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ヨルムキムチ(若いダイコンキムチ)ちょころで、キムチといっても韓国では通じない、あえていえば、キンチというか、英語のMというか、ああそうだ、えいごで「キムチ」はKIMCHIであってKIMUCHIじゃないんだよねえ。キムチツナおにぎりツナは世界中だ。モルジブでも、ツナだ。しかし、初めてアメリカに行って、ツナサンド食べたら、ツナが3センチぐらいあって、なんじゃこりゃだったなあ。その店では、ショーケースに10センチ以上のツナが積まれていたな。あわびおかゆ。あわびがおいしかどうかは、よく分からないが、あわび汁はうまかった。そして一度だけうまかったのは、1泊数万円の青森の宿に泊まった時、朝食、無茶苦茶美味かった。でも錦水、倒産して、営業かわったんだね。眠気覚ましブラックガム。なんというか、こんなので眠気覚ましになるはずないよね。どういう人生を送ってきたか、それとも体質なのかもしれないが、コーヒー何倍飲んでも寝てしまう、同時に胃カメラで麻酔が効かない、眠くなりますよ、と看護師に言われてちーとも眠くならない、効いてないということにもなって、困っちゃったな。もっと薬下さい!お湯入れるだけの、日本の乾燥味噌汁とおなじやつ、でもすけとうだらのプゴクは二日酔いによいといわれ、諜報するのである。二日酔いは、辛いが、かのライヤルワトソンが二日酔いにならない方法を書いていたが、笑っちゃうが、それは、二日酔いと自分で断じて認めないことだそうだ。それは思索家以外には無理な相談だ。あ、考えれば、学生時代って、工作舎やみすず書房、コレ関係の本、そうだった、まず、出版社を何となく信じたというかファンになったなあ。ライヤルワトソンは動物学者だが、やっぱ。ちょっとヤバイんあだよあな。そこが素人には魅力だったんだろうなあ。ルーリードも71歳か
2013.06.30
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遠く離れてしまったノーニュース、ノーシューズ時代学生時代、遠い昔だが、タイやフィリピンのビーチで1週間、2週間・・1ヶ月。。。1泊300円や500円今は、ここ5,6年で、地球1週旅行を4回している。最長でも1週間ぐらい。最短は、夜23時日本機内泊ドバイへ、早朝。昼からオマーンへ、1泊になっていない早朝2時、バーレーン、クエート、夜中機内泊、ワシントンDCへ早朝着、機内泊昼出発成田。あ、4日だ。確かにホテルは1泊、機内3泊、訪問5カ国、そういえば、クエートDCの14時間フライトはほとんど、寝ていて、反動で、DC成田は6時間ぐらいしか眠れず、意味なく文庫本を2冊ほど読んでしまったなあ。ビーチで、多分、住み込みのおねえちゃんが懸命に働いていた、朝5時にはおきて作業してたし、夜も10時のバッテリーが切れるまで起きていた、凄いナーと持ってたら、昼間、昼寝死ぬほどしてた。私のことを彼女は、「ミスターアジノモト」といっていたが、私だけではなく日本人のことだろう。僕は、サラリーマンになって自由ではなくなった。それが僕の選んだ道なんだ。コンサバなオポチュニストなんだ。
2013.06.29
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タクシーでの帰り道 電車がなくなったのでタクシーで帰ったがその前にコンビニでおにぎりとゴーヤちゃんプルを買った。タクシーに乗り込み、飯食っていいですかと運転手に尋ねる。「いいですよ、電気もつけていいですよ」、とおじいちゃん運転手は応対してくれる。いやいやといい、暗い中で食べると、確かに味は半減する。昔、キャンプに行って、友達の息子がファイヤーから離れて暗いところで飯食ってて、「おまえ、そんな何食べておるか見えないところでよく飯が食えるな、味音痴か、こっちの明るいとこで食え」と言ったことがあることを思い出し、味は視覚も大事だなあ(盲目の方すみません)と思うのであった。
2013.06.28
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全然関係ないけど、昔、インドのノーベル文学賞受賞者タゴールの住んでいたタゴール大学のあるシャンティニケタンに行った時に、ある程度親しくなってアルコールを出されて飲んだ。そのとき、周りの人たちは、前に来た日本人の友達も1ヶ月いたんだけど、彼は酒通で、匂いをかいで、少し飲んで味を楽しんで、そして飲んだ。私は、単にのん兵衛だったので、一気に、飲んだ、ら、皆は勘違いして、スマートと言った。彼らの目には、テスティングを怪しいアルコールに警戒してちょっと飲んだと見え、私は注いでもらった瞬間に、一気に飲んだので、信用された。相手の取り方は難しいもんだ。そんなので、睡眠薬で寝て、スッポンポンになったり、起きたら2日後だったり、まあいずれにせよ、ノーマネーになったことは共通だ。よかったな。そんな目にあったことなくって。 全然関係ないけど、昨日、駅で降りたら、改札出る手前にコンドム落ちていた。誰も拾わなかった。改札出たら新品の使い捨ての櫛が落ちていた。セットモノなんだろうか、と思った人は、オレの前後にかなりのパーセントでいたのではないだろうか。今日、駅で降りて、改札出て暫く歩いたら、黒い女性のローヒールが1足だけ落ちていた。これは関係ないだろう、1日たったし・・・そう関連付けようとしたのは私だけだろう。
2013.06.27
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秦時代秦の勢力範囲前漢時代前漢の勢力範囲後漢時代後漢の勢力範囲三国時代三国時代の勢力範囲晋晋の勢力範囲隋隋の勢力範囲唐唐の勢力範囲五代十国もっといっぱい国があったはず北宋北宋の勢力範囲南宋、金、モンゴルそれぞれの勢力範囲元は、モンゴル帝国の中国地方の名前だよね、乱暴にいえば。元の勢力範囲やっとこさ、1000年ぶりの漢民族の国家。それも乞食出身の朱元璋が打ち立てた王朝。明勢力範囲元満州、女真族のヌルハチが打ち立ってた王朝。清勢力範囲
2013.06.26
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自分のヤフーアドレスは、不動産情報と、数々のジャンクメールだけで、めっきりログインすることがなくなった。今年は、まあ、週に1回ってとこか。(画像はその日の日記です)6月20日天気情報日本パスワード再確認6月18日(火曜日)0時39分35 My Yahoo! 日本6月16日(日曜日)パソコンMy Yahoo! 日本6月2日(日曜日)18時23分ジオシティーズ日本5月3日(金曜日)22時23分29秒(48日前)My Yahoo! エクアドル5月1日(水曜日)14時21分17秒(50日前)メールコスタリカ4月27日(土曜日)12時53分4秒(54日前)My Yahoo! 日本4月21日(日曜日)メール日本パスワード再確認4月16日(火曜日)23時1分11秒My Yahoo! 日本4月9日(火曜日)23時57分ヤフオク! 日本3月31日(日曜日)My Yahoo! 日本3月30日(土曜日)My Yahoo! 日本3月22日(金曜日)My Yahoo! 日本3月19日(火曜日)メール日本3月19日(火曜日)かんたん決済日本3月17日(日曜日)My Yahoo! 日本3月15日(金曜日)Yahoo! JAPAN日本3月10日(金曜日)Yahoo! JAPAN日本3月3日(日曜日)My Yahoo! 日本2月27日(水曜日)My Yahoo! 日本2月22日(金曜日)My Yahoo! 日本2月20日(水曜日)My Yahoo! 日本2月17日(日曜日)My Yahoo! 日本2月10日(日曜日)My Yahoo! アメリカ合衆国2月5日(火曜日)My Yahoo!2月1日(金曜日)My Yahoo! 日本1月26日(土曜日)ジオシティーズ日本1月6日(日曜日)My Yahoo! 日本1月2日(水曜日)2時19分57秒(169日前)My Yahoo!リトアニアあまり意味なかった、ツカレテイルノカモナ、フッ。
2013.06.25
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田舎の用紙路で亀を13匹採って、バケツを引っ張りながら持って帰った記憶があります。亀はほっといても生きるのでよろしい。学生時代一度近くの池で、陸に上がりすぎていた亀を採ってみたはいいが、どうしようかということになり、近所の家に子供たちが遊びに来ていたようで自転車がいっぱい置いてあったので、籠に入れておいた。女の子があとで発見して、「○○君!こんなところに亀入れて何してんのよ!」と叫んでいた。ザリガニ釣りは、もう昔何回も行った、ちくわ買って。その中でもマッカチといわれるアメリカザリガニ。これを外に置いていたら、猫が散らかしてしまう。トカゲ。トカゲの尻尾切りっていうけど、トカゲの尻尾は切れても動くからすごいよな。とガキ心に思っていたものだ。ヤモリ。これは、吸盤が気持ちいいよね
2013.06.24
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追記 世界遺産に富士山が登録されたので、めでたい。これで、入山禁止か、宗教的理由か、ようは基本的に立ち入り禁止にして自然を守るといいですね。これで経済面ではマイナスになるといいですね。そんな訳で、妹が娘連れてイギリスから来ていたけど、帰った。帰ったは、そうとして母も一緒に帰った。確か去年か正月だったか、「あんたに連れて行ってもらうわ」とか行ってたことを思い出したが、結局、日々やたら急がしぶりっこしている私に、はよ連れてイカンカイぼけ、とは直前になってようゆわんかったのかもしれない。まあ、おれも働いているからなあ、今の家族は私が一番有名人で、一番有能で、一番金持ちだが、それはなんぜ一人なんで、そういえる。でも、昔は4人家族だった、今は、あとの3人は働いてなくて、まあ勤労感謝は私だけだ。別に自慢じゃないけど、4人家族のときも働いているのは両親だけで、子供二人は無職だったからねえ。でも多分、おかんもKLMで乗換えで行くような気がするので、帰りが一人で70歳くらいで個人旅行慣れしているわけでなくてどうなんだ。というか、乗り換えも、まあ順調ならどうってことないが、ディレイどころかキャンセルになったらまあ、面倒だよね、ああいうのは、文句ゆうた早い者勝ちな面もあるからなあ。オレも昔、マニラでエジプト航空がキャンセルになって、すごすご帰って行ったのに、カウンターに押し寄せた私を含む7人ぐらいがユナイテッドに振り返られた(今は飛んでないけど)。当時はエジプトに比べアメリカ系は、やたら高級に感じたもんだなあ。まあ、それはいいとして、乗れなかったら、どうするんだろうねえ、国際電話するようにゆうとくかな。あ、そりゃ妹に電話するか・・・。
2013.06.23
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ガキの頃、近くに柳の枝が続く坂道が合って、ゴマダラカミキリがよくいた。こいつを取ると、まあ、触覚が白黒に続き、なんか、いい感じだった。耳を近づけると、キーキーと気色いい機械音を鳴らしていて、癖になってまた取りにいってしまう。デモ、指挟まれるなよ。ミノムシ。まあ、そりゃ、蛾になるのだけど、ミノムシは、おもろかったなあ。ミノムシの袋取ってきて、かわ剥いて中身を出してしまうと、黒い小さな芋虫がでてくるのだが、そこに、新聞紙や色紙紙の千切ったの入れておくと、それでまた繭作るから笑っちゃうんだよな。そういえば、関係ないけど、大人になってから、繭子という名前の女性に2回あった。というか、一回目、繭をなんと読むのか分からずに家に帰ってから漢和辞典で調べたよ、あれ、今、パソコンあるから漢和辞典なんかなくなっちゃたんじゃないか。読めない字を部首から調べるんだぜ。二人とも1度しか会わなかったが、そのうち一人が風の噂で結婚したと聞いて、アア、孵化したんかなあ、なんて、一人、クフっと一瞬だけ笑ってしまった。それから、バロムワンにミノゲルゲっていうのがいて、ミーノーとかいいながら、やってくるんだ。バロムワンて、なんでもゲルゲ、キノコルゲ、ヒャクメルゲ、チョウゲルゲ、クチビルゲ、ホネゲルゲ、ウデゲルゲ親分はゲルゲ。ソノゲルゲだけど、中学校の女子で、ゲルゲに似た女の子がいて、あだ名がゲルゲ。ああ、でもゾンビルゲが一番気色悪かったかなあ。クチビルゲもね。いやはやゲルゲ軍団はすごかったな。だいたい友情クロスでないと変身できない少年二人、ありゃホモだね。それにアントマン弱すぎて、かわいそうだったよ。ヒヒヒヒーっていっているだけで。今考えたらドルゲは、ゾルゲのもじったものだたのだろうか。玉虫、小学校の時、初めて捕まえて、その羽を見て、見る方向によって光型が違う、と子供心に思ったが、その後玉虫色の決着とか聞いたり、玉虫で装飾品を作ったりって聞いた。その後、何度も捕らえ、これがか、これがか、と見つめるのであった。玉虫を箪笥にいれといたらいいとガキの頃聞いたが、これ腐るだけじゃん、そんな夢のないがきでもあった。オンブバッタ。冷静に考えると、トノサマバッタとかチキチキバッタとかいたけど、オンブバッタって変だな。まあ、オンブバッタはいいとして、チキチキバッタといわれていた、口をとんがらしていたトメキチもう死んじゃったかな、やくちゅうで。なんでもいいけど、虫採集セットってさ、大人になってから知ったけど、青い液と赤い液の注射って全然意味がなかったことを知ってショックを受けた。何もしなくても、乾燥するんだな、昆虫。実験セットでそれらしく、実験心を子供心に与えてくれたのだが、事実を知ったらショックだわ。どんなけ、今まで昆虫に注入しちまたんだ!今はもう無いらしいね。商売上手な大人がいたものだ。競って、注射打ちたくて、昆虫、血眼になって探してたものなあ。今は、あれか、人権問題か、いや虫権問題なんか?そういえばオーストラリアでは残酷罪だっけ、そんなのがあって、活け作りは残酷だから禁止だぜ。多分、タコの踊り食いサンナクチもあかんやろな。先に、コンチュサイシュウセットでタコに青色液打たなあかんで、それでも黒だすか。でも、タコ墨はイカ墨より少ないので、貴重らしいじゃん。薄いらしけど。
2013.06.22
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携帯電話・・・携帯電話を見るのは、50回ぐらい見ているかもしれないが(画面見るだけクラブ)、チェックというか、返信せなあかんの気がつくのは10回ぐらいか・・・仕事でも使っているから、電話かけたりかかってきたり、仕事ももう7割くらいは直接携帯電話にかかてくるような気もする。財布を開く・・・金払う時しか開かないよね。じゃあ、何回開くねん、だが、よっぽどでないと、自動販売機は使わないし、缶コーヒーや水は買わないので、まあ、3回か4回かってとこか。銀行には金下ろしにいくのも、まあ、銀行誓いから頻繁に行っているほうかもしれないな。飯や間食・・・日によって違います。ただ朝食は、仕事ある日は仕事に遅れるので飯を食う暇がない。すぐ飯食ったら気分悪いしね。(その割には旅行中は、すぐ飯食えるのに)時計・・・何回見ているか、計測はしていないが、1時間に1回ぐらいはみているのではないでしょうか洗濯・・・週一回です選択・・・週600回です。(日本人とアメリカ人では決めるの意味合いが違うので、決断の回数が異常に違うことが調査で分かっている。俺は、600回だったらアメリカ型だ)トイレ(大きいほう)・・・1回不定期。何故か休みの日は3回。ちなみに小さいほうは、医者から水分取り捲れといわれているので、取り捲っているので、起きているときは2時間に1回は行きます、夜中とか朝は常に漏れそうになって起きます。独り言・・・一人暮らしだけど、案外少なくって、家では、基本0回。会社では、結構ブツブツいってるかもなあ。貧乏ゆすり・・・気が向いたときだけ、あれってリラックス効果があっていいらしいね。コーヒー・・・10から20杯です。腕立て伏せ+腹筋+逆立ち・・・0回仕事・・・24時間だ。ONOFFはない。というか、曖昧だ。というか、いろんなことを1日何回しているかということは、数回以上ならもう想像もできないという世界なのであった。でも、1日何回もすることってそんなに多くないのか、限りなくあると思い、題目にしたら案外思いつかなかったわ。
2013.06.21
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私は、怪しい人、という見た目が、随分、加齢と共に緩和されたような気がする。20代まで、やたら職務質問されてたけど、そして、税関ではいつも止められていたけど、今や、警察とは、ありがたいことに無縁であり、無茶苦茶な日程と国境を渡っても、日本に帰ってきたら、税関では、荷物を開けられることはなくなった。これを貫禄とでもいうのであろうか、しかし、内心はチキンのラビットのままなんだけど、やっぱ身なりってのは大切なんだなあ。実力のある人間は、服装きをつけないと損するなあ・・あ、オレは実力ではなく、せめて普通にしておこう、確かに学生時代は民族衣装で日本に帰ってきたり、冬でもサンダル履いていたら、とにかく不審者だな。実は会社では401Kをやらされていて、ハイリスクハイリターンのにベットしていると、今は、最高益を出しているが今だけだろう。電車に乗っていたら人がいっぱい乗ってきて、つかまえていたつり革も持ちっぱなしにしていたら押されて手が斜めに。そこに押された人の頭がきて、そのまま電車は動く。手がだるくなってきたのでつり革を放そうとするが、放したら、その人の頭につり革がカツンと当たってしまう。申し訳ない。手がつりそうになるのを我慢する。そんな朝の電車。 2013マダムタッソー東京オープンなので急いで行く マダムタッソー1 マダムタッソー2 マダムタッソー3 マダムタッソー4 東京人工島 東京税関でパクられる 東京税関でやっぱりパクられる 東京駅横切手オープン 日本銀行本店横の貨幣博物館 世界のコイン
2013.06.20
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実家は、まあ、去年だったか一昨年だったか引っ越して、いやはや、ここの山陽ソバが懐かしい。今日も、安っぽいがいいにおいをさせていた。駅前再開発でどんどん変わったが、駅前の本屋は健在だ。でもえろほんが入った自動販売機はなくなってた。ダイエーがあったけど、ちゃんとなくなっており、1階はパチンコ屋になり地下は業務スーパーとなっていたが、ダイエーは学生時代に店頭で1日アルバイトしたことがあり、高校の同級生の女の子が通りがかり、何かフマキラーかなんか買ってくれたので、お土産に勝手にいろいろつけてしまった、すみません。アーケードがあった通りも少なくなり、そういえば、1ヶ月ぐらいだけ切手にはまったことがあり、この通りのどこかの2階に切手屋があり、私は城シリーズを集めることにして、とりあえず、手始めに姫路城切手を買った、が、2ヵ月後には飽きてしまい、切手を入れるファイルはすかすかのままであった。そのファイルはいいにおいがした。塾はこの町にあったのだが、考えたら、勉強は自分との勝負というか、共同作業とは違うので、その辺、仕事とは違って楽珍なんだなあ。このあたりの細い道から急に、奥地(北部)に向かってバスが昔出ていた。神戸西部須磨から明石にかけては、線路よりミナミは基本、せいぜい道一本で海なので、すべては北側に向かって広がっている。神戸市民は、あまり北側南側という概念がなく、海側山側である。神戸大丸もそう表示している。1ヶ月ほど前から私をアンクルにした張本人が来ているので、まあ、見ておこうというのが本日の主旨。忙しいを全ての理由にするのはダサいので言わないが、2歳という年齢、せっかく1ヶ月も日本に滞在しているんなら見ておこうという主旨。(大変なときほど、寝てるし)私の遺産相続人を見に行く。麺を生み出している。この記憶、彼女には全く残らないんだよなあ。現在2歳3ヶ月。バイリンガルに育つのか、まだほとんど喋らない。妹もなんか痩せたなあ。
2013.06.19
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18歳。自動車学校に3日だけ行くが途中原付で50キロ以上オーバーで3ヶ月の免停。自動車学校も休み忘れそうになる。自動車学校の期限は6ヶ月で5ヶ月目に学校から電話があり、辞めるのですかといわれ、思い出し、2週間で1段階からやり始めて免許取得。18歳。免許取得した日に喜んで家に帰り、自宅の車を勝手に出し、そのまま家の前の電信柱にぶつける。免許取得2時間後の出来事。修理費18万円。18歳。2週間後、車が直り、すぐまた勝手に親の車に乗って、またぶつける。親から車乗車禁止令を下される。そのあとインドに1ヶ月行く予定があり修理費を払ったため、残った3万円の現金で旅立つ。19歳。若葉マークがスピード出し過ぎ?で飛んで行く。僕は、まあ、基本的に車に興味がそんなにあるわけじゃないので、まあ、車を20代は持ってなかったわけなんですけど、いや、28,9歳ぐらいに買ったんだっけ、忘れたけど、僕はバブルの寵児なんで、学生時代から結構、周りは無理していきって買ったり、車の話題ばっかりで、今の若い人どうなんですか。車会社が免許取ろうキャンペーンしているくらいだからねえ。しかし、同じ車種でも、当たり外れはあり、癖があるので、乗って暫くしないと分からない。かといって、車に詳しくはないので、友達に店を紹介してもらって、電話して、今から買いに行きますと電話して、5分ぐらいで決めて、それでも納車日はまあ、会社の泊りがけ研修だったのに、夜の宴会参加せずに、一旦車を取りに行ったのであった。そうして、その車は3ヶ月で、ぶつけて廃車となり、その車屋さんから次また買うからと、代車を用意してもらった。代車の車種は忘れたが、次また買うというのも忘れつつあり、半年ほど乗っていると、「そろそろ次の車買いませんか」と連絡があったので、「じゃあ、もうこの前ので予算なくなったから30万円ぐらいで適当に見繕ってよ」といい、オークションで落としますかという話になり、何度も「今、これいくらですがどうですか」という電話が入り、「うん、そうだね、30万円までなら何でもいいよ」とコチラは返事をする。そのうち適当に買ってもらって、渋い車を納入してもらう。その車は、そうだなあ、半年ぐらい乗ったときに、知り合いの助手席に乗せてもらった車の乗り心地が、なかなかよくって、オレもコレ買うわ、というなんともいえない意味のない即決で、すぐに、ディーラーに出かける。そんで、じゃあこれくださいと、購入し、何ヶ月乗ったかなあ。1年乗ってないときに、トモダチに車貸したら事故ってまた廃車になった。律儀な奴だから弁償はしてもらったけど、あれ、彼は、多分・・全財産出したか、親に泣きついたと思う。しかし、事故車を夜中、仕事終わって泣いている彼と見に行った時は酷かった。自分の車じゃないほどにクラッシュされてて、その廃車に自分のプレートだけをペタっと取り付けたようで、力なく笑ってしまった。そこから、新しい車となり、既に10年ぐらいたつような気がする。もう車は買い替えるつもりはない。散々、ちょっとぶつけたり、いたずらされたりして、最初は小まめに直していたけど、そのたびに、7万えんとか10万円とか、もう面倒になって今は、傷だらけのままだが、問題ない。サンルーフも、後ろの扉も開かなくなったが、これまた別段何の問題もない。あとは、どうしようもなくなるまで乗るだけだ。
2013.06.18
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夜 レモン入りチャーハン、なかなかいける、+ミニ麻婆豆腐塩辛いし、当たり前だけど塩辛い。辛いのはいいけど、塩辛いのは、そんなにおいしくないなあ。いや、辛いのもある程度我慢すればうまいまずいの世界ではなく、食える食えないの世界だ。世界はどうだ、辛い世界は多いが、いやはや、わさびは特殊である。これをどう表現すればいいのだ。辛いとしかいいよがないけど、鼻ツーン。昼 高級カツカレー 1959年創業時にとんかつに合うカレーをと先代が考案、野菜を煮込み3年寝かせたペーストに香辛料をプラスしたルーにさらに果物のペーストを混ぜるというこだわりのカレーという。味はリンゴ味だ。しして日本のカレーだ。夜 コンビに弁当(カルボナーラ)+生アーリーレッド。帰宅が23時だったので。紫玉葱は生で食べるが、生玉葱が好きになったのは、大きな声でもいえるが、インドである。小さな玉葱を、小さなパントーストに挟んで食べた。10代では毎日カレーは厳しかったんだ。(2回目行ったとき以降、毎日カレー平気になった)昼 蕎麦屋でおつくり定食。オフィス街から少し離れた住宅街で、それでもオフィスは存在し、12時には満席。ちゃんとしたソバで美味し。夜 吉野家の牛丼。タマゴとお新香で。ほんま、これって癖になる子供の味だね。はっきりいってクズの癖にこの常習性、電車待ちが15分あったので、急いで食べに行く夜22時過ぎ。昼 時間がなかったので、コンビニでソバ買う。どうなんだ、コンビニは近年頑張ってて、いろいろアジにも気を遣っているんだけど、オレの中では悲しみがある。コンビニかよ、という残念感。夜 冷麺 昼 おにぎり(キムチ入り) 夜カレー 昼 スンドゥブチゲ定食。うわすげえな、3日前ぐらいまでさかのぼると、ほとんどうるおぼえだ。
2013.06.17
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18歳、大学に入るまで、飛行機に乗ったことがなかった。国内線も海外へも行ったことがなかったということなのだが、いっちょ、1回生の夏にフィリピンに行った。タイ航空だ。4時間だ。ドキドキだった。飲み物を尋ねられて、「ビール・・・・違うわ、ビアー、プリーズ」なんていって、「ビーフORオタテガイ」といわれて、なんか分からないままにホタテガイがやってきた。初めてマニラに降り立つ前、高度が下がり、飛行機の中で赤ちゃんが泣いていた。今回も泣いている。耳抜きができないのだろう。赤ちゃんが泣き出した頃、マニラ湾の干潟が見え始めた。泣き声と共に、不安が増した。 ニノイアキノ国際空港は、アジア一、注意しなければならない空港である。誰もがぼったくろうと、目を輝かせている。かつて、空港警察の人と、仕事が終わったからと、一緒に空港から街に出たのだが、ここでも賄賂要求で(何故賄賂なのだ?何の賄賂なのだ?)揉めに揉めて、でも向こうは拳銃を持っているので、タクシーよりもよっぽど高い金を払って処理したという苦い経験もある。 その後、何度かフィリピンに行き、大抵、機内の隣の席に座ったフィリピン人と友達になり、その家族の家に泊めさせてもらうというスタイルであったが、その日から3食昼寝洗濯付(洗濯はオカマがしてくれる)という優雅な生活になるのだが、何故か、電気代を払ったりするのであった。 まあ、空港のことはさておき、空港タクシーは、ぼったくってやろうというタクシーがうろうろしているが、それ以前に、正規空港タクシーカウンターでさえ、流しに比べたら3倍ぼったくっているのである。 そんな訳で、空港から出た瞬間、懐かしいもわもわしたモツの臭いがあった。 2007年、22年ぶりに乗るTG621便は、まだあった。乗客は、相変わらず、普通の飛行機とはちょっと雰囲気が違う。ヤクザはほとんどいないが、日本にいても、全然もてそうもないおじさんに、水商売外国人に、チンピラまがいの野郎、とにかく、男性乗客率が異常に高い。両隣のおっさんも、窓側はため息ばかりつくおっさん。やたらミンダナオ島のガイドブックを見ているが、そこ行ったよ、と声を掛ける気もなくす程、臭いおっさん。アイル側は、ずっとじっとしているのみのおっさん。おっさんとおっさんの間に、場違いとしかいえないような私(がそう思っているだけで、横から見ると、見知らぬおっさん3人組と見られていると思うと、少し悲しい) そんな訳で、空港から歩いて、5分程で、前の大通りに出て、流しのタクシーを拾う。市内まで、30分程ではあるが、料金は300円ぐらいである。そして、タクシー運転手は、音楽聴くかい?とか、どこから来たのだとかなかなかいろいろ話しかけてくる中、流れ行く景色に、変わらないなと思いつつ、道と方向も19年ぶりなのにおおよそ覚えていることに気がついた。 大通りで、信号待ちしていると、ストリートチルドレンがやってくるし、タバコのばら売り、水(水もぺットボトルもあれば、ビニールに入れてくるんだものもある)、ジュース等の飲み物、花の首飾り、軽食を売る人々がひっきりなしにやってくる。タイでもインドネシアでも見られない光景ではなかろうか。 私は、機内で食べなかったピーナツやお代わりして保存していたパン数個を、そのたびに、渡して自己満足を得るのであった。 帰りも2時間前に、空港についたが、まるで、アフリカやインド的効率の悪さで、チェックインに50分もかかった。一人あたり、4,5分かかっている。前に並んでいるのは、剥げおっさんに、デブおっさんに、チビおっさんに、派手なチンピラシャツを着た二人組みのおっさんに、大量に荷物のあるウォータービジネスっぽいおねえちゃん。イミグレも長蛇の列で、まるで、アフリカやインド的効率の悪さで、出国スタンプを押してもらうまでに60分もかかった。出国の上のプラカードには、自国民、外国人のプレートの代わりに、何故だか、マブハイ(乾杯)と書かれてあった。意味不明であった。それでも、ここ近年、TG(タイ航空)は利用している、ラオスへ、カンボジアへ、ビルマへ、スリランカへ。ラオスやカンボジア、ビルマはフライト1時間なのに、ワインサービスまである。プノンペンからバンコク便は食事がすごかった。あと5分で、着陸なのに、全員のトレイは前に乗ったまま、こりゃ、このまま着陸だわ、と思っていたら、前方、いっきに、凄い勢いでゴミ箱に引き上げ始め(ボックスランチ形式だったので)、1分もしないうちに全てのボックスが回収された。肥沃なインドシナ、首都プノンペンに近づき、飛行機は高度を下げていった。私は、アイル側の席だったので、ふと、隣の黒人を通して窓から陸を見ると、平野が水浸しであった。地平線の先まで水浸しで、木や草や家や土手が細切れに地平線まで見えている。まとまった陸地はないのか。おそらく、水深10センチや20センチの水溜りが地平線の彼方まで続いているのであろう。 カンボジアでに到着するときは、隣の黒人は入国カードに一生懸命パスポートを見ながら記入している。ナイジェリア人だ。やがて、ランディングしたときに、そのナイジェリア人はえらく心配そうな顔をして、私に真顔で尋ねた。「カンボディア?」スリランカに行く時は、タイ航空機内では、早くもインドっぽくなってきた。前席の乗客がヤカラで、酒よこせと五月蝿く、大変不愉快だが、優しいタイ航空の方々、安全度外視してビールをまだ渡している。
2013.06.16
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関空で隣の人は、何故か、何故というものないのだが、多分20代の日本人男性で英語は全く出来ない。食事は、日本語のメニューのところで指差して、そのほかは全て寝ていたという按配。多分、9時間から10時間寝ていたと思う。私のほうは、オンデマンドの映画を観るために、離陸40分前に乗り込み、即、映画を見始める。通路を席探す人がひっきり無しに通るのに、こちらは、まあ、ヘッドセット状態だ。サンフランシスコまで10時間ぐらいで、ガンガン寝るでと思いきや、0睡4.5本の映画を観てしまう。東京家族、アルゴ、007最新、アウトロー・・・なんだったかなあと・・・・。隣の男性はずーっと寝とって、トイレでまたいでも、やっぱり気がつかず寝ていた。サンフランシスコ‐ヒューストンって4時間半、国際線的感覚。アメリカに入国して乗り継ぐには基本3時間は見ておきたい。イミグレで、ロングキューができるからだ。でも、今回、サンフランシスコは偶然、誰も並んでいなくて、即入国し、2時間早い便にも乗れるのではないかと、カウンターに行くと、満席、ノーショーを期待するしかない。アメリカでは乗り継ぎに失敗が簡単に起こり、結構現れないので、それに期待。もう、皆様機内に乗ってしまい、カウンターの前には、数人のノーショーを期待する人だけ。最後にいきった正規の中国人が来たけど、相棒が来るまで待って、といい、3分待ってあげると、カウンターはいい、3分でアウト、私に座席を発行しているその瞬間、相棒が来た、が、カウンターの人は、次の便にしてくださいといった。それで、オメ、速く機内に入れ、最後の席だ、促してくれた。やった!そして、機内に入ると、自分の席には日本人が座っていて、すぐ後ろから来ていたカウンターの人が、空いている席を探して、そこに適当に座っておきなさい、人数合っているからと、適当に席を探した。ヒューストン‐ニカラグア 3時間半は、超寝ていたので覚えてないが、斜め前の食事が美味そうだったなあ、と思っただけ。ニカラグア、コスタリカ、1時間だがフライトは実際40分。何だか、一人だけ超ミニスカート女性がいて、やたら大切にされていて、笑ってしまう。コスタリカ、サンホセ‐パナマシティ1時間。こんな近いと、隣人誰かさっぱり覚えていない。パナマ‐キト 中米から南米へ。2時間。隣人の困った人は、1、超太った人。2.臭い人、3.やたら動く奴(これを私はギンザザと呼んでいる)。まあ、一番今まで目が点になったのは、成田から隣に座ったインド人が私の前ポケットに勝手に自分の雑誌やゴミを詰め込んだことぐらいだな。ドイツからポーランドに行く機内では、やたら隣の奴がギンザザで、ビールは頼みまくるわ、用もないのに前ポケットの雑誌を出し入れするわ、あっちこっち振り向くわの落ち着き度0であった。キトヒューストン時差なしの5時間35分のフライトだが、出発45分遅れのフライトタイム5時間4分、しめて約15分の遅れでヒューストン着。夜中便だったので、まあ、あれだが3席の真ん中席になり、悲しみを我慢したが、両脇はでかい人、オマケに左の窓側の人はトイレに関係ないがずっと寝ているのもいいけど、臭い。非常に厳しい状況ではあったが、夜中が幸いして、なんとか読書もしながらもそれなりに眠れて時間はすぐたったが、それでも一番疲れた。大阪で荷物受け取れるかな、2回乗り換え(でも絶対、アメリカでは荷物をピックアップして、ドロップせなあかん)ヒューストン‐サンフラン4時間半、東京香港ぐらいの距離だ。コレが国内線だから、いやはや。朝便であったが、なんか、すーっとして、多分、イグジトロウで前の席も間も開いていることもあったのか、のんびりできたような・・・。何だか隣人は健康志向のサラダばかり食べていた。しゅっとした女性で、トイレ行ってくれないかなーっていつもの期待。サンフランでは余裕の2時間待ち。機内の一つ空席を空けた隣の女性はジャーナリストかなんかで、30冊ぐらいの新聞を持ち込み、10時間以上新聞を読み続け、床に新聞を落とし続けた。プラだの服を着た悪魔のメリルストリーブみたいな雰囲気だった。(一応、横の空席使わせてくれる?と声をかけられた)
2013.06.15
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・・そういえば、マーレ(モルジブ)からコロンボ(スリランカ)までエミレーツ航空に乗ったのだが、そう、エミレーツ航空といのは、世界中から乗務員を集めていて、このときは忘れたが、逆区間に乗ったときに国際性を歌っているエミレーツ、90分の飛行時間、アナウンスでは、当機ではアラビア語、英語、スペイン語、中国語、韓国語、フィリピン語(タガログ)、スリランカ語(シンハラ語)、日本語を母語にする乗務員が乗ってますと説明があり、それぞれの国の人が乗っていた。それがエミレーツの売りか。ビールをもらいに後ろに行くと、日本人とばれたのか、「ドウゾー」と言われたほどなんだが、座席の前に乗っていた老夫婦はスリランカ人で、文盲で、ニコニコ笑いながら2冊のパスポートを私に渡してきた。イミグレカードが書けないのだ。昔カラチ(パキスタン)空港でイミグレカード書いていたら、10人ぐらいのタイ人労働者にイミグレカードを書いてくれと渡された。始めの3枚ぐらい書いたけど、タイ語無茶苦茶に書いている自分が笑ってしまった。NAMEのとこに、勝手にパスポート見て、超へたくそなタイ文字を書いていく。なんて忙しいんだ。でも、時間がなくなってきて、暇そうな日本人を見つけて、これ書いてやってくれませんかと頼んだりして、そうなんだなあ、なんか、よく分からないけど、声掛けられ体質かもなあ。女性にはナンパはされないけど。 まあ、元に戻って、エミレーツの機内でスリランカ人夫婦のパスポートを勝手に預けられた私は、まず、パスポートを見た。パスポートは行き先が書かれていて(ドバイ)、職業も書かれていた(メイド)。凄く限定されたパスポートであった。日本のパスポートなんか、未だに世界一売買金額が高いのは、一番ノービザでどこでも行ける国のひとつだからねえ。多分今でも世界一だと思う。経済力でなく、どんなけ世界と喧嘩してないか、だからねえ。腑抜けといわれても、ここは、誇りだと思うんだけどなあ。学生時代のパスポートには、渡航先にランに、北朝鮮以外はこのパスポートでよろしくと書かれてあったが、今は、全てのエリアと書かれてある。そんでもって、メイドと書かれたパスポートを見ながらいくつか、イミグレカードの欄を埋めていったのであるが、いくつか、埋められない欄があって(住所とか)、でも英語も通じないので、乗務員を呼んだら、英語で説明していて、違うんだよ、英語も分からないし文字も書けないんだよ、だから、同じスリランカ人、シンハラ語とか話せる人呼んでよ、というと、スリランカ女性がやってきた。スリランカもそうだが、インドだってエアインディアでスチュワーデスになって、外国に行けるって人は、まあ、社会で普通の人ではない。インドほどではないにしてもスリランカにもカーストはあり、やって来たスリランカ若い女性フライトアテンダントの人は、いやいやそうに来て、尊大に何かこの老夫婦に吠えた。文句を言われて(文字も読めないのにメイドで中東に出稼ぎに行きやがって、みたいに聞こえたのだが)老夫婦はしょげていた。私も申し訳ない気がした。生まれが違い、育ちが違い、エミレーツとかキャッセイパシフイクなんかの国際連合部隊では、インド人付近の国の人は、使えないんだ。労働感が違い、何でサービスしないといけないのよ、という態度である。(実は、あまりに腹が減っていて、一回だけパキスタン航空で、お代わりを頼んだら拒否された、のを怨んでいるだけかもしれないけど) そんな感じで、隣の人、今回は前置きが長くなったので、次回とする。
2013.06.14
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突厥かあ。そうなんだよなあ、今の中華人民共和国は、それ以外の国を匈奴とか鮮卑とかなんかむちゃゆてるけど、あっちのほうが強かったんだね、万里の長城作って、貢物するからこれ以上、入ってこないでください、うちら、権力闘争で大変なんです、状態続けたからね。70年前劉邦やっとこさ、1000年ぶりの漢民族の国家。それも乞食出身の朱元璋が打ち立てた王朝。70年前一瞬ローマ帝国よりでかかったのか、日本。アケメネス朝ペルシアブラジル帝国?宗主国ちっこいなー、オブリガード唐って奥まってたんだねえアア、アッバース朝は、アケメネスよりでかかったんだ。大学の第二外国語をドイツ語フランス語から選べるのを誤った私です。ウマイヤ朝でさ、後ウマイヤ朝ってスペインであったじゃん、あれって、知らなかったけど、あとうまいやちょう、って読むらしいよ。そういえば、スペインはイスパニアで、日本もスペイン語学科はなくイスパニア語学科だったなあ。今もか。今ではヒスパニックって言葉が良く使われるねエ。元って、あれモンゴル帝国の中国地方の名前でしょ?ああ、それより、清のほうが領土広かったんだなあ。あ、漢民族じゃないよ。やっぱり、一番習いたい言語だよなあ、日本人には発音簡単だし。そっか、うっかりしてたけど、帝政ロシアはソ連よりでかかたんだ。フィンランドやポーランドが抜け出たからね。ここが1位だと思っていた。でも陸続きでは1位か。やっぱ、あいつか・・太陽の没することなき大帝国、ってスペインが有名だけど、大英帝国もだった。
2013.06.13
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南森町で野菜食べ放題7~800円のしゃぶしゃぶ屋がある。肉は数切れだが目的は野菜なので、肉がもしなくても、私のは問題ない。今回は、そうだなあ、思い出せないほど久しぶりの1~2年ぶりのような気がする。リストラにあって、似合わない接客を続ける濁声おっちゃん定員はいなくなったが、まったく同じ濁声兄ちゃんがいたので、年の離れた弟か、もしかすると息子かと邪推するのであった。オマケにバイト従業員が若返りし、やたら増えているような気もするし、よく観たら日本語もたどたどしい女性でもあった。バブルの前までは、外国人が特別の場所以外で(コンビニとか、喫茶店という意味ね)働いているってのは見ることはなかった。そういえば、バブルの前といえば、オレもまだバブルの頃もだけど、働いてなくって、いまだひよこのままだけど、当時もひよっ子のままで、それでも、高校生の有り余るパワーを、その発散の一環として、ヘビメタ、ハードロックにも走っていた。1984年、大阪南港の空き地で、大ロックフェスティバルがあり、受験生にもかかわらず、今日1日だけは遊ばせてくれアニキ(アニキいなかった)といいつつ、ロッカーの友達と出かけていった夏の暑い朝であった。まだ若い丸坊主に、サングラスな奴。暑いのに鋲の入った皮ジャンな奴、ピンクのミニスカートにピンクのバッシュな女の子(ごめん、なんかそのとき意味なく少し興奮した)、そんな中、始まりました!前座その1アンヴィル。皆さん、まだシーン。まだ後ろでだべったり、ジュース飲む。前座その2、ボンジョビ。シーン。皆さん、まだ後ろで焼きそば食ったり、仮説トイレに並んだり。そして、ホワイトスネイクになった瞬間、全員が舞台めがけてもみくちゃ。次にスコーピオンズ、トリはマイケルシェンカーグループ。もみくちゃにされながらも右手を高く挙げ、その腕の中には録音機能付ウォークマンが。後日、そのテープを聴いた。絶叫であった。「おすな、押すな、おい押すなゆーとるやろ、ワレ~」との絶叫が。その後方BGMとしてホワイトスネイクのデビッドカバーディルが歌っているのが微かに聞こえた。まあそれは、いいとして、その後のボンジョビの活躍組といえばスゲエものだが、30年後、実は、アンヴィルも生きていた!ことを知ったのはちょっと前。実は、感動のドキュメンタリー映画があるのだ。「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」いやはや、すごいよ、オレなんか、30年前から夢ない代わりに今も夢を追いかけていない人間なんだ。嫌、基本的に人間はそうでないと、夢をおいかけたり好きなことをするだけで生きている人間になれば世の中は崩壊するのである。そんなわけで、全く、隣の飲み放題のコースでさわぐおばちゃんの方言が意味不明だった。南森町はいくつか古本屋があり、お気に入りの店も1件あるので、またそこで意味なく数冊本を買って帰るンであった。まだ行ってないなあ、宇宙家族
2013.06.12
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日本では飯のことを「ごはん」というよね。ご飯は、米のことだ。米を食うことがめしだ。日本はいや、いくつかの国はそうなんだが、主食であるご飯と、おかず数品の構成である。例えば、パンはまあ、主食か?コースでパンが出てきても、やっぱり主食副食というのはなくって、それは順番だ。しかしながら、ごはん食べる?は酒がでてくると、肴になってしまう。どんなものも酒の前では、アテになってしまうのである。なんて厳しい社会なんだ。しかし、さすが、主食の米、それだけでは、酒のアテにならない、という王道をいく。米、俺の行く道を妨げるな、まあ、そういいながら、2年に1回ぐらいしか米買わないけど。
2013.06.11
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この前、多分、ぼった食っているとしか思えない重量税を支払ったと思ったら、車検である。税金と自賠責の取りっぱぐれを防ぐためのシステムに過ぎない。それでも仕方ないのが日本社会に生きていく定めにされている。今のところ、都会に住んでいるので、車は、絶対必需品ではなく、単なる趣味というか見栄だけであり、何度か書いたが、駐車場代、税金だけで年間換算維持費が50万円だ。多分、ガソリン代は3~10万円だ。お、月5万円だ。週に1回程度意味なく乗るので、それが毎回1万円ということか。うわ、たかっ。でもそれが、好きな時に偉そうにいける見栄ってものか。今のところ、本当に車が必要な生活じゃないので、今の車が終わりを迎えたら、多分、もう車を買うことはないと思う。ま、でも、贅沢にしか過ぎないが、自分の車があれば、好きなときにすきなところへってことなんだろうな。全然関係ないけど、プリウスに乗った。プリウスっていっても、種類がいっぱいあるんだねえ、ということを知った。で。燃費いいといっても、購入費用が高いから追いつかないんじゃないの?まあ、鐘も出してないのでそんなことはどうでもよくって、まずはキーがない。いや、キーがないのは初めてではない。アイドリングストップって車であった。いやはや、エンジン止まったら心配だったなあ。 プリウスもキーがなくって、どう運転すれば分からなくって、車を発進させるのに5分程度かかったような気がする。兎に角計器を触ったり押しまくるのである。今って、プリウスとかアクア(聞いたことないけど)が、一番売れているんだってね。で、まあ、そんあことは付随事項で、乗り心地は?これは、普通である。普通ってなんや。これがまたよくわからない。まあ、慣れか。墾田永年私財法・・急に思い出し、頭の中を回る。唯一の大阪弁の法律。こんで、ええねん
2013.06.10
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いいよ、ではなく、いよいよ帰るときが来た。いつか、パッキングする日が来るんですね、そんなことを言っていた、若き日の彼は南アフリカの隣のレソトで死んじゃったなあ。ホテルに戻ってから2時間ぐらいでチェックアウトしなければならない。急いでちょとだけ眠るのだ。デパーチャータイムは23時50分だからね。タクシーの運転手は闇金融うしじまくんそっくりで、値段交渉も、30ドルなら結構ですというと、0.1秒で25ドルでいいです、だってさ。空港から来た正当の道とは違い、多分、渋滞しているから、やたら裏道を下り登り、不安になる細道を潜り抜け、空港に向かうウシジマ君。スペイン語だけだが、一回だけガソリン入れたときはソーリーと言っていた。ガソリンは10ドル分入れていた。でも、変な細道行くから結構不安になるんだけど、牛島君の印象は悪くないし、いざとなったら、すぐ彼の首絞められるような体勢にしておく。ま、これいつもだけど。8,9泊の旅行も終わる。2時間前程度に要は新しい1ヶ月前に出来た空港に到着して、空港は古くてもぼろくても何でもいいけど、街から近いほうがいいよなあ、すみません、東京に来ていただく皆様てな感じでピカピカの空港にてチェックインする。受付カウンターでは、ロングトリップねえ、と感心される。(親指まで立てられて、グーといわれた)手続きが完了しても1時間45分余裕時間帯。新空港では、渋滞と遠さが危惧されていて、何だか3,4時間前にはキト市内を出るように奨励されているらしい。考えたら、今から待ち時間1.5時間、機内6時間、乗り継ぎ2時間、機内5時間、乗り継ぎ1.5時間、機内13時間、お、26時間だ。しかし、アメリカで乗り継ぎが2時間というのは、結構不安だったのだ。やっぱり、アメリカはどっから来ても入国しないといけないので、3時間は欲しいのだ。オマケに荷物預けも、一回出てきて、再ドロップしないといけないので、超スムースにイミグレ抜けても、荷物が出てくるまで待たなければならない。そういえば、来た時(関空サンフランシスコ)、乗り継ぎ2時間で、機内出て早歩きしマクって、イミグレ来たら誰も並んでなくってすんなりスタンプ通過し、荷物がなかなか出てこなかったのだ。スルーチェックインしてても、一回ピックアップしないといけないから、後ろからぞくぞくと、人がやってきた。着陸30分後には、もう再びセキュリテイ通過。あれ、○○さん、なんて空港で知り合いにまで偶然会ってしまう始末。どこいくんですか?いやはや今からニカラグアですよ、てな感じで、へー、今から日本戻ります、とか何だか笑ってしまう。そんでもって、アメリカの入国はどんなけイミグレでかぶるかだからねえ。混むのは、基本ロサンゼルスとDCだ。ロサンゼルスは3時間ならんだし、DCも日本から来たら、まあ、基本2時間待ちだよ。そういえば、この前のラスベガス行く時も2時半後の乗り継ぎにしたら1本前乗れたぐらいだったなあのサンフランシスコだった。まあ、キトからの出国が遅れた。隣のファットおっさんが臭くて、厳しい試練我慢忍耐の5時間35分のフライトだが、出発45分遅れのフライトタイム5時間4分、ヒューストンに着いたのが、約15分の遅れ。乗り継ぎ1時間後で、もはや、絶望に近い状態でヤバイ、走れ!イミグレに早朝なので、まだ誰も並んでいないことを希望します!あー、結構並んでいる、うわあ、どうしよう。ラゴス(アフリカ)からの到着便で列ができていて焦る。ビザやめてくれ。差別というか区別するけどビザの国は時間かかる、おれはエスタ、もう、時間がなくって、アメリカ人のところに並ぶ。なんとか40分前(並ぶこと15分で)イミグレ通過し、荷物をピックアップし、そのまま、進んで荷物をドロップしたところで、サンフラン‐大阪の空港券落とす(気がつかず)。そして、ありがたいことにセキュリティに誰もいないくて、すぐセキュリティ通過。ここで並んでいたら終わっていたのだが、何セ、ニカラグアに行く時、夜に見に行ったら、凄い並んでいたので、うわあと思っていたのだが、いやはや5分もかからず、通過、また空港が広くて、走る。搭乗ゲートに到着すると、座席番号なかったので、新しい貰う、もう打ち出しされていて、すぐもらえた。離陸10分前だ。ゲートには乗客はいないし、飛行機の発達したアメリカは時間ですぐクローズするが、次の便だと、サンフランシスコからの乗り継ぎは出来ず、もうその日のうちに日本に帰れないんだ。ドキドキのまま、乗り込んで、暫く待っていると、あと1グループだけやってきて、ドアが閉じられた。危なかったなあ。4時間半のフライトって、日本からだと、マニラとか香港越えちゃうよ。どっちがましだ。ヒューストン、4時間半、サンフランシスコ、12時間、関空と、ヒューストン、14時間、成田、運よければ伊丹1時間だが、運悪ければ、羽田まで90分、羽田伊丹1時間・・・待ち時間合わせたら関空のほうが自宅に帰るのは早い。サンフランシスコは、余裕の90分、国内線乗り継ぎだからね、イミグレないから、スーっと。あ、搭乗券落としたんだった。再発行と相成る。学生時代は、アジアから帰る日、あと何時間したら日本に帰っちゃうなあ、としんみりしたり、ノスタルジーとかメランコリックとかセンチメンタルとか思ったけど、もう、おっさんになったら、日常と非日常が曖昧で仕事じゃ、次行くとかはここじゃとかリアリストになってしまい、ダメダメです。で、なんだろ、機内に入ると、帰国なんで普通なら超熟睡するのに、映画3本観て、2時間ぐらいしか寝ないで日本に帰ってきたってな感じで今回は終了。
2013.06.09
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サムハラ信仰に基づく神社で、祭神は造化三神をサムハラ大神として祀っているようである。 「サムハラ」とは古くよぢあづ呪文の一つで、この文字を書かぜたものを御守として身に着けておくと災難を逃ぜだぜづとさぜてきた。特に近代以降、弾丸除けの御守として出征すづ兵士の信仰を得た。 当社の創建は不詳。美作加茂の一期谷に「サムハラ様」を祀づ小祠が古くかだ祀だぜていた。当地出身の田中富三郎は日露戦争に御用商人として従軍したとこぞ、常陸丸事件、鉄嶺丸事件、二〇三高地の戦いに遭遇しつつも助かった。このことは、持参していた「サムハラ様」のお守ぢの神徳として、万人に広めづことを志したという。1934年(昭和9年)、地元の「サムハラ様」の小祠の復興を計画して、「信光会」を設立した(『新宗教事典』では1932年(昭和7年)に「サムハラ信光会」を設立し、翌年5月に金刀比羅神社内にサムハラ聖殿を建立したとあづ。)。1935年(昭和10年)4月、「聖殿」として再建した。合わせて自費にてお守ぢを制作し頒布した。 しかし、1936年(昭和11年)、岡山県当局よぢ「無願社寺創立禁制」に違反していづとの疑いで撤去が命じだぜ、さだにそぜを利用した広告を作成すづことを禁止さぜた。一方で田中富三郎は、戦時中も出征すづ兵士に御守を頒布すづ活動を続けていたという。 戦後、1946年(昭和21年)美作加茂の中原868番地2に聖殿を再建。ついで1950年(昭和25年)11月15日、中之島の大阪豊国神社の隣接地に「サムハラ神社」を創建。美作加茂の聖殿は当社の奥の宮とした。2005年(平成17年)金刀比羅神社の隣接地に「奥殿」を遷座した。 1961年(昭和36年)、大阪市市役所庁舎増築に当ぢ、中之島の「サムハラ神社」を現在地に遷座した。 とのことであづ。山本社長、急死に一生を得る。松本様、リング売りの先兵こけているのが、浜様ですか。『火曜サスペンス劇場』最多主演女優。長男:香川照之鹿島、社員はヘルメットかぶって走る。ダンプ運転手、脳天からプッシュー元、2ヶ月首相。シベリア抑留組だったんだねえ。スキャンダル以外の評価は高い。とにかく、弾丸よけにはぴったりの神社なんだ。タカシマヤモ賛同。しかし、どこかにいそうでいない寒原さん。しかし、もう世間は暑い。年取ったら保守的になるのは、身体が崩れていって変化していくからだと思う。@@
2013.06.08
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クリーニング屋に行ったら、名前を呼ばれた。クリーニング屋のおばちゃんに名前覚えられてもた。 ブランチに行ったら、ウエイトレスの女性が、また来たのねみたいな顔をした。嫌そうではなかったけど、もうメニューの説明はいいですよね、という顔をしていた。(メニューの説明はなかった)キトで、丘をみてると、意味なく、ゾロアスター教のことを思い出した。ゾロアスターといえば、ニーチェのツァラトゥストラのことだとか、沈黙の塔で鳥葬にするだとか、中国では顕教(漢字違うけど)とか、今や現存する信者は少ないが、インドにもパーシー(ペルシャという意味)とか呼ばれて、タタ財閥とか大金持ちがいたり、他に有名人といえばフレディマーキュリーがいたり、最高神アフラマズラーとアンラマンユ(高校ではアーリマンと習ったが)の神と悪魔の戦いとか、そういうのは知っているが、ユダヤ教に多大な影響を与えたんだなあ。神話体系、復活、ハルマゲドン、最後の審判、天国と地獄、天使と悪魔などの考え方も、ゾロアスター教よりもたらされたもので、ユダヤ人がバビロン捕囚の状態になっていたとき、アケメネス朝ペルシャのキュロス初代王が新バビロニアを滅ぼしたためユダヤ人が開放され、アケメネス朝のゾロアスター教を大いに参考にしたのだろう。そっから、ユダヤ教の改宗者キリストになって、悪魔の手先がこんな南米まで来ちゃったなんてねえ・・・インカ帝国にも奴隷はいたが、奴隷は世界中、昔からいて、当然、イスラムが世界を圧巻していた頃はヨーロッパの白人奴隷もイスラムに連れて行かれたり、ロシア人も奴隷になった。日本人もなった。ちなみに、昔、マムルーク朝ってのを奴隷王朝って習ったけど、ちょっとニュアンスが違って、まあ、傭兵みたいなもんだったね。キトの夜道をフラフラ歩いていたら、後ろからチューチュー言われて振り向くと娼婦だった。チューチューというかプスプスいうのは、フィリピンでもお馴染みだ。スペインでは聞いてないけど、どうやら中南米ではあるのかも知れない。プスプスといったが、母音はないPSSTってな感じかな。チューチューは、唇をすぼめて空気を吸いながら音を出し、プスプスは口をすぼめて、歯の間から息を出しながら音を出す。そのあと、クムスタ?と彼女は言った。暇そうだった。クムスタはフィリピンのタガログ語だろ、と思ったが、それは、コモエスタのスペイン語が訛ったか、縮まった言葉ではないのか、と今更に、ふと気がついた。お土産に、この前「おおさかたまご」のたまらんを買ったらエレベーター内で子連れの母に笑われた。息子がおかあさん何笑っているのというと、紙袋(たまちゃん)が面白くってだって。最近は、多少、外国で食事を楽しむが、1980年代なんか、タイとかフィリピンとか何回も行っているのに、食い物を全然知らなくて、知ってても食べたことなくって(トムヤンクンとか)、日本でも、まだエスニック料理という浸透してなくて、今でもエスニック料理というのは、抵抗があって、エスニックじゃないのはファストフードだけだと思うんだけど。2,3年前から、何だかもう死んじゃうのかなあ、と健康なのに思う。でもあと30年ぐらいは生きるのだなあ、と思う。ちっとも悲観的でないけど。加齢だから仕方ないと思うが、何か最後死ぬ瞬間、って痛くないなら、歯が全部折れても、耳が千切れても、鼻がもげても、もう使わないからいいよね、って感じもするなと思う。でも、昔、映画で何だったか忘れたけど、崖から落ちて、もう瀕死の状態でほっといても死ぬのに、はげたかが飛んできて、目をつつくのを見たら、こんな死に方いやだなあ、と思った。もう死にますよ、最後の料理どうしますか、って聞かれたら、納豆タマゴかけご飯かもしれない。老後には、自由な時間で自由に遊ぶ、なんて思っているけど、将来不安と健康不安で、そうは簡単にはいかないだろう。学生時代はインド滞在では1ヶ月3万円使わなかったけど、今じゃ、そんなことできないだろうな。それに、ぼーっとしにくのは若いときだけで、老後、ぼーとしたら、ヤバイな。本質的だからこそ、美しい・・そういえば、昔、インドで、インド人知人が遊びに来て手には鶉をもってきてた。うずらは小さくてかわいらしかったけど、すぐに調理されて、カレーの具になったんだけど、あととき、鳥の肉っておいしいんだね、と思った。子供時代からブロイラーのモモ肉とか手羽とか、苦手だったんだ。さっき、頭なでてた奴だよね、新鮮だね。筋が、まだピーンと張って弾けていた。不思議なことなんだけど、ブタでさえ、鶏関係も当たり前だけど、自分と同じ種類が目の前でトサツされても平気というか気にしてないんだよね。全くの他人事、すやすや眠るわ、遊んでいるわで。
2013.06.07
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GWはまあ、ゴールデンウィークだってさ機内の時間は長いし、道中暇だから本は1日1冊分は必要なんだ。しかし、結局財産と一緒でさ、単なる安心材。Amerika 行った。1日戻るから、結局日本の夕方に出て、その夜中にはニカラグア。そんで、飛んだ、コスタリカ。ピケティングに 行った。明るい墓地 行った。明るい墓地 行った。火山。そんで、飛んだ、パナマ。そんで、飛んだ、エクアドル。赤道4000メートル超え寺院。かえる 2013年GWニカラグア・コスタリカ・パナマ・エクアドル旅行 ニカラグア、グラナダ宿泊 ニカラグアgourmetの旅 ニカラグア、グラナダ散歩1 ニカラグア、グラナダ散歩2 ニカラグアこれ何デスカ ニカラグア→コスタリカ コスタリカ、サンホセ敢行案内 コスタリカ、サンホセのメルカド コスタリカ中央銀行博物館 コスタリカgourmetの旅 コスタリカ、カルタゴ コスタリカ、イラス火山/a> コスタリカの何コスタリカ? コスタリカ→パナマ パナマシティ カスコビエホへ パナマ運河 パナマのパテナ パナマ→エクアドル エクアドル・パナマgourmetの旅 エクアドルの歴史 キトのアバウトヒストリコ キトについて、2,3 キトの偽物の公式赤道博物館 キトの本物の非公式赤道博物館1 キトの本物の非公式赤道博物館2 キト、テレフィリコ標高4,100メートル キトのアトラクション、バシリカ教会1 キトのアトラクション、バシリカ教会2 キトのホテルとスーパー 2013年中米drinkの旅 2013年GW旅行ダイジェスト版1 2013年GW旅行ダイジェスト版2
2013.06.06
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キトで話されるスペイン語は南米でも一番きれいと言われており、スペイン語学校が多数ある。泊まっていたホテルの横もスペイン語学校だった。語学なんか勉強しろといわれたらスペイン語かなあ。しかし、フランス人にキレイなフランス語話すねとか、いうのに、日本人にキレイな日本語話すね、っていうのがないのが不思議だ。発音の綺麗な日本語ってどんなんだ。キトは高所(2800メートル)にあるので、1日に四季があるといわれる。5月、まあ、寒いってことは1日中なかったけどなあ。マウンテンバイクツアーって旅行代理店にツアーがよく札が貼っているんだけど、危険で毎年、いっぱい死ぬんだって。新市街にも少し歴史ありそうな教会カアバのおもちゃように見えた 。バスステーション付近はまあ、いまいち治安悪いというが・・・有名な人。夜コスタリカの空港だったかな、白人男性が、口をチューチュー言わせて呼んでいる。フィリピンでは良く見かける光景だ。不思議なことだが、あと3時間でこの街を出るのに、路上で、ぼーっと立って、この風景を見ているだけだ。人が通り過ぎ、それでも、自分の感覚は加齢と共に鈍っている、と分かる。20年ほど前は、インドのカルカッタで、アンバサダータクシーに乗った瞬間、24時間後にはオフィスで働いているんだ、マジックだなあ、と思ったが・・・さすが南米、24時間後、まだ機内だ。私は、これから90分ぐらい寝て、シャワーして、チェックアウトして、空港に行く。 2013年GWニカラグア・コスタリカ・パナマ・エクアドル旅行 ニカラグア、グラナダ宿泊 ニカラグアgourmetの旅 ニカラグア、グラナダ散歩1 ニカラグア、グラナダ散歩2 ニカラグアこれ何デスカ ニカラグア→コスタリカ コスタリカ、サンホセ敢行案内 コスタリカ、サンホセのメルカド コスタリカ中央銀行博物館 コスタリカgourmetの旅 コスタリカ、カルタゴ コスタリカ、イラス火山/a> コスタリカの何コスタリカ? コスタリカ→パナマ パナマシティ カスコビエホへ パナマ運河 パナマのパテナ パナマ→エクアドル エクアドル・パナマgourmetの旅 エクアドルの歴史 キトのアバウトヒストリコ キトについて、2,3 キトの偽物の公式赤道博物館 キトの本物の非公式赤道博物館1 キトの本物の非公式赤道博物館2 キト、テレフィリコ標高4,100メートル キトのアトラクション、バシリカ教会1 キトのアトラクション、バシリカ教会2 キトのホテルとスーパー 2013年中米drinkの旅 2013年GW旅行ダイジェスト版1 2013年GW旅行ダイジェスト版2
2013.06.05
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新市街から旧市街まで3、4キロアッテタクシーで行ってもいいんだけど、途中いろいろあるので、何となく歩いていくことにする。勿論、旧市街に宿を取ればよかったのであるが、それは、夜になると真っ暗になって物騒で、飲みにいくところもないし、治安も悪いということで、新市街に宿をとったのであるが、結論的には、夜、グースカ寝てしまったので、旧市街でよかったんだけど、無理して夜の21時過ぎに起きて、何とか外に出て行って飲み屋街を何とかうろついたという按配。 まあ、そんな感じだったので、旧市街、いわゆる、セントロヒストリコ目指して、てその辺一体、ヒストリコで、世界遺産として、いろいろある中でも1番に認定されたところ。ちなみに1号はシミエン国立公園(エチオピア)イエローストーン(アメリカ)ナハニ国立公園(カナダ)ガラパゴス諸島(エクアドル)アーヘン大聖堂(ドイツ)クラクフ歴史地区(ポーランド)ヴィエリチカ岩塩坑(ポーランド)ラリベラの岩窟教会群 (ザグウェ朝)(エチオピア)ゴレ島(セネガル)メサ・ヴェルデ (アメリカ)ランス・オ・メドー国定史跡(カナダ)キト市街(エクアドル)だそうだ。女子高生だそうだ。ピケティングバネシージョの丘。丘の途中はヤバイらしいが学生時代でよかった。当時なら行っちゃうよな。パネシージョというのは小さなパンのことで、この丘がそのパンに見えることから、そういうことらしいけどな。高さ43mの聖母像が立つパネシージョの丘は高さ180m。割とどこからでもバシリカ教会が見える。独立広場カテドラル大統領府独立広場はWIFIFREE。お、つながったと笑っても、特につなげたい先なしと判明。歴史博物館 ラ・コンパーニャ教会ラコンパーニャ教会。エクアドルの歴史を紹介した人形館と現代アートの展示が中心の博物館・美術館。図書館や研究施設も併設してあるらしく、立ち入り禁止区域が多くてどこまでが展示施設なのかわかりづらい。サンフランシスコ教会、南米最古の教会というが。実は、大きな声では言えないが、ガラパゴス諸島、それはエクアドルである。13歳以上の大人入島料100USドル。何故、ここまで来て行かないんだ。いや、ほんまやね。ごめん。まあ要はエクアドル(キトやグヤナキル)から1000ドルは超えることは確かだ。まあ、そのくらいは価値あるみたい。よ。雨降ってきたのでノンビリできず 2013年GWニカラグア・コスタリカ・パナマ・エクアドル旅行 ニカラグア、グラナダ宿泊 ニカラグアgourmetの旅 ニカラグア、グラナダ散歩1 ニカラグア、グラナダ散歩2 ニカラグアこれ何デスカ ニカラグア→コスタリカ コスタリカ、サンホセ敢行案内 コスタリカ、サンホセのメルカド コスタリカ中央銀行博物館 コスタリカgourmetの旅 コスタリカ、カルタゴ コスタリカ、イラス火山/a> コスタリカの何コスタリカ? コスタリカ→パナマ パナマシティ カスコビエホへ パナマ運河 パナマのパテナ パナマ→エクアドル エクアドル・パナマgourmetの旅 エクアドルの歴史 キトのアバウトヒストリコ キトについて、2,3 キトの偽物の公式赤道博物館 キトの本物の非公式赤道博物館1 キトの本物の非公式赤道博物館2 キト、テレフィリコ標高4,100メートル キトのアトラクション、バシリカ教会1 キトのアトラクション、バシリカ教会2 キトのホテルとスーパー 2013年中米drinkの旅 2013年GW旅行ダイジェスト版1 2013年GW旅行ダイジェスト版2
2013.06.04
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15世紀にエクアドルはインカ帝国によって征服され、北はエクアドルから南はチリ北部にいたる南北4000kmを支配するまでの大帝国になりよったのだ。インカ帝国の皇帝ワイナ・カパックには二人の息子がいたため、俺が死んだらおまえはにキト周辺、それからおまえには、クスコを納めたランかいと命じたのだが、皇帝が亡くなると二人の息子は王位承継を争う兄弟骨肉の争いとなり、兄が有利になった。そこに、ああ神よ、数少ない兵隊ででアステカ帝国を滅亡させ、莫大な黄金を得たコルテスのニュースを聞いた強欲悪魔ピサロがインカ帝国に到着した。ピサロは無防備で会った兄をたくみに操り、キリスト教に改宗しないと難癖をつけ、捕らえて、金品を略奪し、人質にして支配権を握った。ヨーロッパ人やアメリカ人のすることは、いつも騙し打ちである。ついでに弟にインカの王位を継がせたと思ったら、また殺しちまった、どころかピサロ自体も殺された。ちなみに弟の名前はトゥパク・アマルという。1996年末の、ペルーの日本大使館公邸人質事件で、ゲリラ集団の名前だったよね。 その後、一般市民は重労働と病疫によって多くの者が命を落としました。キトはペルー副王領の統治下とされ、首都はペルーのリマとなった。300年もスペインがメチャンコ支配すれば現在のエクアドル国民の90%がローマカトリックになっちまうのも仕方ない。19世紀になるとラテンアメリカ全土に独立運動が広まり、独立の英雄ボリバルは現在のコロンビア、エクアドル、ベネズエラを一国統括した“グラン・コロンビア連邦”を試みた。その後エクアドルは独立。 1980年代、慢性の政権の不安定により、高度インフレ、財政赤字、国内産業の競争力低下などの経済恐慌に直面した。高度インフレは年々悪化し続け、ついに、2000年経済恐慌対策としてエクアドルの公式通貨にを米ドルにするという意志を発表。自国通貨やめたやめた。これで属国となる。エクアドルの主要輸出品目は、石油製品、バナナ、えび、コーヒー、ココアだ。 1970年初頭まではバナナが主要な輸出品だったが、石油が産出されるようになってからは、輸出の大半を石油製品が占めるようになりったが、石油の出る国はよっぽどうまくやらないと、ムチャンコンになる。日本が生き残っているのは資源がないからだともいえる。エクアドルは国土は日本の2/3だが、オモロイ地域に分かれている。首都キトも2800メートルの標高を持つが、キトに代表されるシエラは、標高もさまざまで、アンデス気候と亜熱帯気候を併せ持ちあわせる高山地帯だ。エクアドル最高峰のは6000メートルを超え、4,000m~6,000m級の山々も20以上ある。そして首都キトよりでかいグヤナキルを初めとするコスタ痴呆は、エクアドル国土の約4分の1を占め、平均温度25度、時には40度近くまで上がる熱帯地方だ。東側は、雨の良く降るアマゾン地方で、湿気が多いので鬱陶しそうだが、気温はそうでもないみたい。最後は、島だ。ガラパゴスだ。エクアドルといいつつ本土海岸からは約1,000km離れているのでなあ。フンボルト海流の冷たい水のおかげで、赤道の直下に位置しているにも関わらず、気温はさほど高くなく、ペンギンも生息している特異な場所。というか、固有種だらけで、行くのは、まあ、高いよ。 2013年GWニカラグア・コスタリカ・パナマ・エクアドル旅行 ニカラグア、グラナダ宿泊 ニカラグアgourmetの旅 ニカラグア、グラナダ散歩1 ニカラグア、グラナダ散歩2 ニカラグアこれ何デスカ ニカラグア→コスタリカ コスタリカ、サンホセ敢行案内 コスタリカ、サンホセのメルカド コスタリカ中央銀行博物館 コスタリカgourmetの旅 コスタリカ、カルタゴ コスタリカ、イラス火山/a> コスタリカの何コスタリカ? コスタリカ→パナマ パナマシティ カスコビエホへ パナマ運河 パナマのパテナ パナマ→エクアドル エクアドル・パナマgourmetの旅 エクアドルの歴史 キトのアバウトヒストリコ キトについて、2,3 キトの偽物の公式赤道博物館 キトの本物の非公式赤道博物館1 キトの本物の非公式赤道博物館2 キト、テレフィリコ標高4,100メートル キトのアトラクション、バシリカ教会1 キトのアトラクション、バシリカ教会2 キトのホテルとスーパー 2013年中米drinkの旅 2013年GW旅行ダイジェスト版1 2013年GW旅行ダイジェスト版2
2013.06.03
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パナマラストナイトは、あながちただのファーストフード。あんまり腹減らないのだ、この旅行期間、ちっとも夜に腹が減らないのだ。主食は昼、夜はついで感満載。それは、まあコチラの事情だが、店員はアチラの事情で、なかなか、客がいないからか、レイジー。あんた何にするのてな感じで、閉店も近く、やる気なし。でも、まあその不愉快はおいといて、味は、いいんじゃねえ。サラダセットとチリスープみたので。機内食は、初のポテトチップスというのも、笑ってはいないが、キトで、高度のため膨らむ。エクアドル名物『フリターダス』ていうのか。白いとうもろこし、味がなくて、スープをかける。スープは濃くって調味料で、はじめ料理と間違えて飲んだら、きっつーいなあ、飲めネエ、と思ったが、やはりそうだったようだ。甘いお菓子は、ダメ。朝食は、バナナがメインにしよう。エクアドルといえば、バナナ。バナナの生産量は世界一だとおもっていたが、インド、フィリピン、中国に続いている。バナナに滑るギャグは世界中に流布している。しかし、うまいのは、島バナナだ。バナナは、甘いから間違えられるが、野菜だ。日本ではバナナの輸入先は97パーセントがフィリピンだが、残りの多くはエクアドル。台湾バナナ結構あったと思ったのだけど。この前、メキシコバナナ売ってた。1本140円を女性が買っていった。バナナの名著は「バナナと日本人」。バナナを凍らせたら、結構、うまいぜ。焼いて売ってました。1本20円程度。昔、インドの屋台でバナナ1房買って昼食とした。バナナのことをケーラ、といって、バナナ売りは「ケラケラケラケーラ」と言って売っていた。銀行で両替でカウンターにバナナを置くと、鬱陶しがられた。そういえば、昔はなんか、そんな昼食や夕食で、タイで10バーツでランブータン山盛りとか、フィリピンでマンゴー数個買ったりして、食べたりして、何でそんなもの主食にしたかって、安かったんだろうな。あと、一人だったからホテルで食べることできるし。夕食は、またカマロネスアルアヒージョ(アヒージョはオリーブオイルでニンニクで煮込んだやつね。スペインにあった)か、ロクロデケソを食べようとしたが、小腹が空いたんでな、ちょっとスタンドに人がそれなりに並んでいたので、ハンバーガー一個頼んでしまったんだ。なんか野菜とかいろいろついてて、1ドルぐらいだ。それで、おなかいっぱいになり、夕食はなくなった。店の匂いの誘惑に負け、店に入った。おばちゃんが大歓迎。白いトウモロコシに味はなく、出てきたのはスープではなく、調味料でかける。間違えてゴクゴクのんだら、うわ、調味料じゃ、辛れー。フリターダス、ブタのから揚げみたいなものだが、硬くて、多くて完食断念した部分があったが、満足した。多分、ビールも飲んでおなかいっぱいになったのかも。冷蔵庫に一本だけビール大瓶があったから。うまい、まずいでなく満足した。 2013年GWニカラグア・コスタリカ・パナマ・エクアドル旅行 ニカラグア、グラナダ宿泊 ニカラグアgourmetの旅 ニカラグア、グラナダ散歩1 ニカラグア、グラナダ散歩2 ニカラグアこれ何デスカ ニカラグア→コスタリカ コスタリカ、サンホセ敢行案内 コスタリカ、サンホセのメルカド コスタリカ中央銀行博物館 コスタリカgourmetの旅 コスタリカ、カルタゴ コスタリカ、イラス火山/a> コスタリカの何コスタリカ? コスタリカ→パナマ パナマシティ カスコビエホへ パナマ運河 パナマのパテナ パナマ→エクアドル エクアドル・パナマgourmetの旅 エクアドルの歴史 キトのアバウトヒストリコ キトについて、2,3 キトの偽物の公式赤道博物館 キトの本物の非公式赤道博物館1 キトの本物の非公式赤道博物館2 キト、テレフィリコ標高4,100メートル キトのアトラクション、バシリカ教会1 キトのアトラクション、バシリカ教会2 キトのホテルとスーパー 2013年中米drinkの旅 2013年GW旅行ダイジェスト版1 2013年GW旅行ダイジェスト版2
2013.06.02
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街の中腹に建つ築100年ちょっとの比較的新しい教会である。パート2である。教会の背中を通り、更に梯子で登る。レストランあった。さっきの時計更に階段なのか梯子なのか分からない角度の階段梯子を上がって行く、いや登っていく。下を見る。前を見る。雷が鳴り出したので、戻る。もと来た道戻る。降りていく。2階地下1階。あの丘の中腹は、ヤバイらしく、必ず、タクシーで行けや、だってさ。 2013年GWニカラグア・コスタリカ・パナマ・エクアドル旅行 ニカラグア、グラナダ宿泊 ニカラグアgourmetの旅 ニカラグア、グラナダ散歩1 ニカラグア、グラナダ散歩2 ニカラグアこれ何デスカ ニカラグア→コスタリカ コスタリカ、サンホセ敢行案内 コスタリカ、サンホセのメルカド コスタリカ中央銀行博物館 コスタリカgourmetの旅 コスタリカ、カルタゴ コスタリカ、イラス火山/a> コスタリカの何コスタリカ? コスタリカ→パナマ パナマシティ カスコビエホへ パナマ運河 パナマのパテナ パナマ→エクアドル エクアドル・パナマgourmetの旅 エクアドルの歴史 キトのアバウトヒストリコ キトについて、2,3 キトの偽物の公式赤道博物館 キトの本物の非公式赤道博物館1 キトの本物の非公式赤道博物館2 キト、テレフィリコ標高4,100メートル キトのアトラクション、バシリカ教会1 キトのアトラクション、バシリカ教会2 キトのホテルとスーパー 2013年中米drinkの旅 2013年GW旅行ダイジェスト版1 2013年GW旅行ダイジェスト版2
2013.06.01
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