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【偉くなるより、人さまの役に立つ人間になろう】 ★藤原東演住職の言葉から ◎石川洋氏の『叶力』に出ている、一燈園の西田天香さんに出会ったときの 問答がすばらしい。 石川氏が、なぜ戦争で人間は殺し合わなくてはいけないのか、自分はどう 生きるべきかを尋ねると、天香さんはそれには答えず、 「人間は偉い人にならなくてもいい、立派な人にならなくてもいい」 と言い、続けて、 「人間はな、人のお役に立つ人になることだ」 と教えられたという。 石川氏は、自分が偉くなることは無理だが、人に役立つ人間なら、自分 でも努力すればなれるのではないか、と思って、「人のお役に立つため の一滴の汗となって生きていこう」と決心いたという。 偉い、偉くないという判断は、やはり他者との比較だから、「自分が 劣っている」と感じられたら、確実に嫉妬心は膨らんでいく。 だから、「偉いとか立派とかではなくては、人間として価値がない」 という価値観に振り回されているかぎり、嫉妬心の奴隷になってしまう のである。 次元の異なる価値観をもたなくてはならない。 「働いてやる」じゃなくて、「働かせていただく」という謙虚な気持ち も忘れてはいけないのではないか。 働くというのは、昔から「傍(はた)を楽にする」という意味だと いわれている。「自分を楽にする」のではないのである。 これを忘れると、「自分の気持ちをわかってくれないのはおかしい」 というような傲慢な態度がでてきて、不満がつのり、「そんなことなら 止めてしまえ」と短絡してしまうのがおちだ。 いつも「仕事をやらせられている」という価値観を変えるしかないのだ。 (参考文献:藤原東演著「人生はゆっくり変えればいい」成美文庫)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ *「働かせていただく」という気持ちで仕事に取り組めることは幸せな ことかもしれない。 働くことそのものに感謝の思いもこもるし、雇った側も頑張って くれてありがとうと思うから、人間関係はよくなるばかりだ。 また、少々仕事がつらくてもそのつらさも、謙虚さがあるから 不満にもなりにくい。 自分の仕事に対する考え方はどうか、問い直してみるのもよい ことだと思う。
2018年01月31日
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【成功する人はどんな人】 ★斎藤一人さんの言葉から― ◎成功する人は「感謝の多い人」です。 良いことがあったときは、もちろん感謝するし、 何もないときは、「何もなくて良かった」と感謝する。 さらには、悪いことや人にだまされるようなことがあっても 「あの人のおかげで勉強になった」と、感謝するものです。 そういう人は100パーセント成功します。 失敗することは不可能です。 何もないとき「ツイている」 困ったときは「ありがとう」 いいことあったら「感謝してます」 これで幸せ (参考文献:斎藤一人著「幸せの名言集」三笠書房)________________________________________ *感謝することは、何か自分にとても有益なことがあれば、自然に気持ちも 「ありがたいなあ」、思うようになる。 ある人の体験談にこんな話がある。 小林正観さんの本を偶然手にした人が、「ありがとう」という感謝の言葉 を「5万回唱えたら、奇跡が起きる」という文章を見た時、そんなのは ウソだろう!、と思っていたそうだ。 ところが、しばらくして仕事のストレスが溜まりに溜まって、倒れて しまった。 高熱が出て、身体の節々がとても痛い症状だったという。 医師は、ストレスからくる自律神経がおかしくなったことが原因とみて 2週間ほど自宅で、安静にしてゆっくりと睡眠時間をとれば症状は改善 するだろうから、本格的な治療はそれから考えましょう、と言われた。 眠れない時のための睡眠導入剤の軽いくすりと、ビタミン剤のいくつかを 調合してもらった。 その人は、睡眠薬という薬に多少の抵抗が以前からあったせいか、その薬 には手をつけず、ビタミン剤だけを服用してとにかく、寝ることだけを 心がけた。 何日かして、小林正観さんの「感謝5万回」のことを思い出して、どうせ やることもないし、だまされたと思ってやってみることにした。 1分に30回、言葉で「ありがとうございます」とやれば、2日もあれば できないこともないと計画をたて、実践した。 最初は何かぎこちなかったが2日目になって、4万回を越えた頃、今まで 会社の同僚や、上司、家族、に感謝の気持ちなどそう度々感じた事ことも なかったなあ、という気持ちが湧いてきたという。 それで、自分に関わりのある人の、名前と顔を思い出しながら言い続けて いると、不思議なことに涙が流れ出してきて、「本当にありがとうござい ます」という気持ちになったのだという。 その内、眠くなってきてぐっすり寝てしまった。 目が覚めると、身体の痛みが7割がた消えてお腹がすいてどうしようも ない状態に気づいたという。 それから、3日がたち医師の診断を受けたところ、身体の状態は健常者と 変わらないぐらいに回復していたという。 病気が治るのも成功のひとつである。 病気のおかげで、まわりに感謝することができた。 成功者には、みんななれるものなのだ。
2018年01月30日
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【相手が変わらないなら】★斎藤茂太さんの言葉から― ◎仕事で関わる人間というのは、自分の好き嫌いで選べないから困る。 人を変えることはできない。 反省して変わってくれる人もいるだろうし、気づいただけで自分の やり方を変えない人もいる。 「なぜ、変わらないんだ」と責めても、一度身についた習性や習慣は 少しぐらい人から意見をされたぐらいでは、なかなか変えられないもの なのだ。 だから、自分の考え方を切り替えてみる。 「人は変わらないものだ」と悟る。 私は、人間というのはどんな意地悪そうな人でも、どこかに必ずいい ところがあると思っている。 そのいいところを見つけてあげると、つき合いやすくなることもある。 (参考文献:斎藤茂太著 「あなたの心をリセットするいい言葉」永岡書店)________________________________________ *人を自分の思い通りに行動させることはできても、その人心や考え方を 思い通りにはできない。 ロボット人間なら可能かもしれないが、最近はA I機能も技術がよくなり ロボットにも、人間の心に近い回路を埋め込んでいる。 人を変えることはできない。 こんなふうに、自分の考えを少しずつ変化させていくことができれば これも自分の能力になるし、人間関係のストレスも軽くなるものだ。
2018年01月29日
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【ヤマアラシのジレンマ】 ★精神科医・和田秀樹氏の言葉から― ◎人間関係は感情でなりたっていますが、その感情は生き物です。 つまり、安定している時もあれば調子の悪い時もあるし、どんなに安定 した感情の持ち主でもあっても、ささいなきっかけで乱れることはあり ます。 “つかず離れず”の状態がイライラしない人間関係を築くコツ、 であることは、有名な心理学の言葉にもあらわれています。 「ヤマアラシのジレンマ」というのがそれです。 鋭い針で全身を覆われたヤマアラシが、他のヤマアラシと親しくしようと するならば、くっつきすぎてはいけません。 相手に自分の針が刺さらないように、“つかず離れず”の距離を保つことが イライラせずにうまくいく秘訣というわけです。 (参考文献:和田秀樹著「今日からイライラがなくなる本」三笠書房)________________________________________ *自然界の動物でも、相手とのいざこざをうまくかわしていく知恵を 持っている。 人間の世界では、他の生き物と違って感情が何よりも良好な関係を 築いていくためには、重要だ。 人間関係がギクシャクしている、と感じたら「ヤマアラシ」のことを 思い出すと、意外と心も軽くなる。
2018年01月28日
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【悲しい記憶】 ★ジェリー・ミンチントンの言葉から ◎長年のうちには、人は誰でも悲しい出来事に遭遇する。 場合によっては心に深い傷跡を残すこともある。 そういう出来事が起こった時、私たちはそれを記憶に焼きつける。 そして悲しい記憶を消すのをいやがる。 一般に、なんらかの行為を繰り返すたびに反復するのがたやすくなる。 習慣というのは、そうして身につくものだ。 悲しい記憶を何度も繰り返すことによって、その記憶は心の中で 新鮮さを保つ。 悲しい記憶を再生し続けるかぎり、その痛みを繰り返し経験して 落胆し続けることになる。 逆に、悲しい記憶を再生しなければ、心の中で感じる痛みは弱くなる。 悲しい記憶を繰り返し経験するのをやめれば、その記憶にともなう ネガティブな感情は弱まる。 悲しい記憶を何度も経験して何の役にたつのだろうか? 結局、自分を何度も痛めつけるだけなのだ。 理性的な人は、自分に何度も痛みを負わせるようなことはしない。 悲しい記憶を、心の中で反復して自分を痛めつけても何の役にも立たない。 (参考文献:ジェリー・ミンチントン著 弓場隆 訳 「心の持ち方」ディスカヴァー・トゥエンティワン)________________________________________ *人間の記憶力がいかに優れているかは誰もが知っている。 しかし、記憶を思い出す時はなぜか、ネガティブな内容を思い出すことが 多いともいわれる。 理由はいろいろあるがも民族性にも起因しているという説もある。 最近の心理学では、心の持ち方がいかに大切かを重視していて、心の習性 が特に注目されている。 だからというわけではないが、悲しい記憶より、楽しい記憶を思い出す ことのほうが脳科学的にも健康にもよいということになる。 悲しい記憶が10個あるなら、楽しい記憶も10個あるはず。 「私には、悲しい記憶が多い」という人がいるかもしれないが、楽しい 記憶を忘れているだけかもしれない。 どちらの記憶をより多く思い出すか、意識していく習慣をつけていけば 人生、生きてきてよかった、と思えるはず。 どうせなら、そんなふうに過ごしたい。
2018年01月27日
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【人生は運より考え方】 ★医学博士・高田明和氏の言葉から― ◎私たちはよく「運」という言葉を気にします。 私が出演させていただいていた静岡放送の午後のワイドショーには 「明日の運勢」を発表するコーナーがありました。 例えば「いて座の人は、ちょっとしたことで他人と争ったりします。 朝、西を向いて歯を磨くとよいでしょう」 多くの人が運勢に関心をもっていることがわかります。 しかし、何をしても運命は変えられないというのでは、努力の意味が なくなります。 心の持ち方ひとつで幸運がめぐってきます。 例えば一万円の借金を返す時に、お金を相手に投げつけるのと、「あり がとうございました」と心をこめて返すのとでは、将来の運勢は違って くることになります。 何かをするときに、明るい気持ちで感謝をこめて行えば、その運に及ぼす 力は何十倍にもなるのです。 (参考文献:高田明和著「脳と心に効く言葉」二見レインボー文庫)________________________________________ *運勢にこだわり過ぎると、生き方が窮屈になる。 「今日の運勢、よかったことだけは信じる。よくないことは信じない」。 という人もいる。 よい運勢なら、調子に乗らずに自重しよう。 悪い運勢なら、冷静な気持ちを忘れずに慎重になろう。 これぐらいの気持ちのほうが気楽である。 一番無難な考え方は、どんなことにも「ありがとう」という意識を 忘れないことだ。 感謝に勝るものはない。
2018年01月26日
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【痛んだ過去の心も修正できる】 ★加納眞士(かのうまこと)氏の言葉から― ◎現代病の一つと云われているものに「幸福感の喪失」がある。 多くの人が、「幸せになりたい」と願う。 まるで、今が幸せではないように。 ハーバード大学で、人間の「幸福感」とはどの時期に根付くのか? という調査が行われた。 すると、七歳までの子どもの頃に両親に「よく遊んでもらったな」とか 「よく叱られたな」という記憶を持つ人たちが「幸福感」を持続していた ことが判明したという。 共通するのは、両親に十分かまってもらった記憶である。 幼児期の両親の会話や心の状態が、その子の一生に多大な影響を与える ことは現在では知られている。 幼児期に両親の生活が不安定だったり、家庭の中がケンカが絶えない という環境に育つと、子どもの心は「自分を守らなくては!」という 防御本能ために“固く”なる。 そうして、本当の自分自身を世界に“さらす”ことに恐怖を感じるように なる。 「何をやってもうまくいくように思えない」という希望をもてない感覚や 不安症が、ふと“自分に返ったとき”に起こったりするのもそのためだ。 けれど、気がついたときから、幼児期の記憶さえも修正していける。 「あのとき、私は寂しかったんだと思う」と親に話してみよう。 親の方は自分ではかまってあげたかったけれど、その当時は忙しくて できなかった、と深く反省していることが多いのだ。 夜、眠る前に、今日一日で一番楽しかったこと、「ああ、きれいだったな」 と感動したことを思い浮かべよう。 脳は、眠る直前の情報を心にインプットしていく。 否定的なビデオテープを、楽しい記憶で録画し直していくように。 自分に失望し、何もかもがダメと思えるときこそ、奇跡的な逆転が 待っている。 (参考文献:加納眞士著 「真・人生を変えるヒント」扶桑社)________________________________________ *記憶を思い出すのは、意識の底に隠れている潜在意識があるためだ。 普段は、ほとんど現在意識がメインで私たちは生活している。 ただ、車の運転や、スマホやパソコンに文字を素早く入力できるのは、 潜在意識が働いて、打つべき文字やキーボードに、手をうまく持って いってくれるからだ。 つまり、記憶も潜在意識も同じようなものだともいえる。 よくない記憶を、文字や映像で上書きするような気持ちで、思い浮かべ ながら、眠りにつくことで潜在意識はよい記憶に置きかえてくれる。 就寝前に、イライラすると目覚めが悪いが、気持ちが落ち着くような 音楽を聞きながら眠りにつくと、翌朝の気分もよい。 幼児期は就寝時に、耳元で絵本を読んであげると情緒が安定した子どもに 育つのはこのためだ。 よくない昔の記憶は、現在の楽しい出来事でどんどん上書きしていこう。 心の痛む過去が完全になくならなくても、今を楽しむ心を持ち続ければ よい記憶だけが残るようになる。 今を楽しむことも、時間とともに過去に変わっていくからだ。
2018年01月25日
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【人の意見を聞く】 ★中野東禅師の言葉から― ◎ものごとを一人で判断すると、偏った考えになる場合があります。 戦前のことですが、こんな逸話があります。 あるまじめな商人が資金繰りに困り果て、倒産必至の状態になりました。 万策尽きたと判断した主人は、奥さんに「もう、どうすることもできない。 一家心中するしかない」と言いました。 奥さんは前後の状況がわからず、 「どうしてですか。倒産したらどうなるんですか」と聞きます。 「裁判所の人が差し押さえに来て、家、家財道具、店の在庫全部なくなって しまう。俺たちは住む所もなくなるんだ。だからもう生活できない。 死のう」と主人は言います。 「差し押さえとはどんなことをするんですか」 「家のものすべてに赤い札が貼られ、競売にかけられて、出資者に分配 されるんだ」 「私や子どもたちにも貼られるんですか」 「人間は差し押さえできないよ」 「あなたは全部なくなるって言うけど、私たちが商売を始めた時も裸一貫 だったじゃないですか。最初からあった身体という資本は残っている じゃないですか」 奥さんのこの一言で主人は目を覚まし、また家族と一からやり直す決意 をしたそうです。 一人で判断せず人の意見を聞くことで、「人間は差し押さえられない」 「身体は資本である」という、つい忘れてしまいがちな常識を再認識 させられたのです。 いろいろな人の意見を聞くことによって、自分の頭が柔らかくなり、 視野が広がります。 これはいつの時代でも大切なことです。 (参考文献:中野東禅著 「人生の問題がすっと解決する名僧の一言」 三笠書房)________________________________________ *独断しなければならない立場の人も、世の中にはたくさんいる。 特に経営者はそういう立場にある。 たしかに、独断は苦しみをともなうこともある。 「もうこの道しか残されていない」というケースもあるが、人の意見を 聞いたうえでも遅くはない。 自分の一生、家族の一生に関わる問題ではなくとも、判断に迷った時は 自分の考え方とは違う視点にたって見直したり、周りにある情報を参考に したり、人の話を聞くという謙虚さは大事なことだ。 人の意見を安易に否定する人ほど、独断に走りやすい。 人の意見は、否定する前にいったん受け入れてみよう。 人の意見を聞く心の広さは、どんな立場の人でも持っておきたいことの ひとつだ。
2018年01月24日
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【自分を磨く】 ★元バレーボール監督・国分秀男氏の言葉から― ◎これまでたくさんの人を見てきましたが、 おおむね三つのタイプに分かれると思います。 一つは苦しくなると“もうダメだ、無理だ”と思う “絶望あきらめ型” 二つめは“いやだけど、しょうがないからやるか”という “消極的納得型” そして三つ目は、 “この苦しみが俺を磨いてくれる。これを乗り越えれば一つ賢くなれる” という“積極的プラス思考型” 結局、歴史に名を残すような偉人や成功者は、三番目の人間からしか 生まれません。 一、二、三のどのタイプの人間になるかは、考え方ひとつです。 お金がかかるわけじゃない、 努力がいるわけでもない。 時間もかからない。 物事の見方をちょっと変えるだけでいいのです。 (参考文献:藤尾秀昭著「生き方のセオリー」致知出版社)________________________________________ *国分秀男さんは、東北、宮城県の古川商業高校(現、古川学園高校) 女子バレーボール部の監督で、全国制覇12回のチームを作り上げた 人である。 自宅に20名ほどの部員たちと寝食を共にしながら、選手を育ててきた 教育者でもあった。 三つのタイプの分類は、高校生だけでなく大人たちにも言えることで、 自分自身を振り返る意味でも、自分はどのタイプにあてはまるのか、 参考にすることもよい刺激になる。 あとは、自分をどんなふうに修正していけばよいか、修正したり 変えたりする必要がないなら、その理由は何か。 自分を掘り下げてみることが大事だ。 掘り下げることで、自分の実態が見えてくる。 成長はそこから始まる。
2018年01月23日
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【性格は固まるものではない】 ★ジェームズ・アレンの言葉から― ◎「これは私の性格だから、どうしようもない」という言葉を、悪い行い の言い訳として、何度も耳にしたことがあるでしょう。 こういう人は、自分の性格はけっして変えられない、それはどうにも ならないものだと信じこんでいます。 つまり、自分はこんなふうに「生まれついた」のだから、悪い行い を続けなければいけないといいたいのです。 性格とは、同じことを何度も繰り返しているうちに身につく、習慣に ほかなりません。 長く続けてきたよくない考えや行動の習慣をやめるのは、はじめは つらいものですが、努力を続けることによって、そのつらさもしだいに 和らぎます。 知性と意志によって性格をある程度形づくれることや、本気で取り組めば 性格はよい方向に変化し、心は苦悩から解放されていきます。 (参考文献:ジェームズ・アレン著 「起こることにはすべて意味がある」引き寄せの法則研究会 王様文庫)________________________________________ *一燈園の創始者・西田天香に師事した、石川 洋(よう)さんが次の ようなことを言っている。 <つらいことが多いのは 感謝を知らないから 苦しいことが多いのは 自分に甘えがあるから 悲しいことが多いのは 自分のことしかわからないから 心配することが多いのは 今を懸命に生きていないから> 辛い事がある、苦しい事がある、悲しい事もある、心配事もある、 これらをどう受け止めるかは、その人の性格によるところが大きい。 そして、受け止め方によって次の行動もまったく違ってくる。 前向きに受け止めて行動するか、悲観的に受け止めて行動するか。 その結果は、真逆になるだろう。 自分の性格は変えられないものでもないし、固まるものでもない。 何事も柔軟に考えよう、と常に意識している人は性格も柔らかい。 自分の性格、固いと思ったら柔らかくしようと思ってみよう。 生きることが、今よりは楽しくなるかもしれない。
2018年01月22日
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【正しい欲・大きい欲】 ★小宮一慶氏の言葉から― ◎欲はエンジン、理性はブレーキ 欲なき人は、前に進めない。 欲はモチベーションの源であり、エンジン。 ただ、暴走すると、志を失い、徳を失う。 理性というハンドルとブレーキで、欲を正しく制御しよう。 自分のためにもなり、家族のためにもなる。 家族のためにもなり、周りの人のためにもなる。 周りの人のためにもなり、地域のためにもなる。 地域のためにもなり、日本のためにもなる。 日本のためにもなり、世界のためにもなる。 皆が幸せになるために、 理性で、欲を正しく制御しよう。 大欲を持つ人が、世の中を変える。 (参考文献:小宮一慶著「人生の原理」サンマーク出版)________________________________________ *欲は本来、善いものだが、欲におぼれて、振り回されると悪になる。 しかし、この世でいちばん難しいのは、この欲をコントロールすることだ。 自分の欲のために、人を不幸にする人もいる。 そんな人も本当は、みんなを幸せにしたいと思ったことがあったかも しれない。 人はみんなのために何かをしたいという、愛他的な心を持っている。 欲の先にある自分の目標や夢が、正しいものかどうか、 自分さえよければいい、という気持ちに染まっていないかを見極める ことは大事なことだ。 私利私欲では幸せにできる範囲は限られるが、公利公欲なら幸せは 広がっていく。 正しい欲、大きな欲で人生を楽しく送りたい。
2018年01月21日
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【本当の正義】 ★アンパンマンの作者・やなせたかしさんの言葉から― ◎1960年代に生まれたアンパンマンを、1973年に子ども向けの 絵本にするとき、一番描きたかったことがある。 「正義を行おうとすれば、自分も深く傷つくものだ。でも、そういう 捨て身、献身の心なくして、正義は決して行えない」ということだ。 正義のために、飢えた人のところまで空を飛んで行って、自分の顔を ちぎって食べさせる。 だが、そうすることで、アンパンマンはエネルギーを使って失速する。 こういうカッコ悪い正義の味方を描きたい。 そんな思いから、アンパンマンは世の中に出て行った。 そんなヒーローを、子どもたちは好きになってくれるだろうかと不安 だった。実際、当初は大不評だった。 出版社の編集部からは、「こんな絵本は、もうこれっきりにしてください」 と顔をしかめられた。 「顔をちぎってたべさせるなんて、残酷です」と手紙が来たりした。 だけど、めげなかった。作者がしっかり愛してやっていればいい。 作者の愛情の中で生きているだけでもいい。そう思っていた。 出版から5年ほどたっても、アンパンマンは相変わらず地味で、 表面的にはちっとも目立たない存在だった。 だが、このころ、目に見えないところで何かが動く気配がした。 近くの写真屋の主人が、 「幼稚園に行っているうちの坊主が、毎晩、アンパンマンを読んでくれって 言うんだ」と言ってくれたりした。 図書館でも、『アンパンマン』いつでも貸し出し中で、新品を入れても すぐにボロボロになると聞いた。 アンパンマンの人気は定着するようになった。 (参考文献:やなせたかし著「明日をひらく言葉」PHP文庫)________________________________________ *正義とは何か? やなせさんは、正義とは 「ちっとも強くはないが、やらなければならないときには、勇気を出して 戦うことだ」と言う。 そして、 「正義を行う人は強い人ではなく、普通に弱い人だ。 アンパンマンは世界最弱のヒーローだ」とも述べている。 困っている人がいれば、勇気をふるい立たせて手をさしのべる姿に、 子どもたちは心を動かされたのである。 当時アンパンマンで育った人もすでに、子を持つ世代になっている。 困っている人や、社会的に恵まれない人のために弱くても小さな力を 出し合える社会にしたいものだ。
2018年01月20日
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【気配り】 ★本田 健氏の言葉から― ◎こんなエピソードを耳にしたことがあります。 都内のレストランに、近所に住む高齢の夫婦がたびたび訪れました。 しかし、レストランのフロア係は、その夫婦が苦手でした。 ご夫婦のうち、旦那さんがいつも不機嫌そうにしていて、ろくに返事を してくれないのです。 実はその男性は右耳が不自由でしたが、いつもフロア係が右側から 話しかけてくるために、何を言われているかよくわからず、イライラして いたのです。 そのレストランでは、従業員を「メニューの説明や飲み物はお客様の右側 から、料理は左側からサービスするように」と教育していました。 ところが、新しく赴任してきたフロア係は、妻が夫の左耳に向かって 話しかけているところを見て、すぐに事情を理解しました。 そして、あえてすべてのサービスを左側から行うようにしました。 すると、夫は 「君、よくわかったね」と、とても嬉しそうに笑い、それからは、その フロア係を指名してくれるようになったそうです。 こうした気づかいができるかどうかは、いかにその人が状況をしっかりと 見ているかです。 「快適に過ごせているか」ということを、本当にその人の立場になって 考えてみると、やるべきことがパッと見えてきます。 心配りとは、「お客様のグラスの水が減っていたら注ぐ」といった単純な ことではありません。 たとえば、「そろそろ食後のお薬を飲みたいのではないか」「今日は寒い から、水よりも白湯がいいのではないか」といったことを、相手の立場で 想像してみることです。 人は、気がきかない人を非難したりはしません。 でも、ちょっとした心配りができる人のことは、高く評価します。 「この人は、こういう気配りができるんだ」 そして、同じ能力なら、「この人に、まかせてみよう」と、気配りが できる人に、大きな仕事を回してくれるでしょう。 だから、気配りができる人は、運がどんどん開けていきます。 (参考文献:本田 健著「強運を味方につける49の言葉」PHP文庫)________________________________________ *気配りができる人は、日頃の心の持ち方が優れている。 心のベクトルが、絶えず自分以外の人や物事の方向を向いている。 さらにそういう人は、所作、動作にも心がこもっている。 同じフロア係にも、いろんな人がいて最低限度のサービスをやればいい、 という意識の人もいれば、どうすればお客様に喜んでもらえるかという 意識の人もいる。 業種に関係なく気配りは、すべてのことに共通して、人間関係を円滑に して互いの信頼をつくっていくものだ。 自然な気配りができれば最高だ。
2018年01月19日
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【自分に優しい匙加減】 ★100歳の現役女医、高橋幸枝さんの言葉から― ◎純粋で心がきれいだったり、周りにやさしい人ほど、 他人の一言一句に心を乱されがち。 もう少し、「自分にやさしい匙加減」で うまく受け流していきませんか。 私は左利きです。おかげで幼少から余計な気遣いを強いられてきました。 3、4歳になって、お箸を持ち始める頃。 家族以外の人が集まるところにいくと、「左利きなのね」と声をかけられる のがお決まりでした。 不思議なことに、ひとりがそう気づくと、周りも同じように 「さちえちゃんって左利きなんだ、ワァー!」反応するんです。 あまりに悔しく恥ずかしい思いを重ねた私は、お箸とペンは訓練を積んで、 なんとか右手で持てるようになりました。 30代になり社交辞令を言われる側の立場になった頃、ようやく人様の言葉 の「空疎」な一面に敏感に気づけるようになってきたのです。 「左利きなのですね」という決まり文句のあとに「左利きの方は器用で いらっしゃるそうですね」などという、お世辞をつけられるようになって きたからです。 そして、そのような声をかけてくれる人に「他意はない」と気づくと、 左利きの劣等感は嘘のように消え失せ、社交辞令を笑顔で流せるように なったのです。 そのような、「他人様の何気ない言葉」を逐一真に受けていた私は、何と 若かったのかと今にして思います。 よく言えば、純粋であったかもしれませんね。 この話は、コンプレックスを抱えるあらゆる方に、きっとあてはまる はずです。もし、今のあなたに何かお悩みがあるならば、 「他人様の何気ない言葉など、無責任なものだから、気にしなさんな」 そうお伝えしたいと思います。 (参考文献:高橋幸枝著 「100歳の精神科医が見つけた こころの匙加減」飛鳥新社)________________________________________ *私たちの社会は、人との言葉のやりとりで成り立っている。 それは主に会話を通して(最近は、メールやラインも多くなった)だが、 問題は伝え方と受け取り方である。 自分がコンプレックスと思っていることに、気づかいなしに指摘されると 心は傷ついてしまう。 そういう時、うまく聞き流すことができれば、心が乱れることない。 高橋さんが言うように、相手の言葉の受け止め方が敏感な人ほど、心が きれいで優しいのは事実かもしれない。 同時に、世の中にはいろんな人がいて、自分と同じような考えの人ばかり ではないということも認識しておくことも大事なのだ。 自分に優しくあるためには、自分を守ることも必要な要素である。 人は人、自分は自分という意識があれば、人の言葉に一喜一憂すること は少なくなるものだ。
2018年01月18日
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【性格とは考え方の習慣】 ★たかた まさひろ氏の言葉から― ◎ある人が、飼い犬のいたずらに困っていました。 家の中で掃除機をかけると、犬は、掃除機を生き物だと思っているのか、 ブーンという音に反応して、駆け寄ってきて柄の先にかみつくのです。 いくら叱りつけて引き離そうとしても、犬は言うことをききません。 これでは掃除をすることができず、飼い主は困り果てて、ペットのしつけ の専門家に相談しました。 すると、専門家は、いとも簡単に犬のいたずらをやめさせることができた のです。 犬が掃除機にかみついてきた時、まず引き離して、やめさせるところまで は同じです。 その後が肝心でした。「いたずらをやめたこと」を褒めて、頭を撫でて やるのです。 それを数回繰り返せば、難なく犬は言うことをきくようになります。 「叱られたからやめた」のではなく、「自らの意志でやめた」のだと思う ことにより、犬の自尊心(?)は保たれたのです。 犬と人間を同じに扱ってはいけませんが、これは、人間の子育てにも 役立つやり方でしょう。 子どもが言うことをきかないからといって、叱りつけて、「恐怖による 支配」で操ろうとしても、素直な子どもには育ちません。 子どもが、「人に言われたから」ではなく、自らの意志によって行動 できるように育てることが、本当のしつけだと言えます。 性格とは、「考え方の習慣」だということができます。 何でも悪い方に、暗い方に考えてしまうからといって、人格や人間の 価値の問題だなどと考えることはありません。 考え方の癖を変えれば、だれでも明るい性格に変わることはできます。 (参考文献:たかた まさひろ著「こころのおそうじ」だいわ文庫)________________________________________ *「しつけ」は「躾」という文字にあるように、「身を美しくする」。 「身」には心も含まれていると考えれば、しつけは、身体と心身にも つながるものになる。 また「しつけ」は「しつづける」こととも言われる。 要は繰り返して体を動かし、心に刷り込むことが「しつけ」になる。 だから、良い「しつけ」もあれば、悪い「しつけ」も生じてくる。 それだけ、教育とは本当は大切で重要なことなのだ。 子どものしつけは親の責任だと、簡単に結論をだすのはよいが、 大人になってみると、自分で自分をしつけ直すのは難しい。 それでも遅くはないのだと、自分の心の持ち方、考え方の習慣を 見直すことができる大人でありたい。
2018年01月17日
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【人によって態度を変えてはいけない】 ★元スターバックスコーヒージャパンCEO、岩田松雄氏の言葉から― ◎スターバックスの幹部の一人、ハワード・ビーハーの著書『スター バックスを世界一にするために守り続けてきた大切な原則』 (日本経済新聞社出版社)の中に、こんなフレーズがありました。 「かぶる帽子を一つにする」 かぶる帽子を取り替えるように、対応する相手やその時々の環境に よって人間性を変える人がいる。 それはやってはいけない、帽子はひとつだけにしなさい、という意味の 言葉です。 上司の前ではこの帽子を、部下の前ではこの帽子を、お客様の前ではこの 帽子を、というのでは、二面性がある人間だと思われてしまいかねない。 人によって対応を変える人間だと、むしろ信頼を失ってしまいます。 自分は自分なのです。自分らしさを出せばいいのです。 背伸びをしたところで、所詮それは本当の自分ではない。 誰と会っても、どこに行っても、ひとつの帽子で貫くことです。 同じような態度で、同じように接する。できるだけ謙虚に。 私は人によって態度を変えるのが嫌です。 だから、目下の人に対しても、目上の人に接するのと同じように、 態度を変えないようにしています。 そうすると、みんなから謙虚で腰の低い人と見てもらえるようになります。 私は自分自身を「普通のおじさん」と見られていいと思っています。 向き合う人によって態度を変えるのでは、人間性を疑われても仕方があり ません。 上から見た評価と、下からみた評価が違うリーダーは、やはり問題です。 その姿を、部下はしっかり見ています。こういうところから、部下は リーダーを見極めているのだと思うのです。 (参考文献:岩田松雄著「ついていきたい、と思われるリーダーになる 51の考え方」サンマーク出版)________________________________________ *自分より立場が上の人には低姿勢で、自分より立場が下の人には傲慢な 態度になる。 謙虚さがあれば、傲慢にはなれないものだ。 自分はまだまだ努力が足りない、といつも学んでいこうという姿勢が あると、謙虚な心がつくられていく。 これは、何も企業や組織の中だけの問題ではなく、社会一般的にも 言えることである。 ある企業の社長さんは、役職に就いている人以外の社員を呼ぶ時、 「○○さん」、と声をかけるそうだ。 呼ばれた社員はみんな笑顔で返事をするという。 職場の雰囲気も明るく、業績もよいのだそうだ。 これは社風かもしれないが、少なくともこの会社の社長さんは、 「帽子はひとつ」の精神の持ち主である。 社会においては、下の者も上の人をきちんと見ているし、家庭では、 子どもも意外と親を、しっかり見ている。 人に向き合う時の姿勢、謙虚さを忘れないように気をつけたい。
2018年01月16日
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【与えたものは返ってくる】 ★永松茂久氏の言葉から― ◎僕の大切な仲間で、札幌で「海さくら」という素敵な大繁盛の居酒屋を やっている、尾形幸弘さんという、僕の二つ年上の経営者がいます。 おがちゃん(尾形さんのこと)の店に行った時、それはびっくりすること だらけでした。その中でも一番びっくりしたこと、それはなんと、 “自分の店のレシピをお客様に公開し、はがきサイズにして持ち帰れる ようにしていることでした” 「ねえ、おがちゃん。これって、よその飲食店の人、もらいにこないの?」 「あ、来てるよ。よく来る」 「それ、アリなの?」 「うん、みんな喜んでくれるからいいんだよ」 これには感動を通りこして、あきれてしまいました。 おがちゃんは居酒屋を始めた当初、全くと言っていいほどうまくいかず、 答えを探してたまたま入った本屋で、斎藤一人さんの書いた『変な人の 書いた成功法則』という本に出会いました。その中で、 「けちけちせずに人に与えるんだよ。 いいものはどんどん人にあげるんだよ。 心の豊かな人には必ずいいことが起こるから」 その言葉を信じ、実践していたら店の売り上げが4倍になったそうです。 いいものをあげるったって、何もレシピをあげなくても・・・・。 しかし、確かにおがちゃんの店は大激戦区札幌でぶっちぎりの大繁盛店に なっていました。 (参考文献:永松茂久著 「感動の条件」 王様文庫)________________________________________ *本書の著者、永松さんもタコ焼きの行商から身を興し、今では九州の 大分、博多中州で飲食店を出店し、経営も順調であるという。 競争が激しい市場では、経営手腕も問われるが、それ以上に大事なのは 経営者の人柄にあるようだ。 与えたものが返ってくる、と言うと、人によっては、そんな甘い考えでは 商売はなりたたないぞ、という意見もあるかもしれない。 しかし、これも立派な経営理念である。 ダスキンの創業者、鈴木清一さんの経営理念は 「自分に対しては、損と得があれば、損の道をゆけ 他人には、喜びのタネを蒔け」 というものだった。 その理念を実行するために、人柄で協力者を増やしていった。 どんな言葉も、それを行動に移す人の考え方、価値観で決まる。 人柄のよい人とは、周りに人が集まってくる魅力ある考え方、価値観を 努力して身につけた人である。
2018年01月15日
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【自分の気分を眺める】 ★齋藤 孝氏の言葉から― ◎今まで生きてきた中には、嫌な日々もあった。 恵まれない時もあった。 だがやまない雨はない。明けない夜はない。 すべては移りゆくものだ。 『平家物語』の冒頭を覚えている人も多いだろう。 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。 これは暗い気持ちになれ、という意味ではない。 この場合の「無常」とは情けがないという意味ではなく、 常ならずということだ。 『方丈記』の冒頭でも 「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」と言っている。 あれも無常観を述べている。 物事はすべて「常ならず」変転していく。 それを川の流れにたとえると、川の中で溺れてしまうのではなく、 岸で眺めている気分になればいいのだ。 川や海など、動いている水を見るのは、心の安定に非常に効果的な ことがある。 これを突きつめていったものが悟りである。 気分の上下が少なくなり、気分に支配されなくなる。 悟りの境地まで達するのは大変だとしても、イメージとして描くことは できる。移りゆくすべてを俯瞰して眺める視点を持つことだ。 世阿弥の言う「離見の見」である。役者として演じている自分は確かに いるが、それを観客の側から見ている自分もいる。 すると、冷静になれる。 「気分」と自分を引き離して、川岸から眺めるように客観的に気分を 眺めてみる。 そうすれば「気分」をそれほどたいそうなものとは考えないようになる。 雲がかかっても、やがて太陽が顔を出す。 夜になっても太陽がなくなったわけではない。 だからいやな気分に落ち込んでも、これは一時的なものだと言い聞かせ、 「気分」という川におぼれず、いったん川の中から出てしまおう。 (参考文献:齋藤 孝著「前向き力」ちくま文庫)________________________________________ *人は感情の生き物である。 しかし、感情だけで生きるものでもない。 感情を気分という言葉に置きかえれば、その時々の気分が人生をつくる ものではないのである。 気分は大切だが、その根っこにある意志や考え方、思考、意識、という ものが土台にあることを忘れてはいけない。 自分の中にある心の眼を、広角レンズにグレードアップしてみる。 そして自分自身を、距離をおいて眺めれば、気分に流されずに生きて いけるはずだ。
2018年01月14日
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【がんばらなくてもいいときがあります】 ★東レ・元取締役、佐々木常夫さんの言葉から― ◎人は、がんばらなくてもいいときがあります。 現実を避け、逃げたっていいときがあります。 たとえば学校や職場でひどいいじめに遭ったときや、どうしても一緒に 仕事がをするのが耐えられない上司がいるときなどがそうです。 30年近く前、自閉症の長男は、いつも自分の世界の中で過ごしていて、 学校でも校庭の隅で一人で歌を歌っているような子でした。一部の生徒 から始まったいじめは、やがてクラス全体に広がっていきました。 担任の若い先生に何度も改善を求めたのですが、彼女は「生徒の自主性 を重んじたい」と言って一向にやめさせようとはしませんでした。 私は父親として「生徒たちに話をさせてほしい」と担任に頼んだのですが、 これも「父兄が教壇にたつのは困る」と言って許してもらえませんでした。 そこで私はクラスのリーダーの子に、 「クラスの子を集めて私の自宅に来てほしい」と頼みました。 そして20人ほど集まった生徒たちに、 「自閉症とはどんな障がいであるか」ということと 「世の中にはさまざまな障がいやハンディを持った人たちがいます。 そういう弱い人たちを無視したりいじめたりするのではなく、 励ましたり助けたりするのが君たち健常な子どもの義務なのです」 といった話をしました。 いろいろな質問が出たりして2時間半ほどかかりました。 私の言葉は子どもたちに通じたようで、次の日からいじめは消えていき ました。どうも率先していじめをしていたのは数人だったようで、他の 子どもたちはなんとなくつられていたようです。 その子どもたちがいじめをやめるよう動き出したのです。 こうした経験を通じて感じたことがあります。 学校でいじめに遭っている子どもに、大人は「がんばれ」といった言葉を 安易にかけるべきではありません。 いじめられている子どもはすでにがんばっているし、耐えています。 むしろそういうときは、「逃げたっていいんだよ」ということを教えて あげたほうがいい。 ひどく辛い思いをしてまで、その学校にとどまる必要はありません。 これは大人も同じです。 逃げられるのなら、逃げたほうがいいのです。 (参考文献:佐々木常夫著「それでもなお生きる」河出書房新社)________________________________________ *著者の佐々木さんは子どものいじめと、奥様のうつ病を抱えていたが いずれもその危機を乗り越えている。 いじめは年々複雑になっているという。 大人社会でも、いろんな種類のハラスメントが表面化している。 それらの対応には、個々のケースに応じたやり方があるかもしれない。 行政や企業、教育現場でのサポートも当然、必要になってくる。 大切なことは、当時者になった時、 「逃げることは負けることではない」という考え方もあるということ。 逃げることは自分に負けることではなく、自分を守ることでもある。 頑張らなくてもいいんだ、とどこかで心を休ませることも必要だ。
2018年01月13日
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【「お陰さまで」の本当の意味】 ★江口克彦氏の言葉から― ◎私たちは知らず知らずのうちに、他人に迷惑をかけたりお世話になったり しているものなのである。 「私は誰の世話にもなっていない」「わたしは世間様に迷惑をかけたこと はない」という人もいるが、人間社会とは本質的にそういうものではない。 小さな迷惑をかけ合い、また小さな世話をし合いながら生きているもの なのである。 以前の話であるが、東京へ向かう電車の中で、私の前の席にお坊さんと 若い青年が並んで座っていた。お坊さんは大きな紙袋を網棚の上にのせ 窓側に座って居眠りを始めた。 隣の席では青年が本を読んでいた。 すると、突然に網棚の上のお坊さんの紙袋から、バラバラとおみやげの 包みが落ちてきた。 そのいくつかが青年の頭に当ってしまった。「イタッ」と頭を抱えながら 青年は隣に目をやったが、お坊さんはぐっすり眠っている。 仕方なく青年は、落ちた荷物を拾いていねいに網棚の紙袋の中へ戻した。 そして東京へ着くと、お坊さんは何も知らぬまま、その大きな紙袋を 持ってさっさとホームへ降りていったのである。 お坊さんは何も知らない。もちろん眠っていなければ、青年に対して お詫びの言葉を言ったであろう。 つまり日頃は皆に説教をする立場のお坊さんでも、知らぬ間に迷惑を かけていることがあるのだ。 同じように私たちも、どこかで誰かにお世話になっていることだろう。 「お陰さまで」という挨拶の言い方がある。 「お元気ですか?」と聞けば、「お陰さまでとても元気です」と答えが 返ってくる。 「お陰さまで」という言葉は、決して相手の人だけに対する感謝を示す ものではない。 知る人も知らぬ人も、社会に生きているすべての人の向けての、感謝の 気持ちなのである。 人間を取り巻く自然や宇宙、万物に対する感謝の気持ちなのである。 自然の理法のお陰であるという心持ちの表現が、「お陰さまで」という短い 言葉に集約されている。 (参考文献:江口克彦著 「部下の哲学」 PHP)________________________________________ *お陰さまで、という気持ちになるのは「謙虚さ」があるから。 成功も失敗もすべて自分の責任、ということだけで考えてしまうと 謙虚さは生まれにくい。 お互いさま、という精神で生きていけばそこに謙虚な心は、自然に 身につくものなのだ。 自分の力だけで生きているのではない。 自分の力と、周りの力で生かされている。 このことを忘れてしまうと、ついつい自信過剰に陥ってしまう。 「お陰さまで」の精神、大事にしたいものだ。
2018年01月12日
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【ホントの幸福】 ★渡辺和子氏の言葉から― ◎物を多く持っているということが、必ずしも幸せの要素ではない ということを、ブラジルに旅した時、貧しい内陸地で経験した。 安物のボールペンを渡されて一人の幼い子は、あたかもそれが宝物で あるかのように手に握りしめて家へ走って行った。 その子の顔には、日本の子どもたちが失って久しい喜びと幸せの 表情があった。 便利な生活についても同じことが言えるだろう。 便利さ、安楽さも、お金や物と同じくよいものだけれども、それらが “当たり前”になってしまうと、ない時に、不平や不幸の種となる。 自動ドア、エスカレーター、エレベーター等がそのよい例である。 ドアは手で開けるもの、階段は足で昇り降りするものと思っていた時代 には、考えもしなかった不満、愚痴が今や横行している。 自分の手でドアを開けたくても開けられない人、階段の昇降がしたく てもできない人がいるというのに、その手足を自分がいただいている ことのありがたさを忘れる。 ありがたい(有り難い)とは、有ることが難しいという気持ちなのだ ということを、時に思い出してみないといけない。 「当たり前を輝いて見る」ということこそ、実はささやかな幸せの 秘訣である。 人間の幸せは、結局、その人の生活の中に愛するものがあるか否か、 宝とするものがあるかどうかにかかっている。 (参考文献:渡辺和子著「愛をこめて生きる」PHP)________________________________________ *健康であることのありがたさが分かってはじめて、若い時の不摂生を 悔やむことが多くなった。 健康のためには歩きなさい、という言葉も日を追うごとに耳に痛い ものに聞こえる。 ある時、「階段を見たら、クスリと思え」という言葉を聞いた。 それ以後、どこかに出かけることがあると階段を利用するように なった。 本当は、「階段を利用できることが有り難い」、と思うべきで さらには「階段を利用できることが幸せなのだ」と思わなければ いけない。 本当の幸せとは、生活の中にたくさん隠れている。
2018年01月11日
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【他者のために生きる人生】 ★田中信生牧師の言葉から― ◎保育園を創立した先生が、こんな話をしてくださいました。 園児たちにビデオでいろんなものを見せるのです。ある時、 「今まで見た中で、もう一度見たいのがありますか」 と聞くと、子どもたちがみんなで、 「マザー・テレサのを見たい!」と言うのだそうです。 私もさっそく、ビデオを借りて見ました。子どもたちは、マザー・テレサ が働いている仕事のことではなく、そこに、アニメ作品中の登場人物 として出てくる「ネリー」という少年の話に、感動するのだそうです。 マザー・テレサはご承知のように、インドのカルカッタの町で死にゆく人 たちの友として慰め励ます働きをしていた方です。 インドでは砂糖が非常に貴重品だそうです。 それで、砂糖が不足しているということを知った、四歳のネリー少年は、 自分が紅茶に入れる砂糖ひとさじ、ひとさじを我慢して小瓶に入れ、 それを、マザーのところに持って来たという話が出てくるのです。 保育園の園児は、その話に感動するのだそうです。私はそれを聞いて、 「人間は確かにわがままで、自己中心的だけれど、本当はネリーのように 『他者のために』という思いがある。そういうものが引き出されたら、 もっともっと豊かになるし、それに感動する心が日本の子どもたちにも あるんだな」 と、思ったら勇気が湧いてきました。 (参考文献:田中信生著「すてきな自分に出会える法則」PHP)________________________________________ *人は見方によっては、自分のために生きている。 むしろ、自分の幸福のために、という言い方が適切かも知れない。 しかし、自分のためにだけでなく、誰かのために生きることもできる。 田中牧師は、「心のエンゲル係数」を高める生き方をしよう、とも言う。 エンゲル係数とは、収入の内で食費にいくら支出するかの比率のことで、 心のエンゲル係数とは、自分の人生の内どの程度の比率で、他者のために 生きることができるかということだ。 仮に今はわずかであっても、気持ちの余裕ができてからでもかまわない、 少しずつ増やしていければ、人生の質はグンと上がるに違いない。
2018年01月10日
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【ストレスとの賢いつきあい方】 ★中谷彰宏氏の言葉から― ◎ストレスを持つのはかまいません。 ストレスを持ち続けるのだけは、やめましょう。 適度なストレスは、 実力以上を発揮させる原動力になります。 ストレスを持つのがいけないのではなく、 ストレスをため込むことがいけないのです。 一流の人は、ストレスの避け方がうまいのではなく、 ストレスの吐き出し方がうまいのです。 ストレス発散のために、お酒を飲むのも、 カラオケをするのもかまいません。 ところが、過度の発散は、 新たなストレスの原因になります。 ストレスを発散する時は、 必ず時間をきめるようにしましょう。 短い昼寝は効果がありますが、 寝過ぎると、ぼけてしまいます。 (参考文献:中谷彰宏著 「生き直すための50の小さな習慣」 PHP)________________________________________ *たまに、「ストレスはありません」という人と出会うことがある。 よく聞くと、ストレスになる前にうまい具合に、何かに昇華している。 さらには、ストレスというものを、適度なところで発散する方法を身に つけている。 こういう人は、ストレスを自分の味方にしていて、敵にまわさない。 ストレスをよい刺激剤にできる能力が優れているのだろうと感心する。 そういう力を、小さな習慣で自分のものにしたい。
2018年01月09日
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【前向きな人には光がある】 ★駐日ブータン王国名誉領事、永田良一氏の言葉から― ◎思うようにならないのが人生です。いろいろな問題が起こるものです。 体験したことのない大きな苦難の時、はたして乗り越えられるだろうか、 という不安がよぎってしまいます。 心の中を不安が占有すると、すべてが悪い方向に向かう、と思い込んで しまいます。 組織のリーダーがネガティブな思考に陥ると、組織全体に伝染してしまい ます。 そうなると組織は崩壊の方向に進んでしまいます。 重要なのは、「いかなる時も悲観的な言葉を発せず、常に前向きの思考に 集中する」ことでしょう。 このような前向きな心は、周囲に光をともします。 それは、人々の団結をうながし、和の心を形成して、目標達成の意義を 理解させます。 これこそ、人間が生きる上で重要な心のもち方だと考えます。 どのような状況であっても前向きな人は、周囲に元気を与えます。 裏づけのない前向きさではなく、しっかりとした根拠と経験に基づく 助言や提案は、人々に知恵を与えます。 慎重になることを否定しているわけではありません。 物事をすすめるには、自分が考えた戦略を自己否定しつつ、そこに潜む 穴を探すことも大事なことです。 悲観的な思考を取り入れた楽観主義、というバランスが大事でしょう。 本物のプラス思考の持ち主は、失敗の原因を自分中にしっかりと追究して 次に生かすことができる人、周囲に光をともし続けることができる人物 でしょう。 (参考文献:永田良一著 「幸福の国ブータンに学ぶ、幸せを育む生き方」同文館出版)________________________________________ *プロ野球界で、闘将と呼ばれた星野仙一さんが亡くなられた。 現役中は、強敵巨人に闘志むきだしで勝負に挑み、引退の後は 低迷する球団をリーグ優勝や日本一にまで導いた、球史に残る 名監督でもあった。 星野元監督の、心のバックボーンとなっていたのは、どんな時も 前を向いていくことだったのではないかと思う。 50歳を過ぎたばかりの奥様を亡くされたあとも、前に進み続け 多くの選手たちの能力を開花させた。 組織のリーダーも、家庭のリーダーも根底は同じなのだ。 リーダーが中心となって、ひとつの方向に導いていく。 悩みや問題は抱えながら、前を向く姿勢。 その姿勢の背景には、心の光をともし続ける努力がある。
2018年01月08日
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【力不足と意志力不足】 ★遠越 段(とおごしだん)氏の言葉から― ◎やろうと思い、やらねばと決めた以上、やり抜くのが、 私たちの人生目標だ。 そう決めた以上、うまくいかないときでも、 次うまくいくために、自分で工夫しつづける必要がある。 ここで力が足りませんでしたと言うとき、 自分に向かって言うのはいい。 そして、力が足りるために必要なことをしていけばいい。 この力量不足をもって、他人に対する言い訳として用いる場合は 注意を要する。 それは、ただできないための理由としているような場合や、 あきらめる場合だ。 力量不足を理由としているようだが、 単に自分の意志の欠如を言っているにすぎない。 フランスの詩人、ヴィクトル・ユーゴーの詩 ・力量が足りないのではない、意志が足りないのだ・ (参考文献:遠越 段著「心に火をつける言葉」総合法令出版________________________________________ *50の力しかないのに、100のことができます、と無理をするのは よくない。ただ、その意欲は立派だし、積極性の点では評価できる。 しかし、100の力があるのに、100のことはできませんという のは問題だ。 今は、50の力しかないが、60のことなら何とか頑張ればできると 思う。だから挑戦してみよう、もしうまくいかなければ、それは自分の 力不足、次はさらに工夫しよう。これが本来の成長への道である。 ところが、100の力があるのに、それ以上のことには挑戦したくない という気持ちが根底にあると、うまくいかなかった時に責任を他に転嫁 する。うまくいかなかったのは、○○のせいだと。 ビジネス社会では特に、この考え方の違いが影響する。 物事に対する見方やとらえ方次第で、結果は大きく変わるものだ。
2018年01月07日
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【命と言葉】 ★藤尾秀昭氏の言葉から― ◎福島 智(さとし)さんは、9歳の時に全盲となり、18歳で全ろうと なります。 3歳で右目が、9歳で左目が見えなくなる。 14歳で右耳が聞こえなくなり、18歳で左耳も全く聴力を失う。 徐々に病魔が進行していく過程に、母親の令子さんは身を切られるような 思いだったといっています。 そういう中でも福島さんは、常に明るく人に接し、自らよく勉励され 東京大学の教授になられたのです。 全盲ろうになった時のことを福島さんは、 まっくらな真空の宇宙にただ一人放り出されているようだった といっています。 その絶対孤独の中で、お母さんがふとしたことから、 福島さんの手に 「さ、と、し、わ、か、る、か」 と指点字を打ちます。 この指点字が通じた時、福島さんの心に歓喜が起こり、 命がよみがえっていくのです。 その時の喜びと感動を福島さんは詩にしています。 * 指先の宇宙 ぼくが光と音を失ったとき そこにはことばがなかった そして世界がなかった ぼくは闇と静寂の中でただ一人 ことばをなくして座っていた ぼくの指にきみの指がふれたとき そこにことばが生まれた ことばは光を放ちメロディを呼び戻した ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき そこに新たな宇宙が生まれ ぼくは再び世界を発見した コミュニケーションはぼくの命 ぼくの命はいつもことばとともにある 指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに (参考文献:藤尾秀昭著「生き方のセオリー」致知出版社)________________________________________ *この言葉に接した時、ヘレンケラーとサリバン先生のことを思い出した。 サリバン先生がヘレンケラーを水の近くに連れて行き、彼女の手をとり 水に触れさせ、そのあとにサリバン先生は彼女の手のひらに W、A、T、E、Rと指でなぞったという。 こうして体で感じるものを、文字として言葉として一つ一つ教え続けた。 これから、ヘレンケラーとサリバン先生の師弟愛が始まったとも言われる。 コミュニケーションとは、共感して共有するものである、と言った人が いる。 言葉には命が宿っている。 まずは本物の言葉で、近くにいる人達からしっかりコミュニケーション とりあっていきたい。
2018年01月06日
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【千転び千一起き】 ★若尾裕之氏の言葉から― ◎大成している企業経営者の多くは、倒産・投獄・大病の3つのどれかを 経験しているという話を聞いたことがあります。 これは「命さえあれば」なんとかなるという生き方の原点を知っている からだと思います。 ソフトバンクの孫正義さんは、若い頃に慢性肝炎で余命宣告された時、 最初は泣いてばかりいたものの 「たかが自分の命くらいでくよくよしてどないするんや。もっと大きく 構えにゃいかん」そう思ったそうです。 日本マクドナルドの創業者である藤田田(でん)さんも、高校時代に 結核で余命2ヶ月と宣告されていますが、 「人生360度、あらゆる角度から人生をとらえれば、これで終わり という発想にはならない」と言っています。 大きな逆境を経験したことで、気づくことがあります。 逆境を経験することで自分と対峙(たいじ)し、徹底的に考えることで 道が開けることもあるでしょう。 山あれば谷あり。 生きる中で、さまざまな窮地が訪れます。 将来を悲観したくなることもあるでしょう。 しかし、極限まで追い込まれた経験をすると、小さなことが気にならなく なり、広い視野で全体を俯瞰(ふかん)して見られるようになります。 人生で失敗は当たり前です。 思い通りになることのほうが少ないのです。 七転び八起きということわざがありますが、千転び千一起きという気持ち で良いぐらいです。 何回転んでも立ち直ればいいのです。 (参考文献:若尾裕之著 「幸せは心のなかで、あなたの気づきを待っている」PHP文庫)________________________________________ *七転び八起き、あるいはここでいう、千転び千一起きは、何かで大成 した人だけのものではないようだ。 まじめに生きつつ、何かの問題や悩みを抱えながらも、転んでは起き、 転んでは起き、を繰り返しながら日々の生活を営んでいる人が大半 ではないかと思う。 世の中とはそうしたものだ。 転んで学び、起き上がってまた成長する。 今年は、失敗を失敗のままにしないで、次のステップへの足がかりに する。 そんな一年でありたいものだ。
2018年01月05日
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【満足感には階層がある】 ★天外伺朗氏の言葉から― ◎私は、人間の満足感は大まかに次の四つに大別できると思っている。 1、身体の満足 2、頭の満足 3、心の満足 4、魂の満足 最初の「身体の満足」とは、マズローの「生理的欲求」に対応して いる。食欲や性欲などの動物的な本能や身体的心地よさが満たされる ことを意味する。 次の「頭の満足」とは、私独自の定義による。 つまり、理性(頭)で考えて「こうありたい」という思いが実現された 時の満足感だ。 次の「心の満足」。 喜びや楽しみで心の底まで満たされるので、外部からの評価や称賛を 何ら必要としない。本当の意味での満足感を意味している。 その次の「魂の満足」というのは、学問的には「魂」という用語に問題 があるが、マズロー等が調査した宗教的な至高体験をさす。 瞑想など宗教的修行中に、自我意識がほぼ喪失し、宇宙と一体に感じる ことをいう。至福感きわまって涙することが多い。 日常生活でこの状態になることはまれだろう。 (参考文献:天外伺朗著 「運命の法則」 飛鳥新社)________________________________________ *人間を四つの要素として、体と、理性と、心と、魂に分類した時、上記 のような分析をすると面白さも出てくる。 体の満足がすべてとは言えないし、また魂の満足がすべてとは言えない。 人それぞれの価値観によって違いはあるかもしれないが、満足の基準を どこに置くかによって、その人の生き方は変わってくる。 病弱であれば健康を得ることが満足だといえるが、人によっては病弱の ままでも、健康以外のもので幸せを感じることができるかもしれない。 満足感にいくつかの階層があることを知り、自分にとって本当の満足 とは何かについて考えることは決して無駄なことではない。 人生をより深く生きることにつながるはずだ。
2018年01月04日
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【小さなことにくよくよしない】 ★デールカーネギーの言葉から― ◎風雪に耐える森の巨木も、小さな虫の絶え間ない攻撃で倒される。 どんなに勇敢な人間も小さな虫によって、心が弱っていく。 虫の正体・・・・・それは「悩み」。 人は取るに足らない小さなことに悩むうち、引き返せないほど心が弱る。 虫を近づけてはならない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ニューヨークのフランク検事は言う。 「刑事裁判の半分は、小さな事がきっかけだ。 酒場での虚勢の張り合い、家庭内の口論、失礼な発言、陰口、無礼な 態度 ― こういう小さなことが、暴行や殺人を引き起こす。 この世で起きる痛ましい事件の半分は、ちょっとした自尊心や虚栄心 の傷、ささいな侮辱が原因だ」 小さなことに煩わされないためには、何が重要かをもう一度考えるといい。 新しく楽しい見方をするのである。 友人の作家、ホーマーはどうしたらそれができるか、すばらしい例を挙げ ている。彼は部屋で執筆中、空調が立てる音にイライラして気が変になり そうだった。 「それから、数人の友人とキャンプに出かけたんだ。 燃えさかる炎の中で、木の枝がパチパチと音を立てるのを聞いて、 部屋の空調の音にとても似ていると思ったよ。 焚火の音は好きなのに、なぜ空調の音は嫌いなんだろう? 帰宅してから自分自身に言い聞かせてみた。 “燃えさかる炎の中で木の枝がパチパチと音を立てるのは素敵だ。 空調の音はそれに似てる ― 気にしないで寝ることにしよう”。 すると、眠れたんだ。空調のことは、何日かは気になったけど、 そのうちまったく考えなくなったよ」 小さな悩みのほとんどは、これと同じだ。 私たちは、気に入らないことを必要以上に重大に考えることで イライラするのだ。 (参考文献:デールカーネギー著「道は開ける」新潮社)________________________________________ *嫌いな空調の音が、焚火の音に似ていると考えて、気づいたら それまでの悩みが、悩みではなくなった。 同じような音でも、聞いて感じる側の心によって違ってくる。 音にかぎらず、人生万般の中にあるいろんなことを、必要以上に重く 考えない、これが大事なことなのだ。 さらに、なぜイライラするのか? と自分に聞いてみることで、 イライラの感情を冷静に見直すこともできる。 小さなことにイライラするなら、小さなことに喜びを感じることも できる。 賢い心の使い方をしたいものだ。
2018年01月03日
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【人生は修行の場ではなく、遊行の場です】 ★佐藤 伝氏の言葉から― ◎仏典に『自灯明 法灯明』というブッダの残した遺言があります。 法というのは人間のつくった法律ではなく、宇宙の真理のことです。 「自分自身の中に真理があるのだから、自分を拠り所にして生きなさい。 宇宙の真理を頼って生きていきなさい」 と、ブッダが、自らの死を前にしてうろたえる弟子たちに諭したのです。 そもそも仏教には、人生を修行の場としてとらえない考え方があります。 特に、時宗を興した一遍上人は別名を遊行上人ともよばれ、人生は修行 ではなく、遊行(ゆぎょう)だと説きました。 もちろん、これは一遍上人の独自の考えで、宗派によって様々な教えが ありますが、弘法大師空海もまた、興味深い考えを残しています。 空海の詩に次のようなものがあります。 「ああ、同士よ どうしてもっとゆったりと遊ばないのか」 なんとも勇気づけられる、あたたかいメッセージですね。 遊行という考え方は、起こったことを全部受け止めるものです。 一見いやなことに思えても、それはそれで意味があると考えます。 しかし、人生は修行だととらえていると、そこにはジャッジが生まれます。 修行では「かくあるべし」という信念がじゃまをして、そうでないものは 許せなくなっていきます。 私は、人生とは「観光」でいいと思っています。 観光という言葉の語源は「観音さまの光を観る」、つまり観音参りから きているのです。 たとえば、みんな、ハワイに行っている間は何でも楽しんでいますよね。 光ばっかり観て、まさに観光です。それが成田に着いたとたんに、 「はあー。また仕事かー」とガックリきてしまいます。 この時から、いつもの「観闇」モードになってしまいます。 そうではなくて、普段から光を観ていていいのです。 普段から闇を観ている人ほど、光を観たくなって旅行に行きます。 旅行に行くのは大いに結構ですが、普段から闇を観ずに光を観ていきる ことが、そのまま「遊行」になるのです。 (参考文献:佐藤 伝著 「『感謝の習慣』で人生はすべてうまくいく!」PHP文庫)________________________________________ *人生を修行と考えるより、遊行と考えたほうが気は楽になる。 もちろん修行は、苦しいからこそそこに意味があるというのが一般的な ことかもしれない。 ただ、一遍上人が言うように、人生は苦しいものではなく、もっと楽しい ものであるはず、だから踊りながら念仏を唱えようじゃないか、という 考えに共鳴する人々もいたのだ。 昔は、現代のようなテレビやインターネットもなく、娯楽といえるものが ほとんどなかったことも踊り念仏が生まれた理由かもしれない。 人間には、もともと物事を楽しむ能力は備わっている。 「辛いこともあるが、楽しいことだってあるさ」と、楽しむことにも 目を向けて生きていきたい。
2018年01月02日
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【陰と陽のバランスと東洋の精神】― 謹んで新年のお慶びを申し上げます ― 皆様の御多幸と御健康を 心からお祈りいたします________________________________________ ★漢方医、寺師睦宗(てらしぼくそう)氏の言葉から― ◎日本でも有名なイギリスの歴史学者、アーノルド・トインビー博士が 『歴史の研究』を書いている時、最も苦しんだのが、ヨーロッパ文明が たそがれていくということを認めなければならないということだった。 トインビー博士は、この結論には何としても耐えられない。 そこで活路を開きたいと懊悩していた時に、偶然、博士に霊的にインスピ レーションを与えたのが、易の陰陽相待理論だった。 陰陽相待理論とは、ひと言でいうなら、この世のすべてのものは陰もしく は陽のどちらかの質を持っている。 どちらか一方が優れているとかいうことはない。 どちらかが欠けると、世の中というのは成り立たたない。 人間、組織、社会など、とにかく一切のものが健全であるには、陰陽の バランスが取れていることが必要である、という考え方である。 たとえば、男性は陽、女性は陰であるし、社長は陽、社員は陰である。 先生は陽、生徒は陰で、主食は陽、副食は陰である。 このように、一切の物、一切の事象は、必ず陰・陽のどちらかに区別され そのバランスが崩れるとおかしな物ができ上り、おかしなことが起こる というわけだ。 中国古代に成立した易は、現代では占いのように思われているが、実は そうしたものとは根本的に異なっている。 むしろ、人間、社会、自然、宇宙を貫いている共通した法則に基づいて そのあり方を論じた壮大な哲学と言ってよい。 トインビー博士は、これによって大きな救いと暗示を得て、ヨーロッパ 文明に一条の活路を与えたのである。 私自身も、漢方を学ぶ者の一人として、この話をうかがった時は、なる ほどと膝を打ったものである。 確かに、人間が病気になる時というのは、体のバランスがどこかおかしく なった時である。 血液、内臓、骨、皮膚などを構成する数多くの物質のバランスが崩れて くると、必ずどこかしらに異常を発する ― それが病気である。 その原理を教えていただいた時、私の医療に取り組む見方、姿勢も大きく 変わったのである。 そこで、トインビー博士は自ら易を学び、さらに奥に進んで、日本の 「唯神道」(かんながらのみち)にまで入っていった。 そうした素晴らしい東洋の思想・学問が、特に日本では人々の血となり 肉となって、無意識のうちにも庶民の生活にまで浸透しているのである。 (参考文献:寺師睦宗著 「安岡正篤 最上の人生設計」 三笠書房)________________________________________ *西洋の歴史学者が、中国の易に関心をもち、日本の文化に新しい価値観 を見い出したことは、とても意味のあることだと思う。 かつて日本人が西洋の科学や文化にあこがれたように、人間は自分には ないものを発見して、工夫しながら文明を築いてきた。 科学や文化、医療、情報技術が進歩していくように、人間の心の世界も 進歩して、争うより協調しあう世の中になってほしいものだ。
2018年01月01日
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