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春の陽を待ちわびて咲き寒桜博琳乎
2008年02月29日
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ラジオデイズ・プレゼンツ 昼下がりの落語会 東陽町イースト21亭 2月24日日曜日、天気晴朗なれど風強し。電車も止まる暴風は春一番と冬将軍とのせめぎ合い。せっかくの満員札止めもお客様が来られるかどうか心配しました。ホテルオークラグループのホテルイースト21東京が企画、ラジオデイズのお手伝いで実現した『ラジオデイズ・プレゼンツ 昼下がりの落語会 東陽町イースト21亭』は、こうして波乱?の幕開けとなりましたが、心配は杞憂で終わり、熱心な落語ファンが大風もなんのそのと詰めかけ、予定通りの開演となりました。そもそもこの会、日曜の昼下がり、一流ホテルでランチを食べてゆったりと落語を楽しもうというリッチでオツなオトナ向けの落語会。東陽町は三遊亭円楽一門の本拠地だったこともあり、落語好きな人々が多いに違いないと企画されたものです。円楽師匠の弟子の三遊亭小円楽師匠と、名人円生一門、円楽師匠と兄弟弟子の三遊亭円窓師匠が出演します。客層は老若男女と幅広く、会場は期待感で漲っておりました。開口一番は前座の三遊亭楽大さん。その名の通りお相撲さんのようなぽっちゃり系、テレビで活躍中の伊集院光が付けていたという出世名前で登場、さっそく笑いを取りました。ネタは「子ほめ」。キャリア10ヶ月というには上手過ぎるね、このしとは。人に好かれるキャラクターも合わせて将来が楽しみな若手です。続くは小円楽師匠。ネタは「粗忽長屋」。そそっかしい男が行き倒れを兄弟分と間違えたところから思いも寄らぬ展開に。柳派の粗忽ものを聞き慣れた者には珍しい明るくテンポのいい「粗忽長屋」、確かな芸で観客を落語の世界に引き込んでいきました。さてお待ちかね円窓師匠。お馴染み面白くて為になる?長いマクラの後、ネタは珍しい「田能久」。山道でウワバミに化けた爺さんに飲まれそうになった男、自分も実は化けた狸だと嘘をつき逃げ帰る。話を聞いた村人達、さっそくウワバミ退治に出かけるが。。。荒唐無稽な噺も円窓師匠が演じると何やら説得力がありますねえ。お仲入りの後、小円楽師匠が再登場。古今亭志ん朝の流れだという正統派「火焔太鼓」を熱演。うだつの上がらない古道具屋が仕入れた汚い太鼓が、実は大名も喜ぶ火焔太鼓で大儲けという夢のような噺。主人とおかみさん、大名家の侍との活きたセリフのやりとりが軽快なテンポでストーリーを展開させる。実に活き活きした「火焔太鼓」でした。トリはもちりん円窓師匠。ネタはこれも荒唐無稽なSFオモシロ噺「ぞろぞろ」。信心深い茶店の親爺、裏のお稲荷さんをいつも拝んでいたが、果たしてその御利益は? 馬鹿馬鹿しいけどやめられない落語の落語たる落語なるが故のごだい味というものを是非味わって欲しいものです。円窓師匠のこの手の噺は秀一ですよ。いやー、落語ってほんと~に面白いですねえ。落語好き坊主
2008年02月26日
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寒の戻りか昼頃から猛烈な北風が吹き始めました。今も怖ろしい唸り声をあげています。北風といえば、ふと子供の頃に親しんだイソップ物語の「北風と太陽」という話を思い出し、みなさんと懐かしんでみたくなりました。北風と太陽、力自慢の二人。どちらが強いか決着をつけようということになりました。ちょうどそのとき、一人の旅人が街道を急いで歩いて来るのが見えました。太陽は「決着をつけよう。あの男の上着を取り上げた方が勝ちとしよう。先ずは君から」と、雲の後ろに隠れてしまいます。北風は「俺の方が勝つに決まってるさ」と、さっそく強い風を吹き始めます。男は上着を飛ばされないよう両腕で胸元を押さえています。北風はますます猛烈な風を吹かして男を苦しめましたが、男はどんなに強い北風にも上着を飛ばされまいと堪えています。北風はとうとうあきらめて去りました。雲間から太陽が顔を出し、男に暖かい陽光を降り注ぎます。燦々と輝く慈愛に満ちたその光は、風と寒さに固く閉ざされていた男の心を解きはなっていきます。男は固く閉じていた腕をいっぱいに広げて光を胸に吸い込みます。上着を脱ぎ捨て、光と共にあることに幸せを感じました。慈しみは厳しさに勝る。人の心を開かせるには慈愛をもって接しなさい。イソップ物語のこのエピソードは、仏典の中のお釈迦様の言葉のように幼い頃の記憶の深層に残されています。仏とは永遠普遍の真理そのもののことですから、イソップ物語にブッダの言葉が隠されていても不思議ではありません。真理だからこそ宗教や歴史、民族や言語の隔たり、時空を超えて人の心に響くのだと思います。生きとし生けるものに慈しみの心を起こしなさい!ナムブッダ合掌 観学院称徳
2008年02月23日
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悪しくともただ一筋に捨つるなよ 渋柿を見よ甘柿となる(『一休蜷川続編狂歌問答』より)一休さんがいつも問答で煙に巻いていた足利幕府の役人蜷川新右衛門親当との狂歌問答が残されています。ここでも一休さんは常識に一矢を放っています。悪いからといって何の考えもなく直ちに捨て去るべきではないよ渋柿を見なさい。手をかけ日の光を当てて風に晒せば美味しい甘柿になるではないか。これは真理ですね。どんな人にも良いところはあります。子供は特にそうですね。それもそのはず一切衆生悉有仏性ですからね。どんなものも見方を変えれば役に立つこともあります。ゴミだってリサイクル資源になり、バイオ燃料にもなりますよね。その良いところを見えなくしているのは、常識に囚われ曇ってしまった眼であり、束縛された心です。一休さんの狂歌は、やさしい比喩でこの悪しき常識を喝破しているのです。あなたの心が常識の束縛から解き放たれますように合掌 観学院称徳
2008年02月17日
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早咲きの梅の香りの懐かしさ寒風に凛と咲き居り梅の精紅梅の花咲き初めし散歩道博琳乎
2008年02月16日
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落語の世界の心中事件は、人間の心理をついていていて面白い。ほんとは死ぬ気などないのに金策に追い詰められた女が、男を道連れにあの世とやらに行こうと思ったが、いざ心中と道連れが海に飛び込み先に逝ったそのときに原因が解消されて、ちゃっかり逃げ帰る。飛び込んだ男は死にそうにもがいているうち、膝くらいの深さのところで横になって溺れていたことに気がつき立ち上がる。品川の遠浅の海で心中はできない。自分を死なせて逃げた女に復讐する。女は男を幽霊が出たと大騒ぎ、事情を知っている観客は大笑いという実にどうも面白い噺に仕上がっています(『品川心中』)。文楽や芝居でお馴染み近松の心中ものはもっと劇的ですが、こちらは男と女の真実の愛がテーマとなって涙を誘います。この世で報われぬ愛をあの世で成就しようという、男女が納得づくで心中するのが心中の作法ということもできましょう。とはいえ、全ての正しい宗教には基本的に不殺生戒という原則があり、たとえ自分を殺しても大罪を犯したことになりますのでご留意ください。しかし最近のニュースを見ていると悲惨な親子の無理心中が多いような気がします。そもそも無理心中は心中の作法に反するわけですが、別人格であり未来もある子供を道連れにするのは反則です。子殺し以外のなにものでもありません。心中するほどの追い詰められ、残された者を不憫に思いいっそ殺して一緒にあの世へ逝こうというでしょうが、考えれば子供は天国や極楽へ往生できても、子殺しの犯人は地獄に堕ちると昔から相場が決まっているのです。自己中心的な心情で子供の命と未来を無にした罪は死んでも償えるものではありません。心中というくらいで、心が内向きとなり世間が見えなくなった状態にある人しか心中はしないのではありましょうが、それでも許されるものではありません。普段から子供は自分のもの、自分の分身と思っているからこそ、こういう誤解が生じるのです。そして、「心の中には悪魔が棲んでいる。常に自己の心をよく見てコントロールしなさい」とは、お釈迦様の言葉です。悪魔に支配された心は最愛の子供を殺すことさえ肯定するのです。悲惨な事件を繰り返さないために、心の闇をつくらないこと、できてしまった心の闇は光明で消し去ること。この聖者への道は、全ての正しい宗教に共通の真理です。あなたの心が悪魔が支配されませんようにあなたの心に光明が降りそそぎますようにあなたとあなたの愛する人々が幸せになりますように合掌 観学院称徳
2008年02月14日
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極楽も地獄も我にあるなれば悪念起こるこころ制せよ(『一休和尚往生道歌百首』より)瞑想や坐禅をするまでもなく、日常生活の中でも妄想は湧いてきます。そして自らの心に起こる妄想に一喜一憂し、自らを苦しめていることもあります。自らの心の中に極楽を思い描く人もあれば、地獄の中にいると思う人もいるのです。どうせなら心を煩悩に狂わすことなく正しくコントロールして、悪念を起こすことのないように気をつけましょう。そのためには自分の心をよく観察することです。常に自分の心の動きを客観的に見つめるようにするのです。流石に一休さんの道歌は、仏道、禅の修行の本質を突いていますね。あなたの心が安らかでありますように合掌 観学院称徳
2008年02月11日
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はやくも第十回を迎えたラジオデイズ落語会。渋くてダンディーな柳家小満ん師匠とトライアスロンで鍛えた落語界きってのマッチョマン橘家圓太郎師匠の登場です。開口一番、古今亭菊六さんのネタは「権助提灯」。おかみさんと二号さんの悋気の火花の散らし合いに右往左往する旦那と権助、やさしくされても女性は怖い? 軽妙な噺っぷりはなかなかのもので思わず笑いがこぼれる。 さて小満ん師匠の登場。噺は冬の定番「時そば」。流しの蕎麦屋を相手に何だかんだと世辞を言う客、びた銭でお代を払うとき何故か「今何時だい?」と時を聞くが。。。誰でもやるお馴染みのネタだが、流石に名人桂文楽の直弟子! 本寸法の「時そば」を聴くことができました。ホンモノだけが持つ可笑しさを味わって欲しいやね。続く圓太郎師匠、ネタは「化け物使い」。奉公人が居着かないほど人使いの荒いご隠居に仕えてきた奉公人の杢助、ご隠居が化け物屋敷に引っ越すと聞いてやめるという。すっかり引っ越しを済ませて立ち去ると、たったひとりのご隠居の前にぞぞぞ~一つ目小僧が現れる。ご隠居、怯むことなく小僧に用を言いつけ、こき使う。そして次の日。。。日常が突然荒唐無稽なSFホラー?にならぬ化け物噺に、落語の面白さを堪能! 春風亭小朝門下の圓太郎師匠、面白さも別格大本山。 仲入りの後も圓太郎師匠、ネタは「唖の釣り」。近頃羽振りのいい七兵衛、わけを聞く与太郎に殺生禁断の上野寛永寺の不忍池で鯉を釣っていると話してしまう。与太郎は自分も連れて行かないとばらすとせがむ。人目をはばかり夜釣りに、役人に見つかったら親孝行のためと嘘をつくようにと別れる。与太郎、馬鹿な大漁に大騒ぎ、そこへ見回りの役人が。。。大げさなジェスチャーが面白い。達者な師匠の芸に会場は笑いの渦に。 トリは小満ん師匠、ネタは珍しい「盃の殿様」。大名の遊びは壮絶なもの。気鬱の病に効果があると殿様、大名行列で吉原通い。すっかり良くなったと思ったら参勤交代でお国入り。家来と帰国祝いの酒を酌み交わすうち、江戸の花魁にも盃をと早足自慢を使いに出す。三百里の道を盃かついでえっさっさ。殿様の馬鹿さ加減を笑った落語は多いが、ここまでくると笑うしかありません。落語って奥が深いですねえ。
2008年02月07日
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「過ぎたことを嘆かず、これから先のことを望まない。 わたしは現在を生きるのだ。だから顔立ちは生き生きとしている。 これから先のことを望み、過ぎたことを嘆くところの無知の者どもは、 刈られた緑の葦のように萎びてしまう。」(『サンユッタ・ニカーヤ』現代仏教聖典63頁 大蔵出版刊より)お釈迦様の仏教は前世も来世も説きません。そもそもそういった輪廻を解脱して、安心安全の涅槃に到るのが目標でした。「過ぎたことを嘆かず、これから先のことを望まない」というのは、世捨て人や虚無的になれと言っているわけではなく、「わたしは現在を生きるのだ」ということなのです。今を懸命に生きる。過ぎたことを嘆くのではなく明日の糧にして、今を生きるのです。未来のことをあれこれと心配したり、幸せでありたいと望むのではなく、そう思うならば今を悔いなく精一杯生きるのです。明日を変える力が今日のあなたにはあるのですから。生き生きと生命力に溢れている者には、赤ちゃんや子供のようなキラキラとしたオーラがあります。「だから顔立ちは生き生きとしている」のです。こういう人には死神も貧乏神も寄りつくことができず、望まなくても幸せはあなたのものですよ。ナムブッダ合掌 観学院称徳
2008年02月06日
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しんしんと枇杷も凍える雪の朝雪ぼうし枇杷の蕾の風にゆれ春を待つ枇杷の蕾に雪の笠そのまんまや博琳乎
2008年02月03日
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