dischi 4[1] (Polydor 21[0]);Philips 2[1])) ・Fonit Cetra 1[0] ・Ri Fi 1[0] ・CBS Dischi1[0] (CBS 1[0]) それに比例して日本でのサンレモ音楽祭の認知度は低くなっていきます。出場曲リストで太文字にしているのが国内盤が出た曲ですが、優勝したトト・クトゥ-ニの“ソロ・ノイ”の1曲のみです。それも89年に出た3枚組CD「カンツォ-ネのすべて~栄光のサンレモ(STRIA DELLA FESTIVA DI SANREMO)」に収録という状態になりました。また邦題も決まっていない(私が知らないだけかも)出場曲も増えていきます。 サリ-・オールドフィールド (Bronze) デチベル (Spaghetti) トト・クトゥーニョ (Carosello) <優勝曲> ソロ・ノイ Solo Noi (Salvatore Cutugno) 出版社 NUMBER TWO <B> トト・クトゥーニョ (vm) Toto Cutugno (Carosello - Dischi Ricordi)CI-20483 [45] CI-20483 第2位 君は元気かいTi Voglio Bene (Depsa - Enzo Malepasso) 出版社 Intersong Italiana - Editions 23 <A> エンツォ・マレパッソ (vm) Enzo Malepasso (Polydor – Polygram Dischi) 2060-218 [45] 2060-218 BR-5020 第3位 恋人たち Su Di Noi (Paolo Barabani - Enzo Ghinazz - Donatella Milanii) 出版社Televis <B> プーポ (vm) Pupo (Baby - CGD) BR-50209 [45] <入賞曲> (4位) マリウMariù (Francesco De Gregori - Rosalino Cellamare) 出版社RCA Mus. B>ジャンニ・モランディ (vm) Gianni Morandi (RCA – RCA Italiana) PB-6416 [45] PB-6416 3C・006-18464 (5位) 歌ある限り Più Di Una Canzone (Piero Calabrese - Romano Musumarra) 出版社 - <B>ボッテガ・デッラルテ (compl) Bottega Dell'Arte (EMI – EMI Italiana) 3C・006-18464 [45] (6位) あなたへのうた I Sing For You (Alberto Salerno - Maurizio Fabrizio) 出版社 Come Il Vento – SIAE <B> サリー・オールドフィールド (vf=er) Sally Oldfield (Bronze - Dischi Ricordi) BRO-90 [45] BRO-90 CIAO-508 (7位) イタリアーノ L'Italiano (Stefano Rosso) 出版社 Itaca - SIAE <B> ステファーノ・ロッソ (vm) Stefano Rosso (Ciao – CGD) CIAO-508 [45] (8位) 君のいない日々 Tu Mi Manchi Dentro (Popi Minellono - Renato Brioschi) 出版社 Intersong Italiana - Akila <B> リロイ・ゴメス (vm=fr) Leroy Gomez (Philips - Polygram Dischi) 6025-249 [45] 6025-249 YEP-00726 (9位) 白馬 Cavallo Bianco (Vania Magelli - Riccardo Aglietti) 出版社 Gabric <A>パオロ・リヴィエラ (vm) Paolo Riviera (Yep – Dischi Ricordi) YEP-00726 [45] (10位) ジェロシア Gelosia (Danilo Ciotti - Roberto Satti) 出版社 Belrive <B>ボビー・ソロ (vm) Bobby Solo (EMI – EMI Italiana) 3C・006-18471 [45] 3C・006-18471 入賞曲の残り10曲は次回です オーガナイザーとなったプブリスペイのことをもう少し説明しておきましょう。72年ローマに ジャンニ・ラヴェーラがTVドラマを中心とした番組制作、音楽ショーの制作、イベント制作を目的とした会社を設立しました。80年初頭イタリア音楽業界の老舗でビクシオ(Bixio)家が株式の50%を引受け、多くのTVドラマを制作し、サンレモ音楽祭は第38回までと42回、43回のオーガナイザーをしています。前年の彼自身は今回芸術監督となり、前年の芸術監督ジャンニ・ナーソを芸術助監督にすえて、第30回の全権を握り開催しました。 プブリスペイはサンレモ音楽祭の他にも夏のディスクや、91年にホスト国となりローマのチネチッタ開催されたユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(80年、90年サンレモ音楽祭優勝者に優勝したトト・クトゥーニョとジリオラ・チンクェッティが司会)もプロデュースをしています。 パオロ・リヴィエラ (Yep) アルベルト・ケリ (CGD) アルベルト・ベルトラミ (Una) 80年初出場レコード会社はCiao、Cinevox、Lupus、Unaの4社です。 それでは日本で一番なじみのあるチネヴォックス(Cinevox)から紹介していきましょう。 チネヴォックス・レコード(Cinevox Record) 日本では“マンマ(Mamma,)”、“夜のヴァイオリン(Violino Tzigano)”、“マリウ、愛の言葉を(Parlami D'Amore Mariù)”の作者として知られ、第二次大戦前からイタリアを代表する作詞・作曲、チェザーレ・アンドレア・ビクシオ(Cesare Andrea Bixio)が1920年に設立した音楽出版C.A.ビクシオ(La Casa Editrice C.A. Bixio)の子会社とし60年に作られたレコード会社です。 チェザーレ・アンドレア・ビクシオは生涯で500曲以上の楽曲を作り、150本以上の映画に音楽を付けました。作ったレコード会社は映画のサウンドトラック盤を本業とし、社名もチネヴォックス(Cinevox Record)と名付けられました。 多くのイタリア系大資本のレコード会社は、世界資本(主にアメリカ系)に呑み込まれていきましたが、チネヴォックスは今も創業以来の姿勢を貫き活動を続けています。 チネヴォックスのホームページhttps://it.wikipedia.org/wiki/Cinevox 多分単独でチネヴォックスとクレジットされた国内盤が出たのはブルーノ・ニコライ楽団演奏の“悲しみは星影と共に”のサントラ盤ではないでしょうか? FON- 1058 (1966年10月5日 FONTANA - 日本ビクター) 悲しみは星影と共に (OLTRE LA NOTTE)/悲しみは星影と共に~愛のテ-マ (LOTRE LA NOTTE TEMA D'AMORE) [オリジナル・サウンドトラック] FON- 1058 EOR-20474 EOR-20474 (1975年8月20日 ODEON -東芝EMI) サスペリア2のテーマ (PROFONDO ROSSO)/死の滅亡 (DEATH DIES) ゴブリン (GOBLIN) [オリジナル・サウンドトラック] 何といってもチネヴォックスの名前が知れるようになったのは、ほぼ10年後の70年代半ばに流行っていたホラー映画のお陰でした。全編イタリアのプロ・グレ・バンド、ゴブリンが付けた映画「サスペリア2」がヒットします。77年には映画「サスペリア」で同じくゴブリンのサントラ盤、79年の同映画「ゾンビ」サントラ盤と続き、ゴブリンは日本でもイタリアのプロ・グレ・バンドが注目されていきました。 一方90年代に入りCDでの映画サントラ盤ブーム、次にそのサントラ音源を使ったラウンジ系ミュージックが流行っていきます。こうして日本の市場はチネヴォックスの繁栄を支える一助となります。 またこのブログの項の最初に書いた、サンレモ音楽祭ヲプロデュースする会社プブリスペイの株式の50%を取得し、音楽イベントに大きくかかわっていきます。 特に90年代半ばまでサンレモ音楽祭にほぼ毎年のように歌手を出場させるレコード会社へと変貌をとげ、翌81年にはオリエッタ・ベルティ(Orietta Berti)が入賞、82年は参加、83年はマルコ・アルマーニ(Marco Armani)が“人生”で入賞、翌84年彼は新人部門第2位、86年入賞、85年マルコ・アルメニーゼ (Marco Armenise)、ベビー・レコードから移籍してきたリッキとポーヴェリ(Ricchi E Poveri)が88年“イエスが生まれ“で入賞しており、第2のベビー・レコード的存在として注目されました。 ジョルジョ・ジト と ヂ-ゼル (Lupus) コスカレッラ と ポリメノ (CBS) サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1980年 2は次回に続きます ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。 ・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。 ・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。 ・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2020.08.02
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