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1979年のサンレモ音楽祭は前年、前々年から改善され22曲の出場曲となりました。その内訳はレコード会社の応募曲800曲から20曲が選ばれ、音楽出版社団体に所属しない作曲家(素人作曲家)の楽曲を2曲追加した22曲で争われました。 予選の第1夜、第2夜にそれぞれ11曲が披露され、その中から上位6曲が最終日(第3夜)の決勝戦に進みます。予選2夜はTV放送がなくラジオ放送のみで、入賞出来なかった歌手たちの舞台がどのようだったかの動画が残っていないのが残念な限りです。 そして一番肝心な商業的成功は年間ヒット・ランク100位以内に入ったのが優勝曲“アマーレ(Amare)”の99位と5位エンリコ・ベルスキの“花だろう”が97位とギリギリの2曲でした。 新たな試みが始まりました。大きくレコード会社の垣根を越えてオリジナル出場曲のコンピレーションが作られました。79年はEMIイタリアーナの製作となりました。この方式は第70回を迎えた現在まで続けられています。 出場曲22曲中16曲が収録されました。入らなかったのは次の6曲です。第2位“バルバラ(Barbara)” エンツォ・カレッラ (Enzo Carella)、7位“ニュ-・ヨ-ク(New York)” ロレッラ・ペッシェレッリ(Lorella Pescerellif)、8位”青空の稲妻(C'Era Un'Atmosfera)”キム&キャデラックス (Kim & The Cadillacs)、10位“ふきげんなあなた(Tu Fai Schifo Sempre)”パンデモニウム (Pandemonium)、参加曲“黄色いページ(Autunno, Cadono Le Pagine Gialle)” マリネッラ (Marinella)、参加曲“ナポリの叫び(Napule Cagnarrà)” マッシーモ・アッバーテ (Massimo Abbate)で、RCAグループとアリストンの2社が収録されていません。 3C・064-18389 (1979年 EMI – EMI Italiana) Sanremo '79 1..Amare (アマーレ) [Mino Vergnaghi] 2. Quell'Attimo In Più (暗闇の心) [I Camaleonti] 3.Impazzirò (理性を失なう時 (狂っちゃうわ)) [Il Était Une Fois] 4.Nocciolino (ノッチョリーノ) [Antoine] 5.Liana (リアーナ) [Grimm] 6..Il Diario Dei Segreti (秘密の日記) [Gli Opera] 7.Il Sole, La Pioggia (太陽と雨) [Roberta] 8.Talismano Nero (黒いお守り) [Gianni Mocchetti] 9.Sarà Un Fiore (花だろう) [Enrico Beruschi] 10. In Due (ふたりの影) [Michele Vicino] 11.Ayx Disco (アイックス・ディスコ) [Ayx (Fantasy Rock)] 12.Bimba Mia (私の少女) [Umberto Napolitano] 13.Ciao Barbarella (チャオ・バルバレッラ) [Ciro Sebastianelli] 14.La Gente Parla (自由な瞳) [I Collage] 15.A Me Mi Piace Vivere Alla Grande (殿様気取り) [Franco Fanigliulo] 16.Grande Mago (偉大なる魔法使い) [Nicoletta Bauce] 3C・064-18389 GP- 683 GP- 683 (1979年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第29回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1979) 1.アマーレ (AMARE) ミ-ノ・ヴェルニャ-ギ (MINO VERGNAGHI) 2.自由な瞳 (LA GENTE PARLA) コラ-ジェ、{イ} (I COLLAGE) 3.殿様気取り (A ME MI PIACE VIVERE ALLA GRANDE) フランコ・ファニリュ-ロ (FRANCO FANIGLIURO) 4.青空の稲妻 (C'ERA UN'ATMOSFERA) キム・アンド・キャデラックス (THE KIM & CADILLACS) 5.ノッチョリーノ (NOCCIOLINO) アントワ-ヌ (ANTOINE) 6.チャオ・バルバレッラ (CIAO BARBARELLA) チロ・セバスティアネッリ (CIRO SEBASTIANELLI) 7.ふたりの影 (IN DUE) ミケ-レ・ヴィチ-ノ (vm) VICINO,MICHELE (vm) 8.黄色いページ (AUTUNNO, CADONO LE PAGINE GIALLE) マリネッラ (MARINELLA) 9.黒いお守り (TALISMANO NERO) ジャンニ・モケッティ (GIANNI MOCCHETTI) 10.愛のためいき (PER TE) イヴァ・ザニッキ (,IVA ZANICCHI) 国内盤は例年発売しているキングのセブンシーズ・レーベルから5月に「第29回サン・レモ音楽祭」として10曲入りLPが出ました。内1曲はゲスト歌手イヴァ・ザニッキ(Iva Zanicchi)の “愛のためいき (PER TE)”を加え、オリジナル曲9曲が入っています。 1975年のサンレモ音楽祭はイタリア本国では結果として失敗の終り、日本でも年度ごとのコンピレーション(オムニバス)は発売されなかった例外を除き。61年から毎年発売されていたコンピレーション(オムニバス)国内盤ですが、連続して発売されるのは79年が最後となりました。その後は単発的に85年K28P- 546 (SEVEN SEAS – キング) サンレモ音楽祭'85と89年292E- 2012 (SEVEN SEAS – キング) サンレモ'89がCDで発売されています。 それ以外は時たまに出る新曲はサンレモ音楽祭のコンピレーションに何曲か収録される程度になってしまいます。 この年度盤の他には、79年リコルディがポリドールからキングに復帰した後に出た10枚組ボックス「サン・レモ音楽祭大全集は故河合秀朋さん永年構想を温めていた企画で、単にキング・レコードを超えた人間関係を築かれた賜物でした。 原盤は次の通りです。 FONIT CETRA, EMI ITALIANA, CGD, RCA ITALIANA, TEDEDISC, JUKE BOX, TERERECORD, SAAR, DUCALE RICORDI KING UNIVERSAL RI FI, CAROSELLO, P.A. ARISTON, CLAN, BA RCLAY(France), CAM, SPLASH, SIDET, C.P.T. 及びこれらのサブ・レーベルを含みます。 締め切りまでに返事がなかったのが老舗のドゥリウム(DURIUM)が未収録、その他ではフィリップスやポリドールの販売権を持つイタリア・フォノグラムの協力を得られなかったのですが、EMIイタリアーナ、RCAイタリアーナの協力が加わり、この大アンソロジーが成功したと言えます。 GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP Boxサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO) 1-1.花をありがとう (GRAZIE DEI FIORI) 1-2.飛べよ小鳩 (VOLA COLOMBA) 1-3.ポパ・ピコリ-ノ (PAPAVERI E PAPERE) 1-4.秋の並木道 (VIALE D'AUTUNNO) 1-5.鐘つき人 (CAMPANARO) 1-6.歌を歌わせて (LASCIAMI CANTARE UNA CANZONE) 1-7.古びた登山靴 (VECCHIO SCARPONE) 1-8.美しいママ (TUTTE LE MAMME) 1-9.二文の歌 (CANZONE DA DUE SOLDI) 1-10.舟が一艘で戻る (...E LA BARCA TORNO' SOLA) 1-11.悲しみよ今日は (BUONGIORNO TRISTEZZA) 1-12.急流 (IL TORRENTE) 1-13.谷間の歌 (CANTO NELLA VALLE) 1-14.窓を開けて (APRITE LE FINESTRE) 1-15.よかったら愛して (AMAMI SE VUOI) 1-16.人生は偽りの花園 (LA VITA E' UN PARADISO DI BUGIE) 1-17.ギタ-の弦 (CORDE DELLA MIA CHITARRA) 1-18.ナイチンゲ-ル (USIGNOLO) 1-19.スク-ザミ (SCUSAMI) 1-20.カナダの小さな小屋 (CASETTA IN CANADA) 2-1.ヴォラ-レ (NEL BLU DIPINTO DI BLU) 2-2.ヴォラ-レ (NEL BLU DIPINTO DI BLU) 2-3.つた (L'EDERA) 2-4.他の人を愛す (AMARE UN'ALTRA) 2-5.内気なセレナ-ド (TIMIDA SERENATA) 2-6.チャオ・チャオ・バンビ-ナ (PIOVE) 2-7.チャオ・チャオ・バンビ-ナ (PIOVE) 2-8.恋のブル-ス (IO SONO IL VENTO) 2-9.君知るしあわせ (CONOSCERTI) 2-10.あなた (TUA) 2-11.ネッス-ノ (NESSUNO) 2-12.ロマンティカ (ROMANTICA) 2-13.ロマンティカ (ROMANTICA) 2-14.リベロ (LIBERO) 2-15.夜よここに (QUANDO VIEN LA SERA) 2-16.二人よ永遠に (NOI) 2-17.真夜中 (E' MEZZANOTTE) 2-18.エ・ヴェ-ロ (E' VERO) 2-19.アル・ディ・ラ (AL DI LA') 2-20.アル・ディ・ラ (AL DI LA') 3-1.2万4千のキッス (24 MILA BACI) 3-2.ひきだしの中の海 (IL MARE NEL CASSETTO) 3-3.青い泡がいっぱい (LE MILLE BOLLE BLU) 3-4.コメ・シンフォニア (COME SINFONIA) 3-5.カロリ-ナ・ダイ (CAROLINA DAI) 3-6.生きる男 (UN UOMO VIVO) 3-7.君が誰だが云わないで (NON MI DIRE CHI SEI) 3-8.アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO) 3-9.アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO) 3-10.タンゴ・イタリア-ノ (TANGO ITALIANO) 3-11.ゴンドリ・ゴンドラ (GONDOLI GONDOLA) 3-12.クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO) 3-13.今宵ルナ・パルクで (STANOTTE AL LUNA PARK) 3-14.恋人よ今日は (BOUNGIORNO AMORE) 3-15.恋に生きる (INVENTIAMO LA VITA) 3-16.ぼくの選ぶ人 (UNO PER TUTTE) 3-17.ぼくの選ぶ人 (UNO PER TUTTE)) 3-18.アモ-ル、モン・アム-ル、マイ・ラヴ (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE) 3-19.ジョヴァネ・ジョヴァネ (GIOVANE GIOVAN) 3-20.何でもないさ (NON COSTA NIENTE) 1-1,2,3,5, 2-3ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI);1-4,20カルラ・ボ-ニ (CARLA BONI);1-6,. 2-9アキレ・トリア-ニ (ACHILLE TOGLIANI);1-7,8, 2-4,8ジ-ノ・ラティルラ (GINO LATILLA);1-9カティ-ナ・ラニエリ (KATYNA RANIERI);1-10フランコ・リッチ (FRANCO RICCI);1-11,17,18, 3-8,18 クラウディオ・ビルラ (CLAUDIO VILLA);1-12トゥリオ・パ-ネ (TULLIO PANE);1-13. ブル-ノ・パルレ-ジ (BRUNO PALLESI) と ヌッチア・ボンジョヴァンニ (NUCCIA BONGIOVANNI);1-14フランカ・ライモンディ (FRANCA RAIMONDI);1-15.18 トニ-ナ・トリエリ (TONINA TORRIELLI);ルチア-ナ・ゴンザレス (LUCIANA GONZALES):2-1,6,14, 3-9ドメニコ・モドゥ-ニョ (DOMENICO MODUGNO);2-2,7, 3-20ジョニ-・ドレルリ (JOHNNY DORELLI);2-5. カルラ・ボ-ニ と ジ-ノ・ラティルラ(CARLA BONI e GINO LATILLA);2-10,16ユ-ラ・デ・パルマ (JULA DE PALMA);2-11, 19, 3-14ベティ-・クルティス (BETTY CURTIS);2-12レナ-ト・ラシェル (RENATO RASCEL);2-13トニ-・ダララ (TONY DALLARA);2-15,17ジョ-・センティエリ (JOE SENTIERI);2-18, 3-3ミ-ナ (MINA);2-20.ルチア-ノ・タヨ-リ (LUCIANO TAJOLI):3-1アドリア-ノ・チェレンタ-ノ (ADRIANO CELENTANO);3-2,11,13ミルバ (Milva);3-4,19ピノ・ドナッジォ (PINO DONAGGIO);3-5,11セルジョ・ブル-ニ (SERGIO BRUNI);3-6ジ-ノ・パオ-リ (GINO PAOLI);3-7ウンベルト・ビンディ (UMBERTO BINDI);3-12,16トニ-・レニス (TONY RENIS);3-15ロッコ・モンタ-ナ (ROCCO MONTANA);3-17エミリオ・ペリコ-リ (EMILIO PERICOLI): GXF- 81~90 GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP Boxサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)の4枚目から10枚目は次回です。 1979年(第29回)サンレモ音楽祭コンピレーション(オムニバス)盤21が続きます
2020.04.29
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★マッシーモ・アッバーテ (vm) Massimo Abbate 1959年11月6日(1957年8月23日説もある)ナポリ生、俳優、歌手、作詞・作曲家。 父は有名なナポリターナ歌手マリオ・アッパーテ(Mario Abbate)、その七男。 活動期間:1966年 – 現在 所属レコード会社:RCA Italiana サンレモ音楽祭出場1回:1979年参加 彼は芸術一家の中で育ち9才から芸術の勉強を始めました。その後歌手のロベルト・ムローロ(Roberto Murolo)が主催する若い才能を育てるナポリターナ研究科の一員となり、最高の学生でした。 ムローロと共に曲作りをした“Stavota Senza 'e Te”や“Me Staie Lassanno”、“Nu Suonno”などの成功は洗練された音楽スキル向上に大きく貢献しています。 1979年サンレモ音楽祭に“ナポリの叫び”で出場しましたが入賞出来ませんでした。 PB-6290 (1979年 RCA – RCA Italiana) Napule Cagnarrà (ナポリの叫び)/Lancia Di Sole PB-6290 その後81年フレッド・ボングスト(Fred Bongusto)に“Nu Sfizio”、ペピーノ・ディ・カプリ(Peppino Di Capri)に83年“Il Tango Di Adelina”、“Il Tango Di Carillon”、フランコ・カリファーノ(Franco Califano)に83年”Sulle Scale Di San Martino“、” Canzona Và “などの楽曲を提供しています。 80年代初頭にはマリアーノ・リジッロ(Mariano Rigillo)が演出したナポリ出身で音楽劇作家ラファエレ・ヴィヴィアーニ(Raffaele Viviani)の作品「Pescatori,」、「Zingari」、「Osteria Di Campagna」に出演しています。 85年にかけて、北米(ニューヨーク、トロント、モントリオール)で古典的ナポリターナのコンサート・ツアーを行い、音楽活動から撤退し俳優の道を選びました。 日本ではアカデミー・ノミネート映画「イル・ポスティーノ(Il Postino)」の主演俳優でもあるマッシーモ・トロイージ(Massimo Troisi)が87年に監督した映画「限りある神への道(Le Vie Del Signore Sono Finite)」等に出演しています。 マッシーモ・アッバーテの国内盤は有りません、マッシーモ・アッバーテは以上です。 ★ジャンニ・モケッティ (vm) Gianni Mocchetti 1947年5月31日(12日説もある) ミラノの北西郊外の小都市レニャーノ(Legnano)生、2013年1月28日コモ没、カンタアウトゥーリ、ギタリスト、ベーシスト。 活動期間:1965年 – 2013年 所属レコード会社 :Dischi Ricordi, CGD, Metronome Records, Lira Records, Giungla Records, BMG Ricordi, Spintapes, Flashback Records サンレモ音楽祭出場1回:1979年参加, 彼はデビューする前マイナーなビート・バンドのクリスタル・フラジーリ(I Cristalli Fragili)でドラムとパーカッションのジャンフランコ・ダッダ(Gianfranco D'Adda)、ベースとヴォーカルのリッカルド・ピロリ(Riccardo Pirolli)と共にギターを弾き始め、;同時にレコーディングスタジオでセッションマンとして働き、様々なアーティストのレコーディングで演奏しました。 1971年クリスタル・フラジーリはフランコ・バッティアート(Franco Battiato)に認められ、キーボード奏者ロベルト・カッチャパリァ(Roberto Cacciapaglia)など他のミュージシャンと統合し、バッティアートとサポート・バンドとしてスタジオのレコーディング、ツアーに同行しています。 またバッティアートの契約していたレコード会社ブラ・ブラ(Bla Bla)のスタジオ・ミュージシャンとしても働きだしました。 フランコ・バッティアートがより実験的音楽の方向に進んで行ったのでジャンニ・モケッティはソロ活動をするようになり、リコルディと契約することが出来ました。デビュー曲は“Cantilena”で、この年のフェスティヴァルバール(Festivalbar)やカンタジーロ(Cantagiro)にも出場しました。 SRL-10・862 (1978 年 Ricordi - Dischi Ricordi) Cantilena/Il Balcone Di Marta SRL-10・862 SRL-10・888 SRL-10・888 (1978 年 Ricordi - Dischi Ricordi) Paisà/Sulla Punta Di Una Stella 2枚目のシングル“Paisà”は本国イタリアよりドイツでヒットしたようで、ファースト・アルバムはドイツの方が早く発売されました。 こうして79年サンレモ音楽祭に“黒いお守り”で出場しましたが、入賞出来ませんでした。 SRL-10・890 (1979年 Ricordi - Dischi Ricordi) Talismano Nero (黒いお守り)/Bianco SRL-10・890 SMRL-6245 SMRL-6245 (1979年 Ricordi - Dischi Ricordi) Andare 1.Talismano Nero (黒いお守り) 2.Cantilena 3.Il Balcone Di Marta 4.Leggenda Maya 5.Paisà 6.Sulla Punta Di Una Stella 7.Bianco 8.Canzone Di Paese 9.Angelina Non Lo Sa 10.L'Ultima Poesia サンレモ音楽祭に出場しファースト・アルバム「Andare」が製作されました。80年、再度カンタジーロに“Un Amore In Garage”で出場しています。 SRL-10・916 (1980年 Ricordi - Dischi Ricordi) Cane Da Città/Un Amore In Garage SRL-10・916 SRL-10・934 SRL-10・934 (1981年 Ricordi - Dischi Ricordi) Fatti I Fatti Tuoi/Gioco Mentale 翌81年“Fatti I Fatti Tuoi”を出してリコルディとの契約は終了になります。ジャンニ・モケッティの経歴からするとスタジオ・ミュージシャンをしていたと思われますが、その後10年以上消息を絶ちます。 92年リラ・レコーズから突然マトゥサレンメ(Matusalemme)の名前でアルバム「Terra Di Nessuno」を出しています。 LR・LP-036 (1992年Lira Records - ) Terra Di Nessuno (come Matusalemme) G・CD- 042 (1992年Lira Records - ) Terra di nessuno (come Matusalemme) 1.A Milano C'ero Anch'Io 2.Pipa 3.Fly Fly Fly 4.Oscillazioni D'Amore 5.Indianapolis ( Parte 1 ) 6.La Mia Mente Oggi Ha Gli Occhiali Scuri 7.La Vela Scivola 8.Dai Dai 9.Dammi Una Mano 10.Penna Bianca 11. Indianapolis ( Parte 2 ) LR・LP-036 G・CD- 042 4年後の96年カンタウトゥーリのルカ・ボナッフィーニ(Luca Bonaffini)と作ったバンド、クロナーケ(Cronache)としてアルバム「Minora」を製作しています。 74321-36806・2 (1996年Giungla Records - BMG Ricordi) CD Minora (Luca Bonaffini con la denominazione Cronache) 1.Dispersi 2.Depravazione Universale 3.Fermatevi 4.Cavallette 5.Le decime al tesoro 6.Fame nuova 7.Centro Trionfale 8.Nel ventre di un pesce 9.Otto visioni 10.Sposa infedele 11.Sarà Caparra 12.Non Anche tu 13.Di Dispersi (Versione In Lingua Latina) 74321-36806・2 どういう事だったのか定かでありませんが、彼の家族は深刻な悲劇に見舞われ、モケッティは数年間音楽活動を停止しなければなりませんでした。 21世紀になり彼は新たな音楽活動を再開します。ダニロ・サラ(Danilo Sala)がオーナーのスピンテープス(Spintapes)からアルバム「Beta」を出します。このアルバムは無名時代にフランコ・バッティアートのバック・バンドをしていた頃、演奏したバッティアートの曲を“革命のアリア(Aria Di Rivoluzione)”を除く全曲をギター、ベース、ドラムス、バッキング・ヴォーカルまで一人でこなし、セルフ・プロデュースもしています。 SCD-001 (2004年 Spintapes –) Beta 1.La Convenzione 2.Fetus (胎児) 3.Una Cellula (細胞) 4.Fenomenologia (現象論) 5.Meccanica (機械学/メカニズム) 6.Anafase (減数分裂後期) 7.Il Silenzio Del Rumore (喧騒から静寂へ) 8.Ti Sei Mai Chiesto Quale Funzione Hai ? (ティ・セイ・マイ・チェスト・クアレ・ファンジオネ・ハイ?) 9.Mutazione (突然変異/変身) 10.Paranoia 11.Areknames (アレクナメス) 12.Beta (ベータ) 13.Plancton (プランクトン) 14.Pollution (汚染) 15.Sequenze E Frequenze (連続、頻発) 16.Da Oriente A Occidente (東から西へ) 17.No U Turn SCD-001 FLA-4009 FLA-4009 (2007年 Flashback Records - Flashback Records) 12” Maxi Come Come Together (Extended Version)/ (Power Mix) (pubblicato come Mocchetti) 2007年独立レーベルのフラッシュバック・レコード(Flashback Records)から80年代の典型的なイタリアのディスコ・サウンドの曲“Come Come Together”を2ヴァージョンのマキシ・シングルで出します。これがモケッティの最後のレコードとなりました。 この後ディスコグス(Discogs)ではイタロ・ディスコ・ミュージックのリッキー・マルテーゼ(Riky Maltese)のプロジェクトに参加していたようです。このマルテーゼの亡くなった年月日と死亡場所がジャンニ・モケッティと同じ、2013年1月28日コモでした。二人はツアー中に何かの事故か事件に巻き込まれ、命を落としたのでしょうか?詳しく書いたものは見つかりませんでした。 ジャンニ・モケッティの国内盤 GP- 683 (1979年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第29回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1979) 9.黒いお守り (TALISMANO NERO) GP- 683 KKCP- 159 (1998年2月21日 ARTIS - キング・インターナショナル) CD フランコ・バッティアート/胎児 (FRANCO BATTIATO/POLLUTION) フランコ・バッティアート (FRANCO BATTIATO) SICP- 2592 (2010年2月24日 CBS - ソニー・ミュージック) CD フランコ・バッティアート/胎児 (FETUS) フランコ・バッティアート (FRANCO BATTIATO) 1. 生命力/エネルギー (ENERGIA) 2.胎児 (FETUS) 3.細胞 (UNA CELLULA) 4.有糸分裂/核分裂 (CARIOCINESI) 5.現象論 (FENOMENOLOGIA) 6.機械学/メカニズム (MECCANICA) 7.アナファセ/減数分裂後期 (ANAFASE) 8.突然変異/変身 (MUTAZIONE) KKCP- 159 SICP- 2592 KKCP- 160(ARCD-026) (1998年2月21日 ARTIS - キング・インターナショナル) CD フランコ・バッティアート/汚染 (FRANCO BATTIATO/POLLUTION) フランコ・バッティアート (FRANCO BATTIATO) 1.喧騒から静寂へ (IL SILENZIO DEL RUMORE) 2.1999年12月31日9時 (31 DICEMBER 1999 ORE 9) 3.アレクナメス (AREKNAMES) 4.ベータ (BETA) 5.プランクトン (PLANCTON) 6.汚染 (POLLUTION) 7.ティ・セイ・マイ・チェスト・クアレ・ファンジオネ・ハイ? (TI SEI MAI CHIESTO QUALE FUNZIONE HAI?) KKCP- 160 KKCP- 161 KKCP- 161(ARCD-036) (1998年2月21日 ARTIS - キング・インターナショナル) CD フランコ・バッティアート/スッレ・コルデ・ディ・アリエス (FRANCO BATTIATO/SULLE CORDE DI ARIES) フランコ・バッティアート (FRANCO BATTIATO) 1.連続、頻発 (SEQUENZE E FREQUENZE) 2.アリエス (ARIES) 3.革命のアリア (ARIA DI RIVOLUZIONE) 4.東から西へ (DA ORIENTE AD OCCIDENTE) ジャンニ・モケッティは以上です。
2020.04.24
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★ミケーレ・ヴィチーノ (vm) Michele Vicino 1948年6月30日ミラノ生、カンタゥトーリ、音楽プロデューサー。 活動期間:1966年 – 現在 所属レコード会社:Ricordi、Variety(Ri Fi)、Cetra、WEA、Forward (Sony Music France) サンレモ音楽祭出場1回:1979年参加 サンレモ音楽祭出品2曲:1979年参加、85年新人の部8位 ミケーレ・ヴィチーノは、幼少期を南米で過ごし、音楽に興味を持ち歌うようになりました。1959年にイタリアに戻り、66年ミラノの5000人収容できるアリーナ、パラリド(Il PalaLido)で開催されたコンペティション「Premio Per La Miglior Canzone (最高の歌賞)」で優勝してデビューを果たしました。 67年にアンドレア・ロ・ヴェッキオ(Andrea Lo Vecchio)とロベルト・ヴェッキオーニ(Roberto Vecchioni)と出会い、ビートニック・グループ、ポップ7(Pop Seven)のリード・ヴォーカルとなりました。アンドレアとロベルトは米国の・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)が大ヒットにした“バーバラ・アン(Barbara Ann)“にイタリア語の作詞したカバー曲をリコルディでレコーディングします。 これがシングル盤として発売されました。初版のB面が“Se Rimani Con Noi”でしたが、まもなくB面が“Lasciate Qualcosa Per Noi”に差替えられた再版がでます。初版のジャケット画像はみつかりませんでしたが、再版はありました。 SRL-10・420 (1966年Ricordi - Dischi Ricordi) Barbara Ann (バーバラ・アン)/Se Rimani Con Noi (inciso con i PopSeven) SRL-10・420 SRL-10・420 (1966年Ricordi - Dischi Ricordi) BarbaraAnn (バーバラ・アン)/Lasciate Qualcosa Per Noi (inciso con i PopSeven) この後60年から61年の間リベルリ(I Ribelli)のキーボード奏者をしていた作曲家のナンド・デ・ルーカ(Nando De Luca)とともにクラン・チェレンターノ(Clan Celentano)のオーディションを受けました。 68年リフィ(Ri Fi)と契約して芸名をレ・マルク(Re Maik)と変え、アンドレア・ロ・ヴェッキオのプロデュースで”Come In Uno Sèpecchio”で再デビューしました。 FNP・NP-10130 (1969年Variety – Ri Fi) Come In Uno Sèpecchio/Io No FNP・NP-10130 FNP・NP-10145 FNP・NP-10145 (1970年Variety – Ri Fi) Fiori Bianchi Per Te/Io No (come Re Maik) 2枚目のシングル盤は70年にA面の”Come In Uno Sèpecchio”を、75年サンレモ音楽祭にフランス人歌手として出場したジャン=フランソワ・ミシェル(Jean-François Michael)がフランス・ギャル(France Gall)のご主人のミッシェル・ベルジェ(Michel Berger)が作った曲をモゴールの作詞したイタリア語版“Fiori Bianchi Per Te (Adieu Jolie Candy) (君への白い花/さよならのくちづけ [伊])”に差替えてリリースしています。 3枚目の“Angela”はエンリコ・イントーラ(Enrico Intra)が作った曲で、バックは後にP.M.F.( Premiata Forneria Marconi)となるクェッリ(Quelli)が付きました。この曲で新人歌手の登竜門でもあるRAIの“セッテ・ヴォーチ(Settevoci)”に出演できました。 FNP・NP-10150 (1970年Variety – Ri Fi) Angela/Un Temporale (come Re Maik) FNP・NP-10150 FNP・NP-10160 FNP・NP-10160 (1970年Variety – Ri Fi) Monotonia/Betsabea (come Re Maik) 契約最後の4枚目のシングル“Monotonia”を出しましたがこれと言った成績は残せませんでした。 歌手をする一方69年からはミラノのダービー・クラブ(Derby Club)でキャヴァレー・コメディアンとして活躍を始め、70年前半はレコード歌手と活動は中断しています。 76年以降はワーナー・チャペル・ミュージック・イタリアーナLa Warner Chappell Music Italiana)の作曲家として独占契約を結び、クリスティアーノ・ミネッローノ(Cristiano Minellono)、ベッペ・カンタレッリ(Beppe Cantarelli)、レナート・ブリオスキ(Beppe Cantarelli)、ヴァレリオ・ネグリーニ(Valerio Negrini)、ジャンニ・ベルフィオーレ(Gianni Belfiore)などの著名な作家と共に仕事をしました。 78年本名ミケーレ・ヴィチーノに戻りフォニット・チェトラと契約を結びました。クリスティアーノ・ミネッローノ(Cristiano Minellono)の書いた“Donna Mia”とミケーレ・ヴィチーノの作った“Tu Mia”で再々デビューをしています。 SP-1682 (1978年Cetra – Fonit Cetra) Donna Mia/ Tu Mia (come Michele Vicino) SP-1682 SP-1697 SP-1697 (1979年Cetra – Fonit Cetra) In Due (ふたりの影)/Colpa Di Una Canzone (come Michele Vicino) 79年サンレモ音楽祭に”ふたりの影”で出場し、フリオ・イグレシアスを真似た歌い方でしたが入賞出来ませんでした。老舗フォニット・チェトラも人材不足なのか前年契約し、ヒットも出していない歌手がサンレモに出られるような状態でした。 彼は81年にピーター・クロモ(Peter Cromo)という芸名のカンタウトゥーリとしてWEAイタリアと契約を結び、アルバム「Allarembaggio, Mamma」をリリースし、“Ti Pentirai”をシングル・カットしました。このアルバムは彼にとってファースト・アルバムでした。 T-58396 (1981年WEA – WEA Italiana) Allarembaggio, Mamma! (come Peter Cromo) 1.Ti Pentirai 2.L'Inflazione 3.Pentarazzismo 4.Muoviti, Pestalo, Schiaccialo 5.Chiavicone È Il Mio Nome 6.Grande Giorno Da Cani 7.Argon 36 8.Attenti Ai Gialli 9.Simpatia Per Il Disoccupato T-58396 T-18881 T-18881 (1981年WEA – WEA Italiana) Ti Pentirai/ Chiavicone È Il Mio Nome (come Peter Cromo) 82年WEAイタリアーナ所属のバンド、ラダール(RADAR)のアルバム「RADAR」のプロデュースをし、86年から92年までイタリアCBS音楽出版(CBS Publishing Italia)のゼネラル・ディレクターもしています。 85年サンレモ音楽祭の新人の部に出場したアントネッラ・ルッジェーロ(Antonella Ruggiero)が歌った曲“海の歌(Sul Mare)”をサルヴァトーレ・ファブリツィオ(Salvatore Fabrizio)、アメリオ・パーチェ(Amerio Pace)と共作で提供しました。 ※新人女性歌手アントネッラ・ルッジェーロはマティア・バザール(Matia Bazar) のリード・ヴォーカル、マティアことアントネッラ・ルッジェーロとは別人です。 SAMPCS-11688 (2002年 Forward – Sony Music France) CDs Morena [Adelante Featuring come Miguel El Flaco] SAMPCS-11688 Sampms-11802 Sampms-11802 (2002年 Forward – Sony Music France) 12” Maxi Morena (Vol.Odia Remix)/ Morena [Adelante Featuring come Miguel El Flaco] 南米で11年以上過ごした後、2002年カルロ・ベス(Carlos Bess)と共にフランスでアルバム「Adelante」を制作し、ミゲール・エル・フラコ(Miguel El Flaco)の芸名を使って、シングル・カットもリリースしました。 EPC-6727321(2002年 Forward – Sony Music France) CD Morena (Vol.Odia Remix)/ Morena [Adelante Featuring come Miguel El Flaco] EPC-6727321 ミケーレ・ヴィチーノの国内盤 GP- 683 (1979年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第29回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1979) 7.ふたりの影 (IN DUE) GP- 683 ミケーレ・ヴィチーノは以上です。 ★ロベルタ (vf) Roberta 本名ロベルタ・ヴォルトリーニ(Roberta Voltolini)1961年5月15日フィレンツェ生、1996年9月28日没、歌手。歌手名はロベルタ、本名の他にロベルタ・レイ(Roberta Rei)とも名乗った。 活動期間:1978 – 1996 所属レコード会社:Kontiki, Durium, CGD, Five Record サンレモ音楽祭出場1回:1979年参加, ロベルタが歌を始めたのは日本では “黒猫のタンゴ(Volevo Un Gatto Nero)”で知られる子供音楽祭ゼッキノ・ドーロ(Zecchino D'Oro)のバック・コーラスをしているアントニアーノ児童合唱団(Il Piccolo Coro dell'Antoniano)に入団した時でした。 その後フィレンツェのルイジ・ケルビーニ音楽院(Il Conservatorio Luigi Cherubini)でピアノの学位を取得し、ジャズ音楽も勉強しています。 1978年ロベルタの芸名で新興のコンティキ(Kontiki)からデビュー曲“Noi”を出しました。この曲は同年のカストロ・カーロ新人コンテスト、ヴェネチア国際音楽祭(La Mostra Internazionale di Musica Leggera di Venezia)の出場曲でした。 KNT-4001 (1978年 Kontiki Records – CGD Messaggerie Musicali) Noi/Concerto Per Un Amore (come Roberta) KNT-4001 KNT-4002 KNT-4002 (1979年 Kontiki Records – CGD Messaggerie Musicali) Il Sole, La Pioggia (太陽と雨)/Viva カストロ・カーロの成績が評価され、彼女は翌79年サンレモ音楽祭に“太陽と雨”で出場しましたが、入賞はできませんでした。 81年ドゥリウムに移籍してロベルタ・レイの芸名で“月を撃たないで”を出し、この曲を第12回ヤマハ世界歌謡祭の2日目11月30日に歌い、音楽批評家賞を受賞しました。ヤマハでの歌手名はロベルタでした。 Ld・Al-8125 (1981年 Durium – Durium) Non Sparate Sulla Luna (月を撃たないで)/Non Dico Che Morirei Ma È Meglio Quando Ci Sei (come Roberta Rei) Ld・Al-8125 CGD-10542 CGD-10542 (1984年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Stella/ .. Ma Che Spettacolo! (come Roberta Voltolini) 84年プー(I Pooh)のプロデュースで“Stella”をCGDから出します。この時代は本名ロベルタ・ヴォルトリーニを使っています。夏のディスク・フェスティヴァル新人の部で優勝し、彼女の代表作になりました。 翌85年夏のディスク・フェスティヴァルのビッグの部に“Forza”で出場します。前年の様にはいきませんでした。これらの実績でファースト・アルバム「Roberta Voltolini」が作られました。 CGD-10595 (1985年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Forza/Andiamo Via CGD-10595 CGD-20453 CGD-10543 (1985年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Roberta Voltolini 1.In Cerca D'Acqua 2.Come Sto' 3.Uomo Semplice 4.Magia 5.Colori 6.Andiamo Via 7.Che Cosa C'e' 8.Forza 9. Con Me 88年イタリア民放のカナレ5傘下のレコード会社ファイヴに移籍し、セカンド・アルバム「L'Altra Parte Di Me」を出しました。 FM-13625 (1988年 Five – CGD Messaggerie Musicali) L'Altra Parte Di Me 1.Dimmi Chi E' Cosi 2.La Vita Per Te 3.Non E' 4.Dentro Di Me 5.A Occhi Chiusi 6.I Don't Know Why 7.Svegliami 8.L'Altra Parte Di Me 9.Cantero' Per Te FM-13625 残念なことに難病になり、長い闘病生活の後96年9月28日まだ35才の若さで亡くなりました。ファイヴ・レコードを持っているRTIミュージックには未発表の曲が残っていると言うことです。 ロベルタの国内盤は有りません、ロベルタは以上です。
2020.04.19
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★ニコレッタ・バウチェ (vf) Nicoletta Bauce 1954年3月3日ヴェネチアの西北西40kmにある山間の小都市ヴァルダーニョ(Valdagno)生、カンタトゥリーチェ。 活動期間:1974 – 1980 所属レコード会社:RCA Italiana, Philips Records サンレモ音楽祭出場1回:1979年参加, 1970年代初頭に音楽院でピアノを学んだ後、ニコレッタ・バウチェは地元の催しで作曲した曲を演奏するようになりまた。 まもなく75年4月から5月にかけてローマのトリアノン劇場で行われたにヴィンチェンツォ・ミコッチ主催の新人歌手発掘イヴェント[ドメニカ・ムジカ(Domenica Musica)」に参加し、RCAイタリアーナのエドアルド・デ・アンジェリス(Edoardo De Angelis)に見出されてRCAイタリアーナと契約することが出来ました。 この「ドメニカ・ムジカ」のライヴ盤をヴィンチェンツォ・ミコッチの息子ステファノがプロデュースして2枚組LPとして発売しています。 TCM2-1178 (1975年 RCA - RCA Italiana) Trianon '75 - Domenica Musica 1-1.Via Beato Angelico [Perigeo] 1-2.Sto Pensando [Ernesto Bassignano] 1-3.Tre Bocche Nel Cuore [Nicoletta Bauce] 1-4.Goa [Saro Liotta] 1-5.Maida Vale [Stradaperta] 1-6.Esperienze [Rosalino] 1-7.La Ragazza Fisarmonica [Paolo Conte] 1-8.Compagno Di Scuola [Antonello Venditti] 2-1.Non Ho Finito Di Sognare [Silvia Draghi] 2-2.Ad Esempio A Me Piace Il Sud (みどりの園) [Rino Gaetano] 2-3.Pablo [Francesco De Gregori] 2-4.Rosso Napoletano [Tony Esposito] 2-5.Just Married [Mario Schiano] 2-6.Silvia [Renzo Zenobi] 2-7.Evviva Per Gli Studenti (Me Gustan Los Estudiantes) [Carmelita Gadaleta] 2-8.Passato, Presente [Lucio Dalla] TCM2-1178 75年ニコレッタは自作曲“Tre Bocche Nel Cuore”でデビューしました。 TPBO-1173 (1975年 RCA - RCA Italiana) Tre Bocche Nel Cuore/Quando Tornerai TPBO-1173 TPL1-1181 TPL1-1181 (1975年RCA - RCA Italiana) Le Cantautori - Settembre 1975 – Musica Dal Pianeta Donna 1.I Soliti Sassi [Roberta D'Angelo] 2.La Luna Ancora [Roberta D'Angelo] 3.Tre Bocche Nel Cuore [Nicoletta Bauce] 4.Quando Tornerai [Nicoletta Bauce] 5.Il Cosmo [Simo (Simone Valzania) & Susi (Susy Bellucci)] 6.Burningpore [Simo (Simone Valzania) & Susi (Susy Bellucci)] 7.Cogli Il Mio Frutto Dolcissimo [Silvia Draghi] 8.Non Ho Ancora Finito Di Sognare [Silvia Draghi] この年「ドメニカ・ムジカ」に出場したシルヴィア・ドラーギなどカンタトゥリーチェ(女声自作自演歌手)を集めたコンピレーション「Le Cantautori - Settembre 1975 – Musica Dal Pianeta Donna」にニコレッタ・バウチェも収録されました。 76年、全国ツアー後、「ニコレッタ・バウチェ」というタイトルのアルバム制作に取り掛かります。この時代流行したようなものでなく、プログレ色の強い作品となりました。会社側の意図していたものでなかったようで、セールス・プロモーションもしてもらえずセ販売面も結果が出ませんでした。 PL-31245 (1977年 RCA - RCA Italiana) Nicoletta Bauce 1.Prestami Il Tuo Corpo 2.Né Lui, Né Te, Né L'odio, Né L'amore 3.Quando Tornerai 4.Sittin' On The Top Of The World (トップ・オブ・ザ・ワールド) 5.Un Campo Che Brucia 6.Tre Bocche Nel Cuore 7.Je L'Aime 8.La Commedia PL-31245 PPC-6016 PPC-6016 (1977年 RCA - RCA Italiana) [promo] Prestami Il Tuo Corpo/Sittin' On The Top Of The World (トップ・オブ・ザ・ワールド) アルバムからのシングル・カットですが余り使われないレコード番号です。契約完了さすために市販しないシングル盤を作ったとも考えられます。 バウチェはイタリア・フォノグラムのフィリップスに移籍し、79年サンレモ音楽祭に“偉大なる魔法使い”で出場しますが入賞出来ませんでした。しかし販売面では週間ヒット・ランク最高位42位(在位5週間)という成績を残すことが出来ました。 リハーサルの映像のようで珍しいサンレモ音楽祭の舞台で歌っているニコレッタ・バウチェのカラー映像です。 6025-209 (1979年 Philips Records - Phonogram) Grande Mago (偉大なる魔法使い)/In Orizzontale 6025-209 3C・064-18389 3C・064-18389 (1979年 EMI – EMI Italiana) Sanremo '79 16.Grande Mago (偉大なる魔法使い) [Nicoletta Bauce] 2枚目のアルバムのために作曲を始めましたが、より商業的な曲内容に変更するよう求められましたが彼女は拒否、製作は中止となります。またフィリップスに所属するプログレ・バンド、レ・オルメ(Le Orme)のアルバムに参加することも要求されましたがそれも断り、歌手を引退し中学校の音楽教師の道を選びました。 ニコレッタ・バウチェの国内盤はありません、ニコレッタ・バウチェは以上です。 ★イレテ・ユンヌ・フォワ (compl=f) Il Était Une Fois 1971年フランスのパリで結成したジョエル・モーゲンセンの女性ヴォーカルを前面に出した5人(結成時は6人)編成の音楽グループ。79年に解散した。「イレテ・ユンヌ・フォワ」とはおとぎ話の語り始めに言われる「むかし、むかし」の意味。 活動期間:1971年 – 1979年 所属レコード会社:Pathé Marconi サンレモ音楽祭出場1回:1979年参加, 公式サイト:http://joellemogensen.chez.com/discographie.html サンレモ音楽祭出場メンバー(太字:結成メンバー) ・ジョエル・モーゲンセン(Joelle Mogensen) 本名ジョエル・シューペイ=モーゲンセン (Joelle Choupay-Mogensen)女声ヴォーカル、1953年2月3日米国ニューヨーク州ロング・アイランド(Long Island)生-1982年5月15日没 ・リチャード・デウィット(Richard Dewitte) ドラムス、ヴォーカル ・セルジュ・クーレン(Serge Koolenn) ギタリスト、ヴォーカル、1946年6月13日仏ボワ=コロンブ(Bois-Colombes)生 ・ライオネル・ガイヤーリン(Lionel Gaillardin) 1950年生ギタリスト ・ジャン=ルイ・'ドロンヌ(Jean-Louis Dronne) ベイシスト ジョエル・モーゲンセンは1953年フランス人とヴェトナム人の混血アメリカ人の母とデンマージ人の父の間に米国ニューヨーク州ロング・アイランドで生まれました。 60年代初頭、父の郷里デンマークに戻りました。少女の時デンマークでアメリカ人歌手としてTVに出演します。 69年母と妹と共にフランスに移り住み、音楽を学びカフェやフォーククラブで歌うようになりました。サン・トロペでヴァカンスを過ごしている時にミシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)のミュージシャンでドラマーをしているリチャード・デウィットとギタリストのセルジュ・クーレンと知合いました。 ジョエルとセルジュは恋に落ち、パリ郊外で暮らすようになりますが、ミシェル・ポルナレフの人気が急速に落ち、リチャードとセルジュは失業してしまいます。71年幼馴染のギタリスト、ライオネル・ガイヤーリンとニーノ・フェレール(Nino Ferrer)のギタリスト、ブルーノ・ウォルター(Bruno Walter)、マルチ・プレイアーのクリスチャン・ブルギエール(Christian Burguière)が加わりパリで6人編成のイレテ・ユンヌ・フォワが結成されました。 72年リチャード・デウィットの作った“Rien Qu'un Ciel”とセルジュ・クーレンが作った“Maria”レコード・デビューしました。このデビュー曲が大ヒットしました。 2C・006-12200 (1972年7月 Pathé – EMI France) Rien Qu'un Ciel/Maria 2C・006-12200 彼らは70年代フランスで最も有名なバラエティバンドの一つとなり、4枚のアルバムとサントラ盤に4曲を残しました。 2C・062-12287 (1972年 Pathé – Pathé Marconi EMI) Il Était Une Fois 780・040 (2010年Culture Factory –) CD Il Était Une Fois 1.Lever De Rideau 2.La Grille 3.Rien Qu'Un Ciel 4.La Fille Que J'aime 5.Chacun De Nous 6.La Vieille Dame 7.Time 8.Maria 9.Frère Magnan (Introduction) 10.Ainsi Soit-Il 11. Say Mama 12. Clôture 13.Le P'Tit Bout À Lionel 2C・062-12287 780・040 72年にウォルターとブルギエールはジャン=ルイ・'ドロンヌとダニエル・シュニッツァー(Daniel Schnitzer.)に置き換えられました。 2C・064-12738 (1974年 Pathé – Pathé Marconi EMI) La Rage aux poings (Bandes originales de films) 1.Les Larmes Aux Yeux 3.Running Around 7.Si L'On Réinventait Un Pays 9.Dis... Pourquoi... 2C・064-12738 2C・064-13056 (1975年 Pathé – Pathé Marconi EMI) Ils Vécurent Heureux 74-8935・2 (1990年EMI France – EMI Music France) CD Ils Vécurent Heureux 1.Dis-Moi Comment Tu T'Appelles 2.La Triste Histoire De William Carpenter 3.J'Ai Encore Rêvé D'Elle 4.Elle (S. Koolenn) / Les Jean's 5.A 6000 (We Don't Speak English) 6.Pour Tous Ceux Qui S'Aiment 7.Ne Bouge Pas, Ne Change Pas 8.Les Magazines 9.La Femme Araignée 10.Polnarevient 11.Colombes 12.Final (Ils Vécurent Heureux) 2C・064-13056 74-8935・2 76年に72年途中加入のダニエル・シュニッツァーが辞め、5人編成のバンドになります。 2C・066-14401 (1977年 Pathé – Pathé Marconi EMI) Tourne La Page 853-388・2 (1996年EMI France – EMI Music France) CD Tourne la page 1.Tourne La Page 2.Y'A Des Jours Comme Ça 3.Je N'Ose Pas Lui Dire Bonjour 4.Elle A Des Idées Folles 5.Chez Moi 6.Les Tours De Notre-Dame (Ont Coeur De Pierre) 7.Samedi Samedi 8.Le Café Attendra 9.C'Est Comme Ça Que Je M'En Vais 10.C'Est Trop Tard 2C・066-14401 853-388・2 2C・068-14553 (1978年 Pathé – Pathé Marconi EMI) Pomme 853-389・2 (1996年EMI France - EMI Music France) CD Pomme 1.Pomme 2.Elle, Delta 3.Moi, Si J'Etais Toi 4.Mes Aventures 5.Tant De Choses 6.Le Droit De Rêver 7.Mon Coeur 8.Il A Bon Goût 9.Et Les Deux, Pourquoi Pas ? 10.Rock And Escrock 2C・068-14553 853-389・2 彼らが有名になるに従ってジョエルとセルジュの愛の関係は過密なツアー・スケジュールやマスコミ圧力に耐えられず、破滅の道を突き進みます。その真下79年サンレモ音楽祭の出場が決定。結果は入賞出来ませんでした。ただこの曲を中当ユミが“狂っちゃうわ”という題で日本語カヴァーしていますが、カンツォーネ・ファンの間でも余り知られていません。 3C・006-14720 (1979年 EMI – EMI Italiana) Impazzirò (理性を失なう時 (狂っちゃうわ))/Di Più (Vincenzo Petti) 3C・006-14720 2C・008-14802 2C・008-14802 (1979年 Pathé – EMI France) La Clé Des Cœurs/J J'Suis Passible De La Peine D'Amour 79年後半シングル盤“La Clé Des Cœurs”を最後にバンドは解散してしまいました。 ジョエル・モーゲンセンはソロ歌手として再出発しましたが、3年後82年5月15日に肺水腫を患い、わずか29才で短い一生を終えてしまいました。 イレテ・ユンヌ・フォワの国内盤は有りません、イレテ・ユンヌ・フォワは以上です。
2020.04.14
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★マリネッラ (vf) Marinella 1952年10月17日ボローニャ (Bologna)生、本名マリネッラ・ブルザミーニ(Marinella Bulzamini)歌手、ショーガール、ロベルト・フェッリ(Roberto Ferri)の妻。 活動期間:? – 1985年 所属レコード会社:Ariston, Carosello サンレモ音楽祭出場2回:1979年参加, 1981年7位, アルバム:1 マリネッラは女性バンドのボーリア(Le Boria)に所属していましたがle Boria、このバンドを脱退した後は、歌手と喜劇女優に専念しました。 レコード・デビューは1979年サンレモ音楽祭出場曲、当時結婚していたのかどうか判りませんが、ご主人であるロベルト・フェッリとジャンカルロ・トロンベッティ(Giancarlo Trombetti)の作った“黄色いページ”でしたが入賞することはできませんでした。ロベルト・フェッリもボローニャ出身で故郷の方言で歌い、マリネッラは自称ボローニャのジュリエット・グレコを言っていたようです。 AR-00847 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) Autunno, Cadono Le Pagine Gialle (黄色いページ)/Datemi Del Sugo AR-00847 AR-00882 AR-00882 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) Su Con La Vita/Cosa Avete Da Ridere 2作目は両面ともロベルト・フェッリの作詞・作曲でした。マリエッラは80年代カンツォーネの傾向、70年代の影響を受けながらセミ・シリアスさと、あまり内容のないコミカルな傾向を折衷したようなキャラクターを特徴としていました。 それは若者を対象としながら、政治的、当時のファッションをテーマにパロディ化することによって大人の層にも支持を得ようとしたものでした。 81年2度目のサンレモ音楽祭に挑戦しました。歌った曲は“Ma Chi Te Lo Fa Fare”で彼女のキャラクターが浸透していたのか最下位の7位でしたが見事入賞を果たしました。年間ヒット・ランク100位には入りませんでしたが、週間ヒット・ランク最高位27位(在位13週)となり彼女の最大のヒット曲になりました。 AR-00908 (1981年 Ariston – Dischi Ricordi) Ma Chi Te Lo Fa Fare/Ciao, Come Spero Di Te AR-00908 AR・LP-12385 AR・LP-12385 (1981年 Ariston – Dischi Ricordi) Marinella – Ma Lascia Stare, Ma Chi Te Lo Fa Fare 1.Ma Chi Te Lo Fa Fare 2.Su Con La Vita 3.Ciao,Come Spero Di Te 4.Maria Butta La Pasta 5.Ma L'Amore Mio Non Muore 6.Autunno,Cadono Le Pagine Gialle 7.Depressive Rock 8.Datemi Del Sugo 9.Mi E' Scaduto Il Libretto Della Mutua 10.Cosa Avete Da Ridere 2度目のサンレモ音楽祭出場曲が成功したおかげでマリネッラ唯一のアルバム「Marinella – Ma Lascia Stare, Ma Chi Te Lo Fa Fare」が作られました。 81年にはもう一つの成功を収めます。イタリアの民間放送が始まってまもなくイタリア1の傘下にあるアンテナ・ノルディの幼児番組「i Bim bum bam」のテーマ・ソング“ Il Cammello”を出しました。しかしアニメ・ソングの分野は直ぐに一回り下で、“黒猫のタンゴ(Volevo Un Gatto Nero)”で知られる子供音楽祭ゼッキノ・ドーロ(Lo Zecchino d'Oro)出身の若手歌手クリスティーナ・ダヴェーナ(Cristina D'Avena)に取って代わられます。 AR-00919 (1981年 Ariston – Dischi Ricordi) Il Cammello/Maria Butta La Pasta AR-00919 CI-20530 CI-20530 (1985年 Carosello – Dischi Ricordi) Colazione D'Amore/Love Breakfast (lato B in inglese) デビューしたアストンから離れ、85年カロセッロから“Colazione D'Amore”、B面は英語版を出したのを最後に、消息が立てています。おそらくカンタアウトゥーリで作詞・作曲家のロベルト・フェッリの妻を優先させたのではないでしょうか。 マリネッラの国内盤 GP- 683 (1979年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第29回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1979) 8.黄色いページ (AUTUNNO, CADONO LE PAGINE GIALLE) GP- 683 マリネッラは以上です。 ★アイックス (compl) AYX ギタリストのリッカルド・ガラルディーニ(Riccardo Galardini)がトスカーナ(Toscana)で結成したバンド、アクシャドラ(Axiandra)に1978年カンタゥトリーチェのグロリア・ヌーティ (Gloria Nuti)が加わり、アイックスと改名して活動を始めた。 活動期間: 1978年 – 1979年 所属レコード会社:EMI Italiana サンレモ音楽祭出場1回:1979年参加 構成メンバー ・グロリア・ヌーティ (Gloria Nuti) 1957年4月17日フィレンツェの北西近郊の都市プラート(Prato)生、本名グロリア・マリア・ヌーティ(Gloria Maria Nuti)、ヴォーカル担当、女性自作自演歌手。89年サンレモ音楽祭に出場。 ・リッカルド・ガラルディーニ (Riccardo Galardini) 1956年4月9日プラート生、ギター担当、ギタリスト、作・編曲家、教師。 ・ロドルフォ・バンケッリ(Rodolfo Banchelli)1958年12月16日フィレンツェ(Firenze)生、ヴォーカル、ダンス担当。84,85年サンレモ音楽祭にソロ歌手として出場。 ・サラ・ビッチカ (Sara Biciccia) メイン・ヴォーカルのグロリア・ヌーティは14才の時にギターを習い始めます。最初はパトリツィオ・ハイル(Patrizio Hile)、次に地元のクラブ・アミーチ・デッラ・ムジカ(Club Amici della Musica)のミケーレ・ライノーネ(Michele Rainone)から教えを受けました。 歌はイェマ・キケリーノ(Jema Michelini)教授から、フルートはマエストロ・オテロ・ベネッリ(Otello Benelli.)から教えてもらいました。 そしていくつかのグループを経験し、1978年トスカーナ、エミリア・ロマーニャとリグーリアのディスコで演奏する同郷の若手ギタリスト、リッカルド・ガラルディーニ (Riccardo Galardini)のバンド、アクシャドラ(Axiandra)に参加します。 すぐに彼らに幸運が訪れます。モレノ・ポリドーリ(Moreno Polidori)がプロデューサーとなりグループ名をアイックス (AYX)と変えて、ポリドーリが制作コーディネーターをする映画の主題歌を歌う仕事を持ってきました。 映画は前年78年にアメリカで製作された「サタデー・ナイト・フィーバー (Saturday Night Fever)」に触発されてイタリア版音楽青春映画として作られた「Rock ‘N Roll」というものでした。監督がヴィットリオ・デ・システィ(Vittorio De Sisti)で男女のアクロバッティク・ロック・ン・ロール・ダンサーがプロを目指して成長していくという青春映画です。 3C・006-18358 (1978年 EMI – EMI Italiana) Ayx Teca/Ayx Incontro Due 3C・006-18358 MDF-33・125 (1978年 Cinevox – Dischi Ricordi) Rock ‘N Roll (Colonna Sonora Originale Del Film) CIA-5006 (1978年 Cinevox – Dischi Ricordi) Rock ‘N Roll (Colonna Sonora Originale Del Film) 1Rock Around The Clock (ロック・アラウンド・ザ・クロック) [Bill Haley And His Comets (ビル・ヘイリーと彼のコメッツ)] 2.She’s My Little Girl [B.C. Corporation] 3.A Night Club In L.A [Benjamin Franklin Group] 4.A Square Girl [B.C. Corporation] 5.There’s No Matter [Linda Lee (リンダ・リー)] 6.Popular Avenue [Magnetic System] 7.Tutti Frutti (トゥッティ・フルーティ) [Little Richard (リトル・リチャード)] 8.Sweet Girl [B.C. Corporation] 9.Funky Music Is Okay. [Benjamin Franklin Group] 10.Midnight Special [Benjamin Franklin Group] 11.Hot Cha-Cha [Fruit Of The Gum] 12.That Music Man [B.C. Corporation] MDF-33・125 CIA-5006 映画「Rock ‘N Roll」の主役はアクロバット・ロック・ダンスの世界チャンピオン・ペア、ロドルフォ・バンケッリ(Rodolfo Banchelli)とサラ・ビッチカ (Sara Biciccia)でした。音楽担当はチェザーレ・A.・ビクシオ(Cesare A. Bixio)でオリジナル・サウンドトラック盤はチェザーレ一族のチネヴォックス(Cinevox)から発売され、EMIイタリアーナのアイックスはシングル盤のみの発売となりました。 この年は映画「サタデー・ナイト・フィーバー」に続きアメリカ映画「グリース(Grease)」も大ヒットしイタリア製の「Rock ‘N Roll」もアイックスの地元トスカーナ地方で青少年から大きな支持を得ました。そのお陰で79年サンレモ音楽祭の出場が決まりました。 出場メンバーはアイックスのグロリア・ヌーティとリッカルド・ガラルディーニに映画「Rock ‘N Roll」に主演したアクロバッティク・ロックンロール・ッダンスの二人、ロドルフォ・バンケッリとサラ・ビッチカに映画でもバック・ダンサーを務めたと思われるモレノ・ポリドーリ現代ダンサー連盟のダンサー(I Ballerini Della Federazione Ballerini Moderni Di Moreno Polidori)で編成された新たなプロジェクトのアイックスであったと思われています。 グロリア・ヌーティ以外は顔も隠した全身タイツを身に着けた舞台だったという資料もありますが、この年予選はラジオ中継だけでTV中継は最終日入賞者のみ。初戦敗退のアイックスの映像は残されていないようです。 3C・006-18387 (1979年 EMI – EMI Italiana) Ayx Disco (アイックス・ディスコ)/ Ayx Ritmo (Ayx Non È Un Ufo) 3C・006-18387 アイックスはこの後もう1枚シングル盤を出したとする資料もありましたが、確認できていません。 79年中にアイックスは解散し、グロリア・ヌーティはCBSディスキと契約しているバンド、エクストラ(Extra)に移籍し、89年サンレモ音楽祭に出場しました。リッカルド・ガラルディーニはジャズ・ギターの道を進み、ロドルフォ・バンチェリもソロ歌手となり、84年サンレモ音楽祭に出場します。 アイックスの国内盤は有りません。 グロリア・ヌーティ 2は89年サンレモ音楽祭の後に、ロドルフォ・バンチェリ 2は84年サンレモ音楽祭の後に続きます、アイックスは以上です。
2020.04.09
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★グリム (compl) Grimm 1971年にナポリのロマーノ(Romano)三兄弟が結成したコッカーズ(I Cockers)が改名した3人編成のバンド。 活動期間:1971年 - 1989年 所属レコード会社:Mimo, Ricordi, Polydor, Fonit Cetra, Vis Radio, La Pera, Ariston サンレモ音楽祭出場1回:1979年12位 公式サイト:https://www.facebook.com/iFratelliGrimm/ 構成メンバー ・ピノ・ロマーノ (Pino Romano) 本名ジュゼッペ(Giuseppe) 1952年1月9日ナポリ生 ・エンツォ・ロマーノ (Enzo Romano)本名ヴィンチェンツォ(Vincenzo) 1956年3月1日ナポリ生 ・カルロ・ロマーノ (Carlo Romano) 1957年4月24日ナポリ生 ナポリのピノ、エンツォ、カルロ・ロマーノの三兄弟は1971年コッカーズ(Cockers)というバンドを結成し音楽活動を開始しました。 71年6月フランコ・ミリアッチ(FrancoMigliacci)とジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)が設立し、RCAイタリアーナが販売権を持つレーベル、ミモ(Mimo)から“フレネシア(Frennesia)”でデビューしました。この年のナポリ音楽祭出場するかなり期待された曲で、前年のナポリ音楽祭の優勝者で、ナポリの大物歌手ペピーノ・ディ・カプリ(Peppino Di Capri)のパートナーとして歌う曲でした。 しかし音楽祭はストライキに巻き込まれ中止となり、勝敗の結果は出ませんでした。コッカーズにとって不幸なデビュー曲になってしまいます。 ZM-50197 (1971年6月 Mimo – RCA Italiana) Frennesia (フレネシア)/Alleria [come I Cockers] ZM-50197 その前に彼らはもっと大きなチャンスを逃していたとのことです。71年サンレモ音楽祭第2位となった“ケ・サラ(Che Sarà)”を歌うオーディションを受けていたのですが、結局リッキとポーヴェリが出場することになったようです。 コッカーズの“ケ・サラ”の話は初めて知りましたが、“ケ・サラ”の作詞家はフランコ・ミリアッチなので、ただコッカーズが歌ったデモ・テープを作った程度の話かも知れません。 コッカーズは2枚目のシングルを出し(未確認)、ジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)のコンサートに同行しサポート・バンドをしています。これでミモとの契約が終了し、彼らは活動拠点をローマからミラノに移します。 ミラノに移ったロマーノ三兄弟と父はマーマレード (Marmalade)のヒット曲”わが日々 (Reflections Of My Life)”で各レコード会社にプロモートして回りました。興味を示したのはリコルディ(Ricordi)の幹部、作曲家でもありかつて歌手だったジャンニ・サンジャスト(Gianni Sanjust)でした。 サンジュストはD.D.サウンドやラ・ビオンダでしられるラ・ビオンダ兄弟の弟アンジェロ・ラ・ビ・オンダがプロデュースし、アンジェロ(Angelo La Bionda)とピノ・ロマーノが作った曲“Amare Mai Capire Mai”でバンド名もグリム(Grimm)に変え再デビューさせます。彼らをイタリアのビー・ジーズに仕立てるつもりだったかもしれません。B面は英国のパーチメント(Parchment)が歌った“光を与えて”のイタリア語カヴァーでした。 SRL-10・696 (1973年 Ricordi – Dischi Ricordi) Amare Mai, Capire Mai/ Regina E Re (光を与えてLet There Be Lightパーチメント) SRL-10・696 SRL-10・729 SRL-10・729 (1974年 Ricordi – Dischi Ricordi) Sogni "In" Rosa/Per Questa Sera グリムは新人歌手の仕事としてリコルディが出す74年サンレモ音楽祭のコンピレーション用にミドル・オブ・ザ・ロード(Middle Of The Road)が歌った“黄色い太陽(Sole Giallo)”を録音しましたが、イタリア本国では発売されなかったようです。 興行師イヴォ・カレガリ(Ivo Callegari)の勧めでマルチェラ(Marcella Bella)のミニ・ツアーに参加した後、2枚目のシングル“Sogni "In" Rosa”を出しました。これでリコルディとの契約は終了したようです。 75年グリムはイタリア・フォノグラムのポリドール・レーベルに移籍をしました。ポリドールでの第一作目はアメリカのカールズ・グループ、ロネッツ(Ronettes)が63年に出した大ヒット曲”私のベイビー(Be My Baby)”をクリスティアーノ・ミネローノ(Cristiano Minellono)のプロデュースでカヴァーしました。 年間ヒット・ランク100位以内には入りませんでしたが、76年の週間ヒット・ランク最高位15位(在位13週)となる彼ら唯一のヒット曲です。 2060-107 (1975年9月 Polydor – Phonogram) Be My Baby (私のベイビー) - Ronettes /C'È Qualcuno Che Mi Aspetta 2060-107 2060-130 2060-130 (1976年 Polydor – Phonogram) Piccola/Reginella 移籍第2弾はミネローロとジュゼッペ(ピノ)・ロマーノが作った“Piccola”を76年に出しました。3枚目の“Come On”は前回の二人にヴィンチェンツォ (エンツォ)が加わって作りました。 2060-143 (1977年 Polydor – Phonogram) Come On/Angela 2060-143 2060-190 2060-190 (1979年 Polydor – Phonogram) Liana(リアーナ)/Fiaba “私のベイビー”のヒットが認められ、79年サンレモ音楽祭にロレノ・ラッタリーニ(Loreno Lazzarini)の作った“リアーナ”で出場、最下位の12位ながら入賞を果たしました。ポリドールに移籍直後からもめていたプロデューサー問題もあってサンレモ後、フォノグラムを離れます。 82年フォニット・チェトラからTVアニメ「ニルスのふしぎな旅(Nils Holgersson)」の主題歌をグリム兄弟(I Fratelli Grimm)名で出しています。 SP-1787 (1982年 Fonit Cetra – Fonit Cetra) Nils Holgersson/Nils Holgersson (Versione Strumentale) [come I Fratelli Grimm] SP-1787 彼らロマーノ兄弟は85年ナポリの老舗レコード会社、ヴィス・ラディオからシングル盤“Ma Pecche'”を出し、またナポリ音楽祭の曲を集めたアルバム「Grimm – I Grandi Successi Dei Festival Di Napoli」を発売しました。 IM-929 (1985年 Vis Radio - Durium) Ma Pecche'/Miette 'A Capa A Ffà Bbene IM-929 LP・IM-797 LP・IM-797 (1985年 Vis Radio - Durium) Grimm – I Grandi Successi Dei Festival Di Napoli 1.Li Funtanelle (小さな泉) 2.Lazzarella (ラッザレッラ) 3.Sarrà , Chi Sa...! (サラ・キ・サ) 4.'A Pizza (ピッザ) 5.Tu Si Na Cosa Grande (素敵なあなた) 6.'Nnammurate Dispettuse (いじわるな恋) 7.'Mbraccio A Te 8.'E Ccummarelle (井戸端会議の女達) 9.Serenata A Margellina (マルジェリーナのセレナード) 10.'O Cantastorie (歌物語) 11.Vurria (ヴリア) 12.Mare Verde (緑の海) 13.'O Treno D' 'A Fantasia (幻の汽車) 14.Guaglione (ガリオーネ) 15.Vieneme 'Nzuonno (夢に来たれ) 16.Bella (ベッラ) 17.Suonno A Marechiare (マレキアーレの夢) 18.Suspiranno Na Canzone (歌にためいき) 19.Schiavo D'Ammore (愛の奴隷) 20.Tuppe-Tuppe Mariscià! (聞いておくれよ、おまわりさん) 21.'Sti Mmanne (面影を求めて) 22.Me Chiamme Ammore (恋人と呼んで) 23.Indifferentemente (無関心) 24.Chitarra Rossa (赤いギター) 25.Sciummo (河) 26.'O Ritratto 'E Nanninella (ナンニネッラの肖像) 27.Cerasella (チェラセッラ) ナポリ音楽祭の曲を集めたアルバムがグリムのファースト・アルバムとなりました。1952年9月に始まる第1回からグリムが“フレネシア”で出場予定にしていながらストライキで幻の大会となった71年の第19回の前年の優勝曲“恋人と呼んで”までカヴァーしていました。 同年、多分自分立ちのレーベルではないこと思われるラ・ペラ(La Pera)からアルバム「Grimm – Napoli (Theatrical Town)」を出しています。全曲3兄弟か、3兄弟とプロデューサーのフランコ・キャラヴァッレ(Franco Chiaravalle)が書いた曲です。 LP・JD-14001 (1985年 La Pera – Durium) Grimm – Napoli (Theatrical Town) 1.Napoli (Theatrical Town) 2.Alone 3.Twist,Twist 4.Touch Me ! 5.Rock'n' Roll Franky 6.Resto Cu Tte 7.Lidia 8.Voglio Cantà 9.Napule E' Turnata 10.Pe Mme,Tu Si... LP・JD-14001 88年アリストンと契約し、戦後のヒット曲をカヴァーしたシリーズ「メイド・イン・イタリー(Made In Italy)」第16集を受け持ちました。 ARE-0028 (1988年 Ariston – Dischi Ricordi) I Grimm – Made In Italy Vol. 16 1.Parole 2.Carina (カリーナ) 3.'Na Voce E 'Na Chittarra (捧げるは愛のみ) 4.Permette Signorina (お嬢様、失礼) 5.Dove Il Vento Piega Le Pall...me! 6.Il Pullover (プルオーヴァーのセーター) 7.Un Pò Mandrillo E Un Poco Cucciolo 8.Pro Dos Besos 9.Un Amore D'Italy 10.E Sto Pensanno Ancora A Nuje 12.Tiger Twist 13.Il Mio Mondo (私の世界) 14.Con Quelle Gambe... 15.Patatina (パタティーナ) ARE-0028 ARQD-050 ARQD-050 (1989年 Ariston – Dischi Ricordi) (Q-disc) 1.El Mosquito 2.Por Dos Besos 3.Dove Il Vento Piega Le Pall...Me! 4.E Sto Pensando Ancora A Nuje 89年アリストンからQ-ディスクというミニ・アルバムで“El Mosquito”ほか3曲をリリースしています。これがグリム最後のレコードとなり、その後解散して夫々の道を進みます。 一番年上のピノ・ロマーノは音楽の仕事に情熱を注ぎ、作曲家、演奏者、作家の仕事を続けました。現在は人生を顧みて瞑想の生活を送っています。 真ん中のエンツォ(ヴィンチェンツォ)・ロマーノはニノ・ダンジェロ(Nino D’Angelo)やジャンルーカ・グイディ(Gianluca Guidi)のヒット曲を書くカンタアウトゥーレとして楽曲を提供しています。またリフィ時代のミーナの恋人と言われたアウグスト・マルテッリ(Augusto Martelli)とコラボしたりライヴ・コンサートを続ける一方、幅広い年齢層の生徒たちにギターを教える教師もしました。 ※ディスコグラフィ・サイトのディスコグス(Discogs)のエンツォ・ロマーノの項で60年代と思われるレコードが掲載されていますが、別人と判断してこれらは紹介していません。 一番年下のカルロ・ロマーノは、引退してエホバの証人(Un Pensionato Testimone Di Geova)に入信し、大家族と共に音楽を楽しむ生活を送っています。 グリムの国内盤 MW-2089 (1974年5月 RICORDI - ポリドール.) 30cm LP サンレモ1974 (SAN REMO 1974) 4. 黄色い太陽 (SOLE GIALLO) MW-2089 グリムは以上です。
2020.04.04
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