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久し振りに前後不覚になる程の酒を飲み、一丁前に泥酔した。今はとてもまだ気分が悪く、意図に反して突然炎のごとく嘔吐もした。朝方まで飲んだのだが、すぐさまベッドに倒れこみ、ふと起きて時計を見ると5時15分、おや全然眠っていないのだなと少し嬉しくなり、また眠る。次に起きたときも、時計を見たら5時15分、おやおや、2,3分しか眠ってなかったんやな、と安堵し、惰眠を貪る。その次に起きたとき、時計の電池が切れているのではという恐怖感に襲われた。携帯電話の時計をみると13時30分、それは何かの間違いであろうかと思われた。いつの間に夜中になったのだ、いや、13時?お昼だ、ムム、強烈な二日酔いのようだぞ、あれ、背広がぐちゃぐちゃに床に脱ぎ散らかしてある。おお、会社からも携帯に電話が入っている、っていうか、会社5時間遅刻したのではないか・・・直行!何処に・・・電車に飛び乗ったが、揺れて気分が悪くなり、途中下車。駄目だ・・・若いときはよく飲みすぎて(また大量にも飲めた)強烈な二日酔いにやられ「もう明日からは飲まない」と誓いをたてて、その夜に誓いを破るという繰り返しであった。今は、あまり飲まないが、二日酔いになっても、ただ気分の悪さが収まってくれるのを祈るだけだ。コンビニで水を買おうとしてレジで財布を出して空けたら、驚愕すべきことに、「カラヤン、アホヤン」であった。昨晩使い切ったようである。もしかして金が尽きたから帰ったのだろうか?という疑問を呈しつつ、クレジットカードを取り出して眺めてみた。もしかしてこいつを使ったのだろうか。しかし、カードを見ても使ったかどうかかは分らないことに凡そ0.1秒で気がついた。だから、今、祈っている。チャカポコチャカポコ・・・ああ、駄目だ・・・追記;ライヤルワトソン先生は、絶対二日酔いしない方法というエッセイを書いていた。それは、絶対二日酔いだと信じないことであるそうな。断じてこの頭の痛さや吐き気は二日酔いではないと。間もなく24時間固形物をとっていないことになる・・・
2004.07.31
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ところで、泊めてもらった家の父親は、非常に親切な人で、日本語を操る。「オマエ、タベル~」と満面笑顔で。泊めてもらった家の母親は、大変親切な人で、日本語を少し操る。「オマエ、ナゼ、ウラナリ(祖国)ノクニキタ?」と満面笑顔で。当時、韓国では、まだ海外旅行自由化がされておらず、私が、タイやマレーシア、インドネシアなどを先日廻って来た国々にも今ひとつピンと来ないようであった。しかし、羨ましそうにしていた目は忘れない。同年代のこの違いは国籍ぐらいなものなのに。 その泊めてもらった彼と、私をソウルタワーに案内してくれた後輩君とで、映画を見に行った。アメリカ映画で、当時そろそろ売り出され始めたチャックノリスの映画であった。チャックノリスとは、ブルースリーのドラゴンへの道で、ラストにローマのコロセウムで戦い、胸毛を抜いてアチョーという映画の胸毛やられ役で出ていたが、ここでは元スワットか何かのエリートで、最期にハイジャッカーか何かを倒し、乗客たちが機内でバドワイザーを開けて乾杯、その飛行機がTWA、ちょいとどこか帝国主義て感じの映画だったのだが、そんなことはどうでもよい。 タイと同様、映画の始まる前に国家掲揚があり、皆が起立するのである。兵役義務のある韓国で、できるだけ兵役を遅らせて粘っている泊めてもらっている彼は、面倒臭そうにノそりと立ち上がり、いち早く兵役義務を終えた後輩君は、シャキーンとキョーツケをしていた。 ところで、この半年ぐらいで観た韓国映画は、「シュリ」「JSA」「猟奇的な彼女」「八月のクリスマス」「春の日は過ぎ行く」「チング」「2重スパイ」「カル」等だが、JSAが良かった。キタとミナミの国境警備隊がふとしたことで仲良くなってしまい、夜中に親善訪問するのであるが、その仲良く遊んでいるシーンがナゼかジーンと来るんだよね。む~ン。
2004.07.30
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立て続けに猟奇的な韓国映画を3本観た。韓国のことを思い出した。 バンコクで、金は尽きた。(というより盗まれた)日本に帰ればいいのに、帰りのストップオーバー、韓国ソウル5日間。所持金1,000円。 ソウル市内の某大学を勝手に親善訪問。「私、日本の○○大学を代表致しまして、やってきました」と嘘八百。その後、学生の家に泊めてもらえることになる。早速中華料理とマッコリに焼酎の大パーティを行ってくれたのであるが、1日1食程度であった私の胃袋には多大な負担であった。「どうしたのですか」と教授。教授まで出てきて頂かなくとも…と恐縮する。 そこから、毎晩、恐怖の大宴会が朝方まで続き、昼間は、夜に備えて、ただ寝っているだけというよく分からない5日間となった。否、夜に備えているのではなく、2日酔いと戦う日中であり、ただ動けないだけであった。 それにしても彼らは良く飲む、2次会、3次会とディスコやラウンジのような所を巡り、最終は、家の近くのトラックの上で飲んだ。彼らは唯一知っている日本語を連発する。「トイモイサン、スコシ、トリンク」全然、スコシじゃないんですけど…と涙ポロリ状態であった。 1日だけ、夕方だったか、ソウルタワーだったか案内してもらった。泊めてくれている学生の後輩とその彼女が案内してくれた。後輩サンは日本語がスコシできたので案内係りに抜擢された(強制された)模様であった。後輩サンは真面目な顔してたどたどしく日本語を話しした。「カノジョハ、アマリ、キレイ、デハアリマセン」おいおい、そんなこと言っていいのかよ、私はびっくりしして彼女を見た。彼女は、ニコニコ~っとして私に微笑みかけてくれたのであった。私は、スコシ、悲しくなった。 5日間で使用した金額は概ね800円。空港で日本円に交換したら201円であった。もう空港でキムチの臭いを感じない程、身体はキムチ化していた。(韓国では日本型冷蔵庫は全く売れない。キムチ壷が入らないから) 日本に戻った頃、空港から帰ることが出来なかった。銀行残高もない。友達が迎えに来てくれていた。アジア病に陥っていた私は遠慮なくたかってしまった。アイゴー
2004.07.29
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困ったことに、あるボタンの一つ外れてしまった背広をクリーニングに出す度に、店員に「これボタンが一つないですけど」といい、その度に、「あ、ホンマやっ!」と分っているのに見え透いた芝居をしてしまう。何回繰り返せば解ってくれるんだ。 背広を新調すると、その布地の切れ端と(何に使うのだ?)ボタンを1つ2つ一緒にもれなくついてくる。私は、もったいながりなので、一応取っては置くが、置く場所を決めていないので、結構あらゆる所にボタン&布地切れ端セットが跋扈している。しかしながら、それを使ったことはない。いらないということだね。 その後、缶ビールを買ってレジに置いたら、レジの兄ちゃんが、缶を1本落としてしまった。「すみません、すみません取り替えます」なんてえらく恐縮していうものだから、「いいよ、いいよ、どうせ飲むから(意味不明)」というと、次は、「あ、缶が凹んでいます。すみません取り替えます」なんて泣きそうにいうものだから「いいよ、いいよ、どうせ飲んだら缶も凹むから(意味不明)」といってさっさとレジを後にした。 大学受験が終わり、信州にスキーに行ったことがある。そのとき、ゲレンデでぶつかった男が関東人であった。「きをつけろよ」と彼は言った。関東弁との遭遇であった。「なんだ、関東人、全然怖くないやん」と若く私は思った。 1年後の同じ時期に、また同じメンバーで、また同じ信州の同じホテル、同じツアー、同じ料金で行った。私以外は全員浪人していたので、皆、開放感いっぱいである。 しかしながら、私は、インドから帰ってきた翌日で、すっかりインドに感化され、てっきりインド君になってしまっており、何かあればゲレンデというのに「インド的やなあ」を連発して、昨年まで同じような仲間と思っていたのに、遠く遠く私は彼らと離れていっている気がした。 今、単純に働いているが、会社の人たちと、私のマインドとは初めから遠く遠く離れっぱなし。 懐かしのイーグルス日本公演があるという。80年代、90年代などを代表する曲1曲って何かなという質問は答えにくいが、70年代を代表する曲は「ホテルカルフォルニア」だろう。 告白するが、私は、本屋で本を1冊だけ買うのが大の苦手だ。何故かは、分らないが、店員に「あんた1冊しか本読まないの、馬鹿ね」と思われたくないのだ。もしかしたら妄想かもしれない。しかし、それで、読みたい本1冊に読みもしない本又は読みそうにもない本を3冊ほど和えて購入してしまうのである。 だからではないが100円の古本は私の味方だ。8冊買っても約800円で済むのである。明日は、瓶缶を捨ててもいい日だ。急いで、空瓶とアキカンを作成しよう。胃袋に応援頼む。では、今から、レッツドリンクっ!
2004.07.28
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世界三大祭はこちらです。最近知り合った関東人は、子供の頃、半分に切ったユデタマゴをお弁当に見立てて、「いただっきまーす」といって箸で黄身を食べ、ついつい白身もたべてしまい、「あ、しまった!弁当箱食べてもた!」という幼稚園的レベルギャグを連発したことがなかったという。勿論、私もせいぜい小学1年までしかそんなギャグはしていまい。ところで、その関東人に「大阪はな、各家庭に1台、タコ焼き器持ってるねんで、わしゃ大阪人ちゃうけど、関西人として実家にたこ焼き版あるで」といったが信じてもらえなかった。百年前の高校ドイモイ調べによると90パーセントの家庭のキッチン収納の奥地にたこ焼き器が眠っていた。 昔は、純粋で怖かった、私は、活字を信じていた。小学校も卒業した時、母親の本棚を見た時、ある単行本を見つけた。タイトルは「蝉になれ」(今ならイヤだ)著者は通っていた小学校の校長先生。「すごいな」と私は感心し、母親に「凄いねえ校長先生!」と意見した。母親は、「カワサセラレタだけ」と一言だけ言った。おまけに鼻で笑った。母は若干正しかったのであるが、小学生の私には説明不足であった。http://www.jah.ne.jp/~heiryou/stranger/
2004.07.27
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天神祭りに行ってきた。 花火→1980年代より花火事故減少→1999年より花火事故増加→花火大会の数、打上玉数は変化なし→不景気による花火大会予算の低下→技術供与による中国での生産、輸入増加→不良品の増加→予算上安全品質管理検査皆無→中国ダイエット食品被害問題との共通帝国ホテルと花火
2004.07.26
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勤務途上の道すがら、中華学校がある。炎天下の中、小学生の生徒達が立っているのが見える。校門は、近年の治安悪化による防犯上、ぴっちり閉められており、遅刻した女の子が、もじもじしながら校門の前で開けてくれるのを待っている。誰も、先生は来る様子が無いので、朝礼が終わるまでは、その子はそこにいるのだろう。 私が中学校だった頃も確かに暑く、何の意味があって灼熱校庭に生徒を軍隊形式に並ばせて朝礼を行っていたか、今となっては分からないのだが、当時も、熱中症(当時は日射病といった)で生徒が、バコンバコン倒れる中、先生達は平気で(平気でもないのかも知れないが)演説を長々としていた。 私も、コレでも、運動をしていて(あまり関係ないだろうが)体力には自信があったので、まさか日射病にそうやすやすと罹ってたまるかいな、という自負があったのだが、そのある日は、やばい状態になってきた。あと10分は持たない、ここで自らしゃがんでギブアップすべきか、いちかばちか倒れて気を失うギリギリまで頑張ってみるか、迷った。あるマラソン選手ではないけれど(あるって君原健次選手だけど)あの電信柱まで、あと3分だけ、我慢してみよう、などと躊躇しながらも根性をみせていた(自分の中で) 嬉しかったことに、集会は終わった。しかし中学生は集会が終わってもだらだら教室には帰らない。我々のクラスは、まわれ右をしてまっすぐ後ろに列を崩さず歩いて行き、数十メートル歩いた後、左折して校舎に向うのであった。さすがに校舎に入れば、自由に歩いてよろしい状態であったのであるが、列を作って歩いているうちに、目の前が徐々に暗くなり始め、黒い点々のような沁みのような、痺れを視覚化するとこんなのになるんだろうな、という状態になり始めた。 しかし、私は踏ん張った。私は気が付けば、自分の席まで辿り着いていた。 私は、何故かフィリピンのマニラにいる時に、お世話になっている下宿先の息子の兄貴代わりとして、彼の小学校卒業式に出たことがある。卒業式は夕方から校庭で行われた。椅子が並べられているのだが、生徒どころか親兄弟の席が決まっておらず、誰もが適当に空いている席に座っていた。私も彼と彼の母親と私とが並んで座った。 というか既に卒業式は始まっており、彼は自分の卒業証書を受ける頃にやってきたようなのであった。そして、生徒達が、名前を呼ばれて卒業証書を受け取ると、かわいかったり頭がよかったり面倒見が良かったり、と人気者がでると会場は沸き、生徒達は一斉に口笛をならしたりして楽しんでいた。厳しいことに、人気のない生徒は、シーンである。 何だか、楽しいものだった。 私の荷物の一部や財布から小銭を盗む癖のあった彼も、もう成人している。 そういえば、その彼には、出来の悪い弟がいた。彼は手癖は悪いが、頭脳は明晰であった。弟は、私がタガログ語(ピリピンのルソン語・国語)ほとんど話せないのに、喋りかけてくる。そして最終的には耳元で小声で話してくるのであった。「ハロハロ(南国ごちゃまぜジュース)」か「ペラ、ペラ(金、金)」か。 彼は、小学生の授業では国語の時間にタガログ語を、国語以外の時間を英語で、休み時間友達とはタガログ語で、家に帰ればセブ島出身の地域なので、ビザヤ語を話している。しかしこの弟とは、タガログ語で話をしているうようだ。 アジアの島国では、トリリンガルが結構普通だったりするんだよなあ。
2004.07.25
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カルカッタ 2 はなぢが出そうな頃、カルカッタ郊外のダムダム空港に。夜中。建物に掲げられたヒンドゥ語のオレンジ色っぽい電光文字が暗闇の中におぼろげに浮かんでいる。頭の中に未解読の音楽が流れ、タラップが開いた瞬間、生暖かい空気が澱んでいた。まず、迎えてくれたのが「わしらマラリアもっとるけんね」とでもいいたげな眠た気な蚊が数匹。体が重くて仕方ないらしい。力なく漂っている。「きっと、日本の蚊やゴキブリは殺虫剤の免疫耐性ごっこを繰り返しているから、やたらすばしっこくて、やたら頑丈なのだよね。ね、ね」といい、「インド初めてだから、そう理解してもいいよね。ね、ね」と慰める。両足で、大地の一歩を。 今宵を空港でごろ寝。数人を残し、国際空港とは思えぬ閑散さ。 長く、震える夜を過ごした。北インドが結構この季節冷えるとは情報を仕入れていなかったなあ、思った瞬間、ほとんど何の情報も仕入れていなかったことに気がついた。ただの田舎出身無防備野郎だったのだ。サリーを来た女性が歩いて行った。「おおお、空港の中までサリーなんてサービス満点」などと思っていたのであった。ヒンドゥ教の女性は上流階級から土木作業員までほとんどがサリーだったのだ。汚れきったサリーを着て、頭にレンガを乗せるのさ。私は、風土に合った服、つまり着物論者に単純に転向したのである。 朝靄。ちょっとインドを垣間見てやろうと、空港と扉をエッチな気分で少し開けてみた。痩せこけた牛が一匹止っている。牛は視線を感じたのか、一応こちらを見たが、焦点が定まっていなかった。「なんだ。人間か。食えねえな」 タクシーの中からカルカッタ郊外をビデオでも見るようにお上りさん感覚で眺めている。牛乳缶を自転車で運ぶ人。川沿いにいつまでも続く貧民街。路上生活者にムシロ。路上のポンプで体を洗う子供達。褐色の痩せて棒のような手足。光った体。はっきりしている。視覚的に。よく見える。理解など、できないが、日本よりは隠されていない。エネルギッシュだ。 タクシードライバーとも目的地に着けば、交渉決裂。店のおやじや通行人や乞食も集まり、何やら大声でわめき散らす。どうやら、我々乗客の味方は我々だけらしい。救世主か、チャイ屋のおやじがチャイを両手に持ち現れた。「さあ、疲れたろう、これでも飲んで交渉ゆっくりしたまえ」空港から二十七ルピー。 公園の中にあるお茶屋。子供に勘定を頼む。子供は初めての外国人に戸惑い、少し考えたふるをしておどおどしながら指を三本出す。こちらも何もいうつもりはなかった。騙される楽しみもいいじゃないか、と。隣で一部始終を見ていた老人の客が、子供を叱った。子供はすぐさま二本の指を折りたたんだ。老人は頷き、「一ルピーだよ」と笑顔でいった。
2004.07.24
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カルカッタ 1 六年前と変わらない風景。フィルターを通した「歴史」「悠久」「哲学」といった美しい言葉とは裏腹に絶対的な現実が、肌にのっぺりと圧し掛かってくる。絶対的現実って何だろうか。ひとつは「剥き出しの生と死」ではないだろうか。「死」が掘っ立て小屋やお茶を立ち飲みする人、ごみ、路上のポンプ、乞食、排気ガス、汚れた建物の壁、瓦礫、鳥、何度も剥がされたポスター、映画館の前に群がる人々、胡座をかいて煙草を売る主、パパイヤを刻み売りする少年、音の割れたスピーカーから流れてくるインド音楽、壁に直接描かれた広告、人力車、そういったものの中に埋もれている中に「死」が隣合わせになっている。死にむかって生がまっしぐら。日本で唯一、残存するタブーである「死」でさえ、隠蔽されずに現実にある。 建物は、厳しい気候と爆発的人口増加と激しいインド的使用方法によって急速に老朽化している様にみえる。インド髄一の栄華を誇ったの植民地時代の建物と、その後その上に積み増しして建てられた建物、相変わらず仲良く破壊的な経年変化。 しかし、人は変わったような気がした。相変わらず剥き出しの生は見せてくれるものの、死の影は薄く隠蔽されつつあるような印象を受けた。私がすぐにカルカッタに慣れたのか、私の立場が変わったのか、実際に変わってしまったのか、一介の旅行者には分からない。都市は生き物で生物(なまもの)だから、多分、ありとあらゆる方向で変わっていっているのであろう。その土地をいつかは逃げられることができる鈍感な者が、思い出を変えて欲しくないと愚鈍する。 ガンジス河の支流フーグリ河に架かるハウラー橋を歩いてた。大袈裟な髑髏に似た橋だ。その髑髏に蟻が這う様に人や物が行き来する。この街はこの河で分断されているというのに、近年できた有料の橋とこの橋しかないので、この五百メートル程に人も荷物も車も集中し、歩道を越えて人やリキシャーで渋滞を常に起こしている。橋を渡り終えたところで、、駐車中の車や荷台を擦り抜け、路上で体を洗っている人の水飛沫を避け、道の真中でお茶を飲んでいる人にぶつからない様にし、寝ている乞食を踏みつけない様に注意しなければならない。信号待ちや渋滞で停まっている車はエンジンを切るので、運転中なのか注意し、クラクションに悩まされ、暑い排気ガスの滞った空気を肺に入れなければならない。こちらがお茶を飲めば、歩いてくる人に気を配らなければ、お茶を汗まみれの服に零してしまう可能性もある。この異様な力のベクトルはどこに行くのだろうか。個人は小さくまとまっているのだろうか。ただ、バラバラな中で、いわゆる雑踏の孤独という感じには襲われず、不快極まりない散歩も結構愉快なのである。これは、私が一介の生活者でない訪問者に過ぎないからか、ここが私との現実の生活と乖離しすぎているからかも知れないし、ベンガル的な風土のなせる技なのかも知れない。ただ、今だけでもどっぷりこの世界にはまり込んで彷徨できるものと思っていたのに、不意にこれが仮の姿に過ぎないということを思い出してしまった。港を捜し求める小舟に過ぎない。今、この瞬間がどこであろうと現実であると考えてが、堕落分子である。私は手を挙げて、タクシーという個室空間に逃げ込んだ。
2004.07.23
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手紙が来ていた。といっても恋文ではなく大阪自動車税事務所からだった。どうやら2台前の赤い日本製ポルシェの名義変更がまだなされていないようだ。督促状になっている。前も着ていたので、そのまま自腹80円切手を切り、無料であげた方へ請求書を転送したのであるが、どうやら行方不明になってしまったようである。 2年前は、パチンコで日に20万円儲けたり、いわゆる金融業で羽振りが良かったのであるが、(家の前の道が狭いので、セカンドカーとして使用したいとのことであげたのだが)1年前に急にもう誰彼なしに、金を借りようと動き回っていた。私は、人畜無害のお人よし君なので、周りの人間から「大金だけは人に貸すな、貸すならあげたと思え、保証人にだけはなるな」と口すっぱく言われている。話を聞くだけでも、私は同情しそうなので(愛情は不得意だが、同情は得意という噂)電話も出ずに関わらなかったのだが、やがて、この宙に浮いた自動車税どうなるの?っていうか自動車まだあるのだろうか。 もう一通着ていた手紙もクレジット会社の請求書。全く嬉しくないねえ。後払いのいけないところは、何で今更こんなのにお金払わないといけないの、っていうもっていきようのない怒りが生じること。 消費する快楽を先取りしてはいけないのかなあってことか。 夏休みにいよいよ入ったようである。小中高生達の話である。私はまだ人生の長い夏休みに全然入れていない模様である。 私は小学校6年生の時、塾で滋賀県大津市、延暦寺の麓で勉強合宿に参加したことがある。別段、修行をする訳ではないが、勉強だけでなく、琵琶湖で泳いだり、藻で足をすくわれたり、壬申の乱の何かに関係ある遺跡を見たり、疲れて鼻血を出したり、その間に勉強したりした後、最終日に比叡山登山をして、延暦寺に行った、というのは嘘で、その横の比叡山頂上遊園地に行った。 初めてお化け屋敷というのに入った。人がお化けの格好をしていて奇声を発したり、裏返ったりする健全なお化け屋敷であり、小学校6年の私の足は、そのとき、正直、若干、すくんだ。お化け屋敷体験のことを学校の感想文に長々と書いた。 そんなことを思い出しながら、休みであろううきうきした子供をファーストフード店で見た。105円シェイクを飲みながら。 さて、本題に入ろうとしたが、睡魔が襲ってきたので、いつか、いつか、またいつかの日に譲ろうと思う。(一番駄目なパターン)
2004.07.22
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いまどきのTV零時壱拾分1. 在日米軍私有車車庫証明書取得しなさい2. らくらくふぃっとねす ルンル 価格6090円 商品No.166183. 漫画4. ファイトイッパツ リポビタンDオリジナルグッズがあたる5. 御念珠 税込7983円 送料630円 6. 赤井英和 なつかしの街7. (いわゆる福井弁でいうところの)じゃみじゃみ8. 過去にも同じ手口の犯行9. 伝えたい日本の心、日本とアジアの心 四天王寺界隈を散策10. 爆笑告白11. ギャルサーがいくなごみツアーとは?12. 血管 時間がたちすぎると危ない。解説者が変な悪人顔五時壱拾分1. 人質解放でアロヨピリピン大統領インタビュー2. 自然派化粧品 内容60ML オーストラリア製 価格9450円 3. (いわゆる福井弁でいうところの)じゃみじゃみ4. サッカー 日本0-1オマーン5. こんにゃくチップ24袋 税込4533円 こんにゃくだから適度な満腹感を6. 兵庫県警本部長 謝罪へ 被害者のでっちあげ検挙者のすりかえノルマの実情7. (いわゆる福井弁でいうところの)じゃみじゃみ8. 京都夏祭り風景9. 3週間体験チャレンジ お腹周りの贅肉に困っていた10. NY 巨大壁画広告 政策に1週間はかかる NY マクドナルドのビッグマック2万個を食べ続けた人、マクドナルドより表彰11. ゴルフ12. 何か医者の国際派遣団の回想録 夏の鼻チューリップの原産はイランである。オランダで何故チューリップか、あの原色でいってしまっているからだろうか。球根バブルというのがありましたなあ。1個の球根が家買えるぐらいに投機商品として暴騰した、今から見れば馬鹿だなあというが、あと100年したら、昔の日本人て馬鹿だなあと平成バブル時代を思うのかも知れない。 異人館に咲き乱れる花(サクラ乗り遅れ号)http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/ijinkan/sub6.htm マックスウエバーには、日本人には崇拝者が多いが、賛否両論があるが派入辰郎著「マックスエウバーの犯罪」というのが面白いhttp://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Max%20Weber%20Debate%20Suzuki%20Akira%20Essay%20200403.htm
2004.07.21
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今日は、野暮用で(正確に言うと仕事で)元住んでいた市に行った。といっても、住んでいた駅ではなかった。住んでいた駅を通り過ぎる時、(電車から前住んでいた家が見える)前住んでいた家の2件隣(1件隣はマンションであった)に分譲マンションが建設されていた。あそこには、着のよさそうな老夫婦が住んでいた。多分、先代からの土地で、主人は気のいいサラリーマンという風情で、奥さんも品の良い方だった。回覧板で「最近自分の家の前の溝掃除をしていない家が見受けられます」と私のことを遠まわしに非難したのは決してこの方ではなかったであろう。 ましてや、私が自分の家の前に車を置いていたら、駐車禁止を貼るように警察にちくったのもその夫婦ではないだろう。勿論、2回目の駐禁もその夫婦ではないだろう。そんなことを漠然と考えていた。ただ、懐かしさはなかった。 昨日、「ハナビ」と「ウナギ」を続けてDVDで観た。(今日は何故か「死刑台のエレベータ」を見直した。今から「キリングフィールド」を見直す予定) ところで、監督というのは、よく考えれば(よく考えなくてもだけど)演技指導を、少なくともベテラン俳優にでも、こんな感じで演技してくれと撮影時に助言する筈だ。 で、ハナビには、というか私の記憶の中ではキタノタケシ映画に濡れ場の記憶がない。で、ウナギには2箇所濡れ場があった。 セックスとは、大変、個人的なものであるが、こういうシーンは多分、監督の性癖をそのまま映し出していつのではないだろうか。とても恥ずかしいと北野武監督は思うのだろう。「ほほう、この人ならこうやってする訳なのか」 そういえば、最近の若い男は、アダルトビデオの通り(どんな通りや?)しようとして女の子に嫌われるというのを聞いたり読んだりしたことがある。 いったい常識とは何なのだ。ここに1冊の冊子がある。今日ポストに入っていたのである。書き出しは、幸福、人間は遠い昔からこの2文字を追い続け、今日の物質文明を築き上げてきた。その結果果たして幸福をつかみえたでしょうか?そっか、読んでみるか「○光」・・・
2004.07.20
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私事で恐縮であるが、私は、神戸市内で、かの出石そばの店に生涯2件行った中で、一番美味いと思った店がある。http://www.nishimuraya-fc.com/nfc_files/main_files/sen_01.htmlそばの店を今まで行った蕎麦屋トータルしてもベスト3に入るのではないかと思う美味さである。しかしながらプロではないのでナンバー1は決めきれない。何せ、過去の思い出は美しくなるか憎悪する一方であるから。同時期に食わなければ比較できないのである。 ところで、ここのいわゆるわんこそばは、5皿750円なのだが、追加が1皿105円であり、ちゃんと卵やとろろもわさび付のだしが追加で出てくる。不思議なことに、2丁下さいと頼むのと、1丁に5皿追加と注文するのと全く同じ商品が出てくるのである。それでいて料金差は750円×2と750円+105円×5という戦慄の差がでるいのであった。 ある夏の日のキャンプにて、私はその参加者の最年長に近いことに気がついた。年をとっているだけでえらいのであるという儒教だけに通じる地域常識を駆使して、私はふんぞり返って日々、僕たちに飯を作らせていた。私といえば、川の浅瀬(水深20センチ)に椅子を持っていき、そこに座り、酒を飲み、漫画を読むというのがメインの仕事であった。しかし、その朝は違ったのである。「流しソーメンしようや」と私はいい、私は、茹で、私は、つゆを用意した。しして私は川上に立った。「おい、後輩ドモ、ソーメンを流す樋や筒がないので、ちょっとずつ川に流すから、下で橋で受け取りたまえ」かくして、私は、川幅5メートルの川に少しずつソーメンを流した。10メートルほど川下にいる後輩たちの手にはつゆの入ったアルミコップに割り箸。 5分後、水中眼鏡で川底を見ると、残骸が。環境破壊である。鮎だって多分ソーメンは食わない。ところで揖保の糸はレッキトシタ兵庫県揖保郡の名産さえることはご存知であろう。先日お会いした方は知らなかった。まあいい。http://www.ibonoito.or.jp/
2004.07.19
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ワイシャツの首周りが綻んだので、雑巾にすることにして、家の前にあるユニクロに同じ色と生地のワイシャツを買いに行った。会社用ワイシャツを買うのは4年ぶりぐらいである。何故ならば、4年前に500円で何故かシャツが売っていて20着買ったからだ。買うのは飽きていたからだ。ちなみに私は、概ねネクタイだけはシャツの20倍以上のものをつけているが、中には1つ2つバンコクの屋台で買ったもやヤクザにただで貰ったものが入っている。勿論、屋台で買ったものもブランド物も見分けはつかない。ちなみに家の前のユニクロで買い物をしたのは、驚愕すべきことに2回目である(3年間で) まあ、そんなことはどうでもいいのだが、本題はここからである。昨日みたいに本題に入る前に疲れてリタイアして眠ってしまう失態は今日だけは繰り返さないつもりである。 こんなことをいうのも何だが、私には、仲の良い友達男Aと女Aがいた。2人は学生時代から社会人へと長い間付き合っていて、よく3人でいろいろ遊んだり(海外含む)遊んだり、遊んだりしたものであったが、やがて悲しきことに別れてしまった。 しかし、2人にとって、私は相変わらず友人であったので、時々別々に会ったりしていた。私は、仲介役にお互いの人生がそうなっているのか、なんて野暮な話題をすることはなかった。しかし、2人共、言っていたことは、「彼女(彼氏)と再び再会するとしたら、唯一君の結婚式ぐらいだよな」であった。やがて、悲しきことに、私には彼女ができ、覚悟を決めて結婚するときがきた。結婚式当日突然二人が会うということにもどかしさを感じ、結婚1週間前に3人で数年ぶりにあった。男Aは既に結婚し、女Aには彼氏がいた。 2人の再会は静かだったと思う。もう何も感情はないのに、お互いが隣にて歩いたり話しただけで、そのときの仕草や話し方の微妙な特徴を昨日のことのように違和感なく思い出してしまい、今2人は恋人ですよ、といっても違和感のないようなフィット感があった。 そういうことを後日、2人別々に聞いた。私の結婚式が終わり、嫁と女Aは、男Bの背広姿がいまいちだったと感想を述べていた。それは1も2も奥さんのせいだといっていた。若い私は反論した。「服を買うのは、男自身である、服の趣味に嫁ハンの意見はない。着るものぐらい自分で買いにいく」といったのだが、「自分で決めたり勝手に買う人もいるだろうけど、世間はそうみないよ。あんな恥ずかしいカッコさせてと奥さんがいわれるんだよ」「あー、怖っ!」 今日は、近所ででるが、初めて漬物定食を昼間に食べた。ご飯お代わり自由で10種類の漬物に味噌シル、漬物サラダ(?)に味噌湯葉(?) それから車に「クーラントレベルなんちゃら」と出ていたのをずっとほったらかしていたが、クーラント液をついに購入。どうやら冷水器のようである。500CC入った。説明書を読むと全10リットルとのこと、たった5パーセント減っただけで警告ランプつくんかえ、とディーラーに聞けば、そうです、とのこと。 それからフェルメールhttp://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/main.html22時半より「スパイダーマン2」オーバンドっていうんだね、円形ゴムバンド
2004.07.18
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米軍歩兵は一人当たり装備が400万円(1ドル120円換算)であるらしい。背中にちょっといい車を背負っている感じである。この数字は、携帯GPSが70万円とか暗視昨日付スコープが32万円とか順々に並べて、チューブ状水分補給機(キャメルバック社)4000円を宣伝しているメーカーが提供しているらしい。人殺しって金がかかるんだよな。 意味もなく徹夜してしまった。クマゼミが五月蝿い。子供の時の記憶によると、クマゼミは西日本にしかいなくて昆虫で一番大声で叫ぶやつ。ガキの頃、網を持って体中蚊に刺されながら、ひたすらセミを採集。早朝は、山に入り、クワガタスポットに日参。クヌギの木を何度も蹴り、ピンセットで穴をほじくり、木の根辺りの土を掘り返す。いつもはコクワガタかミヤマかヒラタ。水牛、のこぎり、そして一度だけオオクワガタ。 あかん、眠い。本文に入る前にダウン(AM6:45)
2004.07.17
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今日は、1日中、某銀行(昨日合体発表があった銀行でなく、既に税金注入されている銀行)の本店地下2階にいた。 携帯電話が入らないところだ。考えてみれば、携帯電話とパソコンのインターネット接続で人によるが、5000円から20000円ぐらい、何もなかった時代から出費が増えたのではないだろうか。固定電話が断然下がった訳でもない(基本料金がなくなれば別だが)携帯電話の出現で、人々の所得は変わらず、または下がったとしてもすごい、金(出費)を生み出している。 コンビニも同じようなものだ。コンビニの出現によりスーパーや百貨店は打撃を受けたが、それ以上に消費を創生した。小腹が減ったが昔なら我慢しても、3分歩けば買えるならツイツイ行ってしまう、そしてついつい雑誌にビールなんていうと1000円ぐらいいってしまったりして。昔はそういうのはなかった。近所での醤油の貸し借りもあった。 携帯電話を持ったのは何年前だったか、持つのは遅かった。何せ、電話を持つと、電話がかかってくる。そういえば、家の電話もでない。1回切れて2回目かかったら本当に用事あるのかもと思って出る時もある。 そういえば、親父も電話に出ない。イママデ、散々、親子関係が悪いから、あんたはそんな性格になったんやと言われたが、よく考えたらそうなんかなあとも思う。アメリカのテレビの見過ぎか、一家団欒なんかあるんかな昔は?何て少し思った。私は親父と今までの人生でトータル30分も喋ったことはない。何を考えているかしらないし、親父は私にこびないし、子供は好きでなさそうだし、私は、親父をかわいそうなヤツだと思っている。これってけっこう昔の日本のスタイルだったのかな、なんて今日少し思ってみて自分を慰めた。以上。
2004.07.16
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私の知り合いで多分一番有名人であるある芸術家の人がいます。(今、グーグルで名前入れたら600件ヒットした)その人が、岡山に講演に行く時に、在来線で出かけていたのが、在来線が加古川駅で事故か何かで止まってしまった。彼は、駅員に向かって烈火の如く怒り、どうしても岡山に行く仕事があるから責任を取って明石まで戻ってそこから岡山までの新幹線の切符を発行しろ、等と無理難題を大声でまくし立てた。そんなこといっても他の乗客もいるので不可能だと思われるのだが、あまりにもの迫力としつこさで、何と西明石岡山間の新幹線の切符をもぎ取ってきた。その時、彼はニカッーと満面笑顔。怒ってない。役者やのう。 私の知り合いで多分一番性癖の幅が広い人がいます(ホモ以外オールOK)その人と一緒にデパートの駐車場から出るときにいきなり係員に噛み付いた「おい、買い物に来て気に入った商品がなくて何も買っていないのに駐車場代だけ取るちゅうんかい!そんなことあるかいや、払う金はない」の一点張りで、後ろに車が並び始めた。4,5分やり取りして押し問答していたが、係員のおじさんは並んでいる後ろの混み具合を気にして、「もういいです、言ってください」と言った。車を出した彼は、まだそのことに文句をいうのかと思いきやニカッと満面笑顔。怒ってない。役者やのう。PS 戦場での夢をみた。そこにまだ実際に会った事のない知人が登場していた。戦火を避けるため敵地の防空壕で集団で身を潜めている。しかしもう彼女は体力の限界で、そこにたまたまいた昔の彼氏に脱出を依頼した。(昔の彼が何故か私の中学3年のときの友人、おととしに15年ぶりに突然正月実家に行ってみて再会した。彼はえらくヨロコンデくれたが、嫁に「な、俺、友達おったやろ」と自慢していたのが不思議であった) 彼はトラックの運転手であったが、そう簡単に敵地からトラックで逃亡できない。そこで隣で話を聞いていた兄ちゃん(現実の世界では、私の知らない人)が銃で突然自殺した。彼は、「この死体の代わりに君が棺おけに入れ。それで敵地を突破する」と彼女に言った。 トラックを取りに行ったとき、でかい敵(はアメリカ人白人であった)がやってきた。いつの間にか私も夢の傍観者から夢に参加させられ、その白人が振るかなづちで頭を割られそうになったところを、うまく私は金ケリする。しかし、それで本当にでかい白人を怒らせてしまったようだったが、何故か、一緒に来ていた敵陣の反乱により、味方にその白人は殺されてしまった。その間に、その反乱した敵の青年と私はトラックに乗り込む。しかし、私は何故かすっぱだかで、彼女に見られたら困るじゃないかと思ったら、シャツ姿になっていて安心した。トラックは出発していった。
2004.07.15
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約三十キロある荷物を担いでバンコクから飛んできた。慣れたふりをして、空港から少し出た所からバスに乗り、パサイ地区へ行く。以前、カエルの様な生活だ、と従兄弟に呆れられていた無職青年アリエルは、ミンダナオからワイフを連れてきて生活を始めていた。彼は無職のままだった。アリエルの新婚生活は、近くの家の階段下をベニアで仕切った三畳弱のスペースにベッドを入れて始まっていた。二人のいうままに私は泊まり込むことになった。着いて暫くした夕方四時、ラジカセのテープをセットした瞬間、床の上で不意に眠ってしまった。私は二つの髑髏に挟まれながら、海の中で必死でもがいている夢にうなされ喘いでいた。バックにクラプトンが流れている。不意に目覚め、時計を見ると、また四時だ。十二時間が一瞬に過ぎた午前、スプリングの悪そうなベッドを見ると、アリエルのワイフが涙を流しながら、「アイラブユー」を繰り返しつつ、彼の耳たぶを舐めていた。彼女に近くのレストランでウエイトレスをさせておいて、自分は夢だけを語っているだけの仕方のない野郎だなあ、と私は考えていたのだが、それでも彼女は彼のことが好きなのだな、と一瞬思ったが、「取り込み中に何なんだが、さっきクラプトンかけてた?」と尋ねた。その後、返ってくる見込み一パーセント以下のお金を、彼が企てたアンダーグランドの商売のために貸しつけると、彼、得意の悲し気な目をして微笑んだ。荷物はそのまま預け、ディパック一つ担いで、ジプニーを乗り継ぎ、カローカン地区へ行く。以前、親しく話もしなかった日本帰りの髪の長いサリーの家に泊まり込むことになった。フィリピンでは彼女は無職のままであった。サリーは妹のダリーと彼女の父親不明の赤ん坊とバンド仲間の男役レズの子と、どう関係があるのか全く分からない小学生男女二人の六人で二部屋のアパートで暮らしていた。部屋で暇そうにしていると、サリーが「日本語読む?」といって手紙の束を見せてくれた。タガログ語か英語で書けばいいのに、彼女の読めない日本語は、どの人も文面がほとんど同じで、赤面する程稚拙な文章。姿は想像できる。部屋で暇そうにしていると、ダリーが「ちょっといい?」といって以前働いていた店の話をしだした。その店の女の子達の八割がシャブ中毒なのだという。彼女もそうだった。私とて、連日連夜の大量アルコール摂取で疑似肝炎状態になり、目が少し黄色くなってきたことは棚に上げて、彼女の何の楽しみもなさそうな陰りのある目を見て尋ねた。「君は君の人生が嫌で嫌でしょうがないのかい?」彼女はにっこり微笑んで、少しばかり口を尖がらせて「嫌よ」と答えた。私はタイの山岳で、つらい昼間の畑仕事の疲れや厭世観(?)を癒すために夜な夜な阿片に溺れる中毒者の老人達のことを思い出していた。彼らは、それを止めない限り、禁断症状はないので、多少の弊害があっても十分に生きていける。阿片なので、やり続けてそのままボロボロになっても、なかなか死んでいくということもない。そうやって一生を終えていく。私は上海で、ひとりの日本人高校生キヨシに出会ったことを思い出していた。初めての海外旅行で、一人という彼は上海に到着したとたんに不安で不安で仕方なかった様であった。私を日本人と認めるやいなや「兄貴、兄貴」といって離れない。日本で待つ彼女にはお土産に毛皮を買いたいとのたまい、私につきまとう上海オカマに対して「オカマは非常識だ」とのたまう彼であったが、私と別れる日に彼はいった。「実は、親父への反抗旅行なんです。親父はフィリピンで芸能斡旋業みたいなことをしていて、何だか不潔なんです。フィリピンに行ってみろと、何度も父親にいわれてるんですが、それを拒否して中国に来てみたんです。ここに来た理由なんて、上海バンスキングって映画見たからなんですよ。本当はどこでも良かったんです。フィリピン以外なら。うーん。兄貴のくれた西瓜うまいですねえ」そして彼は、どしゃ降りの雨の中、上海駅まで送ってくれて、また機会があればな、って別れたのに、一ヶ月後、日本人軍団と共にチベットにやってきた。「いやー。兄貴がチベット行くっていってたから、この連中説得してここまで来ましたよ。一週間もかかりましたよー」なんて、ちょっとかわいいことをいっていた。三年の音信不通の後、急に彼から電話があった。彼はすっかり落ち着いて、当時の幼い面影もなく開口一番「兄貴が、フィリピンいいぞー、っていってた理由が分かりました。僕も、ラテン系かも知れません。結局、父の仕事を引き継いでいるんですよ。面白いですよ」そうやって彼も一生を終えていくのかも知れない。私は、部屋に泊めてもらいながら食費と部屋代を支払っている私のことを思っていた。ダリーは女というよりも幼い母。職がない、父がいない、そして二十歳。サリーにも職がない、二人の小学生達の養育、そして二十三歳。私は結構な経済力を持ってして、ふしだらに出現し、この部屋で、明日空き瓶を返すからと約束して屋台で買ったビールを飲んでいる。違いは、と答えるなら、「国籍ですね」としかいいようがない。そうやって、しょぼくれて一生を終えてしまう私かも知れない。翌日、ディパックも置いて、手ぶらで、バスを乗り継ぎ、マカティ地区に行く。以前は、商業地区をぶらぶら歩いたものだが、今回は地区外れの簡易移動式遊園地兼賭博場を訪れ、そこの簡易掘っ立て小屋に泊めてもらうことになった。毎晩三時まで飲み、ビンゴー台の上で眠り、朝、それなりに起きても、手ぶらなのですることもなく、行き交う人を見ているだけだった。誰も、私のポケットに札束が入っていることなど、知らないと思う。時が経つことを、ただ黙々と待っている状態。道で暇そうにしていると、「シャワー浴びたらどう?」といわれ、どこにそんな所あるのかな、と思っていると、水一杯のバケツと一回分使用の石鹸を手渡された。そして、指示された二畳程の掘っ立て小屋に入ると、その四分の一程度つまり半畳分だけカーテン一枚で仕切られ、「じゃあ、ごゆっくり」といわれる。「床が腐ってしまうよ」というが「いつもやってるから大丈夫」といわれる。ためらうのは、実はそういったことではなく、残り四分の三、カーテン一枚越し三十センチ向こうにじいさんと若い女の子と子供がいるので、恥ずかしいのだ。結局、談笑が直接聞こえる中で、素っ裸の私はちょろちょろと水を流した後、カーテンを開けると子供を抱いた女の子が、罪のない笑顔で「気持ちよかった?」と問い掛けてきた。道で暇そうにしていると、賭けしよう、と誘われ、ビンゴー等をしていたが、何かのきっかけで、「リッチマン・プアーマン(大富豪)」を教える羽目になり、それが、賭け事となってゆく。結局、赤子の手を捻るように勝ってしまい、何だか誰がリッチマンでだれがそうでないのかが、凝縮されているようで気分が滅入ってきた。勝った金額分、酒に代えて皆で飲んだのだが、何となく居心地の悪い空気が流れた。いや、流れる方向を変えてしまった様な気がした。潮時だと思った。道で暇そうにしていると、誰かが私の仮面を見破ったのだろう。手招きし、近くの中産階級の家庭に連れていってくれ、シャワーを借りてくれた。おそらく、彼はシャワーを借りる際に、「日本人」という言葉を使ったに違いない。丁重にシャワーを借りた後、負け犬の様にこの地を去った。カローカンに戻ると彼女達のお金は底をついていた。私は財布ごと渡し、好きなだけ使ってもいい、といった。彼女たちは、必要な金額しか抜き取っていなかった。パサイに戻って、アリエルに貸した金のことを尋ねると「皆におごって飲んでしまった」と、いって得意の悲しげな目をして微笑んだ。そして、次第に私も、悲しげな目をするコツを覚えていった。
2004.07.14
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大粒の雨が目立って仕様がない。勤め帰りに人々が雨に打たれながらも家路を急ぐ様子を眺めるのは悪くない。家路を急ぐことのない人生は悲しいか。ドラマも一過性。風景は捏ね繰り回し。 私は、そこに居た。砂は共鳴し、花は祭と死体と女の傍にあった。波は高く、一筋縄で真似することさえできなかった。 月に椰子は陳腐な程、お似合いで、太陽光線は裸体と悲しい程、調和していた。 砂浜でさえ喧騒なバリに居た。体は静謐であった。私は、夜明け前に散歩し、外的なものと内的なものはけたたましく振動していた。視界はバネのように伸び縮みしていた。 次に起きた時には、テラスのテーブルには冷え切ったバリコピとバナナが置かれていた。宿の主が寝坊の私を嫌な顔一つせずに何か言葉を発してくれた。2杯目のコーヒーはいつも前の屋台で啜っていた。屋台の裏の雑貨屋の娘は、私が来ると、いつも嬉しそうな笑顔を私に与えてくれた。その雑貨屋ではいつも誰かがたむろしていて、その誰かが、私をどこかへ連れていってくれた。 概ね、1ヶ月の宴の後、バリ北部に向った。乗合タクシーは段々のライステラスを通り抜け、峠を越え、木で出来た橋を渡り、霧を抜けた。濃淡な緑を一貫して通り、窓を開けると深く深呼吸が出来た。北部の町シンガラジャに抜けた。再び海が現れた。 穏やかな海。火山灰の為、砂は黒っぽく、海に注がれる小川と相性が良く感じた。夕暮れになり、砂浜を歩く村人に宿を尋ね、小奇麗なロスメン(宿)を紹介してもらった。 宿に落ちついてから、することはなくなり、バナナを中心とする森を、夜な夜なヘッドランプをつけて歩いていると、1件の家があり、オヤジが外で何かをしていた。親父は少し驚きながらも珍客を歓迎してくれた。同時に商売熱心でもあり、明日の早朝、是非沖合いの珊瑚礁を見にいかないかと誘われた。 朝の水温は静かで張っていた。細いバンカで数百メートル沖合いに出た私は、潜水艇になり、目という司令部から幻想的な光景を観察した。悪党的に、圧倒的に美しい自然に触れると、世の中というのはあまりに単純で、理に適っていることが体感できる。そして些細なことが馬鹿馬鹿しくなる瞬間が訪れる。私はただ浮いているだけであった。自失状態で珊瑚礁群を眺めているだけであった。 雨あがりに土の湿った臭いをきっかけに、そんなことを思い出していた。
2004.07.13
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先日、後輩と軽く一杯飲みに行った。(結果的にいつものように重く一杯になった)回っていない寿司屋に行った。きっと、私に子供がいて、寿司屋に連れていったら、子供は叫ぶのであろうな「パパ、ここの寿司回ってないよ、選べないよ、駄目だよ」と。後輩に言った「この寿司屋、あんたと10年ぐらい前に来たことあるなあ。ほら、二人でポートピアランド行った後や」そうなのである。私は、バイでもゲイでもないのだが、男同士で遊園地に行ったことがあるのである。その日も飲みに出かけたのであるが、ナンかパーッとするか、何処飲みに行こうか等と相談しているうちにギャグをかますことにしたのである。予想通り、遊園地はカップルか(夜なので若干のファミリーと)しかおらず、男2人というのは皆無であった。おまけに背広だったので、乗り物のメンテナンスに来ているおっさんに間違われることもなかったであろう。おまけに我々は、まだ20代前半であった。育ち盛りである。我々は、オバケ屋敷を越え、観覧車を跨ぎ、メリーゴーランドでゲロ吐きそうになりながらも、「俺達絶対ホモに見られてるよなあ、ハハハ」と笑っていたのだが、誰に対してギャグかましているか解らなくなり、「寿司でも食って帰ろけ」等と行って帰ったのであった。「そういえば、何故か奄美大島にも私と私の彼女とドイモイさんの3人で行きませんでしたか」と彼は思い出した。私も思い出した。それも10年ぐらい前のことだが、お互いに断片を覚えているのが不思議な気がした。1.青春18切符で、始発の京都駅から満員電車で博多まで夜行列車に乗った。2.西鹿児島駅を降りると、アジアの南国の風の臭いがして、懐かしかった。3.川内駅で乗り換えで3時間待ちであったが駅前は恐ろしく何も無かった。4.奄美大島のレンタカー屋にキャンプ荷物を送っていた。5.免許制度が違うのか、雑貨屋の何処へ行っても酒が売っていた。6.テントでの1日目は眠りが浅かった。草木に風があたり煩かった。ヘッドランプで夜中に本を読んでいた。7.花火大会があり、真下から見て、花火の屑が降って来て目に入って、目が開かなくなった。目が開いたのは3時間後、「アッ!取れた」それまで明日は絶対眼科に行くと主張していた。8.泳ぎながら針をつるして、熱帯魚を釣った。どぎつい色で食欲は無い。料理したが、肉は南国のぬるま湯の海の為、身の引き締まり度が低く、余裕で不味い。9.マングローブで「あーっハブにやられたあ」と冗談で言ったが無視された。10.酒のつまみに手長川エビを食った。幅5センチもない砂浜を流れる川にエビがいるのである。堰き止めて取りまくる。11.大島のメインの名瀬港横には一大フィリピンパブがあり、激しいネオンに目がくらむ。12.マヨネーズのキャップが動いていたので、見たらヤドカリであった。えらい悲しかった。 「そういえば、何故か正月に博多のラーメン食いに地道で行きませんでした?」と彼は思い出した。私も思い出した。それも10年ぐらい前のことだが、断片序章。1.何せ夜中に着いたので、埠頭で寝た。2.船着場があったので、ファミリレストランに車を置き、その船に乗った。行先は玄海島。3.玄海島に着いたが、断崖絶壁の風景があり、時折釣りのための宿泊施設が見え、以上で終わり。12月31日のせいか、店は1件も開いておらず、我々は船の待合室で自動販売機で買ったビールで酒盛り。4.3時間後、やっと乗船、さすがに乗客は我々2人だけ。酒酔いは船酔いに変り、気分が悪くなり、「玄海島で限界を感じるぅ」と言ってテロる。違う、ゲロる。5.すきっ腹なので、急いで博多に着けば、中洲に直行してラーメンを食す。6.戻り始めるが、山口県あたりで暴走族のゆっくり行進を抜きながら走っている時に正月を迎える。7.朝、眠気の限界を感じながら神戸に帰ってくる。
2004.07.12
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今日は参議院選挙。大阪では、辻本清美元議員が立候補している。学生の時、大学に公演会で小田実氏が来ると言うので、聞きに出掛けた。その前座で公演したのが、当時ピースボート主催していた早稲田大学6年か卒業後すぐの辻本清美さんであった。小田実氏は、相変わらず無愛想にポケットに手を突っ込んで現れ、怖い顔をしていきなり「文化の裏には政治がある」と言った。テーマが「世界文化食べちゃうぞ」というものであり、それを皮肉ったのかも知れない。 公演を嬉しそうにイチビッて一番前に座っていた私を初め、前列に座っていた輩は小田総攻撃を受けて激チンした。「君、ペリーは日本の浦賀に来る前はどこから来た?」「え、琉球です」「その前は何処から来た」「え、いや解りません」「君は大学何年生だね」「3回生です」「3年間君はいったい何を勉強してきたのだね」「すみません…」「ペリーはアメリカから大西洋回りで日本に来たのだ。もっと勉強したまえ」等と万事がこの調子で、前に座って「しまった」と思った時にはもう逃げられなかった。 小田実氏は、最後にだけニコニコ笑って「グッドラック」等といいまたポケットに手を突っ込んで帰って行った。 そして、前座ならぬ後座でまたもや辻本清美さんの登場。「実は、私が浪人生の時、予備校に行っていて、小田さんはその代々木ゼミナールの講師で、あなた達と同じように、一番前の席に座って、授業を聞いていたの。そしたら同じように当てられたのよ」「そこの君、朝鮮のことを英語で何という?」と言われて、私知らなかったのよ。そしたら烈火の如く怒られてしまいましてね。でも何故か今はこうやって怖い怖いといいながら小田さんを親しんでいるのですよ」そのようなことを言いつつ、自分の書いた本「キヨミやるでぇ~」の宣伝をしていた。別にいらんでぇ~今接戦ですなあ
2004.07.11
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人間とウサギには発情期がなくなってしまった。男は、だからバニーガールに憧れるのか?紀元前586年 バビロンの捕囚、ユダヤ教の確立、西洋の宗教の始まり紀元前582年 ピタゴラス誕生、ギリシア文化、つまり西洋文化の始まり紀元前563年 釈迦誕生、仏教、つまり東洋の宗教の始まり紀元前551年 孔子誕生、諸子百家、学問思想の源流、東洋文化の始まりそして、同時期にギリシアと中国春秋時代に貨幣が流通し始める、経済の始まり こういった、現在みたいに横とのつながりが容易ではない時代に、勝手にそれぞれ同時発生してきたというのは面白いことだ。以後、現在の最新技術を除いて、25世紀間これ以上の思想や文化は焼き直しに過ぎず、なかなか越えるものはなかったというのが凄い。 高校の時、数学の先生に言われた。「私がこうやって数学を教えているけど、このレベルのことは紀元前と同じことを教えているんだよ」何か感嘆の「OH!」であった。 そういえば、12月25日はキリストの誕生日ではないということを、小学生高学年の時に読んだ本に書いてあり、その本には「実は12月25日はサタンの日であり、キリストは本当は3月~5月生まれである。またキリストの生まれたのは紀元前4年という説が有力である」と書いてあった。何か感心の「OH!」であった。 その後、悪魔の日ではなく、ペルシア辺りで生まれたキリスト教と対立する宗教ミトラス教の西方のお祭りの日が12月25日ということで、それに誕生日をかぶせたということであった。まあ、他の宗教は邪教で悪魔の宗教かも知れないけどね。 それからキリストの生まれた時を計算して世の中に訴えたのは5~600年後であったというから、まあいろいろ計算間違えて誤差がでたのから。後年、気がついた人々も、わざわざ西暦元年を訂正しなかったというのは、やっぱ面倒だっただからだろうか。 まあ、そんな話をしながら(うそ、するはずない)最終電車に乗って帰ってきました。
2004.07.10
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今日は特に意味はないのですが、異邦人張りで太陽がアッチチなので人を殺した筈がなく、太陽のせいで早く帰った。が、早く帰っても恐らく冷房代がかかるだけである。最近はほんの5日連続ぐらいDVD(昨日は「神に選ばれた男」おとといは古いけど「ディーバ」その前はなんだっけ、忘れちゃった)を見ているが、とにかく今日は近くのファミリーレストランに本とノートとペンと持って22時前に行った。 ファミリーレストラン(以後「ファミ」と略す)の入口には手書きで「勉強及び居眠り禁止」とベタベタ4枚貼っていた。私は、勉強でなく趣味で本を読み、思いついたことだけをノートに取るつもりだったので多分入場資格があるに違いないと思い、入ってみると、受験勉強軍団の多いこと多いこと。なんだ、もう10時というのにこの高校生か浪人生達は何なのだ、と思った。深夜版ヤンキーカップルも肩身が狭い状態であり、夕食食べ遅れましたリーマンの肩身も狭く、何でこんな時間に主婦らしき人々の軍団も肩身が狭そうであった。 私がまだ子供の頃は、一般庶民であり(今もそうだけど)、ファミのない時代でもあったので、家族に外食に連れていってもらった記憶がほとんどない。ましてや、こういった場所で勉強したことはない。私の自室には冷暖房がなく、夏は汗だく冬は着込み、勉強したフリをしたものだ。 だいたい試験勉強中に発病する病気。引き出し開け病・・・用もないのに何もいい物入ってないのに、何かいいこと探す為に引き出しを無意味に開ける。手紙書き病・・・いきなりできるだけ遠方や疎遠の人に手紙を書いてみる夢遊病・・・意味なく狭い部屋を散歩する乱読病・・・試験にできるだけ関係ない本や漫画を読みまくるテープ病・・・やたらめったら音楽の録音や編集をする落書き病・・・やたら絵や漫画を描く睡眠過剰病・・・本を開くと目が閉じる。逆ナルコレプシー腹下し・・・不規則な生活になるため体調を崩す計算病・・・単位の計算や、点数の計算、成績の計算、共通テストの合計点数の計算などをシュミレーションする。いつも結果は違うのが味噌。 で、これらの治療法は待つことであった。何を待つって、試験が終わるのを待つ。 しかし時代は変わったものだ。2時になってもまだ勉強中の輩がいる。私は、もう寒くなったから帰るよ。じゃな。 ファミって略す必要もなかったな。4時間の間、チョビチョビ、ビールを何度かお代わりしたが、冷房代よりは高くついたことは確かだ。1500円使った。
2004.07.09
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残高不足による未引き落とし金21万円を振り込むと、明日から厳しい状態に陥ったことに気がついた。車をぶつけたり、投資に失敗したり、眼鏡を割って買い替えたり、お金を落としたり、ギャングバーでぼったくられたり、と有効なお金の使い方がされておらず、収入の多くが無駄金に使われていることにに気がつき愕然とする。 バーゲンということでもないのだが、背広を年2回買うことにしているので、急いで大丸に行った。閉店10分前であった。何故もっと早くいかなかったのかと言われても、恍惚としていて、ちょっと出かけるのが遅くなったとしかいいようがない。 店員が寄ってきた。客がいっぱいである、閉店前というのに。「どういうのをお探しテスか?黒系ですか?」「今日のコンセプトは閉店までに着くことでしたね」と私は言った。「これは・・・(商品説明開始)」「ジャ、コレ」、シブイ、3分で背広を決めた。勘定の時に予算を2万円超えていることが判明したが、笑顔を崩さなかった私は、さらにシブイ。昨日車を擦った時は全泣きであったが、今日は心で泣いた。 7時55分、1分で靴を買った。1分の間に、草履だったので、靴下を店員に借り、10秒で靴を履き、10秒で、「コレにして」といった。 靴は、キャサリンハムネットというブランドで、私は白い上下のスーツを以前持っていた。以前とはどういうことかというと、エンドオブイヤーズパーティでワインをこぼして寿命終了。しみとれず。3回着ただけ。自分の結婚式、心斎橋君のニースでの結婚式、それとこのパーティ。 その後、メシ食うかどうか迷いながら、歓楽街をブラブラする。前に歩いている女性のストッキングが伝線している。通りがかりに15分クイックマッサージ1500円を受ける。マッサージをすると私は寝てしまう。気持ちよすぎて。そして「お客さん、お客さん」というつ揺り動かさせる。ついでに散髪も寝てしまう。鋏持っているのに、コックリすると危ない。バーゲンといえば、ニューヨークで背広を買ったがサイズがなくて困ったな。おまけにこんな特大ポスターも買って持ってカエルのに苦労した。何せ、空港バス到着から自分の家までの500メートルタクシー乗りました。
2004.07.08
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先程、朝4時44分、夜更かしをしてしまい、ふと外を見ると、空が白み始めて明暗のグラデーションが綺麗なので、いっちょ夜明けのハイウエイ単なるガソリン撒き散らしに行くかと思い、車を出そうとしたら、ぶつかると全然思わずいちびっていたら、バンパー駐車場で擦った。瞬時にバンパー7万円! 早朝に、シブイ中年男が、朝日に感動したふりしながら、全泣きになりながら車を車庫に戻している。寝ぼけたドライブは涙を信じない。 引越のアルバイトを何度かしたことがあるが、思い出深い引越しシュチュエーションに、高知県への日帰り引越しというのがあった。その日は何故か6時に会社に来てくれと言われて行った。荷物は既に積まれており、ドライバーとアルバイトである私の2人で出発した。そのドライバーというのが私と同じ苗字だったのはいいが、少し前まで商社に勤務しており、何故か今は引越しで食いつないでいるという。会社の金を使い込んで首になったのであはいかと私は邪推している。 ドライバー氏はインドネシア担当で、中流のインドネシア人女性と結婚している。勿論アジアの中流は凄い。結婚して日本に来てみて、彼女はお手伝いさんがいないのに驚き、食事家事は一切したことがなかったので、ドライバー氏が一から調教していったそうである。 それにしてもドライバー氏はエッチであった。「ドイモイ君、インドネシア語デアイラブユーは?」「それは、アクチンタパダムです」「あははは、そりゃ基本中の基本だね、もっと上品でいやらしいベッド上の言葉があるのだよ、ムフフ」等とドライバー氏は、インドネシアの話ができるのが嬉しくて仕方ないらしく、淡路島、四国へ入っていっても、インドネシア文化、言葉、地政学、旅行論、軟派術等を弾丸の如く喋っていた。 そして引越の家に到着すると、家族親戚一族郎党が待ち受けており、引越は実に20分で終了した。特に爺さんがこことばかりに荷物を率先して運び、郎党に対する影響力を誇示していた。私は、箪笥をもちあげる際に、取っ手を持ってしまい、ぽきっと折れてしまい、ドライバー氏と一緒に謝った。爺さんはここに住んでいる訳ではないが、ウム!といって許してくれた。郎党に対する影響力を誇示していたのだろう。早々に仕事を終え、「ドイモイ君、ここまで来たから足摺岬見ていこか」といいほんの10キロ程車を進めた。ドライバー氏の出身は四国であり、四全総、征韓論、ウドン論、シアヌーク論、商社と勝者の論理、軟派術等を弾丸の如く喋っていた。しかし、どれも何故かエッチな話題が随所に挟まれているのであった。 http://www.gallery.ne.jp/~seinan/asizurimap.html四国最南端を数分で観光し終えて、我々は本州に戻っていく。その際、私は讃岐うどんの立ち食い、具のトッピングというのを初めて知り、そいつが安くてうまかった。午後8時頃、会社に戻り、本日の実質労働時間20分、その他ドライブ及び休憩及び足摺岬というのでアルバイトを終えた。収入は6000円であり、それは後日の支給となり、後日6000円を原付で取りに行き、その帰りに警察に車線変更禁止で捕まり、反則金6000円取られた。男泣きに泣いた。5時22分
2004.07.07
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講演者のプロフィール:91年35歳で日債銀退社後、6000万円のベンチャー企業立上げの借金と住宅ローンを抱え成功へ向かってスタート。現在数億円の資産と毎月100万円以上の賃貸に住んでいる。○社はUSAの企業でファイナンシャルプランナーを4400人かかえた企業。その日本支店。モットー;夢と現実、目標と現実の差を戦略的に埋めていきました。今まで考えられなかったサービスを提供すること、そして考えながら走ること、そして早く始めて信じてすること。講演の内容。自主年金のマーケティングキーワード3年 どんなことがあってもやめてはいけない期間。5年 結果を出す。見る。明らかに5年前と違う自分か確認。10年 このままやり続けていいのか考える時期。安定期から移行期に移っているか1、今やっていることが得意か2、今やっていることが好きか3、このことを通じて社会に貢献しているか20世紀の心理学の最大の発見は「自分が望んだ自分になれる」とうこと失敗は望む気持ちが弱い。願いを潜在意識まで染みこませているか、するとチャンスがみえてくる。なりたい自分のイメージをクリアにすること。明確な夢、目標、計画そして逆算すること。モチベーションは自分で作ること。つまり小さな成功を重ねること。量は質を変える。人間は常に成功していたい。昨日の自分と競争する。1.人は常に成長していける2.人は死ぬまで成長していける。ことを分かっておくこと。人材(人財)とは能力とモチベーション能力とは知識とコミュニュケーション(相手が個人の場合)知識とは商品・システムの知識と相手(客・パートナー)への知識このバランスが大事。やり続けることだが、時間のコントロールする。1.決めたことやる。(あれもこれもは駄目)目標へのフォーカスと集中。2.顧客へのフォーカス。20%の顧客が80%の売上をあげるもの。また20%の顧客が誰かに商品を紹介するしてくれる。このクラスのクライアントに時間をかけているか?Aクラスのクライアントが何を求めているか分かっているか?キーパーソンに対してあぐらをかいていないか?戦略1.社会背景時代環境二つの波、少子化高齢化と成熟経済の時代。これにともない三つの財務問題・単に働くだけでは老後の資産はできない時代。生きていけなくなる。・100歳リスク。65歳の方の平均余命は、1920年から60年までに3歳延びたが、60年から2000年までに7.7歳延びた。今男性82歳、女性87歳。例えば、今遺伝子の研究が進み、自分がかかりやすい病気が分かる時代に入ってきている。またナノテクノロジーの発達により血管の中に治療してくれる機械を入れることが可能な時代。今の70歳は元気で消費が落ちていない。これは我々の払っているお金を使い果たすかも知れない。・年金の目減り。既に私(35歳)の年代は60歳から65歳まで年金が貰えないことが確定している。5年間で1200万円はいるでしょう。↓自主年金しかない。国も企業もあてにならない時代2.投資金をどこからひねりだすか(1)消費スタイルの見直し。消費するための借入れはしない。(2)預金スタイルの見直し。預金は何のため?元本保証及びいつでも引き落とせるということ。お金が働いていない。預金が過剰になっていないか。目安として預金は生活費6~9ヶ月分+1年間大型にかかってくるもの(学費や車)。それ以上の預金はこんなに低金利なら無駄。インフレで目減りする。(所得が増えるなら別だが。時代は変わった)(3)保険プランの見直し過剰でないか?学資保険なんかに今新規で入ってないか?(二重の保険払いになっていないか?)(4)税務プランの見直し会社にする。有限で充分300万円でいい。実質どうなのかが重要で名目の収入はどうでもいい。 3.正しい投資のプロセス長期分散投資(世界分散投資)例えば厚生年金の51%は株式投資、25%は海外投資にあてられている。4.いつはじめたらいいのか投資信託の運用成果=元本(収入―支出)×利回り×年数キーワードは年数。USAではこの80年で平均11%の利回りとなている。はやくはじめること。例 復利8%としてAさん28歳から毎月2万円を60歳まで32年 760万円が3800万円になるBさん36歳から毎月2万円を60歳まで24年 570万円が1900万円になる毎月無理のない範囲で(忘れるぐらい)数年で一喜一憂しない。ストックのお金がない人でもフローで何とかならないか?フローもなければ生活費を10%削ってみることをお勧めする。こうやって、我輩は頭でっかちになっていく合掌。
2004.07.06
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大学5年の頃(日本はいつから5年制になったのだったかなあ)の一時期、私の1日のスケジュールというのが、昼間は大雑把に学校かアルバイト、夜間は大雑把に酒かアルコールであった。 その日も、久し振りに中学生時代の友達2人と最終電車まで飲んでいた。ちなみに最終電車は、未だに忘れない、ジャスト午前1時であった。これには、ホトホト役立った。何故覚えているかと言うとご想像の通り、キリがよいからであった。 紛れもなく「次はワイの家で飲もうや」と私はのたまい、旧友2人も久し振りということもあって「そうしようそうしよう」と口々に叫んだ。しかし、告白するとワイの家は正確には親父の家であり、ワイ以外にも父母妹等の家族等も住んでいた。 私が、家に帰ると、不思議なことに、母親が出迎えてくれた。母は、毎朝登山をしている為、たいてい10時頃に眠るというのにだ。時計の針は推定2時であった。母は、少し怪訝そうな顔で私に言った。「ヨウ(私の本名を音読み)、あんたのベッドでパキスタン人が寝てるで」背中に戦慄が走ったが、酔いは収まらなかった。労働というも文字が英語で浮かび、ワークという日本語が浮かんだ。オーバーステイ?スマッグラー? 私は2階の自分の部屋に上がる。ムクリとベッドから優雅にシナヤカに起き上がる彼。「グッドイブニング」「ハーイ」(っていうか君誰?)私は、早速、一緒に帰ってきた中学校旧友二人に彼を紹介した。「えーっと彼はパキスタンから来た、、、、、」「Zです」と彼はにこやかにいい、私はつられて「ということです」とにこやかに言った。「ところで、Zさんすみませんが我々はイスラム教徒でいうところの戒律を侵し、既にドランクツーマッチ状態なのですが、もしよろしければ、飲みませんか?」と私は軽くジョークをかました。彼はエレガントに「勿論」と答えた。その後で、「イエス、マイデカダンス」と聞こえたような気がした。 私のは少々自信があったのだ。それは中国からパキスタンに入るクジュラブ峠までのバスの中は、パキスタン人が時間を惜しんで酒を飲みまくっていることを思い出したからだ。また、沙漠で密造酒を飲む輩もインドのムスリムにはいたからだ。感覚としては、マリファナをやるようなものだ。私にとって、西洋人から見て中国人も朝鮮人も日本人も一緒に見えるように、アラブ人はまあ同じに見えてしまうところがあって、名前もモハメッドやハッサンや、まあ同じ名前がいっぱいあってよく分らなかったのだが、(インド人のイメージの象徴といえばターバンだがターバン巻いたシク教徒はインドに数パーセントしかおらずなのだが、彼らの名前のほとんどがシン、(タイガージェットシンのシン)であったわなあ)話をつなげていくと、どうやら私を親戚一族紹介ひきづり回しの歓待の刑に処してくれたラホールで知り合ったZさんなのであった。Zさんは、大阪空港から何とか私の住所を持ちながら聞きまわって、やってきたようである。まるで往年の私のようである。駅からは、英語の話せる会社員が自宅まで電話をしてくれて、家まで送り届けてくれたらしい。まあそんあことはどうでもいい、問題は、コレカラどうするのということであった。Zさんはにこやかに、香港のお土産を私にくれた。で、これからどうするの?Zさんは自分の着ていたセーターも私にお土産としてくれた。で、これからどうするの?私たちこれからどうなるの?2日後には、彼はバンコクに向かうとのことだった。彼は裕福だったんだなあ。安心した私は、意を決してもうひとつ彼に提案した。「Zさん、ビデオを借りにいきますが、ハードコアみませんか」彼はエレガントに「勿論」と答えた。その後で、「イエス、マイデカダンス」と聞こえたような気がした。しかし、私は、まだビデオ屋でエロビデオを借りた経験がなかった。しかし、意を決して、私はエロビデオを借りた。あれ以来、今まで借りたことはない。「Zさん、日本ではこういうのも流行っています」もしかして私は間違った日本の紹介をしているかも知れないと思いつつ、翌日はちゃんとお寺等案内したのであった。 それから、そのとき、母親と10年ぶりぐらいに食品の買い物をしたのであった。「よう、あんた、あの人は、何を食べるねん、買い物ついてきなさい」「ムスリムだからブタは駄目。駄目な理由というのは特になく、コーランにそう書かれているからですよ。アルコールは駄目。でも昨晩しこたま飲んだ。パキスタンのラホールでは女性はチャドルかぶってて足首さえ見れませんから、日本の女性をみてびっくりしていると思うで」といった。ビデオを借りたことは母には黙っていた。来月、イギリス人がホームステイに来る。「よう、あんたキリスト教は何食べるんや」とは多分もう離れて住んでいるから言われないと思う。っていうか、私の家にホームステイするらしい。母は、先日そんなことを言っていた。
2004.07.05
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ボンジュルノ、元気かい? 地下鉄では泣きそうです。満員に揉まれている自分がかわいそうで。 肉体という衣、脱ぎ捨てて新しいものに着替えたい。脱ぎ捨てた肉体にはもう執着しないこと。 虚無感に襲われることは無いのだけど、会社が潰れて当事者以外が困ってしまうといった公共性のある会社ってほおとんど無いよな。基本的に無駄なことをしていて、それに価値をつけて、収入になっている。 永らく、自分の衰退を隠蔽していた模様。 軟弱で細長い体、背は扁平、糸状の触角、腹端が幻想的にボワッと発光している。飛んでいく軌跡を確認、捕獲は容易、手の中に5,6匹の蛍を詰めこむと、指の間から漏れてくる発光が膚を照らして、少し優しい気分になる。 普段、環境破壊等で自然の没落ぶりが繰り返報道され、大変だエライコッチャと歩調を合わせて怒ったり落胆したり勘違いしたり失望したり。 もう既に幼い頃にあった自然の中での戯れの記憶の残像さえ消えていくうのであろうか。蛍を見た。未来の為で無く、懐かしさの中にあった。自然に対するちっぽけな安堵は、昔の記憶の再確認の中にあった。追記:2001年3月に賞味期限の切れたジュースを飲んだ。冷蔵庫に入っていたが、この冷蔵庫は2年前に買ったものの筈。追記2:「オナカスイター」それが親愛なるフィリピン人ダンサーRが覚えた最初の日本語であった。追記3:陰毛は悲しい。インモーとカタカナで書けば尚、悲しい。 一本調子が馬鹿らしい。子供は誰ぞ。もっともっと知的で野蛮な才能が欲しい。情事、特にスリルはない。あんなに美しかったのに。再会、特にスリルはない。意地なんてない、面子もプレステージも。そうだった、何度でも俺を躍らせてくれ。消耗品みたいに扱ってくれ。但し、ペシミストではない。ただ過去に魅力がないだけ。もっと時間を遡って盆踊り追記4:すっかり忘れていた、やりきれない動物だったってこと。追加:アナザートリック、うーん。もう一回、ボンジュルノ、元気かい?
2004.07.04
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やあ、ハロー、元気かい? もう煙草を辞めて2年程度経つが、健康状態が良くなったという実感はなく、腸の吸収力が上がり、太ってきて体が重く調子が悪いような気がするよ。先日の健康診断では「禁煙すごいですねよかったですね」と看護士サンにいわれたものの、「禁煙してなんかイマイチなんです」と力なく言ってみたが、「でも禁煙続けて下さいね」と笑顔で言われた。反論はできなかった。 そういえば、7年前、フランスの煙草ジタンを何故か吸ってみたことがあるが、専売公社のせいか競争原理が働かないのかフランスの煙草は不味い。厳しい薫り。JPベルモンドが吸っていると、許してしまう優しさは少しは持っているつもり。 そういえば、意味もなく「人間、人生で2回だけ何故かモテモテの季節があるものだよ」と思いつき、もう2回とも使い果たしたので、もうモテモテの時期は無い。中学校卒業の時、それまでの3年間は何も告白めいたことはなかったというのに、最後の数日間で数日間以上の人数からの告白アタック。誰とも何も無かったのだが、皆、私をからかっているのではないかと思った。 そういえば、20歳を迎えた日に、友達の家の額縁の裏に「20歳のグラフティ」を書いて挟んだ。多分、彼の家に不法侵入してその額を盗めば、現物が出てくる筈であるが、ウル覚えで2,3の内容を思い出した。「今、愛する女性ないっす。でも寂しさもないっす」「酒を飲み続けます」「憂鬱な後期試験が終わればフィリピンだ、スールー諸島だ、ボルネオだ!」 そういえば、25歳のとき大作「4半世紀」を大学ノート2冊に書き記したが、無くなった。無くなったので、急いでもう1回書こうとしたが、2行目でストップしている。 そういえば生後9880日目に地震にあった。 そういえば、書きかけの小説は最終章に突入しいた。しかし、まだ主人公は登場していない。無理に最終ページに間に合う様、捻じ込む。後味は、不意に節足動物を生で噛み砕いてしまったような感覚であった。湿って、腐った土の臭いが鼻について思い出した。瞳を閉じれば、瞳の裏の模様が見え、それを書き写したいが、できない。瞳を閉じたまま歩けば、転んだ。転げる程に自分の馬鹿さ加減を嘲笑った。 そういえば、昼寝のない生活なんで、コーヒー豆を入れない紅茶のようなものだ。形容矛盾に気が付けば、自己嫌悪が電撃の如く、体を襲い、感電してしまう。 ソイルの臭いが、派手にイヤな時、遠慮無く胡桃割人形ゴッコを演じると良い。当然、目くるめく日々は、大いなる幻想であるが、溜息をすれば吹き飛んで仕舞う程、地味なものだった。極秘裏に教えてもらった屋敷の抜け道には23センチはあろうかと思われる油虫が、鈍い動作で這う。 黴臭い臭いは、滅法、人々を参らせ、悪い空気を呼び寄せる。或いは逆かも知れない。太陽は、いつも照らしてくれるとは限らないし、味方とも限らない。何かの傘下に治まって支配を受ける立場にあるのかも知れない。 チャラチャラした若い四人組をゴミ箱に押しこんだばかりなのだが、胞子から始末しなければ手におえない。世界でビッチ密度が上がっていく。道徳心は捉えない。風に吹かれて風化して、役割を担うか、断念するか。 2台の電話機が置かれっぱなしで、何年も音を出さずに佇んでいる。 誰かが呼んでいるとしよう。その間に自転し続ける地球のことを思っているよ。自然と調和できなかった末裔の一員として。神は、科学であり、厳密にいうと金であった。 ほざけ、賑やかに。にこやかに、反れ、踊り候え。 幾許も無い残りの道を、姑息にも行進。権威が地に堕ちた旗を翻して裏返して。透き通った緑色の光を浴びながら、首は固定されたまま、足の裏は、地を這ったまま、砂浜を歩き続ける。蚊にやられ放題の狂ったおじさんが椅子に座ったまま何かに向って言葉を発し続けている。観客はいない。聴衆はいない。単なる普遍的な風景に成り下がった。 宴は、確かに、終わったはずであった。もう一度、ハロー、元気かい?
2004.07.03
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朝起きた時は、静かだった。ただ静かだったのは3秒間だけであった。起きるべきかあと3分眠るべきか毎朝悩んでいるのに、今日は4秒後に起きた。眠気もなくなった。いつもは既に電車に乗っている時間だった。 インドのゴアで私の後輩も同じ事をしでかした。朝、起きた。窓が開いていた、それとなく貴重品を見ると全財産が消えていた。静かだった。とりあえず、煙草を吸った。事態を体系的に理解するまで、3分。煙草を吸い終わった瞬間、「ヴァ~」と叫んだ。 とにかく朝は、お金を使いませんでした。 11時30分、それは昼飯の時間で、夜に知人と外食がない日は毎日、昼間がディナーとなる。米、そして西欧風おでん(どんなんや、ブロッコリー、ニンジン、ロールキャベツ、ジャガイモ等、あれ、これってポトフ?今気がついた)魚ムニエル、スパゲティサラダ。600円(駄菓子屋親父風) 地下鉄で移動する。交通費230円往復460円の出費。ドリトル先生ではないけれど、世界の名作にでてくる子供達は何だか孤児が多い。貧乏も多い。過酷な試練を乗り越えていく。しかし孤児の男の子は、放浪したり何かと仕事に従事する。しかし、少女はどこかの家に養子や丁稚に入れられる。少女の放浪や労働は少ない。結構その入れられた家庭にも若い男や伯父さんは少なく、どちらかといえば去勢された老人や、不在出稼ぎ、または生き別れたりして単身のおばさんが引き取る。性的なものがうまく排除されているなあと思う。そういえば2浪早稲田大学卒業のマスオさんとサザエさんの性生活は完全に排除されていたなあ。 とつまらぬことを考えていたら駅に着いた。 郵便局にて駐車違反の反則金15000円を払う。個人なら無視するが、社用車やっちまったので仕方ない。それにしても交通事故を減らすためや、安全や、国民のための反則金、罰金なんて払う方も貰う方も考えているのが不条理システムだ。だから捕まった人も捕まえた人も「運が悪かった、残念」と思い、もみ消しも公然と存在する(してもらったこともある)。基本的に殺人や強盗のもみ消しはないが、交通違反はある。ノルマもある。国民の安全のためではない。 ところでドイツではバーにアルコール測定器を置いてあるところもある。1杯飲んでは計測して、酒気帯びまでまだ大丈夫とか、もう酒気帯び数値以下になったといってから車に乗って帰る。日本では、建前1滴も飲んではいけないが、酒気帯びである数値以下なら罰則規定がない。飲酒運転は駄目だが、合理的でない、分りにくい、せめて自動車学校で酒気帯び運転実験や、50キロ急ブレーキ体験をして感覚を覚えさせて欲しいものだなあ。 15000円は払った。意味がないと思って払った。事故は、わざとじゃない場合がほとんどだ。いつ自分が事故を起こしてしまうかビクビクしている。他人事ではないしわざとではないので、交通事故で刑務所に見せしめ的に永年行かせるのはどうかとも思う。それより遺族に金を払う為いっぱい働いて欲しい。そして例えば2度と運転できないようにして欲しい。本当に事故を避けたいなら、運転席である容器にハーと息を吐いてアルコール数値が越えないときのみエンジンがかかるようにすればいいし、リミッターつけて80キロ以上スピードの出ない車を作ればいいし、赤信号で自動的に停まるようなシステムつくればよい。 帰りに古本屋を発見し、6冊購入。900円。家に帰る前にスーパーで100円でチューハイ売ってたので2本買ってしまう。夕食を買うのを忘れていた。最近食欲あまりない。しかし腹は減る、困ったことだ。ところで日本人はアメリカ人に比べエンタ^テーメントにかける費用が1000分の1。悲しいではないか。20代の日本人はアメリカ人より可処分所得は十分に高い。女性はブランド物、コスメテック飲食旅行などである。男性はもっと酷い。1位がパチンコ、2位が風俗である。私には縁がないが、日本人男性はアメリカ人の風俗に対して100倍お金を使っている計算になる。考えたら風俗産業とギャンブル以外に楽しみのないつまんない場所なのかもしれない。でもきっと皆、何かを探している筈さ!と私は思いたいな。今日の出費17160円。
2004.07.02
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覚えてますか。ネパールの国境に向けて、チベット高原を中国ニーハアオバスは止めど無く4000メートル付近を高度によるガソリン燃焼の悪いまま、大振動でゆっくり走っていたよね。バスは20時にチベット第2の都市シガツェに到着したのですよね。20時といっても北京時間なので、まだ夕方なんですよね。こんな広大な国に時差をつけないのはなぜかしらんと旅行者の誰もが不思議に思っていたよね。雨が、本当に、面倒だったよね。 宿のフロントにいる服務員は兌換券ホテル代を払えなんて言って、自分は、それを人民元に交換しその利ざやを稼ごうというのがミエミエだったんだよね。今考えると、彼の貧しい生活を考えると、せいぜい職務特権を行使して少しでも生活を楽にしようという考えだったのであろうが、当時は断固断然許すべからず悪、正義感、不公平感が依然俄然強かったので、いつものことだがまたフロントで言い合いになったのですよね。 いくら人民元で払うといっても埒があがらず、一旦、我々偶然同じバスに乗り合わせた野武士軍団じゃなく日本人軍団5人組は、部屋を先に見せてくれといい、そこで作戦会議を企てたよね。簡易ベッドが多めにあるのを確認し、我々は5人、向こうは一人なので、何やかんや言いつつ、しぶしぶ4人のふりをして4人分の宿代を「あんたには負けたよ」といって兌換券で支払ったんだよね。 しかし、夜中に何故か私だけ起こされ、他の中国人部屋に強制連行されたんですよね。鋭い視線を受けたのですが「リーベンレン(日本人)」と呟いて、話通じまへんというゼスチャーをして布団にもぐりこんだ。時計を見ると壊れていて、明日起きれるのか心配になったものでしたよ。もうあの時計は止まってから十年が経過して、貴方はどこにいるのかしらん。
2004.07.01
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