第2次世界大戦後、沖縄はアメリカの重要な戦略的拠点になった。そのアメリカの戦略に従い、南西諸島にはミサイルの発射基地が建設されている。新たな戦争の準備を進める沖縄で、6月23日には「戦後80年沖縄全戦没者追悼式」が開催された。
南西諸島から台湾にかけての島々は日本軍にとって「不沈空母」とみなされていたようだが、これは戦後のアメリカ軍にとっても同じことである。そこでアメリカ軍は1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収、軍事基地化を推し進めた。1955年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。
沖縄基地化の背景にはソ連に対する先制核攻撃計画が存在していた。1945年9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるとされ、それには204発の原爆が必要だと推計。そのうえでソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だとしているが、その当時、アメリカはこれだけの原発を持っていなかった。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945)
その後の計画は実態が伴うものになり、1957年に作成されたドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていた。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)によると、1961年7月に軍や情報機関の幹部はジョン・F・ケネディ大統領に対して先制核攻撃計画の内容を説明している。1963年の後半にはソ連を核攻撃するというスケジュールになっていた。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMを準備できると信じていたからである。
ソ連に対する先制核攻撃を実行しようという動きが出てきた当時の統合参謀本部議長ライマン・レムニッツァーは1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めている。
この計画を大統領は拒否、1961年11月にアレン・ダレス長官や彼の側近で秘密工作部門の責任者だったリチャード・ビッセル計画局長らを解任、チャールズ・キャベルCIA副長官も62年1月に辞めさせた。そして1963年6月10日に大統領はアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言するのだが、11月22日にダラスで暗殺された。
そして 2016年、与那国島でミサイル発射施設が建設された。それに続いて2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設が作られている 。これはアメリカの軍事戦略に基づくもので、中国や朝鮮を攻撃する準備にほかならない。



その軍事戦略をアメリカ国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」は2022年の4月に説明している。GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するという計画を公表したのだ。アメリカはヨーロッパでロシアとの国境近くにミサイルを配備してきたが、東アジアでも同じことをしようとしている。「戦前X年」と言える状況になっている。
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