《櫻井ジャーナル》

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2013.02.19
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 イスラエルのアヤロン刑務所で死亡した「囚人X」ことベン・ジギヤーはモサドに拉致される前にオーストラリアの治安機関ASIOに接触、モサドが行っていた工作の詳細を伝えていたと報道されている。その工作に中に イタリアを舞台としたもの

 現在、モサドとASIOとの関係は緊張状態にあるのだが、その直接的な切っ掛けは、ハマスの幹部だったマームード・アル・マボーを暗殺したチームのメンバーがオーストラリア人名義のパスポートを使っていたこと。

 暗殺は2010年1月に実行されているが、その半年以上前からASIOは、少なくとも3名のオーストラリア系イスラエル人をモサドのスパイだと疑い、調査していたという。その3名にジギヤーも含まれていたようだ。

 たとえ友好的な関係にある国の情報機関でも、自分の「縄張り」で支配システムを無視するようなことは通常、許さない。ASIOがモサドの工作に腹を立てるのは普通のこと。メンツを潰されたということである。

 1986年にもモサドはイスラエルの秘密を漏らした人物を拉致、刑務所に入れている。ディモナの核施設で1977年から約8年に渡って働いていたモルデカイ・バヌヌが拉致された。この年の10月、イギリスのサンデー・タイムズ紙はイスラエルが200以上の核弾頭を保有しているとする内部告発を掲載したが、その告発者がバヌヌである。

 バヌヌの情報はまずオーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙やエイジ紙へ持ち込まれるが、拒否される。その一方で新聞社側はすぐにASIOへ通報、対外情報機関のASISを経由してイスラエル側へも伝えられ、モサドが動き始める。

 そこでバヌヌと協力者はイギリスへ飛び、デイリー・ミラー紙へ持ち込むのだが、この新聞社で国外の情報を担当していた編集者、ニコラス・デービスはイスラエルのエージェントだった。当然、バヌヌたちの動きはモサドに筒抜け。デイリー・ミラー紙の前にサンデー・タイムズ紙と接触していなければ、バヌヌの告発は闇に葬り去られていた可能性が高い。

 モサドはイギリスの治安機関、MI5にバヌヌを監視するように要請、MI5側はイギリス内で問題を起こさないという条件で協力することになる。バヌヌの動向をつかむことは容易だったが、拉致するためにはイギリスの外へ連れ出す必要がある。そこで選ばれたのがイタリア。女性を使ってローマへ誘い出すことに成功、そこでモサドのエージェント3名に拉致され、イスラエルへ連れ去られてしまった。バヌヌは1988年3月に懲役18年の判決を受け、すでに刑期を終えているのだが、今も発言や行動は制限されている。

誘拐工作にイタリアの対外情報機関SISMIが協力、当時の長官も有罪判決 を受けたことは本ブログでも書いた通り。イタリアは「普通の国」ではない。

 第2次世界大戦後、イタリアで創設された情報機関はCIAの強い影響を受けている。特に、CIAの防諜部門を指揮していたジェームズ・アングルトンという人物は重要な意味を持っている。彼の父親、ヒュー・アングルトンは大戦の前からイタリアに住み、アレン・ダレスと結びついていただけでなく、ファシスト団体に人脈を持っていた。その人脈を息子は引き継いでいる。

 その一方、ジェームズ・アングルトンはイスラエルとも関係が深かった。CIAの内部には中東を担当する部署があるのだが、イスラエルだけは防諜部門が担当している。つまり、アングルトンの担当。

 ヒューの人脈にはジョバンニ・バティスタ・モンティニ、つまり後のローマ教皇パウロ6世も含まれていた。モンティニの右腕だったシカゴ出身のポール・マルチンクスは後にIOR(通称、バチカン銀行)の頭取としてアメリカの東欧工作に協力、例えばポーランドの「連帯」へ違法送金している。日本では左翼にも信奉者が多い、あの「連帯」は米英を中心とする「テロ組織」の手駒だった。

 この金融スキャンダルでフリーメーソン系の非公然組織、P2が注目されるのだが、この組織は「NATOの秘密部隊」とも繋がっている。この秘密部隊はソ連軍が侵攻してきたときに備えて創設された「残置部隊」とされているが、実際は西ヨーロッパ支配、特に左翼勢力を潰すために機能してきた。

 イタリアでNATOの秘密部隊はグラディオと呼ばれ、1960年代から1980年頃まで「左翼過激派」を装って爆破工作を展開している。そうした工作の容疑者として指名手配されていた人物を日本政府は迅速に帰化させ、保護している。

 1982年7月、空港でP2のトップだったリチオ・ジェッリの娘が持っていたスーツケースの底にあった隠しスペースから書類が見つかっている。日付けは1970年3月18日。友好国政府が共産主義者の脅威に対する警戒心をゆるめているような場合、友好国の政府や国民を目覚めさせるために特殊作戦を実行しなければならないというようなことが書かれていた。要するに「緊張戦略」。文書作成の責任者として記載されていたのは、あのウィリアム・ウエストモーランド大将だという。

 ヨーロッパだけでなく、中東や北アフリカを含む地中海沿岸を支配するためにイタリアは要石のような国。アメリカやイスラエルの支配層にとっても、イタリアは重要な意味を持つ。そこでイスラエルが何をしようとしたのか、あるいはしたのか、興味深い。





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最終更新日  2013.02.20 01:44:28


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