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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~極度に張り詰めた注意こそ、人間において創造的な能力をつくりあげてゆくものである。そして極度の注意は、宗教的なもの以外には存在しない。ひとつの時代の創造的霊感の総量は、その時代における極度の注意の総量、すなわち真正な宗教の総量と厳密に比例している。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.私:「あなたを見ていると、もうなんだか見ていられないんです。(危険すぎて!)」麻原:「…それはみなさんがどう思おうと、私は殺される運命にあるんだよ。このままだと…」(93年12月説法会質疑).教祖をはじめ、取り巻きの高弟たちをみていると、その切羽詰まった救済意識に目が眩みそうだった。まだ何も破局が始まったわけでもないのに、そうして彼らはこんなにも「今この瞬間」を「危機」とみなすのだろう。それは在家時代には、夢にうなされるほどの危機意識であり、我々もなにかしなければいけないのではないかと…ずいぶんっと悩んだ。いや、深刻だといってよかった。もうすでに現世に居ながらにして、周囲の人達とは歴然と考え方や物事の捉え方が乖離していく自分を止めることはできなかったし、世の中のすべてを見つめながら、憂いていた。.教祖の性格で問題がある点のひとつに、「せっかち」だった事がある。とにかく何も堪え性がなく、「欲しい」と思った瞬間に手に入れられないと駄々をこねるのだ…高弟たちに。それを彼ら取り巻きは慌てふためきながら、満たそうとする。この構図があった。.これだけわがままな人間を僕はあれ以来見たことがない。そして破局そのものを自ら引き寄せようとした…これがどうしようもなく「悪夢」なことだ。.彼は「引き金が引きたかった」のだ。終末の引き金を引くことを模索していた。彼は読み解いた。黙示録を。そして、自ら「悪魔」となること選び取ったんだ。狂気の沙汰…しかし、極めて冷静で、取り乱した精神異常者の姿はなしていなかった。.だから誤読も生まれる…謎多き人物だった。...Eili ...
2018年09月30日
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...~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~新奇な事柄を理解しなくても良い。だが忍耐と努力と順序をつくし、自分のすべてを注ぎ込んで、明白な真理の理解に達しようと努めること。信仰の諸段階。一番平凡な真理でも、たましい全体に染み込んでゆく時、啓示に似たものとなる。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.自分を罪人だとみなす時、その罪を受け入れている状態の理解から、償いの段階へ人はどのようにシフトしてゆくのだろうか…償いというものを意志の力で率先して行うというのもどこか腑に落ちない物がある。それはつまり真に罪を認識し受け入れがたい真実を知った時、人はすっかりと自分自身にうちしおれてしまうだろうから。そうではなく、繊細な注意力、すなわち「気づき」によるものだと…気づきによる回心の発露だろうと思われる。.広瀬さんの償いに関する沈黙は、「字」に現れている。被害者御遺族に対して、失礼のないように…との思いで始めたペン習字を習った上での語りかけは、もはや彼の浮ついた信仰心というものを剥ぎ取った現れだと思う。.何もかも見捨てられて、信仰で頼るものを失った人間の残されうる数少ない誠実な姿を示したのだと、僕は感じている。...Eili ...
2018年09月30日
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彼(井上嘉浩)は、いつも僕に謎の言葉を残し、去っていった。僕が単に親しかったというだけではなく、彼は見ていて非常に危なっかしかった。そう、91年に初めてあった瞬間から、電撃的な出会いから、僕の心臓を揺さぶるほどの精神性を携えていた。これは他の取り巻きの信者たちには申し訳ないけれども感じないものだった。.彼は、この世の中は間もなく終わるかもしれない…ということを匂わせた。ただし、この匂わせに対して僕がそのまま受け入れるわけにはもちろんいかなかった。だって、世の中は続くよ…これからも。悲惨な出来事は確かにあるさ、見ていて僕だって感じるさ、でも、この人間の世界そのものが消えてなくなることはまずないだろうし、落ち着いて考えてみろよ、アーナンダ….僕はそんな心境で、この92年を過ごしていた。研究はVLBI、僕は果てしなく遠く古い天体を観測していた。クエーサーと呼ばれる天体は我々の銀河から50億~130億後年ほど離れている天体で、原子母銀河とも呼ばれている。僕が自分の研究のために観測していた天体のうちもっとも古いものは、110億光年彼方に在るクエーサーだった。.この研究は僕にロマンを与えていた。なにせ46億歳の我々地球より古い時代に生み出された電磁波を僕は受け止めているのだから…僕は軽く人類の歴史を超えたテーマを持っていたんだ。.人が生み出される前の世界、宇宙とはいかなるものだったか。どうして宇宙は人類というものを生み出したのか…これが僕の根底にある形而上学的なテーマだった。.僕は研究を通じて、精神が鋭敏になってゆき、やがて神秘的な思想に行く就くようになっていった。今も僕の核にあるのは、誰にも冒されたくはない聖域の神秘思想が横たわっている。.神話は僕にとって、外部の物語ではなく、内部の体験と同じレベルになっていた。そして聖書のなかでも創世記などに出てくる話よりも前の情報が欲しかった。これを探索するのは大変だったが、それらの原初の神話のイメージは、地質学的には氷河期末期である1万3千年ほど前にいた精神体による記述だということまでは突き止めた。実は100万年くらいの間に何度も氷河期が訪れては、間氷期に入り、地球は温暖な時期と寒冷な磁気を約10万年ほどの単位で繰り返している。.地質学的な事を言えば、ノアの洪水は確かに存在したはずで、それは大陸の殆どが氷床で覆われた時代から、1年に1度づつ上昇してしまう異様な季節、間氷期を挟んで、大地の氷という氷は溶けだし、大きな洪水を各地に生み出しているだ。.人類は滅びる時代に突入しているかもしれない…というアーナンダの言葉の示唆は、僕にとっては、当時からそして今でも科学的に叫ばれている地球の事変に対する警告として受け止めていた。.それが、僕の生きている時代に来るなんて考えられないよ、アーナンダ。そう心の中で唱えながら、次にアーナンダに会える日を心待ちにしていた。.彼は、ロシアだなんて言うけれども、だいたい、日本での布教でこてんぱんに失敗しているオウムが、海外かよ…笑わせるなよ、まずは自国に足場を固めてからだろ….こうした反論が顔に出ていただろう、彼はこれに対しては、このように述べていた。.アーナンダ:「小さいよ…○○くん、本当に人の世を憂うなら地域など関係ないはずだし、しかも君はわかっていない。こうした事に気づけることの貴重さを。今生ぐらいしかこういうことに気づけないんじゃないのかな…僕らが連綿と続く輪回の中で浮沈していたとして、一体どれだけの確率で真理に出会い、それに気づけるのだというんだい。」.私:「…でも、ちょっとそれでも、破局が自分のまさか生きている時代に訪れるなんて、想像していませんでした…」アーナンダ「それは、間違いなく、この時代なんだよ…」.92年1月~3月くらい...Eili ...
2018年09月30日
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...~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~むしろそれは、ほとんどそれとはわからないくらいの、薄気味悪いもの、つまり視線の中に、みんなが見慣れているより以上の、才智と勇気とが宿っている、ということなのさ。この男が権力を持っていた。この男を見るとみなしりごみした。彼は「しるし」を持っていたんだ。一般の人は、これをどうとでも好きなように、説明することができたってわけさ。ところで「一般の人」というものは、いつだって自分に都合のいいもの、自分を正しいと認めてくれるものを望むんだ。みんなはカインの子孫を怖がった。.『デミアン』/ヘルマン・ヘッセ)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.僕らも、このカインの末裔と同じように、今生において日本でだいぶ恐れられ、驚かれ、嘆かれ、罵倒され、哀れみもさんざん受けた。それは今23年経過してなお、変わってはいないだろう…何せ被害の傷あとは今もなお続いており、僕らは片隅で生きているしか術はないだろう…人々の好奇心からそれに応えるような過ちは冒さないよ。僕がここで述べる事柄の多くは歴史的事実として記載しておく価値があるものだと感じるけど、同時にあの思い出は何とも辛いものだし、これを語りだすということは、日常生活から精神が乖離してゆく危険も犯している事でも在る。.僕は、これらの記事を再開した時、時の流れを感じた。23年という月日は、世論自体も少し変化していたからだ。95年、96年頃僕の語り落とす言葉は、世間にかなり刺激的だった。皆口々に僕の安否を気にかけてくれたし、僕は行く宛などないから、そんな僕のために、周りの人がいろいろと動いてくれたんだ。.僕は井上くんと豊田くんの逮捕、及び教祖・麻原の逮捕は、瀬戸内寂聴さんのお宅で報道を見て知った。どこにも行く宛の亡くなってしまった僕のことを匿ってくれたのは、彼女なんだ。一生恩を忘れることができない。5月15日…忘れられない。5月16日も、この日も忘れられない。僕にも実は任意出頭命令が警視庁から出され、公安から瀬戸内さんの家に連絡が入った。これ以上彼女に迷惑をおかけすることができず、僕は警視庁に向かった。.「ああ、この同じ建物の中に、教祖はいるんだな…同日に同じ場所にいるだなんて、僕も全く縁が深いんだな…」そう感じながら、調書を取られていた。実質僕は犯罪というものに関与はしていなかったため、その日一日で解放されるんだけれども、なぜか警視庁の人たちがやさしく接してくれたことを覚えている。とても気遣ってくれていると言うか….僕のことはTVで見てみんな知っていたから、それもあるだろうけれども、教団内でのワークの話や、キリストのイニシエーションに話などが詳しく聞かれ、それを調書に取られていた。.真っ白な狭い廊下を歩いていると、この取調室のどこかに、麻原がいる!と感じて寒気を感じた。.そう、今日捕まったんだから、ここにいるのは間違いなかった。僕の取調室の部屋の近くだろうか…いや、それはなんでもありえないことだろう。。僕を鉢合わせるような事を警察が考えるわけはない。そんな事を考えながら、僕はこの建物の中の「ある気配」に耳をそばだてていた。...Eili ...
2018年09月29日
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...~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~アーナンダ:「〇〇くんは、感じているかどうか知らないけれども、僕たち(オウム)は、そのうち世界で有名な存在になるよ。」私:「…」「それはどういう意味ですか?」アーナンダ:「それは、君が出家したらわかるだろうけれども…」(笑)私:「尊師のおっしゃる救済のはなしですか?」アーナンダ:「まあ、それもあるけれども、僕たちがする役割みたいなものが、はっきりする時期がやがて来るだろう」アーナンダ:「吉と出るか凶と出るか、それはその時の我々一人一人の霊性によるところが大きいだろうが…」アーナンダ:「まだこれは公にはできない話だが、オウムは実は、ロシアに招かれているんだ…」私:「え、そうなんですか…」アーナンダ:「世界でどこにいっても、我々がオウムだという事で注目される存在になるだろう、そのような救済計画をたてておられるよ、彼は…」私:「…」.92年3月ころ 僕の部屋の中で~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.この話が彼の口から出た時、正直かなり考えさせられ、同時に何か一抹の不安を感じたのを覚えている。直接アーナンダが、支部のまだなかった松本に来る際に、当時僕の住んでいた護国神社そばのアパートに直によってくれたのである。そこで語られた話は、オウムがもはや日本での布教活動には重きを置いてはいないようだということだった。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~このカインの物語は、全く別の解釈もできるんだ。僕たちが教わっている大抵の話は、たしかにどこまでも本当で正しいに違いないさ。でもそういうのはどれもこれも、先生が見るのとは違った見方をすることもできるんだし、そうしたほうが大抵は意味が深くなるんだぜ。.たとえば、あのカインも、その額に在る印も、僕たちが聞かされている説明どおりでは、物足りない感じがするじゃないか。君もそう思わないかい。.喧嘩で弟を殴り殺すなんて、確かに実際にあることだし、そいつが後で怖くなって、へこたれてしまうことも、ありうることさ。しかしそいつがその臆病のご褒美に、特に勲章を授けられて、しかもその勲章がその男を保護した上、他のみんなを怖がらせる、というのは、なんと言ってもずいぶん妙な話だよ。(デミアンがシンクレールに).『デミアン』/エミール・シンクレール(ヘルマン・ヘッセ)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.アーナンダの予言はある意味、あたっていた。そしてその急先鋒に彼が組み込まれ、主役級の働きをしたことになる。こうした時代の流れは後になって振り返ってみると、予兆のようなものは存在していた。そして彼の見出した宗教的実践の意義みたいなものも、当時の彼の言葉の中に滲んでいたのだ。.加えて彼の言説の雰囲気は、あのデミアンにそっくりだった。...Eili ...
2018年09月29日
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僕たち元信者が麻原に賭けていたものは、彼の暴力的な指向性のそれではなく、その先にある物語だった。この世界は間違いなくハルマゲドンで滅びる運命にあり、その動乱の時期をまもなく迎える…との教説は93年末あたりにはもうピークに近い緊張感が訪れており、それでいて、彼の説く救済計画は危機を迎えており、このままだと潰えてしまうのだ…という話だった。末端に至る信者にまで、「もう後はない…」と鬼気迫る印象を与え、説法において実際に「私の命はあと少しであろう…」との強烈な告白をするのである。.麻原の顔がむくみ始めたのは、この頃だ。何か苦しみを背負っているかのような辛そうな息をしながら、それは実に深刻な印象を取り巻きの信者に与えていた。そして、この点において、彼の状況は「演技」ではなく、本当に体を酷使していたのだという意見があり、救済者を演じるだけでなく、「なりきっていた」というのが真相だろう。彼の説法におけるマイクにはかすかに「ぜぇぜぇ」と息をする声が入っていた。.彼のどす黒い顔色には、僕自身かなり驚いている。あの体調の悪さは、僕の出家後も変わることがなく、特に94年11月ころから出入りしていた第六サティアン1F、教祖ご自宅にて、ごく近距離で彼の表情を見ていた僕は、それが演技によるものではなく、真に「体の病気」を抱えている者に見えた。.人の世は、核攻撃を受け、原爆後の世界で生き抜いていかなければいけない時代が来るのだと、多くの信者は捉えていた。そして、それは、思い起こしてもらいたい。昨年2017年の、日本における緊張感を。今まさに、去ったとは言えない、あの緊張感を。米国と北朝鮮の緊張関係は、まさに今現在、私達日本人が直面し、目をそむけることができない事実だろう。.今こうしてみてみると、あの物語は、あの教団内部で閉じられたものから、開かれたものに展開されてしまっていた。その後の数々の災難、東北震災、西日本豪雨、熊本震災、北海道地震、九州での活発な火山活動…どれをとっても、現在の我々の科学技術の総意を持ってしても防ぎきれるものではないクラスの事象が連発して起こっている。.べつに、その事にハルマゲドンなる名称を与える必要はなく、ただ歴然と、災害や破局を予感させる事象は、連綿と続いている。.皆、仮初の平安の上に、不安定に生活せざるを得ない….人類は、真に破局後に進化できるのだろうか…彼が目指していた世界は、超人として進化する人の世界だったはず。それを見事に台無しにしたのも、彼自身の中に潜む悪の御業だったということだろうか。...Eili ...
2018年09月29日
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.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~不幸の状態である十字架上のキリストは「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マタイ27.46、マルコ15.34)と問うが、そこには答えはない。もし答えが見出されるのであれば、それは自ら創り出したものであり、またそれを創り出す力を有するということは、不幸という特別な状態には至っていないことを意味する。不幸と苦しみの間には、水が99度では沸騰しないような連続と境界がある。.『シモーヌ・ヴェイユの詩学』/今村純子~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.豊田くんの沈黙の姿には、背後に己の賭けてきた信仰への「絶望的な見捨てられ」が刻み込まれている。この時、彼は初めて、神に伺いをたてる権限を得たのだといっていい。義人ヨブに課せられた苦悩をも超えるほどの苦悩が彼ら13人の死刑囚に背負わされている。彼は玉座の前の一段下まで登ることを許された。.教祖は最後まで、言葉を発することはなかった。彼にはそれをするだけの力はもはや備わっていなかったのだ。血の滲むような哀願は、虚空に漂うほかなかった。これが豊田くんが纏っている「沈黙」の姿だった。.神に異議申し立てをしても、はじまらない…無意味であることを悟る瞬間が訪れる。一体人の世に、これだけの精神的絶望状況があるだろうか….~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「神の不在」が神と無限に隔てられた距離として捉えられるのであれば、すなわち、この世に不在の神がこの世を超えたところに確かにいるという把握が可能になれば、私達は不幸において神を認識することができる。そして、この無限に隔てられた距離を形作る「キリストの叫び」と「神の沈黙」は、あらゆる認識を超えた「至高の調和」をなす。.『シモーヌ・ヴェイユの詩学』/今村純子~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.彼は、「死」について若い頃から、意識していたと聞いている。これは僕自身も同じ状況なので、違和感を持たない。人の死を前にすると、「生」がクローズアップしてきて、その存在の意味を激しく問われている心境が去来する。真理を前にする…ことは、そこまでまず近づいていかなければいけない。そこに至る道は険しいが、それは宗教のとりわけ、やさしい側面、祈りによるものではなく、「なげうち」と「見捨てられ」によってなされるものだというのが、僕に心に刻まれた。これと同じ境地をシモーヌ・ヴェイユはかたり落としてくれている。....Eili ...
2018年09月29日
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教団施設に強制捜査が入る…という噂は何度かきかれ、それは噂レベルではなく、全信者に緊急の通達がおり、何度か慌ただしい動きをしている。3回位は緊張する時期があった。この時の事はあまり「オウムからの帰還」に描いていなかった。12月頃、1月ころ、2月ころ…一回づつくらいあったのではないかと思う、記憶があいまいであるが。.僕は一度、豊田くんと清流精舎に出向いている。どういうきっかけで出向くことになったのかは、教団に通達が降りる前だった。村井さん経由だったか豊田くんから直接だったか思い出せない。でも、時期的には僕は占星術のワークをしているはずで、重要度から言えば、もう彼の運転手ではなかったはず。考えられるのは、本当に緊急事態だったのだ。.「今すぐに現在してるワークを中断して、私を清流精舎に運んでください。」というものだった。「まもなく各省庁に指示が出ると思いますが、とにかく急いで下さい…」冷静沈着で知られる豊田くんが、僕を急かした。.とにかく内容を知らせることもなく、目的だけを伝えられた僕は、急を要すことがわかったので早速スカイラインを飛ばすことになった。いやあれはいつもの白いスカイラインではなく、水色の車種で別の車だった。僕はスピードを出すように急かされ、サイドミラーを壊すほどの運転をして清流精舎に着いたのだった。.清流精舎がどういうところであったかについては謎が多かった。以下の記事が参考になると思う。https://ameblo.jp/ommanipemehum/entry-10492827094.html.機械の油の匂い、焦げたような匂い、足の踏み場もない用な場所…思い出してきた。油まみれの手で触れられた教学の本や、何かの設計図などが散乱していた。あれは、2Fだったか、3F、いつもなら入口付近の場所で待機しているように言われ、決して内部まで入ってくるなと言われていたのに、その時ばかりは、僕は豊田くんについて中に入っていった。.豊田くんは、何かを探していた。ちょっと狂ったように慌てて、様々な備品を乱暴にひっくり返し、何かの書類、設計図といったものを片っ端からかき集めていた。そして、大きなダンボールを取ってくるように指示され、それを渡すと、おもむろに投げ込んでいた。すでに様々な書類をみつけ、膨大な量になりつつあったが、まだやめる気配がない。まだ何かを探しているようだった。.その時、それまで慌てふためいていた彼の手が止まる。そして、まじまじと眺め、しばらくペラペラとめくり、僕にこういった。「○○さん、素粒子物理学は興味ありますか…?」「…もちろん、僕は地球物理学のハタケですけど、素粒子物理学に興味ないわけないじゃないですか…」「では、あげます。」「これ、全部、差し上げます。」「…」なんか、おかしかった…内心僕はこうおもったのだ。僕だって出家してしまったんだよ、豊田くん。現世に戻って研究はもうできないんだ。と。.でも、今ではもっと深い意味を探ってしまう。彼は本当にもうそういった自分の経歴だとか過去の学業そのものもかなぐり捨てて、戻らないと決意した瞬間だったのかもしれない。それは、もう「後には引き返せないんだ」という意識だったのではないだろうか。.これがあの有名な東大時代の彼の講座で学生たちがたらい回しになってお世話になったという「豊田ノート」(※)だった。あのまるっこくて、しっかりした小さな字で、たくさんの数式が書いてある。※ たしか「さよならサイレントネイビー」/伊東乾 に彼のノートについて触れられている。.彼のそのノートは、実は、僕が持っているんだ。今でも。僕は上九一色から戻った際に、自分の荷物を取りに行っているんだ。だから、豊田くんのノートも、広瀬さんに借りっぱなしの Pascalの参考書も今でも大切に持ってる。...Eili ...
2018年09月28日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~僕は一大決心をして<悪>に取り組もうとした。意識における取り組みは耐え難い代物で、僕は気が狂う寸前までいっていた。そしてある恍惚とした感覚を得るところまでいったところで、僕はそれを静かに降ろした…そのとき、僕は麻原を認めることができた….僕はこの心境を言葉で表すことができなかった、また多くの人に誤解を与えかねないこの気付きを正しく伝える術を持たなかったのだ。当然のことながら、この表現不足は排泄されないまま体に残り、僕の体を隅々まで蝕んだ。.脱会後、僕が絶えず疑問を提示し、心の中で戦っていた相手が、戦うだけでは決して勝つことができないことを悟ったのだ。麻原との戦いは、今の僕の核と言っていい。.『日本社会がオウムを生んだ』1999年3月20日出版~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今もまだ、<悪>に取り組み言葉に落とす準備はできていない。一度徹底的に取り組んでいた頃があるのだが、ここに精神が触れた時、その言葉はもはや人を寄せ付けるそれではなかった。麻原の深層を知りたい…と世間の思想家が述べることがあるけれども、それがもし仮に好奇心から来た言葉であるのであれば、やめておいたほうがいい。.事件の法的真相は、江川紹子さんが述べられているように、既にある程度全容は解明されたといっていい。この事件は幅広く、それ故事件の真相を追うだけで骨の折れることだけれども、それは弟子たちの供述調書にしっかりと刻まれたのである。.麻原を知るには、その行為の中の沈黙を読み解くしかない。彼を知る多くの信者が、しばらくの間離れられないでおり、今もなお呪縛が続く人がいる。対決姿勢を示した人も、彼から静かに離れた人も…しかし、関わった人すべてに精神的に、深い深層意識の底に深い傷とともに大きな謎を刻み込んでいた.彼が狂った人間でないとするならば、その深層の意図、意志については大きな問が生じる。<我々の存在とは何か?>これは、ホモ・サピエンスの歴史的全容を観察する視点を持ち合わせないと、近づくことができない領域だ。...Eili ...
2018年09月28日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~現代の取り決めは私達に力を提供してくれるが、それには私達が人生に意味を与えてくれる宇宙の構想の存在を信じるのをやめることが条件となる。ところがこの取り決めを詳しく調べてみると、狡猾な免責条項が見つかる。人間が何らかの宇宙の構想を基盤とせずに、どうにか意味を見つけてのけられれば、それは契約違反とはみなされないのだ。この免責条項がこれまで、現代社会の救済手段になってきた。なぜなら、意味がなければ秩序は維持できないからだ。近代以降の政治や芸術や宗教の大事業は、何らかの宇宙の構想に根ざしていない人生の意味を見つけることであった。私達は神の手になるドラマを演じる役者ではなく、私達や私達の行いを気にする者などいないから、誰も私達の力を制限することはない。だが、それでも私達は自分の人生には意味があると確信している。.人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけではなく森羅万象の意味も引き出さなくてはならないという。意味のない世界のために意味を生み出せ-これこそ人間至上主義が私達に与えた最も重要な戒律なのだ。.人間至上主義革命 『ホモ・デウス』/ユヴァル・ノア・ハラリ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.僕は前著で、「意味を求める病」に疾患しているということを赤裸々に告白し、それを宮内勝典さんと対談している。前回の記事『精神交流:寝太郎さんと』で触れたテーマでもあり、この意味の不在について克服が死活問題となっていた。逆に言えば、そこまで「渇き」きっており、野辺山天文台で宇宙を哲学する人生を歩みながら、出家までいく人生は、本質的に「真理」を希求する想いが強かったからだ。.ところで、オウムは意味を与えたかと言われれば、望むものではなかった…しかし、渦巻く動乱の中で学んだ経験が、それまで読み親しんできた神話の中の悲劇に驚くほど似通っており、大昔から人の過ちが本質的に変わってはいないのだという思いを強くしている。.ここに集う人たちは、宗教を実践していなくとも、生まれ落ちた瞬間から、親も社会も含め『人間至上主義教』というものに強制的に入信させられてしまっている。.いったい、どれほどの人が、この不可避的な時代の流れに逆らい生きていけるのかを僕は知らない。そして、この人間至上主義の理想を実現できず、戒律を守ることができず、世界からこぼれ落ち、自殺を選ぶ人たちが、事故死者よりも遥かに多い事を触れて置かなければいけない。...Eili ...
2018年09月27日
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.今では、あなたが最も癒やされなければならなかった魂だと感じます。.愛のあるところに憎しみを、赦されるべきところに争いを、和を持って一致したところに分裂を、信仰のあるところに疑いを、真理だったものをくじかせ誤らせ、希望のあったところに絶望を、光ある世界を闇で覆い尽くし、喜びのある世界を悲しみに変えてきました.ああ、あなたは、慰めるものから慰められる側にまわり、理解する側から理解されなければならぬ者に、愛する側でなく最も愛を必要とする者になり、それは、あなたが、自ら受けとめねばならぬ罰により与え、赦されることによって許し、自分の心身を保身し尽くし、しがみつく生によってとこしえの命を得ようとしているからです。.Eiliの平和の祈り...Eili ...
2018年09月26日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今後、豊田さんが在家信者だった頃の話や出家信者だった頃の話を書いてもらえると嬉しいです。.れーな さん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.選ばれたものと、残されたもの薄皮一枚の差なのに、永遠と思えるほどの距離.神に選ばれたものは喜び、残されたものは悲しむしかし悪に選ばれたものは悲観にくれ、残されたものは安堵する.~あるユニットチームの思い出~.その時には、彼にはまだヴァジラパーニという名前がつけられていなかった。この降って湧いたワークのプロジェクトチームにおいて、在家信徒は僕と豊田くんだけであり、それ以外はアーナンダ(井上嘉浩)、クリシュナナンダ(林郁夫)、ティローパ(早川紀代秀)というメンバーだった。全員、教祖の掛け声、アーナンダの掛け声で急遽招集され、1週間程度はみな徹夜をともにするのである。.この編成チームは、僕が入信し1週間から2週間に満たないなかで結成された。宗教的回心が突然芽生えてしまった僕は、教団に許可を取らず、東洋医学を元にした「病は癒える」というビラを独りで創案し、街中に配り歩くようになっていた。まるでイスラム諸国に出向きキリスト教を健気に布教するフランチェスコのような無謀さににて、僕はオウムの知名度の悪さに関係なく、突然エンジンがかかってしまったのだ。それは厳密にはオウムのそれ(教義)ではなかったが、この行為は、他の信者の懐疑的な視線を浴びながら、ひとりアーナンダ(井上嘉浩)だけが、僕に心を止めた。そして感嘆する….入信後僅かな期間で、堰を切ったようにように慈善活動を行いたくなっていた僕のもとに彼は訪れ、早速このビラは熟考吟味され、教祖・麻原の目に止まり、これは全国支部展開するビラ、そして後に、正式な教団刊行物「病は癒える」になるのだ。.この行いについて、当時教団では「サットヴァ」(善性)とよばれ尊ばれ、僕は教団信者の中で一目置かれ有名になってしまう。このような経緯があり、当時の劇的な出会いは、僕の魂に深い感銘と絆を産み落としてしまった。その後はずか半年で、脱会に至るまでの間、なぜにあんなにも心を動かされたのか、自分でもわからない…宗教心というものは、時に理性で制御可能な範囲を超えてしまうものがあると思う。.当時、豊田くんと井上くんとの関係は、僕と井上くんの関係と同一の視線を持っていた。在家時代、僕と彼はアーナンダや教祖のことばかり話題にしていた。少しはにかんだ感じで朴訥と話す人だった。「わたしなんて出家なんてできるわけありません…」と語っていたのをよく覚えている。.今振り返れば、当時のメンバーは、林郁夫さん独り残しもうこの世にいない。..彼(豊田亨)は、95年5月15日、日本中を恐怖の底に陥れながら、アーナンダとともに捕まる事となる。.アーナンダ(井上嘉浩)は死刑執行され ヴァジラパーニ(豊田亨)は死刑執行され クリシュナナンダ(林郁夫)は無期懲役となり ティローパ(早川 紀代秀)は死刑執行され. 僕は、ひとり、生かされている 教団の計画を知ることもなく、 薄皮一枚で、危険なワークにはつかず、しかし、教祖・麻原には非常に近いところまで近づき、 教団の闇を感じ取り、 怖れを感じ、勇気を振り絞り、 必死の思いで世の中に出て、知りうる限りのことを告発していった .今でも自分が「生きていること」自体が奇跡的なことだと感じているんだ。...Eili ...
2018年09月26日
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.神ヤハウェはアベルの捧げ物には目を留めるが、カインの捧げ物には目を留めなかった。農夫となったカインは地の実りを、牧夫になったアベルは肥えた羊を献納した。.カインとアベルの物語は、多くの誤った見解を生み出し、その迷走は2000年に渡り人々の脳裏を行きかい、とめどない謎を残した。.ここには2つの逆説がある。神による二度に渡る<打ち消し>が在る。神はアベルを選び義人として扱い、カインのことは目もくれなかった。このように神に庇護される身分のアベルが、カインに殺害されることとなり、実際には守られてはいない。人々はカインを糾弾する。しかし、ここで神の怒りを買うはずのカインに対し、神は「カインのしるし」を与えることで彼の身をまもるのだ。。。.ここに多くの謎が秘められているという。.しかし、僕はその深層を見た思いがする。.すなわち、あなた(麻原)の行いによって、罪もない人々(日本人無差別)が殺められあなたのもとに集う「カイン(オウム、元オウム、アレフ、ひかりの輪)のしるし」を刻印された私達は、被害者である人々から生涯に渡り、恨みを受けながらも、それが故に、何か大きな意志のようなものに守られているのだ。。。.聖書で語られている神話は、オウムのような世紀の悪業をなした私達の心の中で、息を吹き返すのだ。.貴方は、チベットに旅立った頃ダライ・ラマ法王には見向きもされることがなく、非常に傷ついており、日本に帰ると信者や弁護士を殺害していた。そして、その後メディアの批判の嵐の中、カール・リンポチェ師に出会うのだ。.そこで貴方は称賛される….この一連の扱いで、日本の宗教学者は、誤読する。.貴方は聖者なのか悪魔なのか…永遠の謎と言われている。.私達には、カインのしるしがつきまとう….私達は周囲の人々からは癒やされることは決してない。自分たちが殺した人たちの間に帰り、彼らの間で生活をしないとならなくなったからだ。.しかし、そんな私達は、何か崇高な存在に常に試されている感じがする。常に己自身の精神を「晒され」生きることとなるのだ。...Eili .....
2018年09月26日
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.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~物の形は沈黙している。そして沈黙のうちに何事かを語っている。形象の中には明瞭に沈黙が存在しているのだ-しかし、この沈黙のすぐそばには言葉がある。つまり、形象はものを言う沈黙なのだ。.『沈黙の世界』/マックス・ピカート~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.彼は全く語ることがなかった…一切を封印した。.それは彼が語るわけにはいかない事柄だったのだ…それは神かもしくは救済者しか許されぬ言葉だった彼は、測りかねた…一体、この人物は、何者なのだと.何より、あそこまでの情熱で救済をかたり、自分たちに強弁してきた人物が、貝になってしまったからだ….この沈黙は、耐え難い苦しみだった。.一言、ここで「あれは救済だったのだ」と、この法廷で発言しさえしてくれれば、自分の愚かさも軽減しよう…それが彼の精神の救いとなったはずだった。しかし、とうとう、その教祖から、そのような言葉は一言も聞くことはなかった。.深い、深いどうしようもなく深い絶望が彼を覆い尽くし、彼を紺碧の海の底へ突き落としていた….私のしてしまった行為は…救済ではなかった………彼はその頃から、まるで彫像のようないでたちに変貌していった。その形象は物言う沈黙だった。...Eili ...
2018年09月25日
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.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~神話は沈黙の世界と言葉の世界との中間で演ぜられる。ちょうど、薄明の中では物のすがたが大きくなるように、沈黙の薄明から生まれてくる神話の中の人物像は大きいのである。.最初には言葉はもろもろの神話的人物のもとには無かったかのように思われる。むしろ彼らの行為が言葉であった。いわば、彼らは沈黙の壁の上に大きく書かれていたのである。.『沈黙の世界』/マックス・ピカート~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.彼は全く語ることがなかった…ごく少数の面会に訪れる友人とご両親、そして弁護士の方々.彼らとの間でさえも、より一層沈黙に支配され、言葉を吐き出すことをもはや「やめてしまったか」のような沈黙だった。彼は自分の付き従う神に「見放されてしまった」13人のうちの一人だった。(※).麻原は言った。「キリストには、最後たった12人の弟子たちしかいなかった。しかも一人は裏切り、一人は逃げ去り、他は知らぬ顔をした。」「さて、私の弟子たちはどうであろう…」「私を信じるか…?」「私をほんとうの意味で、信じているのか?」.そして、弟子たちの沈黙の中に彼の強烈な意志が滑り込んでゆく…それを彼は愉しんでいた。.「私の救済計画は、イエスの時代のものと違う。ブッダ釈迦牟尼の時代とも違う、なぜか、それは、かつての時代のようにはもういかなくなってきれいるからなのだ。弟子たちよ、聞きなさい。」.「私はかつて、阿修羅界にいた。そこの王であった。その世界でも私は今と同じような試みをしていた。しかしそこでも私の救済はうまくはいかなかったのだ…今回の私の生における使命において、私一人の力では、この救済計画を成功させることはできない。それには、どうしても君たちの力が必要なのだ。今生しかできないことだ。君たちは私の手となり、足となり、私についてこられるのか?」.「さて、どうだ。うん…」.微動だにできない信者たち…そこには深いため息に似た沈黙がたなびいていた。その緊張の張り詰めた沈黙を、一人の弟子が勇気を振り絞って破る。.「尊師の言われる救済がどのようなものなのか、わかりません。」「私の拙い頭では理解に及ばず、私にはさっぱり想像がつかないのです。」.「君たちには、グルのほんとうの意味での深い慈愛・慈悲の実践というものが理解できないだろう…おそらく」「それはね、ここに集う高弟たちにも言えることだ…」.「しかし、その場合は、いいんだよ」「信じるだけで」「そう、今ここにね、ほんとうの意味での帰依が試されるのだよ」「グルに対するほんとうの意味での信、帰依というものが己の中に試されるのだよ。」.「私を信じて、ついてきなさい…いいね!」.一斉に、「はい!」...※ 12人の死刑囚+村井秀夫氏...Eili ...
2018年09月25日
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これは、僕が教団の「大宇宙真理占星術」のワークに着いていた時に作成した占いソフトによる、教祖の鑑定結果全文になります。僕は94年11月ころから、教団の予言を司る占星術のワークに就任していました。ちなみに幾つかの内部部隊があり、僕は占星術、もう一人は紫微斗数占い、そして、更にもうひとりは、四柱推命占いでした。特に四柱推命占いの占いソフトの作成は難しいはずで、それには名前は失念してしまいましたが、あの有名な「ストリート・ファイター」というゲームソフトを作成していた方が、出家し、担っていました。.ともかく、僕はやっとのことでこの占いソフトを完成し、故村井秀夫氏とともに、教祖執務室(=俗に「大奥」と呼ばれる)に報告しにいきました。この時にプログラミング言語 Pascalの参考書を貸してくださったのが、広瀬さんになります。.ソフト完成後鑑定開始第一号は、教祖・麻原です。.12星座の運行データは、故村井秀夫氏のものをそのまま使い、西洋占星術、アスペクト占星術、12ハウス占い、ハーモニクス占星術(※別ソフト)、サビアン占星術と強化していき、1ヶ月半程度で作成したものになります。.ホロスコープ.. ************************************************ * 西 洋 占 星 術 鑑 定 書 ************************************************* =================================== 個人データ =================================== 氏 名 : 麻原彰晃 性 別 : 男性 生年月日 : 1955年 3月 2日 ユリウス日 : 2435168.50日 出生時刻 : 3時 34分 0秒 出生地名 : 熊本県八代市 : 東経 130度 36分 15秒 : 北緯 32度 30分 15秒 =================================== 解析データ =================================== 《 ネイチャー 》【採用しているデータ】 氏 名 : 麻原彰晃 性 別 : 男性 年 月 日 : 1955年 3月 2日 魚座 - 海王星 ユリウス日 : 2435168.50日 時 刻 : 3時 34分 1秒 地 名 : 熊本県八代市 : 東経 130度 36分 15秒 : 北緯 32度 30分 15秒 主 星 : 土星 * * * * *【惑星の配置】角度の算出方法 : 従来の占星術と同じ黄経のみによる算出 黄経 黄緯 星座 ハウス ---------------------------------------------- 太陽 340.409゚ 0.000゚ 魚座 11゚ 2室 月 73.617゚ 1.696゚ 双子座14゚ 5室 水星 315.324゚ 1.086゚ 水瓶座16゚ 1室 金星 296.468゚ 1.379゚ 山羊座27゚ 1室 火星 32.342゚ 0.363゚ 牡牛座 3゚ 4室 木星 110.242゚ 0.479゚ 蟹座 21゚ 7室 土星 231.172゚ 2.389゚ 蠍座 22゚ 10室 天王星 113.999゚ 0.542゚ 蟹座 24゚ 7室 海王星 207.974゚ 1.755゚ 天秤座28゚ 9室 冥王星 145.200゚ 10.544゚ 獅子座26゚ 8室 ASC 281.240゚ 山羊座12゚ MC 209.980゚ 天秤座30゚ ASCは出生時の東の地平線を表します。MCは天頂の点を表します。 * * * * *【ハウスの境】 1 ハウス 281.240゚ 2 ハウス 317.487゚ 3 ハウス 353.733゚ 4 ハウス 29.980゚ 5 ハウス 53.733゚ 6 ハウス 77.487゚ 7 ハウス 101.240゚ 8 ハウス 137.487゚ 9 ハウス 173.733゚ 10 ハウス 209.980゚ 11 ハウス 233.733゚ 12 ハウス 257.487゚ * * * * *【宮への配分】 火の宮 地の宮 気の宮 水の宮 1 2 3 4 活動宮 不動宮 柔軟宮 4 4 2 男性宮 女性宮 4 6 * * * * *【星座、ハウスの配分】 牡羊座 0 第 1ハウス 2 牡牛座 1 第 2ハウス 1 双子座 1 第 3ハウス 0 蟹座 2 第 4ハウス 1 獅子座 1 第 5ハウス 1 乙女座 0 第 6ハウス 0 天秤座 1 第 7ハウス 2 蠍座 1 第 8ハウス 1 射手座 0 第 9ハウス 1 山羊座 1 第10ハウス 1 水瓶座 1 第11ハウス 0 魚座 1 第12ハウス 0 * * * * *【惑星のアスペクト】 | 太陽 月 水星 金星 火星 木星 土星 天王星 海王星 冥王星-------+---------------------------------------------------------------------太陽 | -1.0 93.2 25.1 43.9 51.9 129.8 109.2 133.6 132.4 164.8 月 | □ -1.0 118.3 137.1 41.3 36.6 157.6 40.4 134.4 71.6 水星 | ----- △ -1.0 18.9 77.0 154.9 84.2 158.7 107.4 170.1 金星 | ----- ----- ----- -1.0 95.9 173.8 65.3 177.5 88.5 151.3 火星 | ----- ----- ----- ----- -1.0 77.9 161.2 81.7 175.6 112.9 木星 | ----- ----- ----- ----- ----- -1.0 120.9 3.8 97.7 35.0 土星 | ----- ----- ----- ----- ----- △ -1.0 117.2 23.2 86.0 天王星 | ----- ----- ----- ∞ ----- ----- △ -1.0 94.0 31.2 海王星 | ----- ----- ----- □ ----- ----- ----- ----- -1.0 62.8 冥王星 | ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- * -1.0 吉座相 △(120゚) *(60゚) 凶座相 ∞(180゚) □(90゚) コンジャンクション♂(0゚) * * * * * 《 》【採用しているデータ】 氏 名 : 1995年 3月22日 性 別 : 男性 年 月 日 : 1995年 3月 22日 牡羊座 - 火星 ユリウス日 : 2449798.50日 時 刻 : 3時 34分 3秒 地 名 : 熊本県八代市 : 東経 130度 36分 15秒 : 北緯 32度 30分 15秒 主 星 : 土星 * * * * *【惑星の配置】角度の算出方法 : 従来の占星術と同じ黄経のみによる算出 黄経 黄緯 星座 ハウス ---------------------------------------------- 太陽 0.677゚ 0.000゚ 牡羊座 1゚ 3室 月 243.352゚ 2.397゚ 射手座 4゚ 11室 水星 340.330゚ -2.263゚ 魚座 11゚ 2室 金星 322.309゚ -0.272゚ 水瓶座23゚ 2室 火星 133.217゚ 3.525゚ 獅子座14゚ 7室 木星 255.201゚ 0.812゚ 射手座16゚ 11室 土星 346.933゚ -1.780゚ 魚座 17゚ 2室 天王星 299.661゚ -0.516゚ 山羊座30゚ 1室 海王星 295.178゚ 0.548゚ 山羊座26゚ 1室 冥王星 240.527゚ 13.788゚ 射手座 1゚ 11室 ASC 281.240゚ 山羊座12゚ MC 209.980゚ 天秤座30゚ * * * * *【ハウスの境】 1 ハウス 281.240゚ 2 ハウス 317.487゚ 3 ハウス 353.733゚ 4 ハウス 29.980゚ 5 ハウス 53.733゚ 6 ハウス 77.487゚ 7 ハウス 101.240゚ 8 ハウス 137.487゚ 9 ハウス 173.733゚ 10 ハウス 209.980゚ 11 ハウス 233.733゚ 12 ハウス 257.487゚ * * * * *【宮への配分】 火の宮 地の宮 気の宮 水の宮 5 2 1 2 活動宮 不動宮 柔軟宮 3 2 5 男性宮 女性宮 6 4 * * * * *【星座、ハウスの配分】 牡羊座 1 第 1ハウス 2 牡牛座 0 第 2ハウス 3 双子座 0 第 3ハウス 1 蟹座 0 第 4ハウス 0 獅子座 1 第 5ハウス 0 乙女座 0 第 6ハウス 0 天秤座 0 第 7ハウス 1 蠍座 0 第 8ハウス 0 射手座 3 第 9ハウス 0 山羊座 2 第10ハウス 0 水瓶座 1 第11ハウス 3 魚座 2 第12ハウス 0 * * * * *【惑星のアスペクト】 | 太陽 月 水星 金星 火星 木星 土星 天王星 海王星 冥王星-------+---------------------------------------------------------------------太陽 | -1.0 117.3 20.3 38.4 132.5 105.5 13.7 61.0 65.5 120.2 月 | △ -1.0 97.0 79.0 110.1 11.8 103.6 56.3 51.8 2.8 水星 | ----- ----- -1.0 18.0 152.9 85.1 6.6 40.7 45.2 99.8 金星 | ----- ----- ----- -1.0 170.9 67.1 24.6 22.6 27.1 81.8 火星 | ----- ----- ----- ----- -1.0 122.0 146.3 166.4 162.0 107.3 木星 | ----- ----- ----- ----- △ -1.0 91.7 44.5 40.0 14.7 土星 | ----- ----- ----- ----- ----- □ -1.0 47.3 51.8 106.4 天王星 | * * ----- ----- ----- ----- ----- -1.0 4.5 59.1 海王星 | * ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -1.0 54.7 冥王星 | △ ♂ ----- ----- ----- ----- ----- * ----- -1.0 * * * * * * * * * *【アスペクトに採用されたオーブ】 太陽 ± 8.00゚ 月 ± 5.00゚ 水星 ± 3.50゚ 金星 ± 3.50゚ 火星 ± 3.50゚ 木星 ± 3.50゚ 土星 ± 3.50゚ 天王星 ± 3.50゚ 海王星 ± 3.50゚ 冥王星 ± 3.50゚ ハードアスペクト ± 1.00゚ 【 各鑑定結果について 】ネイチャーハウスで見る鑑定 麻原彰晃さんの1955年 3月 2日(3時34分)におけるハウスと惑星の関係から鑑定しています。 一見矛盾する様な部分も出てくるかも知れませんが、肯定的にとらえるにせよ、否定的にとらえるにせよ、それらは全てあなたに内在している要素です。また、惑星の配置によっては鑑定結果が出てこない場合があります。例えば財運で文章がまったく出なかったとしても、それは象意として現れなかっただけで財運がないわけではありません。====================================== あなたの運勢====================================== -------------------------------- ☆☆☆ 個性・性格 ☆☆☆ --------------------------------[1室の金] 美術、詩、音楽を愛する。社交上の花形になる。美貌と親しみやすい性格を持つ。太陽が月とスクエア(90度)しています。太陽と月が直角に位置し合い、半月かそれに近い状態。太陽の示す父親と月の示す母親の間に問題が多い家庭に生まれたか、結婚、家庭に関する疑問や不満が多い。太陽の目標を尊重するあまり、月の感情的な問題に対して配慮が欠けがち。家庭を持つことにより、何らかの問題に直面します。家庭観の違いによる夫婦間の対立的事件の暗示も。月が水星とトライン(120度)しています。月の感情に水星の知性が加わり、気配り上手で、人当たりがよく、たくさんの人々から好感を持たれるでしょう。物知りで、常識豊か。話術の才能や文才に恵まれます。周囲の人間関係に順応する能力に恵まれます。男性であれば、妻の気配りによって人間関係が広がるでしょう。 ○ 魚座の太陽 ○ 夢見がちで感傷的な性格です。依頼心が強く人に依存しがちな傾向もありますが、いかなる立場や環境においても馴染める順応性を持っています。創造性と芸術的才能に富み、美しい夢と叙情を追い、全身全霊を上げて没頭できる世界があれば幸福を感じます。そのため世俗を離れたところで生きようとし、物質的成功は望みません。同情心が強く自己犠牲の精神に富み、不幸な人や社会的弱者に暖かな思いやりを示します。 ○ 双子座の月 ○ 陽気で軽快な性格です。貪欲な知識欲を持ち、好んで抽象的な思考をもてあそぶ傾向も見られます。旅行好き・遊び好きで、目新しいものに本能的に心を引かれます。変わり身が早く、勢力の強い側につく抜け目のない処世術を身につけています。冒険的な気質を持っているため、チャンスをとらえるのが上手です。感情が豊かで、それが魅力となって異性を引きつけます。 -------------------------------- ☆☆☆ 知力 ☆☆☆ -------------------------------- ○ 水瓶座の水星 ○ 水瓶座に輝く水星は、独立性にあふれた発想力を持っています。既成の概念にとらわれずに自分なりの新しいものを見つけたりつくり出そうとするタイプ。そのため、発明や発見の才能に恵まれます。開発者や研究家として活躍することも多いでしょう。説得力にすぐれ、自分の考えを理解してくれる多くの協力者や支持者を得ます。子供時代に、独創性を養うような思考形態を学んだ暗示があります。その能力を社会的に活かすことで、評価されるでしょう。 -------------------------------- ☆☆☆ 愛情と結婚 ☆☆☆ --------------------------------[太が火と座相を持たない] 結婚運に恵まれない。金星が天王星とオポジション(180度)しています。金星の愛情欲求に、天王星の自己中心性が加わります。どちらかというと、現実の異性よりも、芸術や、自分の興味の対象に愛情を注ぎます。いわゆるセックスレス、ナルシスト、同性愛者の場合も。常識や責任を無視した背徳的な恋愛にのめり込むことによってトラブルを招いたり、問題を起こしがち。 ○ 山羊座の金星 ○ 山羊座に輝く金星は、情熱や官能が抑えられるので、恋愛に対し、苦手意識や罪悪感を感じやすくなります。恋愛とは結婚のために必要なものであると考えやすいでしょう。快楽的な恋愛には興味を示しません。愛情に信頼や責任を求める気持ちが強く、恋愛とは約束であるととらえます。だから相手の愛情に見合っただけの愛情を返し、誠実であろうとします。この金星の象徴する理想の女性像とは、しっかりした女性、あるいは補佐役として有能な女性でしょう。 -------------------------------- ☆☆☆ 運命の傾向 ☆☆☆ --------------------------------[10室の冥] 遺産によって非常に裕福となるか、一切の権利を放棄するかのどちらかである。他人の所有物や財産力に強力な支配を持つこと(それが正当な方法にあるにせよ不当な手段であるにせよ)を可能にする。[10室の土がハードな△] 賢明な実務能力を持ち、組織の才と管理能力に恵まれ、政界、財界、実業界で成功できる。(だいたいに於いて成功は遅れるし、成功の後にも転落の危険がある。一時は権威を得ながら転落した人たちに良く見られるチャートでもある)[10室の土] 無情な上位者の敵を持ちやすく、不当な弾圧を受けたり、困難な状況に置かれやすい。 -------------------------------- ☆☆☆ 情熱 ☆☆☆ --------------------------------火星はノーアスペクトです。火星のエネルギーが認識されにくかったり、発揮されにくいことを意味します。男性ホルモンが著しく少ない場合や、闘争心がまったくない場合、生命欲求そのものが少ない場合などが考えられます。 ○ 牡牛座の火星 ○ 牡牛座に輝く火星は、所有に対する欲求が強くなります。獲得欲が強く、他人の持ち物や能力をうらやむ気持ちが強く、人のものほど欲しがります。独占欲がつよく、自分のものは守ろうとするでしよう。所有に関する欲求からトラプルを招きがちです。攻撃心は内にこもりやすく怒りをためて一気に爆発します。強い所有欲は嫉妬心を生み、特に嫉妬が性的な衝動をもたらす傾向があります。この火星の象徴する理想の男性像とは、頼もしさや力強さに満ちた男性てす。 -------------------------------- ☆☆☆ 運勢 ☆☆☆ --------------------------------[7室の木] 全ての共同事業や商業取引に、幸運と成功を招くことを示す。[7室の木が△] 信用できる協力者や取引相手に恵まれ、相互利益や実益も多い。また、学識者や法律家、宗教家との交際を通して、良い影響を与えられることを示す。[9室の海が冥と△] 霊感、予感、テレパシー、透視能力のような高度の心霊能力を持つ。神秘体験をしたり、不思議な前兆を感じることもしばしばである。古来からこのような高次元からくる霊感に導かれて文学、芸術、学術、宗教の世界に偉業を成し遂げた人の数は多い。木星が土星とトライン(120度)しています。社会に対する協力的意識を持ちます。社会的な現象との関連は定かではないが、人々の社会に対する潜在的な信頼感を意味します。世の中の常識を兼ね備え、多くの人々から社会的に信頼されます。人々の援助によって政治家や、社会的指導者として成功しやすい暗示。 ○ 蟹座の木星 ○ 蟹座に輝く木星は、星の力が強まり、親切で社会や人々のために貢献しようとする気持ちが強くなります。愛国心や郷土愛が強く、国家や自分の属する団体のために尽くそうとするでしよう。同胞に対して親切で、宗教心を持ちます。郷土を守り、発展させるために社会的な運動を主宰したりする指導者が多く出るでしょう。この人々は、不動産的なことに関する幸運や、親切や奉仕に対する恩返し的な幸運を受け取ることがありそうです。 -------------------------------- ☆☆☆ 財運 ☆☆☆ --------------------------------[2室の太] 財政的な問題には非常に有望。 -------------------------------- ☆☆☆ 人間関係 ☆☆☆ --------------------------------[7室の天] 対人関係や、共同環境に、予期しない変動が起こることを示している。強調は乱され壊される結果になりやすい。[7室の天が□] 反対者の反対的態度は、この生まれの人を激昂させるし、相互に独断に走り、協力の達成も希にしかできなくなる。 -------------------------------- ☆☆☆ 仕事 ☆☆☆ --------------------------------[1室の水] 知的、頭脳的分野の作業にむく。[5室の月] 一般大衆や婦人、子供に関係のある企業によって成功する。[7室の天が△] もしあなたが独創性に乏しければ、秀逸な時代感覚と豊かな創造力を持つ人と協力し合うことは仕事や事業の発展に大いに役立つことになる。[10室の土] この生まれの人は優れた創業の才を持ち、忍耐力と克己心によって苦難を廃し、立身することを示している。 -------------------------------- ☆☆☆ 宗教・哲学 ☆☆☆ --------------------------------[9室の海] 鋭い直感力と創造力に富み、神秘主義的な人生観を持っている。人生の目的は物質界を離れた純粋な霊的生活である。神秘的な宗教や心霊思想に心を引かれる傾向を持つ 。[9室の海が□] 思想を具体的にまとめる能力がないことや混乱した考えを持つことから、成功することは難しくなる。心霊的な研究や現世御利益的な宗教に耽る事は避けるほうがよい。 -------------------------------- ☆☆☆ 旅行 ☆☆☆ --------------------------------[9室の海が□] 海外に出て物質的な損失や、危難に遭うことを示す。 ====================================== 1995年 3月22日 あなたの運勢 ======================================『混乱の原因がどこにあるか見きわめて、平常心を保つ』調波57 :魅惑の緑の中央の城ツォルキン 228日 : 黄色い共振の星☆今日は、自分が星々から届く信号の受信機であることを知る日。人はだれでも星の子供になりうる。星のメッセージを現実の中で表現することが、美的な感覚を呼び起こす。 -------------------------------- ☆☆☆ 総体運 ☆☆☆ --------------------------------太陽tが金星nとセキスタイル(60度)しています。愛のチャンスと、お金を稼ぐきっかけが見つかる時です。好きな相手に接近すべきですが、まだ愛のアクションを起こす段階ではありません。恋愛面でも全銭面でも準備段階であり、手中に収めるまでには少し間があります。彼との接触は密に。 -------------------------------- ☆☆☆ 感情・知性 ☆☆☆ --------------------------------月tが太陽nとスクエア(90度)しています。感情のコントロールがきかず、自分でも思いがけない結末を招く可能性大なのでご用心。仕事が忙しくてプライベートな生活などないに等しかったり、親や家族に干渉されたりする兆しもありますが、あまり悲観的に考えないようにしてください。 -------------------------------- ☆☆☆ 仕事・勉強運 ☆☆☆ --------------------------------水星tが太陽nとコンジャンクション(0度)しています。仕事や勉強を表す水星と、あなた自身の意志、存在を表す太陽が重なる時期は、よくも悪くもパワーが知的分野に向けられ、心身ともに活発化し、知能が高度化します。精神面に変化を生じ、仕事のチャンスをつかみますが、バランスを崩すと失敗する可能性もあるので要注意。 -------------------------------- ☆☆☆ 恋愛・金運 ☆☆☆ --------------------------------金星tが土星nとスクエア(90度)しています。90度のもつ悪い意味合いが強化される時です。交際中の人はなるべく明るくふるまい、楽しいつき合いを心がけたほうがよいでしょう。そのほかの人には恋愛は不向きな時。金銭面では欲張りで意地汚い要素が出てしまう心配があるので要注意。 -------------------------------- ☆☆☆ 行動・アクシデント ☆☆☆ --------------------------------火星tが水星nとオポジション(180度)しています。頭脳明晰。高いレベルの知力を内に秘めていますが、態度に出やすく、周囲の人間を傷つけたり怒らせたりする可能性大。そのため思いがけないところで足を引っ張られる心配あり。もう少しソフトな表現を心がけてください。 -------------------------------- ☆☆☆ 幸運・吉運 ☆☆☆ --------------------------------木星tが太陽nとスクエア(90度)しています。楽をしておいしい思いをしたがる傾向が強く出てくる時期です。また心にスキができやすく、人にだまされたり、利用されたりする心配もあります。何事も正攻法でやるようにしましよう。信用できる親や先生の言葉に耳を傾けてください。木星tが水星nとセキスタイル(60度)しています。集中すれば考える力がつく時です。頭の体操のつもりで、日頃から物事をさまざまな角度から見て考えるようにするとよいでしよう。判断力には長けていますから、自分を信しても大丈夫。物質面より精神面を優先する生活を送るようにすると吉です。 -------------------------------- ☆☆☆ 試練・困難 ☆☆☆ --------------------------------土星tが太陽nとコンジャンクション(0度)しています。これは年に1度訪れる試練の時期です。見通しがきかず気分が落ち込みがちですが、ここはじっとがまんして運気がトンネルを通過するのを待ちましょうジタバタするのが一番いけません。ムリに前進しようとすると必ず壁にぶつかります。土星tが木星nとトライン(120度)しています。大きな運の流れがマイナスか、プラスヘ転換する時です。経済的な面でも明るい展望が開けるでしょう。中断していた計画などを再開してください。世の中の移り変わりなども視野に入れ、大きく目を見開くことが大切。 -------------------------------- ☆☆☆ ハプニング ☆☆☆ --------------------------------天王星tが金星nとコンジャンクション(0度)しています。愛の破綻、突然の別れといった意味があり、あまりいい時期ではありません。しかし、シングルの人の場合で、ほかの惑星がいい位置にあれば、ハプニング的に恋が生まれるという意味もあるようです。また、全運が急に変化する兆しでもあり、吉凶はほかの星との座相しだいです。天王星tが火星nとスクエア(90度)しています。勇気ある行動が裏目に出たり、猪突猛進した結果、壁に突き当たったりという、自業自得の運勢を表しています。頭に皿がのぼらないよう、冷静をモットーに行動すべきでしょう。また、泥棒などの被害にあうという暗示もあるので注意が必要。 -------------------------------- ☆☆☆ 神秘・マインド ☆☆☆ --------------------------------海王星tが金星nとコンジャンクション(0度)しています。このアスペクトができる時期は、恋に目がくらみメロメロになりやすいので注意すべきです。つまりアバタもエクボの失敗をしやすいのです。芸術的なものにも陶酔しがちですが、これはプラスに作用することが多いでしょう。しかし、金銭にルーズになる場合もあるので要注意。====================================== サビアン占星術======================================『忙しさにまぎれても、うるおいを忘れないように』調波42 : 与える黄色い南の城ツォルキン 168日 : 黄色い水晶の星★あなたは、身のまわりのものにきちんと整理整頓を心がける人。整理を手段として位置づけることで、未来の目的が見えてくる。整理とは、過去を判断するための作業なのだ。. -------- 太陽が魚座11度に -------- ☆ 訓練された組織の一員として ☆『啓示を求めて、細い道を旅する人。』. 今までの自分よりも優れた水準をもった領域に、自分をどんな犠牲を払っても進めようとする能力がある。意識と生活の新しいレベルに入るにあたって、必要なすべてを兼ね備えている状況。あとはただ歩くだけ。この度数は、より高度に進化した人に助けられながら、先に進む人をあらわしていて、助けはあるが、しかし歩くのは自分、という状況に立たされている。細い道といわれる以上は、これは困難が想定される。この度数をもつ人は、目的に向かって、努力を傾けつづける傾向が特徴。針の穴を通すような困難なものかもしれないが、息をつめたような集中はいくらでもできる人だ。. -------- 月が双子座14度に -------- ☆ 未知の体験に飛び込む知性 ☆『物理的な空間や社会的な差異に橋を架けるため、二人の男がテレパシーで通信している。』. 新しい開拓地では人間同士がコミュニケーションするために、新しい技術を開発しなければならない。異なる言葉や、異なる習慣を持った人々が集まるのが、新天地だ。ここではすべての人に共通のコミュニケーション手段が確立されなければならない。心から心への通信がよりダイレクトな形で行われる意識の領域に入り込む努力をしなければならない。人間性という一つの心で意思疎通できるように、意思疎通の普遍的な手段を探求しようとする。象徴どおり、テレパシー能力を持った人や、そこまでではなくとも、非常に勘の鋭い、察しの良い人が多いようだ。また通信電話関係、ネットワーキング事業などにも関係する度数だ。伝達本能が非常に発達した人。外国語の修得能力の高さとして現れる人もいる。. -------- 水星が水瓶座16度に -------- ☆ 壮大な世界地図の中に生きる ☆『机に向かう偉大なビジネスマン。』. 水瓶座も、16度以後は急激にビッグな視点で生きるようになる。人の意識を狭い空間に縛り付けるもととなった異性への執着に満ちた感情が、15度で越えられた後は、人間の生活意識は、よりマクロな方向へと発展していく自由を獲得する。物事を人類全体の進化という観点で考えてみたり、常に視野は大きな方へと向かう。国際問題や、地球環境全体の問題、あるいは宇宙問題など、今の人類に必要な事業方向は無数にある。だがヒットラーが実行に移そうとした民族選別計画なども、この度数に関係した事柄だといえるので、個人個人の私生活の満足や権利などについて十分に考え、バランスをとった姿勢を心がけなくてはならない。個人的な思惑を越えて、グローバルな計画を実行することのできる冷静な意志が、この度数の持ち主の個性だといえるのだが、つい個人的な小さな問題を考えることを見落とす傾向があるからだ。. -------- 金星が山羊座27度に -------- ☆ 五官を支配する ☆『山の聖堂へとつらなる急な階段を上る巡礼者。』. 上昇していく火の原理について語っている度数。長い険しい階段を上がりつづけることに似た厳しい努力によって、自分の意識の可能性の頂点的な領域に到達する。水はつねに降下するが、火はつねに上昇する。精神的な意味で、上昇意欲がきわめて強い人だといえる。聖堂は、何世代もにわたって使われてきたこうした長いあいだの先人の努力を尊重し、伝統的に確立された精神的な達成の道を信じること。精神の極みに達すること。またこれは山の頂上においての風当たりの強さも連想される。密度の高い、緊迫した状況。頂点的な知識や情報を手に入れるが、それらは大きな責任感をもっていなくては維持できないような重大なものかもしれない。この度数は優れた能力を暗示していることが多い。. -------- 火星が牡牛座03度に -------- ☆ 運命の実践 ☆『開花した三つの葉の芝に自然な歩みで入り込む。』. 芝生は質素で平均的な、我々の立っている生活のごく日常的な地盤を意味している。人の行動の核心となる個性や運命が、こうした足元の部分にまで浸透した結果、この人は満ち足りた落ち着いた生き方を手に入れることになる。自分にふさわしい住居、自分にふさわしい経済、すべてがこの人らしい整いかたをする。心身の隅々まで、生き生きとした有り様を示すので、とても喜ばしい現象だ。この度数を持つ人は、自己の運命の実現のために激しく努力して、その結果豊かな成果を得て満足した状況にある。芝生というシンボルが重要な意味を持つのは、具体的な生活の地盤のすみずみにまで個人の運命の力が浸透しきったことを意味しているのだ。個人は当たり前のような顔で、この恩恵を感受できる。. -------- 木星が蟹座21度に -------- ☆ 社会参加の在り方を模索する ☆『オペラを歌うことによって、有名な歌手が自分の名人芸を証明する。』 双子座13度のビルティオーゾとは対象的に、オペラは集団的な音楽の調和。多くの人が協力して、一つのハーモニーを作り出す社会は、オペラのようなものだと言える。その中に参加して、名声を得る歌手は、文化の中で、心の面で報酬を得ている。したがって社会的に成功した人が、その社会の中で、感情面でも満足し、社会的財政的に成功したことを意味している。ゴンドラ乗りは、個人的に幸福だった。20度のゴンドラ乗りは、自分が手に入れた理解に自信を持って、もっと社会の中に自分を投出したのだ。投機した分だけ報われる。オペラでは、今度はこの幸福感が、集団的なところから反射してきたのだと言えよう。成功物語とか、社会の一つの決まりきった鋳型にまみれた中で、やや陳腐だが、つつがなく成功していく姿。. -------- 土星が蠍座22度に -------- ☆ 荒々しい衝動をどう処理するか ☆『鴨を打つハンター。』. 人のなかに残る本能的な攻撃性を、社会があるシステムを設けて、そのエネルギーを吸収してしまう。ハンターというシンボルは、社会のなかでゲーム的にこうした本能のはけ口が用意されている図だ。その意味では、風俗営業などもこの度数の分類に入るだろうと思う。21度で社会は、個人の欲求を許容しなかったが、ここでは逆転して、それを歓迎する。すべての人が離反してしまわないように、個人の衝動を吸収する方法を考案してしまうのだ。攻撃性を儀式化することで、それを洗練させる。個人的な趣味を主張することを社会がニーズとして受け入れる。わがままが通る。そして社会はむしろそれを流行化してしまう。この度数をもつ人は、たとえば代替行為として、暴力小説を書くことでその衝動を商品化してしまうように、ゲーム的な面で欲求を満足させる生き方を見つけ出すべきだ。. -------- 天王星が蟹座24度に -------- ☆ 社会参加の在り方を模索する ☆『南の小さな島の、一人の女性と二人の男性の漂流者。』. 社会の中にいて批判的なアプローチをしていた文学仲間は、三人の小さな単位に置き換えられ、社会とは孤立した生き方を選ぶようになる。そして、南の島へ漂流する。これは、小さなグループを作り、もっと本質的な集団の在り方を追求しようとしているのだ。社会全体の潮流からは逸脱することだ。女性は情感的な生活。二人の男性は、知的な方向性と、霊的な方向性の印。これらはすべて相互依存によって、成り立たねばならない。しかもこれは、無意識の海に囲まれた南の島で、現実的に調和的な形態にならなければ生きてゆけない。統合の分野はとても小さいが、生命の特別な新しい発展形態を予感させる。新しい村作りとか、小さなところからはじまる共同体の新しい試みだといえる。より、本質的な問題を追求するために、限定された世界とか、特定の人間関係のなかで生きること。信頼できる人はごく小数だけに限られてしまうが、人の結び付きの理想を追い求めている人だ。.. -------- 海王星が天秤座28度に -------- ☆ 知の道の完成。 ☆『自分のまわりを取り巻き、手助けしてくれる霊的な力に気づき始めた男。』. 自分の人生や、世界が、大きな全体の「一なるもの」に属していることを、内的な確信として手に入れる。26度で、主体と客体が交換されたり、また27度でこれらもともと対立する陰陽のような原理が「合体」してしまうと、必然的に、世界の果てにある人智を超えた、宇宙的な根源原理を近くするようになる。いままで知ることのなかった、霊的な力、恒久的な働きについて、直接理解する。精神的な達観にとどまらず、やがて霊的な影響に浸される。あらゆる者が不可分に結びついて、相互に補いあう原理、こうした宇宙的な力を知覚する。しばしば個人的には、この人の人生の中で、霊的な力が援助している、という姿にうつるものだ。こうした目に見えないあらゆるもののつながりを理解し、それとコミュニケーションできる可能性がある。. -------- 冥王星が獅子座26度に -------- ☆ 自己表現がやっと達成される。 ☆『激しい嵐の後の虹。』. 25度の砂漢は、26度では激しい嵐に象徴を変える。人生のさまざまな激変や困難を、ルディアのいう「下剤」として利用した人が、自己の深層の魂の元型とむきあうときを示すのが、この度数。虹は神と人の契約の印だといわれていて、霊的な根源的な目的と、個人の生活が、虹というリンクでつながれていることを暗示しているので、個人の本当の目的の自覚が、ここで訪れる暗示がある。ルディアのサビアン解説のキイノー卜として、この度数には「神聖な性質を伴う契約、不死の約束」と書かれているが、実際この度数をもつ人は、しばしばなんらかの明確な目的や霊的な世界との契約というものを保持して生まれてきている形跡がある。なんらかの超越存在に仕組みまれているとしか思えない、果たすべき使命があるのだ。...Eili ...
2018年09月25日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~もしも人間が、沈黙からも教えの言葉からも、正しい行いをなすことを聴き入れない場合は、事件が、歴史そのものが、人間を教える役割を引き受けるのである。もはや言葉によって人間のもとに達することのできなくなった真理は、その時、事件によって自己を明らかにしようとする。.『われわれ自身のうちなるヒットラー』/マックス・ピカート~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.善悪の区別の本質的な部分は、わざわざ言葉を必要としない。敢えて言うまでもないほどに当たり前となっており、それはもはや言葉による説明を待たずともよいのだ。だからたとえ、それが何かの教説に現れたとしても、別段驚くに値しない。親兄弟を殺すこと、盗みを働くこと…これは子供に正しく教育して防いでいるようでいて、しなくてもよいような無言の愛ある環境を作ってあげることが、実現させているのだ。そこに沈黙の愛がある。僕は沿う感じている。.事件は悍ましいものであり、誰もが驚愕する。高ぶった意識は被害者加害者双方に生じ、立場の違いから争いが更に加速する。.この予兆はなかっただろうか…我々は有史以来、何一つ問題を片付けていない。それは祖先も、神話の時代までさかのぼっても….原罪と呼ばれるものが、横たわっている。...Eili ...
2018年09月24日
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..人を好きになること…求めると得られないもの逆に興味を失うと、やってきたりするこのやきもきするじれったさ….でも、この一見不条理な仕組みは誰が考え出したのだろうかその答えは見つからないが、..一つのものを求めずに、無心になって自己の愛を世界へ全方位へ放てばやがて、それは自己の器を漏れ出でるところまでゆくその博愛は、自己愛や他者愛を超えるものとなる. このように諭されているように感じる。.そして、この諭しは「理想」であって、罠の匂いがかすかに漂う…映画やお芝居では美談としてハッピーエンドを迎えるが、.神話においては、残酷にも、大抵「悲劇」で終わるのだ。.そして、この現実世界を観察してみれば…人間作り出した甘い物語より、神話による帰結のほうが多い.その聖なる愛に至る途上で、人は躓くからだ。そして、今度は見事にテーマを変えさせる。気づかぬうちに強引にして….その躓きを悔い改めることを、求めてくるのだ…そして、人は罪の認識を知らずに深めていき、罰を望むようになる。そして、「自由な発露による恋愛」行為を恥ずべきもの、いまいましいもの、恐るべきもの…として扱う。.敬虔な信仰者の国、イスラムを見ればその行く末を見ることができる.女の人は、特に綺麗な女の人は男を惑わす危険があるため…顔にベールを覆わせられる…人目につかぬように….しかし、その一見「理想的」と思えた宗教的社会観にははなはだ多くの問題を秘めており、「人目には触れなくなる」が、逆に「悪魔には目を留められるように」なってゆく….彼女達を待ち受ける悲劇の事を多くの西欧人は知らない…つまるところ、こういう結論になってゆく。.「恋をした」ということは過ちであり、人は「恋をあこがれながらも」恐れるようになる。しかし、もっとひどいのは「恋もしていない」のに、自分の知らないところで他人に恋心を芽生えさせた…という「どうしようもない」ただそれだけのことで、不条理な罪を背負わせる…それがイスラムの世界だ。.そして無理な禁欲を教義の上で縛り付けられた男達はどうなるか?無邪気さは消えてなくなり…もう、見えない神への忠誠である、「聖戦」しか、道は残されなくなってゆくのである。.この悲劇的なストーリーを予め、予知しているもう一人の人物達が居て、彼らが、この世界をコントロールする….これが、われわれが住まうこの世界のもう一つの姿だ。薄皮一枚で、かろうじて暮らしていける儚い世界….怯えながらも大切に大切に….育んでいかなければならぬものだろう….Eili ...
2018年09月24日
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何か憑き物でもあるのかい…自分でもわからない禍々しいものが襲ってきている感じです。.それは畏怖の念を感じさせ、崇高な感じがします。でも、同時にとても沈鬱で暗い響きも感じます。悍ましいというか、底知れぬ恐怖を感じます。.救済?この世界そのものが、それ自体、間違っていた…とそのように認識なさっているんですか?.麻原初公判後ろ姿..僕が頭の中で、何度か麻原と対峙して語り合っていた事と言えば、あの事件が「救済」だったのかどうかという点だ。とうとう教祖は何も本質的なことを語らずに、あの世へ逝ったが、彼の精神が壊れ不規則発言を繰り返すまでになったとき不気味な沈黙の訴えが存在していた。.帰依心の強い信者たちも口を噤んでいたが、あれは紛れもない教祖の亡霊、救済者の意志を強引に弁説する沈黙だった。.霊はあるのだと思う。そのように思うようになった。宗教抜きにしてそう感じる。むしろ生物学的な直感としての理解だった。教祖の第一回公判から、何回か公判を傍聴してきた、ある時期から彼の姿からオーラが消えたのだ。それは、アーナンダとの師弟対決による公判を境にしてだった。.彼を語る時、この得体の知れない霊が宿っている時期の事を語らなければならない。不規則発言時代の教祖に、何も語る言葉を見いだせはしない。治りもしなかっただろう。詐病説もあるが、どちらにせよ、霊の息吹は彼の体内から過ぎ去ったのだ。.…それは何も麻原に限ったことではない。.ある初老の男性がそう重い口を開いた。そうした想いに取り憑かれる宗教者は今までにも世界に幾人か出てきたし、それは確かに数は少なくとも、みな終末という病に取り憑かれた連中で、多くが「教祖の病」だとも言い放った。.では、終末というものは、何なんです?.それは私にもわからんが….うまく聖書に忍び込ませた毒にしか見えないんですが。.その毒を敢えて残したっちゅーことだろうな….その老人との会話は、ここで終わる。.僕は、夢の中で、また再び麻原の亡霊と対峙しなければならなかった。時期はいつ…97年頃だったか、非常に強い思念があったのは。あと、2005年あたり。.夢の中の彼は、貫禄が衰えてはいなかった。それどころか、威圧的に僕の精神に挑んてきた。.少なくとも都市一つ壊滅くらいの出来事が起こせないと、「私の救済」がはじまらないんだよ….彼の救済の方向性が見えてこない….しかし、それでも粘り強く彼の思念は訴えかけてきた。一つの層そのものの消滅が魂の本質的供養となるのだ….それはつまり…?.人間界そのものを一旦閉じなければならない。それが私の使命だよ。.このようなやり取りがあった。その時期、僕は最も危険な精神状態だった。.元信者の人たち、並びにアレフに今もなお在籍している人たち、僕と同じような悪夢を体験しなかったかい?...取り憑かれるならば、せめて良い霊に取り憑かれたいものだ。..バッハに取り憑かれているGlenn GouldGlenn Gould-J.S. Bach-The Art of Fugue (HD).バッハに取り憑かれているJean RondeauBach: Harpsichord Concerto No.1 in D Minor BWV 1052 (Jean Rondeau: Dynastie)...Eili ...
2018年09月24日
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生きている時間というのは、本当に一瞬だと想う。そして真に大事なことも。確かに23年は長く感じたけど、一度思い起こせば、昨日のことのように鮮やかに思い出すしその地に訪れて、変わりゆく雰囲気、息吹に時の無常を感じてしまう.僕は自分の大切な時間は奪い取られぬように…しっかりと確保する。日常の仕事の世界では一切の過去を封印している僕だから、ここのブログは、言わば聖域…祈りの場となっている。コメントをくださる方々は、精霊。.朋友たちが亡くなった今、己もこの世界空間から旅立つ時が必ず訪れることを意識し、この生ある貴重な瞬間を大切に味わっていかなくてはいけないと思う。. とうとう、僕も貴方に取り組まなければいけない時が訪れたのかもしれません。.麻原とは何者だったのか….僕は、あなたに対しては、わりと正直に疑念も信仰も語っていたと思う。直接あなたに手紙を書いていた頃もあるし、それをアーナンダが知って、僕と教祖との縁の深さに感銘をうけていた時期もあった。ただ、取り巻きの高弟たちのきらびやかな言説だけが虚飾に色ぞられていて、正直僕は出家までしておきながらあなたのことがわからなかった。.みんな貴方のことを愛していたよ….なのに、なぜ貴方は、自分を求め帰依する子供のような弟子たちに対し、そんな仕打ちをするのだろうか…僕は理解できない…それが、そこが理解できない。.貴方の優秀な高弟たちは、誰一人受け止めきれなかったじゃないか…それは貴方の希望?願望だったか…それとも、これが貴方の言う、救済なのか.貴方は沈黙の中で、この世紀の事件を「救済」だと言い放った…では、何が救われているんだ。どこに喜んでいる幸せそうな顔がある?.今では貴方の可愛い娘たちも、悲鳴をあげ、世間から石を投げられるような空間で生きなくてはならなくなったのだよちゃんと、認識しているのですか.四女の震える声を聞きましたか…まるで、ここに存在してはいけない…とまで思いつめた一人の無垢な女性のことをあなたは自分の娘でありながら、彼女をそうした空間にまで、陥れたのですよ….貴方に恨みは、不思議と感じません…貴方の存在は、強烈すぎ、ため息しか出ない災害そのもののようです。.神にでもなっったかのような貴方の妄想は力強く、すべてを渦の中に引き寄せ沈没させていきました。...Eili ...
2018年09月24日
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死刑囚たちの内省…深く深く、太古の昔に存在していたであろう碧い意識の泉の中に.疲れ果て、横たわり、身を任せ、沈殿してゆく.まさに自分は死んだのだ…と心に留め捨ててしまった父や母のことを想うたくさんの語りかけてきてくれた友人たちを想う….自分は、とうとう旅立つのです.慚愧の念に堪えませんがもう長居はできそうもありません.君はそうつぶやき沈んでゆく...Eili ....捧げたい鎮魂歌Agnus Dei
2018年09月24日
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名前はこのブログで頑なに出したくはないんだけど…僕は、処女作「オウムからの帰還」が代表作で、その他にもいくつかあります。どこか隠れていたい…という想いが強く、プロフィールにも著作を載せていない。.雑誌や本という形にできたものもありますが、今ではほとんど見当たらなくなってきていると思います。.村上春樹さんから受けたインタビューでのやりとりが、彼の「約束された場所で」でいう本にあります。(※僕の章のあのタイトルは本当に嫌だ…)ここで、僕は地震占星術のワークの頃の話とかしていたと思うのですが、彼はその後、2000年2月ころ、「神の子どもたちはみな踊る」という短編小説を書かれています。.中野和典というかたが、「震災と信仰」という論考を書かれておりそれによると、僕との話は、この中のどこかにオマージュされて出てくるんです。この6つの短編における「かえるくん、東京を救う」の、かえるくん が恐らく僕のことだろう…と.ちょっと恥ずかしいんですが、さすが村上春樹さん…て思います。.僕がさかんに「ハルマゲドン」について語っていたのを、戸惑いながら受け止めて頂いてましたから…...Eili ...
2018年09月24日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~私は地下鉄サリン事件があった当時産まれていませんでした。こういう若い世代のためにも手記や本を出してほしかったです。.れーなさん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.はい。貴女のような方に伝えてゆく事が大切なことだと感じています。僕は、彼らの破壊されてしまった心を真の意味で「掬い取ってあげる」ことを目指しています。しかし、それは充分に注意深く、僕の握りしめる手の中でも傷がつかないように、ひっそりとして、でも辛抱強く続けていかなければならないのです。.僕ら元信者は、彼らと面会することが許されないのです。互いに思想的に感応し合う間柄なため、許されない…できないのだと言われてきました。豊田くんの弁護士の人には当時尽力していただきましたが、叶いませんでした。.僕は落ち込みましたが、女性の方であれば、唯一狭き道が存在していました。獄中結婚さえすれば、たとえ、アレフの人であろうと彼らに面会にゆくことが許されるのです。.土屋さん、新美さんなど獄中結婚されていた理由がおわかり頂けたでしょうか。このテーマに賭けるとき、自分の人生をもどこかで捧げなければならなくなるのです。.面会は不可能…それを真に受けた僕が馬鹿だった。支援者の方々とおあいして、僕は道があったことを知りました。.僕はアーナンダに直接手紙を出すことは許されないけれども、それは却下されてしまっただろうけれども、支援者の方々が、暗号を使ってまで、彼とコンタクトしたがっていた人の言葉を伝えようとまでしてくださっており、井上くんは手紙のやりとりのなかで、その第三者から傾けられる言葉を察知していたようなのです。.面会できるのは、たったの5人…そして時間はわずか20分.彼に許された人生の自由はこれだけだった。日本の死刑囚に与える自由度のなさは、先進国の中でも一層厳しいものだという実態がある。.だから僕は今、書き溜めていた彼への手紙を、どこ宛に出せばいいのかわからないんだ。2005年、2006年頃、僕は彼らに詩ばかりしたためている….出せなくなってしまった手紙、交わいたかった言葉がたくさんあるんだ。...Eili ...
2018年09月24日
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完全に純粋なものとなった君がやむなく悪をなすように強いられた時君はありったけの意志でその悪の強制を耐え忍ぶ.君の血管を通じて、悪の意志が注入された血液が流れ下るそれを君は瞳を閉じ、唇を強く噛み締めながら嵐が過ぎ去るのを待ちわびる乞食のような無力で無防備な姿のままじっとただこの悪夢が通過していくのを耐え忍ぶ.もうすでに、この時、君の死は約束されたものとなりその事実には、夢うつつな君は気づくことができないでいる.ただ体内をたしかに流れる熱い血潮が汚されてしまった赤黒い血が強烈な硫酸のような痛みを伴って自分の心臓を貫いたことを知るのだ….善なるものを魂に宿しその宝石を守ろうとしてもそれは君の手から滑り落ちてしまう.この強烈で致命的な血は、しかしやがて君の体内で、激しい苦痛を伴いながら変容してゆく.救済とは、今君の体内で生み出されている涙に解脱とは狭くじめついた暗灰色のコンクリートの中に沈み込んでゆく.その君の姿を見せつけられる僕もまたじめついた底の見えない悪夢にうなされながら時を止められる.そして執行されてしまった今もなお君が存在しない世界になったことを感じ取れない...Eili ...
2018年09月24日
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.主よ、わたしを平和の器とならせてください。憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを、分裂があるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤りがあるところに真理を、絶望があるところに希望を、闇あるところに光を、悲しみあるところに喜びを。.ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に。それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、自分のからだをささげて死ぬことによってとこしえの命を得ることができるからです。.フランシスコの平和の祈り...Eili .....
2018年09月23日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~死刑執行によって、一連の事件の被害者の方々の痛み、苦悩が安らぐとは思いませんが、批判も覚悟で思うのです。あの時、自分の心を信じ、麻原から逃げてしまえばよかったのに、サリンなんて撒かずに交番に駈け込めば良かったのに、と。.けいこさんからのコメント~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.多くの方が彼らに対しそのように逃れることはできなかったのか?…と疑問に抱いていることと思います。僕も当時そのような思いで見つめ、それが叶うような状況だったのだと、そこまで激しかったのだということを理解し、悶絶したのを思い出します。.過ちではあるに違いないけれども、彼らの理性が消し飛ぶほどの帰依の姿は、危険なほど無垢な、神話時代の人間の過ちであるように感じます。彼らは、怖れ抱きながらも麻原を愛していたのです。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「神への愛」と「不幸」は相関関係に在る。一切の社会的威信を剥奪され、自己自身が問われるという局面になければ、私達の眼差しは神ではなく自我へと向かってしまう。だが、逆説的にも、必然性に釘付けになり、その場を離れることができない不幸において、自らの内なる恐怖や不安でがんじがらめにならざるを得ないはずの状況にあって、この恐怖や不安から距離を取り、自己以外のものに自己の眼差しが向かうならば、逃れられない必然性の真中にあって、必然性への従順に置いて、私達は生の充溢を得るのである。.『シモーヌ・ヴェイユの詩学』/今村純子~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.解脱や悟りを求道してしまう心が一際強かった彼らにとって、いわば麻原は神の如き存在であり(※教祖自身がとうとうと語りだす説法が存在する)、そしてさらに一線を超えてしまった彼らが、次なる一線をも簡単に超えていってしまう様は、まさに異様なほど深い奈落の底におちていくようで、すでに「手遅れ」な状態は、93年ころから生じていたのかもしれないと感じています。.井上くんが、手記の中で「…そこまでしないと行けないのか」とつぶやくシーンが出てきます。そして彼が唯一できなかった事は「この恐怖や不安から距離を取ること」ができなかったのです。.この不幸を嘆くしかない時期がありましたが、彼が数限られた支援者との交流において、言葉のやり取りを、何よりも大切に聖なるもののように交わしている姿があり、心打たれるものがあります。そう、「死」をまえにして「生」を感じてならなくなってくるのです。...Eili ....御射鹿池.
2018年09月23日
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井上くんの存在に関して着目していること…すなわち、一度生を与えられ(取り戻し)、次にそれを打ち消されたこと。これは13人の死刑囚の中で彼一人の体験だった。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ハイデッガーの「真理」と同じく、「謎」もまた単独では存在しない。何かが二度繰り返されるときはじめて、「謎」は生成する。「謎」が「謎」となるためには、二度何かが指示されることが必要だ。「ア・レーティア」と同じように、一度目は示すために、二度目はそれを取り消すために。その時、人は「それは何か?」という問いを発せずにはいられなくなる。.『他者と死者』/内田樹~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.ラカンはこれを、単なる博打に例え、確率論的に論証して見せている。そう、井上くんは、裁判において2回続けて勝たなければ「生」を勝ち得なかったことになる。当初から限りなく死刑に近いグレーゾーンであった彼は、死刑と無期懲役の間で確立50%付近で揺れる危うい状況だった。これが2回続いたわけだから、一審で無期懲役の彼が二審で同じ刑量を勝ち得るには、最大でも25%の確率での攻防だった。.これは支援者の思いとは別です。僕自身との思いとも。しかし、ここに真理が隠されていることも暗示していました。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~真理は存在者から常にまず戦い取らなければならない。存在者が秘匿性から引き離されるのである。その時どきの現実的な被暴露性は、いわばつねに一つの略奪なのである。.『存在と時間』/ハイデッガー~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.内田樹さんはこれを「真理」の語源から以下のように説明している。 真理が顕現するためにはふたつの身振りが必要だと、それはすなわち「忘れること」(レーティア)、そして次に「打ち消すこと」(ア).そして僕らが、彼の死の意味を問いかけざるを得ない時、ラカンであればこういうだろう。それは即ち「象徴界」に足を踏み入れているのだと。.僕がここで、彼の死を単純に悼むだけではなく、まさにオウム事件の深層を解く象徴的存在として、彼が在る事を受け止めるのはそのような理由となる。...Eili ...
2018年09月23日
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この13人の死刑執行について、彼らの犯した大罪とそれに対する罰、そして23年間に渡る生き地獄と言えるほどの苦難のほどは、それが例え自業自得の事であるとは言え、悔い改める機会を得て、純化してゆく姿に「生きて償う」ことは叶わなかったのか…という淡い期待が無念に砕かれる想いにさせられる。そして彼らを自分のこととしてどうしても見てしまう僕は、ここにしか突破口はないように感じている。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~『あなた達は、これらのガラリア人たちがこうした事を蒙ったために、他のすべてのガラリア人たちよりも一層罪人であると考えるか。…シロアムの塔が倒れて命を落としたあの18人の者たちだが、あなたたちは、彼らがエルサレムに住むすべての人達よりも一層負い目あるものたちだったと考えるか。そうではない。私はあなた達に言う。むしろあなた達も悔い改めなければ、皆そのように滅びるだろう』.(ルカ13・1-5)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.これは曰く付きの福音であり、青野太潮さんの解釈によれば、これはイエスそのものの言葉ではなく、ルカの解釈の介在した言葉だと分析されている。.繊細なので、この部分の意味するところを汲み取ると、「悔い改め」のモチーフが「ゆるし」の条件となり、この言葉を拡大し、そうせねば災いが我々すべてに降り注ぐのだと暗示するかのような言説となっている。.これはイエスの唱えていた「神の無条件の赦し」の姿ではないのだというのが、この分析だ。とはいえ、このルカの言葉を聞き及んだ、宗教心の芽生えた人たちは、これを自分に向けられた言葉として、訓戒とするだろう。.この微妙な解釈の取り違えは、むしろ「その誤解」のほうが、社会的制裁を与える法的立場としては叶ったものとなっている。これで、彼ら罪人を晒し、裁くことで、はみ出すものを出させない効果を期待できるからだ。.しかし、一方で、オウムの唱えていたようなカルマ論、為したことが返ってくるのだとする言説に、教団で愛のある人間性が欠落してく様をまざまざと見てきた僕にとって、「悪いことしたから裁かれるのだ」とする教訓は、いかにも幼稚で底の浅い見解となる。.むしろ、僕がここで得た教訓は、すべての人に罪があり、その事に気づけないまま過ごしている無防備さに怖れを抱くようになったことだ。...Eili ...
2018年09月23日
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.ハルマゲドンに関しては、重く沈鬱な世紀をまたいだ罠…仕掛けだと僕は感じている。.この年(95年)、この事件の前に、阪神淡路大震災が起こっている。この時の事も僕は脳裏に焼き付いている。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、6000人を越す人々が生命を奪われ、何十万人もの人たちが家屋を破壊された。…我々は、被災された人たちが一日も早く立ち直れるようにと、神に祈っている。しかし、どこかおかしいのではないか。我々は被災された人たちのために神に祈っているのだが、実はこの地震を起こしたのは、他ならぬその神自身ではないのか。.苦難と救済 神義論 青野太潮.『聖書の思想と現代』荒井献~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.善悪と、神と悪魔、苦難と救済は、いつの時代もセットで語られることが多い。そしてこの全く相反する事柄が、あまりに近接している点で畏怖を感じさせ、物事の理解を阻んでいる気さえする。特に「悔い改め」を叫ぶ宗教家の間では、災難のすべてがそのように受け止められる事が多い。.この日、僕は9日前の、占星術予言のワークで、神戸震災を言い当てた経緯があり、教祖に直々に呼び出されていた。麻原は、この時、「でかした」と言い、妙にはしゃいでいた様子を記憶している。そして「とうとう、神の怒りが炸裂したね…」と村井氏に語りかけるシーンが続く。第六サティアン1Fでの出来事だ。.実は僕は、オウム事件後、『ヨブ記』を改めて、自分にふりかかった出来事のように受け止めている。.神が災いを求めたとしたら、それは神なのか?それでも神は義なる存在なのか?という神義論に関して、僕は深くヨブに心を寄せている。そしてその苦悩と、ヨブのへりくだった応えにどうしようもない敗北感を感じるのだ。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~神が義なる存在であることに疑義を抱き、神に抗議するヨブに与えられた神からの回答は、次のようなものであった。「無知の言葉をもって神のはかりごと暗くするこの者は誰か。私はあなたに尋ねる、私に答えよ。.わたしが地の基を据えた時、あなたはどこにいたのか。もしあなたが知っているのなら言え。...あなたは海の源に行ったことがあるのか。淵の底を歩いたことがあるのか。死の門はあなたのために開かれたのか。あなたは暗黒の門を見たことがあるのか。もしこれをことごとく知っているならば言え。」(ヨブ38・2-18).そしてヨブは最終的にこう神に答える。「私は知ります。あなたはすべての事をなすことができ、またいかなることおぼしめしでもあなたにできないことはないことを。『無知の言葉をもって神のはかりごと暗くするこの者は誰か』それゆえ、私は自ら悟らないことを言い、みずから知らない、測り難いことを述べました。それでわたしは自ら恨み、ちり灰の中で悔います。」(ヨブ42・2-6).苦難と救済 神義論 青野太潮.『聖書の思想と現代』荒井献~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.聖書で語られるこのエピソードをじっくり読みこみ、僕はアーナンダ(井上嘉浩)の置かれた状況を重ねている。これは言わばヨブの神への絶対帰依の様子を物語ったものである。.聖書でさえ、アーナンダの悲劇を救い出すことはできていないのだ。...Eili ...
2018年09月23日
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聞きたいことがまだまだ山程あった。でも、もう聞くことができない。.井上くんにとって、豊田くんはどういう存在だったのか…そして豊田くんは、死刑判決の際、一審で無期懲役を勝ち取った井上くんとの境遇の差を、どう感じたのか…僕は二人を分かつ判決を耳にした時、その瞬間ほど心が乱されたことはなかった。.僕は井上くんの一審判決に、安堵することはできなかった。それは豊田くんが、死刑に決まったからだ。.教団の生活では圧倒的に井上くんのほうが長く、ステージにおいて一旦は愛師長まで落ちる彼だが、信頼おける人物として彼を捉えていたのは事実で、立場が上だった。僕も豊田くんも井上くんのことは非常に尊敬していたし、でも豊田くんと僕とでは、境遇が天と地ほど違うのだ。その後、教団や教祖への失望と間違いを認識するに至る際に、朋友たちへの朋友たち自身の感情はどういうものになるのか…それが知りたかった。.そうした実情でありながら、あまりに短期間で急激な任務に就かされてしまった豊田くんが、実質的実行犯で死刑になったのだ。これを井上くんが、どのように感じたのか、そこに想いはせてしまう。.これは二人共に、とうとう聞くことができなかった問いであり、何度も頭の中で問いかけた。.豊田くんは、井上くんのことを呪ってしまうだろうか…井上くんは、豊田くんに対し、巻き込んでしまった事への責任を痛感しているのだろうか…そして、もし彼らの中に僕も混じっていたとしたら、僕は、この裁判で彼らの事をどのように感じるだろうか….95年2月、3月、4月、5月は、一日一日が、一瞬一瞬がなんと忙しなく、目まぐるしく、渦の中で激しくうごめいて自分自身も翻弄されていたかしれない。そして報道で注目されるほとんどの信者が知り合いである僕にとって、気が気でなかった。それぞれの立場が必死にあがきながら一点、この行いが、真に間違いのない救済であればいいと願った事だろうと思う。.しかし、それは彼らの儚い期待が、砕け散り、まるで意味のないただの無益な犯罪にまで落とされるのに、時間はかからなかった。ただ個人個人の心の中で、観念するまでの時間の差異はあっただろう。.井上くんなどは、当時、世間では最後まで口を割らないだろう…とまで言われていた。.世間に与えていた彼のイメージは、当時「世界で最も危険な男」だった。執行は20日ずれている。.これについても実は胸騒ぎが収まらなかった。僕は立て続けに、豊田くんに手紙を出していたのだが、その返信を待たずに執行されてしまったのだから….豊田くんは、7月6日から26日までの期間をどのような心境で過ごしていたのか…死期を悟り、静かに準備を始める彼の姿は思い浮かぶのだが、そのこころに何が去来していたのかは、とうとう誰にもわからず仕舞いだった。.漏れ伝えられる情報では、この時期から、筆記用具を取り上げられたとのこと。自殺などされないように拘置所では、残る6人の監視を強化し、不測の事態が起こらぬように厳戒態勢にはいっていたという。...Eili ...彼に聴かせてあげたい音楽Vivaldi : il Giustino, "Vedro con mio diletto" par Jakub Józef Orliński (contre-ténor)
2018年09月23日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~なにかの幸福のためではなく、必然に迫られて、何かに引かれてというのではなく、無理にも押しやられて、今あるがままに自分の生存を保ち続けるために、努力すること、それは常に奴隷であるということだ。この意味で、肉体労働者が奴隷であるということは、どうしようもない事実である。.究極の目的なしの努力。それはおそろしい。あるいは、何よりも美しい、もしそれが、終わりなく決定的なものであるとすれば。美しいものだけが、今あるものに満ち足りた思いを覚えさせてくれるのである。.労働者たちは、パンよりも詩を必要とする。その生活が詩になることを必要としている。永遠からさしこむ光を必要としているのである。.ただ宗教だけが、この詩の源泉となることができる。宗教ではなく、革命こそが、民衆のアヘンである。この詩が奪われていることこそ、あらゆる形での道徳的退廃の理由だといっていい。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.信仰の奴隷状態から解放された今、僕の生活は別の意味で奴隷状態であることに気付かされる。こんなにも大切な体験であるのにも関わらず、生活のためとして、普段の生活を続けた2ヶ月が苦痛でならなかった。納期にばかり追われる日々。周りを見渡すと、僕の職場の人はみなそのような人たちばかり。そう、忘れさせてくれていれば、そうした生活もありだったのだろう。シモーヌの言うような奴隷状態であることを気づかずに生きることだってできたはずだ。しかし、僕は、パンよりも詩を必要としていて、その渇望が現れると、ここにひっそりと訪れて、詩をしたためるのだ。しかしそのような時は、日常生活は、正直難しくなる。.思索が始まると、精神世界は充足していき、身体世界は退廃していく。このジレンマをどう克服していくが悩ましい。.井上嘉浩くんが獄中で900を超える詩を綴っている。これについても、少しづつ触れていきたいと思っています。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~被害者の方々に一体、何ができるか。毎日、毎日考え抜いています。そのひとつの私の理解はいきつくところ、私のような誤ちをこれからの若い人が犯さないように、赤裸々に語ることであり、それは裁判では、はっきりいって不可能に近いです。あまりにも制約があることを、この一年で理解しました。. 自分のための努力は、なまけてしまう。 でも誰かのためにと思う時、人は自分を超えた力が自分にわいてくる。 この時、人は充実すると思う。.鳥達の声も、人間の声も、空なる響きには異ならない。あらゆる声の慈悲を知りつつ内においては、不動の空に宿ること、それこそ空と空の中間の悟りなり。 平成11年5月14日 井上嘉浩~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.彼の事を語るのは、ビリビリした感覚がある。とにかく彼は僕に、「君もすべてをさらけ出して無になれ…」と言われている気がするからだ。.彼の「奴隷」状態からの開放は奇しくも獄中で訪れ、身体は拘束状態でありながら、精神は自由を勝ち得てきます。この時の彼の精神に触れることは、とても重要なことだと感じています。.彼が一貫して注力する課題は、どれもが不可能と思われる事柄ばかりであり、その点で彼は特異な存在です。そして彼がそれでもなお、懸命に挫けず目指していく姿に、とんでもない生命力を感じています。これはどうしようもない間違いを犯すことがなければ、反対にとんでもない希望を人々に与えたことだろうと僕は思うのです。.彼の人間性における不完全さも、度々指摘を受けてきたけれども、それも本当にリアリティがあり、そうした心の弱さの表現をようやく見ることができた僕は、彼の人となりについて、深く理解できるようになっていきました。この点、無様に見える姿は、自分自身の姿としても捉えることができ、周囲の批判を受けている最中は僕自身も世間にこっぴどく叱られているような感覚がありました。.何かに帰依すること…それがこんなにも危険な事だとは。...Eili ...
2018年09月22日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~精神がぶちあたる様々な矛盾、矛盾だけが現実の姿であり、現実性の基準だ。想像上のものの中には矛盾はない。矛盾は、必然であるかどうかをみるためのものである。.存在の奥深くにまで味わいつくされた矛盾は、人を引き裂く。それが十字架である。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.想像上の麻原は、美しく気高かく着飾っていた。しかし、これが一度現実の姿としてたち現れると、その姿は畏怖というよりも怪物を見た時の恐怖を思わせていた。それを垣間見た信者はわずかであり、ほとんどが実行犯、そして裁かれ、逝った。.この矛盾の程度は様々で、人によっては、矛盾を見いだせぬまま、その幻想に寄りすがっているものが今でも存在している。アレフの人たちだ。今僕は、彼らに語りかける言葉を持ち合わせていない。彼らは、果たして、自分の内面に生じてくる矛盾を受け止め、向き合うことができたのだろうか….僕の今着眼している人たちは、この12人。矛盾から逃れることのできなくなった人たちだ。ここまで貫いてついに、踏み外される踏み板を体験して、なお、信を問い続けた彼らの行末がどのようなものなのかを追いかけているのだ。それは必然だったのだろうか….~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~何ものかにじっと注意をこらしていると、そこに矛盾があらわになってくるが、そのときなにかに引き剥がされるような作用が働く。こういう方向をじっと耐え忍んでいれば、やがて執着から離れることができる。.互いに相反するものの相関関係を表しだすことができれば、互いに矛盾するものの超越的な相関関係を映し出すイメージとなる。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.僕らは学ばなければならない。僕の人生の軌跡とアーナンダ(井上嘉浩)や豊田亨君の人生の軌跡を今、重ね合わせてみて、訴えかけてくるものがある。.宗教は最後、信仰という行いすら消えてゆくようなものになり、自然へと回帰してゆくようなものに変貌してゆく。その時に、うごめいていた精神の形跡は、形象として身体にフォルムとして刻まれ、まるでひとつの彫刻品のように人の顔の皺に刻み込まれてゆくものではないかと感じる。.どんな人も霊的な意味で、不可知な存在の意志の影響を多少なりとも受けているものだ。僕はそのような影響を否定しないし、避けてもいない。人は死を恐れるが、確実に誰にでも訪れるものとして必然なものであることが事実としてある。オウムはそれを最大限に誇張し、それを武器にして、信者の人生を奪い取っていった。.彼らが生涯を通じて問いかけていたであろう事柄がある。それは「真の善」とはいかなるものか?というものだ。これは信者の中で2層3層に別れている。教祖は、第一段階第二段階の信を否定はしていなかったのだ。その第一層、第二層の信について、手遅れだと説いたのである。この2つの段階の教えに関しては、一般的な感性を持ち合わせた「善き人」たちにとって、難儀なものではなく、多少難しくともそれは戒律による徹底性くらいなもので、精神的ストレスよりも宗教的快感のほうが満たされる類の教えだった。.問題は、この第三段階目の教えというのが、大いなる問題を孕んだものであり、なぜにこの課題に関して、解き明かされていないのか不思議でならないものであり、世間一般的、社会的な悪でしかないものを、何故にうやうやしく、「救済」と称しうるのかという点だ。この点に関しては、ジャーナリストの視点では踏み込めない世界があり、これを宗教的境地として是認しうるのかどうかを問いかけて対峙した見解は、ついぞ、この23年間目にすることはなかった。.この点に関しては、シモーヌ・ヴェイユですら、以下のような見解で、煙に巻いた印象を受ける。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~真の善ならどんなものでも、互いに矛盾する諸条件を含んでいる。だから、それは不可能なのである。この不可能であるということに注意を真に注ぎ続け、行動する人は、善を行うことができる。同じように、あらゆる真理には矛盾が含まれている。矛盾はピラミッドの頂点である。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.なぜに、義人ヨブはあのような仕打ちを神から受けなければならなかったのか…なぜに、イエスは、十字架にかけられなければならなかったのか…...Eili ...
2018年09月22日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~奴隷は主人に従うものであり、市民は法に従うものである。見方を変えれば、主人がたいへんやさしいこともあり、法が大変過酷なこともある。だが、そんなことで何一つ事態は変わらない。気まぐれと規則との間に隔たりがあるという点に、すべてが胚胎している。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.オウムをやっていた時期の、どうしようもない悩み。元信者だった人たちは記憶があるだろう。自分の信仰と教祖の過激な説法との間に乖離していく信仰心というものが悲鳴をあげて引き裂かれてゆくような感覚。そしてあまりの苦痛に痛みを忘れて意識を失ってしまった人たちが、実行犯となった先達信者達だ。.「自分には、所詮無理だった…あの人達と同じようにはなれなかった…」.多くの脱会信者の方々と話し、その際に吐露される心情は素直な「信仰敗北宣言」であったが、彼らのほうが、社会的には受け入れられる存在となったことは言うまでもない。.教訓としては、それこそが、大事なものだったのだ。それこそが失われぬ自然の意志だった。.僕も確かにそうだろう。しかし、遠藤周作の「沈黙」に登場する、キチジロウのように、僕は何度も、その「信仰」のあり方を反芻し、聖なるものの存在を否定しきれない心情が存在している。.だから、あそこまでおぞましいものを見せつけられてなお、「神」を見つめるような視点を、この時空間に見出そうとしてきた。これは表現できるものではない。そして「神などいない」と言ってしまうことは、楽だ。しかし、なぜに人々がこの不可知で崇高な精神を作り上げ崇高な眼差しを古来から向けてしまうのか、その疑問は残るのだ。仏教でもキリスト教でも、そんなものはどちらでもよいし、どちらでなくてもよいのだ。.ここに形而上学的な、存在と時間の仕組みがたなびいているのだという予感があり、それは現在では量子力学的なそれであるし、存在の苦悩と意義といった両極端なものを同時に持たせられている感覚。このじれったいような感覚が、何か心の底で無言でうごいめいている。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~気まぐれに従うのが、どうして奴隷的な屈従になるだろうか。その最終的な原因は、たましいと時間との関係に存する。他人の気ままに従う人は、時間の流れの上で一時停止を命じられている。次の瞬間には、何がもたらされるかを待っている。(何よりも屈辱的な状況で…)。この人は、自分の時間すらも自由にはできない。現在はこの人にとって、もう未来の方へと重みをかけて行けるような梃子ではないのだ。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.全くシモーヌ・ヴェイユは、井上嘉浩君の人生を見ていたのであろうか…いや恐らく、この哲学的洞察は、普遍的な視点によるものなのだろう。僕らが信仰によるもよらざるも、なべて思考を放り投げて成されてしまう行為の殆どが、如何にギャンブル的で無力なものであるかを知らしめている。そしてどんなに注意深い人でも、この見えざる未来に関して、不明瞭な情報に基づく、拙い判断で選択を迫られる事がある。.豊田亨君の事を思い出す。.彼は、生前出家前、周りの友人達が車の運転免許を取る中で、一人それを拒否していたそうだ。「車の運転をするということは、自分が不慮の事故を犯してしまう危険性が生じてしまうため」と、その慎重さを失わない若者だった。.教祖の悪魔的な意志は、彼のような若者でも、回避できないほどの、気まぐれな意志だった。...Eili ...
2018年09月22日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~人間は、行動とその結果、努力と成果とのあいだに自分のあずかり知らぬ意志が介在している限りは、奴隷である。この事実は、今日では、奴隷にも、その主人に当たる者にも、当てはまる。まず、滅多に、人間は、自分の活動の条件にじかに面と向かい合うことはない。社会が、自然と人間との間に立ちはだかっている。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.マハームドラー(※)を果たして回避できたのか?というテーゼに対して、アーナンダ(井上嘉浩)は、熟考吟味している。その苦悩は23年間途切れることはなかっただろう。そして正直に告白している言葉がある。.「当時の私にとって、少なくともそれは不可能だった…」と.この言葉の重みは、実行犯で処刑された12人の弟子達にしかわかり得ぬ響きがある。他人から見て、奴隷、もしくは完全な主従関係化に置かれた使命(ミッション)に関して、有無を言わさぬ響きがあったことを恐らく誰も想像できはしない。.次第に、現世でのあらゆる法規的基準に反駁しはじめる教祖の指示を、宗教的命題として捉えるしかないところまで追い込まれていた彼らにとって、その信の揺らぎは、即座に宗教的・精神的な死を意味するものであり、その恐怖が彼らを縛り付けていた。.※オウムでは、グルの意志がいかに荒唐無稽、無理難題なものであったとしても、それを自分の汚れた煩悩的カルマを落とす意図があるものとし「グルからの愛のある修行」とされていた、更には、この汚れた世界そのものの浄化・救済という深淵すぎる意図の上でなされるものだという教えがなされていた。当然過酷なものになるために、これをこなせる信者は厳選されており、現世に完全に未練をなくし、聖なる行いのみ従事できるもの達を、教祖は育てあげていた。.「自分のあずかり知らぬ意志」に対して、無防備だった。それは当時の信者すべてがそうだったと同時に、その構造自体は、こちらの世界でも本質的には何も変わってはいないのだということを僕は脱会後知った。.ただ出会うべき意志の過激さに置いて、あそこまでの経験は、することはないだろうし、心の底から御免こうむりたいと願うのだが、果たしてこの世界からあのようなおぞましい意志がなくなったと言えるのかというと、それは疑わしい。.結果的に、その禍々しい意志は、教祖の体内から無様に消えてゆく…公判を通じて僕自身が観察し続けた教祖の体内の毒は、理解不能なおぞましいものから、浅ましい狂言者のそれに変貌していくわけだが、それを実行犯は、眼の前で見続けていかなければいけなかった。.シモーヌ・ヴェイユは、こうも述べている。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~人間にではなく、自然にじかに面と向かいあうことが、かけがえのない学習になる。自分に預かり知らぬ意志に従属するのが、奴隷になるということである。ところで、これがすべての人間の運命なのだ。奴隷は、主人に従属しており、主人は奴隷に従属している。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.人生の縮図である。僕は、ここに自分を含め、地球上に存在する、社会的生活をするすべての人々の、どうしようもない柵といったものを感じずにはおれない。...Eili ...
2018年09月22日
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ここ数週間は、様々な思索が訪れるが、苦悩も多いけれども間違いなく精神的には充実しており、同時に一つの場所に留まるよりも様々な地に訪れ、滅多に遭うことのない人達との言葉の交流で刺激を受けることが多い。手紙を書いても返事をもらえないような事があるなか、それでも、何らかの反応だけは確かに受信することができ、それをどのように受け止め自分のものにするかは、すべて今の自分の心の成熟度合いだと言える。.僕はここ十年間近く、仕事をしすぎた。仕事に埋没しすぎた。現世で地に足をつけた生活の重要性を認識しながらも、どこかに大切な体験を落とし込む場所が必要だったのだ。今はちょっと仕事ができるような状態ではなく、休みを頂いているが、それは今自分に必要な時だと思っている。これを僕は「逃げ」とは思わない。むしろ7月の体験を通じてなお、何事もなかったかのように普段どおりに日常生活を送ることのほうが、重要な何かを取りこぼしてしまっているかのような感覚が強い。.創造の環境は、熟成させるべき水と空気が適度に揃っていなければならず、その空間でないと形にならないものがある。.先々週は京都嵐山や太秦や山科にずっとおり、先週はずっと蓼科高原に訪れ散策していた。パソコンなどは持ち合わせていなかったので、記事にしてはいないのだが、こうした生活の中での軌跡は間違いなく自分の精神活動や思索に少なからず影響を与えており、何よりも、気分を変えることができずに苦悩していたのだが、蓼科高原に訪れることで、一気に心が洗われていくのを感じることができた。.朝になると、宿泊したペンションの庭先に、シジュウカラやウソ、山鳩などがひまわりの種を求めてやってきていた。チュンチュンとどこからともなくやってくる野鳥の生活に、いろいろ感じるものもあった。.シジュウカラにとって山鳩は、その大きな体に圧倒されそうなものを、彼らは仲良く餌を口にしている。この光景が、どことなく異様なのは、生物界の多くが、自分の縄張りを主張し、体の大きなものは、それだけで威張り、小さな生物を蹴散らし食い物を独り占めすることのほうが多いなかで、鳩だけは、そうした傾向を示さないという事実だった。.他の種を追い出したりしない。そしてそれを知っているから、小鳥たちは、一瞬は山鳩に驚きながらも、また戻ってきて、山鳩の隣で餌を突っつくのである。.昨日一昨日と、白駒の池の苔むした森林の中で森林浴を楽しんでいた。.言葉は必要ない美しさがあった。もののけの森という場所があり、まさに「もののけ姫」の森の舞台でもあるんだけど、むしろ僕はナウシカの腐海を想起してしまった。.....Eili ...
2018年09月15日
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人生の意味や宇宙の存在を確認したいという切実な渇望は、当時どうしてそのような想いが生じるのか自分でも不思議だった。しかし、それが「生」を実感するために必要不可欠な精神探求の要素となっていたことだけは確かだった。僕は自分のこの想いを真に追求してゆくためには、その当時自分の持てるものすべてを捨て去らないといけない…というところまで追い込んでいた。そして、そこまでするからには、本物に出会えるはずだ、というのが当時の僕自身の考えだった。.それは若い頃の初な思い出でくくられるものではなく、オウムに出家し様々な出会いがあり、彼らが大罪を犯し、裁かれ、死刑になり、刑が執行された今、そこにあれほど近くまで近づいた自分が見て感じてきたことを改めて、再考する価値があるのではないかと感じており、思索を再開することになった所以でもある。.この23年間に、それぞれのブログやコメントに僕の語り落としてきた言葉を汲み取って下さった方々が多数いらっしゃる。彼らの精神と交流しよう。そして、相対化させていこう。すでにし終わっているものもあるが、改めて言葉にしてみよう。オウムを切り口にして、人生の意味や宇宙の存在を確かめる事ができるかもしれない。同じように悩み苦しんでいる人がいたとしたら、僕はそうした人たちとなんの別け隔てもなく言葉を交わしてみたい。.都会を離れて仙人のように暮らしていらっしゃっている寝太郎さんは、僕にとって理想的な、ともすると自分もそうした生活を選びかねない人物で、お会いしたことも語り合ったこともない人だが、交錯する言葉が存在する。.◆寝太郎さんのブログhttp://mainennetaro.blog.fc2.com/blog-entry-626.html.虚しさ、意味の欠如、自分の存在が偶然であるという感覚 ―『日本社会がオウムを生んだ』を読んで .「意味の欠如」に関して.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~世の中、「虚しい」とこぼす人は多いが、僕はいつも、どんな種類の「意味の欠如」であるかに注意している。.寝太郎~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.彼は僕が、その欠乏感を満たそうとして、ひとつの具体的な答えとして、宗教に出会ったのだと分析している。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~宇宙規模の物語を提供してくれて、なおかつ日常的にその物語と共にあることができるような環境、空間、集団をも提供してくれる、つまり宗教というものがあったのだと思う。寝太郎~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.この感覚を得るために、僕は、文学、芸術、科学、精神世界と旅をしていたわけなのだが、そのどれもが今持って血肉となっているし、当時その流れで宗教に出会うことも必然だったと思う。そして、それが仏教文化であり、かつ、輪廻思想に出会った時、僕は初めて飛躍的に自分の意識が宇宙規模で開花したことを感じたのだ。そしてこれはキリスト教文化の話と必ずしも反駁するものでもない。.輪廻思想について、意識を傾けたことが希薄な方々は、人生と世界と宇宙のつらなりについて、とてももったいない事をしていると思う。僕はこの思想について多くを語ってこなかったが、この「とんでも」話についてと、「とんでもないとは思わない感覚」については語るべきではない領域かもしれないと思い、あまり触れてこなかったのだ。.第一、この領域については科学的ではないし、そうした根拠に基づいて語り落とす次元の話ではなく、かといって精神世界や宗教に接している人たちにとっては、あまりにも代表的な思想でもあり、今更敢えて述べるほどの神秘的なものではなく、またオウムの教団自体が述べていた事を考えると、脱会後よく「まだ抜けきってないのね」と残念がる人たちの言葉も聞いており、この繊細な領域の宇宙観については、語ることをやめたのである。.しかし、本当の理由はもっと奥が深いものだった。輪廻は語れば語るほど、意図したものから離れてしまう類の性質を帯びていると気づいたからだ。カルマについても、そうだ。.ある人に、「ついていけない」と言われた話の多くが、探求の根幹をなす不思議な体験の数々であり、それはどのような表現を持ってしてもその人を納得はさせないだろう。僕はその点において、必死になって理解してもらうことを求めない…これは、たぶんに個人的精神的な領域の話であり、説明できる言葉をもたないからだ。.しかし、できれば、香りのようなものだけは置いていきたい、そう願っているのだ。.無意識に至るまで注意深くならざるを得ない、生の区間の秘密に気づいてしまったかのような感覚、それが仏教には確かに存在していた。釈迦から学びうることでこれだけ明晰に問われていることがあるというのに、オウムで体験させられたことは、あまりにも逆説的なことだった。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~意味は原理的に充足可能かという問いに戻れば、思うに、意味の喪失というのは、あれがない、これがない、というようなものではなく、人間の特性上、なんのきっかけもなくても生ずるものである。なぜなら、人間はただ生きているだけではなく、生きていることを知ることができるゆえに、いかなる意味の外にも―宇宙だろうと―出ることができる、というか、出てしまう生き物だからだ。だから、意味というのは、ある日突然、蛇が丸呑みして運び去ってしまうようなものだ、という形容が一番適切だと思う。.寝太郎~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.ちなみに、今自分が、意味の喪失感のような虚空の中にはいないのが救いだ。あの感覚が、どのようにして僕の周りから消えていったのかわからない。ただ、あれはまるで大気の中の酸素のようなもので、僕は当時、精神的な酸欠状態で、窒息寸前だったのだ。.それを回避したのは、事件後の僕自身の、本能的な行動の軌跡によるものだと感じている。...Eili ...
2018年09月15日
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語り得ぬものを語るべきではない…彼の寂しさは極限であろうが、言葉にすることはやはりできないEili ...
2018年09月10日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ご存じのように豊田君は,徹底的に沈黙を貫いていました。 「語る資格がない」被害者の方々や遺族の方々の無念の気持ちを察し, 自らを断罪し,そして沈黙を貫いたのだと思います。 とうか さんの言葉~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~まさにそのとおりだと思います。そして、豊田くんの沈黙には、僕は溺死しそうでした。..94年10月頃だったと思います。僕は彼のそばにいました。.数ヶ月ほどの短い期間ですが豊田くんの運転手のワークに任命されており、彼との接点は他の信者よりも多いのです。それでいて重要なことを何一つ知りえない僕の境遇と彼の境遇には、同じ時、同じ場所にいながら大きな違いがありました。.在家時代の柔らかな面持ちの彼を知るだけに、出家後の頑なな表情に、余裕は一切見られませんでした。物静かで優しげで控えめで少し恥ずかしがりやな雰囲気のする方でした.その変貌が不思議でならず、いつも気になって仕方のない方でした。彼が暗くなってしまったのか、それとも教団が過酷なのか、あるいは、何かを気に病む事柄が存在するのか….その後、天と地ほどもかけ離れてしまう運命の采配に、僕は文字通り、雷に打たれたような感じでした。...豊田くんと僕は当時、車中で以下のような濃密なやりとりをしています。..私 「で、ヴァジラパーニ師長は、この現象…これをどう見ているんですか?」豊田「この現象って?」私 「今の教団のこうしたヴァジラヤーナ的な雰囲気のことです…」私 「多分に無謀なもので、危険な香りを感じずにはおれないです、実際のところ」豊田「…」(考え込む)豊田「○○さん、ちょっとよろしいですか…」(考え込む)豊田「…これは、グルにあるときに言われた事があるのですが…」豊田「私もその点に関しては、尋ねた事があります」豊田「私の拙い頭では、理解に及びません、と」豊田「正直に申しました」私 「そしたら、なんです…」豊田「…救済には、多くの犠牲が伴うと」私 「…救済には、多くの犠牲が伴う…?」豊田「衆生済度というものは、非常に難しく険しいものなのだ…とも」私 「でも、仮に魂を引き上げるためだったとしても、ポアというのは、どうなんですか、ヴァジラヤーナ教学の…」豊田「一般には理解できない領域の話です…」私 「じゃあ、仮にですよ、師長はヴァジラヤーナを実践できるんですか?」豊田「…」(考え込む)豊田「…先程も申しましたが、時代はいいですか、カーリ・ユガに突入しているという認識はいいですか?」私 「はい、それは…そのように聞いていますし、私だってこの世界はカーリ・ユガなんだろうな…と想います」私 「それは、そう感じますけれども…」豊田「…」豊田「たった一人の聖者が滅ぼされようとしている時、その命は多くの衆生に勝るのだ…と」私 「…?」私 「一人に対して、大多数…と、そういう意味ですか?」豊田「…これは、私自身今でさえ、捉えきれない教えですが、これは…真理なのだと」豊田「…それだけ、汚れきってしまっているのだと。今の世は…」私 「でも、そんな話は聞いたことないです。説法で…?」豊田「…これは秘儀とされています。集められた一部の者達にしか説かれていない教えです。探せばどこかに出てくるものかも知れませんが、○○さんは直接聞いたことがないものなので、当然知りえない事でしょうが…」私 「でも、そうした秘儀の一部であるはずのヴァジラヤーナが、教学もままならない、成就もしていない一般サマナにまで先日説かれたていうことですよね?あの配布されたヴァジラヤーナ決意…」私 「こんなの…実践できる人いるんですか。。。正直」豊田「…」豊田「私もその深遠な部分は、落とし込めてはいません、正直言って、ただし、私はボーディサットヴァの称号を受けてしまっているので、努力するしかないのです…」豊田「…私を含め幹部クラスの信者でも、この教えに関して深く理解に及んでいるものはいないです…」..教団にいる時も、彼は一際寡黙な人でした。たくさんの部下がいるというのに、雑談もなく、いつも孤独にしていたように思います。誰か親しい信者友達はいないのだろうか…僕自身も孤独でならなかったけれども、彼はなお一層孤独でした。.科学的な作業における指示をするときだけ口を開き、それ以外は無駄な言葉を発したところをみたことがありません。.在家の頃は、気さくな笑顔や独り言もたまにある人でしたが、表情が硬く、何か近寄りがたいオーラまで身に纏っていました。.それは、一部の幹部に与えられたワークがそうさせていたのだということを、後に知りました。..教祖「君たちには、これから、ほうられた子羊となってもらう…」.聞いた話によれば、この時、あの寡黙で無表情で感情をほとんど出さない性格だと言われる豊田くんが教祖との質疑応答でかなり濃密で食い込んだ話をしたそうで、涙をながしながら、教祖と話していたそうです。.それ以来、彼の顔に笑顔はなくなったようです。..詳しい内容はわかりません。。。厚いベールに包まれています。しかし、僕は恐ろしいやりとりがあったことを、悪魔が彼を呑み込んでしまった瞬間があったことを感じるのです。..この事件前の重苦しい沈黙の後、衝撃的な事件が起こり更にいっそう深い深い沈黙の中に彼は沈むのです.最初の数年は何度も公判に通い彼の表情を食い入るように見つめましたが、深く重く沈黙が刻まれており、まるで彫刻をみるような錯覚をおこしそうでした。.数多くの実行犯が嗚咽する中、その嗚咽すらもぐっと呑み込んで沈黙する姿が、彼の姿でした。..僕は、彼の涙を赦してあげるべきだったのではないかと想っているのです。...Eili ...
2018年09月05日
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アーナンダ(井上嘉浩)の事を伝えたい~彼の詩に対してコメントをして頂いた方へ~僕の知っている井上くんのことを少し話して差し上げたいです。世間で言われている一面的な報道では、彼は嘘つきで非情で身勝手な印象がなされている。それと幼かったとも。彼の生涯をかけた想いまでも葬り去られようとしている。事件は事実。彼は良くない犯罪に関わってしまった。それも取り返しのつかない一線すら越えてしまったのだ。でも、それだけで彼の人柄や境遇を知らずに終わらせてしまうのはあまりにも不憫で、彼を見ていた僕には堪えられないことだ。…井上くんは、自分を放り出しすぎてしまったんだ。真理のためには犠牲を厭わない…というような性格の彼だったけれども、むしろそれがあだとなったんだ。。。当時は僕も同じような心境があった。とても彼に敵うものではなかったにせよ。教祖はそういう人材を探し求めていたのだろう。僕は彼が教祖のために命を捨て去るのではないかと…そっちのほうを心配していたんだ。いったい何人そんなやつがいたんだと言われれば、実際にはそこまで多くはなかったはずだ。教祖が無茶を言ってるんだろうな…というのは下っ端信者からもだいたい予想がついていた。教祖を守るために、身を呈する信者は何人もでてきそうだけど、実際にそれをやれるとしたら、まず彼だろうな…と少なからず感じていた。高ぶった意識で帰依を口走る信者は何人もいた。そのように誘われていたし。けれど教祖は修行ができていない信者はあてになどしていなかったし、真にあてにしていたのは実行犯に選んだ信者たちだった。強いて言えば、実行に関与しなかった幹部は「教祖に相手にすらされていなかった」のだ。なぜなら、教祖はしょっちゅう「私はもうすぐ死ぬかも知れない」ようなプレッシャーばかり与えていたから。井上君は僕には「教祖は、いつ亡くなってしまってもおかしくないほど最近弱ってきているんだ」と言っていた。そこまで徹底的に騙されていたと言っていい。テロを起こすことのほうが遥かに深遠な救済なのだ…と、まさか自分の付き従うグルが言い出すとは夢にも思わなかっただろう。。「私のために命を捧げるというのならば、むしろ世界をポアしにいけ」これが何かの寓話やたとえ話、冗談ではなく、本気だと悟った時、さぞ驚いただろうと想う。。それまでは、どこまで本気でいっているのかわからない…というのが信者の心理だった。戸惑い恐れ、どうしようもない状況にまで追い込まれていた事を裁判の傍聴を通じて、僕は知った。教祖からの虐待と言えるほどの扱いも、己の修行として向き合っていたんだ。当時の僕らはそういう側面があった。そして、実際に何十人かは過酷な修行中に亡くなってもいる。僕も確かに同じところにいってしまったが、彼ら先達の信者を見て半ば怯みながらついていっていた。どうしてそこまで投げ捨てられるのだろう…僕もそこまで捨て去らないといけないのだろうか…と彼は、支部の信徒の面倒を見ている時期は、いろいろと悩みを聞く相談役で、誰の話もよく耳を傾け、修行が辛いと言う下のものがいると、東京から地方だろうと、必要とあらば即動き出し会いに行くほど実直で行動力があった。僕に対しても僕だけのために、当時住んでいた松本に飛んできてくれたことがあった。なんか申し訳ない気持ちがあったんだ。出家前の彼がとにかく暖かく包み込むような感じの人だった。自分が辛くても、そういうことはかっこ悪いと思っていたのか、人には見せない。見せていたのはほんの数人のウパーリ師とか同期の幹部たちだったようだ。(その時は少年のように、教祖が怖いと漏らしていたという、僕はそれを知らないで気づけないでいる立場だった)拘置所の面会では、自分が泣き崩れるではなく、むしろ面会に来ていた人の人生を心配して元気づけるようなことまでしていたようだ。僕の聞いた話によると、何回か話をしているうちに、彼に身の上話をするようになったという。彼は「僕なんか死刑囚なんだよ!あなたならきっと乗り越えられるよ。」と逆にはげまされたと言う。こういうところが、本当に彼らしく、僕が憧れ尊敬していたところなんだ。圧倒的に辛い境遇は彼のはずなのに…!死ぬほど悲観にくれて、凹みきっているのは彼のはずなのに、それでも人に心を差し出すのですか…全く反対だよ。彼のような精神の鍛錬をしているような人が罪を犯し、罪を背負い、死刑囚となりいろいろなものから逃げてしまい、辛うじて指名されなかった人が生き残るという不条理を 僕は感じてならないんだ。そして、ここも言っておきたいことなんだけど、彼は固定観念みたいなものはないほうだったので、僕はわりと教団にいた頃に教団の教え以外の思想の話なども時折して周囲の信者に外道扱いもされたけど(悲しかった)、そういう差別的な扱いを彼はしてこなかった。あまり、他の人の信仰を否定するような事もなかったし(笑い飛ばすことはあった)、圧倒的に己の鍛えて乗り越えた姿を見せる言葉によらない説得力を周囲に発揮していた。教団で神通力第一とまで称されるほどだったけれども、言葉より実践を大切にする人だった。女の人には確かにモテていた。だけど、教団では基本男女関係禁止だし、彼は教祖に仕掛けられて罠にはめられた過去があり、現実的な男女関係の優しさを持ち寄るような事は何一つできなかったことが手記などに書かれている。彼を騙していた当時のダーキニー(※教祖の指示)や、彼と逃走していた女性信者にも、実際に僕は会って話をしたよ。彼女たちの複雑な胸中も聞くことができたので、簡単な事は言えない。そして、獄中で恋心を告白した相手のサクラー正悟師(当時)は、ナルコの被験しすぎで、脳が溶けてしまって廃人になってしまったわけだし(だいたい何ボルトの電流を何時間脳に流したんだよ…誰かこれも解明してほしい)、、、悲劇といっても、これ以上の悲劇はない。不憫と言っても、これ以上の不憫はない。本当に言葉が出てこないほど辛い境遇に立たされ、罪を犯し、罪を背負い、罰せられ、死んでいったんだ。Eili ...
2018年09月02日
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