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一時はどうなるかと案ぜられた母の容態も日に日に回復し、先週の金曜日に息子と私が迎えに行き、無事退院することが出来ました。息子に幼稚園を休ませ、母子で介護に専念し、考えてみれば、全く気持ちに余裕を残さない闘争のような期間でしたので、遊び心がないぶん、母子で介護と言う目的を同じくして、今までが(私は産後健康を崩して寝込んでいることが多いので)体調を整えるべく、息子が毎日通園する幼稚園の自転車送迎(往復1時間)だけでも結構きついものがあり、息子が幼稚園に行っている間は横になっていることが日課でした。それが連日に及んで片道1時間15分(往復では2時間半)を息子を自転車の後ろに乗せて走るなど、私には自分の体力の限界を超える行為でしたが、しかし息子にとって幼稚園に入園するまでは、自宅内で母子で過ごすことが日常であったことから、本当は私と連日でも外に出て遊びたかったのでしょう。私が「お婆ちゃんの病院に行くから用意して!」と息子に言うと、息子はそれはそれは嬉しそう顔をして、身支度を整えてくれました。時には自転車の後ろから息子が歌うアンパンマンの唄が聞こえたりして。。私が「楽しい?」と聞くと、「うん、楽しい♪」「また一緒にお婆ちゃんの病院へ行こうよ~♪」と応える息子。体は限界でも、我が子の一言が嬉しくて頑張れました。母が退院を迎えた翌日が、家族でインフルエンザの予防接種を受ける予約日でした。私と主人は季節性インフルエンザを連年のように接種。息子は医師のアドバイスで新型インフルエンザの1回目を接種。息子と主人は特に副反応らしきものも出なかったのですが、今回は私だけが接種箇所が赤く腫れ、数日間その周辺が熱っぽくなりました。3連休も終わり、本来なら息子を今週から幼稚園へ復帰させたいところでしたが、私の体が介護で無理をきたしていることから、主人と相談をし、今週一杯まで息子に幼稚園を休ませて、来週から幼稚園へ行かせることにしました。11月は幼稚園行事の秋祭りだけは、母子で幼稚園へ赴いて参加の努力をしましたが、私自身本当に体力的にも限界で、かなり辛かったものですから、秋祭りでの楽しそうな息子の顔を見ていると、息子の介護への協力が逆に心に沁みました。今日は息子とヘアカットに行ってまいりました。生後14回目のヘアカットになります。前回は10月17日でしたので(その前は7月19日で3ヶ月余り振りと言うこともあり)かなり早や目のヘアカットだったと思います。今回も息子の意思でキッズカット席ではなく、私が息子を抱っこしてカットをしてもらいました。息子が1人で座ってカットをすることに抵抗があるうちは、大人が無理強いして1人で座らせるより、これから1人で座ってカットをしてもらうことのほうが長いのだから、大人の感覚を常識だと押し付けるのではなく、子供の考え方に副いつつ、少しずつ流れを子供に汲み取らせれば、大抵は子供から自然に脱皮をするものだから、周囲の目に慌てさせず子供の気持ちを汲んで遣りたいと、私は考えています。たぶん息子は1人で座ると、大人しくしていられなくなるのが自分で解っていて、まだ私の膝の上で甘えていたい時期を卒業していないだけなのでしょう。夕方遅くのヘアカットの予約を終えて晩御飯に、以前に息子と通ったお蕎麦屋さんへ行きました。私は「海鮮丼セット(580円)」を、息子は「お蕎麦お子様セット(480円)セット」を注文しました。。お子様セットのオマケに「ソフトクリームパンチ」を息子が選ぶと、息子の顔を憶えている女性店員さんから「ポップキャンディのオレンジ」を別途でいただきました。お店を出て、いつものスーパーへ。久々にゲームコーナーでクレーンゲームをすると「ケアベアのタオル」「スージーズードーナツマスコット」をGET♪写真スタジオを通り掛かった時、目に留まったのは七五三のポスター。そう言えば母が10月末に倒れ、介護に走る日々の中、息子の七五三の写真すら撮れていなかったことに気付く。女の子は3歳と7歳に写真を残す人が多いけれど、男の子は5歳がメイン。息子は5歳。息が止まる思いがしました。とりあえず店員さんに七五三の撮影について尋ねてみると、11月は全日予約で一杯とのこと。撮影料が11月は半額とポスターにはあり、12月も七五三の撮影を聞いてみますと、12月でも出来るけれども撮影料が変わってくるとのこと。調べてもらうと「12月は撮影料は無料でした~」と予想外の展開。プランを聞くと手頃プランでCD-ROM付き5カットが30000円。なけなしで12月に予約を入れたことが、帰宅後、主人から大激怒を買うことに。主人いわく「おもちゃも溢れるほど買い与えているし、私の母の面倒も(私と息子が介護人で)みて遣った、自分の実家は子供の写真を残す習慣はなく、幼少時代からの写真など存在しない。お金はないからキャンセルしろ」と言う。確かに現在の主人は求職中ですし、我が家の生活に余裕など存在しないけれど、考えの方向性が少々違うような気もしないでもありません。私的には、せめて我が子の七五三と成人式の正式な写真は残して遣りたいもの。それを買うのは、おもちゃや日用品を買うレベルではなく、子供の現在の成長を封じ込めた一生物の記念ですから。もし子供が高校や大学に合格したところで、入学金は払えないと、親が真顔で言っているような?そのような気すら私はします。但し高校や大学の年齢なら、自身の経験から子供もアルバイトをしたり、奨学金で金銭面を子供自身が賄える可能性はありますが、5歳児では難しいですね。主人に黙って私が写真代を補うぐらいの余力はあれど、それでは事態は解決しないような気がし、主人に理解を求めたいのが本音かな。。
2009年11月27日
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昨日いっぱい息子の体調具合を見守っていたのですが、微熱が出ていたのも一時的なもので済みました。実家の母が入院をしているような今でもなければ、そんなに気にもしない我が子の腕白振りも、再び発熱でもさせてしまうと、母の介護に差し支えてきますので、小さな子供はものの加減が利きませんから、どうしても私の立場的に、我が子のはしゃぐ描写が目に留まって、敏感に反応してしまいますね。そんな気持ち子知らず。5歳前半児に、親の頭の中まで察せられるもなく、昨日は普段の息子と変わりなく、自宅内を活発に走っていました。ヒヤヒヤの気持ちで我が子を見守る私。最近は(病院からの)緊急な連絡に備え、必ず携帯電話を必ず枕元へ置いて寝ているのですが、そんな午前中、母の緊急入院に対し、最初に母の病院に駆けつけた母の友人から、母の現状について電話が入りました。とりあえず最近の母の様子を伝えたのですが、やはり肉親でもなければ、連日介護に通うような人もいなくて、母は「どうでも良い時には人は寄って来ても、肝心の時には人は来ない」と漏らしていたのは、おそらく母の本音で、私と息子への感謝の気持ちでしょう。。午後になり、そろそろ母の病院へ行く準備をしようと思っていた時、病院の看護室から電話が入り、母の退院が明後日に決まったとの事。急な吉報で驚かされましたが、そう言えば、先週までは(介護に自宅を出発する前に)病院へ電話をし、入院病棟の詰所に電話を回してもらうと、看護婦さんから母へ伝言の形で、とり繋いでいただいていたのが、この月曜日から母自身が(看護婦さんに呼ばれて)直接詰所の電話に出ましたので、当初は本当に母本人なのかと、面食らったのですが、その回復振りは非常に順調で、ドクターからの退院許可も下りました。私の母はとても活動的な人だから、病床生活は凄く退屈だと嘆いていたけれど、それもあと1日半。母の病室へ赴き、病院から退院の連絡があったと伝えると、当然のことのように笑顔で返す母。あからさまに母が「人が死ぬ時って、あんな風になるのね~、耳元で波のような音がして、あれは血液が流れる音なのね、それに普通に話してるつもりが、頭の中でボワンボワンと共鳴して、呂律が回っていなかったみたいで人は聞き返すけれど、自分では普通に喋っているつもりが、分からなかった‥」と。いつもは「日が暮れる前には帰りなさい」と私と息子を急かす母なのですが、この日だけは日が暮れても、退院を目前にして愉快な顔で、話に華を咲かせていました。いざ退院が決まると、思い起こすのは、嘘のようですが、楽しい思いばかりが脳裏をかすめます。息子を自転車の後ろに乗せて、扱いでも扱いでも着かないと嘆きつつ、病院に着いた瞬間のホッ‥と心を撫で下ろす、あの安堵感。息子に、長い道中の行き帰りを楽しい気分にさせたいと、スーパーやファーストフード店に母子で立ち寄り、気分転換を必死で試みたりと。肉体的には、私の体力では限界を超えていましたが、精神的には、母を思い、息子を思い、頑張れることの充実感に必死で、1人では何処まで頑張れたか分からないけれど、常に息子が私に寄り添って励ましてくれていました。家族に感謝。頑張れることに感謝。そして貴重な体験が出来たことに感謝。人間は事態に際し、振り返る余裕もなくて前だけを見ていると、信じられないくらい頑張れるものですね。母の病院介護の最後の帰路で、息子とスーパーとシャトレーゼに立ち寄りました。買い物にも数日間の走馬灯が心に沁みます。。日が暮れて、暗闇になる前の黒い雲から、自転車走行中に空気も冬の冷たい風に変わり、息子に「寒くない?」と尋ねること幾たびか。防寒着にブーツ+手袋の息子は、寒い筈などないのだけれど、問い掛けに応えてくれる人間が傍にいるだけでも、冬の空気を温めてくれるものえすね。我が子と介護に頑張れた時間が、胸の奥で宝物に変わりました。 病院の帰路で息子と立ち寄っていたシャトレーゼ。みたらし団子の短い串は小さな子供でも難なく食べれる食べ易さで1パック5本入り120円と言うお安さ。田舎パイ1個63円は以前に知人からプレゼントされてファンになりました。当時は南瓜が好みも、現在は小豆が美味しい。生クリーム大福は1個84円で全解凍するとフワッフワ~。凄く美味しいです。自宅からシャトレーゼまで自転車で約1時間。今後は頻繁に行くには難しいかな・・・(苦笑)
2009年11月18日
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昨晩のこと。我が母が入院する病院へ、連日息子と母の介護に向かう日々に、幾ら気力で母子共々頑張っているつもりでも、実際の体調的な疲れは顕著で、身内介護の経験がある人には察することが出来ると思うのですが、就寝する頃の疲れ様と言ったら、泥酔のような状態です。起きても介護は続き、病院へ向かう足取りに気合を入れ、我が子に要らぬ心配をさせまいと、笑顔で走るものの、疲労感の蓄積は拭えないのが介護者の現実。私は息子より少し小さな年齢の頃、事情あって家族離れ離れで過ごしていました。やっと家族一緒に暮らせるようになった時、幼かった私に(家族離れ離れで過ごしていた時)ひたすら愛情を注ぎ接してくれた祖父が事故で入院。祖父は結果的に入院先の病院で他界したのですが、生前の祖父と最後に接した時の記憶は今でも鮮明に憶えています。私は両親と祖父の入院先の病院へお見舞いに訪れ、病室で母がりんごの皮を剥き、そのりんごを皆でにこやかに食べて、祖父はりんごを「美味しい美味しい」と言っていたのですが、その後しばらくして祖父は急死。私は、数多く見舞えなかったことが、幼心に悔やまれました。。自分を愛してくれた人間の他界。その悲しみを強く心に刻んだ私は、自分と同じような思いを息子には味合わせたくないと、心が響いたのです。母の介護を通して、息子の気持ちに、懸命に母子で尽くす思いを残して遣りたいと、介護の思いは人それぞれですが、私には幼少の頃に培った思いが、原動力の1つとなり支えました。そうは言えど、小さな子供の体調は不安定なものもあり、昨晩にサザエさんを家族で見ていたのですが、どうも息子は食欲が出ないらしく、私や主人へ先に食事を促し、息子はサザエさんを見てから食べたいの一点張り。この日のサザエさんはアニメの後に実写版のスペシャルも続けてあり、相当長く放映されていました。主人は早々に就寝し、私は息子に付き合っていたのですが、ようやく放映も終わって、息子がラーメンを食べたいと言うので、晩御飯にラーメンを用意するものの、少し口をつけては箸を置いてしまう息子。食事に間を置かないよう再三の注意をするけれど、気が付けば息子は食卓からこっそり離れるの繰り返し。私はてっきり遊び食いだと思い込み檄を飛ばしました。でも余りにも回数が多い。息子の様子を影から観察。どうも息子に普段の元気が見られない。ラーメンを前にすると泣きそうな顔をしてシクシク。「何処か具合が悪いの?」と聞いてみても、不調の箇所がはっきりしないまま、息子の泣き顔状態がしばらく続きました。何気に「痛いところはない?」と聞くと、息子が頭痛を示しましたので、少し息子は風邪気味で鼻水が続いていたことから、頭痛を伴う鼻炎に効くホメオパシーの複合レメディを飲ませること2度ほど。レメディが効いたらしく、息子の頭痛は解消されたようですが、それでもシクシクと泣き顔は続き、幾ら親でも困ってしまい、考え込まされる事態です。全くどうしたものか?と呆気に暮れていると、息子がゴボッと吐きました。食べたラーメンが、素麺のような細さになって数本混じっていました。慌てた息子は「お口から・でた~」と放心状態。本来なら私が嘔吐物の始末をするところ、その時の私は、何故か息子に「こう言う時は直ぐに床の(嘔吐物)を拭くんだよ」「お母さんが居ない時は自分でするんだよ」と淡々と言い、ビニール袋とティッシュを用意して、息子に掃除の仕方を説明。手際良く息子は、嘔吐物の拭き取りから最後の水拭きまで自分で行い、掃除は終了。。それからの息子は体調が戻ったようで元気が復活。夜から明け方に掛けて7時間続いた息子の不調は回復しました。そして本日も、いつものよう、息子も母の介護に同行。母が息子の手を握ると「ちょっと熱っぽいね‥」と心配顔。昨晩からの息子の不調を伝え、天気予報では明日は雨のようなので(介護を休ませてもらって)自宅で息子を休ませると話し、母の病室を後にしました。小さな子供がいますと、何かと大人の勝手では物事が進まないことが多いのが現実ですが、どんなことも今しか出来ない親子での経験。頑張っていきたいと思います。 以前も息子に効いた記憶がある複合レメディ今回も息子の症状に効きました
2009年11月16日
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覚悟はしていましたが、小さな子供を連れての介護は、本当に厳しいです。介護は体力が必要だと聞いてはおりましたが、体力が伴わない私のような人間は、気力で負けると動けなくなってしまう。介護にしても、育児にしても、自分のペースが通じないから、追い詰められることもあって当然ですね。どんなことも身で経験せずには学べないもので、自身が置かれた現状を冷静に受け止め、四苦八苦しながらも消化していくことに意味があるよう、私は人生の中で感じています。先月の初旬に、息子が通園する幼稚園の運動会へ、私たち家族と一緒に自転車で開催会場へ向かった我が母が、いきなりの危篤状態で、病院から身内が呼び出されるなんて、あの時は想像すらしなかった。非日常が今の私の日常のように思えて、当たり前の日常の尊さが、本当はとても貴重で、感謝に値するものなのだと、心に沁みます。息子が通う幼稚園は、通園バスを持たない教育方針で、親が我が子を幼稚園へ送迎をするのですが、私の自宅から幼稚園までは自転車で往復1時間の距離、今の私の体力では、幼稚園送迎と介護の両立は難しく、息子と介護に尽力しています。。母が入院する病院までは、我が家から自転車で片道1時間15分ほど。それこそ危篤の連絡を受けた時は、息子を自転車の後部席に乗せ、唯々無我夢中でペダルを扱ぎ、時間の感覚すらありませんでしたが、これも連日ともなれば、子供を乗せての1時間以上は、重くてペダルは進まないし、体力的にきつい。とうとう先日、タクシーを利用しました。支払った金額は片道で1920円。往復代金を考えると、簡単にはタクシーを利用したくない気分になりました。自転車であれば、帰り道で隣接したスーパーや、お菓子屋さん、ファーストフード店にも立ち寄れるので、息子にも楽しみが与えられる。そう考えると、負担な心境に、現状は変わらずとも気持ちが微笑むものですね。人間は自分を基準に考えると、甘んじる気持ちに負けてしまいそうになるけれど、自分以外の立場に重ねてみると、気持ちに工夫が生じたり、頑張りに励みが出たりするものですね。しかしながら幼児を連れての病院通いは、アクシデントもあって、こんな時に息子が発熱したり、母の病室では椅子に寝転びゴロゴロし、病院の壁を触りまくり、病室のカーテンを体に巻き付けるなど、日常茶判事のこと。今のシーズン、何が怖いかと言えば、インフルエンザなどのウイルスの存在ですね。親の本音で言えば、連続して小さな子供を病院へ連れて行くなど、したくないのが正直な気持ちですが、そうとも言っておられない事態が今なので、息子も介護に同行させていますが、母の全快が待ち遠しいです。母も本当に頑張ってくれていて、今は重病室から普通部屋に移動し、当初はチューブだらけで、点滴で命を命を繋いでいた状態から、全てのチューブも取れて、食事も重湯(おもゆ)からおかゆになり、おかずに少しずつ形状のあるものが登場。ベッドの上だけだった状態から、歩行も短距離なら問題なく出来るようになってきました。ただ、危篤にまで陥った原因が未だ定かではなく、それを現状の体調では出来ない検査も(再び同じ状態になる可能性が)あって、普通に生活が出来るくらい体力が回復した時点で、退院になるとの主治医の話でしたが、今のところ退院は未定。余りにも息子が毎回病院で走り回るので、此処はウイルスが蔓延している場所だと認識させるため、病院では物に触れるとインフルエンザに感染すると、例えて説得。少し大人しくなりました。。母の介護に通っていると、ぐったり疲れて、時間が過ぎるのが早いです。今日で息子も5歳2ヶ月。毎日が追われていると、月齢でのお誕生日は気付かず終わってしまうことが多いけれど、病院通いを嫌がることなく「おばあちゃんが・まっているんだ~♪」「(インフルエンザが流行っているから)マスクを2枚してでも・おばあちゃんのところに・いくっ!」と言ってくれる我が息子。なんと言っても、家族の協力と支えがあってこその介護と、息子の気持ちにも感謝しています。 久々の出前 全部で1850円 頬張る息子
2009年11月15日
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絶対安静の状態ではあるけれど、母の容態は時間を追うごとに落ち着いてきて、妹家族は一晩のみ滞在をして、自分たちの自宅へ帰っていきました。幸いにも本日CTの結果、母の腸に穴が開いていることは否定。母の付き添いは私たち家族により継続中。息子は幼稚園へ入園をしており(送り迎えが必要な幼稚園なので)母の介護と子供の育児を並行するのは、今の私の体力ではどう考えても難しく、私が倒れるのも時間の問題。考えに考え、介護と育児、優先順位を決めるものではないけれど、この場合、私は命が絡んでいるほうがと判断。朝に幼稚園へ状況を話して、息子を休園させるか?一時的に休ませるのが妥当か?を相談しました。休園をさせると(月謝は払わなくて良くても)息子を1ヶ月幼稚園へ通わせられない。もし2週間後に私の母が驚異的な回復力を見せ、私の手にも余裕が出来て、毎日病院へ通わなくても良くなったとすれば、休園措置を取ってしまうと通園を再開したくても、1ヶ月後を待たなくてはいけない等もあり、担任の先生の提案で、休園を取らずに、母の容態次第で、通園をいつでも再開できるよう、一時的に休ませることに。。毎日が気の抜けない状況なので、極度の睡眠不足と、私自身の体調的にも相当にきついものがあり、気付けば、普段なら移っていないような息子の風邪が移っていて、私は喉枯れが厳しく、ガラガラ状態。痰に色が付いていることからウイルス性のもののようです。これで母の元へ出向けば(病院は怖いウイルスが心配なのでマスクは着用しているものの)絶対安静の母に風邪を移しかねない。今日は病院へ行くことを取り止め、主人に(私は声が出ない状態なので)病院へ電話をしてもらい、母へ、行けない旨の伝言をお願いしました。今日は、私も疲れきっていて、ほとんど自宅で横になっていたのですが、昨日、病院の帰りに購入したシャトレーゼのお菓子息子とを食べて、束の間の一息。明日よりまた母の付き添いに、息子と一緒に根性で、病院へ走ります。
2009年11月03日
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10月31日に実家の母が危篤状態で緊急入院しました。血圧は1/3に下がり、意識はあるものの、とても危険な状態。母は物凄く気丈な人で、こんな状態なのに、誰にも頼らず自分で通院先の病院へタクシーで赴いて、そのまま帰宅できると思っていたらしい。診察を受けて、症状的に一番辛かったのは、その前日だったと母は説明。但し、意識はあっても今から思い返せば、どのようにタクシーに乗って、どのように病院へ到着したのか?全く記憶に残っていないと母は語ります。それはそうでしょう。普通は危篤の状態で、自分1人で病院行くこと自体、有り得ない。診断の結果、内臓に複数の炎症を発症していて、意識はもうろう。痛がり方が尋常ではなかったので、腸に穴が開いたと、医師は判断をしたのですが、緊急手術をするにしても家族のサインが必要。母はまさかそのような事態を招いているとは思っていなく、家族の連絡先を所持していませんでした。看護婦さんが母の所持品から第三者の連絡先を見つけ出し、最初に母の友人へ連絡を取ったようです。そこから私の妹や、私へと連絡が来たのですが、前日が金曜日だったため、私は息子と夜更かし。。まさに熟睡中。電話はコールが鳴らないモードにしてあり、携帯電話はマナーモード、再三の連絡に全く気付かず、気付いた時には最初に連絡を受けてから2時間が経過。もう腰が抜けるほど驚き、それこそ取るものも取らず、息子に食事すらさせていない状況につき、子供の外出用バックへ、朝食用に購入していたジャムパンと幼児用のお茶を放り込み、自転車に息子を乗せ、私は母が入院する病院へ走りました。主人へ置手紙すらしている余裕もなく、自転車で1時間の距離でしたので、信号で止まらざるを得ない回数も多く、その時間を利用して携帯電話から自宅の留守番電話へメッセージを。主人も私が医師から説明を受けている時に病院へ駆けつけてくれました。しかし不思議なことに、私の到着を病院側が待っている2時間の間に、母の検査データーは相変わらず予断を許せないものに変わりはないものの、見た目の症状が何となく落ち着いてきているように主治医の目には映ったらしく、私への説明では、今すぐ手術をすると母の命が助かる可能性は6割、手術をせずに回復をする可能性も医者の勘で五分、それで様子を一晩見れば助かる可能性は1割。但し、手術をしても、手術中に母が亡くなる可能性も非常に高いと言うこと。今の私に迫られている我が母への命の決断。決めるのは私。泣きそうな思いに、動揺が重ならないと言えば嘘になる。私は先生へ「先生ならどうされますか?」と尋ねました。誰でも責任が大きいことは避けたいと思うのが本音でしょう。先生は「医者の勘として一晩見ますかね」と言われた直後に、反対のことを言われたりと右往左往。私が出した決断は、緊急手術をしても手術中に亡くなる可能性があるのなら「一晩経過を見る」でした。勿論、これで母の容態に最悪を招くことも、私は覚悟。呆然とした意識の母は呂律も回らないような状況。危篤と知って、遠方より車で出発している妹家族と連絡を取りながら、私は母に付き添いました。深夜に妹家族が8時間を掛け日が変わって到着。朝になり、私も一緒に主治医より経過説明を受けました。この時は依然と腸に穴が開いている可能性もあり、緊急手術をするかも知れない段階でしたが、時間を追う毎に(データー的には悪いままではあるけれど)母の容態が落ち着いてきているのは、誰の目にも明らかで、決断によって助けられました。。
2009年11月01日
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