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って、まあ、教条的に言うじゃない。え、誰か言ってたか?まあ、それは、散々、私も若い頃から言っているのである、若い頃というのは漠然としているので、ずばり何歳ではないが、要は10代とか20代前半がいいのである。いいけど、そのときは金がないのがよくって、年食ったら金があるというのが、いや金もなくって時間もなくなるのが、大人ってものである。でも、大人になるまで、知らなかったら、そらはまったら、もう落ちていく一方である。常夏で寒さの心配もない、貧しい人には寛容、概ね適当、そんな面で、日本で厳しい社会に生きてきたら、なんていいところなんだって、堕落していく。その気持ちは分からなくもない。一言で言って、アジアは、あれ、なんだっけ、勿論ひとことではいえないのだが、気の弱い人や大人しい人、流されやすい人、短絡的な人、もてない人、魅力ない人、孤独で寂しい人、まあ、そのほか賢い人、心優しい人、無垢な人、寡黙な人は、若いうちにアジアに行った方がいいと思う。これ、年取ってから行くと、ずばり、その気候や見栄えの優しさ、にやられます。東南アジアで文無しになって、どうしようもなくなるのは、まあ、だいたい中年以降だと思う。特に日本で辛い目にあったというか、うまくなじめなかったというか、希望のなくなった中年にとって、初めて行った東南アジアには、緩やかでテキトーで優しさに参ってしまうだろう。それで、もっと堕落していく、でも金の切れ目は縁の切れ目なんだ、でもそれでも、東南アジアでは、誰かが、貧困を分かち合う誰かが、優しく助けてくれるだろう。でも、そんなことにならないように、日本でやり直せる若いうちに東南アジアの緩やかさの練習をしておくべきかもしれない。その代わり、日本での日常生活は、ちょっと辛いものになるか、常に疑問を感じながら生きるか、チャランポランになるか、まあ、そういう軽い後遺症は一生残るかもね。>カオサンロード、外こもりの聖地ってか。ちゃんと帰れよ 2013年11月バンコク バンコクへ バンコク滞在先 タイ30時間gourmetの旅 マダムタッソーバンコク1 マダムタッソーバンコク2 マダムタッソーバンコク3 マダムタッソーバンコク4 チャオプラヤー川を渡りシリラート病院へ 見てはならない バンコク残照 バンコクデモ 帰国へ バンコク土産
2013.11.30
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本場ロンドンにはまだ行っていないが、マダムタッソー8件目マダムタッソー東京マダムタッソー釜山マダムタッソー香港マダムタッソーワシントンDCマダムタッソーラスベガスマダムタッソーアムステルダムマダムタッソー上海王室元帥デビ旦那インドネシアマレーシア頑固者人嫌いの女垂らしの人殺し殺された人日本生まれ大将ちうごくじんちうごくじんロシア帝国皇帝旦那外人(故人)インドネシアにオマ(ロマ)イラマっていう国民的歌手がいたなあ。イギリス一のお金持ち執務中テレビ中継中タイらしいね。 2013年11月バンコク バンコクへ バンコク滞在先 タイ30時間gourmetの旅 マダムタッソーバンコク1 マダムタッソーバンコク2 マダムタッソーバンコク3 マダムタッソーバンコク4 チャオプラヤー川を渡りシリラート病院へ 見てはならない バンコク残照 バンコクデモ 帰国へ バンコク土産
2013.11.29
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民主記念塔食糧無料配布。ドサクサにまぎれてマサージ屋デモ外側大渋滞やと思ったら、全部、道路に駐車。 2013年11月バンコク バンコクへ バンコク滞在先 タイ30時間gourmetの旅 マダムタッソーバンコク1 マダムタッソーバンコク2 マダムタッソーバンコク3 マダムタッソーバンコク4 チャオプラヤー川を渡りシリラート病院へ 見てはならない バンコク残照 バンコクデモ 帰国へ バンコク土産
2013.11.28
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冤罪だったことが判明、撤去される。 2013年11月バンコク バンコクへ バンコク滞在先 タイ30時間gourmetの旅 マダムタッソーバンコク1 マダムタッソーバンコク2 マダムタッソーバンコク3 マダムタッソーバンコク4 チャオプラヤー川を渡りシリラート病院へ 見てはならない バンコク残照 バンコクデモ 帰国へ バンコク土産
2013.11.27
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姫路とは、いわゆる因縁の土地である。何故かと言うと、いやはや、オトンやオカンの実家があるということで、親戚一族郎党は概ね姫路周辺にガンガン住んでいるのである。姫路に行けば、もはや、私もカオである、姫路市に入るのは顔パスである。おまけに、新入社員時代2年間、姫路で仕事をするといったこともあり、姫路全般に詳しくなったという変遷を持ち合わせている。 こういった地方都市は35万人とか40万人という人口を有しており、そのため、独立性が高く、電車で神戸から40分、大阪から60分なのだが、観光以外に行くことはなく、姫路市民も基本的に百貨店から何からあるので、神戸や大阪に出てくることは滅多にありません、という感じなのである。そういう訳で、私は別にして、一般の姫路にゆかりのない神戸人は多分姫路には1,2回しか行ったことがないと思うのである、いや、3,4回か。 前置きは短かったが、もう少しで平成の大修理も終了しようとしておるのである。小学校の遠足でも行ったが、そのときは、播州皿屋敷のお菊の井戸を皆で探し出したものだが、そのあと、よく考えると、20代前半に1回ぐらいしか入ってないような気がしてきた。ちなみに姫路市本町68番は、皇居に次ぐ単独番地の広さであるとのことである。そんな訳で修理中の姫路城なのであった。
2013.11.25
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何が、二十周年かというと、私の年齢、ということも考えられるが、大学の友達がやっているスペイン料理屋が20周年である。これは凄いのだある、実は。神戸でも、そこででもであろうが、オープンした飲食店の2,3割は3年以内になくなる。それは、飲食店相手に騒いでいる某ビール会社の後輩の実感である。あ、しまったビール会社って大手は4社しかなかったか。彼も、まあ、大きなことは言えないが、私の後輩であるから、金属も、いや勤続も20年を越え、途中、上海とか郡山とか東京とか淡路島とか転勤したが、その間にどんどん店はなくなった、いやはや、自分自身も知らない間に加齢して、おれ自身行ってた店も、儲かっているかどうかは別にして加齢にて店をどんどん閉じていき、今、神戸に行ってももはや、この店しか私が知られている店はなくなったような気がする。あとインド料理屋がba-toka attaga,are,あれ、あ、バーとかあったが、もう、すっかり行かなくなって、どうなっちゃってるんだ! ああ、そいえば、思い出した。阪神淡路時代震災後、もう神戸の繁華街も無茶苦茶になっていて、でも、瓦礫の中で店はいくつかオープンして、路上でも割れなかった酒を並べてオープンしてて、あの寒空の中、飲んだ。そして、もう少しましになった頃には、そのビール会社の後輩と、声を掛けてくる店には、値段を聞いてからだけど、全て入ろう、ということを決め、瓦礫の中でオープンしたラウンジからバーから居酒屋から片っ端から入っていった。1997年の給料はほとんど酒代だった。そういえば、この知り合いのスペイン料理屋、地下にあった。地震で埋まった。翌々日、繁華街を歩いた。偶然、マスター(友達の旦那)に会った。大丈夫だったか、と彼は心配してくれた。何セ、私は本棚が振ってきて目の周りが内出血していたので。でも彼の店は埋まって無くなってたんだ。そんな自分の店のことは何もいわず、私の怪我した顔を心配してくれて、私は彼をずっと信頼することになった。ほんの1週間前に私はスペインから帰ってきて、ハムとか、あとハモンセラーノを乗せる台とかお土産に買って来ていて、それもたった1週間で埋まってしまったんだ。一回地震で潰れたのに、また店を再開した。凄いと思う、いつも、私が、タマーに行けば、一番安いワインボトルでくれというだけだ。アヒージョ、アヒージョ!PS,「パンナム」7巻一気に見ました。ご報告まで。PS,今月も銀行に残高足りませんでした。
2013.11.24
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そんな訳で苫小牧を通って千歳に向かうのだが、苫小牧は用意にアイヌ語と想像され、何となくトマコマイ、歯切れが良いので知名に関しては中学生ぐらいから知っており、その知識も豊富で、製紙業が発達と習ったような気がするが、知識は以上、終わりである。今回知ったことは、ホッキ貝の産地で日本の1割を占めるとのことであった。そんな訳で、寿司屋でホッキ貝を食べたのである。それから日本最大の石油コンビナートがあるとのことであった。街の中心部には製紙工場があり、「紙のまち」として有名。工場に立つ紅白に塗られている煙突は「王子の煙突」と呼ばれ、街のシンボル的存在である。紙が作られるのは、水が綺麗だということであもある。実際に水のおいしい街に選ばれているようである。北海道で唯一人口の増えている自治体でもあるらしい。観光スポットは、まあ、ラムサール条約のウトナイ湖か。まあ、観光はぜすに、すし食っただけのゆっくりは四郎ホッカイドーである。お、千歳空港の一部、苫小牧市なんだね。2013年、日帰り登別温泉に浸かってきた 登別温泉中心街へ 登別温泉の鬼達 登別温泉源泉 登別地獄1 登別地獄2 大湯沼 カルルス温泉 帰り苫小牧通る 神戸空港に戻る
2013.11.23
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たべもの、食べ物以外のもの最近は、まあまあ、いろいろかけてみる。本は投げ出し、大阪市浪速区日本橋4-3-12のカレーの名店マドラス、但し、インドカレーではない。野菜から肉から濃厚溶かし甘辛カレーだ。このあたりにはマドラスというカレー屋が他にもあるが、お弟子さんたちの店だそうだ。本は投げ出し、おかんからのイギリス土産ってか、イギリス免税店土産、というより懐かしいね免税店とお酒。最近、大きなマンションが2つ建ったわ。豪華な100バーツの御菓子、むちゃうまい。
2013.11.22
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三朝温泉 別府温泉 伊香保温泉黒川温泉 湯原温泉 野沢温泉八丈島の温泉 金比羅温泉 大鰐温泉函館の温泉(湯の川温泉) 城崎温泉 セニーチェ(ブダペスト)道後温泉 雲仙温泉 郡上温泉 神戸市灘区にあるいっぱいの温泉白浜の温泉 有馬温泉 そして登別温泉、まあ、そのくらいかな行ったことあるの2013年、日帰り登別温泉に浸かってきた 登別温泉中心街へ 登別温泉の鬼達 登別温泉源泉 登別地獄1 登別地獄2 大湯沼 カルルス温泉 帰り苫小牧通る 神戸空港に戻る
2013.11.21
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要は、何度もお知らせしたように、登別温泉に浸かりに行って来たという按配だったのだが、観光案内所を発見したので、この辺でご飯食べたいのですが駐車場ありますか、と聞くとありませんよ、との答えであった。どうしたらいいんだろうなあ、と思いきや、まあ店の前付近にちょっとぐらい停めて置いても警察も来ないし的な呟きを聞き逃さなかった私は、引き続き日帰り温泉はどこがありますかと聞くと、その質問には、待ってましたとばかり、紙を1枚くれた。本来は、料理付き温泉にしようと思っていたのだが、朝から何も食べておらず、もう空腹は限界に近かったのである。これ以上我慢すると、腹が減っているのが収まってしまう。私はチラシを見た。おお、一番安いところは390円というのがあるじゃん、露天風呂ないけどな、露天風呂があるので一番安いのは700円だ、露天風呂ソレぐらい大事か?そうだなあそれもそうだなあ(どうだな)、と思っていると、チラシを見ている目の前がその温泉であったため、急遽ここに決定。 390円を自動販売機で買い込み、タオルなどは持ってきていたので、それは購入せず、風呂に入るが、値段的に完全地元客半分であり、空いていて、快適である。温泉は濁っているが、温泉好きなのだが、熱いので、15分もすれば退散である。あと、1,000円とか1,500円払えば、割と豪華なのか、何だか分からないコースというかホテルも外湯もあるのだが、何セ、私はこれから洞爺湖に行こうとしているのだ。使命がある。ここからまだ70キロぐらい先である。ホッカイドーデッカイドーとはいえ、下道なので、1時間は見込んでおかなければならないのである。急いで着変えて、車をぶっ飛ばす所存である、車は、なんと言う車か知らないが、信号待ちでエンジンの止まるやつで、キーを差し込むところのないやつである。キーを差し込まないと落ち着かない性格の私ではあるが、1日4,000円の魅力には負けた。北海道なので軽自動車ではダメなのである、ダメだが、さすがに、高速道路はベタ踏みすると安定性の悪くなる排気量の車であった。何CCかは勿論確認していないのだがね。 そう思ったら、靴箱の鍵が見つからないのである。といっても、手提げ袋1つだけで来ているので、どう考えても、すぐに探し出せるはずなのに、ないのである。床に、カバンをぶちまけるのだが、飴玉とか、トルコ航空の半券とか。お絞りとかでてくるのであるが、鍵は出てこない。あきらめかけたその頃、財布の小銭入れからポロリと発見されたその頃には、もう、洞爺湖に行くと、関西最終便に間に合わない恐れが出てきたので、あきらめる、また行けばいいか、というか、昔洞爺湖いったものな、昭和新山とかクマ牧場行ったよな、と思い、でもこのまま帰るとしてもちょっと時間余るので、ゆっくり地道を通って帰るということに決定したのである。まあ、そういう感じなのであった。2013年、日帰り登別温泉に浸かってきた 登別温泉中心街へ 登別温泉の鬼達 登別温泉源泉 登別地獄1 登別地獄2 大湯沼 カルルス温泉 帰り苫小牧通る 神戸空港に戻る
2013.11.20
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洗濯機回したら、ポッケに入ってたお札が、チリヂリになりました。何度か洗ってしまったことありますが、お札は強いはずなのに。ところで、私は、サラリーパーソンという小市民的なご身分というか、労働者の8割を占めるマジョリティの部類に所属するのだが、それは、株式会社というもので、この株式ってのは、まあ、株屋ではないので、詳細は避けるが、お金があれば誰でも買えるのである。そこの社員がどんなに仕事が優秀でも、どんなに人格者でも、そんなの関係ないのである。どんな会社でも、社員を採用するには、試験や面接を何度もやって(たまには、1回しかしない場合もあるけど、あ、それバブル組のオレか・・・)、この人を採用して大丈夫だろうか、最後は相性だ、この人と仕事したらやりやすそうだ、そうい言い聞かして先陣の谷に落とされる思いで、採用担当者は慎重に採用する、いやどちらかというと、落ちる人の方が多いから、ばっさばっさ、断腸の思いで(楽しい場合もあるかもしれないが)切っていくのである。そして、採用されて、曲がりなりにもその人は、会社のためと生活のためとその他もろもろのために懸命に(懸命じゃない人もいるだろうが)労働を提供するんである、簡単に言えば。 それなのに、それなのに、会社を経営したり、その会社の内部事情を良く知っていたり、その会社出身でもないのに、お金出して株買って、経営に参加するなんて、何だか、やっぱり金が強いんだな、くそっと思うというか、それで、配当出せ、早く利益出せ、シャチョークビ!そんなものいう鬱陶しい株主、アメリカなんか特にそういうじゃなーい、斬り!古っ。
2013.11.19
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車で奥に向かうと、山火事だてな感じ。この前、年取ったから、死にかけなんか、いうが、いやはや、度忘れは年取ったからと思うけど、まあ、よく考えたら子供の子度から度忘れ当たり前、子供の頃は気にしていなかっただけだったわ。これは、多分、使うから、それだけなんだと思うよね。それを思うのは、俺は、英語は出来ないけど、旅行が長くなると、何となく話しているんだよね、でも今は、ダメ、出てこない、相手の言ってること、割と分かっても、反応できない。久しぶりに旅行行くと話せない。もういやというほど、硫黄臭嗅いで、モクモクの洗礼受けたと思っていたけど、案外そうでもなかったなあ、と思う、これは、あれか、臭いと記憶が脳に直結しているのか、あれは不思議だね、歩いていると、急に、臭いが通過して、インドを思い出したりするよね。考える前に。確かに、体力は衰え、目鼻口肌は衰えて、死ぬのかもと感じるが、脳はちっとも衰えていない、子供の頃からボケボケだからかも知れないが、そんなに変わらない、もしかして、生きているだけに、嫌でも記憶が溜まっていってしまうから、その整理がややこしくなるだけだからかも知れない。いやはや、記憶は美しい、何故なら、事象しか覚えてなくって、そのとき、何を考えていたか、を忘れてしまうからだよね。それは、まるで煙に巻かれるように。2013年、日帰り登別温泉に浸かってきた 登別温泉中心街へ 登別温泉の鬼達 登別温泉源泉 登別地獄1 登別地獄2 大湯沼 カルルス温泉 帰り苫小牧通る 神戸空港に戻る
2013.11.18
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映画史上、その映画1本だけで観光客を永遠に増大させることになった映画、それは、ローマの休日だろう。いわば、興行以外成績ナンバーワンだ。まあ、それは、いい、いいっていうか、この前(といっても2年前だけど)ローマに行って、帰ってから5回目ぐらいの「ローマの休日」を借りて見た。名作である、完全な名作のフリをした観光案内映画である。そんな訳で、映画ででてくる場所、世界各国に現れる、プラハ、バンコク、香港、サンフランシスコ、ペトラ、ロンドン、モスクワ、ヘルシンキ、トキョー、リオジャネデイロ・・・ そんな訳で、どんな訳じゃ分からんけど、神戸空港に映画ロケ地なんてのが、展示されていた。御影公会堂は、地下だったかなあ、オムライスが名物だったかなあ。僕の彼女サイボーグ、あやせはるか好きになったけど、普段のあやせはるかは単に痩せた女の子にしか見えないんだなあ、映画の中で輝くんだなあ、なんでだろうなあ。フカキョンもそうなんだなあ、演技も下手なのに映画はいいんだなあ、でも普段のTVでは普通なんだなあ。まあ、そういうのも、どうでもいいんだけど、その、ぼくかのさいぼーぐは、やたら神戸が目立ったのだ。それは、映画(といってもDVD)で感じたものだ。東京ふりした映画が結構神戸で誤魔化されてたんだねえ。ちなみに、当日東京に行くのに一位版最後の手段は、21時5分神戸発羽田行きだ。まあ、神戸空港じゃんじゃん縮小されてるなあ。そういえば、新潟、神戸から行ったとき、えらい空いてたわ。2006年2月開港だったか。もう全然飛んでないねえ。まあ、さっき札幌から戻ってきたけど。神戸仙台も、乗って他のコレだけ(2006年)卒業写真2013年、日帰り登別温泉に浸かってきた 登別温泉中心街へ 登別温泉の鬼達 登別温泉源泉 登別地獄1 登別地獄2 大湯沼 カルルス温泉 帰り苫小牧通る 神戸空港に戻る
2013.11.17
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我々において、地獄というものは、常に隣り合わせである。距離にすると、120メートルぐらいである。徒歩1分30秒である。地図を見ると、こりゃカルデラ湖だなと、分かるってものだ。日本の将来は、やっぱ、地熱だろ。地熱地獄の上に、我々日本に住む日本人や在日外国人や旅行者は立っている(大体は座っているか寝ている、たまに、車とか列車とかマッサージ機で斜めの人もいる。レアに運動中で逆立ちになっている人とか、プレイ中で逆さの人も数万人に一人はこの瞬間にでしょうが。)例外は、飛行機に乗っている人か、ジャンプしている人だけだ(スキージャンプ、トランポリン含む) そういう訳で、私は、かつて、いくつかの煙モクモクを視察してきた。しかし、専門家でないので、視察して、硫黄臭を嗅いできただけだ。暴力団の介在する硫黄山恐山阿蘇山阿蘇山雲仙普賢岳鉄輪温泉60度だったら、何とか、やけどする程度に入れるか。カンケッセンもあるよ死が近いその中に入って行くと、申し訳ないけど、眼鏡が曇る。申し訳ないけど、ここ半年1年で老眼入ってきて、目鼻耳口肌、そういった容姿的な衰えが、いやはや、精神力は同じままなのに不思議なものだ。確かに、ヨーク考えれば、1年前も3年前も、精神的には変わっていない。朝は相変わらず起きたくないし、いつまでも寝ているし、そんなにやる気ないし、環境に感謝しているし、散財度も変わらないし、貯金も増えも減りもしないし、臆病なままだし、性格も子供のときと変わってないし、なんか、体だけぼろっちくなっているだけなんだなあ、と思う。2013年、日帰り登別温泉に浸かってきた 登別温泉中心街へ 登別温泉の鬼達 登別温泉源泉 登別地獄1 登別地獄2 大湯沼 カルルス温泉 帰り苫小牧通る 神戸空港に戻る
2013.11.16
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やばい、この先、EDOERA。クマ腰を振ったら腹にスペースが出来るとは知らなかった。ちなみにもう200回ぐらい書いたけど、別腹を英語で言うと、CAKE HOLEだ。やっぱり言語問わず入るらしい。俺は入らない。ひょっとこって結構怖いよね。あ、関係なかった。微妙な言い回しの間違ったとしか思えない日本語だね。実家に1個はある熊の木彫り、久々に見ました。昔は北海道遠かったものなあ。おじいちゃんも船で旅行にいったんだろうなあ。日帰りの時代が来るなんて思ってなかったろうなあ。そういえば、レンタカー借りるのに、営業所までのバス、皆さんキャリーバッグだったなあ。手ぶらに近い私をなんと心得る、ちゃんとタオル持って来たぞ。ジオラマ。登別のメーンストリートは、まあ、うーん、300メートルぐらいで、ついついそこで路上駐車してもまあ、大丈夫だよ。ここまできても、まあ、コスプレは出来るぜよ。おたくとコレクター、違うよね。自分の立ち位置が。自分がそのものに入っているか否か、うーん、立ち位置って便利な言葉だね。最近までそんな言葉なかったよね。閻魔、壊れてます。寂しいな。かなり巨大化総選挙ですみません、おれは、エスがいいかな。
2013.11.15
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高速道路を降りると、10メートル級が出迎えてくれるって訳。何とかホテルでも質の悪い鬼だ。これは、多分官舎であろうか。鬼だ。金棒だ。子供も借り出されて、なんだかな。質の悪い鬼。トイレ付近。案内板にもかり出されて。ゴミ箱も型とられて。大通り。威厳なし。ラーメン屋。ラ。何コネテいるんだ出た、モップヘヤー相対的にレベルは低い。それはいえる。何故、鬼なんだ。かおはめ酒青鬼2013年、日帰り登別温泉に浸かってきた 登別温泉中心街へ 登別温泉の鬼達 登別温泉源泉 登別地獄1 登別地獄2 大湯沼 カルルス温泉 帰り苫小牧通る 神戸空港に戻る
2013.11.14
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御大71歳、日本に来てコンサートして見れるのも最後かと思うと、急遽行こうと思った。大人というか、まずまずの幸せである。思い立って16500円を払えるのである。思い立って北海道に飯を食え行けるのである、思い立って好きなことが予算と時間の狭間で実行できるのである。ただ生息しているだけではないぞ、と思える余暇の幸せじゃないか?ありがとう、仕事があって。ダメ人間なのに、時代に救われているんです。ICカード、イコカに5,000円のチャージをした瞬間に思ったのである。明日死ぬかもしれないのに、5,000円もチャージしてしまった・・・ま、いっか。そんな訳で、行くのである。何セ、よく考えたら、好き嫌いに関わらず、現在の歴史的人物の一人であり、音楽界の、いわば、好き嫌いは別にして頂点周辺人物である。 何セ、席を探すまで、ロングアンドワインディングロードである。年齢層も、高いのである。60代、70代の人もいるのである。いやはや、音楽は60年代からNEWまで50年分の音楽を行き来しながら、人々は感動する。その70歳のバイタリティに。活動歴の長いストーンズ、エアロスミス、キッス・・・いやはや、みな感動だ。まだ動いていると。ずっと30年も40年もずっとやってんだ。20代のミックジャガーが、「60になってもサティスファクションやっていると思うとぞっとするぜ」と語っていたが、ゾットしないぜ、すごいぜ、どなってんだ。2時間半、30曲以上、びっしり。ジュークボックスを大音量で無茶無茶に聞いている気がして、それでも、何となく、ぽっくり逝ってしまうのではないかと、少しハラハラして見ていた。[京セラドームセットリスト]・Eight Days A Week・Save us・All My Loving・Listen To What The Man Said・Let Me Roll It/Foxy Lady (instrumental)・Paperback Writer・My Valentine・1985・The Long And Winding Road・Maybe I'm Amazed・I've Just Seen A Face・We Can Work It Out・Another Day・And I Love Her・Blackbird・Here Today・NEW・Queenie Eye・Lady Madonna・All Together Now・Lovely Rita・Everybody Out There・Eleanor Rigby・Being for the Benefit of Mr. Kite!(サージェントからだよ、日本でやるのは初めてなんだ、あ、昨日歌ったから2回目だった、とのコメント)・Something・Ob-La-Di, Ob-La-Da・Band on the Run・Back in the U.S.S.R.・Let It Be・Live And Let Die(消防法上、「炎」や「花火」の扱いも海外に比べてしょぼいのだが、「Live And Let Die(007 死ぬのは奴らだ)」で、ちょとやりよった)・Hey Jude(皆で、ッダダダダダダッダー。ジョセイダケハイ、ダンセイダケハイ、オカマサンダケはなかった)アンコール:・Day Tripper・Hi, Hi, Hi・Get backアンコール2回目:・Yesterday・Helter Skelter・Golden Slumbers / Carry That Weight / The End
2013.11.13
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私の第2のふるさと(やっぱり初めて行った国の印象は強烈に残っている。ただそういうことである)のフィリピンのレイテで1万人が台風で死んだというニュースが流れてきている。強烈だった、というのは、それまで18年間生きてきた日本の常識が覆させられたからだ。こういうのを英語で言うと、コペルニクス的転回というのだろう。具体的にいうと、初めての飛行機、恐ろしい空港、空港のトイレに入るとマッサージされる、昼間からぶらぶらしているおっさんや若者が多い、しなびた野菜、何でも安い、初めてのディスコはショータイムにいきなりヌード、死ぬほど食ったハンバーガー、初めて見る椰子、本当に3本しか椰子のない無人島、船と併走するイルカ、海底がすべて珊瑚礁びっしり、適当、マリワナ、テーブルいっぱいの蝿、ノー天気、何から何まで驚きだった18歳。それまで海外旅行なんかしたくない、だって面倒だし、言葉も通じない、そう思っていたがそれ以上に刺激的で、18歳で、多分、趣味の私の方向性がひとつ決まってしまった。帰ってから、またどこか行きたい、またどこかに行きたい、行きたい病になって、これはもう死ぬまで治らない、治す必要もなさそうと思う。ラテン系じゃないからラテン系いいなあと思う。 もう一つは、竜飛駅が終わりらしい。新幹線のレールを通すには、海底駅のホームを壊すしかないって。竜飛には珍スポもある階段国道
2013.11.12
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2012年11月11日 パチンコ屋の前を通った。2011年11月11日 お菓子食べた。2010年11月11日 雨の日に薔薇を見た。2009年11月11日 ハワイから帰ってきましたか。2008年11月11日 サイパンから帰ってきましたか。2007年11月11日 いつも11月11日11時11分はたいしたことないことが分かりました。まあ、そういうのもあって、もうポールマッカトニーが来るのは最後だろうからね、明日行ってくるよ。10月14日にはロックアルバムを6年ぶりにリリース、11月12日からは6年ぶりとなる 日本ツアーが始まるポール・マッカートニー(71)。音楽評論家・湯川れい子さんとの対談で 1980年の来日時、大麻・不法所持で逮捕され日本の留置場にいた時のことを語った。 湯川:今だからこそ、と言いますか、そろそろ日本の警察の留置場での思い出を 語っていただけるのではないかと思うのですが。どうだったんですか?ポール:ああ、いいよ。振り返ってみると、おかしかったよ。文化を、身をもって 体験したというか。僕にしてみれば、留置場に入るのがどういうことかわからなかったし、 ましてや日本の留置場に入ることがどういうことか、わかるわけもない。なので、 実際とても興味深かったよ。僕の隣の部屋には他の囚人たちがいた。 僕は日本語なんてほとんどしゃべれない。「コンニチワ」とかあと二、三言くらいだ。 実際、何もしゃべれなかったのだけど、知っている単語を言い合って、 彼らと会話をしていたんだ。たとえば僕が「ホンダ! ホンダ!」「カワサキ! カワサキ!」と知っているブランド名を連呼すると、彼らは大笑いする、というように。 他にも「マウントフジ!」とか、とにかく知っている単語を叫ぶと、彼らが叫び返す、という具合に。 そうやって仲良くなっていったんだ。クレイジーだったよ。僕自身、このあとどうなるのか、 わからずにいた。9日後に釈放されたのはとてもラッキーだったと思う。湯川:9日後ですか! ポール:ああ。クレイジーだった。他の日本人に会ったこと、それが一番の思い出だね。 そのうちの一人は暴力団員だった。背中に大きな刺青(いれずみ)が彫ってあって。 僕にはその意味がわからなかったから「いいタトゥーだね!」なんて声をかけたら、別のやつから「違うよ、あれは刺青でマフィアみたいなものだって意味だ」と教えられた。 でもそんな彼とも話をしてみると、気が合ったりしてね。 湯川:看守の警官にサインをせがまれ、してあげたというのは本当? ポール:ああ。誰もがサインを欲しがったよ。僕としては「ちょっと待ってよ。サインするから、僕を出してよ!」って思ってたけど(笑)。日本独自のサイン色紙というのがあるじゃないか。白地にきらきらした、特別の紙…… 。あれにサインしたよ。 湯川:朝はパン一つにゆで卵1個だけだった、というのは本当ですか? ポール:そうだよ。ロールパン1個にマーマレード、そして味噌汁。おかげでそのあと、長いこと、味噌汁は食べられなかった。何年も経ってから「お味噌汁は?」と たずねられると「いや」と遠慮してしまった。今では好きだけどね(了) ※週刊朝日 2013年10月25日号
2013.11.11
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3時就寝の上、6時25分に目覚める、かなり眠いが、そこは機内にて睡眠時間を取り返すものとして、急いで、バッグに文庫本2冊とタオル1枚と歯ブラシセット、シャンプー、石鹸を忍ばせて家を出る。お、ヒートテックにシャツ1枚では、少し寒いぞ。待て、これから北へ向かうのに、このままの服装の状態で大丈夫なんだろうか。しかし、家に引き返すと、全ての予定が狂い、最終的に2,3時間到着が遅れてしまうことになるので、そういう選択枠はなく、寒さに耐える選択枠が残った訳だ。 ポールマッカートニーが来日。先日16000円のチケット、急に行けなくなったから買わないか誘いがあって、うっかり断ったが、よくよく考えたら、御大71歳、最後の来日かもなあ。そういえば、日本来日したとき大麻で捕まって、け、もう日本なんかに来るかよボケって行って帰国していったのが懐かしいですね。 いや、ポールが関空に夕方、自家用ジェットで来るために、私の自家用ジェットは伊丹発となる。 草々に、伊丹空港ラウンジ無料パソコンにて、どんなところに行くのか急いで検索した後は、機内に乗り込み、お、11月に飛行機乗るのは初めてだなと気がつき、機内誌を読んでいる途中で寝てしまう。 札幌千歳と沖縄那覇だけは、空港が広くてなかなかレンタカーを借りるのに時間がかかる。営業所は千歳空港からバスの乗って10分以上かかるのである。いやはや飛行機も遅れて、6時25分に起きて、レンタカーの座席に乗ったのは11時5分と相成り、既に4時間半が経過した。行き先をカーナビに入れ、スピード違反を続けて、登別に到着したのは12時15分程度であったと推測される。 そして、温泉に入って出ると、靴箱の鍵がなくなり、小さいバッグを探しまくっていると、時間は過ぎ去り、今から洞爺湖に行く時間がなくなり、落胆していると、小銭入れから鍵が出てきた。微妙に時間があまり、カルルス温泉に寄ってく。チェコスロバキアのカルルスバード温泉に似た泉質であったことから、カルルス温泉と名付けられたらしい。どこやそれといえば、カルロヴィ・ヴァリのことだった。プラハからも近い有名な保養所だ。おお、なんだかつながっていくオレの記憶。2013年、日帰り登別温泉に浸かってきた 登別温泉中心街へ 登別温泉の鬼達 登別温泉源泉 登別地獄1 登別地獄2 大湯沼 カルルス温泉 帰り苫小牧通る 神戸空港に戻る
2013.11.10
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朝、6時25分起床、起きがけにコーヒーを飲む。早く飲まないと期限切れるからだ。いやもう切れていたかも、そういうのは深く考えてはいけない。それだけでは、物足りない、というか、これも祈願が迫ってくるし、出発も迫っているので、イッキにガスパッチョ。昼飯はラーメンかな。どうするか、迷う。しかし、せっかくだから、海の幸である、特に、ウニいける。間食は、クリッパーにするワイ。初めて聞いた名前だ。苫小牧名物は、どうやらホッキ貝のようで、周りの人が頼んでいるのをみて、急いで頼むクルクル寿司。あとは、やっぱサーモン系か。帰りは神戸で、久しぶりにメニューに餃子しかない店へ。1皿7個、みぞだれで。えー、最近の車、燃費いいんだねえ、半日運転して、こんなに安いの?燃費、うちの車の倍以上だ。
2013.11.09
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いやはや、偽装ラッシュである。何故なら、時流に乗り遅れたら困るからである。何せ、薄まるの法則だ。ここで、乗り遅れてはいけない、この際、偽装しているものが、一気にでてくれば、何がなんだか、分からなくなって人々の怒りが分散されるんである。そんな訳で、結婚偽装してます、パスポート偽装してます、相変わらず耐震偽装してます、相変わらず偽装請負派遣してます、そして最後に、東電もあらゆる偽装を暴露。もうその頃には、みんな疲れきって、ああ、原発偽装ね、もう偽装は飽きたよ、と、いやもしかして、最後に本当にやってきたりして。そんで、命にかかわることだから、建前やめて、取り組めば?福島の再稼動なんか、再稼動するつもりなんかないのに、廃棄ですというと資産が目減りして潰れるので、何とかこれは資産ですと言い張っている。その前に、この前に潰れそうなときに、国に脅されて再融資した銀行群も困る。不良資産になってしまうじゃないか。 また小さな話に戻るが、いっぱい回りに人がいると、困った人がいたり痴漢にあている人がいたり、言いがかり付けられている人がいても、なかなかたにんの目があり、他人のだれかが助けるだろうと、心の負担が和らいでしまう。火事が起こっても、誰もおかしいなと思っても行動しなければ、全員逃げ遅れたりしてしまう、誰も動かないから大丈夫だろうねえ、って。そういえば、満員の大阪駅で、ヨッパライがホームから線路に落ちた時、まだまだ電車が来る時間じゃなかったけど、誰も助けなくって、俺の義弟が線路に降りて助けた。多分、それは、義弟がイギリス人だったからやりやすかったのかも知れない。この社会に一体になって住んでいないから。それとも、ヨーロッパ人では、人の目を気にせず当たり前のことなんだろうか。それは分からないが、そういえば、日本じゃ、他人と違うのではないかと病気(鬱)になる人もいるが、フランスでは、他人と一緒ではないかと鬱になっちゃう人がいるから不思議なものだ。そういえば、会社員になった頃、久しぶりに道で会った昔から変わり者だったあいつどうしているんだろう。なんと、中小企業だからできたんだろうけど、名刺が全くの他人だった。社会では、全く他者として生きているんだ、と静かに言っていた。
2013.11.08
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何となく、定期的に、偽装問題が出てくるが、今回は、マ勝手ながら、もともと対応策があったわけで、それは、○○風である。蟹風海老、アマオウ風野いちご、マグロ風シシャモ、トリフ風フォアグラ、リッツカールトン風ファッションホテル、2月生まれ風3月、盛り上がり風落胆、あまえび風辛エビ、タイ料理風インド料理、偽装風食品、賞味期限風無期限、国内産風台風、日本人風日本人、JR風私鉄、神戸ビーフ風神戸ポートピアホテル、まあそんな具合にちゃんと、風をつければ「いやいや、これは、○○風ですから、感じなんですよ、なんちゃってなんですよ」と謝罪風会見ができるって訳で、問題は解決するんだけど。まあ、そういうのって見抜けないよなあ。今日は食材が手に入らなかったので、ランクアップのものに変更させてもらいましたが、よろしいか、といわれて、嬉しがって食べても、気分がそうなるだけで、味なんか分からない。しかし、こういうとき、本当に怖い放射能入り食品が蔓延していたりなんかしてね。
2013.11.07
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この前、韓国に行こうとしたけど、結局乗れなかったという話をしたような気がする。いやはや、韓国ってのは、意地でも、日本が嫌いって言いたいことになっちゃってるんだよね。確か、私が韓国に行ったときは1980年代で、確か、というほどではなく、確実に1986年だったんだけど、そんなに反日じゃなかった。だって、まだ軍事政権で、ゼントカンだった。でもこの頃から、韓国語読みしましょうねってな、変な風潮になって、チョンドハンとかいうようになった。でも、モウタクトウはモウタクトウのままだったし、レーガンもミッテランもコールも合っているのか?マイケルか、マイクルか。まあそういうことだ、向こうの国も、こっちの人名を、日本語らしくちゃんと呼んでくれるたのか。まあ、それはどうでもいいのだけど。 でも、勿論だが、大抵の人は、大抵反日ではないし、何だか、反日の空気おかしいと思っていると感じるんだけど、ソレは私の勘違いかもしれない。しかし、全体主義、○○でなければならない主義であるファシズム的なところが韓国にはあって、それは大統領までも動かす。多分、ガキをの頃日本で育った前大統領も、親父が実利主義を取って日本にキュ力を求めた現大統領も、本当は、親日とまではいかないかもしれないが、反日を掲げないと支持が得られない。現大統領は、選挙選でやたら親父の親日を強調され、それを消さないといけないし、前大統領も昔日本に住んでいたとか、洞爺湖サミットで言葉足らずな発言をしてしまい、韓国マスコミであいつは親日ではないかといわれたから、それを払拭しないと支持が獲られなかったのかも知れない。ちなみに、韓国での親日というのは、我々の言う新米という意味は違う、台湾人やヨーロッパ人やアメリカ人が言う親日という意味とは違う。韓国の親日というのは、売国奴という意味だ。反日でなければ韓国人にあらずの空気が蔓延している。 それにしても、竹島。確かに昔、私が学生の頃なんかもそんな問題なかったぞ。それに従軍慰安婦これは、急に出てきた話だぞ。戦争の賠償については、それを保証してハンガンの奇跡といわれる経済発展したわけだけど、そんなのすっかり忘れて、韓国政府も、アア、その問題は我々に言ってね、とはちーともいわない。世界で、自分が実効支配しといて、これは、やられるかも、攻めてくるかも!なんか叫んでいるのは、竹島だけである。普通は取り返すほうが騒ぐのである。単に挑発しているだけで、国際的にみたら不利なことやっているような。きっと、戦争したいんだよな。高校じゃ、ドクトクラブとかあるっていうじゃない。でも、本当に固有の領土だって信じているんだろうなあ。そういう教育しか受けてないものね。一番怖いのが、こんなので教育受けて本当に信じちゃっているかもしれない子供たちだよ。国や老人は、事実を知っている筈なのに。まあ、正直、もっと酷いことした中国攻めたらんかい、というのが日本人としての本音。
2013.11.06
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今年の3連休いろいろは、海外旅行にも行けず、概ね、忙しくもないのに仕事に勤しみ、今日のOB総会には遅れるどころか、食事会にも遅れ、3次会ぐらいに合流したまでだ。先輩同輩後輩たちは、まあ支店長とか責任者とか部長みたいなのになっている以外は、鬼畜のままである。後輩も一つ仕事を前に頼んだら、そこから芋づる式に仕事を知らないうちに得ていた逞しいぶりどころか、来月には2人目の子供を産むということらしく、やってんだねえ、という感じである。他は、パワハラもセクハラもするつもりないのに、女性部下には平等でないと、やべえとか、田舎銀行が云々とか、あとは、過去の歪んだ先輩の記憶を正してやるってことぐらいか。 タイのサムイ島からマレー半島のスラタニー向かう船に乗り、出発を待っていると、予想もしない、先輩が出航間近に乗ってきた。そこで捕まった私は、厳しい奴隷生活を強いられる、の巻きになるのだが、携帯もインターネットもない時代、「オマエがコサムイ行くって聞いてたんや」だけの情報で、なんたる偶然だ。家庭には、ようやくプッシュホンになりつつあり、せいぜい、何かの集合は電話しかなく、寮や下宿は当然呼び出し。最後まで捕まらなかったらそいつはパス。ポケベルが流行りだしたのはその後であり、特に必要なかったので持つことはなかったが、それは、いちいち呼び出すのは鬱陶しいなあと思ったからである。携帯電話を持ったのは、まあまあ、遅くて1998年ぐらいで、ツーカーホン関西だったかなんかであり、翌年にはアイモードができたのでドコモに切り替えた記憶があるが、2,3年ずれているかも知れない、が出た年に買ったのは確か。今、携帯というかスマートフォンは、電話機能がついでについているだけのものとなった。でも仕事離れてもかかってきたりメールがきたりしたら、やっぱり鬱陶しいなあと思っていたが、人間、慣れとは恐ろしいものだ。電話連絡ぐらいならまあ、いっかと思うようになった自分が怖い。
2013.11.05
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っていったら、ゴールディンホーンの映画にあったんだけど、まあ、そういうことはどうでもよくって、まあ、グルメのことである、あれ、何でグルメだ、いや、そう思ったからなんだけど、グルメ雑誌、近隣情報雑誌ってなくなったよなあ。何故だ、と思う前に、自分自身もまずネット検索だよな。そうやって雑誌は駆逐されていいくんだが、それが大きな原因でもないらしい。確かに、現地でも雑誌を身って見ながら歩くほうがネットでチマチマやったり、家でパソコンからプリントアウトするよりラク珍だし。要は、スポンサーが減ったほうが先らしい。新聞や雑誌は、広告の収入割合が高いからねえ。何のグルメのことか、忘れてしまった。ところで、随分前だが、学生時代の同級生の友達の店え、飯食って、持ち合わせがなかたので、カードにするかというと、いや、○○パーセントカード会社にとられるから、今度でいいよ、と言われた。そんなに取られるのか、それって、ヤクザ並みのミカジメ料だな。利幅の薄い業界だったらイッパツで飛んでしまう程の利率である。○○にしたのは、勝手に店に寄って違うみたいだからだ。しかし、アメリカのほうが随分利率は低いようだ。カード会社は、まあ、ヤクザだ。ことらとしても
2013.11.04
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小学校から中学校になって環境が変わったためか、よく意味なく鼻血を出した。そして、似合わぬ学生服の中で、汗をカキながら家に帰り、(家にはまだ家族はいつも誰も帰ってない時間だったので)安っぽい分厚いグラスに氷を満タンに突っ込んで、カルピス原液を垂らし、水道水を流し込み、プラッチック(多分、昔はプラステックのことをプラッチックと言ったと思う)のマドラー(当時は名前は知らないのでかき混ぜ棒かと思っていた)で混ぜ、居間の机の上に置き、買って1,2年しかたっていないソファに座り、去年、(オカンが)購入した30万円のサンスイのオーディオセットの扉を開き、レコードを取り出し、クリーニングして、レコードの溝を黒板消しみたいなので磨き、プレーヤーの台に置き、レコード針を落とす。 大音量で流す響きは、ウーハーを振るわせる。掃除でカバーを取ると、ただの紙みたいに見える。それが震えていて、愛おしいなあ、って思った。こんな大げさなのに華奢なんだ、いや、そういうのではないな。スピーカーだけでなく、アンプとか、も馬鹿でかくて、それで、できるのはいい音。愛チューンでダウンロードして、音はそれなりでいいや、って時代ではなかったんだなあ。音も分からないくせに、皆、音にうるさかった。多少音が悪くても安いほうが、手軽なほうがいい、ちょっと時代がそういうのではなかったんだなあ。すぐ電気店に行って、カタログ集めて、店で聞いて、やっぱアンプはヤマハかなあ、とか外国製は値段が倍だなあ、とか、針はナガオカとか。 サンスイやトリオは、クラッシクやジャズ向きだと聞いていたが、チューボーの私が、そんなの聞くはずがなく、大音量でレインボーである。ディープパープルである。そして、ウォークマン全盛期となり、レコードからひたすらテープに落とし込んだ。いやはや、もう東南アジアでテープを買いまくった。レーベルだけで、勝手に買いまくって、いくつかは好きになった。やがて、これらマニアックな日本のメーカーはどんどん潰れていった、或いは統廃合、方向転換。アイワ、アカイ、JVCケンウッド、ナカミチ、ダイヤトーン・・・それから6、7年経過すると、やがて、レーザーディスクとかCDとかも出始めた。でもテープとの混在時代は長かった。
2013.11.03
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ちょっと、郊外、というか都会でも沿線の駅に行けば、駅前商店街はシャッター街となっている。人口減少も多少あるが、大規模店舗がやってきて、根こそぎ安さには勝てぬ、そっちにとられていくのだ。大規模メリットにより利益が集中している。しかし、そうやって、イオンとかがやってきたことを、多分、ネットの社会にやられようとしている。40代以下ぐらいならすでにネットには慣れ親しんでおり、大規模メリットがデメリットとなる時代が来ると予想される。筆頭はアマゾンだろう。そういえば、いずれ、利益売上はむちゃくちゃにあるウォルマートをアマゾンが抜くと予想されている。アマゾンは、ネット企業というより、巨大物流企業だ。 そうなんだ。ドットコム、2000年、20005年、2010年全くネット状況は変わった。阪神淡路大震災、その年に知り合いの神戸市役所職員が、当時珍しかったインターネットで震災の様子を配信した。私たちは、高いけど携帯電話を持つきっかけになろうとする頃。携帯電話が普及していない頃、会社には私用電話が横行していた。○○の家内ですが、ラウンジ○○のママの○○ですが、おお今から○○何時になすぐ行くわ、おー○○久しぶりやナー。何かそんな感じだった。「おい、ついにイラクにアメリカ突っ込んだぞ!爆撃じゃ!」そんな仕事に関係ない友達からの電話が会社に私宛にかかってきた。1997年、私も自宅にネットを導入。ほとんど、英語サイトでニューヨーク自然史博物館とかスミソニアンとか、そんなところにアクセスして、スゲエ時代だなあ、英語よく分からないけどなあ、という黎明期のっちょっと後を過ごし、旅行メーリングリストに登録して、毎晩、メールだけ受信して、オフラインで返事を書いた。ISDNといっても、電話回線だったからな、3分10円の時代よ。30分もネットに繋げると、速度は遅いし、300円よ。1ヶ月で9000円よ。ネットにつなげる音もしたよねえ。 私たちは、私たちの一般常識だった過去をすぐ忘れてしまう。昔の小津とかの日本映画見たら、サラリーマンえらいさん以外誰もネクタイしてなかった。そうだったんだ。夏は、たらいに水入れて足突っ込んで。そういえば入社した頃は会社も既にダイヤルはなくプッシュホンで家もダイヤル回して手を止めた~から(古い)プッシュホンに変わったなあ。あ、それはもっと前か。そういえば、もっと昔の人は、ソロバン使ってたというからなあ。あ、そういえば、おかんもソロバンと習字の先生だったわ。私の言うことも、今の20代には分かるまい、それが、年上を尊敬できない時代の流れちゅうもんやで。多分。
2013.11.02
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昨日は、深夜まで蟹工船状態で資料作成したため、帰ってきたのは3時、でも、寝るまでいろいろないのに、やっていると4時を過ぎ、寝たら5秒ぐらいで朝になった。肌の色は、多少悪いかもしれないがまあ、そういえば、グアム便のネタで書いていた追記で珍しく黒人乗務員が乗っていて、子供好きだったようで、まあ、なんといってもグアムは子供が多く乗っているファミリー集団で、子供ってのは、正直というか、初めて見る黒人に、「ねえ、なんで、黒いの?」と質問していた。日本語の分からない彼女は、日本人乗務員に子供たちなんていっているのか聞いていたが、その説明が、ちょっと長かった。さすがに何年も生きていると、人種については気を遣うものである。私たちの肌と色が違うけどソレは云々、と子供が1行で喋ったことを4行ぐらいで説明していた。きっと彼女は、そんなに長い意味があるのか、日本語のワンセンテンスに、何て日本語は深いのだ!と思ったかもしれない(何だか、逆パターンはあるけど、フランス語で長い質問されて訳して貰ったら、どうでしたか?みたいに1行になってて、訳される方もどんなけ省略されとるんじゃい、と)彼女は、「お母さんはブラウンで、おばあちゃんもブラウンで」と陽気に説明していた。確かに、子供の頃は、じかに黒人を見ることはなかったし、黒人たって、本当に真っ黒な人から、ブラウンとか、随分薄い人もいるなあ、ということを知ったのも、ずっと先だし、だいたい、学生時代あれだけ海外旅行していたのに、働いて初めてアメリカ行って、空港で働く黒人集団を見て、ああ、黒人も働いているんだねえ、と何だか、今更に、目の前にして思い、そっか、アジアしか旅行したことなかったものな、と気がついた次第である。いやはや黒人さんすみません。 そういえば、それから今更に驚いた風景ってのが、2,3年前に行ったアルバニアのホテルで、働いている掃除婦やリネン係の人たちが揃いも揃って20代前半の白人女性だったことだ。この年齢でモップかけている姿ってさすがにあまり見ないよなあ、と思った次第。単純作業というのは、取替えが聞くだけに、求職の競争相手が全世界の人になるだけに、厳しいものがあるよなあ。 それから、帰りにデパートの中を通り、よくある北海道物産展みたいなところで、ついソフトクリームを買い、そうだなあ、週末北海道、ご飯食べに行こうかなあ、と、ふと思うのであった。気がついたら、サーモン散らし寿司を夕食に買っていたのであった。しまった、洗脳されてた!
2013.11.01
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